21. ろうし力学 2012年9月30日 10:03:35 : riuSNxeQ9qjU6 : pfQoriJoNA
宮島鹿おやじ様
ご返答に感謝致します。ありがとうございます。
>。ヨ演繹的無謬論」であり、いわば体制化し既得権化した学問の分泌する汚穢だと考えます。
思わずオエッとなるほどに、的確なるご指摘であります。
非常にキリスト教の歴史に明るいおやじ様なので、当方の浅はかな痴識(笑)で語るのも勇気がいるものです。
それで、キリスト教の成立自体が、イエス没後約100年ほど後でありましたよね。
イエスキリスト自身は、キリスト教とは何にも関係がない、という事実かと思っています。確かに口伝があり、後に明文化されて1900年間の継承(?)があったのかと思いますが、その本質の歪みは、筆舌に尽くし難いものがあるように思います。
小学生時分に聖書を毎週読んでおりましたが、まあ特定の部分ばかりでした。
問題は、その後権力が、宗教をどのように活用していったのか、当然そこには信仰など関わりがないわけで、おやじ様のご指摘どおりであります。
当方は、宗教嫌いの神様好きな人間で、不可視の世界と可視世界のリンクを幼少より意識して年齢を重ねてきたのですが、基本にあるのは実は人体における法則性なのです。
安芸ガラス様が以前、一言おっしゃっていましたが、健康に対する慧眼に、当方は恐れをなして(笑)、特別それは語らない態度をとっていますが、一言、人体は超越物質であって、宇宙法則の集大成、法則の転写が人体だと理解するに至った(浅い理解)のですね。
その要諦は、人体の中心は仙骨にあるということ(当然自分で分かったのではなく、師にご教示頂いて、自ら体験して知った)、仙骨ー蝶形骨の裏と表の仕組みが、大宇宙の運行の法則性の顕現であると、そこから全ての人生の理解が起きてくる、そいうことが根底にあるんです。
物心両面の「復権」が必要な時代であり、モノ=精神という知識が、なんの問題なく人類に理解されるときには、現状の闇の想念体が支配する、狂った現状に維新が起きる、その主人公は、一人ひとりの凡人の、世界認識の「反転」にある、そう考える分けです。
ですから、その手がかりは、科学的な物理理解、つまり量子力学を台にして考察すること、それは唯物還元論に傾いている人類に世界認識に対する維新も、唯物論に何も接点がないのでは、思考を変化する要素がありませんし、そもそも物質的な知識は、その行き着いたところで精神的な知識と完全なリンクを起こす(これは既に安芸ガラス様、宮島鹿おやじ様ご了解済みなことですが)わけですから、それが話しの台なのですね。(だから知識が浅いのです)
しかし、宗教は既に、精神的知識さえも見失って久しいわけです。
一人ひとりに必要なのは信仰なのであって、宗教(団体)では無いわけです。
もっと言えば信仰が必要なのではなく、存在の根底にある法則性ですから、如何にしてう世界は存在するに至ったか、人間とは宇宙に置いてどのような意味を持たされて存在しているのか、という理解ですね。
その法則性が、自明となった人類は、自ら「自滅的」な振る舞いは放棄する以外の選択しか見いだせないというのは、当然の帰結ですから、それだけ、物質的知(量子論的な)は、現代の閉塞した精神状況をすっかりひっくり返す「力」を有していると考えています。
まだ物質は眠ったまま、目覚めていない。
覚醒していないのは、物しか無いと思い込んでしまっている我々自身(の世界認識)です。
http://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/207.html#c21