1978年、ソ連時代の映画「シベリアーダ」のテーマ曲です。
作曲者はエドゥアルド・アルテミエフ。
著名な作品は1970年代に制作したアンドレイ・タルコフスキー監督の映画『惑星ソラリス』『鏡』『ストーカー』の音楽であり、またモスクワ・オリンピック(1980年)のテーマ曲である。
サウンドトラック作品ではソビエト製であるANSシンセサイザーを用いており、ソビエトにおける電子音楽の祖とされている。(WIKIより)
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1978年、ソ連時代の映画「シベリアーダ」のテーマ曲です。
作曲者はエドゥアルド・アルテミエフ。
著名な作品は1970年代に制作したアンドレイ・タルコフスキー監督の映画『惑星ソラリス』『鏡』『ストーカー』の音楽であり、またモスクワ・オリンピック(1980年)のテーマ曲である。
サウンドトラック作品ではソビエト製であるANSシンセサイザーを用いており、ソビエトにおける電子音楽の祖とされている。(WIKIより)
Erard (1868)
1868年制作 (パリ) 製造番号39608
1868年製作のこのエラール・ピアノをよく弾いています。
パリのエラール社は、フランスを代表する歴史あるピアノ名門会社で、19世紀末から20世紀初めにかけて、世界的な評判をとり、コンサートホールや各国の王宮にエラール・ピアノが備えられました。
リストはこのピアノを愛し、よく弾きました。制作年代から見て、リスト自身がこのピアノを弾いた可能性も捨てきれません。
典雅な雰囲気と高貴な音色が、19世紀の香りを今に伝えてくれています。
エラール社の創立者は、セバスティアン・エラール(1752−1831)です。
ストラスブールに生まれ、パリに出て、チェンバロの制作を始め、弟とともに、会社を設立しますが、フランス革命が勃発すると、ロンドンに逃れ、ピアノ製作技術を学びました。
フランス革命が終わり、フランスが落ち着きを取り戻すと、パリに戻り、エラール社を再興します。セバスティアン・エラールがこの頃制作に熱中したのがハープでしたが、甥のピエール・エラール(1796?−1855)とともに、ピアノの制作に精力を注ぐようになり、1821年にダブル・エスケープメン・アクションを完成させます。このメカニズム上の改良により、連打が楽にできるようになり、ピアノ演奏法、ひいては、ピアノ作品の可能性を大きく広げることになりました。
1830年にパリで7月革命が起こり、翌年にセバスティアンは亡くなります。後を継いだピエール・エラールは、エラール・ピアノの生産に取り組みました。
エラール・ピアノを愛用したのが、フランツ・リストです。リストは早くも、1824年の6月29日のロンドン王立劇場でのコンサートで、エラールが開発した「ダブル・エスケープメント」機能を備えた新しいグランド・ピアノを弾いて大成功を収めました。
エラールのピアノはリストの演奏と作曲の可能性を広げるにあたって大きな役割を果たし、リストが長く愛用する楽器のひとつとなります。
このエラールを弾いた感じは、走りが軽快な車を運転している気分です。免許を持たない私が言うのも変なのですが、面白いようにスピードが出て、ちょっとしたアクセルの踏み具合ですぐに反応してくれるしなやかな感性を持ち、音色は華やかで宝石のような輝かしさを持っています。
プレイエルのようなくぐもった香りとは対称的です。
リストはプレイエルを弾かなかったそうですが、エラールで華麗な演奏をしたリストの姿は想像に難くありません。
ダンパーは弦の上にあるのではなく弦の下にあります。ですから、ダンパーペダルを踏んだとき、ダンパーが上がるのではなく、下に降りるという構造です。
最初に弾いたときは、ギョッとしたのですが、考えてみるとペダルを踏む(下げる)という方向性がダンパーが降りる(下がる)という方向性に合致していて、慣れてくると足に直結したペダルのように感じてきます。
プレイエルとエラール。私は体調に関係なく?!どちらも曲によって使い分けながら弾いています。
http://www.yuko-hisamoto.jp/piano/erard.htm
Pleyel (1828)
1843年制作 (パリ) 製造番号10717
ショパンが愛用した楽器として有名なプレイエル社のピアノで、ショパンが生きていた時代に制作された貴重な楽器です。
ショパンがこの楽器を弾いたかもしれません。
ショパンの生家(ワルシャワ)に1848年製の同型ピアノが、またフランス国立パリ高等学院の楽器博物館に1839年製の同型ピアノが 展示保存されています。
数年前、調律師協会主催コンサートで、プレイエル、エラール、ベーゼンドルファーと、3台のピアノを弾かせていただきました。そのときのパンフレットに記されていたショパンの言葉は、
「私は気分が優れないときはエラールを弾き、気分のいいときはプレイエルを弾く」
でした。
プレイエルは、音を出すのにエネルギーが必要で、エラールは、すぐに良い音が出る、タッチがたやすくて体調が悪いときは、エラールのほうが演奏が楽。
つまり、気分が優れインスピレーションの表出、自らの内なる声を音にしたいときには、プレイエルが最も自分の分身としてふさわしい、ということだったのではないか、と想像しています。
ショパンと友情で結ばれていたカミーユ・プレイエルは、プレイエル2代目です。 ショパンが祖国のポーランドを離れ、ウイーンを経由して1832年にパリにきたとき、この天才を見出して、世の中に紹介したのはカミーユでした。ショパンがパリで行なう公式のコンサートは全て、プレイエルサロンで行われています。ジョルジュ・サンドとマジョルカ島に出帆するときにもこのピアノの手配を忘れていません。
アクションを手前に引きますとドノゴエのサインがあり、胸がときめきました。
NHKのある番組では、ドノゴエを「ショパンの専属調律師」と言い切っていましたが、ドノゴエは、当時のプレイエル社のアクション部門の主任技術者でした。ドノゴエがアクションを担当し、その際、OKがでた楽器のみに、焼き印がつけられたとされています。
プレイエルには、時折出会いますが、このドノゴエのサインが入っているものは数が少なく、ショパン時代のオリジナルアクションであり、当時の響きを再現しているという証でもあります。
(写真)
この楽器は、頭の後ろから柔らかく発声しているようなフランス語の響きにも似た、独特の魅力を持っています。タッチは、しっとりしていて、エラールのように軽やかに動くことができるタッチとは違っていて、コントロールしずらい楽器です。
「気分の優れないときはエラールを選ぶ」
と言ったと言われるショパンの気持ちがわかるような気がします。
また、プレイエルの大きな特徴として「第2響板」の存在があります。とりはずして弾くことも可能なのですが、やはりこの響板をつけて弾いたほうが、中で蠢くような情念、底鳴りするような一種独特の魅力を醸し出してくれます。
人によって好みが分かれるかもしれませんが、長年弾いてきて、私は、この第2響板をつけて弾く方がプレイエルの良さがでるような気がしています。
革命のエチュードを弾くと、最後の左手バスの音は、この楽器の最低音になります。楽器の限界ギリギリまで使って自分の心情を表現しようとしたのだと思われます。
この楽器は大きな音が出ませんが、この楽器でフォルテッシモを弾くと、かえって悲痛な思いが楽器の中でうずまくような感じがします。現代のスポーツカー並みの性能を持ったフルコンサートピアノで、余裕のフォルテッシモを出すと力強さは出るのですが、なかなか悲痛な思いが伝わりません。その点、プレイエルは、楽器自身が語ってくれるように思います。
ペダル記号をはじめ、ショパンが楽譜に書き込んだ指示記号は、このプレイエルを使って書いたものです。ですから現代のピアノで演奏するときは、少し現代用語に翻訳するような感覚でコントロールしたり、音の濁りが起きないように細心の注意を払ったりしなくてはなりません。
その点、プレイエルでショパンの指示を守って弾くと、ショパンが考えていた響き、そしてアーティキュレーション、ディナーミクを感じることができます。
右手で弾く高音部の黒鍵は、少し角が丸くなっています。ショパンが好んだ独特の指使い、黒鍵から白鍵に指を滑らせるようなレガート奏法です。
そのようにしてこのピアノは、ショパン自身、ショパンの女弟子、同時代のピアニストたちの手によって弾かれているうちに、少しずつ角が丸くなっていったのかもしれません。
プレイエルは、同音反復のしずらさ、スピードや音量の面で、エラールにははるかに及びませんでした。そうしたことから、ヨーロッパを席巻し、各地の宮殿やサロンに広まっていったのは、エラールでした。
プレイエルは、個々の楽器が手づくりの試作品のようです。一台、一台、微妙にタッチも音色もサイズ、高さも異なります。
注文を受け、芸術家とつくり手の間に濃厚なコミュニケーションが存在していた当時のピアノ界のありようにも思いを馳せることができる楽器です。
http://www.yuko-hisamoto.jp/piano/pleyel.htm
うまく育っても逃げられる
時代は、即お金を生む人材を求めてます。
仕事の出来る中高年で回せばいいんですよ。
日本もすぐに全品検査を
今年3月の全人代(国会)で、中国人民銀行総裁の有力候補だった改革派のエース、郭樹清・中国証券監督管理委員会主席が、山東省省長代理(6月に省長に昇格)に飛ばされた。習近平新主席とソリが合わなかったと見えるが、このとき、筆者は山東省で一波乱が起こる予感がした。郭樹清といえば、改革断行のためには、容赦なく腐敗幹部らを切り捨てる水戸黄門のような人なのだ。
さっそく、予想にたがわず、郭氏は5月に毒ショウガの一斉摘発を行った。山東省といえばショウガの産地で、特に有名なのが人口22万の町、安丘である。その安丘ショウガが、何と50ミリグラムを摂取したら死亡するといわれる猛毒殺虫剤、アルディカーブを大量にまいて生産されていたことが発覚したのだ。
一斉摘発を受けた後、地元のテレビ局が生産農家に、「取れたショウガは自分たちでも食べていたのか?」とインタビューしたところ、農民たちは「食べるわけないだろう!」と開き直っていた。
ちなみに報道によれば、「ショウガは国内出荷用と国外出荷用に分けて生産しており、国内出荷用のみがアルディカーブ漬けだった」とのことである。
だが、これは疑ってかかる必要がある。テレビ映像を見る限り、そんなに器用に内外用を振り分けて生産していたようには思えないからだ。アルディカーブ漬けショウガは、湖北省でも1トン分も発覚しており、日本に入ってくる中国産ショウガは「全品検査」するくらいの心構えが必要だろう。
ちなみに、山東省はいまや、韓国人が食べるキムチの半分近くを生産していることでも知られる。ということは「韓国直輸入」として日本に入って来るキムチの中にも、山東省の猛毒ショウガが混入している危険性があるのだ。
5月27日には、数々のスクープ記事で知られる北京の「新京報」が、250キログラムもの「硫黄漬けショウガ」の現場を盗撮して掲載した。北京市順義区のある倉庫で、腐りかけたショウガを硫黄漬けにして、純白の新品に見せかけて、市内の市場に出荷していたのだ。その後、こうした行為は他の倉庫でも日常茶飯事だったことが分かった。つまり2000万北京っ子たちは、アルディカーブ&硫黄漬けの凄まじい猛毒ショウガを日々、口にしていたのである。
ちなみに「新京報」の見出しには、「これはもはや食品でなく化粧品だ」とあった。北京には1万人以上の日本人駐在員が住んでいることを思えば、笑い話では済まされない。
>リチャード・コシミズ講演会ビデオにおける指摘です。
統合失調症の奴の言うことを真に受けるつもりありません。
>朝鮮大学校や朝鮮総連施設に対して、抗議活動をしているからといって北朝鮮系在日や北朝鮮国民ではないとは限りません。
限らないからといってやめていいことでもないです。
拉致国家においては叩かれて然るべき事をしている、そこを抜いて北朝鮮叩きを悪としてすり替えることを行うこともあり、真に受けるつもりはありません。
そこまでいうならデモ参加者に国籍条項設けたほうがいいでしょう。賛成ですか?反対ですか?それだけ
レッテル貼りだけで他人の話を潰すような者との会話自体不可能ですから。
阿修羅掲示板でも規制が行われたのもそれが原因ではないでしょうか?
>在特会は警視庁の『保護団体』であり警視庁の意向・命令に従って行動している政治団体ですから
これもそのコシヌケさんとやらの戯言ですか?
「在日特権を許さない」で在日コリアン批判を弾圧する側は偏向がひどいようですが、
何を言ったか?で議論を進めることが出来ない者ほど誰が言ったか?でレッテル貼りし、議論自体を遮るようにしてくる輩のように
存在しないと主張してきた在日特権の存在について直視していない者の言葉を鵜呑みにしてコメントするのは迷惑です。
なお、在日特権とはどういうものがあるか?という質問で返すなら「在日特権 コリアン」で検索して参照してください。
コメントに参照すべくようリンクを貼ろうとしてもできない表示がくるので。
なお
通名とペンネームは違います。
わざわざ通名で批判してきているようですが、日本人を殺してきた在日コリアンの身分隠しのための通名こそ一番の問題だということを逸らさないでください。
在日コリアンそのものにより日本国内で日本人が死人となっている事態をいいかげん把握してからコメントしてください。
最近起きた生野区の通り魔事件の加害者も在日特権のひとつ通名が使われていました。
同様の事件が起きても本来なら強制送還されるべきがされていない、これも在日特権のひとつです。
森田ピアノ工房 修復実績一覧
http://www.morita-piano.com/jp/expe/expe02.html
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