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第1章 2011年 福島
福島第一原発事故をめぐる混乱の中で、ある不可思議な事実がある。
3月17日、自衛隊ヘリ部隊が行った空中放水。 被ばくリスクが非常に高い中で、
なぜほとんど効果がなかったとされる“英雄的犠牲”は行われたのか?
オバマ大統領との電話会談の直前、“命がけ”の放水が決行された真意とは?
背後にあったのは、事故処理をめぐるアメリカ側のいらだちと疑念。
情報の混乱とアメリカの圧力の中、迷走する官邸の姿だった。
日米間の調整業務に当たった細野豪志は、我々の取材にその時の危機感について
「日米同盟の危機だった。歴史を60年以上戻すことになりかねない」と語り、
菅直人は「責任を放棄した時には、日本は当事者能力をなくす」と振り返った。
藤崎一郎駐米日本大使(当時)を取材する鳥越キャスター
第2章 1945年 広島
戦後68年、日本の原子力問題はアメリカの核戦略と無縁ではいられなかった。
核をめぐるアメリカの影。 その原点は、68年前の終戦直後の日本に遡る。
原爆投下から1ヶ月、マンハッタン計画の副責任者ファレル准将はこう言明した。
「残留放射能に苦しんでいる者は皆無である」 そして 「プレスコード」の名の下に、GHQによる徹底した情報統制が行われた。 以来、現在に至るまでアメリカも日本も、「黒い雨」「死の灰」など残留放射能による健康被害を全面否定し続けている。
今回の取材で、アメリカの核政策を担うエネルギー省の元上級政策顧問は、それが欺瞞であり「核開発計画を継続、推進するための国家戦略」だったことを認めた。
元エネルギー省政策顧問を取材する村上キャスター
第3章 1950年代 ビキニ-広島
さらに1950年代に入ると、ソ連との核開発競争の中で、アメリカは「原子力の平和利用」を打ち出した。 表向きは核兵器用に濃縮したウランを原発などに平和利用することだったが、米機密文書に書かれたもう一つの狙いは、西側同盟諸国に原子力技術を供与し、対ソ核包囲網を進めること。 日本もその例外ではなかった。
そんな中、アメリカは被爆地・広島を「原子力平和利用」の宣伝ターゲットとして、
「原子力平和利用博覧会」などを開催。一方、日米政治決着によってビキニ水爆実験による第五福竜丸の被ばくの事実を隠ぺいし、反米・反核の動きを抑え込もうとした。その結果、唯一の被爆国日本は核の危険性に目をつむって「日米原子力協定」を締結、原発推進政策に突き進んでいく。
第五福竜丸甲板で元乗組員・大石又七さんにインタビュー
戦後、脈々と続いてきた原発開発と核兵器との密接な関係。
1957年、東海村で原子の火が灯って以来、消えることのない“アメリカの影”。
福島原発事故で図らずも露呈した、原子力をめぐる知られざる日米関係を検証する。
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あまりちゃんと見ることができませんでした。とぎれとぎれにしか見ていません。
しかし、福島第一原発事故について米軍のかかわりが相当にあったはずであり、自衛隊は米軍の手足となって使われただけだと考えています。そもそも、自衛隊に原発に関しての知識はないのでは?
http://www.asyura2.com/13/genpatu32/msg/856.html