05. 2011年9月05日 10:18:17: zrxkZSthvw
つまり、官僚たちが強力な政治家たちに脅威を感じ始めたら、検察が面倒を見るのだ。
検察が面倒を見るのだ。
http://blue.ap.teacup.com/97096856/3306.html
・日本の検察庁は法務省の統制下にあるから、結局は官僚制度全体の下僕ということになる。
つまり、官僚たちが強力な政治家たちに脅威を感じ始めたら、検察が面倒を見るのだ。
田中角栄にこれが起こり、金丸信にも起きた。
小沢一郎やほかの改革政治家たちにも同じことが起きるかもしれない。
『人間を幸福にしない日本というシステム』ウォルフレン著
http://esashib.web.infoseek.co.jp/ozawa01.htm
・日本の個々の政治家は、「金権政治」の体質に直接の責任はない。彼らがつくりだしたわけではないし、変えるのが仕事だと思われているわけでもないし、変えたいと思っても個人の力では変えられない。
「金権政治」を完全に追放した政治システムを変えることができても、これほどの大きな仕事は一人の政治家の力ではとてもやれるものではない。だとすれば、平均的な政治家に対して「金権政治」の倫理的な責任を追及することはできない、ということになる。新聞は個々の政治家に責任があるかのように偽るのをやめなくてはいけない。
さらに、このシステムをそっくり支えているのはだれか、と考えはじめると、日本の政治家が「金権政治」に道義的な責任があるという認識の妥当性は、ますます疑わしくなってくる。
日本の構造腐敗についての論評はたいてい、それが独立した現象であり、主として政治家の問題であると論じる。政治家以外にもときどき容疑者とされる者はある。
野心的で厚かましいビジネスマンがメディアの集中砲火を浴びるのだ。
(この著書が発売されたのは、ほりえもん逮捕より十年以上前)
しかし、分析はふつう、そこで終わりになる。
「金権政治」をはびこらせるについて大きな役割を果たしている一大容疑者集団のことがすっかり忘れ去られている。
それは官僚たちだ。