この人、いい声してますね・・
「ひとりぼっちの部屋」高木麻早
http://www.youtube.com/watch?v=ST5PpYcwkec
http://www.asyura2.com/11/music4/msg/478.html
★阿修羅♪ > アーカイブ > 2011年8月 > 18日16時40分 〜 ★阿修羅♪ |
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「ひとりぼっちの部屋」高木麻早
http://www.youtube.com/watch?v=ST5PpYcwkec
http://www.asyura2.com/11/music4/msg/478.html
宮城県石巻市などは18日、東日本大震災の発生3日目から約1カ月間、災害対策支部のある石巻市役所桃生総合支所で毎晩飲み会を開いていたとして、総合支所長だった部長級職員(58)を減給10分の1(2カ月)、次長級職員(58)と課長級職員(56)を減給10分の1(1カ月)の懲戒処分にした。
市によると、3人は3月13日から約1カ月間、地元の消防団長=当時=の男性(61)らに誘われ、震災対策などを協議する会議終了後の午後8時ごろから支所1階のロビーや2階の和室で、焼酎を飲むなどした。
石巻市は庁内の飲酒を禁止している。4月下旬に匿名の情報提供で発覚した。3人は市の事情聴取に「誘いを断れなかった」などと話しているという。
消防団長だった男性は、任期更新の際に亀山紘市長から飲酒を理由に不適任とされ、6月末で退団した。
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/508.html
それは戦争すると儲かる人たちがいて、その人たちが国家を動かしているからです。
そして、その人たちの親族は決して戦場へ行かなくてよいしくみになっているのです。
7月6日の国会質疑で、党首の渡辺喜美は、脱原発の立場に立った論陣を展開しながら、同時に解散総選挙(=総理大臣辞職)を菅直人に迫っているのです。
発想電分離の徹底した推進や東電の解体などの秀逸なアドバイスを、総理を辞職した後の菅直人がどうやって実行するというのでしょうか?
本気で脱原発を進める意思があれば、党派をこえて協力を申し出るところでしょう。
みんなの党の脱原発は所詮はパフォーマンス、児玉氏を広告塔として担ぎ出した、と考えられるのです。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/587.html#c46
毛沢東の私生活 李 志綏 著
「もし私が殺されてもこの本は生きつづける」の言語を残し、著者は本書が発売された3カ月後、シカゴの自宅浴室で遺体となって発見された。また北京政府は「事実無根の書」として、事実上発禁扱いにした。
『毛沢東の私生活』は、毛沢東付きの専任医師であった李志綏が、1980年代にアメリカ移住後に書いた回想録。1994年に世界各国で同時出版された。この本は中国大陸本土では出版が認められていない。
李医師はこの著作で、毛沢東の権力絶頂期から死に至るまでの二十数年に渡る私生活を日常的に目撃観察している。毛の堕落した私生活(とりわけ性生活)、文化大革命期を中心とした中国共産党内部の権力闘争、プロパガンダのすさまじい運用(大躍進政策など)、1972年のニクソン大統領訪中前後の毛の興奮などが詳細に述べられている。
また李は、文化大革命が自身の家族に及ぼした影響、医師として診た毛自身の独特な生活態度(風呂には一切入らないなど)も具体的に述べている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%9B%E6%B2%A2%E6%9D%B1%E3%81%AE%E7%A7%81%E7%94%9F%E6%B4%BB
イギリスのBBC放送が毛沢東生誕百年を期して作成した「中国叢談」は、一九五四年から毛沢東が死去するまで二二年間にわたって侍医を務めた李志綏の証言をもとに「裸の毛沢東、最晩年の孤高と絶倫」を完膚なきまでにえぐっている(浜本訳、『THIS IS 読売』九四年四月号)。
「無法無天」の形容句に恥じないセックスライフについて巷間のウワサは絶えなかったが、今回は侍医の証言だから信憑性がきわめて高い。固有名詞として登場するのは、謝静宜(文革期に北京市委員会副書記)、張玉鳳(生活秘書)、孟錦雲(生活秘書)の三人だが、性関係をもった「教養の低い」女性は「非常に大勢」であった。
「普通の人間ならあれほどの年齢になれば性欲もなくなるのだが、毛の場合は性欲を自分の生命力を測る尺度にしていた。性欲がなくなれば生命力がなくなったも同じ」
と考えてセックスに励んだというから、好色爺そのものだ。
李志綏は「毛が本当に悲しみ、涙を流す姿」を見たことがないという。
陳毅元帥の葬儀で涙を流したという有名な話を李志綏は否定する。
「あの時私は毛のそばにいたからわかるが、泣いてなどいなかった」。
http://www25.big.or.jp/~yabuki/doc/sk940403.htm
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上巻p156
歳月を経るにしたがい、こうしたダンスパーティー、そしてパーティーに参加した女性の役割は私にしてからが思わず目をおおいたくなるほど露骨なものになっていった。
1961年に毛沢東の専用の特製ベッドのひとつがダンス開場に隣接する一室に移され、主席がダンスの途中で「ひと休み」できるように配慮されたのであった。私はいくども、主席が若い女の手をとり、その部屋につれこんで後ろ手にドアをしめる光景を目撃している。
上巻p167
張は、主席の歯なみに固着した歯苔の分厚い膜や、歯の隙間にたまった食べかすを取り除くことで口中の掃除をした。
「主席、毎日ブラシで歯をおみがきになる必要があります。苔がたまりすぎです。」
「いやだ」毛は、反発した。
「私はお茶で口の中をすすぐ。みがいたことなんかないぞ。虎はけして牙をみがかない。それなのに虎の牙は、なぜするどいのか」
毛沢東の理屈は、しばしばこんな調子で飛躍する。こちらは返すべき言葉もなかった。
奥さんの江青は、ヒステリーで、お付きの人を虐め抜くし・・
上巻 p429
私は、まだ毛沢東の過剰な性欲に気がついていなかったし、毛沢東が自分を捨てるのではないか、と心配する江青に対し、そんなことはないと 安心させたという主席の話を思い出しただけであった。また、その時点で、かかる問題についていえば、江青の方が私よりもずっとはっきり「現実を見抜いている」ことを 私はまだ気づいていなかった。
毛沢東の性欲は けたはずれであり、セックスと愛情は、彼にとって別ものだった。
上巻 p481
上海会議のあいだ、毛沢東は、専用列車のなかですごした。豪華なハードーン旧邸は居心地が悪かったのと、列車付きの若い看護婦とまだ関係が続いていたからだった。
相変わらず大胆に夜ごと看護婦を「錦江倶楽部」に同行した。
公安当局者は、地元のもっと有名な女優や女歌手との接見を手配したが、毛沢東は、当局の選択に少しも関心を示さなかった。女たちは、年をとりすぎているうえ口が達者で世間ずれしすぎていた。
もっと年若く、世間知らずの娘が毛沢東好みであった。そのほうが 御しやすかったのである。
http://blogs.yahoo.co.jp/naomi_shararan1998/25584225.html
毛沢東のエッチ [スペインのハエ (R-18)]
緊張に包まれた毛沢東主席の宮廷!で無学!無教養なのにいつもちょろちょろしていた人がいたそうです。
その葉子龍と名乗る男は主席の執事が表の顔!
裏の仕事は女性調達係でもあったそうな。
農村地方のあちこちから若い少女が無邪気に寝室にやってきたそうです。
主席は並外れた性欲の持ち主。ま!王様になったら食欲や性欲や殺人欲が解き放たれますわな。
しかし!絶倫の割りにはそんなに立派なモノを持っている訳ではなかったようです!?
長年!主治医だったリ(李)医師は「毛沢東の私生活」(新庄哲夫訳)に書いています!
性器の包皮が異常にかたくてめくれず入浴はしないから感染症の心配があり左側の睾丸は通常より小さく右側の睾丸にいたっては腹腔内のまま!いんのうまで下降していなかった云々。
おそまつ!の部類だったようです!
この世で主席の恐れるものはただひとつ!
インポテンツだったそうです。
それだけにはなりたくない!
なぜなら!そうなると仙人になれない!?
結局!
中国古代の帝王「黄帝」の「多接」「少泄」「易女」「御少女」で100歳まで生きて仙人になった伝説!に行き着くのでしょうか!?
権力者の夢は誰も!復活と!永遠の命!
「御少女」とは14歳から19歳までの娘らしい!?
だから!主席には多くの少女が必要だった?!
葉子龍は彼女たちに謝礼として数百人民元からせいぜい2千人民元を渡していたといいます。今でもわずかな額ですが多分!昔は日本円でいえば100円にも相当しなかったのでは?!
永遠の命を買おうとする大金持ちにしちゃあケチですね!
彼女たちは主席への忠誠心からお金には関係なく喜んでいたのかも!?
歴史は寂しい、、、ですねぇ。
http://audrey-hotaru.blog.so-net.ne.jp/2007-10-09
『毛沢東の私生活』というこの本は、毛沢東の傍に長年付き添った主治医の回想録である。革命後の中国で何万人と餓死する人間がでようと、豪奢な暮らしを続けた党幹部たち。その実体がいかほどであったかが暴露されている本だ。
これを読むと、一体「人民のための革命」とは何だったのか? と思う。
あの文化大革命で、あらゆるものが“ブルジョア的”“反革命”と標的に合い、攻撃され破壊されたというのに、なんと! 毛沢東の屋敷の中ではアメリカ映画の上映会が開かれ、「ダンス・パーィー」が毎週のように開かれていたとある。
『将軍様の踊り子』という北朝鮮には金正日に仕える美女軍団がいるということだが、まさにそれと同じ、中国全土各地から選ばれた美女達がその「ダンス・パーティー」で毛沢東の相手をするために集められるのだ。ダンスのみではない、気に入った女性を毛沢東は別室に連れ込んだとある。
それが毛沢東の日常だったのだ。なんということだろう! 由々しきことだ。信じられないことだが、しかしこれは四六時中毛沢東に付き添い仕えた主治医の手記なのだ。
党幹部達はみな見て見ぬふりをしていたとある。
「オウム真理教」でも教祖が気に入った女性信者をイニシエーションと称してセックスを行っていた。自分の欲望を教義に組み込み、教祖とセックスを行えば一段と高いところへと昇華できると信じ込ませていた。熱狂的信者であれば、それも厭わない。 こと性に関しては毛沢東とて同じだった。
「ダンス・パーティー」に集められた若い女性たちは、国家主席のために身を捧げることを厭わなかったのだ。彼女たちだってそれを承知で集められていたのであり、その「ダンス・パーティー」の目的を知っていたのだ。
『英雄色を好む』とは、昔から言われてきた言葉です。しかし、古代の皇帝や江戸時代の大奥の話しでもなく、まがりなりにも「共産主義」の“人民の国”中国で、餓死で国民が死んでいる最中です。「右派反対闘争」と言って、資本主義の悪を駆逐する共産化運動が進められ、容赦なく粛清が行われていた時です。山水画までブルジョア的と標的に合い、大量に焼かれた時代です。最も高潔、人民の模範、清廉潔白、聖人君子であらねばならぬはずの指導者毛沢東の私生活がこれなのですね。
勿論この高潔・清廉潔白というのは「公人」としてであって、相方合意の上の男女がどれだけ性的な関係を持とうと、とやかく言うことではないと思うのです。政治家であろうとプライベートでの生活、趣味の領域に立ち入るべきではなく、愛人がいようと、何人の女性と性行為を持とうと、強姦のような犯罪行為でないかぎり、それはかまわないことです。毛沢東とてとやかく言われることではないでしょう。
しかし、公邸内で公金で行われているとしたら、それは問題です。しかも何万という人が餓死している中で、宴会が開かれ、楽隊が呼ばれ、雑伎団の余興があり、隣りに特製のベッドルームがしつらえてあるということは問題だと思うのです。
「人民のため」「国民のため」と、腐敗や堕落を許さない「共産革命」を起こしたところで結局コレなんですね。国民は給料もなく「現物支給」という制度で、公平に大食堂で食事が取れるということになっていても、その支給される現物も限られ、食べるものがない。しかし高級幹部は豪邸に住み、別荘を持ち、豪華な暮らしをして色情に溺れる。
毛沢東は視察を好み、中国各地に出向くことが多かったようですが、「大躍進」という毛沢東が打ち出した生産増大スローガンはまったく機能していなかったのが実体で、農作物の不作を訴える地方の幹部に、『何故一毛作で、二毛作をしないのか』と叱咤したという。温暖な日本でも米の二毛作などできる所は限られている。しかし生産が上がっていない地域は“やり方”が悪いということになって、それは幹部の責任となる。生産性が低いということは、「反革命」とされたのだ。
そのため正しい情報は上げられなくなり、獲れてもいないのに“大躍進”しているという偽の報告書が出され、そのために農民は益々苦しい生活に追い込まれていくのだ。日本が戦争に負けているのに、決して劣勢であるとは言わず「大進撃」と嘘の発表をしていた大本営と同じだった。
「大躍進」政策の最中には、「裏庭煉高炉」といい、名ばかりの“鉄高炉”が各地区に作られたが、それは農民達の鍋釜を溶かして再び再生するという、「鉄高炉」とはとても言えない代物だった。「鉄」の生産どころか、単に作り直しをしていただけで、そのため人民は鍋釜が家庭からなくなり、白湯も飲めなかったとある。貴重な石炭や燃料がこのために浪費されただけであった。
毛沢東が地方巡業すれば、1万5千人もの護衛が召集され、行く先々の鉄道の沿線、駅、すべてに配置され、何万という人が餓死している最中でも、その歓迎のセレモニーが毛沢東のために催されるのだ。 貧しい村に訪れたとき、空調もない部屋に毛沢東夫人である江青が怒って、最新の空調設備がすぐ取り寄せられ備えられたとか、シャワー設備を整えたという話しがあります。
毛沢東が泳ぎたいと急に言い出したから5キロに渡って川周辺が警備されたとか、その大旅団のために鶏2000羽が食料として集められたとか、何度もくどいように書きますが、あくまでも人民が餓死している中で、こうした視察が繰り返されていったということです。
これをどう考えたらいいのでしょう。モラルというものは、上に立つモノだからこそ律しなければシメシがつきません。範を示すというのが上に立つモノの勤めです。しかし毛沢東はじめ党幹部はその特権にあぐらをかき、人民だけに過酷な労働と規律を求めていました。 毛沢東は生産向上のため「大躍進」という政策を打ち出しますが、【『毛沢東秘録』】にも書かれていたように、その政策を批判した劉少奇は毛沢東に恨まれ粛清されていきます。毛沢東の政策に異を唱えるものは、共産革命の同士でさえ「反革命」だったのです。
さすが餓死するものが何万人と増え続けると、毛沢東は「肉」を口にしなくなったと言いますし、身内が特権的な扱いを受けることを嫌ったとありますが、こと自分となるとそれも違ったのでしょうか。それを一番の回春剤と考えてか、若い「人肉」、女性の肉体だけは求め続けたようなのです。
今問題になっている、税務調査会長の官舎に愛人を住まわせるなどいう公私混同はカワイイ事なのかもしれません。毛沢東は公邸の中に売春宿を作っていたようなものです。
結局、こうした「権力者」のあまりにも国民から乖離した意識構造、「金」と「女」と「地位(権力)」への欲望は、共産主義社会であれ資本主義社会であれ、同じなのですね。
この本では、毛沢東の乱れた女性関係、ワンマンで言うことを聞かない独裁者としての身勝手な行状ばかりが描かれている。後世まさかこれほど悪し様に自分の私生活が暴露されるとは思いもよらなかったであろう。どの『英雄伝』であろうと“私生活”が暴かれたら形無しだ。
もともとフルッショフがスターリン批判をしたことに端を発し、右派(修正主義者)撲滅運動が中国で始まる。それが文化大革命にまでつながっていくのだが、党の機能がしなくなるほど、党内でも粛清の嵐が吹きまくる。その後毛沢東が取った路線はアメリカや日本との国交回復、資本主義社会との提携だった。フルッショフを毛嫌いしソ連と国交断絶した毛沢東は、支援の相手国に日本やアメリカを選んだのだ。
中国はまだ「共産党」と名称は変わっていないが、実体は資本主義経済と同じ、今や世界の物資不足を引き起こすほどの大躍進を遂げている。そうなると、一体「共産主義革命」は何だったのだろうと思う。ブルジョア的・修正主義と批判され、何万といった人々が吊し上げにあい、拷問され、「反革命」と落胤を押され死んでいった。
http://saturniens.air-nifty.com/sennen/2006/12/post_2143.html
毛沢東はセッ○ス狂
毛沢東は自室で思いのままにメモを取っていたようだ。その時々の気分であったり、政治的な事柄であったりもした。それらはゴミ箱の中から側近が拾い集め、密かに保管していたらしい(李鋭談)。また自分自身の個人的な記録も取っており、その内容は性的なものまでも含んでいた(中南海医師、李之随談)。李は「毛沢東をセックス狂だ」とみなしていたという。(『ニューエンペラー上』第六章 注釈17)
幹部の一人康生は、毛沢東の春画集めに多大な貢献をした。康生は江青を毛沢東に引き合わせた人物であり、その後も毛沢東の踊り子達を調達し続けた人物でもある。江青が10代の頃、康生の邸宅で下女として働いていたという噂がある。
「彼のベッドは若い女でいっぱいだった」
(ルイ・アレイ、ソールズベリインタビュー:1987年10月21日北京)
康生は毛沢東の性癖を満たすのに大いに活躍したが、彼自身も旺盛で次のようなエピソードがある。
紅衛兵によって通りに放り投げられた古い手稿や絵画の山を漁り、焼き捨てられてしまう前に、なかから貴重な春画を見つけだしては自分の懐に入れた。
http://a340.oops.jp/mao/mao03.html
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ユン・チャン、ジョン・ハリデイ著、土屋京子訳『マオ(上・下巻)』(講談社、2005年)は、合計1119頁もにわたり、新たな資料と綿密なインタビューによる証言に基づいて毛沢東の生涯を検証した意欲溢れる大著である。「人間」としての毛沢東を描写すること自体、現代中国において重大な禁忌であるので、極めて勇気のある行為である。日本で言えば、「天皇制」を論ずる程に困難、重大、それに果敢な行為である。『マオ』の大胆な仮説の面白さと骨太な筆致に思わず引き込まれて一気に読了した。また、実際読んでみて新しく学んだ事実や「人間」としての毛沢東の生々しい描写から大いに触発を受けた。
小生は毛沢東研究の専門家ではなく、このような膨大な大著から専門家のように広大かつ深淵な読み込みはできない。しかし、素人なりにこれまでに読んできた数冊の著作を頼りに学んで得る事のできた『マオ』の読後感を述べたい。
なお、『マオ』からの引用については、以下(上巻、323頁)のように記す。
まず、「人間」毛沢東を冷静に見る上で役立った著作に高島俊男著『中国の大盗賊・完全版』(講談社、2004年)がある。第1章の陳勝(ちん しょう)・劉邦(りゅう ほう)にはじまり、朱元璋(しゅ げんしょう)、李自成(り じせい)、洪秀全(こう しゅうぜん)、そして、第5章の毛沢東からなる。盗賊の側からの歴史として中国史上、有名な人物を面白く紹介している。1989年に『中国の大盗賊』が出版されたが、紙面数の制限と当時、「社会主義中国」を信じる人が多かったという背景から「毛沢東」の部分を廃棄して出版した。その後、読者から「毛沢東」の部分も読みたいとの要望が多くあり、完全版の出版となった経緯をたどった著作である。
「盗賊皇帝」としての視点に反発を感じる人もいるかもしれない。しかし、悠久なる中国史を視点を変えてみた時、中国の歴代皇帝としてのスケールの大きさを毛沢東にみてとることが可能である。20世紀の中国は、100年以内に2度も統一政権が革命によって交替したという中国史上初の経験を経た。そこで、前世紀における蒋介石と毛沢東を比較してみる。
前者は杜月笙(と げっしょう)、後者は康生(こう せい)(毛沢東の第四番目の夫人、江青(こう せい)とは別人)というマフィアのリーダー出でスパイをはじめ、裏の汚い仕事を請け負う人物を暗躍させていた点では、共通項がある。小生は蒋介石と毛沢東の大きな違いの一つにカリスマ性の大小があると考える。前者は「蒋・宋・孔・陳」のいわゆる「四大家族」による開発独裁の国の独裁者水準であったが、後者は個人崇拝を強固に推進し、周恩来が宰相役を演じ、輔弼(ほひつ)するような状況であり、さながら、歴代王朝の皇帝を彷彿させる。『マオ』には「蒋介石は最初から最後まで私情に従って政治や軍隊を動かした。そして、そのような弱点とはまったく無縁の毛沢東という男に負けて中国を失った。」(上巻、524頁)との指摘があるが、小生は共感する。
高島氏の平易で要領を得た著作からは『マオ』を理解する上で大いに役立った。例えば、井岡山に関しては、「井岡山の道」(2)の章にある古来の盗賊のしきたりからの解説で納得できた。後で、毛沢東と女性たちとの関わりのところでも触れるが、毛沢東は家族に対してさえも非情であった。例えば、高島氏は敗走した劉邦が、背後から敵の騎兵が迫ってきた際、車を軽くするために同乗していた子供たちを次々と車から突き落としたことが紹介されている。(3)毛沢東も我が子に対し、愛情が酷薄だったという『マオ』での指摘がある。非情さにおいても皇帝級の人物だったという印象を小生は得た。そして、中国史上で稀有な存在ではなく、これまでも類似した傑物が存在したとして落ち着いて『マオ』について、考えられるようになった。
毛沢東と女性たちとの関わりについて感想を述べる。鋭く厳しく批判的に描写されており、『マオ』を読んでいて最も印象的なテーマであった。特に、楊開慧(よう かいけい)に関する新発見には驚いた。小生は、毛沢東は生涯最も愛していたのは楊開慧であったとばかり思ってきた。そう思ってきた理由は次のとおりだ。エドガー・スノーらアメリカ人ジャーナリストが、革命に殉じた素晴らしい女性として印象的に語っていた。また、楊開慧との間に生まれた長男、毛岸英(もう がんえい)が朝鮮戦争で戦死した時の司令であった彭徳懐(ほう とくかい)をその時は許したものの、後に大躍進政策に反対したことを理由に罷免し、不遇な境地に追い込んだ。その理由の一つには、やはり長男に関する復讐であると小生は思っていた。
しかし、『マオ』には、「毛沢東は悲しい表情ひとつ見せず、不幸があったことを疑わせるような一瞬の陰りさえ見せなかった。それどころか、毛沢東は、まるで岸英が生きているかのように、彼について冗談を飛ばしたりしていた。」(下巻、90頁)とある。岸英のことを自分の後継者とばかりに期待していたと、小生は想像していたことがあったので、非常に驚いた。あえて周囲に対する芝居をしたのではなかったのかと、『マオ』の記述を疑いたくなる程驚いた。
さらに、「第七章 さらなる野望、妻の刑死」を読んだ時に得た衝撃は大きかった。楊開慧は毛沢東を愛していたものの、毛沢東の共産主義思想には懐疑的であった。そして、上巻の156〜159頁の楊開慧の文章からの引用にあるように、毛沢東に無視された挙句、見殺しにされていた。「救おうと思えば、容易に救えたはずだ」(上巻、159頁)の言葉に著者の怒りを感じた。女性を弄んだ挙句、捨て去るといったものだ。
そうした女性軽視の毛沢東の姿勢は、毛沢東の第三番目の夫人、賀子珍(が しちん)(ホー・ツーチェン)についての記述でも著者の怒りの姿勢は如実に出ている。賀子珍にとって毛沢東は人生最大の後悔ともいえる存在だった。下巻の213〜215頁にあるように毛沢東の気まぐれのために回復不可能な精神異常をきたすに至る悲惨な人生だった。
毛沢東の漁色と形容できる女性に対する執着については、彭徳懐の回想録に相当する 彭徳懐 著、田島淳 訳『彭徳懐自述』(サイマル出版会、1984 年)や『マオ』の中でも、彭徳懐が毛沢東を厳しく批判していることが詳しく紹介されている。京夫子(チン・フーズ)著、船山秀夫編訳『毛沢東 最後の女』(中央公論新社、1999年)で紹介されている張毓鳳(ちょう いくほう)という毛沢東の側近であり、看護師だった女性からみた毛沢東像も貴重である。そして、李志綏(り しすい)(リ・チスイ)著、アン・サーストン協力、新庄哲夫訳『毛沢東の私生活(上、下巻)』(文藝春秋、1994年)には、著者が毛沢東の侍医だったので、書名どおりに詳細に記されている。
例えば、毛沢東の第四番目の夫人、江青について、『マオ』では、「何よりも、江青は夫を恐れていた。」(上巻、452頁)、と指摘しつつも、どんなに汚いことも実行できる悪女として描写している。江青悪女観は今日の中国人の考えとしては一般的である。李志綏は江青の権力基盤は毛沢東の権威であり、毛沢東に捨てられることをひどくおびえていた、と鋭く指摘し、江青もまた、毛沢東の犠牲者として分析している。看護師と医者が出てきたところで、次に毛沢東の健康状況について触れる。
李志綏の前掲書は毛沢東の健康状態を詳細に紹介している。それについて、要約している著作がある。小長谷正明(こながや まさあき)著『ヒトラーの震え 毛沢東の摺(す)り足』(中央公論新社、1999年)である。「神経内科からみた20世紀」というサブタイトルにあるように、著者は神経内科の専門で、読みやすく毛沢東の病気について紹介している。
毛沢東は筋萎縮性側索硬化症(ALS)だった。この病気は「脳からの命令が伝わる通りみちである側索と、その命令を中継して伝達する前角神経が、ゆっくりと機能しなくなり、運動神経からの支配を喪失した筋肉がやせて萎縮してしまう。手足は麻痺することをはじめ、食事や言語障害を生じ、ついには呼吸障害まで引き起こし、死に至る病である。今日でも治療法は存在せず、毛沢東の医者たちは30年間の臨床経験でわずか2例しか診たことがなく、ちなみに日本では10万人に5人ぐらいの頻度の難病中の難病である。」(4)
『マオ』の中では、毛沢東の性欲をはじめ、異常なまでの猜疑心、被害妄想や心気症などの精神異常を指摘している。また、仕事を始めると、昼夜を問わないほど不規則で周囲の秘書や医師団らは大変であったことも指摘している。
また、林克(リン・クオ)・凌星光(リン・シンクワン)共著、凌星光訳『毛沢東の人間像』(サイマル出版会、1994年)でも夜行性で気ままな日常だった、と記されている。この著作は元毛沢東の秘書だった林氏と、中国社会科学院で日本経済などを研究し、福井県立大学など日本の教壇に立たれた凌氏との対話形式で、毛沢東の人間像を語っている。『マオ』と読み比べれば、抑制がきており、遠慮している部分もある。それでも、非常にバランスのとれた意見であり、偏りが目立つと批判のある『マオ』と読み比べると、『マオ』が根拠薄弱のものではないことがわかるともに、毛沢東の人格の多面性と非凡な魅力について別な角度から知りうる好著である。
『マオ』を読んでみて正直のところ、一番抵抗のあったのは、日中戦争期の記述である。例えば、「日本語版によせて」で「日本軍による侵略が毛沢東の政権奪取を助けたのは確かです。」(上巻、4頁)とある。ちなみに中国共産党軍が日本軍とあまり熱心に戦闘しなかったという記述は、ピョートル・ウラジミロフ著、高橋正訳『延安(えんあん)日記』(サイマル出版会、1975年)にある。著者はコミンテルンから派遣されたロシア人記者で、延安における凄惨な権力闘争に関する記述では、『マオ』との共通項が多い。
しかし、それでは日本軍は一体誰と戦っていたのか? 中国の国民政府の抗戦力については、石島紀之著『中国抗日戦争史』(青木書店、1975年)で実証研究がなされている。実際、蒋介石は共産党との戦争に備えて兵力を温存していた。付言すると、アメリカは当初、国民政府と共同で中国大陸から日本軍を撃退することを考えていた。しかし、国民政府が消極的態度であったため、アメリカが単独で太平洋の群島づたいに日本軍を撃退する方針に転換した。
一方の日本軍は「八路軍(はちろぐん)(バロー:日本軍の蔑称)狩り」と称して残虐な掃討作戦を展開するほど八路軍を恐れていた。そして、八路軍や中共が恐ろしかったと語る旧日本軍人は少なくない。著者の記すように、国共軍が抗日戦争(中国語では、一般に日中戦争をこのように表現する)にあまり関与していないのならば、100万人もの日本軍はなぜ、南方の戦線に行けずに足止めのように中国大陸で戦闘を継続せざるをえなかったのか。例えば、アヘン戦争後の平英団のような民兵組織が日本軍に対し、強い抵抗をしていたのならば、少しは首肯できる。また、皖南(かんなん)事変(ワンナン事変)に関する記述(上巻、394頁)で共産党が国民党に比べて宣伝がたくみであったと指摘している。しかし、正直の所、今でも信じられないという感想を有する。
また、第26章の「革命的阿片(アヘン)戦争」(上巻、458頁)で共産党が農民に阿片を栽培させていたという記述にも驚かされた。日本軍が中国で阿片の製造・販売していた事実は江口圭一著『日中アヘン戦争』(岩波書店、1988年)で知っていたが、それに共産党が本当にかかわっていたとしたら、中国でのアヘン事情に関する研究に大きな波紋を投げかけることになる。
日中戦争期に関し、最近出版された著書に、劉震雲(りゅう しんうん)(リュウ・チェンユン)著、竹内実監修、劉燕子(りゅう えんし)訳『温故一九四二』(中国書店、2006年)がある。この著書は日本軍が中国の農民から略奪した食料を河南省で日照りとイナゴの大群で被災した農民に対し、食料を分け与えたという史実を小説にしたものだ。当時の国民政府は被災者を救援するどころか、農民から厳しく食料を取り立てていた。そんな折の救援に恩義を感じた農民は国民政府に歯向かった。著者は飢餓と戦争で苦しんだ当時の農民と成長に取り残された現代中国の農民と姿が重なるという。
『マオ』もそうだが、異なった視点で歴史をとらえることは重要である。しかし、一方で日本が行った侵略戦争の免罪符のように扱われることがあってはならない。現在の日本では、「自由主義史観」と称し、歴史の歪曲を謀る集団がいる。例えば、Iris Chang “Rape of Nanking” PENGUING BOOKS, 1997.のように日本人に対する差別や偏見があるなど不適切さが目立つとはいえ、この著書をもとに南京大虐殺を中国人のでっち上げとして悪用されたことがある。ちなみに、アイリス・チャン氏への批判については、J・A・フォーゲル氏の論文(5)が詳細で理解しやすい。同様な事が今後も発生する虞(おそれ)があり、警戒して注視しなければならない。
朝鮮戦争に関する『マオ』の記述には、「スターリンと毛沢東という共産主義独裁者の世界的野望に金日成(キムイルソン)の地域的野望が加わって、一九五〇年一〇月十九日、中国は朝鮮戦争の地獄に放り込まれたのであった。」(下巻、65頁)とある。
正直のところ、それは言い過ぎではないかと考えた。例えば、朱建栄(しゅ けんえい)著『毛沢東の朝鮮戦争』(岩波書店、1991年)がある。この著書はサブタイトルの「中国が鴨緑江(おうりょっこう)をわたるまで」にあるように、中国国内外の多様な資料をもとに、多角的視点から毛沢東の朝鮮戦争参戦する経緯を実証研究している。端的に述べると、当時の中国は国共内戦で疲弊しており、建国間もない時期においては、戦後復興をはかりつつ、権力基盤を安定させ、内政を充実させる必要があった。また、対外参戦に伴う重大な負担をかけることは、中国の経済発展を遅らせ、深刻な経済問題を引き起こす虞があった。故に、毛沢東は参戦したくなかった。しかし、国家建設にあたり、ソ連の協力は重要だった。また、国民政府時代にソ連に事実上与えてしまった中国・東北部の権益を取り戻すためにも参戦は必要だった。さらには、米軍主体の国連軍が中国国境にまで迫ってきており、中国領内にまで戦線が拡大する虞があった。そうした諸事情があったこそ、「援朝抗美戦争」(中国語で朝鮮戦争のこと)になったのであり、毛沢東個人の野望に参戦理由の重点を置いた『マオ』での扱いに対し、小生は賛成できない。なぜならば、参戦した主な理由を中国は東西冷戦に巻き込まれたために、朝鮮戦争に参戦せざるを得なかったと見るからである。
中国経済史に関心のある小生にとり、「第31章 共産中国ただひとりの百万長者」の中にある土地改革をめぐる記述(上巻、547頁)にも驚いた。これまでは、結果として、土地改革に関しては、国民党は不徹底なために失敗し、共産党は徹底したので成功したという真剣な議論を聞いてきた。例えば、長岡新吉・西川博史編著『日本経済と東アジア −戦時と戦後の経済史ー』(ミネルヴァ書房、1995年)はそれぞれの土地改革に関し、要領を得た説明がなされている。それが共産党の土地改革が宣伝から来る美名であり、実際は農民から土地を収奪するのみの行いであり、しかも、凄惨なリンチ殺人込みの地獄絵図であったのには心底驚かされた。ところで、丁抒(てい じょ)(ディン・シュー)著、森幹夫訳『人禍』(学陽書房、1991年)には、山西省において興味深い次のような事実が紹介されている。
「初級合作社が成立したとき、農民たちはあれこれためらったが、結局、協同化にもある程度の利点があるはずだと信じた。ましてや土地や農具はまだ自分の名義のままで、そこからも配当を受けられるし、そのうえ共産党はいつでも自由に退社する権利を保証していたので、最終的には加入を申し出たのである。ところが、わずか一、二年後に、地区によっては数ヶ月も経たないうちに、上級から高級合作社を組織せよ、と指示された。そこで農民たちは、遅ればせながら、為政者の約束はあてにならないことに気づいたのである。
彼らには高級合作社に参加しない権利が認められなかったばかりか、初級合作社を脱退する自由さえも失ったのである。衆人環視の中で脅したり、大会で名指ししたり、三日三晩眠らせなかったりしたのでは、どんなに意志の強固な男でもがんばり通せなくなった。こうして農民たちは屈服し、自分の土地や農具・役畜に対する所有権を放棄して、毛沢東の社会主義を受け入れたのである。」(6)
『人禍』は1958〜1962年の大躍進政策にともなう2000万人もの餓死者を出した悲劇を記した著書である。『マオ』の下巻、「第40章 大躍進ー国民の半数が死のうとも」とも合致している凄惨な記録である。一方、『人禍』の中にある加々美光行氏の解説「人禍の悲劇と現代史の画期としての中国革命の評価」と『マオ』を比較すると興味深い意見の違いがある。
例えば、前者は1970年代に対米接近を晩年の毛沢東が図ったことについて、「毛という人物が、他のいかなる指導者にもまして、国際世界への視野をもちつづけていたことを知ることも、現代中国の理解のためには不可欠である。」(7)と毛沢東を擁護する内容が顕著である。しかし、『マオ』では、「毛沢東主義の宣伝は、インドシナでも世界でも行き詰まった。が、機略縦横の毛沢東は、脚光を浴びるための新しい計画を思いついた。アメリカ合衆国大統領の訪中である。」(下巻、421頁)と冷ややかな評価である。事実を認めつつも、毛沢東を否定しきれないのは、加々美氏のみではなく、中国をはじめとする世界中の多くの人々に言える。小生も同様である。
『マオ』と並んで注目すべき著書に北海閑人(ほっかい かんじん)著、寥建龍(りょう けんりゅう)訳『中国がひた隠す毛沢東の真実』(草思社、2005年)がある。北京在住の中国共産党の古参幹部がその統治手法と毛沢東の実像を紹介している。淡々とした調子(リズム)で記されているが、率直な表現であり、説得力がある。今日の中国共産党の統治手法を批判するのみならず、毛沢東時代を生きてきた人々の声を後世に残そうとする姿勢は、『マオ』と同様である。『マオ』とともに一読の価値がある。
毛沢東の人間像を正視することは、重要である。なぜならば、毛沢東の権威を悪用し、中国人民をはじめ世界の人々を欺き、時として害をなす虞があるからである。例えば、『マオ』のエピローグには、「今日なお、毛沢東の肖像と遺体は首都北京の中心部にあって、天安門を威圧している。現共産党政権は自らを毛沢東の後継政権と位置づけ、全力で毛沢東神話の不朽化をめざしている。」(下巻、512頁)と、記されている。また、1970年代のカンボジアのポルポト政権や、今日では、ネパールやインドの農村部などで暗躍する「マオイスト」が存在する。彼らは目的遂行のためには、虐殺に至る暴力をも辞さず、それを正当化する論拠として毛沢東像を歪曲し、悪用している。それは毛沢東を冒?することにもつながる。さらに、日本のように負の歴史を直視することを避けることで同じ過去の過ちを繰り返す虞がある。中国においても過去の歴史を直視することは中国のみならず、世界平和のためにも必要である。特に将来、若い世代に正しい歴史を伝える義務がある。
蛇足ながら、小生の毛沢東像に関する浅薄な考察を述べる。実は、井波律子著『破壊の女神』(新書館、1996年)から着想を得た考察である。この著書はサブタイトルの「中国史の女たち」にあるように、中国史上、有名な女性の物語をわかりやすく、興味深く記している。特に、西太后に関して興味を抱いた。
毛沢東は部分的に西太后と重なる要素がある。
1) 経済に関する概念の欠如。前者の大躍進政策時の土法高炉(どほうこうろ)に象徴されるような大規模な浪費と後者の宮中での奢侈(しゃし)による浪費。具体的には、前者は人民から鍋、釜、鍬、鎌といった鉄製の日用品を供出させ、大量のグズ鉄を生産させた。後者は宮廷での衣食住はもちろんのこと、頤和園(いわえん)をはじめとする豪華な庭園の造成、豪華列車での旅などの贅沢である。こうしたことから推察しても、おおよそ当時の人民の生活のことは念頭になかった。
2) 非情な性格。毛沢東については『マオ』で詳細に記されているので割愛する。後者はライバルだった東太后を陥れるために自ら産み落とした嬰児を殺めたり、些細なミスでも死刑にしてしまう態度。しかも、死ぬ間際まで権力に固執した。
3) 本来なら限定される範囲での権力闘争に人民全体を巻き込んだこと。前者は延安、後者は宮中にとどめるべき範疇の争いを、戦争及びその賠償金支払いを引き起こし、その挙句、重税を課したことで、人民を巻き込んだ。もっとも、毛沢東は、ケ小平の言うところの晩年における三割の過ちにあたる大躍進政策や文化大革命があるので、西太后よりもはるかに人民を苦しめた。逆に権力闘争を人民にまで拡大させなかった例として、前漢の時代について述べる。高祖・劉邦の后だった呂氏の専横が宮中にとどまり、当時の人民にはほとんど影響せず、武帝の頃までに経済力を蓄えることができた。宮中での闘争はさながら、「コップの中の争い」のようなものであり、その間、安定した経済成長を遂げることができたので、漢王朝が長い繁栄を誇った要因となった。「安居楽業(あんきょらくぎょう)」の語のように、社会が平和で、暮らしは安定し、人々は生業にいそしめる状況は重要である。
4) 両者とも極力遠方への旅を避けたこと。権力に対する拘泥から来る用心深さに起因するからである。前者はソ連に行ったのみ、後者は義和団事件で列強に北京を追われ、西安に行ったのが一番の遠出だった。瑣末(さまつ)ながら、両者とも側近に英語を学ぼうとして結局、挫折している。前者は林克・凌星光の前掲書で、後者は徳齢(とく れい)著、実藤恵秀(さねとう けいしゅう)訳『西太后秘話 ― その恋と権勢の生涯』(東方書店、1983年)で紹介されている。
前者は世界に対する一定の関心を有していた。そのために、英語のできる国際秘書として林氏が任用された。英語を学習する熱意はあったものの、多忙な合間を縫っての学習だったので落ち着いた学習は不可能であった。実際、発音がうまくいかなかったり、毛沢東自身の希望で文法を重視したことから日本の英語学習者に多く見られる結果に終わった。後者はイギリスのビクトリア女王への関心と当時、幽閉されていた光緒帝が英語の読み書きををマスターしたというので、その賢明な皇帝への対抗心から英語を学習しようとした。しかし、2時間で頭が痛くなり挫折した。以上の証言を残した著者について、触れる。徳齢は外交官の父を持ち、フランスで教育を受けた後、妹の容齢とともに2年近く西太后に仕えた。宮廷の厳しい掟に従いつつも、西太后について様々な角度から分析し、批評している。それでも、暴露本ではなく、客観的かつ冷静な観察眼からなる筆致なので、当時の清朝宮中を知る上で、貴重な資料である。
ちなみに、徳齢著、井関唯史訳『西太后汽車に乗る』(東方書店、1997年)という興味深い著書もある。この著書は、奉天(現在の瀋陽(しんよう)市)への豪華な汽車の旅について紹介されている。それは宮廷を汽車に移したような豪勢な旅であった。今日で言えば、北朝鮮の金正日国防委員長の豪華列車での旅も、いかに豪勢であるのだろうかと想像してしまう。つまり、両者とも海外に関する関心はあったものの、海外に関する知識は実は豊かではなかった。例えば、前者は核兵器を「はりこの虎」と称し、後者は「異を以って、異を征する」とばかりに、義和団を支持し、列強に宣戦布告した点からも実証できる。逆を言えば、中国の事情や中国人の心情については、鋭い洞察力があった。前者は、文学や歴史書から知識を涵養していた。後者は、歴史書や「筆帖式(ひっちょうしき)」の参考書から知識を涵養(かんよう)した。筆帖式とは、「満州旗人(まんしゅうきじん)に限定された一般事務職で、公文書を作成したり満(まん)漢訳(かんやく)をする書記官である。科挙を合格した官僚から見れば、ノンキャリアに相当する。だが、北京の中央官庁で働くため、要路の人物に顔を覚えてもらいやすく、出世が早い。」(8)つまり、両者とも中国人の人情の機微をわきまえていた。
それでも歴史上の評価は、前者は建国の英雄、後者は亡国の女帝と両極端である。
『マオ』の著者の毛沢東像を一言で言えば、「婬逆暴戻(いんぎゃくぼうれい)」の皇帝と言ったところだろう。中国人民から今でも敬愛されている彭徳懐や劉少奇(りゅう しょうき)といった直言極諫(ちょくげんきょっかん)之(の)臣(しん)を「直躬証父(ちょっきゅうしょうふ)」、とばかりに排斥した独裁者としての一面はある。しかし、夏(か)の桀(けつ)や殷(いん)の紂(ちゅう)のような亡国の王ではなく、建国の英雄であったという事実を、幻想だったとは一概には言えない。例えば、悪逆非道さも顕著な秦(しん)の始皇帝が中国史において貢献したことに関し、始皇帝に変わって同様な事業をなしうる可能性のある人物が当時ありえなかったように、毛沢東以外に中華人民共和国を建国し、統治しうる可能性のあった人物を想像するのは難しい。なによりも国民党政府のままで当時の中国人民は幸福であったとは考えられない。
毛沢東の歴史上果たしてた役割の全てを否定するつもりは小生にはない。ドイツの劇作家、ブレヒトの「ガリレイの生涯」の中には「英雄を必要としている国が不幸なのだ」というガリレイのせりふがある。激動の20世紀においては中国も例外なく、英雄は不可欠であった。問題が多々あっても毛沢東に対する一定の敬意は持ちたい。
21世紀になり、中国においても英雄待望論に頼らなくても問題ないくらい、民主主義国として立派に独り立ちできるほどの大国となった。『マオ』の謝辞の中で筆者は「中国本土の方々については、ここでお名前を紹介できないことをほんとうに悲しく思います。こんな状況がいつか変わる日が来ることを望んでいます。」(下巻、514頁)と記している。小生の知る限り、中国人は本来、陽気で議論好きの性格であるという印象が強くある。
中国人が毛沢東時代を中国人同士にとどまらず、世界の人々と自由に議論できるようになるならば、世界史研究における大いなる発展に貢献することになると考える。それが中国におけるよりよい民主主義への歩みとなるからだ。日本人の一人として小生も、中国人が歴史認識に対して、真摯に直視しようとしている態度を見ならいたい。
『マオ』については、学会を揺るがしかねない程の刺激的内容が豊富であった。だが、全体的に大雑把な記述であり、実証の面で容易に首肯できない。今回の大著はインタビューにより、貴重な毛沢東時代の証言を残すためという性格上、やむを得ないし、また、よくまとめられた労作である。しかし、ユン・チャン氏には気になる発言がある。「批判するなら、その論拠を示さなければ、不公平。知らないものは口に合わないのでしょう。」(9)と。そのインタビューを見た時、正直の所、残念に思った。世界には、毛沢東について語りたくても語れない人や別の視点から毛沢東を知っている人はまだ大勢いるはずである。そうした方々との議論を閉ざすことになりはしないかと憂うからである。むしろ、世界に向けて様々な批評に対し、新著なりでより実証的に答えて欲しいと衷心(ちゅうしん)願っている。勿論、『マオ』を批判する以上、その論者は感情論ではなく、実証的に批判することをせねばならない。そうすることで、より毛沢東研究が促進されるからである。毛沢東は語りつくされたのではなく、これから議論されるべきテーマである。今後の研究を注目したい。
http://www3.ocn.ne.jp/~ishotaru/mao.htm
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毛沢東の真実
1) 国家権力の恐怖
平成9年(1997)にフランスで刊行された「共産主義黒書」によると、中国共産党の専制支配による犠牲者は6500万人だそうだ。
これはヒトラー・ナチズムによる犠牲者2,500万人をはるかに上回って、断然人類史上最悪の数字だと言える。ちなみに悪名たかいカンボジアのポルポトによる犠牲者は200万人だから、その30倍をこえている。
毛沢東は、「1949年から54年までの間に80万人を処刑した」と自ら述べているが、周恩来もこれを受けて、1957年6月の全国人民代表大会報告で、1949年以来「反革命」の罪で逮捕された者のうち、16%にあたる83万人を処刑したと公式に報告している。その後、悪名高い大躍進運動や文化大革命が起こって、2000万人以上が死に追いやられ、その間の失政で、2,000万人から4,300万人がさらに餓死しているらしい。
こうした巨悪の体制を、周恩来は毛沢東とともに実質上指揮してきた。毛沢東が死んだ後は、英雄のように祭られているが、常識的に考えてもこれはおかしい。私はつねづね周恩来こそ人類史上まれにみる極悪人だと考えているのだが、いまだ、彼を賛美する人が絶えない。
1947年3月の動員大会で周恩来は、「われわれには毛主席の直接指導があり、必ず勝ち戦さができる。延安を防衛せよ、毛主席を防衛せよ」という有名な演説をした。毛沢東を神格化した元凶は周恩来である。彼が文化大革命に乗り気でなかったという話があるが、彼がこのすさまじい犠牲を看過し、毛沢東の忠実な下僕であり続けたことはまぎれもない事実である。
なおついでに書いておくと、1997年11月6日、モスクワ放送は「10月革命の起きた1917年から旧ソ連時代の87年の間に6,200万人が殺害され、内4,000万が強制収容所で死んだ。レーニンは、社会主義建設のため国内で400万の命を奪い、スターリンは1,260万の命を奪った」と放送したという。北京放送が真実を伝える日はいつのことだろう。
(参考サイト)「虐殺事件の犠牲者数」http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/kak2/1209301.htm
2) 毛沢東の真実
最近、毛沢東に関する興味深い一冊の本を読んだ。「毛沢東の私生活」(文春文庫上、下)である。著者は二十数年間に渡って毛沢東の主治医を勤め、彼の臨終を看取った李志綏という人である。
毛沢東の一番近くにいた人物によって、毛沢東と彼を中心とする中国共産の赤裸々な真実がここに描かれている。彼はこの本をアメリカで出版した。おそらく命がけのことだったと思う。北京政府はただちにこの書物を発禁処分にした。しかし、それでことはすまなかった。
「もし私が殺されてもこの本は生きつづける」という著者の予言がすぐにほんとうのことになった。著者は本書が発売された3カ月後、シカゴの自宅浴室で遺体となって発見されたからだ。
毛沢東の前でひざまずく忠犬のような周恩来の姿、そして愛人に溺れ、口げんかをして心筋梗塞におそわれる毛沢東の姿。取り次ぎ役を自認じていたその愛人が昼寝をしているため、2時間も待った後ですごすごと帰っていく華国峰首相の姿。そして文化大革命の嵐の中で、自裁に追い込まれていく人たち。
著者はまた、数千万人が餓死している中で、毛沢東の家で催される豪華なパーティを様子を冷静な筆で描く。この本に描かれてあることを真実と認めるのは、毛沢東や周恩来を崇拝する人には、かなりの勇気がいることかもしれない。
資料1・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
産經新聞1994年7月18日付
【ワシントン17日=熊坂隆光】中国で毛沢東主席が実権を掌握していた1950年から76年の間に、急進、過激な経済政策の失敗により伝えられるよりはるかに多数の人民が死亡し、文化大革命の犠牲者などを合わせると死者数は8千万人にも及ぶことが明らかになった。17日のワシントン・ポスト紙が報じたもので、毛主席にその責任があると論評している。
同紙は、この数字について中国や西側学者の研究と同紙独自の調査を総合した結果としており、具体例を挙げて数字の正確さに自信を示している。経済政策の失敗や文革の犠牲についてはこれまでも研究や報道があったが、大幅に塗り替えられることになる。
同紙によると、死者の多くは「人災」と断定できる飢きんによる犠牲者。原因のほとんどは大躍進政策を強引に推し進め、西側に追い付こうと農業生産より工業生産を重視した毛主席の誤りとしている。プリンストン大現代中国研究センターの陳一諮氏によると安徽省の飢きん(59−61年)では、4300万人が死亡したという。
中国社会科学院が89年にまとめた581ページに及ぶ調査資料によると、この飢きんでわが子を殺して食べてしまった例や人肉が商品として取引された例などが記録されているという。このため中国政府自身がある程度実態を把握しつつあるのではないかとみられる。
こうした数字が事実とすると、毛主席はスターリンなどを上回る史上まれにみる残酷な指導者ということになるが、同紙は、毛主席が依然として中国で尊敬され評価されていることに疑問を呈している。
資料2・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「愚忠をつらぬいた宰相」 http://www2.big.or.jp/~yabuki/doc5/mz196.htm
このような周恩来讃歌に真向から挑戦して、周恩来のもう一つの顔を描こうとしたのが、香港の政論家金鐘である。
金鐘によれば、周恩来は遵義会議以後、四〇年間一貫して毛沢東に対する「愚忠」を貫いたという。文革においてもし周恩来の存在がなかりせば、毛沢東、林彪、江青の失敗はもっと早く、かつもっと徹底したものとなったであろう。文革における周恩来の役割は結局のところ、毛沢東の独裁的統治に有利であった。
文革期に湖南省省無聯が「中国はどこへ行くのか?」を書いて、周恩来を「中国の赤色資本家階級の総代表」と攻撃したが、まさにその通りであり、周恩来こそ共産主義官僚体制の集大成者であり、この体制の凝固化を助長した人物であった。
周恩来は自己の私欲を抑えることヒューマニズムに反するほど甚だしく、党派性と徳性のほかには自我のなかったような人物であって、まさに現代の大儒にふさわしい。
金鐘はこのように辛辣な周恩来評価を行っている。実は大陸の知識人の間にも、類似の厳しい周恩来評価が存在している。たとえば呉祖光(劇作家、八七年の胡耀邦事件以後、共産党を離党した)は、かつて来日した際にズバリこう述べている。
「周恩来は宰相であり、皇帝の地位にはいなかったが、宰相としての職責を果していなかった。皇帝(毛沢東を指す)が過ちを犯した場合、宰相(周恩来)が諌めるべきだが、そうしなかった。しかし、諫言していれば、彭徳懐(元国防部長)と同じ運命をたどったであろう」。
奇妙なことに、毛沢東批判に関するかぎり、中国大陸でもかなり深い分析が行われるようになってきたが、周恩来についてはまだ厳しい批判が少なくとも活字には登場していないようである。その理由として考えられるのは、次の事情であろう。
まず第一に、社会主義建設期の二つの大きな誤り(大躍進政策と文化大革命)は毛沢東の提唱したものであるから、この点で毛沢東はいわば「主犯」である。周恩来は「従犯」にすぎない(むろん、ここで周恩来が協力したからこそ、矛盾の爆発、顕在化が遅れたとして、周恩来の役割を強調する、省無聯や金鐘のような見方もある)。
第二に、ソ連では長らく、レーニンの権威に依拠して、スターリンの誤りを批判する時期がつづいた。レーニンを含めてソ連社会主義を、全体として批判的に総括する動きが出てきたのは、ゴルバチョフのペレストロイカ以後のことである。
中国では革命と建設双方の当事者だという意味で、毛沢東はレーニンとスターリンの役割をかねていた。そこで中国ではレーニンの役割をはたした毛沢東を評価しつつ、スターリンの役割をはたした毛沢東を批判するという使いわけがおこなわれてきたのである。肝心の毛沢東評価でさえ、このように曖昧さを残したものである以上、矛先が周恩来まで届かないのも当然であった。
それだけではない。長きにわたって神格化された毛沢東を批判することに伴う心理的動揺を、周恩来の存在によって補償しようとする心理状況が、広範に存在していたことも否めない。この場合、過ちを犯した厳父と対照して、周恩来は慈母のごとくである。周恩来に関してはとくに「棺を蓋うて論定まる」段階にはまだ到っていないことがわかる。
3) 愚忠をつらぬいた周恩来
1953年にスターリンが死んだ後、その後継者となったフルシチョフは1956年2月のソ連共産党第20回大会で、スターリン支配下の個人崇拝と不法な抑圧や処刑を批判した。いわゆる有名な「スターリン批判」の始まりである。
毛沢東はこれに驚いた。なぜなら、彼こそ中国のスターリンであり、スターリン批判は、そのまま毛沢東個人崇拝への痛烈な批判になりかねないからである。事実56年9月の八全大会は、基本的にソ連共産党第20回大会の新政策を是認し、党規約からは「毛沢東思想」という言葉が消えた。これを主導したのは、党内序列のNo2とNo3を占めていた劉少奇とケ小平である。
焦りを覚えた毛沢東は先手を打って、人々から自由な意見を求めるとした百家争鳴・百花斉放運動を始める。ところがこれが裏目に出た。中国共産党や毛沢東に対する批判がさらに吹きだしてきたからである。これに不安を覚えた毛沢東は、態度を一転して、彼を批判する者はプロレタリア革命に対する敵対者だとして、「反動者」のレッテルを張り、弾圧した。これが有名な「反右派闘争」と言われるものである。
さらに1958年、毛沢東はソ連やアメリカに対抗するため、中国の国力の「大躍進」を掲げて、急激な工業化・農業の集団化など無理な政策を推し進めた。その結果、食糧生産力が破局的に低下、中国全土に大飢饉が発生。この飢饉による死者は何千万と言われ、日中戦争(約2000万)を数倍する被害を出した。
これにはさすが身内からも多くの批判が起こった。1959年4月、毛沢東は国家主席および国防委員会主席を退き、党務に専念することとなった。フルシチョフのスターリン批判から3年を経て、中国共産党も毛沢東の個人崇拝からおもむろに劉少奇、ケ小平、周恩来を中心とする「集団指導体制」へと、政治機構の近代化を遂げるかに見えた。
ところが、毛沢東はこの変化をよく思っていなかった。59年から62年にかけては新国家主席劉少奇を中心に、経済復興がはかられ、ようやく安定化へ向かいかけており、劉少奇の現実路線を支持する人々は、ケ小平をはじめ、党中央、政府機関のなかでも圧倒的多数をしめていた。これが毛沢東の孤立感をさらに深めた。
そこでこれに対抗するために、毛沢東は65年10月北京を脱出し、上海において「プロレタリア文化大革命」を発動した。劉少奇路線のなかにソ連におけるような党官僚主義、専門家尊重、経済主義的偏向があるというのである。その後、中国がどんな悲惨なことになったか、映画や小説にも描かれているので説明するまでもないだろう。
こうした中国の現代史を振り返ってみて、そこにうき彫りにされるのは、毛沢東の権力志向のすさまじさである。彼の後継者と目された劉少奇、ケ小平、林彪など、No2はいずれも粛正された。ひとり、周恩来だけが、その荒波をくぐり、何とか晩節を全うすることができたが、その秘訣はといえば、ただ毛沢東を決して批判せず、その忠実な下僕となって、彼をひたすら崇拝し、神格化することによってであった。
周恩来なかりせば、毛沢東の偉業はなかった。と同時に、度を外れた毛沢東の悪行の数々もなかっただろう。私は周恩来をあえて、「人類史上まれにみる極悪人」と呼んだ。なぜ、私が周恩来を毛沢東以上に巨悪だと考えるか、以上に述べたことから、その一端を理解してもらえたらありがたい。
周恩来はなぜこれほどまでに毛沢東に忠愚を貫き通したのであろうか。ここに一つの大きな謎がある。周恩来を擁護する人々は、毛沢東に対する個人崇拝が破られれば、中国は内戦状態に陥っただろうという。しかし、私はそうは考えない。
フルシチョフによる「スターリン批判」があったあと、中国は「毛沢東個人崇拝」を脱却する方向に一時動きだした。これは時代の要請であり、これによって中国はスムーズに国の近代化や民主化をはかることができた筈である。そうすれば、中国の現代史ははるかに明るく、美しいものになっていたし、毛沢東自身も歴史上の偉人として、私たちの胸にいつまでも輝き続けに違いないのである。
その、歴史上のターニング・ポイントを握る人物こそ周恩来その人であった。毛沢東の手足となり、毛沢東の命令を忠実に実行することで、彼は毛沢東と常に一心同体だった。そして国政上の実権を握っていた彼のこうした暗愚が、中国を恐るべき恐怖と貧窮の王国と化したのである。その後遺症は、今も中国大陸に住む十数億の人々の上を覆っている。
4) クーデタ計画の謎(1)
何事もそうだが、歴史も少し視点を変えてみると、また思いがけない真実が浮かび上がってくるものだ。これまで現代中国の政治を論じたほとんどの書物は、毛沢東は問題があったが、周恩来は立派だったという「周恩来善玉説」である。しかし、この通説に私は疑問を呈してきた。今日はこうした立場から、林彪によるクーデター未遂事件を取りあげてみたいと思う。
文化大革命のなかで、一人の人物がのしあがってきた。林彪(1907年〜1971年)である。彼は1969年4月の第九回党大会で毛沢東の後継者としての地位を手に入れ。毛沢東の親密な戦友と讃えられた。ところがその2年後、71年9月に毛沢東暗殺に失敗し、飛行機で逃亡中にモンゴル領内で墜死した。この事件の背後に何があったのか。
毛沢東のすすめた「大躍進」をもっとも痛烈に批判したのは、当時国防部長の要職にあった彭徳懐だった。1959年の夏廬山会議で毛沢東は周恩来と謀って彭徳懐を失脚させ、のちに惨殺させた。そして、その後釜に林彪を据えた。林彪は革命活動の初期から毛沢東のもとで働いており、毛沢東にとっては安心できる腹心だった。
こうして軍事委員会を牛耳るようになった彼は、毛沢東個人崇拝をおしすすめ、毛沢東の庇護のもとに異分子を排除し、軍部を自分の息のかかった部下で固め、実力をつけていった。大躍進路線の失敗が追求された1962年の七千人大会では、「この数年の誤りと困難は毛主席の誤りではなく、逆に多くの事柄を毛主席の指示通りに行わなかったことによってもたらされたものである」と最大限毛沢東を擁護し、周恩来とともに毛沢東を窮地から救った。
1966年5月、政治局拡大会議の席上、林彪は反革命のクーデター計画があると発言し、その首謀者として、彭真(北京市長)、羅瑞卿(総参謀長、副総理、中央書記処書記、国防部副部長)、陸定一(中央宣伝部部長)、楊尚昆(機密、情報、連絡担当、中央弁公庁主任)らの名前を挙げた。
この頃林彪は紅青(毛沢東夫人)など四人組と組んで文革路線を押し進めようとしていた。そのため、その障害になる反文革派のこの4人をまず粛正する必要があった。とくに彼の部下でありながら文革に批判的な羅瑞卿の粛正は、彼が副総理として軍部の実権を握っていただけに絶対に必要なことだった。
さすがに毛沢東もこの主要な実務4部門の責任者を粛正することには反対だったが、彼らを摘発することが修正主義者による奪権を防ぐことになると力説する林彪にしぶしぶ同意を与えた。羅瑞卿は逮捕された後飛び下り自殺を図り、重傷を負った。毛沢東は生まれて初めて意に反して、他人の意見に同意したと、江青に宛てた手紙(1966年7月8日)に書いている。(林彪失脚後、羅瑞卿の名誉は回復された)
5) クーデタ計画の謎(2)
羅瑞卿の粛清は林彪を勢いづかせた。軍内の掌握を完全にしただけではなく、他の指導者たちにも恐怖心を与えることができた。羅瑞卿が勢力を持っていた公安部の副部長、司局長、省市レベルの公安局長も連座し、その職はことごとく林彪の一派で占められていく。
林彪はクーデター計画をねつ造して、その他の有力者も一掃した。そうすると、あと残るのはただひとつである。いうまでもなく、劉少奇国家主席を失脚させることだ。しかし、これはもう時間の問題だった。林彪によって実権派の有力者4名が粛正された時点で、勝負はついていた。手足をもがれた劉少奇に、いかほどの権力も残っていなかった。
1966年7月29日人民大会堂で文化大革命積極分子による一万人大会が開かれ、劉少奇はこの大会でこう述べた。「文化大革命をどうやるのか、君たちが知らないならば、われわれに聞きに来給え。私は正直に言うが、実は私も知らないのだ」
劉少奇国家主席として毛沢東につぐNo2の位置にあったが、決して野心家ではなかった。毛沢東を尊敬することでは他にひけをとらなかった。だから、文化大革命についても、その理想を額面通り受け止めていた。彼が文化大革命が実は毛沢東個人崇拝を復活させ、自分たちを失脚させるための権力闘争だと気付いたとき、彼はすでに完全に武装解除されて包囲されていた。
1966年8月、八期一一中全会が開かれた。毛沢東は「司令部を砲撃しよう──私の大字報」を書いて会議場に掲示させた。砲撃されるべき司令部が劉少奇であることはいうまでもなかった。劉少奇はナンバー2の地位からナンバー8に落ちた。実権派と認定され、実質的にポストを外された。
劉少奇に代わって、No2に昇格したのは、No6の林彪だった。彼には党副主席の肩書きが与えられた。一気に、朱徳、周恩来、陳雲を飛び越えて、59歳の林彪がこの栄誉を手にすることになった。その背景に、彼の熱烈な毛沢東崇拝と、軍事力があった。しかし、かれの毛沢東崇拝がまっかな偽りであったことがやがてあきらかになる。
No2に昇格したとはいえ、彼の権力基盤はまだ盤石とはいえなかった。軍隊の内部にも実務派を支持する勢力はあった。地方の軍司令官もまだ多くはゆれていた。その象徴は1967年5月13日の武闘と7月20日の武漢事件であろう。いずれも実権派と造反派の武力衝突だが、なかでも武漢事件では毛沢東が実権派の軍隊に軟禁されるという不祥事が発生し、周恩来の説得で毛沢東はようやく解放されてことなきを得た。この数年間の中国は、たしかに内乱状態一歩手前といってよかった。
しかし、こうした小刻みな闘争を経て、林彪は確実に勢力を拡大していった。そして、1969年4月の第九回党大会で、彼は生涯の絶頂期を迎える。林彪は軍内を基本的に掌握し、党のレベルでは唯一の副主席として、腹心を政治局と中央委員会に多数配置できた。軍隊だけでなく、党、政府、地方レベルでも、林彪グループに鞍替えするものが続出した。党大会で採択された党規約のなかに毛沢東の後継者として林彪の名前がはっきりと書き込まれた。
八期の中央委員195人のうち、九期中央委員として留任したのは53人にすぎず、わずか27%である。陳雲、陳毅、李富春、徐向前、聶栄臻らは政治局を追われ、劉少奇、Deng Xiaoping 、彭真、彭徳懐、賀竜、ウランフ、張聞天、陸定一、薄一波、譚震林、李井泉、陶鋳、宋仁窮らは大会にさえ出席できなかった。(このとき選ばれた21名の政治局委員のうち、半数以上の12名がのちに林彪、江青グループとして処分された)
第九回党大会でかっての国家主席劉少奇は正式に党を除名された。党内で幹部の審査工作を行ってきた江青グループの康生が、劉少奇が活動中に当局に逮捕されたあと釈放された経歴があることに注目し、これをもとに彼を当局のスパイにデッチ上げた。中央委員会がこれを認め、1969年年11月12日劉少奇は裏切り者の汚辱を着せられたまま惨死した。
これによって、実権派はすっかりなりをひそめた。しかし、実権派が後退した後、林彪の前に、江青グループというあらたな敵が立ちはだかった。そして、このあと彼と彼のグループはアッという間に、権力闘争の罠に落ちて、奈落の底へ転落していくのである。
6) クーデタ計画の謎(3)
1969年末の段階で、林彪グループは軍隊を直接掌握するほかに、中央と国務院の一部部門、一部の省レベル権力を掌握した。これに対して、江青グループは政治局に張春橋、姚文元、汪東興(毛沢東のボデイ・ガード、のち党副主席)を送り込んだものの、国務院や軍内にはいかなるポストも持っていなかった。
しかし、江青はすぐに巻き返しに入った。きっかけは林彪が憲法のなかに、「毛沢東が天才的に、創造的に、全面的に、マルクス主義を発展させた」とする記述を書き込もうとしたことだった。これを「毛沢東を天才としてもち上げることによって、その後継者としての林彪自身の地位をもち上げる作戦」と考えた江青は、この改正に断固反対した。
1970年8月23日の二中全会の冒頭で、林彪は予定どうり毛沢東天才論をぶち、翌日の分科会では、陳伯達、呉法憲、葉群、李作鵬、邱会作がそれぞれれ天才論を支持するとともに、これに反対する江青グループを攻撃した。さらに林彪を国家主席にすることが決議された。
これに対抗して25日、江青は張春橋、姚文元を率いて毛沢東に会い、これが林彪が権力を独占するための野心と陰謀だと訴えた。林彪一派の勢力拡大に脅威を感じていた毛沢東は、すぐに政治局常務委員会拡大会議を召集し、二中全会の休会を提起した。その一方で周恩来と協力して、林彪グループの追い落としに着手した。
31日、毛沢東は「私のわずかな意見」を書いて、陳伯達を名指し批判した。これをうけて、再会された会議で、陳伯達が批判され、さらに呉法憲、葉群、李作鵬、邱会作の誤りも批判された。こうして9月6日二中全会が閉幕したとき、わずか10日間で情勢は劇的に変わっていた。
合法的、平和的に毛沢東から権力を奪取することに失敗した林彪は、このあと軍部によるクーデタを画策するようになる。一方毛沢東も林彪一派に対する警戒を深め、彼らを名指しで批判するようになる。
翌1971年9月5日、林彪、葉群は毛沢東が彼らの陰謀を察知したことに気づき、毛沢東謀殺を決定した。9月8日、毛沢東は南方巡視中に林彪一派の異様な行動を報告され、旅行中に謀殺される危険があることに気付いた。そこで専用列車を急遽紹興まで運行させ、そこに停止させた。こうして謀殺計画をはぐらかして、12日には北京に無事戻った。
12日に謀殺計画の失敗に気付いた林彪は、翌日広州に飛ぶべく12日夜256専用機を秘密裡に山海関空港に移させた。北戴河で静養していた林彪、葉群、林立果と合流して、翌13日、広州へ飛ぶ予定だった。そこで体勢を立て直して、反撃しようと考えたようだ。
ところが、その夜10時過ぎに、他でもない林彪の娘林立衡が、この逃亡計画を周恩来に密告してきた。周恩来は空港を管理する部隊に256号機の離陸をさしとめるように指示するとともに、毛沢東にこのことを知らせた。
異変に気付いた林彪は予定を早めて、その夜零時ごろ、空港へ向かった。そして、前に立ちはだかる武装部隊の制止をふりきって、256号機を飛び立たせた。飛び立った飛行機は一旦北京に向かったが、すぐに進路を変えて西北をめざした。そして1時55分、256専用機はモンゴル共和国内に進入し、やがてそこに墜落した。
確認されたのは9つの遺体で、林彪、葉群、林立果、劉沛豊、パイロット潘景寅、そして林彪の自動車運転手、専用機の整備要員3名。副パイロット、ナビゲーター、通信士は搭乗していなかった。燃料切れの情況のもとで、平地に着陸しようとして失敗し、爆発したものと推定されるという。
7) クーデタ計画の謎(4)
林彪とその一派は、権力掌握を寸前にして、あえなく費え去った。林彪の権力争奪の企みは紅青グループ、周恩来らの抵抗によって失敗したが、彼らはこれをどのように位置づけていたのか。彼らが残したクーデタ計画書「五七一工程紀要」から一部を引用しておこう。
「毛沢東は真のマルクス・レーニン主義者ではなく、孔孟の道を行うものであり、マルクス・レーニン主義の衣を借りて、秦の始皇帝の法を行う、中国史上最大の封建的暴君である。・・・彼らの社会主義とは、実質的には社会フアシズムである。彼らは中国の国家機構を一種の、相互殺戮、相互軋轢の肉挽き機に変え、党と国家の政治生活を封建体制の独裁的家父長制生活に変えてしまった」
この文章を読むと、林彪が毛沢東の暴政をかなり正しく認識していたことがわかる。しかし、わずか1年前に林彪は毛沢東を天才的なマルクス主義者だと讃えていた。毛沢東をもっとも極端に神格化し、個人崇拝をあおっていた元凶が林彪である。それもこれも、ただ自分が権力を握るための企みであったことがよくわかる。クーデターを警戒せよと主張した彼自身が、最後はクーデターを敢行し、毛沢東を抹殺しようとした。
林彪は毛沢東を賛美し、文化大革命を押し進め、修正主義者のレッテルのもと多くの党員幹部を粛正した。そして中国を恐怖と不安のうずまく恐るべき密告社会にした。しかし、最後、彼の野心を砕いたのは、皮肉にも彼の娘による密告だった。林彪は自らが仕掛けた罠に、自ら落ちて自滅した。
さて、最後に周恩来について書かねばならない。林彪事件ではっきりわかることが一つある。それは、毛沢東が最後に頼るのはやはり周恩来だということだ。このことを知っていて、周恩来はつねに気前よく、自分の上位に人を置く。
彼は毛沢東という皇帝に宰相として使えた。毛沢東あっての周恩来であり、周恩来あっての毛沢東である。しかし中国共産党の歴史を見てわかるのは、周恩来は党内序列がNo2であったことはほとんどなく、彼と毛沢東の間には、必ず人がいるのである。そして、その人物は結局毛沢東によって粛正されるということだ。
このことを周恩来は知っていたのではないかと思う。彼はNo1はおろか、No2でさえ目差さなかった。人はこれを周恩来の謙虚さや野心のなさのせいにするが、私の見方はすこし違っている。毛沢東王朝にあって、一番危険なのはNo2であり、毛沢東の後継者と目されることだとわかっていたためだろう。
林彪が粛正された後、いやがうえにも、彼はNo2の位置に立たされた。もはや他に、適当な人材がいなかったからだ。周恩来の前には、秦の始皇帝や随の煬帝を中国の偉大な皇帝だったと讃えて憚らない無慈悲な皇帝毛沢東が聳え、後ろには、さらに恐ろしい陰謀家の江青がいた。
周恩来は苦境に陥り、健康を急速に悪化させる。彼があとすこし生き延びていたら、劉少奇と同じ運命をたどっていなかったと、だれが断言できようか。しかし、それもこれも彼自身の身から出た錆ではないだろうか。周恩来は1976年1月8日になくなった。周恩来は結腸、膀胱、肺を癌に冒されていたという。
しかし、癌に冒されていたのは、中国という国家そのものがそうだった。江青グループも元凶のひとつだが、最大の癌は、いうまでもなく毛沢東その人だった。そして癌をのさばらせた元凶は周恩来その人だった。彼の死後、意外な新人が首相の地位につく。華国峰である。1976年9月9日、毛沢東が死ぬと、彼は早速先手を打って江青グループを逮捕する。こうしてようやく、中国は再生へとその第一歩を踏み出すのである。
(少し長い文章を4回に分けて連載した。推敲をしなかったので、生硬な文章になってしまったが、読んで下さった方々には感謝します。この文章を書くに当たって、横浜市立大学教授の矢吹晋さんのHP、「矢吹チャイナ・ウオッチ研究室」http://www2.big.or.jp/~yabuki/が大いに参考になった)
8) 毛沢東の素顔
毛沢東について書かれた本はあまたあるが、私が読んで一番面白く、また真実らしく感じたのは、毛沢東の主治医で後にアメリカに亡命した李志綏(リ・チスイ)の書いた「毛沢東の私生活 上下」(文春文庫)である。
文化大革命や江青など四人組の活動、周恩来をはじめ共産党幹部たちのすさまじい権力闘争が生々しく描かれ、そしてなによりも毛沢東その人についての科学者らしい犀利な観察が行き届いている。毛沢東に主治医として22年間仕え、常にその身近にいて彼の言動や性癖を知り、臨終を看取った人の文章だけに迫力がある。
<毛沢東に友がなく、通常の人間的接触から孤絶していたというのは事実である。江青とともにすごす時間はきわめて少なく、子供たちにいたってはほとんど顔をあわせなかった。私にいえるかぎりでは、最初の面談で親しみが忘れがたいにもかかわらず、毛沢東には人間的な感情が欠落しており、したがって愛することも、友情をいだき、思いやりをいだくこともできないのであった。
いちど上海で私は主席のとなりにすわり、雑技を見物していたところ、まだ年端もいかない曲芸師が突然足をすべらせて重症を負った。観衆は息をのんで悲劇に立ちすくみ、子供の母親はいくら慰めてもたりなかった。ところが、毛沢東はまるで何事もなかったかのように気遣いさえ見せずに談笑つづけた。いや、私の知るかぎり、幼い曲芸師の運命について問い合わせることさえしなかった。
私はしまいまで毛沢東の冷血漢ぶりが理解できなかった。多分あまりもの多くの死を見てきたために、人間の苦悩に無感覚になってしまったのではないだろうか。最初の妻・楊開慧は国民党政府に逮捕・銃殺されたが、ふたりの弟・毛沢民、毛沢蕈もそうであった。楊開慧とのあいだにもうけた長男の毛岸英は朝鮮戦争で戦死している。ほかの何人かの子供たちは1934,5年頃の長征中に行方不明になり、ついにその所在は発見されなかった。
しかし、毛が子供たちを失しなったことで情のある言葉を口にしたのを私はいちども耳にしていない。多くの人たちが死んでいったなかを自分だけが生きながらえてきたという事実は、自分だけは間違いなく長生きするという毛の確信をまるで確認したにすぎないかのように思われるほどだ。死者については「革命のために人命は犠牲にされなければならない」ただそう言ってのけるだけだった>
1954年10月、インドのネール首相と会談したとき、毛沢東は「帝国主義者との戦いで勝利をおさめるためならば、原子爆弾で数百万の人民を失ってもかまわない」と述べたという。「1千万か2千万の人間が死んだところで恐れるに足りない」という毛の言葉に、ネールは衝撃を受けたという。
1957年11月、毛沢東が政府代表団を率いて訪ソしたおりにはさらにエスカレートして、「自分は3億の人民を失なうことも辞さない」と演説した。当時中国の人口は6億人だったので、これは国民の半分にあたる。これが単なる政治的プロパガンダでなかったことを、李志綏はやがてつぶさに知ることになる。明日、この続きを書いてみよう。
9) 毛沢東の愛読書
大学生の頃、私は一時日本共産党の党員だったが、組織の指導的立場にいるAさんの家を訪れたとき、彼の書架にマルクス・レーニン全集と並んで山岡荘八の「徳川家康」があったのに驚いた。聞いてみると、それが彼の愛読書だということだった。
私が学生時代に感じたのと同様の違和感を、李志綏(リ・チスイ)もまた毛沢東の愛読書が歴代王朝の歴史を紀伝体でしるした「二十四史」だと知って感じている。驚くべきことに、毛沢東がもっとも賛嘆を惜しまなかったのは、悪名高い殷王朝の皇帝紂王(ちゅうおう)だったという。
<毛の歴史観は大多数の中国人とはなはだしく異なるものであった。彼の政治観には道徳など入りこむ余地はなかった。その毛沢東が中国の歴代皇帝におのれを擬すばかりか、最高の敬意を史上最悪の無慈悲残忍な暴君のためにとっておいたことを知って、私は非常な衝撃を受けた。目的を達するためならば、どんな冷酷かつ専制的な方法も辞さない気だった>「毛沢東の私生活」
毛沢東の最大のお気に入りのもう一人の皇帝は、秦の始皇帝だった。ほかには則天武后や随の煬帝、西欧ではナポレオンが毛沢東のお気に入りだったという。いずれも多くの民衆に無慈悲な死をもたらした絶対権力者たちである。李志綏は著書の中で、次のように書いている。
<中国古代の宮廷における権謀術数は、マルクス・レーニン主義よりもはるかに強い影響を彼の思想におよぼしたのではないかと私は信じて疑わない。たしかに毛沢東は革命家であった。中国を作り替えてふたたび富国強兵の国家にするのが目的だった。ところが、どうやって統治すべきかの教えを、つまり最高指導部にはびこる謀議をどう操作したらよいかというガイダンスを過去に求めたわけである>
こうした思想を持つ毛沢東だからこそ、「自分は3億の人民を失うことも辞さない」と演説することができたのだろう。じっさい、毛沢東が権力を握っていた時代、「反革命分子」として処刑されたのが、87万3000人余になることが中国共産党の公式記録路して残っている。
<後年の大躍進になってはじめて、つまり数百万の同胞が餓死しはじめたときになって、毛沢東が日ごろ賛嘆した無慈悲な皇帝たちにご当人がいかに酷似してきたかを、私はやっと思い知らされることになるのだ。主席は人民が数百万も餓死しつつあるのを知っていた。毛はそんなことを少しも意に介さなかったのである>
<文化大革命の絶頂期、天安門広場が熱狂的な大群衆であふれ、市街が混乱をきわめていたときでさえ、毛沢東は皇帝ばりの生活をむさぼりつづけ、大会堂のなかでも中南海の城壁の内側でも、女たちを相手に楽しんでいたのである>
このように主治医としていつも身近に仕えていた李志綏は書いている。なお、もう少し統計を補足しておこう。「大躍進」での餓死者は2215万人、「文化大革命」では13万5000人が処刑、172万人が異常な死を遂げたという。
異常な死を遂げた中には、国家主席であった劉少奇その人までが含まれている。明日の日記で、劉少奇が紅衛兵たちにどのようなひどい待遇を受け、なぶり者にされたか報告しよう。現場を目撃した李志綏の文章を読むと、その非道さが実感される。
10) 哀れな劉少奇
毛沢東が江青と住んでいたのは、中南海といわれる地域である。そこは中海、南海というふたつの湖がある風光明媚な地で、紫禁城を取り巻く同じ朱色の城壁に囲まれた、非公開・機密の別天地である。毛沢東の主治医で中南海診療所の所長だった李志綏(リ・チスイ)もこの地に住居をあてがわれていた。
中南海には朱徳、劉少奇、周恩来、彭徳懐、ケ小平などの要人達も住んでいた。周恩来が首相を務める内閣(国務院)もここにあった。外部からこの地域に入るには厳重に警備されたゲートを通らなければならない。また、域内の通行も制限され、許可証がなければならなかった。党中央警衛団の警備兵が各ゲートの検問当たり、治安に目を光らせていた。こうした中で、李志綏は毛沢東だけでなく、他の要人達や、その家族の健康についても責任のある立場にいた。
林彪と江青が造反派を率いていた文化大革命の最中、中国は大混乱に陥った。党も政府機関も麻痺状態に陥った。中南海の秩序も万全ではなくなった。こうしたごたごたのなかで、毛沢東は中南海を留守にし、地方へ行く機会も多くなった。中南海の警備の責任者である警衛団長の汪東興も毛に随行して、中南海を離れることが多かった。そうすると中南海で江青一派の横暴を止めることが出来る者はだれもいなくなった。
1967年7月13日、毛沢東は武漢へ旅だった。主治医の李志綏はこの旅の随行から何故か外された。こんなことははじめてだった。たぶんそれは江青が毛沢東にすすめたからに違いなかった。
以前から李志綏は江青とそりが合わず、彼女に疎まれていた。警備隊長の汪東興は主席が首都をあければ、江青が指揮権を握り、李志綏はその一派によって拉致されるかもしれないと心配して、「ごたごたに巻き込まれたら、すぐ武漢のわれわれのところに飛んでこい」と忠告した。以下、どのようなことが起こったか、李志綏の文章を引用しよう。
<私は中南海にとどまったが、おかげで汪東興の案ずる最悪事態を目撃する羽目になってしまった。・・・数百人の学生デモ隊が主席が出発したあと西門の外に集まりだし、府右街を中南海の西方まで埋め尽くして、劉少奇打倒のスローガンを口々に叫ぶ。朱色の城壁には大文字の壁新聞がはられ、主席がかって後継者として宣言した人物を攻撃する。・・・
人民共和国の歴史上、中南海が包囲されたことはなかった。汪東興の中央警護団が党幹部の居住区を警備する任にあたっており、デモ隊がふえつづけるのをしり目に警備兵は無表情で立哨する。汪東興がどんな思惑をいだいていようと、この時点ではさしたる重みはなかった。第一、汪は主席と武漢におもむいていたからである。
7月18日、状況は険悪になった。執務室で新聞を読んでいたら警護官がとびこんできて、劉少奇が国務院小講堂の外で「批判闘争」にかけられているという。私はすぐさま現場にかけていった。
人垣ができていた。ほとんどが党中央書記局の下級幹部である。党中央警護団の将校や兵士も見守っていた。劉少奇に少しでも救いの手をさしのべようとする者はいなかった。劉少奇と夫人の王光美は群衆の真ん中に立たされ、書記処のスタッフにこづかれたり、蹴られたりなぐられたりしていた。国家主席のシャツはひきさかれて肌がはだけ、ボタンがいくつかもぎとられている。人々は彼の頭髪をつかんで引きずり回した。
よく見ようとちかづいたとき、劉少奇はつかまれた両の腕を背中にねじあげられ、腰から前かがみの「ジェット式」として知られる姿勢をとらされた。しまいに上半身をたおし、顔が地面にふれそうなところまでぐいぐいおしつけて蹴る、平手でなぐりつける。それでもなお、警護団の警備兵達は介入しようともしない。私はみるにしのびなくなった。劉少奇はすでに70に近く、しかもわれわれの国家主席ではないか。
私は批判闘争の場を立ち去り、まっさきにケ小平・卓琳夫妻の住まいに向かい、ついで陶鋳・曽志夫妻を訪ねた。両夫妻とも批判闘争にかけられていたが、劉少奇の場合ほどすさまじくはなかった。両夫妻は群衆におされ、こづかれ、やじをあびせられていたが、蹴られたりなぐられたりはなかった>
李志綏は党中央警衛団の副団長にこの事態はどういうことかたずねたが、彼はこの事態を予測して昨日のうちに武漢に電話を入れたのだという。しかし団長の汪東興からはその後連絡はなかったという。じつは汪東興じしん、我が身の保身で手一杯だったのである。江青一派の狼藉に毛沢東は暗黙の了解を与えていた。というより、この事件の影の主役が毛沢東自身であることを、汪東興はよく知っていたからだ。
11) 毛沢東の復讐
フルシチョフのスターリン批判は中国共産党をもゆさぶった。その直後、1956年9月に召集された第8会党大会で、集団主義指導体制、個人崇拝の禁止などが確認され、中国はようやく近代国家としての歩みを始めるかに見えた。
そして、この新しい中国を主導する星は、この大会で国家主席に選ばれた劉少奇と、党総書記に選ばれたケ小平であった。この二人を両輪として、中国は近代化の道を歩もうとしていた。しかし、これをよく思っていなかったのが毛沢東だった。
<フルシチョフ演説にならった集団指導体制の賛美は、とりわけおだやかならざるものがあった。もし党が集団指導体制の原則に固執すれば、全党員は対等の関係になり、重要問題はすべて合議制で決定しなければならなくなる。そうなると、いきおい毛沢東の役割は縮小されていく。が、当の毛はあくまで最高指導者としてのポストにとどまりたかった。そのためには個人崇拝がどうしても不可欠だった>(李志綏「毛沢東の私生活」より。以下同じ)
この決定に侮辱を感じた毛沢東は、これに反撃すべく行動を開始する。その手始めに考えたのが、「百花斉放・百家争鳴」運動だった。これは知識人を使って党を自由に批判させ、劉少奇とケ小平が指導する党指導部を解体しようという作戦である。
多くの知識人はおそらく自分の意を汲んで、党の指導部を攻撃するにちがいないと毛沢東は読んでいた。ところが結果は思わぬことになった。知識人の攻撃は党の指導部だけではなく、党そのものの存在に向けられ、ついには毛沢東そのものに向けられ始めた。共産党は僧院のようなもので、毛沢東はその僧院長だというのである。知識人を使って政敵を打倒する作戦は完全に裏目に出た。
<毛沢東はむろん衝撃を受けた。批判が自分に向けられるようにした覚えが全然なかったからであった。また機関として党が攻撃されるようにし向けたつもりは毛頭なかった。会う人ごとからお追従をいわれるのになれていたし、真の敵は抹殺されるか投獄してあると確信していただけに、毛は知識人がいだく不満の深さに気付いていなかったのである>
<毛沢東は大変な計算違いをしたのだった。ベッドに伏せたきりふさぎこみ、どうやら行動の自由を失っているうえ風邪もひいていたし、外部の攻撃が激化しつつある最中に私が呼び戻されたのだ。毛沢東は戦略を練り直し、復讐の手だてを思いめぐらしつつあった。毛は憤懣やるかたなかった>
1957年6月8日、人民日報は「これはどうしたことか」という毛沢東の文章を社説に掲げた。知識人に期待することが出来ないと気付いた毛沢東は、自分の作戦を遂行することができるのは、大衆のみだと気付いた。この社説で、ひとにぎりの分子が社会主義政権の転覆を計ろうとしていると非難した。そして、彼等に対する反撃を開始するようにと人民大衆に訴えた。
知識人を使った作戦が失敗に終わったことを知った毛沢東が次に考えたことは、一般大衆を使うことであった。彼等の間に毛沢東にたいする個人崇拝を根付かせ、熱狂を呼び覚ますこと。この作戦はまんまと成功した。それが「文化大革命」だった。
<全土は毛沢東のバッジをつけて「毛沢東語録」をたずさえ、小冊子にある言葉を暗唱した。商店での単純極まりない買い物をするときでさえ毛沢東語録の暗唱を要した。毛の肖像画はいたるところにあった。全土の何千万という人々が肖像画の前で礼拝し、日々の指示を仰ぐことで一日をはじめた。・・・・
毛沢東の「大躍進」政策は人類史上でも最悪の飢餓をもたらした。今日ではその期間中にすくなくとも2千5百万か3千万人、もしくは4千3百万人が死亡したといわれている。さらに毛沢東の「文化大革命」は中国を大混乱におとしいれ、生命も家族も友情も、そして中国社会の骨組みまでも破壊してしまったのである。
国家主席の劉少奇は、毛沢東が第8回党大会の誤りとみなす責任をそっくりおしつけられ、1968年10月に追放されたばかりか、党を除名されたうえ虐待の限りをつくされた。翌年4月の時点で、劉少奇の消息は一切わからなくなっていたし、知ろうにもこわくてだれにも聞けなかった。第9回党大会が終わってからずっとあとに彼が同年の10月、開封に送られて重病になり、治療も受けないまま11月に亡くなったと知った。
<ケ小平もまた追放されたのであった。党の中枢機関である政治局は壊滅状態にあった。各省の党の指導者の大半が職を失っていた。各省の行政はいまや人民解放軍が支配する「革命委員会」の手中にあった。第8回党大会で選出された中央委員は大多数が追放されていた。第9回党大会は毛沢東にとって、13年にわたる取り組みの総仕上げであった>
<私の気分は落ち込んだ。毛沢東がねらった第8回党大会の原則の破棄は達成された。13年間にわたる闘争が成就したのだった。私がもっとも敬愛していた党の代表たちはことごとく追放され、80パーセントの旧中央委員が解任され、新顔は私にとって馴染みのうすい、江青派か林彪派のメンバーであった。そんな支持者が中国のリーダーシップを引きつぐとあっては、私は祖国の前途に絶望した>
こうして毛沢東は勝利した。もはや彼の前にたちふさがる目障りな人間はだれもいなかった。彼は彼を権力から遠ざけようとした大量の有能な人物をこうして完全に粛正したのである。そしてさらには林彪一派が粛正されて、最後に残ったのは、身内の江青であり、彼の従順な召使いでしかない周恩来その人だった。
<人民大会堂の118号室で毛沢東に自分の考えを説明しようとしながら、周恩来は地図を取り出して床にひろげ、絨毯の上に膝をついて毛沢東に自動車行列の進むべき方向をしめした。毛沢東は突っ立って煙草をくゆらせながら、首相が床をはいまわるのを眺めやった。
かりそめにも周恩来ほどの人物、中国の宰相がそんなふうにふるまうのを前にして私は目のやりばに困った。毛沢東は周恩来が面前で這い回る姿を見て、こばかにしたような優越感を覚えているようだった。・・・
毛沢東は周恩来に絶対的な忠誠を求め、もしそれが得られなかったとすれば、周は間違いなく失脚させられていただろう。ところが、周恩来があまりに盲従的かつ忠実そのものであったため、毛沢東は首相を軽くみるところがあったようだ。
周恩来は江青の前でも卑屈なくらいだった。・・・林彪と江青の権力闘争が表面化したとき、周恩来は江青とその一党と運命をともにしたのだった。江青が彼に向けたあらゆる攻撃にもかかわらずである。
周恩来はぬけめのない政治家であり、毛沢東が江青を批判して不仲がすすんでいながらも、彼女はやはり毛沢東にとってもっとも気心の知れた配下だ、ということをほかのだれもまして見抜いていたのである。毛沢東に真の忠誠をつくそうとすれば、江青の側につくことも必要なのであった>
こうして江青の野心と周恩来の服従を利用し、大衆の心を操作することで、毛沢東の野望は成し遂げられた。彼の絶対権力者としての地位は揺るぎないものとなり、個人崇拝はついに完成したのである。しかし、李志綏が書くように、それは何千万という人々を死の淵においやり、人々の友情と家族を崩壊させ、中国社会の骨組みまでも破壊する悲劇とひきかえであった。
12) 不幸な人間の嫉妬心
「文化大革命」で粛正された劉少奇は毛沢東をどう思っていたのだろう。おそらく、その死の間際まで、毛沢東を信頼していたのではないだろうか。そして自分をこの苦境から救ってくれる唯一の救世主として、毛沢東に一縷の望みを託していたのではないか。毛沢東がこの陰謀の張本人だとは思いもしなかっただろう。
李志綏は「毛沢東の私生活」のなかで、1956年7月下旬、主席とともに河北省にある北戴河に保養に行ったときのエピソードを印象深く書いている。
<劉少奇は背が高くて華奢、白髪、こころもち猫背だったけれど、毛沢東が浜辺にいるとよくたずねてくる唯一の党最高幹部だった。たいてい午後三時か四時頃姿をあらわす。控えめで威厳があるうえすこぶる慎重な劉少奇は当時、毛主席の後継者に指名されていた。党内の序列は毛沢東についで第2位、内政問題の日常業務に責任があった。・・・
劉少奇のいちばん新しい妻、王光美はたいてい夫に同行して北戴河にやってきた。党最高幹部の通例にもれず、妻たちは多くが夫よりもはるかに年若かった。王光美は当時、およそ30歳くらい(夫は58歳)、ふさふさとした黒髪に卵形の顔だち、いささかそっ歯の感があった。美人ではなかったが、魅力にあふれて人ずきあいもよく、次期主席夫人としての脚光を楽しんでいた。
王光美は毛沢東の姿を見かけるとかならず主席にあたたかい言葉をかけ、ときには主席と一緒に筏まで泳いでいった。江青は劉夫人への不快感をあえて隠そうともしなかったが、これはあきらかに江青の嫉妬心だと思われた。
王光美は江青よりかなり年下で、はるかに態度がくつろいでおり、社交性もゆたかだった。江青は浜辺でいつも落ち着きがないように見えた。決して泳ぎを習おうとしなかったし、右足指が6本あるのを気にやんでいた。浅瀬を歩きまわる際には両足にかならずゴム靴をはいていた。
劉少奇はなんどかの結婚で子だくさん、その夏は何人かの子供を北戴河につれてきた。前妻・王前とのあいだにもうけた16歳か17歳の娘・劉濤もなかなかに活発で社交的、毛主席にも親しげに近づいた。娘もときたま主席とならんで筏まで泳いでいったり、週二回のダンス・パーティでは主席にしきりに相手をせがんだ。主席のほうも多くの若い娘なみにつけいるような真似は決してしなかった。にもかかわらず、江青は若い娘のあけっぴろげで馴れ馴れしいたちに腹を立てた。
もっとも、江青はしょっちゅう怒りっぽかったし、そのつど私は彼女の立腹ぶりに自分を馴らそうとつとめたのであった。この牧歌的な魅力ある北戴河の地で、私は夢にも考えたことがなかった。十年後に江青のいじましい嫉妬心や不安感が彼女をかりたてて劉少奇一家をことごとく抹殺しようとする邪悪さと復讐心に導いていくことになるとは>
毛沢東と劉少奇はその家庭的幸福という点で好対照をなしていた。陰惨な陰謀家で、不平不満の固まりのような江青、そして若い女にうつつを抜かし、家族を顧みない毛、これに対して劉少奇は快活でユーモアのある妻や娘に恵まれ、彼自身温厚で高潔な人柄だった。この高潔な人柄と家庭的幸福が、毛沢東と江青にどう映っていたか。おそるべきは人間の嫉妬心である。不幸な人間が権力者であるとき、人々がその災いから逃れることは難しい。
13) 犯罪者の心理
動機なき殺人などという言葉もあるが、犯罪を犯すにあたって、何らかの動機はあるのではないだろうか。生活苦、金銭欲、怨恨、英雄願望、退屈しのぎ、憂さ晴らし、自殺願望、嗜虐趣味、社会的不満、性欲に駆られてなどなど、さまざまなものが考えられる。
犯罪そのものが目的である犯罪もある。何かの手段として人を殺すのではなく、人殺しが楽しいので、それ自身の目的のために人を殺すという訳だ。本能が壊れている人間には、こういうたわけた動機の犯罪も考えられる。
いずれにせよ、犯罪を犯す人には、<自我の構造にゆがみ>がある。たとえば、幼い頃に虐待などにより自我に傷を受けている場合、劣等感やコンプレックスがその人格を支配し、その劣等感の反動として、権力に異常な執着を示すことがある。
脆弱な自我を偽装するために、自分は強者であるという妄想にしがみつき、そしてこれを証明するために実際に殺人行為に走る。いわば<自己の存在証明のための犯罪>である。こうした劣等意識の強い人間は実際、自己の力を誇示することに熱心なので、犯罪者にならない場合でも、人を支配する地位を求めて、権力者になる可能性はある。
犯罪がゆがんだ自我のありかたに関係があるのだと分かれば、犯罪を防止するための対策も浮かんでくる。たとえば幼児教育の充実などだ。強くたくましい自我を育てる条件は何か。それは植物を育てるのと同じく、充分な栄養と日光だろう。つまり、「愛情」が大切だということだ。犯罪の温床は「愛情の欠如」である。自我の健全な社会化は「愛情」という滋養なくしてはむつかしい。
毛沢東の主治医が書いた「毛沢東の私生活」という本のなかに、権力者たちの意外に幼く女々しい幼児的な振る舞いが描かれている。たとえば、毛沢東は特性の木のベッドで一日のほとんどを過ごし、不安でそこから離れることができず、不眠症のあまり極度の薬物依存に陥っていた。妻の目を盗んで若い女をベッドに呼び込み、ときには若い男性の護衛兵にまで自分の性欲の処理をまかせている。
そして文化大革命を遂行し、毛沢東に続くNo2として粛正恐怖政治を実行し、後には毛沢東暗殺未遂まで企てた林彪は、歯が痛いといってベッドですすり泣いて、妻に子供のようにあやされている。周恩来でさえ毛沢東の前ではいつくばり、毛が危篤だと聞いて失禁したりしている。李博士はこれらの様子を見て、国家の将来に暗澹たる不安を覚えたという。
高橋知事がもし原発止めたら、それは組織を抜けることを意味する。
その結果どうなるかは言わなくてもわかる。
福島の前知事佐藤栄佐久氏、菅総理もこのまま続けていたら現職総理のまま逮捕されただろう。
指を詰めるとはこの組織では、逮捕されることをいうのである。
福島の原発で事故が起きたことを知らない日本人はいないが「今、どうなっているのか」を知っている日本人は極めて限られている。私も知らない。
「核燃料は原子炉をメルトスルーした」ことが公表されている。これも、「した可能性がある」という公表ぶりで「した」という断定ではない。
だが、核燃料を格納するための特殊構造を持つ圧力容器に、制御不能で高温になった核燃料により穴が開いたのだ。メルトスルーした高温の核燃料が格納容器にとどまっているかというと、おそらくそんなことはありえない。
圧力容器に穴を開けるほどの高温であるなら、ただの外側の覆いでしかない格納容器など、ひとたまりもないだろう。格納容器の厚みは3センチほどしかないのだから。
したがって、実際は、メルトスルーではなく、核燃料が完全に外部に流れ出てしまった可能性が高い。
早い話、今現在、核燃料がどこにあるのか分からない状態だろうということだ。
地下にしみこみ、地下水にさらされ、そこで段々と低温になっているのかもしれない。
ということは、地下水により広範囲に拡散してしまい、もう止めることはできない状態になっている。
我々が報道で知る事故対策は、冷却装置を修理して稼動させるという、目で見える部分の、いかにも対策を打っていますというもっともらしい対策でしかないが、地下水が高濃度に汚染されていれば、その対策は無意味であることは言うまでもない。
そして、残念だが、たぶん、無意味な状態にもうなっている。
その一番の原因は、国の動きがあまりに遅かったこと。民主党内閣の犯罪的遅さだ。
東電は電力会社だ。設備を使って発電し、送電することが仕事だ。放射能汚染対策に秀でているはずがない。しかし、事故対策を東電に押し付け、政治は迷走に迷走を重ねた。
その結果が今であり、おそらく何年後、何十年後に異常が人体や動植物に発現する。
放射性物質で大騒ぎしているが、ヨウ素の半減期は8日、セシウムは2年でしかない。軽いので空気中に拡散しやすい。しかも簡単に除染可能だ。
だが、もしも、重金属であるストロンチウムやプルトニウムが、福島から遠く離れた場所で検出された場合、それは、地下水が高濃度に汚染され拡散したことを意味する。
プルトニウムの半減期は、なんと2万4千年である。制御不可能な猛毒であり、そんなものが身近にあれば、放射線により遺伝子情報は当然に破壊され、死に至る。そして、やがて人間らしからぬ者が出現するだろう。
民主党政権は犯罪的行為を行ったが、菅直人首相が思いつきで言った「脱原発」は正しい。
機械は必ず故障する。自然の巨大災害には太刀打ちできない。当たり前のことだ。
制御不能になった核燃料は、人間の手ではどうにもできないのだ。
各地で原発が運転停止しているが、だから安全というわけではない。
中の核燃料に対する低温制御ができなくなれば、福島と同じ事態となる。大地震、津波など巨大災害で原発の構造物や電力設備が破壊されれば、もうコントロールできなくなる。
北海道の泊原発の営業運転再開を北海道知事が認めた。
喜んだのは、誰か。
>>
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/640.html
85万人在日中国人いつの間に!?
人口爆発で日本沈没 外国人地方参政権反対!
http://www.youtube.com/watch?v=AY6uFN4XL3Q&feature=related
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/471.html#c7
結論から言うと、現在の貨幣とは、”特定の人間の為”の「紙券&電子数字」であり、社会の、或いは国家のインフラなどでは、ナイのである。
特定の人間とは誰か?もちろんそれが白人資本家、銀行(紙券操作独占所)オーナーである。
現在のスイスという国は、もともと欧州貴族が作った、財産保管庫(とそれを守る武器製造)の為の、”資産家クラブ”なので、その「主権」は、今も米殖民地の日本と同様、その国民にも首相にもある訳がナイ。
だから、スイスも日本も、自国の意思によって、自国通貨を発行することなど、絶対に出来ナイ。
だから、昨日のTVでのお笑いコメント「米国に拝み倒すw」となる。
ハッキリと、何度でも言う、「現在の通貨は茶番紙切れ」である。それは、特定の人間の為にしか、使えないよう、脅しやスカシで、仕組まれているに過ぎない。
そして、それを「資本主義」と称し、戦争、原発、環境破壊、伝統文化破壊、人間社会破壊、を平然と行い、”仕方ないじゃないか”と正当化する。
何とバカなことか?資本主義とは実は、帝国主義のことなのである。皆騙されていることに気が付かない。決して民主主義などではナイ。
スイスフラン高をどうにかしたい?円高をどうにかしたい?
お笑いにも程がある。欧米資本家がOKと言わなければ出来る訳がナイ。それが資本主義だからだ。
ではどうすればよいのか?
「通貨発行権は、”国民主権によって”決められる」よう、法制化をすることである。
だがこれは、もうお分かりの通り既に「資本主義では無い」ことを意味する。
これにより、資本家の権限(=マネー)が流動化することになるからである。
メディア支配、原発、二極格差教育など、全ては「私欲カネの為」である。
これも、是正しなければならない。
自分の社会を、自分で学び、自分達で作っていくことを忘れてしまった我々日本人。
だが、気が付いている人はもう次へ動いている。その日は、必ず来るのである。
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/742.html#c4
私は原発推進派ですが、私でよければ聞いてください。
チェルノブイリ、スリーマイル、フクシマなどがあっても、世界の主要な先進国が原発を離さない理由、また多くの国が原発を導入しようとしている理由は、結局、エネルギーの長期的、安定的確保だと思う。それで国際競争に負けてしまえば、経済も安全保障も破綻してしまうということだと思う。日本が今、原発を全廃してしまった後、何年かして仮に石油やガスの値段が急騰した時、原発という選択肢がなければ、原発を持っている国に比べると経済的に不利になる。ほんの少しでも不利になれば、経済的な競争、具体的に言えば輸出競争に負けてしまう。簡単に言うと、売る品物が競争相手と品質が同じでも、値段が一円でも高ければ、高い方は一つも売れなくなってしまう。
今電力が足りるから原発は要らないなどという簡単な話ではない。将来何が起きるか分からないから、まあ、だいたい予測が付くかもしれないが、予測がつかないことも起きるかもしれないということも含めて、電力を作る手段は選択肢を多く、世間並に(つまり世界の先進国が軒並み持っているのと同じくらいに)持っている必要がある。
再生可能エネルギーの開発で日本が世界に後れをとっていることが最近知られるようになりました。これも、うかうかしていると日本の国家としての存立に命取りになる。エネルギーというのは、原発に限らず、常に選択肢を出来るだけ多くしておくことが国家間の生存競争に勝ち抜く必要条件なのでしょう。太陽光発電パネルや発電風車を沢山作る必要があるが、そのための電気を作るために原発が必要ということもある。日本での石炭の採掘はものすごく多くの人命を犠牲にしたので、30年くらい前にやめてしまったが、石油も原発もだめとなったら、またやらなければならないかも知れない。地震があるから原発はやめようなどと言ってはいられないということもそれと同じ論理だ。
エネルギー確保の問題をこう考えると、これは国家の生存のためには軍備が必要だという論理と似ている。戦争は非人間的だから日本は軍備はやめようと言っても、他の国が持っている以上、いやでも持たなくては国家の安全が保てない。世界中が原発を止めようと言うことになれば日本も止めても構わないが。
そう考えると、EUの中にあって、エネルギーでも安全保障でも、フランスの一種の保護下にあるドイツとイタリアが原発を止めようとするのもある程度理解できる。スイスはどうかよく分からないが。
現実に今、化石燃料の値段は上昇しつつあります。火力発電による電気の価格は燃料代に大きく影響を受けるが、原発による電気の価格は、それほどウランの価格の影響を受けません。高い技術力を持つ国ほど、原発を持つことによって化石燃料の価格に影響を受けない電力を作ることができるという点では有利なのです。また、ウランの生産国は石油のように特定の地域にかたよっていないということも日本には有利らしい。発電方法によってそれぞれ長所短所というか、世界の動きに影響される、そのされ方の特徴が違うのです。
中曽根さんが、五十年ほど前に日本に原発を導入した時、「原発を導入しなければ日本はアジアの四流の農業国になってしまうと考えた」とか言っているが、本当は後で考えた自慢話かもしれないが、その内容は事実だと思います。原発の電気がなくて今の日本があるでしょうか。また、韓国、台湾、中国、インドその他、世界の国との輸出競争に勝ち抜いて行けるでしょうか。雑な説明で極論的な面もあるが、そんなところではないでしょうか。多摩散人。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/620.html#c54
Workers at Japan's Fukushima plant say the ground under the facility is cracking and radioactive steam is escaping through the cracks. The cooling system at the plant failed after the devastating tsunami hit Japan in March, sparking a nuclear crisis. But new evidence suggests that Fukushima reactors were doomed to cripple even before the massive wave reached them. RT's Anissa Naouai talks to Dr. Robert Jacobs, a Professor at the Hiroshima Peace Institute.
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2011年8月18日 木曜日
◆ジャニーズはもう怖くない!? 巧みに"外堀"を埋める、エイベックスの戦略 2009年5月23日 日刊サイゾー
http://www.cyzo.com/2009/05/post_2058.html
数々の不祥事やアクシデントに見舞われながらも、今なお芸能界に君臨するジャニーズ事務所。よく知られるように、テレビをはじめとするメディア界では、同事務所にまつわる"タブー"が存在するといわれる。ジャニーズ所属のグループが出演する歌番組には、他の事務所に所属する男性アイドルグループが出演しにくい、等々である。競合グループの登場を警戒するジャニーズ事務所の意向を組み、メディアの多くは「複数人による男性グループ」に対して過剰ともいえる"自主規制"を行ってきたとされる。
そんな中、大手レコード会社エイベックスからCDをリリースする二つの男性グループが、"ジャニーズ・タブー"をかいくぐって快進撃を続けている。東方神起とEXILEだ。東方神起は、ジャニーズ事務所とも交流のある韓国系有力事務所の所属ということもあり、いわば"外国人枠"で堂々と活動を展開。また、EXILEに関しては、男性グループという点では同じであるものの、肉体美にヒゲ面というワイルド路線が"ジャニーズ系とは別物"という判断につながり、各種音楽番組に出演中だ。
これについては、かつてダンスユニットDA PUMPのメディア展開で苦労したエイベックスの"戦略"が効を奏した面もあるという。
「かつてDA PUMPは、歌番組への出演が制限されるなど、ジャニーズ・タブーで大変な目に遭いました。それを熟知しているエイベックスと各所属事務所は、あらかじめジャニーズとの競合を避ける形でグループのコンセプトを固め、デビューさせる方針を取っているのです」(レコード会社関係者)
◆東方神起も復活へ──!? "ゴリ押し"で音楽流通を支配してゆく韓国K-POPの脅威 2010年9月7日 日刊サイゾー
http://www.cyzo.com/2010/09/post_5404.html
ここ最近、日本の音楽シーンを賑わせているのが韓国発のポップス・通称K-POPアーティストたちである。
韓国のみならず日本でも大ブレイクを果たした東方神起に続けとばかりに、昨年よりBIGBANG、超新星をはじめとする男性アイドルグループが続々と日本デビューを果たした他、少女時代、KARAなどの女性アイドルグループもこの夏に相次いで日本デビュー。
特に少女時代に関しては、民主党代表選挙や円高などの重要な国内ニュースを差し置いてNHKニュースがその来日をトップで紹介。一部のネット上では、そのゴリ押しぶりに批判が多く寄せられたのも記憶に新しい。
もはや、テレビをつければ彼らを見ない日はないといっても過言ではないK-POPアーティストたちだが、今後さらに彼らを見かける機会が増えそうだ。
「実は某韓国系ネットワークゲーム企業がパイプ役となって、日本の音楽流通関係者にK-POPアーティストを売り出すように猛プッシュしているんです。現在、CMソング、ドラマ主題歌のみならずアニメソングにいたるまで、タイアップを水面下で続々獲得しているみたいです」
と語るのは、国内の音楽流通に詳しい関係者だ。
「現在、日本国内における音楽流通の最大手の一つであるTSUTAYAなどは、すでに来年の流通戦略を固めており、年明けから店内で幅をきかせるのは演歌、アイドル、アニメソング、そしてK-POPになるそうです。もうJ-POPを扱う方が珍しいくらいになるかもしれません」(前述の音楽流通関係者)
というから、笑っていられない。もはや斜陽産業の象徴となってしまったJ-POPは、市場からも切り捨てられてしまう運命なのか。
また、別の音楽業界関係者は、「実は来年から東方神起が5人での活動を再開するみたいです。権利の関係で活動は当面韓国国内限定となりますが、それでもK-POP人気の後押しになることは確実です」と語る。
もはや四面楚歌のJ-POP。気がつくと音楽番組はK-POPアーティスト紹介番組になっていた......。そんな日もそう遠くないのかもしれない。
(私のコメント)
連日テレビ業界の闇を書いてきましたが、韓国ドラマの偏重もK-POPの進出もいろいろと裏があるようですが、ジャニーズ事務所もエイベックスもK-POPと手を組んで、ますます寡占体制を強化している。それに対してテレビ局は「複数人による男性グループ」に対して過剰ともいえる"自主規制"を行ってきたとされる。」ジャニーズ事務所の圧力があるからですが、歌番組もドラマもジャニタレで一杯だ。
かろうじて東方神起とEXILEががんばっていますが、エイベックスの後ろ盾があるからだろう。それに比べると、それ以外のJ-POP系の歌手がテレビに出られなくなっている。CDが売れない時代になりライブで稼ぐしかありませんが、実績のある歌手は何とかなりますが、新人歌手にとってはライブで稼ぐことは無理だろう。だからテレビに出て局や名前を売らなければなりませんが、ジャニーズが圧力をかけて邪魔している。
テレビ局の使命は番組作りやタレントの発掘もあるのでしょうが、大手芸能プロダクションに丸投げしてしまえば手間はかからない。ジャニーズ事務所も次々とタレントをデビューさせてきましたが、いまや飽和状態になりあらゆる番組にジャニタレが顔を出している。人気がどれだけあるのか分かりませんが、最近のジャニタレが出たドラマは軒並み低視聴率で、さすがに飽きられてきたのだろうか?
ジャニタレがこれだけテレビに蔓延るのは、一部に熱烈なファンもいるからでしょうが、テレビで毎日のように見ているとファンになる人も居る。韓国ドラマも毎日見ていれば熱心なファンも出来ますが、ドラマ自体の出来が粗雑だから視聴率が上がるわけがない。ジャニタレが出るドラマも役者としても大根だから視聴率が上がるわけがない。それでもテレビ局はジャニーズ事務所に頭が上がらないから使い続けている。
テレビ全体の視聴率が下がり続けているのも、必ずしもネットばかりの影響ではなく、番組の質が低下しているためだ。テレビ局自身も「子供とイケメンと動物を出しておけばギャラが安くて数字も取れる」と言っているくらいだから視聴者も馬鹿にされたものだ。 「自社制作するより安価で主婦層の視聴率が見込める」と言うことで韓国ドラマが増える一方だ。
昨日も書いたようにタレントのほうも「嫌なら見なければいい」と言った態度だから確信犯なのでしょうが、これでは演技も歌も上手くなるわけがない。本来なら芸能人は個人営業のはずですが、多くが芸能プロダクションに所属して月給制になっている。これでは本当の意味での競争が起きるわけでもなく、多くテレビに露出させることで人気タレントに仕上げてしまう。
テレビ業界や新聞業界のように新規参入を難しくしてしまえば競争が起こらなくなり質が低下する。芸能界も同じであり、テレビの番組枠を大手芸能プロダクションが押さえてしまえば、外部からの新人のデビューが出来なくなり、自由競争が阻害されてしまう。最近では生の歌番組も少なくなり、ミュージックステーションぐらいですが、そこもジャニーズが押さえている。
男性アイドル歌手はジャニーズに抑えられてしまって、女性アイドルもエイベックスに抑えられて、Mステには新人コーナーもありますが、絶対に売れないような新人を出してくる。今ファンが求めているのは歌って踊れるグループですが、AKB48のような素人を寄せ集めたようなグループか、ジャニーズ事務所のようなガキタレグループばかりだ。
だからK-POPグループが進出してくると一部のファンがそれに飛びついた。東方神起はジャニーズとかぶりますがジャニーズも韓国の芸能プロダクションと手を組むことに決めたようだ。エクザイルが例外的ですが、エイベックスだから何とか潰されずにテレビに出られるのだろう。日本人でも歌って踊れる才能豊かなタレント志望者はいるのでしょうが、芸能界への道は閉ざされている。
女性のダンスユニットとしては唯一パフュームがブレイクしましたが、口パクばかりでは飽きられるの早いだろう。そこへ韓国からKARAや少女時代が日本デビューしてくればすっかり影が薄くなってしまった。どうしたら日本のファンが求めているダンスユニットがデビューできるのだろうか。芸能界ではテレビに出られなければメジャーになる事は不可能だろう。だからテレビ局はオーディション番組などで新人を発掘すべきなのですが、大手芸能プロダクションはライバルが出来れば面倒だから潰してしまう。
しかし、これからはネットでファンの支持を集めてメジャーになるグループが出てくるのではないだろうか。K-POPもネットで世界に売り出そうと積極的に露出させていますが、それが日本で成功しつつある。ジャニーズの天下もテレビを支配してきたからですが、その王国は揺らぎつつある。日本でもネットでファンを集めてメジャーデビューできる時代が来ればいいのだが。
私もネットで日本人の女性ダンスユニット探してみたら、Happiness という少女グループが今年デビューしている。エクザイルの女性版で平均年齢14,5歳のまだ若いのですが、これならKARAや少女時代に対抗できるのではないか。パフュームよりルックスも歌もダンスも上手い。
◆Happiness-Kiss me. Full Version (Mirror)
◆Happiness 「フレンズ」
Happinessのデビューシングル『Kiss Me』!
全員まだ中学生です。KARAや少女時代を迎え撃て!
http://www.asyura2.com/09/geinou2/msg/375.html
kantei.go.jp からwhois検索しました。
Domain Information: [ドメイン情報]
[ドメイン名] KANTEI.GO.JP
[組織名] 内閣総理大臣官邸
[組織種別] 政府機関
よく分からないけど政府から攻撃を受けているということだけは分かった
普通に考えたら踏み台だろうけど、
信じてしまいそうな日頃の行いだからな
(イメージ)
,,-―--、
__(/ ̄ ̄゛ヽヽ ボクはもの凄くF5連打に詳しいんだ
// ・ ー- ミ、
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 ̄ \__、("二)カチカチカチカチカチl二二 _|_|__|_
中国がkantei.go.jpをハックしてF5してたとかありそうだけど・・・
原発で波高まる津軽海峡夏景色(上)「原発をやめるなら黙っちゃいねぇ」
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/18917
原発で波高まる津軽海峡夏景色(下)「漁師仲間の飲食・タクシー代まで原発持ち」
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/18960
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/635.html#c9
この放射能真夏の悪夢という特集は8記事からなり、今回の福島原発事故における東電と政府の対応の無能さや隠蔽を糾弾するというスタイルの記事になっています。内容は他の週刊誌程掘り下げたものではないかもしれませんが、その中の3記事を紹介したいと思います
。
@
東電告発
副島隆彦に政府がスパイ弁護士を送った!
「私との会話を特捜に横流しされ・・・」
評論家の副島隆彦氏(58)の怒りが収まらない。福島第一原発の責任を求め、東京電力と政府の原子力機関を刑事告発するのに、協力を申し出てきた一人の弁護士が検察官たちひ「情報漏洩」し、おとしめようとしていたというのだ。
私は、4月から一貫して福島原発の大事故という凶悪事件で、民族存亡の危機まで起こしておきながら、なぜ責任者たちから「責任」の二文字が出てこないのかと問うてきた。
まず、東電の経営者たちの責任。それから日本政府の一翼を担う内閣府の行政機関である原子力委員会、および原子力安全委員会、そして、経済産業省の実働部隊である原子力安全・保安院の責任問題だ。
民間の企業がもし工場が爆発事故を起こし、有害物質を周辺に撒き散らしたら、まず工場長が警察の捜査を受けて逮捕されるだろう。従業員や作業員が死んでいれば、業務上過失致死傷罪で裁判にかけられる。そして、危険な工場の操業の状態を放置していたら、社長や担当役員らの経営陣も逮捕され裁判にかけられる。
そこで、私は4月29日、自分のホームページ上で、自分のメールアドレスも記載して呼びかけた。<どこの組織や勢力にも属しない、かつ遠慮もする必要もない弁護士で、今度の事態を自分自身の怒りとして受け止めることのできる人はどうか、名乗り出て、私に連絡して書類を提出する仕事を手伝っていただきたい。>
すると、5月2日に、Mという弁護士からメールをもらった。「先生の著書は10冊程度呼んだことがある」とじこしょうかいし、「今回のげんぱつの件は小さい子供の親として、正義を実現すべき弁護士として、黙っていることはできない」とのことだった。その後、メールのやり取りし、5月9日に都内の事務所で面会し、打ち合わせをした。
翌5月10日になり、M弁護士からメールが届いた。
「覚悟とけついとそのための準備をしている。『検察人脈』を含めあらゆる観点から良い方法を探るという内容だった。
そこで私は「どうぞ慎重に熟慮してください」と返事を送った。「東電や日本政府<行政機関>という巨大なものを敵に回すことになる。きっと貴法律事務所の存亡のかかわることになる」とも指摘した。
二転三転する弁護士の発言
5月14日M弁護士からの扁桃がきた。「この数日間『色々な人脈』を駆使しながら検討してきた」とある。さらに報酬を含め7つの条件が書かれてあった。その中の一つにふ、不可解な項目があった。「過激な検察批判を避けて、むしろけんさつ、特捜部の汚名返上のチャンスにするyほうな告発状にすると受理されやすい」というアドバイスだ。
これを受けて、私は、再度、相談しようと5月17日の午後4時20分から、電話でM弁護士と話し合った。ところがである。こともあろうにすでに検察側に相談しに言ったというのである、しかも私の名前を出して・・・・。私が刑事告発しようとしているのは、東電だけではない、国家機関も含まれている。なのに国家の機関である検察(準司法機関だが行政の一部)に、以来主の承諾を得ずに情報を漏らす弁護士がどこにいるのか?
私は問いただした。これは弁護士法違反ではないか。弁護士会に懲戒請求できるほどの行為だと。そして「誰と話したんだ」とさらに問い詰めた。」すると、法務省大臣官房参事官のS、そして、東京地方検察庁特別捜査部検事のYであると白杖した。私は薄々気がついていたが、国家側に情報を流され、カモにされていたのだ。憤慨した私は、M弁護士とSとYと私の4人で面会を申し入れ、M弁護士は承諾した。
ところが、M弁護士は翌日のメールで、両検事に対し、副島先生のお名前を出したことはございませんでした。改めて訂正の上申し上げますと告げてきた。5月27日にもM弁護士に直接会って事実確認したが、否認を続けるのみだった。
8月5日、私はこのSとYの両検察官に面会しに、法務省と検察庁を訪ねた。S検事は「用事もあり、事前の約束がないと会えない」と受付の職員を介し伝えてきた。Y検事は、2人の事務官を遣いによこしたが、結局、「確かに刑事告発の窓口にはなっているが、個別に会って受け付けることは出来ない」という返事だった。結局2人に会う機会は与えられなかった。なぜ、依頼しようとした弁護士とは個別に会っているのに、当の依頼者である私が会えないのか。これではM弁護士がスパイとして私に近づいてきたと疑われても仕方がないではないか。
改めて国家のあさましさと手段を選ばない司法官僚たちに怒りを覚えた。小沢一郎らに違法の刑事弾圧を加えた者たちとまったく重なっている。この組織腐敗の負の連鎖を断ち切り官僚政治に終止符を打たなければならない。そうでなければ、震災・原発事故からの復興どころではない。改めて私は言う、日本国民よ、刮目せよ!
A
福島第一原発事故「極悪戦犯」を実名糾弾(告発本ルポライターが)!
「絶対爆発しないと言った斑目委員長は無能だ」
史上最悪の大惨事となった福島第一原発事故の戦犯は誰で、責任の所在はどこにあるのか。原発の闇と危険性を指摘してきたルポライターが、憤怒の告発!
業務上過失死傷罪などに該当するとして、福島第一原発事故に関与した機関と人物を先ごろ、東京地検に刑事告発したのは、作家の広瀬隆氏とルポライター・明石昇二郎氏である。同時に発表した共著「原発の闇を暴く」(集英社)の中でも、大事故を招いた「責任者」の数々を実名で猛批判。その代表格が、内閣府原子力安全委員会の斑目春樹委員長だった。明石氏が言う。「斑目氏は日本を代表して原発の安全を保礁する、責任ある立場の人物であるはずなのに、実際には何もできていない。会見でも『それは保安院に聞いてください』と言うなど、恥を知れ、という感じです。そもそも事故を起こしてしまったこと自体、無能のそしりを免れませんが、今となっては事故を迅速かつ最小限にとどめなければならない。その両方ともできない彼は、無能以外何者でもありません。しかも、事故の責任者でありながら、いまだに辞める気配さえ見られず、責任逃れに終始している」
明石氏はこんな噴飯モノのエピソードを披露する。
「斑目氏は原発視察に向かうヘリの中で官総理に『福島原発は絶対に爆発しないんですよ』と説明しておいて、その直後に水素爆発が起こっています。斑目氏は鑑定でその画像モニターを見て『あぁ!』と叫び声を上げ、しゃがみ込んだといいます。そんな人物が、一国の原子力の安全を担うトップの地位に就いている」
さらに前述の著書には「原子力マフィア」「原発推進者のシンジケート」との物騒な言葉も登場するが、「研究者や電力会社、原発産業、経済産業省の中にいる原発推進者が群れをなして、原子力を食い物にしている」
明石氏hこう憤慨すつつ、告発状にもある長崎大学の山下俊一教授を「マフィア」の例にあげた。
「山下教授は福島にやって来て、「子供を外に出して遊ばせても大丈夫だ』と触れ回っていた。しかしそんなところが今、町や村ごと避難しているんですよ。彼は飯館村での『大丈夫だ』と断言していました。
メディアに“ミスター大丈夫”と揶揄される指揮者だけに、さもありなん、という患児だが、著書ではこんあもたれ合いが告発されている。
<電力会社はこうした大学の研究者たちに共同開発や寄附講座といった明目で、うす汚れたカネを配るわけです。その見返りとして研究者たちは、いかに原発が安全かと遠吠えし、電力会社から毎日えさを与えられた飼い犬になってキャンペーンを張る。こういう譬えは犬に失礼なくらいだ>
この他、原発予算をまるごと認め、「クリーンエネルギー」と呼んだ蓮舫氏と枝野幸雄官房長官も責任者と認定。「殺人罪に相当する」という東電に対しては、広瀬氏が<汚染水は東電本店ビルで補肝しろ>と、胸のすく提案をしている。
「事故で発生した放射性廃棄物は東電の事業活動によって生み出された『産廃』なのですが、他の産廃のようにどこかの処理場に埋めたり海にタレ流して済む話ではないんです。人の目の行き届いたところで厳格に管理する必要がある。自分たちの足元に汚染水があればそれはもう厳格に管理するでしょうから(笑)」(明石氏)
聞いたか、戦犯たち!
まず、2つの記事で一体副島氏と広瀬および明石氏との告発の成否の違いはなんでしょうね?
副島氏は行政機関の一部を訴える前に弁護士が検察に言って全てをチクったから告発が無駄になったと商業誌に一文字いくらかで書いて商売にすらしていますが、広瀬氏と明石氏も東電、安全委員会、保安員だけではとどまらず放射線御用学者山下先生や閣僚である枝野氏や蓮舫氏も責任者の一人としています。
広瀬、明石氏たちのほうが告発している範囲が広い。そして告訴までしています。
その違いは?
仮にM弁護士が国から放たれたスパイだとしましょう。
大体、副島氏は月刊ザ・フナイ4月号で編集長に大して「わたしは冷酷で恐ろしい男だ」などと嘯いていましたが、何故、弁護士を自分のサイトに公募したんでしょうね?
もっと、信頼する筋を通していけば副島氏も場合によっては告訴までいけたかもしれません。
こんな脇の甘い人間のどこが冷酷で恐ろしいのか?
しかも、小沢一郎問題で検察の人間を一人ひとり名指しして写真まで貼ってキャメルコートのこの検事がワルだとかさんざんサイトに書きまくっていたらそりゃ検察の目の仇にされますがな。脇が甘いったらありゃしない。そういう行動をしたことについてその反動がくる可能性も踏まえて上手にやっていくのが「冷酷で恐ろしい男」なんではないでしょうかね。まあ、検察批判は妥当だと思いますけどね。
それだけでなく、M弁護士が国からのスパイかどうかのはっきりした証拠はありません。だから週刊ポストでも取り上げられずにアサヒ芸能どまりになったのでしょう。
この事件があって弁護士達を怒鳴り散らしていたのか、怒鳴り散らしていたから弁護士たちに意趣返しをされたのか定かではありませんが。
最後オマケです。アサヒ芸能もこのくらいの記事は載せるのですね。
B
都民3000万人に忍び寄る内部被爆の恐怖
下痢・倦怠感「ぶらぶら病」はガンの前兆だ。
「セシウム牛」に「セシウム米」と食品の放射能汚染が進んでいる。」そこで、懸念されるのが内部被爆だ。福島第一原発との距離に関係なく、食品に潜みながら忍び寄る放射能。都民1300万人も決して他人事ではないのだ!
被爆には外部被爆と内部被爆の2種類がある。今回の原発事故で放出された放射性物質が放つ放射線を体外から浴びるのが外部被爆。そして、空気や水、食品を通じて、体内に放射性物質を取り込んでしまうことで起きるのが内部被爆だ。
両者の違いを、放射能汚染に詳しい中部大学教授の武田邦彦氏が説明する。
「外部被爆は何時間、外にいたのかという、単純に時間の足し算で被爆した線量を図れます。しかし、内部被爆はそうはいかない。体内に取り込まれた放射性物質は排出されるまで、約3ヶ月間は体内にとどまります。その機関、被爆することになります。また、外部被爆は貫通力の強いγ線だけが問題で、放射線が体を通り抜けるのは一瞬です。ともすれば遺伝子と衝突しないこともある。ところが、内部被爆は遮蔽するものgなく、α線、β線という貫通力の弱い放射線の影響も受ける。放射性ヨウ素が甲状腺に集めるように。放射性物質は特定の臓器に集まり、そこの細胞にある遺伝子を破壊してしまう。内部被爆のほうがより脅威だと言えます」
しかも「セシウム牛」パニックの例を出すまでもなく、食品を通じた内部被爆は福島から遠ざければ安心とは言えない。放射能に汚染された牛肉は東京だけでなく、全国に運ばれたのだ。
そして、点線量の内部被爆が引き起こす事態は深刻だ。晩発性障害と呼ばれ、被爆から蛛十年たってからガンや白血病を発症することが知られている。
事故から5ヶ月しか経過していない現在、最も注意すべきはガンの前兆ともいえる症状なのだ。
その症状は原爆が投下された直後の広島で報告されている。爆心地から遠く離れた場所にいた人や投下後に爆心地に入った人に鼻血や下痢、そして「ぶらぶら病」という症状が出たのだ。
この「ぶらぶら病」とはひどい倦怠感に襲われ、起きていることもできなくなる病。仕事もせず寝てばかりいることから、周囲に名づけられた病名である。
前出の武田氏が言う。
「こうした丁線量の内部被爆が招く軽度な症状は残念ながら医学的根拠はありません。しかし、根拠がないから安全だと言えない。シックハウス症候群だって、解明されるまでは、意思は苦しむ人々を治療するどころか、勘違いではないかと言っていた。福島では子供の下痢や鼻血に悩む母親が増えています。医師はもっと苦しむ人々と向き合うべきなのです」
医者すら見過ごすガンの前兆。内部被爆の恐怖は静かに忍び寄っているのだ。
アサヒ芸能ですら書き出した内部被爆の恐怖。それを認めず、山下教授を立派な学者と褒め称え、広瀬隆氏をCIAエージェント(?)セリッグ・ハリソンの手下と罵倒した副島氏。
確たる証拠が無いのに国からスパイ弁護士を送り込まれたと騒ぎ商売にする副島氏。
ああ、アサヒ芸能で末期症状を見せてもらいました。
福島事務所の吉見くん、内部被爆について分かりましたか?
怪我したあるるくんをつれて東京へ帰りましょう。
京都大や協同乳業などのグループは17日、ビフィズス菌「LKM512」=写真、協同乳業提供=をマウスに与えると、与えないマウスよりも寿命が延びたとする研究成果を発表した。米科学誌プロスワン電子版に掲載された。
研究では、マウスに市販のヨーグルト約150ccに含まれる量の菌を水に溶かして週3回投与。人の年齢で約70歳の時の生存率は菌を与えたマウスが約80%、生理食塩水を与えたマウスが約30%となり、大きな差が出た。菌を与えたマウスは毛並みも良く、外見も若々しい印象になるなどの効果も見られたという。菌を与えると、大腸内でポリアミンという成分が増えて、大腸の老化抑制、抗炎症の促進などの効果があった。菌を与えずに育てたマウスの約20%に発生した腫瘍や潰瘍などの症状もほとんどなかった。
京都大の芦田久准教授(応用微生物学)は「他のビフィズス菌でも効果はあると思われる。LKM512の効果が十分でない個体も出現しており、今後はより確実に効果を発揮できるような技術開発につなげたい」と話している。
http://www.asyura2.com/09/health15/msg/384.html
大丈夫ですよ。原発なぞに依存しなくても電力確保は十分に可能ですよ。
本気で原発以外のエネルギーの開発に取り組まないことが問題なのです。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/620.html#c55
でも。フジテレビではそれを伝えてくれなかった。
あんなに感動的なものにはなかなかお目にかかれないと言うのに。
切ったり貼ったり変な煽り映像差し込んだり、フジのフィギュアの放送はまるでコメディですね。
滑稽すぎて見るに耐えませんが、それでも、それしか見られない人だっているのですよね。そういう人の方が多いでしょう。
それを思うと、とても残念に思います。
http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/783.html#c158
TVがネットにとってかわられる。
これ宿命だ。マスゴミのお掃除はすでにはじまっている。
新聞のお掃除も進行している。ネットで真実が拡散するのは止められない。
YU-TUBE,GOOGLE, ありがとう。
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/237.html#c25
あなたの論拠が説明されていませんので、理解ができかねます。文章を拝見していますと、「推論できる」という言葉が多く、説得できる論拠を説明した上でコメントしてくださいね。
31さんの書いているデータは気象研究所のものだと思いますが、実際に関東での放射性降下物の量がチェルノブイリの事故の際の降下物量の10倍程度とされています。
測定場所は福島から300Km以内ですので、確かに予想より低いと考えられますが、問題は今後の傾向が増加中なのか、収束するのかが不明な点を考慮すると、事故現場が完全に収束できていないと受け取れる監視カメラの様子から見て、チェルノブイリのときのように数ヶ月での降下物の提言が期待できないように見えることです。
以上、貴殿の説明を期待します。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/587.html#c48
>@食添は身体に悪い。
量にもよる
梅干を製造する際に使用する塩も大量にとれば死ぬし、10g以上とれば高血圧になりやすくなる
(食品添加物とは食品を製造する際に添加されるものを表すので、塩も添加物になる)
>A化学物質過敏症の方は食べられない。
確かにその通りだが、重度の人は各物質過敏症の人はヒノキのにおい、灰汁や苦みなど食品を構成するすべての物質に反応すると書いてあった
食品添加物だけが悪人とは限らんよ
http://ssea.exblog.jp/6739010/
>B何十年も腐敗しない。
それは嘘
保存料が入ってる食品でも時間がたてば腐ったり、カビが生えたりする
http://karapaia.livedoor.biz/archives/51701441.html
>>2. その他で、アレルギー、発がん性、毒性遺伝、催奇形性などはどうですか?
物にもよる
ない物もあるし、ある物もある
ただし、日本であると証明されたものは使うことはできない
>>3. 化学合成添加物が身体に蓄積しない理由を教えて下さい。
蓄積するが、添加物を使用できる量は毎日とったとしても影響が出ない値になるように設定されてるから心配ない
ソース
http://www.fsc.go.jp/sonota/kikansi/15gou/15gou_2_3.pdf
http://www.asyura2.com/09/health15/msg/383.html#c4
福島原発事故以前スーパーでは西日本産や地産がほとんど売られていましたが
事故以後福島産や宮城産の野菜が急激に増え山積みされています。
それに福島産や宮城産の野菜の横に地産の野菜が並んでいますが
どうみても産地名を変えた同野菜です。形や色、大きさですぐ見分けがつきます。
牛肉も事故以前は鹿児島産など売られていましたが、今では国産としか表示されていません。
事故前も産地名偽造に気を配りながら買っていましたが事故後はこれまで以上に産地不明です。
海老はアジア産を買うにしても、鶏肉、卵、魚介類、牛乳など、選別できれば良いのですが
偽造覚悟で食べるか信頼できるお店の食品を食べるかですね。
外国産や西日本産が店頭に並んでいても、その産地名は偽装ではないのか、とさえ感じます。
私たち一般家庭いわば低層相手のスーパーは、お上からの命令で東北産の食物を受け入れていると
思います。理由は、汚染された食物を東日本に集中させるよりも、全国に広く浅くばら撒き
汚染を理由に体調不良を起こしたときを視野に入れて政府や東電は逃げ道を確保しているのです。
民主主義ではないことがよく分かります。
とにかく放射線量が曖昧で明確でない限り、年齢に問わず気を配りながら生活しましょう。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/615.html#c24
過去の大きなニュースが流れると、現在起こっている事がかき消されてしまう傾向があるようです。
皆さん。注意しましょうね!
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/631.html#c7
しかし、原子力って文化なんですかねぇ?
こんな言葉を巧みに使って、情報を操作するのでしょう。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/611.html#c4
福島だけじゃない、首都圏だって相当汚染されている場所がたくさん存在する。
http://www.ustream.tv/recorded/16513922
チェルノブイリ事故時、立ち入り禁止の強制避難区域に指定されたレベルの
汚染場所が存在する。
↑
政府が動かないから、市民が行動を起こしている。
当然、大手マスコミは報道なんかしない。
今日の昼間も、「低線量の放射線を浴びるのは逆に体に良い」等、癌治療と
ごちゃまぜにした暴言を過去に吐いたトーコー大の誤用学者が出演している。
原子力マフィアは社会の末端まで巣食っているのが現状だ。
北海道民、あなた達が選んだ組長は、ストレステスト無しで3号機のプルサーマル再稼働させたけどさ、泊村村長も含め、選んだのはあなた達だよ。
3.11以降、先進国では原発推進国のアメリカでさえ反原発のデモが起きている。
上乗せ交付金で顔引っぱたかれて、GOサインって恥ずかしくないの!?
日本のTV、マスコミの追跡報道がなされていません。
http://www.asyura2.com/10/warb7/msg/782.html#c49
苦しいのはお前じゃない?
バレてるからw
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/504.html#c24
これはどうもねえ。マンガでも読ませる訓練だったんかな?スパイは大秀才でなければなれないからねえ。
http://www.asyura2.com/10/warb7/msg/398.html#c22
実際の話、今は、「直ちに健康への被害はでない。」で有るが、今後10年もすると、大手生命保険会社が倒産や経営悪化が必ず起こるでしょう。
その時の、保険料の値上げや、政府に泣きついて、保険金の支払い条件を法律で作るかも知れませんね。
今、何をするかが判っているのに、何にも出来ない。
これ以上、健康被害が出ないように手を打たなければ、大変な事になると思います。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/638.html#c2
駄目だった場合、軌道修正も容易じゃない
http://www.asyura2.com/10/warb7/msg/398.html#c23
■人権救済法案 権力監視機能なくては(8月17日)(北海道新聞)
引用ここから〜〜〜〜〜〜〜〜
小泉政権下の2002年に廃案となった人権擁護法案が、人権侵害救済法案(仮称)と名を変え、法制化に向け再び動き始めた。
江田五月法相ら法務省政務三役が策定に向けた基本方針を先に公表し、来年の通常国会提出を目指す考えを明らかにした。
旧法案で強い批判のあった、報道の自由を脅かすメディアの取材活動を規制する条項はなくなった。救済機関である人権委員会へ強制調査権を持たせることも除かれている。
もとより、差別や虐待、プライバシーの侵害がまかり通る社会であってはならない。それらの是正に必要な法律をつくることに異論はない。
私たち報道機関もこれまで以上に人権に配慮していく必要がある。
だが、そうであってもこの法案には懸念すべき点が多すぎる。
なによりも、公権力による人権侵害への対応が明確でないことだ。
そもそも、人権法案を目指すきっかけは1998年、国連規約人権委員会から刑務所や入国管理施設などでの人権侵害が指摘され、改善を求められたことからだった。
2008年には同委から、公権力の人権侵害に対応できる人権機関を設けるよう勧告を受けている。
捜査機関の取り調べや、拘置所内で人権侵害を受けたとの報告は少なくない。抗議しても相手にされないとの証言は体験者からよく聞く。
公権力による人権侵害の監視機能のない擁護法案では意味がない。
93年に国連総会で採択された、人権機関を設置する際の指針「国内人権機関の地位に関する原則(パリ原則)」との兼ね合いも問題だ。
パリ原則は人権機関の中立性を保つため、政府からの独立性を確保するよう強く求めている。
だが、パリ原則に適合させるとしながらも結局、旧法案同様、法務省の外局に人権委を位置づけた。
公正取引委員会並みの独立性を持たせるというが、実際の運用では各地の法務局などが窓口となろう。
刑務所や捜査機関を管轄する法務省の外局という立場で、果たして政府の影響を排した判断や決定ができるのだろうか。疑問が拭えない。
パリ原則を順守することが、法案作成に当たっての大原則となる。
国内在住の外国人が人権委員に就任できない点も変わっていない。
特定勢力の影響を受けないことは必要だとしても、これで外国人の人権がきちんと守られるのかどうか。そうした論議も欠かせない。
多くの問題がいまだ整理されていない。法案を煮詰めるには法務省内だけではなく、幅広い国民的な議論の積み重ねが必要だ。旧法案の手直し程度で終わらせてはならない。
〜〜〜〜〜〜〜〜引用ここまで
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/312247.html
(北海道新聞の主張要約)
「人権救済法案には懸念すべき点が多すぎる 外国人が人権委員に就任できない。これで外国人の人権を守れるのか」
>人権救済法案には懸念すべき点が多すぎる
ふむふむ、確かにそうだ
>外国人が人権委員に就任できない。これで外国人の人権を守れるのか
えっ!そっちかよ!
その前に日本人の人権を守れるの?
って発想がないのがおかしい。
小泉郵政選挙前で当時の人権擁護法案の懸念を投稿した者が一人もいなかった阿修羅掲示板で真実が語られることもなかった過去
今でも、私を嫌悪してか賛成寄りがいるどころか
こういうことを軽く見て関心がない状況下でこういった新聞社説があれば、当然ながらそちら側についていたことでしょう。
本当の意味で、もっと安いエネルギーは他にゴマンと有るでしょ
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/620.html#c57
正直言って分からない点もあるが、私が>54 で述べた論理に従って答えれば、
「子孫にこれ以上の燃料廃棄物を何万年と押し付けていいのか」という問題に答を出すのも、国際競争の一つの分野なのでしょうね。やはり科学技術力の競争という面もあるのでしょう。多摩散人。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/620.html#c58
8/5に私が測った時、1.20 μSv/hでした。下り線SAの西側隅の小高い草地(水がたまることはない地形)で計測しました。舗装面の上は、急速に自然な除染?が進んでいるようです。近所でも同傾向です。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/617.html#c14
決意して西日本へ引っ越された事はもちろんあなたの選択です。
これから、皆それぞれ大手マスコミ偽情報を避け、自分で情報を得て、
このサイトの様に、他の人と共有しながら、それぞれ考えて生きていかなけれた
ならないと思います。
ただ…、西日本は元々花崗岩など放射性物質を含む土壌なので、線量は高い
所だという事だけは知っておいてください。
平時でさえ散々やられていたのだから、食品偽装は当然されていると思う。
パックにシールで「北海道産」表示のしいたけ…数日前には全く同じパックで
シール「岩手山」。単純に買わない。
大手スーパー、近所のスーパー、信用も何も、向こうは利益追求が目的なんだからさ。
政治家・官僚・民間事業者一体で知恵を絞り作り上げたお金の流れですから、そう簡単に替えられるほど単純で甘くない話です。
国家(一部でしょうが)ぐるみですから、手お変え品お変え、次々と声を上げる者は消されます。
既得権益の争奪戦で、国民をだまし税金や電気料・法律などでうま〜く吸い取り、電力関係の公共事業を高値で大手ゼネコン・電気事業者に受注させ、電力会社は、政治献金や官僚の天下り先を手配し、自分たちに有利に働くよう税金逃れをする。
できなきゃ、法律を替えるため、政治家・官僚に法律を改正する文言を入れあっさり法律をスル―させる。
全く関係ないような事業でも、ほぼ全域に張り巡らされた既得権益者を敵に回す事で、自分に火粉が降り村八分にされる。
莫大な資金が還流する仕組みを取ってきたのですから、893顔負けです・・・
まあ、バカを見てるのは国民でっせ!
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/448.html#c17
土木工事などに使われる発破は地震波を発生させるため、しばしば自然地震と誤認される。ただし地震波には、P波に比べてS波が小さい、表面波が卓越する、すべての観測点で押し波となるなどの特徴があり、自然地震による地震動との判別は可能である。核爆発によるものは代表的な人工地震のひとつであり、大規模な地震動となった例もある(後述)。
ロシアにおける人工地震 [編集]
1973年9月12日に、ノヴァヤゼムリャの北島で行われた核出力4.2Mtの地下核実験では、マグニチュード6.97に相当する揺れが発生した[2]。
アメリカにおける人工地震 [編集]
詳細は「グロメット作戦」、「アムチトカ島」、「W71 (核弾頭)」をそれぞれ参照
アメリカ合衆国が1971年から1972年にかけて行なった地下核実験(グロメット作戦)のうち、1971年アムチトカ島における地下核実験(カニキン・プロジェクト[3])においてW71核弾頭が使用された際、核出力は5Mtで地下核実験としては最大規模の記録を出したが、マグニチュード7.0相当の人工地震も記録した[4]。
人工的に起こした自信は自然地震とは異なる点がある
ちなみにM9相当の地震のエネルギー1.99*10^18Jだから、今のアメリカが起こすとなると20万発分の核爆弾が必要になる
20だとせいぜいM7どまりだよ
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/587.html#c50
F15撃墜らしいが戦争はじまる?
http://logsoku.com/thread/hato.2ch.net/morningcoffee/1309834285/
世界で唯一撃墜されたF15Jイーグル
http://www.masdf.com/crm/crmdoweagle.html
http://www.asyura2.com/10/warb7/msg/782.html#c50
今はデフレだから、金利を引き上げるのはセオリーに反する。
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/752.html#c16
Workers at Japan's Fukushima plant say the ground under the facility is cracking and radioactive steam is escaping through the cracks. The cooling system at the plant failed after the devastating tsunami hit Japan in March, sparking a nuclear crisis. But new evidence suggests that Fukushima reactors were doomed to cripple even before the massive wave reached them. RT's Anissa Naouai talks to Dr. Robert Jacobs, a Professor at the Hiroshima Peace Institute.
RT on Twitter:
http://twitter.com/RT_com
RT on Facebook:
http://www.facebook.com/RTnews
実質的には官僚が決めている。
形式的な責任を取らすために政治家がいるだけ。
文句も何ら実質的な権限のない国会議員に言っても仕方ない。
国会議員をここまで無力にした責任は主権者国民にもあるが、今それを言ってもそれも仕方がない。
実質的な権限のある者に訴えるのが今できることだ。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/639.html#c7
公共の電波を使っている以上、たとえ儲かるからと言え、
ある方向に偏り過ぎるのは問題!!
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/238.html#c6
人類は数万年にわたって原発の世話にならずに生きてきたんじゃ。
ちょっとばかりいい暮らしがしたくて、先祖伝来の土地を100年以上使いものに
できなくしよったばかりだというのに。
本当の被害が判明するのはこれからかもしれないのに。
上記のアホは、福島第一で禊ぎをしてらっしゃい。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/620.html#c60
わざわざID変えてまでご苦労な事ですね^^;
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/504.html#c25
14さん 重要な情報提供ありがとうございます。
確かに、SAで下車した際、植え込みに近づいたときに高い数値が計測されたように思います。駐車場などの舗装面は比較的数値が低かった記憶があります。それにしても、1.20μSv/hとは高い数値ですね。稲などへの影響も心配です。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/617.html#c15
盗用という意味では、リンクを張っても他人が書いたものをそのまま載せるだけでは盗用と同じで、自分の意見を書かずに貼りつけるだけなのもどうかと思います。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/630.html#c9
いったい地デジ化ってなんだったのでしょう。
まるで、高性能のPCを持っていても、使えるソフトが皆無であるがごとくです。
「政府の方針に従っていると、国民は幸せにはなれない」
という言葉をかみしめています。
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/237.html#c27
■「霞ヶ関発・兜町着」直行便
世界的なドル安、株安が吹き荒れる中、8日、G7’の財務省・中央銀行総裁会議(電話)が開かれ声明が発表されたが、市場はそっぽを向き冷たい反応しか見せてはくれなかった。それだけ、世界経済の規模が大きくなり、国家間だけでなく国境を越えた企業団体・組織間の利害対立が深刻さを増しているということだろう。そんな中、9日、日銀の白川方明総裁は、参院金融委員会で「通貨及び金融調整に関する報告書」の概要説明を行い、併せて日本経済の動向と日銀の金融政策運営について、次のように語った。G7直後だけに白川総裁の発言内容が注目された。
(1)わが国経済は震災による供給面の制約が和らぐ中で、着実に持ち直してきている。先行きについても、生産活動が回復していくにつれ、輸出の増加や、資本ストックの復元に向けた需要の顕現化などから、緩やかな回復経路に復していくとみられる。
(2)しかしながら、日銀としては、こうした見通しを巡る不確実性が高いことも認識しており、このところ、景気の下振れリスクにより留意すべき情勢になっていると判断している。
(3)海外経済をみると、米国においては、債務上限問題が一応の決着をみた後も、市場では、財政健全化を巡る懸念は払拭されておらず、景気の先行きに関する見方も慎重化している。これに加えて、欧州では周縁国のソブリン・リスク問題が、また新興国については物価安定と成長の両立という課題があるなど、海外経済には、大きな不確実性がある。
(4)こうした海外情勢や、それらに端を発する為替・金融資本市場の変動は、わが国の企業マインドひいては経済活動にマイナスの影響を与える可能性がある。
(5)物価面では、消費者物価の前年比は、小幅のプラスで推移している。今月に予定されている物価指数の基準改定に伴い、下方改定される可能性が高いと認識している。したがって、物価安定の実現までにはなお時間を要するとみられる。
(6)最近の国際金融市場の緊張に対して、G7の財務大臣・中央銀行総裁は、緊密な連絡と適切な協力のもとで、金融市場の安定と流動性を確保するため行動をとる準備があることを明らかにした。
(7)金融政策運営については、包括的な金融緩和政策を通じた強力な金融緩和を推進している。このもとでは、資産買入等の基金を通じて、長めの市場金利の低下と、各種リスク・プレミアムの縮小を促している。先の金融政策決定会合では、景気の下振れリスクに対応するため、資産買入等の基金を10兆円程度増額し、50兆円程度とすることを決定した。
(8)日本経済の最大の課題である成長基盤の強化については、この目的に資する融資や投資を実施した金融機関に対し、国債等の担保を裏付けとして、きわめて低い金利で資金を供給している。6月には、この枠組みをさらに効果的なものとする観点から、金融機関による出資や動産・債権担保融資、いわゆるABLなどの取り組みに対して、新たに5000億円の貸付枠を設定することを決定した。
白川発言は、注目された割には、当たり障りのない、いつもの優等生的な判断、説明に終始し、この緊張する世界経済の現状と、日本の置かれている状態に対する有効な処方箋にはなっていない。なぜ円の独歩高が亢進するのか。米国も欧州各国も通貨供給量を増やしているのに対し、わが国は長年それを抑えてきた。今回、円売りと金融緩和の『合わせ技』を行ったと自慢げだが、遅すぎる。日銀はインフレを恐れるあまり、肝心の経済を殺してしまっているとの批判に、どう答えるのだろうか。(情報提供:日本インタビュ新聞社=Media−IR)
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コメント
d(B/Y) = (g―t) + (r−n) B/Y財務官よくお越しくださいました。
デジャブ理事、日銀の国際派と財務省の国際派ということでマスコミにインパクトを与えようと参上したのですが、効果がありますかな。
しかし、スイスはうまいことスイスフラン高をとめましたな。ただ、本当にユーロとペックするかどうかは不明ですけれども。
ところで、FRBや米財務省から何らかの情報をあがっているのでしょうか。内財務省にしてもほとんど情報があがってきません。日本無視という姿勢が続いています。
前回の介入にしても、米国財務省に相談したのですけれども余りいい顔をしなく、日銀としては、独自で動くことはもうできません。
それは、財務省にとっても同様であり、黒子に徹するのが官僚の役目、責任をとる政治家が今の現状では我々も動けません。
ただ、経済界が今回の円高でもはや我々官僚の言うことを聞かなくなってきているのです。
と優秀といえる官僚の組織の黒子重臣が対面したところでマスコミが報道することが市場に効果があるかどうかわかりませんが、金融政策を持たないのか、それとも持てないのかわかりませんが、政策がない黒子がどう語り合おうとも量的緩和を実際にどれだけ実行するかということに日本はつきるのかもしれません。
札をするならとことんするか、国債を発行するならば日銀に買い取らせるかというくらいインパクトがないと震災復興どころかこのまま破綻へと導かれても国内インフラが疲弊し回復すらおぼつかないということになるのかもしれません。
江田憲司のみんなの本気「増税、増税 財務省のプロパガンダに騙されるな!」
http://www.youtube.com/watch?v=xV5dniJPWjE
円高の県内への影響は・・・ 日本海新聞ニュース
http://www.youtube.com/watch?v=_2CmRUoyeng
『この時期に増税・大連立を目指す野田佳彦・・』小野盛司 AJER2011.8.15(1)
http://www.youtube.com/watch?v=yP92v4739aM
『この時期に増税・大連立を目指す野田佳彦・・』小野盛司 AJER2011.8.15(2)
http://www.youtube.com/watch?v=OlBn06OzSVk
所得税、消費税、法人税を増税して復興財源に!
http://www.youtube.com/watch?v=p9Aa5Qh8kfA
基本的にFRBがQE3をするかどうかということで、QE3がおきれば益々円高になるとの思惑から円買いのポジションがつみ増されているという状況なのかなとも感じます。その分、日銀が介入をすれば円安の効き目が一時的には大いにメリットがあるのですが、QE3の市場の期待が高ければ高いほどさらなる円のポジションを増やすということになるかもしれません。
ただし、基軸通貨というのは、価値が無ければ基軸通貨にはならず、持っていても価値が減少する通貨では、次の基軸通貨が決定するまで無能な日銀、財務官僚が管理する円に資金を移すということは当然のことかもしれません。円自体は安全ではないのですが、円というのはうまく利用しやすい通貨であり、日本という国がうまく利用しやすいお国柄ということかもしれません。
紙幣自体に価値がなくなるわけですから、そうなった場合には、紙幣に何らかの価値を付帯するしかないと思いますが、どう通貨が今後変化していくのでしょうか。
小幡績:円高と株乱高下の裏で起きていること
http://www.youtube.com/watch?v=lS_mfomcoRM
前回の日本の不動産バブルによる金融機関の負担がようやく15年たって処理のメドがたってきており、その上、今やリーマンショックの安値に近づいているグローバル企業にしても設備投資を海外で増やしており、それほど円高の影響を受けない体制にしつつあるのですが、円高ということでどうも売られています。
トヨタに関してはなんやらきなまくさい噂がでているようですが、総じて機械、精密機械などのメーカーの現状は、忙しいようです。
市場は米国に何を求め、そして日本に何を求めようとしているのでしょうか。
ただ、リーマンショックの時は、米国にしても中国にしても他の日本以外の先進国にしても対策はとれたのですけれども、今回はどの国も財政問題で対策がうてないようです。
金融の世界というのは、すでに実物世界、つまり物を売ったり買ったりする世界の数倍の大きさになっており、この金融の暴走を止めることは既得権益に対してかなりきついことをしないととめられないでしょう。
つまり大きく世界が変わることをしないことには、金融の暴走は止められないということかもしれません。
日本の場合は、政治の世界も解体、東電などは、解体し、経済産業省もこれで解体の道にはいり、現状の官僚を含む役人世界の破壊へと向かわないと日本が浮上することは難しいような気がします。
2011年上半期の貿易収支 初の赤字転落
http://www.youtube.com/watch?v=IJpeEbmIXtE
韓国大統領「北朝鮮の復興は日本に金を出させる」と爆弾発言
http://www.youtube.com/watch?v=7xBF6ScMNnQ&feature=related
海外の見方「日本政府による情報隠蔽は明らかな人権侵害」
http://www.youtube.com/watch?v=w2gOYmOA1pY&feature=related
菅総理が本当に辞任するかどうか、詐欺内閣といわれる民主党政権のため、8/末になるまでわからない状況ですが、ここにきて泣き虫経済産業大臣が、総理候補として立ち上がりましたが、本当に今の菅民主党の閣僚に任せていいのかという動きが現れないということが日本の衰退をこのまま静かに見守るしかないのでしょうか。
バカプラスバカは、バカという亀井党首の発言がありましたが、バカの中からバカを選んでも仕方が無く、また、バカを支えるのもバカでは、黒子といえども終身雇用で無駄な税金で雇用するのもバカバカしく、税金を払わないという姿勢が今後の日本国民に必要なこととして選択にいれるべきかもしれません。
その間に日本の資産を他国が安く買い叩くという状況へと向かうのでしょうか。
バカの中には、他国がスタッフとして養ってくれると楽観的な気持ちで税金の無駄使いをしているのでしょうか。
(竹中平蔵) 復興税は必要ない。増税詐欺にだまされるな
http://www.youtube.com/watch?v=20xYa2PM4yQ&feature=player_embedded
橋下知事「リストラ条例ダブル選の争点に」
http://www.youtube.com/watch?v=wIPd4DWVz74
全体の何割かは知らんが
ロシアさんが少なくとも年間およそ4200人の獄中死数を弾き出している。
これは、年間の死刑執行数では遠く及ばない数字だ。
もし一国だけじゃないか。と思われても
死刑執行の方も一国だけ、中国が桁違いにとんでもないので
獄中死もそうだ。と分かるデータをよろしく。
というか、少なくとも年間2000回も死刑執行しておいて
10人執行すれば、法相が「死神」とまで揶揄される日本と比べて
こんな記事のように言われてもなー。
http://www.asyura2.com/09/china02/msg/851.html#c6
違うんです。この番組の目的は日本に裁判員制度を導入して、アメリカのように些細な事でも、裁判で争う訴訟社会にする為のアメリカCIA直系の読売・日本テレビの誘導・洗脳番組だったのです。当初の目的が達成されたので、その後は裁判の番組内容などは どうでもいいのです。
小泉政権時代に可愛い犬のテレビCM等で借金するのが「簡単・便利・恥ずかしくない」と洗脳し、借金させた挙句、現在は「破綻や払いすぎ」を弁護士に相談しましょうCMを流している破廉恥なテレビ局の犯罪システムに早く気がつきましょう。次はTPPに参加するとアメリカ人弁護士を受け入れろと言ってきますよ。
グーグルに感謝している人がいるが、グーグルも支配会社である。ネット検索、メールの個人情報を収集・監視するスパイ独占企業である。また携帯の機能集約は自分の生活を「見てください・教えてあげます」と言ってるようなもの。お金の使い道、移動範囲、交友関係、位置情報を常に把握されているペット状態である。
(子や孫を持つ高齢の阿修羅の住民は、ペットにならないように携帯依存症あを避ける教育をした方が懸命です。また携帯は成長期には電波でガン発生確率を高めるとか。経済優先なので日本では大きく報道されないニュースですが。)
プロパガンダ映画で話題の「フェイスブック」は、中東の革命で大活躍したそうだが、色々と裏機能が仕込まれているユダヤ系の監視ツールであると、検索するば見つかるはずである。
地デジ対応しないで、砂嵐をみてやろうと思っていたら、ケーブルで繋がっていたのでそのまま映って拍子抜けだ。ニュース番組は「ほう、そう洗脳したいのね。」と思いながら見ている。先週から増税&大連立?推進キャンペーン。 「いくらなんでも冗談だろ?」とお馬鹿国民でも気付くほど露骨に実行しようとして、テレビ局プッシュの野田氏は早々に自滅したようだ。
今頃になって、映っている番組は「デジアナ変換です。2015年3月まで見れます」って広報してます。相当、マスコミと家電業界はグルでテレビを販売したかったんだ。と思うこの頃である。
アメリカの破綻が迫る今、核兵器による自作自演テロの計画など、まさに変革期である。
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/237.html#c28
いろいろ調べていますと、とても驚くべきデータが見つかります。例えば、気象研究所で検索すると、過去50年以上にわたる関東にある気象研究所で測定した放射性降下物の量を経年的に測ったデータが見つかります。ほかに太平洋での立体的な深度での放射線量の分布を測定したデータもありました。
いまは福島原発の事故の発生からまだ5ヶ月ですから、関東での放射性降下物の量はチェルノブイリでの原発事故に比べて10倍ほど多くの降下物が測定されています。
今後の経過は事故そのものが収束できていないと思われますので、チェルノブイリ事故のように一年ほどで減少するかどうかは分かりません。
しかし、50〜60年ほど前の降下物の量の物凄さには驚かれると思います。このような降下物の原因は、世界中で行われた核実験の影響や原発が設置されることによるのです。
問題は、このような大量の放射能をもつ降下物の下で育った子供たちのその後のことです。非常に矛盾を感じるのですが、今の60〜70才代のお年寄りの平均余命は世界一なのです。
この気象研究所のデータは、日本が誇るべき貴重なデータだと思いますが、ガンに限らず全ての病気による死者の統計と明らかに類似する傾向を示すそうです。ということは、皆さんが心配するように明確に各種の疾病の原因になっている可能性が高いのです。
確かに危険であり、気をつけて避ける努力は必要ですが、そうしなくても今のお年寄りと同程度には健康に生きられるのではないかと期待できると思います。
ただし、全国での放射線降下物の線量が今後も増え続けるようだと話は違います。
気象研究所のデータは、今のように官僚が情報を隠したり、捏造したりしていない時代の値ですので、私自身は信用度が高いと考えています。
私は現在74才で、健康です。子供時代は東京にいました。 以上、ご参考に。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/615.html#c27
ただし、そんな事態になっても国民は知らぬ顔だ。そういう国なのだ、この国は。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/638.html#c3
WHOでは、この100ミリシーベルト以下の線量に対しても、発ガン数を計算し、指定数に加えている。汚染地の住民の平均線量は7ミリシーベルトであり、この低線量から5000人が、ガン死すると計算した。この低線量被災者に対する推定は、はなはだ疑問がある。2002年までのガン死亡数15人とも矛盾している。
リスクを過大評価し公衆に説明するのは、緊急時にはプラスに作用する。しかし、事故後20年も経過した復興期には、不安を住民に与えるだけである。こうしたマイナス面を、国際機関であるWHOの専門家たちは理解すべきである。
放射線被曝のリスクは広島・長崎の原爆被爆者のデータ(大線量被曝)をもとに推定されている。リスクが線量値に比例すると仮定した国際放射線防護委員会の1990年勧告値をもとに、被曝線量に対するリスクが推定できる。これによると、1ミリシーベルトの瞬時全身外部被爆した場合の致死ガンの発生率は、10万分の5である。この意味は、10万人の公衆が、全員1ミリシーベルトの瞬時被曝した場合、その中の5人が将来、致命的なガンを発症する確率にある。
原子力事業者や政府は、平時の公衆の放射線被曝を年間1ミリシーベルト以下にする努力義務がある。しかし、万一の核災害で、数十ミリシーベルトの被曝をしたとしても、そのリスクはさほど高くはなく、個人としては心配しないほうがよい。
この1ミリシーベルトと等しいリスクの例としては、紙巻たばこ50本の喫煙、自動車500キロメートルの走行であると考えられている。2000年の我が国の死因の3割はガンで、トップである。もし毎日20本喫煙し、それを30年間続けたならば、放射線被曝換算で、4300ミリシーベルトの半致死線量に相当するリスクになる。
全身被曝による急性放射線障害 単位:ミリシーベルト
250以下:ほとんど臨床症状なし
500 :リンパ球の一時的減少
1000 :吐き気、倦怠感、リンパ球著しい減少
1500 :半数の人が放射線宿酔(二日酔い症状)
2000 :長期的な白血球の減少
3000 :一時的な脱毛
4000 :60日以内に半数の人が死亡する
確定的影響の例とその閾値 単位:ミリシーベルト
一時的不妊
男性(精巣):150
女性(卵巣):650以上
永久不妊
男性(精巣):3500以上
女性(卵巣):2500以上
一時的な脱毛 :3000
白内障 :2000
胎児被曝
流産(受精から15日) :100
奇形(受精後2〜8週) :100
精神遅滞(受精後8〜15週):120
放射線防護学研究者談
ありがとうございました。確かに1000倍でしたね。問題は時間経過で指数関数的に減少すると期待するのですが、減少しないと恐ろしいですね。
私が10〜20代を過ごした東京近辺の数値の大きさには驚きましたが、いままでほぼ健康に過ごせたのをどう受け取るべきか考えてしまいます。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/587.html#c55
・・・・考えただけ! ひえーっ!!(@@:)
>さらに、自我が、何かを考えたが、
すぐには、結果が、出なかった時、
いずれ、この原因は、あなたのどこかの時間軸で、結果を出す。
この原因を、あなたが破壊したら、どこかで、消えたら、
もう原因は、無い。
したがって、もう、あなたには、関係ない。
あなたの向けられた、他人の原因を、
あなたが、無視したら、関与しなかったら、
その原因は、発した人の所に帰り、その人の原因が、増えるだけ。
もう、あなたには、関係ない。
不思議な出会い、めぐり合いを、
したら、
要注意しなさい。
特に、オンナ関係ではね(爆笑)。
ほとんど、悪因縁なのだ。ドロ沼やね。(爆笑)。
うーむ・・・・・・・・・・・・・。(@@;) チョイスケ(修行中)
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/471.html#c8
しかし、海岸にあって巨大地震と大津波に破壊されなかった建造物があったことに、国民はあまり気がついていない。それは震源の至近距離にあった東北電力女川原子力発電所、東京電力福島第一および第二原子力発電所である。
岩盤上にあって厚さが2メートルあまりもあるコンクリート壁からなる格納容器と、分厚い鋼鉄製の潜水艦のような圧力容器からなる原子炉を心臓部とする原子力発電所。私が国内最強と考えていた陸上の建造物である。戦闘機が激突しても、対戦車用の可搬型ミサイルでも破壊しないのが原子炉格納容器なのだ。しかも、大震動となるS波の前に到達する弱い振動のP波(第一波)を検知して、1秒以内に制御棒を炉心に挿入し核反応を自動停止する機能があり、中越沖地震でそれが証明されていた。
一方、大津波に襲われ冷却機能を失った福島第一原子力発電所では炉心が高温になり、発生した水素ガスが地震発生の翌3月12日に原子炉建屋内で爆発し、周辺環境にヨウ素、セシウムなどの放射性物質が漏洩、同日政府の指示で福島第一原子力発電所から半径20キロメートル圏内(住民およそ6万人)が緊急避難区域に指定された。その直後から連日連夜、原子炉の専門家やNHKのニュース解説員から詳しすぎるほどの装置的情報や周囲環境の放射線線量率(毎時マイクロシーベルトの値による)の報道が継続してなされ、ある週刊誌で集団ヒステリーと言われたほど、政府を筆頭に日本社会の長期間にわたる心理的動揺が続いた。
福島の核事象では、広範囲に顕著な量の放射性物質が飛散したが、原子力施設職員たちに急性死亡は1人もいないばかりか、直後から5月の時点までに急性放射線障害すら1人もいない低線量事象である。もちろん、福島県民にも急性放射線障害はない。これは水素爆発はあったものの、圧力容器および格納容器は閉じ込め機能をかなり保持していた証拠でもある。
しかし私が恐れていた、原子力安全委員会(内閣府)など災害対策本部の周辺住民ならびに東日本に対する放射線防護科学に基づいた判断と、対策本部の意思決定機能が発揮されない事態となってしまった。そのため、過剰で片手落ちな政府介入により、20キロメートル圏内の病院患者の受け入れ先の未確保や手当のない搬送により、取り残された患者数人が死亡した。さらに長期化した避難民の困難の継続となった。そして多数の置き去りにされた牛、豚、鶏の死を招いたばかりか、政府は殺傷処分の指示を福島県にした。
国際原子力事象評価尺度(INES)では、福島第一原子力発電所の事象レベルを当初’レベル5’との評価を、4月12日になって突然政府は’レベル7’に変更した。原子力安全委員会と原子力安全・保安院(経済産業省)それぞれの放出放射能値の違いがあるばかりか、算定の過程を示す報告書すら公開されておらず、私のみならず国内の専門家に疑問を持たれている。さらに、政府が飯館村などの計画避難の根拠とする文部科学省の今後の住民の線量予測は、屋内滞在や放射能の減衰が組み込まれていないずさんな推計であって、とても長年核エネルギーの平和利用をしてきた科学立国とは思えない乱暴な論拠によっている。今回の国内の情報混乱と国内外の風評被害の根源が政府にあるとみる私の原点がこれらにある。
日本社会が科学情報で混乱するなか、世界の核被災地を調査してきた放射線防護学の専門家として、同一手法で、震災ひと月以内に、福島の20キロメートル圏内を含む札幌から東京までの東日本の放射線衛生を調査した報告をする。その手法は、私がロシア科学者との共同調査のなかで開発した内外被曝の線量測定法=モバイルラボによる系統的で統一的な評価法で、核ハザードの健康影響を迅速に定量化できる特徴がある。これを活用し、3.11震災以後の東日本を調査した。特に、10年前に開発した甲状腺線量計測法を初めて適用することと、震災3カ月前に入手していた米国製の核兵器テロ対策用の携帯ガンマ線スペクトロメータの活用が、今回の現地での放射線衛生調査の特徴である。
さらに震災3カ月後、南相馬市、いわき市、郡山市で計33人のセシウムのホールボディカウンタを実施し、全身量を検査した。結果、全員線量レベルE,Fと全く問題なしだった。
政府機関や原子力業界とは完全に独立したひとりの医学系の放射線防護学の専門家が、体系的な環境・健康調査を報告する。ただし、日本はもちろん、世界で最も核被災地の現場を知る希少な放射線防護学者としての自負もある。米ソと中国による核事象(セミパラチンスク核実験場周辺影響、桜欄核爆発災害、チェルノブイリ周辺3カ国、南ウラルのプルトニウム工場周辺汚染、シベリアの地下核爆発、ビキニ核爆発災害)の調査に加え、東海村臨界事故時の公衆の線量評価を調査してきた。これらの、核爆発時の熱線と衝撃波で一瞬に都市が壊滅する最悪のレベルから、核の砂や灰が降り積もり急性死亡や急性放射線障害を受けるレベル、白血病などの発がんの健康影響を受けるレベル、そして核放射線の実被害はないものの社会的心理的混乱を生じるレベルまでを体験的に調査してきた考察を基礎としている。
福島県をはじめ東日本ならびに全国民の核放射線衛生に対する正しい認識と対処、そして核放射線影響の科学理解に結び付き、行き過ぎた社会心理の混乱を鎮静化できればと切に願う。
線量6段階区分
危険:A〜Cの単位(シーベルト):ウイグル、広島・長崎、チェルノブイリ
A:4以上・B:1〜3・C:0.1〜0.9
安全:D〜Fの単位(ミリシーベルト):福島、東海村、スリーマイル島
D:2〜10・E:0.02〜1・F:0.01以下
放射線防護学研究者談
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江青 1914.3.−−1991.5.14
復讐 revenge
悪女、妻、女優、野心家、愛人、グレタ・ガルボ信奉者、イプセン愛読者、共産主義唱導者−−江青の異名だ。
江青の一生は「復讐と野望」に彩られている。まず、幼いころの貧困と搾取への復讐。 江青は、女優を目指すが、「スターダムに乗れるところだったのに、国民党の宣伝映画に出ることを強要されたので断念した」のだった。
「これを画策したのが、四人組の悪党ども。そのために、あらぬ中傷を書き立てられた」と江青は復讐心に燃えた。
江青の生涯には何人もの男が登場するが、毛沢東の存在は大きい。彼との間には、李納という娘をもうけた。
一九三七年、日中戦争が激しくなり、戦火は上海にまでおよんできた。その上海を江青は脱出し、西安にたどり着いて、さらに洛河に沿って北上して延安を目指した。そこには、共産党の首都があった。
「ずっと歩き通しでした。一文なしで、何度か危ない目に遭ったけれどなんとか生き長らえたわ」 江青は細い足がむくんでいるのが気になった。若い共産党員たちが全員出て彼女を歓迎した。ほっそりとした若くて美しい女優だ。上海からきた売り出し中の新進女優に男たちの眼が輝いた。
江青は男好きのする顔に、もって生まれた性的魅力がある。上眼使いに話して男に媚を売る方法も身につけていた。 そんな女性が中国共産党の最高指導者、美男で権力もある人気絶大な毛沢東と出会った。「もの静かで、知的な美人」が好みという毛沢東にぴったりとあっていたのが当時の江青だ。女好きな彼が見逃すはずはなかった。
「彼は美男で、大学教授みたいだった」
講演する毛沢東に積極的にアプローチして、疑問点があれば押しかけて行って質問をする彼女の行動力が二人を急速に近づけた。 ときに江青二十三歳。毛沢東は四十五歳。二十二歳の年齢差は、まったく問題とならず、二人は熱愛した。
当時毛沢東には賀子貞という妻がいたが、夫妻の間は冷えきっていた。江青と毛が愛人関係になるのに時間はかからなかった。
毛沢東の愛人になった江青は、やがて正妻になることを望んだ。 問題は党の承諾である。江青は男性遍歴が多いうえ、結婚する相手が自殺未遂までしてスキャンダルを起こしている。その女性を正式な毛沢東夫人として認めるわけにはいかない。それに当時、女優の地位は著しく低かった。評判のよくない映画女優、江青が認められないのは当然だろう)。
この二人の間を取りもったのは、周恩来と江青の同郷である康生だ。 毛沢東夫人とは呼ばず、江青同志と呼ぶこと。江青は党の職務には関わらず、毛沢東の身辺の面倒だけを見る。しぶしぶながら、江青はこの条件をのんで結婚した。
「私はファーストレディよ、こんな屈辱的な条件を絶対に許すものですか」
当時は毛沢東を愛していたが、このお返しはいつかすると決めた。 賀夫人と別れる前に、毛沢東には数人の女性がいた。 江青は後年、毛沢東との関係を述懐している。
「セックスは、最初は重要な要素になるけれど、その後は男に権力があるかどうかが大切なの」
江青の本名は李青雲(李雲鶴という別名あり)一九一五年三月、中国山東省の諸城生まれ(一九一二年、一四年説もある)。その町の中流家庭に生まれたが、両親が離婚したため、貧乏な少女時代を送っている。(父が死亡したとも)貧しい大工の家庭だったともいわれる。
最初、親類のもとに引きとられたが、母は住みこみの職を見つけて最低の生活をなんとか維持してきたのだった(母が身を売っていたという噂もある)。
「いつも腹をすかしていたし、汚い身なりなので、苛められてばかりいたけれど、泣きはしなかった」
そんな江青は、やがて済南の小学校を出ると、山東省立の演劇学校に入った。授業料も食費も無料で、多少だが、手当てもくれるというのが何より嬉しかった。当時の世相は不安定で、辛亥革命で清王朝が倒れ、中華民国として生まれ変わったばかりだった。
一九二九年に、江青は巡回劇団に加わる。三三年には、青島で入党。一九一五年生れ説をとると、当時まだ十八歳だ。
女優グレタ・ガルボに心酔していて、映画好きな江青は女優になる決心で上海に出る。諸城という小さな田舎町から大都会に出るのは勇気がいった。女優になって有名になるという女心と、共産党員として忠実であろうとする彼女の葛藤が始まったのもこのころだ。 青島で最初の結婚をし、上海では唐納(監督であり、著名な批評家でもあった)と再婚した。
一九三〇年代の上海は東洋のパリと呼ばれた国際都市。この魔都上海は、あらゆる人間の欲望がうずまく場所で、彼女は生きた。
彼女は、貧しいが野心をもった女性で、いい役を得るために上海の映画会社に足しげくかよった。監督で共産党幹部の張健の情婦だったとか、手段を選ばない「淫乱な女」とも噂された。(当時江青は、藍ぴん=青い林檎と名乗っていた)。
江青が二人の子どもを残して唐納を捨てると、彼は自殺すると脅した。新聞はその話を煽情的に取りあげ、藍ぴんに罪をかぶせ、悪意のある醜聞を書きたてた。
そして毛沢東と出会うのは、先に述べた一九三七年のことだ。
一九三九年、毛沢東と結婚した後、江青は平凡で従順な主婦となった。それが党の指導者たちが取り決めた結婚の条件だった。
一九四九年、共産党は国民党を打ち破り、ついに中華人民共和国を成立させた。毛沢東の時代になるが、それに比べて江青との愛は急速に冷めていく。
毛沢東は新しい女を見つけた。それを黙認する代わりに、江青は四人組を組織して、政治の表舞台に出始めた。まるで、嫉妬に狂った女が片端から「恨みつらみ」を何かにぶつけるように、ヒステリックで残酷な行動に出た。
文化大革命(一九六七年)の主役として、ふたたび政界に浮上したのである。
京劇に現代的なレパ−トリ−を演じさせようとした。そのレパ−トリ−は、いつも共産革命の讃美をテ−マにしていた。
紅青は粛清の陣頭に立ち、旧幹部の吊るしあげをした。
過去を知る邪魔者は無差別に殺した。その数は、「十人や二十人ではないだろう」といわれる。すさまじいばかりの殺戮を断行した。これには年老いた毛沢東には手がつけられなかった。
しかし、一九七六年に毛沢東が死ぬと江青は四人組とともに捕らえられ、投獄された。四人組の裁判はテレビで公開されたが、三人の男たちが、憔悴しきっているのに対して、江青だけは怒鳴り散らしながら自己を正当化し、最期まで闘い続けたのだった。
江青は権力を手に入れ、維持し、そして失うための教訓を、二十世紀のどの政治権力者にも引けをとらないくらい多くを学んだ。
一九九一年六月五日の『人民日報』第四版の右下隅にこんな記事が載った。
「江青が自殺。
一九九一年五月一四日早朝、北京の自宅で自殺をはかり死亡した」
江青は一九八一年一月、最高人民法院特別法廷で死刑判決を受け、二年間の執行猶予と政治権利の修身剥奪をいいわたされた。 一九八三年一月に無期懲役に減刑され、八四年五月四日より、所外監視による療養中であった(『上海の紅いバラ』)
http://www.ainoue.com/ai/71-80/75.html
妬まれた故の悲運
王光美(おうこうび)は、中国国家主席劉少奇の5番目の妻です。
王光美は、カトリック系の大学を主席で卒業し、中国共産党の軍事調処執行部で英語通訳を務めていました。延安の共産党本部で劉少奇と出会いました。
王光美の父親は、4度も離婚歴のある男との結婚を反対し、彼女を勘当しています。劉少奇の最初の妻は、共産主義者として国民党に銃殺されるという悲運に遭いました。その後、2番目から4番目の妻までは、すぐにくっついては別れる、を繰り返していました。
しかし、5番目の妻である王光美人は、26歳で結婚後、劉少奇が出世街道を進んでいく過程から非業の死を遂げるまでの20年間を、妻として、秘書として彼に連れ添うのでした。
王光美は、聡明で模範的な妻でした。結婚した瞬間から、前妻たちが産んだ5人の子の母親になりました。
一番始めの妻の子供たちは、すでに成長してソ連に留学していましたが、 三番目の妻が産んだ子は、まだ2歳と4歳でした。王光美は、生さぬ仲の2人の子供たちを愛情を持って接しました。その後、王光美は、一男三女を生みますが、一切わけ隔てなく育てます。
前妻の子を虐待していた江青(毛沢東の4人目の妻)とは、雲泥の差だったのでした。
江青は、後に、王光美をひどく憎むようになりますが、自分と比べて評価の高い王光美人に嫉妬していたためだと言われています。
1962年に毛沢東が文化大革命を行なった時、劉少奇も自己批判を強いられ、殴る蹴るの暴行を受け傷だらけになった様子がテレビで実況放送されました。
党籍も剥奪され、1969年獄死しました。
なお文化大革命は、天文学的な大量の死者を出しました。
何の罪も無い王光美も、逮捕されてしまいました。
美貌も知性も人望も何もかも自分より優れていた王光美を許せなかった江青が、 「彼女はアメリカ中央情報局のスパイよ!」とでっちあげたのでした。
そのせいで王光美は、12年も監禁されてしまいます。
http://www.deaik1.com/01829.html
二つの妖花(江青と葉群)
文革の拠点--中南海、毛家湾、釣魚台
北京の中心部の地図を頭に描いて見よう。天安門前を西長安街路に少し目を移すと、向かって左隣に中南海がある。これは中海と南海を合わせた呼称である。南海の入口が新華門である。天安門が中華人民共和国の象徴であるのに対して、新華門は党中央の象徴である。ここには中共中央の弁公室があり、国務院弁公室がある。新華門の入口には「人民に服務せよ」と書かれている。ここに中共中央主席毛沢東と国務院総理周恩来ら党政軍の幹部たちが居住し、かつ党務、国務を処理していた。劉少奇もむろんここに住んでいたから、劉少奇に対するつるし上げ大会(原文=批闘会)はここで行われた。
文革期に重要も役割を果たした建物があと二つある。一つは西城区西四大街にある毛家湾、ここには林彪と妻の葉群が住み、軍事委員会弁公室と代替した軍事委員会弁事組がおかれていた。
もう一つは釣魚台である。これは西城区にある旧清朝の園林だが、解放後は修理して迎賓館としていた。文革が始まると、中央文革小組がここを占領し、彼らの司令部として使った。釣魚台一一号楼の女主人が江青(毛沢東夫人)、一五号楼の主人が陳伯達(中央文革小組組長、九期政治局常務委員)、八号楼の主人が康生(中央文革小組顧問、八期九期政治局常務委員)、一六号楼に中央文革小組の事務所が置かれていた。
つまり、文革のドラマは中南海(毛沢東の中共中央、周恩来の国務院)、毛家湾(林彪の軍事委員会弁事組)、釣魚台(江青の中央文革小組)の三カ所四機関から出る指令によって展開されたわけである。以下で、文革の推進派として、「四人組」と林彪、標的として劉少奇の場合を描き、最後に、周恩来とケ小平について若干触れることにしたい。
四人組の最重要人物・江青
“四人組”という言い方は、彼らが失脚してからの呼称である。文革期には文革精神の担い手として、大きな政治的影響力をもつかに見えた。しかし、毛沢東の死後、一カ月も経ずして粉砕されてしまった。
“四人組”のメンバーは、江青、張春橋、姚文元、王洪文である。このうち最重要人物は江青であり、他の三人は江青夫人の指図で動く形で政治局委員にまで昇格した印象が強い。つまり“四人組”といっても実は、江青プラスその他なのである。したがってここでは江青に焦点を当てることにしよう。
まず手許の『中華人民共和国資料手冊』(社会科学文献出版社、八六年)を開いて見ると、こう紹介してある。〔 〕内は私の注釈である。
江青(女)、一九一五年生まれ〔文革開始の六六年には五一歳であった〕。山東省諸城県の人、一九三三年青島で中国共産党に〔一八歳で〕入党した。山東実験戯曲学校の実験京劇団で学び、青島大学図書館で働いたことがある。その後上海に移り、業余〔業余とは、業務の余暇のこと〕劇社などの劇団、映画界に入り女優となる。上海で逮捕され、脱党したことがある。抗日戦争以後延安へ行って、魯迅芸術学院で教えた。〔ここで当然毛沢東と恋愛して結婚した事実が記載さるべきであるが、故意に省略されている〕。
建国初期に文化部映画事業指導委員会委員を務めた。一九六四年三期全国人民代表大会の代表となる。一九六六年文化大革命が始まるや「中央文革小組第一副組長」および「解放軍文革小組顧問」となる。中国共産党九期、一〇期政治局委員を務めた。
文化大革命においては、人民民主主義独裁を転覆する目的をもって、リーダーとして反革命集団を組織し、指導した。反革命集団事件の主犯であり、国家と人民にきわめて甚大な危害を与えた。〔一九七六年一〇月六日逮捕の記載はない〕。七七年七月一〇期三中全会で「ブルジョア階級の野心家、陰謀家、反革命両面派、叛徒江青の党籍を永遠に剥奪し、党内外の一切の職務を解任する」ことを決定した。一九八一年一月二五日、死刑判決を受けた。ただし八三年一月、無期懲役に減刑された(『中華人民共和国資料手冊』751 頁)。
江青の権力
江青について知るには、二冊の伝記がある。一冊はアメリカの女性ロクサヌ・ウィトケの書いた『江青同志』である(邦訳あり)。もう一冊は珠珊『江青秘伝』である。後者はまず「江青野史」として、香港『新晩報』に連載され(八〇年)、その後増補して『秘伝』となった。著者珠珊は朱仲麗の筆名であり、彼女は王稼祥夫人である(『中国老年』八八年八期)。朱仲麗は医者としてモスクワの精神病院に押し込められていた賀子珍(毛沢東の長征時代の夫人)を救出した経緯などから、江青を個人的にもよく知る立場にあった。
江青はかねてから政治的野心をもっていたといわれるが、具体的な政治活動を始めたのは一九六三年一二月、毛沢東が文芸問題についての指示を出して以来である。江青は当初北京で活動しようとしたが、彭真以下の北京市委員会の妨害に遇って果たせなかった。まもなく上海市委員会第一書記柯慶施の支持を得た。柯慶施は部下の張春橋を江青の助手につけ、さらに姚文元もこのグループに加えた。こうして姚文元によって、呉「海瑞罷官」批判論文が執筆されることになった。この活動はむろん毛沢東の支持のもとで行われた。江青は第二の仕事として、「部隊文芸工作座談会紀要」をまとめたが、この作成過程で、毛沢東は三度にわたって朱筆を入れている。この文書は「林彪の委託によって、江青がとりまとめた」とされている。ここに文革推進の両輪、すなわち林彪の軍事力と江青の口を通じて下達される毛沢東の文革イデオロギーとの結合という構図の原点が見られる。
江青が中央文革小組の第一副組長(まもなく組長陳伯達に代わって、事実上の組長の役割を演ずる)になったことについては、むろん毛沢東の賛同を得ている。これらの事実は毛沢東が江青夫人を積極的に起用したことを示している。この意味で江青の行動は基本的に毛沢東の責任であると見なければならない。
迫害狂−−江青
毛沢東個人崇拝の高まるなかで、毛沢東夫人の地位は単に虎の威を借りる狸にとどまるものではなく、神格化された毛沢東から出される最高指示、最新指示の伝達者として否応なしに重要なものとならざるをえなかった。江青はまた元女優として、この政治的舞台で自らの役者としての武器を最大限に利用して、文革を推進して行ったのである。
江青を中心とするグループは当初は「海瑞罷官」批判、“三家村”批判、周揚批判などから知られるように、文革理論のスポークスマン的役割を果たしたが、陶鋳批判前後から文革が高度に政治的な奪権闘争に発展するに及んで、打倒すべきブラックリストを紅衛兵組織に指示して、紅衛兵運動の一部を操り人形のごとく操作するようになった。こうして一見大衆運動的偽装のもとに、実は中央文革小組──首都紅衛兵第三司令部(略称三司)という秘密のホットラインが運動を操作するというカラクリができたのであった。
“四人組”裁判の起訴状公表に合わせて書かれた『解放軍報』(八〇年一二月九日)のルポは「迫害狂──江青」と題して主な迫害ケースを紹介している。たとえば六八年七月二一日、康生(中央文革小組顧問)が絶対秘密の手紙(原文=絶密信)を江青に届けた。その手紙は、第八回党大会で選ばれた中央委員のブラックリストであった。それによると、中央委員一九四名のうち、すでに死去した者、病弱な者三一名を除いて、九六名すなわち六割弱が×をつけられていた。罪状は「叛徒、特務、外国と結託した分子」などであった。このリストに基づいて、一方では実権派たたきを拡大し、他方では第九回党大会の中央委員リストを作成したのであった。
毛沢東夫人としての強力な権限
かつて魯迅は「暴君のもとでの臣民」と題したエッセイを書いて、暴君は「残酷さをもって娯楽となす。他人の苦悩を賞翫し、〔自らの〕慰安とする」と書いたことがある。江青はまさに魯迅の書いたような暴君であり、六七年七月一八日、中南海で劉少奇、王光美を闘争にかけ、六九年一〇月一七日に劉少奇を開封に護送したのは、江青の直接操縦するグループであったという。
江青はまた劉少奇冤罪事件をデッチ上げるために、解放前に王光美の学んでいた輔仁大学教授であった楊承祚、同大学の代理秘書長であった張重一などを迫害して死に至らしめ、さらに劉少奇が華北局書記であった当時の連絡部長王世英を死なせている。これらの事件について、「人面獣心の江青」は「冷酷残忍」であった。随意に他人をして死に至らしめることを無上の権力の象徴であると彼女はみなしていたと告発されている。
このルポに代表されるように、“四人組”裁判当時の江青非難は、彼女を「迫害狂」だとし、彼女の性格が「冷酷残忍」だから、こうした悲劇がもたらされたのであるかのごとく説明している。何が彼女をそうさせたのか。
彼女が生来、迫害狂なのかどうか、冷酷残忍なのかどうかは調べる手立てがない。しかし、おそらく問題はそこにはない。毛沢東夫人であるというそれだけの理由で、彼女は中央文革小組の副組長になることができたこと、この中央文革小組がまもなく政治局の機能に代替するほどの強力な権限をもつに至ったこと、がポイントであろう。そしてこれはまさに文化大革命を発動したためなのであり、おそらくほとんどの責任は毛沢東にあるといえよう。
文革のテロリズムと先祖返り現象
もう一つは中国の権力者がほとんど無限に近い権力をもつことである。私的なリンチは別として、正式に投獄し、裁判にかけるとすれば、その処理は司法当局に委ねられなければならない。しかし、中国共産党の支配のもとでは、「共産党の指導」「プロレタリア独裁」の名において、共産党が直接的に裁判に介入する。共産党の指導にしても、プロレタリア独裁にしても、革命の過程での一時的措置として、やむをえず採られたものであるはずだが、こうした革命時の非常手段がほとんど抵抗なしに受容されたことに中国社会のしたたかな古さを痛感させられる。革命的暴力が許されるという雰囲気が文革を包む中国の「小気候」であったわけである。
明朝の宦官独裁の時代には、東廠や錦衣衛といったテロ組織が体制を批判する者を手当たりしだいに殺害した。文革はこうした政治の先祖返り現象でもあるとする見方もある(『沈思』二巻、三三四頁)。
ただし、スターリンの粛清が秘密警察を用いた国家テロであったのに対して、文革は大衆独裁はいう大衆によるテロであった事実に注目する必要があろう。ここでは中国共産党の誇る大衆運動は大衆操作に堕落したのであった。
林彪派と江青派
“四人組”は林彪グループの目から、見ると単なるモノカキにすぎなかった。林彪派の「五七一工程紀要」は、自らのグループに対して銃をもつ者(原文=槍杆子)を自称し、江青らをペンを持つ者(原文=筆杆子)と表現していた。江青グループがモノカキの理論家中心であったことは確かである。そして、これはまさに文化大革命の初期、中期においては重要な役割を果たした。しかし毛沢東の支えを失ったときに一挙に瓦解せざるをえなかった。彼らは毛沢東の文革理念を論文にまとめる側近グループ、あえていえば皇帝毛沢東の宦官としての役割を果たしたのであった。
では銃をもつ宦官たる林彪グループとペンをもつ宦官江青グループの関係はどうであったのか。張雲生の『毛家湾紀実──林彪秘書回憶録』(邦訳『林彪秘書回想録』)は、興味津々の事実に溢れている。林彪の妻葉群はしばしば釣魚台一一号楼の江青宅を訪れ、密談しているが、林彪自身は江青に対して、かなりの警戒心を抱いていた。六七年二月には毛家湾で林彪と江青が激論していことを林彪秘書が証言している。
葉群は江青との連絡を密にするだけではなく、中央文革小組顧問陳伯達宅もしばしば訪れている。七〇年秋の九期二中全会で、陳伯達は林彪グループの尖兵の形で処分されるが、イデオローグの陳伯達と林彪グループを結合させたのは、葉群なのであった。しかもそこには三文小説的なエピソードさえある。葉群は延安時代に教わったとの理由で、釣魚台一五号楼の陳伯達宅を訪れたが、寝室に押し掛け、ベッドで密談したことまで秘書に広言している。これが理由で陳伯達夫妻が別居する騒ぎになった。武漢事件(六七年七月)で王力、関鋒、戚本禹らが隔離処分された後、中央文革小組内で孤立し始めた陳伯達は林彪の助けを借り、林彪もまた理論家陳伯達の力を必要としていた。そこで葉群は空軍機を飛ばして上海蟹を運ばせ、陳伯達に届けてごきげんをとり結んだりしている。
権力者たちのプライバシー
林彪は康生(中央文革小組顧問)を当初は警戒していたが、六八年初夏あたりから、林彪と康生の関係が改善された。これを陳伯達が嫉妬するようになったと林彪秘書が書いている。葉群自身は陳伯達に親しみをもち、「先生」と尊敬していたが、康生に対しては親しみよりは畏敬していた。陳伯達は康生の関係は必ずしもよくなかったが、葉群は極力バランスをとってつきあおうとしていた。
第九回党大会以後、毛家湾と釣魚台との関係はますます複雑微妙になった。互いに騙し合いこそすれ、譲り合うことはなくなった。政治的傾向としてはどちらかというと釣魚台に不利だったが、彼らは他の人々の近寄ることのできない特殊な条件(毛沢東夫人としての立場)をもっていると自負していた。毛家湾と釣魚台との緊張関係は九期二中全会(七〇年八月二三日〜九月六日)のころには白熱したものとなった。このバカ騒ぎの内幕はすでに世に知られたものよりもはるかに複雑である、と秘書が書いている。
なお、これまた三文小説的エピソードだが、葉群が秘書の張雲生に肉体関係を迫ったいきさつも、生々しく描かれている。葉群と総参謀長黄永勝とのアイマイな関係については、七〇年秋に二人が交わした愛の電話を葉群の長男林立果が盗聴録音したというエピソードも伝えられている(『在歴史的档案里──文革十年風雲録』)。中国権力者たちの私生活にも、奇々怪々なプライバシーがあったことがよく分かるが、私がもっと興味を抱くのは、失脚後にこれらのプライバシー(原文=隠私)が容赦なく暴露されることである。逆に権力を握った者たちは、その権力を用いて、歴史を改竄することはもちろん、真実を知る者の口を封じるために、殺害することさえ行っている(江青は上海時代の友人を迫害致死に至らしめた)。これが文化大革命のもう一つの側面であった。
周恩来、ケ小平 批判へ
概していえば、文の宦官と武の宦官との関係は、実権派の勢力が強かった初期段階では相互扶助であった。林彪は江青に「部隊文芸工作座談会紀要」のとりまとめを委託し、江青は中央軍事委員会文革小組の顧問となり、のちには解放軍文化工作の顧問も務めた。六七年一一月に第九回党大会についての意見を集めた際に、林彪が毛沢東の「親密な戦友」であり、「後継者」であると大会決議に書き込むよう強調したのは、江青であった。彼らはこうして林彪グループを支持し、その見返りを期待していた。しかし、第九回党大会以後は「権力の再配分」の矛盾が熾烈となった。九期二中全会で陳伯達が失脚し、葉群らが批判されたのは両者の権力闘争が爆発したことを示している。
ところで、林彪事件によって林彪グループが壊滅した後、江青らライバルは周恩来を中心とする実務派になる。江青らは「批林批孔」運動を通じて、現代の孔子すなわち周恩来批判に努めた。
一九七四年一月二四日および二五日、軍隊系統の「批林批孔」動員大会と党中央、国務院直属機関の「批林批孔」動員大会が開かれた。これは“四人組”裁判の前後に江青が毛沢東の意思に背いて開いたものとする解釈も行われたが、この会議の前後の毛沢東発言を点検した金春明は、毛沢東が周恩来の政治局工作、葉剣英の軍事委員会工作に不満を抱いていたことは明らかであり、矛先は彼らに向けられていたと書いている(金春明『論析』二〇〇〜二〇二頁)。
事柄は「ケ小平 批判、右傾巻き返しへの反撃」闘争も同じであり、毛沢東はケ小平 を得難い人材と評したわずか一〇カ月後に、悔い改めない実権派として再び批判している。しかも、これは明確な批判であり、江青への暖かい忠告とは異なると解している。つまり文化大革命の正しさを確信する毛沢東からすると、ケ小平の反文革的な整頓は許しがたいものであり、これを批判する江青らの活動を文革路線の堅持の観点から支持したわけである。
四人組の実態は五人組
この意味では、まさに“四人組”グループは最初から最後まで毛沢東の手足であったと見てよいのである。つまり“四人組”ではなく、実態は毛沢東を含めた“五人組”なのであった。その事実を率直に広言できなかったのは、むろん中国共産党にとっての毛沢東の占める位置の大きさのためにほかならない。
もっとも、一〇年にわたる江青グループのすべての行動を毛沢東が支持していたということではない。たとえば江青は一九三〇年代の自らの醜聞をもみ消すために、趙丹ら関係者を少なからず死地に追いやったが、これは醜聞が実権派の手を通じて毛沢東の耳に入ることを恐れたものであろう。
http://www25.big.or.jp/~yabuki/doc5/wenge126.htm
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/760.html#c1
でもフジの、こういう強引で露骨に正当でないやり方がバレもせずに通用すると思ってるところが、その発想が、やっぱりアノ人たちの持ち前そのものだよなーーーーーーーー。
http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/783.html#c159
キログラムあたり何ベクレルという表示はインチキが可能です、セシウムがついた皮を測定してキログラムあたりになおせば過大に、セシウムがない中身を測定し換算すると過小に表示できます。
どのくらいガンの発生率が増えるのか、もうしばらくすると判明しますがそんときは遅い人もいますよね。ビタミンCやビタミンEなどの抗酸化物質がガン発生を抑止するらしいですが、タバコなどの発ガン物質を摂取しつづけながらこの種のサプリメントをとるとかえってガン発生率が上がるという報告もあります。
つまり、タバコをやめたひとはサプリメントの恩恵を受けることができるが
そうでない人は効果がないばかりでなく、悪影響があると。
放射線の場合はどっちなのでしょうか?大変興味があります。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/615.html#c29
新しい安全庁に、極力 馬鹿な失言を言わせて、予算削減、人員削減、弱小官庁化し、最終的にお飾りの追認機関に仕立てる策動が予想されます。
古賀氏、児玉氏、管氏、小沢氏くらい集めて、一仕事するところが見てみたい。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/628.html#c2
その他は、二本松市立第一中学校区の保護者24人の希望者、飯館村の2人、東京からの福島調査に同行した2人の検査である。
最初に、毎日検査して甲状腺に放射性ヨウ素が沈着していないと考えられる調査員自身の喉元(甲状腺付近)の測定値を、測定場所の背景値(バックグラウンド)とする。その後、被検者の甲状腺を測定して、その値から背景値を引き算した値が、被検者の甲状腺に沈着した放射性ヨウ素による線量率となる。この甲状腺ヨウ素線量率に測定器の放射能換算計数を掛け算して、甲状腺内に沈着している放射能量値が求まる。
この放射能の値は検査日のヨウ素131の放射能量である。半減期8日で日ごとに少なくなっているということは、以前にはさらに多くの放射能が甲状腺の中にあったはずである。この推定はやや複雑な方法となるが、単純化して、3月12日に全量が甲状腺に蓄積したとして、最初の量を、国際放射線防護委員会勧告(ICRP Pub.78)の方式により推定した。その値に線量換算計数(ICRP Pub.71)を掛け算して、甲状腺線量が求まる。
浪江町からの避難者40人の結果は、二本松市民に比べて全体的に甲状腺に蓄積していた放射性ヨウ素の放射能量は多かった。平均で2.4キロベクレル、最大で3.6キロベクレル。他方、二本松市民は平均で0.1キロベクレル、最大で0.5キロベクレル。飯館村の2人は、平均で1.8キロベクレル。放射能の減衰を補正して推定された甲状腺線量の平均値(ミリグレイ)は、浪江町5.1 飯館村3.9 二本松市0.3であった。レベルで示すと、D,D,Eである。
線量6段階区分
危険:A〜Cの単位(シーベルト):ウイグル、広島・長崎、チェルノブイリ
A:4以上・B:1〜3・C:0.1〜0.9
安全:D〜Fの単位(ミリシーベルト):福島、東海村、スリーマイル島
D:2〜10・E:0.02〜1・F:0.01以下
これらの値は、チェルノブイリ事故被災者の値の1万分の1から1000分の1である。かの地、ウクライナ、ベラルーシ、ロシア3カ国の被災者700万人の最大甲状腺線量は50グレイ(=50シーベルト)。その後数年から、総数で当時の4800人の子供たちに甲状腺がんが発生した。20年後の世界保健機関の調査報告である。このリスクが線量に比例すると考えれば、今回の放射性ヨウ素量が原因で、福島では誰一人として甲状腺がんにはならないと予測できる。
この理由は、1)人々の暮らす陸地へ降った放射能の総量がチェルノブイリに比べ福島では圧倒的に少なかった、2)汚染牛乳を直後に出荷停止とした、3)日本人は日頃から安定ヨウ素剤を含む昆布などの海藻類などの食品を採っているので、甲状腺に放射性ヨウ素が入る割合が低ヨウ素地帯の大陸の人たちに比べて少ないことによる。
なお、6月後半の南相馬など3市での甲状腺検査では、ヨウ素が検出されなかった。これは環境中の調査と一致し、半減期8日からヨウ素量が1000分の1に減衰した理由による。すなわち、今後はヨウ素ハザードはない。
放射線防護学研究者談
>福島県浪江町での測定値11.6mSvが鼻くそのような線量なのでしょうか。明>確に根拠をを示しください。
11は、まずmとμを取り違えておるぞ。よく読めや。
次に11.6μsvが1年なのか1月なのか1日なのか1時間なのか1分なのか1秒なのか
全然書いていない。書くときはキチンと書けよ。
>岩手は毎時0・028マイクロシーベルト、山形は0・045マイクロシーベル>トに上がった。関東は、群馬が0・041マイクロシーベルト、埼玉は0・05>2マイクロシーベルト
これって普通の放射線量だろう。
北海道知事の国全体の国民の声に180度逆らう理解不能な結論を出した事に触れた投稿記事なので、そういう不埒な首長が平気で選ばれる度に組織票が云々と常套句で言われるがその不思議について、ちょっと場違いかもしれないが以下に書かせてもらう。つまり具体的な数字を出し、そういう組織票の数字が成立する背景を分析は必ずと言っていいほど無く組織票と言われてもいつも私は理解不能なのだ。
本音を言えば組織票云々と言われたとき、正確な原理も判らないクセに「なるほどね」と判った風に通り過ごしてる私なのである。苦笑
*************
いくら犯罪的勢力による組織票があろうがなかろうが、有権者の絶対数からみればそういう組織票が特定の利権分野であるのは間違いないのでかなり少数派だろう。とくに今回のように反原発のように大きく世論が一方の方向に向かっているとき、有権者のごく一部である世論の流れに逆らう主張をする組織票など大勢からすれば焼け石に水のハズなのに、それでもそういう組織票の候補が案外当選したりするのは一体どういうカラクリか?
誰か一例出して、有権者数や投票率や組織票の票数などの関係を、具体的数字をあげて、こういう算数になるから犯罪的野郎でも必ず当選するのだよ、ということを教えて欲しい。
それと、○○支持団体の組織票云々と常套句のように言われるが、組織票はどういう投票行動のカラクリになっているのかも知りたい。私は仕事で組織に所属したことは無いのでじぇんじぇん知らないのだ。
というのはいくら組織票と言っても、「みなさん○○候補に投票するように」と言われただけなら、投票用紙をみなから没収して勝手に組織の人間が代理投票する掟でも無い限り、組織の前では体よく「はいはい」と返事をしておいて別の候補者に入れることは結構ありそうだと思うから。
まして情報網が少なかった昔ならいざしらず、組織票団体が支持しようとする政治屋の類型が、小泉、枝野、菅あるいは族議員らであり、それらが小学生でさえ気が付くデタラメ政治や不祥事を次々と行い、週刊誌などであっという間に暴露され袋だたきになったり、ネットの普及でいかがわしい癒着関係なども風の便りで耳に入ってくる時代だ。組織から「○○に投票しろ」などと干渉されるようなことを言われれば、特に自分の考え(正確には自己中)を制限されることには異常に敏感な普段政治に無関心なB層でも、さすがに投票を命じられた候補者はどんなやつだと思うはずで、前述したように風の便りで簡単に耳に入る時代なのだから組織が推す候補者の察しはおおよそ付いているだろう。
そういう情報環境では組織に逆らって他候補に投票した者は特定され村八分に遭うというのでもない限り、組織の言いなり投票をやる者ばかりとは私には考えられないのである。もっとも完全に脳味噌を抜かれたロボット人間ばかりなら話は別だが。。
また、私が昔聞き覚えがある、自分の家族にまで組織の言いなり投票をさせるようなことも実際あるのだろうか?
ということで、そのあたりを誰か教えてもらえたら大変ありがたい。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/630.html#c11
資源量で化石燃料よりもはるかに少ないばかりか、電源にしか使えないウランは大して寄与しない。
海水中のウラン回収は処理すべき海水の量が膨大すぎて非現実的。
現在の電源の石油火力への依存度は1割程度以下だから、石油が本当に逼迫してきたら原発があろうがなかろうが大した違いはない。
石破の見解についてはすでに指摘があるように、「常陽」と「もんじゅ」の初期の運転で得られた用途不明な兵器級の高純度プルトニウム100kg近くを含めて、持て余すほどの大量のプルトニウムをすでに保有しているから、核武装のためにこれから原発(軽水炉)を稼働させる意味はないし、地震・津波か通常兵器か工作員によるかを問わず、原子炉または使用済み核燃料または高レベル放射性廃棄物を冷却不能にされるだけで核攻撃並の破局的事態になることを全世界に晒しておいて、核抑止力なんてアホ丸出しとしか言いようがない。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/620.html#c61
公務員の告発義務
国家公務員・地方公務員(官吏・公吏)は、その職務を行う上で、犯罪があると考えるときは、告発をしなければならない、とされています。(239条)
博士にどやされることを覚悟で、
苦=無明
カルマ=宗教の親
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/471.html#c9
「現在の電源の石油火力への依存度は1割程度以下だから、石油が本当に逼迫してきたら原発があろうがなかろうが大した違いはない。」
??意味が分かりません。多摩散人。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/620.html#c62
事故直後の福島第一原発事務本館南側の線量は4msv/hまで上昇した。
今では0.35msv/hまで落ちている。マイクロにすると350μsv/hだ。
建屋の外でも作業をするようなところは2msv/hぐらいだ。2000μsv/hということ。
建屋の中は殺人放射線だ。炉心溶融など最初からしていたんだよ。
それでなければ中操が通常時の1000倍の放射線量になるわけないだろう。
俺がニコ生で再三警告したが安全神話にどっぷり浸かった皆さまからは馬鹿扱いされた。
◇保安院、会見みて気付く…事故調聴取で判明
事故調では、被害拡大防止対策等検証チームが、原発事故の拡大を防ぐ事前対策の適否などを調べるため、原子力安全委員会や保安院などを対象に聴取を続け、すでに約60人から話を聴いたという。
関係者によると、3月下旬、同原発1〜3号機のタービン建屋の地下などに高濃度放射性汚染水があることが発覚。4月1日、東電などの対策チームの会議で、集中廃棄物処理施設にたまった低濃度汚染水を海に放出し、高濃度汚染水を移送する案が出されたが、強い消極意見が出ていったん消えた。しかし、低濃度汚染水を4号機のタービン建屋に移送したところ、4日朝になって3号機タービン建屋の水位の上昇が分かり、地下で通じているとみて移送を中止。東電や保安院、原子力安全委事務局が、低濃度汚染水を海に放出する準備を始めた。
保安院は同日午後3時20分までに、菅直人首相の了解と、原子力安全委の助言をへて、東電に対して海への汚染水の放出は「やむを得ないと判断した」と伝達。これを受け、東電は同3時50分に広報し、同4時から官房長官が定例の記者会見で公表した。実際の放出は同7時3分だった。
ところが、海外への事故情報の提供窓口となるはずの保安院では、汚染水の放出手続きに関与した職員で、近隣諸国への事前通報の必要性を認識し、指摘した人はなかったという。実際には、官房長官の会見を偶然見ていた保安院の国際室の職員が、放出開始の約1時間前に国際原子力機関(IAEA)に電子メールで連絡した。
また外務省も、東電の対策本部に詰めていた若手職員が、偶然見た汚染水の放出に関する東電作成の広報書類をファクスで本省に送ったことで、放出を初めて知ったという。
放出は、4月4〜10日に実施され、放出開始時に近隣諸国や地元自治体から「事前に連絡がなかった」などと批判が起きた。
毎日新聞 8月18日(木)15時2分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110818-00000042-mai-soci
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/641.html
苦=無明
1,正解だ、無明、明かりがない。
真の明かりは、闇を破壊する。
カルマ=宗教の親
日本の軍事産業を潰そうとする石破がまともに原爆開発を考えているとは思えないよ。
増税しか考えない石破は所詮アメリカ、財務省の手先、
原爆と言うのは言い訳に過ぎない
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/620.html#c63
即ち、カルマの存在によって、
ほとんどの宗教に存在価値があるとするならば。
カルマなければ宗教なし、
と言えると思いました。
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/471.html#c11
今日も報道で見たが、ダマされる方も、マヌケだ。
何でも、カネで解決できると、勘違いしている。
いいですか、神を、カネで買えますか(爆笑)。
無理でしょう!
まあ、そういう私も、気持ちは理解する(爆笑)。
若い時、私も、テレビで見た、どこかの霊能者の寺に、
パンフレット請求した(爆笑)。
なんと、宝石、数珠、ワケの解らん本を買え、と、いうことでした。(爆笑)。
まあ、こんな、もんや!(爆笑)。
真剣な探求者は、本屋の本を買うか、図書館で借りるか、で、十分や。
ダマされるほうが、アホなんやで!
その人が、どのような内容を、書いているか、
読むだけで、十分。
信じたら、アカン! 盲信したら、アカン!
確かに危険であり、気をつけて避ける努力は必要ですが、そうしなくても今のお年寄りと同程度には健康に生きられるのではないかと期待できると思います。
ただし、全国での放射線降下物の線量が今後も増え続けるようだと話は違います。
気象研究所のデータは、今のように官僚が情報を隠したり、捏造したりしていない時代の値ですので、私自身は信用度が高いと考えています。
私は現在74才で、健康です。子供時代は東京にいました。 以上、ご参考に。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/615.html#c31
「日本人はなぜ市場競争が嫌いか〜大竹文雄・大阪大学教授に聞く」
(辻広雅文 [ダイヤモンド社論説委員] プリズム+one/DIAMOND online)
(上) http://diamond.jp/articles/-/8016
(下) http://diamond.jp/articles/-/8098
さて、大竹氏もじつは小泉政権の構造改革にたいして批判的だ。ただしその批判は、「新自由主義」にたいしてではなく、「市場主義」の不徹底に向けられている。具体的には2点ある。
1.経済財政諮問会議に加わっていた財界人が、「官から民へ」のスローガンのもとで、市場にではなく財界に利益を誘導したこと。そのせいで国民が「市場主義」と「大企業主義」を同一視してしまった。
2.経団連と連合の利害の一致を背景に、非正規雇用を拡大したことで、貧困問題および「就職氷河期の閉塞感」をもたらしたこと。ただし、これは小泉政権以前からの流れである。
これらはいずれも、小泉改革にたいする批判としてはっきり主張されているわけではない。大竹氏の力点は、こうした問題についての解決を再規制化にではなく市場化(+再分配)に求めるべきだというところにおかれている。
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/746.html#c18
カルマなければ宗教なし、
と言えると思いました。
1,陣中見舞い氏よ、いい事を言う。
2,カルマが無ければ、即、彼岸なのだ!
したがって、今で言う宗教など、必要ないのだ。
さて、言論で、言葉で、陣中見舞い氏は、言及しているが、
あなたは、彼岸を、体験しましたか?(爆笑)。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110818-00000093-jij-pol
野田佳彦財務相は18日夜、千葉市内で開かれた内外情勢調査会で講演し、野党との協力の在り方について「閣外協力や部分連合があるかもしれないが、一緒に閣内でやってほしいという話は何度でも呼び掛けるべきだ。そういう大きな政治への局面の展開をぜひやり遂げたい」と述べ、自民、公明両党との大連立を目指す考えを強調した。
また野田氏は、東日本大震災の復興増税について「あまりにも来年、景気が悪かったら増税はできない」と語った。
http://www.asyura2.com/09/news8/msg/612.html
おまけに
週刊誌を、週間誌と書く知性の多いこと多いこと。
普段TVばっかり見て
活字なんか読んでないんじゃないか。
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/237.html#c30
このグラフをご覧下さい。
http://www.thehorizonproject.com/earthquakes.cfm
(要 java script)
これは世界の過去100年間に起きたマグニチュード6から8の大きな地震のデータです。
USGSとはアメリカ地質調査所のことで、地球規模で天然資源調査・地図製作・地震観測などを行う米国内務省所管の研究機関です。
これを見て、地球がいま大変革を経験していることを疑う人はいないでしょう。
でも、どうしてこのような明白な事実を誰も口にしないのでしょう?それはマシュー君が言うように、既存の科学ではまったく説明がつかないので学者や専門家 たちは黙って見て見ぬ振りをしているからです。3・11東北大震災も過去の例ではあり得ないような地震がつづき、いまでも止んでいません。
(後略)
興味がある方は、
http://moritagen.blogspot.com/2011/08/blog-post_16.html
を参照してください。
ブログ主は闇の組織の動向を否定していません。
子供たちの純粋な気持ちが弄ばれていると思うと、やるせなくなります。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/639.html#c9
どうしてて、それがあたりまえやないか。地元への利益誘導。一般庶民はかやのそと。むかしから行われていることやないか。
そんなあたりまえのこと、いまごろになって悩んでるの?
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/630.html#c12
これ、言ってるの思考する者です。
→これ、言ってるのも思考する者です。
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/471.html#c15
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20110818-00000010-pseven-soci
土壌や水、稲わらにまで放射能汚染が発覚するなか、米は安全といえるのだろうか? セシウムによって汚染された米が、私たちの食卓に入り込む可能性は? そもそも、農家が収穫した米はどのようにして食卓に届くのだろうか。米の流通に詳しい岐阜大学の前澤重禮教授はこういう。
「農家が収穫したお米をその地域のJAが集荷し、JAから米を扱う流通業者に流れ、スーパーや米店などの小売業者の店頭に並ぶというルートが基本です」
2004年に食糧法が改正されるまでは、このJAを通すルートが米流通のほぼすべてだったが、最近では別のルートも増えている。
農家が卸業者に直接販売したり、インターネットを使って消費者にそのまま届けたり、ルートはさまざまだ。
そして消費者の手に届く米には、JAS法に基づいて「精米年月日」や「産地」が表示され、それを見て消費者が米を選ぶことになる。
「産地は都道府県名まで記載することが法律で義務づけられています。さらに昨年10月から米トレーサビリティ法が施行され、米を扱う業者は取引記録を保存し、産地情報を取引先に伝えることが決められています。
何か問題があった場合には、その取引記録からさかのぼり、違反した業者が罰せられるようになりました。したがって業者が産地偽装した米や、基準値を上回った米を流通させることはないでしょう」(前出・前澤さん)
ただし、この米トレーサビリティ法はあくまで“性善説”に立った規制。2008年には、農薬に汚染されたベトナム産のうるち米が「食用米」として転売される“事故米騒動”があっただけに、この米トレーサビリティ法が本当に機能するのかどうか疑問視する専門家もいる。
実際に福島在住の食品ジャーナリスト・吾妻博勝さんはこんな現場を目撃している。
「先日、福島県産の米を扱っている県内の卸売業者の店舗に行ったんですが、どういうわけか店内に『新潟産』と書かれた米袋が大量に積まれていたんです」
複数の産地や品種が混ざっている「ブレンド米」の不安もある。JAS法で、産地表示が義務付けられているのは「産地」「品種」「産年」が同一の米のみ。ブレンド米は、「国産米」か「輸入米」かを記すだけでよく、都道府県名の記載はあくまで任意となっている。
※女性セブン2011年8月25日・9月1日号
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/642.html
現実的ではありませんが、仮に石油ほか化石燃料全体が逼迫するか価格が高騰して世界的にウランの消費量が増大すると、化石燃料よりはるかに早く枯渇することになるので、原発による豊富な電力で社会の電力化率を大幅に高めたり、石油に代わる材料を開発・生産しようなどというのは幻想に過ぎません。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/620.html#c64
1,あなたは、良いことを言っているのですよ。
2,釈迦は、苦の世界は、マーヤだと、看破したのです。
私も、そう。
釈迦も私も、見たのです。
暗黒想念が、破壊され彼岸の光に、変換されるのを。
観たのです。
したがって、言論は、解説は、後から、出てきたのです。
理解したから。
ここが、未体験なのに、あたかも、真実であるかのように、
ホザク、ニセ詐欺師に、皆、引っかかるのです。(爆笑)。
したがって、私の投稿を読む者は、
いつも、注意をしておかなければ、ならないのです。
宗教になると、みんな、何故か、理性を使わない、のです。
信じて、しまうから。(爆笑)。
得たカネの計算は、みんな、好きで、理性を使うのにね(爆笑)。
まあ、こうやって、私が言っても、アホは、ダマされる(爆笑)。
釈迦でさえ、何度も、騙されているのですよ。
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/471.html#c16
http://www.youtube.com/watch?v=y7bfVLo8-Xg&feature=related
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/471.html#c17
まあ、修行でも、何でも、真剣にね。
不可視の聖者は、あなたを、監視しているのですよ。
動機はバレている。真剣にね(爆笑)。
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/471.html#c18
http://www.thehorizonproject.com/earthquakes.cfm
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/501.html#c12
@年月日、A災害の原因、B初期災害、C急性死亡、D二次災害、E公衆の線量(外部被曝)、F甲状腺(内部被曝)、G後障害、の順に表記
広島核爆発災害:@1945.8.6、A空中核爆発16キロトン、米国戦闘、B衝撃波・閃光、電離放射線、C約10万人、即死数万人、D中性子放射化、E生存者:0.1〜4シーベルト、2キロメートル圏内F0.0グレイ、G生存者:5.0万人、白血病死0.18%、固形がん死0.68%(放影研1990)
ビキニ核爆発災害:@1954.3.1、A地表核爆発15メガトン、米国実験、B立ち入り禁止、区域外なし、C0人、D核分裂生成物、2.8×10の7乗エクサベクレル、Eロンゲラップ、1.8シーベルト、風下190キロメートル、F1〜200グレイ、ヨウ素131汚染水・食品の摂取、レベルA〜B、G被災者67人(ロンゲラップ)、甲状腺がん7.4%、白血病死1.5%(Brookhaven NL 1997)
楼蘭核爆発災害:@1964-1997、A核爆発22メガトン、中国実験などB急性死亡、C数十万人、D核分裂生成物、1.6×10の7乗エクサベクレル、Eウイグル、0.1シーベルト〜致死線量、風下1000キロメートル、F〜100グレイ、レベルA〜C、G白血病、肺がん、悪性リンパ腫、甲状腺がん
チェルノブイリ黒鉛炉災害:@1986.4.26、A化学反応水蒸気・水素、ソ連発電中の試験事故、B黒鉛火災・電離放射線、C30人、D核分裂生成物、2エクサベクレル、E30キロメートル圏内避難者、最大750ミリシーベルト、F最大50グレイ、平均1グレイ、ベラルーシ、ヨウ素131汚染牛乳の摂取、レベルB〜A、G被災者720万人、甲状腺がん0.067%(4837人)、甲状腺がん死2.1ppm(15人)、(WHO 2002)
福島軽水炉災害:@2011.3.11、A津波による炉心冷却機能喪失、B水素爆発、C0人、D顕著な線量はない、レベルC未満、E20キロメートル圏内緊急避難者レベルE〜D、30キロメートル圏内屋内退避レベルD〜D+、F平均5ミリグレイ(浪江町40人)、レベルE〜F、G避難者6万人、甲状腺がん予測0人(放射線防護学研究者評価)
線量6段階区分
危険:A〜Cの単位(シーベルト):ウイグル、広島・長崎、チェルノブイリ
A:4以上・B:1〜3・C:0.1〜0.9
安全:D〜Fの単位(ミリシーベルト):福島、東海村、スリーマイル島
D:2〜10・E:0.02〜1・F:0.01以下
放射線防護学研究者談
公の放送がとどまれと言ったら逃げる…五木寛之さんの意見
http://arita.com/ar3/?p=5285
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/638.html#c4
【8月18日 AFP】リビア反体制派は17日、首都トリポリ(Tripoli)の孤立化を目指し、戦闘を推し進めた。反体制派のトップは、6か月間続いている内戦は最終局面にあり、数週間内に終結すると予想している。
反体制派は、リビアの最高指導者 ムアマル・カダフィ(Moamer Kadhafi)大佐を追放した後、8か月以内に選挙による議会を発足させて権力を移譲し、新憲法を起草する計画を発表した。
反体制派は、トリポリと、カダフィ大佐の出身地で政権軍の拠点であるシルト(Sirte)を結ぶ西部の町に向かって進んでおり、政権への圧力を一段と強めている。(c)AFP
http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2820637/7648148
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反体制派は勢いづいているようだが、これから先はかなり難しいのではないか。外国の雇い兵は問題外だが、独裁者カダフィに忠誠を誓う精鋭部隊は無傷のはずだ。多くの死傷者を出す恐れがある。
http://www.asyura2.com/10/warb7/msg/887.html
悪いとすればマスコミ、テレビ(みの)日教組、
温暖化を信じてる愚民じゃアメリカに良いようにされてもしょうがないだろう
http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/1974.html#c19
4.世界の参考はICRP=WHOで十分だ。
5.ECRR(ヨーロッパ委員会)は参考にならない・内部被曝を言っているが疫学的でないので参考にしない
6.チュルノブイリの経験は必要なかった、4万件の論文多くはウクライナ語などの健康被害、奇形、
各種がん死亡数100万人はまだ和訳されていないでスルーしたい。
食品の安全基準は暫定基準のまま年間20ミリシーベルトを維持したい。まだ懲りない面々
委員長小泉直子、熊谷 進(委員長代理)野村一正 畑江 敬子 長尾 拓 廣瀬 雅雄 村田容常
専門委 圓藤 吟史 川村 孝 杉山 英男 滝澤 行雄 津金 昌一郎 手島 玲子 寺尾 允男
遠山 千春 中川 恵一 花岡 研一 山添康 吉田緑 吉永淳 5鰐渕英機
放射性物質の食品健康影響評価の状況について 意見募集
http://www.fsc.go.jp/iken-bosyu/pc1_risk_radio_230729.html
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