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2013/1/4 日刊ゲンダイ :「日々担々」資料ブログ
第2次大戦中の軍部協力から最近の小沢一郎叩きまでこの国の大新聞の歴史は常に権力の宣伝機関となって自社の経営を存続させることだけを目的としている
年が明けたが、相変わらず、大マスコミの安倍政権ヨイショ報道は目に余る。政権奪取に高揚している安倍・自民は暮れから補正予算、来年度予算の編成作業を急いでいるが、これも大メディアにかかると「正月返上!」みたいな話になる。
こんなメディアだから、もちろん、安倍政権への批判はご法度だ。選挙期間中は「3年かけて見直す」とか言っていた原発政策をいきなり、「再稼働」に舵切りしても、容認、歓迎ムードだし、安倍が日銀・白川総裁をドーカツしても批判なし。防衛省がオスプレイを導入すべく、研究予算をブン捕ろうとしても文句なし。で、安倍の「強い経済を取り戻す」「日米同盟を強化する」なんて年頭所感をタレ流すわけだ。
こりゃ、安倍政権は楽チンだ。ここまでメディアが応援してくれれば何でもできる。「新聞が面白くない理由」の著者でジャーナリストの岩瀬達哉氏も驚いていた。
「なんか、新聞社には安倍政権になって、安心感のようなものが漂っていますね。身内感覚みたいなものを感じます。その証拠に安倍首相がぶら下がり取材をやめても何も言わない。民主党政権ではあれだけ騒いだのがウソみたいです」
こうしたことから、彼らの正体が透ける。要するに、自民党の宣伝、PR機関なのである。
年末の組閣の際、朝日新聞は、「再始動 周到な布陣」「安倍首相、実務・理念両構え」「重鎮と側近を要所に」と見出しを打った。重鎮とは、漢字が読めずに前々回選挙で有権者から「ノー」を突きつけられた麻生財務相らのことである。噴飯モノとはこのことだ。
◆安倍内閣をヨイショする奇怪報道
他の新聞も同様で、ヨイショ競争みたいなところがある。官僚主導が完全に復活し、その象徴として、丹呉泰健元財務次官や谷内正太郎元外務次官が内閣官房参与に起用されても、批判するどころか、「実務型」と評価する。
野田聖子総務会長、高市早苗政調会長の人事が決まったときもぶったまげた。「党三役に女性2人」(毎日)、「自民三役 女性2氏」(読売)と1面デカデカ報道だ。
この人事の狙いについて、安倍は「(参院選に向けて)自民党が変わったことを示す」なんて胸を張った。つまり、さもしい参院選対策なのだが、もちろん、大メディアは批判しない。それどころか、自民三役に女性が起用されることを大ニュースに仕立てて、安倍の“斬新さ”をPRしてやるわけだ。
その根底には女性蔑視が透けて見える。女性有権者をナメているのがハッキリ分かる。自民党もどうしようもないし、メディアの鈍感さにも驚くのだが、癒着している彼らは分からない。国民感覚からかけ離れているのだ。
経済評論家の荻原博子氏は「女性を起用しないより起用した方がいいと思いますが、問題は彼女らにどれだけの仕事を任せるかです。それをきちんと検証しなければ、何の評価もできません」と切り捨てた。そうしたら、「女性2人は完全なお飾り。政策立案の権限は内閣に移り、党はないがしろにされている」(官邸関係者)というから、案の定だ。
安倍自民党のさもしさ、賎(いや)しさ、大マスコミの甘さ、いい加減さがよく分かる。国民はもう新聞なんか読まない方がいいんじゃないか。そんな昨今なのである。
◆戦前の責任はウヤムヤ、戦後は偽善者の大新聞
もっとも、大マスコミと権力者の癒着は今に始まったことではない。この国のメディアは昔からそうだ。戦前、戦中は軍の手先となり、大本営発表の大ウソをタレ流して、国民を悲劇のドン底に突き落とした。敗戦が決まると「一億総懺(ざん)悔(げ)」とか言って自分たちの責任をウヤムヤにした。報道機関として生き残ると、今度は一転、善人ヅラだ。民主主義を振りかざし、報道の自由とか、権力のチェックとか言いながら、その裏では権力者=自民党とベッタリ、癒着を続けてきたのである。
東京・築地にある朝日新聞東京本社の土地は国有地の払い下げで、1万4600平方メートルもある。他の新聞社も同様で、田中角栄は「新聞社への国有地の払い下げはすべてオレが面倒を見たようなものだ。一声掛けりゃどうにでもなる」と豪語した。だからなのか、田中が首相になると、大新聞はこぞって「今太閤」と持ち上げたものだ。
「それだけじゃありませんよ。朝日に限らず、どの大新聞社も系列のテレビ局ネットワークを持っている。こうした放送局は電波利権で国に世話になっている上に、放送局の本社ビルも国有地の払い下げが多いのです。その他に記者クラブの便宜供与や展覧会・イベント開催の便宜など、新聞社と政府の癒着を挙げていけばきりがない」(大新聞社幹部)
フランスのリベラシオン紙は93年、「(日本の新聞記者は)ジャーナリストと役所の広報課員との中間の位置にある」と酷評した。昔の話ではない。ニューヨーク・タイムズのマーティン・ファクラー東京支局長が記者クラブの問題をえぐり、「本当のことを伝えない日本の新聞」という本を書いたのは昨年夏だ。日本の大メディアはちっとも変わっちゃいないのだが、根はもっと深い。癒着しているだけでなく、メディアは権力の手先になる。それがこの国の歴史なのである。
◆権力と癒着しているのではなく一部なのだ
日本の大新聞は歴代自民党政権と癒着し、55年体制を容認し、それが崩れると、自公政権に肩入れした。創価学会・公明の政教一致問題には一切、切り込まず、公明党を情報源として利用した。
こういう連中だから、民主党による政権交代の直前、小沢一郎の疑惑を書き立て、政権交代を潰そうとした。それでも政権交代が実現すると、今度は鳩山由紀夫の足を引っ張り、小沢追放に血道を上げた。野田政権が誕生すると、バカな野田をおだてて消費増税を断行させ、ついには自爆解散に追い込み、民主党そのものをぶっ潰してしまった。
日本の大メディアがやってきたのは、徹底した改革潰し、政官業の癒着の維持、邪魔者排除だったわけである。政治評論家の森田実氏はこう言った。
「私は東京に本社がある新聞社は権力の一部だと思っています。新聞記者と官僚、政治家は同じ種類の人間で、彼らは協力し合って生きてきた。いや、協力どころか、悪政の先兵となり、率先して、世論を引っ張ってきたのが大マスコミです。これは戦前から変わらない体質なのに、今もマスコミはテクニックを弄して、自分は権力の手先じゃないフリをする。国民はいい加減に、その正体に気づかないといけません」
彼らが権力の走狗になる理由も明らかだ。
「大マスコミと自民党政権の間には長い癒着関係があって、お互いの恥部を握り合っている。だから、きわどい話はやらず、なあなあでやっていく。そうすれば、直接、間接に便宜がある。そう考えているのでしょう。貧すれば鈍するというが、新聞社は経営が苦しいものだから、ますます、権力にすがっている。再販制度や消費税の軽減税率などで、頼みたいことがたくさんあるのですよ」(岩瀬達哉氏=前出)
つまり、自社の存続目当てだ。こんなメディアが安倍政権に期待して、幻想を振りまき、煽(あお)っている。世界から見れば、「異様な右翼政権誕生」なのに、日本の国民だけが気づかない。浅ましいメディアの罪はあまりにも重い。