先週末の本紙「読者の声」欄に、娘さんたちと福島県から後志管内倶知安町に避難しているお母さんの投書が載った▼「子供の内部被ばくを少しでも減らしたい」との思いから被災者支援団体を頼って滞在しているという。「窓を開けるのも、洗濯物を干すのも、外を歩くのも、何の心配もせずにできる。ただそれだけで気持ちが楽になるのです」と書いていた▼町の人が温かく接してくれて、「すてきな思い出をたくさんつくることができた」そう。−それは本当によかった。読んでいてうれしくなった。この夏、道内には投書のお母さんと同じ思いの人たちがたくさんおられよう▼とても皮肉なことだが、原発災害は幸せな暮らしを下支えする<かけがえのないもの>とは何かをあらためて教えている。北海道には、いまそれがある。被災地から避難してきた人たちと分かち合うこともできる。だが、もし泊原発から放射能が飛散したら…。失うものはあまりに大きい▼原発を「保安」できなかった保安院や「安全」を守れなかった原子力安全委が営業運転再開にお墨付きを与えたからといって、誰が安心できるというのか▼<戦争が廊下の奥に立つてゐた>。戦前、無季の反戦句を残した渡辺白泉は迫り来る危機をそう詠んだ。私たちの<廊下の奥>から原発が立ち去らない限り、暮らしが根こそぎ奪われる不安は消えない。2011・8・17
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/fourseasons/312248.html
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/603.html