次元上昇で、おカネは不要に、時間は本来の姿に
アセンションが完成して次元が上昇すると、時間が存在しなくなるという。そして、おカネも存在しなくなるという。時はカネなりというけど、どちらも、今までの三次元世界を縛ってきた基本中の基本で、人類を奴隷化する二つの基本的な仕掛けだったんだね。それらが存在しなくなるまでのしばらくの間は、時間については、まずは暦の変更でグレゴリー暦から宇宙暦へ、おカネについては、ネサラなどの導入に合わせた新規通貨へと、世界が動いていくのかも知れない。暦については、ローマ法王が今の暦の変更に反対しないことを臭わしているとの話もある。おカネについては、ネサラなどの話が現実味を帯びてきている。ということで、人類が解放される新しい時代への動きがだんだんと見え始めたように思えて、2013年は本当に面白くなりそうだ。
宇宙暦については、13の月の暦という、マヤの暦をベースにした新しい暦への関心が高まっているらしい。入門書などを見てみると、グレゴリー暦によって、如何に人類が自然から切り離され、奴隷化されて来ているのか、などについて熱く語られている。そういえば、エンデの物語で、時間泥棒の話があったね。エンデも、おカネと時間で人類は縛られていると考えていたんだけど、グレゴリー暦についても、エンデは何か言っているのだろうか。
時間もおカネも、人を奴隷化するように巧妙に制度化されてきているのは、まちがいないと思う。それに気付き、何とかしたいと思う人が増えているのも確かだろう。そうした人々の意志が人類の集合意識としてエネルギーを高め、古い制度を破壊するに至る、などと想像すると楽しい。おカネの面では、世界の金融システムが自滅を始めているのは明らかなんだけど、勝手に自滅するというよりも、その自滅に、人類の集合意識からの圧力が大きな効果を及ぼしている、集合意識のパワー、恐るべし、なんていうことだったら、本当に愉快だよね。時間についても、人類の集合意識が高まって、まずは暦の変更へと圧力をかけ始めているのかも知れない、なんて想像を楽しみたいものだ。
おカネと時間は人間の意識を奴隷化する仕掛けとして、一つのコインの裏表みたいなものじゃないかと思う。確かに、片方だけを縛っても意味がない。だから、暦に仕掛けられた操作についも、十分に意識的でなければならない。おカネの制度を改革するには、暦の改革を無視できない、そんな気がする。
そして、それ以上に大切だと思うのは、時間というものの豊かさの再発見ということ。時間をたんなる秒針の動きに矮小化してしまっているけど、実は、今の文明の中ですっかり失われてきてしまった、すばらしく奥の深い、味わいのあるもだということが、暦を代えることで理解できるようになるらしい。だから、次元の上昇によって時間が無くなるというのは、秒針の動きとしての時間が無くなることを意味するので、本来のすばらしくゆたかな時間が、本来の姿で出現する、ということなのだと思う。その本来の姿を、宇宙暦を使い始めることで、今から少しずつ味わうことができれば、本当にすばらしい。本気になって、13の月の暦、というものを学んでみたくなる。
(http://hirakegoma.daarekasan.net より)
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