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2013年8月11日00時06分 〜
記事 [政治・選挙・NHK152] 大新聞はなぜ安倍悪政に加担するのか 常に権力の走狗 この国の新聞 (日刊ゲンダイ) 
http://asumaken.blog41.fc2.com/blog-entry-9554.html
2013/8/10 日刊ゲンダイ :「日々担々」資料ブログ


「消費増税を固め歳出削減にも踏み込め」「(社会保障)制度維持に全世代の負担必要」「小松法制局長官 集団的自衛権見直しの布石に」

何かと言うと、いずれも、ここ数日、主要全国紙が掲げた社説の見出しだ。消費税アップ、社会保障の老人いじめ、憲法9条の解釈変更を是認する中身で、いかに大マスコミが安倍政権の味方かがよく分かる。

自民大勝を許した参院選以降、平均株価の上下の振れ幅は1200円を軽く超える。乱高下の原因はアベノミクスの危うさと、それでも選挙前に強引に株価をつり上げてきた反動なのだが、大マスコミからはもちろん、そうした批判は上がらない。

で、黒田総裁の「所得増が消費を刺激する好循環の兆しが出ている」(日銀政策決定会合=8日)などという、超楽観見通しを平気でタレ流すわけだ。

一体、どこの誰の所得が上がったのか。「兆し」ってなんだ? 聞いてみたいものである。

社会保障制度改革国民会議の「最終報告」だって高齢者に痛みを押し付けるメニューがズラリだった。選挙前はそぶりも見せなかったのにヒドイものだ。しかし、大メディアは問題にしない。それどころか、「全世代で負担を分かち合おう」という、国民会議の総括をそのまま書くのだ。

新聞社の元政治部長で政治評論家の本澤二郎氏はこう言った。

「奇妙なのは『最終報告』の数日前から、複数のメディアが報告の中身を報じていたこと。これこそ、さまざまな会議の事務方を仕切る官僚がよくやる手口です。『欲しいのは特ダネ、怖いのは特オチ』という記者の習性を手玉に取り、報告の中身を小出しに漏らす。記者が“まき餌”に食いついて『特ダネ』を書けばしめたもので、その記者は権力批判を控えてしまう。
増税分を全額、社会保障に回す約束で消費税アップを容認した国民の側に立てば、メディアは給付減・負担増の最終報告に『国家的詐欺だ』と追及して当然です。そうならないのは、いかにメディアが役人に手なずけられているかという裏返しです」

大新聞の記者は、取り込まれてしまっているのである。

◆メディアがこれじゃあ、やりたい放題

今月22日からブルネイでTPP交渉会合が再び開かれるが、遅れて参加した日本が「ぼったくりバーのオーナー」である米国の「カモ」にされることも目に見えている。

しかし、メディアは「守秘義務」を理由に交渉経過や中身を開示しない政府に同調し、国民に何ひとつ真実を伝えようとしない。

「国民生活を考えれば独自取材で交渉の中身をバンバン暴けばいいのですが、TPPのような国際交渉の現場でもメディアは官僚にコントロールされている。会議の資料は全文英字で数百ページに達するケースがざら。それを官僚がレクチャーしてくれる。一刻も早く日本の上司に報告したい記者にすればありがたい話で、やはり言いなりムードが醸成されてしまうのです」(本澤二郎氏=前出)

安倍政権は国家戦略特区をつくり、そこで法人税率減税をやろうとしている。雇用ルールの規制も撤廃し、大企業を優遇する。労働者にしてみれば、「なぜ、大企業ばかり?」だが、もちろん、そういう声も無視。麻生財務相のナチス妄言にしたって、てんで報じていない大新聞もある。もちろん、欧米メディアでクソみそに叩いていることも拭ってしまう。

これじゃあ、安倍政権は楽チンだ。衆参両院で圧倒的多数を握った上、メディアがこれだけ味方をしてくれれば、怖いものなし。やりたい放題の体制が整ってしまっているのである。

◆権力を勘違いしている傲岸不遜な大メディア

もっとも、大新聞の政権ベッタリの報道姿勢は今に始まった話ではない。権力と大新聞との汚れた癒着は、戦前からずっと続いてきたことだ。

戦前・戦中は軍の手先となり、大本営発表のウソを平気でタレ流したくせに、敗戦を迎えると一転、「言論の自由」を大上段にふりかざす臆面のなさ。しかし、その裏では当然、時の政権と懇ろになり、「電波利権」や「国有地払い下げ」の恩恵を受けている。

ほかにも、記者クラブの便宜供与や展覧会・イベント開催への協力など、政府と新聞社の癒着を挙げていけばきりがないほどだ。

これじゃあ、権力のチェックも何もないが、問題なのは、これだけ破格の“待遇”を受けながら、大マスコミは恥じるどころか、「当たり前だ」という顔でふんぞりかえっていることだ。

その背後には「時の政権を動かしているのは俺たちだぞ」という信じがたいほどの傲岸不遜が透けて見える。

例えば参院選の争点を「ねじれ解消」と書くか、それとも「安倍の暴走を許すのか」と書くか。政治部記者のペンによって選挙結果は違っていただろう。参院選の自民65議席獲得を「圧勝」と書くか、「単独過半数には届かず」と書くか。見出し次第で、政権の求心力にも影響が出る。

だから、連中は自分たちが政治を動かしているかのごとく、勘違いをするのである。

あざとい大新聞は「さあどう書きましょうか」とばかりに政権に恩を売る。政権は自分たちに都合のいい記事を書かせようと、大新聞を手なずける。そんな「持ちつ持たれつ」の癒着関係が延々と続いてきたのである。

◆なれ合いマスコミが健全な民主主義を潰す

「戦後政治の裏面史では派閥領袖の番記者が暗躍してきました」と言うのは、新聞社の元論説委員で政治評論家の山口朝雄氏だ。

「大手新聞の記者の中には、政局のたびにメッセンジャー役を買って出たり、時には人事にクビを突っ込み、ヘタな政治家以上に影響力を発揮した記者もいました。最たる例が読売新聞の渡辺恒雄会長ですよ。かつての自民党の大物、大野伴睦氏の番記者として大変かわいがられ、次第に大野氏の政界工作にも加担していった。その動きが『権力側に強い』と社内外で評判を呼び、経営者に『利用価値アリ』と判断されて、どんどん出世した。それでも政治家と適度な距離感を保てればマシですが、最近は癒着することが仕事だと勘違いしている記者が目に付く。メディアの幹部もこぞって安倍首相と会食していますが、こんなことは欧米メディアでは絶対に考えられないことです」

大マスコミは常に権力側と一心同体。それを恥とも思わない。それがこの国のメディアの歴史なのだが、だとすると、この国に民主主義があったのだろうか。それを問いたくなるというものだ。

「参院選直前に自民党がTBSの報道内容に抗議し、『取材拒否』したことがありました。怒りを買ったTBSの報道は永田町の住人なら誰もが知っていた中身です。それに自民党がカミついたのは、『身内のくせに』という意識があるからでしょう。TVなんて、宣伝機関くらいにしか思っていないのだと思う。TBSがあっさり恫喝に屈したのも、普段から他メディアと忠誠度を競い合っているからでしょう。私は東京に本社があるメディアは基本的に権力を支える用心棒だと思っています。とりわけ、今の安倍政権のように野党はもちろん、与党内にも政敵なしという状況では、権力の一極集中が進み、メディアは巨大権力の忠実な走狗と化してしまう。その危うさは、戦前の大新聞が雄弁に物語っています。この国のメディアは、民主主義をチェックするのではなく、民主主義の破壊者となり得る危険性をはらんでいる。それは昔も今も変わらないと思います」(山口朝雄氏=前出)

メディアがきちんとした情報を報じなければ、いくら選挙をやったところで無意味だ。この国は今も、名ばかり民主主義の国と言うしかない。



http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/358.html

記事 [政治・選挙・NHK152] 〈PC遠隔操作事件〉 「真犯人」からのラストメッセージ  江川 紹子 
               「真犯人」が送ってきた江ノ島の猫の写真


【PC遠隔操作事件】「真犯人」からのラストメッセージ
http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20130810-00027167/
2013年8月10日 17時55分 江川 紹子 | ジャーナリスト


PC遠隔操作事件の「真犯人」は、落合洋司弁護士らに送った「告白メール」、「自殺予告メール」、そして今年元日に送られた「謹賀新年メール」、それに猫の写真を添付した「延長戦メール」の4通のメールの他に、長文のメッセージ(以下「ラストメッセージ」と呼ぶ)を作成している。それは「謹賀新年メール」で添付されたパズルを解くと「先着1名様限定」で入手できる、と書かれていたものだ。そこには、それまで寄せられていた質問に答える形で、犯行についての説明や心境などが綴られている。

「真犯人」は、この「ラストメッセージ」を社会に向けた最後の発信とする、としていた。ところが、警察が元日に雲取山でUSBメモリーを発見できなかったため、1月5日に「延長戦メール」を送信。同日中に、江ノ島の猫に取り付けられた首輪から、SDカードが発見・押収された。なので、時系列で言うと、「ラストメッセージ」は「延長戦メール」より前に書かれたもの、ということになる。

かなり長文だが、文章は整然として読みやすく、自民党の「安倍総裁」を「安部総裁」、「部落解放同盟」を「部落開放同盟」としている他は、誤字や脱字、変換ミスなどは見当たらない(後にアップする「ラストメッセージ全文」にそれ以外の誤字があれば、私の書き写しミスなのでご指摘ください)。かなり時間をかけて書いたり確認したものだろう。
自分の行為の反響の大きさに対する感想は、かなり率直に心情を吐露したように思える。

〈140人の捜査体制だ、FBIに協力要請だ、そういうのを見て正直プレッシャーを感じてもいます。〉

〈警察が誤認逮捕をやらかす、世間が騒ぐ、という意図どおりの結果になったとは言え、反響が予想以上に大きく戸惑っています。
同時に達成感も大きいものとなっています〉

誤認逮捕された4人に対しては、「大変申し訳ない」と言いつつ、次のような理屈で自分を正当する。

〈自分は悪くないなどと言う気はないです。償わなければならない罪を犯したことは分かっています。

でもそれ相当の罰は先に受けている。だからこれ以上責任を負うつもりはないです。
罪と罰の因果の逆転。そういうことが起こっていることを分かってください〉

「法が間違っているのなら、法を侵してでもどんどん逆襲すべき」とも書いており、自分がやったことを悔いている様子はみじんもない。

そのような点も含めて、「ラストメッセージ」で「真犯人」はできる限り率直に語ろうとしているように見える。「自殺予告メール」で嘘をついたことも認めた。

〈「ミス」は嘘です。ごめんなさい。自殺する気は全く無かったです。〉
あるいは、写真の位置情報について、こう書いている。
〈恥ずかしいことに、これは本当にミスしました。
保土ヶ谷の適当な住宅地の緯度経度を入れたつもりが、10進数→60進数の変換を忘れてしまいました。
これは本当に私の無知であり、ラックの西本さんに「犯人は教養がない」と言われても仕方ありませんねw〉

ちなみに、このメッセージには「落合洋司先生」「神保哲生さん」「伊集院光」「片桐裕様」などの人物名がフルネームで出てくるが、なぜか「ラックの西本さん」だけは姓のみ。検察は、片山祐輔氏がメールやメッセージを書くために様々な言葉をネット検索していると主張している。検索すれば情報セキュリティー会社「ラック」の西本逸郎専務理事の名前はすぐに出てくるのだが…。

「真犯人」が、もしここで嘘を書いていないとすれば、片山祐輔氏を犯人とする検察側の主張とは矛盾する記載もある。


「謹賀新年メール」に添付されたUSBメモリーを埋めた場所を示す写真
http://rpr.c.yimg.jp/im_sigg676xcFQRjtcK3DRQlyDRYQ---x280-n1/amd/20130810-00027167-roupeiro-001-5-view.jpg

たとえば、検察側は昨年12月1日に片山氏が雲取山に登った際、山頂の三角地点にUSBメモリーを埋めた、とみている。しかし、「ラストメッセージ」には、「謹賀新年メール」を見て、USBメモリーを掘りに雲取山に登った人をあざ笑うかのように、こう書かれている。

〈冬山はいかがでしたか?
私は紅葉のはじめの頃に行ったので快適でしたが、雪が積もった山は大変だったと思います〉

謹賀新年メールにも、「10月から仕込んでおいたのをようやくお披露目です」という記述がある。この2つからすれば、真犯人が雲取山にUSBメモリーを埋めたのは、10月ではないか、という推測が成り立つ。ちなみに、12月1日の雲取山は、山頂から700メートル下の山小屋でも最高気温がマイナス0.9度。雪も降った。

また、「真犯人」は犯行の動機として、自分が「間違った刑事司法システムの被害者」であり、それに対する「リベンジ」であると説明している。

〈ある事件に巻き込まれたせいで、無実にもかかわらず人生の大幅な軌道修正をさせられた〉
〈やってないのに認めてしまった。
起訴された。公判で「反省している」と発言した。
おかげで刑務所に行かずに済んだが、人生と精神に回復不能な大きな傷を残した〉

その時の事件についての詳細は述べていないが、「サイバー関係ではありません」とは言っている。

片山氏の前科は、「サイバー関係」であり、無実ではなく、一審の実刑判決を受け入れて服役した。「真犯人」の説明とは全く違う。

さらに「真犯人」はこうも書いている。

〈警察・検察の怖さは思い知っています。
どれほど怖いか、どれほどしつこいかを。
それを知っているからこそ、ここまで神経症・偏執狂とも言えるまでに厳重な注意を払って動いてきました。〉
〈オンラインでのアクティビティだけではなく、自分しか触らないローカルPCの中身までも偏執的なまでに注意を払っています〉
〈犯行に使った罠Javascriptやトロイのソースファイルそのものから、細かいメモに至るまで、ファイルを置く場所については厳重に管理していました。〉

相当に用心深くふるまい、犯行後の証拠隠滅にも細心の注意を払っていたことがうかがえる。

こういう写真を撮られていることにも気づかなかったhttp://rpr.c.yimg.jp/im_siggInuG4kGgDAms4dZID6EuSQ---x280-n1/amd/20130810-00027167-roupeiro-002-5-view.jpg

一方の片山氏はどうか。警察の尾行にも気がつかずに、一連の犯行に利用した(と検察側が考える)スマートフォンを店で売り、たちまち回収された。逮捕前にマスメディアの記者たちにたくさんの写真を撮られていても、全く気がつかなかった。この鈍感ともいえる無防備さは、「ラストメッセージ」に書かれた警戒心の強さとは全く相容れない。

事実に関する食い違いは、捜査を撹乱するために嘘の情報を入れ込んだと言う説明もできるだろうが、このような文中にもにじみ出てくる人間性のようなものは、なかなか取り繕いようのない気もする。

「ラストメッセージ」には、こんな意味深長な一文もある。

〈「真犯人」を追求したつもりが、「新犯人」を作ることにならないといいですね〉

果たして片山氏が、このメッセージを書いた「真犯人」なのか。あるいは、「真犯人」は別にいるのか。だとしたら、「真犯人」は今の事態をどんな思いで見ているのだろうか…。


       ◇

【PC遠隔操作事件】ラストメッセージ全文(上)
http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20130810-00027168/
2013年8月10日 17時56分 江川 紹子 | ジャーナリスト

■はじめに

お疲れ様でした。

冬山はいかがでしたか?

私は紅葉のはじめの頃に行ったので快適でしたが、雪が積もった山は大変だったと思います。

さて、これまでメールにてさまざまな質問が寄せられました。

関連報道で謎とされている部分もあります。

それらについてFAQ形式でお答えしたいと思います。

■なぜこうしたことをなさったのですか 警察・検察にどんな恨みがあったの?動機について詳しく教えて。

私もまた、間違った刑事司法システムの被害者です。

ある事件に巻き込まれたせいで、無実にもかかわらず人生の大幅な軌道修正をさせられた人間です。
それがどんな事件だったのかは詳しくは言えません。
サイバー関係ではありませんが、彼らが間違いを犯した原因の趣旨は、その事件も今度の事件も大して変わりは無いものです。

刑事司法の問題点として良く出てくるキーワード、「自白偏重」「代用監獄」「人質司法」「密室取調」「作文調書」...etc

私はそれらを実体験をもって知る人間です。

そして、そのとき私は負けてしまった。やってないのに認めてしまった。

起訴された。公判で「反省している」と発言した。

おかげで刑務所に行かずに済んだが、人生と精神に回復不能な大きな傷を残した。

一連の事件は、私が「負け犬」から復帰するためのリベンジと言えます。

『先に償いをさせられた人間はその分の犯罪を犯してもいい』という持論。

あなたは間違っている、たとえどんな理由があっても許されない、そういう突っ込みがあることを理解する程度の理性はあります。

でも、それが私だけの哲学であり、誰にも軌道修正されない行動原理です。

いつかのDigで誰かが「犯人は壊れている」と表現していました。

そう、壊れている。私を壊したのは奴らだから。

■警察・検察をナメてるの?

慇懃無礼な文面から「ナメている」「グリコ森永事件みたいだ」などと言われてますが、そんなことはありません。逆です。

警察・検察の怖さは思い知っています。

どれほど怖いか、どれほどしつこいかを。

それを知っているからこそ、ここまで神経症・偏執狂とも言えるまでに厳重な注意を払って動いてきました。

ほとんどの人は、それだけの体験をしたなら、「もう警察には逆らってはいけないのだ」「目をつけられないようコソコソ生きよう」そういう卑屈な人生を送るのでしょう。

しかし私はその気持ちのベクトルが逆に働きました。

恐ろしい警察・検察に挑戦し、乗り越えることこそが私の人生に課せられた試練であり、それ無くしては一生負け犬として生きていくしかないと思いました。

■自殺予告について。

・ミス

「ミス」は嘘です。ごめんなさい。自殺する気は全く無かったです。

11月10日前後に、どこかの記事で「犯人が致命的なミスか?」「Torを使わず直接書き込んだ箇所」というのが載ったのがきっかけです。

決定的なミスで警察も期待しているかのような報道だったゆえ、ちょっと乗せられてみました。

結論を言うとその書き込みもTorです。

Torに割り当てられる出口ノードによっては2ch書き込み可能なところもあります。
たまたまそのとき書けるところに当たったので、わざわざシベリアの依頼スレを使わなかったというだけの話です。

結局何だったのかというと、一部メディアが言っていた「観測気球」という表現が半分合っていて、あとの半分は「面白半分」です。

・新聞紙

「予告犯」という漫画を読んで、とても共感を覚えました。

特に、登場人物の犯人グループの一人である「ゲイツ」君の境遇には自分と重ね合わせできるものがありました。(11月に入ってからはじめて単行本で読んだので、このマンガに感化されて一連の事件を起こしたというわけではありません。念のため)

その作品に出てきた、新聞紙を使う手口をちょっとだけ真似てみたというわけです。

・写真の位置情報

恥ずかしいことに、これは本当にミスしました。
保土ヶ谷の適当な住宅地の緯度経度を入れたつもりが、10進数→60進数の変換を忘れてしまいました。
これは本当に私の無知であり、ラックの西本さんに「犯人は教養がない」と言われても仕方ありませんねw
結果的には、保土ヶ谷の団地が捜索され、意図どおりにはなりましたが。

■決して死を選ばす、生きてすべての真実を明らかにしてください。

死を選ぶつもりはありませんが、自首することもありません。

もし仮に捕まったとして、私が白旗を掲げて自白したとしたなら、動機について「逆恨み」と表現されることでしょう。

「前科者が前に捕まったことを逆恨みしてまた犯罪を犯した」と、報道各社は警察発表そのままに垂れ流すでしょう。

私が前に経験した事件の判決が覆ることも無いでしょう。

もっと掘り下げてくれるほどマスメディアの皆さんのジャーナリズムを信用していません。

記者クラブで警察とベッタリなのは分かっているから。

「真実を明らかに」という点ではこのドキュメントだけでも十分なのではないですか?
これだけ詳細に書いたなら、あと残りの謎なんて、私の住所氏名年齢程度の些細なことでしょう。

そんなことで事件の全容が変化するわけでもないです。

■ご本人について・・・お名前、性別、年齢など可能な限り、ご本人様について教えてください。

ご想像にまかせます

■取材させてください

できません。
このドキュメントを持って、私から発信すべきことはもうありません。

余談になります。基本的に面会取材は一切受けるつもりは無かったのですが、英国のBBCの方から取材依頼のメールが来たとき、ちょっとだけ気持ちが動きました。

以前見た「ポチの告白」という映画を思い出したのです。

警察腐敗、刑事司法の問題、記者クラブ制度の病巣、そういう部分を明らかにした、社会派な内容です。

登場人物が警察腐敗を暴こうとするも、記者クラブ制度に漬かった国内メディアには全く相手にされず、普段記者クラブから締め出されている海外メディアを頼るシーンが出てきます。

そのシーンを思い出し、BBCの取材依頼なら受けてもいいかな?と傾きましたが、やっぱり止めました。

そこまで出しゃばり屋でもないし、「凄腕ハッカー」のような扱いで出されても困る。(そこまで誇れる技術力があるつもりもない。)

「刑事司法の問題」という部分で言いたいことはいくらでもあるとは言え、私程度が言えることは誰かもっと頭のいい専門家が既に言っています。

だからわざわざ出る必要も無いと思い、他のメディアと同じようにBBCのメールも無視しました。

落合洋司先生がBBCの取材を受けていたようなので、それで私が言いたいこと、世界に向けて言うべきことは言ってくれたと思います。多分。

■どんなことを考えていますか?世間の反応についてどう思いますか?

警察が誤認逮捕をやらかす、世間が騒ぐ、という意図どおりの結果になったとは言え、反響が予想以上に大きく戸惑っています。

同時に達成感も大きいものとなっています。

正直なところ、もともと犯行動機は私怨が主で、あまり政治的自己主張は考えていませんでした。

警察・検察・世間が騒いであたふたしたら嬉しいな、自分の溜飲が下がる、それだけでした。

「刑事司法の矛盾を暴く」というような高尚な目的意識も高くはありませんでした。

また、神保哲生さんが、「ダウンロード刑罰化・ACTA・サイバー犯罪条約・児童ポルノ単純所持処罰などのネット規制の動向に抗議する意図も犯人にはあったのではないか?」のように分析していましたが、そのあたりについても全く考えていませんでした。

それらについては、事後に専門家のコメントを見て深く考えるようになりました。

もともとネット規制は私もどちらかというと大反対です。

刑事司法の諸問題、ネット規制に関する諸問題、どちらについても国民の自由が奪われる方向に向かっていくことは防がないといけないと思っています。

後付けの動機となってしまいますが、今となって思えば、自分の行為がその一助になれたら本望です。
(もっともネット規制のほうは私のせいで逆に締め付けが強くなりそうですが)

余談です。

家電量販店のウイルス対策ソフトのコーナーでは、「遠隔操作ウイルスの脅威」のように煽るPOPを付けて売っていますね。

私はそういうところに立ち寄り、一連の事件の社会的影響を確認したりしています。

売り場に立っているソフトメーカーの販促スタッフに、ぱそこんしょしんしゃの振りをして神妙な顔で、「最近ニュースで話題の遠隔操作ウイルスがすっごく不安なんです

(>_<)」のように話しかけてみました。

すると「この製品が一番最初にiesysに対応したんですよ!」と、とても嬉しそうにアピールされました。

何だかおかしかったです。

今まさに目の前に真犯人がいるとはこの人は微塵も思ってないんだろうな・・・と内心考えながら、説明をしっかり聞いてあげました。

■目的通りに誤認逮捕を招き、警察・検察が謝罪しているが、今どのように感じているか

警察官や検察官はもっと人並みに、人の話をちゃんと聞く姿勢があれば1件も誤認逮捕など起こさなかったのでは?と。

あの人たちはコミュニケーション能力以前の問題、日本語というか地球語が通じない宇宙人です。

彼らにそういう能力が無いことを分かっていて試した私も私ですが。

結合試験のテストパターンを作って流したら再現性のあるバグの結果が得られた、そんな感想です。

テスト結果を全国に、全世界に提示できたことは大変有意義だと思います。

■警察の技術レベルについてどう思われたか

CSRFについては見破られると思っていました。

後述のようにいろいろ工夫したとは言え、「2秒で送信」問題は消せなかったので。

私の知っている警察のしつこさは、被疑者をシロにする方向には働かなかったのだなと再確認。

iesysについては見つけられなくても仕方が無いです。

投入前に、主要なウイルス対策ソフトの体験版をいくつか試用し、検知に引っかからないことを確認しました。

完全自作プログラムだったので定義ファイルにパターンマッチすることは無いですが、ヒューリスティック検知に引っかかるかも?と興味を持ちテストしました。

特にキーロガー機能でOSのキーボード・マウス入力命令をフックしているあたり、「怪しいプログラム」アラートぐらい出てもおかしくないと推測。

結果的にはどの製品でも引っかかることはありませんでした。

あの手の「ヒューリスティック検知搭載」と謳って売っている製品が、それをどのような基準で行っているのか興味深いところですね。

警察の技術レベルが高いか低いかですが、今回の失態の趣旨は、デジタルとは関係ない部分での捜査手法の欠陥のほうが、原因の多くを占めていると思います。

技術レベルは高いところもあれば低いところもあるのでしょう。少なくともサイバー課をナメてはいないし油断してもいません。

140人の捜査体制だ、FBIに協力要請だ、そういうのを見て正直プレッシャーを感じてもいます。

最近の動向として、「犯人がアクセスした可能性のある90億ログを解析している」という。

これについては、直接関連するサイトへのアクセスは下見閲覧段階も含めて完全にTorを使っています。

たとえば横浜市のサイトやJALのサイトなど、一度も生IPでアクセスしたことはありません。

この時点で9割5分、捜査線上に挙がることすら無いと思っています。

しかし全てのアクセスでTorを使ったわけではない。

間接的に関連するようなサイトは、普通に閲覧したところもあります。

ビッグデータ解析のようなことをして、「こいつはこのサイトとこのサイトを見ているので怪しい」という、

100人か200人かの「犯人候補」の中に絞り込まれることも無いとは言えないです。

全国津々浦々、それら犯人候補のところに一人ずつ家庭訪問すれば、どこかで私に突き当たるかもしれない。

その可能性も予測しているため、油断は一切していません。

前に述べたようなオンラインでのアクティビティだけではなく、自分しか触らないローカルPCの中身までも偏執的なまでに注意を払っています。

つまり、私のPCを調べたところで証拠は何も出ません。他の100人200人の犯人候補者と同様に。

犯行に使った罠Javascriptやトロイのソースファイルそのものから、細かいメモに至るまで、ファイルを置く場所については厳重に管理していました。

そしてそれらが存在した記憶媒体、およびそれらを開いたことのあるシステムの記憶媒体は全部、とっくに完全消去の後、スクラップにして燃えないゴミに出してしまいました。
現在うちにあるシステムや外部記憶媒体全部、どんな高度な復元やフォレンジックを行おうと関係ありそうなものは何も出ません。

令状なしで来ても「どうぞどうぞ」と見せてあげますよ。

エロ画像の10枚や20枚は普通にあるので、それだけ鑑賞してお帰り下さい(笑)

それとも、犯人候補の中からあてずっぽうに選んでお得意の自白強要しますか?
「真犯人」を追求したつもりが、「新犯人」を作ることにならないといいですね。
私は根っからのカタギであり、ヤクザや過激派セクトの人のような海千山千な犯罪者ではないですが、経験者であるだけに、否認なり黙秘なり適切に対応する自信はありますよ。
「テメエコノヤロウ」とか、「お前の関係先にガサ入ってガチャガチャにしてやるからな!」(原文ママ)とか同じようなセリフを言われても今度は負けませんよ。

■一体、このゲームをどこまで続けるおつもりですか?どのように決着をつけるつもりでしょうか。

もうやめます。

私の気が済むまでやって捕まらなければ勝利、という条件を設定していましたが、ここまで反響が大きいと、私の溜飲は下がりました。もう負け犬ではないです。

私が巻き込まれた事件のことも、私が起こした事件のことも、全部忘れて再出発します。

■誤認逮捕された4人の男性への謝罪の気持ちはありませんか。

こうでもしないと警察・検察を自省させることはできなかった、仕方の無いこととは言え、大変申し訳ないと思っています。無関係の4人を巻き込んだこと、軽く考えてはいません。

自分は悪くないなどと言う気はないです。償わなければならない罪を犯したことは分かっています。

でもそれ相当の罰は先に受けている。だからこれ以上責任を負うつもりはないです。
罪と罰の因果の逆転。そういうことが起こっていることを分かってください。


【PC遠隔操作事件】ラストメッセージ全文(下)
http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20130810-00027169/
2013年8月10日 17時56分 江川 紹子 | ジャーナリスト

■横浜事件

・●●小学校

横浜市サイトに脆弱性があったのを見つけたので、横浜市の小学校一覧から無作為に選んだだけです。

・「鬼殺銃蔵」の意味

「餓鬼殺し」を省略して「鬼殺」。また、日本酒の商品名とかけたというのも合ってます。

殺し屋であるゴルゴ13、「こち亀」に登場したパロディキャラ「後流悟十三」、あと昔読んだ「隣人13号」の主人公の「村崎十三」、そのあたりのキャラクターをイメージし、「じゅうぞう」という読みに決め、「銃蔵」と当て字にして完成。

それほど深く考えて決めたわけでもない、30秒ぐらいで決めた名前です。

・本文

猟銃で射殺していく内容は、春ごろに読んだ小説「悪の教典」を参考にしました。

・CSRFについて補足説明

CSRFの仕組み自体はオーソドックスだったのですが、ちょっと工夫を入れました。

1)犠牲者は最初の一人のみに絞った

不特定多数が見る掲示板に貼るという性質上、複数の人が踏むのは当然。

そして複数の人から一字一句違わない脅迫文言が届いたら、どんなに警察がお馬鹿でも何らかの仕掛けを疑うでしょう。

サーバ側のPHPで制御することで、最初に踏んだ一人にのみ有害CSRFが発動し、2人目以降は無害なリダイレクトが発生するだけという仕組みになっていました。

2)キャッシュで罠スクリプトを発見されない工夫

A「直接踏ませるスクリプト。BをJSONPでクロスドメイン読み込みして実行する」

B「CSRFを行う有害スクリプト。Aとは別サイトに設置。」
の2部構成。

Bの側に、1)で書いた制御を入れました。

そして、Aでは、
「Bを読み込んで変数に格納(B1)→Bを再度読み込む(B2)→B1を実行」
というフローで動作します。Bを2回読み込むというのが肝心です。1)の制御により、B1はCSRF、B2は無害スクリプトになります。

永続性記憶装置に保存されるブラウザのキャッシュには、B1はB2に上書きされ、B2だけが残ります。

変数に格納されただけのB1は実行後、DRAMから揮発してしまいます。

ただし再読み込み時、キャッシュ再利用の挙動はブラウザごとに異なります。

IE等では、2回目の読み込みは発生せず、キャッシュから拾ってきてしまいます。(2回目もB1になる。)

URLの語尾にgetクエリでユニーク文字列を付加するというのがキャッシュリサイクル対策の常套手段ですが、
これをするとどのブラウザでも全く別のURLとして扱われ、キャッシュも個別に残ってしまうのです。

解決方法が思い浮かばなかったので、Aの時点でダメブラウザは入り口で弾くようにしておきました。

3)エスケープ

一応気休めで、文言も含めたスクリプト全体を、encodeURI()関数でエスケープしてありました。

仮に有害スクリプトのキャッシュが残ってしまっていたとしても、発見しづらくなる効果を狙いました。

その時刻付近のブラウザキャッシュに対し、脅迫文言の一部で機械的にgrep検索をかけたとしても、罠Javascriptの構文は引っかからないはずです。
もっとも2)がちゃんと機能していれば別に平文のままでも良かったのですが。一応念のためにという感じ。

4)iFrameにより関連サイト4〜5箇所次々と読み込む

単に文言を送信させるだけなら、所定CGIにリクエストパラメータ付きでPOSTする仕組みで良かったのですが、
それだけではなく、「犯人性を高める」工作を入れました。

明大生のPCに小学校のサイト等へのアクセス記録があったというのはこれのことです。

「小学校のサイト」「横浜市トップページ」「入力フォームのページ」などを読み込ませることで、あたかも自分でアクセスしたようなブラウザログ・キャッシュが出来るのを狙ってのことです。

何の前触れも無くいきなりCGIだけを触った痕跡しかなかったとしたら、警察の捜査員が見ればどう考えても何らかの仕掛けを疑うと思ったため。

もっとも、開かれている数秒のあいだに全て終了させた以上、「2秒で250文字を送信」という不自然さは消せないわけですが。

数分のあいだ開かせ続けられるような魅力的コンテンツを用意できれば、時系列的にもっと自然な形で文言の送信ができたのですが。

まぁ面倒だったので、時間的不自然があることは把握しつつ、うまく行くかどうかはダメ元でのチャレンジでした。

警察がお馬鹿だったので見事に嵌ってくれたわけですが。

・「告白文」のゆくえ

上記のように、CSRFスクリプトをこれだけ工夫しすぎたせいで、ちょっと動作の不具合があったみたいです。

後で試したら、大丈夫だと思っていたブラウザでもうまくいかないことがあったり。

おそらく「告白文」のほうは、踏んだ人の環境では正常動作しなかったのだと思います。
逮捕2日目でネタバラシしたつもりが、発覚まで3カ月以上も費やさせてしまったことについて遺憾の意を表したいです。

7月初旬のあの時期、告白文は届いていたと思っていたのに「誤認逮捕」報道が無いことについて、警察が完全に黙殺したか、釈放はしたものの明大生に因果を含めて騒がないようにしたか、記者クラブでベッタリのマスコミに因果を含めて黙殺させたか、そっちの可能性で考えてしまっていました。

■CSRFとオリジナル遠隔操作ウイルスを作成しているが、途中切り替えたのはなぜか

CSRFでは、脆弱性のあるサイトにしか通用しないです。

それを探し出すのもまた手間なので。
もっとどんなサイトでも適用できる汎用性のある手段をと考えて、iesys.excを設計しました。

■大阪

●●●氏へのお詫びに●●●のBDを全巻買いました。

今まで見たこと無かった作品でしたが、ファンになってしまいました。

新作映画も見に行きたいと思います。

■福岡

遠隔操作先PCオーナーは福岡の人だったと分かり、福岡ドームとか太宰府天満宮とかを脅迫する文言を書きかけたのですが、気が変わりました。

警視庁の方たちに、遠路はるばる福岡までガサ入れしに行かせてあげるのも一興かなと思い、わざと東京のターゲットにしました。

単純に警察に対する嫌がらせです。

(せっかくだから稚内とか利尻島とかも思いついたんですが、さすがに僻地すぎて無視されるだろうな・・・と思ってやめました。)

■三重−「わざと消さなかった」は虚偽では?

最初の感染確認後すぐ遠隔操作で2chに伊勢神宮脅迫書き込みを行い、その後しばらくPCの中身を物色していたのですが、
iesysのキープアライブ通信が途絶え、オフラインになってしまいました。

単にオーナーが電源オフにしたのかと思い、自分でプロセス停止をしたことまでは分かりませんでしたが。

したらばのスレッドにsuicaコマンドさえ書き込んでおけば、次にオンラインになったときに勝手に消える仕組みですが、このときはそれはしませんでした。

このPCが捜索された際、ひょっとしたら警察の捜査の実行画面が見られるかも?という好奇心が沸いたので。

夏からやっている連続犯行予告にもそろそろ飽きてきていて次の展開に行くタイミングを計っていたこともあり、
iesysを発見されたらそれはそれでいいかなという気持ちでした。

結果的にはその後一度もオンラインにならず、観察を続けることはできなかったのですが。

いずれはどこかで発見されるよう仕向け、また告白文でネタバラシするつもりだったというのも本当です。

何より誤認逮捕が明らかにならなければ、本当の攻撃対象である警察・検察に何のダメージも与えられないのですから。

■安部総裁殺害予告もやったのか?

私ではありません。

模倣犯?ということもちょっとだけ頭をかすめましたが、
10月上旬という時期から、模倣犯とするには時系列的な矛盾があります。

「遠隔操作」が言われ始めたのが10月7日ぐらいですが、安部さん殺害予告はそれより前からあったようなので、私の事件に触発されたという線は無いでしょう。

報道によると発信元とされるオーナーは否認しているとのこと。

私がやったのと類似の何らかの仕掛けによるものなのか何なのか、私にも分かりません。

■黒子のバスケ脅迫は

知りません 関係ないです

■「犯人像」についてコメント

メディアに出てくる「専門家」の方々が、各自好き勝手に犯人像を語るのはとても面白かったです。

的外れなのもあり、当たってるのもあり、いい感じにバラけていると感じています。

そもそもこれまでの行動・言動は、プロファイリングの面で犯人像を絞り込ませないための工夫を入れています。

・C#を使うような若者かもしれないし、「はだしのゲン」に思い入れのある中年かもしれない。

・皇室や神社を攻撃するような反日左翼かもしれないし、部落開放同盟を攻撃するような右翼かもしれない。
・アニメフィギュアのコレクターなのかもしれないし、まったく興味が無いのかもしれない。

・「また来世〜」などと、伊集院光のラジオのファンかもしれないし、そういうフリをしているだけなのかもしれない。

・将棋が好きなのかもしれないし、そうでないのかもしれない。

・引きこもりなのかもしれないし、アウトドア派なのかもしれない。

挙げればキリが無いけれど、こういう気まぐれで無軌道な動きはわざとやっています。
引き出しが多いほうだと人から言われるほうですが、私の引き出しにあるものも、全くの守備範囲外のものも、程よくミックスして出しているわけです。

このドキュメントでまた材料が増えたわけですが、この段階で今度は「専門家」の方たちがどうプロファイリングするのか、かなり興味深いですね。

■捜査特別報奨金制度の対象となったことへのコメント

>犯人に関する情報について
>〜この犯人を知っている
>〜事件について噂話を聞いた
>このメールを送信した者を知っている
身近な人だろうと誰にも喋っていません。
このような情報は全宇宙の誰からも得られません。

>これらの言葉遣いや言い回しを使う者を知っている
>同じような表現を用いて文章を書く人を知っている
一般社会ではきわめて常識人ですので、それらのようなキチガイ文書を書くことはありません。
よって、私に関する情報は全宇宙の誰からも得られません。

>このような特徴を持つウイルスを過去に作成した人や団体を知っている。
>このウイルスを作成した者を知っている。
お話になりませんね(笑)

■片桐裕様へ

たしか就任直後から「2ch潰す」とか「ネット規制する」とかいろいろ言ってますね。

そんなに言論統制が好きなら、あなたは日本人やめて中国の小役人にでもなったほうがいいのではないですか?

あなたの大好きな検閲・規制・弾圧がいっぱいでまさに理想の国ですね。誤認逮捕しても怒られないでしょう。

というわけで、貴様は今後発言するときは語尾に「アル」を付けて喋ること。(命令)

■改めて世の中に言いたいことは

私のように警察・検察・裁判所に対して悔しい思いをされた方は多数いると思います。

上訴、再審請求、国賠請求、あるいはデモや街宣、出版、主張サイト開設、そういった法を侵さない正攻法の戦い方もいいですが、勝ち目は無い場合が多いです。

法が間違っているのなら、法を侵してでもどんどん逆襲すべきです。

国家権力という途方も無い相手と戦うのに、コソコソ隠れるゲリラ戦術を選択するのは卑怯でも何でもないことです。

戦うべき人が戦えば国は良い方向に向かう、そう信じています。

■最後に

私からは以上です。もう何も発信しません。

●●●@●●のメールアドレスはもう解約しましたので、メールをもらっても受け取れません。

最後まで読んでくれてありがとうございました。

さようなら。

(固有名詞などは一部●●で伏せててあります)



http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/359.html

記事 [政治・選挙・NHK152] 「「アメリカ史から見た原爆投下の真実」シンポジウム実況:岩上安身氏」(晴耕雨読) 
http://sun.ap.teacup.com/souun/11711.html
2013/8/11 晴耕雨読


https://twitter.com/iwakamiyasumi


長崎勤労福祉会館で、オリバー・ストーン監督とピーター・カズニック教授、木村郎鹿児島大学教授、コーディネーターの乗松聡子さんによる、「アメリカ史から見た原爆投下の真実」と題するシンポジウム、開始。会場から実況。 pic.twitter.com/tkeWOGksp8


まず、鹿児島大学の木村教授からのスピーチ。「ピーター・カズニック教授と原爆投下の経緯の研究を行っていたこと、カズニック教授とオリバーストーン監督の協力による、共著の執筆、ドキュメンタリーの制作が進められてきた。…」


オリバー・ストーン監督、ピーター・カズニック教授が語る「アメリカ史から見た 原爆投下の真実」

Video streaming by Ustream


木村「…米国で、失脚させられた良心的な政治家として、ヘンリー・ウォレスが取り上げられていたが、日本でそれに匹敵する人物は鳩山由紀夫元総理であろう。カズニックさんらも、鳩山さんに言及している」


オリバー・ストーン「米国では、原爆投下が成功だと語られているがそれは神話にすぎない。一般的な米国の高校生は、原爆投下が戦争を終わらせた、と教えられている。1945年に起きた本当のことを教えられていない。戦争を終わらせたのは原爆ではない」


オリバー「真実は、ソ連に対して、こういうことができるのだ、ということを見せつけるためでした」。


ピーター・カズニック「友人である木村先生に御礼を申し上げたい。彼は日本で最も原爆投下の問題に詳しい専門家です」


ピーター「当初、オリバーストーン監督と、ヘンリーウォレスの話で盛り上がり、一本のドキュメンタリーを作ろうという話になったが、それが何本ものシリーズになり、何年もかけ、本まで出してしまいました」


ピーター「皆さんが今見たのは、第三話です。我々はもっと大きなスケールで考えており、オバマ政権まで続いています。米国は戦争を続け、基地を広げ、市民にスパイ行為を働き、他国の政権をひっくり返します。最近では、鳩山政権がオバマ政権によって倒されました」


ピーター「我々は自分たちの前に鏡をかざすようなことです。日本人も鏡をかざして、自らの真実の姿を見るべきです。今の安倍政権は、自分たちの真実の姿を見ようとしていません」


木村「原爆投下をなぜ行ったか、広島に関しては議論の余地がまだがあるが、長崎についてはその余地がない。人体実験のような要素もあったのではないか。また、オバマ政権のもつ二面性について、ある面ではカーター政権のようなところがあるとも言われているが、どう考えるか」


オリバー「第一の質問につきて答えると、一発目でも軍事的に見ても必要のなかったことでした。原爆投下後、米国はずっと悪いことを支援してきました。ベトナム、中東などで、核の恐怖を与えてきました。いじめだと思います。長崎への投下は、もちろん必要のないことでした」


オリバー「第二の質問。木村さんはたぶん仏教徒だと思いますが。オバマは、対中国に対して保守的な態度をとっています。ブッシュと変わらない。より秘密裏に態度を変えるようになった。民主党自体がそういうやり方を覚えてしまった。将来について暗い思い」


ピーター「私からもコメントします。米国は降伏寸前だということを知っていました。スターリンが参戦することを知って、トルーマンは「これで日本は終わりだ」と日記に書いている。日本はソ連を恐れており、米国は知っていた。米国はソ連への威嚇として原爆を投下したのだ」


ピーター「オバマについて、オリバーの見方に賛成です。第10話をぜひ見てください。オバマに期待していましたが、オバマはブッシュと変わらない。オバマは一見見た目はいいのですが、帝国を効率的に運営しています。ブッシュとなんら変わらない。専制的です」


ピーター「ウォレスについて。1944年の民主党大会。それまで副大統領だったが、追い出されてしまった。大会でおかしなことが起こり、トルーマンがノミネートされたが、彼の支持率は6%程度。ウォレスは60%の支持率だった。ウォレスがいたら、原爆投下はなかったと信じる」


ピーター「ウォレスはほとんど知られていない。私の学生も知らない。歴史から消された人物。しかし、彼は他国の立場に立って考えることのできる人物でした。ほとんどの米国人はそうした考え方をすることができません」


木村「J.F.ケネディについてお聞きしたい」。


オリバー「皆さんがご覧になった第三話のあと、次のチャプターで冷戦のことを語っています。アイゼンハワーはヒーローと考えられているが、実際はそうではない。軍産複合体とかかわり、任期の始めには千発だった核兵器が、終える頃には三万発に」


オリバー「アイゼンハワーは、いつも、ソ連と戦うのは今だ、今だ、と言い続けてきました。それに対してケネディは、どこかを攻撃しようと軍が働きかけても、ノーを言い続けた大統領でした。キューバ危機に関して、1960年10月、ケネディとフルシチョフは軍事的衝突にノーを言った」


オリバー「しかしそれに対し、将軍たちは非常に怒り、緊張が高まりました。のちに、アメリカ大学でケネディは講演をし、平和について述べています」


残念ながら、オリバー側の通訳がちょっとおぼつかなくて、意味が通らない。通訳の言うことをそのまま書いています。


オリバー「ケネディの態度に対して将軍たちは怒り、利潤を追求する企業の経営者たちも怒った」。


ここで、オリバー監督がイライラして、別の方に通訳してくれと言い出す。


これは録画を流すときには、訳しなおしてスーパーをつけないと。


会場からも、ちゃんと訳せ、との怒りの声が。


ピーター「補足します。オリバーの映画JFKをぜひ、見てください。重要な映画です。アイゼンハワー政権で核兵器の数が増えただけでなく、核兵器は最終兵器ではなく最初に使っていい兵器にいちづけが変わってしまいました」


ピーター「第6話を見てもらえばわかりますが、キューバ危機の時、本当に核戦争一歩手前だったのです。この時も一人の将校がその状況を食い止めます。かれもまた歴史の中で忘れられている人物です」


「ケネディは、キューバ危機のとき、側近は強硬派ばかりでしたが、ケネディ一人で危機を防いだのです。米国は見くびっていました。実際には、敵の兵力は強大でした。ロバートマクナマラがのちに知って、青ざめていました」


通訳でコーディネーターの乗松聡子さん「長崎でオリバー監督が行きたがったところは、犠牲になった朝鮮人、中国人のモニュメントだった。私たちは彼らから何を学ぶのか。原爆について、アメリカ人から学ぶことはない。我々は自国の歴史の暗部を直視する姿勢を、彼らから学ぶべき」拍手


オリバー「私がわからないこと、日本人の気性。日本人は素晴らしいのに、なぜ、残酷になり得たのでしょうか? 朝鮮人、中国人に対して、なぜ残酷になり得たのか? どうですか? 会場の方々」


と問いかける。


会場から女性「私たちもそう思う。なぜ、自分の親たちは残酷になれたのか。教育のせいか、戦争が変えたのか」。


男性「日本の国民は何も学んでいない。戦後日本はただ金のために働くだけの宗教に入っていたようなもの」。


女性「犠牲になった朝鮮人、中国人の慰霊碑に参っていただいて感謝します」


ピーター「ドイツに比べ、日本人は歴史に学ぶ機会を奪われていると思います。アメリカについては、日本と同じようなところがあります。いまだに、アメリカが帝国であることを認めていない。ブッシュとチェイニーだけが帝国のリーダーではない。オルブライトもヒラリークリントンも同じ」



http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/360.html

記事 [政治・選挙・NHK152] なぜ、増税になるのか?・・・不健全にした人が健全にする??  武田邦彦 
なぜ、増税になるのか?・・・不健全にした人が健全にする??
http://takedanet.com/2013/08/post_729a.html
平成25年8月9日 武田邦彦(中部大学)



リサイクル工場の悪臭で税金を使った工場が停止している。


「国の補助金を使って2012年に建設された、東京都内最大級の民間生ごみリサイクル施設「八王子バイオマス・エコセンター」が、悪臭の苦情が相次いだことで今春以降、停止している。再稼働の見通しは不透明だ。」


補助金事業は「税金を知り合いに配っている」と言っても良いもので、こんな事をくり返していては税金は足りなくなり、増税、また増税となる。「足りないから増税」というのは実に奇妙な論理で、収入より多くのお金を杜撰に使ったら破産する。でも政府は「杜撰に使ったから無くなった」と言えば国民からお金を取れると思っている。


自民党もお金を官僚に出さないと政治ができないから弱腰だ。そして「財政健全化」というのも実に奇妙な言葉で、予算を決めることができる政府が自ら「財政を赤字」にして、「赤字になったから不健全」と言い、「不健全を健全にするために増税」すると言っている。


ということは、増税するとまた使って「財政を赤字」にして、「不健全」と言い、「健全化」として「増税する」ことになる。つまり、今年も赤字を増やしているのだが、「健全化」するとしている年に「使いすぎ」をしているのだから、増税しても不健全の人が健全になるはずもない。



http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/361.html

記事 [政治・選挙・NHK152] 長崎市長、安倍首相を痛烈批判「被爆国の原点に返れ!」(ハイヒール女の痛快日記) 
長崎市長、安倍首相を痛烈批判「被爆国の原点に返れ!」
http://tokyolumix.blog60.fc2.com/blog-entry-1235.html
2013.08/11 ハイヒール女の痛快日記


はじめまして!東京ルミックスです。
被爆と被曝の真ん中をハイヒールで跨いで行く?!


東京新聞によると、原爆の日を迎えた長崎市の原爆犠牲者慰霊平和祈念式典で、田上富久市長は「被爆国としての原点に返ることを求める」と、核廃絶へ積極的に動かない政府を厳しく批判したという。

市長が批判したのは、今年4月、ジュネーブで開かれた2015年の核拡散防止条約再検討会議に向けた第2回準備委員会で、核兵器の非人道性を訴え、廃絶を求める共同声明に、日本政府が署名しなかったことだ。

ってか、市長の言う通りでしょ。国民の声でもある!

もう1点は、政府が五月にNPTに加盟していないインドと、原発輸出の前提となる原子力協定の協議促進で合意したことにも「核兵器保有国を増やさないルールを形骸化させる」と批判した。

以下が問答集だが、これを見ると何をか言わんやである。

http://img.asyura2.com/us/bigdata/up1/source/15599.jpg

安倍はかつてない最悪の首相だ!日本は世界唯一の核爆弾の被爆国で広島と長崎で50万人以上が死亡。福島原発事故でも被曝で数万人以上が死亡すると言われているのだ。それがこの答え?バカな男だ。

自民党の閣僚もこんな男に仕えて恥ずかしくないのかしら?

逆に、これほどIQ超低い男に日本の舵取りを任した日本国民も、同様に程度が低いと言うことになる。皆さん!本当に安倍でいいのですか?

どんなバカ国民が考えても田上市長の方が正しいでしょう。安倍の答えは良くいうと矛盾という言葉になるが、普通に考えれば、まやかし詐欺師の言葉でしょ。しかも、国民の命が掛かっている問題でしょ?

最早、安倍は完璧な財界傀儡政権を証明している。

率先して核廃絶にサインするのは当たり前田のクラッカーだし、福島原発事故で日本滅亡か?というくらい放射能汚染水だだ漏れの最中に、インドに原発を売り込むなんて狂気の沙汰でしょ。呑気にゴルフなんぞしていたが、

落雷にでも撃たれ正気に戻ったらどうですか?


       ◇

長崎原爆の日 市長「被爆国の原点に返れ」 首相「核廃絶」答えず
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013081090070253.html
2013年8月10日 07時02分 東京新聞

 被爆から六十八年の原爆の日を迎えた長崎市の原爆犠牲者慰霊平和祈念式典で、田上富久(たうえとみひさ)市長は「被爆国としての原点に返ることを求める」と、核廃絶へ積極的に動かない政府を厳しく批判した。同席した安倍晋三首相は、一瞬にして何万人もの命が奪われた被爆地の人々の思いに、直接、答えることはなかった。 (横山大輔、金杉貴雄)

 田上市長は九日、炎天下の式典で「長崎平和宣言」を読み上げた。宣言は毎年、市長によって行われるが、政府をこれほど厳しく非難するのは異例だ。

 市長が批判したのは、今年四月、スイス・ジュネーブで開かれた二〇一五年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議に向けた第二回準備委員会で、核兵器の非人道性を訴え、廃絶を求める共同声明に、日本政府が署名しなかったことだ。

 署名しなかった理由は共同声明に「いかなる状況下でも核兵器を使用してはならない」という一文が入っていたから。日本は核兵器を持たない代わりに、他国が日本を核攻撃したら米国が核で報復するという「核の傘」に頼っている。「いかなる−」との表現はそれと矛盾するというのが政府の理屈だ。

 首相は式典のあいさつで、唯一の被爆国として「われわれには『核兵器のない世界』を実現していく責務がある」と訴えたが、では、なぜ、共同声明に賛同しなかったのか。

 首相は式典後の記者会見で「北朝鮮が核開発を進めている現実がある」「国連で長年、核軍縮を主導してきた」と釈明したが、明確な説明はなかった。

 また田上市長は、政府が五月にNPTに加盟していないインドと、原発輸出の前提となる原子力協定の協議促進で合意したことにも「核兵器保有国を増やさないルールを形骸化させる」と批判した。

 インドとの原子力協定は原発の輸出を成長戦略の柱とする安倍政権の政策の一環。首相はインドが核実験を一時、凍結していることを理由に挙げたが、説得力はなかった。



http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/362.html

記事 [政治・選挙・NHK152] 大新聞はなぜ安倍悪政に加担するのか 常に権力の走狗 この国の新聞(日刊ゲンダイ)
「消費増税を固め歳出削減にも踏み込め」「(社会保障)制度維持に全世代の負担必要」「小松法制局長官 集団的自衛権見直しの布石に」

何かと言うと、いずれも、ここ数日、主要全国紙が掲げた社説の見出しだ。消費税アップ、社会保障の老人いじめ、憲法9条の解釈変更を是認する中身で、いかに大マスコミが安倍政権の味方かがよく分かる。

自民大勝を許した参院選以降、平均株価の上下の振れ幅は1200円を軽く超える。乱高下の原因はアベノミクスの危うさと、それでも選挙前に強引に株価をつり上げてきた反動なのだが、大マスコミからはもちろん、そうした批判は上がらない。
で、黒田総裁の「所得増が消費を刺激する好循環の兆しが出ている」(日銀政策決定会合=8日)などという、超楽観見通しを平気でタレ流すわけだ。

一体、どこの誰の所得が上がったのか。「兆し」ってなんだ? 聞いてみたいものである。
社会保障制度改革国民会議の「最終報告」だって高齢者に痛みを押し付けるメニューがズラリだった。選挙前はそぶりも見せなかったのにヒドイものだ。しかし、大メディアは問題にしない。それどころか、「全世代で負担を分かち合おう」という、国民会議の総括をそのまま書くのだ。

新聞社の元政治部長で政治評論家の本澤二郎氏はこう言った。
「奇妙なのは『最終報告』の数日前から、複数のメディアが報告の中身を報じていたこと。これこそ、さまざまな会議の事務方を仕切る官僚がよくやる手口です。『欲しいのは特ダネ、怖いのは特オチ』という記者の習性を手玉に取り、報告の中身を小出しに漏らす。記者が“まき餌”に食いついて『特ダネ』を書けばしめたもので、その記者は権力批判を控えてしまう。

増税分を全額、社会保障に回す約束で消費税アップを容認した国民の側に立てば、メディアは給付減・負担増の最終報告に『国家的詐欺だ』と追及して当然です。そうならないのは、いかにメディアが役人に手なずけられているかという裏返しです」
大新聞の記者は、取り込まれてしまっているのである。

◆メディアがこれじゃあ、やりたい放題

今月22日からブルネイでTPP交渉会合が再び開かれるが、遅れて参加した日本が「ぼったくりバーのオーナー」である米国の「カモ」にされることも目に見えている。

しかし、メディアは「守秘義務」を理由に交渉経過や中身を開示しない政府に同調し、国民に何ひとつ真実を伝えようとしない。
「国民生活を考えれば独自取材で交渉の中身をバンバン暴けばいいのですが、TPPのような国際交渉の現場でもメディアは官僚にコントロールされている。会議の資料は全文英字で数百ページに達するケースがざら。それを官僚がレクチャーしてくれる。一刻も早く日本の上司に報告したい記者にすればありがたい話で、やはり言いなりムードが醸成されてしまうのです」(本澤二郎氏=前出)

安倍政権は国家戦略特区をつくり、そこで法人税率減税をやろうとしている。雇用ルールの規制も撤廃し、大企業を優遇する。労働者にしてみれば、「なぜ、大企業ばかり?」だが、もちろん、そういう声も無視。麻生財務相のナチス妄言にしたって、てんで報じていない大新聞もある。もちろん、欧米メディアでクソみそに叩いていることも拭ってしまう。
これじゃあ、安倍政権は楽チンだ。衆参両院で圧倒的多数を握った上、メディアがこれだけ味方をしてくれれば、怖いものなし。やりたい放題の体制が整ってしまっているのである。

◆権力を勘違いしている傲岸不遜な大メディア

もっとも、大新聞の政権ベッタリの報道姿勢は今に始まった話ではない。権力と大新聞との汚れた癒着は、戦前からずっと続いてきたことだ。

戦前・戦中は軍の手先となり、大本営発表のウソを平気でタレ流したくせに、敗戦を迎えると一転、「言論の自由」を大上段にふりかざす臆面のなさ。しかし、その裏では当然、時の政権と懇ろになり、「電波利権」や「国有地払い下げ」の恩恵を受けている。

ほかにも、記者クラブの便宜供与や展覧会・イベント開催への協力など、政府と新聞社の癒着を挙げていけばきりがないほどだ。
これじゃあ、権力のチェックも何もないが、問題なのは、これだけ破格の“待遇”を受けながら、大マスコミは恥じるどころか、「当たり前だ」という顔でふんぞりかえっていることだ。
その背後には「時の政権を動かしているのは俺たちだぞ」という信じがたいほどの傲岸不遜が透けて見える。

例えば参院選の争点を「ねじれ解消」と書くか、それとも「安倍の暴走を許すのか」と書くか。政治部記者のペンによって選挙結果は違っていただろう。参院選の自民65議席獲得を「圧勝」と書くか、「単独過半数には届かず」と書くか。見出し次第で、政権の求心力にも影響が出る。

だから、連中は自分たちが政治を動かしているかのごとく、勘違いをするのである。
あざとい大新聞は「さあどう書きましょうか」とばかりに政権に恩を売る。政権は自分たちに都合のいい記事を書かせようと、大新聞を手なずける。そんな「持ちつ持たれつ」の癒着関係が延々と続いてきたのである。

◆なれ合いマスコミが健全な民主主義を潰す

「戦後政治の裏面史では派閥領袖の番記者が暗躍してきました」と言うのは、新聞社の元論説委員で政治評論家の山口朝雄氏だ。
「大手新聞の記者の中には、政局のたびにメッセンジャー役を買って出たり、時には人事にクビを突っ込み、ヘタな政治家以上に影響力を発揮した記者もいました。最たる例が読売新聞の渡辺恒雄会長ですよ。かつての自民党の大物、大野伴睦氏の番記者として大変かわいがられ、次第に大野氏の政界工作にも加担していった。その動きが『権力側に強い』と社内外で評判を呼び、経営者に『利用価値アリ』と判断されて、どんどん出世した。それでも政治家と適度な距離感を保てればマシですが、最近は癒着することが仕事だと勘違いしている記者が目に付く。メディアの幹部もこぞって安倍首相と会食していますが、こんなことは欧米メディアでは絶対に考えられないことです」
大マスコミは常に権力側と一心同体。それを恥とも思わない。それがこの国のメディアの歴史なのだが、だとすると、この国に民主主義があったのだろうか。それを問いたくなるというものだ。

「参院選直前に自民党がTBSの報道内容に抗議し、『取材拒否』したことがありました。怒りを買ったTBSの報道は永田町の住人なら誰もが知っていた中身です。それに自民党がカミついたのは、『身内のくせに』という意識があるからでしょう。TVなんて、宣伝機関くらいにしか思っていないのだと思う。TBSがあっさり恫喝に屈したのも、普段から他メディアと忠誠度を競い合っているからでしょう。私は東京に本社があるメディアは基本的に権力を支える用心棒だと思っています。とりわけ、今の安倍政権のように野党はもちろん、与党内にも政敵なしという状況では、権力の一極集中が進み、メディアは巨大権力の忠実な走狗と化してしまう。その危うさは、戦前の大新聞が雄弁に物語っています。この国のメディアは、民主主義をチェックするのではなく、民主主義の破壊者となり得る危険性をはらんでいる。それは昔も今も変わらないと思います」(山口朝雄氏=前出)

メディアがきちんとした情報を報じなければ、いくら選挙をやったところで無意味だ。この国は今も、名ばかり民主主義の国と言うしかない。
http://asumaken.blog41.fc2.com/blog-entry-9554.html
http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/363.html

記事 [政治・選挙・NHK152] 日本は80カ国賛同の核兵器の非人道性を訴える共同声明に参加せず。情けない。  孫崎 享 
http://blogs.yahoo.co.jp/hellotomhanks/64108789.html
★孫崎享氏の視点ー<2013/08/10>★  :本音言いまっせー!


長崎は9日、68回目の原爆の日を迎えた。

ここで、80カ国が賛同した核兵器の非人道性を訴える共同声明に
日本が参加しなかったことを批判し、日本政府に、被爆国としての
原点に返ることを求めた。

これに対して日本政府は「核の傘」に依存する理由から、賛同の意を
唱えなかったとしている。それはまた詭弁である。

「核の傘」というものはそもそもない。米国に物を言えず、タダ盲従
しているだけがここにも出ている。

唯一の被爆国が核兵器の廃絶に参加しないのは世界の物笑いであろう。

1:長崎市長平和宣言の一部

「日本政府に、被爆国としての原点に返ることを求めます。

 今年4月、ジュネーブで開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議
準備委員会で提出された核兵器の非人道性を訴える共同声明に、
80カ国が賛同しました。
南アフリカなどの提案国は、わが国にも賛同の署名を求めました。

 しかし、日本政府は署名せず、世界の期待を裏切りました。
人類はいかなる状況においても核兵器を使うべきではない、という文言が
受け入れられないとすれば、核兵器の使用を状況によっては認めるという
姿勢を日本政府は示したことになります。
これは二度と、世界の誰にも被爆の経験をさせないという、被爆国として
の原点に反します。

(参考:2015年の核不拡散条約(NPT)再検討会議に向け、
スイス・ジュネーブで開かれている第2回準備委員会で、
核兵器の非人道性を訴えて24日に発表された共同声明に、日本政府は
署名しなかった。米国の「核の傘」に頼る安全保障政策と整合性が
とれない、と判断した。

 共同声明は、核が使われると人道上、破滅的な結果を招くとして、
「二度と使われないことを保証する唯一の手段は完全な(核)廃絶だ」
とする内容。)

2:今日何故核兵器が使われないか。

 米ロの間には「相互確証破壊戦略」で攻撃すれば必ず自国が
壊滅される体制をしいた。

 では核保有国が何故非核保有国に核兵器を使用してこなかったか。

 国外、国内の世論である。

 第2次大戦後、核兵器を使用しようとした国は米国のみである。

 朝鮮戦争、ベトナム戦争で何故使わなかったか。何も相手国が抑止力を
持っていたからではない。世論である。

3:「相互確証破壊戦略」の下では基本的に核の傘は存在しない(後日紹介)。

4:それだけではない。

 今日、世界で核兵器を先制攻撃で使う戦略を公式に持っているのはどこか。

 米国とイスラエルである。

 米国の戦略に非を指摘できないから、被爆国でありながら、80カ国が
賛同した核兵器の非人道性を訴える共同声明に日本が参加しなかった。

少なくとも世界の80か国は「日本って、どういう国だろう。
そこまで隷属しなければならないか」と厳しく批判しているだろう。



http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/364.html

記事 [政治・選挙・NHK152] 日本国憲法の原案は日本人だった。

今日のNHKアーカイブの「焼け跡から生まれた憲法草案」は勉強になった。

当初はGHQは日本人による憲法改正を望んでいた。

そして民間有識者による憲法研究会も草案要綱を作った。
http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/02/052/052tx.html

GHQは高く評価し、欠けていることも指摘した。
それは憲法が最高規定であるとか、護憲等、非常に民主的な指摘だった。

しかし時の政権は、まだ明治憲法から逸脱できずに国民主権が欠けていた。
そうのようにまだ非民主的な言動に業を煮やしたGHQが、憲法研究会の草案を基礎に、GHQ案と提示した。
時の政権には、これを飲まない場合、広く国民に公示すると迫った。

つまり現在の我が国の憲法は、押し付けられたものではなく、憲法研究会が作った草案要綱が基で、また非民主的に拘る時の政権にGHQ案として出したものだった。


http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/365.html

記事 [政治・選挙・NHK152] この投稿は独・仏なら犯罪「ユダヤ教聖職者の吸血習慣が原因か?ホロコーストは狂牛病のようなヤコブ病の根絶だったのでは」
麻生太郎は、ユダヤ人の言いなりになってナチスドイツの実相を検証しようともせず、ユダヤ人が吹聴したナチスの悪質なイメージだけを信じてマジに悪用しようとした極悪人だろう。

ホロコーストの実相は、ユダヤ教聖職者による人肉食・吸血習慣と、狂牛病のような病気の根絶対策と関係があるようです。

下の年表を辿ると、ドイツでは、狂牛病のように脳が海綿状に侵された人があり、その人たちは精神病患者として扱われてきたことがわかります。そしてナチスドイツは、精神病患者をガスや毒で安楽死させたことも。また、ユダヤ人には、狂牛病のような病気の人が遺伝によって多くいたことがわかります。
さらに、狂牛病のような病気はパプアニューギニアの食人習慣によっても発生していたことが報告されてノーベル賞を受賞しているにも関わらず、ユダヤ教徒の聖職者による人肉食・吸血習慣がほとんど知られていないことは大きな問題です。
ナチスがユダヤ人に対して行なったホロコーストは、無知が犯した疫病対策であった可能性があるのです。


【1732年】ヤギや羊におけるスクレイピー(後にプリオン病と判明)が知られるようになった。ただし、人には伝染しないとされている。
 ※wikipedia>スクレイピー http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%94%E3%83%BC

【1913年】ドイツの神経病理学者ハンス・ゲルハルト・クロイツフェルトが、発作をおこして死に至った若い女性を剖検した結果、脳の神経細胞が殆ど消失し、脳自体が変性していたことを専門誌に報告した。 その女性は、興奮し、絶えず笑い、歩行が困難、顔の筋肉か痙攣、話に脈絡がない、そして全身麻痺へと進展、てんかんに似た発作をおこして死亡した。
 ※ワシヅカ獣医科病 >CJ病 (Creutzfeldt−Jakob病)
 http://www9.ocn.ne.jp/~bobby/kyogyu_4.htm
 ※wikipedia>Hans Gerhard Creutzfeldt
 http://en.wikipedia.org/wiki/Hans_Gerhard_Creutzfeldt

【1921年】ドイツの神経科医アルフォルト・マリア・ヤコブが、クロイツフェルトの報告した症例と同様の症状を呈する男2人、女3人の患者を診察し、「中枢神経系の顕著な解剖学的所見を伴う、ある特殊な病気について」と題して論文を発表した。
 ※ワシヅカ獣医科病 >CJ病 (Creutzfeldt−Jakob病)
 http://www9.ocn.ne.jp/~bobby/kyogyu_4.htm
 ※wikipedia>Alfons Maria Jakob
 http://en.wikipedia.org/wiki/Alfons_Maria_Jakob

【1922年】ドイツの神経病理学者であるウォルター・シュピールマイヤーが、
クロイツフェルト・ヤコブ病を命名。
 ※wikipedia>Walther Spielmeyer
 http://en.wikipedia.org/wiki/Walther_Spielmeyer

【1933−1945年】■クロイツフェルトは、「ナチ・アクションT4安楽死プログラム」から彼の患者のほとんどを救った。そのプログラムは、T4職員が認定した精神病患者のほとんどがハアダマ安楽死センターのような安楽死クリニックでガス中毒死あるいは毒殺されるという異常な出来事だった。
 ※wikipedia>Hans Gerhard Creutzfeldt>Second world war
 http://en.wikipedia.org/wiki/Hans_Gerhard_Creutzfeldt#Second_world_war  
 
【1976年】米国の医師ダニエル・カールトン・ガジュセックが、1950年代と1960年代のパプアニューギニアで人において流行したクールー病(クロイツフェルト・ヤコブ病/後にプリオン病と判明)は、1948年までの食人習慣が原因と結論づけ、ノーベル賞を受賞した。
スクレイピーの実験方法を参考にして、クールー病による死者のすり潰した脳を生きたチンパンジーの頭に穴を開けて脳に付着させ、チンパンジーがクールー病と同様の症状を示すことに成功したもの。
 ※wikipedia>ダニエル・カールトン・ガジュセック>クールー病の研究
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%8B%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%82%BB%E3%83%83%E3%82%AF#.E3.82.AF.E3.83.BC.E3.83.AB.E3.83.BC.E7.97.85.E3.81.AE.E7.A0.94.E7.A9.B6
 ※wikipedia>Daniel Carleton Gajdusek>Kuru
http://en.wikipedia.org/wiki/Daniel_Carleton_Gajdusek#Kuru

【1979年】リビア系ユダヤ人のクロイツフェルト・ヤコブ病罹患率が平均の30倍以上に達したため、大規模な疫学的調査が行なったところ、遺伝性のクロイツフェルト・ヤコブ病であったことが判明。
 ※ワシヅカ獣医科病 >CJ病 (Creutzfeldt−Jakob病)
 http://www9.ocn.ne.jp/~bobby/kyogyu_4.htm

【1986年】英国で牛に新しい病気である狂牛病(後にプリオン病と判明)が見つかった。
 ※wikipedia>Bovine spongiform encephalopathy>Epidemic in British cattle
http://en.wikipedia.org/wiki/Bovine_spongiform_encephalopathy#Epidemic_in_British_cattle

【1997年】米国の医師スタンリー・ベン・プルシナーが 、人におけるクロイツフェルト・ヤコブ病と牛における狂牛病はたんぱく質(protein)の感染(infection)が原因であることを発見し、プリオン(prion)病と名づけてノーベル賞を受賞した。
 ※wikipedia>スタンリー・ベン・プルシナー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BBB%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%8A%E3%83%BC
 ※wikipedia>Stanley Benjamin Prusiner >Nobel prize and academic societies
http://en.wikipedia.org/wiki/Stanley_B._Prusiner#Nobel_prize_and_academic_societies


■ユダヤ人には、人の血と肉片を飲むことに従事する聖職者が何人もいます。モーヘールと呼ばれる割礼を施す専門家のことです。
 ※wikipedia>モーへール
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%98%E3%83%BC%E3%83%AB
彼らは、イスラエル男児に対して生後8日目に割礼を施し、ペニスの血と皮を吸い飲むことを専門としています。
Under Jewish law, a mohel must draw blood from the circumcision wound. Most mohels do it by hand with a suction device, but some Orthodox groups use their mouth to draw blood after cutting the foreskin. 
All types of Judaism except for Orthodox Judaism allow female mohels, called mohelot.
 ※wikipedia>mohel>Functions、Women as mohels
 http://en.wikipedia.org/wiki/Mohel#Functions


■クロイツフェルト・ヤコブ病の種類
@散発性(孤発性)CJD :発症の原因が不明なもの。
A遺伝性(家族性)CJD :プリオンタンパクをコードする遺伝子の変異を原因とするもの。
B医原性CJD :異常プリオンに汚染された医療器具の使用、CJD患者由来の硬膜や角膜などの組織の移植、患者由来の下垂体ホルモンの投与など、医療行為を原因とするもの。
C変異型CJD:牛海綿状脳症を発症した牛を食して、牛海綿状脳症が人間に感染したもの。
 ※wikipedia>クロイツフェルト・ヤコブ病>タイプ  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%84%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%A4%E3%82%B3%E3%83%96%E7%97%85#.E3.82.BF.E3.82.A4.E3.83.97


http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/366.html

記事 [政治・選挙・NHK152] 野党再編は共産党を除く野党国会議員全員の責任だ。(日々雑感) 
http://km2295.iza.ne.jp/blog/entry/3155305/
2013/08/11 04:49 日々雑感

 巨大化した自民党を牽制するには対抗できる野党の存在が必要だ。さもなくば自公政権がこのまま暴走を重ねて行くのを見守るだけになってしまう。

 自公政権は暴走している。「消費増税」に前のめりだし、TPPにも闇雲に参加してしまった。それらの政策選択が国民に対していかなる結果をもたらすのか、碌な検証もないままに突き進む様は「狂信的」ですらある。

 個々人なら「思想信条の自由」は憲法により保障されている。しかし国政となれば「信念」だけで突き進まれても困る。国民のための政治という観点が失われて、財政再建のための政治が優先されてはかなわない。

 いや、実は財政再建のための政治が財政破綻の危機から回避する最善の方法だから、破綻させないことこそ国民のためだ、とマスメディアなどは嘯いているが、そんなのはまやかしだ。

 この時期に増税するのは狂気じみている。しかも貧困層にも一律に課税する「消費税」を増税するのは、安倍政権の謳い文句の「デフレ脱却」にも明らかに反する。

 個人の財布に強引に手を突っ込んで、どんな生活困窮者からも年間10万円近いカネを税として徴収するのがいかなる結果をもたらすか、予測できない「経済評論家」は直ちに看板を下ろした方が良い。そして夜の街の路上で手相占いでも始めることだ。あなた方の経済予測はその程度のものでしかない。

 安倍政権が何処へ向かおうとしているのか、それは明快になっている。日本も米国並みの弱肉強食の新自由主義の国家にすることだ。それは派遣業法の規制強化を葬り、さらに正規社員の流動化を促す法案提出を準備していることからも疑いようもない。

 TPP参加に熱心なのもその表れだ。消費増税も「国際公約だ」と意味不明な主張を主要閣僚が口走る段に到っては、安倍政権ではこの国の政治は国民のためよりも海外事情の方が優先されると公言しているに等しい。それでも国民の大多数はマスメディアの囃すアベノミクスに浮かれて踊り続けるのだろうか。

 金融緩和のアベノミクスは大多数の国民にとって利をもたらすものではない。むしろ輸入製品価格の高騰を招き、国民生活への副作用の方が大きいのだ。

 その副作用を取り除くために「円安」基調を踏み台にして国内産業基盤の再構築と空洞化した地方経済の立て直しのために「投資減税」を優先して実施すべきだった。今になって「検討する」とは少なくとも半年は遅れた政策運営だと批判しなければならない。

 99%の国民にとってアベノミクス効果は無縁のものだ。恰も野球ゲームを観戦して熱狂するのと似ている。国民はマスメディアの囃しに乗って浮かれているだけだ。その浮かれ具合を見て、安倍氏が「政治は結果だ」と息巻いて新自由主義社会の実現へと暴走している。それは危険なことだ。

 なぜ危険なのか、米国社会を見れば明らかだ。現代資本主義社会は過去の産業革命以来の野放図な資本主義の悲惨な社会から国民生活を救うために様々な社会保障制度を政治が実現してきた。それが近代資本主義社会への歴史だった。しかし新自由主義は歴史の時計を逆回ししようとしている。

 野党は99%の国民の側に立つ政治理念を掲げるべきだ。公務員は市場原理の埒外に自らを置いて、暴走しまくり、ついには人事院がケツを巻くってゴネて見せるに到っている。彼らは既に99%の側に立つ国民への奉仕者ではない。国民が対決すべき最大の既得権益集団だ。野党は官僚と同時に官公労とも対峙すべきだ。

 タックスイーターを徹底して苛め抜く覚悟を野党政治家は持つべきだ。もちろん自分たちもタックスイーターとして、先進諸外国と比較して高額な議員報酬を恥じて減額すべきなのはいうまでもない。そして社会保障とは一部の既得権益者が優雅な老後を過ごすためのものではなく、国民が等しく老後を暮らすものだという社会保障の原点へ立ち返るべきだ。そうした政治理念を掲げて野党は大同団結して三年後を目指して活動を始めなければならない。


関連ニュース
国の借金1000兆円超 財政再建のスピード化必要 (08/10 17:48)
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/economy/policy/675919/

みんな内紛、弱体化 渡辺代表と江田氏「場外戦」 (08/10 17:40)
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/675892/


http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/367.html

記事 [政治・選挙・NHK152] 田原総一朗 「マッカーサーの『決断』だけでは戦後は終わらない」〈週刊朝日〉 
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130811-00000001-sasahi-soci
週刊朝日 2013年8月16・23日号


 間もなく終戦記念日が訪れる。しかし、ジャーナリストの田原総一朗さんは、終戦から60年以上が経った今でも日本の“戦後”は続いているという。

*  *  *

 前回は、公開中の映画「終戦のエンペラー」をプロデュースした奈良橋陽子さんと対談した。昭和天皇の戦争責任という、これまで日本人がタブー視して試みなかったテーマに挑戦した、すごい映画だ。そして、その対談で、結果として私は重い課題を背負わされることになった。

 マッカーサー連合国軍最高司令官は、結局、昭和天皇を極東軍事裁判にかけず、天皇制の維持を決断した。終戦直後、アメリカで行われた世論調査では、天皇を「死刑にする」が33%、「裁判で決定」が17%、「終身刑」が11%などと、ともかく裁判にかけるべしが70%を占めていたにもかかわらずである。

 マッカーサーは部下のボナー・フェラーズ准将に昭和天皇を裁判にかけるべきか調査せよと命じた。映画では東條英機、近衛文麿など日本側のキーパーソンを調べたフェラーズが「天皇を裁判にかけず、天皇制を維持すべきだ」とする報告書を出し、それを読んだマッカーサーが1945年9月27日、自ら決断するためにアメリカ大使公邸で昭和天皇と会見。このとき「全責任を負う」と明言した天皇の態度がマッカーサーを感動させて、天皇制維持を決断させたことになっている。

 だが、実は史実ではフェラーズがマッカーサーあての報告書を出したのは、マッカーサー・天皇会見の5日後、10月2日なのである。

 このあたりの事情を東野真氏が著書『昭和天皇 二つの「独白録」』に記している。フェラーズは「もしも天皇が戦争犯罪のかどにより裁判に付されるならば、統治機構は崩壊し、全国的反乱が避けられない」と強調した。つまり、占領政策をスムーズに行うには、天皇制を維持すべきだと語っていたのである。

 さらに東野氏は、翌46年3月6日、東京裁判開廷の2カ月前に、フェラーズが敗戦当時の海軍大臣・米内光政と会談した内容を載せている。

 フェラーズは、天皇に戦争責任がないことにする方法は、日本側がそれを立証すること、つまり東條英機が裁判で全責任を引き受けてくれることだと言い、米内はそれに全面的に賛同。「東條と嶋田(繁太郎・元海軍大臣)全責任をとらすことが陛下を無罪にする為の最善の方法と思ひます」と答えている。そして、占領軍はこのとおりにした。つまり、これはあくまでも、日本における占領政策をやりやすくするための方策だったのである。

 ところが日本政府は、これで戦争の処理が終わったつもりになってしまった。本来ならば日本が独立した後、日本政府として、日本人の手で戦争の総括を行うべきであった。少なくとも太平洋戦争では、日本は無残な敗北を喫した。しかも、この戦争はほとんど勝ち目のない戦いだったとしか思えないのだ。

 私は、かつて首相を務めた宮沢喜一氏に、「なぜ日本政府は独立後に総括をしなかったのか」と問うた。

「当時、政権与党の幹部たちの多くは、いわゆる追放組だった。追放組というのは、いわばA級戦犯の子分たちです。子分が親分たちの総括をするのは、どだい無理な話ですよ」

 宮沢氏の言うことはそれなりにわかる。しかし、日本政府が、もっと言えば私たち日本人が、アメリカの占領政策のための処理という形だけで、戦争の総括をしないままにすませてしまっているのは、どう考えても大問題である。その意味では“戦後”はまだ続いているのだ。


http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/368.html

記事 [政治・選挙・NHK152] 安倍政権はこうして世論を操作する――例えば法制局長官人事のリーク (生き生き箕面通信) 
http://blog.goo.ne.jp/ikiikimt/e/aa791990649ff370ae7d28f92fbaeadc
2013-08-11 07:32:24 生き生き箕面通信


 「パリに在住する小松一郎・駐仏大使を急きょ呼び戻し、法制局長官にする」というニュースを特ダネとして大々的に伝えたのは、8月2日朝刊の読売新聞とサンケイ新聞だけでした。安倍政権側がこの2紙だけを特別扱いして、その前日にそっと情報を流した(リークした)のです。つまり、「書かせた」わけです。

 朝日、毎日、東京新聞など、政権側に辛口の記事を掲載するメディアは、わざと”特落ち”させました。報復的いじわるとでも申しましょうか。

 この1件からは、政権側がどのようにして世論を操作するか、という”手口”が透けて見えます。

 まず、今回の場合は、政権側の意図をそっくりそのまま国民(読者)の頭に刷り込む役割を進んで引き受けるメディアを選び、そこに、ニュースを漏らしました。

 かねてから政権側と持ちつ持たれつの御用新聞となっているメディアに流し、大々的に伝えさせる。決して批判がましい解説などは付けない、政権側には”信用できる”メディアです。

 法制局長官の差し替えは、それが即、憲法改定に匹敵する重大事です。集団的自衛権を行使できるようにするための人事です。

 憲法9条は、ご存じのように、国際紛争を解決するための手段として戦争と武力の行使を「永久に放棄する」と定め、とくに第2項で「交戦権はこれを認めない」と明確に規定しています。これに従い、法制局は「集団的自衛権を行使するには、憲法改定が必要」として、政府の手を縛ってきました。

 今回の人事は、これまでの法制局経験者から選ぶという慣例を破り、外務省出身者という異例づくめでした。本来なら、そこに疑問を呈する伝え方があってもおかしむない内容でしたが、読売やサンケイの紙面に疑問はまったく見ありませんでした。

 アメリカは従来は改憲を催促してきましたが、安倍政権が本気で強い軍隊をめざすとなれば、場合によってはアメリカにとって危険な事態が想定されないとも限らないと思い返し、最近は解釈改憲、つまり「集団的自衛権だけ使えるようにしてくれれば充分」という具合に戦略変更しました。

 そうした意味を持つ人事を、世論操作の道具に使う。これが安倍政権の政治手法です。

 いまのところ政権に楯突くことがある目障りな朝日、毎日、東京新聞などもなんとか手なづけようとあの手この手を使っています。社長を食事に招いたり、東京新聞には財務調査に入るなど、アメとムチを使い分けて言うことをきかせるようにしようとしています。

 これが2013年、日本列島の暑い夏の言論空間です。私たち草の根がよほど賢い草の根に育たなければ、日本は支配層の好いようにできる列島空間となりそうです。



http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/369.html

記事 [政治・選挙・NHK152] サヨクの嘘を暴け! 〜食品編〜 <不安商法> 恐怖の食品添加物 vol.1
日本消費者連盟やら週刊金曜日に関連している船瀬某氏のことですかね?

好転反応というかなりの副作用を持つEM菌をほとんど薬事法違反に違反して推奨しています。

EM菌は奥が深くて宗教団体やら似非科学者や「北朝鮮」が推進しているいわくつきの商品ですが、怪しい似非左翼の皆さんがこちらを追求することはありません。

よっぽど儲かるんだと思います。

それにしても警察も厚労省も薬事法違反紛いを野放しにするとは●●ですか?
だからニューエイジ左翼に「大麻を合法化しろ」なんてデモされるんですよ。


奇行種圭坊の魔窟から
http://cabad806.sonnabakana.com/page046.html#lcn001

【不安商法】 恐怖の食品添加物 vol.1
【問】「食品の裏側―みんな大好き食品添加物」という本を読みました。
 もう怖くて市販の加工食品は食べられません。
▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
【答】あっそう。  好きにすれば。

 まぁ、どうでもイイことなんですけど、どうして一般大衆は、たった一度だけテレビで見た健康番組と か、たった一冊だけ読んだ健康関係の単行本とかの内容を、全く何の疑いも無しに盲信できちゃうん でしょうか?
 Amazonのレビューなんて読んだ日にゃ背筋が凍りますよ。
 なかには「せっかくインターネットが使えるのに, 2007/1/19」なんて云う至極真っ当な意見もある けど(ってコレ実は私の書き込みです(笑))、大半は物の見事にハマっています。

 この本は、食品添加物に関する科学的な本として評価するならダントツのクソですが、人の弱さに付 け入る催眠商法のテキストとして評価するなら、コレ以上無いほど素晴らしいテキストと言えるでしょう。
 どうすれば人は不安になるのか? 不安になった人を任意に従わせるには何を刷り込めばイイの か?……詐欺師にとって素晴らしい手引書となってくれること請負いです♪
 素人消費者相手に詐欺を働く気なら是非購入すべきですね。  シロサギ必須の座右の書と言って 良いでしょう。

 それはともかく。  どんな意見であれ、既存の常識を打破する内容に関しては、必ず検証されなけ ればなりません。
 「発言が『発言そのものに依って証明される』ことがあってはならない」のです。
 自慢じゃないけど、私なんて専門書でも鵜呑みにしやしません。
 自分の知識や知恵だけで判断しかねる内容は、できるだけ沢山の書物やwebサイトに当たって検証 するようにしています。
 最低でも反対意見の書かれた本を、賛成意見の本と同じくらいの冊数読むことは必須でしょう。
 それすらしないで、「怖い」だの「もう食べれない」だのというのは、「私は入信しました。 これからせっ せとお布施に励みます」と宣言するのと同じで馬鹿丸出し。  滑稽の極みです。

 図書館で調べるならこちら↓のサイトが参考になります。
☆「食品添加物について調べる <国立国会図書館:テーマ別調べ方案内>」

 個別の食品添加物がどういうものなのか?に関してはコチラ↓。
☆「食品添加物を調べてみよう <フジテレビ食品研究所・食品添加物データベース>」

■食品添加物に対して肯定的なサイトの一例■
・「厚生労働省:食品添加物に関するホームページ」
・「厚生労働省食品化学情報」
・「財団法人 日本食品化学研究振興財団」
・「食品添加物関連情報」
・「食品添加物の安全性について:熊谷市」
・「食品添加物について:栃木県」
・「食品添加物:岡山県」
・「京の食“安心かわら版”‐食品添加物」
・「財団法人 日本食品化学研究振興財団 食品添加物のJECFA安全性評価」
・「ちょっと栄養学」
・「Japan Food Information Center◆1食品添加物ってどんなもの?」
・「Japan Food Information Center◆2なぜ使用されるの?」
・「Japan Food Information Center◆3安全性はどうなっているの?」
・「Japan Food Information Center◆4どんな法律があるのだろう?」
・「Japan Food Information Center◆5国際基準への対応」
・「Japan Food Information Center◆6安心して食べたい」
・「環境goo 環境ナビゲーター 第3回 食品添加物」
・「環境goo 倹約エコ生活 食品添加物」
・「食品衛生の窓」
→ 「食品添加物の概要」
・「食品添加物 Wikipedia」
・「日本食品添加物協会」
→ 「わかりやすい食品添加物」
・「食品添加物の正しい理解」
・「パンのはなし(安全性)」
・「市民のための環境学ガイド」
→ 「リスク報道を超えて 死亡数によるリスク表現 10.29.2006」
→ 「読者皆様からのご意見・ご質問  08.03.2003」
→ 「食の安全とリスク管理 06.23.2002」
→ 「化学物質リスクと死因事典  08.26.2001」
・「〈「食品報道」のウソを見破る〜食卓の安全学〉を2005年7月に上梓しました。」
・「かしこい生き方のススメ」
・「栄養:一般的考察」
→ (下のほう)「食品添加物と不純物」
・「食品添加物に関するQ&A(pdf)」
・「食品添加物に関するQ&A(pdf)」
・「食品添加物を考える(pdf)」
・「添加物の安全性(pdf)」
・「Food Science(有料)」

■食品添加物に対して疑問符を持つサイトの一例■
・「食品安全委員会:添加物専門調査会」
・「食生活について語ろう」
→ 「《テーマいろいろ・パート2》 ◎食品添加物」

■食品添加物に対して否定的なサイトの一例■
・「食の安全情報缶 ジーライブ」
・「料理のまえのかくし味 安全? 食品添加物〜食品添加物の安全性〜」
・「整体マニアックス 食品添加物の安全性」
・「リスドォル ミツ 無添加パンへの熱い思い」
・「添加物等ワンポイント判断と日々の心がけ パンの危険回避のキーワード」
・「小麦粉について 国産小麦粉・輸入小麦粉どちらが安全?」
・「食品添加物を考える」
・「食品添加物の危険性・安全性」
・「有機野菜、無添加食品のススメ・食品添加物の光と影」
・「みやぎ生協 新・食品添加物自主基準」
・「食品添加物の現状」
・「どすこい!高知県出身。燻製部屋。:食品添加物は安全なのか?」
・「My News japan 食の安全〔コンビニ編〕」
・「[2006年8月25日]《食品添加物の相乗作用による発がん物質ベンゼン生成に関する要望書》 - 主婦連合会」
・「良品市場コ・ラ・ム-食品の安全性」
・「食品と原子力の危険性の類似」
・「食べてはいけない!!」


 〜上のサイト群は、いずれも特に苦労して集めたリンクというワケではありません。
 googleの検索エンジンでキーワード「食品添加物」「安全性」を使って検索した上位100件から抽出した だけです。
 内容ひとつひとつの真贋は分かりませんが、「三人寄らば文殊の知恵」と同じで、専門的に語られる サイトを賛否両論併せて20〜30も読めば、ある程度何が正しくて何が正しくないかが見えて来ます。
 折角、インターネットが使える環境があるんですからサイトを周らないのは損ですよ。


 「食品添加物怖い」も「農薬怖い」や「遺伝子組み換え怖い」と全く同じで、『安全食品ビジネス』という 不安商法の一つです。  そしてそれは、私が煮え湯を飲まされた『アトピービジネス』と手口が全く同じ です。

 アトピービジネスという不安商法に関しては、別のページに【アトピー性皮膚炎Q&A】という項を設けて ありますので、そちらをご参照いただきたいのですが、ここでも簡単に触れておくことにしましょう。


 アトピー性皮膚炎という病気を御存知でしょうか?

 現在の医学をもってしても、原因が明確でない「ある意味奇病といえる」慢性疾患です。
 原因の一部しか判明していませんので、とりあえずアレルゲンが分かっている場合はそれを避け、発 症した皮膚炎に対してはステロイドという薬品を使って症状を抑えます。
 しかし、アレルゲンの忌避を続けるのはしんどく、ステロイドという薬品もいわゆる“慣れ”の生じやす いコントロールの難しいクスリです。
 治る時は勝手に治ってしまいますが、治らない人は何年も何十年も苦し続けるイヤな病気です。

 闘病で疲れた患者の耳元で「アトピービジネス」という名の悪魔が囁きます。

 「アレルゲンを摂っても発症しなくなる体質改善が出来るぞ」「アトピーの原因はステロイドなんだぞ」 「ステロイドは悪魔のクスリなんだけど、皮膚科医と業者が癒着していて減らせないんだ」とかなんと か。

 冷静に考えれば一笑に付すしかないような珍論なのに、闘病で疲れた患者のココロに沁み入ります。

 そうした内容の本を何冊も読み、そうした内容の書き込みをwebの掲示板で何度も読むうちに「ステロ イドが悪いんだ」「ステロイドを止めて○○を飲めばアトピーは治るんだ」「アトピー肌は□□でキレイに なるんだ」と。

 こうなったら、もう止まりません。

 周囲の声も聞こえません。

 断固たる決意の下に、ステロイド剤の塗布を断ってしまいます。

 そうしたらどうなるでしょうか?

 ステロイドの抑制効果でムリヤリ沈められていた皮膚炎が一気に発症してしまいます。
 それは、「地獄の苦しみ」という他に表現しがたい惨状で、全身は赤紫色に腫れあがり、気も狂うほど の痒みに一日中襲われ続けて夜も眠れません。
 ステロイド断ちをした患者のうち、大半は途中で意思が折れて再びステロイドに戻ってくるのですが、 稀に感染症を起こして死に至る例もあります。
 もちろん、中にはステロイド断ちの結果、ホントウにアトピーが治ってしまう人も居るのですが、元々勝 手に治る例の多い病気であり、因果関係は立証されていません。
 ただ、僅かな治癒例が「アトピービジネス」に利用されて被害者を増やし続けるのです。


 「アトピービジネス」と「安全食品ビジネス」の手口は全く同じです。 ただ前者は健康も奪われるという 点だけが違うのです。


 ただ、そうは言っても、食品添加物や農薬,遺伝子組み換え食品に不安を抱く気持ちも分かります。
 [ 他の生き物が摂って死んでしまうような薬が撒かれた農作物 ] や [ 大量に摂取すると体に重篤な 悪影響を及ぼすようなクスリ ] が混入した食品は、たとえ少量でも摂りたくない…というのは、一般心理 としてごくアタリマエの反応だと思います。

 「残留する農薬の量は極々僅かであって、それよりも植物が外敵(昆虫)から身を守るために分泌す る農薬様物質の方が何倍も何十倍も有害なんだ」とか「牛肉を食ったからといってアタマにツノが生え たりしないのと同様、食物として摂った遺伝子がカラダに影響することはありえない」とか「食品添加物 の量は、動物に全く害が現れない量に対して100倍をこえる安全率を見込んだ量に法律で制限され、 しかも実際の摂取量はそれよりも少ないんだ」などの至極アタリマエの化学知識が、一般消費者のココ ロに届くことは、まずありません。
 なぜなら、義務教育レベルの理科知識すら怪しい大衆相手に「化学的に正しい理屈」なんて何の訴 求力も無いからです。
 それに、そもそも「安全」よりも「危険」という方が説得力があります。  そして、一旦「危険ダ」と刷り 込まれてしまったマインドコントロールは、当人がwebや書籍を読み漁るなどの自己努力をして知識を 積み重ね、理系知識のレベルアップをしない限り、まず解けることはありません(私に刷り込まれた「ス テロイドハ危険ダ」もそうでした)。
 この書籍のようなトンデモ本やテレビの捏造報道に、コロッと騙された大衆を科学的な説明で納得さ せるのは絶対に不可能です。


 ただ、だからといって、大衆心理は大衆個人にとって正しくても、統計学的にも科学的にも正しくあり ません。

 全てのモノ――つまり、食品そのモノや食品を作る過程で使うモノ、ありとあらゆる道具、自然界に在 るカタチのまま使用可能なモノから、人工的に合成したモノまですべて――において、
 ・「それを使わないことに因って得られる利益」
 ・「それを使わないことに因って生じる損失」
 ・「それを使うことに因って得られる利益」
 ・「それを使うことに因って生じる損失」
 が存在し、我々は「予想される利益」と「予想される損失」を天秤に掛けて、取捨選択しています。


 クルマを使うことに伴う環境破壊を問題視して、クルマを使わないようにする人は間違っていません し、クルマを使うことを便利だと考えたり、クルマに乗ることが愉しいと感じてクルマに乗る人も間違って いません。

 要は「リスクをどう捉えるか」であって、単純に「毒性があるから全てダメ」でもなければ、単純に「極微 量の毒だから無問題(後述しますが、閾値を考慮するのであれば「極微量の毒は無問題」です)」でもないのです。

 食品添加物を使うことに因って得られる利益
   - - - 消費期限・賞味期限の延長や手軽に美味しく,食欲をそそる色姿,加工食品を流通 ルートに載せて全国で消費してもらえる - - -
 よりも、食品添加物を使うことに因って生じる損失
   - - - 百倍の安全率でも毒は毒であり,様々な添加物の組み合わせがもたらす複合作用の 可能性が無限に存在する - - -
 を問題視するのであれば、食品添加物は“不可”です。

 一方、食品添加物を使わないことによって得られる利益
   - - - 万が一にも食品添加物の毒で健康に被害が及ぶ可能性をゼロに出来る - - -
 よりも、 食品添加物を使わないことに因って生じる損失
   - - - スグに腐ってしまうので加工食品を流通させて売ることができない(食中毒の可能 性),変色・姿崩れて食べる気になれない,美味しくするのに労力が必要 - - -
 を問題視するのであれば、食品添加物は“可”です。

 どちらの立場に立つかによって、食品添加物は“不可”にも“可”にもなります。
 この本がオカシイのは、端から「食品添加物は“不可”」というスタンスで書かれているという点にあり ます。 ですから、毒のハナシをする時に絶対に触れておかなければならない「閾値」について全く触れ ていません。
 ただ単に含まれている食品添加物の一覧をズラリと並べ、「どうです?こんなに『たくさん』の添加物 が入っているのですよ。 恐ろしいですね」と煽ります。
 そう言われれば誰だって恐怖感を抱きます。 かく言う私だって、嫁さんがこの本を買ってきて一読し た時は、戦慄しましたもの(読後、スグに我に返りましたが)。

 量の問題を度外視して毒のハナシをするのは、(少なくとも化学的に)褒められた姿勢ではありませ ん。
 おおよそこの世に存在し、呼吸もしくは飲食によって体内に入る全ての物質に「これ以上摂取すると カラダに影響がでる」という量(「閾値」と言います)が決まっています。
 もちろん個人差はあります。 ありますが、予想し得る最大の個人差を以ってしても閾値を超えないよ うに規制されているのが食品添加物です。  どんなに毒々しい色をしていても、加工食品の包装に数 十の添加物がズラリと並んでいても、予想し得る最大の個人差を以ってしても閾値を超えることはあり えません。

 食品添加物否定論者が伝家の宝刀として持ち出してくる「化学薬品の複合作用」にしても、実はたい した問題ではありません。
 複合作用を起こす化学物質が偶さか偶然に同じ食品に添加されていたと仮定しましょう。
 でも、そもそも添加されている量が僅かです。 微量+微量=大量ではありません。 複合作用の量 もまた微量でしかないのです。
 したがって、複合作用が極めて凶悪な猛毒性を発揮しない限り、微量の複合作用毒が人体に悪影響 を及ぼす可能性は杞憂に過ぎません。
 複数の化学物質を精製・合成することによって猛毒を作り出すことは可能です。
 しかし、それは、特別な装置の中で高温や高圧(あるいは低圧)で特定の手順で創り出される人為的 合成毒であって、それは単にAとBを混ぜて出来るモノではありません。


 肉団子だの無果汁ジュースだのって話は、それがジャンクフードだというだけの話で、「食品添加物 が恐ろしい」という意味の話ではありません。  コーヒーフレッシュに牛乳が使われていようがいまい が、コーヒーの味がまろやかになって無毒なら何も怒る必要はありません。 

 口の中に入れるモノに化学物質が含まれていることが問題なのではありません。
 食事という行為は、他の生き物の体を構成する - - - 蛋白質だとか糖質だとか脂質だとかビタミンだ とかミネラルだとか - - - を摂る行為でしかありません。  その内容の良し悪しは、あくまで適切なバ ランスにこそ在って、食品添加物の種類の多さではないのです。
 たしかに、食品添加物の効能に拠って、ジャンクフードがマトモな食品のように誤魔化されているのは 事実です。
 しかし、だからといって、食品添加物を排除しさえすれば、バランスの取れた栄養摂取が可能になる ワケではありません。  加工食品の包装に目を凝らして食品添加物を忌避しても、偏った食生活をす るのであれば何の意味もないのですから。

 「食品の裏側―みんな大好き食品添加物」という本は、本来ならば「栄養の偏ったジャンクフードは怖 い」という結論に至るべき内容なのです。  それを「食品添加物は怖い」という結論を予め設定して、 「栄養の偏ったジャンクフードは怖い」という結論を回避してしまっている点にこの本の歪みがありま す。


 もし貴方がアノ本を読んで、「食品添加物は恐ろしい悪魔の化学物質」だと思ってしまったのであれ ば、それは催眠商法に嵌ってしまったのです。
 「私の話を信じろ」とは申しません。  折角インターネットで(玉石混合ではありますが)様々な情報を 得ることができるのですから、納得の行くまで情報収集をするべきです。

 今一度訊きます。
 それでも食品添加物は「怖くて」「市販の加工食品は食べれない」のですか?


<参考リンク>

■【インチキ】トンデモ医師・作家・似非医療リスト【オカルト】
 http://bintan.ula.cc/test/read.cgi/engawa.2ch.net/cancer/1360150871/l10

1 : がんと闘う名無しさん
2013/02/06(水) 20:41:11.49 ID:1uojfxlQ
買ってはいけない・参考にしてはいけない、トンデモさんのトンデモ理論によるによるトンデモ医療、エセ医療。
癌は治療が難しい病気です。それゆえに、その治療の難しさを逆手に取って、本による金儲けや自分の野心実現に利用しようとする輩が後を絶ちません。
そういう間違った知識やインチキ医療を世間にふりまくトンデモさんたちを晒し、そのデタラメっぷりを暴露して、間違った治療を選択してしまわないよう、注意していこうというスレッドです。

あなたの信じるその医療、本当に大丈夫ですか?

ここで、名前があがっていないか、チェックしてみてください。
「こいつはトンデモだ!」と名前を挙げる場合、なぜその人がトンデモなのかという理由と、そのトンデモっぷりを暴露してください。


【代表的トンデモさんリスト】

■トンデモさんランク・S
【オカルト度100% トンデモ殿堂入り。】

船瀬俊介
なんでも「国家陰謀論」「国家利権論」といった拙論に結びつけ、癌患者や無知な人に「食品が危険」「電波が危険」などと国家陰謀思想の植え付けを行っているオカルト作家の代表格。
事実の捏造、脚色、デマは当たり前。白血病や悪性リンパ腫のような血液がんに対する先進医療すら否定し、「笑い」や「生きると思い込む力」や「キトサン」で白血病を治せるなどと主張する日本トンデモ本大賞で、名誉ある「大賞」も受賞している、チンピラレベルのトンデモ作家


■船瀬 俊介の著書(アマゾン)
 http://www.amazon.co.jp/%E8%88%B9%E7%80%AC-%E4%BF%8A%E4%BB%8B/e/B001I7PRPW


■経歴

http://joy-healing.jp/readings/special/26.html
船瀬俊介(ふなせ・しゅんすけ)
●1950年、福岡県田川郡添田町に生まれる。1969年、田川高校卒業後、九州大学理学部に進学。1970年、同大学を中退して、71年早稲田大学第一文学部に入学。同大学在学中は、早大生協の消費者担当の組織部員として活躍。学生常務理事として生協経営にも参加した。約2年半の生協活動ののち、日米学生会議の日本代表として訪米。ラルフ・ネーダー氏のグループや米消費者同盟(CU)等を歴訪。1975年、同学部社会学科卒業。
日本消費者連盟に出版・編集スタッフとして参加。1986年の独立後は消費者・環境問題を中心に評論・執筆・講演活動を行い現在に至る。この間、1990年にラルフ・ネーダー氏らの招待で渡米。多彩な市民・環境団体と交流を深めている。
地球環境問題、医療・健康・建築批評などを展開。

※『買ってはいけない』(金曜日)、『健康住宅革命』、『抗ガン剤で殺される』(以上、花伝社)、『クスリを飲んではいけない!?』(徳間書店)など著書多数。


■コンビニ弁当与えた豚に奇形、死産続出!
 http://deeksha777.blog88.fc2.com/blog-category-3.html

■「波動・情報転写による効果・性能をうたった商品」の表示に関する科学的視点からの調査結果について
 http://togetter.com/li/406282


※左翼の捏造、デマ、シンパ集め、大衆活動


http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/370.html

記事 [政治・選挙・NHK152] 内閣法制局人事と解釈改憲 揺らぐ「法の番人」 歴代長官が疑問 (東京新聞「こちら特報部」) 
http://asumaken.blog41.fc2.com/blog-entry-9555.html
8月10日 東京新聞「こちら特報部」


 安倍晋三首相は、内閣法制局長官の首をすげ替えるという荒業で、集団的自衛権の憲法解釈見直しに突き進む。「法の番人」「憲法解釈の番人」とも呼ばれる法制局長官。自らの意向に沿う人物に強引に代えるという禁じ手だ。海外での武力行使に道を開く重大な変更。改憲に匹敵することが、国民や国会の議論を経ないままに進められようとしている。 (小倉貞俊、荒井六貴)


◆「内閣全体で決める話だ」

 「内閣全体で決める話だ」。八日、首相官邸で内閣法制局長官の辞令を受け取った小松一郎氏は、記者団から「集団的自衛権問題にどう対応するか」と問われ、こう答えた。

 小松氏は過去の著書で、集団的自衛権の行使に関して容認論を展開するなど、解釈変更に前向きとされる。菅義偉官房長官は記者会見で、小松氏の起用について「国際法の分野をはじめ豊富な知識と経験を持っている」と説明。憲法解釈の見直しについては「あくまでも内閣の責任において行う」と強調した。集団的自衛権の行使について、内閣法制局は一貫して、憲法九条との関係で行使できないとの立場をとってきた。

 一九五九年、林修三長官は参院予算委員会で「外国を援助するために武力行使を行うという集団的自衛権は、憲法に認められている自衛権の範囲には入らない」と答弁。その後も高辻正己長官が「わが国と連帯的関係が仮にあるとしても、他国の安全のためにわが国が武力を用いるのは憲法九条の上では許されないだろう」、吉国一郎長官が「他国への侵略を自国への侵略と同じように考え、その他国が侵略されたのを排除するための措置を取るのは憲法九条で容認していない」と述べるなど一貫して行使を禁じてきた。

 八一年の政府答弁書で「国際法上は集団的自衛権を有しているが、わが国を防衛するため必要最小限の範囲にとどまるべきで、集団的自衛権の行使はその範囲を超え、許されない」とし、現行の憲法解釈が確立した。

 八三年には角田(つのだ)礼次郎長官が解釈変更について「集団的自衛権の行使を憲法上認めたい、という考え方を明確にしたいなら、憲法改正という手段を取らない限りできない」と答弁した。

 湾岸危機の際、米国に国際貢献を迫られた海部政権は九〇年、自衛隊による多国籍軍の後方支援を盛り込んだ国連平和協力法案を提出。「国連決議に基づく集団安全保障措置は合憲」という新解釈に踏み込もうとしたが、工藤敦夫長官は「武力行使と一体化すると評価される参加は憲法上許されない」と答弁し、ブレーキをかけた。

 イラクに自衛隊の本格派遣が始まった二〇〇四年には、安倍晋三自民党幹事長が「国際法上で権利(集団的自衛権)を有しているのであれば、わが国は国際法上それを行使することができるのか」と質問。秋山収(おさむ)長官は「国家が国際法上で集団的自衛権を有しているとしても憲法その他の国内法によりその権利の行使を制限することはあり得る」「集団的自衛権は憲法上行使できず、その意味において、保有していないと言っても結論的には同じである」と切り返した。

 そもそも、内閣法制局は、どんな組織なのか。

 一八八五年に、内閣制度の発足とともに内閣直属の「法制局」として設置。一九六二年に今の内閣法制局になった。

 憲法や法令の解釈で疑問があったり、各省庁間で見解が分かれたりした場合、意見を述べる。また、内閣が提出する法律案や政令、国会の承認が必要な条約が、憲法などと矛盾しないかなどをチェックする。

 職員数は約八十人で、幹部候補(キャリア)である総合職は独自に採用しておらず、長官ら幹部を含め過半数は他省庁出身者で占める。

 歴代長官は、すべて内部から昇格している。大蔵(財務)省や自治(総務)省、通産(経済産業)省、法務省から内閣法制局に参事官として入り、憲法解釈を担当する第一部長を経て、ナンバー2の次長、それから、長官に昇格するコースが続いてきた。コースが固定されていたのは、時の政権に都合のよいような人事をさせないようにするという狙いもあった。

 小松氏の就任は、内部昇格の慣例からはずれ、外務省出身者の起用は初めてで、極めて異例だ。

 歴代の長官経験者はどう見ているのか。

 第一次安倍内閣で、長官を務めた法政大法科大学院の宮崎礼壹(れいいち)教授は「国会で、急な答弁を求められることもあり、法律の専門集団として、修練が必要だ。長官は頭がいいだけでは務まらない」と指摘する。

 宮崎氏は否定するが、長官当時、安倍首相から解釈の変更を指示され、宮崎氏は激しく抵抗したといわれている。集団的自衛権の行使について、「自衛隊がどこまでの範囲で活動できるかというのは、周辺事態法などで議論を積み重ねてきた。一貫して行使できないと言ってきた。国民にそう説明してきたのに、解釈次第で行使できるというのは、理解に苦しむ」と話す。

 「行使を容認するのは、これまでの政府解釈を百八十度ひっくり返すことになる。行使できるようにするには、憲法を変える必要がある」

 小泉政権で長官だった阪田雅裕弁護士は本紙のインタビューに「長官が交代したからといって、見解が好きに変わるものではないし、もしそうなら法治国家ではあり得ない。法制局は論理の世界で、政治的判断が加わる余地はない」と言い切っている。

 別の長官経験者の一人は「湾岸戦争以降、憲法九条の『武力行使はできない』という大筋は変えずに、具体的な事態に対応するため、議論してきた。今回は米国への攻撃を想定しているが、米国は本当に、日本に行使を望んでいるのか。想定が抽象的すぎて、議論する対象と感じない。法制局がしゃかりきに解釈を変えようとしても、国民が納得しなければ、意味がない」と冷ややかに見る。

 高作(たかさく)正博関西大教授(憲法学)は「これまでの政府見解では、憲法を変えないと行使できないとされ、国民の判断に委ねられているはずだ。解釈で変更するのは、国民の判断する権利を奪うことになり、クーデターに近い」と批判する。

 「立法の中枢 知られざる官庁 内閣法制局」の著書のある西川伸一明治大教授(政治学)は、内閣法制局のあり方が試されると指摘する。

 「内閣の言いなりで解釈を変えるのは、『法の番人』としての意味がなくなり、自殺行為だ。憲法はそのままで、時代が変わったから、集団的自衛権を行使できるという論理は成り立たない。法治国家として憲法を破壊する行為は許されない。長官経験者らが苦言を呈するのは、現役の職員に向けたエールだろう」

<デスクメモ> こんなことで、法治国家といえるのだろうか。長い時間をかけて積み上げてきた憲法解釈が、時の政権の意向で簡単に変更されてしまう。憲法そのものの権威もおとしめる。変更したいなら、正々堂々と改憲を国民に問うべきだ。それができないから、小ずるい手段をとるしかないのだろう。 (国)



http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/371.html

記事 [政治・選挙・NHK152] 狙われた山本太郎参議院議員(社会科学者の時評)
フライデーの若者イジメ,そのようなヒマがあるならば,もっと強大の支配・体制側に立ち向かえ〔といっても無理か?〕 大日本雄弁会講談社の質的劣化−大衆のために雄弁たれ,山本太郎をいじめてなんになる?

原子力村からの刺客,その第2投
本ブログは,「2013.8.7」「■狙われた山本太郎参議院議員■」「◎ 悪い予感が当たったか? めざわりな奴は「葬れ(!)」ということか ◎」「【原子力村からの刺客,その第1投】」をもって,山本太郎参議院議員が,広義の意味では「原子力村」からのものといえる,ほぼ人身攻撃に近い嫌がらせ的なマスコミの言論:ダメージ・アタックを浴び出したことを指摘してみた。

本日の新聞広告には「その第2投」らしいその山本議員に対する攻撃(襲撃)が宣告されている。雑誌名は『フライデー』,2013年8月23・30日号である。出版社は大手の講談社である。その記事の題名は「山本太郎&実母 &元嫁 全員告白『スピード離婚と嫁姑不仲の真実』」である。この記事の内容の真偽に関する事実がどうあれ,このように山本を必死の形相で追跡し,イエロー・ジャーナリズム風の低質論調で雑誌の煽情的な記事を制作すれば,これで売上が上がるのかもしれない。

講談社は岩波書店に対抗する日本を代表する最大手出版社のひとつであるが,大衆を善導するよりも「原子力村」の応援団をやっていたほうが,多分というか間違いなく,実入りがいいのかもしれない。なまじ「いまでも反原発や脱原発に親和性のある記事」を書いたら,広告収入が落ちる恐れがある。それよりも,その原子力村関係の利害集団群に喜ばれるような記事,それも攻撃の容易な山本太郎参議院議員を標的に,しかも,ちまたの老若男女がいかにも飛びつきそうな,週刊誌的な話題で攻めようとしている。

『フライデー(FRIDAY)』は、講談社1984〔昭和59〕年11月9日に創刊した,毎週金曜日に発売(原則)する写真週刊誌である。同じ金曜日に発行する別の雑誌『週刊金曜日』(最新号は本日発売:2013年8月9日/955号,定価 580円)とは関係がなく,知的レベルではいえば,後者は「知」で語れる編集内容であるのに対して,前者まさに「痴」の世界に迷いこんだような記事があふれんばかりの週刊誌である。

山本太郎参議院議員ぐらいについては,たまにはシャレでもいい,一度は応援してやってみたらどうか? それで,もしも,広告が減るような日本の産業社会であることが再確認できたら,それはそれで面白くはないか? そこからまた新しい記事が書けるのでは? なに,そういうのは絶対「嫌」だって? そんな冒険はしたくない,っていうの?
出所)http://ameblo.jp/rush08/entry-11578250233.html

なお,山本太郎のオフィシャル・ブログは,こう応答している。
僕へのバッシング報道は,僕自身の心が折れるまで続きます。僕を自殺させれば気が済むんでしょう。僕が皆さんにお伝えしたいのは,こういったバッシングに惑わされないでほしいということです。本日(8月7日)の記者会見でも話しましたが,相手側の狙いは三つです。
 一つ目,山本太郎の精神構造を破壊すること。
 二つ目,山本太郎の信用と議員生命を奪うこと。
 つぎが一番大切な部分です。
 三つ目,汚染水漏洩問題,被曝問題,地震国での原発推進,TPP交渉参加,生活保護引き下げ,憲法改悪など,99%の人に対する切り捨て,すなわち,今一番目を向けなければいけない社会問題から目を逸らすこと。
註記)要は,山本太郎を攻撃している特定集団は,三つ目を潰すために,一と目と二つ目を狙っていることに注意したい。

僕は脱原発,脱被曝,反TPP,反貧困,反憲法改悪などの運動が結集することをめざしています。これらの勢力が結集することを一番嫌がるのは誰なのか,考えていただければわかると思います。1人も切り捨てさせない社会をめざすには,最初に突きつけられたこのトラップなんて可愛いものです。この先もずっと続くネガティブキャンペーンに目を奪われることなく,本質を見据えて,この国を,世界を変えていきましょう!
http://pub.ne.jp/bbgmgt/?entry_id=5000082

http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/372.html

記事 [政治・選挙・NHK152] これでもワタミはブラックじゃないと言い切れるのか? (simatyan2のブログ) 
これでもワタミはブラックじゃないと言い切れるのか?
http://ameblo.jp/usinawaretatoki/entry-11590432185.html
2013-08-11 09:19:42NEW ! simatyan2のブログ


以前に女性従業員が過労死したり、過労死ラインを超える長時間残業をさせ、
ブラック企業として名を轟かせたワタミが、それ以外にも複数の視野を出し
ていることが判明しました。


ワタミグループの介護事業では過去、87歳の男性と74歳の女性を死亡
させています。


それが新たに今年5月に介護付き有料老人ホーム「レストヴィラ弁天町」
(大阪市港区)で70代女性が入浴中に死亡していたことがわかったのです。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130708/crm13070822010012-n1.htm


昨年の板橋区にあるレストヴィラ赤塚で74歳の女性が入浴中に溺死した
事故では、ワタミは遺族に


「10分間、目を離した間に心肺停止になった。
 病死の可能性が高い」


と報告していましたが、警視庁高島平署が施設内の防犯カメラを押収して
調べたところ、ワタミの説明が虚偽と判明したという悪質なものです。


その前の87歳の男性を死亡させた事故では渡辺氏が遺族に


「1億欲しいのか」


との暴言を吐いたことが有名ですね。


男性の家族は


「渡辺さんのあの一言は精神的に 大きなダメージになり、
 いまでも忘れることができません」


と話しているそうです。


そのため今回の大阪の事故でも大阪府警港署は業務上過失致死容疑の可能性
もあるとみて、施設の職員らから当時の状況を聴取するなどして、慎重に
捜査を進めているんですね。


また「ワタミの宅食」では、“偽装請負”の疑いがあることがわかった
そうです。
http://shukan.bunshun.jp/articles/-/2908


しかし渡辺氏は


「私は政治に専念するためにワタミの役員を辞任したところであり、
 回答する立場にありません」


と逃げています。


こうした疑惑が多いからこそワタミがブラック企業と言われる所以なのですが、
選挙のとき池上さんが疑問を投げかけた時には動画にある返答をしています。



ここでは、


「一つの事故を取り上げてブラックというなら世の中ブラック企業だらけだ」


と言っています。


 しかし4人もの死亡者(氷山の一角かもしれない)を出して、警視庁と
大阪府警から業務上過失致死の疑いがあると捜査され、偽装請負の疑いも出て
いる企業が果たしてまともな企業と言えるのかということですね。


これも明るみに出た分だけですから、調べればもっと出てきそうな気がします。


でも自民党議員になっちゃいましたから今後、都合の悪いことは握りつぶして
しまうかも知れませんね。



http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/373.html

記事 [政治・選挙・NHK152] 8月11日 ]氏(森前議員協力のフィクサー)が一市民Tに語った!「検察捏造報告書をロシアサーバー通し八木氏に流したのは私
8月11日 ]氏(森前議員協力のフィクサー)が一市民Tに語った!「検察捏造報告書をロシアサーバー通し八木氏に流したのは私です」
http://civilopinions.main.jp/2013/08/811.html
2013年8月11日 一市民が斬る!! [Civil Opinions Blog]


森前議員、平野貞夫氏、]氏は、判決前までは、裏で最高裁を攻めていた。一市民Tも加勢していた。だが、判決直前に、彼らは追及先を最高裁から検察に変えてしまった。
 http://civilopinions.main.jp/2013/08/89_1.html
 http://civilopinions.main.jp/2013/08/810_1.html
 
 驚くべきことに、捏造報告書をネットに流出させたのは森前議員側だった。
 それも、市民に気づかれないような手を使った。
 この流出を利用し、最高裁検審疑惑をそのままにして、追及先を最高裁から検察に上手に変えたのだ。


 <]氏「ロシアのサーバーには私が流した」>

 流出事件から1年近くたった今年3月、久々に]氏から電話があった。
 その]氏から驚愕の情報をもらった。
 「志岐さんの最近のブログには一つだけ間違いがある。志岐さんは捏造報告書を流出させたのは最高裁だと言っているが、それは違う。私がロシアのサーバー通し八木氏に流した。どこから誰が流したか完全わからないようにして出した」

 流出が伝えられた直後の]氏も参加したある会合で、某ブロガーが]氏に「]氏なら出来るよね。貴方がやったんじゃないの」と言ったが、その時はにやにやしているだけだったことを思い出した。


 <]氏が流したということは森前議員側が流したということだ>

 ]氏は、森前議員、平野貞夫氏を信頼しており、いつも両氏の指示を仰いで行動していた。両氏のためなら何でもやるという感じの男だ。
 両氏も]氏を頼りにしているようだった。
 X氏は、週刊実話でフィクサーと書かれるだけあって、多くの情報を持って裏で動ける人だ。「斉藤検察官の議決後の検審説明」「二階議員特許庁汚職」など凄い情報を両氏に提供していた。記者との付き合いも多く、週刊朝日に二階汚職のネタを持ち込み掲載させるなどしている。コンピューター専門家でもあり審査員ソフトの解析でも活躍した。彼にとっては出処を隠してインターネットに流出させることなど朝飯前なのだろう。

 しかし、]氏が検察と大きなコネクションがあるといっても、個人で捏造報告書を入手することはできない。入手に当たっては、小沢氏から事件の外部折衝をまかされていた森前議員が関与していたとみた方が自然だ。
 また独断で]氏が八木氏に捏造報告書を届けることもしないはずだ。
 これも森前議員側の指示によるものと思われる。
 森前議員と八木氏は流出後すぐに、「司法改革を実現する国民会議」を結成し検察追及を始めたことも、森前議員側の流出関与をうかがわせるものだ。


 <森前議員は2つの流出事件について自分には関係ないととぼけている>

『判決がいよいよ2日後に迫った4月24日、ついに切り札は現れた。「週刊朝日」が、東京地検特捜部の謀略をスクープしたのだ』(「検察の罠」P182、183)
 捏造報告書が出されたことは小沢公判で明らかにされていた。大したスクープでない。森前議員は大仰に書いて捏造報告書の存在をことさら大きくしたかったのだろう。
 一市民Tは週刊朝日に捏造報告書を持っていったのも]氏ではないかと思っている。

『 ...捏造報告書は、それからしばらくして誰でも読めるようになった。田代検事の作成した捜査報告書が5月2日にネット上に流出したのだ』(「検察の罠」P217)
森前議員は]氏が流出させたことを知っているはずだ。張本人が他人事にように書いている。


 <裏で捏造報告書をこっそり八木氏に届け、表で八木氏と繋がり「捏造報告書による誘導」と騒ぐ>
 
 なかなか手が込んでいるのである。
 森前議員らは、捏造報告書をこそっと流出させて、八木氏に騒がせる。
 騒ぎはじめた八木氏とさらに2人で騒ぐ。
 こうして、捏造報告書の存在を多くの人が知ることになった。
 捏造報告書の存在を知った人は、審査員が存在し、報告書で誘導されたと思い込んでしまう。
 さらに、森前議員は「議決は検察の捏造報告書による誘導だ」という発言を集会や著作などで繰り返した。

 かくして、検察捏造報告書誘導説が世に受け入れられた。

 今もって審査員がいるという確たる証拠はない。
 審査員が存在したら、起こりえない状況が沢山ある。
 これらの疑惑は今もって解明されていないのに、捏造報告書の存在だけで、審査員がいたと決めつけている。

 森前議員は捏造報告書を流出させ、最高裁の犯罪に蓋をした。
 
 今すぐやらなければならないのは、検審疑惑の解明である。

 

http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/374.html

記事 [政治・選挙・NHK152] 「集団的自衛権の容認で、原発をもつ日本は放射能の海になるのでは……」−安心革命
 私は日ごろから、尖閣諸島での中国の挑発的行動に怒るとともに、中国は本気に戦争をするつもりだろうかと、いぶかっていました。軍事の事はあまりわからない私ですが、戦争になれば、日本の自衛隊が勝つのではないかと、身びいきながら、思っていました。

 しかし、ある時ふと、中国の軍参謀になってみたらどうだろうかと思いました。きっかけは簡単です。南半球からみた逆さまの地図が手元にあったからです。中国から敵国・日本を見てみようと思いました。

 愕然としました。日本を攻撃するのに、核はいらない。性能の悪いミサイルで十分です。日本には50数基の原発があります。それらを集中的に狙えばよいのです。ボロミサイルでも数多く打てば、どれか当たります。日本国中放射能の海です。

 中国の傍若無人ぶりがわかったような気がしました。中国の軍首脳は、簡単に日本に勝てると思っているのではないか。お腹を開けて、「どうぞ、攻撃してください。日本に核を落とす必要はありません。通常の兵器で十分です。すぐ放射能の海になり、我が国は壊滅します」と日本は言っているように思いました。

 折しも、集団的自衛権を容認する内閣法制局長官に変わりました。憲法9条の下でも、憲法を改正せず、解釈により海外派兵できるようになります。アメリカの要請により、自衛隊(国防軍)がアメリカと一緒に戦うことになります。

 安倍首相は、集団的自衛権の容認でアメリカがついていると思い、中国に強く出ます。尖閣諸島でいざこざが起こります。政府と自衛隊(国防軍)は尖閣諸島に限定した戦争と考えるでしょう。しかし、軍を尖閣諸島に集中している時、不意を突かれて日本国土の原発が爆発します。

 日本が攻撃されたという大義名分を得たアメリカは、集団的自衛権のもと中国を攻撃するでしょう。日本人で生き残るのは、海上にいる自衛隊(国防軍)だけになるでしょう。戦争で日本は壊滅し、自衛隊(国防軍)はアメリカ軍に編入されるでしょう。

 平和ボケはむしろ意思決定者の方ではないでしょうか。意思決定者は、日本と中国の紛争を小規模なものと考えているようですが、ひとたび戦争になれば、大も小もありません。勝てばよいのです。日本の本土が狙われます。

 もし、中国との戦争を安倍内閣と自衛隊が想定しているならば、最も危険な原発を廃止し、幅30メートルほどの石とセメントで固め、狙われても放射能が漏れないように、なぜしないのでしょうか。不思議でなりません。

 私の危惧に対して、読者のみなさん、どう思いますか。私の疑問は初歩的なものでしょうが、納得のいくご意見をお聞かせください。

http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/375.html

記事 [政治・選挙・NHK152] 〈永田町全真相〉 安倍政権のアキレス腱「TPP」 痛み分けで差し込まれる日本(ZAKZAK) 
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20130811/plt1308110730000-n1.htm
2013.08.11


 「まったく情報が漏れてきません。守秘義務がキツくても、100人もいれば、どこからか話が入るんですけどね」

 経産省OBが話すのはTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)の進ちょく状況だ。

 7月23日〜25日、マレーシアで正式交渉に初めて参加した日本。今月22日からは、ブルネイで次の会合に臨む。マレーシアには交渉官ら政府チーム100人が出向き、1000ページ超の交渉内容の資料を読み込むなど対応に当たった。

 今月4日、100人が埼玉県内の公務員研修所に泊まり込み、再度資料を読み直したという。

 「読み始めると、知らなかった内容が山ほど出てきたようだ。これまで集めた情報の中には、いわゆるガセも多かったと。『途中から入るハンディは相当だ』と後輩は言っていた」(同OB)

 情報が漏れてこないのは「箝口(かんこう)令が敷かれている」か、「農産品などの例外品目の交渉が難しい」かのどちらかだが、OBは「後者の印象だ」という。

 安倍晋三首相は「一歩も引かない」と、コメなど農産品5品目については譲らない姿勢を示しているが、今後の交渉はどうなりそうか。

 「TPPは11カ国が相手だが、交渉の最大のヤマ、言い換えれば最大の敵は米国だ」

 そう話すのは、自民党政調担当幹部だ。

 「米国の通商交渉は恐ろしいほどしたたか。あらゆるものを絡めてくる。かんぽ生命保険と、米医療保険最大手のアフラックの提携強化もそうだ。いま二国間協議をしている非関税障壁問題でも自動車の緩和など要求してくる。つまりバーターだ。TPPとは別の話なのに、農産品を聖域にしたいなら他で譲れと。今後もどんどん追い込まれる可能性がある」

 いまさら、「TPPから降りるわけにはいかない」(同幹部)中で、「聖域を守り、他のバーターもそれなりにはね返すといった対米姿勢を貫けるかどうか」(同)は、安倍首相の政治決断にかかっている。

 一方で、自民党のベテラン議員は。「最後は痛み分けの数字ゲームになる」可能性を示唆する。

 「今後10年とか12年とか目標年度を決め、そこに向かって段階的に関税を引き下げていく。農水省では、そうしたシミュレーションに着手しているという話を聞いた」

 TPPに懐疑的な農業、医療、知財などの関係団体は、交渉の行方次第では安倍政権への批判勢力に変貌する。TPPは政権のアキレス腱だ。(政治ジャーナリスト・鈴木哲夫)



http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/376.html

記事 [政治・選挙・NHK152] 真夏の“怪”? 共産党「躍進」なのに『赤旗』は大幅減(産経新聞) 
7月の参院選で当選し、臨時国会に初登院した8人の共産党議員たち=8月2日、国会(財満朝則撮影)


真夏の“怪”? 共産党「躍進」なのに『赤旗』は大幅減
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/676030/
2013/08/11 10:53 産経新聞


【高木桂一の『ここだけ』の話】

 7月の参院選で12年ぶりに選挙区で議席を獲得するなど「躍進」を果たした日本共産党だが、党勢拡大の基盤たる機関紙「しんぶん赤旗」の購読部数は同月、大幅に減少していた。参院選の結果について、共産党指導部は「従来の支持層以外からも幅広く支持を得た」と胸を張っている。ならば機関紙の部数は増えてよさそうだが、選挙真っ只中での「赤旗」の後退は「やはり…」ということらしい。

 共産党関係者によると、7月の「赤旗」購読部数は前月比、日刊紙(月額3400円)が5411部、日曜版(同800円)が2万2204部それぞれ減らし、トータルで2万8000部近く落ち込んだ。

 とりわけ党の財政基盤となる「赤旗」日刊紙の購読者数はこの10年余の間に36万人から24万人余に後退していたが、ついに「23万部割れ」となった。3日付「赤旗」日刊紙で岩井鐵也党建設委員会責任者は「日刊紙は23万を割るという事態にあり、この課題が緊急課題だ」と危機感を示し、8月の巻き返しを党内に呼びかけた。

 共産党はこれまでも、国政選挙前の数カ月に「赤旗」購読者数拡大への「大号令」を全党にかけ、部数を瞬間風速的に増やしながら、選挙中にそれを減らすのが“通常”だった。同党幹部はその理由をこう打ち明ける。

 「『選挙まで赤旗をとってほしい』と知人に期限付きで購読を無理強い頼み込み、部数を増やしてきたケースが多いからだ。また選挙期間中は党員も選挙運動に専念せざるを得ず、赤旗の部数拡大まで手が回らない事情もある」

 共産党関係者によれば、「赤旗」日刊紙は4月に119部、5月に778部、6月に595部増え、日曜版も4月に3039部、5月に4277部、6月に4644部拡大した。しかし7月にその“貯金”を使い果たすどころか、参院選に向けての「赤旗」読者拡大運動をスタートさせる前より減らしてしまっているのが実情のようだ。

 ちなみに日曜版の増減幅が大きいのは、月額購読料が日刊紙より格段に安いため、購読者数を一時的ながら増やしやすいからである。

 志位和夫委員長は2月の第6回中央委員会総会で、「赤旗」購読者数について「7月の参院選前に(平成22年の)前回参院選時の回復をめざす」とぶちあげたが、結果的に7月の参院選前には前回参院選時の数に大きく届かず、さらに7月に後退させてしまったのだ。

 共産党は23年7月に開催した第3回中央委員会総会(3中総)で同年9月からの「赤旗」値上げを決め、党勢拡大のための「大運動」の号令をかけた。講読部数24万部の「赤旗」日刊紙の赤字が毎月約2億円にのぼるため、購読料を月2900円から3400円に値上げした上、部数を2万部増やす目標を掲げていた。それが日刊紙を26万部に増やすどころか、「23万部割れ」である。

 とはいえ、今の共産党は「赤旗」を年々減らし続けてきたこの10年余とは“勢い”が違う。12年の志位委員長−市田忠義書記局長体制発足後、国政選挙で「8連敗」を喫していたこの党が、15年ぶりに躍進を果たしたのだから、普通に考えれば7月の「赤旗」購読者数は増えていてもおかしくないだろう。

 参院選の結果について「自民党の“暴走”を食い止めようと訴える日本共産党の主張に無党派層、とくに若い層の共感を得た」と党幹部は強調しているが、その無党派層を「赤旗」購読までつなげるのはやはり一筋縄でいかないということだ。

 なおも党の理論的支柱とされる不破哲三元議長は「軒下に雨宿りしている人々に、どうやって家の中に入ってもらうかだ」と周囲に語っているというが、参院選で共産党の躍進をもたらした無党派層の支持も緊急避難的要素が強く、“本物”ではなかったことが、7月の「赤旗」後退でも浮き彫りになった。「とりあえず共産党に票を入れとくか…」程度の有権者も多かったということだ。

 日刊紙の「23万部割れ」に危機感を抱く共産党は去る6日、党本部で全国都道府県組織部長・機関紙部長合同会議を開き、党勢拡大の「歴史的チャンス」を逃さず、「赤旗」購読者と党員の拡大に向け「8月攻勢」をかける方針を打ち出した。同会議で市田書記局長は「『鉄は熱いうちに打て』ということわざがある。この8月からスタートダッシュすることが大事だ」と訴えたという。

 共産党広報部によると、今回の参院選後、党本部に直接入党を申し出てきた人は計200人を超えた(9日現在)。かつてない勢いとかで、今後「赤旗」購読者と党員を飛躍的に拡大させていく素地は十分できつつあるという。まずは猛暑のなかで展開される「8月攻勢」の帰趨が注目される。(政治部編集委員)



http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/377.html

記事 [政治・選挙・NHK152] ◎ 派遣法は我が国をダメ国家に陥れた根本原因の『超悪法』であるかもしれない。
・ 『企業は人なり』という言葉がある。 これは「最終的に企業の命運を左右するものは当に”人”そのものである。」という意味であって、”人”の重要性については今更申し上げるまでもなく、社会、しいては国家でさえ命運を左右するものが”人”であることは多くの人が実感しているところである。

・ ところが現実社会は”人”をないがしろにする風潮が横行しており、当に社会は病んでいる状況にある。 どうやら人類は人種差別の撤廃に成功したかのようであるが、新たに社会的差別を創りだしたようだ。 人を大事にしない社会。 ここに至った原因は色々あると思うが、大きな理由の一つが先に述べた派遣法にあることは先ず間違いない事実である。

・ とどのつまり派遣法というのは国家が社会を牛耳っている大企業に与えた悪法なのである。 私はここに派遣法の即時撤廃と永久追放を改めて提案するものである。


何時の世も
時によっては大勢の
犠牲を伴い泣き叫ぶ
いつしか記憶の移ろいは
時の彼方に葬られ
栄える者が生き残る


http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/378.html

記事 [政治・選挙・NHK152] 山本太郎、円満な協議離婚 原因は市民運動によるすれ違いか(NEWS ポストセブン) 
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130811-00000011-pseven-ent
NEWS ポストセブン 8月11日(日)16時5分配信


 昨年5月、交際1か月で18才年下の元プロサーファー・Aさん(20才)と電撃入籍をした山本太郎(38才)が、わずか92日でスピード離婚していたことを告白した。

 入籍から約1か月後の昨年6月、Aさんは新婚生活について、「私は太郎さんと太郎さんのお母さんに出会い、生まれて初めて愛情に包まれた毎日を送れるようになったんです」と話していた。虐待を受けていた義父からの嫌がらせに苦しんでいたものの、山本と彼の母親のサポートのもと、それを公にすることで、自由を手にしたと喜んでいたのだ。

 山本によれば、離婚原因は、市民運動のために山本が大阪の家に月に3回ぐらいしか帰れなかったことで、彼女から「しんどい」と何度か聞かされたという。母親と同居していたものの、実の娘のようにかわいがっていたので、そのストレスはなかったはずと、山本は言う。

 その説明には、そもそも偽りの愛だったのではないか、などとつっこみを入れたくもなるが、ともかく双方の不貞はなく円満な協議離婚。前妻は義父とのトラブルがあるため、本籍も山本の自宅になっており、名字も変えていない。公表しなかったのは、義父に知られて連れ戻されるのを回避するためだったという。

「若い妻を守る山本さんに、脱原発で政府と闘うだけでなく、家庭でも正義のヒーローという感じを受けた人も多かったでしょう。それがたった3か月で離婚していたというのを、選挙が終わったいまになって明かすなんて、有権者にしてみればだまされた気分ですよね」(全国紙記者)

※女性セブン2013年8月22・29日号


http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/379.html

記事 [政治・選挙・NHK152] 日本を操る赤い糸〜田中上奏文・ゾルゲ・ニューディーラー等 第1章 日本悪玉説のもと、『田中上奏文』
基本的に菅沼さんの分析と同じですね。

第二次世界大戦はアメリカとソ連の陰謀。


「ほそかわ・かずひこの<オピニオン・サイト>」から
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion07b.htm


第1章 日本悪玉説のもと、『田中上奏文』

20世紀以降、日本は、共産主義の活動によって、大きく進路を狂わされました。実態は、まだ明らかになっていないことが多くあります。その真相を究明することなくして、日本の進路を軌道修正できない点があります。そこで、以下において、『田中上奏文』、ゾルゲらの共産主義者とそのシンパ、「ハル・ノート」、中国共産党による『日本解放綱領』等について考察したいと思います。


第1章 日本悪玉説のもと、『田中上奏文』

東京裁判において、日本は、国家指導者の共同謀議によって、昭和3年(1928)以来、計画的に侵略戦争を行ったとして、断罪されました。その裏付けの一つとされたのが、『田中上奏文』です。

中国語では「田中奏折」と記し、英語では「The Tanaka Memorandum」または「The Tanaka Memorial」と記します。「田中メモ」であれば個人的な覚書ですが、「田中メモリアル」となれば歴史的な価値のある文書という意味となります。この文書が偽書であることは、既に国際的に定説となっています。欧米でも『エンサイクロペディア・アメリカーナ』や『ブリタニカ』に、「偽造文書」と解説されています。しかし、今も中国のみはこれを本物として、対日外交に利用し、南京事件もこの文書に書かれた計画の一例としています。

『田中上奏文』の虚偽を徹底的に明らかにしなければ、日本の汚名をぬぐうことはできず、国際社会における正当な地位を回復し得ないのです。

 この20世紀最大の謀略文書について、最近、ソ連が捏造したものだという新説が出ています。また、中国では田中上奏文は存在しなかったという見方が主流になりつつあるといいます。もしそうだとすると、わが国は、共産主義の謀略に見事に嵌められたことになります。
 この文書がどういうものかということを振り返りながら、明らかになりつつある実態を確認してみたいと思います。

◆あり得ない文書が登場

『田中上奏文』には世界制覇の野望に基づく計画が書いてあり、天皇も承認した、それを実行に移したのが昭和3年の張作霖爆殺事件だ、その後の日本の行動はこの文書に書かれた計画に基づいている、という説が流布されています。
文書の一節には、「世界を征服しようと欲するなら、まず中国を征服せねばならない。中国を征服しようと思うなら、まず満州と蒙古を征服しなければならない。わが国は満州と蒙古の利権を手に入れ、そこを拠点に貿易などをよそおって全中国を服従させ、全中国の資源を奪うだろう。中国の資源をすべて征服すればインド、南洋諸島、中小アジア諸国そして欧州までがわが国の威風になびくだろう」とあるとされます。
『田中上奏文』の「田中」とは、昭和初期に首相を務めた陸軍大将・田中義一のことです。田中内閣が発足したのは、昭和2年(1927)4月20日。シナでは、軍閥、コミンテルン、共産党等が絡む事件が続き、わが国のシナへの対応が難しくなっていた時代です。
田中は組閣に当たり、昭和天皇より、外交には特に慎重熟慮するようにとの御言葉を賜りました。そこで、田中は、根本的な大陸政策を確立するために一大連絡会議を開きました。この東方会議の議決に基いて田中首相が天皇に上奏し、天皇が署名したとされるのが、『田中上奏文』です。そして、『上奏文』の計画の実行の第一歩として、昭和3年6月、関東軍は張作霖事件を起こしたとされるのです。

しかし、実際は、全く異なります。張作霖事件について、陸軍は真相を隠して事件の揉み消し工作をしたというのが通説です。田中義一首相は責任者を厳しく処分すると天皇に申し上げたのですが、真相究明に一年もの時間を掛けた挙げ句、白川陸軍大臣があれは陸軍が関与したのではないようだったので、行政処分にしましたと上奏したのです。すると天皇は、汝の今言っていることは前回に自分が総理に命じ、総理が約束したところと違っている、そんなことでは軍の規律を維持できない、と激しくお怒りになりました。田中首相は、お目通りもかなわない。そこで田中は非常な衝撃を受け、田中内閣は即日、総辞職。首相は謹慎して3ヶ月足らずの後に、狭心症で亡くなりました。
田中首相が上奏した文書を、天皇が承認して、計画を実行したなどということは、あり得ない話であるわけです。
昭和天皇は自ら立憲君主であろうとされ、政府が決めたことは、ご自分の意思にかかわらず、そのまま承認することに徹しられました。天皇がそのように徹するようになったきっかけこそ、田中義一首相の辞職事件だったことが、『昭和天皇独白録』に記されています。昭和天皇は、「この事件あつて以来、私は内閣の上奏する所のものは仮令自分が反対の意見を持っていても裁可を与える事に決心した」「田中に対しては,辞表を出さぬかといったのは、ベトー(=天皇の拒否権)を行ったのではなく、忠告をしたのであるけれども、この時以来、閣議決定に対し、意見は云ふが、ベトーは云わぬ事にした」と『独白録』に記されています。例外は、2・26事件と終戦のご聖断の2回のみです。

今日『田中上奏文』または『田中メモランダム』『田中メモリアル』と呼ばれる文書の存在に、日本政府が気づいたのは、昭和4年(1929)の9月でした。その時点で、すでに中国語版と英語版の両方があったようです。そして12月に、初めて中国語版の全文が活字の形で公表されました。漢文では『田中奏折』といいます。文書は、南京で出版された月刊誌『時事月報』の誌上に掲載されました。翌5年2月、わが国の外務省は中国各地の領事館に対し、流布の実況を調査し、中国官憲に抗議、取締りを申し入れるよう訓令しました。
英語版の公刊は、昭和6年(1931)9月、上海の雑誌『China Critic』に出たものが最初とされます。1930年代、米国で英語版のパンフレットが作られ、世界各国に広く配布されました。ソ連に本部のあるコミンテルンは、昭和6年12月、雑誌『国際共産主義者』にロシア語版を発表しました。

英訳された『田中上奏文』は、米国で強い反発を呼び起こしました。文書に「日本が世界制覇を達成するためには、まずシナ・蒙古を征服し、その過程で米国を倒さなければならない」という内容があり、米国との戦争が明確に打ち出されていたからです。ルーズベルト大統領もその内容に注目したことが記録されていると伝えられます。この文書は、米国の対日姿勢の硬化に一役買ったと言えましょう。(1)

◆反日宣伝の材料に

実は『田中上奏文』には、本来なら当然あるべき日本語の原典が、現れていないのです。また、内容には、文書内の日付などに矛盾や誤謬が多く、また、殊更どぎつい表現が使われています。到底、日本の首相が天皇に上奏するために書いた文書とは考えられません。昭和5年2月、わが国の外務省は、文書を偽造と断じ、シナの国民党政府に抗議したのです。
ところが、そうした文書が、シナでは絶好の「排日資料」として利用され、繰り返し宣伝されました。たとえば、昭和7年11月、国際連盟の第69回理事会で、満州事変が討議された際、中国の代表は『田中上奏文』に言及しました。日本代表・松岡洋右が、この文書を真実とみなす根拠を追求したところ、中国代表は「この問題の最善の証明は、実に今日の満州における全事態である」と答えました。ひどいこじつけの論法ですが、その後の東京裁判でも、中国は同じ論法を使っています。(2)
『田中上奏文』は10種類もの中国語版が出版され、大陸の津々浦々で流布されました。ロシア語版、英語版、ドイツ語版まで出されて、世界中に「世界征服を目指す日本」というイメージをばらまいたのです。ただし、「日本語訳」はありますが、日本語で書かれたはずの原典はいまだに発見されていません。最初から偽書であるから、原典が存在しないのです。
東京裁判では、米国・旧ソ連・中国などの連合国が日本を裁くうえで、『田中上奏文』を重要な根拠としたようです。
冒頭陳述において、キーナン主席検事は、日本は昭和3年以来、「世界征服」の共同謀議による侵略戦争を行ったとのべました。被告等が東アジア、太平洋、インド洋、あるいはこれと国境を接している、あらゆる諸国の軍事的、政治的、経済的支配の獲得、そして最後には、世界支配獲得の目的をもって宣戦をし、侵略戦争を行い、そのための共同謀議を組織し、実行したというのです。
なぜ昭和3年以来かというと、この年、張作霖爆殺事件が起こったからです。その事件が起点とされる理由は、『田中上奏文』が日本による計画的な中国侵略の始まりをこの事件としていることによります。
東京裁判で弁護団の中心となった清瀬一郎は、冒頭陳述の内容が、『田中上奏文』に基づいているのではないか、と気づきました。そして弁護団はこの文書が偽書であることを証明する戦術をとりました。
証言に立った蒋介石の部下、秦徳純に対して、林逸郎弁護人は「日本文の原文を見たことがあるのか」と質問しました。「見たことはない」と秦は答えました。ウェッブ裁判長の質問に対しても、「私は、それが真実のものであることを証明はできないし、同時に真実ではないことを証明することもできない。しかし、その後の日本の行動は、作者田中が、素晴らしい予言者であったように、私には見えるのである」と答えました。
結局、キーナン首席検事は、『田中上奏文』を証拠として提出しないことにしました。しかし、こうした信憑性のない文書をもとにして作られていた裁判の筋書きは改められずに、日本は、国家指導者の共同謀議によって、昭和3年以来、中国や英米等に対し、計画的な侵略戦争を行ったとして断罪されました。(3)
その後、『田中上奏文』が偽書であることは、国際的に定説となっており、欧米でも、代表的な百科事典である『エンサイクロペディア・アメリカーナ』や『ブリタニカ』に偽造文書と書かれています。一例として『ブリタニカ』の1990年版には次のように記されています。
「彼(田中義一)が満洲国の指導者張作霖の暗殺に関与した陸軍将校を処罰しようとした時、陸軍は彼を支持することを拒み、彼の内閣は倒れた。その後まもなく、田中は死亡した。天皇に中国での拡張政策を採用するよう助言したとされる文書”田中メモリアル”は、偽造されたもの(forgery)であることが明らかになっている」と。

◆中国人の手による偽造が濃厚

一体、誰が何の目的で、『田中上奏文』なる文書をつくり、世界にばらまいたのでしょうか。
中国で一般に流布されているのは、『田中上奏文』は昭和2年(1927)7月、昭和天皇に上奏された後、極秘文書として宮内庁の書庫深く納められていたのですが、翌3年6月、台湾人で満洲との間で貿易業をやっていた蔡智堪(さいちかん)という男が宮内省書庫に忍び込んで、二晩かかって書き写したものを中国語訳文にし、昭和4年12月に公表したものだとされています。
外国人が皇居の中にある宮内省に二晩も忍び込んで、訳文で25ページにもなる分量の文書を書き写したというのですから、荒唐無稽な話です。しかも、いまだにその日本語原文は発見さていないのです。
歴史家・秦郁彦氏は、『田中上奏文』が偽書である証拠として、9点を挙げています。そのうち主なものは以下のとおりです。

(1)田中が欧米旅行の帰途に上海で中国人刺客に襲われたというが、正確には「マニラ旅行の帰途、上海で朝鮮人の刺客に襲われた」ものである。田中本人が上奏した文書で、自分自身が襲われた事件を、このように書き間違えるはずがない。
(2)大正天皇は山県有朋らと9カ国条約の打開策を協議したというが、山県は9カ国条約調印の前に死去している。
(3)中国政府は吉海鉄道を敷設したというが、吉海鉄道の開設は昭和4年5月で、上奏したとされる昭和2年の2年後である。
(4)昭和2年に国際工業電気大会が東京で開かれる予定というが、昭和2年にこの種の大会はなかった。昭和4年10月の国際工業動力会議のことかと思われる。

秦氏は、このように記述の誤りを具体的に指摘し、偽作と断定しています。さらに、日本政府が『田中上奏文』の存在を知ったのが昭和4年9月であり、上記の(3)(4)と併せて、執筆時期を昭和4年6月から8月と見ています。
また、秦氏は、この時期に、張作霖の長男・張学良の日本担当秘書・王家驕iおうかてい)が、「10数回に分けて届いた」「機密文書」を中国語に訳させた上で、「整合性を持った文章」に直して印刷した、という手記を残していることから、王が偽造者だろうと推定しています。(4)

◆ソ連GPUが関与の疑い

 産経新聞は、平成11年9月7日号で『田中上奏文』について報じました。前田徹ワシントン支局長は、次のようにリポートしています。
 「ソ連国家政治保安部(GPU、ゲーペーウー、KGBの前身)がその偽造に深く関与していた可能性が強いことが、米国のソ連関連文書専門家によって明らかにされた。亡命したソ連指導者の一人、トロツキーが上奏文作成時の2年も前にモスクワでその原文を目にしていたことを根拠にしており、日米対立を操作する目的で工作したと推測している」と。
 この専門家とは、米下院情報特別委員会の専門職員として、ソ連の謀略活動を研究してきたハーバート・ロマーシュタインです。彼は、米国でのソ連KGB活動の実態を明らかにするため、元KGB工作員で米国に亡命したレフチェンコ中尉と共同で調査を行いました。その際に、『田中上奏文』の作成にはソ連の情報機関が関与していたのではないか、との疑惑が浮かんできたのです。そしてトロツキーが、『田中上奏文』について証言した文書を発見したと記事は伝えています。
 ロシア革命の指導者・トロツキーは、レーニンの死後、独裁を狙うスターリンに「人民の敵」というレッテルをはられ、海外に逃亡した先で暗殺されました。ロマーシュタイン氏は、トロツキーが昭和15年(1940)に、その死の直前に書いた遺稿ともいえる論文を、雑誌『第4インターナショナル』に投稿しており、その中に『田中上奏文』に関する重要な記述があることを発見したというのです。
 この論文によると、トロツキーはまだソ連指導部の一人だった大正14年(1925)の夏ごろ、GPUのトップ、ジェルジンスキーから次のような説明を受けました。
 「東京にいるスパイが大変な秘密文書を送ってきた。日本は世界制覇のために中国を征服し、さらに米国との戦争も想定している。天皇も承認している。これが明らかにされれば国際問題化し、日米関係がこじれて戦争に至る可能性もある」と。
 産経の記事は、さらに次のように書いています。
「当初、トロツキーは『単なる文書だけで戦争は起こらない。天皇が直接、署名するとは考えられない』と否定的だったが、その内容が日本の好戦性と帝国主義的政策を説明するセンセーショナルなものだったためソ連共産党政治局の重要議題として取り扱いが協議され、結局、『ソ連で公表されると疑惑の目で見られるので、米国内のソ連の友人を通じて報道関係者に流し、公表すべきだ』とのトロツキーの意見が採用されたと証言している。
 ロマーシュタイン氏はこうした経緯を検討した結果、GPUが25年(註 1925年=大正14年)に日本外務省内のスパイを通じてなんらかの部内文書を入手した可能性は強いが、田中上奏文は、盗み出した文書を土台に二七年に就任した田中義一首相署名の上奏文として仕立て上げたと断定している。
 同氏によると、トロツキーが提案した『米国内の友人』を通しての公表計画は米国共産党が中心になって進めており、30年代に大量に配布された。しかも日本共産党の米国内での活動家を通じて日本語訳を出す準備をしていることを示す米共産党内部文書も見つかっており、実は田中上奏文の日本語版が存在しないことをも裏付けているという。」

◆日本の孤立を狙って、謀略宣伝に利用

『田中上奏文』について、もしロマーシュタイン氏の説が正しければ、次のようになります。ソ連共産党が捏造した文書を、米国共産党が世界にばらまいた、中国共産党は捏造だと分かった後も、今なお反日宣伝に使用し続けているーーそれが『田中上奏文』だ、と。

 ロマーシュタイン氏の説に対し、秦郁彦氏は、年代が違うので基本的に誤りとして斥けています。
 秦氏は、『田中上奏文』を分析し偽作と断定しています。偽作の時期については、日本政府が『田中上奏文』の存在を知ったのが昭和4年(1929)9月であり、執筆時期を同年の6月から8月と見ています。また、秦氏は、この時期に、張作霖の長男・張学良の日本担当秘書・王家驕iおうかてい)が、日本在住の台湾系日本人から「10数回に分けて届いた」「機密文書」を中国語に訳させた上で、「整合性を持った文章」に直して印刷した、という手記を残していることから、王が偽造者だろうと推定しています。
このように考える秦氏は、ロマーシュタイン氏の説、つまり、『田中上奏文』はGPUが、大正14年(1925)に日本外務省内のスパイを通じて盗み出したという何らかの文書を土台に捏造を行い、その素案を昭和2年(1927)に就任した田中義一首相署名の上奏文に仕立て上げたという説を、年代が違うので誤りとして否定するわけです。

 しかし、私はなんらかの形で、この文書の作成と宣伝には、国際共産主義の組織的な連携があった可能性があると考えてきました。その理由は、スターリンが、日米関係をこじらせて日米を戦わせ、その結果、日本を共産化することを狙っていたからです。スターリンは、ことのほか日本での共産革命の実現を重視していました。その手段として、日米を戦わしめようと画策したのです。アメリカとの戦いで消耗しきったところで、日本で革命を起こすというのは、高等戦術です。
 1930年代、スターリンは、この構想を発展させ、ルーズベルトを日米戦争に誘導していったという痕跡があります。その一例が、ハル・ノートです。昭和16年11月26日に提示されたハル・ノートは、日本を米国との戦争に踏み切らせる最後通牒のような役割をしました。この文書は、ソ連の諜報機関が米政府高官のソ連協力者、H・D・ホワイトに示唆して起草させたものでした。

 『田中上奏文』は、最初にシナで発表されました。当時、コミンテルンは中国共産党に指令を出し、シナで次々に謀略事件を起こしていました。その一環としてシナで中国語版を公刊した可能性があります。アメリカでの英語版の出版も、コミンテルンの指示による国際的な展開と考えられます。私は、この可能性に注目してきたのです。

 秦氏の説については、王家驍ェ原資料らしき「機密文書」を中国語に訳して、王自身が「整合性を持った文章」を作文して印刷したというよりも、ソ連共産党が捏造した文書を中国語に翻訳または翻案したと考えられます。その作業の時期を、秦氏のいうように昭和4年(1929)の6月から8月とすれば、それより前、大正14年(1925)以降にソ連でロシア語の原案がつくられ、田中義一が首相に就任した昭和2年以降に田中の上奏文として完成したと仮定すると、二つの説はつながると思います。王は、ソ連による捏造を隠すために、日本からの資料をもとに自分が書いたという説をあえて流布したのでしょう。

◆ロシアで、GPUの工作が明らかに

 最近(平成18年3月)、私は衝撃的な新説を知りました。京都大学教授の中西輝政氏が、雑誌に書いたものを通じてです。月刊『諸君!』平成18年4月号に載った『崩れる「東京裁判」史観の根拠』が、それです。関係部分を引用します。
 「2005年春、モスクワのロシア・テレビラジオ局(RTR)が、シリーズ番組『世界の諜報戦争』の中で「ロシア対日本」と題して2回にわたって調査取材番組を放映した。その中で確かな調査の結果として、初めて「『田中メモランダム』(田中上奏文のこと)は、日本の国際的信用を失墜させ日本を孤立させる目的で、ソ連の諜報機関OGPU(オーゲーペーウー、GPUと実体は同じ、KGBの前身)が、日本の公文書として偽造し全世界に流布させたものであると明らかにした」
 「今回ロシア・テレビラジオが『田中上奏文』の製作元を確定させたのは、日露関係史の日本担当者アレクセイ・キリチェンコ氏(彼自身、ソ連時代KGBの日本担当官を務めた)の調査によってであったという。それによると、実際に『田中上奏文』の捏造を実行したのは、旧OGPU偽造部門であるが、その具体的な方法や関係した要員の名前などは今も『非公開』とされている、とのことである」
 この新説が事実であれば、わが国は共産主義の国際的な謀略に、がっちりと嵌められたことになります。
 キリチェンコ氏の調査結果は、前述のロマーシュタイン氏の説とどう絡むのでしょうか。私にはまだわかりません。仮にGPUが捏造したという場合、誰の指示によるのか、捏造の時期、土台にした文書、それとトロツキーが見たという文書の関係、中国語で翻訳と出版を行った組織、中国におけるGPUの工作、英訳とアメリカ等での出版等々――これから明らかにされねばならないことが、多くあります。

◆中国では「存在しなかった」が主流に?

 いずれにせよ『田中上奏文』が偽書であることは、既に国際的に定説となっています。しかし、今なお中国は、これを本物として、対日外交に利用しています。
平成3年(1991)に北京で発行された『民国史大事典』では次のように記載されています。
「田中義一首相兼外相が1927年7月、天皇に奏呈した文書。内容は支那を征服するためには、まず満蒙を征服しなければならず、世界を征服するためには、まず支那を征服しなければならないとし、そのためには鉄血手段を以て、中国領土を分裂させることを目標としたもので、日本帝国主義の意図と世界に対する野心を暴露したもの」
わが国の歴史教科書をめぐる問題においても、人民日報は、『田中奏折』(中国名)を引用して、日本の教科書の内容を批判しています。また、中国政府は、『田中上奏文』は、日本が「支那を征服」するために計画した文書で、その一例が南京事件だと位置づけ、「日本帝国主義の意図と世界に対する野心」を著したものとして、青少年に教育しています。教科書にも『田中上奏文』が掲載され、国民に教育されているのです。

 ところが、これに関し、高崎経済大学助教授の八木秀次氏が最近、興味深いことを伝えています。
昨年(平成17年)12月、当時「新しい歴史教科書をつくる会」の会長だった八木氏らのグループが、中国を訪問しました。その際、一行は中国政府直属の学術研究機関である中国社会科学院の日本研究所のスタッフと懇談しました。懇談の模様が、月刊『正論』平成18年4月号に掲載されました。(八木著『中国知識人との対話で分かった歴史問題の「急所」』)
その記事によると、懇談において、同研究所の所長・蒋立峰氏は、次のように述べたといいます。
「実は今、中国では田中上奏文は存在しなかったという見方がだんだん主流になりつつあるのです。そうした中国の研究成果を日本側はほんとうに知っているのでしょうか」と。

蒋氏は、社会科学院の世界歴史研究所や日本研究所で、日本近現代政治史や中日関係の研究を長年続けてきた中国の日本研究の責任者だということです。
 八木氏は、記事につけた「解説」に、次のように書いています。
「田中上奏文に否定的な発言を引き出せたことは大きな収穫だった。私たちは訪問の翌日、盧溝橋の『中国人民抗日戦争記念館』を見学したが、そこには田中上奏文が、日本が世界征服を計画していたことを証明するものとして展示されていた。蒋立峰所長のいうように『田中上奏文が存在しなかったことが中国の主流になっている』のであれば、是非ともその撤去を申し入れていただきたい」と。

 国際的に偽物と知られている『田中上奏文』を、今も本物と言い張っているのは、中国共産党です。政府の公式見解です。言論統制の極めて厳しい中国において、蒋立峰氏が述べたことは、何を意味するでしょうか。
私がまず思うのは、問題発言として追及され、蒋氏が左遷または弾圧されるのではないか、ということです。他に蒋氏と似た主張をしている学者も、同様でしょう。中国人民抗日戦争記念館からの展示の撤去や、教科書への掲載の取りやめは、簡単に実現し得ることではありません。『田中上奏文』について誤謬を認めることは、共産党の権威にかかわることです。国民に与えている歴史観の全体に影響が出るでしょう。近年最も力を入れて誇張している南京事件も、『田中上奏文』の計画に基づくものだとしているくらいだからです。
だから、中国側に期待を寄せることは、ほとんど意味がないだろうと思います。私が、今なすべきだと思うことは、日本政府が、『田中上奏文』について、知らしめることです。これが偽書であり、ソ連や中国がわが国を貶めるために捏造し、利用してきたことを、世界に伝えることです。それによって、日本人は自ら日本国と日本民族の汚名をそそがねばならないと思います。 『田中上奏文』の虚偽を徹底的に明らかにしなければ、国際社会における正当な地位を回復し得ないのです。
我々の先祖・先人のために、我々自身のために、そしてこれからこの国に生まれ、この国を生きていく子どもたちのために。

ところで、『田中上奏文』が今日まで日本を貶めることになったのは、あるジャーナリストの存在があります。エドガー・スノーです。彼は早くも昭和6年ごろから書いた「極東戦線」の中で、『田中上奏文』について触れ、さらに昭和16年に刊行した『アジアの戦争』において、この疑惑の文書を全世界に知らしめました。
彼のこうした行動の背後には、ソ連・中国・アメリカを結ぶ国際共産主義の宣伝工作が浮かび上がってきます。この点は、後の項目で詳しく触れることにします。(6)
(ページの頭へ)


(1)産経新聞平成11年9月7日号
(2)中村粲(あきら)著『大東亜戦争への道』(展転社)
(3)東京裁判については、以下の拙稿をご参照ください。
「日本弱体化のための東京裁判」
(4) 秦郁彦著『昭和史の謎を追う(上)』(文春文庫)
(5)ハル・ノートについては、第8章をお読み下さい。
(6)エドガー・スノーについては、第4章をお読み下さい。


※第二次世界大戦と日本の戦前戦後政治、日本のスパイ勢力と左翼


http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/380.html

記事 [政治・選挙・NHK152] 日本を操る赤い糸〜田中上奏文・ゾルゲ・ニューディーラー等 第2章 嵌められた日本〜張作霖事件

「ほそかわ・かずひこの<オピニオン・サイト>」から
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion07b.htm

第2章 嵌められた日本〜張作霖事件

 張作霖事件は、なぞの多い事件です。東京裁判において、パル判事は、この事件について「神秘の幕に覆われたまま」と記しました。
この事件について述べるには、ユン・チアンとジョン・ハリディの共著『マオーー誰も知らなかった毛沢東』(講談社)に拠らなければならなりません。この本は、多くの点で衝撃的な本です。

◆爆殺は、ソ連GRUの工作か?

 『マオ』は、新しい膨大な資料や多数のインタビューをもとに、20世紀屈指の指導者・毛沢東の知られざる実像を描いています。共産党の支配下で、中国は7千万人もの犠牲者が出ているといわれます。その惨禍は、毛沢東という冷酷非情の大量殺戮者、権力欲の権化、恐怖と恫喝の支配者、世界制覇をもくろむ誇大妄想狂によるものでした。本書は、毛の悪行は、スターリンやヒトラーを上回るものであることを、圧倒的な説得力で明らかにしています。

 毛沢東の死後、彼の目指した超大国化、軍事大国化の道を中国共産党は、歩み続けました。そして、21世紀の今日、共産中国は日本への脅威となり、アジアへの、また世界への脅威となっています。憎悪と謀略の反日思想によって。また、核ミサイルの開発、原子力潜水艦の配備、自然破壊、食料不足、エネルギー争奪、エイズの蔓延等によって。
 こうした共産中国の由来と将来を認識する上で、『マオ』は必読の書と言っても過言ではありません。

 それと同時に、『マオ』には、別の価値もあります。それは、本書が、20世紀の世界史の見方に転換を迫る本でもあるからです。
 本書には、東京裁判史観すなわちわが国の指導者を一方的に断罪した東京裁判で作り上げられた歴史観を覆すような記述が、随所に出てきます。京都大学教授の中西輝政氏は、平成18年3月号の雑誌『正論』と『諸君!』で本書を紹介し、「これまでの東アジア現代史や戦前の日中関係史に関して、文字通り根底を揺るがすような数多くの新発見が盛り込まれて」いる、「この本に書かれていることが事実であるならば、20世紀の国際関係史は根本的に再検討されなければならない」と述べています。

 その新発見の一つとして、昭和3年(1928)6月の張作霖爆殺事件があります。この事件は、従来、日本の関東軍の謀略だったと言われてきましたが、『マオ』は旧ソ連のGRU(ソ連赤軍参謀本部情報総局)の工作であった、としています。
 もしそれが事実であれば、非常に大きな意味を持つのです。わが国は、戦後の東京裁判で、昭和3年以降の出来事について裁かれました。その出来事の起点とされたのが、張作霖爆殺事件なのです。
 東京裁判において、米国・旧ソ連・中国などの連合国は、日本を裁くうえで、『田中上奏文』を重要な根拠としました。冒頭陳述において、キーナン主席検事は、日本は昭和3年以来、「世界征服」の共同謀議による侵略戦争を行ったと述べました。東アジア、太平洋、インド洋、あるいはこれと国境を接している、あらゆる諸国の軍事的、政治的、経済的支配の獲得、そして最後には、世界支配獲得の目的をもって宣戦をし、侵略戦争を行い、そのための共同謀議を組織し、実行したというのです。

 なぜ昭和3年以来なのでしょうか。この年に、張作霖爆殺事件が起こったからです。そして、『田中上奏文』が日本による計画的な中国侵略の始まりをこの事件としているからです。だから、張作霖の爆殺が、本当に日本の関東軍によるものだったのかどうかは、東京裁判の判決全体にかかわるほどに、重要なポイントなのです。
 『田中上奏文』が偽書であることは、既に国際的に明らかになっています。東京裁判の当時でさえその疑いがあり、原告側は証拠資料として提出しなかったのでした。それでいて、日本を一方的に悪者に仕立てるために、この文書の筋書きだけを利用したのです。『田中上奏文』については、第1章に書いたように、最近、ソ連GPUによって捏造されたものという新説が出ています。偽書を中国語や英語に直し、謀略宣伝が行われた可能性が高いと思います。

 では、張作霖爆殺事件の方はどうなのでしょうか。張作霖は、中国奉天派の軍閥でした。東北三省の実権を握り、大元帥となって北京政府を操りましたが、北伐軍に敗れ、奉天への退去の途中で、列車を爆発されて死亡しました。それが満洲の占領を企図する関東軍の謀略によるものではないか、という嫌疑がかかりました。
 時の首相・田中義一は、昭和天皇に対して、責任者を厳しく処分すると奏上しました。真相究明に1年もの時間がかかった後、白川陸軍大臣が、実は関東軍の仕業ではなかったようだとの内奏を行いました。実行者と目されたのは関東軍参謀の河本大作大佐でした。しかし、陸軍は河本を軍法会議にかけることなく、行政処分にしたと報告がされました。従来、この処置は、陸軍が真相を隠し、事件の揉み消し工作をしたものと理解されてきました。

 ところが、『マオ』は、次のように記しています。
 「張作霖爆殺は一般的には日本軍が実行したとされているが、ソ連情報機関の資料から最近明らかになったところによると、実際にはスターリンの命令にもとづいてナウム・エイティンゴン(のちにトロツキー暗殺に関与した人物)が計画し、日本軍の仕業に見せかけたものだという」と。
 一瞬、「トンでも本」「際物」の類かと思われる人が多いでしょうしかし、本書の凄いところは、細部まで徹底的な資料研究に基づいて記述している点にあるのです。

◆スターリンの指令で日本の仕業に見せかける

『マオ』には、膨大な「注」と「参考文献」がついていますが、日本語版ではこれらが省かれています。希望者は、インターネット・サイトからダウンロードできるという方式になっています。

 本書は、張作霖爆殺事件は、スターリンの命令にもとづいて、GRUのナウム・エイティンゴンが計画し、日本軍の仕業に見せかけたものだと書いています(上巻 P301)。この記述に注目した中西輝政教授は、この件(くだり)の注釈に注意を促しています。資料をダウンロードしてみると、注釈には次のように書かれています。
 「Kolpakidi & Prokhorov 2000,vol.1, pp.182-3(from GRU sources); key role also played by Sorge’s predecessor, Salnin. indirect confirmation of this is a photograph of the Old Marshal’s bombed train in Vinarov’s book (opposite P.337)captioned: ‘photograph by the author’」
 よほど時間がなかったのか、和訳する意思がないのか、英文のままです。

 中西氏は、この張作霖事件の注釈の重要性を感得し、次のように書いています。
 「該当の注を見ると、その典拠として、アレクサンドル・コリパキディとドミトリー・プロコロフの『GRU帝国』(未邦訳)第1巻182−3頁、が挙げられており、同時にエイティンゴンと共に張作霖の爆殺に『主要な役割を果たしたのは、ゾルゲの前任者であったサルーニンであった』と書かれている。つまり典拠は2000年に刊行されたロシア語の2次資料であるが、それはGRUの公文書に依拠して書かれた本だということである。
 そして従来ごく一部で噂されていたことだが、イワン・ヴィナロフのブルガリア語の本(『秘密戦の戦士』)に掲げられている張作霖爆殺直後の破壊された列車の写真のキャプションに、『著者自らが撮影』とあるのが、爆殺の手を下したのは日本軍ではなくGRUだという、もう一つの間接的根拠だというチアンとハリディによる詳しい記述もある」と。(月刊『諸君!』平成18年3月号)

 中西氏の慧眼が見抜いたように、この注釈は非常に重要なことを述べていあます。張作霖爆殺の実行者は、日本陸軍ではなく、旧ソ連のGRUである、それが、なんとソ連の公文書に書かれているというのです。
 文中に出てくるゾルゲとは、ゾルゲ事件で有名なリヒャルト・ゾルゲであす。(註1) ゾルゲは従来、単なるコミンテルンの工作員とみなされてきました。しかし、近年の研究で、ゾルゲはGRUの極秘の諜報員となって、昭和4年(1929)に中国に行ったことが、明らかになっているといいます。
 張作霖爆殺事件は、ゾルゲが中国に赴く前年の出来事です。事件当時、中国にいた彼の前任者が、サルーニンでした。このGRUの大物スパイが、張作霖の爆殺に「主要な役割を果たした」というのです。そして、ヴィナロフが自著に、張作霖爆殺直後の破壊された列車の写真を載せ、その絵解きに「著者自らが撮影」と書いているというのです。
 実はヴィナロフは、張作霖の乗った列車の隣の車両に乗っていました。そして、爆破直後に現場の写真を撮っているのです。彼はブルガリア人で、1920年代、ゾルゲが上海で活動していた頃、彼と接触していたGRUの工作員の一人です。その後、1940年代にはブルガリアの諜報機関の長となりました。ヴィナロフは、スターリンの指令を受けたエイティンゴンの計画の下、サルーニンの指示に従って、張作霖の爆殺に関わったと考えられます。

 『マオ』を書いたチアンの夫ハリディはロシア語に堪能であり、本書の著述において、旧ソ連の公文書等の文献を調査し、それが本書に強力な論証力を与えていると思われます。

 もし『マオ』の記述通りであれば、張作霖を爆殺したのは日本軍でなかったことになります。旧ソ連の赤軍参謀本部情報総局の謀略だった、それを日本軍の仕業に見せかけたということになります。
 旧ソ連にとって、張作霖の爆殺を行い、それを日本軍の仕業にみせかけることは、どういう目的と利益があったのでしょうか。それは、結果として成功したと言えるものだったのでしょうか。
 従来、張作霖事件は、関東軍参謀の河本大佐が列車を爆破し、国民党便衣隊の陰謀に偽装したといわれてきました。『マオ』の伝える新発見と、このことはどのように関係するのか、『マオ』は何も触れていません。河本とコミンテルンまたGRUの間に、何か関係はないのでしょうか。日本陸軍は、河本の背後に、第3国の存在を感知してはいなかったのでしょうか。
 今後の研究によって詳細が明らかにされていくことに期待したいと思います。


(1)ゾルゲについては、第6章をご参照下さい。

◆ドミトリー・プロコロフは語る

 張作霖事件の見直しは、ロシアからはじまっています。東京裁判で、パル判事が「神秘の幕に覆われたまま」と記した、なぞめいた事件の見直しが。

 月刊『正論』平成18年4月号は、『GRU帝国』の著者の一人、ドミトリー・プロコロフにインタビューを行った記事を載せました。「『張作霖爆殺はソ連の謀略』と断言するこれだけの根拠」という記事です。インタビュアーは、産経新聞モスクワ支局長・内藤泰朗氏です。(註 人名の表記については、この記事はプロホロフ、サルヌイン、エイチンゴンとしているが、統一のため前述にならう)
 この記事によると、プロコロフは、「ソ連・ロシアの特務機関の活動を専門分野とする歴史研究家」です。
 プロコロフは、内藤氏に対し、自分は旧ソ連共産党や特務機関に保管されたこれまで未公開の秘密文書を根拠としているわけではないと断ったうえで、ソ連時代に出版された軍指導部の追想録やインタビュー記事、ソ連崩壊後に公開された公文書などを総合した結果、「張作霖の爆殺は、ソ連の特務機関が行ったのはほぼ間違いない」と断定したといいます。
 以下、このインタビューで、プロコロフが語った内容を要約して記したいと思います。

 張作霖は大正13年(1924)に、ソ連と中国東北鉄道条約を締結し、鉄道の共同経営を行った。しかし、張は鉄道使用代金の未払いを続け、その額が膨らんでいた。大正15年(1926)、ソ連がこれに抗議して、鉄道の使用禁止を通達した。張作霖軍はこれに反発し、鉄道を実力で占拠して、実権を握った。
 こうした張の反ソ的な姿勢に対し、スターリンのソ連政府は、張作霖の暗殺を、軍特務機関のフリストフォル・サルーニンに命じた。サルーニンは暗殺計画を立案し、特務機関のレオニード・ブルラコフが協力した。
 彼らは、同年9月、奉天にある張作霖の宮殿に地雷を敷設して、爆殺する計画を立てた。しかし、張作霖の特務機関にブルラコフらが逮捕され、第1回目の暗殺計画は、失敗に終わった。 
 その後、張作霖は、モスクワに対してあからさまな敵対的行動に出始めた。昭和2年(1927)4月には、北京のソ連総領事館に強制捜査を行い、暗号表や工作員リスト、モスクワからの指示書等を押収した。中国共産党に対しても、共産党員を多数逮捕するなど、共産主義に対する弾圧を行った。また、亡命ロシア人や土匪部隊を仕向けて、ソ連領を侵犯させるなどしていた。
 その一方、張作霖は、昭和3年(1928)、日本側と交渉を始め、日本政府の支持を得て、中国東北部に反共・反ソの独立した満洲共和国を創設しようと画策した。この動きは、ソ連合同国家保安部の諜報員、ナウム・エイティンゴンがモスクワに知らせた。

 クレムリンには、日本と張作霖の交渉は、ソ連の極東方面の国境に対する直接的な脅威であると映った。スターリンは再び、張作霖の暗殺を実行に移す決定を下した。暗殺計画の立案とその実行には、エイティンゴンとサルーニンが任命された。
 サルーニンは、昭和2年(1927)から上海で非合法工作員のとりまとめ役を行っていたが、満洲においてもロシア人や中国人の工作員を多く抱えていた。暗殺の疑惑が、日本に向けられるよう仕向けることが重要だった。

 昭和3年(1928)6月4日夜、張作霖が北京から奉天に向かう列車は、奉天郊外で爆破された。重症を負った張は、その後、死亡した。

 しかしながら、張作霖の暗殺は、ソ連政府の望んだような結果をもたらさなかった。父の後を継ぐ張学良は、蒋介石と協力し、南京政府を承認した。また、張の軍はソ連軍と武力衝突した。一方、日本は、張作霖の死後、中国北部地方の支配力を失った。しかし、昭和6年(1931)、関東軍が満洲事変を起こし、翌7年、満洲国を建設した。これによって、ソ連は、東北三省での立脚地を失った。

 東京裁判では、元陸軍省兵務局長の田中隆吉が証言した。「河本大佐の計画で実行された」「爆破を行ったのは、京城工兵第20連隊の一部の将校と下士官十数名」「使った爆薬は、工兵隊のダイナマイト200個」などと証言した。
 しかし、日本では、東京裁判後の1940年代後半、日本には張作霖を暗殺する理由がまったくなく、暗殺には関与していないという声があがった。田中隆吉は、敗戦後、ソ連に抑留されていた際、ソ連国家保安省に取り込まれ、裁判ではソ連側に都合のいいように準備され、翻訳された文書をそのまま証言させられていた。

 以上が、プロコロフがインタビューで語った内容の要約です。
 インタビューの最後で、プロコロフは、次のように語ったといいます。
 「当時の中華民国は、北京に軍政府を組織していた張作霖が代表しており、日本の満洲での租借権益も張作霖を通じて維持されていた。その頃の日本の方針は、満洲の張作霖政権を育成、援助し、日本の満洲権益を守らせることだった。関東軍の暴走では説明しづらいものがあるのだ。どう考えても、日本が張作霖暗殺に手を染める理由は、ソ連以上にはない」と。

 プロコロフの談に対し、彼の著書『GRU帝国』から、若干の記述を補っておきたいと思います。
 昭和2〜3年(1927-28)当時、GRUの中国における活動の中心は上海にありました。その組織には表の合法機関とは別に、非合法の諜報組織がありました。後者は昭和2年に着任したサルヌインが長をしていました。サルーニンの部下に、ヴィナロフがいたのです。
 『マオ』は、ヴィナロフが、張作霖の爆殺された列車の写真を「自分が撮った」というキャプション付きで自著『秘密戦の戦士』に掲げていることをもって、張作霖爆殺はGRUの仕業という間接的証拠としています。ヴィナロフはサルーニンの部下であったことが、重要です。
 また、エンティンゴンは、張作霖暗殺計画の遂行のために、GRU本部からサルーニンのもとへ差し向けられていた諜報部員でした。GRUが張作霖暗殺に力を入れていたことがわかります。

 プロコロフの説は衝撃的です。とはいえ、どの程度の妥当性を持つのか、次にその検討を行いたいと思います。

◆ゆらぐ定説、深まるなぞ

張作霖爆殺事件は日本軍の仕業というのが定説でした。その定説が揺らぎだしている。定説は東京裁判でつくられたものです。
 この「満洲某重大事件」とされた事件の詳細は、東京裁判の時まで、国民には知らされていませんでした。東京裁判で検察側証人として立った田中隆吉が、突如この事件について証言しました。田中は、関東軍の元参謀でした。田中は「河本大佐の計画で実行された」「そのことを河本自身から聞いた」「これが事実だ」と断定しました。田中は実行の詳細を述べたが、弁護側は多くの資料を却下されたり、未提出に終わったりしたために、十分事実を争うことができなかったのです。

 田中が証人として現れたとき、日本人の被告や傍聴席から驚きの声が上がったと伝えられます。田中は「日本のユダ」と呼ばれました。田中自身、いわゆる「A級戦犯」として、連合国から訴追されてもおかしくない過去を持っていました。実は田中は、検事団から免責の約束を取り付けた上で、軍上層部の機密事項をまことしやかに次々と述べたのでした。
 月刊『正論』が掲載したプロコロフの談によると、田中は戦後抑留されたソ連で、国家保安省に取り込まれて、ソ連に都合のいいように証言させられたといいます。私は、田中自身が、祖国への裏切り、または同胞を責める意思をもって偽証したのではないか、という疑いを抱かざるを得ません。

 次に、プロコロフ説の検討を行いたいと思います。

 拓殖大学客員教授の藤岡信勝氏は、張作霖事件にいろいろ疑問を抱いてきた学者の一人です。氏が『正論』平成18年4月号に書いたものによると、田中義一を首相とする日本政府は、「張作霖を支援して満洲支配の支柱にしようとしていた」。北京で勢力を張っていた「張作霖を満洲に引き上げさせたのも、蒋介石の北伐軍から張作霖を守り彼を温存するためだった。爆破は、その帰満の途上で起こったのだ」。だから「日本にとって彼を殺害して得られる利益は何もない」。しかし、日本軍の実行行為は、詳細まで明らかにされている。プロコロフの主張には、この暗殺の実行の詳細がない。
そこで、藤岡氏は、「論理的には次のどれかが真実であるということになろう」と言います。

@ソ連の特務機関が行ったという情報そのものがガセネタである場合。
 例えば、二回目の暗殺計画は、実行する前に関東軍が同じ事を実行したので、自分たちがやったように報告したなど。
Aプロホロフの情報が正しく、河本以下の証言がすべて作り話である場合。
B河本以下の関東軍軍人が丸ごとソ連の特務機関の配下、または影響下にあった場合。

 以上の三つです。藤岡氏は、今後の研究によってどうなるか、余談を許さないと言っています。

 中西輝政氏は、『諸君!』平成18年4月号で『GRU帝国』のロシア語の原書を検討した結果を記し、その上で、「重要な疑問の一つ」として、次のことを挙げています。「張作霖爆殺の直後から、日本政府や軍関係者が自ら『関東軍がやったのだ』と思ったほどの偽装工作が、一体どのようにして可能だったのか」。同書は、その具体的な手法については触れていません。河本大佐は、戦前から「自らやった」と公言していました。
 中西氏は、もし『GRU帝国』の叙述が本当だったとすると、可能性は二つしかないといいます。

C河本が、事件が実はGRUの謀略だったことを知らず、ある種の「パーセプション操作」による作られた擬似状況(バーチャル・リアリティ)の中で「自らやった」と思い込んでいた場合。
D河本が「日本に忠実」ではなかった場合。

 以上の二つです。

 中西氏のCは、藤岡氏のAと若干似ていますが、Cは思い込みであるのに対し、Aは虚偽である点が違います。Cの思い込みは、「『パーセプション操作』による作られた擬似状況(バーチャル・リアリティ)の中で」と中西氏が書いているように、ある種の「洗脳」の結果という可能性が含意されているでしょう。これに対し、Aは、何らかの目的をもって意図的にウソをついている可能性が含意されているでしょう。
 中西氏のDは示唆的な表現ですが、藤岡氏のBと同じ可能性を想定したものと思います。つまり、河本らがソ連またはGRUと何らかの関係があった場合です。
 CとDの違いは、Cは「洗脳」による思い込みであり、Dは祖国に対する裏切りです。中西氏は、「いずれにせよ、この問題は、戦前の日本陸軍の内部にGRUないしソ連・コミンテルン系の工作網がどのくらい浸透していたか、という昭和戦争史全体と諜報史に関わる大テーマにも絡んでくる」と述べています。

◆日米を戦わせて、革命を醸成

次に、私の考察を述べたいと思います。
プロコロフによって、ソ連のGRUが張作霖暗殺を計画していたことは明らかになりました。一度目の宮殿爆破は失敗しました。続いて、二回目が計画されていました。そして、張作霖は列車ごと爆殺されました。しかし、爆殺の実行については、プロコロフはGRUによることを論証し得ていません。

 私が考えるに、張作霖爆殺には、
(ア)関東軍の一部が実行した。
(イ)GRUが実行した。
(ウ)実行にGRUと関東軍の両方が関与した。
の三つの可能性があります。
 これまでの歴史研究は、(ア)を通説として疑わない者と、その通説に疑問を抱く者とに分かれていました。そこに今回、大きな見直しが必要となったわけです。

 (ア)については、今後、次のように理解されるでしょう。GRUと関東軍には、別々に暗殺計画があった。GRUは、日本軍が先にやったので、自らの計画を実行するまでもなく、同じ結果を得たことになる。日本政府には、張作霖を暗殺する動機はない。暗殺は、国益に反する。しかし、関東軍の一部は、政府の対中政策に反抗して勝手な行動を行った、と。

 (イ)は、今回新たに生じた可能性です。ソ連が張作霖を暗殺する目的は、対日・対中政策を有利に進めることです。しかし、河本大佐は爆殺を自ら計画したと言い、実行の詳細を述べています。実際にはGRUがやったのに、そのことを全く知らずに自分たちがやったと思い込んでいたという場合です。もっとも、すべて作り話だったならば、戦前の陸軍内部で調査する過程で、一部または全部が虚偽と見抜かれたでしょう。

 (ウ)の場合、GRUは関東軍に工作を行い、河本大佐またはその上司のレベルにスパイを獲得していた、このスパイがGRUの指示を受けながら実行したと考えられます。この場合、河本の証言は、日本軍の仕業に見せかけるというスターリンの謀略のもと、その指示に従って行われたことになるでしょう。関東軍の内部に、共産主義に幻想を抱き、ソ連と提携して満洲で行動を起こすような動きがあったのかもしれません。

 私は、これらのうち、(イ)の可能性は非常に低いと思います。これに対し、(ア)は、上記のように通説を修正すれば、あり得ると思います。この場合、張作霖爆殺事件は、日本政府の計画・指示ではなく、関東軍一部の独断専横である。満洲事変の前例となります。陸軍が徹底的な調査と処分を行わなかったことが、その後の関東軍の暴走を許したことになるでしょう。
 いかにスターリンの謀略があったにせよ、日本人が一致団結していれば、その仕掛けに乗せられずに、進むことが出来たはずです。国内に精神的な乱れがあると、他につけこまれるのです。
 (ウ)については、今のところ可能性があるというだけです。今後、旧ソ連の機密文書がどの程度、公開されるかわかりませんが、引き続き専門家には、この可能性も視野に入れて研究を深めてほしいと思います。

 今後の専門家の研究において、是非お願いしたいのは、『田中上奏文』と張作霖爆殺事件の関係の再検証です。
 ソ連による『田中上奏文』の捏造と張作霖の暗殺計画は、別々の事柄ではなく、もともと一つの意思のもとに進められたのではないでしょうか。そこには、スターリンの対日政策及び東アジア政策、つまり日本と東アジアの共産化という革命戦略があったと思われます。

 スターリンは大正11年(1922)4月にソ連の共産党中央委員会書記長に就任しました。レーニンはこの年、病に倒れ、大正13年(1924)1月に死亡しています。レーニンの後継者と目されたスターリンは、ソ連だけで社会主義の建設を行う一国社会主義の理論を掲げて、西欧での革命の追求を続けるトロツキーと争いました。共産党内で権力を自らに集中したスターリンは、トロツキーへの優勢を固め、昭和4年(1929)にトロツキーを国外に追放しました。スターリンは、ソ連の最初の5ヵ年計画を、昭和3年(1928)に開始しました。これは、工業化と農村の集団化を強力に進めるものでした。

 『田中上奏文』が捏造され、張作霖の暗殺が計画・実行された1920年代後半とは、スターリンがソ連で権力を掌握し、独裁者として辣腕を振るうようになっていった時期です。
 ソ連は、革命前のロシアの時代から、東アジアへの進出に力を注ぎ、中国の東北部に触手を伸ばしていました。ここで利害が衝突したのが日本であり、張作霖でした。
 スターリンは、日露戦争でロシアが日本に敗れたことに、復讐心を持っていました。また、日本の天皇をロシアのツアーと同じような存在と誤解し、皇室制度を打倒して日本を共産化し、自らの支配下に納めようと考えていました。そして、かなり早くから、日米を戦わせ、日本が消耗し弱ったところで、共産革命を起こすという戦略を抱いていたのではないでしょうか。その一環として、『田中上奏文』の捏造と張作霖の暗殺計画が進められたとも考えられます。

 ソ連は、日本の首相による天皇への上奏文を捏造し、日本が中国の征服と世界の支配を目指しているという虚偽を宣伝しました。そして、東京裁判では、その計画の第一歩が、張作霖の爆殺だったと思わせようとしたのでしょう。
 客観的に見れば、昭和6年(1931)の満洲事変を起点にしてもよかっただろうと思います。なぜ張作霖爆殺事件からなのでしょうか。ソ連にはその事件からとしなければならない理由があったはずです。それと同時に、『田中上奏文』の捏造と張作霖の暗殺工作があったことを、日本にも他の連合国にも知られてはならなかったのでしょう。だから、関東軍参謀だった田中隆吉を取り込み、法廷で偽証させる必要があったのではないでしょうか。それは、日本の指導者を裁くためであると同時に、アメリカを欺くためでもあったのではないかと思います。
 なぜなら、スターリンは、アメリカに巧妙な諜報工作を行い、日本と戦わせようと画策していたのです。そのことをアメリカに知られないようにしなければならなかったからでしょう。

戦後の多くの日本人は、東京裁判が描いた歴史観を正しいものと思わされてきました。今も小泉首相をはじめ、多くの政治家・学者・有識者は、東京史観の呪縛を抜け出ていません。
東京裁判において、日本の計画的な世界侵略というストーリーが捏造されました。その過程で、『田中上奏文』が利用されたと前述しました。『田中上奏文』の捏造には、中国人が関わったことが明らかになっており、その背後で旧ソ連の共産党や国際的な共産主義組織が暗躍したと考えられます。
 その『田中上奏文』が日本の侵略計画実行の第1弾とするのが、張作霖爆殺事件です。この事件が旧ソ連の諜報組織によるものだったとしたら、わが国は、謀略文書と謀略事件によって見事に嵌められ、東京裁判において、世界の悪者に仕立て上げられたことになります。
 東京裁判では、旧ソ連・中国・国際共産主義に不利になるようなことは、一切取り上げられていません。まだまだ、歴史の闇の中に隠されていることが、多数あるでしょう。今後の研究の進展に期待したいと思います。
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参考資料
・ユン・チアン+ジョン・ハリディ共著『マオーー誰も知らなかった毛沢東』(講談社)
・中西輝政著『「形なき侵略戦」が見えないこの国に未来はあるか』(月刊『正論』平成18年3月号)
・同上『暴かれた現代史――『マオ』と『ミトローヒン文書』の衝撃』(月刊『諸君!』平成18年3月号)
・ 同上『崩れる「東京裁判」史観の根拠』(月刊『諸君!』平成18年4月号)
・ドミトリー・プロコロフ談『「張作霖爆殺はソ連の謀略」と断言するこれだけの根拠』(月刊『正論』平成18年4月号)
・藤岡信勝著『同 解説』(月刊『正論』平成18年4月号)


※第二次世界大戦と日本の戦前戦後政治、日本のスパイ勢力と左翼

 


http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/381.html

記事 [政治・選挙・NHK152] 日本を操る赤い糸〜田中上奏文・ゾルゲ・ニューディーラー等 第3章 引きずりこまれた日中戦争

「ほそかわ・かずひこの<オピニオン・サイト>」から
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion07b.htm


第3章 引きずりこまれた日中戦争

 戦前、日本と中国が戦った戦争は、歴史的にはシナ事変といいます。近年、日中戦争といわれることが多いのですが、戦争と事変の違いは、戦争は政府が宣戦布告をした戦闘行為、事変は宣戦布告なき戦争をいいます。日本・中国とも宣戦布告をしなかったので、シナ事変といわれます。
 張作霖爆殺事件について書いたように、『マオーー誰も知らなかった毛沢東』(講談社)には、戦前の日中関係史につき、根底を揺るがすような数多くの新発見が盛り込まれています。その新発見の一つに、シナ事変の展開があります。

◆中共のスパイによって全面戦争に

 シナ事変の発端は、昭和12年7月8日、深夜に起こった盧溝橋事件です。その後、日中の全面戦争になったきっかけとなったのは、同年8月13日に起こった第2次上海事件でした。『マオ』は、この事件について、国民党の張治中という将軍が、蒋介石の命令を無視して、日本軍攻撃を指揮して起きたものであることを明らかにしていまし。張治中は、中国共産党の秘密党員であり、スパイ工作員でした。中共とコミンテルンの指令を受けた張の企てによって、日中は全面戦争へと導かれたというのです。
 当時、スターリンは、シナ大陸に駐屯している日本軍が、北上してソ連に侵攻することを防ぎたいと考えていました。それには、日本軍をシナ大陸で国民党軍と戦わせればよいと考えたのです。一方、毛沢東は、国民党軍を日本軍と戦わせながら、中国共産党の勢力を温存し、シナの奥地で勢力を拡大しようと考えていました。スターリンと毛の思惑は一致したのです。
 『マオ』によれば、これを一人で実現したのが、張治中でした。日本は、共産主義の謀略によって、泥沼のような戦争に、引きずり込まれたのだ、ということになります。

 この説の持つ重大性を理解するには、シナ事変の発端から確認する必要があります。昭和12年(1937)7月初旬から8月中旬にかけての展開を追跡しつつ、その重大性を考えてみたいと思います。
 この年7月8日、シナの盧溝橋で日中両軍の衝突事件が起こりました。第1次近衛内閣の時です。当時、日本軍がシナに駐屯していたのは、侵略のためではありません。清国は各国に対して駐兵権を認めていました。日本軍も、その駐兵権に基づいて駐屯していたのです。日本軍は国民党軍と戦う意思はなく、蒋介石も日本軍との戦いを望んでいませんでした。ところが、深夜突如として日本軍と国民党軍に不法射撃をして姿を消した者がありました。
 わが国は事件発生当初から不拡大方針をとりました。現地部隊は数度の不法射撃に対しても、7時間にわたって、一発の応射もせずに隠忍自重したのです。政府も陸軍中央も現地解決を期待して、3週間にわたり、事態の推移を注視しました。決して、中国との戦争を仕掛けたわけではない証拠です。ところが、その後の展開によって、徐々に戦争に引き込まれていってしまいます。

 歴史家の秦郁彦氏は、最初の「なぞの発砲」がシナの第29軍第3大隊第11中隊から行われたことを、第3大隊長だった金振中の回想録から突き止めました。金振中は事件から2年後、中国共産党軍に転じています。第29軍には、ほかにもかなりの中国共産党シンパが潜入していたのです。
 中国共産党は早くも事件の翌日に、日本との開戦を主張する激烈な声明を出しました。そして、蒋介石に対日開戦を強く迫っていたのです。
 今日では、「なぞの発砲」が中国共産党員によって行われたものであることが、明らかになっています。このことは、中国共産党の指導者が、自ら明らかにしていることです。

 昭和24年(1949)10月1日、中華人民共和国宣言の際、周恩来首相は誇らしげにこれを語りました。「あの時、我々の軍隊が日本軍と中国国民党軍の両方に鉄砲を撃ち込み、日華両軍の相互不信を煽って停戦協定を妨げたのが、我々に今日の栄光をもたらした起因である」と。
 また、毛沢東に次ぐナンバー2だった劉少奇(後に国家主席)は、「盧溝橋事件によって、蒋介石と日本の軍国主義を両方とも滅亡させることができた。中国軍にとってはまさに思うつぼであったのである」と演説しました。劉少奇の部下が、「なぞの発砲」を工作したことが、中国側の資料によって、わかっています。それでもなお盧溝橋事件は、日本軍が発砲したものという説を唱えている学者がいます。どちらが発砲したかわからないという説を唱える学者もいます。これでは学問の名を借りて、真実を隠し、国民を誤導するものといわざるを得ません。

 中国共産党の謀略に背後には、スターリンからの指令があったのです。盧溝橋事件の後、モスクワのコミンテルン本部は、直ちに次のような指令を発しました。(興亜院政務部『コミンテルンに関する基本資料』による) 

一、あくまで局地解決を避け、日支の全面的衝突に導かねばならない。
ニ、右目的の貫徹のため、あらゆる手段を利用すべく、局地解決や日本への譲歩によって、支那の解放運動を裏切る要人は抹殺してもよい。
三、下層民衆階級に工作し、彼らに行動を起こさせ、国民政府として戦争開始のやむなきにたち到らしめねばならない。
四、党は対日ボイコットを全支那に拡大し、日本を援助する第三国に対してはボイコットをもって威嚇せよ。
五、党は国民政府軍下級幹部、下士官、兵並びに大衆を獲得し、国民党を凌駕する党勢に達しなければならない。

 毛沢東率いる中国共産党は、この指令に従って行動し、幾度も停戦協定を破りました。そして、日本側から働きかけた事変解決のための和平交渉をすべて失敗に帰さしめたのです。

◆停戦への努力が水泡に

昭和12年7月8日、盧溝橋事件の勃発後、日本政府は不拡大方針をとり、早期解決に努力しました。その最中に、同月29日、悲惨極まりない日本人虐殺事件が起こりました。通州事件です。
 この日、中国保安隊約3千名が突如、日本軍守備隊を攻撃しました。同時に、日本人居留民を襲撃しました。在留邦人385名のうち、女性、子供を含む224名が惨殺されました。ある者は耳や鼻を削がれ、女性は陰部に棒切れを挿し込まれ、あるいは生き埋めにされ、手をワイヤーロープにしばられ、つながれ、素裸にされて池に投げ込まれたのです。居留民の家屋はすべて焼かれ、家財は略奪されました。これこそ、まさに虐殺、つまりむごたらしい殺し方です。

 通州邦人虐殺事件は、シナの冀東保安隊第一、第二総隊の計画的行動であることが、中国側資料によって明らかになっています。
 邦人虐殺が報道されると、わが国の国民の憤慨は頂点に達しました。日本人がかつて知らない地獄図絵でした。「悪逆無道の支那を討つべし」という声が全国に轟々と巻き起こりました。
 しかし、それでも政府は不拡大方針を変えませんでした。昭和天皇は外交解決を希望しておられました。その御意思を体して、政府・軍部は一致協力し、中国との交渉を開始しました。
 ところが、その開始当日の8月9日、上海で大山中尉虐殺事件が発生しました。中国兵によって、大山勇夫海軍中尉と斎藤一等水兵が惨殺されたのです。この事件によって、交渉は即日中止されました。 一体、誰が何のためにこんな時に、事件を起こしたのでしょうか。なぞのまま今日まで数十年が経過しています。

 当時、日本側が用意していた和平案は、簡単に言うと満洲国だけを認めてくれれば、満洲事変以降に発生した中国における日本の権益はすべて白紙に戻す、そして共同で共産勢力の防止にあたり、経済面では両国の貿易を促進しよう、という内容でした。中国側が塘沽停戦協定で実質的に満洲国を認めていたことを考えれば、中国に対する新たな要求は何もありません。その上、日本の多くの権益を放棄するという、思い切った譲歩案でした。直前に邦人多数が虐殺された通州事件があったにも関わらず、日本側はこのような提案を用意していたのです。

 大山中尉らの惨殺の後も、なお日本側は慎重に対応しました。8月12日、岡本上海総領事の提案により、停戦協定共同委員会において、「日華双方とも、互いに相手より攻撃を受けない限り戦端を開かない旨、日華委員より双方の司令官に申し入れる」との決議を行っています。
しかし、翌13日、中国軍が攻撃を始めたのです。これが、第2次上海事変です。この時点で日本の兵力はわずか4千人でした。それに対し、中国兵は配備された者に限っても3万人にいました。この兵力差を見れば、日本が中国を侵略するどころか、在留邦人を守るのさえ困難な状況にあったことは、明らかです。

 翌14日、中国側は、自国民、外国権益に対する見境のない空爆を行い、本格的な戦争に発展していきました。その2日後、わが国は「従来とり来たれる不拡大方針を放棄し、戦時態勢上、必要なる諸般の準備対策を講ずる」という閣議決定を行いました。日本側が臨んだのではありません。事ここに至って、望まざれども戦いをせざるをえなくなったのです。

 盧溝橋事件の後、通州事件、大山中尉虐殺事件、第2次上海事変が続いたことによって、日本は泥沼の戦争に引きずり込まれていきました。決して計画的な侵攻ではないのです。事変を拡大したくなかったのです。
 東京裁判では、通州事件に関する日本側の証拠は、7割方、却下されました。大山中尉虐殺事件、無差別誤爆事件に関する証拠も多く却下されました。そんな不公平ななかで行なわれたのが、東京裁判です。しかし、現在も、東京裁判の判決が、多くの日本人の歴史観を拘束しています。
 蘆溝橋事件は、偶発的に起こったと書いている歴史書や百科事典が多くあります。これに対し、第2次上海事変については、ほとんどが日本の「侵略行為」として書いています。果たしてそうなのでしょうか。

 『マオ』は、シナ事変の展開に関する新たな事実を明らかにしています。『マオ』は、当時、日本側も蒋介石側も、衝突を望んではいませんでした。望んでいたのは、ソ連のコミンテルンと中国共産党だったというのです。
 『マオ』は、次のように書いています。「スターリンは、いずれ日本が北へ転じてソ連を攻撃するのではないかと心配していた。スターリンの狙いは、中国を利用して日本を中国の広大な内陸部におびきよせ、泥沼にひきずりこむこと、そして、それによって日本をソ連から遠ざけることだった」と。
 では、スターリンの意思はどのように、実行されたのでしょうか。その点を次に書きたいと思います。

◆スターリンの謀略を、張治中が実行

『マオ』は、日本が中国と全面戦争をするに至ったのは、スターリンの謀略によるところが大であることを明らかにしています。
 先に書いたように、盧溝橋事件の後、全面戦争に至る過程で起こった出来事の中に、大山中尉虐殺事件と第2次上海事変がありました。これらは、実はスターリンの指令を受けた張治中という中国共産党のスパイが起こしたものでした。『マオ』は、第19章「戦争拡大の陰に共産党スパイ」で、このことを詳細に記述しています。

 昭和12年7月8日、中国共産党の仕掛けによって、盧溝橋事件が起こりました。『マオ』によると、この事件後、「日本がまたたく間に華北を占領したのを見て、スターリンははっきりと脅威を感じた。強大な日本軍は、いまや、いつでも北に転じて何千キロにもおよぶ国境のどこからでもソ連を攻撃できる状況にあった。すでに前年から、スターリンは公式に日本を主要敵国とみなしていた。事態の急迫を受けて、スターリンは国民党軍の中枢で長期にわたって冬眠させておいた共産党スパイを目覚めさせ、上海で全面戦争を起こして日本を広大な中国の中心部に引きずり込むーーすなわちソ連から遠ざけるーー手を打ったものと思われる」。

 その「冬眠から目覚めたスパイ」が、張治中でした。張は、1920年代に黄埔軍官学校の教官をしていました。1925年に中国共産党に共鳴し、入党したいと、周恩来に申し出たのでした。周は張に対し、国民党の中にとどまって「ひそかに」中国共産党と合作してほしいと要請しました。そして張は中国共産党の秘密党員として、国民党軍に潜伏し、重要な地位に就くにいたったのです。1930年代半ば頃、国民党軍の南京上海防衛隊の司令官だった張は、ソ連大使館と密接な連絡を取っていたことがわかっています。

 盧溝橋事件の勃発後、「蒋介石は宣戦布告しなかった。少なくとも当面は、全面戦争を望まなかったからだ。日本側も全面戦争を望んではいなかった」。しかし、張は、日本に対して「先制攻撃」を行うよう蒋介石に進言しました。しかも、華北ではなく上海において日本軍を攻撃すべしと繰り返し迫ったのです。

 8月9日、和平交渉の開始日に、大山中尉惨殺事件を起こしたのは、誰だったのでしょうか。張治中だったのです。張が配備しておいた中国軍部隊が、大山中尉と斎藤一等兵を射殺したのです。さらに、それを大山らが先に発砲したように見せかける工作をしたのでした。
 『マオ』は、この事件については、あまり詳しく書いていないので、簡単に補足します。7月29日の通州事件の後も、日本政府は不拡大方針を変えず、中国との交渉を始めました。その当日に、大山中尉らが惨殺される事件が起こりました。事件によって、交渉は即日中止されました。交渉に当たり、日本側は思い切った譲歩案を提示しようとしていました。それを妨害したのが、中国共産党のスパイ、張治中だったのです。
 日本政府は、大山中尉虐殺事件後も、なお慎重に対応しました。8月12日には、停戦協定共同委員会で、「日華双方とも、互いに相手より攻撃を受けない限り戦端を開かない旨、日華委員より双方の司令官に申し入れる」との決議を行いました。日本側は、事態の不拡大に何度も粘り強く努力したのでした。

 ここで、再び『マオ』の記述に戻ると、14日、中国軍機が日本の旗艦「出雲」や海軍陸戦隊、海軍航空機に爆撃を行ったのです。これが、第2次上海事変の初めとなりました。停戦に向かっている動きに逆らうように、爆撃が行なわれたのです。
 この時、総攻撃を命じたのが、張治中でした。蒋介石は「命令を待て」と張を制したのです。待てども命令が来ないのを見た張治中は翌15日、「蒋介石を出し抜いて、日本の戦艦が上海を砲撃し日本軍が中国人に対する攻撃を始めた、と虚偽の記者会見をおこなった。反日感情が高まり、蒋介石は追いつめられた」。
 そこで16日、「蒋介石はようやく『翌朝払暁を期して総攻撃をおこなう』と命令を出した。一日戦闘をおこなったところで、蒋介石は18日に攻撃中止を命じた。しかし、張治中は命令を無視して攻撃を拡大した。8月22日に日本側が大規模な増援部隊を投入するに至って、全面戦争は避けがたいものとなった」。

 こうして、第2次上海事変が、日中全面戦争の開始となったのです。『マオ』によると、「蒋介石も日本も上海での戦争は望んでいなかったし、計画もしていなかった」。その双方を全面戦争に引きずり込んだのが、張治中だったのです。
 張は、中国共産党のスパイであるだけでなく、中国駐在のソ連大使館付き武官のレーピンとソ連大使・ボゴモロフらを通じて、スターリンの指令を忠実に実行し成功したのです。スターリンの指令とは、日本軍に攻撃を仕掛け、日中全面戦争を引き起こせ、という指令です。

 『マオ』は書いています。
 「たった一人の冬眠スパイを使ってソ連に対する日本の脅威を交わしたのだから、これはおそらくスターリンにとって大成功の作戦だったと言えるだろう」。
 「張治中は史上最も重要な働きをしたスパイと呼んでも過言ではないだろう。ほかのスパイは大半が情報を流しただけだが、張治中は事実上たった一人で歴史の方向を変えた可能性が大きい」。

 『マオ』によると、「蒋介石が全面戦争に追い込まれたのを見て、スターリンは積極的に蒋介石の戦争続行を支援する動きに出た」。金を融資をして、航空機・戦車・大砲等の武器を売却したのです。「このあと4年間にわたってソ連は中国にとって最大の武器供給国であったのみならず、事実上唯一の重火器、大砲、航空機の供給国であった」。
 またソ連は、空軍と軍事顧問団を派遣しました。「1937年12月から1939年末までのあいだに、2000人以上のソ連軍パイロットが中国で戦闘任務につき、日本の航空機約1000機を撃墜し、日本統治下の台湾に対する爆撃までおこなった」。

 また、補足すると、アメリカは、大東亜戦争に先立って、昭和16年(1941)春、中国国民党を支援する、通称フライングタイガースと呼ばれる部隊を送っていました。彼らは民間義勇軍といわれていましたが、実は米国防総省の承認の下に集められた正規のエリート空軍部隊でした。米国は日本の真珠湾攻撃以前に、すでに対日参戦に踏み切っていたわけです。これも、宣戦布告なき攻撃でした。
 しかし、ソ連は、上記のように、そのまた3年以上も前から中国に空軍を派遣し、日本を攻撃していたのです。つまり、昭和12年末に、早くも対日参戦をしていたのです。ソ連の行動は、アメリカの先を行くものでした。スターリンによる武器・人員の派遣は、英米の援蒋政策の先例をなすものでもあったのです。
 それは、日本を中国との戦争に引きずり込むためだったのです。
 『マオ』によると、ソ連外相リトヴィノフは、フランスのブリュム副首相に「ソ連は中国と日本の戦争ができるだけ長く続くことを望んでいる」と語ったといいます。

 『マオ』は、書いています。
 「黒幕として日中全面戦争を実現させたスターリンは、共産党軍に対して積極的に戦争に関わるよう命令し、中国共産党は国民党に適切に協力して蒋介石に抗日回避の口実を一切与えないよう行動すること、とはっきり指示した」と。

 後は、スターリンが望むように、日本は中国との泥沼のような戦争に深入りしていきました。その広大な泥沼から抜け出せないうちに、アメリカとの関係が悪化し、遂に米英との無謀な戦争に突入しました。
 日本は、スターリンの謀略に、まんまと嵌められたのです。

◆汚辱の歴史は書き換えられねばならない

戦前の中国共産党の活動は、日本と国民党政府を戦わせるというスターリンの方針に基づいていました。そのことを『マオ』は克明に記しています。日中を全面戦争に引きずり込み、その戦争で国民党を弱体化させ、代わりに共産党が勢力を伸ばし、中国を共産化するという革命戦略が、そこにはありました。

 『マオ』は、次のように書いています。
 「毛沢東は、蒋介石の力を利用することなしに日本軍を中国から追い出す戦略など持ち合わせていかなかった。また、蒋介石が敗北した場合に共産党軍が日本の占領軍に対抗できるとも思っていなかった。毛沢東にとって、すべての希望はスターリンにかかっていた」
 「抗日戦争に臨む毛沢東の基本姿勢は、共産党軍の戦力を温存し勢力範囲を拡大していく一方でスターリンが動くのを待つ、というものだった」
 昭和20年、日本の敗戦と国民党軍の消耗、そしてスターリンの中国侵攻は、毛沢東に望みどおりの結果をもたらしました。毛沢東は、中国の共産化という野望を実現しました。
 『マオ』は、記します。
 「後年、毛沢東は、日本が『おおいに手を貸してくれたこと』に対して一度ならず感謝の言葉を口にしている。戦後、訪中した日本の政治家たちが過去の侵略について陳謝すると、毛沢東は、『いや、日本軍閥にむしろ感謝したいくらいですよ』、彼らが中国を広く占領してくれなかったら『われわれは現在もまだ山の中にいたでしょう』と述べたという。これこそ毛沢東の本心だ」と。
 
 『マオ』は、これまで紹介したように、20世紀の世界史の書き換えを迫るような新事実を多く掲載しています。それは、衝撃な内容です。しかし、一つ一つの事実が示すものは、まったく新しい歴史像というわけではありません。これまでにも、相当数の歴史家が、20世紀の国際関係史において、スターリンを司令塔とする国際共産主義の謀略が重大な働きをしてきたらしいことを、述べてきたからです。
 わが国の歴史を振り返る上でも、この視点を欠いてはならないのです。

 例えば、台湾人の歴史家・黄文雄氏は、『大東亜共栄圏の精神』(光文社新書)で、概略、次のように書いています。
 大東亜戦争への突入について見逃してはならないのは、共産主義という巨大な潮流との戦いであったという視点である。明治維新以来、大日本帝国は、はじめ恐露から出発し、日露戦争によりクライマックスにたっした。やがてロシア革命後、『赤化の脅威』という新たな世界情勢の変化により、『防共』なるテーマを含む軍事とイデオロギーが一体となる脅威論が醸成され、『赤化ソ連』との軍事的対決が至上の目標となる。
 日露戦争以後の日本の国家戦略は、主に対ソ戦争を想定して、日本陸軍主力も関東軍に投入し、対ソ戦にそなえていた。満州事変の背景にも、コミンテルンとの戦いがあり、日中戦争の背後にも共産主義の拡大から東アジアを守るという問題意識があった。大東亜戦争にいたるまでの日米交渉と対決にも、中国における防共駐兵の争点があった、と。
 
 最後に、上記の視点を参考にした私の見方を簡単に書いて結びとしたいと思います。
 1930年代、日本はスターリンの謀略に嵌められ、中国との戦争に引きずり込まれました。日中が全面戦争に進むと、英米は蒋介石を支援し、日本には経済圧迫を加えて、シナの抗日戦意をあおり、日中の抗争を長引かせ、泥沼化させました。
 ソ連は中国に戦闘機や爆撃機を与え、軍事顧問団ととともにパイロットを派遣していました。アメリカも中立を装っていながら、軍事顧問団に加え、空軍パイロットを送っていました。これは中立国としては絶対に許されない行為でした。白人諸国は、東洋の黄色人種、日本と中国を戦わせ、アジアでの権益を拡大しようとしていたのです。日本も中国も、この白色人種の魂胆を見抜いて、日中が堅く提携していくべきでした。しかし、それを実行できる指導者ともに欠いていました。

 日本は中国との戦争を解決できないまま、アメリカとの関係が悪化し、遂に米英との無謀な戦争に突入しました。その結果、わが国は開国以来ない大敗を喫しました。この過程で、ソ連の謀略がわが国の進路を狂わせ、日本を破滅へと導く大きな作用をしたのです。

 ソ連の世界共産主義革命戦略の基本方針は、レーニン以来、「帝国主義戦争を革命へ」であったと私は考えています。
戦争によって資本主義国が相打ち、相弱ることは、革命運動に有利な状況を生み出します。この戦略のもと、スターリンは、日中だけでなく、日米をも戦わせようとしていました。W・ビュリット駐ソ大使は、早くも昭和10年(1935)7月、「アメリカを日本との戦争に引き込むのがソ連政府の心からの願望」だと米国政府に知らせています。しかし、ルーズベルト大統領は、スターリンの遠大なスケールの謀略を見抜くことが出来ませんでした。
 ルーズベルトは、ソ連・中国の捏造した『田中上奏文』を真に受けて日本を敵視していました。昭和14年(1941)9月、欧州でナチス・ドイツが電撃的な進撃を開始すると、ルーズベルトは欧州への参戦を願っていました。しかし、選挙では、不参戦を公約しています。そこで日本を挑発して先に手を出させ、それを口実に大戦に参入しようとしていたのです。
この思惑はスターリンの狙いと一致していました。ソ連は大統領の側近にスパイやエージェントをつくって工作し、ハル・ノートの作成にも一部関与しました。スターリンは、アメリカを早く太平洋に誘い出し、力を分散させることで、戦後の欧州やアジアの共産化を狙っていたのでしょう。

 スターリンは、世界革命戦略の中で、日本の共産化を非常に重視していました。スターリンの意思を受けたゾルゲと尾崎秀美は、日本で工作活動を行い、日本軍を対ソ北進から南進政策に転じせしめました。これによって、スターリンは、ドイツと日本による挟み撃ちを免れました。それと同時に、日米を激突させることにも成功したのです。
日本の南進は、アメリカの強い反発を招きました。石油の対日輸出禁止は、日本の喉元を締め上げるものでした。ハル・ノートを突きつけられた日本は、これへの対処を誤り、真珠湾攻撃へと突き進みました。

昭和20年(1945)8月9日、日本が原爆投下によって瀕死の状態に陥ったところを見計い、スターリンは日ソ立条約を一方的に破棄して、満州・樺太・千島に侵攻しました。わが国は、辛くも北海道または日本の東部を軍事占領されることは、避けられました。しかし、ソ連は、アメリカによる自由化・民主化に乗じて、共産主義を日本に浸透することに成功しました。日本人の精神は、敗戦による自信喪失と、アメリカ・ソ連から流入した外国思想によって、分裂状態に陥りました。

 大戦後、スターリンは、中国で大成功を収めました。ソ連は満洲から華北にまで侵攻し、中国共産党に武器・人員を直接支援し、共産党軍を国民党軍に勝利せしめました。
一方、アメリカは、日本には勝利したものの、大陸では中国の共産化を許してしまいました。東アジアでの地域支配において、アメリカはソ連より大きく後退しました。欧州でも、ドイツの半分と東ヨーロッパをソ連に共産化されてしまったのです。

こうしてソ連は、20世紀半ばに世界の約半分を共産化しました。さらに世界を併呑するかに見えました。しかし、共産主義は、本来矛盾に満ちた思想です。その矛盾は増大を続け、遂にロシア革命の70年後に、ソ連は崩壊しました。

ソ連の崩壊後も、共産主義そのものは死んではいません。スターリンがアジアに産み落とした共産中国は、21世紀のこの今も健在です。そして、共産中国は、日本の、アメリカの、アジアの、そして世界の脅威として、ますますその不気味な力を強めています。
共産中国は、日中戦争の中から誕生しました。日本は、中国共産党と、その背後にいるスターリンによって、戦争に引きずりこまれたのでした。こうした観点から歴史の総点検をする必要があります。
また、共産中国の由来と将来を考えることは、現代世界の由来と将来を考えることにつながります。中国を革命へと導き、今日の軍国主義的全体主義国家を建設した最高指導者が、毛沢東です。『マオ』の主題は、この毛沢東の人物・生涯を描くことですが、同時に、共産主義の謀略が現代世界にいかに多くの災厄をもたらしたかを、膨大な資料と多数のインタビューをもとに明らかにしています。本書の内容は、発見と示唆に富んでおり、興味の尽きないものがあります。しかし、その点に触れることは、本稿の目的ではありません。『マオ』によって垣間見られた日中戦争の真相について述べるだけにとめることにします。


※第二次世界大戦と日本の戦前戦後政治、日本のスパイ勢力と左翼

 



http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/382.html

記事 [政治・選挙・NHK152] 日本を操る赤い糸〜田中上奏文・ゾルゲ・ニューディーラー等 第4章 スノー〜反日連共のデマゴーグ

「ほそかわ・かずひこの<オピニオン・サイト>」から
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion07b.htm


第4章 スノー〜反日連共のデマゴーグ

 昭和の日本は、共産主義に同調する外国人ジャーナリストの活動によって、大きく進路を狂わされました。そうしたジャーナリストの一人が、エドガー・スノーです。スノーは、偽書『田中上奏文』を世界に伝え、「南京事件」を捏造・誇張して報道し、米国の世論を対日戦争へと誘導しました。(1)(2)

◆「『虐殺論争』に終止符を打つ、衝撃の発見!」

田中上奏文をはじめ、南京事件、東京裁判、中国共産党とそのシンパの動向などについての研究が進んでします。なかでも鈴木明氏の『新・南京大虐殺のまぼろし』(飛鳥新社)は、重要な発見に満ちたものです。
 本書の帯には、「『虐殺論争』に終止符を打つ、衝撃の発見!」とあり、鈴木氏の言葉として、次のような言葉が掲げられています。
 「…僕が今回書いたことは、戦後半世紀以上を通して、世界中の誰もが書かなかったことであり、気づかなかったことでもあり、『南京大虐殺』の、本当の意味での核心にふれたものであるという点だけは、強い自信を持っている…」と。
 鈴木氏は巻頭に、「日本、中国、アメリカという、東アジアだけではなく、21世紀の世界に最も大きな影響を与えるかもしれない重要な三つの国で、いまでも喉元に突き刺さったままでいるような大きな歴史的課題が、まだ未解決のままである。いわゆる南京大虐殺論争である。この不可解な事件の鍵を握っていた人物は一体誰なのか」と書いています。その人物こそ、エドガー・スノーです。
 鈴木氏は本書の「最も大きなテーマ」は、次のようなことだと書いています。「僕がここで、『田中奏折』、つまり『田中上奏文』のことにここまでこだわるのは、実はエドガー・スノーがこの『田中上奏文』の実在を信じ、それが日本軍閥のバイブルである、ということを知ったことと、戦後の『東京裁判』、それに付随して一挙に全世界に知られるようになった『南京大虐殺』事件を結ぶ最も重要なキーワードは、この田中上奏文・田中奏折』であると、信じているからである。そのプロセスを追っていくことがこの本の最も大きなテーマなのだ」と。
 鈴木氏の追求の過程は、ノンフィクションの迫力に満ちています。以下、私の特に関心をもったことをまとめながら、若干の考察を加えてみます。

◆烈女・宋慶齢との出会い

 アメリカのジャーナリスト、エドガー・スノーは、昭和6年(1931)の冬に、中国・上海で、宋慶齢と知り合います。鈴木氏は、次のように書きます。「後にスノーは、『もしあのとき宋慶齢に会わなかったら、私の人生は変わっていたかも知れない』と書いているが、これを『世界情勢が変わっていたかも知れない』と書いても、決して過言ではなかったであろう」と。
 宋慶齢は、近代シナを代表する大富豪・宋家の次女です。彼女は、シナ革命の父・孫文の夫人兼秘書となり、国民党左派の指導者として共産党と反日で共闘し、革命後は中華人民共和国の国家副主席にまでなりました。
 ロシア革命後、孫文はソ連と接近しました。大正12年(1923)には、ソ連から孫文のもとに、レーニンの愛弟子・ボロディンが、国民党顧問として送り込まれました。宋慶齢はボロディンと親密となり、国民党で誰よりもよく、共産主義を理解しました。
 翌年、孫文が死去すると、宋慶齢のソ連への思いはさらに強くなり、昭和2年(1927)4月に、モスクワに行きました。その後、彼女は、昭和6年8月までの約4年間を、ソ連で過ごしました。
 鈴木氏によると、ソ連滞在中、宋慶齢は、「中国における民主・自由の実現のために、国民党に対する敵意を燃やしつづけ、『日本帝国主義』を憎悪しつづけ」ました。そして、帰国後は、蒋介石や日本と戦う決意をします。そして彼女は、中国共産党指導部と通じ、国民党内で反日・連共路線を推進しました。
 20歳代だった若きスノーは、こうした宋慶齢と出会い、大きな影響を受けました。宋慶齢は、幼少から英語教育を受け、米国に留学もしており、英語に堪能でした。スノーは、宋慶齢から中国や、孫文や、中ソ関係などについて、多くの話を聞きます。
 鈴木氏は書きます。その結果として「スノーはここで、宋慶齢を苦しめ、中国人民に被害を与えているのは、まぎれもなく、隣国の日本である、と確信するようになった。これはもう『信念』などという言葉を超えて、『信仰』という概念に近いものであった」と。「この二人は、日本のことを全く知ろうともしなかったし、日本の中にある恥部だけを強調することに熱中していた、という点でも共通している」と、鈴木氏は見ています。
 昭和11年(1936)5月、スノーは、宋慶齢に、「共産地区に行き、毛沢東に会いたい」と言いました。当時、国共合作を進めようとしていた中国共産党指導部は宋慶齢に対し、アメリカ人の新聞記者を求めていたのです。中共と通じ合っていた宋慶齢は、スノーを、中国ソビエト地区にある延安へ行かせることにしました。
 この時、もう一人の候補がいました。それは、やはり彼女と長くつきあっていたアグネス・スメドレーでした。スメドレーもまた日本の進路に重要な影響を与えた人物であり、別の項目に書くことにします。(3)
宋慶齢は、中国共産党への理解も少なく、党員との交わりもなく、色のついていないスノーの方を敢えて指名しました。彼がアメリカ人であり、『ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン』など、アメリカの広い読者層に読まれる背景を持っていたことも理由でした。この宋慶齢の選択は、親中反日の国際工作に、またとない効果を生み出すことになりました。

◆米国民を親中に変えた『中国の赤い星』

 スノーは、宋慶齢の力添えによって、中国共産党指導部のいる延安に取材に行きます。そこで、スノーは世界ではじめて、毛沢東らの中共指導者にインタビューをしました。その体験取材をもとに書いたのが、有名な『中国の赤い星』です。これは、米英で大ヒットとなりました。昭和12年(1937)に、この本が出版されると、アメリカのマスコミは口をそろえて称賛しました。そして、「アカ嫌い」のアメリカ人を、中国寄りに変えてしまったのです。
 読者は、スノーを通じて、中国の共産主義者たちは、ロシアの革命家たちと違って、「血に飢えた権力主義者」ではないと理解しました。スノーの描く毛沢東は、日本帝国主義は「中国の敵であるだけではなく、太平洋に利害を持つ国、つまりアメリカ、イギリス、フランス、オランダ、ソビエトの敵でもある」と言い、「日本の脅威を恐れている国」を「友邦と考え、その協力を望んでいる」と語ります。そして、読者には、毛沢東は、蒋介石らの敵に対しても協力を呼びかける、穏健な「やせたリンカーン」として映ったのでした。
 スノーは、共産主義者ではなく、ソ連や米国共産党とは距離があったと見られています。この点は、共産主義との関係が濃いスメドレーと違います。鈴木氏は『中国の赤い星』は、「非共産主義者が描いた共産主義世界の物語であればこそ、これほど多くの共感の賞賛をあびた」と書いています。
 『中国の赤い星』の出版は、ちょうど南京攻防戦の前、日本がアメリカの砲艦を誤爆した「ペネー号事件」が起こって、アメリカ人の中国への関心と同情が高まっていた時期でした。このタイミングが、本書の効果をより大きなものとしました。アメリカの世論は、圧倒的に親中反日となってしまいました。日本にとっては、不幸な誤爆が、さらに大きな禍を生んでしまったのです。

◆『アジアの戦争』が田中上奏文を広宣

 スノーは昭和16年(1941)、日米開戦の年の春に、『アジアの戦争』をアメリカで刊行しました。そして本書は、実に強烈な反日宣伝効果をもたらしました。
 本の扉、つまり表紙には、次の言葉が掲載されています。
 「20世紀の中ごろ、日本はアジアの平原でヨーロッパと出会い、世界の覇権をもぎとるであろう(大隈伯爵、1915年)」と。
 大隈とは、宰相・大隈重信です。また、第1篇第1章の最初の一行には、次の言葉が書かれています。
 「世界を征服するには、まず中国を征服しなければならぬ(田中手記)」と。
 「田中手記」とは、『田中上奏文』のことです。今日、ソ連による偽造という可能性が高いと見られている、かの謀略文書です。
田中上奏文が初めて世界に登場したのは、昭和4年(1929)、シナで、漢文版としてでしたが、スノーは早くからこの文書に言及しています。 昭和6年ごろから書いた『極東戦線』の中で、スノーは、田中上奏文の主旨を次のように書いています。
 「日本の繁栄のためには、まず資源豊富な満州を手に入れなければならず、また将来中国を初めとするアジア諸国を征服するためには、過去に日露戦争でロシアと戦ったように、まずアメリカをつぶさなければならない」と。
 スノーは、昭和16年に刊行した『アジアの戦争』において、この疑惑の文書を全世界に知らしめました。しかもスノーは、ここで一つの犯罪的な誇張を行っています。鈴木氏によると、前著『極東戦線』では、田中上奏文を「田中メモランダム」と呼んでいました。メモランダムは「個人的なメモ」を意味する言葉です。しかし新著『アジアの戦争』では、「田中メモリアル」という全く意味の違う言葉を使っています。メモリアルは、鈴木氏によると「ある歴史的な価値を持つ」ものにしか使わない言葉です。私は、スノーは、明確な目的意思をもって、この言葉を選び、親中反日の国際宣伝工作を行ったのだと思います。
 また、ここでも反日・連共の烈女・宋慶齢が、スノーに重大な影響を与えたと考えられます。鈴木氏によると、宋慶齢は、昭和12年10月、日中の上海戦の中で、英語によるラジオ放送を行いました。この放送において、「宋慶齢は、『日本軍閥が行っている侵略行動は、日本軍閥が、そのバイブルともいうべき<田中奏折>(=上奏文のこと)に従って行動している、ということを示すだけで、それ以上、どのような説明をする必要があるでしょうか』と言ったのである。『田中奏折』という四つの漢字は、『それ以上何の説明もする必要はない』と断言できるほど、強いインパクトで外国人に訴える力がある、と宋慶齢は信じていたのである」と、鈴木氏は書いています。
 私は、スノー自身は中国語・漢文はほとんどわからないでしょうから、そもそもスノーが田中上奏文の存在を知り、それに注目したのは、宋慶齢によるだろうと考えます。スノーは、田中上奏文に対する彼女の激しい反発を聞かされ、大いに共鳴したのだろうと思います。
 鈴木氏は、「スノーがこの『田中上奏文』の実在を信じ、それが日本軍閥のバイブルである、ということを知ったこと」を重視しています。そして、「戦後の『東京裁判』、それに付随して一挙に全世界に知られるようになった『南京大虐殺』事件を結ぶ最も重要なキーワードは、この田中上奏文・田中奏折である」と、見ています。
 ここで、田中上奏文について、私の認識を再整理しておくとーー田中上奏文は、おそらくソ連GPUによって偽造され、コミンテルンを通じて漢文版が中国で出版された。そして宋慶齢によってスノーが大いに注目するところとなり、「アジアの戦争』で全世界に報道された。アメリカ共産党による英語版の頒布が、相乗効果を上げた。そして、後に述べるように、この偽造文書が、東京裁判における日本断罪のシナリオのもととされた。スターリンの謀略は、こうしたルートでも貫徹していたのかも知れない。

◆「南京大虐殺」を誇張・捏造

 鈴木氏は、スノーの『アジアの戦争』(昭和16年春刊行)こそ、「南京大虐殺」を全世界に悪宣伝した本だったことを明らかにしました。
 私の理解では、スノーが、昭和12年12月の南京事件を、田中上奏文に書かれた世界制覇計画の一環としてとらえていたことが、重要です。そして、彼は、反日・連共の推進のために、南京事件を敢えて「大虐殺」事件として誇張・捏造したのだろうと思います。これはジャーナリストのモラルを超えた、デマゴーグ(悪質な宣伝・扇動をする者)の仕業です。
 『アジアの戦争』での、南京事件に関するスノーの記述は、大意、次のようになります。これは鈴木氏の訳をまとめたものです。
 「南京虐殺の血なまぐさい物語は、今ではかなり世間に聞こえている。南京国際救済委員会の人たちが私に示した資料から、私が見積もった結果によれば、日本は南京だけで少なくとも4万2千人を虐殺した。しかもこの大部分は婦人、子供だったのである」
 スノーはまた、「いやしくも女である限り、10歳から70歳までの者は、すべて強姦された」とも書いています。
ここで、スノーがこのように書くまでの経過を記します。昭和12年12月の日本軍の南京攻略について、最初に大規模な虐殺があった報道したのは、英国『ノースチャイナ・デイリーニュース』でした。その数は1万人でした。この数字を4万人にまで拡大したのが、南京大学教授で宣教師でもあるM・S・ベイツ教授でした。ベイツは「非武装の4万人近い人間が殺された。そのうち約3割は非戦闘員だった」と主張しました。ベイツの主張は、昭和13年7月に刊行された『戦争とは何か』という本に掲載されます。この本の編集を行ったのは、英マンチェスター・ガーディアン紙の中国特派員H・ティンパーリでした。ティンパーリは、中国国民党宣伝部に雇われたエージェントであったことが、立命館大学の北村稔教授によって明らかにされています。国民党国際宣伝部は、宣伝目的のために、ティンパーリに『戦争とは何か』の執筆を依頼したのでした。(4)
そのうえ、4万人虐殺説を唱えたベイツ自身も、国民党中央情報部顧問でした。南京事件は、中国国民党による反日工作のために作り上げられたのです。
ところがその後、中華民国の公式記録は、どれもベイツの「4万人虐殺説」を削除し、公式に再三、その説を否認していました。亜細亜大学の東中野修道教授は、ティンパーリが報じた死者約4万人という数字が、その後数年間、現地の刊行物の再録記事のなかからことごとく削除されていたことを明らかにしています。(5)
 この否認されていた「虐殺説」を改めて持ち出した者がいます。その人物こそ、エドガー・スノーだったのです。
スノーは、日本軍は「少なくとも4万2千人を殺害した。その大部分は女子供だった」と書きました。ベイツの説では、約4万人のうち1万2千人ほどが市民だったのに、スノーは、4万2千人の大部分は女子供だったと、改ざんを加えたわけです。数字と割合を変え、しかも犠牲者は、単に市民ではなく、女子供、と言い換えたわけです。また、「10歳から70歳まで、すべて強姦」などと書くのは、ほとんど事実を確かめられるわけもない、無責任な表現です。
 しかし、『アジアの戦争』における南京事件の表現は、インパクトが強く、アメリカを中心に、親中反日の国際世論をつくるうえで、絶大な効果を生んでいきます。これに便乗して、一気に桁を上げて「20万人虐殺」としたのが、アグネス・スメドレーです。(『シナの歌ごえ』昭和18年刊)
 スメドレーは、スノー以上に、中国共産党に深く関わり、ソ連共産党の影の濃い人物です。ここから、東京裁判の20数万、30万という数字のうそまでは、もう一声です。彼女については、別項目に譲ることにして、話を続けます。(6)

◆米国民を対日戦争に扇動

 鈴木氏によると、昭和16年にスノーは『アジアの戦争』を刊行したころ、「日本が中国に対して行っている侵略行為の最終目標は、東アジアに新しい秩序を創ることにある。日本は中国に存在している一切の資本保有者を排除するのが目的である。つまり、最初の相手は中国だが、やがてその目標は必ずアメリカにも及ぶ」と、繰り返しアメリカ国民に訴えました。
 そして、ナチス・ドイツの動向と、日本軍国主義は同じように危険である、と訴えたのです。そして、アメリカ人に対して、アジア問題において「中立、不干渉」はあり得ないことを説いて回りました。
 鈴木氏は書いています。「『アジアの戦争』は…頭の先から爪先に至るまで、ひたすらに『軍国主義日本』を憎悪し、ただ憎悪するだけではなく、アメリカ政府がその『中立政策』を捨て、世界平和の敵・日本に対して、武力介入を余儀なくさせることを目的とした『政治的』な著作だった…ここで使われた形容詞、エピソード、結論などは、常識をこえた激しいものであり、特に日本に対しては、『日本という国を、この世から抹殺する』という目的がはっきりしている…アメリカ人が『アジアの戦争』を読めば、アメリカはすぐにでも日本に宣戦布告をし、中国を救わなければならないという気持ちにさせられる。その意味では『アジアの戦争』は、完璧といってもいい、見事な内容になっていた」と。
 私は、『アジアの戦争』は反日プロパガンダ、対日戦争の扇動文書と見てよいと思います。ルーズベルトの周辺にはソ連のスパイがいました。その書が出された昭和16年には、スパイたちが暗躍していたのです。真珠湾攻撃より以前の対日先制攻撃計画を推進したカリーや、ソ連の指令を受けてハル・ノートを起草したホワイトらがそれです。彼らは大統領に対して対日戦争工作を行っていました。(7)
 スノーの著書は、スターリンがアメリカを対日戦争に引き込み、日米を戦わせようとした謀略と、基本的な方向において一致しています。それが単にスノー個人の考えなのか、それとも彼に巧みに働きかける宋慶齢や、あるいはその背後にいる共産勢力の意思を反映したものなのか、今後の研究が期待されます。

◆ルーズベルトと個人的に面談

 スノーについて重要なことは、スノーはルーズベルト大統領と会見し、彼の対中・対日政策にまで影響を及ぼしたほどの権威あるジャーナリストだったことです。
 昭和12年に『中国の赤い星』が出版されると、大統領の情報秘書官ハロルド・イキスが徹夜でこの本を読み通し、早速ルーズベルトにその内容を報告したという話は、有名です。
 そのことがもとで、日米戦争がはじまったすぐ後に、ルーズベルトは多くのアメリカ人ジャーナリストの中で、特にスノー個人を大統領執務室に招きました。スノーの言葉を借りれば、「私が大統領を取材するのではなく、大統領のほうが、私を取材した」のでした。
 鈴木氏によると、ルーズベルトは「全面的にスノーに賛成の意向を表明」し、スノーはルーズベルトへの「個人的情報提供者の一人」となったということです。
 興味深いことに、第2次大戦中、スノーは昭和17年(1942)10月から2度にわたって、延べ3年近くをモスクワで送っています。そして書いた本は、鈴木氏によると、「本音よりも美化されたソ連に関する本」でした。
 スノーは、昭和19年5月に、ソ連から一度アメリカに帰ったときにも、ルーズベルトに会っています。そして、昭和20年2月、ルーズベルトはヤルタ会談から帰ったすぐあと、スノーを招いて、長い時間語り合いました。これが三度目で最後の会談となりました。
 一体彼らは、何を語り合ったのでしょう。著書には書かれないこともあったでしょう。素人の気楽な推測を述べますと、スノーは、戦時中、ルーズベルトから依頼を受けて、米ソ関係にかかわる行動をした可能性があると思います。また、同時に中ソ間のパイプとなっていた可能性もあると思います。
 ひとつの仮説を挙げるならば、スノーを中心として、

 スターリン⇔毛沢東⇔宋慶齢⇔スノー⇔ルーズベルト⇔ソ連スパイ⇔スターリン

という円環があったのかも知れません。

◆日本における『わが闘争』!?

 さて、スノーの『アジアの戦争』は、東京裁判においても、重大な役割を果たしていたと見られます。鈴木氏は次のように書いています。「僕は東京で行われたこの軍事裁判は、スノーの1冊の本『アジアの戦争』の存在なくしては、あのような形で進行しなかったと確信している」と。これも氏による重大な発見です。
 以下、鈴木氏の記述をまとめてみますとーーアメリカの首席検事キーナンが、東京裁判の冒頭陳述を作るに当たって、何を参考にしたのか、具体的な資料は残っていません。しかし、当時アメリカ人が日本を理解するに当たって、アメリカ国内にそれほど多くの参考書があったわけではありません。
 スノーの著作は、その数少ないものの一部でした。しかも、そこには田中上奏文が引用されており、満州事変から真珠湾までが系統的に描かれていたのです。こうした本は、当時のアメリカでは、スノーの著作しかなかったのです。
 鈴木氏は書きます。昭和20年、東京裁判の「日本にやってきたアメリカ検事団が、このとき既に進行していたドイツのニュルンベルグ裁判を参考にして日本という国が、『計画的且つ組織的』に『世界征服』という野望を持って『共同謀議』し、その結果が『真珠湾攻撃』に結びついた、というシナリオを描こうと思っていたことは、当然である」と。
 ニュルンベルグ裁判では、ナチス・ドイツは、ヒトラーの著作『わが闘争』をバイブルとして「計画的且つ組織的」なヨーロッパへの侵攻、さらに千年も滅びることのない「第3帝国」の完成を夢見て、白人至上主義、民族の優位性、ユダヤ人の撲滅、民族浄化政策を「計画的且つ組織的」に行ったと見なされました。
 『わが闘争』は、1925年に書かれており、1935年のベルサイユ条約破棄、1938年のオーストリア併合、さらにチェコスロバキアを保護領にし、1939年にはポーランドを手に入れるなど、ナチスの行動を、『わが闘争』をもとに裁くことは、筋が通っていました。しかし、アメリカ検事団は、日本の中には「わが闘争』のような、適当な本を探し出すことができませんでした。
 鈴木氏によると、「この中で信頼できる1冊の本が『日米戦争』の数ヶ月前に発行された、エドガー・スノーの『アジアの戦争』である。このときスノーは既に『日米戦争』を予言(注:昭和16年の年内に、と)し、事態はまさに、その通りになったのである。その内容は、文字通り日本の『軍国主義政策』の根幹を描いたものであり、文章も内容も、簡潔で要を得ていた」というわけでした。

◆日本断罪のシナリオを提供

 鈴木氏によると、「スノーはアメリカ人にとって、神格化された地位にあったルーズベルトと三回も個人的な会談の時間を持った知識人であり、充分に信頼されている人物であった」のです。
 それゆえ、スノーの著作は、米国人には信憑性が高く、東京裁判における日本断罪のシナリオの原本とまでされたようです。
 キーナン首席検事の冒頭陳述を鈴木氏は、次のようにまとめています。
 「日本の目的は世界征服であった。そのために、日本は侵略のための殺人教育を続けてきた。それは組織的、且つ計画的な共同謀議によって行われた。そして、そのターニングポイントとなった年月は、1927〜28年であった」と。
 この筋書きは、スノーが構成した論理そのものです。「1927〜28年」とは、田中上奏文を暗示する年代です。私見を述べますと、キーナンは偽書の疑いのある田中上奏文の名前はあげずに、この文書をスノー、そして宋慶齢が広く宣伝したように理解し、日本の罪状をつくりだすタネ本としたのでしょう。
 鈴木氏によると、スノーの『アジアの戦争』は、初めの部分は、日本では長年、「殺人教育」が行われ、その最初の成果が「南京虐殺事件」であるという構成になっています。これと同様に、東京裁判の検事側は、まず「日本の軍事教育」を最初に出しました。そして、「南京事件」は「日本人の度肝を抜く事件」として、裁判初期の段階で、とりあげられたのです。
 南京事件について、『アジアの戦争』がどのように誇張・捏造したかは、既に述べた通りです。スノー=キーナンの筋書きの中で、「南京大虐殺」という稀代の大嘘は、実に効果的に日本の断罪に用いられたわけです。

◆思い入れによる悪宣伝

 東京裁判が終了した約1年後、昭和24年(1949)に、スノーが支援し続けた中国共産党は、「中華人民共和国」の成立を宣言しました。スノーはこの国に、限りない期待と希望をもっていました。そして、昭和35年(1960)に初めて、共産中国を訪れました。
 2年前から推進されていた毛沢東の「大躍進」政策は、当時、中国の農工業を混乱させ、大量の餓死と破壊をもたらしていました。しかし、スノーは、現実を見ることなく、人民公社を肯定し、粛清のうわさを否定し、毛沢東の個人崇拝をも肯定しました。
 昭和45年(1970)8月、スノーは戦後3回目の中国行きを行いました。全中国は、41年(1966)からの文化大革命の嵐におおわれ、国中が揺れ動いていました。毛沢東らは、最高の礼を以って、スノー夫妻を迎えました。そして建国21周年記念日に当たる10月1日、天安門前に作られた舞台の上で、スノー夫妻は、舞台の中心に、毛沢東と共に並び立ちました。
 百万人にのぼる若者たちは、口々に「毛沢東主席万歳!」を叫び、赤いネッカチーフを風になびかせながら行進します。スノーは毛沢東と共に、熱狂的な紅衛兵たちに応えました。
 毛沢東とスノーが天安門前で紅衛兵に手を振る写真は、11月19日、毛沢東の77歳の誕生日の人民日報に、大きく掲載されました。その写真説明には「中国に友好的なアメリカ人」と書かれていました。
 こうしてスノーは、毛沢東の個人崇拝と強権政治に荷担し、文化大革命という権力闘争を美化することにも貢献したわけです。
 今日、私たちは、中国の「大躍進」から「文化大革命」にいたる20年間とは、毛沢東の失政・暴虐による、混乱と破壊の時代に過ぎなかったことを知っています。
 毛沢東は、スノーが描いた「やせたリンカーン」ではなく、「言葉巧みなスターリン」だったのです。
 スノーの共産主義に対する思い入れが、全く誤ったものだったことは、明らかです。しかし、こうした根本的な誤りを犯していた人物が、戦前、わが国を、世界に向けて悪宣伝していたのです。

◆超克のための新発見

 スノーの悪宣伝は、清算された過去の逸話ではありません。冒頭に、鈴木明氏の言葉を引きました。「日本、中国、アメリカという、東アジアだけではなく、21世紀の世界に最も大きな影響を与えるかもしれない重要な三つの国で、いまでも喉元に突き刺さったままでいるような大きな歴史的課題が、まだ未解決のままである。いわゆる南京大虐殺論争である」と。この南京事件の虚構の鍵を握っていたのは、スノーでした。
 南京事件だけではありません。現在も我が国の教育や歴史認識を支配している東京裁判史観もまた、少なからず、反日・連共のデマゴーグ、エドガー・スノーが生み出したものでした。
 今日、南京での「大虐殺」という冤罪を晴らし、東京裁判とそれに基く戦後日本の歪みを克服するために、反日的な国際宣伝工作の実態を明らかにしていく必要があると思います。(ページの頭へ)


(1)『田中上奏文』については、第1章をお読み下さい。
(2)南京事件については、以下の拙稿をお読み下さい。
 「南京『大』虐殺はあり得ない」
(3)スメドレーについては、第5章をお読み下さい。
(4)北村稔著『「南京事件」の探求』文春新書
(5)東中野修道著『『南京虐殺』の徹底検証』展転社
(6)(3)と同じ。
(7)カリーとホワイトについては、第10章をお読み下さい。

※第二次世界大戦と日本の戦前戦後政治、日本のスパイ勢力と左翼

 


http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/383.html

記事 [政治・選挙・NHK152] 日本を操る赤い糸〜田中上奏文・ゾルゲ・ニューディーラー等 第5章 スメドレー〜女性記者の赤い疑惑

「ほそかわ・かずひこの<オピニオン・サイト>」から
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion07b.htm


第5章 スメドレー〜女性記者の赤い疑惑

 「南京事件」は、エドガー・スノーによって、女子供を含む4万2千人が虐殺されたと宣伝されました。さらにそれをもっと誇張したのが、アグネス・スメドレーです。彼女は「日本軍は20万人を虐殺した」と拡大宣伝しました。この女性ジャーナリストの行動には、背後にある組織の意図・目的がうかがわれます。

◆「南京大虐殺」として虚報

南京事件について、4万人虐殺説を言い出したのは、M・S・ベイツ博士でした。ベイツは中国国民党中央情報部の顧問でした。彼の所説は、「非武装の4万人近い人間が殺された。そのうち約3割は非戦等員だった」というもの。国民党は宣伝部に雇ったエージェントのH・ティンパーリを使い、『戦争とは何か』にベイツの説を載せて宣伝しましたが、中華民国の公式記録では、どれもベイツの「4万人虐殺説」を削除し、公式に再三、その説を否認していました。
ところが、これを改めて反日宣伝に持ち出したのが、エドガー・スノーでした。スノーは、昭和16年(1941)刊行の『アジアの戦争』に、日本軍は「少なくとも4万2千人を殺害した。その大部分は女子供であった」と書きました。ベイツの説では、4万人のうち1万2千人ほどが市民だったのに、スノーは、4万2千人の大部分は女子供だったと、改ざんを加えたわけです。数字と割合を変え、しかも犠牲者は、単に市民ではなく女子供、と言い換えたのです。
さらに、そのうえを行ったのが、アメリカの女性ジャーナリスト、アグネス・スメドレーでした。スメドレーは、昭和18年(1943)に出した『シナの歌ごえ』で、「日本軍は、20万人を虐殺した」と、拡大宣伝しました。死者の数は、5倍に増やされました。東京裁判で出される数字に、一挙に跳ね上がったわけです。
スノーもスメドレーも、南京事件の現場を目撃・検証したわけではありませんから、全くジャーナリストのモラルが疑われます。むしろ、彼等は、客観的な第三者の立場を装って、シナの事情に疎い欧米の読者に対し、意図的に、悪質なデマ宣伝をしたと見るべきでしょう。スメドレーについては、スノー以上にその可能性が高いと思います。

◆ソ連・インド・シナを結ぶ糸

アグネス・スメドレーは、アメリカ人でしたが、インド独立運動に関心を抱くようになりました。そして、ベルリンで勉強していた時、インド人のチャットパディアと出会い、結婚します。
チャットパディアは、単なる愛国的な独立運動家ではありませんでした。ロシア革命後、共産主義者となったからです。彼はインド共産党の創立に加わり、またドイツ共産党でも活動しました。そして、共産主義による国際的な民族解放運動を推進していました。
スメドレーは、そうした人物と数年間、共同生活をしているのです。チャットパディアはソ連=コミンテルン系の共産主義者ですから、スメドレーの方も、共産主義運動に献身あるいは協力していたと見るべきでしょう。仮に二人の目的は、インド人民の悲願、民族独立だったとしても。
スメドレーは、昭和3年(1928)に、ドイツの新聞『フランクフルター・ツァイトゥング』紙の記者となります。この新聞は、フランフルトに本社があります。その都市こそ、西欧マルクス主義の牙城・フランクフルト学派の本拠地でした。
スメドレーは、ドイツでは珍しかっただろうインド人の共産主義者と生活を共にしながら、よくこうした職を得られたものです。さらに彼女は、なぜかシナにも関心を持つようになり、昭和4年、特派員として、シナへ行きます。
その翌年、上海に、コミンテルンの大物スパイが現れます。その名は、リヒャルト・ゾルゲ。かのゾルゲ事件で名高い人物です。ゾルゲは、ドイツ人ジャーナリストの肩書で、ソ連からシナに派遣されたのです。そこでゾルゲは、スメドレーと会い、彼女から尾崎秀実を紹介されます。尾崎は、ゾルゲ事件に連座した新聞記者です。
昭和8年(1933)1月、ドイツにナチスのヒトラー政権が成立しました。すると、ゾルゲは、コミンテルンから日本行きの指令を受けます。彼はまずドイツに入って、偽装ナチ党員となり、同年9月には『フランクフルター・ツァイトゥング』紙の東京特派員の職を得ます。この新聞社は、スメドレーが勤めている新聞社です。
ゾルゲは来日すると、尾崎と共に、国際スパイ活動を展開します。一方、スメドレーはシナに残り、中共軍と行動を共にします。
どうも、どこかに筋書きが書かれているような気がします。素人の気楽さで、仮説を立てるとーーコミンテルンの支部組織がベルリンやフランクフルトにあり、『フランクフルター・ツァイトゥング』紙の幹部に共産主義者がいた。チャットパディア=スメドレー=ゾルゲは、同じ指示系統で活動した。スメドレーは使命を受けてシナに派遣され、現地のコミンテルンの指示を受けて、ゾルゲに協力し、尾崎秀実を紹介した。また彼女はチャットパディアと協力してインド・シナの共産化を画策したーー。
スメドレーは、実際、チャットパディアとともに、毛沢東・周恩来・朱徳と、ガンジー・ネルーをつなぐ役目をしています。しかし、インドの賢者たちは、チャットパディアと異なり、ソ連・中共の共産主義とは一線を画しました。これは、インドの運命にとって、賢明な判断だったと思います。チャットパディアの路線を行っていれば、インドは東欧と同じ悲惨を味わっただろうからです。

◆「20万人虐殺説」を唱えた容疑者

昭和8年(1933)にドイツでナチスが政権を取ると、チャットパディアは、ソ連に亡命します。レニングラードの大学で教鞭をとっていたといいますから、相当な評価を受けていたのでしょう。しかし、最後は、スターリンに粛清されてしまいます。
一方、スメドレーは、シナで活動を続けました。彼女は日中戦争の間、中共軍に従軍して各地を転戦し、中国共産党の代弁者のようになって、欧米に著述を書き送りました。
彼女は、昭和16年(1941)に帰米しましたが、のちアメリカ政府からスパイという告発を受けます。彼女は抗弁して、逆に政府に謝罪させましたが、結局、国を追われ、昭和24年(1949)に渡英します。そして、困窮のうちに、ロンドンで客死。遺骨は、北京に葬られたのことです。彼女の思いは、シナにあったのでしょう。共産主義に骨まで献身したというわけでしょう。
冒頭に、「南京大虐殺」についてのスメドレーの記述を書きました。私は、スメドレーの「20万人虐殺説」は悪意あるデマ宣伝であり、その背後に、なんらかの組織の意図・目的があると考えます。
スメドレーの足跡には、赤い疑惑がつきまといます。専門家の方々のさらなる研究に期待しています。(ページの頭へ)

※第二次世界大戦と日本の戦前戦後政治、日本のスパイ勢力と左翼


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記事 [政治・選挙・NHK152] 日本を操る赤い糸〜田中上奏文・ゾルゲ・ニューディーラー等 第6章 ゾルゲ〜二つの祖国を持つスパイ

「ほそかわ・かずひこの<オピニオン・サイト>」から
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion07b.htm


第6章 ゾルゲ〜二つの祖国を持つスパイ

共産主義者は、日本でもスパイ活動を行いました。わが国でのソ連のスパイ活動は、昭和16年10月、大東亜戦争直前に発覚しました。これが有名なゾルゲ事件です。背後にいるのは、スターリンです。スターリンは、ソ連を盟主とした世界の共産化を目論み、世界各国に国際共産党の支部を設け、スパイや協力者を作り、ソ連の国益に奉仕させました。彼のために日本で暗躍したスパイが、リヒャルト・ゾルゲでした。

◆二つの祖国を持つ男

 リヒャルト・ゾルゲは、1895年、ロシアのバクーに生まれました。父アドルフはドイツ人の石油技師、母ニーナはロシア人でした。3才のおり、家族とドイツに転居し、少青年期をベルリンで過ごしました。
ゾルゲは、厳格でドイツ国家主義的な考え方の強い父親に反発しました。祖父は、ドイツ社会民主党の活動家で、マルクスやエンゲルスとは同僚のような関係でした。ゾルゲは子供のころから、そんな祖父への強いあこがれを抱いていました。第1次大戦に従軍した彼は、戦争の悲惨さを痛感し、社会の変革を強く願うようになったのでしょう。1917年に、母の国ロシアで起きた共産主義革命に感激したゾルゲは、1919年に、ベルリン大学を卒業すると直ちに、ドイツ共産党に入党しました。(1)
ゾルゲは女性共産主義者ローザ・ルクセンブルグの著書の出版などで頭角を現しました。ゾルゲはまた、フランクフルト学派の一員でもありました。1924年、フランクフルト大学に西欧マルクス主義の牙城となる「社会研究所」が創立された時、彼はその所員となり、しばらく在籍したのです。そして同年、共産党の指令でモスクワへ派遣されました。ソビエト共産党に入ったゾルゲは、コミンテルン本部でも優れた才能を示し、赤軍第4本部(情報局)に引き抜かれました。彼の持つ強い信念、豊かな能力、冷徹な性格は、スパイに向いていると評価されたのです。
ゾルゲは生涯ドイツの国籍を保ちました。その一方、母の国ロシアを「革命の祖国」として尽くしました。父の国での革命を夢見て……しかし、その夢は無残に裏切られることになります。

◆宿命の出会い、そして日本へ

 昭和5年(1930)、シナの情勢は緊迫していました。満州をめぐる日ソの利害は鋭く対立しました。ゾルゲは、ドイツ人ジャーナリストの肩書で、ソ連から上海に派遣されました。ここでゾルゲは、赤い疑惑のジャーナリスト、アグネス・スメドレーと会いました。そして、彼女の紹介で、当時、朝日新聞上海特派員だった尾崎秀実(ほつみ)に近づきます。尾崎は、中国共産党や抗日組織と関係していました。ゾルゲは、尾崎にシナでの情報収集に協力を求めました。これが、彼等による日本でのスパイ活動につながります。
 昭和8年(1933)1月、ドイツにナチスのヒトラー政権が成立しました。指令を受けたゾルゲはモスクワに戻り、ドイツに入って、偽装ナチ党員となりました。
 ゾルゲは、独特の魅力を持つ人物だったようです。長身でエキゾチックな容貌、社会学博士という高い知性、東洋文化への深い造詣などは、ナチスの宣伝相ヨーゼフ・ゲッぺルスをも魅了しました。そして、同年9月には、ドイツで『フランクフルター・ツァイトング』紙の東京特派員の職を得ることに成功し、日本行きの指令を実行しました。盛大な送別会には、彼の正体を知らぬゲッペルスの姿もありました。
 ゾルゲの来日の目的は、昭和6年の満州事変以降の日本の対ソ政策・対ソ攻撃計画を探知し、日本のソ連への侵攻を阻止することにありました。ゾルゲは、駐日ドイツ大使らに接近するとともに、大阪朝日本社に転勤していた尾崎と再会して、日本での協力を求めました。尾崎は「宿命的なもの」を感じました。彼等は、画家宮城与徳らを加えて情報組織を確立し、ソ連と国際共産主義に奉仕する活動を開始しました。

◆「革命の祖国」ソ連への献身

 ゾルゲと尾崎らの活動は、昭和11年(1936)の二・二六事件以降に本格化します。ゾルゲはドイツ大使館の信頼を得、オットー大使の私設情報官に就任し、重要な情報を手に入れられる立場となりました。オットー大使とは一心同体の仲となり、ゾルゲが大使名で本国向けの報告を書くことさえありました。
一方、尾崎は昭和12年4月に、近衛文麿のブレーンである昭和研究会に加わりました。翌年7月朝日新聞社を退社し、第1次近衛内閣の嘱託となり、14年1月満鉄東京支社に移りました。15年7月の第2次近衛内閣の成立前後には、国民再組織案を練るなど、国策に参与する機会をつかみました。こうして尾崎は高度の情報と正確な情報分析を提供して、ゾルゲのソ連防衛のための活動を助けました。こうしてゾルゲは大東亜戦争開戦に関する御前会議決定の機密情報などまでを入手して、ソ連に送っていました。
ゾルゲはオットー大使から、昭和16年6月のドイツ軍のソ連侵攻日時など機密情報を入手し、モスクワに通報しました。独ソ開戦後、オットー大使はヒトラーの意を受け、日本とドイツが共同でウラジオストクを攻撃し、ソ連を東西から挟撃する計画を松岡洋右外相らに持ち掛けました。しかし、日本は南進論や日米開戦方針などから難色を示しました。(2)

◆諜報発覚

 ドイツの進攻を受け、苦戦するソ連を防衛する活動の最中、ゾルゲらの活動は、昭和16年10月15日、日本共産党員・伊藤律を通じて発覚し、終止符を打たれました。ゾルゲ、尾崎を始め、情報提供者、情報機関員らのグループは、スパイ行為の嫌疑で次々に逮捕されました。そして、治安維持法、国防保安法等の違反で起訴されました。ゾルゲのグループは、日本人32人のほか、ドイツ人4人、ユーゴスラヴィア人2人、英国市民1人が加わった巨大組織でした。
 ゾルゲ事件は、日本国内に衝撃を与え、一大スキャンダルとして大々的に報じられました。日本政府は在京ドイツ大使館との対話を停止するなど、日独同盟関係は一時、冷え込みました。ヒトラーはオットー大使を更迭せざるをえませんでした。
 日本はヒトラーが提案したソ連挟撃構想には、終に乗りませんでした。 しかしゾルゲ事件の翌月、11月26日、ルーズベルトからハル・ノートを突きつけられた日本は、対米決戦に突入しました。ハル・ノートの背後には、日米を戦わせようとするスターリンの謀略があることなど、わが国の指導層は知る由もありませんでした。
 日米開戦後の昭和18年にゾルゲ、尾崎に死刑判決が下されました。処刑は19年11月7日に行われました。それは、日本の敗色が濃くなり、特攻作戦が開始されたころでした。苦境にあった日本は、ソ連に和平交渉の仲介を依頼していました。しかしそのソ連から、突然の侵攻を受けました。昭和20年8月9日のことです。日本が弱ったのを見たスターリンは、好機到来と、日ソ中立条約を一方的に破棄し、赤軍を進撃させたのです。背後から袈裟懸けに斬り付ける非道の行いでした。

◆スパイたちの夢、まぼろし

 共産主義に夢を抱き、命を捧げ、そして共産主義に裏切られた者は、多数、歴史の闇の中に眠っています。
大物スパイ・ゾルゲは、共産主義の首領スターリンに命をかけて尽くしました。しかし、猜疑心の強いスターリンは、ゾルゲに二重スパイの疑いをかけていました。
 スターリンは、ゾルゲが日本で処刑されたあと、ロシアに残る妻と12歳の長男を強制収容所に送り、処刑しました。長男については、当時の国内法では年齢が低くて処刑の対象にならないことが分かると、法改正まで行って処刑しました。「革命の祖国」ソ連のために死んだゾルゲに、「同志スターリン」は、かくも冷酷だったのです。
ゾルゲは、祖国ドイツに革命の夢を抱いていました。彼が夢見た革命は第二次大戦後、ソ連による東ドイツの「解放」という形で、実現しました。しかし、共産主義による「解放」とは、欺瞞そのものでした。支配と搾取の別名でしかなかったのです。「解放」の45年後、ソ連の圧政に耐えかねた東ドイツは、共産主義を捨て、民族統一の道を選びました。続いてゾルゲが命を捧げたソ連自体も、内部から崩壊しました。
ゾルゲの共犯者・尾崎秀美には、今なお漠然としたロマンや共感を抱く知識人が多いようです。治安維持法による尾崎らの逮捕・処刑を、民主主義への弾圧、人権の侵害だとする意見さえあります。
実際はどうでしょうか。尾崎が死を賭して守ろうとしたソ連は、「労働者・農民の国」を自称していました。しかしその実態は、労働者・農民が共産党官僚に支配される国でした。ソルジェニーツインが明らかにしたように、ソ連は弾圧と虐待が横行する「収容所列島」の国でした。そして、他国を侵略して下部構造に組み込み、人民を搾取する「赤色帝国主義」「社会帝国主義」の国だったのです。終戦間近に参戦したソ連は、満州や樺太で、逃げ惑う日本人婦女子を暴行・虐殺し、男たちをシベリアに連行して強制労働させました。
 そうした国のために、尾崎はスパイ行為を行いました。彼の行為は、祖国と同胞を裏切った、史上類例のない反逆罪として記憶されるべきものです。
今日の日本には、スパイ法はありません。日本は「スパイ天国」と呼ばれています。毛沢東や金日成・正日父子の国に幻想を抱き、諜報・協力している人間は少なくないようです。政治家・官僚・ジャーナリスト・大学教員の中にも。彼らの夢もまた、ゾルゲや尾崎らと同じように、まぼろしに終わるだけでしょう。
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(1)『20世紀特派員〜暴走する大衆(23)』(産経新聞社)
(2)産経新聞平成9年12月28日号『ゾルゲ事件、日独同盟に亀裂』


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記事 [政治・選挙・NHK152] 日本を操る赤い糸〜田中上奏文・ゾルゲ・ニューディーラー等 第7章 尾崎秀美と「敗戦革命」の謀略

「ほそかわ・かずひこの<オピニオン・サイト>」から
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion07b.htm


第7章 尾崎秀美と「敗戦革命」の謀略

田中上奏文、スノー、スメドレー、ゾルゲ等をたどっていくと、ソ連・中国・アメリカの共産主義者及びわが国の共産主義者の間の連携には、これまで知られている以上に、広く深いものがあるに違いないと感じられます。最も気になるのは、近衛文麿の上奏文の内容です。
 「これら軍部内一味の革新論の狙ひは必ずしも共産革命に非ずとするも、これを取巻く一部官僚及民間有志(略)は意識的に共産革命にまで引きずらんとする意図を包蔵しおり、無知単純なる軍人これに躍らされたりと見て大過なしと存候。‥‥彼等の背後に潜める意図を十分看取する能はざりしは、全く不明の致すところにして何とも申訳無之深く責任を感ずる次第に御座候」
 これは単なる一政治家の回想録の一部ではありません。昭和天皇にあてた元首相の赤裸々なお詫び文の一節です。そにに、重みがあります。敗戦を覚悟した近衛は、戦後に共産革命の起こることを深刻におそれ、自責の念に駆られていました。近衛を操っていたのは、彼を取り巻くブレーンの中核だった尾崎秀美です。尾崎の暗躍はゾルゲ事件で露呈しました。その尾崎の背後には、一般に認識されているより、はるかに重大なものがありそうだと私は感じていました。

 そうしたところに、三田村武夫氏の著書『大東亜戦争とスターリンの謀略』(自由社)を知り、一読。ズシンと腑に落ちるものがありました。戦前、”満州の三スケ”といわれ、東条内閣の商務大臣を務めた岸信介氏は、三田村氏の著書に寄せて、次のように書いています。
 「支那事変を長期化させ、日支和平の芽をつぶし、日本をして対ソ戦略から、対米英仏蘭の南進戦略に転換させて、遂に大東亜戦争を引き起こさせた張本人は、ソ連のスターリンが指導するコミンテルンであり、日本国内で巧妙にこれを誘導したのが、共産主義者、尾崎秀実であった、ということが、実に赤裸々に描写されているではないか。
 近衛文麿、東条英機の両首相をはじめ、この私まで含めて、支那事変から大東亜戦争を指導した我々は、言うなれば、スターリンと尾崎に踊らされた操り人形だったということになる」と。
 岸氏は戦後首相になった人物で、その気骨と頭脳の優秀さには定評があります。三田村氏の書著が単なる謀略史観の類であれば、自ら序文をしたため、「操り人形」などと自嘲しはしないでしょう。

 三田村氏によると、尾崎は「最も忠実にして実践的な共産主義者」(尾崎自身の言葉)であり、レーニンの「帝国主義戦争を革命へ」という戦術に基づき、軍部の中枢や近衛の政策ブレーンに入り込んで、日本を無謀な戦争に駆り立て、かつ戦争を長期化させて敗戦に至らしめ、「敗戦革命」を起こそうと画策していたのでした。つまり、資本主義国同士の戦争を革命の好機とし、これを醸成し、敗れて弱った国から革命を起こしていって、最後は世界共産主義革命を完成させるといういう戦略の実践です。
 尾崎の最大の仕事は、陸軍を北進論から南進論に転換させたことです。この転換で、日本は英米と戦わざるを得なくなる道に進みました。スターリンは、日本軍をシベリアから南方へと向けさせることで、ドイツの侵攻から命拾いをし、日米を決戦に引き込むことで、漁夫の利を得たのです。

 戦後の日本では、コミンテルンの32年テーゼの二段階革命論の第一段階・ブルジョワ革命に当たる変革が実行されました。実行者は、ソ連ではなくアメリカ、日本の共産主義者ではなくGHQの官僚たちでした。GHQには多くのニューディーラー左派がいました。彼らはケーディスを始め、共産主義者ノーマンの書いた日本史・日本論を「聖書」のようにして読み、日本弱体化の参考にしました。GHQのブルジョワ革命的な占領政策には、日本の共産主義者や容共的な近代主義者が多数協力したのでした。
尾崎の目的は「敗戦革命」による日本の共産化でした。戦後日本では、それは押し留めることができています。しかし、共産化の前段階としてのブルジョワ革命的な変革は、こうした形で遂行されてきたのです。
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※第二次世界大戦と日本の戦前戦後政治、日本のスパイ勢力と左翼


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記事 [政治・選挙・NHK152] 日本を操る赤い糸〜田中上奏文・ゾルゲ・ニューディーラー等 第8章 ハル・ノートにスターリンの謀略

「ほそかわ・かずひこの<オピニオン・サイト>」から
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第8章 ハル・ノートにスターリンの謀略

日米戦争について、近年二つの重大な新事実が明らかになっています。一つは、米国は日本の真珠湾攻撃の前に日本本土爆撃計画を立てており、その計画を推進したロークリン・カリーは、ソ連のスパイだったこと。もう一つは、ハリー・デクスター・ホワイトも、ソ連の諜報組織と関係があり、ハル・ノートの原案はホワイトがソ連の指示に従って起草したものだったこと。これらの二つです。特に、ハル・ノートに関する関与は重大です。

◆ハル・ノートに対する「不戦必勝」の道

カリーとホワイトは、時代を代表するエコノミストでした。共にケインズ主義者でした。カリーはニューディール第2期に、左派色の強い経済政策をデザインした「ケインズ革命」の立役者でした。ホワイトは戦後、ブレトンウッズ協定を立案し、英国代表のケインズと渡り合い、米国主導による戦後の世界通貨金融システムを構築した人物で、経済学の入門書にも載っているほどです。かくも優秀抜群なる米政府高官が、スターリンの世界共産化の謀略に関与していたとすれば、驚きです。
そこで、ハル・ノートとその背後のソ連の謀略、そして対米戦争を回避しえた道について、以下に書くことにします。
まず私は、日米開戦の引き金となったとされるハル・ノートに対しては、「即、交渉打ち切り、対米開戦」ではない「別の道」があったと考えています。昭和10年代の日本は「厳正中立・不戦必勝」の策 (注1)をとるべきだったという考えです。そして、それゆえ、私は大東亜戦争肯定論ではなく、いわば大東亜戦争本来不要論です。
日本側は、ハル・ノートをつきつけられた時、撤退すべしという中国には満州を含むと受け留めました。この受け留めによって、ハル・ノートは事実上の最終通告と理解され、日本の指導層は対米決戦へと決断しました。しかし、ハル・ノートは、満州を撤退の範囲に含むか否か明示していないのですから、この点を問いただして、外交交渉を続けるべきでした。
ハル・ノートに関して、私の知る限り、傾聴すべき意見を表明している方に、小室直樹氏、日下公人氏、片岡鉄哉氏がいます。
まず小室直樹氏、日下公人氏の共著『太平洋戦争、こうすれば勝てた』(講談社、1995)から要点を引用します。

小室:戦争をしない方法の「一番簡単なのは、ハル・ノートを突き付けられた時に『はい、承知しました』って言ってしまえばよかった。そうすれば戦争をする必要は無かった」
日下:「実行はズルズル将来へ伸ばせばいいんだから」
小室:「ハル・ノートには日程はついていなかったんだから」。「国際法の無理解」のため「ハル・ノートを理解できなかったから日本は対米戦争に突入した」
日下:「ハル・ノートの内容を世界に公開すべきでした」

大変、示唆に富んだ意見だと思います。これをさらに推し進めた意見が、片岡鉄哉氏の意見です。
片岡氏は、フーバー研究所員、元筑波大学教授。戦後日本外交史の国際的な権威です。上記産経新聞の報道を受けて書いた雑誌論文で片岡氏は、概略、次のように論じています。(『アメリカに真珠湾を非難する資格はない!』 月刊誌『正論』平成11年10月号)

大東亜戦争についてーー「クローゼビッツの戦争論に、戦争の第一原則というのがある。ひらったくいうと、戦争とは勝つためにはなんでもするものだというのである。しかし日本政府はそれを理解していなかったようである。日本にとって勝つとは、戦争を回避することだった。そのために政府は手段を選んではならなかった。名誉ある不戦を求めて手段を選んではならなかった。
日本政府が真珠湾への決定を下したのは、アメリカ政府が最後通牒で、理不尽な要求をしてきたからである。日本が受け入れるはずのない要求をしてきた。ただし、アメリカ政府はこれを最後通牒と呼ぶことを避けた。事実上の最後通牒を最後通牒と呼ぶのを避けることで、日本を先制攻撃に追い込んだのである。しかしそれだったら日本政府は、その最後通牒の内容を暴露すべきだった。ルーズベルトが、ハワイの司令官にも、誰にも知らせないで、最後通牒を出した事実を暴露すべきであった。…
 夏から秋にかけて、共和党はルーズベルトが戦争を求めている理由の一つを薄々感じ取っていた。32年に当選して以来、彼はあらゆる手段で大恐慌と闘ってみたが、失敗していた。…あとは戦争しかない、という実感が空気としてあったのである。…
 日本が名誉ある不戦をとるとすれば、彼らに頼る以外なかった。彼らに、FDRが最後通牒をだしたことを知らせるべきだった。それも単に知らせるだけでは足りない。ルーズベルトは真珠湾攻撃を両院議員総会で発表して、メディア・イヴェントにしたが、あれくらいの派手なことをやって、誰が戦争を求めているのかを、全世界に印象付けるべきだった。…」

小室・日下・片岡各氏が述べるような、極めて高度な外交を、果たして、当時の日本の政府が展開できたかどうかは、疑問を感じる方も多いでしょう。しかし、「ハル・ノート」への対応は、「即、交渉打ち切り、対米決戦」のみではなく、米ソの謀略に乗らない道が、一つの可能性としてあったことは、ご理解いただけるでしょう。実際、ハル・ノートを突きつけられてから開戦までの11日間、挑発に乗らず、あくまで戦争を避けるべきだという意見が、指導層の一部からは出されたのです。しかし、指導層の多くは、クラウゼヴィッツ流の西洋白人戦法を信奉していたため、東洋・孫子流の「戦わずして勝つ」最高の戦略があることを理解できなかったのでしょう。

◆H・D・ホワイトに関する疑惑

日米戦争によって、戦後、漁夫の利を得たのが、スターリンでした。彼は、かなり早くから日米戦争謀略を構想していたようです。アメリカのW・ビュリット駐ソ大使は早くも昭和10年(1935)7月19日に「アメリカを日本との戦争に引き込むのがソ連政府の心からの願望」だと米国に知らせていたのです。昭和10年つまり1935年とは、ルーズベルトが大統領に当選した年です。スターリンは策謀の一環として、ルーズベルト政権の高官の中にスパイをつくり、彼等を使って、ルーズベルトを操り、日米を戦わせようとしたのだろうと思います。
そして、この線上に浮かび上がってくるソ連への重要な協力者の一人が、H・D・ホワイトだったのです。当時、彼は財務省のエリートでした。ルーズベルト大統領に強い影響力を持つ財界の大物・財務長官モーゲンソーの右腕であり、頭脳でした。ホワイトの書いたものは、そのままモーゲンソーが署名し、モーゲンソーの文書として大統領に提案されたといいます。
戦後、IMFの理事長という要職にあったホワイトに疑惑が起こりました。昭和23年(1948)7月です。共産党の女性スパイであることを告白したエリザベス・ベントレイが、下院の非米活動委員会で、「ホワイトはワシントンの共産党エリート分子の一人だ」と証言したのです。ホワイトは、自ら同委員会に出席し、委員の質問に逐一答え、自分は共産党員だったことはないし、いかなる反米活動に従事したこともないと誓いました。ところが、それから2週間もたたずに、ホワイトは自分の農場で死亡しました。死因は心臓発作とされています。当時、スパイの容疑をかけられた者たちが、次々に自殺したり、亡命したりしたので、ホワイトの死は謎を残しました。
彼の死後も疑惑は続き、以前に共産党員だったウイタカー・チェンバースが、ホワイトは、戦争中ソ連のスパイ網の一員であったと証言しました。しかし、ベントレイやチェンバースの証言以外に、ホワイトを安全保障違反に問える証拠は何も出ませんでした。
彼の死後、50年近くたって、元ソ連NKVD(内務人民委員部、KGBの前身)工作員であるビタリー・グリゴリエッチ・パブロフが、ホワイトに関する証言を行いました。彼は、ホワイトに接触し、ホワイトがハル・ノートの母体となる文書を書くに当たって参考にするようメモを見せたといいます。ホワイトを利用した作戦は、彼の名にちなんで「雪」作戦と呼ばれたことがわかりました。
平成9年(1997)、パブロフは、NHKのインタビューに応じて、当時の事情を明かしました。パブロフは、ホワイトに見せたメモには、「関東軍はソ連に一定の警戒心と脅威をもたらしていた。ですから、一部の警察力のみを残してこの軍隊を撤兵させることが、日本にとっても適切であると考えさせるような」内容があったことを示唆しています。「われわれの目的は、極東のソ連地域を日本の攻撃と侵攻の可能性から守り、安全にすることでした」とパブロフは語っています。この点こそ、尾崎秀美とゾルゲが、最も力を注いだところでした。ソ連からすれば、日本とアメリカの両方に働きかけて、日本軍の北進を阻止する工作を行っていたことになります。
パブロフは、日米を戦わせるという考えは「まったく考えになかった」と述べています。しかし、これは疑ってみる必要があります。最高指導者のスターリン、またはパブロフの上司であるベリヤが、工作員のパブロフに世界革命戦略の全体像を明らかにしていたとは、考えにくいからです。パブロフよりはるかに優秀な尾崎秀美は、日本を米英と戦争させ、「敗戦革命」を起こすという戦略の実行を自己の使命としていました。彼の行動と証言を見れば、スターリンが日米戦争を強く望み、日本と米国の両方の指導層に工作をしていた可能性は十分あるのです。

◆スターリンが日米を戦わせようとした理由

ではスターリンは、なぜ日米を戦わせようとしたのでしょうか。この理由は、これから歴史家や戦略論の専門家によって本格的に分析されていくことでしょう。浅学を顧みず、私は、現時点で、主な理由として以下の4点が挙げられるだろうと考えています。

(1)スターリンは日本を米国の力をもって叩くことにより、満州・朝鮮を奪い、また中国の共産化を実現しようとした。中国共産党は、スターリンの指示を受けて、日本軍と国民党軍を戦わせ、両者の弱ったところで、共産化を成し遂げるという革命戦略を実行していた。(昭和12年〔1937〕のろ溝橋事件以後の一連の謀略など) 米国による対日戦争は、アジアにおける共産勢力を援護するものとなると謀ったのだろう。

(2)さらに対米・対中戦争で弱ったところで、日本を共産化することを目標とした。スターリンは、日本革命を、世界の共産化における最大の課題としていた。日本の「国際共産党日本支部」(=日本共産党)に対してのみ、他国の支部には見られないほど多数のテーゼ(運動方針)を指示していた。ソ連軍の「日本解放」の際には、日本共産党がスターリンの手先・傀儡となるよう育成したのだろう。(実際、米軍の日本占領の際に、その成果が現れた)

(3)スターリンは、昭和15年9月に日独伊三国軍事同盟を結んだ、日本がドイツと協同して、対ソ攻撃を行うことをおそれた。日本軍部では、北進論(=対ソ)と南進論(=対米英)の両方面の作戦計画が拮抗していた。結局、昭和16年10月のゾルゲ事件によって、明るみに出たように、日本人スパイの尾崎秀美は、日本の「敗戦革命」をめざして、コミンテルンのドイツ人スパイ・ゾルゲに協力し、日本軍を北進から南進へと方針転換させた。これによってソ連は挟撃を免れ、ドイツの侵攻から九死に一生を得た。同時に、日本を南進させたことにより、スターリンは日本を米英と戦わせる道に誘導したのだろう。
 
(4)特に昭和16年6月からのヒトラーの侵攻に圧倒され、危機にあったスターリンは、米国を第2次大戦に参戦させ、米国をドイツと戦わせようと謀った。大統領選挙で、大戦に参加しないことを公約していたルーズベルトを、対独参戦させることは、スターリンにとって死活をかけた課題となった。そこで彼は、米国の対日開戦が対独参戦のきっかけとなるように画策したのだろう。ルーズベルト自身、対独参戦を行う口実を得るために、日本を挑発し、日本から仕掛けさせようとした。この点、スターリンとルーズベルトの目的は一致していた。スターリンは、ルーズベルトを刺激して対日工作を促進したとも見られる。

私は、昭和戦前期、1930年代〜40年代の世界において、最高の戦略家かつ最凶の謀略家は、スターリンだったと思います。

◆独ソ戦の情勢を見て「別の道」へ

さて、上記のような理由で、日米を戦わせようとするスターリンは、諜報員を用いて、アメリカ政府高官であるホワイトに、日本に対して強硬な要求をつきつける文書の起草を指示したと考えられます。ホワイトの書いた原案は、財務長官モーゲンソー案として提出され(1941年11月17日)、それをもとに検討がされました。この過程では、内容が段階的に変更され、最終的に成案なったのが、ハル・ノートです。その完成は、手交前日の昭和16年11月26日でした。
ハル・ノートの解釈で最大のポイントとなったのは、アメリカが日本に軍隊の撤退を求める範囲に満州国を含むのか否かでした。成案寸前の案では、中国と満州は別とされ、撤退範囲に満州は含まれていませんでした。しかし、最後の数日の間に、単に中国というだけで、満州を含むか否かが明示されない表現に変えられました。一体この変更がどういう理由で行われたのかは、まだ解明されていません。ハル自身の考えなのか、ルーズベルトの指示なのか、はたまたスターリンの意思を受けたソ連のスパイによる働きかけがあったのか、まだ真相はわかりません。
ホワイトの関与についていえば、彼の原案は幾度かの変更を加えられているので、成案なったハル・ノートは、ホワイトが書いたものとはいえません。しかし、ハル・ノートが、日本を対米開戦に追い込んだことを考えると、所期の目的は達成されたといえるでしょう。
いずれにせよ、日本側は、ハル・ノートをつきつけられた時、撤退すべしという中国には満州を含むと受け留めました。この受け留めによって、ハル・ノートは事実上の最終通告と理解され、日本の指導層は対米決戦へと決断しました。しかし、ハル・ノートは、満州を撤退の範囲に含むか否か明示していないのですから、この点を問いただして、外交交渉を続けるべきだったのです。
それと同時に、日本政府がこの時、独ソ戦について正確な情勢判断をしていれば、「不戦必勝」の道を受け入れることは可能だったと、私は考えます。
その説明に代えて、再び、小室+日下共著『太平洋戦争、こうすれば勝てた』から要点を引用します。

日下: 「昭和16年の11月26日にハル・ノートが出た頃、ソ連に攻め込んでいたドイツ軍の進撃が、モスクワの前面50キロというところで停止したんです。そのことは、大本営もわかっている。ただ、大本営は『この冬が明けて来年春になれば、また攻撃再開でモスクワは落ちる』と考えていた。
 『本当に大本営はそう思っていたんですか』って瀬島さん(=龍三、元大本営参謀)に聞いたら、『思っていた』と。
 その頃、『これでドイツはもうダメだ』という駐在記者レポートが各地から来ていた。イギリスにいた吉田茂(大使、のちの首相)も、ダメだと見ていた。それなのに、ベルリンからのだけ信用した。そりゃあ、ベルリンの大島浩(大使)はヒットラーに懐柔されちゃっているから、いいことしかいわない。それを信じたのです。…
 瀬島さんに聞いたんです。『もしもドイツがこれでストップだと判断したら、それでも日本は12月8日の開戦をやりましたか』って。そうしたら『日下さん、絶対そんなことありません。私はあの時、大本営の参謀本部の作戦課にいたけれど、ドイツの勝利が前提でみんな浮き足立ったのであって、ドイツ・ストップと聞いたなら全員『やめ』です。それでも日本だけやると言う人なんかいません。その空気は、私はよく知っています』と」

再び、こうした歴史を繰り返さないように、歴史の検証を深め、その教訓を、今日に生かしたいものだと思います。(ページの頭へ)

参考資料
・対米戦争を始めなければ、日本は全く別の道を行くことができました。
 詳しくは以下をお読み下さい。
 「大東亜戦争は戦う必要がなかった」
・須藤眞志著『ハル・ノートを書いた男〜日米開戦外交と「雪」作戦』
(文春新書)

※第二次世界大戦と日本の戦前戦後政治、日本のスパイ勢力と左翼

http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/387.html

記事 [政治・選挙・NHK152] 日本を操る赤い糸〜田中上奏文・ゾルゲ・ニューディーラー等 第9章 ヤルタ会談にソ連スパイが暗躍

「ほそかわ・かずひこの<オピニオン・サイト>」から
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion07b.htm


第9章 ヤルタ会談にソ連スパイが暗躍

第2次大戦によって、最も多くの果実を得たのは、どの国でしょうか。明らかにソ連です。開戦直後、スターリンは、ヒトラーとの合意のもとに、ポーランドをドイツと分割しました。さらに、フィンランドやバルト三国を掌中にしました。さらにヤルタ会談をきっかけに、欧州の東半分を分割支配し、大陸から日本を排除しました。ソ連の覇権の拡大は、同時に国際共産主義運動の拡大です。大戦後、中国が共産化し、また朝鮮半島の北半分が影響圏となり、ソ連はアジアにおいても一気に勢力を拡大しました。こうしたソ連の躍進を許したのは誰か。アメリカのルーズベルトでした。

 ルーズベルト政権には、アメリカ共産党やソ連の秘密警察であるソ連人民内務委員会(NKVD)の工作員が多数、潜入していました。彼らは、第2次大戦や戦後処理の政策決定に重大な影響を与えていたのです。
日本を開戦に追い込んだハル・ノートは、ソ連の協力者の一人、ハリー・デクスター・ホワイトが起草したものでした。そして、日本にとどめをさすソ連の参戦を決めたヤルタ会談では、アルジャー・ヒスが暗躍しました。
ヒスは国務省の高官として、ルーズべルト政権に仕え、ヤルタに随行しました。彼は、国務省を代表して会談に出席し、重病のルーズベルトを補佐したのです。大統領は、ソ連の参戦と引き換えに、東欧と日本の領土の一部をソ連に渡すことにしました。そこには、スターリンの意思を汲んだヒスの働きがあったのです。
ヤルタ協定の草案は、ヒスが作成したものです。この密約には、ソ連の主張は日本の降伏後、異論なく完全に達成されることで合意した、と定めています。対日侵攻を行った後、日本の北方領土の略奪を許すというわけです。ルーズベルトは、会談の約2ヵ月後に死亡しています。会談の当時、健全な判断力を持っていたとは考えにくい状態です。スターリンは、彼の体調の悪さを見抜いていたのです。

 ソ連は、ヤルタ密約を根拠に、北方領土の占有の正当性を主張しています。しかし、昭和31年(1956)、共和党のアイゼンハワー政権は、「ソ連による日本の北方領土占有を含むヤルタ協定は、ルーズベルト個人の文章であり、米国政府の公式文書ではなく無効である」との米国務省公式声明を発出しました。ヤルタ密約は、共和党政権によって否定され、無効とされたのです。もともと不法占拠ですが、これによって、ソ連の主張は一切の正当性の根拠を失っています。

 ヤルタでルーズベルト、チャーチル、スターリンは、第2次大戦の終結方法とともに、戦後の世界秩序のあり方を協議しました。彼らの密約に基づいて創設されたのが、国連です。
国連とは、「連合国」のことであり、英語では同じ the United Nationsであす。わが国では戦後、これを「国際連合」と訳するようになりましたが、自己欺瞞というしかありません。中国では、一貫して「連合国」と訳しています。
ルーズベルトは、国連の件でもスターリンに大きく譲歩しました。ここでもヒスが暗躍しました。ヒスはヤルタ会談後、「国連=連合国」の機関としての創設に活躍し、国連憲章の起草にも参加したのです。その結果、「国連=連合国」は、アメリカの国益を実現する機関という以上に、ソ連をこそ利するものとなったのです。

 アメリカ共和党は、国連の設立時から強い不信感を持っています。国連が発行していたパンフレット『国連を知ろう』の第1〜2項には、「ヤルタでスターリンが、第二次大戦での援助と引換えに平和のための国連設立をルーズベルトに求め、ルーズベルトはアルジャー・ヒスが用意していた案を受け入れた」との記述があります。つまり国連とは、スターリンがソ連の国益の追求と世界の共産化という野望の下で、ルーズベルトに設立を要求したものだと考えられます。しかも、ソ連のスパイであったルーズベルトの側近ヒスが、その枠組みを考案して設立されたわけです。
共和党を中心とするアメリカの保守層、とりわけ保守系の知識人の中には、国連はソ連・中国の共産主義や、アメリカの左翼に利用されている機関であり、反米的な機構であるという見方があるのです。

 戦後、ルーズベルト政権下で暗躍していたソ連のスパイや共産主義者が告発された。アルジャー・ヒスは偽証の有罪判決を下され、5年の懲役が宣告されました。しかし、スパイ行為に関しては、出訴期限が尽きたために訴追を受けませんでした。
平成7年(1995)7月、アメリカ政府は、非公開としてきたソ連の暗号電報を公開しました。暗号の解読は、1943年から陸軍の特殊部隊によって行われていました。最高機密活動で「ヴェノナ作戦」(Venona project)と呼ばれました。その資料公開によって、1940年代から50年代にかけて、米国政府内に、100人以上ものソ連のスパイが潜入していたことが確認されました。彼らは、ホワイトハウス・国務省・財務省・司法省や、CIAの前進である戦略情報局(OSS)、陸軍省等で暗躍していました。
アルジャー・ヒスこそ、そのうち最大級の大物スパイであったことは、疑いのないところです。(ページの頭へ)


※第二次世界大戦と日本の戦前戦後政治、日本のスパイ勢力と左翼



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記事 [政治・選挙・NHK152] 日本を操る赤い糸〜田中上奏文・ゾルゲ・ニューディーラー等 第10章 ニューディーラーが日本を改悪

「ほそかわ・かずひこの<オピニオン・サイト>」から
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion07b.htm


第10章 ニューディーラーが日本を改悪

 日本は大東亜戦争に敗れました。戦後、日本を占領した連合国軍総司令部、GHQには、ニューディーラーと呼ばれる人間が多くいました。彼らは、日本の占領政策において、日本を弱体化させる政策を多く推し進めました。彼らは共産主義に親近感を持ち、その影響を強く受けていました。そして、日本弱体化政策には、ニューディーラーを通じて共産主義者の意図が入り込んでいたのです。

◆ニューディーラーから出たスパイ

第1次世界大戦とそれに続く混乱によって、資本主義の矛盾が噴出しました。破壊、失業、飢餓……。当時は欧米の知識人の多くが、社会的正義に情熱を燃やし、マルクス、レーニンらによる社会主義が正しいと信じていました。彼等は共産主義国・ソ連への共感を抱いていたのです。1929年の経済大恐慌後、統制経済によってソ連が躍進すると、社会主義的な政策への評価も高まりました。
 世界的大不況の中でアメリカは、ニューディール政策を断行しました。これは、かなり社会主義的な政策でした。このときの政策を立案・推進したリベラル派のグループを、ニューディーラーと呼びます。
ニューディーラーたちは、ルーズベルト大統領に大きな影響を与えました。彼らをブレインに持つルーズベルトは、ナチス・ドイツと戦うために、ソ連と手を結びます。また、日本を敵視し、戦争によって日本を叩く道を取りました。しかし、これは結果として、ソ連を飛躍的に強化せしめ、またシナをも共産化させてしまうという大失策でした。
 近年、米国公文書が公開され、日本の真珠湾攻撃の前に、米国は、昭和16年9月に、日本爆撃計画を策定していたことが明らかになりました。真珠湾攻撃は、卑劣な「スニーク・アタック(奇襲攻撃)」と批判されていますが、なんとアメリカの方が先に先制攻撃を計画していたのです。この計画を推進したのが、ニューディーラーの一人、ロークリン・カリーでした。彼は、ルーズベルト大統領の補佐官でした。そして実はソ連のスパイだったことが明らかになっています。
 カリーは、ニューディール政策の立案時に米国政権に参加し、ルーズベルトの大統領補佐官となりました。当時、米国は東アジアの覇権をめざしていました。そして、日本と対峙するために柱となる政策が、中華民国の蒋介石を支援する「援蒋政策」でした。米国は中立国の立場でありながら、「援蒋政策」として、国際法に反し、さまざまな軍事援助を進めており、事実上、対日戦争に参戦していました。このなかで、ソ連のスパイ・カリーは、蒋介石の政権顧問として、オーエン・ラティモアを推薦したのです。

◆反日親中の旗手・ラティモア

 オーエン・ラティモアは、ジョンズ・ホプキンズ大学の教授で、著名なシナ史学者でした。彼の親中的な姿勢が、ルーズベルトにかなりの影響を与えることになります。
 戦前のアメリカでは、国務省内などに対日非難の世論を形作る中心的役割を果たしたものに、「太平洋問題調査会(IPR=Institute of Pacific Relations)があります。IPRは戦前から戦争直後の時期まで、アジア・太平洋地或に関して非常に権威のある国際的な研究団体でした。太平洋地域やそれに接する地域に関心を持つ、多くの国々の学者・実業家・ジヤーナリストなどからなっていました。
 米国のIPRは、米国がいうところの「太平洋戦争」において、積極的に米国政府の政策立案に協力しました。そのメンバーの中には、シナでの革命に理解を示す学者が多かったのです。なかでもラティモアは、当時の米知識人の親中・反日派のリーダーのような存在でした。彼はIPR機関誌の編集長として「中国を侵略する日本」を追及する論陣を張っていました。
 ソ連のスパイ・カリーは、そんなラティモアを蒋介石政権の政治顧問に推薦し、ルーズベルト政権との直接のつながりを作りました。そこにはスターリンの意志が、なんらかの形で介在していた可能性があります。
 ラティモアは、戦後の日本占領政策の策定では、非常に強硬な姿勢を示し、厳しい占領政策を提案しました。彼が「虎の巻」(片岡鉄哉氏)としていたのが、歴史学者ノーマンの著作でした。

◆共産党員ノーマンがGHQに影響力

 E・H・ノーマンは、日本に生まれ育ったカナダ人で、日本語に堪能でした。彼の著書『日本における近代国家の成立』(邦訳は岩波書店)は、昭和15年(1940)に発行されました。当時、ノーマンは欧米でただ一人の日本史研究者でしたから、米国指導部は彼の著書に注目しました。
 片岡鉄哉氏の名著『日本永久占領』(講談社文庫)によると、ノーマンは「マルクス主義者」で、「れっきとしたカナダ共産党員」でした。彼の著書は、日本弱体化のための占領政策を推進する米国の官僚たちにとって、かけがえのない手引きになりました。それはノーマンの理論が、日本に制裁を加えるという初期占領目的を、イデオロギー的に正当化したからでした。それは、共産主義の日本革命の理論を、占領軍の絶対権力で実行するようなものでした。それを推し進めたニューディーラーは、共産主義に同調していましたから、共産主義の理論を、日本で実践したわけです。
 片岡氏は言います。「なぜ彼がニューディーラーにそんなにもてたのか。それはノーマンが、日本共産党の理論である講座派の理論を、虎の巻にしていたからであった。彼の本は岩波の講座シリーズの綱要とみてよいであろう」と。
 ルーズベルトの対日政策に影響を与えたラティモアがノーマンの著書を「虎の巻」にしていたと述べましたが、そのまたもとになる「虎の巻」が、日本共産党の理論だったということになるでしょう。日本共産党は、ソ連に本部を持つ国際共産党の日本支部として設立された団体です。それゆえ、日本共産党の理論は、スターリンのソ連共産党の理論に通じるものだったでしょう。
 1932年にスターリンは、日本共産化の方針として、「天皇制」打倒のテーゼを出しました。いわゆる「32年テーゼ」です。このテーゼに従って、講座派の学者は、二段階革命論を打ち出しました。二段階革命論とは、最初にブルジョワ民主主義革命を行って、その次に社会主義革命を行うという、日本革命の運動方針のことです。
 スターリンの指令に従う講座派は、明治維新はフランス革命にまで到達していないとみなしました。ブルジョワ民主主義革命の典型は、フランス革命だが、日本では、本物のブルジョワ民主主義革命にならないで、多くの「封建的残滓」が残された。天皇制と華族制度は、その残滓のさいたるものだ、とするのです。だから本当のブルジョワ民主主義革命を実行して、この残滓を取り除いてから、初めて日本は社会主義革命に進むことができるという理論です。日本共産党は、現在もこの理論を堅持しています。
 さて、片岡氏によると、「ノーマンは、徹底的なブルジョワ民主主義革命、つまりフランス革命を売り物にしていたので、ニューディーラーにうけたのである。もっとはっきりいえば、ルイ16世のように天皇をギロチンにかける政策に、学術的な理論体系を提供したから、うけたのである」ということになります。
 GHQは、日本に詳しいノーマンを高く評価し、カナダの外交官だった彼を、GHQに迎えました。ノーマンは、マッカーサーの右腕となり、日本占領政策に大きな影響を与えたのです。そのため、マッカーサーは奇妙な容共政策を行っています。
 ノーマンは、マッカーサーの命を受けて、府中の刑務所から日本共産党員を釈放しました。また、彼は、「戦犯容疑者」の調査を担当した。彼の事務所には、日共の幹部たちが、日参して入り浸っていました。ノーマンは、彼らの供述を基礎に「A級戦犯」の起訴状を書いたのです。共産党員ノーマンが、東京裁判に一定の方向付けをしていたのです。
 片岡氏によると、「日共幹部は府中を出るや否や『連合軍は解放軍である』というテーゼを打ち上げている。もちろん『天皇制打倒』と背中合わせになっている。そしてGHQが背後についているとおおっぴらに吹聴して歩いた。これは、ジョージ・アチソン(国務長官の政治顧問、親中・反日派)が本国への報告で認めている。つまりGHQは黙認していたのである」という状態でした。

◆GHQにはニューディーラーが多かった

 GHQには、多数のニューディーラーがいました。彼らは米国で実現できなかったリベラルな理想を、日本の占領政策で実現しようとしたのです。特にGS(民政局)には、多くのニューディーラーが集まっていました。その民政局で次長となり、辣腕を振るったのが、チャールズ・ケーディス中佐です。
 ケーディスは、GHQの官僚たちがそうだったように、ノーマンの本を「聖書」のように考えていました。共産主義者であり、スターリン=日本共産党=講座派の理論を「虎の巻」としていたノーマンの本を、です。
 ケーディスは、GHQによる日本弱体化政策の重要な実務を掌握しました。「日本国憲法」の起草においても、彼は要の一人でした。第9条は、彼が起草したものです。「日本国憲法」は、GHQが極秘のうちに1週間ほどでつくった草案がもとになっています。この草案には若干の修正が加えられましたが、その過程で、日本の社会主義者・鈴木安蔵らの意見が取り入れられました。鈴木はスターリン憲法を模範とし、戦後憲法に社会主義的な条項を入れ込もうとしました。これに同調するニューディーラーによって、日本国憲法には「勤労の義務」など社会主義色の濃い内容が盛られることになったのです。
 戦後間もない時期、GHQの経済政策は、その多くがニューディーラーによって起案されました。それはアメリカ国内から「左寄り」との批判を受けるほどに偏ったものでした。経済の集中力を排除する目的で、戦後日本を牽引すべき大企業が「民主化」の名の元に分割されました。いわゆる財閥解体です。また、公職追放においても、重要経済人をそのリストに入れていました。こうした政策は、アメリカ本国で「日本経済を破壊する」とまでいわれました。
 こうしたルーズベルトとニューディーラーによる、容共・親ソ・反日の外交は、途方もない過ちであったことが、戦後数年のうちに、明らかになりました。わずかの間に、国際情勢は激変したからです。旧連合国のアメリカとソ連は、世界を資本主義と社会主義の両陣営に二分しました。ソ連は、東欧を侵略し、また日本からも北方諸島などの領土を奪取しました。シナでは、スターリンの指示を受けた毛沢東と中国共産党による共産革命が進展しました。そして1949年10月1日、中国に共産主義の人民共和国が成立しました。同年、ソ連は核実験に成功し、本格的な東西冷戦の時代に突入することになります。
 こうした中で、日本の占領政策は大きく変化しました。GHQの内部では保守派が台頭して、ニューディーラー=リベラル派の影響力が弱まり、GS(民政局)から、反共的な軍人らが多いG2(参謀部諜報・保安担当)へと政策決定の重心が移動しました。

◆共産主義への幻想による誤導

 中国革命や朝鮮戦争の激動への反作用として、1950年代のアメリカでは、マッカーシズムと呼ばれる反共運動が起こりました。国内の共産主義者への取り締まりを徹底するとともに、リベラルな学者や研究もことごとく「共産主義」というレッテルを貼られました。
 米国の「太平洋問題調査会(IPR)」は、中国革命に理解を示す学者が多かったため、激しい批判の対象となり、1961年に解散に追いこまれました。そのグループの中で、特に厳しく追及されたのが、オーエン・ラティモアでした。ソ連スパイ、ロークリン・カリーによって蒋介石の政権顧問となっていた人物です。しかし、結局、ラティモアがスパイだという証拠はあがりませんでした。
 もう一人のキーパーソン、E・H・ノーマンはどうだったでしょうか。ノーマンはGHQでの勤務を離れた後、カナダの駐日公使として、引き続き日本にあって、マッカーサーに影響を与えていました。しかし、アメリカでの「赤狩り」(レッド・パージ)は彼にも及びました。追い詰められたノーマンは、自殺します。自殺を選ぶということは、死を持って隠し通さねばならないことがあったということでしょう。
やがて、ソ連ではスターリンの恐怖政治が批判され、中国では毛沢東による破壊と殺戮が明らかになり、共産主義の矛盾と限界が暴露されていきます
 ニューディーラーは、共産主義への幻想によって、20世紀の日米関係、さらに世界の運命を大きく誤らせたと言えましょう。特にわが国にとっては、戦前は対日戦争を遂行したルーズベルトに対して、また戦後は占領政策を強行したマッカーサーに対して、ニューディーラーが相当の影響を与えていたのです。そして、戦前の日本の進路を誤らせ、戦後の日本の運命を左右したニューディーラーの背後に、ソ連の共産主義が存在したことを、深く認識する必要があります。
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参考資料
・ニューディーラーが関与した日本占領政策については、以下の拙稿をご参照下さい。
「日本弱体化政策の検証」


※第二次世界大戦と日本の戦前戦後政治、日本のスパイ勢力と左翼


http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/389.html

記事 [政治・選挙・NHK152] 「ブラック企業大賞2013」はワタミが受賞 (日刊ゲンダイ) 
「ブラック企業大賞2013」はワタミが受賞
http://gendai.net/news/view/109807
2013年08月11日 日刊ゲンダイ


 厚生労働省が9月から立ち入り調査を実施するなど、“ブラック企業”への風当たりが強まる中、弁護士ら労働問題のエキスパートが実行委員を務める「ブラック企業大賞 2013」の授賞式が11日、都内で行われた。

 不名誉な「ブラック企業大賞」を受賞したのは、自民党の渡辺美樹参院議員(53)が創業した「ワタミフードサービス」だった。ネット投票でも全体の7割を超える2万票以上の圧倒的な得票数を獲得、昨年の「市民賞」(一般投票による選考)に続き、2年連続の受賞となった。

 このほか、「教育的指導賞」にはベネッセコーポレーション、「特別賞」には国立大学法人東北大学、「業界賞」にはクロスカンパニーが選ばれた。

 ワタミをめぐっては、2008年6月、入社2カ月しかたっていない女性社員が、厚労省が定める過労死ライン(月80時間の残業)をはるかに上回る141時間の残業を強いられ自殺。2012年2月に労災認定された。

 創業者の渡辺氏は世間の批判に対し、「われわれはブラック企業ではない」と主張。一方で、自殺社員遺族への対応がたびたび取りざたされ、同実行委も「遺族は面会を求めているが、創業者の渡辺美樹氏は応じず、いまだに面談も謝罪も拒否している」と問題視した。

 大賞選考に先立ち、6月27日に発表されたノミネート企業は、「ワタミフードサービス」のほか、「クロスカンパニー」「ベネッセコーポレーション」「サン・チャレンジ(ステーキのくいしんぼ)」「王将フードサービス(餃子の王将)」「西濃運輸」「東急ハンズ」「国立大学法人東北大学」の8社。いずれも、労災申請や訴訟が提起された企業群だ。

 ブラック企業大賞は2012年に創設され、第1回の「大賞」は東京電力、「市民賞」がワタミ。「業界賞」は富士通ソーシアルサイエンスラボラトリとフォーカスシステムズ、「ありえないで賞」はゼンショー(すき家)、「特別賞」はウェザーニューズに贈られた。


関連記事
ブラック企業大賞2013が発表、大賞:ワタミ、特別賞:東北大学、ベネッセも受賞 (Business Journal) 
http://www.asyura2.com/13/hasan81/msg/697.html



http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/390.html

記事 [政治・選挙・NHK152] 日本を操る赤い糸〜田中上奏文・ゾルゲ・ニューディーラー等 第11章 『日本解放綱領』の残影

「ほそかわ・かずひこの<オピニオン・サイト>」から
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion07b.htm

第11章 『日本解放綱領』の残影

昭和47年(1972)8月、中国共産党の秘密文書なるものが、出現しました。当時は、田中角栄内閣が成立し、マスコミが日中早期国交のキャンペーンを展開していました。三島由紀夫自決や70年安保収束の2年後のことです。
 故・西内雅(ただし)教授(当時中央学院大学、のち皇学館大学)は、北東アジア各地を旅行中に、中共による『日本解放綱領』という文書を入手したと言います。そして、国民新聞社が日本語の翻訳版を出版しました。それが、『中共が工作員に指示した「日本解放」の秘密指令』という小冊子です。
 その後も中国共産党は、極秘の対日政治工作計画を立て、30年以上にわたって、工作活動を続けているのではないか。そう思われる文書が、この『日本解放綱領』です。
 続きは、以下のページをお読み下さい
 http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion07c.htm
(ページの頭へ)


■『日本解放綱領』の残影〜中国の対日政治工作
2006.1.29改訂

 昭和47年(1972)8月、中国共産党の秘密文書なるものが、出現しました。当時は、田中角栄内閣が成立し、マスコミが日中早期国交のキャンペーンを展開していました。三島由紀夫自決や70年安保収束の2年後のことです。
 故・西内雅(ただし)教授(当時中央学院大学、のち皇学館大学)は、北東アジア各地を旅行中に、中共による『日本解放綱領』という文書を入手したと言います。そして、国民新聞社が日本語の翻訳版を出版しました。それが、『中共が工作員に指示した「日本解放」の秘密指令』という小冊子です。
 その後も中国共産党は、極秘の対日政治工作計画を立て、30年以上にわたって、工作活動を続けているのではないか。そう思われる文書が、この『日本解放綱領』です。(註 全文を後半に掲載)

◆忘れられた文書

 昭和47年の発行当時、本書は、論壇誌で取り上げられたり、日本共産党も言及するなど、反響を呼びました。しかし、その後は、存在すら忘れられたかのようになっていました。私は平成11年から本書について、ネット等に書いてきましたが、出版元の国民新聞社には在庫がなく、原本も所在不明ということで、私が同社に原本をお貸ししたことがあります。
拙稿が世の関心を呼び覚ますことになったのかどうかはわかりませんが、平成13年、『月刊日本』9月号が本書の全文を掲載しました。その後、私は本書が本や雑誌で引用されるのに出会いませんでしたが、ネット上では徐々に注目を集めていました。平成18年1月には、月刊『WiLL』3月号に、『中国の「対日政治工作」』という題名で、全文が掲載されました。
 私は、この文書に中国語の原書が実在するのか、翻訳において創作的な点はないのか、偽書の可能性がないのか、中国問題や外交等の専門家に検討を呼びかけてきました。現在も詳細はわかりません。
しかし、昭和47年発行時、本書に推薦の辞を寄せた鍋山貞親氏(戦前の佐野・鍋山の「転向声明」で有名)は、西内教授は「はったり性の全然ない学究」であり、「持ち帰った文書も、すぐふりまわしはせず、まず3人の中共研究者に、それぞれ個別の検討を委嘱し、3人の判断がいずれも一致しているのを見て、ようやく公表することに踏み切ったというほど、用意周到である」と記しています。
この文書を掲載した『WiLL』の編集部は、次のように書いています。
 「この文書は一部ではかねてより知られていた。驚くべき内容である。中国の対日工作計画がこと細かに、かつ具体的に書かれ、随所に思い当たる点も多い。ただし、出所が不明なため『怪文書』扱いされたこともある」
 「『文書』そのものがこのままの形で存在したものか否かは不明のままだが、内容については信憑性があると判断し、上海領事自殺事件などで中国の諜報活動が問題になっている今、敢えて全文を公開する」と。
『WiLL』編集長の花田紀凱氏の慧眼に敬意を抱く私は、この一文に意を強くした次第です。
 西内雅氏については、『WiLL』編集部が大要次のように紹介しています。
 明治36年生まれ。数学の天才と言われ、陸軍士官学校を出て内閣総力戦研究所所員。東條英機元首相らとも交遊があった。戦後は皇學館大学、京都産業大学、中央学院大学などで教鞭をとった。中国、台湾問題などが専門で、『中国の正体』『日本の防衛』『八千万の運命』などの編著書もある。昭和40年代半ばから、香港で日本語学校を運営、文化大革命で中国から逃げてきた中国人に日本語を教えつつ、情報を収集していた時に、この文書を入手したといわれる、と。

◆日本共産化の基本戦略

 本書『日本解放綱領』が出現した昭和40年代、我が国は、左翼革命運動で騒然としていました。産経新聞を除くほとんどのマスコミは文化大革命を礼賛し、毛沢東に共鳴する一群が活発に活動していました。熱病にかかったような時代でした。未だ実態は明らかではありませんが、背後に中国共産党による何らかの工作・支援があったのではないでしょうか。
 中共の「日本解放」の秘密指令なるものには、次のような内容が書かれています。まず本書は、「我が党の日本解放の当面の基本戦略は、日本が現在保有する国力のすべてを我が党の支配下におき、我が党の世界解放戦に奉仕せしめる」と規定しています。
 「日本解放」つまり日本の共産化は、3段階を経て達成するとしています。第1目標は日中国交の樹立、第2目標は「民主連合政府の形成」、第3目標は「日本人民民主共和国の樹立ーー天皇を戦犯の首魁として処刑」である。
 本書は、田中内閣成立で第1目標は達成されつつあるとし、第2目標の民主連合政権樹立に必要とする心理作戦、マスコミ、政党、左右両団体への工作、さらに在日華僑対策を具体的に指示、在日中共大使館開設によってさらに筋金入りの革命工作員2千名を派遣、第3目標達成に全力をあげるとしています。
 「民主連合政府」の形成は、それ自体が目的ではなく、次の「人民共和制=共産政府樹立」に転じていくための、単なる手段にすぎないことが、明記されています。あくまで最後は暴力方式をとって共産政権を樹立することが目標です。その際、連合政権樹立に協力した、当時の既成政党(自民党・社会党・民社党・公明党など)の一切を打倒し、排除することとしています。この過程で最も注目すべきは、天皇を「戦犯の首魁」と規定し、「処刑する」ことが、はっきりと明記されていることです。
 
◆対日工作員への指示内容

 次に、本文の内容から、注目すべき点をまとめてみます。中共工作員の行動要領の第一には、「群集掌握の心理戦」が指示されています。すなわち、「全日本人に中国への好感、親近感をいだかせる」「目的は、我が党、我が国への警戒心を、無意識のうちに捨て去らせることにある」「これは、日本解放工作成功の絶好の温床となる」などとしています。もし日中友好には、このような工作のもとに推進された面もあるとすれば、ゆゆしきことでしょう。
 第二に、「マスコミ工作」が指示されています。マスコミ工作については、「今日では、新聞、雑誌を含め、いわゆるマスコミは、世論造成の不可欠の道具に過ぎない。マスコミを支配する集団の意志が世論を作り上げるのである」という認識が書かれています。当時の日本の保守政権を国交正常化への道に「追い込んだ」のは、「日本のマスコミではない。日本のマスコミを支配下においた我が党の鉄の意志と、たゆまざる不断の工作とが、これを生んだのである」と記しています。そして、新聞・雑誌、テレビ・ラジオ、出版に関する工作の詳細な指示を出しています。
 そのなかには、新聞・雑誌に「強調せしむべき論調の方向」の一つとして「人間の尊重、自由、民主、平和、独立の強調」という項目があります。
 その説明として次のように書かれています。「ここに言う『人間の尊重』とは、個の尊重、全の否定を言う。『自由』とは、旧道徳からの解放、本能の解放を言う。『民主』とは、国家権力の排除を言う。『平和』とは、反戦、不戦、思想の定着促進を言う。『独立』とは、米帝との提携の排除、社帝ソ連への接近阻止を言う」と。その後、わが国のマスコミ・左翼・日教組が強調してきた「人権、民主、平和」などが挙げられていることが、注目されましょう。
 スイスの『民間防衛』では「心理的防衛」の重要性が強調されていますが、いかに重要なことか確認できましょう。
 第三の政党工作においては、連合政府は手段であることが明記されています。「本工作組に与える『民主連合政府の樹立』という任務は、日本解放の第2期における工作目標に過ぎず、その実現は、第3期の『日本人民民主共和国』樹立のための手段に過ぎない」と。
 目標実現のための工作として、本書は国会議員を掌握し、工作員の支配下におくように指示しています。「議員の弱点を利用する」として、「金銭、権力、名声等、ほっするものをあたえ、又は約束し、必要があれば、中傷、離間、脅迫、秘している私事の暴露等、いかなる手段を使用してもよい。敵国の無血占領が、この一事にかかっていることを思い、いかなる困難、醜悪なる手段もいとうてはならず、神聖なる任務の遂行として、やりぬかねばならない」と書かれています。
 政党について、特に自民党に対しては、「自民党を解体し、多数の小党に分裂せしめる」ということを基本方針としています。そのための手段は、「派閥の対立を激化せしめる」こととし、非主流派に政治資金を与えたり、議員個人の掌握を活用することを指示しています。長期単独政権を維持していた自民党がその後分裂し、連立政権時代に移行したことと、符合していて考えさせられましょう。
 注目すべきことに、中共の秘密指令は、日本共産党については、ほとんど触れていません。簡単に「日本共産党を含めた野党共闘を促進する」という一行のみです。「民主連合政府」そして続く「人民民主共和国」の政府において、日本共産党は、どのように位置付けられるのでしょうか。対立か提携か、いずれにせよ、中共の指令書と日共の綱領は、発想が似ていることは、見逃せません。

◆「第二の蒙古襲来」か

 ここで本書を公表した西内教授の見解を紹介します。
 「中共の国是は、世界共産革命の覇権を握ることである。そのための戦略戦術は、目的のためには手段を選ばぬ、千変万化なものである」。そして「1950年の朝鮮戦争の後の基本戦略は、直接侵略(武力戦)の意志と準備の下に、間接侵略(思想戦・外交戦・経済戦)によって相手国の秩序の破壊、人心の収攬を計り、そのまま共産圏に組み入れることを期し、若しも目的を達し得ないときは、タイミングを計らって直接侵略によって、とどめをさすことにある」
 「『日本解放』は、第二の蒙古襲来の警鐘である。700年の昔には、兵甲艦船という物的物理的な目に見える脅威であった。然るに今日の攻撃は間接侵略、特に思想戦であって、しかもラジオ・テレビ・マスコミの発達した現代では、どこからでも攻撃できるし、また攻撃して来ているのである」

◆国際反日運動への残影
 
 中国共産党は、その後、毛沢東の死、「四人組」の追放などを経て、昭和53年にケ小平が実権を握り、路線を大きく転換しました。市場原理と外国資本を導入した中国には、もはや武力侵攻や革命工作を行う可能性など、ほとんどないかに見えます。
 しかし、一方では、中国はソ連の崩壊後、軍拡の道をひた走り、また同時に反日的な宣伝活動を活発化してきました。南京事件の捏造・喧伝、歴史教科書や靖国神社首相参拝への干渉、戦争の謝罪と賠償の要求など、日本への心理的・外交的な攻勢は強まってきました。さらにアイリス・チャンらによる国際反日運動の背後にも、中国政府の関与が指摘されています。日中の真の友好にとって、誠に残念な傾向です。
 こうした中国の対日政策をさかのぼると、『日本解放綱領』なるものが存在し、今日まで、影を落としているのかも知れません。今後の専門家による研究に期待したいと思います。

 私は、漢民族は優れた民族であり、シナ文明は偉大な文明の一つだと思っています。孔子・孟子等による道徳、自然と調和する健康法と東洋医学など、今日もシナの伝統文化に学ぶものは、多いと思います。
 私が批判するのは、中国ではなく、共産党であり、その核心としての共産主義です。共産党と中国の人民は別です。また、共産主義とシナ思想も別です。共産主義による50数年の支配によって、偉大なシナの伝統は破壊され、人心は荒廃し、自然環境は悪化し続けています。 中国の人々の安寧、日中の真の友好、アジアと世界の平和、人類文明と地球の自然の調和を願い、共産主義の矛盾・暴虐を明らかにしたいと私は考えています。
 結びに、20世紀以降、日本は、共産主義の活動によって、大きく進路を狂わされてきています。まだ明らかになっていないことは多くあります。その真相を究明することなくして、日本の進路を軌道修正できないことを再認識したいものです。
(ページの頭へ)
・・・・


※第二次世界大戦と日本の戦前戦後政治、日本のスパイ勢力と左翼

http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/391.html

記事 [政治・選挙・NHK152] 首相のゴルフ「理解できぬ」 豪雨被害視察の大畠氏が批判
静養先の山梨県鳴沢村でゴルフを楽しむ安倍首相=10日午後


2013.8.11 17:03
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130811/stt13081117060001-n1.htm

 民主党の大畠章宏幹事長は11日、豪雨被害の視察に訪れた盛岡市で、10日にゴルフを楽しんだ安倍晋三首相を批判した。「大規模水害で犠牲者が出ている中、笑顔でゴルフに興ずる首相の神経は全く理解できない」と指摘。首相が約10日間の夏休みに入っていることにも「被災された人々は休みどころでない。首相も国民と共にあってほしい」と記者団に述べた。

 東北北部は9日、豪雨に襲われた。大畠氏は視察で、設備が土砂に埋まるなどして多くの旅館が営業停止に追い込まれた盛岡市内の温泉街や、床上浸水の被害が多数出た岩手県矢巾町を訪れた。

 岩手県庁では達増拓也知事と会談。達増氏が河川や道路の早期復旧が必要だと強調したのに対し、政府に激甚災害への指定や被災者支援を求める考えを伝えた。


http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/392.html

記事 [政治・選挙・NHK152] 森ゆう子さんに完膚無きまでに論破された志岐氏が、今度はとんでもない悪質な誹謗中傷をブログに書いている。 八木啓代氏 
https://twitter.com/nobuyoyagi

Nobuyo Yagi 八木啓代 ‏@nobuyoyagi
数日前、森ゆう子さんに完膚無きまでに論破された志岐氏が、今度はとんでもない悪質な誹謗中傷をブログに書いている。むろん、事実無根である。

ここでX氏と書かれている人を私は個人的によく知っているが、志岐氏が得意げにpdfまでつけて引用している「週刊実話」の記事自体が、そもそも、「まあ、週刊実話だから」的お笑いレベルのでっち上げである。X氏は体質的にお酒が飲めない。X氏の知り合いなら誰でも知っている事実。

当時、私はX氏から、週刊実話に対する法的対処について相談を受けた。結論から言うと訴訟しなかった。理由は仮名であって、公人ではないX氏を特定できるのは知人しかいなく、かつ、X氏の知人なら記事が明快にデマとわかる。つまり実害の認定が難しいので、賠償金より弁護士費用の方がかかるからだ

なんといっても、そもそも「週刊実話」の記事を鵜呑みにする人が多いとも思えないし、騒ぐより無視した方が良いということもあった。

ところが、志岐さんはこの記事のpdfをブログに貼り付けてまで、X氏の誹謗中傷を始めたわけである。もちろん、X氏が志岐さんに電話をかけたなどという事実は存在しない。インターネット流出犯ではないし、そんな告白もしていないのである

もっと驚くべきことは、志岐氏は、他の人に送ったメールでは、私と直接会って話し、私も「それは知っていた」と認めたと書いているのである。私は志岐氏になど会っていないし、ましてや認めるはずもない。すべて妄想なのである。

これを表に出さなかったのは、参議院議員選前だったからだ。明らかにデマとはいえ、森ゆう子さんを刑事事件の真犯人呼ばわりというのは、悪質すぎる選挙妨害である。だから私も、志岐氏の書いていることが、完全な虚偽・妄想であることをツイッターやブログに書かなかった。

志岐氏の狂った論理で「検察審査会が架空である」ことを前提にすると様々な矛盾が出てくる。その矛盾を検証するのではなく、すべてそれは「謀略」とか「捏造」ということにしてしまうのである。その挙げ句に、審査会が捏造なら虚偽報告書が問題になるわけがないので、検察問題までなかったことにしたい

志岐氏の目的は、「検察審査会が架空で、黒幕は最高裁事務局」それを追求したのは自分で、それに恐れをなして、裁判所は小沢氏を無罪にした。即ち、小沢氏無罪の功労者は自分であり、自分は英雄として世間の称賛を浴びるべきである、ということらしい。笑止である。

とにかく明らかなのは、志岐さんには、誰もかけていない電話が聞こえ、会ってもいないのに会った記憶が作られ、そこでは、志岐さんに都合の良い事実が暴露されるらしいことである。早急に病院に行かれた方がよろしいかと思う

「議員も、ジャーナリストも、識者も、最高裁が怖くて見て見ぬふり」なんじゃなくて、本腰入れて調べたらすぐに架空議決説には矛盾が多すぎることがわかるからだということが、志岐さんには永久にわからないだろう。日本には表現の自由がある。トンデモ説でも宇宙人説でもブログに書くのは自由だ。

しかし、こと内容が、誹謗中傷のレベルに発展し、さらに、刑事事件になっている事柄に関して、まったく事実でも何でもない「告白」を得たなどと書くのは、重大な名誉毀損である。X氏は法的対処を検討しているとのことだが、デマが拡散する前に、私からも事実を表明しておく。

検察審査会に疑惑があるのと、架空と断定するのとには天地の差があります RT @pastramin @nobuyoyagi 検審の疑惑がなくなったわけでもなんでもないのに、あなたも断定的に物を言いますねぇ。どっちもどっち。

なぜあなたに名誉毀損の被害者の実名を公開して被害を広げる必要があるのですか? RT @pastramin @nobuyoyagi @antsuan X氏って誰ですか?私は親しい、嘘だ!じゃどちらが嘘を言っているのかさっぱりわかりません

確信犯ということで、記録しておきますね RT @pastramin 問われてみようかな?(^-^) "@nobuyoyagi: 名誉毀損の虚偽を拡散すると、同罪に問われますよ RT @antsuan これが工作員の陰謀による"はぐらかし"だ ⇒ 8月11日 ]氏が


関連記事
8月11日 ]氏(森前議員協力のフィクサー)が一市民Tに語った!「検察捏造報告書をロシアサーバー通し八木氏に流したのは私
http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/374.html

大暴露:とんでもないものが届きました (八木啓代のひとりごと) 
http://www.asyura2.com/12/senkyo129/msg/661.html



http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/393.html

記事 [政治・選挙・NHK152] 自民党が建設業界団体に4億円超の政治献金を要求していた問題で自民議員が「他の業界にもお願いしている」と開き直る。







http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/394.html
記事 [政治・選挙・NHK152] 共産党が躍進したのではない、99%の側に立つと表明した野党がなかっただけだ。(日々雑感) 
http://km2295.iza.ne.jp/blog/entry/3155558/
2013/08/11 14:32 日々雑感

 7月の参議院選挙では共産党が党勢拡大したが、それは共産党が票を獲得したからだが、共産党が国民の支持を得たからではない。それが証拠に共産党の機関紙「赤旗」が購買部数を減らしている。

 野党再編を御用評論家たちは自民党の圧勝を得て、余裕を以て千日談義を弄している。つまり、どんな発言をしようと野党再編は出来っこないから責任をとる必要はない、ただ出演したテレビで少数分裂野党を愚弄して安心して遊んでいる。

 ただ余りに無定見過ぎる議論遊びをしているのには腹が立つ。少なくとも評論家たちはもっと現代日本社会の死に到る病の病巣の所在を示すべきではないだろうか。

 そうしなければ永遠に野党は少数分裂野党として政治を弄んでいれば飯のタネにしているだけだと思われかねない。国民はチマチマとした野党政党が掲げる公約に何も期待していない。

 維新の会の掲げる大阪都構想やみんなの党の道州制は行政区分の変更に過ぎず、それが行政改革の起爆剤になるとは到底思えない。むしろ複式簿記を全国の公的機関に採用させて、会計システムを全国で統合する方が遥かに効果は大きいだろう。

 それが困難なことでないことは全国に一万軒以上のフランスャイズを抱えるコンビニがポスシステムにより一瞬にして売り上げから在庫の把握まで行っていることに鑑みれば明らかだ。それらのシステム改革に莫大な金が掛るというのは官僚の根拠なき脅しであって、コンビニのシステム担当を国会に招聘して話を聞けば簡単に解ることだ。

 つまり与野党が対決すべきマターはそうしたチマチマとした行政のテクニックの問題で終始してはならないということだ。政治家が政治的命題として現代社会のありようを選択すべきは1%のための社会か99%のための社会かだ。

 明快な意志を持って自らの不利益を承知の上で99%の側に立つと宣言したのは「消費増税」の民主党から反対を貫徹して離党した小沢氏たちだけだ。共産党は常に与党提案に反対してきたから、消費増税にも反対なのは考慮するほどのことでもない。他の野党政党は社民党を除いて明快に「消費増税」に反対していなかったことを忘れてはならない。

 TPPに反対していなかった政党も信用してはならない。原発に関しても即時廃炉を主張しなかった政党も信用してはならない。

 テレビで出演料稼ぎの商売評論家たちは論点をわざとぼかして、国民に政治が1対99の対決の局面に到っていることを知らせない戦略のようだ。彼らもまた1%の勢力に奉仕する走狗に過ぎないのだから。


関連ニュース
真夏の“怪”? 共産党「躍進」なのに『赤旗』は大幅減 (10:53)
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/676030/


http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/395.html

記事 [政治・選挙・NHK152] 長崎市が全世界に送った平和のアッピールと裏切り者の安倍政権の恥晒し

八月九日の長崎の原爆記念日の式典で行われた、田上富久長崎市長による全世界に向けてのアッピールは、崇高な使命感に満ちた堂々とした発言であり、放射能汚染の犯罪を放置している日本政府とは対照的に、誠実で責任感に満ちた優れた日本初の情報だった。

http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/320.html

この堂々とした上に誠実な田上富久長崎市長のスピーチが、日本政府の裏切り行為の告発に触れた段階で、衛星放送で映像は世界に放映されたカメラは、不貞腐れて黙殺しようとしている安倍の顔を大写しにして世界中に送ったが、戦争オタクで頭の中が空っぽな人物に、国政を任せてしまった日本人の愚かさが世界にバレてしまった。こんなが見守るこの式典における長崎市長の「平和宣言」は、十か国語に訳されて全世界に発信されたのである。

http://www.city.nagasaki.lg.jp/peace/japanese/appeal/pdf/index.html

それに先立つ麻生の愚劣なナチス発言で、日本がファシスト国家になりかけていることも世界が知ったことは、これからの日本の運命にとって危険信号なのである。
http://spweb.gendai.net/articles/view/syakai/143807
黒づくめの悪党スタイルを売り物にする麻生が、ナチスの手口を手本にして改憲をやればいいと言う発言をしたことによって、そのファシスト性を明らかにして世界から注目を集めたばかりである。

http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20130801

日本人はシオニストに引きずられて世界から孤立していくイスラエルと共に、世界平和にとって危険なペスト的な国と見られており、ことによると日本製品をボイコットする世界運動を呼び起こしかねない。そうなった時に一度腰を抜かして内閣を投げ出した安倍が、不正選挙で再び政権を握ることになった不祥事が、日本の没落の原因だったと悔やんでも手遅れになる。日本は暴政に支配されているのに、堕落して腐敗したマスコミに洗脳されているために、日本人はそれに気付いていないのである。

http://iiyama16.blog.fc2.com/blog-entry-3212.html

こうした時代において長崎市長の勇気ある発言は貴重だ。それに対して小学生四年の国語能力しか持ち合わせない発育不全の男を首相にしてしまったので、今の団塊の世代の日本人はその愚かさを次の世代に笑われかねないのである。
http://iiyama16.blog.fc2.com/blog-entry-4631.html


http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/396.html

記事 [政治・選挙・NHK152] 国会軽視 山本太郎氏の質問主意書が福島瑞穂氏とそっくり←同じ専門家に書いて貰ってましたwww2c

1 毒霧(愛知県) [] 2013/08/10(土) 09:31:51.74 ID:UOL6t0KAP Be:2107329449-PLT(12001)

山本氏事務所釈明「手続きミス」

 7月の参院選で初当選した山本太郎参院議員が先の臨時国会で提出した「生活困窮者自立支援法案に関する質問主意書」が、社民党の福島瑞穂前党首提出の質問主意書と酷似していることが9日、分かった。

 政府の答弁書の手続きには多くの時間とコストがかかるだけに、政府関係者は「意図的に同じ内容の質問主意書を出したとすれば税金の無駄遣いだ」と指摘している。

 山本氏の質問主意書は、今年1月召集の通常国会に提出され、廃案となった生活困窮者自立支援法案について、生活困窮者の定義や就労訓練事業の具体的内容を問う7項目からなる。

 福島氏のものは「生活保護法案及び生活困窮者自立支援法案に関する質問主意書」。同じ6日に提出していた。

 1つ目の質問こそ生活保護法改正案に関してだったが、残る2〜8項目は全て生活困窮者自立支援法案の質問だった。

 山本氏の1〜7項目と、福島氏の2〜8項目の全ての質問が酷似。このうち、「自立支援法案第一条にいう『自立』とは、就労による経済的自立のみを意味するのか、日常生活自立、社会生活自立をも含めた幅広い意義を有するのか」など3項目は一言一句同じ。

 他の項目も5カ所で「政府の見解を示されたい」などの文言が付け加わったり、別の言葉と置き換わっていたりするだけだった。

 脱原発や反TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)など両氏が掲げる政策は重なる部分があり、福島氏が参院統一会派の結成を呼びかけたこともある。

 山本氏の事務所によると、両氏とも同じ専門家から文案を提供してもらったという。事務所内の手続きミスで、そのまま提出したといい、「今後このようなことがないようにしたい」とコメントした。

http://news.livedoor.com/article/detail/7942689/

2 アイアンクロー(東京都) [] 2013/08/10(土) 09:33:13.44 ID:kNQtN+se0 Be:
自分の言葉で語れよ!!


3 ストレッチプラム(東日本) [] 2013/08/10(土) 09:34:06.42 ID:yt4Em/VeP Be:
山本太郎の社民党入党の布石か


4 ニールキック(庭) [] 2013/08/10(土) 09:35:16.89 ID:0u5xLKl60 Be:
友達の感想文見せてもらって真似する小学生みたいやね


6 スターダストプレス(東日本) [sage] 2013/08/10(土) 09:35:43.92 ID:SR647vh70 Be:
中核派の人に書いてもらってるの?


7 スリーパーホールド(関東・甲信越) [] 2013/08/10(土) 09:36:09.54 ID:2gvlkk3m0 Be:
そらハゲるわ


8 レッドインク(西日本) [sage] 2013/08/10(土) 09:36:49.70 ID:zUMFQXgw0 Be:
嫌がらせ質問でお馴染みの瑞穂と同じなのかw
看板変わっただけで裏についてるのは同じ奴なんだな


9 ファイナルカット(兵庫県) [sage] 2013/08/10(土) 09:37:09.14 ID:79UyGxsN0 Be:
うそん。太郎はともかく、みずぽまでゴースト雇ってんの?
忙しいから当然とは言えさあ。


11 エクスプロイダー(東日本) [] 2013/08/10(土) 09:38:46.26 ID:uctHGwpM0 Be:
山本みたいな無所属の質問って時間の無駄だろ
そういうの泡沫的なの福島瑞穂だけでいいよ


12 スリーパーホールド(関西・東海) [] 2013/08/10(土) 09:38:52.88 ID:ZJak8Ckd0 Be:
ああ。やはりな、という奴か


13 ヒップアタック(埼玉県) [] 2013/08/10(土) 09:39:00.64 ID:E7YIIc8x0 Be:
口パクわろたww


14 アイアンクロー(東京都) [] 2013/08/10(土) 09:39:14.65 ID:kNQtN+se0 Be:

もう、社民に行けよ


18 セントーン(家) [sage] 2013/08/10(土) 09:41:12.23 ID:uxoq96xC0 Be:
楽なもんだな


19 ファイヤーバードスプラッシュ(庭) [] 2013/08/10(土) 09:41:27.09 ID:rzOTwvxC0 Be:
左翼クオリティwww


20 ストレッチプラム(兵庫県) [sage] 2013/08/10(土) 09:41:36.70 ID:7FyGCS8fP Be:
その事務所の意見が政治に干渉するとかありえない。どういう人が書いてるの?


21 ときめきメモリアル(佐賀県) [] 2013/08/10(土) 09:41:44.96 ID:enio/oyX0 Be:
昔も今も踊るだけ


23 逆落とし(埼玉県) [] 2013/08/10(土) 09:42:11.75 ID:MP5reJZi0 Be:
小中高生が夏休みの宿題提出したら
なぜか内容全く同じだった人がいましたみたいな感じ?


24 毒霧(茨城県) [] 2013/08/10(土) 09:43:07.90 ID:vpiF5s6r0 Be:
>>23
しかも業者にやらせてました、みたいな


25 カーフブランディング(東京都) [] 2013/08/10(土) 09:44:14.21 ID:iKYNXxai0 Be:
文言考える人間がいるのはかまわんが
同じ奴がコンサルならもう結婚しちゃえよ


30 ファイヤーボールスプラッシュ(東日本) [] 2013/08/10(土) 09:47:21.17 ID:vCX4uOIdO Be:
そっち系を後ろから操ってる勢力が有るわけだ


31 フェイスクラッシャー(埼玉県) [sage] 2013/08/10(土) 09:47:58.08 ID:cSmnPof30 Be:

やっぱり隠れ社民かよ


42 毒霧(家) [] 2013/08/10(土) 10:04:20.22 ID:CBPqZPyvP Be:
もともと担がれてるだけだしなこんな奴
大人しくメロリンQやってれば良かったんだよ


43 毒霧(東京都) [sage] 2013/08/10(土) 10:06:21.44 ID:iM0LD9zFP Be:
山本太郎の代わりにその専門家を国会議員にしたほうがよっぽどいいのにな。


44 テキサスクローバーホールド(庭) [sage] 2013/08/10(土) 10:07:55.15 ID:oqxQRzsr0 Be:
議員になった時点がゴール


45 目潰し(静岡県) [] 2013/08/10(土) 10:08:30.86 ID:/8BL5aXO0 Be:
そもそも中卒DQNが文章書けるわけないじゃん
どこまでフリガナふってあげるんだろう・・・


52 ストマッククロー(dion軍) [sage] 2013/08/10(土) 10:12:33.70 ID:UvLpBNa10 Be:
質問を他人任せとか国会議員様はずいぶんとご気楽なお職業ですねぇ


53 32文ロケット砲(東日本) [] 2013/08/10(土) 10:12:57.52 ID:OVt37nNz0 Be:
みずほも外注だったということなのか


62 ストレッチプラム(愛媛県) [] 2013/08/10(土) 10:41:40.54 ID://b7KrByP Be:
こんな奴を当選させてしまった東京都民


63 毒霧(大阪府) [sage] 2013/08/10(土) 10:43:05.16 ID:qXNNg1u1P Be:
山本以上にこの専門家がアホ過ぎるだろ


64 16文キック(西日本) [sage] 2013/08/10(土) 10:45:32.82 ID:3AemJckx0 Be:
ren4100万病だわ、空き缶は当選させるは、こいつを当選させるは、東京都民には反省というものがないのか。


79 ボマイェ(東日本) [sage] 2013/08/10(土) 11:55:32.63 ID:vPHCQWxoO Be:
これじゃただのスピーカーじゃねぇか


80 ダイビングヘッドバット(茨城県) [] 2013/08/10(土) 11:59:20.80 ID:TRQGw8/x0 Be:
クッソワロタwwwwwwwwww
裏に誰かがいることがバレちゃったじゃんwwwww


81 かかと落とし(東京都) [] 2013/08/10(土) 12:01:36.30 ID:he03ex/b0 Be:
左翼専門の文書屋だろ


82 バーニングハンマー(千葉県) [] 2013/08/10(土) 12:07:43.46 ID:zd8vFvX/0 Be:
福島みずほも思わぬ災難だね


83 メンマ(関東・甲信越) [] 2013/08/10(土) 12:10:03.97 ID:ErF9nGx5O Be:
もう分かりやすく社民党に入れよ
誰も不思議に思わないから

http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news/1376094711/
http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/397.html

   

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