大マスコミの正体=「日本洗脳」を狙う権力の代理人
(1)マスコミとCIA
フリージャーナリストのベンジャミン・フルフォードの研究によれば、日本のマスコミの正体について、次のように分析している。
・ 読売新聞と朝日新聞はCIAが生みの親
日本のメディアグループは、読売新聞(日本テレビ・スポーツ報知・NNN)、朝日新聞(テレビ朝日・日刊スポーツ・ANN)、毎日新聞(TBS・スポニチ・JNN)、産経新聞(フジテレビ・サンケイスポーツ・文化放送・扶桑社・FNN)、日本経済新聞(テレビ東京・日経出版・TXN)という世界に類を見ない巨大メディアグループを形成している。日本のメディアグループは、新聞を頂点に、その傘下に在京キー局が地方局を系列化することで、ピラミッド型をなしている。
つまり、新聞社のトップになれば、新聞本紙のみならず、テレビ局のネットワークを通じて、世論に巨大な影響力を行使できるのだ。
新聞特殊指定が施行されたのが1955年(昭和30年)。そう、メディアの分野においても「もう1つの55年体制」が誕生していたのだ。この「55年体制」の本当の意味は、日本のメディアから「真のジャーナリズム」を捨てさせることにあるのだから。残念ながら、そのもくろみは、見事に成功している。
・ 「日本洗脳」を狙うCIAの代理人がメディア王
新聞社による政治権力との癒着は、1955年に発布した「新聞特殊指定」に由来する。この法律で新聞社は安定的な経営と、確実な収益を保障される。その見返りに新聞社は、世論操作で政権運営に積極的に協力する。
それを可能にしてのが、朝日新聞「支配株主」一族の村山家と上野家、つまり三菱財閥と三井財閥と関わり合いの深い「新聞王」の血脈であった。
この「メディア55年体制」を支える構造を作り出した人物が、正力松太郎、読売グループ「中興の祖」なのである。
前述したように、日本のメディアは、新聞社を頂点にしたテレビ、ラジオ、出版などを含めた巨大総合メディアグループを形成している。しかし、本来、新聞社がテレビ局を経営するのは、民主社会として、異常なのだ。
テレビ放送の始まった1950年代、欧米で放送開始直後にテレビに参入したのは、豊富なコンテンツを持っていた映画会社やレコード会社などのエンターテイメント産業か、新たな広告媒体の可能性に期待していた広告代理店が中心だった。 にもかかわらず、日本では読売新聞が民放開局を主導した。しかも日本では、本来、開局当初の主役となるべき映画会社を排除、テレビ局を運営する新聞社と映画会社は激しく対立。その結果、1960年代半ばまで、テレビ放送する映画は、すべてアメリカ映画となる。この時代、日本人のライフスタイルが急速にアメリカナイズされたのは、まさにテレビの影響だったのである。日本においてテレビは、当初から「日本人の洗脳」を目的に生み出されたメディアなのだ。となれば、当然、「メディア55年体制」で、自民党政権と癒着する新聞社が主導するのが望ましい。2006年、早稲田大学の有馬哲夫教授は、アメリカ公文書館で、日米放送史に関する外交機密文書を発見する。
そこには、CIAが「日本人を洗脳」する目的でアメリカの意向を受けた民放テレビ局を立ち上げるため、A級戦犯で巣鴨プリズンにいた正力松太郎を、そのエージェントとして選んだとはっきりと記されていた。
正力のコードネームは「ポダム」、読売新聞のオーナーの正力にアメリカ国防省から1000万ドルの借款を与え、全国ネットワークを作らせる。そして、完成後は、「VOA」による「プロパガンダ放送」と「在日米軍の通信網」として 活用する計画であった。
つまり、正力は、A級戦犯解除を条件に、このプランに乗ったにすぎず、全国総合通信ネットワークを外国資本で作り、外国軍に売り渡そうとした意味では、「売国奴」の誹りもまぬがれないところだろう。
いずれにせよ、日本を代表する巨大メディアグループは、明治維新後、すぐにフリーメーソンに組み込まれ、戦後、CIAによって巨大化したのだ。フリーメーソンも、CIAもともに「闇の支配者」の重要な組織である。
日本のメディアが、アメリカに都合よく、正確にいえば、「闇の支配者」におもねり、日本人全体の国益を損なうような報道を繰り返してきたのは、そうした構造があるからなのだろう。
・読売新聞社が朝日・毎日も支配
上杉隆の主張:読売新聞のナベツネさんは、ホテルオークラの山里という料亭に政治家を呼んで、仲間の政治評論家らと話をする「山里会」を開いていますが、朝日新聞や毎日新聞のベテラン編集委員まで顔を出している。要するに朝日も毎日もナベツネさんの手の内に組みこまれているのです。
新聞業界でいえば、再販価格の維持もナベツネさんが全部統括してきた。
日本の場合、テレビも新聞もクロスオーナーシップ(*)で完全に一体となっている。また、システムとして経営と編集が分かれていないことも、海外メディアではありえません。
* 同一資本が新聞、テレビなど複数のメディアを系列化すること。言論の多様性を確保するため、欧米先進国の多くは制限・禁止している。
日本のマスコミは、全国紙・テレビなど複数が同一資本であるだけでなく、官僚・自民党・経済界と癒着しかつ各社が談合して、同様の報道を執拗に繰り返すことで世論操作して、半永久政権を支えてきたのである。
(2)新聞社と自民党政権
フリージャーナリスト・黒藪哲哉氏は、著書『新聞があぶない』、『崩壊する新聞』で新聞社の問題点を次のように主張している。
その主張を参考に、新聞社(テレビ局も同一資本)は、政治や社会の間違いを批判する資格があるかと考える必要がある。
@ 新聞社による押し売り
2002年の夏、日本の新聞社の知られざる経営構造をさらけ出すある訴訟が、大阪地裁に提訴された。裁判を起こしたのは産経新聞・四条畷販売所(大阪府)の元店主、今西龍二さんである。今西さんは、産経新聞社が新聞の押し売りを続けたとして、1億円の損害賠償などを求めたのである。
1992年4月に今西さんが大阪府四条畷市にある四条畷販売所の経営を始めたころ、従業員たちと一緒に配達していた新聞の部数は1日に焼く3000部だった。ところが毎朝、印刷工場からトラックで今西さんの販売店へ運ばれてくる新聞は5000部を超えていた。毎日、約2000部の新聞が読者もなく、配達されないまま販売店に放置された。しかも、新聞の購読者が減っていくのもかかわらず、搬入される新聞の部数が減らなかったために、四条畷販売所には余分な新聞がどんどん増えていったのである。新聞の卸代金は、搬入される新聞の総部数を対象として徴収された。その結果、販売店の経営が破綻して、今西さんは2002年6月に廃業に追い込まれたのである。
「押し紙」問題が公になると、新聞社は常套句のように、『押し紙』などどこにも存在しない」とか、「販売店の問題は、発行本社とは関係ありません」などと主張する。
新聞特殊指定第3項をクリアーするため、新聞の発注伝票を発行しないというトリックを使っている。
このやり方は、真実を報道する姿勢と相反する体質といえないだろうか。
A 新聞社と自民党の長く黒い癒着
1984年12月、当時の中曽根康弘首相は、マスコミ関連の7業種を対象としていた事業税の非課税措置の廃止を決定した。ただ、完全にこの特権を取り上げてしまったのではなく、所得税の50%を控除した上で、税額を計算する経過措置を取った。経過措置の期間は3年間だった。
こうした状況のもとで、日販協は自民党新聞販売懇話会を窓口とした政界工作に乗り出していく。
新聞販売懇話会が設立されてから、『日販協月報』には、自民党議員の名前が頻繁に登場するようになった。統計を取ったわけではないが、中川秀直議員、水野清氏(元議員)、それに最近では山本一太議員らの名前が目につく。
B 新聞の再販制度で得る大マスコミの巨大利権
1990年代に入ると、政府が進める市場原理主義に基づいた経済政策の中で、再販制度の是非を問う声が浮上してくる。規制を緩和して新聞販売の分野にも自由競争を導入すべきではないかという考え方が、政府内だけではなくて、公正取引委員会でも強くなったのである。こうした状況の中で、日販協は政界とのコネクションを武器に再販制度を守る工作に乗り出す。
C 再販制度存続と権力への迎合=偏向・歪曲・インペイ報道の理由
近年、新聞がジャーナリズムの機能を失っていることが、新聞研究者や評論家からも指摘されている。それはいまや周知の事実として否定しようがない。
私はその背景には、新聞社の経営構造が内包する汚点を逆手に取ったメディア対策が進行しているのではないかと考えている。
新聞社の経営者たちは、政界と新聞業界のこうした関係に気づいているかも知れない。もし、政界との癒着を強引に断ち切れば、これまで隠し続けてきた「押し紙」問題が日本中に溢れ出すだろう。販売店のブラックボックスにもメスが入るかもしれない。
新聞の部数至上主義に走り、激しい拡販競争を展開し、あげくの果てには「押し紙」によってバブルのように脹れあがった現在の新聞社を存続させるには、グレーゾーンの中で、公権力の顔色をうかがいながら、詐欺的な新聞の商取引を続ける以外に道がない。これこそが新聞社の販売政策が招いた悲劇ではないだろうか。
D 新聞特殊指定を巡る新聞業界の政界工作
2006年4月19日は、新聞史の1ページに黒い汚点が刻印された日である。この日の夕方、日本新聞協会が本部を置く東京・内幸町のプレスセンターに、永田町から国会議員たちが次々と駆けつけてきた。総勢250人。しかも、自民党から共産党までの議員が一堂に会した。
2005年11月に公取委が、半年後に発表した最終判断は、「結論を出すことを見合わせる」というものだった。現状維持の立場を取ったのである。つまり新聞特殊指定の存続を決めたのだ。
その背景にどのような事情があるのだろうか。政治献金を受けている自民党の議員は、新聞業界を救済することを当たり前と受け止めるであろうが、それ以外の議員までもが新聞業界の主張に理解を示したのは、大メディアと敵対関係になる事態は避けたいという思惑があったのではないか。
何しろ日本の新聞社は全国で優に5000万部を超える部数を持っている上に、テレビ局を所有している社もあるので、バッシングの対象にされたならば、その影響は計り知れないものがある。どうしても大メディアの前では弱腰になってしまうのだ。
E 新聞業界の「暴力装置」=暴力団との癒着
販売店を強制改廃する時に新聞拡張団員が引き継ぎの立ち会いを務めたりもする。その際に押しの強い人物、あるいは闇社会と繋がりのある人物などが介入すると、金銭の精算がスムーズに進む。
新聞拡張団の中には、闇社会と係わりを持っている者もいる。かつてある拡張団の元幹部が回想する。
「昔、刑務所(ムショ)から出所する男を迎えに行ったことがあります。強引で押しの強い人間でなければ、この仕事はできませんからね」
別の拡張団のある人物も、闇社会の接点を指摘する。
「だいぶ前になりますが、温泉で会合があったとき、浴場で面白い光景を見ましてね。入れ墨をした団長に販売局長が、『立派な入れ墨ですね』とご機嫌を取っているんです。桜の入れ墨でした」と。
F政治権力のマスメディアのコントロール
冷戦が発生し、GHQは政府から独立した公共放送を実現しようとした当初の方針を撤回し、政府が公共放送を「支配する構造」を日本に創設してしまったのだ。NHKは予算を含めたすべての側面で、政治権力に従属する組織になることが、制度的に強制されてしまったのだ。
とりわけ、小泉政権発足後、この傾向が顕著になった。その理由は小泉政権が権力維持の力の源泉として重視した世論を誘導するための、最も重要で有力な手段がマスメディアのコントロールであることを認識して、マスメディアに対する支配を強化したためである。
G 生命軽視の軍隊と大マスコミの実態:作家・城山三郎の海軍体験
18歳の城山は、昭和20年(1945年)、海軍特別幹部練習生」に志願・入隊し、広島で特攻訓練を受けた。青年を消耗品と侮蔑し、暴力的な教育を強いる海軍の実態に、多くの友人たちと訳のわからない「教育」の暴行に耐えぬいたのだった。戦中当時のマスコミの戦争賛美と死への陶酔は目に余るものがあり、「一億総特攻」などという見出しが新聞紙面に大きくおどっていた。城山は、その美辞麗句の裏にある、「貴様らは一人5銭だ。はがき一枚で代わりが来るんだ」、「貴様たちの一人や二人叩き殺したって、惜しむにあたらぬと¼」という詩句を残している 。
(3)権力者の願望=思考停止のだまされやすい国民!
メディアや「大企業によるプロパガンダ」と「主流の学問」によって、「形式上多くの人々が選挙権を持つという事実を克服することができる・・・・・。その事実は多数派の合意を作り出すことによって少数意見を無効にすることができ、人々の選択や態度を権力者たちの言った通りにしてしまうことが可能となる。かくして権力者にとって、適正に機能する民主主義が作り出されるのであり、それはプロパガンダ産業の教訓を適用した結果なのである。
このような社会における馴致教育の勝利は、アドルフ・ヒットラーの次の言葉を念頭に置いたものであろう。
「権力者にとって民衆が何も考えないことほどありがたいことはない」。
http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/2960.html