http://sun.ap.teacup.com/souun/10708.html
2013/4/24 晴耕雨読
2013年4月23日(火)
http://www.daichi.gr.jp/diary/diary_2013_04.html
麻生副総理(財務相)、新藤国務大臣(総務相)、古屋国務大臣(国家公安委員長)等、閣僚の靖国参拝、安倍総理の真榊(まさかき)奉納に対し、中国・韓国が反発している。
中国は経団連、超党派の日中友好議員連盟の訪中を受け入れず、韓国も尹炳世(ユンビョンセ)外相の訪日延期を決めた。
戦後68年、歴史認識問題で隣国同士が理解し合えないことはお互い不幸である。靖国に祀(まつ)られている英霊は国家のために犠牲になられたことで何の責任もない。逆に心からの敬意と哀悼を捧げるのが人の道と考えるのが自然でないか。
A級戦犯合祀から靖国問題が取り上げられてきたが、ここをきちんと解決して行くのも、また政治の責任ではないか。国務大臣が「私人」として参拝したと話すのを聞いて違和感を覚える。
国務大臣は24時間国務大臣であり、私人としてお参りしたと言うのでは英霊に対して申し訳ない気がする。
一国会議員としてお参りしても大きな騒ぎにはならない。日本国、内閣の国務大臣だから中国も韓国も指摘してくる。堂々と国務大臣として記帳・お参りするなら「私人」と言わず、「国務大臣」として心からのお参りをしたと言うのが筋ではないか。自己保身、見え見えの態度が透けて見える。
歴史認識は、中国は中国の、韓国は韓国の考えがあっても良いと思う。日本は日本としての姿、形があっても良いのではないか。
軍国主義・帝国主義はあってはならないし、強く否定するものである。その反省の上に立って日本は戦後68年、平和国家として歩んできた。この厳粛な事実を踏まえ安倍首相が戦後レジュームからの脱却と言うなら、中国・韓国としっかり正面から向き合うことが必要ではないか。
民主主義は折り合いを付けてやっていくしかない。どう折り合いを付けるかは話し合いである。お互いの名誉と尊厳を尊重しながら未来志向で中国・韓国両国との友好関係を築いて戴きたいと願ってやまない。
東京第一検察審査会は昨日、石川知裕代議士を取り調べ、事実でない捜査報告書を作り上げた田代政弘元東京地検特捜部検事を「不起訴不当」とし、田代元検事を不起訴とした検察を「捜査が不十分」と厳しく批判したと報道されている。
検察の常套(じょうとう)手段であるシナリオ・ストーリーを作り上げて行くやり方が「だめだ」と強く指摘されたのである。
私も自分が逮捕され検事の取り調べの実態を知り「権力を背景にしてやっております。国策捜査です。」とぬけぬけと話す検事の言葉に唖然(あぜん)としたものだが、この田代元検事が偽造有印公文書作成・同行使などの容疑で告発されたにもかかわらず、初めから不起訴ありきで形だけの捜査を最高検がやって来たことを反省すべきである。
読者の皆さんも検察イコール「善(ぜん)」と言う考えは持たないでほしい。私の経験からして悪代官と言って良い。中には正直で良い人もいると思うが、私を調べた検事は出世や組織維持や、何よりも国家の支配者は国民から選ばれたポピュリズムの政治家ではなく、司法試験に受かった我々だと言う一部青年将校化した思い上がった検事の姿であった。
官僚を恫喝したと言われた鈴木宗男が密室の中で感じたことであるから、読者の皆さんもご理解戴けると思う。とにかく上から目線で初めから「ありき」でやって行く検察を国民から選ばれた国会議員はしっかり「検察弾劾」のチェックをしてほしいものと心から期待してやまない。
検察の暴走は民主主義の危機である。狙われたら明日は我が身と言うことを衆・参国会議員は肝に銘じて戴きたい。
私は国民の声を、声なき声を受け止め、私なりの闘いをして参りたい。正直者が馬鹿を見ない社会にするためにも。
鈴木宗男