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2013/8/31 日刊ゲンダイ :「日々担々」資料ブログ
暴走した権力は国民を殺害する。法による秩序が当たり前の時代になっても、政治指導者による殺(さつ)戮(りく)は変わらない。ケリー米国務長官が1429人を化学兵器で殺害したと断定したシリアのアサド政権、モルシ前大統領支持派の排除に治安部隊を投入して900人超の命を奪ったエジプトの暫定政権――。国民の怒りの声は、武力でやすやすとかき消されるのだ。
多くの日本人は、権力の虐殺をアラブ特有の事態と捉えているのかもしれない。イラクの独裁者だったフセインも、国民を大量に虐殺した。中東では珍しくないし、日本ではあり得ない出来事だ、と。残念ながら、国民への武力行使は、はるか遠い国の不幸な出来事ではない。
安倍首相は、改憲という手続きを経ずに、解釈の変更だけで集団的自衛権の行使容認に突き進もうとしている。麻生副総理が「あのやり方をマネできないか」と言っていたナチスの手法。知らないうちに変わっていた、というヤツだ。ねじれが解消され、衆参ともに自公が押さえる国会は何も出来ない。事務方が「これはひどい」と危機感を持ったとしても、臨時国会で成立する秘密保全法でがんじがらめだ。憲法解釈は、いとも簡単に変えられてしまう。軍国化に大きく舵を切るのだ。
そのときになって国民が、「安倍に対抗しよう」と立ち上がっても遅い。自衛隊や警察の武力で、国民は殺されてしまう。これがシリアやエジプトの教訓だ。
◆陸上自衛隊に治安出動を要請していた岸
実際に日本でも、権力にあらがった市民が殺されている。60年安保のときだ。1960年5月19日から20日にかけて、岸信介政権は、デモ隊が国会を取り囲む中、警官隊はもちろん、右翼や暴力団も国会に入れて反対派を抑え、自民党単独で新安保条約を可決させた。やりたい放題やったのだ。
これに国民の怒りが爆発した。学生や労組、学者、作家、婦人団体、宗教団体など、あらゆる人たちが「岸打倒」を目指して立ち上がる。国会へのデモは連日続き、新聞も岸の退陣と総選挙を求める論陣を張った。
そして6月15日、国会議事堂の正門前でデモ隊と警官隊が衝突。丸腰の学生は警棒で次々と殴り倒された。あたりは血の海になり、現場をリポートしていたラジオのアナウンサーまで警官に頭を殴られている。東大生だった樺美智子が亡くなったのも、この日だ。
岸は当時、治安強化のために陸上自衛隊の出動も要請している。防衛庁長官の赤城宗徳が「同胞を撃つことはできない」と拒否しなければ、最悪の事態になっていた。
治安出動に踏み切る構えを見せた岸。今、権力を握っているのは、そんな祖父を尊敬してやまない安倍である。
「国民には政府への抵抗権があります。近代憲法は、みな、この権利を認めている。それを警察や自衛隊に加え、右翼や暴力団まで使って抑え込もうとしたのが岸であり、その孫が首相となり、隣国まで刺激している。なんとも恐ろしい状況です」(政治評論家・本澤二郎氏)
安倍は「暴力に訴え、無(む)辜(こ)の人命を奪い、人道状況の悪化を顧みない」とシリアのアサド政権を批判した。それなら岸も、同じように批判されて当然である。
◆学生運動も政治闘争も知識層も消失した日本
もっとも、国民の猛烈な反対運動もむなしく、安保条約は成立した。武力を振りかざしながら好き勝手にやり始めたら、権力は止められない。暴走を続けるのだ。どんなに抵抗、反抗しても無力である。
それに今は、60年安保当時のようなエネルギーもない。闘争を支えた共産主義者同盟(ブント)の創設者のひとり、政治評論家の森田実氏が言う。
「60年安保当時は3つの大きなパワーがありました。学生運動と労組の政治闘争、それに国の将来を憂えるインテリ層です。でも、それらはすべてなくなりました。大学生はいても学生運動はない。労組は企業内の経済闘争だけで、国民的な政治要求はしなくなった。政治を批判して言論をリードするような知識人もいません。今の日本は、当時の日本とまったく違う国です。国民にとっては、選挙だけが意思表示できる唯一の手段となってしまった。その選挙でさえ、この政治状況からすると3年間はない。安倍政権はやりたい放題でしょう。憲法96条を変えるには国民投票が必要だから、われわれも『ノー』を突き付けられます。でも、解釈改憲なら強引にやれる。昔だったら国会突入デモに発展しておかしくないが、今は静かなものです」
戦没者追悼式典で「侵略戦争への反省」と「不戦の誓い」を口にせず、法制局長官をシンパに代え、年内には日本版NSC(国家安全保障会議)を発足させる。その先は改憲だ。国民の自由を制限し、国防軍を創設するという。岸の何倍も恐ろしい男である。
◆暴走阻止のキャンペーンさえしないメディア
それでも国民は何もしない。これでは安倍の思うツボだ。
「60年安保のときは、大新聞の論説委員や記者の中にも、『これはおかしい』『ひどい』と声を上げる人がいました。せめてメディアぐらいは、おかしな政権と闘ってもらいたい。国民の立場から報じて欲しいものですが、まるで期待できません。大新聞は、戦前から戦後まで、一貫して政府の世話になっています。本社ビルの土地を安く売ってもらっているのが典型例で、彼らは政府機関の一部。それでも政権批判をする人はいたのですが……」(森田実氏=前出)
前出の本澤二郎氏も言う。
「ジャーナリズムは消えましたね。安倍政権を独走させる危険性に気づいていないとすれば無能だし、気づいていながら黙認しているのなら、さらに罪は重い。本来なら、危険な安倍政権を阻止するキャンペーンを張って当然なのに、トップからして一緒に仲良く食事したりゴルフしたりしているのですから絶望的。これほど露骨に権力と手を握るとは、さすがに予想外でした。これでは権力の暴走は止められません」
市民が立ち上がったシリアやエジプトと、羊のようにおとなしい日本。どちらも民主主義とかけ離れた姿になっているのは間違いない。