“霞が関解体”を進めるためには、当面、市場原理主義導入も致し方ない
http://blog.goo.ne.jp/aibatatuya/e/7949e4006be7c6ef53fde76572a9f17c
2012年05月01日 世相を斬る あいば達也
筆者は小泉・竹中、及びゴールドマンサックス等々の世界金融資本による、中間層以下からの富の収奪が起きた市場原理主義に否定的立場にあるが、どうも最近、必ずしも市場原理に委ねる経済行為が間違いと言い切れない心境になっている。このような心境の変化は思考の変化にも繋がる。筆者の場合、論理的思考経路から“支持すべき考え方”を決めると云うよりも、時代の要請に合わせて、必要なもの、不必要なものを選択すると云う、結構いい加減なご都合主義なところがある。(笑)特にイデオロギーに支配されていないリアリストの所為だろう。
どう考えても、此処まで強固に、国中に目一杯網を張られた官僚統治機構を改革するには、正論を持って、正攻法で攻め切るのは、労多くして効果が何処まで期待出来るか、不確か過ぎる。市場原理の基本は国家の規制撤廃がメインだ。最近起きている、日本の国家的矛盾の多くが、この霞が関を頂点とする垂直統合管理システムによって惹起されている。この点を打破してからではないと、何事も絵に描いた餅状態になってしまう。
小沢一郎を陥れた司法の国策捜査も、その後の検察審査会制度も、その矛盾が露呈している。原発問題も、元凶は国策でなされたエネルギー政策の矛盾である。消費増税と云う問題も、一定の範囲で赤字国債をバラ撒く制度の中で、役人が手伝う?実は介在する制度で、中間搾取が半端ではないことに気づく。TPPによる自由貿易圏構想は、米国の言いなりにならないことが条件なら容認も可能だろう。農業の保護政策等米国も同様なわけであり、ISD条項を充分に精査すれば、不可能な事ではない。保護する必要のある産業は、あくまで保護すると主張すれば良いのである。小沢ではないが、交渉する人間の能力の問題だろう。
つまり、市場原理は、その為政者の能力では国家にとって有益に作用し、無能なヤツや私利私欲に走る奴、或いは金融資本の走狗として動く奴らを排除するチェック機能が働けば、怖がる必要はないのかもしれない。以下は市場原理、自由主義、反霞が関の論客・古賀茂明氏のコラムだが、納得出来る面が多々ある。市場原理主義の悪い見本(小泉・竹中)を見せられ過ぎて、主義主張まで憎んでいる(坊主憎けりゃ袈裟まで憎い)傾向があるかもしれない。この点は反省しつつ、しばらく、市場原理主義を勉強してみようと思う。
≪ 官々愕々 霞が関の高笑いが聞こえる
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/32379
消費税の議論が国民にはますます分かりにくくなってきた。消費増税法案を提出した野田佳彦総理が求める党首会談を蹴飛ばした自民党の谷垣禎一総裁。ところが、時を同じくして自民党が出した新マニフェストの原案は消費税を当面10%に引き上げると謳った。民主党と同じだ。自民も民主も財政政策の指南役は財務省。答えが同じになるのは仕方ないが、ならば、政治は財務省にやってもらったらという声が聞こえてきそうだ。
他方、消費税の騒ぎも影が薄くなるほどの大混乱となっているのが大飯原発再稼働問題。反対と高らかに宣言した枝野幸男経産相が発言を一夜にして撤回、野田総理が暫定基準の策定を指示するとわずか2日でそれができて、工程表の作成を関電に命じるとこれまた3日で提出される。班目春樹原子力安全委員長 が安全とは言えないと懸念を表明したのに4大臣が集まって安全だと認める。あまりのでたらめさに国民は怒りを通り越して唖然としている有り様。
ところが、どんなに世論の反発を招いても民主党政権は再稼働を中止する気はない。国会で自民党が追及しないからだ。自民党は民主党よりも電力寄りで経産官僚に洗脳されている。民主党ほど愚かでないので、目立たないよう身を潜め、民主党が再稼働に踏み切ってくれるのを待っている。
消費税や原発の議論の陰では、官僚の振り付けに従った民主と自民のバラマキ路線、反構造改革路線が絵に描いたように押し進められている。昨年末に決まった八ツ場ダム建設再開、整備新幹線の着工に始まり、郵政民営化路線の大後退に至っては自民も賛成。地震に名を借りた公共工事の大盤振る舞いでゼネコ ンが有卦に入る最中に高速道路建設の凍結解除。それと競うように自民党の新マニフェスト原案に入った「国土強靭化」は、こちらも防災に名を借りて10年で 200兆円をバラまく公共事業拡大策だ。
30年前に戻ったかのような政策の裏には財務省、経産省、国交省などの官僚達の「的確な指導」がある。自民党は元祖官僚依存だが、民主党議員の多くも最近は官僚への忠誠を誓って自民よりも露骨な族議員になり下がっている。
かくして国会は官僚の横暴をチェックする機能を完全に失い、気がつけば、公務員人件費カットは2年限り、中高年官僚の既得権を守るため新卒採用を 56%削減、その代わり(というには費用が大き過ぎるが)定年後の再雇用の大幅拡充(これも事実上全員再雇用になるのは確実)方針が決定され、将来の高給維持での定年延長への布石も敷かれた。共済年金と厚生年金一元化はようやく法案を出すそうだが、職域加算など公務員優遇は別建てで残す算段。一元化しても 天下り先の共済組合(80もある!)は温存だ。しかし、これだけ並べても、おそらく官僚達は、まだほんの少ししか気付かれていないなとほくそ笑んでいるに違いない。
民主党が与党になって政権担当能力がないことが分かったが、逆にもう一つ深刻な事態が生じていることに気付くのが遅れた。それは、自民党には健全野党の機能を果たす能力がなかったということだ。両党の行き着く先は官僚主導のバラマキ大連立しかない。日本の中枢はまさに崩壊してしまった。そしてその朽ち木の中でも官僚というシロアリだけは大帝国建設に勤しんでいるのである。 ≫ (現代ビジネス:古賀茂明:日本再生に挑む:「週刊現代」2012年4月28日号より)
PS:あいかわらず、真っ当な論説は東京新聞発だけだ。この新聞社には、世界のジャーナリスト精神に近いものがある。社員全体にも、そのようなムードがあると云う。朝日、読売、日経の社内に、そのジャーナリスト魂は存在しないそうだ。意外なことだが、その嵌められた企業の枠を抜け出し、フリーになった人々は、有能なジャーナリストになっている。組織が腐っているのだろうね。霞が関と同じ問題だ。
≪ 【私説・論説室から】 国会の調査機能を強めよ
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2012043002000094.html
国会の東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(委員長・黒川清元日本学術会議会長)が精力的な調査活動を続 けている。
事故をめぐっては政府と民間の調査委員会があるが、もっとも注目され信頼に足る機関がこれではないか。毎回のインターネット中継録画を見たり、閉 会後の黒川委員長のコメントを読むと、そう実感する。
たとえば原子力安全・保安院の院長を参考人に呼んだときは委員たちが舌鋒(ぜっぽう)鋭く追及し、原発再稼働をめざして政府がつくった安全基準 は、安全確保にまったく不十分な代物である点があきらかになった。
国会事故調はなぜ、いい仕事ができるのか。根本的には政府から独立し、新たな法律に基づいて、国政調査権の活用を含む十分な調査権限が与えられて いるからと言っていい。
こうした国会の調査機能を原発以外の分野にも拡大できないか。たとえば日本経済は、なぜ二十年にわたって停滞を続けているのか。政府と日銀は何を して何をしてこなかったのか。
税と社会保障、地方分権といったテーマも、なにも政府の専売特許にしておく必要はない。国会は国会として政府から独立した委員会を設けて徹底的に 調査研究したらどうか。
「国会の権威を高める」視点から考えれば、与野党議員が一致できる部分もあるはずだ。政争に明け暮れるだけが国会議員の仕事ではない。≫(東京新聞: 長谷川 幸洋)