「慣習化」、「集団心理」の恐ろしさと司法の深い闇!
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2012年03月01日 「日本人」の研究!
私は20代の頃、ホテルに努めていた。
ホテルの宴会部で、毎週のように結婚披露宴に
立ち会あった。
トータルで1000以上の披露宴を受け持った。
結婚式というと、一番ジーンとくるのが、
最後の新婦の両親に対する手紙と、
両親の挨拶である。
そのような披露宴にスタッフとして立ち会うようになり、
そのシーンを見るたびに、ジーンときて
涙がでそうになった。
しかし、慣れてくるとなんとも思わなくなってくる。
それより、いつまでもスピーチしている
両親に対して、
「長〜いんだよ〜、早く終わってくれ〜」
と、平気で思うようになってくる。
ホテル側としては、披露宴で働くスタッフを
アルバイトで賄っている。
アルバイトなので、時間になれば帰さなくてはならない。
もし、披露宴が長引けば、ホテル側のスタッフとしては、
片付け等大変なことになってしまう。
もちろん、新郎新婦さん、その両親にとっては
一生に一度の大切な時間だ。
そんなことは、すっかり忘れてしまって、
日常の業務化した一つの披露宴にすぎず、
「早く終われ、早く終われ」と願うようになってくる。
これは私だけでなく、ほとんど全てのスタッフが
同じような気持ちであった。
むしろ、いつまでも披露宴をダラダラとやらしている
スタッフは仲間内では「あいつダメな奴」
という烙印を押されてしまう。
初心を忘れ、「慣習化」するということが
如何に世間の常識からかけ離れてしまうことだろうか。
もう一つ、「慣習化」の恐ろしさについて、
話したい。
私の中学1年のクラスでは、万引きが非常に流行った。
クラスの男子24人中、20人が万引きで捕まった。
当時、クラス内で毎日のように
「おれ、あそこの店屋で○○パクった(盗んだ)」
というような自慢話が飛び交っていた。
私の例だが、最初の万引きが近くの雑貨屋で
10円のチロルチョコ一個盗んだ。
ものすごくドキドキした。
それがだんだんとエスカレートしていく。
ブーツにジーパン、最後には
ある大手スーパーで、高価な革ジャンを
羽織り、そのまま店から出ようとしたところを、
警備員に捕まった。
回数を重ねれば重ねるほど、大胆になる。
また、多くのクラスメートがやっていたので、
罪の意識が薄れる。
日本人の「和の原理」が働き、
例え悪いことでも、集団で常識化しれば、
罪の意識など消えてしまうし、
逆に、それをやらないと
どこか、村八分的になってしまう。
たとえ犯罪でも、その場の「空気」というものが
優先されるのが「日本人の集団心理」だ。
もし誰かが「それは犯罪ですよ」と主張しても、
その人はその集団から排除されてしまうのが
日本社会であろう。
西洋などの一神教の世界では、
その集団の「空気」なんかよりも、
個人一人一人が絶対的な神様と契約によって、
良心が保たれている。
細かな規定があり、それにそむくことは
神様を裏切ることになり、そのことは
集団の「和」よりも大事なようである。
戦前の特高警察の流れを引き継ぐ、
日本の検察組織。
「絶対正義」と言われ続けてきた検察が、
あまりにもひどさに目を覆いたくなる。
三年間におよぶ、西松事件、陸山会事件、
いわゆる小沢事件。
これが一体なんだったのか。
検察のリークにより、散々
「裏金まみれの小沢」というイメージを
植えつけられてきたが、
三年間もかけても、
結局何も出たこない。
会計士の専門家が法廷で証言するように、
「虚偽記載」でも「期ズレ」でも
なんでもない。
さんざん、小沢さんをののしってきたみのもんたさん、
「いったい小沢事件ってなんだったの?」
これは小沢さん個人の問題だけではなくなってきた。
検察、裁判所、ヤメ謙弁護士など、
司法に属する人たちのあまりにも
杜撰さが続々と露出してきている。
かなりの内部告発も次々と
出てきている。
これは、あの村木事件よりもはるかに大きな問題である。
むしろ、長年権力を握り続けてきた
司法官僚たちの構造的な問題だ。
検察、裁判所、さらに弁護士でさえズブズブ。
「冤罪」を作り上げることなど、常識化しており、
むしろ「冤罪」でもなんでも、目立った事件を
やらないと出世出来ないというのが常識化している。
「絶対正義」とい言われ続けてきた検察が、
「冤罪」などでっち上げるのは、
それほど通常化していたようだ。
「大岡越前」のような法に忠実で、
どこか庶民の味方のようなイメージを
抱かれていた裁判所でさえ、
検察が作り上げた冤罪を流れ作業のように、
ただ追認するだけの存在になってしまった。
さらに、裁判所、検察、そのOBであるヤメ検弁護士、
彼らがどれほど、甘い汁を吸い続けてきたか、
ドンドンと明るみに出てくる。
この司法官僚の「闇」というのは、
ものすごく深いようだ。
そのように司法官僚たちのあいだでは、
慣習化してしまった冤罪事件も、
やられる方にとってはたまったモノではない。
元検察の郷原氏によると、検察の間で
「自殺者が出るのはいい筋だ」
と、平気で語られていたらしい。
この司法官僚たちの行いにより、
多数の自殺者が出ている。
本人だけでなく、家族や関係者までの
人生を狂わせてしまう。
例えば、ある会社社長の話。
ある日突然、検察が押し寄せてきて、
ありとあらゆるモノを持ち去る。
その中には、銀行通帳と印鑑もなり、
その日から社員の給料はおろか、
関係各社にも支払いが出来なくなり、
多くの人に迷惑をかけてしまう。
これがいわゆる検察の「兵糧攻め」らしい。
また、取調べ中に検察が平気で
「司法取引」のようなことを
持ちかけてくる。
「これを認めてくれれば、
大した罪にしない」
と、誘惑され、それに乗ってしまったら
大変なことになってしまう。
うそを平気でマスコミにリークし、
「風」を吹かせ、そして冤罪を
作り上げていく。
これらの検察のやり口をみると、
一般庶民からすればまさに鬼畜。
しかし、みんなこんなことをしたくて
検察になったのか。
「絶対正義」と信じられ、
巨大な悪に立ち向かうことに
あこがれて検察を志願した人が
多いのではなかろうか。
しかし、そのような組織に一度属してしまえば、
だんだんと慣れてしまってくればなんとも
思わなくなってくる。
有能な政治家や企業人を
次々とぶち込んでしまえば、
日本ではみんな平凡な人間ばっかりに
なってしまう。
それがどれだけ、日本の活力を削ぐことに
なるのだろうか。
原敬首相が新聞記者相手に
「君たちは出る釘、出る釘をみんな叩いていたら、
そんな国にしたらエライ人がいなくなって、平均的な
人間ばかりになる」と指摘した旨、書かれている。
それはやがて政党政治の没落と軍部の台頭を
許したことは、歴史の証左である。
本当にこのままでよいのだろうか。
よくよくお考え下さい。