「田代不起訴」に見る日本の病理
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ニュース・コメンタリー (2013年08月03日)
生活の党の小沢一郎代表が強制起訴されるきっかけとなった検察審査会に対して、実際の聴取内容とは全く異なる虚偽の捜査報告書を作成していたことで告発されていた元東京地検特捜部の田代政弘検事について、最高検は7月31日、嫌疑不十分で再び不起訴処分にした。
田代元検事については、告発を受けた最高検が一旦、嫌疑不十分で不起訴としていたが、これを不服とした市民から検察審査会に申し立てがあり、検審は今年4月、これを不当と議決し検察に対して再捜査を求めていた。しかし、検審が強制起訴につながる「起訴相当」とはしなかったため、今回の不起訴処分で、田代元検事がこの問題で罪に問われることはなくなった。
最高検は田代元検事の「記憶が混同した」との主張を受け入れ、故意ではなかったと主張している。虚偽有印公文書作成罪は故意性が要件となっているためだ。しかし、捜査報告書に記録されていた石川氏の証言内容が、石川氏が隠し持った録音機で録音をしていた取り調べの内容と全くことなる内容であり、同時に小沢氏にとっても不利になる明らかな捏造部分が多数含まれていた。
また、その捜査報告書を受けて検察審査会が小沢氏を強制起訴につながる「起訴相当」と議決しているのだ。更に、そもそも今回の小沢氏及びその秘書に対する東京地検特捜部の捜査自体が、政権交代を目前に控えた時期に行われた、政治性が強く疑われるものだったことなどを考慮に入れると、日本の政治の流れに決定的な影響を与えたといっても過言ではない。検察による違法行為が、身内の検察によってこのような形で事実上不問に付されるというようなことを、われわれは看過してよいのだろうか。
また、そのような背景があることは重々知りながら、これを大きく問題にもせず、田代不起訴を普通のニュースとして伝えるマスコミは一体どうなっているのか。なぜ政治家は当事者である小沢氏の周辺を別にして、誰もこれを問題にしないのか。
田代元検事への不起訴処分が明らかにした日本の民主主義の弱点について、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。