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2013/1/21 日刊ゲンダイ :「日々担々」資料ブログ
◆「6年前の自分とは変わった」と自己宣伝している安倍再起首相の恍惚
50歳をとうに過ぎた人間が突然以前と変わることができるのかと巷のアキれた声
海外で多数の日本人が拘束される緊急事態が発生しながら、のんびりと外遊を続けていた安倍首相。アルジェリア軍が武装勢力に向かって攻撃を開始しても、なかなか帰国を決断しなかった。判断力の欠如は昔と同じだが、本人は一貫して「6年前の私とは違う」とアピールを続けている。
年明けに開かれた自動車工業会の新年会では、「ひと皮むけた首相として、柔軟に果敢に大胆に、さらには慎重にやっていきたい」と宣言。NHKの番組でも、幹事長時代、首相時代の参院選敗北を引き合いに出し、「9年前、6年前の私と違う。自公で過半数を取りたい」と言った。政権を投げ出したころの自分とは違う。政治家として成長した。そんなふうに強調しているのだ。
それで、一部のマスコミも「ニュー安倍」なんて持ち上げているが、さて、人間はそんなに簡単に変われるものなのか。夫人と手をつないで外遊に出掛ける姿に惑わされるが、安倍は現在、58歳。9月には59歳だ。赤いちゃんちゃんこを着る年齢も間近に迫っている。
そんな人間でも、突然、生まれ変わることは可能なのか。
◆前頭葉衰え頑固になり、失われる柔軟性
精神科医の和田秀樹氏が言う。
「一般にトシを取れば取るほど、脳の前頭葉が衰えて、柔軟性がなくなります。対応力や創造性に欠けるようになり、どんどん頑固になっていく。自らの考えを改め、新しいことに取り組もうという発想も衰えてしまいます。それを防ぐには、日ごろから訓練が必要。学者なら既成事実を疑ってかかろうとするし、経営者なら前例を踏襲しないことを習慣づける。そうやって意識的に前頭葉を活性化させているのです。政治家なら、違う意見の人とじっくりと話をしてみたり、新しい学説に耳を傾けてみたりすることが重要でしょう。果たして安倍首相は、そんなトレーニングをしたのでしょうか。首相を退陣して以降、左翼や護憲派とどれだけ議論を重ねたのでしょうか。変わるための努力やトレーニングを怠っていれば、むしろ以前より悪くなっている。そんな恐れは強いのです」
安倍と一緒にうまいこと復権してきた麻生副総理は、さらに絶望的だ。すでに72歳。ロクに勉強もせず、漫画ばかり読んでいるのだから、脳はスッカラカンだろう。
実際、この2人が手がける経済政策は、旧自民党政権時代と何も変わっていない。国債を大量に発行し、公共事業で税金をドブに捨てる手法を踏襲している。進歩はゼロだ。
◆再登板の正当化に使われる「変化」の言葉
市場は株高円安に沸いている。安倍の変化を認めているようにも見えるが、立正大教授の斎藤勇氏(心理学)は、「変わったのは安倍首相ではなく、世の中の受け止め方」と言う。
「6年前に比べると周囲の評価が全然違う。民主党政権があまりにひどすぎた反動で、国民は『どの党のだれが首相になっても、今よりはマシだろう』と思っていた。そんなタイミングで再登板。デタラメ民主党のおかげで、いい風が吹いているのです」
だから前出の和田秀樹氏は、「国民も老化している。日本人の平均年齢は45歳。自民党がダメだったから民主党に代えたのに、また自民党でいいと思うのは、柔軟性がなくなっている証拠」と警告する。
こうなると、絶望的だ。
選挙期間中に安倍は、お腹の持病について「特効薬ができた」とうれしそうに話していた。夜の会合も、温かいウーロン茶から赤ワインにチェンジ。総裁就任後の昨年10月に開かれた全国幹事長会議の打ち上げでは、「6年前と違うのは、私が酒を飲めることです」と上機嫌で乾杯していたという。体調は良くなっているのだろう。だが、変わったのはそれだけ。オツムではない。
「政治的な主張やスタンスは何も変わっていませんね。表現は変えていますよ。戦後レジームからの脱却は言わなくなったし、美しい国も封印している。その代わりに、憲法9条の見直しや集団的自衛権の行使容認を訴え、強い国とか強い日本とか言っている。中身は同じですよ。甲高い声でよくしゃべり、マスコミを気にするのも昔のままだし、何が何でも上に立ちたいという権力欲だって変わらない。前回は、だれが見ても途中で投げ出しています。そんな政治家が再登板なんて、普通だったらあり得ません。器じゃないことも証明済みです。それでも返り咲いた以上、正当化する材料が必要になる。それが『変化』という言葉。再チャレンジする自分を認めてもらうために、絶えず『変わった』と口にしているのです」(政治評論家・森田実氏)
「ニュー安倍」は単なるポーズ。成長したように取り繕っているだけだ。
◆「老賢人」にほど遠い凡庸な2人
明大講師の関修氏(心理学)が言う。
「60歳前後の老年期になっても、人は変われます。体力は落ちても、経験と知力で補えば成熟できる。そんな人をユングは『老賢人』と呼んでいます。退陣からの6年間で専門知識を身につけ、人間関係力を高めていれば、安倍首相も老賢人になれたかもしれません。ただ、再登板後の人事を見ると、周囲を固めているのは相変わらず仲のいい人たちばかり。残念ながら人間的な進歩は見られません。コンビを組む麻生副総理も精神構造は同じです。お殿様のように育てられ、世の中は思い通りになると錯覚している。選挙も苦労しないから、挫折を感じることもない。これでは成長も成熟もしません」
死ぬまで凡庸ということだ。前出の森田実氏も、「300万人の犠牲者を出した第2次大戦後に、責任の重さを痛感し、反省した政治家は少なからずいました。反省し謙虚になれば、政治家も変われる。でも、安倍首相は違います。相変わらず上から目線で、自らの至らなさを反省している様子は見られない」と指摘した。
男子三日会わざれば刮目(かつもく)して見よ、という。だがこの2人は6年ぶりに会っても、目をこすって迎える必要はなさそうだ。いずれ化けの皮がはがれ、かつてのように政権を放り出す。そんな姿が目に浮かぶようである。