常識もコンプライアンスも吹っ飛ばせ! かつて日本には大事の前の小事を軽やかに飛び越え、「仕事」をする豪傑社員が何人もいた。時代が混迷を極める今こそ、彼らの生きざまに学ぶ時ではないか。
流通革命を起こした新聞記者
いまでは当たり前の存在であるチェーンストアを日本に根付かせたのは、実は読売新聞の記者だった。'10年に83歳で亡くなった渥美俊一がその人だ。
商業に関心を持っていた渥美は、当時日本でも台頭し始めていたスーパーマーケットを丹念に取材して回った。一方で、横浜支局時代に輸出入の現場を取材し、アメリカの流通業の先進性を痛感した。渥美の夫人・田鶴子さんが回想する。
「31歳のころに任された『商店のページ』の取材を通じて、岡田屋(現イオン)の岡田卓也さん、イトーヨーカ堂の伊藤雅俊さん、ダイエーの中内功さんらの若手経営者と知り合います。渥美は『アメリカは150年かけてチェーンストアを作った。だったらわれわれは50年でやってみせる。そのためには30歳代の若手と一緒にやっていかなければ』と思っていたのです」
渥美は前述の若手経営者ら13名とチェーンストアの研究母体「ペガサスクラブ」を結成。以来、新聞記者とコンサルタントの二刀流で、猛烈に働くことになる。
「事務所にはほとんど姿を見せない。来たかと思うと、特集記事を缶詰になって書き上げ、また取材に消えてしまう。とにかく働きまくり、ついたアダ名が『人間機関車』。43歳で読売新聞を退社するときにもらった記念品は機関車の模型でした」(田鶴子さん)
'69年にはペガサスクラブの会員は1000社を突破。「流通革命」の伝導師として押しも押されもせぬ存在となる。田鶴子さんが言う。
「地方に行っても大型店ばかり、どこも同じような風景になったと批判する人がいますが、大型チェーン店が成長したからこそ、日本全国どこに住んでいても、質の高い商品を手頃な価格で買えるようになったのではないでしょうか」
百田尚樹氏の小説『海賊とよばれた男』がベストセラーになっている。モデルは出光興産の創始者である出光佐三。佐三は漁船相手に海の上で軽油を販売する画期的な方法で売り上げを伸ばし、ライバルたちからは「海賊」とよばれた。
ただ、こうした大胆な振る舞いも、出光佐三が組織のトップだったからできたこと。そう考える向きもあろう。だが、それは誤りだ。サラリーマンの中にも逆境をものともせず、大事を成した「海賊」とよびたくなる豪傑はいる。
豪快な人物が多いイメージのある商社マンのなかでも、住友商事の鈴木朗夫あきおはスケールの大きさが違う。
前夜遅くまで仕事をすれば、自主的に出勤時間をずらすなど、鈴木は遅刻の常習犯だった。人事や総務から度々、注意を受けるが、
「何か問題ありますか?」
「就業規則違反だ」
「就業規則には遅参をしたら遅参届を出せと書いてあるので、いつもちゃんと出しています」
遅参が悪いとは書かれていないことを突いて、黙らせるのである。こんな男が同期のトップを切って常務に昇進したのは驚きだが、鈴木が凄いのは、日本の将来を左右する局面で、後の首相となる三木武夫に持論をぶつ豪胆さにある。
第一次オイルショックで日本に石油が入らなくなったころ、三木が特使として中東に飛んだ。イラクに赴任していた鈴木は親友・海部俊樹を介して三木に会い、こう直言した。
「単に『日本が困っているから石油を売ってくれ』と言っては絶対にダメだ。『アジアの発展途上の国々は日本を頼っている。日本が中近東の石油を入手できねば、アジアの国々が窮地に陥る』と言いなさい」
三木は鈴木の言葉を受け入れ、日本は石油の入手に成功。鈴木がいなければ日本のエネルギー事情はいまとは大きく変わっていたに違いない。
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