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2013/8/17 晴耕雨読
8月15日、今年も閣僚・国会議員ら群れなし靖国神社参拝。
靖国神社には刑死者7名を含むA級戦犯14名が78年10月合祀されるに至っている。
ほかにBC級戦犯の刑死者1000名近くも。
これを無視して閣僚や国会議員が参拝するのは日本は戦後処理に反対していると見られてもしようがないだろう。
昭和天皇が靖国神社に最後に参拝したのは75年11月21日。
それ以来一度も参拝していない。
勿論、現天皇も。
靖国神社は「明治天皇の思し召しによって建てられた東京招魂社が始まり」で天皇なしでは考えられない神社である。
そこに昭和天皇が参拝することをやめた。
一体何がそうさせたのであろうか。
06年7月20日付日本経済新聞に元宮内庁長官富田朝彦氏のメモが掲載された。
同メモの88年4月28日付欄に、昭和天皇がA級戦犯合祀を激しくなじり、「だから私はあれ以来参拝していない。
それが私の心だ」と述べたことが明らかにされている。
このメモはあの秦郁彦氏も信憑性が高いと評価する。
昭和天皇の最後の侍従卜部亮吾氏の日記にも、01年7月31日欄に「予想通り靖国神社の御参拝をお取りやめになった経緯 直接的にはA級戦犯合祀が御意に召さず、50/11/21が最後」と記されている。
これにより右派からの執拗なねつ造攻撃にも関わらず、「富田メモ」の信憑性が裏付けられた。
昭和天皇はA級戦犯合祀を非難し、靖国神社参拝をやめた。
何故か。
その問いに対する答は東京裁判に対する評価にある。
「戦争裁判に対して貴司令官が執られた態度に付、この機会に謝意を表したいと思います」。
マ元帥との51年4月15日会見での昭和天皇の発言だ。
感謝が昭和の天皇の評価だった。
昭和天皇は、天皇制と天皇家を維持し、自己の戦争責任免責にレールを敷いたマ元帥の措置、及び東京裁判を全面肯定し、感謝をしていたのである。
その立場からはA級戦犯7名の合祀は到底許せないことなのだ。
それなりに筋が通っている。
それに比べて靖国参拝を繰り返す閣僚、国会議員らはどうだろうか。