株式日記と経済展望
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「ソ連封じ込め戦略」が策定されると、アメリカは日本の「大東亜共栄圏」
構想を復活させ、「日本をその中心に戻さなければならない」と言うようになる。
2013年7月15日 月曜日
◆文月某日 7月13日 田中良紹
http://blogs.yahoo.co.jp/hellotomhanks/64063851.html
急に訪れた猛暑にフーテン老人は息も絶え絶えである。若い頃のように身体が環境の変化に即応できない。目が覚めた時に疲れを感じることなどなかったのに、目の疲れ、筋肉の疲れを感じてしまう。早く暑さに身体を順応させようと昼間は戸外で本を読むことにした。
場所は洗足池や東工大や近所の神社の木陰と決めている。しかし少しでも風があると救われるが、風がないとじっとりと汗ばみ、虫に食われるおまけがつく。そうしたなかで『「日米関係」とは何だったのか』(草思社)、『満州事変とは何だったのか』(草思社)、『沈黙のファイルー瀬島隆三とは何だったのか』(新潮文庫)などを読んだ。日本政府の「歴史認識」が海外から問われている時だから、我々も「歴史認識」を磨いていく必要がある。
その中でマイケル・シャラー著『「日米関係」とは何だったのか』については、慰安婦問題と尖閣問題を巡るブログで二度ほど引用させてもらった。しかしそれ以外にもフーテンには興味ある事実が書かれているので、暑さにあえぎながらそれを紹介する事にする。戦後民主教育を受けてきたフーテンの世代としてはこうした事実に新鮮さを感ずる事をご理解願いたい。
占領下の日本に君臨したGHQのマッカーサー司令長官は、1944年つまり太平洋戦争中にアメリカ大統領選挙で共和党候補の指名を得ようとした事がある。従って48年の大統領選挙でも候補の指名を得る野心を抱いていた。マッカーサーにとって日本占領はまさにそのための政治的舞台だった。
日本軍国主義を徹底的に解体し日本を民主化する様子をアメリカ国民に見せつける事がマッカーサーの目標である。従って軍国主義者の公職追放と戦争を支えた財閥の解体が絶対に必要であった。ところが公職追放のリスト作りを命じられたのはわずか20人の若い士官で、250万人分の調査が必要であった。
ドイツと違い間接統治が行われた日本では日本人官僚がGHQの手足となって働く。当然ながら250万人の調査は日本の官僚に託され、証拠を隠滅する事は容易な状況だったとシャラーは書いている。軍と警察の上層部は8割が追放処分となり、次いで長老政治家が対象となった。しかし官僚や産業界からの追放は少数に終わる。シャラーは書いていないが、フーテンが以前調べたところでは司法界はまるで対象にされていない。特高警察などが厳しく追及されたのに思想検察は生き残るのである。
戦時中に反戦を唱えていた政治家・石橋湛山は追放され、その一方で官僚と司法の世界は見逃された。こうした公職追放のちぐはぐさは意図的というより、民主主義に対するアメリカと日本の制度の違いによるとフーテンは考える。国民主権の考えに立てば、税金で雇われる官僚は国民の代表である政治家に従うのが当然である。国家の決定に責任を負うのは政治家で官僚ではない。司法の世界もアメリカでは試験に合格するだけではしかるべき役職に就く事が出来ない。選挙で選ばれる必要がある。
しかしそうしたアメリカの考えとは裏腹に、明治以来の日本政治を主導してきたのは官僚である。自由民権運動を源流とする政党政治は官僚政治との戦いに連戦連敗を重ねてきた。そうした日本の事情をアメリカが理解できる筈はなく、それが政治家に厳しく官僚に甘い処分を生み出した。そしてそれがそのまま戦後の政治と官僚の力関係に影響しているとフーテンは考える。
ともかく公職追放は意図したものとは異なる結果を生み出した。次に財閥解体もマッカーサーは意図を裏切られる事になる。1947年にソ連との関係が悪化して冷戦が始まると、アメリカが直面した現実は日本とドイツの経済が絶望的とも言えるほど壊滅状態にあったことである。
戦争直後のアメリカには敗戦国が戦時中支配していた国より経済的優位に立つことを許さないという考えがあった。つまり日本は東南アジア諸国以下の経済力にする事が目標とされた。ところが「ソ連封じ込め戦略」が策定されると、そうした考えは一掃された。アメリカは日本とドイツを「二つの工場」にする事で、ソ連の政治的圧力を跳ね返そうと考えたのである。
マッカーサーが意図した財閥解体とは正反対の目標が掲げられた。日本は経済復興が第一の目標となり、戦後賠償は停止され、日本を輸出主導の国にすることが奨励された。日本経済の立て直しに大ナタを振るったドッジは、日本に戦前の軍需省をモデルにした通産省の設置を奨め、それが輸出主導経済を現実のものにする。後にアメリカを苦しめる通産省はアメリカのアイデアなのである。
日本が輸出国として再建されるためには東南アジアが重要だとアメリカは考える。東南アジアは日本にとって原料の輸入先であり、また製品の輸出先にもなる。東南アジアがソ連の影響下に置かれれば、日本はソ連から致命的な圧力をかけられることになる。そこでアメリカは日本の「大東亜共栄圏」構想を復活させ、「日本をその中心に戻さなければならない」と言うようになる。
アメリカがベトナム戦争を戦ったのも日本のためであったとアメリカは言う。それなのに日本は平和憲法を盾に協力的でなかったとアメリカは不満を募らせる。そしてそこに共産主義化した中国の存在がクローズアップされてくる、というところで今回はここまで。戦後民主主義世代の「歴史認識」再発見はいかがでしょうか。お許しを頂ければまた続けます。
(私のコメント)
アメリカの戦略は、GDPで中国が日本を追い越した頃から変わって来た様に見える。中国も日本を上回る経済大国になったことで気が大きくなり、太平洋の西半分を中国によこせとアメリカ海軍高官に要求するようになった。クリントン国務長官に対しても「ハワイは我々のものだと言う事もできる」と脅すようになった。
これでアメリカ人が怒らない訳がないのであって、中国人の中華思想はDNAであり中国人にしてもアメリカ人にしても国境の概念は無く、世界は我々のものだと行った誇大妄想的なところがある。アメリカはダントツの軍事力と経済力を持っているからグローバルな世界観を持つのは当然なのでしょうが、中国人の世界観は誇大妄想的なところがある。現実が見えなくなって来ているところがある。
米ソの冷戦は、ソ連にとっては「共産主義」というイデオロギーが西側の知識人文化人の支持を受けるところがあり、政治的にもアメリカの資本主義に真っ向から対立した。アメリカは資本主義の正統性を示す為には、日本やドイツを再び経済大国にする必要が生まれた。そうしなければ日本もドイツも共産主義化する可能性があったからだ。
結局はソ連の崩壊は、日本やドイツの経済力や技術力に負けたのであり、日本が開発したYHSビデオで西側の情報がどんどんソ連に入って来て、ロシア国民は共産主義に疑いを持ち出すようになった。北朝鮮にしてもいくら情報を統制してもDVDや携帯でどんどん情報が入って来て、韓国の繁栄振りが分かってしまっている。
マッカーサーがアメリカの大統領になれなかったのは、戦後におけるソ連との冷戦が読めなくて日本の解体を進めてしまったことであり、朝鮮戦争でいやと言うほど共産主義の恐ろしさを思い知る事になった。アイゼンハワーはヨーロッパ戦線でソ連の脅威を早くから予知していたから、早くからソ連封じ込めの戦略を持つことが出来た。
終戦当初はアメリカは日本を貧しい農業国にして航空機などの生産を禁止した。マッカーサーは平和憲法とこのような政策が命取りになって、冷戦時代になって大統領になる芽は失った。アメリカの赤狩りはアメリカがいかに共産主義に無知であったかを物語るものですが、東ヨーロッパの共産主義化や中国や北朝鮮の共産主義化はアメリカがいかに能天気であったかを思い知らされた。
もし共産主義がアジアやアフリカ諸国まで広がれば、米英の支配体制は崩壊するところだった。それを食い止めたのが日本や西ドイツの経済発展であり技術力だった。日本は早くからソ連や中国の共産主義勢力と対峙して来たから満州国と言う緩衝地帯を築きましたが、これを侵略だとして米中は手を組んで日本を封じ込めてパールハーバーになった。
戦前のアメリカにとっては共産主義はソ連一国の体制であり、東ヨーロッパや中国まで共産化してくるとは思ってはいなかったのだろう。戦後になってそれに気がつくとはアメリカ人もナイーブな国民ですが、中国人の正体に気がつくのも最近の事であり、アメリカ人とバカは死ななければ治らないのでしょうか? 韓国に対しても韓国人が恩を仇で返す国民である事に気がついたのも最近の事だ。
田中氏の記事では、「アメリカがベトナム戦争を戦ったのも日本のためであったとアメリカは言う。それなのに日本は平和憲法を盾に協力的でなかったとアメリカは不満を募らせる。」と書いていますが、日本がソ連や中国の共産主義勢力と戦っていたのに、ルーズベルト大統領は中国・ソ連と手を組んで大日本帝国を滅ぼした。その為にアメリカは朝鮮戦争とベトナム戦争を戦う事になった。日本が協力的でないとはよく言えたものだ。
アメリカ人のアジアに対する認識はほとんど無きに等しいレベルであり、日本が民主国家になれたのだから中国や韓国も民主化できると思い込んでいるようだ。しかし中国は歴史を見れば分かるように経済発展しても民主国家にはなり得ない。香港や韓国も米英の支配下では民主制度も採用されましたが、香港が中国になれば民主化は有名無実になった。韓国も在韓米軍がいなくなれば香港のように名ばかりの民主国家になるだろう。
日本が朝鮮戦争やベトナム戦争で協力的でなかったというのは、当たり前の事であり、日本を叩きのめしておきながら、直に共産主義と対峙する様なって協力しろとはアメリカ人のバカさ加減には驚く。だから吉田茂はアメリカから押し付けられた憲法を盾に朝鮮戦争に協力しなかった。これを吉田ドクトリンと言いますが、アメリカの戦略はご都合主義であり、共産主義の脅威に戦後になって気がつくとはアメリカ人はナイーブすぎる。
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