「蒋介石の国民党軍は一般市民にも無差別的な発砲を行っている。
基隆では街頭にて検問所を設け、市民に対し、北京語を上手く話せない本省人を全て逮捕し、針金を本省人の手に刺し込んで縛って束ね、「粽(チマキ)」と称し、トラックに載せ、そのまま基隆港に投げ込んだという。」
日本人やマスコミのおもしろいところは、日本人の証言ではなく、中国人や朝鮮人の証言だけを信じること。
それも腹を割いて内蔵を引きずり出したとか、目をくり抜いたとかそんな日本で見たことない証言だけを信じる。
ちょっとおかしい気がします。
「プルサンの部屋」から
http://ameblo.jp/pursang-blog-page/entry-10652854151.html
昨日、カキコした「9月18日はどんな日か?」の記事ですが、「台湾の228事件」について、多くの日本人は知らない。
蒋介石は日本を裏切り、無実の台湾人を大量殺戮した悪政治家だ。
台湾の228事件ってどういうことか?
簡潔に言えば、正しい答えは「台湾の本省人がこの事件を蒋介石による中国人による台湾大虐殺と呼んでいる。」
日本で「2月28日と言えば?」と聞けば殆どが「2月最終日」(今年はうるう年で違うが)という答えであろう。
また、「228事件とは何か?」と聞けば大抵は解らないか、或いは「226事件」と間違う人がいるぐらいで台湾の事を思い浮かべる人は残念ながら少数派でしょう。
2月28日は台湾人にとっては忘れられない日の一つである。
1945年10月に日本から連合軍に接収された台湾、その台湾は中華民国が占領統治をした。
当時の中華民国の国民党(中国から逃げて来た蒋介石の率いる国民党)は内戦に次ぐ内戦で行政能力と言うのは余り無かった。
統治権が日本から中華民国に移った途端に不正や汚職、経済混乱などが起こり、その一方で日本の法治国家を体験してきた台湾人は、全く天と地の差がある国民党に失望してきていた。
1947年2月27日晩にヤミタバコを販売していた女性を憲兵が摘発するにあたって暴力行為が起こった。
翌日市民は市庁舎前でデモを行った際に憲兵前からの発砲が起こり、市民が死亡、市民の怒りに火がつき、全国的な暴動に発展した。
台湾人である本省人側は国民政府に占拠されている諸施設へ大規模な抗議行動を展開。日本語や台湾語で話しかけたうえ、答えられない者を外省人と認めると暴行するなどの自衛手段を行った。
また、本省人側はラジオ放送局を占拠。軍艦マーチと共に日本語で「台湾人よ立ち上がれ!」との呼びかけた。
「軍艦マーチ」って何か知ってるか?
それは戦前の大日本帝国海軍の国歌である。
台湾人は大日本帝国海軍の国歌が今でも好きなのだ!
マジにかわいそうなんだよ。
暴動そのものは陳儀が蒋介石からの援軍を得てまもなく鎮圧、その後、台湾人の知識人やエリートは捏造された罪で多くが殺害され、その正確な人数は現在でもまだわからないという。
また、蒋介石の国民党軍は一般市民にも無差別的な発砲を行っている。
基隆では街頭にて検問所を設け、市民に対し、北京語を上手く話せない本省人を全て逮捕し、針金を本省人の手に刺し込んで縛って束ね、「粽(チマキ)」と称し、トラックに載せ、そのまま基隆港に投げ込んだという。
台湾籍の旧日本軍人や学生の一部は、旧日本軍の軍服や装備を身に付けて、国府軍部隊を迎え撃ち、善戦した。
当初、少なからぬ本省人が台湾の「祖国復帰」を喜び、大陸から来た国民党政府の官僚や軍人らを港で歓迎したが、やがて彼らの腐敗の凄まじさに驚き、失望した。
中国大陸から来た軍人・官僚は国共内戦の影響で質が悪く強姦・強盗・殺人を犯す者も多かったが、犯人が罰せられぬことがしばしばあり、もし罰せられる場合でも、犯人の省籍をマスコミ等で報じることは厳しく禁じられた。
また、台湾の資材が中国人官僚らによって接収・横領され、上海の国際市場で競売にかけられるに到り、台湾の物価は高騰、インフレによって企業の倒産が相次ぎ、失業も深刻化した。
比較的不正の少なかった日本の統治時代を体験した台湾人にとって、治安の悪化や役人の著しい腐敗は到底受け入れがたいものであった。
人々の不満は、いやが上にも高まっていった。
当時の台湾人たちは「犬去りて、豚来たる」(犬(日本人)は五月蠅くとも役に立つが、豚(国民党)はただ貪り食うのみ)と揶揄した。
しかし、最後はこれらも制圧され、台湾全土が国府軍の支配下に収まるのである。
この事件によって、約28,000人もの本省人が殺害・処刑され、彼らの財産や研究成果の多くが接収されたと言われている。
その殺害方法の残虐さは書くのも憚れるほど無残で無慈悲で、228記念館でボランティア解説員の話を聞いていたら胸がつまってくる。
実際に228記念館にはイラストや写真や遺品もあり、かなりの衝撃を受ける。
(228記年館は総統府の建物の前方228公園内にある)
その後の台湾は戒厳令発布、そして白色テロと国民党の暴政圧政が数十年に渡って続いて台湾人を弾圧し続けた。
台湾人はさ、蒋介石、蒋経国親子の恐怖政治をじかに経験したんです。
そして、これはぶっ壊さんといかん、と思うほどひどかった。
一方、日本の警察は、威張っていたけど、法律を守っていれば何も恐れることはなかった。
実害はなかった。
台湾人は現体制に批判的な人間を片端から捕まえて銃殺してきた蒋介石の率いる国民党の官憲に比べれば、日本の官憲はただ威張っているだけで、実害がなかったと言われるのである。
「植民地であっても日本人は法を守るんですよ。法が悪法であろうと、いい法であろうとね。とにかく規則には非常にやかましいですね」
台湾独立建国連盟主席であり、日本で長く台湾独立運動を展開して来られた。日本、台湾双方の事情に精通する人物である。
このような人が国策顧問にいれば、日本人にも心強いのだ。
日本は戦後、占領統治で情報が入らず、この事件を知らない上に正しく歴史が教えられていない。
また、中華民国に占領されていた台湾は実質的には鎖国のような政策であり、確かに知らないというのもある程度は仕方ない面はあるのだろうが、台湾を日本が放棄したのは1951年であり、国際法上の解釈であれば法的には「日本人が国民党に殺された」という事になります。
ちなみに、日本統治機構が廃止となった後に中華民国国籍を付与したことについては、その後の日華平和条約でも日本側は承認していないのです。
228事件については戒厳令が解除され、李登輝総統の下で国民党による民主化がやや進んだ1995年に国民党が遺族に謝罪し、台北の新公園を228公園と改名し、記念碑を建立し、228記念館を開設した。
この時に謝罪したのは国民党主席の李登輝氏(当時)、その李登輝氏は228事件の時には「弾圧される」立場に居た事もあり、遺族にとっても複雑な思いであった。
やがて非情城市の映画で取り上げられたり、台湾人が書籍を出版する事で日本でもようやく認識が広がってきている。
台湾では人間の鎖と称した大規模なデモ活動も行われたし、2004年の総統選挙では陳水扁氏が連戦氏に勝利したが、その差が0.22857%であり、228事件から57年目の勝利という事で話題になった。
また、中にはメールアドレスに228と言う数字を使って決してこの日を忘れないという人もいる位である。
それだけ、台湾人の心に落とした影響が大きかったともいえます。
228事件についてはこうして色々と語られてきてはいるが、犠牲者の中には事件後40年間以上も死亡手続きがなされていない人もいたというなど、まだ真相は闇の中で誰が何人犠牲となったのは政府も民間も調査をしているとの事です。
2月28日は台湾では追悼集会等が毎年開かれている。
台湾では、「歴史は忘れない」と言うのは国民党に弾圧され、未だに十分な補償もないまま、名誉回復も遅れて塗炭の苦しみを味わった台湾人民が国民党に対して言う強い言葉です。
戦前の半世紀もの間、台湾は日本の統治下にあった。
この間、日本語教育が行われ、日本の文化が台湾にたくさん伝わっている。
現在の台湾は、日本の統治下にあったのだから、韓国や中国のように日本に対する嫌悪感が強い・・・というわけではない。
日本の敗戦後、中国から来た蒋介石が率いる国民党の支配が苛酷であったためか、日本時代の方がよかったと思う人が多いのか、日本の文化を受容する人が多く、今でも台湾国民は日本に好意的な人も多い。
台湾にいると「日本・日本人」を、こんなにも好きでいてくれる人がたくさんいる国は台湾の他にないのではないかと感じることが、結構多い。
ここでは台湾の日本好き度についてお話したい。
日本大好き!〜その1
台湾・台北は世界一コンビニエンスストアーが多い場所らしく、ファミリーマートやセブンイレブン、ニコマートが数十メートル間隔で立ち並んでいる。
ここで売っている商品の主は台湾商品だが、日本の商品もかなり手に入る
(アイスクリームや飴、ガム、お菓子、インスタント味噌汁、ジュースなど)。
日本商品は日本から輸入されている為、他商品に比べ割高だが、台湾で製造された日本メーカーの商品も数多くありお手ごろ価格で入手できる。
日本商品の需要があるから、これだけ多く販売されているのだろうが、他国で住む者にとってはうらやましい限りの身近な場所で買える日本商品充実度である。
日本大好き!〜その2〜
台湾では、日本のテレビ番組・・・バラエティや料理番組、ドラマ、旅行、音楽番組等がたくさん放送されている
(日本からのオンタイム番組ではなく少し時がたったものが多い)。日本の演歌が好きでカラオケで歌う台湾人、昔習った日本の童謡を口ずさむ台湾人もいる。
映画館では日本映画も上映されている。
テレビも映画も中国語字幕が画面の下についているので、我々日本人も日本語で楽しむことができる。
日本の旅行番組に感化されてか、日本へ旅行に来る台湾人はとても多い!
最近の人気は北海道のようだ。
日本大好き〜その3〜
台湾人の知人曰く、台湾人女性に「日本人のようだね」というのは誉め言葉で、喜ぶのだとか・・・。
どうやら日本人=キレイ、かわいいという代名詞らしい。
台湾人の日本人への憧れは強いようで、特に若い年代では日本の流行に敏感で台北の街を歩いていると、服屋さんの店頭に「日本の新商品入荷!」という張り紙や日本製のコスメッティック商品もよく目にする。
台湾人にとって、日本人は皆、女優の松島奈々子さんのように見えてしまうのだろうか
(それは大きな間違い!と声を大にしていいたいが・・・・)。
日本大好き〜その4〜
在台湾暦10年の小生の親友で最大手の台湾駐在時代の日本人に「日本人が台湾で値切り交渉するなら英語より日本語で・・」と言われたことがある。
歴史的背景から年配世代では日本語を話せる人が多く、また若い世代では自ら日本語を勉強している人もたくさんいて日本語が英語より優勢という場所も多い。
という理由もあるが、日本に対する好感度が高い台湾では、日本語を話す=日本人・・・「おまけしちゃおう!」とか寛大な目で見てくれる人も多いようだ。
以上のように、台湾での日本好感度は高く、「日本製品は良いもの、繊細、素敵」と日本製品や流行を取り入れる風潮をあちらこちらで感じる。そんな風潮を台湾企業が目につけない訳がない。
「“日本”と書いておけば売り上げは伸びるかもしれない」と考え、日本語の入った商品を売り出したりする。現在人気の北海道にあやかって「北海道」と言葉を入れた(全く北海道とゆかりがないのに)パンやお菓子もよく目にする。
台湾企業にはそれなりに日本語ができる人も多いだろうから、日本語を交えた商品を簡単に作れてしまう。
また、日本語・中国語どちらにも使われている漢字は発音が違っても「目で読む」ことでは多くの台湾人・日本人はお互いの言語内容に察しがつく。
だから日本語入りの商品は台湾市場に受け入れられやすいようで、「なんて書いてあるか全てわからないけど、日本語書いてあるしきっといい物だろう」と台湾消費者は買ってしまう。
これが「柔軟なパン」といった台湾製の日本語ネーミング入りの商品が生まれる理由なのかもしれない。
「柔軟なパン」という言葉を奇怪に思うのは日本人かネイティブ並みに日本語を使いこなす人だけ。
日本語の「て」「に」「を」「は」の使い方は外国人にとって本当に難しいもの(これらの助詞の使い方がへんてこりんな商品もたくさん売られていて、台湾の店を見ているだけで面白い!)。
「柔軟なパン」も決して、日本人へのウケ狙いで作ったのではなく、柔らかなパンと表現したかったのだろう。
日本度の高い国ゆえに垣間見える、日本人的には面白い日本語商品である。
1895年、当時の清の国から台湾を割譲した日本政府は、台湾で現地の人と直接接触する機会の多い日本人(警官、教師など)のために台湾語大辞典を編纂、「台湾語」を勉強するよう奨励し、台湾人には日本語教育を施したのです。
日本統治時代が終わる頃には、日本語のわかる人が75%にまで達していたのです。
当時の台湾人にとって、日本語は生活手段の言語だけなく現代知識を吸収する言語となり台湾社会の文明化に大きな役割を果たしたのです。
では戦前の台湾の文明化をどのように進めたのか紹介してみましょう。
時の日本政府が最初にやったことは、当時台湾社会に蔓延していた悪習(纏足、辮髪、アヘン)を徐々と禁止していったことです。
それと共に次の三つの観念を徹底的に植え付けていったことにより、社会が従来と大きく変遷したのです。
(1)時間の観念
台湾の日本総督府は、週制度と標準時間制度を台湾に導入し、官庁、学校、工場なども就業と休息の規定を制定し、職員や工員、学生に規律を守るように厳しく要求したのです。
たとえば勝手な遅刻早退を許さず、出勤、退勤時間を守らせ、汽車やバスの時刻表を定め乗客の便を図ったのです。
1921年からは日本国内に合わせて毎年6月10日を「時の記念日」と定め、官庁や団体などを通じて講演会やパレード、或いは音楽会を行い、ポスターを貼り、ビラを配るなどして時間の重要性を宣伝し、時間に正確であり、時間を守り、時間を惜しむ精神の養成を期し、民衆に日常生活における時間の標準化と時間厳守の啓蒙に努めたのです。
(2)順法精神の確立
台湾の日本総督府は警察力を強化し、犯罪防止と治安維持を厳密に行い、民衆が射幸心で法律を犯さないようにしたのです。
同時に学校や社会教育を通じて近代法治観念と知識を植付け、法律や秩序の重要性を学ばせ、それに加えて司法は公正と正義を維持する事で民衆の信頼を獲得したのです。
この影響で民衆は秩序を重んじ、規律を守るなどの習慣を養い、遵法精神を確立したのです。
(3)衛生観念の確立
台湾の日本総督府は日本植民地統治の当初、水道を敷設して都市住民にきれいな飲料水を供給し、都市の地下排水工事を行い、各家庭の玄関にはゴミ箱を備えるよう定め、規定通りに廃棄物を処理させ、保甲組織を動員して定期的に地域環境の清掃活動を実地し、さらに予防注射、隔離消毒、ネズミ捕り、強制採血、そして薬の供給といった防疫事業を実施するなどの近代的な公衆衛生と医療制度の確立を積極的に行ったのです。
これによりペスト、マラリア、コレラ、腸チフスなどの伝染病の退治に努め、かつ台湾人の公衆衛生と医療衛生に対する観念と習慣が改められたのです。
やはり日本人としては親日的な人々と接するのは気持ちのいいもの。政治的な問題で日本と正式に国交のないが本当に残念でならない。
本来は、台湾は沖縄県と同様に日本本土復帰すべきな地域であるのに、日本と台湾を引き裂いたアメリカが一番悪い。
日本を愛する台湾
日本に最も近い国・台湾。この大切な親日国家を日本人はどこまで知っているのか
最近の日本の政治はひどすぎる。
アメリカの属国と化し、それなのに中国にも韓国にもご機嫌を伺いながら言いたいことが言えない。
ちょっと口をすべらせては、すぐに前言撤回をしたりする。
こんな国が武士道の国だろうか?
さっき見たニュースでは500万円の水道代を適切に処理しているという馬鹿げた発言に、毅然と怒る野党の政治家もいない。
サムライはもうこの国の政治の世界にはいないみたいだ。
台湾にはそんな日本を心配しているトオサンがたくさんいる。
戦前、日本統治時代がよかったと思っているお年寄りが台湾にはたくさんいるのだ。
圧巻で、日本に対するメッセージに日本の再生を祈る気持ちが多く載せられている。
台湾独立を応援して欲しい。
今の日本人にはもはや我々の尊敬に値するものがほとんど皆無。
なんたることだ。
日本を愛する台湾人を忘れないで。
私の知っている戦前の日本人との開きを埋めてください。
中国政府の顔色をうかがうことなく、日本の魂を示せ。
明治時代の日本人に習ってもっと気骨のある人間に。
…などなど、痛いところをつかれたメッセージが多い。
が、こんな風に日本にエールを送ってくれる人たちも徐々に少なくなっている状況だ。
親日国家は今のところパラオと台湾くらいだ。
その2カ国どちらも今の日本の状況を憂えている。
特にわれわれ中年世代は、戦前の精神に立ち返り、日本の正しい歴史を認識し、毅然としたサムライになるべく行動をおこしていかねばならないだろう。
「治安も日本統治時代はたいへんよかった。戸締りなど必要なかった。しかし蒋介石の率いる国民党の中国人がやって来てから泥棒が非常に増え、今日では至る所に盗難防止の鉄格子が張られている。ビルの五階まで鉄格子を張らなければならないのは悲しいことです」と嘆く台湾人もいました。
現在の日本における中国人のピッキング犯罪の激増に悩まされている日本人にとって、共鳴できる話です。
その通りです。
同じ植民地政策でありながら、むしろ韓国に対する政策の方が台湾より手厚かったにもかかわらず、台湾は評価し、朝鮮・韓国は日本を非難をする。
その理由は、台湾の場合は比較するのが、日本人の統治と中国人の統治で、第三者者として客観的にできる。
韓国・朝鮮の場合は、日本人の統治と韓国・朝鮮人の統治で、どうしても主観的になるからだと、私は思います。
自分たちの政治の旗色が悪いときは、それを日本のせいにするのです。北朝鮮がよい例です。