「ねじれ国会」解釈・「意図的な歪曲」と正解
国会の民主的意義:決める速度が最重要ではない!
各党派の熟議の過程と内容の公開・結論の質が重要 ! !
@ スピードや効率性を優先的に求めるのなら、独裁制や官僚国家体制が優れている。
しかし、歴史を通じて、独裁制や官僚国家は、国民に不幸な結果をもたらすことを知っているから、我々は、「民主主義」を好み、選択している。
A 衆参で多数派が異なる状態が、国会の「機能不全」を生んでいるとの指摘は、「政治学の常識」からかけ離れている。
与野党の対立は、民主主義体制であれば、米国はじめおよそどの国でも経験するような、ごく「一般的な政治状況」である。
与野党が、お互いに智慧を出し合い、新しいコンセンサスを創出して対立を乗り越えよ、と要請されている。
それを「謙虚」に受け止めず、日本政治を悲観するばかりではいけない。
政治が何たるかを誤解してはならない。
民主主義政治の一つの理想の姿は、政党がより多くの得票・議席を求め、「切磋琢磨」し、選挙を争うことにある。
選挙による、有権者の意思で実現した政治状況を、たまたま都合が悪いからといって、二院制の制度自体に欠陥があるという主張は、「後だしジャンケンで勝敗を操」することに等しい。
政党間の競争が、民主主義ルールにのっとり、正々堂々と行われることを、我々は期待し、見守っていかねばならない。
2) 衆議院と参議院は積極的にねじれるべき!!
(「赤木智弘の眼光紙背」2010年7月15日 より抜粋・転載)
2010年・参議院選挙が終わった。
議席数で言えば、自民党が民主党に一矢報いた形にはなる。
確かに、比例代表の票数を見れば、民主党の得票は落ち、唐突に消費税増税論をぶち上げるなど、鳩山政権から性格を大きく変えた菅政権に対して、国民が意義を申し立てた形にはなっている。
しかし、その一方で自民党の獲得票数も落ち込んでおり、また民主党を上回ったわけでもないことから、民意が民主党の代わりに自民党の復権を求めたとはいえないだろう。
(*1) にもかかわらず、議席数が大きく変化し、さも自民党が勝利を収めたかのようにみえるのは、選挙区において、一人区の多くで自民党が勝利を収めたからである。
参議院選挙は衆議院選挙と違い、小選挙区制ではないが、全体の定数が242人と衆議院よりも少なく、さらに3年に1度、半数ごとの改選となることから、少ない議席を各県に割り振るために、結果として一人区が多くなり、小選挙区のような性格となっている。
マスメディアは、今回の選挙の結果「ねじれ国会」が復活したという。
しかし、私は「ねじれ国会」という状況自体は、むしろ二院制のありようとしては「正しい状況である」とは感じている。
ただし「現状のねじれ方」に関しては、あまり適切なねじれ方であるとは思わない。
日本の国会は、衆議院と参議院の二院制を採っているが、院が2つあるからには、やはりそれぞれが異なる立場の利益を代弁する方が、民主主義的手続きとして好ましい。
しかし、先ほど述べた理由により、参議院選挙は小選挙区+比例代表である衆議院選挙と、きわめて似通った選挙制度になってしまっている。
そして実際に「小選挙区マジック」によって、比例代表で見れば民主党よりも支持率で劣る自民党が、改選第一党となった。
そうした意味で、現状の選挙制度では、衆議院も参議院も、二大政党制を志向した選挙制度になってしまっており、参議院が本質的に持つはずの「オルタナティブ性」が失われてしまっている。
つまり、確かに「民主党VS自民党」というレイヤーにおいて、確かに国会は「ねじれ」ているのではあるが、「衆議院と参議院」という国会の本質的な意味においては、むしろ「ねじれが解けてしまっている」のである。
やはり二院制には、異なる選挙制度において、それぞれ質の異なる議員を国会の場に送り込む事が期待されている。
それが単純に「衆議院の前哨戦」のような性質を帯びてしまうのでは、参議院の必要性が疑問視されるのも無理はないといえよう。
では、具体的にどのような選挙制度を参議院が採るべきかといえば、衆議院が小選挙区で「地元の人たちの利益を代弁する代議士」を国会に送り込む性格であるとすれば、参議院は「大きな選挙区で団体などの利益を代弁する議員」を送り込むぐらいの変化は必要であろう。
個人的には参議院はすべての議席を比例代表で争うべきであると思う。
そうして、さまざまな小さな政党からひとりふたりが国会に送り込まれ、マジョリティーと異なる利益を代弁するような体制をとる事は、日本の民主主義を単純な多数決のパワーゲームにしないために重要であると考える。
衆議院と参議院は、その性格を積極的にねじれさせるべきなのである。
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