4月13日。東京電力福島第一原発で、汚染水漏れがあった配管接合部を確認する原子力規制委員会の委員たち。(原子力規制委員会=写真提供)
なぜ原発の「トラブル隠し」はいまだに続いてしまうのか
http://president.jp/articles/-/9441
PRESIDENT 2013年6月3日号
答える人=青木 理(ジャーナリスト) 撮影=門間新弥
■公共性の高い組織ほど自浄作用が働かない
どんな組織にだって、大なり小なりのトラブルや不祥事は起きる。また、どんな組織だって、できることならトラブルや不祥事など内部で隠蔽してしまいたいと考える。お役所にしても、企業にしても、他の団体や法人にしても、それが偽らざるホンネだろう。
しかし、そんなことがまかり通れば、この世は闇である。何が起きても知らぬ顔で隠せるなら、お役所では腐敗や人権無視が蔓延しかねない。金融機関なら損失補填や粉飾決算に手を染めても平気だし、メーカー系の企業なら偽装表示や事故隠しが横行しかねない。もちろん自浄作用が働けばいいが、常に自浄作用が働く保証はない。
少し前の取材例でいえば、全国の警察は組織的に裏ガネをつくり、幹部の遊興費などに長年流用し続けていた。一部の地方新聞が事実を果敢に追及し、当該の警察はしぶしぶ認めて謝罪したが、他の都道府県警はいまも知らぬ存ぜぬを決め込んでいる。大手自動車メーカーのトラブル隠しにせよ、光学機器メーカーの損失隠しにせよ、女子柔道のパワハラ問題にせよ、勇気ある内部告発などでようやく事実が明るみに出され、関係者の処罰や再発防止策の議論へとつながっていった。
そう、トラブルや不祥事は可能な限りオープンにされ、幅広い視座から問題点が検証され、同じような事態が起きない仕組みを構築していくのが望ましい。特に、公共性が高くて社会的影響力の大きい組織であればあるほど透明性が求められる。トラブルや不祥事によって撒き散らされる害悪がケタ違いに大きくなりかねないからである。
そのためには内部告発の受け皿や告発者の保護に加え、外部からのチェック機能をきちんと働かせる必要がある。プレジデント誌を含むメディアは本来、その大切な役割の一翼を担わねばならないのだが、実を言えば、公共性が高くて社会的影響力の大きい組織ほど不正や腐敗に関するチェック機能が働きにくくなる傾向がある。
こうした組織は力が圧倒的に強いから、内部や周辺の人々が「長いものに巻かれろ」になりやすい。内部告発やチェック機能を力で押しつぶしたり、場合によっては情報操作でごまかすことだってできてしまう。最近取材した組織では、検察がその典型だった。
人を起訴して刑事裁判にかける権限(公訴権)を基本的に独占する検察は、強大すぎるほどの権力を有している。警察も、国税も、証券取引等監視委員会も、検察が起訴してくれなければ事件化することはできない。肝心の裁判は検察追従ばかり。政治家だって検察を怖がるし、検察の事件情報が欲しいメディアも真正面から批判しない。はっきりいって無敵である。
だから検察は、長年にわたって「正義の機関」のように崇め奉られ、タブー化した末に暴走をはじめた。組織内の不祥事を現職幹部が内部告発しようとした際は、驚くべきことにその幹部を別件容疑で逮捕し、口封じしてしまった。最近になって冤罪が相次ぎ発覚し、密室での無茶な取り調べや証拠の改竄、供述の捏造といった不祥事が少しだけ表沙汰になったものの、刑事司法の問題点はまだまだ根深く、おそらくは多数の冤罪被害者が涙を呑んできたはずである。
本題である東京電力を筆頭とする電力会社も、明らかに同じような悪弊に浸ってきた。
日本の電力会社は完全なる地域独占企業で競争もない。発電と送電というライフラインを一手に牛耳り、資本と資金力はケタ外れ。天下りなどを受け入れるから官公庁とのパイプは太く、カネや票で政界とも結びつく。しかも傘下の御用労組まで巨大だから、与野党の双方に睨みが効く。豊富な資金力を背景に大量の広告を出すから、メディアだって及び腰になる。
そんな電力会社が運営する原子力発電は、官民を挙げた極めて特異な巨大事業だった。ひとたび事故が起きれば壊滅的な被害をもたらす原発は、各地で強烈な反対運動が起きていたが、これを政治とカネの力で強引に押さえつけてきた。それでも喧しい反対論を封じようと躍起になるうち、「原子力ムラ」と揶揄される電力会社、監督官庁、関連学会などが結託し、癒着し、偽りの「安全神話」をつくりあげた。
■大破局を招き寄せた「安全神話」というウソ
結果、内外のチェック機能は麻痺していった。最も肝心な原子力安全委員会や原子力安全・保安院(ともに現・原子力規制委員会)は、福島原発事故をめぐる国会事故調の言葉を借りれば、電力会社の「虜」に堕した。メディアも取り込まれ、キャスターや評論家を自称する連中が嬉々としてCMに出演し、「安全神話」の宣伝に一役買った。それでも批判する者に対しては、時に高圧的な抗議を繰り広げる。私も経験があるのだが、原発絡みの批判的な論評は、電力会社がすべてをこと細かに記録して片言隻句に文句をつけてくるから心底辟易し、疲弊させられてしまう。ヒトとカネに余裕のある大企業だからこそ成せる業である。
圧倒的なパワーを背景にチェック機能を麻痺させ、あり得るはずのない「安全神話」の喧伝に躍起となった電力会社が不祥事やトラブルの隠蔽に走るのは必然だろう。それでも完全な隠蔽などできるはずもなく、2000年以降だけでも、次のような事例が漏れ出ている(共同通信のまとめなどによる)。
▼2002年
福島第一と第二、柏崎刈羽の各原発(いずれも東電)で炉心隔壁のひび割れなど29件のトラブル隠蔽が発覚
▼2004年
福島第一原発で試験データの偽造が発覚
▼2006年
柏崎刈羽原発で海水温度のデータ改竄が発覚
福島第一、女川(東北電)、敦賀(日本原電)、大飯(関電)の各原発でも海水温度のデータ改竄が発覚
▼2007年
柏崎刈羽原発で緊急炉心冷却装置関連の故障隠しが発覚
福島第二、柏崎刈羽、女川の各原発で原子炉の緊急停止などの隠蔽が発覚
志賀原発(北陸電)で、定期検査中に制御棒が抜けて起きた臨界事故の隠蔽が発覚
毎年のように繰り返し発覚する隠蔽、偽造、改竄。普通の企業なら消費者にそっぽを向かれて潰れてしまいかねないが、地域独占かつ競争相手のいない電力会社は絶対に潰れない。だから懲りずに隠し、ごまかし、嘘をつく。
その果てに起きたのが福島第一原発の大惨事だった。影響は文字通り壊滅的な被害となって周辺地域に襲いかかったが、国会事故調が「明らかに人災」と断じた通り、もっと外部から監視の目が注ぎ込まれ、チェック体制がきちんと機能し、津波対策などの各種安全強化策が取られていれば、事態はまったく変わっていたかもしれない。
なのに、事故後もさまざまなトラブルを覆い隠そうとするかのような態度を取り続けているのは、長年にわたって染み付いて血肉化した体質が容易に変わらないからだろう。これでは惨禍が再び起きかねない。
ただ、私たちがここから反面教師として学び取れることがある。長いものに巻かれ、組織や集団の論理に埋もれ、従順に生きる方が楽で儲かるとしても、強権的で風通しの悪い組織を放置すれば社会に害悪を撒き散らす。一時的にはゴマカシや隠蔽がまかり通っても、いつか取り返しのつかないカタストロフを招き寄せる。
一方、組織の論理に埋没せず、もっと広い視野で不正や腐敗に対処しようとすれば、さまざまな摩擦と対峙せねばならず、一時的には辛い立場に身を置くことになるかもしれない。しかし、そうした者が1人でも多く息づき、風通しのよいムードの中で自由闊達な議論ができる組織は最終的に強く、居心地もよく、社会のためにもなる。
私やあなたが関わる組織の中にも、不祥事やトラブルは必ずあるだろう。それにどう向き合い、どう身を処するか。メディア界で禄を食む私はもちろんだが、おかしいものにはおかしいと声を荒げられているか。ことは決して他人事ではない。
※1:内部告発者の保護を目的に、2006年に公益通報者保護法が施行された。だが12年10月に共同ピーアールが行ったアンケートによれば、同法が「機能している」と回答した人は3.7%で、「機能していない」は44.5%だった。
※2:「この事故が『人災』であることは明らかで、歴代及び当時の政府、規制当局、そして事業者である東京電力による、人々の命と社会を守るという責任感の欠如があった」(東京電力福島原子力発電所事故調査委員会 報告書「はじめに」)
ジャーナリスト 青木 理
慶應義塾大学文学部卒。1990年、共同通信社入社。大阪社会部、成田支局などを経て、東京社会部で警視庁の警備・公安担当記者を務める。ソウル特派員を経て、2006年からフリーランス。著書に『トラオ 徳田虎雄 不随の病院王』『絞首刑』『北朝鮮に潜入せよ』『日本の公安警察』などがある。