株式日記と経済展望
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英語ネイティブの普通の市民たちには、外国人の下手な英語を卑下する習慣
はありませんし、癖のない教科書英語を使って何になるというのでしょうか?
2013年1月10日 木曜日
◆求む!日銀総裁 要体力と語学力(学者は応募不可) 1月9日 ウォールストリートジャーナル
http://realtime.wsj.com/japan/2013/01/09/%E6%B1%82%E3%82%80%EF%BC%81%E6%97%A5%E9%8A%80%E7%B7%8F%E8%A3%81%E3%80%80%E8%A6%81%E4%BD%93%E5%8A%9B%E3%81%A8%E8%AA%9E%E5%AD%A6%E5%8A%9B%EF%BC%88%E5%AD%A6%E8%80%85%E3%81%AF%E5%BF%9C%E5%8B%9F%E4%B8%8D/
人材募集:日本銀行総裁
- 英語が話せること
「世界の中央銀行総裁会議とかに出て、今の時代に一言も言葉が通じないのはいかがなものか。ある程度話ができることが必要」と麻生氏は語っている。
- 大規模な組織を統率できるだけの経営手腕があること
日本はデフレや巨額の公的債務などの難題に直面しており、次期総裁は日銀の5000人のスタッフを統率するのみならず、政治家や官僚らとも密接に協力する必要がある。この点から、麻生氏は「大きな組織なので、学者のように組織を動かしたことない人がやるのはどうか。危ない感じがする」と話している。(後略)
◆英語警察 1月10日 マイネ・ザッへ
http://meinesache.seesaa.net/
猪瀬都知事が英語でツイートして、それが拙くて恥ずかしいと一部で批判にさらされていました。
実際に猪瀬知事の英語ツイートを読んでみると、確かに典型的な翻訳調英語ではありますが、とんでもない誤解を受けるような内容ではないし、それどころかもともと英語のえの字も知らないはずの猪瀬氏にしては上達したなと感心しました。まあ、TOEIC750点くらいの部下に代筆させたものだとは思いますけれど。
それはともかく、下手な英語をこき下ろす風潮にはげんなりします。以前、首相時代の麻生氏がオバマ大統領との会見で英語を喋ったら、それが下手だとマスコミで叩かれ、みのもんたが「恥ずかしい!」と叫んでいたときも感じましたが、下手な英語を取り締まる「英語警察」は、日本人の英語オンチの最大の要因だと思います。
自分はまわりがアメリカ人やオージーばかりのときは英語を喋るのに何ら苦痛を感じず、そのうち英語で会話していることさえ忘れてしまうのですが、多少とも英語がわかる日本人がいるとそれだけで緊張します。そして案の定ネイティブたちが場を離れると、「oribeちゃん、英語あんまりうまくないね?」なんて耳打ちしてきます。会話の内容さえろくに理解できないようなレベルの人がです。
思うに日本人は、英語というものを高度な特殊技能扱いしすぎており、それが社会的な利害関係の中で確立してしまっています。英語で食べている英語の達人からすれば、英語というものが奥義であればあるほど自分の地位は安泰です。逆に英語ができない人からすれば、英語が難しいものであればあるほど、英語ができない自分を正当化してくれます。だから彼らは、中途半端なポジションにいる英語話者ーーそしてそれは日本の英語話者のほとんどに当てはまるのですがーーを叩くのです。
ではネイティブの人たちは、日本人の下手な英語をどう見ているのでしょうか?聞いていてイライラして、通訳を使ってくれたほうがありがたいと思うのでしょうか?ビジネスの契約をする場合などはそうかもしれません。しかしほとんどの場合はそうではありません。いくら拙い英語でも、直接会話したほうが、通訳を挟むよりも人と人は100倍つながるのです。
そもそも自分の経験からすれば、英語のネイティブというのは英語の許容範囲がとても広く、多少拙くても意に介しません。仕事の相談をしていて、「そういえば明日のA氏の都合はどうだったっけ?事務所に電話して確認してみてよ」などと何気なく要求してくるのはザラです。日本人の英語警察からすれば失格なレベルでも早々に合格証を与えて、そうなるともうネイティブと同じ扱いをして気にもとめません。
先日どこかの掲示板で、「ノン・ネイティブのやつらはなんで書き込みの最後に『下手な英語でごめんなさい』と謝るんだろう?」という話題で盛り上がっているのを見ましたが、「ネイティブよりきれいな英語なのに謝るのおかしいよな」とか「バカなアメリカ人がバイリンガルを妬むから謝るんだろ」とか書かれていました。その程度の認識なのです。
また、英語は世界言語であり、さまざまな国の人々が使うため、「英語は英語人のもの」という意識も薄いように感じます。アジア系アメリカ人の中には、「非論理的だから」という理由で意図的に名詞の複数形を使わない人がいたり、ロシア系アメリカ人の中には、これまたわざと冠詞(aとthe)を使わない人がいたりするのですが、そういう正しくない英語を、「一理あるな」とすんなり受け入れたりします。
というように、当のネイティブの人たちがおおらかなのに、日本人の英語警察は反則切符をちらつかせて、英語を使おうとする人たちを萎縮させます。インターネットで生の英語に触れる機会が多い現代、自らの心の中にいる英語警察を殺しさえすれば、ほとんどの日本人は日常生活に困らない程度の英語はすぐに使えるようになると思うのですが…。
最後に、普通の人はブロークンな英語を使えばいいが、猪瀬氏や麻生氏のような地位のある人がそれではマズい、と考える人もいると思います。しかしそれは違います。ツイッターやテレビカメラを前にしての会見は誰に向けられて、何の目的で行われるかといえば、それは英語ネイティブの普通の市民たちに向けて、彼らに親近感を抱いてもらうためにするのですから、下手な英語で何ら問題はありません。
英語ネイティブの普通の市民たちには、外国人の下手な英語を卑下する習慣はありませんし、それどころか、例えばオージーたちの前で妙にきれいなアメリカンイングリッシュを喋ったりすると気持ち悪がられたりするものです。心を通わせるのが目的なのに、通訳を挟んだのがミエミエの癖のない教科書英語を使って何になるというのでしょうか?それならば、「All your base are belong to us」の方がよほど効果があるというものです。まあ、都知事のツイートは英語以前に内容が凡庸すぎて、問題はそっちだと思うのですが。
(私のコメント)
次期日銀総裁人事が話題になっていますが、麻生財務大臣は英語が出来る事を条件としてあげています。「株式日記」では日本人の英語教育問題についても何度も書いてきましたが、日本人で英語が出来る事が必要な割合は10%程度であり、残りの90%の人にとっては英語は必要が無い。外資系の会社で外国人社長の会社でも本当に英語が必要な人材は3%程度だという事です。
問題なのは政治家や国際的な会社の社長や学者に英語が出来ない人がたくさんいることです。政治家でも国際会議で情報を収集するときに英語が出来ないのでは国家的な損失だろう。菅総理大臣がG7の会議でても菅総理だけが話の輪に加われない哀れな写真がありましたが、日本の知的エリートクラスが英語が話せないことが問題なのであり、一般庶民に英語教育を小学校から学ばせるのは無駄だろう。
語学は本当に必要にならなければ身につかないものであり、動機もなしに英語を幾ら学んでも直ぐに忘れてしまう。学生時代に米英に留学して英語がペラペラになって帰って来ても、5年10年経つときれいさっぱり忘れてしまう事が多いようです。それだけ英語を使う機会が無ければ一生懸命学んでも意味が無い。ところが政治家になったり大企業の社長になったりすれば国際会議に出る機会が多くなり、英語が分からなければ情報交換も出来ません。
通訳を使えばいいという人もいますが、それでは会話で心が通じない。テレビなどのニュースキャスターなども外人とのインタビューで英語は必須ですが、久米宏や古舘一郎は英語が出来なかった。大手新聞社のアメリカ特派員でも、あまり英語が出来ずにいる人も多いようですが、だから英字新聞で取材してそのまま記事として送ってくる。
マイネ・ザッへの記事でも、英語警察と皮肉っていますが、完璧な英語でないと恥さらしだから使うなというような批判をする人が多い。麻生大臣自身英米留学が長くて英語が出来るようですが、発音に癖があって、オバマ大統領が麻生首相の話が何を言っているのかわからないというニュースがありましたが、発音まで完璧に話せなければいけないんだろうか?
楽天やユニクロなどでは全社員に英語を社内公用語として使わせるようですが、一般社員にまで英語で仕事しろというのだろうか? 末端の店舗の販売員にまで英語の公用語を強要したらかえって仕事の能率が落ちるだろう。海外の店舗の支店長になるような人物なら英語や現地語などは必要になりますが、末端のユニクロの店員にまで英語を強要しても意味が無い。
問題なのは日本の知的エリートクラスの人が、英語が出来ない人が多いのが問題であり、安倍総理にしてもアメリカ留学の経験があっても通訳無しに話が出来るわけではないようだ。せっかく留学して英語はペラペラになって帰ってきても就職先では英語を使う部署に配属されるとは限らない。
最近ではインターネットの普及で英語のサイトを見ることがありますが、パソコンソフトでみんな翻訳してくれる。昔は英語の辞書をひきながら翻訳していましたが、今ではパソコンが全部やってくれる。メールやユーチューブのコメントなどもグーグル翻訳でみんなやってくれる。そうなると英語を必死で覚える事よりも、いかに内容で勝負するかが問題になる。
英語がネイティブ並みに話せても、内容が空っぽでは意味が無い。いずれ胸ポケットのスマートフォンが同時通訳してくれる時代が近いうちに来るだろう。「株式日記」にしても翻訳ソフトの高性能化でワンクリックで英語になる日が来るだろう。「株式日記」をフェイスブックで翻訳してみている人も多く、英語のコメントが多く見かけるようになりました。
もし英語のサイトで「株式日記」並みの内容のあるブログがあったら紹介して欲しいものですが、「株式日記」でもポール・クルーグマン教授のブログが面白いと感じて紹介していましたが、外国の一次情報を収集するには英語のサイトを見ることが欠かせません。問題はその一次情報が正しいかどうかは専門分野に詳しくなければならない。だから英語教育も必要ですが専門分野にも詳しくなければ意味が無い。