バブル崩壊前夜の中国とどう付き合うか
http://president.jp/articles/-/10503
PRESIDENT 2013年9月16日号 ビジネス・ブレークスルー大学学長 大前研一/小川 剛=構成
10年前に、『チャイナ・インパクト』という本を書いた。
成長著しい6つのメガリージョン(省をまたいだ巨大経済圏)が競い合うようにして勃興してきた中国経済。政治的には共産党一党独裁ながら経済的には中華連邦化が進む現状と今後を分析した内容だ。これからは中国を“上手く使えるか”どうかが企業の優劣を分ける。チャイナ・インパクト(中国の衝撃)を自己変革のきっかけにせよ、と中央集権の頸木から逃れられずに低迷する日本および日本の企業経営者に向けて提言した。
その後、同書で予測した通り、中国は長足の成長を遂げて、自他ともに認める経済大国になり、日本企業の中国シフトも進んだ。
しかし10年のワンサイクルを経た今日、中国の巨大市場としての魅力は減退し、逆にカントリーリスクが顕在化し、中国経済はいつバブルが弾けてもおかしくない状況だ。労働コストの上昇で、中国の生産拠点としてのメリットは失われつつある。逆に政治家や役人の腐敗、先進国から大きく遅れた法整備、当局の不条理な規制や指導など、爆発的な成長の陰に覆い隠されてきた中国経済の暗部が露わになり、チャイナリスクがクローズアップされるようになった。
特に邦人企業の場合は、戦後の歴史問題のために、反日運動や嫌がらせの標的になりやすい。日本政府が尖閣国有化を言い出したときに、さまざまな対日報復措置の指揮を執ったのが習近平国家主席(当時は国家副主席)だった。習近平体制は今後10年続く可能性もあり、当面、日本の企業に中国で浮かぶ瀬はなさそうだ。そのような視点に立って、企業経営はアジア戦略を見直す、リバランスする作業が必要ではないか、と思う。カントリーリスクの高い中国のウエートを落として、今後、10年、20年、中国で何が起きても耐えられるくらいまで中国依存を減らし、ほかのアジア諸国の配分を高めていくべきだろう。
■締め付けを緩めたほうが繁栄する
アメリカやイギリス、スペイン、ポルトガルなど、世界の超大国と呼ばれた国は共通して、「版図を拡大する時期」がある。アメリカに並ぶ超大国となった中国も版図を拡大してきた。大陸にあってはチベットや新疆ウィグル、内モンゴルなどに意図的に漢人を移住させる膨張政策で“領土”の既成事実化を進め、東シナ海や南シナ海では領土と海洋権益の拡大を狙って周辺国と衝突を繰り返している。
私が思うに、そもそも毛沢東時代に蒋介石の国民党を追い出して出来上がった中国の版図そのものが大きすぎるのだ。宋の時代や明の時代には、版図の大きさが力の源泉になった時代もあったが、今の中国には、持て余すほどの大きさで、チベット自治区や新疆ウィグル自治区の分離独立運動に手を焼いている。
中国には150の少数民族(中国政府が指定する少数民族は55種)がいるといわれる。中国政府は少数民族との“融和”を強調するが、現実には“抑圧”の側面が強い。言ってみれば西欧列強が聖書と剣を両手にキリスト教の布教と植民地化を進めたのと同じやり方。共産主義を教条として漢族による支配を認めるなら、民族や宗教活動などもある程度目こぼししてやろう、というものだ。そういう意味では共産主義はイデオロギーというよりも宗教に近い。
今や中国共産党政府は共産主義の教義と毛沢東時代の版図を守ること自体が目的化して、何のためにそれをやるのか、本当の目的がわからなくなっている状態だと思う。たとえば「繁栄と発展」を目的とするなら、漢民族が楽に支配できる版図に絞り込んでも十分にいけるだろう。
大英連邦のような形で、北京を盟主にした中華連邦に移行して、余計な締め付けをやめるほうが統治しやすいはずだ。それぞれ自立してやっていけと、香港と台湾、チベット、ウィグルなどは自由にやらせる。彼らは喜んで発展していくだろうし、19世紀の国民国家的な飾り付けをすれば国連の加盟も可能だ。縛り付けておく負荷が軽減されて北京政府も楽になる。締め付けを緩めたほうが、中華連邦全体としては繁栄するし、国連総会などでも勢力は高まるはずだ。
一方、北京は「連邦」に加わるほうが得だ、と思わせるような対価を提供する必要がある。締め付けるよりも、「帰属したい」と思わせるメリットを前面に出すのだ。「一国二制度」と言いながら、台湾などに対しては「1つの中国」、と縛り付けるのは明らかに毛沢東の版図からくる呪縛で、そろそろ現実的なメリットを見直す時期に来ていると思う(詳しくは拙著『中華連邦』参照)。
■「中興の祖」がまだ出現していない
しかし今の中国政府は、それができない。チベットやウィグルなどに人為的に漢人を送り込みすぎているので、締め付けを緩めて連邦化したときには、彼らの多くは、そのまま現地に居残ることになり、旧ソ連の崩壊後、各国で在留ロシア人がいじめられているのと同じ状況になることを中国政府は恐れている。
そもそも世界でも最も赤裸々な資本主義国となった中国は、すでに農村をベースとしたコミューン建設を教義とした毛沢東時代の共産主義とはかけ離れている。それでも版図を縮小することは、中国共産党の生みの親である毛沢東を否定することになる、とその末裔たちは考えているのだろう。というより、建国以来の枠組みを変えていくほどの「中興の祖」がまだ中国には出現していない、と言ったほうが適切かもしれない。
一方、日本との関係に関しては、毛沢東率いる中国共産党が抗日戦争に勝利して、返す刀で蒋介石の国民政府を追い出した、ということになっている。中国における共産党一党独裁は「抗日戦争で勝利し、独立を勝ち取り、人民を解放した」ことで正当化される、と説明されている。それが中国という国家が今日少数民族の問題や日本との関係でぎこちないくらいに頑なになる理由だ。なぜなら、その大義名分こそ、歴史を直視しない作り話だからだ。日本に対しては、植民地支配で中国人民を苦しめた許しがたい「軍事独裁国家」という戦前・戦中のイメージづくりに今日でも汲々としている。従って、今日の指導者である共産主義の使徒たちは、毛沢東の版図に一筆も手を加えられない。
■カリスマ的指導者は中国では出ない
彼らは「国家の核心的利益」という言い方をしているが、要は共産党一党独裁という国体を守るための“確信的利益”なのであり、1歩も譲れないのである。
歴史的に見れば、抗日戦争で勝利したのはどう考えても蒋介石(或いは国共合作+連合軍)であり、戦勝国が集まったヤルタ会談でもカイロ会議でも毛沢東は招待されていない。毛沢東が中国本土を支配し、蒋介石を台湾に追い出したのは戦争が終わって3年以上経った48年であった。この簡単な論理の整理さえ行われていないのは、譲ったが最後、戦後一貫して国民に説明してきた自らの存在理由、そして一党独裁の正当性、が否定されてしまうからだ。だから、今の中国ではそもそもそうした確信的利益を譲るようなリーダーは選ばれない。
中国共産党が全国の土地を所有し、民主主義ではなく一党独裁を正当化する「抗日戦争で中国人民を植民地支配から解放したのは共産党」というレトリックを考えると、彼らが歴史を直視しない限り日本との関係が友好的かつ互恵的になることはありえない、と知るべきである。だからこそ日中平和友好条約の交渉に当たった田中角栄・周恩来は多くの懸案を棚上げにした。
最近の調査で「修復しがたい敵意」を相手に対して持っている人が日本・中国とも90%という信じられない悪循環に陥っている原因は、尖閣国有化だけではなく、中国共産党の事実を歪曲した広宣活動がその根底にあると知るべきだ。ソ連と比べるとその点がかなりクリアになる。ペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)で旧ソ連を否定し、解体に導いたゴルバチョフ、その後のエリツィンやプーチンのようなカリスマ的指導者は中国では出てこない。
習近平国家主席は日本との関係改善に前向きな気持ちを持っているが、後ろから刺される恐れがあるためにリスクが取れない、という情報もある。刃物を突き付けているのは軍事利権とエネルギー利権の関係者である。彼らは日本との関係が悪化すればするほど、予算が取れるから、日中対立を煽っているのだ。
■チャイナリスクと向き合う覚悟を
共産主義は貴族や資本家から収奪した富の分配については説明していても、富をどうやってつくるか、皆でつくった富をどうやって分けるかという論理がきわめて弱い。ここが1番の問題で、共産主義とは「皆が貧しい時代の教義」なのである。
中国社会は豊かになった。少なくとも全体のパイは巨大になった。にもかかわらず、不正や腐敗が横行して、富の偏在は革命以前よりも拡大している。少なくとも共産主義革命は失敗した、と中国版ペレストロイカを標榜する人がいれば叫ぶはずである。富の創出に貢献のあった人よりも、権限を持った共産党の幹部や政治家に富が集中している。それが一党独裁の「成果」であり、今の中国が抱えている矛盾のすべてを物語っている。
当然、中国社会には不満が充満している。これまでにも年間20万件くらいのデモやストライキがあったが、主役は土地を取り上げられた農民など貧しい人たちだった。しかし、成長が止まり、土地バブルが崩壊するとなると先に豊かになった「ハズ」のインテリ層、小金持ち、中金持ちが不満分子の中核となってくる。そういう人たちの不満が表出した形の1つが、国外脱出だ。1億円以上持っている中国人の50%は国を出る準備をしているといわれる。またすでに妻子や資産を海外に移して、身1つで海外に逃げられる「裸官」と呼ばれる高級官僚は125万人いるといわれている。
習近平国家主席は党の重要会議で「民衆の支持がなくなれば、党の滅亡につながる」と腐敗の一掃を指示した。胡錦濤時代の改革「和諧社会」さえ行きすぎと考えているから、習近平は内政を引き締めようとする。倹約令と腐敗の摘発で民衆の不満をなだめようとしているが、それで改革開放で決定的となった貧富の格差の拡大が埋まるわけではない。結果として、中国の政治と経済の矛盾はますます拡大し、人民の目を外に向けるために周辺諸国との関係が緊張する。
今の中国指導層にそれ以外の知恵も歴史を見直す勇気もない、と理解すれば、日本企業は中国の次の10年は、チャイナリスクと向き合う覚悟と準備をするべきだろう。同時にアジアの他の諸国との「リバランス」を検討することも必要となる。
出典:
『チャイナ・インパクト』(講談社)