宗教改革者のルターは、偽ユダヤのタルムード思想を持つバビロン海賊団に対して、晩年に彼らの鬼畜振りに気付き、彼らについて
・シナゴーグやイェシーバーを、跡形残らず徹底的に焼き払うべし
・更にユダヤ人の所有する家をも打ち壊し、所有者を田舎に住まわせるべし
・宗教書を取り上げるべし
などと提言している。500年前のドイツにおいての文書を下記のリンクから拝借してその抜粋を学びたい。(全15回)
http://rekishijyoho.seesaa.net/article/28038617.html
ルター「ユダヤ人と彼らの嘘について」(4)
●悪魔の子どもたち
われらの主はまた、彼らを「蛇ども」と呼ばれた。
〈あなたがたがアブラハムの子どもなら、アブラハムのわざを行ないなさい〉(「ヨハネ伝」第八章三十九節)
〈あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって……〉(同第八章四十四節)
彼らが悪魔の子どもたちであるということは、彼らが現在でもそのような呼ばれ方に耐えることができないように、彼らにはとても耐え難いことであった。それは、もしも彼らがこの拠りどころ(アブラハムの子孫であるという)を示さねばならないとすれば、彼らが築いたものはすべて崩壊し、違ったものになってしまうからである。
(このあとで彼らの自己讃美は根拠のない仮定としてルターによって論破されている。これらの論述は次の言葉で結ばれている)
しかし、このように私があえて言うのは、われわれの信仰の強化のためである。というのは、先に述べたように、ユダヤ人にその高慢さや貴族と血統の栄光を捨てさせることはできないからだ。ユダヤ人は凝り固まっているのだ。
けれども、われわれキリスト教徒はこれらの頑固で呪われた人間ども(彼らは神が嘘をついたと非難し、全世界を得意げに軽蔑する)に騙されぬよう警戒しなければならない。というのも、ユダヤ人たちは彼らの信仰をわれわれが受け入れるよう積極的に勧誘するだろうし、それが可能なところでは、どこであろうとそうするであろうから。
神がユダヤ人に対して慈悲深くあってほしいと願うなら、ユダヤ人はまず彼らの宗派から、彼らの心から、すべての神的な祈りと歌、そして彼らの血統に関する大言壮語や高慢さをなくしてしまわなければならない。そうした祈りこそが、ユダヤ人に対する神の怒りをたえず増大させているのだから。
しかし彼らは決してそうすることはなく、自分から控えめになることはないだろう。神が与え給うであろう彼らの恐るべき絶滅から特別にお救いになろうとするほんの数名を除いては。
●自分たちを高みに置く
ユダヤ人が自分たちを高みに置いて他の民族を軽蔑するさいに、その根拠としているのは、アブラハム以降、割礼を行なっているということである。そのためにわれら異教徒は、宗派・祈り・讃美歌・教義において、どれほど災難を被らねばならなかったことであろう。われわれが割礼を行なわないために、なんとわれら軽蔑すべき民族は、彼らの面前では醜くも悪臭を発しているというのである。(ここから聖書からの多数の引用に基づく長い神学的論述が続く)
そのなかで彼らユダヤ人はすべての異教徒の前で主人ぶった尊大な様子に描かれている。それは、彼らユダヤ人は、常に邪悪な偶像崇拝や誤った教義を実行する、モーセと同じくまさに割礼を受けていない心をもつ民族であるからだ。それゆえ、すべての預言者がそのことを嘆き悲しんだのである。しかし、彼らは同時に神を喜ばせようと努めた。そのために彼らは預言者たちを殺害したのである。
聖書がいたるところで証明しているように、彼らは預言者の説教や教えや叱責によって自分たちの邪悪な心を善きものにしようなどとは一切考えない罪深い高慢な民族である。
それでも彼らは、神の僕たらんとし、神の御前に立とうというのだ!
今日にいたるまで、彼らはみずからの高貴さと血統を自画自賛する以外にできることはなにもなかった。彼らはみずからの宗派・祈祷・教義で自分たちだけを讃美し、全世界を罪深きものと宣告する。彼らは神に最も近い子どもとして神の御前に立っていると勝手に夢想しているにすぎないのである。(続く)
http://www.asyura2.com/13/cult11/msg/517.html