ブルーライツ
http://www.kcat.zaq.ne.jp/aaamd908/
大阪府枚方市東香里元町15-23
Tel 072-854-1633
営業時間 13:00〜17:00
定休日水曜
公表では ブルーライツさんの営業時間は 午後1時〜午後8時 ( 水曜休 ) となっていますが、 事前に電話連絡してかつ 開店すぐの時間帯に訪問して あまり長居せずに帰ってくるのが、 90歳のおじいちゃんに対する 思いやりのようです。
リスニングルーム
http://www.kcat.zaq.ne.jp/aaamd908/listen.html
オーディオシステム
高音 JBL 2405 x 2
中音 JBL 2420 x 2
中低音 2345 HORN x 2、 JBL 2440 x2
低音 CONCRETE HORN x 2、 ALTEC 515B4 x 2
CONCRETE HORN x2 開口部 高さ1.8m 幅2.7m 奥行1.8m
http://www.kcat.zaq.ne.jp/aaamd908/audio.html
http://www.kcat.zaq.ne.jp/aaamd908/concrete.html
Menu
ALL 500円
ホットコーヒー、アメリカンコーヒー、アイスコーヒー(夏期のみ)
紅茶、オレンジジュース、トマトジュース、カルピス
アイスクリーム、ミルク、コーラ、ココア、クリームソーダ
手作りクッキー 200円
http://www.kcat.zaq.ne.jp/aaamd908/menu.html
レコードコレクション
■トラディッショナルジャズ
古いものではバンクジョンソン、ルイアームストロングから、シカゴジャズ、 中間派など
■スイングジャズ
BIGバンド、ベイシー、エリントン他、白人ビッグバンド
■モダンジャズ
ブルーノート、プレスティジ、リバーサイド、レーベル、他、モダンジャズのコレクションがもっとも多く、アーシー、ファンキーのみに偏らずウエストコースト等幅広く多くの名盤をそろえています。
■NEW JAZZ
コルトレーンやドルフィー他モダン以後のアブストラクトな作品もそろえています。
http://www.kcat.zaq.ne.jp/aaamd908/collection.html
アクセス
京阪電車 香里園駅より バス約10分
東香里病院前下車 北へ2角目左へ徒歩3分
駐車場・あり
地図
http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&lr=lang_ja&bav=on.2,or.r_gc.r_pw.r_qf.&bvm=bv.41642243,d.dGY&biw=1050&bih=892&wrapid=tlif135963443144610&q=%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%BA%9C%E6%9E%9A%E6%96%B9%E5%B8%82%E6%9D%B1%E9%A6%99%E9%87%8C%E5%85%83%E7%94%BA15-23&um=1&ie=UTF-8&hq=&hnear=0x60011e97f3c589af:0xb7268e6a65598554,%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%BA%9C%E6%9E%9A%E6%96%B9%E5%B8%82%E6%9D%B1%E9%A6%99%E9%87%8C%E5%85%83%E7%94%BA%EF%BC%91%EF%BC%95%E2%88%92%EF%BC%92%EF%BC%93&gl=jp&sa=X&ei=M2AKUaatHsShkgWsh4DwBQ&ved=0CHwQtgM
http://kyujinban.jp/osaka/ar210/sh07102017/map/
http://www.kcat.zaq.ne.jp/aaamd908/map.html
ジャズ名盤鑑賞会へのお誘い
阪神地区Jazzライブ同好会会員で京阪神A地区在住の佐藤さんから新Jazz同好会の案内がありましたので興味のある方は管理人までお知らせください。
松寿会任意同好会
「ジャズ名盤鑑賞会」の発足企画 2011.4.29
発起人 松寿会京阪神Aブロック・枚方公園地区 佐藤さん
敗戦と共にアメリカ文化がどっとわが国に押し寄せ、ジャズに新しい時代を感じ、魅せられた人が今の70歳前後には多いようです。ジャズはそんな年代層にとっては青春のシンボルでもありました。ラジオでは数々のジャズ番組が流れ、街には音響自慢のジャズ喫茶ができて、自分にオーディオ装置などなくとも、ジャズの名演を聞く機会は数多くありました。
1950年代から60年代の所謂ジャズの黄金時代はいまさら望むべくもなく、当時の名プレーヤーのほとんどが鬼籍に入ってしまいましたが、名演奏はレコードに残っていますし、ありがたいことにまだ営業中の「ジャズ喫茶」はあります。往時のジャズの名演を素晴らしい音響のジャズ喫茶でコーヒー1杯で聞こうという同好会を発足させます。ご存知のマイルス・デイビスとかジョン・コルトレーンとかいった著名なジャズメンの演奏が主体です。少しでも関心のある松寿会員のご参加を期待しています。
【 会の要領 】
名 称:松寿「ジャズ名盤鑑賞会」(松寿会員限定の任意同好会です)
鑑賞会:毎月1回、午後2時〜4時。次回開催日を例会の都度決めますが、
原則として毎月第2または第4木曜日。
本拠のジャズ喫茶は「ブルーライツ」(枚方市)とします。
「ブルーライツ」 本格的なアナログ・オーディオ装置(真空管アンプ他すべて専門音響ブランドプラス手作り再生システム)、この凄い音を聞きに全国からファンが訪ねてきます。
場 所 枚方市東香里元町15-13 072-854-1633 *京阪香里園より
交野市駅行きバスで、東香里病院前下車3分。
毎回テーマを決めて事前案内して、参加の有無を問い合わせます。
会 費:喫茶店につきコーヒー等飲み物代を各自払い。
会員連絡はEメールで行いますので、発起人までEメールで会員登録
(地区名・お名前)をお願いします。
by管理人
http://syojyuhan.exblog.jp/m2011-04-01/
daiの紹介(2011.3.25)
先日30周年のライブが行われました。
最寄駅からはずいぶん離れた住宅地の中にあり、 分かりにくい場所にありますが、音は本物!
ベースの基音を鳴らすことのできる軽自動車大のコンクリートホー ンのスピーカーを2本備えておられます。 このコンクリートホーンも含めて、 店はご主人と息子さんで手作りで作られたというのだから驚きです。こだわりは半端なく、 システムも出てくる音も文化財と言ってよく一聴の価値ありです。
店主の方は90歳を越えておられるため、 オープン時間が4時間と短いです。
そのため客さんも少なく何枚かリクエストをきいてくれます。
リクエストは、 ご主人が客に順番に分厚いレコードのリストを持ち尋ねてくれます 。とても穏やかなご主人で敷居も高くなく、 音も押しつけがましいところなく、 リラックスしてジャズに浸れます。
組合長
昨今いろいろと紹介されてきたジャズ喫茶の中で、一番興味のある喫茶点です。
ホームページのブルーライツができるまでは必見!
理想的な音楽生活を見た思いです。
いやー、震災とかで疲れていますが、一度京都に行くべきですね。
http://www.jazzsoda.com/cafe/bluelights.htm
そういえばごんた邸最寄り駅の同じ沿線に
「レコードが満足に鳴らせるのはウチだけ」
と豪語するJAZZ喫茶があったっけ。
微妙に梅田からも京都からも遠いため(しかも駅から歩けない)、行ったことがなかったんです。ちょっと行ってみようかな〜。
香里園駅からバスに乗って、東香里病院前で下車。
前もってHPで調べたわけじゃないから、ここから先が難関でねぇ(後で聞いたところごんた先生もたどり着けなかったらしい)。日が落ちて暗くなりかけた住宅街を30分ほどうろうろしました。
あった! コンクリートホーン・スピーカーの店「ブルーライツ」!
これはわからないわぁ。本当に住宅地じゃん。
・・・・
やってねぇ シャッターが閉まってやがる。
おいおい、水曜日休みって店先にも書いてあるじゃねぇか。
今日は木曜日だぞ。営業時間だって20時までだろ。今19時だし・・・
どうしてJAZZの店はこうも営業時間がいい加減なんでしょうか。音がいい悪い以前の問題ですなぁ。 まさしく徒労でした。電車とバスを乗り継いだだけに、ショックがでかかったです。 もう来ることもないでしょう、さらばブルーライツ!
http://plaza.rakuten.co.jp/afublog/diary/200704260000/
コンクリートのホーンで聞いたアート・ファーマー 2011/10/14
友人に誘われて香里園の住宅地のど真ん中にあるJAZZ喫茶に行ってきました。
JAZZハウス「ブルーライツ」。30周年を迎えるマニアックな(いや真の音マニアの)お店。「店内での会話は控えめに」との張り紙も。懐かしいセリフです。
元々は心おきなく好きな音を楽しみたい一心で、人里離れたところに手作りで家を建て、スピーカーを作り、アンプやレコードを収集したお宅。しかし、訪れた人々からいつでも来れるよう喫茶店にしてほしいとの要望があったので開いたとのこと。 だから商売っ気は元からゼロ。
感心しました、より良い音の再生に人生を注ぎ込んだ人がその情熱を持ち続け、今も我々にその成果のおこぼれを分けてくださっている。
香里園は大阪に近い住宅街。その駅からバスで10分、そこからしばらく町内を歩く と小さな看板が。道から少し奥に引っ込んだところにブロック造りの三角屋根のお店があります。左手奥には蔦で覆われたブロック作りの住宅が。これがオーナーの母屋らしいが、これも手作り?手前のガーデンにはいろんな花が咲いていますが、 ほったらかしたような荒れた風情がいい味を出してます。
店のドアを開けるとがらんとした室内に前を向いたソファが並ぶ。正面を見て驚いた。
高さ1.8m、幅2.7mの巨大なホーンが左右に据えられている。
ホーンは厚さ10cm以上あるコンクリート製。
中央に4個入っているウーファーは25cmのアルテック515Bだ
そうだ。その上にも1.2m幅のホーンが乗っている。高、中音のJBLは中寄りにワイヤで吊られている。
この店のご主人はすでに90歳。定年後にこの店を作り上げたいきさつは下記の手記 で興味深く読ませてもらいました。戦後の食べる物にも事欠く時代からひたすら音 を追及し、ブロックを積んで家まで建てるというご苦労。
今は息子さんが店を切り回しておられます。話を聞いたら、スピーカーは息子さんが関数計算し、設計図面を引き、業者と一緒に型枠を作って整形したとのこと。親子で大変な苦労と労力をかけて作り上げた音の殿堂です。
今回は企画イベントで、ナット・アダレイ、ブルー・ミチェルなどのトランペット 特集、私にはあまり馴染みがないが、それでも耳に心地よく聞こえる。それより、 音はそれほど大きくないのに、ベースやバスドラが目の前にあるようにすんなりと響いてくる。とても自然で、耳に心地よい音でした。
箱型のキャビネットタイプのスピーカーは、箱鳴りによる共振で低音を増幅するの ですが、このコンクリートスピーカーは共振がゼロなので、低音をストレートに聞 くことになります。そのせいか、倍音のない素直な音になり、どれだけ大きな音で 長時間聴いても疲れないそうです。
オーディオマニアといっても音の好みは人様々ですが、このお店では古きよき時代 の演奏者の楽器や雰囲気を忠実に再現することを目的にしているそうです。また最良のリスニングポイントの設定も難しく、お店にする時にはどの座席でもちゃんと聴こえるようにするため、大変悩まれたとのことです。
JAZZ喫茶は今やすっかり時代から取り残された感じですが、このように今なお綿々 と続けられている店があります。このBLUE LIGHTSをサイトで調べると有名な岩手県 一関の「BASIE」に匹敵する存在とまで言う人もいました。あちらはJAZZフアンの 聖地なんていわれていますが、こちらはとても地味な存在のようです。ま、それは お店の経営方針の違いなのでしょうね。
http://plaza.rakuten.co.jp/mewpops/diary/201110140000/
究極のジャズ喫茶「ブルー・ライツ」を訪ねて(11/29)
大阪府枚方市にある「ブルー・ライツ」というジャズ喫茶を訪ねた。
この店は、オーディオに魅せられた方が、定年退職後、良い音を聞きたいと言う御主人夢の実現に向けて家から何からすべて手作りで創りあげた店だ。もともと自分一人で聞くために創ったものだが、評判を聞き付けたオーディオマニアが訪ねて来るのでコーヒーを出すようになったそうだ。
私も御多分に漏れず、中学生のころから鉱石ラジオ・並3・並4・高1・5球スーパーなどを製作し管球式のプリメインアンプも作った
スピーカーは、その頃発売されたパイオニアのPAX30Fという、当時としては大形で高性能のスピーカーを、厚い木で作ったボックスに入れた。
その後、プリメインアンプをパイオニアの管球式に変更しソニーのターンテーブルにグレースとオルトフォンのアーム、カートリッジはオルトフォンとオーディオテクニカやADC、スピーカーは、放送局でもモニター・スピーカーとして使われていると言うヤマハのNS1000M、プリメインアンプをサンスイにして今に至っている。
要するに、入り口であるカートリッジから出口にあたるスピーカーまでの、どこかを良くすると他の貧弱さが分かってしまうという「オーディオ地獄」にはまりかけてしまったのだ。金の問題もあり「我が家にはこの程度で満足しよう」と思っていた。
「ブルー・ライツ」を訪ねた時、50帖ほどの広さの店内には1人先客がいた。主人が出て来たので挨拶すると
「どちらからいらした」
と尋ねるので
「東京の町田からです」
と答えると、おどろく様子もなく
「そうですか、日本全国からおいでになりますよ。リクエストはありますか」
とおっしゃるので、 家で聞き慣れている「ハービー・マン」をお願いした。 すると即座に「ハービー・マン」だけで山のようにレコードを持って来てくれて
「どれにしましょうか」
という。そこで、大好きな「カミンホーム・ベイビー」をお願いした。 下の写真はその時に、ジャケットを飾ってレコードをかけてくれている時のものだ。
縦1.8m、横2.7m、奥行き1.8mの、2本の巨大なコンクリート・ホーンからどんな音が流れ出すのか、期待と緊張でドキドキした。
やがてハービー・マンのフルートの音が・・・・
エーーツ!こんなに柔らかい音だったのか・・・
ウッドベースのアドリブのシーンでは、目の前にコントラバスがまさに「存在」しているのだ。
我が家には息子のコントラバスがあるので、生の音は良く聞いている。
だから、その弦の長さまでが感じられる迫真の音と定位には心の底から感動した。
「自然な音」を手に入れるためには何千万円かけても惜しくないという人が、そこにいた。 私も、金さえあればしたいとは思うが、ここまで夢中にはなれないと思う。
せめて、ただで聞くことができる「自然の音」、つまり、小鳥のさえずり・波や風の音を楽しみ、都会の騒音や子どもの泣き声、コートでボールを打つ音にも 「あー、何といい音だろう」と感動する心を持ち、そして、たまにはお金を払って生のコンサートにでも行くことにしよう。
http://members2.jcom.home.ne.jp/rikkie/hitorigoto2.html
(2007年3月)
大阪市地下鉄御堂筋線の淀屋橋、またはJR環状線の京橋から京阪電車に乗って香里園駅で下車、バスで10分ぐらいの東香里病院前で降りると、バス停の前に店の看板が出ている。(実はこれは帰りに気が付いたのだが) 何にもなさそうな住宅街をどんどん歩くと右上の看板が見えてくる。そこを右に曲がると白い外壁の三角屋根の店が見える。店の左奥が自宅になっているようだ。2階もそうかもしれない。
中に入ると広いスペースにどーんとコンクリートホーンのスピーカーが鎮座している。
音源はアナログレコードで針ノイズは聞えているけど、その圧倒的音量が凄い。空間が広くてそこに音が広がっているから大音量でもそんなに大きな音とは思えないほどで全く疲れない。
使っている装置は店のウェブページに詳しく書かれていて、この装置を作ることにした顛末がブルーライツが出来るまでという文章にあり非常に面白い。定年になってからこれを造られたというから凄いね。
コーヒーの注文をするとマスターがレコードリストを持ってこられリクエストは?と聞かれる。懐かしいね。そのリストはスイングジャーナルの別冊のジャズ名盤のリストに赤いシールが張ってあるレコードが置いてあるというのだ。 ジャケットとメンバー、曲目も確認できるから便利だ。
ビルエバンスのピアノとスコットラファロのベースが聞きたくてSunday at the Viollage Vanguardをリクエストした。ベースが前に躍り出て来てわくわくする。後ろの壁にはElvin Jonesのサインが飾られている。そうだElvinのドラムも聴きたいから今度はColtrane のインパルス盤Coltraneをリクエストする。 Elivinのバスドラムが気持ちいいけど録音の所為でドラムとベースが奥に引っ込んでいるのが惜しい。こんな楽器の配置が具体的にスピーカーの前にくっきり分かってしまうのがさすがだ。
リクエストするとこうして踏み台に乗ってレコードを取り出してくれるマスター。
オーディオルームの後ろには真空管アンプ群が並んでいる。何背たくさんのスピーカーを鳴らすのだからアンプの数も半端じゃない。
ちょっと離れたところにあるけど、時間の余裕をなんとか作って是非行くべきジャズ喫茶だ。
http://jazmys.web.fc2.com/JazzArtifacts/JazzCafeNoMatch14.html
ブルーライツ 枚方 2009年7月12日
久し振りに枚方にあるジャズ喫茶ブルーライツに行こうてことで行ってまいりました
車で香里園の山の方に上がったところに、ジャズ喫茶ブルーライツがあります。
もともとジャズ好きのマスターの個人の趣味のオーディオ・ルームがジャズ喫茶になっただけでジャズ喫茶からできたわけじゃないみたいです
先客にジャズ好きな女性客がいてるよ
まずはホットコーヒーを注文
スゴイ数のレコードリストだよ
朝聞いていたビルエバンスをリクエスト
マスターがレコード操作室に入って用意してくれてます
ワルツフォーデビー
エバンスのピアノとスコットラファエロのベースが
テーマを同時に奏で テンポアップしてドラムスが入り そのまま互いに触発し合うインタープレイに入る
レコードは1961年録音なのですが48年の時間を越えてエバンスが生き生きと演奏します
BOSEで聴くエバンスもいいがここのコンクリートホーンから流れるピアノは目の前にあたかも演奏してるような臨場感
リクエストが入ればジャケットを壁に掛けてくれます
リスニングルームからの見える2台のレコードプレーヤーとプリアンプ
マスターにお願いして特別にレコード操作室に入れてもらいました
プレーヤーはガラード401とテクニクスSPだそうです
各スピーカーごとに真空管アンプが配置されています
マニア垂涎ですよね
マスターが特注でつくったコンクリートホーンです
ジョンコルトレーンのバラードをリクエスト
ジヤッキーマクリーンの哀愁を帯びたサックスで有名なマル、ウォルドロンのレフトアローンをリクエスト
ここにくると時間が止まってデジタルでないアナログのレコードの針のノイズとともに名ジャズプレーヤーの演奏が目の前に甦り45〜50年前に録音されたレコードのクオリティの高さに改めて驚かされます
まるでここのマスターはバックトウザフューチャーのドク博士みたいにタイムマシンの様な驚異の再生装置で50年前のジャズプレイヤーが生き生きと目の前に甦りますよ
そうまさしくバックトウザフューチャーですブルーライツは
http://blog.goo.ne.jp/kazu7011/e/8f8b66cbd5e6c886858df269fba24b23
ブルーライツ(ジャズ喫茶) 2011/9/28
今日は、本当に本当に!感動しました。
京阪の香里園の駅と京阪交野線の交野市の間にあるジャズ喫茶 ブルーライツ
行って来ました。
静かな住宅の中に異国のような空間。
私の大好きな映画 「西の魔女が死んだ」を、すぐに思い浮かべました。
中に入るなり、衝撃!
ナンだ!このスピーカーは・・・。
はじめてみたコンクリートホン!
壁の一面がスピーカーで、上に何人もの人が眠れそうな広さ。 (変な表現)
最近、小さいスピーカーしか売っていないので、すっかりオーディオモードが、失せていた私。
因みに私、結構大きなスピーカー持っています。
でも、スケールが違う!
って言うか、こんなのを作ろうと思った人がいることに感動!
30年前に作ったそうで、そのメイキングの写真を見せてもらった。
親子で手作りしたらしい。
音(プレイヤーやアンプ)は、反対のお部屋から、出す。
ライブも出来る。
スピーカーに向いてじっくり音を聞くことが出来る。
珈琲をサイホンでいれてくれた。
そう、実はこのお店の方と、桜の庄兵衛で、知り合ったので今日はすっかり、お世話になっている。
レコードの数は、えっと聞いたけれど、忘れた。
検索システムが必要なくらい。
「何聞く?」って聞かれて
ここなら!・・・・・
私が昔からずっと好きな「ビルエヴァンス!」即答!
では、って・・・
ビルエヴァンスだけで、こんなに持ってきてくれた。
一番スタンダードなビルエヴァンストリオの「ワルツ・フォー・デビー」
ゆったりした、「マイフーリッシュハート」から始まった。
すごい、クリアな音。
迫力の音量。
真空管で音を出すのですって。
私には、説明は出来ません・・・。
あ!こんなところにもビルエヴァンスがいる。
あら!時計がオープンリールテープでできている!!!
こんなうれしい時間ってあり???ですか?
次回は、何をリクエストしましょうか?
http://music.ap.teacup.com/konaka/109.html
JAZZ喫茶 ブルーライツ 2011年08月24日
今日はいきなり写真から、前にも話した通りユニークですばらしいJAZZ喫茶
を紹介します。 枚方の住宅地の一角に 隠れ家のようなたたずまいのブルーライツという店。専門誌や音にこだわる方や、地域誌、新聞などにも取り上げられ知る人ぞ知る隠れJAZZスポットです。
JAZZそのものが 聞かれなくなり、TVやラジオなどでも番組が無くなりCMでしかその存在を確認できないJAZZですが、今もなお 細々続いているこういった店こそ貴重で、マスターは90歳 客のあるときだけ 店を開けるといった具合だが、なんとか世界遺産とまではいかないにしても、地域遺産として残してほしい。
この建物そのものが JAZZを聞くために建てたもので内装もすべて いい音を出し聞くために作られている。天井は波条に コンサートホールのように 正面にコンクリートスピーカー パラゴンの大スピーカー プレイヤー2台 アンプは菅球のアンプで すべてマスターのこだわりだ。
遠く東京や名古屋からもファンが来られるそうだが、マスターの熱い思いと音のすばらしさに感動して帰られる。
大音量だが耳に心地良い、レコードに忠実な音が出ている。アメリカのJAZZプレーヤー ウェイン・ショーターが生演奏で 来店した時に自分のレコードを聴いて、生よりもいい音がでっている。俺ってこんなにいい演奏してたのかと(笑)言ったそうで。この一言でいかにすばらしいかがわかってもらえると思う。
LPにこだわって 1200枚以上(正確にはわからない)あるそうだ。
それにしても 2時間で客私入れて2人とは・・・・・
商売としては 100%無理 マスターの気合のみで?続けてる
なんとかがんばって残してほしい。
http://blog.livedoor.jp/nitennitiryu67/archives/52796254.html
枚方 ブルーライツ! 2011年06月17日
今日は、久しぶりの休みやったし枚方のジャズ喫茶「ブルーライツ」 に行ってきました。
とにかく凄いオーディオセットにビックリでした。そこから流れてるジャズの音は、これまでに聴いた事のないぐらいいい感じの音でした。僕の店の音がショボく聴こえる。
マスターは90歳を超えたと言われてました。
とにかくオーディオマニアです。
店は30周年を越えたらしいです。
若干、耳が遠いのでアイスコーヒーを注文したにも関わらず、ホットコーヒーが・・・。
まっ、えぇか!って感じで許せてしまうけど。
コーヒーを運ぶ足取りもヨチヨチ歩き、手も震えててコーヒーがこぼれそう。
けど、全て許せてしまう。
マスターが90歳なので、いつまで営業されるかわからんけどジャズ好きの人は行ってみて下さい。
ビックリするほどいい音で聴けますよ。
http://blog.livedoor.jp/pnickel1986/archives/1648804.html
大阪 枚方 ブルーライツ
age48 2004 07/11 10:09
先日朝日新聞に掲載されていた「ブルーライツ」
元国鉄マンのご主人が、自宅のリスニングルームにコンクリートホーンのスピーカーを自作!噂を耳にしたオーディオファンが270p×180×180という巨大なホーンから流れる音を聴きにやってくるようになり、皆に請われてリスニングルームをジャズ喫茶にしたそうです。
その音のすばらしさ、ご主人が80才を過ぎた高齢である事などの記事を読み、聴かないときっと後悔するだろうとの思いにとらわれ、先週末行ってきました。
「リクエストをどうぞ」
とリストを渡され、ベイシーのフルバンドをお願いしました。
音が出た瞬間・・・圧倒されました。
今まで聴いていた音は何だったんだろうと思ったほどです。臨場感、奥行きの広さ、目を閉じるとミュージシャンが演奏している気配が感じられそうな・・・それでいて疲れない。6枚ほど聴いたので2時間ちょっとでしょうか、まだまだ聴ける状態、時間が許せばもっといたかったほど。
関東から行くなら、京都で降りて京阪電車に乗り「香里園」で下車、その後バスで10分弱です。チャンスがあったらぜひ行ってみてください。
ご主人は82才とのことでしたが、とてもそんなお年には見えない、しっかりした方でした。アンプは真空管(もちろん自作)で、ブースの外から見ただけではチンプンカンプン。でも本当にいい音だったなぁ。近くにあったら毎日通いつめてしまいそうです。
http://www.neko-net.com/jazz/bbs20110302/treebbs.cgi?kako=1&log=258
Re:大阪 枚方 ブルーライツ
けんさん 2004 07/24 21:52
ほんと、すごいよ。アルテック505が4本づつ、左右のコンクリートホーンから低域がふんわり響きバスドラ、ベースが浮かび上がります。広域はJBLの4ウェイが切れのよいミュウートを聞かせてくれます。ぜひ引く価値あり。大阪で20年まえ友人に紹介されたとき、衝撃でした。大阪に住んでいてよかったです。
http://www.neko-net.com/jazz/bbs20110302/treebbs.cgi?kako=1&log=263
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|!: :/ j:/| l __ 人l: : :|!
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/ | : !: :|: :/.:r-弋: { ヽ い: : / /: :/|:〃
|: : : :j :/ ̄ヽ ヾ  ̄ ̄ ̄`ヽ「\ ノ/ j/
さて、今日は遠路遥遥 川崎市 新百合ヶ丘のジャズ喫茶「Lost and Found」さんがご来店下さいました
このお店 マスター?は女性なのですよ!
えさ箱を探る彼女の手さばきは ぬぬ お主 なかなかやるな!ってな感じですよ
渋〜い 作品を選ばれましたよ!さすが!
主な目的は
枚方のジャズ喫茶ブルーライツさんの音を聴きたい!
と
大阪ダックツァーに乗りたい! 妙な水陸両用バスですな
ゴメン ばらしてよかったのかな?
関東方面でもオーディオ・ファンの方の中でよく話題になるようです
バスじゃないよ! ブルーライツさんね!
私 近所に住んでますけど もう8年ほど行けてません。すいません・・・
Lost and FoundさんのHPも見させて頂きましたけど凄い装置ですね!
・・ミストレスさんだ!
来られましたよ!
出張終わったのかな?行けました?これから?
ただ今 15時30分
ちょうどお店でマスターとミストレスさん 盛り上がってるだろうな!
久し振りにブルーライツさんに 寄ってみようかな
ちゃりんこで 同志社香里越えて 成田山越えて
テニススクール超えて・・・・上り3キロかな? 帰りは楽だぞ!
http://jazzmimura.blog18.fc2.com/blog-entry-594.html
ジャズ喫茶 「 LOST AND FOUND 」 ミストレスの日記
ミストレスの大阪旅行 第1日目 2009-12-03
今回の大阪旅行の 初日 ( 11月30日 ) は、 11:30発 の 「 大阪ダックツアー 」 という 水陸両用バス ( You Tube 映像 ) に申し込んでいたんですが、 出発前夜にツアー会社から
「 車両整備のため急遽運行中止 」
との電話連絡が入りました。
「 じゃあ翌日は? 」
と聞くと
「 2日間とも運行中止なんです 」
と言うではありませんか (泣)。 以前テレビで見た時から
「 これは絶対に乗りたい 」
とミストレス ずっと思っていたので大変残念でした。
「 仕方ないなー。でもまぁ、きっといいこと、あるさ 」
と気を取りなおして新横浜駅7:59発 「 のぞみ205号 」 ( N700系 ) の普通車指定席に乗り込んだ ミストレスは、 慣れない早起きのせいで偏頭痛を抱えながら、新大阪に向かったのでした。
さて 10:16に新大阪駅に到着したミストレスは、大阪駅へ移動しました。当初の予定ではその後、ダックツアー出発地の天満橋駅まで移動するつもりがツアー中止になったので、とりあえず大阪駅前の喫茶店で一息つくことにしました。 そういえば翌日に伺う予定を立てていた中古レコード店 「 ミムラ 」さんは 11:00開店だったよなぁと気がついて、 大阪駅から 「 ミムラ 」さんのある堂山町まで 歩いて行くことにしたんですが ・・・・ 歩いている途中で、何やらおもしろいものを発見してしまいました。
ビルの上に 観覧車!? そのビルは HEP FIVE というデパートでした。 とにかくヘンな乗り物が好きで好きでたまらないミストレスは、ビルの上の観覧車を見て思わず興奮して、観覧車に向かってダダダッと走り出しました。エレベーターに乗って7階のチケット売り場へ直行。 気がついた時にはもう 一人で赤い観覧車に乗っていました。ミストレス一体何しに大阪まで来たんだか。(汗)
いやー、これがなかなかステキな眺望でして、 大阪城も通天閣も六甲山も明石海峡大橋も何でも丸見え。 ミストレス遠路はるばる大阪まで来たんだなぁ〜と実感。 15分ぐるっと一廻りして観覧車を降りたミストレスは、 「 ミムラ 」さん目指して 再び歩きはじめました。
「 ミムラ 」さんの扉を開いて
「 こんにちはー。 川崎のミストレスでーす 」
と言うと、 三村さんは
「 あれ〜? 来るの早くないですか〜? 」
と聞いてきました。
「 いや〜、それがですねぇ・・・ ダックツアーが中止になっちゃいまして。 もう残念で、残念で 」
とミストレスが言うと、 三村さんは
「 ああ、 あのバスは乗らんほうがいいです。 たまに川に沈んでるの見かけますわ。危ない 危ない 」
といってミストレスを慰めてくれました。 到着早々、エサ箱を漁りはじめたミストレス は、ふと思い出して
「 あの年賀状 は今年も作るんですか?」
と三村さんに聞きました。すると三村さんは
「 もちろんです 」
と即答。 LOST AND FOUND にも送っていただくようにお願いしました。 どんなアホな年賀状が届くか今からとても楽しみです。 三村さんに
「 これから枚方市の香里園の、ブルーライツというジャズ喫茶に行くんです 」
と言うと、 なんと三村さんはお近くにお住まいだとおっしゃるので世間はなんと狭いんだろうと思いました。「 ミムラ 」さんを出たミストレスは、大阪駅に戻ってJR環状線に乗って京橋駅へ。京阪本線に乗り換えて香里園駅を目指しました。 香里園駅からバスに乗ること10分。 東香里病院前バス停でバスを降りたミストレスは、ブルーライツに行ったことのあるお客さんから聞いた道のりを歩いて ブルーライツに辿り着きました。時計を見るとちょうど午後2時を過ぎた頃でした。
ミストレスは、月刊 『 stereo 』 2007年1月号の記事を見た時から 「 ブルーライツ 」さんの存在を知っていました。 何でもご主人は84歳のおじいちゃん ( ってことは今年86歳!? ) で、 34年前に旧国鉄を退職して ご自宅とは別にリスニングルームを手作りすること4年。
30Hzの低音を出すために川砂を手練りしてコンクリート巨大ホーン ( 高さ1.7m 幅2.7m ) を作り、
ホーンを短くしてかつ中低音とのつながりを良くするために ウーファー4発 + 4発、 計8発 マウントし、
高音の詰まりを解消すべく京阪電線の400m巻きケーブルを手に入れ、
市販の8mm径の穴あき壁板ではうまく低音を吸収できないから 明石の加工業者にシナベニアを持ち込んで 5.6mm径の穴を開けてもらい、
塗料は単なるニスだと550Hzが跳ね返るから イギリス製 ワトコオイルを入手して壁板に塗ったとか。
もう、書いてること全てが インパクト強烈すぎ(笑)。
その記事を読んだ ミストレスは、ちょうど オーディオ・マニアのお父さん達と大々的にケンカをしていた時期だったので
「 うーん、やっぱりオーマニのおっさんはキチガイが多いんだな。 適当に放っておこう。」
などと思ったりしたわけなんですが (汗)。 でも、その記事の中に、おじいちゃんが語ったフレーズが載っていて、その言葉に ミストレスは強く心を打たれたんです。 おじいちゃん曰く ・・・・
− 夜空の星すべてがきれいに輝くような、今時の音は好きではない。
はっきりしないぼんやりした星があるからこそ、星空は美しい。
このおじいちゃんは詩人だと思いました。 さらに 「 ブルーライツ 」 のホームページを開いて 『 ブルーライツが出来るまで 』 を じっくり読み進んでいくと、 最後に こんな文章が載っているのを見つけました。
− 当コンクリートスピーカーシステムは、
決してオーディオの終着点ではありません。
少し大きめの車輌を造った段階です。
うーん、さすが元国鉄マンは言うことがロマンに満ち溢れてるなぁと思いました。 その時、ミストレスは心に決めたのです。
「 このおじいちゃんには、絶対に、会いに行かないといけない 」
と。 その後、 LOST AND FOUND のお客さんの中でも ブルーライツに行ったことがあるという方がけっこういらっしゃることが分かって皆さん一様に
「 ブルーライツの音は素晴らしい 」
とベタ褒めしていたのです。 10人中10人が大絶賛するジャズ喫茶 ・・・・
しかしミストレスは思いました。
「 そんな店あるわけがない 」
と。 最近のハイエンド製品はよく知りませんが、 ビンテージ・オーディオは 生き物です 。 LOST AND FOUND のオーディオだって毎日毎日、毎時間毎時間、コンディションが変動します。 あの店主さんの音だって、ミストレス2日連続で聴いたら2日とも全く違ったし変動もしました。 聴いている人間の健康状態とか精神状態とか、CDやLPの録音の質によっても印象はだいぶ違ってきます。 だから私は、 たかだか1度か2度行った程度のオーディオ・マニアが、インターネットなんかに披露している ジャズ喫茶訪問記などは、全く当てにならないと思っています。
10人 行ったら 5人は
「 よかったよー 」 「 鳴ってたよ 」
という良好な感想を述べ、 残りの5人は
「 たぶん調子が悪かったんだと思う 」 「 そんなに鳴ってなかったよ 」
という感じで不評を述べる。
これが普通です。 当たり前です。
ところが、 こと 「 ブルーライツ 」 に関しては、100%の確率で、高評価しか聞えてこない。
何故だ? ・・・・ 何故なんだ? ・・・・ そんなの絶対におかしい ・・・・ ありえない ・・・・。
ミストレスは その 「 謎 」 を 解明すべく、 はるばる枚方市までやって来たのでした。 もちろん、詩人のおじいちゃんに対する個人的な 興味もありました。 ここでお断りしておきますが、 私は 自分がジャズ喫茶のママという立場上、 私の発言が 「 他店に対する批評 」 と捉えられる 危険がありますので、 今回の 「 ブルーライツ 」 訪問については ( 特にオーディオ的なことは ) 詳しく書くつもりはありませんし、 また、ジャズ喫茶以外のお店についても、批評的な訪問記を 書くつもりも、 一切ありません。
「 ブルーライツ 」 の扉を開けると、店内は真っ暗でした。 「 しーん 」 としていて何も音が鳴っていません。 扉を見ると 『 外のインターホンを押してください 』 と書いているのに気がついたミストレスは、インターホンを押しました。 すると 「 ハーイ 」 というおばあちゃんの声が聞えてきました。 裏の母屋から出てきたおばあちゃんはミストレスを見て
「 あれ、先日お電話くださった方ですか? 」
と聞いてきました。
「 そうです 」
と答えると
「 あれまー、てっきり男の人の声だと思ってましたわ 」
と言われてしまいました。
「 あれまー、女の人の声だと思ってたけど男の人でしたか 」
と言われるよりはマシだと思いました。 お店の中に入ると間もなく詩人のおじいちゃんが登場。 ミストレスはスピーカー真っ正面の最後列のソファに座ったんですが、 おじいちゃんは左端のソファを指差してそちらに座れと指示してきました。 足元に石油ストーブが置いてある席です。 ミストレスは
「 寒くないからストーブつけなくても大丈夫ですよ 」
と言ったものの、おじいちゃんは
「 どの席に座っても同じ音だから 」
と説明して何としてもミストレスに左端の席に座ってほしいような感じだったので逆らわずに言う事を聞いて席を移動しました。
「 どの席に座っても同じ音だから 」
・・・ うらやましい一言だと思いました。
このお店は50畳の広さがあります。 LOST AND FOUND の せまい空間では ちょっと難しい話だなぁと思いました。 おじいちゃんはヨタヨタした足取りでレコードリストのファイルを持ってきました。 ミストレスはジャズ喫茶でリクエストすることは意図的に避けているので
「 お任せします 」
と答えたんですが、3枚選べと何度も言われたので仕方なしに3枚を選びました。 コーヒーを飲んで3枚が鳴り終わったところでミストレスはいろいろと考えることがあったので 紅茶と手作りクッキーを再注文したところ、 おじいちゃんはまた3枚選んでいいと言ってくれました。 4枚目を聴きながら
「 ああ、やっぱりそうか。 なるほどねー。うちと同じだー。面白いなー 」
などと思ったりしながらミストレスが黙って聴いていると、おじいちゃんが近づいてきて
「 あなたもオーディオをやってはるんですか 」
と聞いてきました。
「 ええ・・・まぁ、そうです。ははは 」
と答えると、 おじいちゃんは
「 ご主人がオーディオを? 」
というので
「 独身です 」
と間髪入れずに答えると、 おじいちゃんは
「 あなたは、うちの孫みたいな 年齢じゃないですかね〜 」
というので
「 35歳です 」
と答えると、
「 あれ、若く見えますね。 うちの30になる孫には、最近子供が生まれてついに曾じいさんになってしまったですよ。 その曾孫いうのがもう可愛くて可愛くて 」
と、照れ笑いを浮かべながら話してくれました。 6枚目がはじまって時計を見ると 4時を回っていました。
「 今日は何時までですか?」
とおじいちゃんに聞くと、 おじいちゃんは
「 いやー、お客さん誰もおらんと今くらい時間には閉めてますー。 ここは元々から店じゃなくていろんなとこから人が来て店みたいにしてくれ頼まれたもんで店やってるようなもんで 」
と笑って答えました。
公表では ブルーライツさんの営業時間は 午後1時〜午後8時 ( 水曜休 ) となっていますが、 事前に電話連絡してかつ 開店すぐの時間帯に訪問して あまり長居せずに帰ってくるのが、 86歳のおじいちゃんに対する 思いやりのようです。
ミストレスは6枚目のレコードが鳴り終わると、 おじいちゃんに ご挨拶して、 お店を出ることにしました。
http://blog.goo.ne.jp/otoshimono2006/e/6545a865453529a3cb3d326564eebbfb
ミストレスの大阪旅行 第2日目 2009-12-05
再び香里園 「 ブルーライツ 」 に来ました(笑)。前日と同じように香里園駅からバスに乗り、東香里病院前バス停でバスを降りました。 すると、バス停のすぐそばに、前日には気がつかなかった「 ブルーライツ 」の案内板を発見しました。 けっこう大きな案内板なのに、なんで気がつかなかったのかな。
お店の中に入ると、昨日と同じく真っ暗で、何も音が鳴っていません。 勝手知ったるミストレスは一旦外に出てインターホンを押そうと、入り口のほうを振り返ると ・・・ おじいちゃんが後ろにヌボーっと立っていたのでミストレスは驚いてしまいました。 実はミストレス、前日の帰り際に
「 明日も来ます 」
とおじいちゃんにお伝えしていたのです。 ・・・ おじいちゃんはどうやら母屋からお店の玄関先を見ながら ミストレスのことを待ってくれていたようです。
「 しまった ・・・ おじいちゃんを待たせてしまった ・・・」
ミストレスは、海遊館でウミガメ に ぽーっと見とれている場合ではなかったと反省しました。 おじいちゃんは
「おーおー、本当に来てくれはりましたか 」
と、何やら楽しそうな顔で言いました。 ミストレスは、スピーカー真っ正面の最後列に座りましたが、今回は、おじいちゃんは何も言いませんでした。 そのかわり、左端の席から石油ストーブをずるずるずると引っ張ってこようとしたので、 ミストレスは慌てて
「 あーっ!!! い、いいんです。 さ、寒くない。 寒くない!!! 」
と叫びました。 ミストレスはおじいちゃんに、
「 どの席に座っても同じ音なのは分かりましたが、私はどうも スピーカーを真っ正面に見据えないと落ちつかないのです・・・」
と説明しました。おじいちゃんは、ミストレスの旅行かばんを指差して
「 どちらからですか 」
と聞いてきたので
「 川崎です。今日これから帰るんです 」
と答えると、
「 新幹線の時間は 」
と聞いてきました。 帰りの電車に乗り遅れる心配までしてくれるとは、なんと優しいおじいちゃんなんだろうとミストレスは感動しました。
「 帰りのキップは、まだ取ってないんですよ 」
と言うと、
「 あれ、それならゆっくりしてください 」
と、おじいちゃんは言ってくれました。 前日のように 3枚を選んでコーヒーを頼むと、おじいちゃんは手作りクッキーを
「 これはサービス 」
といって持ってきてくれました。 メニューに 「 手作りクッキー 」 と書いてある セサミクッキーは、 おばあちゃんの手作りなのでしょうか? ・・・ 何にせよ心温まるメニューだなぁ〜と思いました。 おじいちゃんは
「 お若い女の人がオーディオをされるとは珍しいんではないですか 」
と聞いてきたので、 ミストレスは、自分も ジャズ喫茶をやっていることを話し、 偶然にもドライバーとツィーターは、こちらのお店と同じなんです。 何だかうれしいです、と答えました。 すると、おじいちゃんはミストレスの隣の席に座り、いろいろとおしゃべりを始めました。 オーディオのこと、息子さんと一緒に この建物を建てた時のこと、 ご家族のこと、 東京の田町車掌区に異動した時の苦労話 ・・・・。 ミストレスはもう、 音なんて、どうでもよくなってきました。 このおじいちゃんが、とても魅力的な人だったからです。
3枚目のレコードが鳴り終わると、おじいちゃんは席を立ち上がりました。 そして、ジョージ・ルイス (cl) のレコードをかけて
「 このレコードはとあるオーケストラのベースの人がこの店でかけたほうがいい音がするといって置いていった 」
と言うので、ミストレスは
「へー、そういうレコード、たくさんあるんですか 」
と聞くと、おじいちゃんは
「 神戸の女学生が ”ここの音は踊れる音だ ” といって、 ボブ・マーリーという人のレコードを置いていった 」
と言うので、 ミストレスは 耳を疑って
「 ボブ・マーリー?? れ、レゲエ?? 」
と聞くと、 おじいちゃんは、
「 あのリズムセクションは非常によい。 リズム。 ハーモニー。 素晴らしい ・・・ 聴いてみますか? 」
と言うので、ミストレスは身を乗り出して
「 お、おお、おねがいします 」
と答えました。 コンクリート・ホーンであの I wanna know now 〜♪ という歌声を聴くとは想像もしなかったミストレスは、 おじいちゃんに
「 とてもいいじゃないですか 」
と言うと、 おじいちゃんは
「 いい音と悪い音、あるのは、その2つだけです 」
と、 何やら意味深な言葉を、口にしたのでした。次に おじいちゃんがかけたのは、 菅野沖彦氏が おじいちゃんに寄贈したという、 テディ・ウィルソン (p) と 北村英治 (cl) のライヴ盤でした。 おじいちゃんは
「 この音は、あなた、いい音だと思いますか 」
と聞いてきたので、 ミストレスは
「 はい 」
と答えると、
「 そうですか ・・・ いい音ですか ・・・ そうですか ・・・ 」
と、 何だか残念そうな顔をしていたので、 ミストレスは
「 よくないって言ってあげたほうが よかったんだろうか ・・・? 」
と、 かなり真剣に悩んでしまいました。 時計を見ると午後4時を回っていました。 ミストレスは立ち上がって、
「 そろそろ行かないといけません。 また来ます。 必ず来ます。 ありがとうございました。」
とおじいちゃんに丁重にお礼を言って、 「 ブルーライツ 」 を あとにしたのでした。 ・・・・
http://blog.goo.ne.jp/otoshimono2006/e/527717434c96998994441e4eb8c1c8d8
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ブルーライツが出来るまで 奥村繁太郎 無線と実験1981年10月号
私の音楽との出会いは、はっきりと何時頃かわかりません。
ラジオもないおよそ音楽的な環境にない家に育った私にとって、兄や姉が時々口ずさむ流行歌ぐらいなものでしたから、何時だったかわかりません。
何処だったかも分からないのですが、友達を待っていた時、突然あるメロディーが流れてきたのです。ピアノの音でした。
もちろん、何という曲かわかりません。
唯それは、レッスンらしく同じメロディーが何回も繰返されましたから、少年の脳裏にはハッキリ刻み込まれました。
「もう一度同じ曲が聴きたい」という願いは、それから長い間持ち続けていました。
数年後兄に連れられて映画を見に行った時、間諜<スパイのこと>女であったため相手国の男性スパイに愛情を抱き、知らず知らずのうちに味方の機密を洩らし、そのため死刑になるという悲しいストリーでした。
死刑執行の前「何か一つ願いはないか」と云う言葉に「ピアノを弾かせて欲しい」と唯一言。
運ばれて来たピアノに向かい彼女の奏でた曲が何と私の長い間想いつづけていたその曲だったのです。
「ダニューブ川のさざ波」今思えば、ホピュラーなそんな曲が私にとって神秘的な、えもいわれぬものだったのです。
それからというものは、好きな音楽を何時でも思ったときに聴く事が出来たらどんなに良いだろう、と思いましたが、手巻き蓄音器はおろか、ラジオもない家庭でしたから、今思いだしてみて私のHiFi追求リスニングルームの夢が、40年も昔に始まっていたのです。
戦後2〜3年ようやく、ラジオが出廻って来ました。ペラペラの薄い箱に入った57-56-12A-12Fの並4でしたが、安い私の月給で買えなかった程です。 それでも、「自分の家でラジオが聞ける」この喜びは、50畳近い念願のリスニング・ルームが完成した時にも、味わうことの出来ない程大きいものでした。 ケースの内に手を入れ、コーン紙に手を触れると、「ビリビリ」と伝わってくる振動の快感を、今でもありありと、思い出すことが出来ます。
それからは、お決まり通り58-57-42-80バリコンも二連の高一、遠距離の放送が雑音も少なく、今でいうSN比の向上した電波を毎日停電を気にしながら聴いたものです。「12Fは半波整流。80は、両波整流管から音が良い」と今も昔もオーディオマニアは、論議していました。その内、ラジオによる受動的な面の楽しみではあきたらず、積極的なレコードによる音が聴きたくなりました。
私の囲りを見渡しても、その日その日の食に欠く有様。レコードなど無関心な者ばかり。その時、友人の一人が自分の村の素封家、帝大出の戦死された息子さんが蓄音機を持って居られたがという話があり、早速疎開先の山間の村へ出掛けて行きました。
大きな門構えの屋敷の長男の部屋へ通された時、うず高く積まれた豪華本を大型にした様なものでした。私のレコードという観念からは程遠い物で、ブックになっていて、一枚一枚古今の大作曲家の曲を網羅したものです。ビクター、コロンビア等の金銀の英文字で記されたそれらは、私が今まで見た事もないものです。
先づ私の頭に浮かんだ事は、"こんな高価な物は第一内容もわからないし、現在私の所持している金額ではとうてい買う事の出来るものではないか"という閃きでした。その時50才ぐらいの上品な奥さんがじっと私の顔を見たまま、しばらくして、「似ている」と一言いわれました。戦死した長男に、私の感じが似ているというのです。息子の残した物を息子に似た人が使ってくだされば……といわれ、値もいくらでもよいとの事。私は当時持っていた金額を申し出ました。「それで結構です。そのかわり大切に使ってくださいネ」といわれ、大喜びで帰時につきました。
駅に近づくに従い、安く買え儲かったという喜びが、息子さんを亡くされた上、遺された形見であるレコードをと思うと、なにかだまし取った様な心苦しさを感じました。
それが文字通り音楽への入門でしたし、いい音楽に巡り会うことが出来たのです。
レコードは兎も角手に入りました。後はそれを鳴らすモーターとピックアップです。当時鳥羽の赤モーター、ビクターのコブラ型ピックアップで有名でしたが、高価でとても手に入りません。日本橋の五階百貨店。京都東寺の古物市を駆けずり回り、古い壊れた蓄電を手に入れ数日かかりキャビネットも作り変え、モーターも分解に近い程ミシン油をつけ、少し熱を持つが回る様になりました。速度調節用のレバーで、一応速度も調節出来、重いピックアップが少し気になりましたが、SPレコードから流れ出たベードーベンの運命は、レコードも最高級なのか、その後発売された質の悪い物より数段も良い音で鳴ってくれました。
ラジオもお決まりの通り、高一から五球スーパー真空管も2A3でなければ、いや45の方が良い、やはり米軍6L6が出力の点で問題にならないと色々な事が、しかし、実物は高嶺の花で手に入りません。当時真空管は、マツダという表示があり、それは一級品で、その偽物が出廻っていました。それらは熱い時触れると、白い文字が消え、ソケットとガラス部分が離れすぐ切れたりしました。
部品集めも大阪日本橋であきたらず、勤務の終わった土曜の夜行で、東京神田の須田町から小川町の露天へ進駐軍の放出の球、旧陸軍の通信機等の出物、掘り出し物探しに一日中馳けづり廻り、また夜行で月曜日の朝大阪へ、家にも帰らずその儘職場に直行しました。
或る時など、50kgもある陸軍の通信機買い込んだ時の喜びはなく、立錐の余地も無い列車の洗面所の片隅で立ったまま、時々蓋を開け中を覗き込みました。耐圧333Vのオイルコンが20個近く、その頃とても手に入らないマイカコンデンサー、ホーロ−引きの物凄い立派な抵抗器、前面パネルについた電圧計や電流計、微動ダイアル、もう顔面から笑みが消えなかったのを横に居た女の人が、少し変なのではないかという顔をしたのを覚えています。
私は、オーディオの道に入った為に、苦しみもした。また味わうことの出来ない喜びも、何度も味わいました。
スピカーもハークのフィールド型、不二音響のダイナックスHD-10・12、名も知れない15吋と色々と変遷。日本橋のある主人に「これはNHKに納入する放送監視用に作られたスピーカーである」と、ダイヤトーンのP−100という10吋を見せられ、鹿皮のエッジが見るからに良い音がでそうです。何んといっても放送監視用と云う言葉が魅力です。
ムービングコイルの間隙が狭いのでうまく使いこなさないと歪み出るとの事、売約済というのを無理に今考えると法外な値で買いました。フルレンジの24cmですから、高い音も低い音も不足です。音も華やかに前にはでません。しかしそのまとまった音色は、マルチアンプの調節に手をやいた時など改めて聴きだしたくなります。
スピーカーの生命は、キャビネットで定まるといわれ、堅い木の一枚板で大きな密閉箱が最高といわれて、湊町の銘木問屋へ行き、高級旅館の床の間に使うという栃の木の一枚板を買いました。幸に主人もマグナボックスというスピーカーの付いた電蓄を持って居られた関係で、安い手間賃で90×90×45cmの密閉箱を作ってくれました。中に綿をつめ以後10数年の間鳴り続けてくれました。
25年頃いよいよ国産LPがコロムビアから出始め大枚3,600円でした。私は4.5畳の部屋に友人数人と、兎に角30分程の間、レコードを掛け替えしなくても済むのだからと、自分が設計したものを聴かすが如く得意でした。
不二音響製のLP.SPをアームの先端で差替えるのも、アーム先端の小さなレバーで簡単にSP.LPを転換して聴き分けられるニート。現今の高い水準のものと比べるべくもありませんでしたが、LPの出現を契機に音響熱は益々拍車がかかり、録音のよいLPはどうしても音量は大きくなります。
当然起きる問題として、音が大きく煩い、と隣家からの苦情、うなぎの寝床の様な奥行きは長くても間口の狭い京都の家並み、それからというものは、少しボリュームを上げた場合、隣家からまた苦情がくるのではと思った途端、もう音楽を聴く心境はなくなります。
大げさにいうと、音を聴く楽しさを私から取り去ったら、もう何も残りません。どうかして野中の一軒家へ行きたい。そこで思い切りボリュームを一杯上げ誰にも干渉されずに、ドボルザークの新世界を聴き、ロッシーニ、ハイドン、バッハに接したい。小さな音量で気を使いながらベートーベン、はもう音楽でも交響曲でもありません。日毎欲求不満は募るばかりで悶々とした日々が続きました。
その時、思いもかけない朗報がありました。勤続20年以上の者に、公社から住宅貸付資金として80万円融資の話でした。それだけの金があれば念願の野原の真中で音がと思うと、思わず飛び上がりました。
それからは、休日はもとより、出勤前、勤務が終わった後も一か月の間、唯大きな音を聴きたい一心で、大阪近郊を馳けずり廻りました。私の住宅探しは一般の常識を外れていました。交通の便も、買物に苦労する妻の立場も考えていません。電気と電波さえ来て、音を気兼ねなく出せる所でさえあればよかったのです。ありました。
それは国鉄片町線星田という駅から、2km京阪香里園から約3km横と前の竹藪で、200坪近い敷地に6畳一間と台所、それでも浴室の付いた木造がしのぶ笹の生い茂った中に、ポツーンと立っていました。「絶好」とただ一言。私は小一時間程そこに佇んでいました。それから一か月後一台のトラックに例の栃の木の大きなキャビネットと数台のアンプ類、それに付属したような貧弱な家財道具、妻と2人の子供と供に、桃の花が咲きうぐいすがしきりに鳴いている、文字通り桃源郷へ引越してきました。
しばらくの間は、気兼ねなく音は聴けるのですが、何しろ6畳一間子供も段々大きくなり、妻も食事の時だけでも音を小さくしてと小言。子供も勉強しなければならず、別に音を聴く専門の部屋を作らなければと、対外的な問題が対内的になりました。
表題道りリスニング・ルームを計画、計画はしたものの、安月給の1/3を住宅資金の返済で生活も内職でやっと、その上別の建築費がある訳ではありません。木造の今の家も、将来子供が成長し時のことを考えると、当然狭すぎます。方法は唯一つしかありません。「自分で建てる」所謂日曜大工です。
幸い友人に独力でブロック造の家を完成した人があり、素人でも建てる事が出来ると主に北海道の奥地で建設業者の居ない箇所で自分みづから、住宅やサイロを作るための指導書を教えてくれました。
第2室戸大風の被害に、屋根の南側を吹き飛ばされ建物は、鉄筋コンクリートの限ると、いよいよ意を固め毎晩時には1時2時までかかり、当時としては思い切った広さの15畳の洋間、もちろんリスニングルームです。窓も遮音性の良い、アルミサッシを使う設計をしました。その夏のボーナス全部でコンクリートブロックを買い込みました。4トントラックに満載されたブロックが到着した時、私の見たブロックは建築資材というより、音の出るスピーカーに思えました。20年後図らずも、同じコンクリートで奇しくもスピーカーを造るとは……。
世は正にステレオ時代を迎え、アンプも真空管からトランジスターへそして、4チャンネルの時代があったり、もうアンプも手作りの時代は終わりました。私も年齢的にもだんだん忙しくなり、アンプを組んだり、スピーカーいじったりする閑もなく、それでも時々思い出したように、オーディオの匂いをかぎました。
15畳の洋間も、家具や調度を置くと、やはり理想の音場空間とはいえません。定年になって閑になったら、50畳のリスニングルームをつくり、思いっきりバロックや、パイプオルガンの低音を出すのだと、夢は広がるばかりでした。
そして定年が来ました。一般に定年というと暗い物ですが、私の場合、待ちに待ったものが来たという感じです。幸い家も手作りしましたので、退職金は全部つぎ込むことが出来ます。時間は有り余るほどあります。
オーディオから永らく離れていた空間を埋めるため、数年分の音響雑誌、リスニング・ルーム設計に関する専門書を読みまくりました。リクスニングルームの広さも思い切って50畳とし、天井も高い処は3.5mの波形とした概略の外郭設計をしました。
後はスピーカーです。それからというものは、今まで名器といわれるものは片っ端から聴いて廻りました。大阪郊外にある喫茶リカのバトリシヤ800、バンビーのパラゴン、小倉屋のハーツフィールド、京都ヤマト屋の2m角もあるアルテック、近所の医師のタンノイオートグラフ、マランツ7と、9、8BでボサークB-410とヴァイターヴォックス、YLの視聴室は数回、同じホーン系統のローヤルオーディオ、その頃尾道の喫茶ラボが大型のコンクリートホーンで営業して居られる記事が「無線と実験」に載っていました。早速妻と二人で、尾道のラボに行きました。
広いスペースの正面に、巨大なコンクリートホーンが並んでいました。そして、出てくる音のスケールの大きさにまず驚きました。豊かな音量、いくらボリュームを上げてもまったく歪みを感じさせません。少し音大きくすると、食事の時ぐらい音を小さくしてくれという妻でさえ、四時間程次から次へとかかる、今まで聴き馴れない強烈なジャズの音にも拘らず、少しも疲れないといいました。私ははっきり、スピーカーをコンクリートホーンにする事に決めました。
飯田氏のホーンスピーカーの設計マニュアルの記事で、ホーン製作の知識を得ました。実際に作られた島田公明さんの神奈川の自宅訪問、ホーン製作に伴う建築の知識を教わりました。またパイオニア、所沢工場の前川氏から、30Hzカットオフの詳しい設計寸法の資料を送って戴き、それによると低音ホーンの開口部の一辺の長さが、実に319cmの巨大な物となる事になり、実に当惑しました。そんな大きなコンクリートホーン工事、それに伴う鉄筋の配筋方法、素人にはとても出来そうに思われません。カットオフを40Hzにしたらと迷いに迷いましたが、中高音と違い後で変更できません。「エイッ」。どうで一回しかない人生出来るか出来ないか、兎も角やってみなければ分かりませんと、決心当初の計画通り30Hzに決めました。
折からコンクリートホーンの大先輩、田丸氏から訪問許可の日時日時のご返事を戴き上京、2.3M開口の話をしました処、野外設置する場合であればいいが、屋内では天井や壁が変形の接続した一種のイメージホーンとなり、駄目であることを教えて戴き、また設計変更、ただ島田氏や田丸氏が低音を天井の一部作られたのに対し、ラボと同じ前面開口のストレートホーンとする事にしました。
低音に515Bを2発にするか、4発にするかも色々迷いました。ホーンの長さを極力短く、中低音とのつながり考慮して4本にしました。中低音は、音研の100TSが欲しかったのですが、製造中止で諦めJBLの2440が300Hzから使えるという山水さんの意見に従い、後から一応変更は出来ますが、問題は巨大な低音のコンクリートホーンの作り方です。
中低音のコンクリートホーンの型枠を二個作れば造れば良かったのですが、外す時に壊れてしまい、同じ寸法の枠は出来ず、石膏を流し込んで型を取り、再びコンクリートを流し込みました。作ったホーンも数百kgあるので、近所の若い人四人の応援で運びました。2個目は現場でコンクリートを流し込みました.
ホーンの設計寸法は、カットオフによって一定の寸法を進む毎に面積が2倍になって行き、そのため曲線を計算するのに、息子は何年も前に忘れた対数logといった記号に頭を悩ます毎日、方眼紙に縦や横の線に交わる曲線を描き、私は基礎工事のコンクリートを練ったり、鉄筋を曲げたりの毎日です。
リスニングルームも当初平屋ででしたが、何しろ幅6.7m、長さ13mの中に、支柱が一本も無い為、重量鉄骨で組んだ屋根を載せないと、振動しない天井が出来ない事が解り、思い切って平屋を欧風の三角屋根に設計変更、重量鉄骨を受ける対力壁の構造変更、壁が出来三角の鉄鋼屋根が無事完成、屋根を葺き外装が完成するまで2度目の冬が来ました.
問題はこれからの内装工事です。吸音材の穴開きボードにしても周波数によって吸音のピークが在り、穴のピッチも多いに関係します。ようやく穴とピッチが決まり、それを開穴してくれる業者に一苦労、吸音材は別として、コンクリートの乾燥は数年かかるといわれ、特にスピーカーは早くしなければなりません。枠型の板にしても、設計通りの曲線を出すには、薄い程良いが弱く厚い物では曲線が出せず、結局コンパネを使い鉋で曲線に削り、接続部はガムテープを張りました。
低音のコンクリートホーン作りは、正月の寒い日でした。砂も砂利も先日きれいに洗ったものを使いました。コンクリート打ちは、建築の方で慣れては入ましたが、 やはり途中一箇所膨張して修正に手間取りましたが完成。それから内装している間に、コンクリートも乾くだろう。
低音用のアルテック515BはR、L共4個ずつ計八個は、輸入元のエレクトリーで、特にf0q0の揃ったものを選で戴き、各個別々にデーターを添えて戴きました。低音ホーンが完全乾燥し、スピーカーとして使用するには最低一年かかります。その間、低音に使う515Bは、15畳の現在の洋間に90×135×45cmの箱を造りエージング。2440も一時、カットオフ250Hzの金属ホーンで、2420はJBL所定の2345ホーンで何れももエージング、ひたすら。新リスニング・ルームが完成するまで、鳴り続けました。
それから、2年の月日が流れました。朝は時には4時・5時から、夕食も21時・22時になる事も度々、その間、美術の大学を出た息子は絵筆の代わりにシャベルを持ち、雨が降って仕事が出来ない日は、レコード集めに奔走しました。定年までの勤務には公休がありましたが、今は公休どころか毎日が超過勤務であり、時々過労でダウン!!に止むなくそれが休日。
私のように素人がリスニング・ルームを手作りした場合、コンクリートの練り方一つ、中に入れる鉄筋という材質が構造的に引張りのみに強く、ホーンのような曲線の場合、曲げて入れた鉄筋何の役ににも立たないと半生可知識を得ると、まったく手も足も出なくなり途方に暮れました。
低音ホーンの上に中低音ホーンを移動させるのに、1トン半のチェンブックで、前後左右、音出しの定位を決めるのに思わぬ危険な作業でした。
こんなに苦労し、最後に出て来た音が、もしとんでもない音だったらと思うと、完成に近づけば近づく程恐怖は募るばかりです。でも、その費やした努力の量や、時間と出てくる音質とは決して比例するとは限りません。高い天井を仕上げるとき、不安定な足場に乗って上を向いたママの姿勢の作業が続き、首が廻らなくなったり吸音材のグラスウール作業の後、半月近く全身グラスの微粉末が刺り、チクチクして弱りました。
スピーカーコードも色々な迷信に振り廻されましたが、結局太い直流抵抗の少い線にしました。そして計画して丁度3年目、始めての音をだしました。音を出す前、始めから良い音が出る訳はない。少なくともマルチは調節に半年はかかるものだと、何度も自分にいい効かせて居ました。調整不能なとんでもない音が出たとしたら、それはもう私にとって一種の悲劇ですから。
プレイヤーのガラードは、回転しSME3012アームのSPUGのカートリッジを静かに降ろしました。それまで何度も聴き込んでいるキャノンボール・アダレイのサムシン・エルスです。
一瞬息を止めて、ボリュームをあげると、ピアノのリズムから入り、アルト、少し遅れてマイルスのペットが軽く出て、ブレーキのドラムが一瞬張り出したらと思ったら、マイルスのミュート・ホーンによるソロがシャンソン枯葉の主旋律を奏でる。キャノンボールが同じ旋律を繰返す。
前のリスニング・ルームの箱から出た音と比較にならないスケールの大きい音が、畳の空間一杯に広がりました。
マイルスのミュートホーンによるソロが、こんなに圧巻的に、キャノンボールのアルトが実にのびやかにスケールが大きく聞こえ、ブレーキ―の他のセッションに比べると控え目なドラミングさえ、実に生きいきと弾んで聞こえました。まだ壁も天井も未完成です。毎日音を出しながら、100枚以上のシナベニヤ板に音響的に良いといわれてるワトコオイル塗装、超低音にもビクともしない床板工事の傍ら、音出し調節の毎日でした。
中低音の分担は800Hzまでなので、指向性もあまり問題ないと、設置場所の強度的な問題で低音ホーンの両端上部いありましたが、中音の位置と2m近く離れているため、特にピアノの音が移動して聞こえます。やはり中高高音と同軸に設置変更、結果定位は改善、中高音とのつながりがスムースになりました。しかし、全般的にボリュームを下げると、急激に音が引っ込んでしまいます。
中高音は、壁がグラスウール丸出しで、吸音反射の壁材が貼っていないので当然、壁が完成すると思った通り音はボリュームに余り関係なく前へ張り出してきました。続いて天井が完成。気が付いたら庭の桜は満開の花盛り、四回目の春でした。
その頃から何故で聞いて来られるのか毎日数人の人が、コンクリートホーンはどんなものでどんな音がするのかと聴きに来られ、一度来られたら二度、三度と来られる方が増え、それらの方が申し合わせた様に、こんな装置を一人で聴かれるのは勿体ない、音楽喫茶にしてもらえれば、私達も気を使わずに来られるし、という声が多く、私も次第にその気になってゆきました。
しかし、一人で聴く場合は、特定の場所に定位を決めれば良いのですが、営業となると、どの位置でも平的した音場としなければならず、中高音の位置も、前の席に遮られない様に少し高くやや下向けにと色々問題がでてきました。
音出しも最後の調整に入り、どうしても低域が質は良いのですが、押出しのエネルギーがもう少しあればという感じで、もちろん箱で鳴らして居たときは、良い意味での箱鳴り、共振があり、特にそれを設計的に意図されたエンクロージャーは豊かな低域が強調されますが、共振0のコンクリートホンでは、それがまったくありません。
ウ―ファーは、約2000gの容積です。これが狭い場合は論外ですが、大き過ぎるとバックロードがかかりません。思い切って、ウ―ファー室に一杯グラウ―スを詰め込みました。やはり、その効果はてきめん。低域のエネルギーは豊かに、中高域まで改善されました。世界中の銘器を所持されてるという方が来られ、やはり低域が不足であるとのこと。こんな大きな図体なのだからとのご意見。中音を下げ、低音のボリュームを上げ、ご持参のダイレクトカッテングの録音本位のレコードを掛けられ、これで良いとのこと。低音のエネルギーが物すごくなりました。と大満足して帰って行かれました。
後で息子と2人でその調節されたままのボリュームで、古き良き時代のジャズを聴きました。音楽は出て来ませんでした。
音楽とはバランスですから、その時代のプロデューサーや録音技師ミキサーは、皆ほんとに音楽を知っている人達ばかりで、演奏する曲の心を掴んだ上でのマイクセッティングに心を配りましたから、ミュージシャンも如何にソロを引立てるか。ベースとドラマ―もサイドとしての役割を極く自然に果たしています。
私は、この大切な遺産である音楽を、如何に忠実に再生するかの責任の大きさを感じるばかりです。それには私自身、もっと音楽を知った上での再生装置の改善と、良いレコードをもっともっと集めなければなりません。
私はパンフレットの終わりに、この様に書きました。"当コンクリートスピーカーシステムは、決してオーディオの終着点ではありません。少し大きめの車輛を造った段階です"。
http://www.kcat.zaq.ne.jp/aaamd908/journey.html#jo_1.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/418.html