09. 2012年6月24日 22:28:17 : qYeH3DDbBQ
計器の検査も出来ていないのに再稼働を決めてしまったらしい。
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/134.html#c9
2012−162でリンクしたジョセフ・ファレル博士のインタヴューだが、簡単にまとめたものがあった:
http://www.henrymakow.com/a_brief_review_of_farrells_bab.html
ポイントをまとめると、ロスチャイルドは二ムロッドをその始祖と自負しているらしい。
二ムロッド:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%A0%E3%83%AD%E3%83%89
「一方、ミドラーシュではよりネガティブな人物として想定されている。それは彼の名前が即、神に対する反逆を表明しているからである。つまり「ニムロド」とはヘブライ語で「我々は反逆する」を意味している。狩人としての彼の行為もまた、凶暴かつ残虐的に描写されている。なかんずくバベルの塔の建造においてはその企画発案者と見なされており、ミドラーシュには、バベルでの偶像崇拝を拒絶した青年時代のアブラハムを炉に投げ入れるよう命じる場面が詳述されている。この逸話は一神教徒アブラハムと偶像崇拝者ニムロドとの間に起きた神学的な闘争として、アブラハムの信仰心について語る際によく引用されている。
僕(しもべ)たちはアブラハムを捕らえるとニムロドに引き渡した。ニムロドはアブラハムに命じた。「火を崇拝せよ!」。するとアブラハムは答えた。「わたしは水を崇拝します。火は水に消されるではありませんか。」ニムロドはまた命じた。「ならば水を崇拝せよ!」アブラハムは答えた。「わたしは雲を崇拝します。水は雲によって運ばれるではないですか。」ニムロドは命じた。「雲を崇拝せよ!」アブラハムは答えた。「では、わたしは風を崇拝します。雲は風によって散らされるではありませんか」。ニムロドはなおも命じた。「風を崇拝せよ!」アブラムは答えた。「ならば人間を崇拝します。人間ならば風に耐えられましょう。」するとニムロドは言った。「おまえは同じ言葉を繰り返してばかりだ。見よ、炎を崇拝するこのわたしが、おまえを炎の中に投げ入れてくれるわ。おまえが神を崇拝しているのならば、神がおまえを炎の中から救い出してくれよう。」ところで、その場にはアブラハムの弟ハランも同席していた。彼は思った。「わたしはどうすればいいのか? もしアブラハムが勝利したならば、『わたしはアブラハムの僕です』と言おう。もしニムロドが勝利したならば、『わたしはニムロドの僕です』と言おう。」アブラハムは燃えさかる炉の中に投げ入れられたが無事に救出された。するとニムロドはハランに聞いた。「おまえは誰の僕か?」ハランは答えた。「わたしはアブラハムの僕です。」ニムロドの僕たちはすぐさまハランを捕らえると炎の中に投げ入れた。彼が炎から出てきたときには腸までもが焼け焦げていた。彼は同席していた父テラの目の前で死んだ。それゆえ、『創世記』(11章28節)には「ハランは父テラの前で死んだ」と書かれているのである[1]。
― 『ベレシート・ラッバー』 パラシャー38.13
推定される歴史上の人物
古来より、伝説上ニネヴェを建設したとされるニムス王とニムロドを同一視する説があるのだが、最新の研究では、アッカドの狩猟農耕の神と讃えられたトゥクルティ・ニヌルタ、あるいは『シュメール王名表』にウルクの初代王として記録されているエンメルカルなどがニムロドと見立てられている。」
ローマ帝国がメソポタミアに進行し、カルデア人を奴隷とした。ローマの法律では、主人が死ぬと、奴隷は解放された。解放されたカルデア人は金貸しとなった。ルネッサンス期のベニス、大航海時代のオランダ、大英海洋帝国時代のロンドン(ザ・シティー)そして、ウオール街へと、「金貸し」は拠点を転々とする。
ここで、バビロン・システムのトリックだが、
「通貨」は政府が必要に応じて発行すれば、「借金」は発生しない。
だが、個人企業(ロスチャイルドの)である「中央銀行」が発行し、政府が金利付きの「ローン」として借りれば「借金」が発生する。そして「借金」は税金をいくら上げようとも永遠に膨れ上がる。
これがバビロンの借金経済複合体(奴隷制度)システムの仕組みだ。
だが、世界経済を観てみれば解るように、バビロン(アングロ・アメリカン=偽ユダヤ)はもうすぐ滅びる。
色々問題があるのは確かだが、未来は明るい。
http://www.asyura2.com/11/bd60/msg/763.html
02. 2012年6月24日 22:31:04 : t9o4hMEACU
彼いいね
もっとやってくれ
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/129.html#c2
105. 2012年6月24日 22:31:21 : iJQPgdxUcw
次週は10万デモに!
http://www.asyura2.com/12/genpatu24/msg/912.html#c105
「秋場龍一のねごと」ブログ
http://akiba1.blogspot.jp/2012/06/blog-post_24.html
宇多田ヒカル「メルトダウンよりは大停電の方がまだいい」
かつてアメリカの電力自由化によってカリフォルニアで大停電になったという声に、宇多田ヒカルが「うん、でも大停電かメルトダウンかだったら私は大停電の方がまだいいや」とこたえた。
うん、まったくそのとおりだよね。宇多田はコトの本質をちゃんと理解している。
停電というのは電気というエネルギーが一時的に使えないだけのはなしで、メルトダウンというのは猛毒の放射性物質を数十年、数百年、いや数万年、環境に撒き散らすことだ。
停電はとりかえしがつき、メルトダウンはとりかえしがつかない。そもそも停電と原発のメルトダウンを比較することじたいが愚かである。
野田政権のボンクラ閣僚やファシスト橋下が、病院で手術しているときに停電になれば死者が出るなんて脅かしているけど、病院には停電をバックアップする非常用電源が設置してある。
まあ、だいたいから、日本で原発を動かさなくても、今夏電気が不足するなんてことはまずありえない。もし、不足して停電になるのなら、電力需要のピーク時の2、3時間テレビを観なければいいだけのことだ。
テレビを観れないか、メルトダウンだったら、テレビを観入れない方がぜんぜんいいもんね。
(J-CASTニュース 6月24日(日)17時42分配信)
http://akiba1.blogspot.jp/2012/06/blog-post_24.html
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/137.html
171. 2012年6月24日 22:32:49 : IKHO6Hfylw
お前らアホちゃうんか?
ウソばっかなネタに踊らされやがって
俺は三重県の漁師じゃ
なんも知らんやつがわめくなや
俺らがどないしてがんばっとるとおもっとんじゃ!
http://www.asyura2.com/11/genpatu12/msg/637.html#c171
30. 2012年6月24日 22:33:07 : F2uBriXfJw
で、Xデーはどうした?全部過ぎたんだが?
6月6.7.14.17.19日… こんなにある!日本経済ご臨終のXデー
http://gendai.net/articles/view/syakai/136876
http://www.asyura2.com/12/hasan76/msg/610.html#c30
05. 2012年6月24日 22:35:13 : EppdwTIO9Y
自民が小沢の提出する不信任案に同調するようで消費増税法案は廃案の可能性が高い。
と同時に当選に自信が持てない自民候補の3分の1くらいを切り崩せるのではないか。
http://www.asyura2.com/12/cult9/msg/662.html#c5
01. 2012年6月24日 22:35:36 : VnloMiCtAk
大飯はこの夏、突発的なトラブルで突然止まると予測します。
02. 2012年6月24日 22:41:11 : 7H3tip4e0Y
プルサーマル計画と地熱発電と東電OL殺害事件 その4 犯人がおでんに込めた意味
http://hatajinan.blog61.fc2.com/blog-entry-435.html
ここにも良い考察がある。
http://www.asyura2.com/11/nihon30/msg/410.html#c2
(今年、59歳になるのに元気な阿川佐和子)
ビートたけし
今、「老醜」という言葉が似合う男は、この人以外にいるだろうか。
億単位のギャラで、政治番組をまかされるのはいいとしても、
貧乏人や弱者のことはなにも考えず、
なにかと、政府や自民党を支援するこの御仁は醜すぎないか。
自分が金持ちのせいか、弱者の視点からものを言うことはまずないし、
昔のような面白いことはもう言えず、的外れな発言ばかりが目立つ。
阿川佐和子
隠れ右翼であることはいいとしても、
この人も弱者の視点からものを語ることはまずない。
この人に「心」というものはあるのだろうか。
女らしい「やさしさ」というものが微塵も感じられない
どうでもいいが(よくないか)、この阿川とたけしの二人で、
いつも、さりげなくポロポロポロポロ小沢批判をするのは、
そろそろいい加減に止めてもらいたい。
大竹まこと
番組をうまく調整するのがこの人の役割らしいが、
そういった自分はニュートラルの位置にいるみたいな顔をするのは
やめてくれ。
あんたも所詮は、体制側の人間なんだから。
あと、視聴者に与える威圧感はどうにかならないのか。
この人がテレビに出てると不快でしょうがない。
なんと表現したらいいかわからないが、
なにか、日本刀でばっさり斬りたくなってくる
この3人。
言いたいことはたくさんあるが、
一人でいいから、この3人の中で不幸になる者はいないのか。
「悪人、不幸にならず」とはよくいったものだ。
そして、この3人もそうだけど、
問題なのは、この番組に出るゲストの政治家や学者や評論家たちだ。
ようするに、番組のプロデューサーやディレクターが相当な悪党なわけだが・・・。
とにかく、この毒すぎる番組が延々に続くと思うと、やるせない気持ちでしょうがない・・・。
09. 2012年6月24日 22:43:27 : q3a59GpkZM
環境副大臣が洋上風力発電視察
今月9日に五島沖に設置された国内では初めての洋上風力発電の実験施設を環境省の横光克彦副大臣が視察しました。
この風力発電施設は風車を支える長さ60mの支柱が空洞になっていて海の中に入る部分に海水をおもりとして一定量入れることで起き上がりこぼしのように海に浮かぶ原理を応用した国内で初めての施設です。
横光環境副大臣は福江港からチャーター船で椛島の南およそ2キロの海に浮かぶ発電所を視察しました。
風力発電施設は波や風を受けても流されないよう水深およそ100mの海底にチェーンで固定されており横光副大臣は海に浮かぶ風車の概要や発電の仕組みなどについて工事担当者から説明を受けていました。
視察を終えた横光副大臣は「非常に効率的な発電方法で今後発展する分野だと感じました」と話していました。
この洋上風力発電施設では来月下旬から直径22メートルの風車が回転し発電をはじめる予定で1年かけて環境への影響や安全性などをチェックします。
そして来年度には2000キロワットを発電できる大型の風車を設置して本格的な実証実験を行う予定で環境省では4年後の平成28年度以降の実用化につなげたいとしています。
06月23日 19時23分
http://www3.nhk.or.jp/nagasaki/lnews/5033003631.html
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/108.html#c9
67. 2012年6月24日 22:43:51 : F2uBriXfJw
下衆んとこに藤島誘ってやりなよ。
まぁ下衆のやってる○○○の力は閉じた世界だから行きたがらないだろうけどさ。
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/696.html#c67
04. 2012年6月24日 22:46:07 : TZvzCKkiiE
再処理施設にプルサーマル施設、
まだまだ諦めないつもりか?
大飯原発の再稼働を許せばこれらの施設の建設や維持の口実にも利用されてしまう。
これ以上の無駄な税金を注ぎ込ませてはならない。
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/127.html#c4
05. 2012年6月24日 22:48:59 : zcAA8NvlHM
手続き的には真っ当とはいい難いかもしれないが、平和利用云々は、全く必要のない文言で削除されるべきもの。反日な周辺諸国が軍事力を増大させてきているのに、自分に手枷や足枷をつけているのは、只のアホ。
http://www.asyura2.com/12/warb9/msg/477.html#c5
02. 法務博士に愛を 2012年6月24日 22:50:14 : pq/XpR5fxBdSQ : 8rNCXQYiW2
バンキシャ〜、今や茶の間の笑い者。めざせお笑いナンバーワン(但し冷笑)
http://www.asyura2.com/12/hihyo13/msg/183.html#c2
(写真は『霊界物語』 山河草木69巻 巻頭の口述者近影)
■私は出口王仁三郎の大ファンなんですが、阿修羅掲示板に時々掲載される情報の中には王仁三郎に関しての事実無根のこじ付けや嘘の情報と思われるものが多くて黙っていられなくなってしましましたので…
■『月は盈つとも虧くるとも』というブログから「出口王仁三郎の大予言:1995年の阪神淡路大震災」 http://livedoor.blogimg.jp/oni567/imgs/c/d/cd08fdc2-s.jpg
という記事を引用紹介します。
◆このブログで出口王仁三郎の予言を紹介するのは読者の皆さんを恐れ、怯えさせることが目的ではなく本物の予言とは何か、をお伝えすることで世間に溢れる「偽物」を判別するための目を養って頂きたいということが目的です。
そして「本物」である出口王仁三郎のことばやその著書に少しでも興味をもって貰えれば嬉しいです。
尚、出口王仁三郎本人が「万教同根」を唱える一宗一派を遥かに超えた人物であったように、王仁三郎を紹介するこのサイトも特定の宗教に勧誘しようというものではありま
せん。宗教的な部分も含めより深く研究したいと言う方は検索エンジンでお調べ頂けば既に豊富な情報が溢れています。
さて、いつものように前置きが長くなりましたが、本題に入ります。
ブログ主は実は関西出身で阪神淡路大震災によって知人を3人失い、あの震災で私自身の人生も大きく変わりました。
ですので、この王仁三郎の阪神淡路大震災の予言を紹介するのを少し躊躇しましたが、興味本位で軽々しくご紹介する訳では無いということだけはご理解下さい。
出口王仁三郎の主著、「霊界物語」の69巻には1995年1月17日に発生した大震災を予言したことばが数箇所に散りばめられています。
このことは、「霊界物語研究、宣伝の専門家(宣伝使)」の一人である中野揚子氏によって現「愛善苑」の発行する「神の国」誌1997年2-3月合併号にて「霊界物語69巻の予言」として発表されました。
この記事で中野氏は、霊界物語第69巻には王仁三郎が正確な日時を伏せ、謎を掛けながらも、神戸で1995年1月17日に震災があるということを予言した歌があるのではないかと指摘し、それを発見した経緯と共に記載されていました。
そして、この中野氏の発表を基に王仁三郎の孫の出口和明氏がこの巻を精査することで関連箇所をさらに追加発見しました。
今日このブログで紹介する内容は上述の中野氏や出口和明氏の論文と、該当する霊界物語69巻をブログ主が、読んだ上で個人的に要約した内容です。
(以下、ブログ主による纏めです)
この霊界物語69巻は出口王仁三郎が口述筆記の形で大正12年12月に口述したものです。
まずは、このブログの読者に、この本が口述され、出版されたのは阪神大震災の約70前であることを証明するために私が古書店で購入した昭和2年刊行の本の写真、巻末ページの写真をご覧ください。(引用元ブログに写真あり)
(膨大な霊界物語には12巻ごとに副題がついておりこの版の表紙では山河草木という副題が大書されています。出口瑞月は王仁三郎の号の一つです。)
右上に昭和二年十月二十一日印刷 昭和二年十月二十六日発行と読めますね。因みに定価は一円五十銭。まだまだ紙が貴重であり本が高価な当時としてはなんとか抑えた金額だったようです。
次に目次のページです。
一ページ目に「巻頭言」とあります。
問題の個所はここで、次に、この巻頭言に王仁三郎が載せた歌と日付の写真を見て下さい。
この「巻頭言」の中ほどに「第十八宇和島丸」という歌が掲載されており、この歌が問題の部分です。この歌の一部分、関連個所を下記に引用します。
尚、下記URLの「霊界物語ネット」にて、霊界物語原文を無料で閲覧確認できます。
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm690001
(このサイトは宗教団体による運営ではありません。)
(引用開始)
第十八宇和島丸(だいじふはちうわじままる)
船の今神港波止場を出でむとし惜しみ見送る八人乙女等
…中略…
東路の地(つち)のさわぎを余所にして静かに浮かぶあはぢ島山
十二夜の月は波間に砕けつつ火竜となりて海原に踊る
月寒(さむ)く御空(みそら)にふるひをののきて星のまたたき清き海原
十二月十二の月影浴びながら水の御魂(みたま)ぞ初渡航する
十二月十二の空に瀬戸の海乗り行く火伏(ひぶ)せ水(みづ)の大神
…後略…
(引用終わり)
「神戸」、「淡路島」と言うキーワードと共に地震や震災に伴う火事を連想する言葉が散りばめられています。この年、大正12年9月には関東大震災が発生していましたが
東路(あづまじ)の地(つち)のさわぎを余所にして静かに浮ぶあはぢ島山
この歌は王仁三郎の神戸出港前に発生した、関東大震災の余震騒ぎを余所事の様に静かに海に浮かび、まだ自分の出番では無いとと云った風情の淡路島の姿を想像してしまいます。
さて、肝腎の点は、まだまだこれからです。
王仁三郎が当時発行していた機関紙「神の国」大正13年3月25日号には上述の歌に示されている神戸港からの出港の詳細が記録されています。
「伊予の道後温泉へ出立せんと神戸港を
はなれたときは甲子の新の一月十七日だった
この数字合わせて十八となる これは三六(みろく)の日数だ
波止場に見送る信徒は 男女合わせて十二人 随行六人
総計〆て また十八人となっていた これもやっぱり三六の数だ
乗込む船は第十八号宇和島丸の新船だ これも三六の数である
神戸立つ日は旧歴の 大正十二年十二月 十二日の三拍子揃い
これも三十六の数 やはり三六の発出船 三六成就の宝船
一考七人七福神の 気取りて進む波の上 高浜港に来て見れば
迎えの信者二十九人 一考七人合すれば やはり三六の数となる
道後ホテルに着いたのも やはり十八日だった
実にも不思議な三六の旅よ」
上記引用の中で、王仁三郎が神戸を出発した日は甲子の新の一月十七日=新暦の大正13年1月17日であると告げた後、その同じ日が、旧暦の大正12年12月12日でもあると
同じ年月日が新暦と旧暦で態々2回繰返し述べられています。
そして、もう一度、巻頭言の歌に注目して頂くと
十二月十二の空に瀬戸の海乗り行く火伏(ひふ)せ水(みづ)の大神
という歌が書かれていますが、この「火伏せ」「水の大神」を「日伏せ」「見ず」と読み替えた上で下記の「巻頭言」の最後の日付を見てみましょう。
ここには、この文章を口述した日が書かれていますが、新暦は伏せられており、旧暦しか記載されていません。(引用元に写真あり)
大正十二年旧暦十二月十三日とあります。
通常、霊界物語には旧暦と新暦両方の表示がありますが、この巻頭言には見られません。これでは何か特別な「日を伏せて」あると言わんばかりであると、思いませんか?
王仁三郎の予言では、何が起きるかを示す際には日にちを明示することはありませんが、この巻頭言では地震を連想させる表現を記載し、後世廃れる旧暦ではなく、「新暦の」日を伏せることで地震が起こる日を震災前後に発見させる目的が込められていたのではないかと思われます。
次に、「新暦の日を伏せた」ページから離れ、この霊界物語の69巻の少し先の72ページに移ると、下記の歌が掲載されています。
『黎明に向かはむとして天地(あめつち)は朝な夕なに震(ふる)ひをののく
大空に月は照れども村雲の深く包みて地上に見えず
甲子(きのえね)の春をば待ちて開かむと雪に堪へつつ匂ふ梅ケ香
時は今天地(あめつち)暗し刈菰のみだれに紊(みだ)る黎明の前に
天地(あめつち)の神の恵みの深ければ世を守らむと地震(なゐふる)至る』
「震ひ」、「地震」等、起きるべき事象が明確に示されています。
(時は今…の歌は震災の起こった夜明け前「黎明=夜明け」前をも暗示してるようです。まだ暗い時間に乱れにみだれる程(の揺れ)だと暗示しているようです…)
そして、この「地震」という語が明確に示されたページ数は「72ページ」であり、上述の、王仁三郎が神戸港を出発した日の旧暦大正12年から丁度、72年後に当たるのです。
* 新暦大正13年1月17日 = 旧暦大正12年12月12日
大正12年は西暦1923年なので、
阪神淡路大震災の1995年は丁度、72年後だった!!
つまり、年度は旧暦で、月日は新暦で見ると霊界物語の巻頭言と、「地震」と書かれた、この72ページの示す七十二年後の両方を別々に記載することで、阪神淡路大震災の年月日と何が起こるかをピタリと予言し、後世の研究者にエビデンスとして遺したという訳です。では、王仁三郎には全てが見えていたと言う事でしょうか?!
その可能性を考えるに当たり、最後に、このページが掲載されている霊界物語69巻第一遍第三章の関連部分をお読みください。
(引用開始)
… 奥の間の丸窓を開いて夏風を室内に入れながら、脇息(きょうそく)にもたれ、作歌に耽つてゐた。そこへしづしづと襖を押開け入来たるは末子姫(すゑこひめ)であつた。国依別(くによりわけ)は作歌に心を取られ、末子姫の入り来たりしことに気がつかなかつた。
末子姫は両手をついて、言葉もしとやかに、『吾が君様、御気嫌は如何
いかがでございますか……』と四五回繰くり返へした。
国依別は色紙に目を注ぎながら、
『黎明に向かはむとして天地は朝な夕なに震ひをののく
大空に月は照れども村雲の深く包みて地上に見えず
甲子(きのえね)の春をば待ちて開かむと雪に堪へつつ匂ふ梅ケ香
時は今天地(あめつち)暗し刈菰(かりごも)のみだれに紊(みだ)る黎明の前に
天地(あめつち)の神の恵みの深ければ世を守らむと地震(なゐふる)至る』
と口吟(くちずさ)んでゐる。
末子姫は一層声を高めて、『吾が君様、御機嫌は如何でございます』と繰り返へした。国依別はハツと気がつき、『アア末子姫か、何ぞ用かね』
末子『ハイ、至急御相談がございまして、御勉強の最中をお驚ろかせ致しました』
国依『ナアニ、勉強でも何でもない。三十一文字の腰折れをひねくつてゐたのだ』
『立派お歌が詠めたでせう。妾(わらは)にも一度聞かして下さいませぬか』
『ナアニ、聞かせるやうな名歌ぢやない。あまり気がムシヤクシヤしてゐるので、
歌までがムシヤついてゐる。今日はいつにない出来が悪いよ』
『あなたの歌は後になるほど、良くなりますからね。お詠みになつた時は、失礼ながらこんな歌と思つてゐましても、後日になつて拝読しますと、お歌がみな予言録となつて現はれてをりますの。松若彦も我が君のお歌はウツカリ見逃がすことは出来ぬ、残らず予言だと言つてをりましたよ』
『予言か五言か妖言か知らぬが、大したことはないよ。ともかく自身(じしん)のためによんだ歌うただからな、ハハハ』
『エ、何とおつしやいます。また謎を言つてゐらつしやるのでせう。近い内に地震があるとおつしやるのですか』
『ウン、地震、雷、火事、親爺、現代はモ一つ加(そ)へ物が出来た、それはいはゆるお媽(かか)だ、ハツハハハハ』
『わが君様、上流の家庭において、お媽なんて、そんな下卑た言葉をお使ひなさいますな。伜や娘が聞きましては、また見習つて困りますからね』
『ナアニ奥様といつても、後室といつても、御令室といつても、山の神といつても、お媽といつても、ヤツパリ女房だ。人間の附した名称ぐらゐに拘泥する必要はないぢやないか』
『今あなたは地震、雷、火事、親爺……とおつしやいましたが、それもキツと深遠な謎
でございませう。どうも貴方のお言葉は滑稽洒脱の中に恐ろしい意味が含んでゐるのですから、容易に聞き流しは出来ませぬワ』
『ハツハハハハ、地震、雷といふことは、国依別自身(じしん)が神也(かみなり)
といふことだ。お前は自信力が神様のやうに強いから、ヤツパリお前も自信神也だ』
『ホツホホホホ、よくしらばくれ遊ばすこと、そんな意味ではございますまい。火事
親爺といふことはどういふ意味でございますか、それを聞かして下さいな』
『いま警鐘乱打の声が聞こえてゐただらう。松若彦、伊佐彦の親爺連が、薬鑵頭を陳列
して、国政とか何とかの評議の最中へ火事がいつたものだから、親爺が驚いて高欄から転落し、腰を打つて、吾が部屋へかつぎこまれ、媽アの世話になつたといふ謎だよ、ハツハハハハ』
(以上、引用終わり)
如何でしょうか?
私はこの文章を初めて読んだときは鳥肌が立ちました。
王仁三郎はこの文章の口述当時、既に当局から目を点けられており、霊界物語に何十年も後の地震のことなど書くことができない状態ながらも、新旧の日付やページ数で「地震」が起きる年月日を示し、上述のコメディーの中にも彼の心の叫びが込め
られています。
「… どうも貴方のお言葉は滑稽洒脱の中に恐ろしい意味が含んでゐるのですから、容易
に聞き流しは出来ませぬワ 」
「いま警鐘乱打の声が聞こえてゐただらう…」
王仁三郎の「警鐘乱打の声」を「容易に聞き流さない」ようにして頂ける方が少しでも増えてくれればと祈るばかりです。
「 親爺連が、薬鑵頭を陳列して、国政とか何とかの評議の最中へ火事がいつたものだから …」
蛇足ながら、この箇所などは阪神大震災の火災の発生や政府の対応が遅く、国民から批判された事にまで言及しているようです。
そして、わたしの心には72ページのこの歌がとても強く焼きついています。
天地の神の恵みの深ければ世を守らむと地震(なゐふる)至る
王仁三郎がこの歌で訴えているように、恐ろしい大地震さえも実は、天地(あめつち)の神の恵みが隠されているのかも知れません。
王仁三郎の警告する「三千世界の立替え立て直し」に伴う大峠はまだ端緒にもついていないのかも知れず、今の内に「我良し、強いもの勝ち」の獣のような考えに染まりつつある我々に方向転換をする時間的猶予という「神の恵み」が与えられたのかも知れないと私は考えてしまうのです…
(ブログには最晩年の出口王仁三郎近影)
本日も最後までお読みいただき、有難うございました。
(写真は『霊界物語』 山河草木69巻 巻頭の口述者近影)
■私は出口王仁三郎の大ファンなんですが、阿修羅掲示板に時々掲載される情報の中には王仁三郎に関しての事実無根のこじ付けや嘘の情報と思われるものが多くて黙っていられなくなってしましましたので…
■『月は盈つとも虧くるとも』というブログから「出口王仁三郎の大予言:1995年の阪神淡路大震災」 http://livedoor.blogimg.jp/oni567/imgs/c/d/cd08fdc2-s.jpg
という記事を引用紹介します。
◆このブログで出口王仁三郎の予言を紹介するのは読者の皆さんを恐れ、怯えさせることが目的ではなく本物の予言とは何か、をお伝えすることで世間に溢れる「偽物」を判別するための目を養って頂きたいということが目的です。
そして「本物」である出口王仁三郎のことばやその著書に少しでも興味をもって貰えれば嬉しいです。
尚、出口王仁三郎本人が「万教同根」を唱える一宗一派を遥かに超えた人物であったように、王仁三郎を紹介するこのサイトも特定の宗教に勧誘しようというものではありま
せん。宗教的な部分も含めより深く研究したいと言う方は検索エンジンでお調べ頂けば既に豊富な情報が溢れています。
さて、いつものように前置きが長くなりましたが、本題に入ります。
ブログ主は実は関西出身で阪神淡路大震災によって知人を3人失い、あの震災で私自身の人生も大きく変わりました。
ですので、この王仁三郎の阪神淡路大震災の予言を紹介するのを少し躊躇しましたが、興味本位で軽々しくご紹介する訳では無いということだけはご理解下さい。
出口王仁三郎の主著、「霊界物語」の69巻には1995年1月17日に発生した大震災を予言したことばが数箇所に散りばめられています。
このことは、「霊界物語研究、宣伝の専門家(宣伝使)」の一人である中野揚子氏によって現「愛善苑」の発行する「神の国」誌1997年2-3月合併号にて「霊界物語69巻の予言」として発表されました。
この記事で中野氏は、霊界物語第69巻には王仁三郎が正確な日時を伏せ、謎を掛けながらも、神戸で1995年1月17日に震災があるということを予言した歌があるのではないかと指摘し、それを発見した経緯と共に記載されていました。
そして、この中野氏の発表を基に王仁三郎の孫の出口和明氏がこの巻を精査することで関連箇所をさらに追加発見しました。
今日このブログで紹介する内容は上述の中野氏や出口和明氏の論文と、該当する霊界物語69巻をブログ主が、読んだ上で個人的に要約した内容です。
(以下、ブログ主による纏めです)
この霊界物語69巻は出口王仁三郎が口述筆記の形で大正12年12月に口述したものです。
まずは、このブログの読者に、この本が口述され、出版されたのは阪神大震災の約70前であることを証明するために私が古書店で購入した昭和2年刊行の本の写真、巻末ページの写真をご覧ください。(引用元ブログに写真あり)
(膨大な霊界物語には12巻ごとに副題がついておりこの版の表紙では山河草木という副題が大書されています。出口瑞月は王仁三郎の号の一つです。)
右上に昭和二年十月二十一日印刷 昭和二年十月二十六日発行と読めますね。因みに定価は一円五十銭。まだまだ紙が貴重であり本が高価な当時としてはなんとか抑えた金額だったようです。
次に目次のページです。
一ページ目に「巻頭言」とあります。
問題の個所はここで、次に、この巻頭言に王仁三郎が載せた歌と日付の写真を見て下さい。
この「巻頭言」の中ほどに「第十八宇和島丸」という歌が掲載されており、この歌が問題の部分です。この歌の一部分、関連個所を下記に引用します。
尚、下記URLの「霊界物語ネット」にて、霊界物語原文を無料で閲覧確認できます。
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm690001
(このサイトは宗教団体による運営ではありません。)
(引用開始)
第十八宇和島丸(だいじふはちうわじままる)
船の今神港波止場を出でむとし惜しみ見送る八人乙女等
…中略…
東路の地(つち)のさわぎを余所にして静かに浮かぶあはぢ島山
十二夜の月は波間に砕けつつ火竜となりて海原に踊る
月寒(さむ)く御空(みそら)にふるひをののきて星のまたたき清き海原
十二月十二の月影浴びながら水の御魂(みたま)ぞ初渡航する
十二月十二の空に瀬戸の海乗り行く火伏(ひぶ)せ水(みづ)の大神
…後略…
(引用終わり)
「神戸」、「淡路島」と言うキーワードと共に地震や震災に伴う火事を連想する言葉が散りばめられています。この年、大正12年9月には関東大震災が発生していましたが
東路(あづまじ)の地(つち)のさわぎを余所にして静かに浮ぶあはぢ島山
この歌は王仁三郎の神戸出港前に発生した、関東大震災の余震騒ぎを余所事の様に静かに海に浮かび、まだ自分の出番では無いとと云った風情の淡路島の姿を想像してしまいます。
さて、肝腎の点は、まだまだこれからです。
王仁三郎が当時発行していた機関紙「神の国」大正13年3月25日号には上述の歌に示されている神戸港からの出港の詳細が記録されています。
「伊予の道後温泉へ出立せんと神戸港を
はなれたときは甲子の新の一月十七日だった
この数字合わせて十八となる これは三六(みろく)の日数だ
波止場に見送る信徒は 男女合わせて十二人 随行六人
総計〆て また十八人となっていた これもやっぱり三六の数だ
乗込む船は第十八号宇和島丸の新船だ これも三六の数である
神戸立つ日は旧歴の 大正十二年十二月 十二日の三拍子揃い
これも三十六の数 やはり三六の発出船 三六成就の宝船
一考七人七福神の 気取りて進む波の上 高浜港に来て見れば
迎えの信者二十九人 一考七人合すれば やはり三六の数となる
道後ホテルに着いたのも やはり十八日だった
実にも不思議な三六の旅よ」
上記引用の中で、王仁三郎が神戸を出発した日は甲子の新の一月十七日=新暦の大正13年1月17日であると告げた後、その同じ日が、旧暦の大正12年12月12日でもあると
同じ年月日が新暦と旧暦で態々2回繰返し述べられています。
そして、もう一度、巻頭言の歌に注目して頂くと
十二月十二の空に瀬戸の海乗り行く火伏(ひふ)せ水(みづ)の大神
という歌が書かれていますが、この「火伏せ」「水の大神」を「日伏せ」「見ず」と読み替えた上で下記の「巻頭言」の最後の日付を見てみましょう。
ここには、この文章を口述した日が書かれていますが、新暦は伏せられており、旧暦しか記載されていません。(引用元に写真あり)
大正十二年旧暦十二月十三日とあります。
通常、霊界物語には旧暦と新暦両方の表示がありますが、この巻頭言には見られません。これでは何か特別な「日を伏せて」あると言わんばかりであると、思いませんか?
王仁三郎の予言では、何が起きるかを示す際には日にちを明示することはありませんが、この巻頭言では地震を連想させる表現を記載し、後世廃れる旧暦ではなく、「新暦の」日を伏せることで地震が起こる日を震災前後に発見させる目的が込められていたのではないかと思われます。
次に、「新暦の日を伏せた」ページから離れ、この霊界物語の69巻の少し先の72ページに移ると、下記の歌が掲載されています。
『黎明に向かはむとして天地(あめつち)は朝な夕なに震(ふる)ひをののく
大空に月は照れども村雲の深く包みて地上に見えず
甲子(きのえね)の春をば待ちて開かむと雪に堪へつつ匂ふ梅ケ香
時は今天地(あめつち)暗し刈菰のみだれに紊(みだ)る黎明の前に
天地(あめつち)の神の恵みの深ければ世を守らむと地震(なゐふる)至る』
「震ひ」、「地震」等、起きるべき事象が明確に示されています。
(時は今…の歌は震災の起こった夜明け前「黎明=夜明け」前をも暗示してるようです。まだ暗い時間に乱れにみだれる程(の揺れ)だと暗示しているようです…)
そして、この「地震」という語が明確に示されたページ数は「72ページ」であり、上述の、王仁三郎が神戸港を出発した日の旧暦大正12年から丁度、72年後に当たるのです。
* 新暦大正13年1月17日 = 旧暦大正12年12月12日
大正12年は西暦1923年なので、
阪神淡路大震災の1995年は丁度、72年後だった!!
つまり、年度は旧暦で、月日は新暦で見ると霊界物語の巻頭言と、「地震」と書かれた、この72ページの示す七十二年後の両方を別々に記載することで、阪神淡路大震災の年月日と何が起こるかをピタリと予言し、後世の研究者にエビデンスとして遺したという訳です。では、王仁三郎には全てが見えていたと言う事でしょうか?!
その可能性を考えるに当たり、最後に、このページが掲載されている霊界物語69巻第一遍第三章の関連部分をお読みください。
(引用開始)
… 奥の間の丸窓を開いて夏風を室内に入れながら、脇息(きょうそく)にもたれ、作歌に耽つてゐた。そこへしづしづと襖を押開け入来たるは末子姫(すゑこひめ)であつた。国依別(くによりわけ)は作歌に心を取られ、末子姫の入り来たりしことに気がつかなかつた。
末子姫は両手をついて、言葉もしとやかに、『吾が君様、御気嫌は如何
いかがでございますか……』と四五回繰くり返へした。
国依別は色紙に目を注ぎながら、
『黎明に向かはむとして天地は朝な夕なに震ひをののく
大空に月は照れども村雲の深く包みて地上に見えず
甲子(きのえね)の春をば待ちて開かむと雪に堪へつつ匂ふ梅ケ香
時は今天地(あめつち)暗し刈菰(かりごも)のみだれに紊(みだ)る黎明の前に
天地(あめつち)の神の恵みの深ければ世を守らむと地震(なゐふる)至る』
と口吟(くちずさ)んでゐる。
末子姫は一層声を高めて、『吾が君様、御機嫌は如何でございます』と繰り返へした。国依別はハツと気がつき、『アア末子姫か、何ぞ用かね』
末子『ハイ、至急御相談がございまして、御勉強の最中をお驚ろかせ致しました』
国依『ナアニ、勉強でも何でもない。三十一文字の腰折れをひねくつてゐたのだ』
『立派お歌が詠めたでせう。妾(わらは)にも一度聞かして下さいませぬか』
『ナアニ、聞かせるやうな名歌ぢやない。あまり気がムシヤクシヤしてゐるので、
歌までがムシヤついてゐる。今日はいつにない出来が悪いよ』
『あなたの歌は後になるほど、良くなりますからね。お詠みになつた時は、失礼ながらこんな歌と思つてゐましても、後日になつて拝読しますと、お歌がみな予言録となつて現はれてをりますの。松若彦も我が君のお歌はウツカリ見逃がすことは出来ぬ、残らず予言だと言つてをりましたよ』
『予言か五言か妖言か知らぬが、大したことはないよ。ともかく自身(じしん)のためによんだ歌うただからな、ハハハ』
『エ、何とおつしやいます。また謎を言つてゐらつしやるのでせう。近い内に地震があるとおつしやるのですか』
『ウン、地震、雷、火事、親爺、現代はモ一つ加(そ)へ物が出来た、それはいはゆるお媽(かか)だ、ハツハハハハ』
『わが君様、上流の家庭において、お媽なんて、そんな下卑た言葉をお使ひなさいますな。伜や娘が聞きましては、また見習つて困りますからね』
『ナアニ奥様といつても、後室といつても、御令室といつても、山の神といつても、お媽といつても、ヤツパリ女房だ。人間の附した名称ぐらゐに拘泥する必要はないぢやないか』
『今あなたは地震、雷、火事、親爺……とおつしやいましたが、それもキツと深遠な謎
でございませう。どうも貴方のお言葉は滑稽洒脱の中に恐ろしい意味が含んでゐるのですから、容易に聞き流しは出来ませぬワ』
『ハツハハハハ、地震、雷といふことは、国依別自身(じしん)が神也(かみなり)
といふことだ。お前は自信力が神様のやうに強いから、ヤツパリお前も自信神也だ』
『ホツホホホホ、よくしらばくれ遊ばすこと、そんな意味ではございますまい。火事
親爺といふことはどういふ意味でございますか、それを聞かして下さいな』
『いま警鐘乱打の声が聞こえてゐただらう。松若彦、伊佐彦の親爺連が、薬鑵頭を陳列
して、国政とか何とかの評議の最中へ火事がいつたものだから、親爺が驚いて高欄から転落し、腰を打つて、吾が部屋へかつぎこまれ、媽アの世話になつたといふ謎だよ、ハツハハハハ』
(以上、引用終わり)
如何でしょうか?
私はこの文章を初めて読んだときは鳥肌が立ちました。
王仁三郎はこの文章の口述当時、既に当局から目を点けられており、霊界物語に何十年も後の地震のことなど書くことができない状態ながらも、新旧の日付やページ数で「地震」が起きる年月日を示し、上述のコメディーの中にも彼の心の叫びが込め
られています。
「… どうも貴方のお言葉は滑稽洒脱の中に恐ろしい意味が含んでゐるのですから、容易
に聞き流しは出来ませぬワ 」
「いま警鐘乱打の声が聞こえてゐただらう…」
王仁三郎の「警鐘乱打の声」を「容易に聞き流さない」ようにして頂ける方が少しでも増えてくれればと祈るばかりです。
「 親爺連が、薬鑵頭を陳列して、国政とか何とかの評議の最中へ火事がいつたものだから …」
蛇足ながら、この箇所などは阪神大震災の火災の発生や政府の対応が遅く、国民から批判された事にまで言及しているようです。
そして、わたしの心には72ページのこの歌がとても強く焼きついています。
天地の神の恵みの深ければ世を守らむと地震(なゐふる)至る
王仁三郎がこの歌で訴えているように、恐ろしい大地震さえも実は、天地(あめつち)の神の恵みが隠されているのかも知れません。
王仁三郎の警告する「三千世界の立替え立て直し」に伴う大峠はまだ端緒にもついていないのかも知れず、今の内に「我良し、強いもの勝ち」の獣のような考えに染まりつつある我々に方向転換をする時間的猶予という「神の恵み」が与えられたのかも知れないと私は考えてしまうのです…
(ブログには最晩年の出口王仁三郎近影)
本日も最後までお読みいただき、有難うございました。
http://www.asyura2.com/11/bd60/msg/764.html
02. 2012年6月24日 22:55:27 : TZvzCKkiiE
高性能バッテリーを完成させ、夜間の余った電気、下らぬ昼間と深夜のテレビ放送を止めさせた その分の電気、
これらを廻せるようにしたいものだ。
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/137.html#c2
01. 2012年6月24日 22:58:58 : pVONYGjyvU
リビアでもあったな。
内通者による動揺を誘うデモンストレーションだろうと思う。
http://www.asyura2.com/12/warb9/msg/475.html#c1
*画像は出口王仁三郎作 『天降 天照皇大神聖像』(雨宝童子象)
■引用元:ブログ「月は盈つとも虧くるとも」http://blog.livedoor.jp/oni567/archives/8495053.html
先ず、本日は久しぶりの王仁三郎の墨画作品の紹介です。
この天照皇大神の神像は雨宝童子(うほうどうじ)とも呼ばれ、密教の両部神道の神の一柱でもあります。
恐らく、殆どの読者の方には、雨宝童子と言っても私同様、聞き慣れない神名(この場合は仏名?)でしょう。
そこで由来を検索してみました。雨宝童子とは、天照大神が16歳のときに九州の日向に降臨されたときのお姿だそうで、宇宙の真理を現す大日如来の化身として、弘法大師空海が朝熊山でのご修行中に霊眼にて感得され、彫られた尊像だと言うことです。
明治維新以前の神仏習合時代、雨宝ほ童子は天照大神と一体と考えられ、維新後の神仏分離までは、全国からのお伊勢参りの参拝者の中には、天照大神のご神体として雨宝童子像を求め、国に持ち帰るというほど有名だったそうです。弘法大師空海との霊的因縁が少なくないと言っていた出口王仁三郎の作品としても重要な大作の一つのようです。(王仁三郎の作品集でも掲載順で、2作品目に配列されているようです。)
通常、神話では女神とされていますが維新前までは男神とされることも多かったこともあるかも知れませんが、雨宝童子は「童女」ではなく「童子」とされており、何故、弘法大師の霊眼には童子と映じられたのかについての疑問が残ります…この事で私が思い出すのは、王仁三郎が『霊界物語』において、「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」と、「天照皇大御神(あまてらすすめおおみかみ)」ではその神格において異なると述べていることです。
さて、本題に入ります。
普通の勤め人の私が「ライフワーク」等と言って良いのかどうか分かりませんが…
実は、日本の近現代史を読むことは私の、ライフワーク的な趣味なんです。
特に最近の政府や大企業の、多くの人命や健康よりも自分たちの利権を最優先の思想が戦前の一時期の日本に相通ずるものがあり、一層興味が深まっているという次第です。
そんな私が王仁三郎の思想に興味を持った切っ掛けは、やはり20年程前に読んだ、ある問題と戦前の世相について書かれた文章がきっかけでした。
元々、10代の若者にありがちな、社会の歪さに違和感を引きずったまま成長し(ネットの所謂中二病??)、今の日本社会の出発点である敗戦に繋がる歴史の流れに纏わる謎に取り憑かれた、と云った所です。
調べれば調べる程、先の大戦における、今日では必然であり明確であるとされている、日本の敗戦の諸原因の影に隠れ、専門家でも解けない謎が気になり出して止まらなくなしました。
そして、その秘密を一生懸ってでも知りたい、という大仰な欲望の命ずるままに書物や資料、ネット情報等を渉猟して来ました。勿論、素人の物好きの範囲ですが…そんな、私が王仁三郎に引き込まれるのは時間の問題でした。
何故なら、大正デモクラシーからの急激な反動である1.15事件や2.26事件等、「昭和維新」が叫ばれた、歴史の大転換期における、数々の事件の舞台裏には、いつも、この「怪人物」出口王仁三郎の名前が見え隠れしていたからです。
そのような具合に出口王仁三郎に興味を頂き、その思想を調べ始めて見ると、最初は右翼の大物を陰で操っていた怪しい宗教団体の教祖というイメージを抱きましたが、よくよく調べて見ると恐ろしくその予言が的中した大予言者、大霊能者、であったと言う記録に行き着き、とうとう彼の著作を直接、読み始めると、それまでの彼に対して抱いていた右翼的なイメージとは正反対の思想の持ち主であることが判りました。
王仁三郎が「皇道主義」を宣揚していたのも単なる右翼的革命を意図したものではなく、国家神道や近代思想によって抑圧されていた古神道の精神性の復活と、大胆な平和主義、海外との協調主義をも唱えていたという一面まで垣間見えて来ました。
そのような王仁三郎の多面性にますます引き込まれた私は、彼の思想の中心である全81巻83冊の大著、『霊界物語』を読むにつれ、「偉大なる宗教者」であるという王仁三郎の本質に触れることになったのです。
しかし、「偉大なる宗教者」出口王仁三郎は、自身が出口直教祖と共に育てた、「皇道大本」という宗教教団を当時の日本有数の組織に育て上げ、教団の高殿の奥に澄まし顔で鎮座し説教を垂れるだけの所謂「宗教者」ではありませんでした。
大本神諭に述べられている通りの「大化け物」だったのです。彼が「大化け物」の本領を発揮したのは特に昭和初期のことです。
昭和10年には、外郭団体を含めると800万人に膨れ上がっていた、文化人、企業家、政治家、軍人、さらには皇族にいたる幅広い支持者や崇拝者、支援者に多大な影響力を持っていた王仁三郎ですが、殆ど意図的と判るやり方で自ら政府当局を刺激し、「第二次大本事件」という、一見すると「第二次世界大戦」と見間違えるような、名称がつけられた大事件を引き起こすのです。
事件により未決勾留され、6年8か月後に裁判により殆ど無罪が証明されて保釈した後は、それまでの活躍に比べるとヒッソリと余生を過ごしたように見えることもあり、心無い研究者は彼のことを「挫折した宗教革命家」「弾圧された右翼の影の指導者」などとレッテルを貼って終わりにしようとする始末です。
さらに、王仁三郎の遺した宗教団体や信者の方々でさえ、大部分が「第二次大本事件」の意義を矮小化しているのかのような定義づけをしているように私には見えるのです。
私個人としては、この「第二次大本事件」に対する捉え方の違いが、大本神諭で「艮の金神」が、出口王仁三郎のことを「三千世界の大化け物」「てんのみろくさま」という救世の神業を担うひとであるとの宣言を受入れるかどうかという「踏絵」ではないかと考えています。
「第二次大本事件」の意義については、、私個人としては前回の記事で、以前読んだ資料をご紹介して「第二次大本事件は王仁三郎の計画が大失敗に終わった証拠だ」と断定する心無い人々に対するささやかな抵抗を試みました。(前回記事: http://blog.livedoor.jp/oni567/archives/8080440.html)
この前回投稿で言及したように、「第二次大本事件」はキリストのゲッセマネの丘からゴルゴだの丘に到る磔と復活の秘跡に匹敵する程の、出口王仁三郎の真価が顕された事績であり、黒住、天理、金光、妙霊、大本という一連の民衆宗教というエネルギーの奔出が型として表現した日本的霊性の高峰であると思います。
今回の投稿では、「第二次大本事件」という型によって引き起こされた(と私は解釈しています)先の大戦における「日本の敗戦」の霊的意義について、以前読んで感動した記事をご紹介し、「日本の霊性の奔出」という「事実」について読者の皆様が思いを馳せる切っ掛けにして頂ければと思います。
「第二次大本事件『十二月八日の仕組み』の謎にせまる」
(佐藤光郎氏著の寄稿文、『いづとみづ』86年9月号、10月号掲載より)
(引用開始。「…」の表記は引用者=ブログ筆者の「てんさん」による省略箇所があることを示しています。)
…しかし、「第二次大本事件」そのものが経綸上、大日本帝国崩壊をもたらしたという奇想天外な真実を内包するものであるなれば、明治王政復古間なしの時点で、既に大東亜戦争(原文ママ)の開戦と敗戦の「月日」を暗示し、そのうえ何故、かかる大戦が生起しなければならぬのかという神意をも開示している「天理教原典」と、「第二次大本事件」とのあいだに、何か特別な経綸上の関連性が存在すると見るのは当然であろう。
また、「大本」的感覚によれば、天理教は元来「先走り」という先駆的な使命を帯びて天保九年十月二十六日、大和国山辺郡庄屋敷村(現在の奈良県天理市)の中山ミキ(教祖)が「元の神・実の神」の「社」に貰い受けられて開教された天啓の宗教である。
大本神典であり瑞霊(みずのみたま、ずいれい)の御教えである『霊界物語』によると、ミキ教祖は三十五万年前、玉能姫として現れ、出口ナオ開祖の前身である初稚姫と共に素戔嗚尊(すさのおのみこと)の神業に従仕し大車輪の活躍をしたことが啓(つ)げられている。
とくに、『霊界物語』二十二巻 第二十章712節(王仁三郎生誕の七月十二日の日柄に因む)「三の魂」には三千世界立替え立直しに不可欠なる三個の神宝(黄金の玉、如意宝珠の玉、紫の玉)のうち、「紫の玉」が玉能姫に授かり、あの高姫(註:たかひめ−霊界物語にしばしば登場する反面教師的役柄)をして「思いもよらぬ人たちに、肝腎な一厘の経綸をいいつけるとは…妙な神さまも…いや教主もあるものだ。」と地団駄を踏ませたのである。
それほど、素戔嗚尊の御神業、一厘の経綸に神縁ある玉能姫、即ちミキ教祖であるゆえ大正十四年、綾部天神馬場において、出口王仁三郎はナオ開祖(初稚姫)と共にミキ教祖(玉能姫)を二聖として祭祀した…王仁三郎は「大本神諭と天理神諭」と題して両教神諭の比較対照を試みている。(引用註:神霊界誌大正7年5/15、6/1、6/15号に連載されています。)
…これらの「事実」をもってしても出口王仁三郎は、大本・天理両教が一厘の経綸上、深い関係に結ばれている事を示唆しておられる、と言えまいか。その意味よりして「第二次大本事件」並びに一厘の経綸の謎を解くために、天理教に垂示された「世の立替えのプログラム」を大本経綸に照応させながら、この主題をつきつめるという本稿の立場は極めて意義深く、且つ重要であると言えるわけである。
…(中略)…さて、十億年という歳月を経て「救世」に始動された月日親神は、そのプログラムを明らかにするうえで「にほん」と「から」の問題を極めて重大なこととして取り上げられている。
今日の天理教教学レベルにおいてなお、この問題はいったい何を意味するものなのかはよく判っていないが、お筆先(天理教の)にはこのことが繰り返し啓げられている。
「今までは唐(から)が日本を儘(まま)にした 神の残念何としよやら」
「今までは日本が唐(から)に従ふて 儘(まま)にしられた神の残念」
もちろん神示による「にほん」と「から」の問題は、現界の偏狭なナショナリズムに基づいて解釈されるものでないことは申すまでもない。(引用註:これは大本神諭の「がいこく」「外国」「害国」も同じ)…筆者はこの問題について次の様な見解を持っている。
「にほん」と「から」は、飛躍した論理と受け取られるかもしれないが、現界と「合わせ鏡」にある霊界(天理お筆先における『天』という領域に属する異次元界)という次元から放射されて、この現界の個人・世界に決定的な影響を及ぼし「歴史」をも動かす「霊的支配(活動)原理」であると解釈している。
…「にほん」とは月日親神の人類創造原理を集約した神言にして、その活動力を言い…「から」とは月日祖神をして残念・立腹(りゅうふく)とされる状況を集約した神言にして、その霊的支配力を言い…さらに言えば…(引用註:王仁三郎的表現で言う)霊主体従(れいしゅたいじゅう)は「にほん」の霊的活動原理に当り、体主霊従・力主体霊(たいしゅれいじゅう・りきしゅたいれい)は「から」の霊的支配原理に該当する。
要するに、神幽現三界を貫く善と悪の対立した霊的二大原理を「にほん」と「から」と言うのである。今日まで全人類は「霊界」から放射された「から」の霊的支配原理に圧倒され蹂躙(じゅうりん)されて来たのである。そのために、人類は「生老病死」の苦しみをかこち、或いは地球上のいたるところで「戦争」という力主体霊的殺戮の現場を現出させて来たのである。
人を救い導くべき宗教は、出口王仁三郎がいみじくも喝破したように八重垣的「醜狂(しゅうきょう)」(精神的無形の障壁)と変貌し、そして、祈りよりはより強固な八重垣を築く呪文と化した。(現文ママ)
…しかし月日親神は約十億年に亘(わた)った「陰からの守護」的在り方を根本的に改めて「表の守護」的在り方、つまり世界を一列に救う大乗的救世経綸に始動されるのである。そのことはお筆先において
「この先は日本が唐(から)を儘にする 皆一列は承知していよ」
「今までは唐やと言うて はびかりて 儘にしていた今度返しを」
とされている如く、月日親神は「にほん」の霊的活動原理を封鎖した「から」の霊的支配原理に止めを打ち、再び「にほん」を復活させることが主目的であると啓示されている。その未曾有の構想は究極において
「この道を通り抜けたらその先は 唐は日本の地にしてある」
「唐の地を日本地にしたならば これ末代の生き道理なり」
と確示されたように、実に「生老病死」の「からの世」から「病まず死なず弱らず」の「にほんの世」へと立替え立直し、神幽現三界に亘り「にほん」の霊的活動原理を樹立することにある。
…(中略)…ところで月日親神はある重大な事実を三十一文字に託して吾々に投掛けている。即ち、
「高山の真の柱は唐人(とふじん)や これが大一(だいいち)神の立腹」
「唐人が日本の地々入込んで 儘(まま)にするのが神の立腹」
(引用註:ブログ筆者は、この二首は維新後の西洋某結社が関与すると噂され続けている孝明天皇、明治天皇暗殺・替え玉説やその後も各地で結社が蔓延り、現在は日本を追い詰めている状況にあることの予言とも取れる内容ではないかとも感じていますが、さて真実はどこにあるのでしょうか…)
このお筆先は、明治王政復古間なしの明治七年頃にしるされたものであるが、お筆先一千七百一首中、「とふじん」とは何者であるか、という事を指示しているお歌はこの一首しかない。
何れにしても判ることは「高山の真の柱」こそは月日親神の「大一(第一)の立腹」と激しく指弾される存在、即ち、「とふじん」である、という事である。
これについて大胆な見解を公表した人物がいる。天理教より分かれた「ほんみち」開祖、大西愛治郎その人である。昭和三年と十三年に全国に発布した「書信」「憂国の志に告ぐ」と題するパンフレットをみると、彼はさきのお筆先を引用しながら、日本国体の要、「天皇」こそが「とふじん」である「高山の真の柱」なのだ、と唱えたのである。
大西のこの見解が真実である証拠に、ミキ教祖五十年の「雛型の道」において終始このことを神意として主張したことにより前後十八回の留置・投獄を経験した。なかでも、十八回目の投獄によって「目は見えず、耳は聞こえず」そして寝がえりもままならぬ姿となった。(中山ミキ天理)教祖八十九歳の時である。
(引用註:類似する王仁三郎の見解についてはこちらの過去記事の中程、王仁三郎夫妻への質問の行をご参照下さい:http://blog.livedoor.jp/oni567/archives/4233599.html)
…それと呼応するかのように、天理教を「先走り」と宣言した大本の神諭には、天皇制神話をその深部より震撼させるという意味において右の天理神示より、より尖鋭化された告発が投げかけられている。つまり、天皇制神話に対する「対抗神話」として天理教に「泥海古記」がある如く、(王仁三郎の)大本には「国祖隠退・再現」神話を基底音とした驚愕の世界観がある…
「まえの天照大神宮どののおり、岩戸へおはいりになったのを、だまして岩戸を開いたのでありたが、岩戸開くのがうそを申して、だまして無理にひっぱり出して、この世は勇みたらよいものと、それからは天の宇受女(あめのウズメ)どののうそが手柄となりて、この世がうそでつくねた世であるから、神にまことがないゆえに、人民が悪くなるばかり」
つまり、天照大御神の神代における「天の岩戸」事件がそもそも「悪の世」の発端であり、我良し(体主霊従)、強いもの勝ち(力主体霊)の世の発端がここにあると国祖は指弾しているのである…さらにこの「霊的事件」を契機として、素戔嗚尊が天照系の八百万神の謀略により千座の置戸(ちくらのおきど)を背負わされ高天原より放逐(ほうちく)されたわけであるが、その意味する所を読み取れば、追放された素戔嗚尊とはまさしく「押込められた(隠退させられた)」国祖の投影存在であることが判る。
つまり、この「素戔嗚尊追放劇」こそ、紛れもなく国祖引退劇のモチーフを「反復」し「展開」した内容として大本教学上位置づけられるからである。
だからこそ、国祖は「素戔嗚尊追放劇」を自らの引退劇として共感し、天照大御神の「天の岩戸」事件を叱責することとなったのではないか。そして、天照の「一度目の」天の岩戸開きを悪の世の発端として指弾しながら、それに対して今度は「二度目の」天の岩戸開きを救世神・素戔嗚尊が断行し、歓喜に満ちた地上神国を成就する、と国祖は断言するのである。
要するに、幾万もの「神と神との大戦争」によって織りなされて行くのが大本経綸の基本構成であるが、それは、
「押込められた(隠退させられた)側」の神々と「押込めた(隠退させた)側」の神々の二系統に大別されよう。
そして、前者の側につく神々を経綸上、集約し、代表した神名こそが「素戔嗚尊」(引用註:『霊界物語』に記載される神名は、神素戔嗚大神)なのであり、後者の側は、「天照大御神」に現わされていると理解出来るのである。
(中略)…そして、月日親神・素戔嗚尊(国祖)の「残念・立腹」より発せられたこの神の絶叫は、霊界の天照大御神(と、引用註:天照大御神の系統である)現界の現人神天皇が築き上げてきた今日までの「からの霊的支配原理」による霊的ネットワークの解体を急き込んでいるものなのである。だからこそ月日親神は
「日々に神の心の急き込みは 唐人(とふじん)ころりこれを待つなり」
と筆先にしるし、「世の立替え」の第一着手は「からの世」の霊的中枢体を排除することから開始する、と明治七年に宣言されたのであろう。
もちろん、これまでの経緯よりして「世の立替え」における月日親神の戦略目標は、この地上界のみにとどまらないことが判る…大本神諭にある如く「今まで世に御居(おい)でござりて世を持ち荒らした神」天照大御神がいる。
その神及び眷属(けんぞく)によって「永らくのあいだ世に落とされた神」素戔嗚尊(・国祖)・月日親神は主権回復を賭けてなんとかしてこの悪神(原文ママ)を倒そうと挑み、ここに、神霊界における「神と神との大戦争」が勃発する。まさに神々のハルマゲドンともいうべき善悪二大神系の総力戦が繰りひろげられる訳である。
ところが、神霊界でかかる大戦争がおこると、その写し世である「地上界」にも当然その大変動が移写されることになる。
さきの「唐人ころり」の天理予言は、このような経綸上の脈略よりその真意を読み取らなければなぬ。と、するならば、その刻限(時節)は…
「今日の日は何が見へるやないけれど 八月を見よ皆見えるでな」
「だんだんと十五日より見えかける 善と悪とはみな現れる」
この二首の天理お筆先は昭和二十年八月十五日の終戦の刻限(時節)を指す「月日」の暗号であることは明白である。そしてこれは、天理教原典に確示された「世の立替えのプログラム」の中でも、月日親神の「大望事情」(お指図)と言われるほどの重大なる霊的事件であったわけである。
なぜならば、天理教原典では、この「唐人ころり」によって月日親神の第一の残念立腹を晴らし、その直線的延長線上において全世界の人類の心を勇ませ、真実に世界中を助ける経綸を展開され、
「その後は病まず死なずに弱らずに 心次第に何時までも居よ」
という世界へと「歴史」を神導することが世の立替えの順序として啓(つ)げられているからである。
その意味よりして、この「唐人ころり」は「からの世」から「にほんの世」へと大転換される神の経綸上のキーポイントであったのである。
また、(王仁三郎の)「大本」的感覚からみれば、この終戦の刻限(時節)は神霊界における「神と神との大戦争」のひとつの結末が人類にもたらした最大級の「大橋」であったわけであるが、このような神霊界の様相を知らぬ(引用註:一顧だにしない研究者や)歴史家は、昭和二十年八月十五日を「歴史のターニングポイント」と喧伝するが霊的に見れば、それどころの騒ぎでない…昭和二十年八月十五日の刻限(時節)は「死と生の断絶」にさまよう全人類を「病まず死なず弱らず」の陽気遊山の世界へ転換すべく月日親神・素戔嗚尊がその神扉を押し開かれた一大記念日たる「第二の岩戸開き」(引用註:真の岩戸開き)であったのである。
そして、この輝かしき神の栄光を獲得したのが天理教を先走りとした三千世界の立替え立直しを宣言した大本経綸−第二次大本事件−であったのである。
すなわち、昭和十年十二月八日の大本弾圧、そして六年後の同月同日の大東亜戦争勃発(その結果としての昭和二十年八月十五日の大日本帝国崩壊)という、大本と大日本帝国との間に生起した「型と実地」経綸が、天理教で果たせなかった「唐人ころり」を達成したのである。
しかるに、「唐人ころり」を為し得た大本では「第二次大本事件」より五十年を経過した今日においても、あの犠牲は「三千世界立替え立直し」上いったいいかなる意義があったのか、あの弾圧により神の経綸はいかに展開し、前進したのか、という事が判然とせぬまま放置されて来ている…(引用註:この引用記事の書かれた暫く後に分裂した、大本関連の各三派(教団)によって捉え方や向き合い方が違うようですが…)
…では、何故肝腎の大本においてこれらの事が判然とせぬまま五十年間も放置されて来たのであろうか…弾圧の直接原因となった「昭和神聖会運動」は…昭和十年当時八百万とも言われる協賛者を獲得したが、この白熱した運動は、うなりをあげて渦となりながら、農村の疲弊に立ち上がった軍部の一部青年将校と合流して「昭和維新運動」を唱導し、ここに巨大なる運動体として成長した。
そのために、王仁三郎は「国体変革」を意図しているのではないか、との疑惑を当局より掛けられるに到った。
このような巨大な運動体の中枢にいる王仁三郎に対して側近の大本幹部たちは、当局の弾圧の用意ある旨を告げて運動の手を緩める事を再三再四、王仁三郎に勧告したこともある。しかし王仁三郎は頑として受け入れず、むしろ加速度的に運動を推進した。
困惑する幹部たちを前にして、王仁三郎はこう絶叫した。
「ワシは大本教の出口王仁三郎ではないんだ。世界を救うために出て来たんだ。世界さえ良くなったら大本教なんか潰れてもいいんだ」
そして、王仁三郎はこの言葉通り昭和十年十二月八日未明、島根別院三六亭において当局により検挙され、以後六年八ヶ月の未決入りとなり、全国を席巻した神聖会運動機関は即時、解散。大本も近代宗教史上類を見ぬ凄惨な弾圧の嵐を迎えることとなった。(引用者:大弾圧による被害者とその遺族の皆様に最大の弔意と敬意を捧げずにはおられません…)
そのために、弾圧から五十年を経過せし今日(引用註:佐藤氏がこの原稿を執筆した1986年)に至るも、当時を知る人々は「弾圧が来ることは誰の目にも明らかな状況であったにも拘らず、何故王仁三郎は幹部の制止を振り切ってまで、昭和神聖会運動を推進したのであろうか。そして『第二次大本事件』とはそもそもなんであったのか?」という深刻な疑問を自らに問い続けて来た。
それは心ある人々にとって常に議論の焦点となり、そのあげく、「当局の誤解説」、「神の経綸説」、「必然説」、「出口王仁三郎の贖罪説」、「出口王仁三郎の故意説」が飛び交い今日に到るもその結論は下されていない。
…(中略)…ところが筆者にしてみれば、かかる不毛の議論が今もってなされていること、それ自体が不思議なのである…天理教原典に垂示された世の立替えのプログラムを基本とすれば、天理教を先走りとしたその瞬間から大本は、神国完成という大使命上どうしても「唐人ころりこれを待つなり」という神の大望を達成せねばならぬ責務を負うこととなり、これを遂行するために出口王仁三郎は、意図的に昭和神聖会運動を組織し、強力にこれを推進することにより当局を刺激し、そして、わざと大本を弾圧させるべく当局を追込んだ、ということが明白に確認し得るからである。
まさに、「世界さえ良くなったら大本教なんか潰れてもいいんだ。」と獅子吼した王仁三郎の言葉通り大本は弾圧を受けた。そして、それにより型と実地の「鏡像現象」を生起させ、…「唐人ころり」を−その代償は実に大きかったが−果たし、神国完成に到るおおいなる神扉を押し開いたという、神の栄光を…(王仁三郎は)勝ちえたのである。
…王仁三郎は大日本帝国敗戦(唐人ころり)を「実地」に達成する目的のために、経綸神則上、大本を「型」として必然的に弾圧させなければならず、またその通り大本を追込んで行った。そして、王仁三郎は…天理教原典に確示された、昭和二十年八月十五日という神定の日柄に「唐人ころり」を成就したのである。
かかる王仁三郎の経綸上の足跡をたどって行けば、三千世界立替え立直し上に於けるこれら一連の経綸は、見事というほかないほどパーフェクトに成就された訳であり、そこには、【水も漏らさぬ神の経綸】が実施されたことが確認さればこそすれ…「霊的革命の挫折」などということは断じてないのである。
(以上、引用終わり)
文中の「水も漏らさぬ仕組み」については過去記事
http://blog.livedoor.jp/oni567/archives/7669086.html
や、前回の記事にも関連の投稿をしましたのでご参照下さい。
http://blog.livedoor.jp/oni567/archives/8080440.html
さて、いかがでしょうか?
前回の記事で、キリストの最後の晩餐に比較するような投稿をしましたが、今回ご紹介の文章を通じ、日本にも、昭和十年十二月八日、かような凄惨な試練を事前に承知しながら自己犠牲をも厭わず、神の計画をそのまま実施した出口王仁三郎という偉大な人物が存在したということに認識を新たにして頂ければ幸甚です。
また、天理、金光、大本と続く、神の経綸が「水も漏らさず」成就されていることにお気づき頂き、王仁三郎の後継者云々という人物や書物には、クレグレもお気を付け下さいませ。
では、今日も最後に王仁三郎の歌をご紹介します。
治安維持法違反容疑者としてけいさつへ 拘留されたる師走の八日
日地月星の団子も食ひあきて今は宇宙の天界を呑む
今日も最後までお読み頂きまして有難うございました。
http://www.asyura2.com/11/bd60/msg/765.html
23. 2012年6月24日 23:01:23 : F2uBriXfJw
>交通のことではなく、日本とメリーランドとの比較ですか、日本も地に落ちたものですね
自分がメリーランド州のことだけに当てはまることを書いたことすら忘れたようだ。
heiwatarouならぬboketarouですなぁ
http://www.asyura2.com/12/hasan76/msg/636.html#c23
19. 2012年6月24日 23:03:34 : DEDQokEUfT
*
天橋立は浮雲のごとし。
論ずるに値せず。
SBztI6XWSYさんへ:
音楽板も覗いてみて下さい。
面白いですよ。 茶魔も投稿しています。
27. 2012年6月24日 23:05:00 : KTqowwmITY
>>21
1300円台のときに10枚買ったw
1500万元手に、手数料+税込で50万以上釣りがきた。
いまはつぶれちゃったけど、当時、手数料が最安値だった協栄物産で購入。
ちなみに手数料10円/g。
ふつうは16〜18円/g。
もちろん先物の期近で。
ちなみに、なぜ買ったかというと副島の「預金封鎖」を読んだから。
いまとなってみれば、副島の予言はクズだったけど、結果的には正解だった。
その後、先物に手を出して分かったけど、副島は分かったようなことを書きながら、先物については完全に無知だった。
(そもそもシステムすら理解していなかった)
ここの投稿主と同じ。
http://www.asyura2.com/12/hasan76/msg/633.html#c27
03. 2012年6月24日 23:05:31 : Id0nbRJVLA
ヒッキーがよくても停電になったら困る人がたくさんいます!!
みたいな反論レスしたフォロワーが居るみたいだが
相手をヒッキーと失礼に面罵するお前さんの一生分より稼いで来た人だろうよ
原発擁護派って本当に人としてレベルが低いと感じた
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/137.html#c3
10. 2012年6月24日 23:06:08 : a9GzL2pA5I
たしか、タコやイカなどは、放射性銀を濃縮するはず、
毒性が良くわからないこの放射性銀を含む恐れのあるタコOKってダメだと思う。
困ったものだ。
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/112.html#c10
60. 2012年6月24日 23:06:52 : cCrcZ0sDf2
>>40 5uvl0AM6Ng さん
>細野は、総理の椅子などの、密約があるのでは?
マサカ〜、ハハハハ
それは無い!それは無い!
へそが茶を沸かしちゃうだろ。
http://www.asyura2.com/12/genpatu24/msg/815.html#c60
06. 2012年6月24日 23:08:34 : TRPPrl4BsA
野田君は、毎日辻立ちして、嘘ばっかり言っていたわけだから、船橋市民も怒るのは当然。もっと怒らなければ、バカにされるのは船橋市民。
寺島が、TVで相変わらず原発推進擁護。
もっとまともな奴だと思ってたけど、勉強不足露呈。
04. 2012年6月24日 23:09:07 : 7RU088Xctk
こらこらw
「うん、でも中トロかカッパ巻きかだったら私は中トロの方がまだいいや」
みたいなノリで言うなw 1qmOy4Hy0U
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/137.html#c4
07. 2012年6月24日 23:15:43 : rWmc8odQao
朝日新聞
「関西電力大飯原発(福井県おおい町)の再稼働撤回を求める市民らが24日、野田佳彦首相の地元、千葉県船橋市でデモ行進した。」
http://www.asahi.com/national/update/0624/TKY201206240163.html
「野田(首相)の地元で落選運動を誰か展開してほしい」
実現してよかったですね、日隅氏。継続していれば必ず落選させられると思います。
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/135.html#c7
*写真は出口王仁三郎晩年の近影
■引用元:ブログ「月は盈つとも虧くるとも」http://blog.livedoor.jp/oni567/archives/2100630.html
■最近よく紹介されている「続・瑞能神歌」は出口王仁三郎の著作ではありません。
これははっきりと明言させて頂きますのでお間違え無きよう。
「続・瑞能神歌」は王仁三郎の死後に彼の霊がかかったという人の言葉が口述されたもので王仁三郎の言葉であることは証明されていませんのでお気を付け下さい。
■下記の引用記事にそのあたりが詳しいのでご参照ください。
今日ご紹介する「大本神歌」は王仁三郎が大正6年12月1日に明治〜現代
そして未来を見通して、作った歌であると言われています。
これは「瑞能神歌」という冊子に、「いろは歌」(これも予言歌であると言われ
るもの)と一緒に収蔵された為に「瑞能神歌」とも呼ばれています。
最近、王仁三郎がその後に作った歌であると【間違って】巷間に流布してい
る「続・瑞能神歌」は、『王仁三郎の死後、その霊が広島の某信者に移って
霊言によって著された』ということですが、当ブログの過去記事
「 神がかりは禁止 by 出口王仁三郎」
http://blog.livedoor.jp/oni567/archives/1509623.html
をお読み頂ければ、王仁三郎が
大正10年以降は「神がかり」を禁止していたのに、当の王仁三郎が、しかも
一信者に「かかって」作歌するなど、考えられないと言う事は お分かり頂ける
ことと思います。
王仁三郎は生前、驚嘆すべき数の著作、和歌、芸術作品を残しており
わざわざ、死後、誰かに懸かる必要など一切ないことは明らかです。
王仁三郎は『霊界物語』に自らの全てを注いだ、『霊界物語』に全てを書いた、
ワシが恋しくなったら『霊界物語』を読めと、『霊界物語』こそが王仁三郎自身
であることを、くどい程、弟子、側近、信者に言い残しており、また、【本物の】
遺言にも『霊界物語』の拝読だけは何があっても辞めてはいけないとまで書き
残しているのです。
また、この『瑞能神歌』に収録されている、『大本神歌』は、第二次大戦までの
予言しかしていないとか、それ以降のことは「続・瑞能神歌」や「日月神示」などが
引き継いでいるなどと宣伝している人もいるようですが王仁三郎は弟子、信者に
下記の言葉を残しています。
昭和十九年六月頃、瀬領貞道氏、油谷靖通氏が、師である出口王仁三郎を訪ね、その時の記録が残されています。
(引用開始)
「後の世のために聞かせておく、今度お出ましになるみろく様は
『弥勒最勝如来』である」 と仰せられ、『瑞の神歌』は、今度のこと(第二次世界大戦)と違っておりませんか。と申し上げると
「何が違うか、少しも違っておらん。三番叟が終わって今度の戦争(第二次大戦)が初段で、今からが二段になる。人さえ殺したら戦争と思っているがそうではない。思想戦、経済戦などあらゆる戦争なんだ。今から二段目に入るんだ。三段いよいよ開くとき、みたま集まる大本の、いづのみたまを元帥に、みづのみたまを指揮官に…」
と仰せられ
「これが三段目や。いま二段の最中や。二段目をこまこう書かなんだのは、日本の軍隊はつぶれるぞ。天皇制がつぶれるぞ。そんな阿呆なことを書いたら、わしの首いくらあっても…へんがな。お前たちの首いくらあっても…。やがて今度くるのが三段目や。いよいよ開く時じゃ。その覚悟は充分にしておけよ。」と念入りに申された。
(引用終わり。みいづ舎刊『仏説法滅尽教と弥勒下生 』より)
この「瑞能神歌」が発行された当時(大正6年12月執筆大正7年2月発表)、在日米国大使館が日本の外務省に、アメリカは日本と友好国であり戦争することは絶対にないと強く抗議したという記録が残っているそうです。結果としては皆さんご存知の通りですが…
では、出口王仁三郎【本人による、本物の著作】『瑞能神歌』の中から、『大本神歌』の全文をご紹介します。
大本神歌
(一)
東雲(しののめ)の空に輝く天津日(あまつひ)の、豊栄昇る神の国、四方に周(めぐ)らす和田の原、外国軍(とつくにいくさ)の攻難き 、神の造りし細矛(くわしほこ)、千足(ちたる)の国と称えしは、昔の夢と成りにけり。今の世界の国々は、御国に勝りて軍器(つわもの)を、海の底にも大空も、地上地中の選み無く、備へ足らはし間配りつ、やがては降らす雨利加(アメリカ)の、数より多き迦具槌(かぐづち)に、打たれ砕かれ血の川の、憂瀬(うきせ)を渡る国民(くにたみ)の、行く末深く憐れみて、明治の二十五年より、露の玉散る刃(やいば)にも、向かいて勝を取らせつつ、猶(なお)外国(とつくに)の襲来を、戒め諭し様々と、神の出口の口開き、詔らせ給(たま)へど常闇の、心の空の仇曇り(あだぐもり)、磯吹く風と聞き流し、今の今まで馬の耳、風吹く如き人心、アァ如何にせん戊(つちのゑ)の、午の春夏秋に懸け、心落ち居ぬ荒浪(あらなみ)の、中に漂ふ苦しみは、神ならぬ身の知る由も、なく泣く縋る神の前、水底潜(くぐ)る仇艦(あだぶね)と、御空に轟く鳥船の、醜(しこ)の荒(すさ)びに悩まされ、皆散り散りに散り惑ふ、木の葉の末ぞ哀れなる。
(二)
聯合(れんごう)の国の味方と今迄は、成りてつくせしカラ国の、悪魔邪神(まがつのかみ)が九分九厘、モウ一厘の瀬戸際に、旗を返すと白露の、其振舞(そのふるまい)の非義非道(ひぎひどう)は、凡(すべ)ての計画(しぐみ)を狂わせて、勝つ可き戦争の負け始め、永びき渡る西の空、黒雲晴るる暇も無く、独り気儘(きまま)の仕放題 、印度の海も掠め取り、茲にも深き経綸(しくみ)為し、次いて浦鹽(ウラジオ)日本海、我物顔に跳梁し、トントン拍子に乗り出して、神の御国を脅迫(おびやか)し、モウ一と息と鳴戸灘、渦巻き猛る荒浪に、大艦小艦残り無く、底の藻屑と亡ぶるも、綾の高天(たかま)に最(い)と高く、空に聳えし言霊閣(ことたまや)、天火水地と結びたる、五重(いづえ)の殿に駆け登り、力の限り聲(こえ)限り、鳴る言霊の勲功(いさおし)に、醜(しこ)の鳥船軍艦(とりふねいくさぶね)水底潜(みなそこくぐ)る仇艇(あだぶね)も、皆夫々に亡び失せ、影をも止めぬ惨状(みじめさ)に、曲津軍(まがついくさ)も慄きて、従ひ仕へ来る世を、松と梅との大本に世界を救う艮(うしとら)の、神の稜威(みいづ)ぞ尊とけれ。
(三)
綾の高天に顕れし、国常立(くにとこたち)の大神の、神諭(みこと)畏(かし)こみ謹みて、厳(いづ)の御魂と現はれし、教御親の神勅(かみこと)に、日清間の戦ひは、演劇(しばい)に譬えて一番叟、日露戦争が二番叟、三番叟は此度の、五年に亙りし世界戦、龍虎相打つ戊の、午の年より本舞台、いよいよ初段と相成れば、西伯利亜(シベリア)線 を花道と、定めて攻め来る曲津神。力の限り手を盡し、工夫を凝らし神国を、併呑(ひとのみ)せんと寄せ来たり、天の鳥船(とりふね)天(そら)を蔽ひ、東の空に舞い狂ひ、茲(ここ)に二段目幕が開(あ)く。三段いよいよ開く時、三千餘年の昔より、国の御祖(みおや)の選まれし、身魂(みたま)集る大本の、神に仕えし神人が、御祖の神の給ひたる、日本心(やまとごころ)を振り起し、厳(いづ)の雄猛(おたけ)び踏み猛び、厳の身魂を元帥に、瑞の身魂を指揮官に、直日の身魂を楯と為し、何の猶予も荒身魂、爆裂弾の勇(いさぎ)能く、神の軍(いくさ)の奇魂(くしみたま)、奇しき勲功(いさお)は言霊の、天照る国の幸魂(さきみたま)、言平和(ことむけやわ)す和魂(にぎみたま)、魂の助けの著るく、轟く御代を松の代の、四十有八(よそまりやつ)の生御魂、言霊閣(ことたまのや)に鎮まりて、四方の国々天の下、治めて茲に千早振、神代ながらの祭政一致(まつりごと)、開き始めて日の本の、現津御神(あきつみかみ)に奉る、常盤の御代ぞ楽しけれ。
(四)
カラ国の天に漲る叢雲(むらくも)も、砲煙弾雨も晴渡り、日の出の守護と成るなれば、斯上無(こよな)き御国の幸なれど、十重(とえ)に二十重(はたえ)に累(かさ)なりし、糸のもつれの彌繁(いやしげ)く、解くる由なき小田巻の、繰り返しつつ行く程に、東の空にもつれ来て、退くに退かれぬ破目と成り、 彌々(いよいよ)出師(いくさ)と成る時は、五十餘億の軍資をば、一年経(たた)ぬ束の間に、烟散霧消(えんさんむしょう)の大惨事、巨万の生霊土と化し、農工商の国本も、次第次第に衰ろえて、青菜に塩の其の如く、彼方此方に溜息を、つくづく思案に暮れの鐘。進退茲に谷(きわ)まりて、天(あめ)を拝し地に伏し、狼狽えさわぐ弱虫の、カラの身魂は自から、現はれ狂ふ憐れさよ。然れど日本は千早振、神の守りし常盤国、国の真秀国(まほくに)珍の国(うづのくに)、神が表面(おもて)に現れまして、御国を守り給いつつ、世界を救ひ玉へども、未だ未だ心許されぬ、一つの国の御空より、降る雨里迦(あめりか)の一時雨、木枯さへも加わりて、山の尾の上(へ)の紅葉(もみぢば)も、果敢なく散りて小男鹿(さおしか)の、泣く聲(こえ)四方に龍田山、神のまにまに四ツの尾の、山の麓の龍館(たつやかた)、集り居ます神々の、厚き恵みに照り返す、紅(からくれない)の楓葉(もみじば)の元の姿ぞ目出度(めでた)けれ。
(大正六年十二月一日)
(引用終わり。出口王仁三郎著 『王仁文庫』第三篇「瑞能神歌」より「大本神歌」全文引用)
*旧漢字、旧仮名遣いを引用者の随意で数か所現代用法に改めています。
また、原文は総ルビですが引用時随意でルビを省略。
引用前の王仁三郎が弟子に語った部分は上記(三)の歌が該当します。
全文を繰り返し、味わって頂ければ、予言の内容のみならず、歌の音韻や流れなど 「似たり八合」の他の文章では及ばない、美しさや洗練さがあると思います。やはり、何事も「本物」を知り、味わう必要があると思うのですが如何でしょうか。
さて、王仁三郎は昭和十九年に今が二段目が始まった所だと述べた上で、「人さえ殺したら戦争と思っているがそうではない。思想戦、経済戦などあらゆる戦争なんだ」
と終戦間際から、「二段目」が始まり思想戦、経済戦などがそれ(二段目)に含まれていると説明していました。
現人神天皇制が終わり、軍隊が解散させられ、欧米や近隣諸国との、思想戦、経済戦が、今も続いている戦後〜現代史の史実と現実が、そのまま、王仁三郎の予言の正確さを証言しているかのように見えます。
しかし、永らく平和が続いた『第二次世界大戦後後の時代』も、昨年三月の大震災、津波、そして原発事故と政府の棄民政策によって終わりが告げられたかのようです。
まるで「三段目」が始まろうとしているかのようではありませんか?
王仁三郎は「大本神歌」の中では、『三段目』について詳しい描写を避けていますが、「霊界物語には(50世紀の先までのことさえ)全部書いてある」と明言し、弟子や側近には断片的ではありますが、はっきりと分かり易い言葉で、幾つかのヒントを与えています。
(当ブログの過去記事をご参照下さい☞ http://blog.livedoor.jp/oni567/archives/1212179.html )
さて、(上記URLの過去記事でご紹介しましたが)王仁三郎は「日本人が神に目覚めなければ…」こうなる、といった予言を残しいますが、これは逆に考えると「真っ暗な新月の欠け」からの光のような、小さいけれど、希望の光でもあります。
我々、一人ひとりが、神に目覚め(「宗教心や慈悲心、善心を取り戻す」と言い換えられるのはないでしょうか?)慈悲や愛の心で行動し、我々一人一人が心から「我良し、強いもの勝ち」の「行き過ぎた個人主義や、資本至上主義、拝金主義」を改めることができれば、最悪の事態「三段目」をも避けられる可能性や、「大難は小難に、小難は無難に」繰り合わせされることもある、ということでは無いでしょうか?
福島第一事故後の政府や東電の隠ぺい体質や、被害者への補償よりも利権の絡んだ「除染事業」を優先するなどという事態は、我々一人一人の心の中にある「行き過ぎた資本至上主義や拝金主義」や「自分の生活さえ確保できれば良い」と言った「我良し、強いもの勝ち」の心が無くならない限りは、変わらないのでしょう。
一見、回り道で時間も懸かりそうですが、我々一人一人が着実に、自らを「立替え、立直し」一人でも多くの人の心と行動を自ら変えて行くことが先決なのだろうと、今更ながら自らも思いを新たにしております。
今日も最後までお読み頂きまして有難うございました。
http://www.asyura2.com/11/bd60/msg/766.html
06. 2012年6月24日 23:16:51 : 2mLKszjwpc
日氏へ
私の必要性などないことが理解できたことでしょう
他の皆さんへ
私は私の感性を信じていますし、それを必要の無いものが居る事をも知っています
あなた方が私の文章をどうした興味から開くかは私には関心が在りません
睡眠薬として御使いになるのも結構ですし
そうして世の中に不思議があることを知る事もあなた方の自由です
そのように私をお役立ていただき有り難うございます
あなた方の生き方はあなただけに赦されていると言えるのですから
あなた方もまたあなた方にとっての真実とは誰から強要されるものである訳でもないでしょう
あなたが理解出来なければ特にあなたに対して他にメッセージは無いと云う事です
そして何かしら他者の考えるきっかけとなる事を理解して私はここに書いているに過ぎないと云う事です
http://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/109.html#c6
30. 2012年6月24日 23:17:08 : JlhOElFGlE
原発の運転自体も自衛隊が行うようにしたらいいんでは?
なまじ電力会社なんかがやっているから行き詰まるのよ。
国が責任を取るんだったら、国軍が担当して、変な利権にまみれないようにするべきね。
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/115.html#c30
82. 爺さん 2012年6月24日 23:17:48 : pkMRoq8j2xu8g : qemuULTWRw
それにしても最低限知っていることは書かないといけない。
草津温泉について、あくまでも私のキャリブレーション保障期間残8ヶ月のプリピャチで、γモード200秒の結果です。ご参考までに、場所は次の地点だけ。他は知りません。
賽の河原駐車場の天狗山スキー場側階段上り口で、スキー場側の林との際で地上1メートル、
2011年10月23日
0.28-0.32μSv/hでした。
同じ日に志賀高原発哺温泉入り口駐車場、アスファルト1メートルは0.05-0.09μSv/h。碓氷バイパス軽井沢側休憩所トイレ横0.18-0.0.22.
その前日に高崎市内自宅庭は、0.09-0.14。
桐生自然観察の森駐車場アスファルトは、0.09-0.11.
おまけで、原子力開発機構西側の水田の縁は0.18-0.20。
草津温泉に入るか否かはご自身の情報でご判断ください。あくまでも参考値です。
ちなみに、湯畑横の喫茶店で「倉渕村を通って帰るのは危険だから渋川回りにする」と言ったら、すかさずマスターとウエイトレスの厳しい冷たい視線を浴びました。これも私の誤解かもしれません。
DMSOと硫黄化合物について調べてからでも遅くはないと思います。
昨年知らずに、有名な群馬在駐お二方の情報を信じて2度行きました。2度ともその後1週間は重曹水のお世話になりました。
これも私の特異体質かもしれません。あしからず。
http://www.asyura2.com/11/genpatu19/msg/909.html#c82
106. 2012年6月24日 23:19:06 : 8J6kAIEgps
阿修羅住民の皆さんの中でも、Twitter のアカウント持ってる人達は、フォロワーの多い有名人や著名人のtweet にこういう事実をどんどん絡ませていけば、マスゴミのインチキ偏向報道よりもすごい威力発揮出来そうな気がする。
http://www.asyura2.com/12/genpatu24/msg/912.html#c106
107. 2012年6月24日 23:19:30 : rWn9PLlcps
推敲しました
日本全国どこでも公職選挙は総務省直轄組織選管指揮下で行われます。
公職選挙も近いし。国民の主権行使を妨害する票不正工作犯罪組織選管が始動する。
ダウンロード刑罰化法が施行される前にこちらをダウンロードしておくことをおすすめします。
>全国から集まった10代を中心としたハンガーストライキ
>>ttp://blog.goo.ne.jp/newgenerations/e/b60ef7447b10ffe409c0156faa40a4b5#comment-list
から
>仙波さん講演 (通りがけ) 2011-12-19 20:21:47
やはりこちらが視聴価値最高でしょう。
仙波さん1218講演
http://www.ustream.tv/recorded/19220862
>仙波さん講演 (通りがけ) 2011-12-20 05:27:28
こちらが視聴価値最高の比類無き仙波さんの講演前半です
仙波さん1218講演
>>ttp://www.ustream.tv/recorded/19219658
(後半>>http://www.ustream.tv/recorded/19220862)
選管の犯罪から自分の唯一無二の一票を守るには自前持参の黒ボールペン投票しかない。
>>ttp://blog.goo.ne.jp/hikarabin/e/36f6df9045e8722140619cbc79ba1c7d#comment-list
>主権者国民自身の手で選挙の公正さを守る (通りがけ) 2011-03-03 07:34:02(加筆)
選挙の公正さを日本国憲法主権者国民自身の手で守る。
総務省が管轄する選管職員による不正投票事件は全国で続々と明らかになっています。これは憲法に銘記された国民主権の正当な行使を不正な手段で妨害する公務員の憲法違反犯罪です。非常な重罪ですが、選管は投票箱から開票場の密室過程をいいことにほしいままに開票結果を操作することができるのです。
この不正役人の卑劣な妨害行為から自分の一票という国民主権行使を合法的に守るためには、次の準備が必要となります。
1.投票用紙への記入は備え付けの鉛筆でではなく、必ず持ち込みの黒ボールペンで強い筆圧でできるだけ大きい文字で記入する。
2.白紙投票は絶対にしてはならない。必ず黒ボールペンで強く「なし」または「棄権」または×印を大書して投票箱に入れる。
これだけで開票までに票に不正な操作を加えることがなんびとにも不可能となります。
また、投票場現場で選管職員や役所の職員が有権者の黒ボールペンの使用を禁止制止することは、憲法の国民主権の正当な行使権規定に反する公務員職権濫用行為となりますから、制止してくる役人があれば誰何して不正役人として記録し、その記録を証拠として公務員職権濫用投票妨害罪で警察に告発することができます。
参考:
>>ttp://c3plamo.slyip.com/blog/archives/2011/02/post_1991.html#22313
>>上記ブログの名古屋市選管関係エントリー
>>ttp://etc8.blog83.fc2.com/blog-entry-894.html
etc
最高裁判事国民審査も白紙投票はゼッタイいけません。必ず「持ち込み黒ボールペンで」最高裁判事オール×印不信任全員懲戒審査どぞよろしく
http://www.asyura2.com/12/genpatu24/msg/912.html#c107
239. 2012年6月24日 23:19:33 : DEDQokEUfT
*
管理人さんへ:
>>237のクレーマー五月晴郎は、下記の不適切内容をコメントしています。
阿修羅にふさわしい表現とは到底言えないので、削除してください。
http://www.asyura2.com/12/music7/msg/854.html#C26
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/667.html#c239
06. 2012年6月24日 23:21:43 : TOXwseb812
官邸番記者によると消費増税反対議員は処分できない人数に拡大したそうだ。
http://www.asyura2.com/12/cult9/msg/662.html#c6
*出口王仁三郎近影
「それはコレでくるのじゃハハハハハ」
■引用元:ブログ「月は盈つとも虧くるとも」http://blog.livedoor.jp/oni567/archives/8080440.html
■出口王仁三郎に纏わる『真贋』論争は第二次大本事件による弾圧と日本の敗戦をどう定義付るかで大きく変わってくるが、それを論考するにあたり外せないのが王仁三郎の事件直前の言動や弟子、側近による記録であることは間違いない。
◆以下引用記事
先週の記事では、「『第二次大本事件で日本裁判史に残る大弾圧を受けた出口王仁三郎は、その計画が中途に挫折した所謂、『偽物』である』という考え方は実は誤りであり、『型としての大本が大弾圧を受けるように仕向けること』こそが王仁三郎の経綸の中核であった」ということをご紹介しました。今週はもう少しだけ深く、そのことについて触れたいと思います。
「吾こそは大本神諭で予言された本物だ」「この書物こそは大本神諭や王仁三郎が語り得なかったことを示す、神の計画を完結させる後継者となる神示だ」と喧伝する人達は、大本神諭や王仁三郎の意図をよく調べもせず「中途で挫折した」と勝手に断定していると言わざるを得ないと思います。
「雛型経綸」という戦前の「皇道大本」を日本の雛型に見立て、「神劇」としての大弾圧を受けさせることで「大日本帝国」の軍事支配と国民の経済格差を解消し民主的な社会を到来させた、という神秘的な解釈を受入れられるかどうは別にしても王仁三郎が大正末期から昭和10年の大弾圧・投獄をされるまでの期間、戦前の日本の政治、軍事、社会の風潮に対して大きな影響を与えたという事実は少し調べれば判ることです。
王仁三郎が大弾圧を自ら誘発し、「神劇」を神の経綸の通りに実施したこと自体が常人を越えた実績ではないでしょうか。また、自らが時の政府によってその生命を絶たれるかも知れない、家族や弟子、信者を危険にさらすかも知れないと分かった上でも神の計画通りに大弾圧を誘発させることは、相当の苦悩があったことでしょう。
まるで、「ユダヤの王、救世主」として庶民からはローマの属国状態からの解放や国家再建を期待されていたが、実は自らの命を犠牲に捧げることで人類の罪の贖いという神の計画を実施したキリスト教の教義を彷彿とさせるような話ですが、政府当局から逮捕される前日にゲッセマネの丘で苦悩したイエス・キリストの聖書の一節のような逸話が王仁三郎に関しても残されています。
まずは、イエス・キリストの苦悩の場面をキリスト教の聖書から引用しておきましょう。
マルコ福音書 一四章 32〜42節
32 さて、一同はゲッセマネという名の場所に来た。そこでイエスは弟子たちに言われた、「わたしが祈りおえるまで、ここに座っていなさい」。 33 そして、ペテロとヤコブとヨハネを一緒に連れて行かれたが、恐れおののき苦悶しはじめ、 34 彼らに言われた、「わたしの魂は悲しみのあまり死ぬほどである。ここに留まり、目を覚ましていなさい」。 35 それから少し先へ行って、地にひれ伏し、できることならこの時を自分から過ぎ去らせてくださるようにと祈りつづけ、 36 こう言われた。「アッバ、父よ、あなたはどのようなことでもできる方です。この杯をわたしから取り去ってください。しかし、わたしが願うことではなく、あなたが欲したもうことを成し遂げてください」。
37 それから、戻ってきて、弟子たちが眠っているのをごらんになり、ペテロに言われた、「シモンよ、眠っているのか。ひと時も目を覚ましていることができなかったのか。 38 試みに陥らないように、目を覚まして祈っていなさい。霊は欲していても肉は無力なのだから」。 39 そして、また離れて行って、同じ言葉で祈られた。 40 再び戻ってきてごらんになると、弟子たちは眠っていた。彼らの目は重くなってしまっていたのである。彼らはイエスにどうお答えしてよいのか分からなかった。 41 イエスは三度目に戻ってきて、彼らに言われた、「ずっと眠っているのか。休んでいるのか。もう決着したのだ。時が来た。見よ、人の子は罪びとらの手に引き渡されるのだ。 42 さあ、立て。行こう。見よ、わたしを引き渡す者が近づいてきた」
王仁三郎は自身の築いた戦前の大運動「昭和神聖会(当時800万人の会員、賛同者がいた)」と、その中核となる教団、「皇道大本」に対する大弾圧が行われた、昭和十年、弾圧直前までに、弟子や側近、賛同者から運動を鎮静化、縮小し、政府を刺激しないようにと何度も忠告を受けていました。
自身の娘で後に三代教主となる出口直日氏(故人) でさえ、その行動の意味を理解できず運動に対する懸念を表明していたようです。(また、昭和初期のある時期には、直日氏の配偶者である出口日出麿氏を担いで王仁三郎から教団の実権を奪おうという動きまであったそうです。)
では、王仁三郎の大弾圧前の心境を窺える資料から引用します。
(引用開始)
(註:昭和10年夏、昭和神聖会の運動の一環であった「昭和青年会」が王仁三郎の指揮の下、亀岡の皇道大本の敷地(天恩郷と名付けられた明智光秀の旧居城亀山城址)にて示威行為と見得るような防空演習を実施しようとしていた…)
■昭和十年夏の演習
…昭和10年12月の大検挙の年の夏の大祭時にも、昭和青年会が地方から参集した会員に模範を見せるといって東光苑(天恩郷の敷地内)で防空演習を計画していた。
地方の宣教を終わって帰った私は、どの程度に演習するのかと神本泰昭氏(昭和青年会国防部長)に聞くと、実にそれは大がかりで本格的なものであった。「それはいけない、もっと縮小した余興程度にせよ」と注意したが、「すでに聖師(王仁三郎)からの許可を得ているし、各準備も出来た。今さら縮小することは困る」という。
そこで私は聖師に面会し「聖師のお言葉で小さく型をして見せよと言ってほしい」と頼んだ。すると聖師は「ヨシ、神本にそう言っておく」と言われたので私は安心し、祭典行事の準備などに没頭した。
…各地より参拝された幹部の方々と今後の打ち合わせをしていると、東光苑で歓声が湧き起こり、爆発の音がにわかに起こった。防空演習の型をしているのだくらいに思い、聖師のそばへ行くために東光苑のあたりを見ると…京都府の警察部長をはじめ、各特高(警察)の幹部等が二十名ばかり東光苑を注視していた。
これは何事だと思い、すぐ聖師のそばへ馳せつけてみると、京都の憲兵隊長を始め十師団の参謀もまじって東光苑の演習を見ている。空からは八日市飛行隊の飛行機が三機飛んで来て、模擬弾を落としている。東光苑は火の海となり、これを消化する青年会員が走り回っている。大変な演習である。
大国(註:この引用元文章の筆者)の頭をかすめたのは、京都府警の幹部は何と見たであろうかということであった。大がかりな演習はやるなと注意したのであるが、在郷軍人出の昭和青年会員たちが中堅になって、実戦に似たような演習をやってのけたのである。
■「コレでくるのじゃ…」
…総務会が開催された。…聖師も来られていたので私は思い切って、「これまでいろいろの運動をしたが、もうこれ位でしばらく運動を縮小するようにしたいと思いますが、皆様どう思いますか」と言うと誰も発言するものがない。二度も催促すると高木総務が「それがよい、当局をあまり刺激しても問題だから」と賛成してくれた。
…しかし他の総務は全く無言である。最後に聖師の御意見をとお願いすると「わしは反対だ、このまま継続したらよい」ということであった。そこで私は、東京で憲兵指令官の秦中将が「用心しないととんでもない誤解を受ける。国のためや国民のためとこちらは思っていても他の当局者はかえって邪魔者と見て、あるいは何をしだすかもしれないよ。注意してくれたまえ」と再三忠告してくれたことを話した。
すると(出口王仁三郎)聖師は
「それはコレでくるのじゃハハハハハ」
と笑って自室に引きこもられた。
その、コレ、というのは手を曲げて人さし指と親指を立てて見せられた。大国はピストルの形だと思った…
■第二次事件直前の聖師(王仁三郎)
その頃聖師は、近侍やその他の面会に来る人に「わしは南洋へ行く」とか「人の行かぬところへ行く」とか人々に謎のようなことを言っておられる。秋の大祭の間近かには、南洋のポナペへ行くとはっきり言われたり、いろいろのことを言っておられる。
…そのころ、(皇道大本の)幹部会が開かれ、聖師からの神命ということで、次のような特派派遣(王仁三郎の特命を地方の教会に伝える宣伝師(宣教師)の特別派遣のこと)が決められた。…全支部を回り、一か所へ会旗を招集して旗頭のご神体を調べ、立替え立て直しは近くに迫っていると伝達して帰れということであった。
大国には、中国、四国、九州を回って(昭和十年)十二月八日(大本事件勃発の日)に島根別院の大祭があるから、その時別院で会うことのできるよう帰ってこいと命じられていた。後で知ったことであるが、留守中、私の家に近侍をつれて霊界物語を毎日持って来られ、同一の巻を五冊づつ持ち込まれたそうである。これは何を意味するのか分からないが、二階があったがその一室に全部積み重ねられたということである。
東西に別れて特派され、各会旗を調べ「時が迫っている」と伝えるだけで、それが何の意味か、特派された者にもよく呑み込めなかった。ただ大国には「松江が終わったらしばらく休養させるから、それまで辛抱してくれよ」と言われた。ありがたいことだ、身体も弱っているようだからしばらく休養ができると喜んで私は出発した。次々といそがしい行程であった。途中、大谷君が「先生(この引用文の筆者)のそばに犬がついてまわっている夢を三回見ました。おかしいことですよ」という。
「そうか、あるいはスパイが私のまわりを嗅いでいるのかもしれない。だが何もありゃせんよ、まあこの旅行が済めば一段落だ、休養がとれる。その間に先祖の墓にまいって不孝をおわびしなくてはならない」と言いつつ十二月七日に松江に着いた。
■十二月七日の聖師(王仁三郎)
すでに着いておられた聖師に面会し、種々報告すると「ご苦労だった、サア茶を飲め」と自ら茶をたてて飲まして下さった。島根別院の大祭の準備はどうなっているかと案じて大広間の方へ行こうとすると、「どこへ行くわしのそばに居てくれ」と言われるので、そばに座って何をするでもなくじっとしていると、聖師は、「この別院には、茶室がある。二代(註:王仁三郎の妻、大本二代教主の出口澄教主のこと)を呼んでそこで茶を飲むことにしよう」と二代教主を呼ばれ、大国と共に茶室に入られ、聖師みずから茶をたてて二代さまに飲まされ、次いで大国に飲めと薦められた。
そして二回目には聖師が一口、二代教主が一口、残りの一口を大国に飲まされ「これで茶の晩餐会じゃ、ナザレの聖者キリストは多くの弟子と晩餐会をしたというているが、わしらは三人だけじゃハハハハハ」と笑われ、「大国、小遣いをやろう」と、手かばんから金を出されたので「もう一緒に亀岡へ帰るのですから金はいりません。小遣いは持っています」というと「イヤいることがある。コレだけは持っておれ」とポケットに押し込まれた。辞退したが、どうしても持っておれとのことであったので、何か入用なことができるのかなあと不思議に思いつつ「それじゃおあずかりしておきます」と答えた。 (註:王仁三郎は良く、霊眼でその人が必要なものを前もって持たせるようなことがあり、当人は不思議に思っていても後々にその理由が判ることがよくあったようです)
その時、赤山は夕焼けで美しい景色を展開していた。雄大な美しい景色だなあと聖師は立って眺めておられたが、目を一転して赤山の紅葉を眺めつつ、
「『裏をみせ表をみせて散る紅葉』という一句がある。美しい句だが、大本は裏も表もなく、すべての人が神の道に救われて永遠の生命を天国に楽しむことが出来る道を開くために奉仕のまことをつくしているのだがなあ」と独語された。
これはまためずらしい聖師の独り言だと思い、私は二代教主と顔を見合わせて聞いていた。しかし既に日が暮れかかっているので、「私は地恩郷(註:大本の松江近郊の別の施設のこと)へ今夜は泊ることにしていますので、これから行きます。明朝早く帰ってまいります」(註:王仁三郎夫妻は地恩郷ではなく宍道湖の湖畔の大本の松江別院に宿泊していた。)とあいさつして退出し、地恩郷へと急いだ。
松江城を横に眺め、地恩郷へ行くため駅へ急いでいると、自転車で青年が「聖師様がお呼びになっております。すぐ引き返して下さい。」と、自転車の後ろに乗せて別院へいそいで引き返させられた。
「聖師様、何か御用ですか」と顔を出すと「ウン、一パイこれを飲め」とまた茶を飲まされた。「何か御用は?」と聞くと、「ハハハ、お前の顔が見たかったからなあ」と言い、何の要件もない模様であるので、何のことだと思いつつ、また地恩郷へと急いだ。すると、駅前まで行くとまたうしろから自転車で青年が追いかけてきて、引き返してくれという。何のことじゃとどなると、「聖師様がお待ちになっております」という。
しかたなく自転車のうしろに乗って引き返すと、聖師は座を立って玄関の所に待っておられた。そして「大国、チョッと身体の調子をみせてくれ」と言いつつ、私の身体を両手でなぞられ、お茶を飲まんかといわれるので、「お茶はもうご免です。はやく地恩郷へ行かねば、遅くなると向こうでも困りますので、御用がないならこれで行かして下さい」と強引に地恩郷へ向かった…
■十二月八日のこと
その夜はぐっすり寝込んだが、八日の夜明けに(地恩郷の)吾郷夫人に起こされ、「今、駐在の人が来て、松江の神劇(註:ここでは、この時、松江別院で実施される予定だった霊界物語等、題材にした実際の演劇のこと)のことで分からぬことがあると迎えが来ている。朝早く失礼だが一緒に来て欲しい、と言っているので…」と起こされた。
すぐ起きて何事か判らぬがと言いつつその私服の巡査につれられて小境の駅に着くと、五、六人の人が同じ車両に同情しに来た。松江駅に降りて駅前の広場に出たとたん、五、六人の私服がとり巻き、抵抗すると撃つぞと叫びつつ大国をとりまき、自動車に押し込んで松江警察につれ込んだ。
ヒョイと見ると応接室に聖師が立っておられ「オオ」と声をかけられると、警官が大国を抱くようにしてひきづって奥につれ込み、畳ばかりの部屋に入れて四人の巡査が監視した…
(引用終わり:『いづとみづ』誌1986年4月号掲載、「 第二次大本事件の原因は何か(3)」大国美都雄著)
引用文の著者の大国美都雄氏と王仁三郎夫妻の三人での最後の晩餐ならぬ、最後の茶会。なんとも日本文化を大切にして来た王仁三郎らしい逸話です。そして、何度も何度も、高弟である大国氏を呼び返し別れを惜しむ王仁三郎。宍道湖畔の美しい紅葉の景色と共に情景が目に浮かぶようです…
渡されたお金は、王仁三郎の予見どおり、大国氏の収監時に必要になったということです。
このような逸話が実際に多く残されており、王仁三郎が既に弾圧事件を予見しており、敢えて自らと家族や教団、運動団体まで犠牲にしてまでも、立替え立て直しのための「神の経綸」の為に全てを捧げようとしていたことが読み取れます。
以前にもご紹介しましたが、当に、大本神諭の「 この仕組みわかりてはならず、わからねばならず …」という言葉を顕すような実例ではないでしょうか。
大本神諭に述べられていた神の経綸についての不可思議な言葉は王仁三郎の一生について調べれば調べるほど多くの符号を見つけることができ、パズルのピースがピタリ、ピタリと嵌って行くのです。
神諭が、王仁三郎の身魂こそが「てんのみろくのかみ」として神の経綸を実施するその人だということを言葉を変え、繰り返し、繰り返し述べている理由が分かります。
そして、その王仁三郎は、生前の神業と霊界物語口述とによって、仕組みをなし終え、神の「水も漏らさぬ仕組み」に自ら驚きつつ「笑いの止まらぬ仕組み」であると獅子吼しているのです。
王仁三郎は霊界物語の拝読を、誰が何と言おうと継続するようにと、その真の遺言に残しています。
王仁三郎の予言や事績に驚き、興味を持ち、彼を知ろうと欲する全ての人にお願いしたいのは是非、彼の言葉を直接『霊界物語』から読み取って頂きたい、という事に尽きます。
(『霊界物語』の膨大さに圧倒されている方は、王仁三郎の孫で作家でもあった、出口和明氏のドキュメンタリー小説『大地の母』から入るのも良いかも知れません。)
では、今日も最後に王仁三郎の和歌を幾つかご紹介させて頂きます。
人生の業務を忘れて自己愛に溺(おぼる)る人の多き御代なり
人生の大目的は地の上の妖邪を払ひ潔(きよ)むるにあり
濁りたる世を清むるは人生の最大一の天職なりけり
無意義なる生活を為す人々の末はかならず亡びを招かむ
主(す)の神の人を斯(こ)の世に降(くだ)したるは天地に奉仕の為と知らずや
http://www.asyura2.com/11/bd60/msg/767.html
20. 2012年6月24日 23:31:21 : DEDQokEUfT
*
>>14 >>16 >>18
意味不明だが、細かいことはどうでも良い。
ID: qKgAQKfApkを検索すると、例の「北京一」のスレが第3列目に列挙されているが、【誰に依頼しようとも】消せない。
そのうち政治板の阿修羅読者も音楽板の読者と同様、「五月晴郎」の品性に気づくだろう。
http://www.asyura2.com/12/music6/msg/396.html#c20
580. 2012年6月24日 23:31:21 : NJLjNk31wI
6月24日(日)
NHK ETV特集「飯舘村一年」(ナレーション:中条誠子)視て、泣いた。
国会議員は閑だろ。こんな番組だけを見ろ!バカ野郎!
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/749.html#c580
50. 2012年6月24日 23:31:29 : 8J6kAIEgps
こんな勝手な情報隠匿や偏向報道ばかりのNHK に受信料なんか払う必要は全く無し!
そもそも民法との差別化も出来ず、公正中立な報道の振りばかりで実質まともなジャーナリズムのカケラも無しに、民放各局と一緒になって刷り込み洗脳報道しかしていない放送局は、存在価値無し!
02. 2012年6月24日 23:34:18 : 2mLKszjwpc
>01
あなた方は実に観念的な生き物として生存する事のみにしがみついているということに気付かないのです
そしてこれが一般人にむけられた共感を呼び込むような内容の文章では無いと云う事を見抜くのであれば
初めからそのように書かれたと云う事にも気付ける筈なのです
宗教という言葉の本当の意味も使い方もあなたは理解していないように見受けられます
あなたはこの文章から私が組織的な宗教というものに関心が無いと云う事が理解出来ていません
あなたが評価するように私もそうしたあなたをこうして評価出来るのです
実に観念的に生きている人々の多い事をこうして私も又目の当たりにしているということとは
あなたが代表して私に伝えて暮れている事ですが
私がそのようにあなた方を見続けている事にもひとつの原因が在るように思います
ですから此処迄にしたいと思います
あなた方にはあなた方の知恵を駆使し
「絆されるだけの」知り得た感情に因る
ヒューマンドラマを今後も見続けていく権利が在ります
私はその邪魔をするつもりは在りません
理解出来ない事があれば理解出来る事だけに目を向けていればよろしいではないですか
あなた方をコントロールしようなどとは思ってはいません
あなた方も又人をコントロールしようとはしていないでしょうね
それこそが宗教的と世界観と云えるものである事を知る
良い機会というものに巡り会えると良いですね
http://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/108.html#c2
30. 2012年6月24日 23:35:32 : We6Af8Az7M
27. 2012年6月24日 16:08:19 : txKoq6KBVw27>>ガレキの全国希釈化はモンサントやカーギルの穀物メジャーが外圧でやらせている。TPPは、悪魔企業の世界戦略だと言う事実を認識しよう。。
2011,02,23, Wednesday
現代版「ノアの方舟建設計画」をご存知だろうか?
Translate(翻訳)| | author : blog master
TPPが唐突に話題になってから、その内容を知るに連れてある2007年頃から一部で話題になっていた事と結びつき合点がいった。
2012年の終末論を真に受けてでは有るまいが、2008年北極海の小島に「ノアの方舟計画」は実現された。
この計画を推進しているのはノルウェー政府であるが、資金面で協力してきたのがビル・アンド・メリンダ・ゲイツ基金(ビル・ゲイツ)とロックフェラーなどのヘッジファンドの帝王達だ。
ノルウェーのスピッツベルゲン島に建設された「あらゆる危機に耐えうるように設計された終末の日に備える北極種子貯蔵庫」と言われているのが「ノアの方舟」にあたる。計画の内容が「種子の保存」である。それだけ聞けば至極あたりまえのように思うかもしれないが、この計画に関わっているのは米国の巨大アグリビジネス企業「モンサント社」。そのモンサントの大株主がビル・ゲイツなのだ。
「スヴァールバル世界種子貯蔵庫」
モンサント社を「遺伝子操作」「枯葉剤」などで検索して頂くと陰謀めいた話しが五万とでてくるのだが、要するにモンサント社は農業においてもっと重要な種子を販売する世界シェアを90%近く持っている。モンサント社が販売している遺伝子操作されたハイブリット種(F1種)はその名のとおり、優秀な生産性を持っているが、すでに十年以上前から、これが「悪魔の種」であるとの警鐘が鳴 らされ続けてきた。このF1種、一度畑にハイブリッド種を蒔種するなら、それは一代限りしか育たず、種を蒔いても劣悪なものに変わってしまい、永久に種を買 い続けなければならない。しかもこのF1種はモンサントの特許農薬とセット売りなのだ。その農薬こそベトナム戦争で使われた「除草剤」あの悪名高き「ラウンドアップ」、モンサントはその開発の当事者。このF1種、従来の野菜種と勝手に交配して、種をとれなくしてしまうものであり、この目的が、農民から種の再生産の機会を奪い、永久に モンサント社から種苗を買い続けなければならない構造を産み出すものだ。
既にインド、ブラジル、メキシコなどに進出したモンサントはこのF1種と交雑した品種にもモンサントの知的所有権が及ぶとして、零細農民に対し巨額費用のかかる訴訟を提起し、泣き寝入りにし向けてきた、まさに「悪魔の企業」であった。
実は我が国日本においても種苗を販売する会社の多く9割以上がモンサントやカーギルなどに経営権が買収されている。実質的にビル・ゲイツやロックフェラーの会社ということになる。これらの会社で販売されるF1種からは当然、収穫からの種苗の見返りはない。日本では唯一「野口種苗」だけが従来種を扱っている。
そこで話は昨年アメリカ上院で可決された上院510法案「食品安全近代化法」に関心を寄せて欲しい。恐らく下院でも通ってしまうだろうというこの法律は「米国の歴史で最も危険な法案」と言われている。この法律により、人々が食べ物を栽培し、売買し、輸送する権利に対し、米国政府は新たな権限を得ることになる。連邦政府の独裁的な規則を遵守せずに有機製品を輸送すると犯罪になる。さらに、種の貯蔵も犯罪になり代々受け継がれた種を貯蔵して家庭菜園をしている人は一般犯罪者になってしまう。これには、明らかに、モンサントなどの企業に種子を独占させる意図がある。様々なまやかしのような修正案をもってして下院も通過してしまうであろうこの法案は国(国民)が持つべき食糧供給の主権を奪われることになるのではないだろうか。
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/107.html#c30
240. 五月晴郎 2012年6月24日 23:39:55 : ulZUCBWYQe7Lk : qKgAQKfApk
>>239 DEDQokEUfT
あんたが、幾らやめろと言っても変態的表現で有ることをねじ曲げて触れ回ったり、無いことを捏って触れ回るから、出た言葉だろ。
02. 中川隆 2012年6月24日 23:40:05 : 3bF/xW6Ehzs4I : HNPlrBDYLM
日本が世界で一番悪質な人身売買国家なんだけどな:
人身売買とは、人間を金銭で売り払うことを指します。
その目的は、強制労働、性的搾取、臓器移植、国際条約に定義された薬物の生産や取引、養子など実に様々で、多くの場合、人の移送が国境を越えて行われています。
当然それは犯罪行為であって、国連が1949年に発効した
『人身売買及び他人の売春からの搾取の禁止に関する条約』によって禁止されていますが、
そんな条約が存在すること自体、人身売買が世界中で現在も行われている事の証拠とも言えるのです。
そしてそれは、私達の住む安全安心な日本も例外ではありません。
海外から連れてこられた女性達が、性的搾取を目的として移送されてくる国、つまり人間と言う商品を輸入する国、それが日本。
信じられないかもしれませんが、中国農村部・タイ・ミャンマー・ラオス・カンボジア・ベトナムなど東南アジアからの移送が多いという警視庁の統計まで出ています。
今の日本は、本当に様々な商品が溢れ不自由無く暮らす事が出来ますが、
その裏側にはアジア最大の売春送り出し国であると同時に、世界最大の児童ポルノ生産・供給国という顔を持ち。
そこには、尽きる事の無い人間の欲望が、うごめき、ひしめき合っているのです。
そして、その影にこそ、ここで紹介する裏仕事『人身売買ブローカー』の姿が存在します。
以下、実際にあった事件を元に話を進めましょう。
2002年12月20日、とある人身売買ブローカーが逮捕されました。
ブローカーは、外国人女性達に架空の借金を課せると、逃げられないよう見張りをつけ
道に立って客をとらせたり、劇場に連れていきセックスショーを強制させるなど、性・借金奴隷として強制的に性的労働をしいたのです。
女性たちが売春を拒めば暴力をふるい。
歯を折られたり、体中があざだらけの女性たちの存在も明らかになっています。
逮捕の容疑は不法就労斡旋、有害業務紹介でしたが
女性たちは来日前に『レストランの仕事』『ベビーシッターの仕事』などと紹介されて日本に連れて来られ
その後売春を強要されていました。
そしてそんな彼女達の働きから暴利を貪る、それが人身売買ブローカーの裏バイトなのです。
さて、最後に少しだけ日本から離れ世界に目を向けてみましょう。
人身売買の対象になるのは、反抗する力のない貧困層、少数民族、災害の罹災者、移民などのマイノリティーや、子供が選ばれます。
例えば、途上国の路上で生活する『ストリートチルドレン』が世界には1億人以上いる事を知っていますか?
働くすべを持たない彼等は、飢えを凌ぐ為に物乞いをして過ごし、そんな彼等が消える事に、人々は関心を抱くでしょうか・・・。
人々の欲望が創りだした巨大な巨大な生き物は、いつからか弱い人間を飲み込み、今日もブクブクと成長を続けています。
そしてその成長は、人間が生きる限り決して止まる事はないのです。
次に、飲み込まれるのは、私達自身かもしれないのに・・・。
http://urabaito121.hustle.ne.jp/ca/ya/jinnsinn.html
人身売買は日本国内でも問題になっている。
国内では毎年のように、タイやカンボジアといった東南アジア諸国から入国目的を偽って渡航してきた少女が保護され、売春を強要していたブローカーが逮捕されている。
タイをはじめ東南アジアから日本に渡航した人身売買被害者の少女たちは、アパートの一室などで毎日、休みなく売春行為をさせられている。
その収入の多くがブローカーや子を売り渡した親に渡るが、売春をしている少女本人が受け取る金は極めて少ない。
タイ北部のパヤオ県やチェンライ県では、広大な農地の一角に巨大な豪邸が建っている事がしばしばあるが、これらの多くが子の売春で富豪になった親たちの住まいである。
だが、親たちは子が「日本やバンコクの工場で働いている」とブローカーから聞かされ、その嘘を信じて疑わない。
http://polarisproject.blog96.fc2.com/blog-entry-581.html
千曲の売春・人身売買事件タイ人2人容疑で逮捕
千曲市上山田温泉のスナック「シャンデリア」を舞台にした売春・人身売買事件で、県警生活環境課と千曲署などは6日、いずれもタイ国籍で、同所のスナック「レモングラス」従業員コバヤシ・ラタヤ(26)(長野市合戦場)、住所不定、無職パラセーン・アナンヤー(34)の両容疑者を人身売買(売り渡し)容疑で逮捕した。
発表によると、2人は共謀、昨年11月中旬、レモングラス店内で、タイ人女性(30)を240万円でタイ国籍で同市内川、シャンデリア経営者のタナカ・ナッタポーン被告(41)(人身売買罪などで公判中)に売り渡した疑い。2人は「金は受け取っていない」などと容疑を否認している。
捜査関係者によると、女性は、昨年11月から今年6月までシャンデリアでホステスとして働き、客相手に売春をしていたという。 ソース:読売新聞 (2009年12月7日)
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タイ人女性を日本の売春組織に斡旋していた女が10月18日、東北部コンケン県内のガソリンスタンドで逮捕された。
この女は東北部ノンブアランプー県内の学校教師、チラパット容疑者(53)。
調べによると、2009年11月13日、売春目的のタイ人女性を数人連れて日本に行き、日本側エージェントに引き渡し、手数料を受け取った後、タイに戻ったという。
しかし、タイ人女性は日本到着後、諸費用として約100万バーツを請求され、その返済のため、軟禁状態での売春を強要された。
これら女性は、今年6月3日、日本の警察に保護され、タイに強制送還されているが、日本での取り調べで、チラパット容疑者の存在が明らかになったことから、日本側がタイ警察に捜査協力を求めていた。
http://ameblo.jp/onigasima-kaminarisinno/entry-10387226989.html
13歳のタイ人少女、日本に人身売買される 21世紀版「じゃぱゆき」さん
まだ年端もいかない13歳の少女を日本に売り飛ばし、一年あまりに渡って、温泉街などで売春させていた。
その仲介者二人が逮捕された。21世紀のいま、日本で起きている現実の出来事だ。
タイから連れてきた当時13歳の少女を売春目的で売買したなどとして、警視庁少年育成課は4日、タイ人ホステスら2人を児童買春・児童ポルノ禁止法違反(児童買春等目的人身売買)などの容疑で逮捕したと発表した。
逮捕されたのは、神奈川県愛川町中津、
タイ人ホステスでブローカーのピンゲーウ・グリッサニー(24)、
東京都日野市旭が丘、会社員白鳥清(65)の両容疑者。
調べによると、ピンゲーウ容疑者は2002年10月ごろ、タイ国籍の少女(当時13歳)が18歳未満と知りながら、日本に入国させ、新宿区内のファストフード店で別の売春ブローカーの女に売春婦として売り渡し、現金230万円を受け取った疑い。
また、白鳥容疑者は04年1月ごろ、群馬県高崎市のJR高崎駅前で、15歳になったこの少女を埼玉県川越市の男(68)に紹介、6万円で売春させた疑い。
調べでは、少女はタイ国内で「日本に行かないか」と誘われ、入国した02年10月から04年4月にかけて、売春ブローカーらに次々と売買されながら、群馬県内の温泉地や都内のホテルなどで、計約200人を相手に売春させられていた。
少女は計約400万円を稼いでいたが、月約3万円をタイに送金するなどしていた以外は、白鳥容疑者らに巻き上げられていたという。
同課の調べでは、今年3月に入管難民法違反のほう助の疑いで逮捕された独立行政法人「宇宙航空研究開発機構(JAXA)」の調査役の男(当時59歳)が、自宅に住まわせていたタイ人の少女(19)も、白鳥容疑者らの組織から転売されたものとみて、詳しく調べている。(2005年7月4日12時23分 読売新聞)
白鳥清らが売春代金のほとんど、400万を奪い、少女には月3万。
その3万も少女の親に仕送り。
少女は、売春を拒否すれば家族に被害が及ぶと脅され、1年5ヶ月で200人の客と。
もし摘発されなかったら、少女は苦界から解放されなかったんだね、何て奴らだ。
http://blog.livedoor.jp/milkbottle/archives/27287954.html
騙されて連れてこられて、気がついたら売春を強要されていた13歳の少女。発端はJAXAの少女飼育男か。あれも碌でない事件だったが。
彼女は現在、タイ国内の保護施設で心の傷を癒しているそうだが、大人の欲望に蹂躙された痛手は深い。NHKの報道。
娘達を売って、「豊かな暮らし」を手に入れた父親が得々として豪邸を見せて、自慢している。
大人がなぜ少女達を売りさばくのか。
背景には絶対的な貧困がある。貧困によって教育を受けてない親は、平気で娘を売る。
けなげな娘達は、まさか自分が売春をしに日本に行くとは思ってないのだ。
ブローカーは、工場で働くなどと騙して連れてくる。
国内では、「異様に若い風俗嬢」が目撃されている。
http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2005/07/1321_2b3e.html
【タイの「人身売買」 1人240万円、「品評会」で仲介】
タイ人女性を不法に入国させ、強制的に売春などをさせる「人身売買」に関与しているタイの人身売買組織の関係者と朝日新聞記者がバンコクで接触に成功した。
日本に連れて来られ、売春などを強要される外国人女性はタイ人が一番多い。
日本での生活費などと称して法外な借金を背負わされ、長期間にわたり自由を奪われる。
入国審査で指紋採取が義務づけられたが、この関係者は、他人のパスポートを使う方法でしばらくは不法入国は続けられると話した。
11月下旬、タイの首都バンコク。午後、指定されたホテルの一室に、タイ人女性のグループが入ってきた。
人身売買組織の元締の女性(45)と仲介役の女性(38)、日本に「売られる」女性が3人。
「私がボスです」と元締女性は名乗った。
見た目はどこにでもいそうな中年女性だ。
女性を日本の受け入れ側に紹介する機会を、タイ人仲介者の女性は「品評会」と呼んだ。
ボスのところには、人身売買と知りながら「仕事」と割り切って日本行きを希望する女性が多く訪ねて来る。
女性に服を脱がせ、出産の跡がないかなどを調べることも受け入れているという。
「240万円を用意できますか」。
ボスは、どんどん契約の方向に話をもっていこうとする。
からくりは、こうだ。
日本に送り込まれる女性は、1人あたり240万円で日本のスナック経営者らに売り渡される。
女性は、日本での生活費などとして、取引したスナック経営者らに500万円の借金をした形にされる。
スナック経営者らは、女性を店で働かせながら売春させ、代金をすべて取り上げる。
その徴収総額が借金額まで達したら、スナック経営者らは女性を自由にする。
もし女性が逃げたら、契約額240万円のうち女性が日本で稼いだ分を除いた金額を、ボスが「購入者」に返済する。
誓約書も書くという。
ボスは損をしないように手を打ってある。
「入国させる女性の家族に240万円の架空の借用書を書かせ、女性が逃げたときは家族に払わせる。
払わない場合は裁判を起こす」。
日本での稼ぎを当てにしている家族は拒まない。
「だから、今まで逃げた女性はいない」と胸を張った。
では、どうやって日本に入国させるのか。
入国の手口は、本物のパスポートと、他人のパスポートを使う二つの方法があるという。
本物の場合、渡航費用の支払い能力を示す預金残高証明書などが条件とされるため、就労目的の疑いを持たれる一般女性にビザは出にくい。
一方、日本人と結婚した者からパスポートを買ったり借りたりすれば、配偶者ビザが出やすい。
11月20日から外国人に指紋採取を義務づける日本の入国審査制度が始まった。
制度導入前は、他人名義のパスポートで、顔写真と似ている女性を複数人、何度も入国させられたが、制度導入後は、指紋が違う人物の入国が難しくなる。
「でも、まだ指紋採取されていない者のパスポートを使えば、しばらくは入国できる」とボスは平然と言った。
昨年、日本に入国したタイ人女性は8万人近い。
そのほとんどは、違法行為とは無関係である。そのことを付け加えておきたい。(名古屋本社報道センター長・真田正明)
http://blogs.yahoo.co.jp/tenohira_is_for_children/50794446.html
ソムヨット26才彼が同年代の他のタイ人男性と少し違うところは彼は働かない。
一家の稼ぎ手は彼の妻で、彼は髪結いの亭主だ。
ソムヨットは金持ちの家に生まれたわけではないが、P村で周囲を圧倒する外国風の家に住み、新車を乗り回す贅沢な暮らしをしている。
デン69才はソムヨットと同じP村に住む百姓だ。彼はソムヨットより大きな家に住んでいる。
建築費だけでも二百万バーツ(約六百万円)十年前はおろか今でも想像できない金額だ。
この村で二人だけが一夜にして富を得たわけではない。
この同じ村で同じ二十世帯以上の豪邸がある。
文字通りのボロ屋からテレビ、ビデオ、ステレオ、冷蔵庫、洗濯機付きの豪邸に引っ越した。
ボロ屋を敷地に残したまま不釣合いな豪邸が建っている。
全てが整っているにもかかわらず村には何かが欠けていた。
女性がいない。若い女性がいないのだ。
ここの郵便配達も
「この村は女日照りだ。ここで嫁さんを探すのは至難の業だ」
と苦笑いした。
なぜ、若い女性がいないのか。
バンコク、日本、台湾、香港に出稼ぎに行ってしまっているからだ。
この村には毎月二百万バーツが海外送金されてくる。
特に4月、タイ正月の時には一千万バーツ以上にもなる。
大場良枝(仮名)27才関西出身、京都の某大学卒業後家電メーカーに勤めるが上司との不倫が原因で1年で退職し、在学中スタデーツアーで来た事のあるチェンライでNGOの手伝いをしようと思い一人で来た。
チェンライに来て半年後、タイ人の男Sと知り合い同棲、彼がタイ人女性を日本に送り出しているブローカーと知るには時間がかからなかった。
彼女はタイ人女性が騙され日本で売春させられていることを知っていたがSから
「同じ体を売るのなら少しでも儲うけて家族に送金させた方が良い」
と説得され犯罪とは知りながら協力することを承知した。
取材メモからの一問一答です。
私は「何故この仕事に手を染めるようなったか、いつから?」
良枝さんは「Sから説得されたから。この仕事を始めてから約4年です」
現在Sは薬物所持の現行犯で逮捕されチエンライ刑務所に収監されている。
「あなたの事を『人身売買ブローカー』と言う人もいますが、誰がタイ側のボスですか?」
「自分では人身売買とは思いません、
何故なら彼女達は売春目的のために日本に行くことを知っているからです。
ボスはいません。今は地元の警察官と共同で送り出しています」
チェンライ県メーサイ郡は色白の美人が多い事で知られ地元警察の中には斡旋業を本職にしている警察官もいるという。
「未成年の女性を送ったことがありますか? それと女性を集める方法は?」
「何度か未成年の少数民族少女をタイから出国させた事があります。
もちろん彼女達は国籍がないのでパスポートは取れません。
だからチェンマイに行きタイ国籍を3万バーツで買い年齢を18才以上にしてタイの旅券を申請します。
タイ国籍を持ち18歳以上であれば旅券取得には問題はありません。
女性を集める方法で一番早いのはお金です。
女性の親・旦那さんにお金を見せて日本で働けば毎月三万バーツ送金できる、と言いそれでも渋る人にはP村に連れて行き豪邸を見せれば殆どの人が承知します。」
「日本入国にはビザが必要だが取得する方法は?」
「三つの方法があります。
1.タイ→シンガポール→日本→アメリカまでの航空券を買い日本に着いたらトランジットで空港近くのホテルにチェックインし日本側の人が迎えに来てその人の住んでいるところに行きます。
2.本人の銀行残高証明・日本出国航空券・日本の会社から招弊状・保証人、これは正規で取るビザです。
3.タイ人男性と偽装結婚し旅行代理店を通して新婚旅行で日本に行く方法。
最近は違う方法を使いますが言えません」
タイから日本に行くタイ人女性は一年で五万人という記録がある。
出国記録が残っているのは約三万人でその差が日本国内にとどまっていることになる。
「何割が日本入国に成功するのか? 入国出来なかった場合は?」
「最近は6割ほどが上陸できます。
入国審査で上陸不可と判断された場合国外追放になり、多くの場合日本出国の航空券を持っているので次の国に行くことになります」
日本の場合ビザは外務省、日本入国は法務省管轄なので例えビザが下りても日本入国が絶対に可能ということではない。
「貧しい彼女達が日本に行くためには幾ら位の借金を背負うのか。
また貴女は一人送り込むといくら儲かるのか?」
「日本行き希望の女性たちは、前借・旅券代・ビザ代・往復航空券・出国前バンコクでの生活費・ブローカーの手数料など約四百万円。
その中から私に入るのは一人につき五十万円弱です。
入国できない女性はバンコクの日本人クラブでホステスとして働き使った経費だけ返してもらいます」
バンコクには約三百軒の日本人カラオケクラブがあり売春も行われている。
「運良く日本に入国できて借金を全額返すのに何年ぐらいかかるのか?
借金を返すまでタイに送金はできないのか?」
「約一年半、客に囲われた子は借金を肩代わりしてもらうので早く自由になります。
彼女達に売春代は入りませんがチップが収入となりそれを地下銀行を使って田舎に送金します」
地下銀行とは日本にいるタイ人が良枝さんに電話し彼女がジャパゆきさんに代わり家に送金するので日本とタイの間ではお金は動かない。
「今までに何人日本にタイ人女性を送り込んだか」
「月平均三人、四年で約百五十人」
「今後もこの仕事を続けるのか? 同じ女性として心が痛まないのか?」
「日本に行きたい女性がいるかぎり続けます。
殆どの女性は日本での仕事が売春だということを知っています。
タイ国内で売春の値段は一回千五百円から外国人を相手にしても一万円です。
私は彼女達が売春することを止めることはできません。
それなら日本で一回三万円以上稼いだ方がいいのではないですか」
最近ヤクザではなく会社からリストラされたり定年退職後の日本人がタイ人女性と組み日本に女性を送り出しているケースが増えてきているという。
人々を人身売買に押し込んでいるのは貧困だけではない。通常はもう一つ別の原因がある。
例えば大場良枝のような海外送り出し業者とか売春斡旋人などだ。
言い換えれば、貧困プラス何かなのである。
http://panews.rakurakuhp.net/i_142317,si_20837.htm
14 :名無しさん@6周年:2005/07/04(月) 11:03:48 ID:wfkNZxtd0
東南アジアの女使っている風俗店全般にいえることだが、明らかに未成年の子供を連れてきている店が多すぎる。
手とかに触れた瞬間、皮膚が若すぎるのが感じ取れる。
あんな不健康な生活していて、肌の状態が良いって相当若い証拠。
性風俗に関する倫理観なんて殆ど持ち合わせていないが、それでもあれは拙いと思ってしまう。
17 :名無しさん@6周年:2005/07/04(月) 11:26:11 ID:Tojk4zFn0
俺も、だいぶ前、風俗店で東南アジア系の女の子が隣に座って、どう見ても10代前半にしか見えなかったので、やばいと思って、すぐに店を出たことがある。
29 :名無しさん@6周年:2005/07/04(月) 11:53:51 ID:YoBqh4St0
石和温泉、水上温泉はそういう子のすくつですね。
37 :名無しさん@6周年:2005/07/04(月) 12:12:41 ID:ts98PmAL0
元値250万で、1年間の経費120万あだとしても、売り上げ400万だと赤字。
人身売買など割にあわぬ。関係者は重罪にしろ
40 :名無しさん@6周年:2005/07/04(月) 12:21:15 ID:ODD6U9pM0
酷い話だとは思うんだが、どうもなあ。
学生時代にカンボジアにボランティアに行ったんだよ。
スラムで売春やってる10代の女の子にエイズの危険性を説くみたいなのだったんだが。
「エイズで死ぬのは何年も後でしょう?私たちは体を売らないと明日飢え死にしてしまうの」
って言われて何も言えなくなったな。
犯罪なのは間違いないがその事が思い浮かんで一概に責められん。
44 :名無しさん@6周年:2005/07/04(月) 12:30:30 ID:OIwuNgaX0
飢え死にするとかの話じゃない。
親が娘売って豪邸で遊んで暮らしてる。タイ人なんてそんなもん。
http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2005/07/1321_2b3e.html
日本の経済成長とともに男性の売春ツアーが始まり、ついで女性たちが日本に連れ込まれるようになった。
「単に良い仕事があると騙して連れてきたんです。
逃げる女性が続出しました。特に歌舞伎町なんかはすごかったんですよ。
それで、アジアの女性たちを助けるために1986年、HELPを設立しました。
女性たちは売春を承知して来たのではありません。100%人身売買の被害者でした。
精神状態が変になった人もいましたよ。
なかには、マニラ大学の理工学部を出た女性もいて、日本でコンピューターの仕事と言われて来たら、いきなり売春でしょう。
今は国際的な批判が大きくなって入管も難しくなっていますが、状況が良くなったとは思えません。それどころか、数が少なくなったせいで、一人に背負わせる借金が高くなってしますし、人身売買が始まって10年も経つと、働かせる側に同国人がいますから逃げにくくなっています」
人身売買は、地方のほうが酷い状況だという。
HELPが受け入れたある女性は、地方の小さなスナックで8分毎に客を取らされていた。
まるで養鶏場のケージに入れられて卵を産む道具と化した鶏のような扱いである。
「今の日本人はポルノなどで過剰刺激を得ていますからレベルが酷いのです。
器具などを使った性的虐待で動物以下の扱いです。
伊香保温泉から逃げてきた人の場合、外見は普通のスナックですが、奥の部屋に10人ぐらい入れられて、30分毎に客の相手をさせられていました。
千葉では女の子たちが大きな車に乗せられて、寝泊りも車の中で、運転手が携帯電話で客と取引して宅配便のように送り込まれていました。
もちろん運転手の上にはボスがいます」
日本人は、アジアの女性が性虐待の犠牲になっている事実を知らなすぎる。
現状は従軍慰安婦の時代と何も変わっていないのだ。
「日本には他国のように看護婦や家事労働者のビザもなく、あるのは不法な人身売買だけです。この国に人権を語る資格はありません。地方の場合、警察官や入管職員もグルという例もあります。
ある女性など、逃げて警察に駆け込んだら、三万円持ってきたら助けてやると言われたそうです。
それで、お金を用意してもう一度行ったら、ブローカーが捕まえにきたんですよ」
外国人女性の人権侵害は、日本女性とは質が違う。そして、需要がある限り、この状況は変わらない。
「普通のアパートのなかで、例えばあなたの隣でこうした事が今も行われているのです」
外国人だから、アジア人だからという二重、三重の差別構造のなかで、アジア女性に対する搾取は続く。
http://www.suzin.com/index/sabetu/zosei.html
「日本で人身売買 衝撃の実態」
人身売買の被害者、38歳のタイ人女性がインタビューに答える。
「逃げることできない」
「(逃げれば)殺される」
日本で人身売買。衝撃実態。
「出稼ぎ費用は最初の約束は250万円、でも成田に入ったら500万と言われた」
出稼ぎの組織を被害者女性に紹介したのは、タイ女性(タイ在住)だった。
5年間で150人のタイ女性を組織に紹介した。
売春をすることは知っている、女性には借金があるから。組織には日本人が居る、と。
組織で用心棒をしていたというA氏(日本人63歳)に聞く。
「タイの人身売買組織は私が知る限り8つ。
その半分が日本人の組織。
1年に1000人を日本に送っている。」
組織はボスを頂点とした15人ほどのグループでほとんどが日本人。
ボスの下に、手配師、パスポート調達係、日本語の教育係、そして運搬係(ジョッキー)が居る。
送られる(被害に遭う)女性はアヒルと呼ばれている。
ジョッキーの後ろをちょこちょこ歩いて着いて来るだけ、だからアヒル。
入国手口は?
「今の流行は"なりすまし"」
本物のパスポートを借りたり、買ったりし、そのパスポートの顔写真に似た女性を送る。
A氏が実際に使っていたという教育マニュアルを見せる。
入管でのやりとりの例、たとえば
「ご主人のお仕事は何ですか?」
「会社員です」
といった言葉がローマ字で記されている。
東京入国管理局(成田)の担当官に確認する。
「なりすましというケースが増加傾向にあります」
このなりすましの手口は今では不法入国の3割を占めるという。
被害にあったタイ女性も答える。
「パスポートは本物だけど(写真は)自分じゃないの」
彼女はやはりなりすましで入国していた。
再びA氏が答える。
「(似ていても違う部分がある場合は)整形をおこなう。
鼻の高さ、二重なんかは当たり前、あとホクロとか」
手術代は日本円にすると、鼻の整形3万円、二重まぶたへの整形2万7千円、目の下の脂肪吸引3万円など日本に比べれば格安。
こうした徹底の準備のもと、なりすましが行われていた。
A氏いわく
「タイ側の組織は、借金として250万円。
女性が日本側に付いて生活費の名目でさらに日本の組織が女性に250万の借金を背負わせる。
その500万円、全額返すまで逃げられなくする。」
「たとえば脅し、自分の両親、家と土地とかそういうものが無くなるよ」 と。
「納得できない女性は締め上げる。逃げることは出来ない。」
家族を人質にとり、自由を奪う方法。
被害女性は結局5年間日本で働かせ続けられた。
もう日本へは行きたくない、と。
それでも日本への出稼ぎ希望者はあとをたたない。
タイの農村部に住む19歳の女性。
「(だまされる確立が50パーセントなら)日本へ行きたい、5歳の妹の学費を稼ぎたい」
去年の人身売買がからむ検挙数は36件、しかしそれは氷山の一角だと言われている。
スタジオ。菊川怜。
「こちらは火曜日に発表されたアメリカ国務省の資料。
日本の覧にはYAKUZAという言葉が。
被害者は恥ずかしさや暴力に寄る報復を恐れ、当局に進んで助けを求めることはしない、と女性が置かれた状況を報告しています」
http://www.taideomou.com/archives/50850840.html
A :記事の意味がよくわかりません。
被害女性は、お金を受け取っているのでしょうか?
「約500万円の借金を負わされ」とありますが、
どうやって負わされたのかがわかりません。
Q : いや、違います。彼女は一円だって受け取ってはいません。
渡航費用や日本での部屋代、食費などを肩代わりしてもらっただけなのです。
ひょっとしたら偽造パスポートや偽造外国人登録証代なども含んでいるかも知れないですね。
更には仕事の斡旋料、携帯電話のリース料、送り迎えの車代、などなど。
いろんな名目で代金を請求します。
それでも一日3万円稼げばあなたの取り分は一万五千円、そこから一万円づつ返していけば2年で返せるでしょう?となる訳です。
日本人にとって一日5千円にしかならないなんて馬鹿馬鹿しい話ですが、
それでもお国で売春するよりずっと割がいいのでこんな馬鹿馬鹿しい話にも乗ってしまうのです。
http://questionbox.jp.msn.com/qa5504901.html
人身売買で日本に連れて来られて連日無償の売春を強制され、そこから逃れるためにしたことが強盗致死罪とされて懲役7年の刑を受け、受刑中にガンを発症したために強制送還されたタイ人女性がいます。
タイの貧しい農村の出身であるケイさん(仮名)
は、騙されて、2000年2月に日本へ連れて来られました。
そして、暴力団とつながったタイ人のママに 買われて四日市市内のアパートに連れて行かれ、多額の架空の「借金」の返済を口実に、5ヶ月の間1日の休みもなく無償の売春を強制されました。
ケイさんは、このままでは生涯タイに帰れないと思い、逃げようと決意しました。
そして、一人のタイ人男性に助力を求めたのです。
ママのアパートまで来た男性がママを殴っている間に、彼女は自分の所持品とお金を持って逃げました。
ところが、男性は、このままではヤクザに殺されると思い、ママを殺してしまいました。
ケイさんは、警察に捕まり、強盗致死罪で起訴され、懲役7年の刑を受けました。
ケイさんは、5月中旬頃から激しい腹痛に襲われ、医療刑務所で検査・手術の結果、ガンで余命数ヶ月と診断されました。
私たちは、家族の見守る中で治療を受けて欲しいと思って彼女の帰国の実現を図り、タイ大使館のねばり強い努力もあって、9月下旬にタイへの帰国を実現することができました。
現在、彼女はバンコク市内の救急指定の病院に入院しています
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/3cbe969e032f38cce5c357327b652038
アジアや南中米などから移入した性産業で働く女性については、古くからその苛酷な状況がたびたび指摘されてきた。
グローバリズムのもと、多くの途上国の農村部では男性が職を失っている。
家計は出稼ぎ女性の仕送りに頼らざるを得ない。
90年代の初めはタイ出身のセックスワーカー10万人が日本の風俗産業を担ってきた。
売春用に「売られる」タイ人女性たち
国際人身売買組織によって入国した人タイ女性は、「借金」という形で数百万円の入国手数料を支払うために売春を強要され、自由を奪われ続けている。
在日タイ大使館は、「日本国内で売春業に携わったタイ人女性が、毎年五〇人近くエイズによって命を失っている」と発表している。
こうした経験により、多くの女性たちが心身に深い傷を負って帰国し、その後も心身の病や困窮生活にある女性が少なくない。
如田さんはタイ女性のAさんと知り合い、支援グループ「タイ─日移住女性ネットワーク」(SEPOM)を設立した。
Aさんは、九〇年初めに人身取引により千葉県へ連れてこられたセックスワーカーだった。
売春を取り仕切っていたママを、他のタイ女性四名とともに殺し、懲役六年の実刑判決を受けた。
店長殺人事件の背景
タイ女性が日本に入国して就労する場合、通常、村のリクルーターが「窓口」になる。
そして、パスポート等を偽造して入国させる役割の者や引率する者が同乗し、日本側の空港にいるブローカーに引き渡す。
古いアパートが人身売買のマーケットである。
約一五〇〜二〇〇万円でスナック、バー、風俗関係の経営者ら(ヤクザや外国人も多い)が彼女たちを買う。
その「買い取り額」の二倍(三〇〇〜四〇〇万円)が彼女たちの「借金」として背負わされる。
Aさんは「裸になれ」と強要され、写真を撮られた。
Aさんを買った店長(ママ)が写真を見せながら、
「どこに逃げてもヤクザが追いかけてくるぞ」と脅した。
毎朝六時に起床し、日中は店長の家の家事や畑仕事をさせられる。
食事は一食。疲れさせて逃亡させないための策だという。
夜になると毎日客を取らされる。
生理も病気も関係なし。
客は店の常連だから、逆らうと店長に何をされるかわからないので従うしかなかった。
ある日、「借金」が全額返済目前の仲間のタイ女性をママが「転売」しようと電話で話していることを目撃し、みんなで話し合って殺したという。
出所後、彼女たちを待っていたのは、経済危機下にあるタイでの苦しい生活だった。
http://www.jimmin.com/doc/0509.htm
タイで売春をするために売られたある少女の話を『アジアの子ども買春と日本』(編アジアの児童買春阻止を訴える会−ECPAT国際本部連帯)から引用してみる。
−幼い時両親を亡くし近所の家に引き取られたが、毎日こき使われ、殴られていた。
あるとき知らない男の人が来て、もっと楽に働くことが出来る所へ行こうと誘われ、遠い遠い路を「楽に働ける所」へ行く為にがんばって歩き、どこか分からないところまで来て、売春宿に売られた。
それから何十回か数えきれないほどあちこちに売られた。
ある日警察が来て助け出されたが、どこに帰ってよいか途方にくれていると、男の人が近づいてきて、連れて帰ってくれると言うのでついていくと、バンコクで売られてしまった。
そこの売春宿で働かされているうちに妊娠して女の子を出産した。
その間にエイズに感染してしまっていた。
やっと売春宿から解放されたが、エイズの症状は二歳の子どもにも出ていて、あまりのことに、泣き続けるばかりだった−
彼女が最初に連れ出され、売り飛ばされたのは、七歳か八歳くらいのころであったという。
ジャーナリストの友田博さんの著書『バンコク下町発』を見ると、タイの子ども権利保護センターの調べでは、売春で生活する12歳から16歳までの少女の数は約80万人だ。
しかし、今、客の要求する相手は低年齢化していて、8歳から10歳前後の少女が非常に多く買われているという。
さらに驚くことに、7、8歳の子どもを売春に使う場合は家畜用の成長ホルモン剤を注射しているともいわれている。
幼ければ、エイズの心配がないという思い込みや、子どもは悪い下心もなく安心で言うことも聞くし、安いということから買春の低年齢化が進んでいるのだろう。
タイ人は、親に深く感謝して恩返しをする習慣がある。
とくに女の子は、どんなことをしてでも親を助けるのが当然であり良いことだとされている。
こういう考え方が、貧しい子ども達の人身売買を社会的に黙認している原因にもなっているのではないか。
人身売買される子どもの多くは、山岳民族の娘たちだ。
売られていく理由は、あるときは貧困と物質欲−新しい家を建てたいとか、電気製品が欲しいとか−であり、また、ある時は貧困と親のアヘン中毒である。
アヘン欲しさに娘を売ってしまうのだ。また両親が何らかの理由でいなくなってしまった子も犠牲になっていく。
タイのバンコク、パタヤ、チェンマイなど北部では買春が日常的に行われており、ここ10年エイズなどのリスク回避という理由で買春の低年齢化が進んでいる。
1988年のノルウェー政府の報告では、毎年100万人の子どもが誘拐され、買春などでセックス産業に送られているという。
しかし実際には、買春から保護される子どものうちの7割がエイズに感染している。
ここでアジア太平洋諸国の買春と日本との関係について調べてみた。
1995年に来日したフィリピン・バタンガス市サンタクララ町の町長の話によれば、日本の政府開発援助(ODA)によって、バタンガス港の開発がおこなわれた。
しかしODAにより、もともと平和に暮らしていた村民の生活を無視して、強制立ち退きが武装警察官により実行され、農民・漁民の生活の場に発電所が建てられ海や森林を破壊した。
電力は、一部の金持ちや日本企業、あるいはほかの外資系企業に供給される。
住民は、家を与えられた人もいるが、大勢の人が都市へ流れ出てスラム居住者になった。
こうしたODAによる開発があちこちにあり、土地と仕事を失った何百万人という人々が、都市の一番貧しい層をつくるのだ。
そしていつも、一番弱い立場にいる子どもたちにその被害は及び、ストリートチルドレンが増え、児童売買が起こり、児童買春の犠牲になる子どもが増えてゆく。
日本のODAは、アジアの児童買春の根幹に関わる大きな問題なのだ。
「どうぞ、貧しい人を助けてあげるという気持ちだけで、お金を出さないでください。
皆さんは、自分たちの出している税金がどんなふうに使われたか、それにより、たくさんの人々が生活を奪われていることを知らなかった、監視できなかったという道徳的責任を持ってお金を出してもらいたいのです。」
と彼は述べている。
日本国内にも、人身売買されて売春婦として働いている東南アジアの少女たちがいる。
彼女たちは、少なくとも7万人はいるといわれており、そのうちの約5万人は、非合法で滞在している。
彼女たちの中には、日本にいくと良い仕事があるとそそのかされて連れてこられた少女や、誘拐されて何も知らされないまま連れてこられた少女たちもいる。
アジア太平洋諸国から日本への人身売買がこのように多いのは、受入国の日本が買春社会だからである。
日本が世界最大の人身売買受入国になったのは、性産業が異常に肥大化し、4兆円を超えてGNPの1%、防衛予算にも匹敵するほどの規模になったためである。
そしてそこで働く若い日本女性の不足を、安上がりのアジア女性たちで埋め合わせようとするからである。
アジア諸国から日本への売買ルートは日本の暴力団が支えているため、よく組織されていて資金も豊富にある。
タイの手配師が言うには、女性を一人集めて日本に送るたびに150万円ほど手に入るという。
一度の「取引」で、かなりの大金が日本の暴力団の手に渡っていることになる。
そしてこのことは、多くの東南アジアの少女たちを不幸に陥れている。
毎月、在日本タイ大使館には、約400人のタイ女性が助けを求めて逃げ込む。
彼女らの中には、思いつめた揚げ句、逃げようとしてバーのママさんを殺してしまった者もいる。
これは1991年に茨城県の下館市で起きた、3人のタイ人売春婦がボスであるママさんを殺害した事件だ。
被告の中の一人が殺人を犯すまでに追い込まれた状況を書いた手紙の一部がある。
「私の家は仏教を信仰していて、親孝行をいつも教えられてきました。
農業を営む両親の末娘ですが、食べるお米がなくなることもあり、両親の困窮を見てきたのです。
小学校4年を卒業して進学できず、日雇い農業、工場、店員、掃除などで懸命に働き、そのうち結婚したら、親に仕送りもできなくなりました。
年をとった両親を助けなければと思っていたとき、日本へ行ったらレストランで働いて、月一万−一万五千バーツ仕送りできると言われました。
タイでは一年働いてもこんなに稼げません。
両親に毎月送金するから銀行口座を作って番号を知らせるように言って日本へ向かったのです。」
この女性は
「350万円の借金があるから売春して返せ」
とボスから言われ、おもいもかけない性奴隷の日々が始まった。
虐待され、搾取され続ける日々は絶望的であったという。
同じスナックのタイ女性の一人は自殺をはかった。両親を侮辱する言葉に深く傷ついた。
「こんな地獄から逃げ出したい。
しかし逃げ出すことは両親の死を意味する。
自由になる為にはボスを殺すしかない」
と、殺人を決行した。
買春のための人身売買には、常に少女が巻き込まれている。
セックス相手としての子どもに対する需要に伴ってそうした少女の数は増え続けている。
また、子どもの供給源も子どもを移動させる犯罪集団の使う売買ルートも刻々と変化している。
長い陸続きの国境線をもつアジアのいくつかの国では、子どもの移動は非常に簡単に行われてしまう。
タイの国会議員ナロン・ノーヨンタイは1993年半期にタイ北部の国境沿い地域の開発に関する調査を行った。
それによると、隣国の未成年の少女が少なくとも150人、国境を越えて毎週密入国しているという。
年間になおすと、約8000人のタイの子どもたちが、買春をするために何らかの方法で越境させられているのだ。
フィリピンの少女がマレーシア東部へ、ネパールの少女がインドヘ、インドの少女が中東へと、子どもの移動は他の多くの地域でもみられる。
また国境を越えてのエイズの蔓延も無視できない問題である。
アジア太平洋諸国にはエイズを蔓延させる最も危険な要素(売春婦、移住者)と、エイズへ導く条件(観光、貧困)がそろっている。
世界保健機構によると、2000年末までの南アジア・東南アジアのHIV感染者とエイズ患者総数は5、800、000人にのぼる。
そのうちの最も多くが、タイやインドで占められている。
この二つの国は、多くの子どもの買春従事者をかかえている点で共通している。
患者の感染ルートは性接触、ドラッグに使用する注射針の使い回し、出産時の母子感染などだ。
また観光客たちもエイズに感染している可能性が低そうな幼い子どもとのセックスを望む。
しかし、子どもと性的な関係をもつことは、大人と性的な関係をもつことよりも実際にはエイズによりかかりやすいそうだ。
少年少女の膣や肛門の十分に発達しきっていない粘膜は、傷つきやすく弱い。
エイズが感染する唯一の経路は、HIVに感染した人の血液、精液、膣分泌物が健康な人の血液あるいは粘膜と接触するときなのである。http://www.ritsumei.ac.jp/acd/ac/kyomu/koudai/kikaku/kensho04/kensho_j/2002/ronbun07.html
|ノ ヽ .|::::| |
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ィ彡三ミヽ `ヽ |::::| |ハミミミミミミミミミ| ..|_
彡'⌒ヾミヽ `ー |::::|__|ハilミilミliliミliliミ| ..|
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彡三ミミヽ | ..|ヽ:.:.:.:冫': : :::/,,∠| 日本人・・・・・
彡' /| ヾ、 _ノ|_|: ̄二ー:: : ::::ソ ・ ,|
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彡'| .:|:::| ` ̄ `\ ー-=ェっ |
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三ミ| |:::| /⌒ / ̄ ̄ | : ::::::::::|
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| |::|彡' { ミi (二⊃
/| |::| / l ミii ト、二)
彡 | |::| __,ノ | ミソ :..`ト-'
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ノ .| |:::| _/ / / |:. :.:.:.:.:.:.:|
02. 2012年6月24日 23:40:49 : 2mLKszjwpc
私の言いたい事が伝わらないのでは「議論」など成り立たないことでしょうし
そもそもあなたのルールに「乗らなくてはなら無いとする」ルールは何処で締結されたと云うのでしょう
議論とは極論としてあらゆる観念的な言葉を駆使した「説得」であるとみています
あなたはその説得に失敗している原因を理解出来ていないだけでしょう
私はその「説得」にも「乗らない」ということを
改めて私の言葉で此処に伝える事と致します
01. 2012年6月24日 23:42:30 : mp7WbyZZjc
「自民党の福田良彦が市長なら、岩国にはどんなゴミをばら撒いても大丈夫だ」
自衛隊と米軍は2008年の市長選挙以来岩国市民に対する嘲笑と傲慢の高笑いを続けている。
井原君が市長だったら、岩国市民がここまで愚弄されることは絶対なかった。
2007年10月、
広島のホテルの一室で、空母艦載機移駐を迫る月橋中四国防衛局長が「国の専管事項だと言えばいいではないか」と言い、防衛省谷井参事官が「容認」と言わなくても「やむを得ない」と言えばいいではないか、と迫ったとき、井原君は市民を愚弄するそういう姑息に与することは出来ないと拒否した。
http://8254.teacup.com/iwakuni08/bbs
岩国市民がオスプレイの搬入を絶対に許さない主な理由。
1・岩国がオスプレイの搬入・組み立て・訓練をなし崩しに許せば、普天間に配備・訓練受け入れの承認圧力がかけられ沖縄が受け入れざるをえない状況が作られる。マスコミを動かして「本土責任論」を恣意的に利用する政府・防衛省の悪辣さが際立つ。そうなれば本州全土で自衛隊・米軍が今以上のデタラメを始める。
2・オスプレイは中東で多くの市民虐殺の冷酷な軍事作戦に関わった。
血の臭いをまき散らす極悪兵器である。
市民が誇る観光都市岩国でオスプレイの名前すら言わせてはならない。
3・オスプレイはこれからも100%墜落事故を起こす。
アメリカの専門家すら墜ちると言っているのだ。
4・岩国がオスプレイを受け入れれば、いま急激な速さで進行している日本経済の岩国化(基地経済化)が確立してしまう。
自衛隊と日米財界との醜悪な軍産複合体制が今以上に平和経済の殲滅に拍車をかけ、その税金収奪構造を推進するために、今度は職や自由を奪われた若者が国家間憎悪を煽るために動員されている。
今や、岩国・瀬戸内に展開する大企業の多くが内部に軍事部門を抱える構造になってしまった、結果、自治、議会、市政は歪められ正常な機能が破壊されてしまった。
軍と財界の抱合構造が最も敵視するのは言うまでもなく市民中心の民主主義である。
1・29岩国市長選挙の異様さは醜悪な軍産複合体制がこの地方都市にまで浸透している証明であった。
軍需経済というのは軍部と右翼暴力団という暴力構造を私兵として組み込んでいるために引き返しは不能である、平和経済が黄昏れ国民生活全般の悲惨が永続することになる。
http://www.youtube.com/watch?v=rDJUcXSq1CM
http://www.asyura2.com/12/warb9/msg/481.html#c1
20. 五月晴郎 2012年6月24日 23:43:15 : ulZUCBWYQe7Lk : qKgAQKfApk
>>19
天橋立の愚痴人間が浮き雲なら、あんたDEDQokEUfTは(阿修羅で知った)ケムトレイルだ。
06. 2012年6月24日 23:47:07 : kuVEGdlSTd
前宜野湾市長の伊波氏がそう言ってる、というだけじゃん。
「米国は日本・沖縄からの撤退を決めている」なんて断言してみせるのはフライング臭い。
http://www.asyura2.com/12/warb9/msg/479.html#c6
30. 2012年6月24日 23:49:20 : BvaChxkkfg
屑コメント湧いているが、口だけの輩が書いているとお見受けする。
私は藤島氏にカンパをした事があります。
理由は自分で行動できないからであり、藤島氏の信念と行動力に共感を持てたからである。
今も変わらず支持している。
そして藤島氏には阿修羅に拘って頂きたくないとも思っている。
阿修羅ルールがどうとかは、世間ではどうでもよい事だ。
政治家やシロアリ官僚やマスゴミや財界が既得権を守ろうと、勤む輩が蔓延って居るほうが問題視すべきである。
ここに湧く屑コメントの輩が、世の中の役にでも立った行動をしたと言えるのか?
私は既得権益を守りたい輩が書いているとしか思っていない。
屑が書き込むだけで、何の意味も存在価値も無い。
にわか筆跡鑑定士になるの巻
http://kyosukeyamashina.blog62.fc2.com/blog-entry-1249.html
2012.06.24 山科恭介 夢想弄翰
なんかね、
同じようなものがネット上にあるようなんですがね、(笑)
今日は、少し時間繋ぎ的ヒマが出来たので、ちょこっとアソビでやってみました。 ぷっw
こういうのアップすると、本気にする阿保やタコがいるから、いやなんだけど、
まあ、いちおうやったんで。(爆)
なにか、週刊SPA!で専門家が鑑定するとかネットに出てたけど・・・・、
こっちは素人なので、正直って良く判りません。(爆)
真贋判定は、各自やってくださいな。
上記画像は、有田議員がネット上で提供している画像と、文春の写真を私がスキャンしたものを使用しました。私のところには怪文書が送られて来ませんでしたので。(爆)
文春画像は、Photoshop にて回転加工および適当にレベル補正をして、アンシャープマスクを施してあります。
有田議員提供のものはスキャンだと思うのですが、いまいち良く判りません。
もしスキャンだとしたら、画像正対ですので、文字の縦横比は問題なく、上からの斜頸もそのままだと判断して構わないと思います。
雑誌の写真やネット上の画像は斜めから撮っているので、歪み補正をしようと思いましたが、撮影入射角が正確に解らないので、やめました。 ですから、多少歪んでいるはずですし、縦横比が違うかも知れません。
よく言われている、「沢」 の字が違うことは、やはり気にはなりますが、これは戸籍上の文字を使うかも知れないとも思え、ここでは特に問題にしません。
私が一番気になっているのは、「子」 の文字の力の入れ具合なのですが、
これって、女の子が自分の名前を書いたときに性格が現れるらしいですからね。(笑)
小沢夫人御本人の筆跡だとネット上に提供した有田議員の画像上の 「子」 と、
問題の手紙に書かれている 「子」 を、ご自身で実際に似せて書いてみると、違いが解りますよ、たぶん。(笑)
問題の 「子」 の文字は、最初の力の入れ具合が二箇所ないし三箇所に加わっているように思われますが、本物と云われているものは、数字の 「3」 を書いているようにスムーズに、
淀みなくペンを走らせているように感じられます。
また、最後に書く横棒線も、短く力強く書かれていますので、同一人物の筆跡だとは思えないのですが、まあ、素人判断ですからね。
暇にまかせて、Illustrator上で片方の画像を透明化して、重ねて色々試してみましたが、
これは案外面白かったですよ。
・・・・ということで、今日のお遊びは、これで終わりにします。
また工作員のアルバイターを刺激しちゃうかな。(爆)
PS.
IllustratorEPSファイルをダウンロード出来るようにしておきましたので、遊びたい方は、
どうぞご自由に。
https://box.yahoo.co.jp/guest/viewer?sid=box-l-rkyvdpq7g23ubcfy2jitiwdsyi-1001&uniqid=24dd22b0-4932-4050-b815-0a33acb9a4bd&viewtype=detail
◇
小沢一郎夫人の手紙はニセモノか?怪文書と化した「直筆」離縁状【鵜の目鷹の目】
http://www.daily-eye-news.net/news_afcNMpeWBU.html
■小沢夫人の手紙はニセモノ
「週刊文春」(2012年6月21日号)が掲載した、小沢一郎夫人の手紙について、有田芳生氏が偽物だと主張している。
6月14日に発売された「週刊文春」は、小沢一郎夫人の直筆による手紙を公開し波紋を呼んだ。この手紙を小沢つぶしのための偽造だと主張するのが、ジャーナリストで衆議院議員の有田芳生氏だ。
週刊文春が発売された直後から、
小沢夫人「書簡」を掲載した「週刊文春」は完売。しかしその内容には”偽造”としかいえない内容がちりばめられている。夫婦の問題は他人のあずかり知らぬこと。大震災後の虚偽の内容が書かれたのはある人物が介在している。マスコミに登場しないことを基本とする夫人の態度を見透かした公開は巧妙
Twitterに発言。本物かどうか疑わしいとの主張を続けている。
(画像:有田芳生ホームページ)
http://www.daily-eye-news.net/detail_img.php?pid=afcNMpeWBU&numb=
■筆跡が違う
有田氏は、小沢一郎夫人と親しい女性に、夫人から届いた直筆の手紙を見せてもらった。文春のものと比べると、「し」「た」などの筆跡が明らかに異なっていたと指摘している。
この件について有田氏は、ジャーナリストの藤本順一氏と対談しており、その模様が来週発売の「SPA!」に掲載されるそうだ。
「小沢一郎夫人の手紙は捏造だ」と断言する政治ジャーナリストの藤本順一さんと対談。小沢氏が京都から立候補を考えているなどといった手紙の内容から「もう少し信憑性ある怪文書に」と皮肉。「永田メール」事件を思い出させるとも指摘。私は入手した夫人の直筆手紙と比較。来週号の「SPA」掲載だ(有田芳生Twitterより引用)
http://www.daily-eye-news.net/detail_img.php?pid=afcNMpeWBU&numb=1
■怪文書と化した夫人の手紙
「週刊文春」に掲載された小沢一郎夫人の「直筆手紙」は、そのコピーが、あちこちに郵送されるという事態が起きており、有田氏だけでなく全国会議員に送付された。
「週刊文春」が報じた「小澤和子」書簡。20日には全国会議員に送付されたが、その後も都内だけでなく愛知県などにも送られていることがわかった。何物かによる組織的「怪文書」送信(有田芳生Twitterより引用)
これは、何を意図しているのだろうか。まるで怪文書だと有田氏は語っている。
■小沢一郎の反応
ある議員が小沢一郎氏に文春記事について尋ねたところ
いや〜ビックリするねえ(有田芳生Twitterより引用)
小沢氏は一言述べただけだった。反論に値する内容ではないと判断している証拠だと、有田氏は語っている。
この手紙については毎日新聞も取り上げている。記事の中で毎日新聞は
妻の関係者は、筆跡が真正のものと証言している
と報じており、文春が掲載した手紙は和子夫人の直筆によるものと評価しているようだ。
一方、小沢事務所は
手紙は本人の字ではない。放射能を恐れて逃げたという事実はない。どこにどう逃げたのか、こちらが聞きたい。どこにも逃げていないことは証明できる(毎日新聞より引用)
と反論している。
小沢一郎は壊し屋活動を開始し、新党結成へと動き出した。このタイミングで噴出した、和子夫人の手紙問題。ホンモノ説とニセモノ説、どちらが正しいのだろうか。当の和子夫人は沈黙を守ったままだ。
外部リンク
有田芳生 Twitter
https://twitter.com/#!/aritayoshifu
YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/
http://www.asyura2.com/12/test26/msg/286.html
26. 2012年6月24日 23:49:57 : DEDQokEUfT
*
#05. 五月晴郎 2012年6月21日 14:06:10 : ulZUCBWYQe7Lk : qKgAQKfApk
私は2曲とも社会人になって知りました。いい曲だなと。それで好きになりました。
その店に連れてってくれた人は↓の人です。
お吉物語: ハリスさんも鶴さんも死んだ、お酒だよお酒をおくれッ〜(天津羽衣)』
#12. 2012年6月21日 17:13:33
>#05
またそれかよw そんだけ?www
---
コメント:
ゼンジー、ド演歌の次は落語? いつもワンパターンだから、レス主を除く皆さん、どっ白けなんだよw 貴方諒解?
24. 2012年6月24日 23:50:04 : F2uBriXfJw
>▽アメリカ横断鉄道運賃(アムトラック)
>西海岸と東海岸へのフリーバス
>Coastal Rail Pass
>※フリーパスなので30日間は往復はもちろん途中下車も自由ですね
すげー今さらなんだが、この料金設定ってもうないんじゃないか?
アムトラックのホームページに出てないようなんだが。
これに近いかも知れない奴でUSA Rail Passesってのがあるんだが
15 days/8 segments 30 days/12 segments 45 days/18 segments Pass are valid for travel for 180 days and all travel must be completed within 180 days of reserving the pass within the specific pass validity limits.
どうみても乗り放題ではなく回数制限あるように読めるんだが?
http://www.asyura2.com/12/hasan76/msg/636.html#c24
08. 2012年6月24日 23:50:29 : AX9RzbOfUg
日隅さん、死してもなお市民を動かすとは。
02. 2012年6月24日 23:50:39 : toqTttEehx
>01
的中は予知だけではなく予想でも使えるようなので
相応かどうか、という点では問題ないかと思いますよー
http://www.asyura2.com/12/jisin18/msg/397.html#c2
241. 五月晴郎 2012年6月24日 23:51:31 : ulZUCBWYQe7Lk : qKgAQKfApk
管理人さん
>>237で自分のコメントが削除されたのをいいことに、DEDQokEUfTは下記でまた無いことを捏って触れ回る宣言をしてます。
ほうっておくつもりでいましたが、これはもうアラシじゃないですか。
http://www.asyura2.com/12/music6/msg/396.html#c20
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/667.html#c241
05. 2012年6月24日 23:56:21 : yW0ieUunek
各家庭のブレーカーの容量を小さくして指定量以上使用するとブレーカーが落ちるようにすれば電気の使用量は大幅に減るはずだ、今の間際までオール電化などを売り込む電気業界の狡さに騙されてはいけない。命に係わるような器具を使用している施設や家庭にはブレーカーの容量を増やして停電しないような措置を講じればすむことである。
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/137.html#c5
05. 2012年6月24日 23:56:28 : NjeysyxPZk
魚はストロンチウムも検査・発表しなよ
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/131.html#c5
07. 無段活用 2012年6月24日 23:58:40 : 2iUYbJALJ4TtU : pnFKtUyAeE
>フライング臭い
かもしれない。でも、そう書いているから仕方がない。
"The US has decided to pull out of Okinawa, Japan"
一つ言えることは、彼らは私たちの反対側から沖縄を見ている、ということ。
http://www.asyura2.com/12/warb9/msg/479.html#c7
68. 七転八起 2012年6月24日 23:59:57 : FjY83HydhgNT2 : 7PbzPdJ8Aw
>67. 2012年6月24日 22:43:51 : F2uBriXfJw
下衆んとこに藤島誘ってやりなよ。
まぁ下衆のやってる○○○の力は閉じた世界だから行きたがらないだろうけどさ。
***
管理人の正体か…
カンパをされる方々にお読み戴きたいですな。
阿修羅掲示板特定人規制排除暴挙の実態
http://asyura2011.web.fc2.com/index.html
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