12. 2012年10月05日 00:06:49 : Xf01BK2Ow6
尖閣諸島問題 (ウィキペディア)
第二次世界大戦後は一時連合国(実質的にはアメリカ合衆国)の管理下に置かれた。
連合国の一員であった中華民国は、1945年10月25日に、台湾総督府が統治していた台湾と澎湖諸島を接収し、日本もサンフランシスコ平和条約で最終的に放棄した。
台湾は1945年以降に、中華民国台湾省となったが、尖閣諸島は含まれていなかった。
尖閣諸島を行政的に管轄していた八重山支庁が機能不全に陥り、八重山自治会による自治が行われていたが、11月26日告示の「米国海軍軍政府布告第1-A号」に基づき、アメリカ軍による軍政下に入り、その後琉球列島米国民政府および琉球政府が管轄する地域に編入された。
またアメリカ空軍が設定していた防空識別圏も尖閣諸島上空に設定されていた。
この時期の中華人民共和国および中華民国で編纂された地図では尖閣諸島を日本領として明記している。
日本は1952年に台湾に逃れた蒋介石中国国民党政権との間で、その支配下にある台湾を適用範囲とする日華平和条約(1972年失効)を締結しており、2条で台湾における日本の領土権の放棄を規定しているが、ここにおいて「日本国は、1951年9月8日にアメリカ合衆国のサンフランシスコ市で署名された日本国との平和条約第二条に基き、台湾及び澎湖諸島、並びに新南群島及び西沙群島に対するすべての権利、権限及び請求権を放棄したことが承認される」としているものの、尖閣諸島は台湾に属するとは解釈されていなかった。
また、1953年1月8日付けの中国共産党中央委員会の機関紙、人民日報は「琉球群島人民による反米闘争」と題する記事で、琉球群島(当時の米軍占領地域)の範囲を記事冒頭で、「琉球群島は中国の台湾東北と日本の九州島西南の海上に位置する。
そこには尖閣諸島、先島諸島、大東諸島、沖縄諸島、トカラ諸島、大隈諸島など7つの島嶼からなっている(後略)」と紹介しており、琉球群島に尖閣諸島が含まれていると紹介している。
http://www.asyura2.com/12/senkyo136/msg/689.html#c12