07. 陣中見舞い 2011年12月09日 19:44:56: 3pEdi1PI5rkGQ : byHXcaLODM
BRIAN ENO さんやオデシさんから過分に褒められた日にや、あたしゃ、入るべき穴を一日中探さなければならなくなる。
殊に、左に居るオデシさんからインテリなんて評価されたら、右に居るフーテンの寅さんからは、オイ、オマエ、さしずめインテリだな!って弾劾されちゃう。それだけは勘弁(笑)
実際は、そんなものじゃなく見たまま感じたままだけなんです。
肥大化しちゃいますけど、所詮は脳なんてモノも感覚器官のひとつであって、とりたてて内臓や皮膚より偉いってわけじゃなかろうというのが、自分の意見なんです。
宇宙規模から見たら、どれも端末じゃありませんか。
元から優位も劣位もない。
現在社会の仕組み上、脳優位が具合のイイだけの話であって、ネットの恩恵に預る一員が言うのもオコガマシイのですが、ネットの世界だって、せっせ、せっせと働いた蜘蛛の巣状の神経細胞(我々)が集めた情報を集積してる場に他ならない。
我々は、その集積場を仮に玉座と呼び、そこに座るモノを王(脳)と一旦は呼称し、奉り、たまには讃えます。
自分らの象徴だから。(笑)
しかし、しかしですよ、この仮の事実を真理と勘違いした王とその取り巻きが、果実の独占に狂奔したのなら、事はどうなるでしょう?
彼や彼らが、如何なる策を弄しようとも、最後には全細胞が死に絶え、ひいては自分らが絶命するというのは、間違いのない結論なのです。
握った手はゼッタイ放さないのが彼らの信条、そして、まかり間違った我等の信条。
(わかっちゃいるけど、やめらんない。笑)
モノポリーを絶対化した以上、絶滅は必定、これが鉄則です。
しかし、一心同体である以上、上に強く下に弱くではあるけど、この我欲は社会のどの各層に働いてるんですね。
だから目に見える壊死は、保護の弱い末端から始まる。
すると、変な論理が生まれます。
ここからの勝負は、如何に緩やかなスウイーサイトを皆で試みるか、そこが腕の見せどころ、でも自分じゃ怖いから、
kill me softly プリーズって(笑)
Fuck! the way of slave.
Fuck! the monopoly game.
我々が、今まさに経験してる近代、現代の歴史です。
そんで、意味があるから、我々も、この場に居合わせてる・・・。
音楽に話を戻します。
私の知る限り、数多あるハレルヤは、あさってにある神を讃えてるのですよ。
それはそれで厳粛で荘厳ではあるが、もしかしてそれは、我等がかつて身中に内在していたものを、勝手に遠く遠くにあると錯覚した(させられた)何者かではなかろうか。
オモテ意味もウラの意味も関係ない。
外に価値を置いた時点で誤りです。
鼓動のリズムに乗せた、レナード・コーエンによるハレルヤは、
聖書やどの伝道師よりも、優しく、時に力強く、雄弁に、目の前のコーラスと我等聴衆、全ての中にある、その眠れる獅子を揺りお越し、語りかけてくれるのです。
Wake up and Get up,
そして、我々は気が付く。
レナード・コーエンが見せた、始終崩さぬ敬虔な姿勢は、自分と各々の中にある獅子達への尊敬の顕れであったと・・・。
感動せずにおれましょか。
オデシさんと同じく、
あっしも断然、3番目!
サイコーでした!
ニール・ラーセンは後で、ゆっくり視聴します。
http://www.asyura2.com/11/music5/msg/427.html#c7