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2011年8月12日00時00分 〜
コメント [原発・フッ素15] 政府の除染原案は本当に実現できるのか (日刊ゲンダイ)  赤かぶ
06. 2011年8月12日 00:00:10: oWbillhalg
05訂正

× 実際は鉱山など人が寄りつけない
○ 実際は高山など人が寄りつけない
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/473.html#c6

コメント [昼休み48] 「見捨てられた人々」:アメリカのテント村急増中!・quasimoto(日本年金族4千万人が大移住すれば全員雇用できます) 小沢内閣待望論
01. 2011年8月12日 00:06:11: ieWTAudjoA
貴重な映像ありがとうございます。これほど抜きんでた技術が爆撃のためだけに使われるとは。怖ろしさと呆れたのとで言葉がありません。「無駄飯食い」にされてしまった亜米利加庶民が気の毒すぎます。結局それらのピラミッド構造は同じというのがよく理解できました。ウイリアム君には気が付いてほしいものです。
http://www.asyura2.com/11/lunchbreak48/msg/815.html#c1
コメント [マスコミ・電通批評12] 動画 : 「怪しいお米セシウムさん」 東海テレビ番組中に不謹慎な表示 (「日々担々」資料ブログ) 極楽とんぼ
10. 2011年8月12日 00:06:13: rWmc8odQao
安冨歩氏による「悪いヤツ」ランキング
http://ameblo.jp/anmintei/entry-10982121697.html

第一位 セシウムをばらまいた原子力ショッカー
第二位 それをニュースにしたマスコミ
第三位 載せられて「義憤」を発揮した偽善者
第四位 偽善的なJA共済や農林中金
第五位 プレートの画像を流してしまった人
第六位 間抜けなプレートを作ってふざけていた人
第七位 自分がマスコミや原子力ショッカーに利用されていると気づかない岩手県の人々
第八位 毅然とした態度をいつもとれない東海テレビの経営者
第九位 びびってスポンサーを降りてしまった会社

中日新聞「不適切テロップで社長ら報酬カット 東海テレビ「ぴーかん」打ち切り発表」
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2011081190222105.html

すごいコトになってきました。でも、どんなときも忘れてはならないのは、一番悪いのは「原子力ショッカー」だということ。
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/196.html#c10

記事 [音楽4] Stewart Copeland: Flowershop Qwartet (Equalizer OST)

http://www.asyura2.com/11/music4/msg/378.html
コメント [原発・フッ素15] 政府の除染原案は本当に実現できるのか (日刊ゲンダイ)  赤かぶ
07. 2011年8月12日 00:09:40: oWbillhalg
07再び訂正 失礼

× ドルが1%下がっただけで1兆円も目減りする放置してるような
○ ドルが1円下がっただけで1兆円も目減りしたのを放置してるような
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/473.html#c7

記事 [雑談専用39] なんでこんな連中がいるんだろうねえ?
こういう事が面白い事だと思ってんだろうね。

集団で1人の人間をイジメて支配して面白がる。

そいつが怖がって抵抗しない事がよけいに面白いのか?

可哀想なヤツらだよね。

こういう事が刺激になって憂さ晴らしになるのか?

もう考えたくないな。

どんなヤツらかは。
http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/525.html

コメント [自然災害17] 避難の成功例 釜石9小中学校、ほぼ全員が情報待たず避難 (産経) 地震当初からこういう報道が欲しかった。 スカイキャット
01. 日高見連邦共和国 2011年8月12日 00:11:14: ZtjAE5Qu8buIw : qBT3N2bpZM
大槌へボランティアへ行ったときも、
『地震直後、あの小学校の裏山を、先生が急き立てて子供たちを走らせたんだ』
と現地の人が誇らしげに言っていました。海岸から1キロくらいある小学校の目の前には、破損して陸に乗り上げたヨットが今だ放置されてました・・・
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/503.html#c1
コメント [自然災害17] 証言記録 市民たちの戦争 封印された大戦争(NHK):「地震の次は何をお見舞いしましょうか」とB29がビラ 会員番号4153番
12. 2011年8月12日 00:14:51: QWvmT9pcXE
>>11

人によって考えが異なるのは当然です。
地震兵器があると思う人というのをひとくくりにして見ないでください。

ちなみに、原爆を投下されることを黙認していた政府が、
地震兵器が存在すると認める訳がないことは分かると思います。

全く何も知らされていなくても(ここまでくれば)、
地震兵器が存在しないと言い切ることは非常に難しくリスクの高い行為でしょう。

どちらにしても、政府は国民を守る気などないのですから。
それが分かったら、自然と背景が見えてくると思うのですが。

先日の浜田和幸政務官の発言も、
産経新聞以外のマスゴミでは全く報じられませんでした。不思議ですね。
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/502.html#c12

コメント [原発・フッ素15] 政府の除染原案は本当に実現できるのか (日刊ゲンダイ)  赤かぶ
08. 2011年8月12日 00:15:16: UKEdn3x2kR
経験は必要なので、やった方がいいとは思うが、期待はしてない。またしても「絵に描いたモチ」だろう。
核ゴミ置場を作るとか、ノウハウがあることを、先にやったほうが得策だと思う。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/473.html#c8
記事 [音楽4] dila teer bija ppp song.hd

http://www.asyura2.com/11/music4/msg/380.html
コメント [原発・フッ素15] 原子力安全庁:実行力は未知数 環境省内にも戸惑い (毎日新聞)  赤かぶ
01. 2011年8月12日 00:17:25: e6R2POPL5M
環境省はチャンスを生かせ
厳格に測定して環境を守れ
ほんとうは、オーガニック認証も環境省で行ってほしいんだ
農林水産省から環境省へ移管し、漁獲枠やクジラ個体数の管理、日本の自然をもっと
きちんと把握してほしいんだ。もちろん予算も増額して
総合環境監視システムを立ち上げ、運営してほしいんだ

あたらしい、公共事業枠として環境にやさしいことをしてほしいんだ。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/483.html#c1

記事 [音楽4] Kal Bhi Bhutto Zinda Tha,Ajj... [Danish Gul]

http://www.asyura2.com/11/music4/msg/381.html
コメント [原発・フッ素15] 東北電力管内、猛暑でもセーフ 盆休みと節電で需要抑制(朝日) 原発と水力を止めても大丈夫でした。 スカイキャット
01. 2011年8月12日 00:17:53: rWmc8odQao
主な節電対策を講じた場合の1軒あたりの期待節電量
 「テレビをこまめに消す」     220W
 「エアコンの温度設定を上げる」 52W
http://www.nri.co.jp/opinion/r_report/pdf/201104_fukkou6.pdf

テレビを見るのをやめましょう。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/479.html#c1

コメント [自然災害17] 昨夜、今夜と天空の様子が異常だ  神奈川県鎌倉市大船駅周辺からの報告 愚民党
33. 日高見連邦共和国 2011年8月12日 00:17:56: ZtjAE5Qu8buIw : qBT3N2bpZM
『愚民党』さま、首都圏の皆さま。

み印がどのような形で表れ、誰に、何時顕れるかは、それこそ神のみぞ知る、です。

家族や友人の死に目に立ち合ったり、安否不明になるような災害や戦争は、本当にもうたくさんです。
世界中のみなさんに安らぎと幸福あれ、と岩手から、心から祈らせて頂きます。
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/499.html#c33

コメント [原発・フッ素15] NHK『「内部被曝」に迫る 〜チェルノブイリからの報告〜』でわかったあの学者たちもわからないという内部被曝問題 あっしら
10. 2011年8月12日 00:18:10: 08wfbyaLjI
>木村真三氏とその一行は陰気臭かったねぇ。黒い背広を着て周りから明らかに浮いていて、何事かと不安そうに見ている村人を権威ぶっている様子で威圧しまくりだったな。

日本人が外国にいるんだから浮くに決まっているのでは?そんなに悪い印象を与えたいんですか?議論以前の問題。

誰が逃げ出すかも勝手な妄想。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/411.html#c10

記事 [音楽4] TOXIQUE -- Youssou N'Dour

http://www.asyura2.com/11/music4/msg/382.html
コメント [原発・フッ素15] 日ヨルダン原子力協定 衆院で審議入り 尾張マン
04. 2011年8月12日 00:20:58: e6R2POPL5M
三菱商事は、太陽光発電や風力発電を国外ばかりでやらずに 国内でしろよ 
そりゃ規制が厳しいのはわかるけどさ

関係官庁の官僚も協力しろよ
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/458.html#c4

記事 [音楽4] youssou N'dour - jigeen gni

http://www.asyura2.com/11/music4/msg/383.html
コメント [自然災害17] 太陽からの不思議な放射が物体を変性させている・・/rockway express 稲垣勘尚
91. 2011年8月12日 00:25:25: rF27oMpTRM
〜つまり、遷移元素の質量に支えられるメソンにクリプトンがくっついてテンションをかけているかのようなものとなっているの考えられます。〜
こんな、長ったらしくて、ええ加減な表現の上に、誤字があるなど、全く話にならない・・・、長いですね。
「ホルミシス効果」ですが、ラドン温泉のみに評価・研究がなされているようです。
大型原子のラドンの、自己ファントム照射効果による「触媒効果」のことでは無いのか、と思います。
またこれにより、それより小さい原子の「陽イオン化が制限される、陰イオン化が促進される」などの現象、つまり「電子縮退さている」と考えられるでしょう。
また、水素などのK殻のファントムは紫外線領域の放射を確実に含んでいるでしょう。
またそれは、他の原子のK殻に吸収され、その原子の最外殻にファントムを引き起こして、波長を変調させて放射させるでしょう。そして、それの繰り返しになります。
なお、ラドンのファントムは、「クリプトンの電子殻を縮退させる」と考えられるので・・・?ラドン温泉浸かると治る・・・?

http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/294.html#c91
記事 [音楽4] youssou ndour teyel ko

http://www.asyura2.com/11/music4/msg/384.html
記事 [カルト8] 副島隆彦:重掲より吉見おさむvs副島隆彦
出典
http://www.snsi.jp/bbs/page/1/

まず、読者の皆様は色々な箇所で毒気に当てられないように気をつけてください。
気分が悪くなったらすぐクリックしてページを移動してください。

吉見くん、君は何をしているのだ。あれほど福島から逃げろと言っただろう。
取りあえず、それはおいといて、君と師匠との文章を並列するぞ。

君はSNSIの研究発表会に参加していたのではないのか?でも君の日誌は食事のことと飲んだくれていることだけではないか!
君は研究会の状況を報告するような文章力はあるのか!本気の君を出せ。
例えば食事に関しては多少は状況描写はできつつあるが、それ以外の描写に具体性が見えてこない。

君は原発から21kmのところにおり、原発事故の被爆地の実際を被曝しながら見ているのだろう。「全てを暴けという」グールーの教義どおりにできないのか!全てを暴いてもそれを論理的に文章にできなければ何が活動か!

私自身は君がもっと文章力を養わないとグールー副島氏が当初立ち上げた福島復興活動に該当する活動ができないと思うのだが。
もっと、本を読む機会をもつのだ。文章力を養え。

私がそう言っても君は被曝しながら家事とDIYをしながら事務所のメンテをして2−3ヵ月に来るかどうかのグールーや週末にゲリラ的にやってくる会員の面倒をみるというのか!

東京に帰ったら秋葉で美人メイドを眺めるのは良いが、ゲームに耽溺せず、八重洲ブックセンターに入り浸りたまえ!

私としては一刻も早く東京に帰り本をある程度読めば副島氏が書くくらいの文章は書けるのだぞ!
副島を超えろ!と言っているだろうが。ああ、嘆かわしい。

唯、君の日誌の文章は癒し系であり、それは副島氏には全く無い要素であり魅力だ。
この魅力を売りにできまいか?
転載開始
[651]福島本部活動日誌です16 投稿者:吉見おさむ 投稿日:2011-08-10 00:42:16

以下に、MLに投稿した内容を転載します。

(転載始め)

2011年8月4日の日誌です。

午前1時半から2時間、Zさんとチャットしていました。彼は、14日の朝に、夜行バスで戻ってくるそうです。
無理な予定にさせてしまったかと、一寸後悔しています。

朝10時にバスが検問所の方に向かいました。ただ、今日は一台だけだったので、一時帰宅かはわかりませんでした。
午前11時半に古道小学校に向かってみると、一時帰宅をやっていました。
青森ナンバーや神戸ナンバーの車がありました。自衛隊の車両もありました。
自衛隊の人がカップ麺をもって移動していました。

午後2時、パイプ椅子を満載したトラックが288号線を帰っていきました。その後ろに、トイレのようにも見えるキャンピングカーのような形の車が続いていきました。

今日の午後は、気温が35度まで上がりました。夏らしい天気になりました。
昨日の昼は27度だったので、かなり参りました。合宿にお越しの方はお気をつけ下さい。

午後5時、古道体育館に行きました。
体育館の裏側に回ってみると、椅子と灰皿が置いてありました。
やはり、奥のテントには、第六連隊除染室、という紙が貼ってありました。
昨日288号線を帰っていった自衛隊の車も、第六連隊と書いてありました。
もう少しいたかったのですが、佐川急便から電話がかかってきてしまい、急ぎ事務所に戻りました。

午後5時半、ねんがんのフードプロセッサーをてにいれました。
やっとこれで人並みに料理が出来る準備が整いました。あと、手の生傷が減りそうです。
フードプロセッサーの試運転も兼ね、冷蔵庫に残っている食材を減らしました。
キャベツの千切り、大根おろし、玉葱のスライスを作り、それらにドレッシングをかけ、余っているご飯と納豆で食べました。
・・・何の精進料理なのかわからなくなったので、途中で肉を焼こうと思ったのですが、肉は玉葱おろしに漬けた方がいいと思い、自重しました。

パスタはジェノバ風しか作れないのですが、石井魚店にはパセリもパルメザンチーズも無いので、また胡椒を挽く器具もないので、断念しました。
これは、オリーブオイルと塩だけのパスタを食べるしかないのかもしれません。
熱海にある胡椒挽きが羨ましいです。

今ある材料だと、肉だけ買ってきて、玉葱をみじんにして、豆腐と卵で繋いで、ハンバーグを焼く・・・等といった事が料理が上手な方なら出来ます。
私がやると、タネが緩くなり過ぎて、ハンバーグではない何かになります・・・。

午後8時に三度、古道体育館に行きました。
夜はガラスが反射してしまい、上手く撮影出来ませんでした。無駄足になってしまいました。
帰り道は、電灯がついていてもお構いなしに、満天の星空でした。
まるでゲームのCGの様でした。

(転載終わり)

(転載始め)

2011年8月5日の日誌です。

昨日の日誌ですが、撮った写真を拡大してみたところ、「第六連隊除染所」ではなく「第六師団除染所」でした。
()

昨日の夜は野良犬2匹が吠えまくって寝られませんでした。

朝起きて、缶のごみを出しました。
合宿後には、おそらくかなりの空き缶がでるので、対処を考えておきました。
・・・といっても、事務所裏にある90gのポリバケツに1ヶ月間ほど置いておくだけです。
この件に関しては憂鬱です。いい方法が他に見当たりません。

アブに刺された足の親指が酷いことになってきました。

午前10時に文部省の車が399号線を走っていきました。
また、午前10時半に、放射線測定車と書かれた車が、パトカーに護衛されながら検問所方面に走っていきました。

石井魚店で肉を一キロと野菜を購入しました。一応豚肉を、大根と玉葱に漬け込んでおきましたが、後で焼いたところ、大して美味しいものはできていませんでした。

朝10時から掃除をやりだしました。大広間の半分、トイレ、奥の部屋、二階、をしました。

午後3時にSさんが到着しました。お疲れのようで、すぐに2階の布団で休んでいました。

午後3時半にHさんが到着しました。
ビールをお出ししました。・・・本当は、ビールが多いので、1gくらい処分してもらおうと、手ぐすね引いて待ち構えていました。
Hさんに、話していて楽しいと言って頂き、恐縮しきりです・・・。
とても素敵にお年を召された方で、羨ましいです。ぶっちゃけますと、格好いい還暦です。

午後4時半、副島先生、Fさん、Hさん、Sさんが到着しました。
そのままの流れで更にお酒を少し飲むことになりました。
油揚げをフライパンで焼いて生姜を乗せたもの(+納豆)、チーズ、豚肉を焼いたもの、を即興で出しました。
油揚げは焦がしてしまいました。豚肉は前述のとおりで美味しくなっていませんでした。
ここで結構食べたので、既に満腹だったのに、みや古旅館に食べに行くことになりました。

明日は大量に人が来ると思われるので、麦茶を大量に作りました。

Hさんによると、8月8日に行くのはここだそうです。
http://abukumakawauchi.0ch.biz/onsenindex.html

みや古旅館では、山菜の炊き込みご飯、カレイの煮付け、エビチリ、セロリと豚肉のしゃぶしゃぶ風のもの、長芋をとろろ風と短冊に切ったもの、卵とじのようなお吸い物、カキフライの卵とじ、キムチ、が出てきました。泊まる人にはそれ以外にも刺身が付きます。
大敵でした。流石にご飯を少し残してしまいました。

事務所に戻ってきて、Hさんから嬉しいお言葉を頂きました。
本当に有難う御座いました・・・。

Hさんは乗ってきたキャンピングカーに泊まりました。
Sさんは2階に泊まりました。
私は1階で飲んだくれていました。
それ以外の人はみや古旅館に泊まりました。

9時から、明日の発表の準備をしていたのですが、どうにも
「優等生の作文」
になってしまって面白くないです。
落ち込んだので、酒くらって布団に潜り込みます。

(転載終わり)

(転載始め)

2011年8月6日の日誌です。

今日はお酒が入っているので、適正に書けるかわかりません。
はじめに、あまり判断能力がない中で書いていることをお詫びします。

Sさんに、炊事場の近くで風呂に入らざるをえないことを散々言われました。
私だって嫌で仕方ないのに、ここ以外で入れそうにないから、止むを得ずの状態なのに、大変困りました。
とりあえず、熱湯と冷水を交互に浴びるしかなさそうです・・・。

朝、8時50分位に先生、Hさん、Hさん、Fさんが、事務所に戻ってきました。
ポスタ―を貼るなどの雑事の後、カーテン取り付けがはじまりました。
Hさんはじめ、皆さんの手際が素晴らしかったです。
私はお手伝い出来そうではなかったので、雑草の駆除を行っていました。
Iさんには、折角6個のレールを用意してくださったのに、3個しかレールを使っていないことをお詫びします。

12時から午後2時半までの間に、続々と合宿に人が集まってきました。
計20人ほどです。

午後1時45分くらいから午後7時15分まで、5人ほどの発表とそれに対する討論を行いました。
中田先生や、Oさん、Fさん、Hさん、は慣れたもので、各人の発表に優れた論点を示していました。
Kさんの発表が、私の日記よりずっと面白かったです。
私は、置物のようになっているだけでした。
明日の私の発表は、どんなことになるか・・・、覚悟を決めておいたほうが良さそうです。

午後8時半くらいから、ご飯になりました。どうしても、女性陣がご飯を作り、男性陣は待っているだけでした。

ご飯、というよりは、お酒の席だったので、私は醜態を晒しました。
二つの意味で、記憶にございません。
午前1時まで、お酒の席は続きました。
たこ焼きもどきを作っていた様な気がします。
Zさんに、萌えを英訳してください、とかいう、酷い無茶振りをしていました。
moe、と返ってきました。

午前1時半に、明日の朝のご飯をセットして、洗い物をしていました。また、麦茶を10リットルほど作り、簡単な出汁をとりました。
お酒が入っていると、4割の家事能力に落ちてしまい、物凄い時間がかかりました。
それでもなんとか食器を割らずに済みました。

いつの間にか、布団もかけずに床で寝ていました。
記憶が間違っていなければ午前4時だったと思います。

(転載終わり)

(転載始め)

2011年8月7日の日誌です。

朝6時に起きたら、酷い二日酔いでした。
ゴミは確かに出しました。ただ、どうやって出していたのか覚えていません。

朝、八時に個人商店で、納豆とトマト等の野菜類を急いで買って、ご飯にしました。
女性陣はみや古旅館だったので、野郎共だけで、ご飯と納豆、食べるラー油などで兎に角食べました
なんとかトマトとチーズを出したのが精一杯でした。

午前9時から午後3時まで各自の発表を行いました。
私の発表は酷い以前に、恥ずかしいものでした。
途中のお昼は旨かったです。
スパゲッティでした。
Iさん、有難う御座いました。

午後4時に酒を入れてのパーティーとなりました。

午後5時に10人近く、一気に帰りました。事務所の車とIさんの車に分乗して帰っていきました。

午後6時にひまわり畑を見に行きました。軍手で、簡単に草をとりました。

午後6時半から、みやこ旅館で風呂に入った後、ご飯をいただきました。

野郎共は、全員事務所に泊まりました。

午後10時からお酒を飲みだしました。
好きな女性のタイプを訊かれたので、なんとか頑張って誤魔化しました。
多分本当のことを言い出すと、男性女性かわらず、ドン引きされると思います。
ウイスキー200ミリリットルを飲んでいたので、やばかったです。

8月8日の午前0時30分くらいから、とあるゲーム群を見たいとのリクエストがあったので、プロジェクターで大写しにしていくつかをプレイしました。私は午前4時までで力尽きました。
皆さん、これの何処が面白いのか、と仰っていました。
Fさん、すみません・・・。

炊事場が綺麗に整頓されていました。
一体、どなたが整理して下さったのかわからないのですが、有難うございます。

最後になってしまいましたが、福島までお越しいただいた皆さま、有難う御座いました。

(転載終わり)


阿修羅掲示板のkanegonさま、ベリマリさま、どんな形であれ私の文章をあれだけ鋭く読んでくださいまして有難う御座います。気が向かれましたら、一度都路までお越し下さいませ。何も気の利いたものは御用意できませんが、麦茶やノンアルコールビール、お茶菓子くらいはお出しできます。

転載終了

あーあ、私が吉見くんが「女性が恋しい」のでは?という邪推のコメントからいじられてしまったな。SNSIか会員か知らないが副島シンパの方が吉見くんをよっぽどいじっているぞ。恥を知りたまえ。

吉見くんが例え泉ピン子あたりが好みでも私はどん引きしないぞ。
ちなみに、吉見くんの優等生的な文章というのはどんなものか?
さて、副島氏の文章だ。
8月11日の金は1g4700円以上になりプラチナを超えたぞ。地金商の人たちもこんなこと初めてだと言っていた記念すべき日だ。投資家達が実物の金に流れたのだろうて。

きちんと日誌の枠に入っているので、これは副島氏が書いた文章をアルルくんあたりが校正したのではないのか?
というのは文章が副島氏にしては大分冷静だからだ。感情的ではない。副島氏はいまやアルルくんがいないと何も書けないようになりつつあるのではないのか?
大体月刊ザ・フナイだって、陰陽五行についての文章を連載4回の予定で書いたところ殆ど歴史の話に終始してしまい、大不評であり、2010年12月号では前から5番目の連載掲載となった。それでも前から第2番目の連載執筆者の位置にしがみつきたいから日本の外交は高岡編集長との対談形式になったのだろう。(高岡編集長は本当にインタビュアーとしては最高だ!)

副島氏を真似てお得意の勝手な推測憶測を述べておく。
どういう経緯の情報からなのか、それとも勝手な推測なのか、副島氏はポストオバマはバイデン副大統領となり、次の日本の総理は細野豪志としている。一体どんな根拠からなのだ??
オバマは暗殺でもされるのか?

転載開始

[652]私たちの夏合宿(研究発表会)が終わりました。そして現状の政治・経済の緊迫と急展開のこと。 投稿者:副島隆彦 投稿日:2011-08-11 08:13:48

副島隆彦です。 今日は、2011年8月11日です。

 私たち学問道場は、9日までの5日間の福島県田村市の都路(みやこじ)町(まち)にある 活動本部での夏合宿を終え、15人が研究発表をした。これは、「SNSI(学問道場)の第6論文集 原発・放射能特集」(仮題。これでは本として売れない)となって秋には結実する。

 福島の人たち(200万人)は、子供も赤ちゃんも含めて、みな元気だ。ひとりの放射能による病人もいない。5年後にもいない。私は重ねて断言する。放射能コワイコワイ派の人々の騒ぎすぎた己に向かって、恥じ入り鬱屈(うっくつ)するのがよく分かる。

 以下に私が、急いでポイントフォームで書いてゆくのは、私が既に書き始めた新しい 会員ページ用 の 論文 の骨子です。 急いで書いて載せます。お待ちください。

1.次の日本の首相はだれか。私は7月17日と、31日のふたつの講演会で、次の首相は、細野豪志(ほそのごうし)原発担当大臣だろう。丁度この8月で40歳になる。今の菅直人が居座りに居座って来年の3月ぐらいまでやって、それで 若い細野豪志に譲るだろう、と思っていた。この考えに変わりはない。 ところが昨日10日の日本のメディアでは、菅直人が辞任を表明したのに細野豪志の名前が全く出ていない。不可解だ。

2.アメリカのバイデン副大統領が、「日本の次の首相は細野でいい」と首実検(くびじっけん)したあと決めたはずなのだ。 中国も、「細野なら呑む」と合意したはずなのだ。米中が合意すれば日本の運命は決められる。
40歳では日本人の感覚ではあまりに若すぎるのか。そんなことはあるまい。世界基準では、たしか38歳でフランスの首相になったファビウスがいる。細野の出番は、次の順番である、来年の9月からということになりそうだ。自分より歳の若い人間の下につくのは他の政治家たちにとっては屈辱となるということだろう。

3.小沢一郎は、10日、自分が育てて150人の議員を集めて勢力を誇示した。実質の日本の最高指導者である小沢一郎が、「細野なら私もよく知っているから支持しよう」と言うと、私は思う。2009年8月の国民との約束であるマニフェストを見直し(約束の廃止)を許すべきでない。

4.アメリカの大統領には、今のオバマでは、もう保(も)たない。彼は、私の予想(予言)では、来年の3月に、財政政策に完全に失敗して「国家財政の不履行(デフォールト)とドルの暴落の容認(すなわち、ドルの基軸通貨であることからの脱落)」を宣言して、辞任してゆくだろう。

5.そのあとには、頑固爺(がんこじじい)で「なかなか、厳しいところも切り抜ける」と評価されているバイデン副大統領が、ヒラリーをランニング・メイトである副大統領に指名して、2012年11月投票の米大統領選を戦うだろう。そしてそのあと・・・・。 あるいは、オバマがボロボロのまま次の4年に再選されたとしてもそのすぐ後に彼はステップダウンするだろう。何を理由とするかは分からない。  

6.そのバイデンが 私が承認した細野でなぜいけないのか、と、22日に来日するのだろう。私、副島隆彦の予測を甘く見ないでいただきない。自民党の裏側の一番、力のある勢力の支持も細野なら取り付けることがでいる。そのように着々と大きな政治は動いている。あとは論文の方で書く。

7.NYダウ平均株価は、再度11000ドルを割ってきた。この下降トレンドは変えられない。為替は1ドル76円に再度なった。もう一度、政府による介入(これは違法行為だ。相場操縦罪の犯罪だ)があっても、もう次の72円は避けられない。そして60円台に向かってゆく。私、副島隆彦がずっと書いてきたとおりだ。

8.7月末の円高阻止介入では、2.2兆円使った。8月4日の介入では、4兆円を使った。野田佳彦(のだよしひこ)財務大臣という男は、財務省とアメリカの言いなりの手先で、許しがたい男だ。脳タリンのバカだ。4兆円も突っ込んでアメリカに差し出して、それらはすべて米国債買いになる。そうやって、瀕死(ひんし)の状態のアメリカを助け続けて、湯水のごとく日本国民の大事な資金を、惜しげもなくアメリカに貢いだ。

9. こんなひどいこをやって、それで何が起きるか。それは、日本の若者たちに暮らしが、さらにますます貧しくなって、彼らが1日の食費が1000円とかの極貧状態になっているのだ。ここに真の貸借(たいしゃく、バランス)があるのだ。 政治の貧困が、国民生活の貧困と直結している。まさしく、「日米・地獄へ道連れ経済 」であり、日米抱きつかれ心中(しんじゅう)」だ。私のこれまでの本の書名のとおりだ。

10.金(きん)の地金(じがね)の価格が、1オンス(31グラム)ついに1800ドルを越した。日本国内の卸値の価格では1グラム4430円までなった。これほどの急騰(きゅうとう)になると、政府の規制、統制(コントロール)が始まる。それは、マーケット・クローズ(市場の閉鎖、market close )という強制措置につながる。 それを柔らかく言うと、バンク・ホリディ( 銀行取引の停止、 bank holidays ) という。 銀行が、土、日、月などの休日を利用して、政府の強権発動の、緊急声明で各種の規制が一斉に実施される。そういう事態に、アメリカの信用不安、デフォールトを中心にして、世界は突入してゆく。

11.この9月14日から18日が一番手前では、危ない。
 ここで、アメリカ国内での 金(きん)の個人取引と、OTC(オーヴァー・ザ・カウンター)取引という相対)(あいたい)取引あるいは、店頭(てんとう)取引が、その次にどんどん禁止措置が取られてゆく。

12.公明党だけでなく自民党までが一気に、民主党政権と合意して、赤字国債(なぜか特例公債とも言った)法案通過に合意した。そして再生エネルギー(太陽光発電や風力発電など)法案にも合意した。 それで菅直人が急に辞任に追い込まれた。

13.それほどに、アメリカは血相を変えて、日本からの資金を宛てにして、日本からの資金供給で、目下の財政危機の急場をしのいでる。ものすごいアメリカからの強い圧力が日本にかかっている。問答無用で上から殴りつけてくるような力だ。それで、この22日にバイデン副大統領が来日するのだ。 私たちは、この真夏の炎天下での世界政治ドラマを注視しなければいけない。 

 副島隆彦です。このあとは、私の 会員専用ページに載せますから、数日、お待ちください。以下は、新聞記事です。 副島隆彦拝


(転載貼り付け始め)

●「 民主党代表選 8月28日にも…執行部調整、月内に新首相 」

毎日新聞 8月11日(木)

 菅直人首相は10日の衆院財務金融委員会で、特例公債法案と再生可能エネルギー固定価格買い取り法案の成立後に「まず民主党代表選を速やかに行い、新代表が選ばれた時には私の首相という職務を辞する」と述べ、「退陣3条件」の残り2法案成立後、できるだけ早く代表選を実施する考えを示した。

 2法案は26日までに成立する見通しで、民主党執行部は28日に代表選を行う方向で調整に入った。31日までの今国会中に衆参両院で首相指名選挙を行い、早ければ8月中に新首相が誕生する。

 ◇特例公債法案は11日に衆院通過

 衆院財金委は10日、今年度予算の財源となる赤字国債の発行に必要な特例公債法案を、共産党を除く民主、自民、公明3党の賛成多数で可決した。同法案は11日に衆院を通過し、24日の参院本会議で成立する見込みだ。

 再生エネルギー法案の修正を巡っては、民主、自民、公明3党の政調会長が10日会談し、12日の衆院通過を目指すことで一致。修正協議は「方向性に相違はない」(自民党の石破茂政調会長)ことから、11日にも合意するとみられる。自民党の脇雅史参院国対委員長と民主党の羽田雄一郎参院国対委員長は10日の会談で、同法案の19日以降の審議入り、26日の成立で一致した。

 首相の退陣3条件が整い、民主党執行部は28日に代表選を行うことで調整している。党員・サポーター投票は行わず、国会議員のみの投票にする。首相の正式な退陣表明はバイデン米副大統領が来日する22〜24日は避け、再生エネルギー法案が成立する26日が有力だ。同党の岡田克也幹事長は31日までに衆参両院で首相指名選挙を行い、新政権で11年度第3次補正予算案の編成作業を本格化させたい方針だ。


●「 民主党代表選:党内、駆け引き激化 「候補」さや当て 」

毎日新聞 2011年8月11日

 菅直人首相が10日、退陣を明言したことで後継を決める民主党代表選の駆け引きも激化した。野田佳彦財務相は「職責を果たすことが使命」と繰り返し、表での動きを控えつつ、野党との協力関係構築に意欲を示した。馬淵澄夫前国土交通相もインターネット番組に出演し「今、増税すべきでない」と、財政健全化を訴える野田氏との違いを強調した。一方、小沢一郎元代表は、国会内でグループ議員ら約150人を集めて講演し、勢力を誇示した。

 菅首相が代わっても衆参の多数派が異なる「ねじれ国会」は続く。野党の協力がなければ、11年度第3次補正予算案に絡む復興債発行などの関連法案成立のめどが立たなくなり、政権は窮地に陥る。マニフェスト重視を掲げる小沢元代表への自公両党の警戒感が根強い中、野田氏は「マニフェスト見直しで自公と協力してきた現執行部路線を継承することで、安定的な政権運営ができる」とアピールする戦略を描く。

 これに対し、野田氏のグループに在籍していたこともある馬淵氏はネット番組で、菅首相を「増税路線」と批判した上で「(菅)路線継承者として、(野田氏が)立たれるのでは」と対抗意識を隠さなかった。

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦拝


転載終了

>9日までの5日間の福島県田村市の都路(みやこじ)町(まち)にある 活動本部での夏合宿を終え、15人が研究発表をした。
グールー副島氏5日間福島事務所に滞在したそうです。いままでで最長記録ではないでしょうか?

>福島の人たち(200万人)は、子供も赤ちゃんも含めて、みな元気だ。ひとりの放射能による病人もいない。5年後にもいない。私は重ねて断言する。放射能コワイコワイ派の人々の騒ぎすぎた己に向かって、恥じ入り鬱屈(うっくつ)するのがよく分かる。

あのね〜最悪を想定して行動すべきと考えているのですわ。副島氏が定義する放射能コワイコワイ病の人間は。5年後に病気が出なかったら「そりゃよかったね。」で終わりだよ。
4−5年後病気が出たら恥入り鬱屈しなければならないのは副島氏ではないのか?
アルルくんはそれに対しもうそっぽを向いているぞ。もう、副島氏を援護してくれないぞ。いざ副島氏が広瀬氏に訴えられたらアルルは味方せず見捨てるのではないのか?副島氏よ、親切で言っているのだが、ペリマリ様の文章を読んでみたまえ。そんなに自信があるなら10年位福島に滞在してみよ、副島よ!

>今の菅直人が居座りに居座って来年の3月ぐらいまでやって、それで 若い細野豪志に譲るだろう、と思っていた。この考えに変わりはない。 ところが昨日10日の日本のメディアでは、菅直人が辞任を表明したのに細野豪志の名前が全く出ていない。不可解だ。

要は国家戦略家としての才能も虚しく、予言者として才能もなく外れたってことだろ。副島氏よ、現実を見つめろ。

>アメリカのバイデン副大統領が、「日本の次の首相は細野でいい」と首実検(くびじっけん)したあと決めたはずなのだ。 中国も、「細野なら呑む」と合意したはずなのだ。

まあ、その情報が真実だとしても副島氏が大嫌いな日本事態の事情が横やりを入れてきたのかもしれんな。日本がいくら属国だといっても日本にも財界などのフィクサーがいて100%媚中やアメポチだけではないだろう。

ちなみに、次の総理有力候補の野田氏に対しての副島氏の評価であるが、

>野田佳彦(のだよしひこ)財務大臣という男は、財務省とアメリカの言いなりの手先で、許しがたい男だ。脳タリンのバカだ。

それが本当ならば(これは本当だとは思うが)アメリカにとって好都合。こんな都合の良い奴はアメリカにとっていない。何を考えているかわからない薄気味悪い笑みを浮かべ、お盆といて高濃度放射線が出ているメルトアウトの原発近くに近隣住民を一時帰宅させる酷薄、鬼畜の細野はアメリカとしては信用ならんだろう。
バイデン副大統領がいくら細野豪志が好きでも、ボヘミアングローブで一緒にいかがわしいパーティーに出席しないと真の意味で信頼しないだろうて。それならかつぐ「神輿は軽くてパーでポチがいい」となりよって、野田氏が次期総理に適当とアメリカは思うだろう。僭越ながら、私がバイデンだったらそう思う。
それともボヘミアングローブに既に細野は言ってそれが首実験?アメリカどころか小沢氏自身が細野氏を信頼しているのか?そうでないと中国の信頼は得られない可能性が高いが?まあ、日本のフィクサー達はアメポチだということかな。

>そのあとには、頑固爺(がんこじじい)で「なかなか、厳しいところも切り抜ける」と評価されているバイデン副大統領が、ヒラリーをランニング・メイトである副大統領に指名して、2012年11月投票の米大統領選を戦うだろう。

バイデンがヒラリーを抜いて大統領になれるのか?もし、バイデンが大統領になり、ヒラリーが副大統領になるなら、パペットはバイデン、パペットマスターはヒラリーという役回りが明白になるだろう。ヒラリーはクリントンの妻。つまりロックフェラー一族であり、ウィッチの才能がある。彼らの娘が30歳で結婚したのはお役ごめんということなのかな?

ところで、バイデンについてだが、賛否両論があるベンジャミンフルフォード氏からの情報によるとバイデンは脳腫瘍だという噂を振りまいている。
仮にフルフォード氏がバランサーとしてもバイデンは脳腫瘍というネガティブキャンペーンを日本に持ち込ませる一派がアメリカに居るということだ。
そんな情報が極東の日本に来るとは、すくなくともバイデンはホワイトハウス内ではあまり実力のある人物ではないのではないのか?
バイデンが本当に脳腫瘍に罹患していたら、それこそ、彼はオバマに次いでの白いパペットになるのではないのか?

バイデン氏が実力者ならとうに、副島氏が「世界権力者人物図鑑」に掲載されているだろう。
バイデン氏がそれこそオバマ暗殺でも無しに大統領になったなら、彼も野田氏と一緒で「軽くてパーな神輿」なのかもしれない。

さて、私の勝手な推測や疑問はともかくとして、吉見くん!
君は以前瓦礫だらけの被災地の様子が上手く書けないと言っていたな!
これくらい書けないのか!これこそ真実暴き系だぞ。
以下の文章は他の読者の方は気分が悪くなるかもしれないので途中でリタイヤして頂いて結構です。特に被災者の方は止めた方がいいとおもいます。

月刊「WiLL」2011 年6月号
遺体捜索 「賞賛と感謝」の重圧 石井光太著より抜粋

抜粋開始
港のコンクリートは割れてめくれ上がり、むき出しになった地面に針の山のように突き刺さっていた。
 海岸から打ち上げられて田んぼに転がる漁船、家の屋根に乗っかっている車や電柱、海に向かって倒れる何百本という松林。産卵する瓦礫のなかには所々、犬や魚の死骸が転がっている。それらは驚愕したように目を見開き、口を開けている。巨大な津波を目にした瞬間に飲み込まれたのだろう。
 あたりに漂うのは、強烈な悪臭だった。津波とともに海底から上がって来たヘドロ、車やガソリンスタンドから漏れた油、それに、あふれた下水の匂いがどろごろに入り混じって空気を毒している。
 いくら見渡しても、海辺の町は元の姿をとどめておらず。瓦礫が広がっているだけだ。かろうじて残っているのは、工場や学校の鉄骨部分ぐらい。十数メートルの波は塀や外壁などあらゆるものを打ち壊し、流し去ったのである。

中略

 自衛隊がそれ(瓦礫)を片付けようとしていたものの人員がまったく足りない。そこで動いたのが、地元の住人たちだった。生きている重機を見つけ出し、瓦礫の山をかき分けていったのである。それは容易い仕事ではなかった。壊れた建物をどかすと、次々とヘドロにまみれた遺体が出てくる。二十歳ぐらいの若い母親が娘を抱いて死んでいたり、老婆がペットたちと折り重なるうように横たわっていたりするのだ。
 作業員たちは何度も同じ経験をしているため、冷静だった。黙って重機のエンジンを止め、ヘルメットを脱ぎ、静かに手を合わせる。そして淡々と遺体の手足を一斉に持ち上げ道端にどかしてそこらへんに落ちていた毛布をかける。
 一人が片腕だけを引っ張ったりすると、腐った肉がズルっと剥がれ落ちてしまう可能性があるため、全員でそっと持ちあげなければならないのである。
 こうした一連の作業をする間、彼らはマスクをして呼吸を止めている。遺体から漂う臭気が鼻や口に入り込んでくるのを防ぐためだ。だが、なかにはマスクの間からその臭いを嗅いでしまい、港にうずくまって嘔吐する者もいる。海水に吐き出された吐しゃ物には、一斉に小さな魚がたかる。格好の餌なのだろう。
 行方不明の家族も、こうやって魚に食われてしまったのだろうか。
 そう思うと、彼は再び吐き気に襲われるのだった。

中略

 責任者の男性は、ヘルメットを脱いでつぶやいた。
「だけど、こんなつらい作業はねえよ。最初は瓦礫をどかすだけのつもりだった。しかし、いつしか仕事の目的が遺体捜索になっちまった」
「遺体捜索」
「ああ。重機で瓦礫を一気にどかすと、埋もれている遺体を痛めてしまうことがある。そんなことになれば、ホトケさんや遺族に申し訳ない。それで、手作業で瓦礫をどかして遺体を捜してから重機を入れることになった。そうなると、俺たちの目標は道づくりというより遺体捜しになっちまうんだよ」
 50メートル重機を入れようとすれば、丸一日手作業で遺体捜しをやっている本人からすればそう言いたくなるのも当然だろう。
 彼は「ちょっと来なよ」と言って、ショベルカーの裏へつれていった。
 泥だらけの畳の上に、毛布につつまれた遺体が横たえられていた。彼が毛布をどかすと、四、五十代の女性の遺体が露わになった。肌が真っ白に変色し、口を大きく開けている。ヘドロにまみれた姿が肌にべっとりとはりついており、スカートが股のあたりまでずり落ちていた。腐臭の混じったヘドロの臭いが漂っている。
「こういう遺体が出てくるんだよ。泥水を飲み込んで窒息したんだろうな。口の中にこんなに砂が入っていやがる。苦しそうな顔だ。見てられねえよ」
 声がかすれていた。毎日、瓦礫の底から腐敗した遺体を引っ張り出していたら当たり前だろう。他の作業員たちは、ヘルメットを深く被ったままよそに目をやっている。
「やめようと思ったことはありませんか」と私は尋ねた。
 彼は無表情のまま答えた。
 「毎日思っているよ。できることなら、すぐにでもやめっちまいてえ。けど、そんなことをしたら、応援してくれている関連会社の連中や住民に顔が立たねえだろ」
「顔が立たない?」
「関連会社は毎日のように連絡しえきて、俺達のやっていることを称えてくれる。食べ物ばかりじゃなく、お金だって送ってくれる。地元の人間も、泥だらけになって作業をしている俺たちを見掛けるたびに『ありがとう』と言ってくれる。おばあさんが、なけなしの米でおにぎりをつくって持ってくれたこともあった。そこまでされて、やめるわけにはいかねえだろ」
 たしかに、周りの人間は作業員たちを褒め称えて支えようとするだろう。その言葉が、現場を離れたいと思っている人々を押し留めてしまっているのだ。

抜粋終了。

この記事が掲載されていた月刊「WiLL」は4月26日発売で私は4月下旬に読みました。
凄惨な記事です。でもこれが真実です。このころ副島氏は容易く新聞報道は震災犠牲者の遺体現場も公開すべきだと狂ったようなことを言っていましたね。

ならSNSIがこれくらい取材してその記事を学問道場に掲載するくらいの根性は無かったのでしょうか?

吉見くん、きみの比較的のどかな福島事務所の生活はこんな状況の上から成り立っているんだよ。
え、知っているって?まあ、吉見くんの癒し系の日記がかける才能は素晴らしいからね。
まあ、精進してくれたまえ。
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/454.html

コメント [原発・フッ素15] 原発作業員の内部被曝、低下傾向 厚労省は線量限度引き下げ検討 (MSN産経)  赤かぶ
03. 2011年8月12日 00:27:18: UKEdn3x2kR
線量が下がったということは、燃料も地下深くに下がったということかな?
地下水汚染と海洋汚染の調査を、ちゃんとしてくれ。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/455.html#c3
記事 [音楽4] ndanane omar péne feat youssou ndour.mpg

http://www.asyura2.com/11/music4/msg/385.html
記事 [音楽4] Fuzjko Hemming ( フジコ ・ ヘミング ) - Debussy : Clair de lune 2009

http://www.asyura2.com/11/music4/msg/386.html
コメント [原発・フッ素15] 政府の除染原案は本当に実現できるのか (日刊ゲンダイ)  赤かぶ
09. 2011年8月12日 00:32:57: oWbillhalg
05追加

少し言葉足らずだったので、補足。
05での数字や予算はざっとした考えだ。たとえば3000億などという予算は出さなくとも、除染スケジュールを考慮して複数県単位くらい用意して県単位で持ち回ればいいだろうとかいろいろアイデアはあると思う。
05で言いたかったのは、所構わず攻撃してきた放射能の除染は、費用はケチらず東電、政府が用意し、市民の力を大々的に借りて一気にやらない限り、これほど広域の問題に始末を付けるのは絶対無理だということを言いたかった。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/473.html#c9

コメント [カルト8] 今夜は、般若心経、並びに、お経について。 宇宙一いい加減な博士
43. 2011年8月12日 00:35:46: dxvI65ftdY
人生は明るくもなく
暗くもない
明るく考えると明るくなり
暗く考えると暗くなる
だから
明るく生きましょう。明るく(^_^;)
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/449.html#c43
コメント [原発・フッ素15] 福島第二も一部電源喪失(東京新聞) gataro
08. 2011年8月12日 00:38:25: h2m2X0ZxFs
日本体制巨悪が起こしている人類史上最悪の福島原発事件での、まともに原発廃炉や修理すらもできず、なすすべもなく、あとは核汚染の廃絶や、廃炉などの奇跡を待ち望む、数十億人の核被爆SOS万国万民の救援策のために、日本に存在する神々や諸仏さまにご出動下さるように、なんども請願しましたが、五か月間もご出動がありません〜、お飾りでなければ、万民救済が神々と諸仏様のご使命でもあるのにと…どうか今からでも神々と諸仏様のご教祖様たちのご出動を!そして万国万民のご救済を!〜(※全文例外を含む)☆永遠の万国万民愛主義者・ri得実 

http://d.h
aten
a.ne.jp/r
imur
ata/


http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/472.html#c8

記事 [音楽4] ラ・カンパネラ (フジ子・ヘミング の ピアノ演奏)

http://www.asyura2.com/11/music4/msg/387.html
コメント [経世済民72] 輸出超過大国、日本、中国、ドイツは世界経済を駄目にしている、賃金上げて輸出超過を止めよ heiwatarou
30. 2011年8月12日 00:42:18: uKFoqoJusE
>>29
調子が悪くなると罵倒するようですよ

>中谷巌(一橋大学名誉教授)『痛快!経済学』集英社 1998  p175
>「不況だから貿易黒字が増える」のであって,

これは間違いと言うことですね

>貿易黒字が大きいから豊かになるわけではないのです。
だがこれはどうですか、

▼アメリカは対外純資産残高赤字、中国は黒字、日本も黒字、なんででしょうね。

対外純資産残高国際比較(日本銀行による)、09年末、単位兆円
日本 +266、
中国 +168、
ドイツ+119、
----
----

米国 −315(08年末)、

英国  −27
フランス−67(08年末)



http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/659.html#c30

コメント [自然災害17] 証言記録 市民たちの戦争 封印された大戦争(NHK):「地震の次は何をお見舞いしましょうか」とB29がビラ 会員番号4153番
13. 2011年8月12日 00:44:14: qMgd17wAMA
「思っています」と個人的推測で文章書いているのだから

日本語的に

結論も「だろう」「と思う」と締めくくるべきと言ってるんじゃね。

いつの間にか断定されてるよな

だいだいこんさんは何に過剰反応されてるんでしょうか
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/502.html#c13

コメント [カルト8] 今夜は、般若心経、並びに、お経について。 宇宙一いい加減な博士
44. 2011年8月12日 00:47:11: dxvI65ftdY
「paramita」

生きること
愛すること
信頼しあえる
希望に向かう
健やかである
お金を増やす

喜びは
一瞬のうち・・・

死がある

別れ
裏切り
挫折
病気
破産

絶望

人は
悲しみを
免れ得ないのか

(paramita……)

観自在菩薩は彼岸にいたる行を深めていたとき
この世を構成する事物・観念はすべて空であると悟られ
一切の苦厄をのがれられた。

シャリープートラよ
形あるものは空に異ならず
空こそ形そのものに他ならない
形あるものはすべて空であり
空こそ形あるものの本質である
ものの世界のみならず
心の世界もまた同じく空である

シャリープートラよ
この世の実体は空であるから
生じることもなければ滅することもない
汚れることもなければ清いということもなく
増えることもなければ減ることもない
故に空の中には
ものもなければ精神現象もなく
目も耳も鼻も舌もなければ
身体も心もない
身体や心による様々な現象ももちろんない
迷いもなければ迷いの尽きることもない
老いもなければ死さえなく老死の尽きることもない
生もなければ死もなく
愛もなければわかれもない
 信頼もなければ裏切りもなく
 希望もなければ挫折もない
健康もなければ病気もない
得ることもなければ失うこともない

観自在菩薩は観念の彼岸にいたるが故に
心に束縛なく 
心に束縛なきが故に
恐怖を持たず
迷いを持たず
涅槃の境地に達せられている

人は誰でも
 生きながらにして
彼岸に達することができるのだ
その可能性の中にこそ
 すべての人の価値がある

http://infof.ddnn.jp/island/poem/poem18.html
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/449.html#c44

コメント [カルト8] 副島隆彦 重掲より:福島本部活動日誌です14(吉見おさむ) kanegon
35. kanegon 2011年8月12日 00:49:45: xVuuIAvxG7FMM : kFC5TEBIb6
OlLe4OHFNA様、吉見くんも勇気あるけど、副島氏の奥方や御子息も(副島氏と同居を続けていたら)勇気あると思いますけど。

副島氏は弟子の六城氏から購入したウラン鉱石(80μ/hr)を奥さんの代わりに抱っこしているんですから。

副島氏の自宅の放射線量はどのくらいなんでしょうね。

確証はありませんがバラエティ番組で三宅久之氏がホルミシス効果のことを言及したころがありましたが、一過性に低線量の放射線を浴びてそれから放射線量の普通のところに戻る。そうしてDNAが一旦放射線で破綻したところを修復することで免疫力が上がるということだそうで、ラドン温泉に数日旅行にいって自宅に帰るというのが効果的なのだそうですが。副島氏は浴び過ぎではないのでしょうかね?
これだけ放射能怖い怖い報道があったら副島氏の妻子はウラン鉱石を抱っこして寝る副島氏と同居できるのでしょうか?

人間モルモット状態の吉見くんに対しては健康被害が心配です。
吉見くんはもっと土壌線量などを測定すべきだろう。ひまわりの雑草はもう無視してほしい。まるで、放射能という肉食獣に襲われそうな子供のガゼットを動物番組で見ているようですよ。
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/438.html#c35

コメント [自然災害17] 8月12日に注意!コテ造&ママゴンさんのメッセージ yamori
101. 2011年8月12日 00:50:18: iu1pkXos8t
>95 どうでもいい事だが「腐女子」というのはBL(boys love)や、「やおい」・・・つまり美少年や美青年同士の恋愛漫画やアニメを好む女性の事を言うのだが、ママゴンさんにそんな所があったかな?どうも「オタクの女性」=「腐女子」と勘違いしてるらしいな。
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/496.html#c101
記事 [Ψ空耳の丘Ψ59] 日本(ウサギ達)は鰐(ワニ)が守る/土星のリングを作り出し常駐する巨大UFO







『土星のリングの中の巨大UFO』〔神の暗号・聖書の暗号神の暗号・聖書の暗号〕

http://www.246.ne.jp/~y-iwa/dosei.htm




NASAの科学者ノーマン・バーグラン博士は、宇宙計画の科学探査チームの一員で、宇宙探査船からのデーターを分析する専門家である。

彼は「1980年、ボイジャー1号と2号から送信されて来た映像をコンピュータ分析して、驚くべき事実を発見した」と発表した。

それによると、「土星のリングの中に、長さが1万キロから5万キロに及ぶ、3機の巨大な葉巻型UFOが滞空しているのが発見された」と言うものだ。

バーグラン博士の発表によると「土星のリングの中にそれぞれ、日にちと場所を違えて、下記の長さ及び直径を持つ、

(1)12,669Km    974Km

(2)25,338Km   1,949Km

(3)50,667Km   3,898Kmの3個の円筒型UFOが存在することが確認された」というもの。

地球の赤道直径がおよそ12,700Kmなので上記(1)は地球の直径と同じ長さで、直径は日本列島の東京から鹿児島の長さを持つ途方もない大きさのものだ。(3)の長さは地球の直径の4倍もあり、オーストラリア大陸の大きさの直径をもつ巨大UFOだ。

土星のリングは下図のようにAリングからGリングまで、7つの大小様々な幅のリングで構成され、「カッシーニ」と「エンケ」という大きな間隙があることが知られている。 このAリングやBリング、さらにはFリングなどにまたがってこの超巨大なUFOが横たわっているというのだ。

この事実は、ハッブル宇宙望遠鏡でも確認され、「サイエンス・ニューズ」誌でも発表された。

1995年に相次いでこの葉巻型UFOが、リングの中に存在することが確認されたもので、最初発見されたのは、ハッブル宇宙望遠鏡が撮影した写真の中に写っていたことによるものだ。しかし次に撮影された写真の中に、もはや跡形もなく忽然と消えていた。当初、このことは、電気的な故障、又は光学的な光のいたずらではないかと思われた。ところが、1995年の5月22日、再びこの超巨大な円筒型UFOが写っていたのだ。そして同年8月10日の写真にも別のUFOが発見され、合計2機が確かにリングの中に存在することが証明された。さらに11月21日の撮影写真では、再び2機とも消え去ってしまった。

これらのUFOは、土星のリングの中を行ったり来たりしているということになるという。

ノーマン・バーグラン博士はさらに土星のリングは、これらのUFOがつくりだしているのだという。これまで科学者たちにとって、土星のリングが時とともに消えたり、現われたりするのはなぜかという長年の疑問があった。しかし、UFOがリングをつくりだしているのだとすると、それが現われたり消えたりすることや、その幅が広がったり狭くなったりする理由もわかったことになる。

またこのUFOが「巨大な宇宙の雷からエネルギーを得ているらしい」ことがわかったという。UFOの上方から、雷光が長さ400Kmも延びていて、雷光の直径はおよそ10Kmにも及ぶ。UFOの下部からは長さ750Km、直径12Kmもの超巨大な雷光がはっきりと写っていたという。

このことから、博士はこのUFOが、宇宙の雷から得る電磁力エネルギーによって航行する巨大な宇宙船ではないかと推測し、このUFOをEMV(Electro Magnetic Vihecle)と名づけた。

ノーマン・バーグラン博士:

(彼のかがやかしい経歴)コーネル大学やスタンフォード大学をはじめとして、いくつもの大学で学び、1944年から1946年のあいだ、主任科学者として海軍研究所に所属。その後、宇宙航空に関する専門家としてダグラス航空機、エイムス研究所の科学研究員を務め、カルフォルニア宇宙防衛協議会の会長となり宇宙航空科学研究所から栄誉賞を受賞。








   」



そこちょっとつんつく:


その古代(恐)竜種はイルカや鯨の先祖に近く水陸両棲。


水陸両棲である為に鯰(なまず)や蛙(かえる)に置き換えられて譬えられる事もありますが、口はそれほど大きくないものの巨大な鰐にも似て頭には神通力を発揮する鹿のような角が二本と口には髭が二本生え強く息を吐くと炎となり阿吽の宝玉(アルファでありオメガである宝玉・始まりと終わりの宝玉)=宇宙の始原と終焉に至る水晶テクノロジーシステムを持っております...それはまさに龍という生き物ではないかという人もおります。


念の力で細胞を変容させて、ときに人間とも交わり子孫を設けられるとてつもない美男美女に変化(へんげ)したりなどします。

▽参考


『ウサギ族の眷屬「ワニ」と「USO(未確認水中物體)」 あんた等一體海の中で何を追つ掛け囘してゐるんだ』石工の都仙臺市〔阿修羅〕

http://www.asyura2.com/09/bd57/msg/512.html

「ウサギの一族は、わづかに此の地帶を永住處となして生活を續けてゐる。いはばウサギの都である。其のほとんど中心に、聖地における桶伏山のごとき美しき岩石をもつて自然に造られたる靈場があり、其處にはウサギの尤も尊敬する月の大~の宮が、嚴然として建てられてゐる。

 此の清き宮山をめぐる清鮮の水をたたへた廣き湖の邊には、大小無數のワニが棲息し、ワニとウサギの兩族は、互ひに相提携して天與の恩恵を樂しんでゐる。

 つまり、ワニは森林の持ち主たるウサギの眷屬とも云ふべきものにして、ウサギの國の軍隊のごとき用務に從事してゐるのである。

 モールバンド・エルバンドの怪獣はウサギを食することを好み、日夜その事のみに精~を傾注してゐる。」

『米国基地が相次いで‘神’シリウスの攻撃で瞬時に壊滅の模様』そこちょっとつんつく〔阿修羅〕

http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/752.html

「テキサスである宇宙研究所施設で500名が死んだのは、土星の衛星タイタンからの攻撃によるという事も...

それにも増して全く衝撃的なことには、タイタン、月、及び地球に高速で近づいているエレニン彗星の背後からついてきている‘UFO艦隊’より発せられている電子的な‘印象’(電子署名?)」を分析した結果から導き出される唯一且つ論理的解釈がそれらが(電子的な‘印象’)‘鯨の歌’であるという... 」




(掲載画像は〔神の暗号・聖書の暗号神の暗号・聖書の暗号〕様当該ページより転載させていただきました。)
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/844.html

コメント [戦争b7] 原爆投下 活(い)かされなかった極秘情報 gataro
19. 2011年8月12日 00:55:45: 5JETSRixgQ
当時の日本の軍部も戦争の終結の仕方を悩んでいたと思う。
だから決定的な何かを望んでいた。
原爆を落としてほしかったと思うよ。
そうすれば、陸軍強硬派も手を上げる。
米国は希望に応じて、ほうっただけのことである。

昭和天皇も『原爆投下はやむをえなかった」
といっておられた。
当の東条英機が太平洋戦争前の昭和十五年の
時に、雑誌に寄稿して『戦争は、都市を一瞬で
壊滅させる原子爆弾なるもので終結するであろう」
と予言しているのだ。でも日本に落ちるとは
思っていなかったのだろう。ドイツが米国に
落とすと思っていたと思う。

http://www.asyura2.com/10/warb7/msg/843.html#c19

コメント [自然災害17] 8月12日に注意!コテ造&ママゴンさんのメッセージ yamori
102. 2011年8月12日 00:57:13: LzRnQfcHag
ガクガクブルブル
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/496.html#c102
記事 [マスコミ・電通批評12] 政治板リンク:退陣宣言?辞めると言ってないようだが?(パチンコ屋の倒産を応援するブログ)

退陣宣言?辞めると言ってないようだが?(パチンコ屋の倒産を応援するブログ)
http://www.asyura2.com/11/senkyo117/msg/803.html
投稿者 そのまんま西 日時 2011 年 8 月 12 日 00:55:18: sypgvaaYz82Hc
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/214.html
コメント [原発・フッ素15] “保守派”論客が原発継続を語る:とても保守派とは思えない言説 あっしら
18. 2011年8月12日 00:58:59: 03bw0jfJsI
外国と戦う為の核もしくは抑止力の核か?どちらにしても、、、そんなもの持つ前に自滅しかかつているのが解らん馬鹿右翼が、日本の保守派だった。
アメリカに軍事占領されたままの現状で、アメリカが日本に核をもたせるはずがない。仮に持たせたとしたら、ボタンはアメリカが握っている場合いのみだ。だから、日本全土にこれ程多くの原発を作らせたのだ。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/469.html#c18
コメント [カルト8] 今夜は、般若心経、並びに、お経について。 宇宙一いい加減な博士
45. 2011年8月12日 00:59:50: fiitSnXDGA
おやおや、信者たちが守りに入ったようだね。

いくら吠えても無意味な「説教もどき」ナルシストにはお笑いにもならんよ。
修行の足元にも及ばないから矛盾点など受け入れられない。

なにも恥ずかし事は無い。
知らない事、そして間違っていた思考を理解するには謙虚さが必要。
その謙虚さの全くない集団こそがその正体。

邪魔とかあっち行けというのは、自己説を否定される事を恐れている証拠だよ。
しかし私の「論議コメント」を読まなくて批判するのは大間抜けの証拠。

読まなくても解るとうのは、以前に書いた私はあんたの鏡という意味を知らない。
つまりね、同じような考え方のクセがあるからワザとあまのじゃくで指摘しているんだよ。
だからね、しょうもない説法もどきは真実を追究する行為とは全く違うんだよ。
信者はそのことを全く理解出来ない。
自分で考えてみれば解る事。

子どもの頃から宗教が身近だったので、おのずと屁理屈とはどう言うものか考える事もできた。
だから矛盾点を突いても無視しているね。

鏡を見た自分の姿の話を書いている信者が居るけど、そっくりそのまま鏡返しで自分のコメントを
読んでみましたか?
増々恥ずかしいでしょ!

まともな討論を期待し、それでまともな返事が戻って来る事を期待したんだが・・・
こりゃ今後ももっと突っ込んだ書き込みをしなければあかんかなぁ。

「真実」を追求する為にね。
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/449.html#c45

コメント [カルト8] 副島隆彦 重掲より:福島本部活動日誌です14(吉見おさむ) kanegon
36. 2011年8月12日 01:02:31: OlLe4OHFNA
カネゴン様お返事ありがとうございます。
そうですよね、副島は放射化してかなりの放射能を放っていて
近づくと他人が被曝する状態でしょう。
そういった人間は遮蔽管理しなければなりません。
副島は医学管理をすべき人間なんですよね、本来なら。
福島にいて汚染物質を食べることも危険だが、
マスクもしないでたくさんの放射能を吸い込むことが
いかに恐ろしいことかをわかってないからできるんでしょう。
被曝医師の肥田先生の本でも読めばいいのに、吉見君は。
変なお滝行を行った時点から副島はサタンに憑依されて
もう終わりだと思っていました。
彼はサタンになってしまったのです。
彼に乗り移ったサタンは彼とその周囲の人の命を取ろうと誘導していくでしょう。
カネゴン様が相手にするような奴じゃありません。
副島にとりついているサタンは相当なものですから副島が
死ぬまで人間の力ではとれないでしょう。
副島、ここまで来るとパロディなんだよ(笑)アポロ副島トンデモ作家も
やってくれましたね(笑)
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/438.html#c36
コメント [原発・フッ素15] NYタイムズ・AP通信「SPEEDI隠し」告発報道 /sekaitabi 稲垣勘尚
07. 2011年8月12日 01:10:17: hbNDxYuSHs
少なくとも、3月13日の時点で福島県庁に届けてあったということでしょうから県知事がなぜ責任を問われないのか?
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/462.html#c7
記事 [原発・フッ素15] ベトナムの原発建設支援確認
8月11日 16時58分

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110811/k10014850371000.html

ベトナムを訪れている高橋外務副大臣は、11日、ハイ副首相と会談し、ベトナム政府が計画している原子力発電所の建設について、「より高い安全水準で原子力協力を進めていきたい」と述べ、日本が引き続き支援していくことを確認しました。

経済成長に伴い電力需要が高まっているベトナムは、2030年までに原発14基を建設する計画で、このうち2021年の稼働を目指す2基の建設を日本企業が受注し、日本政府も支援することで去年10月に合意しています。11日、ベトナムのハノイでハイ副首相と会談した高橋副大臣は「東京電力福島第一原子力発電所の事故の教訓を踏まえたうえで、ベトナム政府の期待に応え、より高い安全水準で原子力協力を進めていきたい」と述べ、ベトナムの原発建設を引き続き支援していく方針を伝えました。これに対し、ハイ副首相は「日本の技術力を信頼しており、引き続き協力をお願いしたい」と要請しました。菅総理大臣は、原発への依存度を下げ、原発に依存しない社会を目指す考えを表明しましたが、原発輸出について日本政府は、すでに合意したものや交渉中のものは当面継続する方針を決めており、11日の会談で、日本とベトナムの両政府が協力の継続を改めて直接確認しました。

http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/484.html

コメント [原発・フッ素15] ベトナムの原発建設支援確認 めっちゃホリディ
01. めっちゃホリディ 2011年8月12日 01:17:06: ButNssLaEkEzg : aUfChg6Ezy
ソースはNHK
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/484.html#c1
コメント [戦争b7] リビア反体制派、内閣を解散 最高司令官暗殺の混乱うけ AFP ダイナモ
02. 2011年8月12日 01:19:31: DcxDg6lzRM
ユネス暗殺は根が深い。反体制派のお里が知れる。

http://www.asyura2.com/10/warb7/msg/849.html#c2
コメント [原発・フッ素15] 東京でもチェルノブイリ級の汚染発覚! もう推進派の詭弁に騙されない! (先住民族末裔の反乱)  赤かぶ
08. 2011年8月12日 01:19:57: Zv2hRVgyTM
>>04
>やすくなった土地を中国人の資本家が買い取って


こら、そこの低脳。3月から不動産の売りに入ったのは、中国人投資家だよ。
アホががネトウヨなみの脳みそでわかったようなことを書くんじゃねえよ。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/477.html#c8

コメント [カルト8] 副島隆彦:重掲より放射線御用学者・山下俊一長崎大教授を私たちは強く支持します。 kanegon
40. kanegon 2011年8月12日 01:20:27: xVuuIAvxG7FMM : kFC5TEBIb6
lSU1h3KQOc 様勢いのある痛快なコメント有難うございます。

3.11以前にも副島氏はホルミシス効果を信じていて、2007年頃から80μsv/Hrが放射されているウラン鉱石を抱っこして眠っている愚か者です。

内部被曝も全く無視ですしね。
周囲には福島の野菜をバリバリ食ってもっと元気になると言いながら、副島氏の安全宣言に異を唱えた人物には最初原発前で討論しようと自分から言っておきながら、いざ討論をという話になったら3月19日の安全宣言の時に放射能で脳をやられたとのたまい、その約束を一方的に断った卑怯者です。

福島に事務所を置いても自分は常駐せず。若者の弟子を常駐させている恥知らずです。これらのことをもっと公共に広めるようにしてください。

>副島隆彦のような安全房は安全安全と言い放射能を食って、怪しいお○セシウムさん、食べても大丈夫プルト君、謎の幼女テルルちゃん、とっても強いぞストロンチウム90君などを摂取し、楽しい仲間が体の中に入ってα線、β線、γ線を体の中から二十四時間三百六十五日ポポポポ〜ンされて脳みそが逝っているのだろう。

いや〜名台詞ですな。


http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/211.html#c40

コメント [原発・フッ素15] 月刊ザ・フナイ8月号五井野正 科学から芸術へ 各新聞の分析/放射線を防ぐ繊維 kanegon
06. kanegon 2011年8月12日 01:30:22: xVuuIAvxG7FMM : kFC5TEBIb6
czgXAEQpzY様、この記事は船井幸雄氏の文章ではありません。
五位野正氏の文章です。この記事が掲載している月刊誌を主幹しているのが船井幸雄氏です。お間違えないようお願い致します。
この投稿記事の中には船井幸雄氏の文章は一文もありません。

五位野氏は原発事故で政治家達へのアドバイザーの一人です。それでも五位野氏が信用できないならそれは個人の自由です。

たしかに、今回の記事は今までの原発記事の中でもいままでの五位野氏らしくなくややオカルトカルトな風味があることは否めませんが。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/466.html#c6

コメント [自然災害17] 証言記録 市民たちの戦争 封印された大戦争(NHK):「地震の次は何をお見舞いしましょうか」とB29がビラ 会員番号4153番
14. 2011年8月12日 01:39:32: QWvmT9pcXE

>>13(お久しぶりですね)

>だいだいこんさんは何に過剰反応されてるんでしょうか

私は別に人工地震兵器について誰が何を思おうが勝手だと思っています。
この世の中、何を信じたら良いのかはっきりしている人の方が少ないでしょうし。

ただ私は、ネットに工作員は居ないということはできません。
私はその延長で、皆さんに、考えるヒントを提示させてもらっているつもりです。

この場で私の投稿にすぐツッコまれる方がおられると思っていなかったので
こちらの方が“一体なぜ私の投稿に反応されているのだろう”と感じました。

qMgd17wAMAさんは、ネットに何らかの工作員が居ると思われないのですか?

私個人にちょっかいを出したところで、起きた事実は変わらないのです。
あとは、その真相に人々がどのように近づいていくかというだけです。

私には、311で地震津波兵器が用いられなかったと考える方が無理なことです。
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/502.html#c14

記事 [テスト22] 試驗投稿
 
 
 
 
 b道祭祀の様式は物部が天皇に授けた。
 大陸と半島の國際情勢の不穏な状況から
天皇の要請に據り、物部・蘇我兩豪族共互ひの利害を乘り越え、國内を
統一して政に當たる事に據つて、此の國難を乘り切る事に同意した。
 然し唐と中大兄皇子(天智天皇)、中臣鎌足(百濟王子豊璋)の計略に
據つて乙巳の變から白村江の戰い、そして敗戰、唐傀儡政權樹立。
壬申の亂を經て藤原不比等の時代に大和政權乘つ取りの邪魔者である
蘇我氏と物部氏を抹殺し、此處に大和政權乘つ取りを達成した。
 其の物部が天皇に授けたb道祭祀の様式を藤原氏は中臣b道と云ふ
インキチb道で破壞した。
 零落した蘇我氏と物部氏の末裔達は、大和政權にまつろわぬ者共、
鬼・天狗等の山岳脩驗道や物の怪となり、闇の世界を支配した。
 正統なる血筋にして正統なる靈統である鬼・天狗・物の怪達。

 我れ蘇れり 磐戸開きの世に

 平成(イワト)の世に御世出づる。
 出雲、物部、蘇我は蘇る。
 
 
 和を以て貴しと爲す 
 
 
 
 
 
 
 
 
1999年7の月ハルマゲドン≠ニいうのがー。三次元の世界では、たいしたことがなかったんですが、霊界ではあったんです。
http://www.asyura2.com/09/bd57/msg/650.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2009 年 12 月 27 日 01:59:04: xsXux3woMgsl6

聯中が幣立b宮に來てゐたらしい
http://www.asyura2.com/08/bd54/msg/571.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2008 年 12 月 13 日 00:26:25: Gsx84HOp6wiqQ

宗教と科學、東洋と西洋は最終的には融合しなければ成らない
http://www.asyura2.com/08/bd52/msg/642.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2008 年 4 月 22 日 22:56:16: Gsx84HOp6wiqQ

「21世紀の世界は日本のキツズ(new breed)が變革してゐくだらう」
http://www.asyura2.com/08/bd53/msg/405.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2008 年 6 月 29 日 19:00:16: Gsx84HOp6wiqQ
 
 
 
 
もののけと物部
http://www.asyura2.com/08/bd54/msg/713.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2009 年 1 月 12 日 00:44:31: Gsx84HOp6wiqQ

「鶴と龜が統べつた」 ― 物部と出雲と越の國
http://www.asyura2.com/09/bd55/msg/161.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2009 年 2 月 01 日 22:12:25: Gsx84HOp6wiqQ

石上b宮(物部b宮)が放火された
http://www.asyura2.com/09/bd55/msg/390.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2009 年 3 月 14 日 01:08:57: Gsx84HOp6wiqQ

鶴と龜、五芒星と六芒星、物部と出雲
http://www.asyura2.com/09/bd56/msg/305.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2009 年 5 月 24 日 16:30:36: Gsx84HOp6wiqQ
 
 
 
NHK朝の聯續テレビ小説「瞳」から「だんだん」へ
http://www.asyura2.com/08/bd54/msg/303.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2008 年 10 月 06 日 22:16:29: Gsx84HOp6wiqQ

二月二十二日に二十二歳の雙子の茉奈・佳奈が出雲大社(縁結びのb)のb前で
http://www.asyura2.com/09/bd55/msg/298.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2009 年 2 月 23 日 23:55:15: Gsx84HOp6wiqQ

次のNHK朝の聯續テレビ小説は「つばさ」ださうだ
http://www.asyura2.com/09/bd55/msg/460.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2009 年 3 月 29 日 00:45:07: Gsx84HOp6wiqQ

いらつしやいませ出雲さん NHK朝の聯續テレビ小説は「ウエルかめ」だ
http://www.asyura2.com/09/bd57/msg/474.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2009 年 10 月 22 日 22:42:26: Gsx84HOp6wiqQ
 
 
 
八月二十三日日曜日 日の宮幣立b宮の五色b祭が日の曜日に執り行はれた
http://www.asyura2.com/09/bd57/msg/293.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2009 年 9 月 05 日 00:36:01: Gsx84HOp6wiqQ

ホピ族も「丸に違ひ鷹の羽の家紋」が大切な紋だと云ふ
http://www.asyura2.com/08/bd54/msg/356.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2008 年 10 月 21 日 22:10:54: Gsx84HOp6wiqQ

籠b社(眞名井b社)參拜記 間にあつたかな
http://www.asyura2.com/09/bd57/msg/792.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 3 月 01 日 22:16:49: xsXux3woMgsl6
 
 
 
東北新幹線全線開業  まつろわぬ者共、蝦夷(エミシ)達が動き出す
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/157.html
投稿者 不動明 日時 2010 年 12 月 10 日 21:57:38: yX4.ILg8Nhnko

ヤツター!! 御隱れになつてゐた尊いお魚「國鱒」が見つかつた バンザーイ!! バンザーイ!! バンザーイ!!
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/178.html
投稿者 不動明 日時 2010 年 12 月 16 日 23:47:10: yX4.ILg8Nhnko

諏訪で「太陽柱」が出現、光のタワーが上空に
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/352.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 2 月 19 日 15:35:30: yX4.ILg8Nhnko

世相は厳しい結果 諏訪大社下社春宮で「筒粥神事」
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/353.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 2 月 19 日 15:37:49: yX4.ILg8Nhnko

三六九 新年早々出雲大社のお膝元松江に於いて今後の日本の型が示された
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/237.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 1 月 04 日 04:25:35: yX4.ILg8Nhnko

JAL:赤いツルのロゴマーク「鶴丸」 尾翼に復活 - 毎日jp(毎日新聞)
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/367.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 2 月 28 日 23:42:34: yX4.ILg8Nhnko
 
 
 
護衞艦「くらま」衝突炎上と鞍馬の火祭り サナート・クマラさん、御降臨あそばされましたね
http://www.asyura2.com/09/bd57/msg/495.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2009 年 10 月 29 日 23:46:01: Gsx84HOp6wiqQ

羽黒山參詣記
http://www.asyura2.com/08/bd54/msg/345.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2008 年 10 月 18 日 23:52:48: Gsx84HOp6wiqQ

出羽の國のなぞ
http://www.asyura2.com/08/bd54/msg/648.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2008 年 12 月 29 日 16:33:38: Gsx84HOp6wiqQ

映畫「おくりびと」がアカデミー賞を受賞した 羽が出づる地、天翔ける狗の聖地、出羽の國
http://www.asyura2.com/09/bd55/msg/312.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2009 年 2 月 26 日 23:35:47: Gsx84HOp6wiqQ

クムランの人々はどこかに落ちのびて其の傳統を守り續けてゐますよ。彼等は此の世の終りの戰いには、必ず現れて何かをする筈です
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/158.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 4 月 30 日 01:04:18: xsXux3woMgsl6

7月23日はスマイル・メツセージの日
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/281.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 6 月 03 日 00:21:53: xsXux3woMgsl6 

7月23日から8月23日は「犬の日」
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/469.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 8 月 01 日 19:20:37: xsXux3woMgsl6

狗を以つて、狗を解き 狗を以つて、狗を征す
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/429.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 7 月 23 日 00:28:24: xsXux3woMgsl6

其の不思議なる御手には 他界の太陽シリアスの 下し賜える御力の 光の棒ぞ燃え盛る
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/306.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 6 月 16 日 23:24:36: xsXux3woMgsl6

鞍馬寺 ウエサク祭の謎解き 此處でも出て來るb戸
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/314.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 6 月 18 日 22:04:43: xsXux3woMgsl6

アドルフ・ヒトラーが最後に託したと云ふ「レツド・バタリオン 最後の部隊」とは何なのか
http://www.asyura2.com/09/bd56/msg/523.html >
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2009 年 7 月 04 日 17:44:04: Gsx84HOp6wiqQ

サタンの國と卍の國 小澤はなにゆゑ佛教會に接近し、基督教批判をしたのか そして米軍基地での銃亂射事件の意味とは
http://www.asyura2.com/09/bd57/msg/539.html >
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2009 年 11 月 12 日 01:31:00: Gsx84HOp6wiqQ

表と裏はひとつの者 ケリを附ける事を宿命づけられてゐるb國日本
http://www.asyura2.com/09/bd57/msg/643.html >
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2009 年 12 月 24 日 22:55:43: xsXux3woMgsl6

The Matrix
http://www.asyura2.com/09/bd57/msg/634.html >
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2009 年 12 月 20 日 22:32:22: xsXux3woMgsl6


 
 
 
 
 
 
 
 
はじめに

 歴史に関心がない方ならば、「物部氏」と聞いても、
「蘇我氏と仏教導入をめぐって争った一族のこと?」
 としか、興味を示されないかもしれない。
 だが極論すれば、物部一族の正体を明かすことは、古代史の多くの謎を解き明かす
ことに通じている。それほど、重要な一族なのである。
 だいたい、『日本書紀』には、
「物部氏は天皇家よりも先にヤマトに舞い降り、ヤマトを統治していた」
 と記されているのだ。天皇家以前のヤマトの王家が物部氏の一族なのであり、彼ら
の存在を無視して、古代史を語ることは不可能なのである。
 けれども、天皇家同様、物部氏の正体が杳(よう)としてつかめない。原因ははっきりとし
ている。『日本書紀』が物部氏の正体を抹殺してしまったからだ。
 八世紀に編纂(へんさん)された正史『日本書紀』は歴史を改鼠(かいざん)し、真実を隠蔽(いんぺい)するために記さ
れた。
 そう断言してしまうのは、これが「正史」の本質だからである。歴史の勝者が自ら
の正当性、正統性を証明するために記すのが「正史」にほかならない。
 したがってわれわれは、八世紀の朝廷がどのような秘密を握っていて、どのような
史実を隠匿(いんとく)してしまったのかを追い求めていかなければならない。
『日本書紀』編纂の最大の目的はなんだったのか。それは、『日本書紀』編纂直前、
古代最大の豪族が没落していることと無関係ではない。それが、今回お話しする物部
氏なのである。
 和銅三年(七一〇)三月十日、平城京遷都(せんと)に際し、石上(いそのかみ)(物部)麻呂は、藤原京の
留守役に任命され、旧都に残された。問題は、石上麻呂がこのとき、下級役人ではな
かったことだ。それどころかこの人物は左大臣であり、現代風にいえば、総理大臣な
のである。
 一国の宰相でありながら、旧都の留守役を天皇から命じられたのは、平城京遷都そ
のものが、静かなクーデターだったことを意味する。もちろん、石上=物部潰しの陰
謀にほかならない。仕掛けたのは、当時急速に力をつけつつあった藤原不比等であろ
う。
 これ以降、二度と物部氏は朝堂のトップに躍り出るようなことはなかった。『日本
書紀』が書かれたのは、石上麻呂が藤原京に取り残されてから十年後のことであり、
このタイミングから考えて、古代最大の豪族物部氏の活躍と素性が、すっかり抹殺さ
れてしまった疑いは強い。『日本書紀』編纂の目的のひとつが、物部氏の正体を抹殺
することでもあったろう。
 それでは、物部氏の歴史の、何が、どのように湮滅(いんめつ)されてしまったというのだろう。
 筆者はかつて、物部氏を「出雲」という視点から見つめてきた。それは、出雲神と
物部氏との間に、かすかなつながりを見出してきたからである。
 しかしここにきて、物部氏は、
「出雲は出雲でも出雲ではないのではあるまいか」
 と思うようになってきた。出雲神話の「出雲」は、旧国名の「出雲」を指している
のではなく、もっと広い地域の話をひとつにまとめたのであって、「物部」は、「神話
の世界では出雲であったとしても、実際の地図の出雲ではない地域」からやってきた
一族ではないかと思えてきた。それが具体的にどこかといえば、吉備(きび)である。
 これまで筆者は、あえて「吉備」に関して沈黙を守ってきた。ヤマトの三世紀の纏
向(まきむく)遺跡の発掘が進み、ヤマト建国に果たした吉備の重要性がはつきりしてきたとはい
え、それでは吉備の正体を言い当てられるかというと、自信はなかったのだ。ただ漠
然と、
「ひょっとして吉備の正体は物部ではないのか」
 と勘ぐってきたのである。だから、「吉備」について、多くを語らずにしまってお
いたのだ。
 だが今回、物部氏の正体を追い、ついに吉備と物部のつながりを確信したのである。
 では、なぜ『日本書紀』は、物部氏と吉備の関係を抹殺してしまったのだろう。
 もちろんそれは、物部氏の正体がばれてしまっては、せっかく『日本書紀』の構築
した「虚構」が、すべて台無しになってしまうからだろう。
 謎に満ちた物部氏の正体を、いよいよ明らかにするときが来たのである。
 
 
 
 
おわりに

 今回、物部を書くにあたり、急遼、かねてより気になっていた「八尾と物部の考古
学」を現地で取材した。
 いよいよ「明日八尾へ」という晩、大阪福島の割烹(かっぽう)「きむら」で、筆者は案内をお
願いした西森忠幸氏と重岡清氏、それに、旧友田中和寛君を招き、ささやかな前夜祭
を開いた。
「どこを案内すればよいのか」
 というただ一点に、案内役のお二人は盛り上がり、考古学に対する情熱と饒舌(じょうぜつ)に、
こちらはただただ圧倒されるばかりだった。
「物部と八尾が、大好きでたまらない」
 という熱気が、まさにオーラのようにめらめらとあたりに立ちこめていたのだ。
「八尾自慢になるかもしれませんが、たっぷりご案内させてもらいますわ」
 という、頼もしいお言葉。
 当日の取材旅行は、『歴史街道』編集長・辰本清隆氏も加わり、賑やかな道中にな
った。
 おかげで、密度の濃い、そして、有益な情報をいくつも得ることができた。
 なかでも印象に残ったのは、松岳山(まつおかやま)古墳だった。
 石棺の両側に屹立(きつりつ)する不思議な石の板も謎めくが、それよりも何よりも「大和川が
眼下に見下ろせる」こと、ちょうど、ヤマトから河内に降りてきた場所に、まるで関
所を設けるかのように、五世紀に巨大な前方後円墳が造営されていたことが大切なの
だ。
 ここに眠る首長は、恐らく物部系の誰かだろう。問題は「立地」である。
 流通の要衝の展望のきく高台に墓を造る例は、いくつも報告されていて、古代の首
長層の「癖」だったようなところがある。新潟の弥彦山の山頂の天香語山命(あまのかぐやまのみこと)の墓や、
丹後半島の網野銚子山(ちょうしやま)古墳(京都府京丹後市網野町の前方後円墳)に登ってみたこと
があるが、日本海を一望のもとに見渡せるその視界の広さに、圧倒された。
 だから、松岳山古墳に立ったとき、「物部の思惑」が垣間見えたような気がしたの
である。物部はなぜ河内に陣取ったのか……、それは、物部はヤマトを河内からコン
トロールしていたということであろう。
 この古墳の位置どりから、物部氏のしたたかさを実感し、また、現地に足を延ばさ
ないとわからないことはいっぱいあると痛感した次第である。
 なお、今回の文庫化にあたっては、新潮社常務取締役・松田宏氏、新潮文庫編集
部・内田諭氏、東京書籍の寺嶋誠氏、アイブックコミュニケーションズの的場康樹氏、
歴史作家の梅澤恵美子氏のご尽力を賜りました。あらためてお礼申し上げます。

                                               合掌
 
 
 
 
文庫版あとがき

 幕末の長州藩は関門海峡の一番狭い場所に、砲台を築き、「攘夷(じょうい)」を決行している。
元治元年(一八六四)八月のことだ。
 狙いは良かった。川のような幅の海峡だから、狙い澄まして打ち込めば、当時最先
端の欧米の軍艦でも、相当な被害をこうむったにちがいない。だが、長州藩と異国船
の備える火器の性能差が何をもたらすのか、攘夷派の志士たちは、その意味に、早く
気付くべきであった。
 イギリス、フランス、オランダの連合艦隊は、長州藩の揃(そろ)えた大砲の射程距離を嘲
笑(あざわら)うかのように、遠方から雨あられと砲弾を打ち込んできた。当然のことながら、こ
れでは勝負にならない。けりはあっけなく付いた。長州藩の挑んだ攘夷戦は、大敗北
に終わったのである(馬関戦争)。
 余談ながら、大東亜戦争に際し、すでに時代遅れになっていた巨大戦艦に日本がこ
だわり続けたのは、ひょっとすると、馬関戦争のトラウマだったのではないかと思え
る節がある。
 射程の長い方が圧倒的に有利であることを痛いほど思い知らされた「攘夷派」たち
は、巨艦、巨砲に固執し、幻想を抱き続け、航空戦の時代に突入していたことに、気
付くことができなかったのではあるまいか。航空機の優位性を説き続けたのが、かつ
て薩長軍に抵抗した旧長岡藩出身の山本五十六だったところに、話の妙がある。
 それはともかく、馬関戦争ののち講和条約が結ばれたが、よく知られるように、奇
兵隊の高杉晋作は「攘夷を唱えたのは徳川幕府」と開き直り、賠償を免れた。また、
イギリスの提督が、彦島(ひこしま)の租借(そしゃく)を持ちかけてきたのも有名な話だが、ことの重大性に
気付いていた人物は、少なかった。
 下関の西南の一角に、小川のような海峡を挟んで、小さな島がある。これが彦島
で、このイギリス側の要求を毅然と拒絶したのも、高杉晋作である。
 もし仮に彦島が香港のように九十九年間、イギリスの領土になっていたら、日本の
発展はかなり制約されたものになっていただろう。
 彦島に巨大な軍事基地と近代要塞が構築されてしまえば、日本の流通はイギリスに
牛耳られたようなものだ。日本の水運の要衝である関門海峡は、水道でいえば蛇口で
あり、彦島はまさに、蛇口のパッキンの役目を負っている。
 軍事戦略という視点でも、彦島は重要な意味を持っていた。日本海と瀬戸内海を分
断されてしまえば、日本海軍の戦闘力は、半減する。もし幕末、彦島の租借が押し切
られていれば、昭和十六年(一九四一)十二月八日、真珠湾攻撃と同時に彦島の争奪
戦が展開されただろう。すると、チャーチルご自慢の戦艦・プリンスオブウェールズ
は、関門海峡で撃沈されていたかもしれない(実際には、真珠湾攻撃の二日後、マレ
ー沖海戦で、日本の海軍航空隊によって撃沈されている)。
 日本の急所が関門海峡であることを一瞬で見抜いたアングロサクソンの戦略眼には、
舌を巻く。そして、同じように、彦島の重要性を認識し、これを手放すまいと体をは
った高杉晋作も、やはり、一級の人物である。
 高杉晋作は最晩年「死んだら、赤間ヶ関の鬼になる」と言い放ったというが、古代
から「赤間」を牛耳ってきたのが、「鬼=モノ」の物部氏であった。長州藩の築いた
砲台の周辺は物部氏が握っていたし、その対岸には和布刈(めかり)神社が鎮座し、物部系豪
族・赤間氏が祀っていたのである。
 ようするに、物部氏はすでに千数百年前に「日本を支配するにはここをおさえれば
よい」と気づき、十九世紀になって、アングロサクソンが物部氏の慧眼(けいがん)にお墨付きを
与えた、ということでしかない。
 壇ノ浦の合戦で源義経に敗れた平家が、九州に逃れるという選択肢を捨て、この
地で滅んだのは、海を支配することで繁栄を築いた彼らが、関門海峡を失うことの意
味を、十分知っていたからだろう。
 ちなみに、佐々木小次郎と宮本武蔵が決戦に挑んだのも、彦島にほど近い巌流島だ
が、こちらは天下云々とはまったく関係がない。あしからず。
 なお、新潮文庫編集部の内田諭氏、新潮社校閲部の森本章子氏には、『藤原氏の正
体』『蘇我氏の正体』『物部氏の正体』三冊の編集・校閲に御尽力いただきました。心
からお礼申し上げます。

   二〇一〇年三月
                                              関 裕二
 
 
 
 
 
 
 
 
物部氏の正体 (新潮文庫)
関 裕二 (著)
http://www.amazon.co.jp/物部氏の正体-新潮文庫-関-裕二/dp/4101364737/ref=pd_sim_b_2
 
 
内容(「BOOK」データベースより)

仏教導入を巡る蘇我氏との対立で知られる物部氏。古代史を代表する大豪族でありながら、正史から抹殺され、その全貌は多くの謎に包まれている。天皇家の神事と奇妙な接点を持ち、『日本書記』で「天皇家より先にヤマトを統治していた」と記される彼らは何ものか。出雲、吉備、出自に迫る論考は、やがてヤマト建国の真相へと辿り着く。既存の歴史を根底から覆す三部作、堂々の完結編。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

関 裕二
1959(昭和34)年、千葉県柏市生れ。歴史作家。仏教美術に魅了されて奈良に通いつめ、独学で古代史を学ぶ。1991(平成3)年に『聖徳太子は蘇我入鹿である』でデビュー。以後精力的に執筆活動を続けている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
 
 
第一章 ヤマトの神にもっとも近い物部氏

仏教を拒絶した物部氏
なぜ天皇ではなく物部氏が神道に固執したのか
天皇家よりも先にヤマトに舞い降りた物部氏
身内を殺して神武に恭順した饒速日命
特別な存在物部がなぜ石見に逼塞したのか
天皇家は物部氏の祭祀を踏襲している?
なぜ元明女帝は物部を恐れたのか
蛇(出雲)とつながる物部
崇る神を招き寄せる物部氏
天皇家と物部氏の不思議な関係
天皇は物部の祭祀形態を継承することを条件にヤマト入りした?
物部こそヤマトの神にもっとも近い一族?
 
 
第二章 物部氏はどこからやってきたのか

物部氏の謎
二人の初代王の謎
纏向遺跡からわかってきたこと
ヤマト建国の考古学とぴったり重なる『日本書紀』の記述
物部氏はどこからやってきたのか
物部東遷説と邪馬台国東遷説
太田亮氏の物部東遷説
瀬戸内海を牛耳っていた物郡氏
物部氏は稲作をヤマトにもたらした?
物部王国こそ邪馬台国?
ありえない物部・葛城王朝の相剋
物部は邪馬台国の敵?
流動化する国際情勢と邪馬台国の東遷
物部=北部九州を覆した出雲説
出雲の国譲りと天孫降臨のいきさつ
なぜ朝廷は自ら作り上げた亡霊を恐れたのか
出雲がそこにあったことを訴える巨大木柱
なぜ『日本書紀』はヤマト建国史を出雲と南部九州に狭めてしまったのか
吉備はどこに消えたのか
 
 
第三章 物部と吉備の謎

なぜ物部は敵に塩を送り続けたのか
石見の物部神社の謎
出雲いじめの尖兵となった物部氏
物部は出雲であって出雲ではない
出雲にひとくくりにされたヤマト建国の要素
吉備はなぜよくわからないのか
物部と吉備にやられる出雲
本当の吉備の豪族の系譜とは?
ヤマト建国の考古学
弥生時代後期の山陰地方にあふれ出した鉄
なぜ北部九州が栄えたのか
吉備が発展する条件
特殊器台形土器の特殊な歴史
ヤマト建国の中心に立っていた吉備
ヤマトと北部九州の複雑な関係
物部氏の正体を明かすための天孫降臨と邪馬台国
北部九州は一枚岩だったのか
大分県日田市が投げかける波紋
北部九州沿岸地帯にとってのネック
 
 
第四章 「物部は吉備である」を探る

なぜ『日本書紀』は物部を天神といったのか
吉備といえば桃太郎
桃太郎のモデルになった吉備津彦
吉備は出雲を恐れていた?
吉備は出雲に進出していた
吉備の石上の謎
物部氏と中臣氏の関係と吉備のつながり
河内に陣取った物部と中臣
河内王朝の出現は王朝交替か
河内王朝論の登場
河内王朝論の主張
物部が日本海を邪魔にしたわけ
ヤマトの王は国の中心に立っていない?
河内に残された吉備の痕跡
松岳山古墳の奇妙なオブジェ
五世紀末にパイオニアが西からやってきたという話
物部氏は五世紀末にヤマトに現れた?
五世紀の吉備氏反乱伝承
吉備の反乱伝承に隠された葛城と吉備のつながり
吉備の前方後円墳の歴史
吉備の反乱の裏事情
ヤマトが吉備を潰すことは物理的に不可能
 
 
第五章 物部の秘密・蘇我の秘密

ヤマト建国時の物部の不審な行動
ヤマト建国の仕掛け人は誰か
神功皇后と邪馬台国の台与
ヤマト建国をめぐる歴史のねじれ
ヤマト王家誕生の真実の歴史
蘇我氏が物部氏を収奪していたとする説
蘇我を糾弾しない物部という謎
蛇と犬が仲良く死んだという暗号
物部氏の目指したもの
 
 
 
 

http://www.asyura2.com/11/test22/msg/917.html

コメント [原発・フッ素15] 生協のパルシステムで子供が被爆する  武田邦彦  赤かぶ
60. 地には平和を 2011年8月12日 01:42:12: inzCOfyMQ6IpM : GVcxcMTgZ6
生協が大きくなる事自体は悪い事ではありませんが消費者の利益を守るという事から金儲けに目的が変わってしまえば無意味な存在になってしまいますね。コープこうべが御用学者を呼んで原発の学習会をやっているという事を聞きましてダメだなと思いました。一定の規模になると専務とかの収入は結構よくなるので感覚がズレる人も多いのでしょうなあ。コープ自然派の専務で今後理事長になった人は脱原発を堅持してますよ。誰とは言いませんが。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/380.html#c60
記事 [テスト22] 試驗投稿
 
 
 
 

            
 
 
 
 
藤裔會會長にして孝明帝を祀る平安b宮宮司九條道弘
聯中の手に據つて弑逆されし孝明帝
孝明帝の祟りに怯える「積善の藤家」

藤原五攝家の一角、平安b宮宮司 九条道弘が玉鉾b社に來てゐた
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/350.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 2 月 19 日 02:25:06: yX4.ILg8Nhnko

伊勢神宮大宮司に鷹司氏 北白川氏の後任
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/332.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 2 月 13 日 19:22:39: yX4.ILg8Nhnko

b國日本の腐敗の元兇の綜本山春日大社が必死にお祓ひ
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/528.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 4 月 25 日 18:37:32: yX4.ILg8Nhnko

其れがHAARPのせいであらうが天體のせいであらうが、各地で災害が發生し、結果として其れは起こる
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/267.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 5 月 30 日 02:57:43: xsXux3woMgsl6

b國日本に盜り憑いた百濟勢力藤原家と云ふ病原菌を自ら驅除しなければ、最惡のシナリオが發動する事に成る
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/362.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 2 月 27 日 02:03:15: yX4.ILg8Nhnko
 
 
 
なにゆゑ國聯ビルがかつての屠殺場に建てられてゐるのか
http://www.asyura2.com/09/bd55/msg/160.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2009 年 2 月 01 日 22:05:44: Gsx84HOp6wiqQ

殺生肉喰禁斷の詔敕
http://www.asyura2.com/09/bd55/msg/189.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2009 年 2 月 04 日 21:45:00: Gsx84HOp6wiqQ

日本人は鯨を喰べる事を止める時が來たやうだ
http://www.asyura2.com/09/bd56/msg/479.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2009 年 6 月 21 日 23:51:05: Gsx84HOp6wiqQ

あくま(惡魔)で肉喰(にくじき)慘業(さんぎやう)を止めぬなら、天の磐戸開きの型として、日向の國を滅ぼすまで
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/472.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 2 月 01 日 23:22:29: yX4.ILg8Nhnko
 
 
 
誠に遺憾乍ら、此れから更に、多くの人が死ぬだらう
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/442.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 7 月 01 日 22:41:40: yX4.ILg8Nhnko
 
 
 
 
 
 
 
 
呪う天皇の暗号 (新潮文庫)
関 裕二 (著)
http://www.amazon.co.jp/呪う天皇の暗号-新潮文庫-関-裕二/dp/4101364745/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1312872772&sr=1-1


はじめに

 足かけ四年使い込んだパソコンのハードディスクから、妙な金属音が聞こえ始め、
いよいよ御陀仏かと観念し、新たなマシーンを購入した。
 真新しいキーボードをぱちぱちとたたき、すべての設定を終え、いざ本格使用とい
う日の朝。電源が入らない。
「よもや……」
 前日の晩、この原稿を書くために、パソコンの壁紙を変えておいたのだ。「呪う天
皇」「崇る天皇」を書くにあたって稲荷信仰に深く分け入る必要があったから、東京
郊外の高尾山の飯縄(いいづな)神社の小さなお堂に祀られる、何十匹という狐様にご登場願った
のだ。気分を高めるために、いつも新著のテーマに合わせた壁紙を用意する。だが、
今回選んだ壁紙は、いつにもなく強烈な妖気をただよわせていた。
 ちょっと観た感じ、異様な光景である。朱色を背景に、びっしりと白い狐がこちら
を向いている。実におどろおどろしい。
「まさか、狐のいたずら……」
 人間とは実に愚かな動物である。それは、パソコンによくある初期故障にすぎない
とわかってからつくづく感じている。トラブル解消後のパソコンは、「狐様」とうま
く共存している。科学の粋を集めたパソコンを操作する人間が、狐の崇りに怯えてし
まったわけである。我ながら失笑した。
 しかし、だからといって、「呪いと崇り」を低俗な宗教観と見下す気持ちはさらさ
らない。「呪いと崇り」こそ、日本人が守り続けてきた一種の「叡智」でもあるから
だ。
 たとえば、樹木には精霊が宿り、無闇にこれを伐り倒せば崇りに遭うと、人々は信
じてきた。
「それは迷信にすぎない」
 と笑殺することはたやすい。だが、このような信仰を守り続けてきたからこそ、日
本列島には豊かな森が残されてきた事実を忘れてはなるまい。
 森を失えば文明が滅びるという歴史の鉄則は、ここ数十年の研究によって唱えられ
るようになったことであって、それ以前、樹木の大切さなど、説かれたことはなかっ
た。にもかかわらず日本列島から森が消滅しなかったのは、湿潤な気侯が幸いしただ
けではなく、「呪いと崇り」が大きな意味を持っていたからである。「呪いや崇り」を
怖れることによって、「生命体としての地球」を、知らず知らずのうちに、われわれ
は守り、またその森にわれわれは守られてきたわけでもある。その点、「呪いや崇り」
とは、科学ではいまだに説明されていない「大自然の摂理」と言いかえても良いわけ
である。
 近代日本がこの貴重な叡智を嘲笑い、軽視したことによって、日本列島の景観がい
かなるものになったか、あらためて述べるまでもあるまい。
「呪いと崇り」は、歴史にも大きな影響を及ぼした。たとえば、三世紀来、日本の王
家には強い権力というものが与えられなかった。「弱い王」が守られてきた理由は、
彼(あるいは彼女)らが「崇る王」そのものだったからである。権力を持たないにも
かかわらず、王家を潰すことができなかったのは、彼らに手をかければ恐ろしい目に
遭う、という共通の認識がもたれていたからにほかならない。では、なぜ日本の王家
は「崇る者」と考えられてきたのだろう。
 日本人と天皇家の謎とは、まさにこれである。
 ヤマト建国の過程で、なぜ「崇る王」が選ばれ擁立されたのだろう。なぜ日本人は、
「呪いと崇り」を怖れる一方で、「呪う王」「崇る王」を求めてやまなかったのか。
 要するに、「恐ろしい王」とは、大自然のあり方そのものであり、日本人は「大自
然の摂理にもっとも近い形の王権」を希求したのではなかったか。そして、だからこ
そ「崇る王」が守られたのではあるまいか。
 では、このような仮説をいかに証明できるというのだろう。「呪う王」「崇る天皇」
の暗号を、解き明かしていこうと思う。
 
 
 
 
おわりに

 国民体育大会などで天皇陛下を招く自治体は、てんやわんやの騒動となる。道は掃
き清められ、厳重な警備体制が敷かれる。宿泊される旅館の畳は新品に張り替えられ、
当然のことながら(?)、古いトイレはウォシュレットに取り替えられる。
 なにがあっても、「粗相」は許されないのだ。
 なぜそうなのかといえば、「天皇は恐ろしい存在」と考えるとすっきりする。「さわ
らぬ神に崇りなし」の精神が根底にある。
「崇る天皇」「永続する天皇」は、日本史最大の謎である。たった一本の錦の御旗に
武士団が恐れおののいた理由は、これまで明確にされてきたとは言えない。ただ漠然
と、権力を持たない東洋的な王権としての「天皇の権威」がいつしか強い幻想となっ
て、人々を震え上がらせたのではないか、と考えられていたわけである。
 そのいっぽうで、綱野善彦氏は、中世の「表の王」と「裏社会」が結びつくことで、
天皇家の永続性が約束されたと推理したのである。しかし、これが完壁ではなかった
のは、天皇家の根っこ、古代における天皇家の姿がはっきりしなかったからにほかな
らない。網野善彦氏の説に対する今谷明氏の反論が、「当初権力を持っていた天皇」
という間違った前提からはじめられたのは、致し方のないことであった。
 しかし、すでにヤマト建国のそのとき、天皇(大王)は崇るからこそ連れてこられ
たと考えることで、多くの謎が氷解するのである。
「崇る王」、その根源にある「崇る女神の恐怖」の記憶は、日本人の深層心理にしっ
かりと刻み込まれ、自覚のないまま稲荷や八幡の祠を祭り続けているように思われる。
つまり、「日本の呪いと祟り」の根源には、太古から続く「崇る天皇」という問題が
秘められているのである。
 そして、「天皇」にいったん権力を渡せば、どのような災難に遭うかを十分承知し
ているのにもかかわらず、近代日本が「禁じ手」を使ったのは、日本人としての「ま
ともな神経」を失っていたからにほかなるまい。
 また、だからといってこの王権を危険視し、できれば潰してしまいたいなどという
戦後の「進歩的」な発想に同意することはできない。「崇る神(それは大自然でもあ
る)」に震え上がる謙虚さこそが、日本民族の叡智であり、今日すっかり忘れ去られ
てしまった日本人本来の美徳でもあるからだ。
 なお、今回の文庫化にあたっては、新潮社常務取締役松田宏氏、新潮社文庫編集部
の内田諭氏、新潮社校閲部の新庄滋氏、潟Aイブックコミュニケーションズ代表取締
役の的場康樹氏、歴史作家の梅澤恵美子氏のみなさまにお世話になりました。改めて
お礼申し上げます。

                                           合掌
 
 
 
 
文庫版あとがき

 歴史に「もし」は禁物だが、もし日本ではなく、ドイツやイタリアが「唯一の被爆
国」であったとしたら、広島や長崎の展開するような「核兵器廃絶運動」はしていな
かったのではないか。
 日本の核兵器廃絶運動は、
「核兵器は悲惨な結果を招く。だから核兵器を廃絶しよう」
と「情」を前面に打ち出す。このように訴えることは、まちがいではない。しか
し、本気で核兵器をこの世から葬り去りたいのなら、このやり方はあまり効果がない。
現実を動かすには、戦略とルール作りが必要だからだ。
 もしドイツやイタリアだったら、こうするのではあるまいか。すなわち、核保有国
が非核保有国を核攻撃した場合の厳罰を、国際社会に提案するのだ。
 その一方で、核保有国の経済的負担が大きくなるようなシステムを造る。具体的に
は、非核保有国が国連に代わる組織を造り、核保有国の核兵器保有数に比例した税を
徴収することだ。負担に耐えられなくなった核保有国は、次第に核兵器の数を減らし
ていく……。
 もっとも核保有国は、このようなプランを一蹴するだろう。けれども、現実を変え
るための具体的なプランをもっているかいないかでは、雲泥の差がある。議論を高め
れば、国連のあり方そのものを、変えることができるかもしれない。
 いずれにせよ、核兵器廃絶を情で訴えるだけの運動には、限界がある。第二次世界
大戦の勝者(ほとんどが白人でキリスト教徒)が核兵器を独占的に保有する正当性はも
はやなく、非核保有国に核兵器保有を思いとどまらせる思想的根拠が脆弱なのだ。だ
からこそ、核拡散の恐怖が、現実のものになりつつある。また、資源争奪戦がこのま
ま加熱すれば、核兵器が飛び交う危険性が高まる。
 要は、理念を唱えるだけではなく、現実を動かすための具体的な戦略を練ることだ。
そして、日米安保条約から抜け出し自立した国家を夢みるなら、核武装か、世界を巻
き込んだルール作りのどちらかが必要だということを、自覚する必要がある。
 なぜこのような話をしたかというと、日本人は伝統的に、戦略を練ることが苦手だ
からだ。そして、その理由もはっきりとしている。本編でも触れたように、日本人が
多神教世界にどっぷりと浸かっているためである。
 多神教世界の住民は、大自然(神)のカには、到底かなわないと諦念を抱く。だか
ら、自然を支配し改造しようとする発想が芽生えない。いわば「受け身の処世術」を
身につけている。
 その一方でキリスト教やイスラム教といった一神教世界の住民は、宇宙を創造した
のは神と説き、神の名のもとに自然を支配しようと目論む。だから、世界を支配する
ための正義が掲げられ、プランが描かれる。
 日本の外交に戦略が欠如し、アメリカや中国に振り回されるのは、このような日本
人の宗教観と無縁ではない。内田樹(たつる)氏の『日本辺境論』(新潮新書)に多神教という
キーワードを組み合わせれば、完壁な日本人論が成立する。
 ただし、日本人も一神教的正義を掲げるべきだ、といっているのではない。内田樹
氏も述べているとおり、「こんな変わった国の人間にしかできないことがあるとした
ら、それは何かを考える」べきだろう。
 一神教が砂漠で生まれたのは、一般に言われているように、「何もない砂漠で抽象
的な思考を身につけた」からではなく、「豊穣の地を追い出された敗者が勝者を呪い、
敵を倒す正当性を見出すために一神教は生まれた」と、筆者は考える(『[日本書紀]
が隠し通した天皇の正体』廣済堂文庫)。
 一神教は、大自然に対する畏怖を忘却した独善の信仰であり、一神教の論理を野放
しにすれば、自然破壊は留まるところを知らず、人類滅亡の日は、限りなく近づくに
違いない。事実、核兵器を保有するのは、一神教(共産主義も含まれる)の国々である。
 核兵器廃絶を実現するために必要なのは、一神教世界の論理と戦略ではなく、「多
神教的自然観」を共有する者たちの連携なのではなかろうか。せめてそのための戦略
だけでも、唯一の被爆国である日本が、世界に向けて発信していきたいのである。
 そしてわれわれは、「呪い」や「崇り」に彩られた多神教世界の住民であることを、
誇りにするべきなのである。
 
 
 
 
序章 古代から裏社会を支配する者

裏社会と表社会
誰がこの国を支配しているのか
人間社会を真に支配する者
森に似ている天皇という王権
循環する支配のベクトル
天皇に結びつくことで特権を獲得した道々の輩
天皇は政治力学によって偶然守られた?
王権簒奪を目論んだ足利義満
天皇が「裏」と結びついた契機
神道は破壊され鬼は零落した
藤原に反発した聖武天皇
天皇は呪いと崇りを具現化する者
 
 
第1章 祟りや迷信におびえる権力者たち

二回過去を捨てた日本人
文部省が音頭を取った「迷信」の排除
西洋的=文化的という発想
呪いと崇りの宗教観の基層を形づくった修験道
権力者を嘲笑う修験道
藤原氏は太古の信仰を潰し中臣神道を創作した
崇りにおびえた権力者・藤原氏
崇る鬼・調伏する鬼
神仏分離の本当の標的
深層に沈殿した太古の宗教観
口裂け女に秘められた太古の日本
『日本書紀』に語り継がれた縄文の信仰
口裂け女と山姥のつながり
日本の民俗信仰の基層を彩る豊穣の女神
隠されてしまった豊穣の女神
 
 
第2章 「稲」「水」「塩」に込められた滅びた者の崇り

日本を支配する「崇り」
天皇家を震え上がらせた稲城という呪術
物部守屋も稲城の呪術を用いていた
崇る稲とは何か
水と塩の呪いをかけられた天皇
海神に呪われた皇祖神
崇りと豊穣をもたらす海の神
豊穣の神・伊勢神宮の豊受大神の謎
海の女神に崇られる男たち
豊受大神が海の神であった理由
稲は豊穣と崇りの象徴だった?
海の呪術とつながる一族
由緒正しい一族・蘇我氏
豊受大神と蘇我氏の不思議なつながり
蘇我氏の正体を明らかにする物部氏
蘇我氏と神道のつながり
藤原氏がヒスイを抹殺したわけ
 
 
第3章 全国に広がった稲荷信仰と水の崇りの関係

高知県物部村に残される呪術
なぜ稲荷神は増殖するのか
稲荷神と白鳥(餅)のつながり
稲荷信仰と秦氏の重要性
稲荷信仰と土着信仰のつながり
稲荷信仰は五穀豊穣の祈りなのか
雷神を寄せ付けない稲葉の呪力
夫婦となった雷神と稲の神
雷神と穀霊神のふたつの顔をもつ稲荷の神
なぜ稲荷社は「水」とつながるのか
太陽神天照大神が水の女神であることの不整合
光と水は重なってくる?
天照大神は本当に女性だったのか
天照大神を男性とする『古事記』?
日本的な神ではない天照大神
天照大神と大物主神
稲荷社に隠された♂と♀
ストーンサークルが残した太古の信仰
太陽神と縄文信仰のつながり
ひとつのセットとして祀られた太陽神と豊穣の女神
強烈な崇りを連想させる稲荷神
 
 
第4章 日本を支配する呪いと崇りの正体

なぜヤマト建国に弱い王が求められたのか
ふたりの初代王は崇る王
崇るヒスイの王家を潰した持統と不比等
聖武天皇はなぜ宇佐八幡を特別扱いしたのか
疫病神としての八幡神
八幡神と応神天皇のつながり
宇佐神宮の祭神は崇る神
宇佐八幡の特殊神事に登場する饒速日命とトヨ
住吉が字佐でヤマトを敵に回すという謎
宇佐と宗像・住吉を結ぶ神武天皇
神功皇后をめぐる『日本書紀』の思惑
トヨが九州に封印されたカラクリ
喪船という水の崇り
天孫降臨とトヨ敗北の因果
崇る大物主神という嘘の記述
三輪山の日向御子の正体
呪いと崇りの王の正体
 
 
 
 

http://www.asyura2.com/11/test22/msg/918.html

コメント [原発・フッ素15] 原子力安全庁:実行力は未知数 環境省内にも戸惑い (毎日新聞)  赤かぶ
02. 2011年8月12日 01:45:16: hfS4rU58D6
>環境省には「心情的には反原発の職員が多い」「省内に原子力の専門家はほとんどいない」など戸惑いが広がった。

反原発、脱御用学者が実現しますね。


http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/483.html#c2

記事 [原発・フッ素15] 8/11 放射能汚染の広がりを分析(分析1)  (Nuclear F.C) 
8/11 放射能汚染の広がりを分析(分析1)
http://blog.livedoor.jp/ryoma307/archives/4434352.html
2011年08月11日20:37  Nuclear F.C : 原発のウソ

水素爆発に雨や雪、被害を拡大〈汚染の広がりを分析1〉
朝日新聞:8月11日

福島第一原発の事故による放射性物質の汚染について、日本原子力学会放射線影響分科会は、関東を含めた広域の汚染状況をシミュレーションで検討した。

陸地に風が向かい事故による放射性物質が流れていきやすかった3月15日、同20〜23日に沈着したものがほとんどで、特に2号機の水素爆発で放出が深刻だった15日に、雨や雪が重なったことが汚染拡大につながったと分析している。

放射性物質セシウム134、137の蓄積量 :クリック拡大
http://livedoor.2.blogimg.jp/ryoma307/imgs/8/3/83dd72f7.jpg

 文部科学省は7月末、原発から半径約160キロで航空機を使って測定した放射性セシウムの蓄積量を算出した。

1986年のチェルノブイリ原発事故では、1平方メートル当たり555キロベクレルを超えると、強制移住の対象になった。

 同分科会メンバーの山沢弘実・名古屋大教授(環境放射能)は9日、気象庁などのデータを基に、原発からの放射性物質の放出率などを独自に加えたシミュレーションを分科会に報告。近く学会のホームページに概要が公表される。

http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/485.html

記事 [原発・フッ素15] 8/11 放射能汚染の広がりを分析(分析2)  (Nuclear F.C ) 
8/11 放射能汚染の広がりを分析(分析2)
http://blog.livedoor.jp/ryoma307/archives/4434516.html
2011年08月11日21:00  Nuclear F.C : 原発のウソ

放出増加につれ風は陸向きに〈汚染の広がりを分析2〉
朝日新聞:8月11日

■3月14日深夜〜15日夜

 3月11日の震災後、第一原発では1、3号機で水素爆発があったが、当時の放出は15日より小さく、風はほぼ海側へ流れていた。

14日夕方、2号機で炉心の露出が起こり、原発周辺の放射線量が上がり始めた。

放射性物質の流れのシミュレーション :クリック拡大
http://livedoor.2.blogimg.jp/ryoma307/imgs/a/1/a19f581e.jpg


海に流れていた風は15日朝から陸地に向かい始めた。

放射性プルーム(放射性雲)と呼ばれる放射性物質を多く含む雲のような固まりが、
関東平野に流れる状況が正午ごろまで続いた。

その間、2号機の格納容器で圧力抑制室の破損が起こった。

プルームは原発から約360キロ離れた静岡や関東などへ流れ、各地で放射線量が平常値を超えた。

福島県中通りや栃木北部の汚染は午前9時前後の放出の影響と見られる。

 プルームは15日午後から主に福島県内で流れる。白河市、郡山市、福島市など次々と放射線量が上がり始める。

夕方になると県内各地で雨や雪が降り始め、そして、現在も蓄積量の高い浪江町や飯舘村などの北西方向へ流れ出した。

蓄積した原因について、山沢教授は「大量放出に加え、弱風で放射能濃度が高くなったうえ、山あいの地形、雨や雪の条件も重なり、地表に多く沈着した」と分析する。

http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/486.html

コメント [雑談専用39] 商売にしてはいけないもの 地には平和を
11. 地には平和を 2011年8月12日 01:51:30: inzCOfyMQ6IpM : GVcxcMTgZ6
保険 医療費をタダにしたら医療保険を掛ける必要が無い。病気にならなければ取られ損というこんな商売が成り立つ事自体が政治の貧困だろう。保険会社の売上げを伸ばす為に医療費の個人負担を高くしたんじゃねえか?バカヤロウ!何の為の政府なんだ。何の為の政治なんだ。政治なんてのはなあ。金持ちから金を分捕って貧乏人に配る事なんだよう。アホンダラ。
http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/523.html#c11
記事 [原発・フッ素15] 8/11 放射能汚染の広がりを分析(分析3)  (Nuclear F.C) 
8/11 放射能汚染の広がりを分析(分析3)
http://blog.livedoor.jp/ryoma307/archives/4434724.html
2011年08月11日21:22  Nuclear F.C : 原発のウソ

放射性雲が関東横断、各地で雨〈汚染の広がりを分析3〉
朝日新聞:8月11日

 16日早朝から20日未明まで海側に流れていたプルームは、再び陸地に流れ、関東地方を東から西に横断した後、夜から方向を変えて南下した。

また、20日午後から発生したプルームは北へ流れた。
このとき、宮城北部や岩手南部では20日夕方から21日未明にかけて雨が降った。「飛び地」なのは、このときに沈着した可能性があり、この地域の稲わらの汚染も推測されるという。

3月20日午前〜23日 放射性物質の流れ :クリック拡大
http://livedoor.2.blogimg.jp/ryoma307/imgs/3/f/3f0a9638.jpg

 21〜22日は茨城から北関東を抜け、23日は茨城沿岸から千葉を通り南下。

関東地方の多くではこの間、連日雨が降って各地で放射性物質が地表に沈着した。山沢教授は「後に神奈川西部で確認された茶葉の汚染はこの時期の可能性が高い」という。

 震災後、原発の風は海に流れることが多かったが、15日朝から16日早朝まで陸地に流れていた。その間に深刻な事故が重なった。山沢教授は「15日に2号機で起こったことが数日前後していれば、被害はずっと小さかったはず」と指摘している。(石塚広志)


http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/487.html

コメント [自然災害17] 証言記録 市民たちの戦争 封印された大戦争(NHK):「地震の次は何をお見舞いしましょうか」とB29がビラ 会員番号4153番
15. 2011年8月12日 01:54:54: QWvmT9pcXE

参議院議員:浜田和幸氏ブログ

2011年08月04日 16時32分26秒
気象改変装置の真偽

http://ameblo.jp/hamada-kazuyuki/entry-10975299669.htmlより引用


国会での質問を受け、小生が地震や津波を人工的に発生させる「気象改変装置」について「そうした兵器の研究や実験が繰り返されていることは国際政治や軍事の世界においては常識である」旨を述べたところ、一部の議員から「そんなことはありえない。とんでもない発言だ」といった反応があった。

さらには、そうした議員の発言を鵜呑みにし、「自然や環境を改変するなどできっこない。おかしなことを言うな」とばかり、小生を叩くことに生きがいを感じているとしか思えないメディアまで出てきた。

となれば、この場を借りて、国際政治の現実をお知らせしておかねばならないだろう。

1960年代から80年代にかけて、米ソを中心に自然改変装置や軍事応用の研究が行われたのは歴然とした事実である。

アメリカのコーエン国防長官やブレジンスキー大統領補佐官ですら公の場で認めている話。

であるがゆえに、国連において1977年に「環境改変技術敵対的使用禁止条約」が議論され、1978年には「地震、津波、台風の進路変更、ダム破壊等を人工的に引き起こし軍事的に利用することを禁止する」条約が発効したわけだ。

当時、わが国の衆議院でも参議院でも熱い議論が戦わされたもの。

その結果、わが国も1982年、この条約の締結国に名を連ねることになったのである。

こうした事実を知ろうともしないで、頭から「ありえない」と叫ぶ議員がいることに驚かざるを得ない。

しかも、1996年、アメリカ空軍では「2025年までに気象コントロール兵器の実用化を図る」ための研究レポートをまとめている。


中国も負けずと同様の研究や実験に取り組んでいることは、世界のメディアでは頻繁に紹介されていること。

日本はそうした世界の動きにあまりにも無頓着である。

気づいたときには手遅れ。

そんなことにならないように、注意を喚起するのも小生の仕事だと思っている。


ここまで


日本の議員がここまで声を挙げて指摘しているのにもかかわらず、
一般社会ではほとんど浸透していないように思う。

「地震兵器」という言葉さえ聞いたことのない人たちばかりであろう。

もはや、信じる/信じないとかそういう次元の話ではないような気がするのだが。

http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/502.html#c15

コメント [原発・フッ素15] 8/10 「知られざる関東の放射能汚染」 山内知也教授 (Nuclear F.C)  赤かぶ
15. 2011年8月12日 01:55:37: hfS4rU58D6
Sr-90、29年、骨・歯、3万6000ベクレル、骨腫瘍・白血病

ガンマ線で検査できないストロンチウム含有量はほとんど測定されていない。

36000ベクレル = 72×500ベクレル
そんなに大きな数字ではない。

ストロンチウムは30年たっても体外に排出されない。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/445.html#c15

コメント [カルト8] 副島隆彦 重掲より:福島本部活動日誌です14(吉見おさむ) kanegon
37. 2011年8月12日 01:58:59: EGaQ73B5yp

副島隆彦は佐賀出身らしいけど、ぼろぼろに老朽化した玄海原発については
一言も批判していない。故郷を大事にしない究極の「おのぼりさん」、
故郷を棄てた究極のイナカモン上がりのチンピラである。

副島の故郷のちかくで66年前にプルトニウム爆弾の通称「ファットマン」が
炸裂した。ファットマンの爆薬はハンフォードのプルトニウム製造用原子炉で
製造されたが、その実証炉はロックフェラーが創設したシカゴ大学の
フットボール場の観客席の地下室に極秘に建造したシカゴパイル1号炉であった。

自分の郷里の原発危機には関心すら向けないくせに
副島ならぬ福島でおきた原発災害をセミナー商法のネタにしようと目論んできた
このカルト教祖は、まさに「ファットマン」と呼ぶべき存在ですね。

そして「ファットマン」を妄信して人身御供を嬉々として演じている
おさむチャンは、さながら幼児並みの思考しかできない「リトルボーイ」だ。

まさにピカドンカルトですね。


http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/438.html#c37

記事 [テスト22] 試驗投稿
 
 
 
 

 
 

                
 
 
 
 
藤裔會會長にして孝明帝を祀る平安b宮宮司九條道弘
聯中の手に據つて弑逆されし孝明帝
孝明帝の祟りに怯える「積善の藤家」
鬼・天狗・物の怪に怯える「積善の藤家」

藤原五攝家の一角、平安b宮宮司 九条道弘が玉鉾b社に來てゐた
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/350.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 2 月 19 日 02:25:06: yX4.ILg8Nhnko

伊勢神宮大宮司に鷹司氏 北白川氏の後任
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/332.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 2 月 13 日 19:22:39: yX4.ILg8Nhnko

b國日本の腐敗の元兇の綜本山春日大社が必死にお祓ひ
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/528.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 4 月 25 日 18:37:32: yX4.ILg8Nhnko

其れがHAARPのせいであらうが天體のせいであらうが、各地で災害が發生し、結果として其れは起こる
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/267.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 5 月 30 日 02:57:43: xsXux3woMgsl6

b國日本に盜り憑いた百濟勢力藤原家と云ふ病原菌を自ら驅除しなければ、最惡のシナリオが發動する事に成る
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/362.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 2 月 27 日 02:03:15: yX4.ILg8Nhnko
 
 
 
なにゆゑ國聯ビルがかつての屠殺場に建てられてゐるのか
http://www.asyura2.com/09/bd55/msg/160.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2009 年 2 月 01 日 22:05:44: Gsx84HOp6wiqQ

殺生肉喰禁斷の詔敕
http://www.asyura2.com/09/bd55/msg/189.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2009 年 2 月 04 日 21:45:00: Gsx84HOp6wiqQ

日本人は鯨を喰べる事を止める時が來たやうだ
http://www.asyura2.com/09/bd56/msg/479.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2009 年 6 月 21 日 23:51:05: Gsx84HOp6wiqQ

あくま(惡魔)で肉喰(にくじき)慘業(さんぎやう)を止めぬなら、天の磐戸開きの型として、日向の國を滅ぼすまで
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/472.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 2 月 01 日 23:22:29: yX4.ILg8Nhnko
 
 
 
誠に遺憾乍ら、此れから更に、多くの人が死ぬだらう
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/442.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 7 月 01 日 22:41:40: yX4.ILg8Nhnko
 
 
 
 
 
 
 
 
呪う天皇の暗号 (新潮文庫)
関 裕二 (著)
http://www.amazon.co.jp/呪う天皇の暗号-新潮文庫-関-裕二/dp/4101364745/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1312872772&sr=1-1


はじめに

 足かけ四年使い込んだパソコンのハードディスクから、妙な金属音が聞こえ始め、
いよいよ御陀仏かと観念し、新たなマシーンを購入した。
 真新しいキーボードをぱちぱちとたたき、すべての設定を終え、いざ本格使用とい
う日の朝。電源が入らない。
「よもや……」
 前日の晩、この原稿を書くために、パソコンの壁紙を変えておいたのだ。「呪う天
皇」「崇る天皇」を書くにあたって稲荷信仰に深く分け入る必要があったから、東京
郊外の高尾山の飯縄(いいづな)神社の小さなお堂に祀られる、何十匹という狐様にご登場願った
のだ。気分を高めるために、いつも新著のテーマに合わせた壁紙を用意する。だが、
今回選んだ壁紙は、いつにもなく強烈な妖気をただよわせていた。
 ちょっと観た感じ、異様な光景である。朱色を背景に、びっしりと白い狐がこちら
を向いている。実におどろおどろしい。
「まさか、狐のいたずら……」
 人間とは実に愚かな動物である。それは、パソコンによくある初期故障にすぎない
とわかってからつくづく感じている。トラブル解消後のパソコンは、「狐様」とうま
く共存している。科学の粋を集めたパソコンを操作する人間が、狐の崇りに怯えてし
まったわけである。我ながら失笑した。
 しかし、だからといって、「呪いと崇り」を低俗な宗教観と見下す気持ちはさらさ
らない。「呪いと崇り」こそ、日本人が守り続けてきた一種の「叡智」でもあるから
だ。
 たとえば、樹木には精霊が宿り、無闇にこれを伐り倒せば崇りに遭うと、人々は信
じてきた。
「それは迷信にすぎない」
 と笑殺することはたやすい。だが、このような信仰を守り続けてきたからこそ、日
本列島には豊かな森が残されてきた事実を忘れてはなるまい。
 森を失えば文明が滅びるという歴史の鉄則は、ここ数十年の研究によって唱えられ
るようになったことであって、それ以前、樹木の大切さなど、説かれたことはなかっ
た。にもかかわらず日本列島から森が消滅しなかったのは、湿潤な気侯が幸いしただ
けではなく、「呪いと崇り」が大きな意味を持っていたからである。「呪いや崇り」を
怖れることによって、「生命体としての地球」を、知らず知らずのうちに、われわれ
は守り、またその森にわれわれは守られてきたわけでもある。その点、「呪いや崇り」
とは、科学ではいまだに説明されていない「大自然の摂理」と言いかえても良いわけ
である。
 近代日本がこの貴重な叡智を嘲笑い、軽視したことによって、日本列島の景観がい
かなるものになったか、あらためて述べるまでもあるまい。
「呪いと崇り」は、歴史にも大きな影響を及ぼした。たとえば、三世紀来、日本の王
家には強い権力というものが与えられなかった。「弱い王」が守られてきた理由は、
彼(あるいは彼女)らが「崇る王」そのものだったからである。権力を持たないにも
かかわらず、王家を潰すことができなかったのは、彼らに手をかければ恐ろしい目に
遭う、という共通の認識がもたれていたからにほかならない。では、なぜ日本の王家
は「崇る者」と考えられてきたのだろう。
 日本人と天皇家の謎とは、まさにこれである。
 ヤマト建国の過程で、なぜ「崇る王」が選ばれ擁立されたのだろう。なぜ日本人は、
「呪いと崇り」を怖れる一方で、「呪う王」「崇る王」を求めてやまなかったのか。
 要するに、「恐ろしい王」とは、大自然のあり方そのものであり、日本人は「大自
然の摂理にもっとも近い形の王権」を希求したのではなかったか。そして、だからこ
そ「崇る王」が守られたのではあるまいか。
 では、このような仮説をいかに証明できるというのだろう。「呪う王」「崇る天皇」
の暗号を、解き明かしていこうと思う。
 
 
 
 
おわりに

 国民体育大会などで天皇陛下を招く自治体は、てんやわんやの騒動となる。道は掃
き清められ、厳重な警備体制が敷かれる。宿泊される旅館の畳は新品に張り替えられ、
当然のことながら(?)、古いトイレはウォシュレットに取り替えられる。
 なにがあっても、「粗相」は許されないのだ。
 なぜそうなのかといえば、「天皇は恐ろしい存在」と考えるとすっきりする。「さわ
らぬ神に崇りなし」の精神が根底にある。
「崇る天皇」「永続する天皇」は、日本史最大の謎である。たった一本の錦の御旗に
武士団が恐れおののいた理由は、これまで明確にされてきたとは言えない。ただ漠然
と、権力を持たない東洋的な王権としての「天皇の権威」がいつしか強い幻想となっ
て、人々を震え上がらせたのではないか、と考えられていたわけである。
 そのいっぽうで、綱野善彦氏は、中世の「表の王」と「裏社会」が結びつくことで、
天皇家の永続性が約束されたと推理したのである。しかし、これが完壁ではなかった
のは、天皇家の根っこ、古代における天皇家の姿がはっきりしなかったからにほかな
らない。網野善彦氏の説に対する今谷明氏の反論が、「当初権力を持っていた天皇」
という間違った前提からはじめられたのは、致し方のないことであった。
 しかし、すでにヤマト建国のそのとき、天皇(大王)は崇るからこそ連れてこられ
たと考えることで、多くの謎が氷解するのである。
「崇る王」、その根源にある「崇る女神の恐怖」の記憶は、日本人の深層心理にしっ
かりと刻み込まれ、自覚のないまま稲荷や八幡の祠を祭り続けているように思われる。
つまり、「日本の呪いと祟り」の根源には、太古から続く「崇る天皇」という問題が
秘められているのである。
 そして、「天皇」にいったん権力を渡せば、どのような災難に遭うかを十分承知し
ているのにもかかわらず、近代日本が「禁じ手」を使ったのは、日本人としての「ま
ともな神経」を失っていたからにほかなるまい。
 また、だからといってこの王権を危険視し、できれば潰してしまいたいなどという
戦後の「進歩的」な発想に同意することはできない。「崇る神(それは大自然でもあ
る)」に震え上がる謙虚さこそが、日本民族の叡智であり、今日すっかり忘れ去られ
てしまった日本人本来の美徳でもあるからだ。
 なお、今回の文庫化にあたっては、新潮社常務取締役松田宏氏、新潮社文庫編集部
の内田諭氏、新潮社校閲部の新庄滋氏、潟Aイブックコミュニケーションズ代表取締
役の的場康樹氏、歴史作家の梅澤恵美子氏のみなさまにお世話になりました。改めて
お礼申し上げます。

                                               合掌
 
 
 
 
文庫版あとがき

 歴史に「もし」は禁物だが、もし日本ではなく、ドイツやイタリアが「唯一の被爆
国」であったとしたら、広島や長崎の展開するような「核兵器廃絶運動」はしていな
かったのではないか。
 日本の核兵器廃絶運動は、
「核兵器は悲惨な結果を招く。だから核兵器を廃絶しよう」
と「情」を前面に打ち出す。このように訴えることは、まちがいではない。しか
し、本気で核兵器をこの世から葬り去りたいのなら、このやり方はあまり効果がない。
現実を動かすには、戦略とルール作りが必要だからだ。
 もしドイツやイタリアだったら、こうするのではあるまいか。すなわち、核保有国
が非核保有国を核攻撃した場合の厳罰を、国際社会に提案するのだ。
 その一方で、核保有国の経済的負担が大きくなるようなシステムを造る。具体的に
は、非核保有国が国連に代わる組織を造り、核保有国の核兵器保有数に比例した税を
徴収することだ。負担に耐えられなくなった核保有国は、次第に核兵器の数を減らし
ていく……。
 もっとも核保有国は、このようなプランを一蹴するだろう。けれども、現実を変え
るための具体的なプランをもっているかいないかでは、雲泥の差がある。議論を高め
れば、国連のあり方そのものを、変えることができるかもしれない。
 いずれにせよ、核兵器廃絶を情で訴えるだけの運動には、限界がある。第二次世界
大戦の勝者(ほとんどが白人でキリスト教徒)が核兵器を独占的に保有する正当性はも
はやなく、非核保有国に核兵器保有を思いとどまらせる思想的根拠が脆弱なのだ。だ
からこそ、核拡散の恐怖が、現実のものになりつつある。また、資源争奪戦がこのま
ま加熱すれば、核兵器が飛び交う危険性が高まる。
 要は、理念を唱えるだけではなく、現実を動かすための具体的な戦略を練ることだ。
そして、日米安保条約から抜け出し自立した国家を夢みるなら、核武装か、世界を巻
き込んだルール作りのどちらかが必要だということを、自覚する必要がある。
 なぜこのような話をしたかというと、日本人は伝統的に、戦略を練ることが苦手だ
からだ。そして、その理由もはっきりとしている。本編でも触れたように、日本人が
多神教世界にどっぷりと浸かっているためである。
 多神教世界の住民は、大自然(神)のカには、到底かなわないと諦念を抱く。だか
ら、自然を支配し改造しようとする発想が芽生えない。いわば「受け身の処世術」を
身につけている。
 その一方でキリスト教やイスラム教といった一神教世界の住民は、宇宙を創造した
のは神と説き、神の名のもとに自然を支配しようと目論む。だから、世界を支配する
ための正義が掲げられ、プランが描かれる。
 日本の外交に戦略が欠如し、アメリカや中国に振り回されるのは、このような日本
人の宗教観と無縁ではない。内田樹(たつる)氏の『日本辺境論』(新潮新書)に多神教という
キーワードを組み合わせれば、完壁な日本人論が成立する。
 ただし、日本人も一神教的正義を掲げるべきだ、といっているのではない。内田樹
氏も述べているとおり、「こんな変わった国の人間にしかできないことがあるとした
ら、それは何かを考える」べきだろう。
 一神教が砂漠で生まれたのは、一般に言われているように、「何もない砂漠で抽象
的な思考を身につけた」からではなく、「豊穣の地を追い出された敗者が勝者を呪い、
敵を倒す正当性を見出すために一神教は生まれた」と、筆者は考える(『[日本書紀]
が隠し通した天皇の正体』廣済堂文庫)。
 一神教は、大自然に対する畏怖を忘却した独善の信仰であり、一神教の論理を野放
しにすれば、自然破壊は留まるところを知らず、人類滅亡の日は、限りなく近づくに
違いない。事実、核兵器を保有するのは、一神教(共産主義も含まれる)の国々である。
 核兵器廃絶を実現するために必要なのは、一神教世界の論理と戦略ではなく、「多
神教的自然観」を共有する者たちの連携なのではなかろうか。せめてそのための戦略
だけでも、唯一の被爆国である日本が、世界に向けて発信していきたいのである。
 そしてわれわれは、「呪い」や「崇り」に彩られた多神教世界の住民であることを、
誇りにするべきなのである。
 
 
 
 
序章 古代から裏社会を支配する者

裏社会と表社会
誰がこの国を支配しているのか
人間社会を真に支配する者
森に似ている天皇という王権
循環する支配のベクトル
天皇に結びつくことで特権を獲得した道々の輩
天皇は政治力学によって偶然守られた?
王権簒奪を目論んだ足利義満
天皇が「裏」と結びついた契機
神道は破壊され鬼は零落した
藤原に反発した聖武天皇
天皇は呪いと崇りを具現化する者
 
 
第1章 祟りや迷信におびえる権力者たち

二回過去を捨てた日本人
文部省が音頭を取った「迷信」の排除
西洋的=文化的という発想
呪いと崇りの宗教観の基層を形づくった修験道
権力者を嘲笑う修験道
藤原氏は太古の信仰を潰し中臣神道を創作した
崇りにおびえた権力者・藤原氏
崇る鬼・調伏する鬼
神仏分離の本当の標的
深層に沈殿した太古の宗教観
口裂け女に秘められた太古の日本
『日本書紀』に語り継がれた縄文の信仰
口裂け女と山姥のつながり
日本の民俗信仰の基層を彩る豊穣の女神
隠されてしまった豊穣の女神
 
 
第2章 「稲」「水」「塩」に込められた滅びた者の崇り

日本を支配する「崇り」
天皇家を震え上がらせた稲城という呪術
物部守屋も稲城の呪術を用いていた
崇る稲とは何か
水と塩の呪いをかけられた天皇
海神に呪われた皇祖神
崇りと豊穣をもたらす海の神
豊穣の神・伊勢神宮の豊受大神の謎
海の女神に崇られる男たち
豊受大神が海の神であった理由
稲は豊穣と崇りの象徴だった?
海の呪術とつながる一族
由緒正しい一族・蘇我氏
豊受大神と蘇我氏の不思議なつながり
蘇我氏の正体を明らかにする物部氏
蘇我氏と神道のつながり
藤原氏がヒスイを抹殺したわけ
 
 
第3章 全国に広がった稲荷信仰と水の崇りの関係

高知県物部村に残される呪術
なぜ稲荷神は増殖するのか
稲荷神と白鳥(餅)のつながり
稲荷信仰と秦氏の重要性
稲荷信仰と土着信仰のつながり
稲荷信仰は五穀豊穣の祈りなのか
雷神を寄せ付けない稲葉の呪力
夫婦となった雷神と稲の神
雷神と穀霊神のふたつの顔をもつ稲荷の神
なぜ稲荷社は「水」とつながるのか
太陽神天照大神が水の女神であることの不整合
光と水は重なってくる?
天照大神は本当に女性だったのか
天照大神を男性とする『古事記』?
日本的な神ではない天照大神
天照大神と大物主神
稲荷社に隠された♂と♀
ストーンサークルが残した太古の信仰
太陽神と縄文信仰のつながり
ひとつのセットとして祀られた太陽神と豊穣の女神
強烈な崇りを連想させる稲荷神
 
 
第4章 日本を支配する呪いと崇りの正体

なぜヤマト建国に弱い王が求められたのか
ふたりの初代王は崇る王
崇るヒスイの王家を潰した持統と不比等
聖武天皇はなぜ宇佐八幡を特別扱いしたのか
疫病神としての八幡神
八幡神と応神天皇のつながり
宇佐神宮の祭神は崇る神
宇佐八幡の特殊神事に登場する饒速日命とトヨ
住吉が字佐でヤマトを敵に回すという謎
宇佐と宗像・住吉を結ぶ神武天皇
神功皇后をめぐる『日本書紀』の思惑
トヨが九州に封印されたカラクリ
喪船という水の崇り
天孫降臨とトヨ敗北の因果
崇る大物主神という嘘の記述
三輪山の日向御子の正体
呪いと崇りの王の正体
 
 
 
 

http://www.asyura2.com/11/test22/msg/919.html

記事 [雑談専用39] ひょっとしたら愛が芽生えて来たのかも知れない。
とても気になる人がいるんです。
その人は私に会えないと寂しいと言うんです。
こんなのはノロケですよねえ。
スンマセン。
でもね。
その人は私がどんな人間なのかは知りません。
一緒になってもその人を幸福にできるハズがありません。
だから適当に仲良くしてそこまでで留めようと思います。
その人の笑顔を見るといじらしく思います。
こんな腹が出たオッサンでも好いてくれているのかと。
そういう人間関係には私はなれていないのでなんだか嬉しいんですけれども私にはもったいない世界だと思います。
だってこんな人間なんですよ。
付き合ったら相手が不幸になるでしょう。
やめとこ。
以上です。
http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/526.html
コメント [原発・フッ素15] RC造の原発建屋は水素爆発で「破裂」した palクン
05. 2011年8月12日 02:04:45: oz33FCcPgo
例の無人機による航空写真
http://photos.oregonlive.com/photo-essay/2011/03/fukushima_dai-ichi_aerials.html

3号機燃料プール部分に穴が開いて白煙が上がっている。
プール内で爆発があったのは明白だ。天井付近に溜まった水素の爆発では説明できない。
爆発で吹き飛んだガレキが隣のタービン建屋屋上に落下、大穴を開けた。

不思議なのは、反対側(2号機側)でも爆発があったらしく屋根の骨組みが吹き飛んでいること。
タービン建屋の小さいほうの穴は、ここから飛んだガレキが落下してできたものだろう。

屋根骨組みがかろうじて残っているのは原子炉上部だけだ。

4号機も興味深い。
屋根が宙に飛び垂直に落ちてきて、3号機側の縁にぶつかって側壁を内側に曲げ、
骨組みを突き破って屏風のように立っている。
(4号機は3号機の爆発直後は無傷だった)

3号機ほどひどくないが、相当強力な爆発があったことは間違いない。
爆発時の動画像はあるはずだが、不都合な真実が写っているため隠していると思われる。
4号機燃料プールからかなりのヨウ素131が検出されており、おそらく燃料溶融による
水素爆発だろうが、原因は諸説ある。

政府・東電は、3号機から排気管を伝わって水素が漏れてきたとかプロパンガスの爆発だとか
説明しているが説得力はゼロ。
そもそも排気管は3号機の爆発で壊れている。

もし3号機で水素爆発だけが起きたのなら、4号機のように屋根・側壁の骨組みは
残っていたと思われる。
この2つの建屋の爆発の原因が全く違うことは素人でもわかる。

http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/467.html#c5

記事 [テスト22] 試驗投稿
 
 
 
 

 
 

                
 
 
 
 
藤裔會會長にして孝明帝を祀る平安b宮宮司九條道弘
聯中の手に據つて弑逆されし孝明帝
孝明帝の祟りに怯える「積善の藤家」
鬼・天狗・物の怪に怯える「積善の藤家」

藤原五攝家の一角、平安b宮宮司 九条道弘が玉鉾b社に來てゐた
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/350.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 2 月 19 日 02:25:06: yX4.ILg8Nhnko

伊勢神宮大宮司に鷹司氏 北白川氏の後任
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/332.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 2 月 13 日 19:22:39: yX4.ILg8Nhnko

b國日本の腐敗の元兇の綜本山春日大社が必死にお祓ひ
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/528.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 4 月 25 日 18:37:32: yX4.ILg8Nhnko

其れがHAARPのせいであらうが天體のせいであらうが、各地で災害が發生し、結果として其れは起こる
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/267.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 5 月 30 日 02:57:43: xsXux3woMgsl6

b國日本に盜り憑いた百濟勢力藤原家と云ふ病原菌を自ら驅除しなければ、最惡のシナリオが發動する事に成る
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/362.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 2 月 27 日 02:03:15: yX4.ILg8Nhnko
 
 
 
なにゆゑ國聯ビルがかつての屠殺場に建てられてゐるのか
http://www.asyura2.com/09/bd55/msg/160.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2009 年 2 月 01 日 22:05:44: Gsx84HOp6wiqQ

殺生肉喰禁斷の詔敕
http://www.asyura2.com/09/bd55/msg/189.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2009 年 2 月 04 日 21:45:00: Gsx84HOp6wiqQ

日本人は鯨を喰べる事を止める時が來たやうだ
http://www.asyura2.com/09/bd56/msg/479.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2009 年 6 月 21 日 23:51:05: Gsx84HOp6wiqQ

あくま(惡魔)で肉喰(にくじき)慘業(さんぎやう)を止めぬなら、天の磐戸開きの型として、日向の國を滅ぼすまで
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/472.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 2 月 01 日 23:22:29: yX4.ILg8Nhnko
 
 
 
誠に遺憾乍ら、此れから更に、多くの人が死ぬだらう
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/442.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 7 月 01 日 22:41:40: yX4.ILg8Nhnko
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
呪う天皇の暗号 (新潮文庫)
関 裕二 (著)
http://www.amazon.co.jp/呪う天皇の暗号-新潮文庫-関-裕二/dp/4101364745/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1312872772&sr=1-1


はじめに

 足かけ四年使い込んだパソコンのハードディスクから、妙な金属音が聞こえ始め、
いよいよ御陀仏かと観念し、新たなマシーンを購入した。
 真新しいキーボードをぱちぱちとたたき、すべての設定を終え、いざ本格使用とい
う日の朝。電源が入らない。
「よもや……」
 前日の晩、この原稿を書くために、パソコンの壁紙を変えておいたのだ。「呪う天
皇」「崇る天皇」を書くにあたって稲荷信仰に深く分け入る必要があったから、東京
郊外の高尾山の飯縄(いいづな)神社の小さなお堂に祀られる、何十匹という狐様にご登場願った
のだ。気分を高めるために、いつも新著のテーマに合わせた壁紙を用意する。だが、
今回選んだ壁紙は、いつにもなく強烈な妖気をただよわせていた。
 ちょっと観た感じ、異様な光景である。朱色を背景に、びっしりと白い狐がこちら
を向いている。実におどろおどろしい。
「まさか、狐のいたずら……」
 人間とは実に愚かな動物である。それは、パソコンによくある初期故障にすぎない
とわかってからつくづく感じている。トラブル解消後のパソコンは、「狐様」とうま
く共存している。科学の粋を集めたパソコンを操作する人間が、狐の崇りに怯えてし
まったわけである。我ながら失笑した。
 しかし、だからといって、「呪いと崇り」を低俗な宗教観と見下す気持ちはさらさ
らない。「呪いと崇り」こそ、日本人が守り続けてきた一種の「叡智」でもあるから
だ。
 たとえば、樹木には精霊が宿り、無闇にこれを伐り倒せば崇りに遭うと、人々は信
じてきた。
「それは迷信にすぎない」
 と笑殺することはたやすい。だが、このような信仰を守り続けてきたからこそ、日
本列島には豊かな森が残されてきた事実を忘れてはなるまい。
 森を失えば文明が滅びるという歴史の鉄則は、ここ数十年の研究によって唱えられ
るようになったことであって、それ以前、樹木の大切さなど、説かれたことはなかっ
た。にもかかわらず日本列島から森が消滅しなかったのは、湿潤な気侯が幸いしただ
けではなく、「呪いと崇り」が大きな意味を持っていたからである。「呪いや崇り」を
怖れることによって、「生命体としての地球」を、知らず知らずのうちに、われわれ
は守り、またその森にわれわれは守られてきたわけでもある。その点、「呪いや崇り」
とは、科学ではいまだに説明されていない「大自然の摂理」と言いかえても良いわけ
である。
 近代日本がこの貴重な叡智を嘲笑い、軽視したことによって、日本列島の景観がい
かなるものになったか、あらためて述べるまでもあるまい。
「呪いと崇り」は、歴史にも大きな影響を及ぼした。たとえば、三世紀来、日本の王
家には強い権力というものが与えられなかった。「弱い王」が守られてきた理由は、
彼(あるいは彼女)らが「崇る王」そのものだったからである。権力を持たないにも
かかわらず、王家を潰すことができなかったのは、彼らに手をかければ恐ろしい目に
遭う、という共通の認識がもたれていたからにほかならない。では、なぜ日本の王家
は「崇る者」と考えられてきたのだろう。
 日本人と天皇家の謎とは、まさにこれである。
 ヤマト建国の過程で、なぜ「崇る王」が選ばれ擁立されたのだろう。なぜ日本人は、
「呪いと崇り」を怖れる一方で、「呪う王」「崇る王」を求めてやまなかったのか。
 要するに、「恐ろしい王」とは、大自然のあり方そのものであり、日本人は「大自
然の摂理にもっとも近い形の王権」を希求したのではなかったか。そして、だからこ
そ「崇る王」が守られたのではあるまいか。
 では、このような仮説をいかに証明できるというのだろう。「呪う王」「崇る天皇」
の暗号を、解き明かしていこうと思う。
 
 
 
 
おわりに

 国民体育大会などで天皇陛下を招く自治体は、てんやわんやの騒動となる。道は掃
き清められ、厳重な警備体制が敷かれる。宿泊される旅館の畳は新品に張り替えられ、
当然のことながら(?)、古いトイレはウォシュレットに取り替えられる。
 なにがあっても、「粗相」は許されないのだ。
 なぜそうなのかといえば、「天皇は恐ろしい存在」と考えるとすっきりする。「さわ
らぬ神に崇りなし」の精神が根底にある。
「崇る天皇」「永続する天皇」は、日本史最大の謎である。たった一本の錦の御旗に
武士団が恐れおののいた理由は、これまで明確にされてきたとは言えない。ただ漠然
と、権力を持たない東洋的な王権としての「天皇の権威」がいつしか強い幻想となっ
て、人々を震え上がらせたのではないか、と考えられていたわけである。
 そのいっぽうで、綱野善彦氏は、中世の「表の王」と「裏社会」が結びつくことで、
天皇家の永続性が約束されたと推理したのである。しかし、これが完壁ではなかった
のは、天皇家の根っこ、古代における天皇家の姿がはっきりしなかったからにほかな
らない。網野善彦氏の説に対する今谷明氏の反論が、「当初権力を持っていた天皇」
という間違った前提からはじめられたのは、致し方のないことであった。
 しかし、すでにヤマト建国のそのとき、天皇(大王)は崇るからこそ連れてこられ
たと考えることで、多くの謎が氷解するのである。
「崇る王」、その根源にある「崇る女神の恐怖」の記憶は、日本人の深層心理にしっ
かりと刻み込まれ、自覚のないまま稲荷や八幡の祠を祭り続けているように思われる。
つまり、「日本の呪いと祟り」の根源には、太古から続く「崇る天皇」という問題が
秘められているのである。
 そして、「天皇」にいったん権力を渡せば、どのような災難に遭うかを十分承知し
ているのにもかかわらず、近代日本が「禁じ手」を使ったのは、日本人としての「ま
ともな神経」を失っていたからにほかなるまい。
 また、だからといってこの王権を危険視し、できれば潰してしまいたいなどという
戦後の「進歩的」な発想に同意することはできない。「崇る神(それは大自然でもあ
る)」に震え上がる謙虚さこそが、日本民族の叡智であり、今日すっかり忘れ去られ
てしまった日本人本来の美徳でもあるからだ。
 なお、今回の文庫化にあたっては、新潮社常務取締役松田宏氏、新潮社文庫編集部
の内田諭氏、新潮社校閲部の新庄滋氏、潟Aイブックコミュニケーションズ代表取締
役の的場康樹氏、歴史作家の梅澤恵美子氏のみなさまにお世話になりました。改めて
お礼申し上げます。

                                               合掌
 
 
 
 
文庫版あとがき

 歴史に「もし」は禁物だが、もし日本ではなく、ドイツやイタリアが「唯一の被爆
国」であったとしたら、広島や長崎の展開するような「核兵器廃絶運動」はしていな
かったのではないか。
 日本の核兵器廃絶運動は、
「核兵器は悲惨な結果を招く。だから核兵器を廃絶しよう」
と「情」を前面に打ち出す。このように訴えることは、まちがいではない。しか
し、本気で核兵器をこの世から葬り去りたいのなら、このやり方はあまり効果がない。
現実を動かすには、戦略とルール作りが必要だからだ。
 もしドイツやイタリアだったら、こうするのではあるまいか。すなわち、核保有国
が非核保有国を核攻撃した場合の厳罰を、国際社会に提案するのだ。
 その一方で、核保有国の経済的負担が大きくなるようなシステムを造る。具体的に
は、非核保有国が国連に代わる組織を造り、核保有国の核兵器保有数に比例した税を
徴収することだ。負担に耐えられなくなった核保有国は、次第に核兵器の数を減らし
ていく……。
 もっとも核保有国は、このようなプランを一蹴するだろう。けれども、現実を変え
るための具体的なプランをもっているかいないかでは、雲泥の差がある。議論を高め
れば、国連のあり方そのものを、変えることができるかもしれない。
 いずれにせよ、核兵器廃絶を情で訴えるだけの運動には、限界がある。第二次世界
大戦の勝者(ほとんどが白人でキリスト教徒)が核兵器を独占的に保有する正当性はも
はやなく、非核保有国に核兵器保有を思いとどまらせる思想的根拠が脆弱なのだ。だ
からこそ、核拡散の恐怖が、現実のものになりつつある。また、資源争奪戦がこのま
ま加熱すれば、核兵器が飛び交う危険性が高まる。
 要は、理念を唱えるだけではなく、現実を動かすための具体的な戦略を練ることだ。
そして、日米安保条約から抜け出し自立した国家を夢みるなら、核武装か、世界を巻
き込んだルール作りのどちらかが必要だということを、自覚する必要がある。
 なぜこのような話をしたかというと、日本人は伝統的に、戦略を練ることが苦手だ
からだ。そして、その理由もはっきりとしている。本編でも触れたように、日本人が
多神教世界にどっぷりと浸かっているためである。
 多神教世界の住民は、大自然(神)のカには、到底かなわないと諦念を抱く。だか
ら、自然を支配し改造しようとする発想が芽生えない。いわば「受け身の処世術」を
身につけている。
 その一方でキリスト教やイスラム教といった一神教世界の住民は、宇宙を創造した
のは神と説き、神の名のもとに自然を支配しようと目論む。だから、世界を支配する
ための正義が掲げられ、プランが描かれる。
 日本の外交に戦略が欠如し、アメリカや中国に振り回されるのは、このような日本
人の宗教観と無縁ではない。内田樹(たつる)氏の『日本辺境論』(新潮新書)に多神教という
キーワードを組み合わせれば、完壁な日本人論が成立する。
 ただし、日本人も一神教的正義を掲げるべきだ、といっているのではない。内田樹
氏も述べているとおり、「こんな変わった国の人間にしかできないことがあるとした
ら、それは何かを考える」べきだろう。
 一神教が砂漠で生まれたのは、一般に言われているように、「何もない砂漠で抽象
的な思考を身につけた」からではなく、「豊穣の地を追い出された敗者が勝者を呪い、
敵を倒す正当性を見出すために一神教は生まれた」と、筆者は考える(『[日本書紀]
が隠し通した天皇の正体』廣済堂文庫)。
 一神教は、大自然に対する畏怖を忘却した独善の信仰であり、一神教の論理を野放
しにすれば、自然破壊は留まるところを知らず、人類滅亡の日は、限りなく近づくに
違いない。事実、核兵器を保有するのは、一神教(共産主義も含まれる)の国々である。
 核兵器廃絶を実現するために必要なのは、一神教世界の論理と戦略ではなく、「多
神教的自然観」を共有する者たちの連携なのではなかろうか。せめてそのための戦略
だけでも、唯一の被爆国である日本が、世界に向けて発信していきたいのである。
 そしてわれわれは、「呪い」や「崇り」に彩られた多神教世界の住民であることを、
誇りにするべきなのである。
 
 
 
 
序章 古代から裏社会を支配する者

裏社会と表社会
誰がこの国を支配しているのか
人間社会を真に支配する者
森に似ている天皇という王権
循環する支配のベクトル
天皇に結びつくことで特権を獲得した道々の輩
天皇は政治力学によって偶然守られた?
王権簒奪を目論んだ足利義満
天皇が「裏」と結びついた契機
神道は破壊され鬼は零落した
藤原に反発した聖武天皇
天皇は呪いと崇りを具現化する者
 
 
第1章 祟りや迷信におびえる権力者たち

二回過去を捨てた日本人
文部省が音頭を取った「迷信」の排除
西洋的=文化的という発想
呪いと崇りの宗教観の基層を形づくった修験道
権力者を嘲笑う修験道
藤原氏は太古の信仰を潰し中臣神道を創作した
崇りにおびえた権力者・藤原氏
崇る鬼・調伏する鬼
神仏分離の本当の標的
深層に沈殿した太古の宗教観
口裂け女に秘められた太古の日本
『日本書紀』に語り継がれた縄文の信仰
口裂け女と山姥のつながり
日本の民俗信仰の基層を彩る豊穣の女神
隠されてしまった豊穣の女神
 
 
第2章 「稲」「水」「塩」に込められた滅びた者の崇り

日本を支配する「崇り」
天皇家を震え上がらせた稲城という呪術
物部守屋も稲城の呪術を用いていた
崇る稲とは何か
水と塩の呪いをかけられた天皇
海神に呪われた皇祖神
崇りと豊穣をもたらす海の神
豊穣の神・伊勢神宮の豊受大神の謎
海の女神に崇られる男たち
豊受大神が海の神であった理由
稲は豊穣と崇りの象徴だった?
海の呪術とつながる一族
由緒正しい一族・蘇我氏
豊受大神と蘇我氏の不思議なつながり
蘇我氏の正体を明らかにする物部氏
蘇我氏と神道のつながり
藤原氏がヒスイを抹殺したわけ
 
 
第3章 全国に広がった稲荷信仰と水の崇りの関係

高知県物部村に残される呪術
なぜ稲荷神は増殖するのか
稲荷神と白鳥(餅)のつながり
稲荷信仰と秦氏の重要性
稲荷信仰と土着信仰のつながり
稲荷信仰は五穀豊穣の祈りなのか
雷神を寄せ付けない稲葉の呪力
夫婦となった雷神と稲の神
雷神と穀霊神のふたつの顔をもつ稲荷の神
なぜ稲荷社は「水」とつながるのか
太陽神天照大神が水の女神であることの不整合
光と水は重なってくる?
天照大神は本当に女性だったのか
天照大神を男性とする『古事記』?
日本的な神ではない天照大神
天照大神と大物主神
稲荷社に隠された♂と♀
ストーンサークルが残した太古の信仰
太陽神と縄文信仰のつながり
ひとつのセットとして祀られた太陽神と豊穣の女神
強烈な崇りを連想させる稲荷神
 
 
第4章 日本を支配する呪いと崇りの正体

なぜヤマト建国に弱い王が求められたのか
ふたりの初代王は崇る王
崇るヒスイの王家を潰した持統と不比等
聖武天皇はなぜ宇佐八幡を特別扱いしたのか
疫病神としての八幡神
八幡神と応神天皇のつながり
宇佐神宮の祭神は崇る神
宇佐八幡の特殊神事に登場する饒速日命とトヨ
住吉が字佐でヤマトを敵に回すという謎
宇佐と宗像・住吉を結ぶ神武天皇
神功皇后をめぐる『日本書紀』の思惑
トヨが九州に封印されたカラクリ
喪船という水の崇り
天孫降臨とトヨ敗北の因果
崇る大物主神という嘘の記述
三輪山の日向御子の正体
呪いと崇りの王の正体
 
 
 
 

http://www.asyura2.com/11/test22/msg/920.html

コメント [原発・フッ素15] “保守派”論客が原発継続を語る:とても保守派とは思えない言説 あっしら
19. 2011年8月12日 02:07:08: rZFD7jqM6Y
金美齢は勿論、櫻井よしこは台湾ロビーです。
核武装を動機とした原発推進派の歴史は、岸信介から梶山静六までの台湾ロビーと重なっています。


http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/469.html#c19

記事 [経世済民72] モルガンが三菱UFJを排除 週刊ダイヤモンド
http://diamond.jp/articles/-/13249

日本唯一のDRAM(半導体メモリ)メーカー、エルピーダメモリによる資金調達が、証券界に一つの波紋を広げている。三菱UFJモルガン・スタンレー証券(旧三菱UFJ〈MU〉証券。以下、MUモルガン)が、資本提携先の米モルガン・スタンレーに不信感を抱いているというのだ。

 7月11日、エルピーダは公募増資と、転換社債型新株予約権付き社債(CB)を発行し、総額約800億円を資金調達すると発表。震災後最大規模となるだけに、証券界では話題を呼んだ。

 これら資金調達の主幹事証券には、大和証券キャピタル・マーケッツとモルガン・スタンレーMUFG証券(旧モルガン・スタンレー証券。以下、モルガンMU)の2社が食い込んだ。

 ところが、である。旧モルガン証券が共同主幹事に名を連ねているにもかかわらず、旧MU証券が主幹事以下の引受幹事にさえ入れてもらえなかったことで、MUモルガン側が反感を強めているのだ。

 というのも、三菱UFJフィナンシャル・グループとモルガンが共同出資するMUモルガンとモルガンMUの国内証券2社は、日本企業が世界の投資家から資金調達する場合、国内調達は旧MU証券、海外での調達は旧モルガン証券が担当するという役割分担で契約を締結していた。

 この契約に則れば、国内で35%、海外で65%を調達するエルピーダの公募増資についても当然、国内分に関してはMUモルガンに任されるはずだったのだ。

 にもかかわらず、主幹事以下の引受幹事には野村證券、みずほ証券、そしてSMBC日興証券の名前だけで、MUモルガンは完全に蚊帳の外。それゆえ「モルガンにとって三菱UFJは不要ということか」と、国内の機関投資家からも訝る声が上がっている。

 さらにCBに至っては、すべて国内で調達を予定しているにもかかわらず、これまたMUモルガンがはずされていることから、「意図的に三菱UFJを排除したとしか思えない」と、あるMUモルガン関係者は怒りを露にする。

 そもそも三菱UFJは、リーマンショック後の2008年10月、経営危機に陥っていたモルガン本体に90億ドルもの大金を出資して救済。それに伴って、国内証券2社については全面統合を計画していたが、結局断念してしまったという経緯がある。 

 そのため両社は、これまで「2社体制でうまくいく」と豪語してきた。しかしその水面下では、それぞれ別々に機関投資家や企業に営業をかけ、「顧客を奪い合っている」(MUモルガン幹部)のが実情で、協働というよりむしろ火花を散らしていたというわけだ。

 エルピーダの大規模な資金調達案件は、まさにこうした両社の本音と建前のチグハグさが表れた象徴的な事案だったといえる。

(「週刊ダイヤモンド」編集部 池田光史)

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コメント

菅民主党総理が、辞任することで民主党内が動き出したようですが、ポッポ総理、そして菅総理、その次は、どなたが行うのでしょうか。

どの会社でも重要な職務を担当するはずの人間が病気、あるいは何らかの理由で代役を求めることがあります。

しかし、その代役にしてもだれもが務まるとは限りません。代役といえば、野球でいうとピンチヒッター。ここで、ヒットかホームランでもかっとばしてもらいたい、あるいはバントでもいいから、塁を前に進めてもらいたいという気持ちがその代役に求められているということです。

つまり、アウトになってはいけないというのが、代役の務めということです。

やりたい人よりやらせたい人というのが、本来次の総理になってもらいたいものです。

自分がやりたいと手を上げる人は、それなりに自信と情熱は持っているとは思いますが、それが菅総理のように思い込みとなり、自らの欠点を見えなくさせているのかもしれません。

小沢元幹事長は、今の民主党に政権担当能力がないとこぼしていたことがありましたが、それが事実であることが今回証明されたわけであり、思い込みで国民の大事な舵をとる政権を私物化してもらいたくないというのが多くの国民の気持ちではないでしょうか。

米国であろうとも中国であろうとも日本の御用組合意識が強い労働者と同じ釜の飯をくうというのは、難しいようです。私も、たまに知り合いの外国人にあうと、お前の黒い目つきがたまに怖いところがあるともいわれますが、こちらもお前の馬鹿でかいけつが怖いよと冗談をいったりしますが、青い目からみれば黒い目というのは、一種恐怖心があるのかもしれません。

財務省=国家という状況を変える必要がある
http://www.youtube.com/watch?v=CHfp-C3sAdw

江田議員が叱る みんな騙されてる 増税は財務省の陰謀だ
http://www.youtube.com/watch?v=UWaIAqBkyIk

財務省 天下りの斡旋状況(2006年1月〜2008年12月)
http://www.youtube.com/watch?v=zyRcFFdBXIg

『増税は国の借金を増やす』小野盛司 AJER2011.8.1(2)
http://www.youtube.com/watch?v=fVKa0I6OyEU

高橋洋一氏によれば、日銀を含む財務省などの増税派といわれる役人は、親デフレ、円高容認論者だということです。ならば、今までの状況がよく理解できるともいえます。

つまり税収を上げたいのではなく、税率をあげたいということらしいです。

そのことが、権益拡大、そして天下り、企業との駆け引き、癒着となるそうです。

今回経済産業省で改革派と非改革派と電力関係で意見が分かれているような雰囲気ですが、経済産業省というのは、もともと経済政策で大きく分裂した時もあり、その姿こそが経済産業省ともいわれたことから、民主党政権になり、その政策の違いのアンバランスが表に現れ、一方方向に傾きすぎたというのが実態ではないでしょうか。

しかし、財務省にしても日銀にしても、何らかの金融危機があれば対応をしようとしますが、成長に向けての金融政策というものが省内、日銀にはないし、考える気もないというのが実態でしょう。

よって、金融政策に対して経済産業省のような分裂さえおこらないということかもしれません。

ただ、財務省にしても経済産業省にしても他のどの省にしても天下り、利権構造を生もうとする役人の性質は変わらないようです。

グリーンスパン元FRB議長が、米国のFRBの社員は、きわめて優秀だと感じたのは、金融政策をFRB内でおこなってきたという歴史があったからでしょう。

【IMF 財務省 内閣府モデルからの脱却 時代は積極財政!】 宍戸駿太郎1
http://www.youtube.com/watch?v=u-3Vh4vzKT0

【IMF 財務省 内閣府モデルからの脱却 時代は積極財政!】 宍戸駿太郎2
http://www.youtube.com/watch?v=uSuRAYsdguE&feature=mfu_in_order&list=UL

【IMF 財務省 内閣府モデルからの脱却 時代は積極財政!】 宍戸駿太郎3
http://www.youtube.com/watch?v=cjS8W-RuX4o

【IMF 財務省 内閣府モデルからの脱却 時代は積極財政!】 宍戸駿太郎4
http://www.youtube.com/watch?v=aSeKANEHXfk&feature=related

【IMF 財務省 内閣府モデルからの脱却 時代は積極財政!】 宍戸駿太郎5
http://www.youtube.com/watch?v=jrGpaI7kROM&feature=related

【IMF 財務省 内閣府モデルからの脱却 時代は積極財政!】 宍戸駿太郎6
http://www.youtube.com/watch?v=Pqq_EtrKNvA&feature=related

【IMF 財務省 内閣府モデルからの脱却 時代は積極財政!】 宍戸駿太郎7
http://www.youtube.com/watch?v=AypWu9tdlxw&feature=related

【IMF 財務省 内閣府モデルからの脱却 時代は積極財政!】 宍戸駿太郎8
http://www.youtube.com/watch?v=3PBjdY8J6YI&feature=related

菅総理辞任後は、増税、つまりデフレ派かそれとも非増税、脱デフレ派と意見が政治家でわかれるかどうかというところで一線を引いてもらいたいものです。

また、あやふやとなるともはや今の政治家では、何も解決できずなすがままの状況へと農耕民族独特の性質、諦めが日本全体に充満するかもしれません。

超円高、海外企業買収などで追い風に
http://www.youtube.com/watch?v=RNbWmFG8ux8

地産地消といって国内で食べたり使用するものは、国内製造品を買おうとする動きがあるようですが、この掲示板の読者には批判されるかもしれませんが、借金してまでして日本の製品を買いまくった米国国民のために、今度は、日本の国民が、強い円を利用して米国からの窓口を緩和して、国内メーカーとの競争を促進しながら米国製品を購入しようとすることも必要だと感じますが。

製品を買ってもらう代わりに、米国債をたんまり買っているということかもしれませんが、今や物を米国から買うことのほうが米国債を買うよりもいい関係が作れるのではないでしょうか。さすれば、米国のメーカーも日本にあうものを輸出してくるでしょう。

日本村組織を開放することです。そのためには、労働法制も変えていくべきでしょうし、日本企業もそして米国企業も柔軟に消費者である国民に対応していくことかもしれません。

ただ、上記に記事のようにどちらも柔軟な姿勢にならないと同じようなことがどの企業でも続くことになるのかもしれません。
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/712.html

コメント [原発・フッ素15] 政府らが未だ「人体影響はない」と厳命する理由はこれだ! (先住民族末裔の反乱)  赤かぶ
94. 2011年8月12日 02:12:26: rhbXmxdmJw
<93. 2011年8月11日 23:55:37: 2fbNRG7mfc様
同感です。

「アメリカには正確に被曝の報告してたが日本では秘匿され」た、真の研究者の方々による血と汗の結晶である、そのデータを、なんとしても我々の手に取り戻しその思いを今こそ還元させなければならない。


東京大学名誉教授(原子核物理、放射線計測、放射線防護)で日本原子力研究開発機構客員研究員
柴田徳思

及び、その太鼓持ち(中川?)などのザコを増長させないためにも。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/346.html#c94

コメント [原発・フッ素15] “保守派”論客が原発継続を語る:とても保守派とは思えない言説 あっしら
20. 2011年8月12日 02:20:13: EGaQ73B5yp
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新しい日本の法律が、有害な原発情報を”浄化する”
 New Japan Law ‘Cleanses’ Bad Nuclear News(7月24日)

Source: http://www.ukprogressive.co.uk/new-japan-law-cleanses-bad-nuclear-news/article13589.html


7月15日、経済産業省の資源エネルギー庁は”原子力安全規制情報広聴・広報事業”の要請を明らかにしました。これは政府と契約した請負人が、原発事故や放射線について述べているブログやツイッターを監視する計画です。

7月21日に政府の基準値を超えたセシウムを含んだ干草を食べた1500頭の牛が、福島や他の県から沖縄以外の日本中に出荷されたことを、ジャパン・タイムスは報告しました。

核施設の中や周辺での高まる汚染の証拠は、楽観主義に水を差しました。

この新しい報告により、消費者の間で牛肉や鶏肉、豚肉は食べても安全かどうか疑問が起きています。

2011年3月11日以来、東京電力や日本政府にとって不都合なユーチューブの画像やコメントは、投稿後数時間以内に削除されていると報告されています。

政府にとって不愉快なユーチューブ映像には、TV番組の引用で、核施設から煙が出ているシーンでの物議をかもす発言や、元東京電力の従業員が福島での体験を語っている映像などがあります。

核施設や放射線問題についてのコメントが多すぎるツイッターのアカウントは、破壊されています。

6月17日、日本の国会は”コンピューター監視法”を通過させました。

成城大学法学部、指宿教授はこうコメントしています。「コンピューター監視法は、警察が制限無しに全ての人のインターネット活動を監視することを可能にするでしょう。」

この法律は、サイバー攻撃を対象にした場合、表面的には有益に見えますが、ある日本の評論家らは、この法律は憲法に反すると示唆しています。

多くの放射能汚染された牛が福島から遠く離れた所で発見された一方で、もっと重要なことはそれらの牛のえさはどこから来たのかということです。

不可解な地域:吉沢氏の牧場は福島第一から14キロ風下にあります。政府は彼に、彼の牛300頭を殺すよう命じました。周辺の動物のほとんどはどこかへ行ってしまいましたが、ある動物たちは放たれて、彼の群れに合流しました。吉沢氏は牛を殺すことを拒否しました。彼はそれらの牛を用いて、放射能の効果を調査してもらいたいと思っています。

福島から72キロ離れた所で発見されたわらは、高度にセシウム汚染されています。1キロのわらに50万崩壊原子数/秒以上は、チェルノブイリに匹敵します。

米原子力規制委員会が、アメリカ人に福島から80キロ避難するよう勧告しているのは正しいです。
日本政府も同じことをすべきでした。

原子力安全委員会元事務局のある科学者はこの汚染は「黒い雨」によるものと指摘しています。フェアウィンズのアーニー・ガンダーソンは「日本人が受けられる情報をできるだけ少なくするのではなく、彼らの放射線被爆をできるだけ少なくする」ことを提案しています。

”原子力安全規制情報広聴・広報事業”は以下のようなことを規定しています。「政府と契約した受託者は、常時ツイッター(ツイッター監視は必須)だけでなく、原子力事故や放射線問題に関するブログを監視し、風評被害につながる不正確、不適切な情報を調査、分析し、そういったインターネット・アカウントを資源エネルギー庁に報告する必要がある。受託者は常時監視するための十分な人員
を確保する。受託者は不正確、不適切な情報を投稿するインターネット・アカウントや、ブログやツイッターに使われるキーワードに関して、資源エネルギー庁とよく調整する必要がある。受託者はインターネット・アカウントをCDRで報告する必要がある。」

しかし、その規定文書は、経済産業庁の規制に反するブログやツイッターを禁止したり、動かなくさせることには言及していません。

問題は、経済産業庁は誤った情報を”浄化する”ことには一線を引くのか、もしくは政府にとって不都合な情報源は弾圧的に取り締まり、削除するのか?ということです。

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http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/469.html#c20

コメント [経世済民72] 金融崩壊後に生き残る?(最悪の場合、日本は飢えることに・・) /nevada 稲垣勘尚
26. 2011年8月12日 02:21:42: 5JETSRixgQ
日本がどうやって立ち直るの。

まったく資源もなく、
他国から市場の何倍もの値段で
買わなきゃいけないんだぜ。
大体、日本人はあほうすぎる。
日本は政治が悪すぎる。

官僚や、政治家は国民を
豊かにさせるのが仕事なのに、
いまや、吸血鬼となり、
国民を飢えさせている。
米国や欧米はいざというときは
米英も仏は団結する。
石油だって中東の石油をからからに
するまで、責めつけたあと、米国は
ロッキー山脈の地価にすごい地下資源や
石油が眠っているのだよ。
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/689.html#c26

コメント [原発・フッ素15] ウソだろ!! [原発の避難準備区域、9月にも一括解除 20キロ圏外] SaveChild厨
23. 2011年8月12日 02:22:03: rhbXmxdmJw
>13. 2011年8月10日 03:39:59: VmrM5pfMOQ様

100%同意です。
まず細野は八つ裂きですね。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/417.html#c23

記事 [原発・フッ素15] 汚染がれき 原発の中だと厳重に管理されるものを、外では一般廃棄物と同じでよいというのはダブルスタンダードだ  
【汚染がれき】原発の中だと厳重に管理されるものを、外では一般廃棄物と同じでよいというのはダブルスタンダードだ
http://savechild.net/archives/6893.html
2011.8.11  SAVE CHILD

放射性物質が含まれるガレキや焼却灰の問題は本当にやっかいですね。

だれも自分の地域で埋め立て処分しないでほしいと考えると思います。しかし、8000ベクレル以下なら埋め立て処分を認めています。しかし、この8000ベクレルは原発の中だと厳重に管理される物です。これが、焼却灰だと埋め立ててもいいというのは変ですよね。

以下は、日本共産党の高橋ちづ子議員の衆院東日本大震災復興特別委員会(8月9日)での発言です。(しんぶん赤旗より一部引用します。)

がれき仮設焼却施設補助求める
高橋氏は、放射性廃棄物について、焼却灰等が8000ベクレル/キログラム以下だと一般廃棄物と同じ埋め立て処分ができるとしているが、単純に同じではな いはずと指摘。環境省の埋め立て基準値(8000ベクレル以下)について「原発の中だと厳重に管理されるものを、外では一般廃棄物と同じでよいというのは ダブルスタンダード(二重基準)だ」と批判しました。[全文を読む]

2011年8月11日(木)「しんぶん赤旗」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-08-11/2011081104_05_0.html


そして、現在は10万ベクレルまで埋め立て容認する協議をしています。児玉教授もおっしゃってましたが、高濃度の放射性物質を運搬したり埋め立てたりする事は犯罪なんですよね?


以下、日本経済新聞の記事を一部引用します。

放射性物質が基準超す焼却灰、埋め立て容認 環境省
環境省は10日、放射性物質に汚染された廃棄物を焼却処分する際に出る焼却灰について、放射性物質の濃度が国の基準値を超えた場合の処分 方法を固めた。自治体が放射性物質が地下水などに流出しないよう対策を行うことを条件に、埋め立て処分を認める。27日に最終決定し、通知する。

廃棄物の焼却後の灰について、環境省は1キログラム当たり8千ベクレル以下なら、通常通りの埋め立て処分を認めている。10日に開いた有識者検討会では、同8千〜10万ベクレルの放射性物質が含まれる焼却灰の処分方法を協議した。[続きを読む]

2011/8/10 23:41 日本経済新聞
http://s.nikkei.com/pz9l5D

http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/488.html

コメント [原発・フッ素15] 福島県、「脱原発」理念を決定 復興ビジョン(北海道新聞) BRIAN ENO
07. 2011年8月12日 02:27:26: HUgvK2MV6c
福島県のすべきこと。福島県の解体。放射線量の高い地域の自治体ごと、他県に移転させること。自ら自分に引導を渡すべき。今更、脱原発を唱えても遅すぎる。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/476.html#c7
コメント [原発・フッ素15] フクシマの6カ月後に、日本はヒロシマの66周年を記念する(RFI) 無段活用
02. 2011年8月12日 02:30:36: AiChp2veWo
666ですね。こけ蜘蛛の如く世界に網を張る。彼等は数字とシンボルで現す。{智恵ある者は解くが良い。}とありましたね。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/480.html#c2
コメント [昼休み49] 〜Tシャツ→フジ「リトルボーイの意味知らなかった」・2ch(フジは、多重債務国の指示があったのかどうか説明すべきです) 小沢内閣待望論
01. 2011年8月12日 02:30:38: rhbXmxdmJw
「同社広報部は「リトルボーイに広島原爆の意味もあるとは気がつかず」」

って、どんだけお馬鹿なんだ。

腐っててもうどうしようもない。

しかし、

ネットがどれだけパワーを持つか証明する事になった。

納得できない正義の方々の声が大きさを増し、ボケどもも無視できない状況になっている。

おもしろい。

力を合わせよう。

小沢内閣待望論 様

いつも貴重な情報ありがとうございます。
http://www.asyura2.com/11/lunchbreak49/msg/635.html#c1

コメント [お知らせ・管理20] 七転八起さん固有の投稿規制を今つくりました。あしからずご了承ください。 管理人さん
216. 2011年8月12日 02:31:35: 9ekHqeA2Es
はじめまして、自分の規定違反板から
こちらに流れ着いてしまいました(笑)

管理人さんに文句があれば
自分で阿修羅のようなサイトを作って自分が管理者として
運営すれば良いのではないでしょうか?

個人的感想ですが、
阿修羅の成り立ちと経緯を表面感覚でしか
解釈されていないように感じました。

昔でいうデムパ厨房に見えて仕方がない。

ryuubufan氏の批判ブログも目を通した上で
阿修羅の掲示板に管理人批判のスレッドを
削除せず、見守っている懐の広さを理解されていないと感じます。

阿修羅のネームバリューを使って
自己主張しているように見えて哀れです。

阿修羅の管理人批判をノーガードで堂々とできる時代なんですね。
ジェネレーションギャップって怖いなぁと感じました。

お邪魔しました。
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/137.html#c216

記事 [テスト22] 試驗投稿
 
 
 
 


 
 
 
 
    此の國に張り巡らされし封印・結界を自らの手で解き放ち、
    艮の方角に封印されし鬼達を解き放てと、
    我々を促してゐる。
    其れ無くして我々は眞の力を持ち經ない。
    鬼とは邪成る存在ではなく「鬼」であり「b」あると。
 
 
 
 
此處國に張り巡らされた結界を、自らの手で解き放てと我々を促してゐる
http://www.asyura2.com/0610/idletalk21/msg/399.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2006 年 12 月 11 日 22:32:47: Gsx84HOp6wiqQ

狗を以つて、狗を解き 狗を以つて、狗を征す
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/429.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 7 月 23 日 00:28:24: xsXux3woMgsl6

地上に魔法陣を描くのは、地下世界に宇宙エネルギー、パワーを取り込む爲
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/202.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 5 月 12 日 00:04:45: xsXux3woMgsl6
 
 
 
 

 
 
 
 

http://www.asyura2.com/11/test22/msg/921.html

コメント [雑談専用39] ひょっとしたら愛が芽生えて来たのかも知れない。 地には平和を
01. 2011年8月12日 02:33:41: ZhUzZHEESo
あれワヤさんって既婚者じゃなかったんだ。
(ピノ)
http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/526.html#c1
記事 [原発・フッ素15] 行き場のない"核のゴミ"北海道幌延町の不安
行き場のない"核のゴミ"北海道幌延町の不安
http://www.youtube.com/watch?v=jOZFcWI_H78

行き場のない“核のゴミ”北海道幌延町の不安
http://www.tv-asahi.co.jp/dap/bangumi/hst/news/detail.php?news_id=21466

日本国内では高レベル放射性廃棄物、
いわゆる“核のゴミ”を埋める場所が決まっていない。
10年近く前から最終処分場の公募が行われているが、
4年前に高知県東洋町が誘致を断念して以降、手を挙げる自治体はない。
こうしたなか、人口2600人の酪農の町、北海道の幌延町に高レベル放射性
廃棄物の地下処分場に適した環境を研究するという施設の建設が進んでいる。
予算は600億円。
あくまで研究用で『廃棄物を持ち込まない』という約束で建設は進められているが、
住民の間では、結局、最終処分場に変わるのではないかという不安が根強い。
しかし、町には、研究施設だけで年間1億3000万円ほどが交付されていて、
誘致すべきとの声もあるという。
幌延町に最終処分場を作る可能性があるのか。
山口アナウンサーが地下研究施設の内部を取材した。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/489.html

コメント [原発・フッ素15] “保守派”論客が原発継続を語る:とても保守派とは思えない言説 あっしら
21. 2011年8月12日 02:38:51: k6jsnvI6Ns
原発推進をいまだに主張する輩は、まず福島第一原発で、放射性物質放出阻止のために作業をしてこい。

すべての原発推進発言が許されるのはその責務を果たした後だ(自分は安全圏にいながら、他人にツケを押し付けるな!)。

こいつらを見ていると、好戦的発言を繰り返しながら、自分は安全圏にいる保守タカ派を皮肉った次のような格言を思い出す。

「主戦論者は常に安全なところにいる」
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/469.html#c21

コメント [原発・フッ素15] 汚染がれき 原発の中だと厳重に管理されるものを、外では一般廃棄物と同じでよいというのはダブルスタンダードだ   赤かぶ
01. 2011年8月12日 02:41:43: hvkbydMJj2
四国は四万十から九州の五島列島まで更には北海道まで、汚染ガレキを搬入し、核物資対策のフィルターも装備していない既存の焼却し空気中に放出の上、残存灰を現地に埋設するというのか。全国隈なく核汚染を人為的にばら撒くものでしかない。愚かしい営為
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/488.html#c1
コメント [雑談専用39] ひょっとしたら愛が芽生えて来たのかも知れない。 地には平和を
02. 地には平和を 2011年8月12日 02:49:53: inzCOfyMQ6IpM : GVcxcMTgZ6
ピノさん お久しぶりです。私は結婚をした事がありません。第4インターに所属した事からいつ中核派に殺されるかも分からないのでとても結婚はできないと思いましたし、第一相手を探す事すらできない人間だったんです。何を話していいか分からないし自分の頭の中にある事は相手にとっては興味が無さそうな事ばかりだったのですから。無意識の内に女性を愛するという事を自ら封印したと思ってます。
http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/526.html#c2
コメント [カルト8] 副島隆彦:重掲より放射線御用学者・山下俊一長崎大教授を私たちは強く支持します。 kanegon
41. 2011年8月12日 02:55:18: rhbXmxdmJw
kanegon様

いつもながら

good job!

5 月 21 日 の御投稿なのに、今読み返しても、なおさら輝きを増すそのセンスに脱帽です。

>36. 2011年8月10日 01:26:45: lSU1h3KQOc 様

めっちゃ気持ちいいです。


しかし、
 
「副島隆彦です。 今日は、2011年8月11日です。
私たち学問道場は、9日までの5日間の福島県田村市の都路(みやこじ)町(まち)にある 活動本部での夏合宿を終え、15人が研究発表をした。これは、「SNSI(学問道場)の第6論文集 原発・放射能特集」(仮題。これでは本として売れない)となって秋には結実する。

 福島の人たち(200万人)は、子供も赤ちゃんも含めて、みな元気だ。ひとりの放射能による病人もいない。5年後にもいない。私は重ねて断言する。放射能コワイコワイ派の人々の騒ぎすぎた己に向かって、恥じ入り鬱屈(うっくつ)するのがよく分かる。」

ってまだ言ってんですか?
ほんとにどうしようもないですね。とことん、とてつもない馬鹿です。
いくらなんでも、もう目が覚めたころだと思ってたんですが。

17日こいつは何て講演するつもりだろ。小沢さんのセミナーで。
大ブーイングしないと、小沢さんの名誉に傷がつくな。


http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/211.html#c41

コメント [原発・フッ素15] 皆さんご存知の通り私はずっと菅直人総理大臣を支持してきました! 帝都通信
21. 2011年8月12日 02:57:11: hvkbydMJj2
菅様迷わず成仏くださいませ。南無阿弥陀
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/447.html#c21
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    此の國に張り巡らされし封印・結界を自らの手で解き放ち、
    艮の方角に封印されし鬼達を解き放てと、
    我々を促してゐる。
    其れ無くして我々は眞の力を持ち經ない。
    鬼とは邪成る存在ではなく「鬼」であり「b」あると。
 
 
 
 
此處國に張り巡らされた結界を、自らの手で解き放てと我々を促してゐる
http://www.asyura2.com/0610/idletalk21/msg/399.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2006 年 12 月 11 日 22:32:47: Gsx84HOp6wiqQ

水 此の世とあの世を繋ぐ者
http://www.asyura2.com/09/bd57/msg/609.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2009 年 12 月 11 日 01:18:00: xsXux3woMgsl6 
 
 
 

 
 
 
 

http://www.asyura2.com/11/test22/msg/922.html

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    此の國に張り巡らされし封印・結界を自らの手で解き放ち、
    艮の方角に封印されし鬼達を解き放てと、
    我々を促してゐる。
    其れ無くして我々は眞の力を持ち經ない。
    鬼とは邪成る存在ではなく「鬼」であり「b」あると。
 
 
 
 
此處國に張り巡らされた結界を、自らの手で解き放てと我々を促してゐる
http://www.asyura2.com/0610/idletalk21/msg/399.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2006 年 12 月 11 日 22:32:47: Gsx84HOp6wiqQ

水 此の世とあの世を繋ぐ者
http://www.asyura2.com/09/bd57/msg/609.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2009 年 12 月 11 日 01:18:00: xsXux3woMgsl6 
 
 
 
 

http://www.asyura2.com/11/test22/msg/923.html

コメント [原発・フッ素15] 小出裕章・たね蒔きジャーナル8月10日(牧村しのぶのブログ)/原子力を廃棄するために原子力を研究する人が育ってほしい gataro
06. 2011年8月12日 03:21:13: IHQu8CYQsc
【Youtube(録音)】20110811 たね蒔きジャーナル 「原爆と原発 ヒバクシャの思い」

(1)http://www.youtube.com/watch?v=kGeAJKf7xRQ
(2)http://www.youtube.com/watch?v=PB-0wqr7GMY
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/460.html#c6

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    此の國に張り巡らされし封印・結界を自らの手で解き放ち、
    艮の方角に封印されし鬼達を解き放てと、
    我々を促してゐる。
    其れ無くして我々は眞の力を持ち經ない。
    鬼とは邪成る存在ではなく「鬼」であり「b」あると。

    宇宙b靈アーリオーンはさう語る。
 
 
 
 
此處國に張り巡らされた結界を、自らの手で解き放てと我々を促してゐる
http://www.asyura2.com/0610/idletalk21/msg/399.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2006 年 12 月 11 日 22:32:47: Gsx84HOp6wiqQ

水 此の世とあの世を繋ぐ者
http://www.asyura2.com/09/bd57/msg/609.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2009 年 12 月 11 日 01:18:00: xsXux3woMgsl6 
 
 
 
 

http://www.asyura2.com/11/test22/msg/924.html

コメント [原発・フッ素15] 首都圏もチェルノブイリ並みに汚染されている (日刊ゲンダイ)  赤かぶ
26. 2011年8月12日 03:30:44: Euc9y6Vf9I
21です。
怒りのあまり、情報がイマイチ不正確でした。


Cs137が100万ベクレル/平方メートルの場合、約0.2mSv/hとなる。


Cs137が100万ベクレル/kgの場合、約0.2mSv/hとなる。

なお、
Cs137が100万ベクレル/平方メートルの場合は、約3.5マイクロSv/hとなります。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/446.html#c26

コメント [原発・フッ素15] 政府らが未だ「人体影響はない」と厳命する理由はこれだ! (先住民族末裔の反乱)  赤かぶ
95. ケロリン 2011年8月12日 03:36:25: 6aICm6xzPa6aE : OYXZNtmeUE

> 74. 放射線防護学研究者談 gLsqBJnITc ・・・よ。
けっこう誘導重要なコメントだな?

>4月9日、10日と2日間にわたり20キロメートル圏内に突入・・し、
>浪江町のある地点 ・・で、・・とすれば・・だ、

・・日本の通常平均はおおまかには、<0.05μSv/h>だ。
0.05μSv/h×24h×365日=438μSv/年=0.4mSv/年
・・その当時の浪江町は・・、<17μSv/h> とすれば、
17μSv/h×24h×365日=148920μSv/年=148.92mSv/年

通常は、自然放射線の環境では、平均<0.4mSv/年>だ。
それが、浪江町では、驚くべく数値、約<149mSv/年>になる。
ゲンパツ労働者でさえ、年間被曝量は、<50mSv/年>を
超えることは、まず、ほとんどない。

年間通常被曝量の約2倍である<1mSv/年>を超えると、
ガンのリスクが高まりだすことから、世界的な基準にさえなっている。
大本営基準が、グローバル・スタンダードの20倍もの
基準値を、押し付けてきた・・。<20mSv/年>だった・・。
それを、しぶしぶながら最初の基準値の<1mSv/年>に戻した。


大本営発表ですら、<1mSv/年>の基準値を前に・・・、
この、<放射線防護学研究者>は、その約149倍でも、
安心・安全だと、のたまう・・。ゲンパツ労働者でさえ、
100倍程度に抑えているところを、
一般市民が、通常自然被曝量の、372倍だぞ・・。
これは、全部、キミが測定した測定値を元にしている・・。
そうだな???


>今後の放射性ヨウ素の減衰を予測すれば、現地に1カ月滞在しても1ミリシーベルト(=1000マイクロシーベルト)にも満たないのである。
・・・らしい。

1mSv/h×365日=365mSv/年・・・・となる。
ゲンパツ労働者の年間平均被曝量<50mSv/年>の
約7〜8倍でも、リスクはないらしい。

当たり前のように、一時的なリスクは、そりゃ、無いだろう。
<リスクは無いように見える>ので、そう言えるだろうな?


>20キロメートル圏内のほとんどは、将来立ち入り禁止を解除できる ・・・・らしいが、
それに、越したことは無いだろう?・・しかし、<149mSv/年>が、それだけ急激に<0.4mSv/年>近くに戻るのかね?
テルルなど、相当拡散しているぞ・・・。

ホントに、この<放射線防護学研究者>の論法は、増々、
この国の病気を露呈しただけに、終わってしまってるわな?
モノホンの精神患者&病棟だわ・・・。

これが、御用研究者の実態だ・・・。
放射線の専門家だ・・・。

いま、3;22・・・M5が、福島浜通りで、地震が起きたな・・。
NHKのアナウンサーまで、出てきてるな・・。
東京がイカれると、日本は、半分終わるぞ・・・。


ところで・・・、
>60. 2011年8月10日 00:12:44: rVuVHrLGbo ・・の、
・・・『ポピュリズム』はまだか?

このあとは、赤かぶはん当たりの、
最上段記事に以降、移行するぞ。シャレだ。


http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/346.html#c95

コメント [マスコミ・電通批評12] みのもんた 「朝ズバ」で“TV人生初”の大遅刻 (スポーツニッポン) しゅっぽ
04. 2011年8月12日 03:44:30: uRQepRYLVY
急病でもないのに,出勤時間に遅刻という事だけでパトカー先導依頼できるノウハウを知りたい!
5時30分始まりのTVに3時30分に鎌倉の家を出て、2時間の余裕をもっている??実際にスタンバイまでのゆとりはどれだけ?
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/212.html#c4
コメント [原発・フッ素15] 東京でもチェルノブイリ級の汚染発覚! もう推進派の詭弁に騙されない! (先住民族末裔の反乱)  赤かぶ
09. 2011年8月12日 03:48:40: 3OxWIKsIqI
06 :名無しさん@涙目です。(長屋):2011/08/09(火) 14:01:39.04 ID:+xu/UPeT0
首都圏土壌調査結果公開 茨城21万Bq/u 東京24万Bq/u 千葉45万Bq/u 埼玉92万Bq/u1
:名無しさん@涙目です。(福岡県):2011/08/08(月) 16:56:16.65 ID://mxKbyk0 ?PLT(12000) ポイント特典
首都圏土壌調査結果 採取方法:表面から5pを採取。砂場は表面から15pを採取。
測定方法:厚生労働省「緊急時における食品の放射性物質測定マニュアル」に準ずる  γ線スペクトルメーターによる核種測定。検出限界1Bq。
参考:チェルノブイリの区分

148万Bq/u〜 (第1) 居住禁止区域 直ちに強制避難、立ち入り禁止
55万5千Bq/u〜(第2) 特別放射線管理区域 義務的移住区域、農地利用禁止
18万5千Bq/u〜(第3) 高汚染区域 移住の権利が認められる
3万7千Bq/u〜 (第4) 汚染区域 不必要な被ばくを防止するために設けられる区域

415 :名無しさん@涙目です。(鹿児島県):2011/08/09(火) 14:06:47.97 ID:Y9mGCHkm0
>>397
セシウム137
チェルノブイリ爆心地 37,000,000 Bq/m2以上
飯舘村 1,000,000-3,000,000Bq/m2
三郷市植え込み 487,370Bq/m2


福島は第1と第2。茨城東京千葉埼玉、宮城は第2。他の関東の県と山形岩手南部、静岡、長野は第3。その周辺の県が第4だろうね。

http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/477.html#c9

コメント [原発・フッ素15] 福島第二も一部電源喪失(東京新聞) gataro
09. 2011年8月12日 03:50:22: SsCEGFg2mM
福島原発の真下で震度5弱、ただただ幸運を祈るばかりです!
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/472.html#c9
コメント [自然災害17] 8月12日に注意!コテ造&ママゴンさんのメッセージ yamori
103. 2011年8月12日 03:52:37: VmrM5pfMOQ
12日午前3時22分ごろ、福島県沖を震源とする地震があり、同県富岡町などで震度5弱を観測した。気象庁によると、震源の深さは約50キロ、地震の規模を示すマグニチュード(M)は6.0と推定される。

とりあえず大きなの来たからめちゃめちゃ焦った…。
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/496.html#c103

コメント [マスコミ・電通批評12] みのもんた 「朝ズバ」で“TV人生初”の大遅刻 (スポーツニッポン) しゅっぽ
05. 2011年8月12日 03:53:39: EGaQ73B5yp
パトカーの先導で……(笑)

まるで韓国名物「お受験祭り」のときに
遅刻してパトカーで試験場に運ばれてくる
かの国の受験生ニダ。(笑)
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/212.html#c5

コメント [原発・フッ素15] 8/11 放射能汚染の広がりを分析(分析1)  (Nuclear F.C)  赤かぶ
01. 2011年8月12日 03:58:33: oWbillhalg
何故160kmまでしかやらない?

東京、埼玉、千葉など遠隔地でもすでにスポット現象で退避レベルの汚染地域が判明しているのに、勝手に160km地域以外は安全だなどと判断されてはたまらない。

東京、千葉、埼玉以外はまったく調べてないのだから、同様の高レベル汚染地域があちこち存在することは十分あり得る。

拡散シュミレーションを見れば、東京、千葉、埼玉はもちろん新潟、静岡、長野、青森、北海道東部まで確認を必要とする地域が広がっているのだから調査を拡大しろ!

もし、すでにそう考えていて、現在160km範囲までしか手が回らないというならそう断ったうえで、少なくとも拡大調査していく方針をちゃんと報道で伝えろ。

マスゴミも相変わらず発表をただ垂れ流すのでなく、その辺がどうなっているのか相手にしっかり問いだだしてから書け!


http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/485.html#c1

コメント [原発・フッ素15] “保守派”論客が原発継続を語る:とても保守派とは思えない言説 あっしら
22. ケロリン 2011年8月12日 04:00:56: 6aICm6xzPa6aE : OYXZNtmeUE

>63. 2011年8月10日 05:52:08: D7PzzzN1RE さん・・・。
いま、気が付いた・・・。・・・読んでる?

ネオナチ・ケロリン
ケロリン様(=ナチ・ケロリン様?)
そうそう・・、
ある、ポピュリズム信者の範疇からいえば、おいらは<ナチス>に相当するから、せっかくのところ悪いので、そういうネーミングにしておいた、ということだ。今回は、もうちょっと過激に改名しておいたゼ。

洗脳奴隷だらけの、この阿修羅は、日本の縮図だろうな?
ある意味、もう一発、若狭辺りで、直下地震が起きた方が、覚醒も早いかも知れんな?・・福島知事辺りのような、自分に被害が及んだ途端に、手の平変えしで、大騒ぎする・・・。それまではバリバリのゲンパツ利権でも、コロッとひっくり返る。どこかの<放射線研究ヤカラ>やら櫻井よし なんたらやら、勝間なにがし・・・、吉本なんたら、・・・もう、そこら中にうじゃうじゃ、生息する<おためごかしDQN>の群れだな・・・。

最近は、つくずくそう、感じるな・・・。終わっとるは、この国は。


http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/469.html#c22

コメント [原発・フッ素15] “保守派”論客が原発継続を語る:とても保守派とは思えない言説 あっしら
23. ケロリン 2011年8月12日 04:06:56: 6aICm6xzPa6aE : OYXZNtmeUE
スマン、じゃましたな・・。

↑上のコメントは、投稿場所まちがいだ。
『政府らが未だ「人体影響はない」と〜〜うんぬん』/赤かぶ氏
の記事用コメントだった。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/469.html#c23

コメント [原発・フッ素15] 政府らが未だ「人体影響はない」と厳命する理由はこれだ! (先住民族末裔の反乱)  赤かぶ
96. ネオナチ・ケロリン 2011年8月12日 04:08:54: MrvEQaLOjA3C2 : OYXZNtmeUE

>63. 2011年8月10日 05:52:08: D7PzzzN1RE さん・・・。
いま、気が付いた・・・。・・・読んでる?


ケロリン様(=ナチ・ケロリン様?)
そうそう・・、
ある、ポピュリズム信者の範疇からいえば、おいらは<ナチス>に相当するから、せっかくのところ悪いので、そういうネーミングにしておいた、ということだ。今回は、もうちょっと過激に改名しておいたゼ。

洗脳奴隷だらけの、この阿修羅は、日本の縮図だろうな?
ある意味、もう一発、若狭辺りで、直下地震が起きた方が、覚醒も早いかも知れんな?・・福島知事辺りのような、自分に被害が及んだ途端に、手の平変えしで、大騒ぎする・・・。それまではバリバリのゲンパツ利権でも、コロッとひっくり返る。どこかの<放射線研究ヤカラ>やら櫻井よし なんたらやら、勝間なにがし・・・、吉本なんたら、・・・もう、そこら中にうじゃうじゃ、生息する<おためごかしDQN>の群れだな・・・。

最近は、つくずくそう、感じるな・・・。終わっとるは、この国は。


http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/346.html#c96

コメント [マスコミ・電通批評12] みのもんた 「朝ズバ」で“TV人生初”の大遅刻 (スポーツニッポン) しゅっぽ
06. 2011年8月12日 04:09:09: EGaQ73B5yp
>>05で軽口を叩いたけれども、これは冗談じゃすまないぞ。

この騒動は、マスゴミと警察が不当に癒着していることを赤裸々に実証した
見のがせない事例だ。

警察は税金で運営されているわけだが、公金を流用してTBSの便宜を図った
のだから法律違反だろう。

公的機関のこうしたえこひいきが許されるのなら、一般国民はすべて
遅刻しそうになったらパトカーで先導してもらう権利がある、ということ
になるが、そんなことが許されるわけはない。

いわばTBSと「みのもんた」は、警察から不正な便宜を受けたわけだ。

マスゴミ企業は、日常的に警察からさまざまな便宜・施しを受けている。
だから警察の不正行為についてはマスゴミも黙認し、原則として見て見ぬふりを
している。 この「報道」と「警察」の癒着、略して「報警(ホーケイ)癒着」
こそが、日本社会の恥垢の原因なのである。

臭いホーケイ癒着は切除するしかないぞ。(笑)

そういえばTBSは、16年まえのオウム事件のときに、オウム真理教カルトと
共謀して坂本弁護士一家の惨殺を幇助したのであった。しかし当時すでに
「ホーケイ癒着」でTBSと警察は恥垢の掃き溜めのなかで姦通をしていた
わけである。 警察と不義密通を重ねていたTBSの、この犯罪について、
警察が掌握していたのに、闇に葬ったTBSの犯罪事実も少なからずあった
であろう。


http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/212.html#c6

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    このbのまことの姿見せてやる積りでありたが、
    人に見せると、びつくりして氣を失ふもしれんから、
    石にほらせて見せておいたのにまだ氣づかんから木の型をやつたであらうがな、
    それがbの或る活動の時の姿であるぞ、
    bの見せ物にしてはならんぞ、
    お山の骨もその通りぞよ、
    これまで見せてもまだ分らんか、
    何もかもbがさしてあるのぞ。
    心配いらんから慾出さずに、素直に御用きいて下されよ、
    今度のお山開き まことに結構であるぞ、
    bが烈しくなると、bの話より出來んことになるぞ、
    bの話結構ぞ。
    七月の十三日、ひつ九のかみ。

                      ひふみb示 下つ卷 第三帖(四五)
 
 
 
 
    この方は元の肉体のままに生き通しであるから、天明にも見せなんだのざぞ、
    あちこちに臣民の肉體かりて豫言するbが澤山出てゐるなれど、
    九分九厘は分りて居れども、とどめの最後は分らんから、
    この方に從ひて御用せよと申してゐるのぞ。
    砂糖にたかる蟻となるなよ。
    百人千人の改心なれば、どんなにでも出來るなれど、
    今度は世界中、b々樣も畜生も惡魔も餓鬼も外道も三千世界の大洗濯ざから、
    そんなチヨロコイ事ではないのざぞ。
    ぶち壞し出來ても建直し分かるまいがな。
    火と水で岩戸開くぞ、
    智慧や學でやると、グレンと引繰り返ると申しておいたが、
    さう云へば智慧や學は要らんと臣民早合點するが、
    智慧や學も要るのざぞ。
    惡も御役であるぞ、この道理よく腹に入れて下されよ。
    天のb樣 地に御降りなされて、今度の大層な岩戸開きの指圖なされるのざぞ、
    國々のb々樣、うぶすな樣、力あるb々樣にも御苦勞になつているのざぞ。
    天照皇太b宮樣初めb々樣、あつくまつりて呉れと申してきかしてあろがな、
    bも佛もキリストも元は一つぞよ。
    八月三十一日、ひつ九の

                     ひふみb示 天つ卷 第四帖 (一一一)
 
 
 
 
    昔から生き通しの活b樣のすることぞ、
    泥の海にする位朝飯前のことざが、
    それでは臣民が可哀そうなから天の大b樣にこの方が詑びして
    一日(ひとひ)一日と延ばしてゐるのざぞ、
    その苦勞も分らずに臣民勝手なことばかりしてゐると、
    bの堪忍袋切れたら何んなことあるか分らんぞ、
    米があると申して油斷するでないぞ、
    一旦は天地へ引き上げぞ。
    八月七日、一二

              ひふみb示 天つ卷 第十七帖(一二四)
 
 
 
 
    

    

    

    

     

    

    
 
 
 
 


「超知ライブラリー001 [超図解]日本固有文明の謎の鍵はユダヤで解ける」據り
 
 
 
 
サキツミヨノフルコトノモトツフミオオイナルオシエ
先代舊事本紀大成經
 
 
「先代旧事本紀大成経」における古代天皇の身体的特徴 | zackyChannel
http://lucky2zacky.jugem.jp/?eid=760
 
 
「先代旧事本紀大成経」における古代天皇の身体的特徴
2009.05.26 Tuesday | 20:47
 
 
 
 
 
先代旧事本紀大成経(せんだいくじほんきたいせいきょう、先代舊事本紀大成經)は、『先代旧事本紀』を基に江戸時代に作られたと推測される偽書。(wikiより引用)

以下、先代旧事本紀大成経より、いにしえの天皇の身体的特徴を抜粋


神武天皇(初代)

背の高さは約3メートル15センチ、胴回りは、両手を伸ばして一抱えした長さに15センチほど足した長さ。頭には9センチほどの角が二本あり、それはまるで雪のような色をしています。背中には龍のような背ビレがあり、その長さは1メートル20センチ、尾の裏側には大きな鱗が72枚あります。105歳のときに皇太子の位に就かれました。

綏靖天皇(2代)

身長は3メートル、目は黄色に光り、まるで水星のような輝きを放っています。背中に鱗があり、怒られるときにはそれが逆立ちました。その武術は人に勝るので軽々しくモノを言えませんでした。

孝霊天皇(7代)

生まれながらの御容姿は、他の方とは大きく異なり、お顔が長く龍のようですが、決して醜くはありません。その耳の後ろに白い鱗があります。胸にも9枚の鱗があり、その9つの隙間から氣を放っておられます。俊敏で、どんな遠いところにも行かれます。

崇神天皇(10代)

背の高さは1メートル90センチ、額に10センチほどの青い角が一本あります。下の顎の歯は短く丸く、下は長く鼻にまで届きました。

垂仁天皇(11代)

背の高さは1メートル80センチ、髪は右曲がりに頭を9周するように生え、頭頂部で輪のように巻いてとどまっていました。両脇の下には金と緑の羽を持ち、肘にも同じような羽が根ざしておられました。

神功天皇(14代)

御容姿は非常にたおやかで美しく、その目には二つの瞳をお持ちでした。乳に9つの穴があり、力は強く建物の柱を揺るがすほどでした。

応神天皇(15代)

背の高さは2メートル90センチ、肘には弓を射るときの「鞆(とも)」いう丸い当て皮のような形がありました。顔の真ん中の角は天に向かってまるで弓に矢を番えたかのようでした。胸には72本の青い毛が牛の尾のように生えていました。その長さは馬の尻尾ほどで、とても強く根ざしていたので最後まで抜け落ちることはありませんでした。

仁徳天皇(16代)

御壮年のころで、背の高さは1メートル90センチほど、目には青と黄色の光があり、耳は眉毛の上ぐらいの位置から口の下にまで垂れ下がり、足の指は長く、まるで手の指のようでした。

以上

【出典】
天孫降臨/日本古代史の闇―神武の驚くべき正体 (5次元文庫)


■記紀によって偽書に追いやられた日本の超古代文書たち
http://lucky2zacky.jugem.jp/?eid=626
 
 
 
 
 
 
 
 
01. 2009年12月27日 14:46:41
 スサノオについては、ヤマタノオロチを倒して斬蛇刀の類を手に入れたとありますので、ヤマタノオロチとは八つの頭の蛇(竜)がアトランティスの象徴ですので、
アトランティスの生き残りの一派の1つを駆逐または組み伏せて斬蛇刀を入手したシュメール文明スサの王の事でしょう。
 アトランティスはこの太陽系にモノリスやホルスの目を設置し更には聖書の神々であるアヌンナキをも創造した竜人種達の文明で、スサノオウが神剣ドラゴンスレイヤーで白い蛇を切ったというのは、
竜人達が、有翼白色爬虫類人を王に頂く侵略者爬虫類人を撃退して地球を守った兵器(白い蛇を切った剣)を継承していたという事を意味します。

 竜人達の中で最も強く恐ろしい一大勢力と言われているのがそこちょっとつんつく達サラマンダー(レッドドラゴン族・緋色の獣)でイルミナティーが崇めて黙示録にも登場しますが、
ブルードラゴン族かイエロードラゴン族のデービッドアイクもそこちょっとつんつくもそうですが竜人は全部が悪いのではなくシャンバラ(竜宮等)に住んでアトランティスの霊的指導者の教えである仏教を人間界にもたらす良い竜人達も居ます。
 
 
02. 2009年12月27日 15:29:17
(上記コメントの続きです) 
 恐ろしい予言は自分達の上に神以外の権威権力を欲した等人類を懲らしめる為の聖書の神の罰が殆どですが、成就しないというのはイルミナティーが科学力で神を滅ぼしたか(創造者が過去で消えれば哺乳類人類も何れ消えてしまう事でしょうが...さんざん自分の親を否定して馬鹿にして愚かで哀れですね哺乳類とは)、イルミナティーのタイムマシン操作でこの世界が本来の世界と著しくずれている為に成就しないか(マシューブック等も)......。
 陸地と海中とを問わずその下に世界中の至る所にシャンバラ(竜宮等)への道があり良い竜人達はその先からUFOに乗ってやって来ます。
 日本の場合はそれが海中である事が多いのでシャンバラの竜人達は海から出て来て仏教を授けます。
 ノストラダムス予言の太陽の法と金星が競い太陽の法が永遠に据え置かれるとは仏法とキリスト教の事です。
 サラマンダー族は古代エジプトや日本民族の太陽神でもあり同時に終末の獣大魔王でもあります。善と悪の2勢力があるんですね↓

『アトランティス幻想第10話〜古代UFO奇憚と竜宮伝説』
http://www2.odn.ne.jp/~cic04500/atlan10.html
『ワールドスーク第10部世界の不思議な遺跡たち』
http://phil.flet.keio.ac.jp/person/sakamoto/mirror/travel10.html
『サイバー奴隷化』
http://asyura.com/07/war95/msg/565.html

 
 
04. 2009年12月30日 18:06:16
(最上部2つのコメント訂正です)
 幽体離脱して巨大地下迷路からシャンバラに行こうと試みて来ました...で、どうもこの地下迷路は南米とチベットのラマ寺院やギザのピラミッド下とそして何故かアフリカ大陸の下にまで繋がっているものの、
地球内部世界シャンバラなるものには辿り着けず各所に広大な空間がありそこにアトランティス文明の人達の霊体が暮らしていてこれがシャンバラらしく竜宮とはまた違うらしい...今の霊的指導長の1人はミスターポポ(ポポン・ポポー)と名乗っていました。
 地下迷路の途中でいきなり月が2つに静かな湖等の異次元世界が出現しては消える場所がある等どうも重力制御テクノロジーの遺物らしくかなり危険でした。
 で、竜宮の方はこれまた厚い扉のようなものに阻まれて通れない...月の裏の宇宙人基地のような厚い特殊金属か何かの開閉式のハッチか或いは異次元空間の出入り口になっているか...
 スサノオの斬蛇刀も実在するのですが、アトランティスの製鉄技術の入手を伝えるものであるもののそれ自体は超兵器威力はなく、モーセの杖のように神宇宙人側の都合で特定人物にカリスマ性を与えて実際にはその人物の動きに合わせて宇宙船から援護した道具の1つに過ぎないものだったようです。
 
 
05. 2009年12月30日 19:15:36
 日本を守る鰐についてです。

『古代史は不思議がいっぱい3』
http://kodaishi-21.hp.infoseek.co.jp/p-3.html


『神武(ジンム)・豊玉姫(トヨタマヒメ)・鰐(ワニ)・爬虫類意識』
http://soraoooooo.blog84.fc2.com/blog-entry.140.html
(↑いささか天皇家に失礼ではと思われましたが資料が少ないものであしからず。)

『【竜宮】浦島伝説と女神信仰【異界】』
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/5359/1101680330/150


 鰐とか龍とか言いますが豊玉姫が出産の時に見られてしまった姿は実際には鯱の事のようです。

『鯱-Wiki』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AF%B1


 どうも竜宮にはその鰐である良い鯱と良い竜人(龍)とが住んでいて日本民族の移動と共にずっとくっついて来て日本民族を助けようとするものらしいのです。
 日本民族には、ルシファーと言われまた大魔王とも緋の獣サラマンダー(赤龍王)とも言われたバビロンのニムロデの血を引いて後に中国の皇帝をやって、
それから朝鮮半島を経て日本に来た人種や同じ赤竜族他で竜宮に住む良い龍や鯱の血を引く、人間の姿をした種族が少なからず混じっています。

『赤竜-Wiki』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E7%AB%9C

 
 黙示録的な恐怖この上ないアジアの大王について、龍と牛とどちらの計画であり如何にしてそれは為されるか...残念ながら人間界に漏らす訳にはまいりませんが現状ではその予言はどうなるか分かりません。
 
 
08. 2009年12月31日 07:54:22
 わざわざのレスありがとうございます。
 長野の皆上山の件は危険な活火山で怪火があるような気がする事の他は今のところ分かりません。
 豊玉姫の件ですが、実は豊玉姫が姿を変えていた鰐=鯱というのはシリウス星人ノンモの事です。
 つまり人魚の事なのですが、まさか人魚が鰐のようでもあるなどと、事にお子様や若いご女性の夢を奪いたくなかったので私としては口が裂けても言いたくなかった、断腸の思いですいっそ割腹をばいたそうかとも思いました、タハッ......
 実はシリウス星人ノンモ=人魚は、人間離れしたそれはもう大変な別嬪さん可愛いちゃんなのですが下半身が、濡れている時は下半身を覆う黒鯉の鱗の先が2つに分かれて尖っていてそこは蛇のようにも見え、その下半身が乾くとまるで日光浴をしている鰐の皮膚のような状態になるのです。
 加えて男は頭に2本角が生えていたりします。要するにフェニキア人の壁画に描かれている海神ポセイドンであり龍(デュポーン)です。
 浦島太郎に亀が出て来ますが、ドゴン族においては亀とはノンモを意味します。
 日本民族や天皇家は宇宙人の中でも最も創造神に近い高次元の精神と知性を持つシリウス星人ノンモの血が体に流れている人が多いのですた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   ところで富士のコノハナサクヤ姫ノ命に關する傳承
   (b傳富士文献)に次のやうな話が傳はつてゐる。

    超古代、富士の裾野(すその)に阿祖山(あそやま)大b宮を中心とする
    カキツの都が榮えてゐた。
    その國の支配者は女性で、赤く輝く「石」を用い、
    その力によつて皿状の飛行物體を飛ばし、
    死人をよみがえらせ、地球萬國を夫である天皇とともに訪れ、
    世界を平和と安寧(あんねい)のうちに治めてゐた。
    しかし王國の支配は、腐敗した官僚と民衆の叛亂で次第にぐらつき、
    分裂した二國間で丸い「天球」を投げつけ合う激しい戰いが起こり、
    富士と地球の火山は相次いで大噴火し、
    コノハナサクヤ姫は富士の火口に身を投げた。
     なおコノハナサクヤの象徴は球體の丸い石であると云ふ。
    これが現在、南米各地で見つかつてゐる。
 
 
 
 
    英雄アシュヴァッターマンはみずからの空挺ヴィマーナ(飛行戦車)に踏みとどまると、
    水面に降り立って、神々さえも抵抗しがたいアグネアの武器を発射した……。
    アグネアがひとたび空中高く放たれると、
    その矢の束は光輝く流星の雨となって地上に落下し、敵を圧倒した。

    パーンダヴァの軍勢は、突如、深い闇に包まれ、方向感覚を失ってしまった。

    やがて恐ろしい風が吹き始め……太陽がぐらぐら揺れて
    あらゆるものが熱で焦がされ始めた。
    象たちはこの武器の発する熱に焼かれ、
    あたり一面に広がる炎から逃れようとして右往左往した。
    海や川の水まで蒸発し、水中に棲む生き物も死の脅威にさらされた……。

    矢の雨は、あらゆる方向から激しい風をともなって降り注いだ。
    雷よりすさまじい音をたてて爆発したこの武器のために、
    敵の兵士たちは猛火に包まれ、燃え木のようにバタバタと倒れた。
    巨大な象たちも、この武器に焼かれて狂おしい悲鳴をあげ、
    ドドーっと大地に崩れて重なっていった……。

    こうして戦場の生き物は戦車もろとも火に呑み込まれ……
    木の葉のように燃え尽きてしまった……。
    鳥たちは灰で真っ白になった。
    そして数時間後に、すべての食べ物は汚染されて食べられなくなった。
    これを見た兵士たちは恐怖にかられ、命からがら戦場から逃げ出した。
    彼らは急いで川に飛び込み、自分達の身体と身につけているものを洗った。

    ---

    高速のヴィマーナで空を飛んでいたクルスは“雷電”を巧みに操作した。
    彼は、三つの都市がそれまでのどんな武器でも効果がないことを知ると、
    これらの都市へ向けて、神々すらおそれていた巨大な苦しみをともなう武器を発射した。

    それは、太陽を一万個集めたほど明るく、
    輝ける炎と雲がそそり立つ柱となってもたらす
    “鉄の雷電”と呼ばれる未知の武器だった……。

    三つの都市の住民は、ひとり残らず焼き尽くされて灰となった。
    死体は見分けがつかないほど焼けただれ、手足の爪や髪の毛はことごとく抜け落ちた。
 
 
 
 
    「天の御璽のb寶」 「アメノミシルシノカンダカラ」 「天のみ知る死のb寶」
 
 
    


 
 
 
 
 
 
 
 
富士山の噴火口をグーグルマツプ地形圖で見ると不思議な人工地形が浮かび上がつて來る
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/230.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 5 月 20 日 03:04:43: xsXux3woMgsl6

バラモン教聖典『マハーバーラタ』より抜粋 | zackyChannel
http://lucky2zacky.jugem.jp/?eid=608

アメノミシルシノカンダカラ
http://www.asyura2.com/09/bd57/msg/587.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2009 年 12 月 05 日 01:28:47: xsXux3woMgsl6

大魔bの額に角がありヱヴアンゲリオン初號機にも額に角がある 先代舊事本紀大成經の崇b天皇の記述には額に角がある なんで?
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/229.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 5 月 20 日 02:49:13: xsXux3woMgsl6

ヱヴアンゲリヲン アマツヒツギノスミラミコト
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/251.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 5 月 25 日 23:03:31: xsXux3woMgsl6

日本海周邊にb國日本を守護する龍宮の乙姫樣のUSO艦隊、シーゲートが出現してゐる可能性有り
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/506.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 8 月 10 日 22:42:45: xsXux3woMgsl6
 
 
 
 
 
 
 
 
異形のb々は人間界に天皇と成つて天下つて來た存在だ。
佛魔百濟勢力藤原家は
其のb國日本を平和裏に統治してゐた異形のb々を驅逐した。
 
 
 
 
http://www.amazon.co.jp/謎の根元聖典-先代旧事本紀大成経-超知ライブラリー4-後藤-隆/dp/4198619239/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1298361420&sr=8-1
 
 
        
 
 
先代舊事本紀大成經
徳間書店刊
平成十六年(西暦2004年)十月三十一日發行
後藤隆氏著
「超知ライブラリー006 謎の根元聖典 先代旧事本紀大成経」

商品の説明

出版社/著者からの内容紹介

「先代旧事本紀」は竹内文書を含む古史古伝のすべてを網羅し、ヒッタイト・ハッタイトを超えて人類文明の根元まで遡るものであった!
内容(「BOOK」データベースより)
その存在を誰もが知りながら、入手の困難さ、内容の難解さゆえ、一切が謎のベールに包まれていた先代旧事本紀大成経。竹内文書をはじめ、あらゆる古史古伝のルーツともなった七二巻本の全容をここに初めて明らかにする…。
内容(「MARC」データベースより)
天皇家と六家が隠し持っていた秘録を基に、聖徳太子と秦河勝が実用書として再生させた「失われし超古代の叡智」72巻。ヒッタイト文明にまで遡る世界で最大最後の古史古伝。その堅牢なる秘密の封印がついにここに解かれる!

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

後藤 隆
神皇家初代当主神主。あまたの企業の相談役をつとめていたこともあるが、現在は東洋医学治療センター院長と『旧事本紀』の研究に集中している。先代旧事本紀大成経刊行普及会、先代旧事本紀大成経研修道場、神代皇代大成経刊行普及会の代表。(有)天隠山専務取締役。古文書翻訳出版協同組合(都認可番号;13産労商調設事第3号)代表理事などを歴任(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
 
 
目次

序章 ついに紐解かれる「超太古の叡智」七十二巻

 古代パルティアを見よ ― 人類は進化などしていない
 古代電池と金メッキの技術
 エジプトのピラミッドは、単に唯一残った古代建物の一つに過ぎない
 文明の終着点「日本」に残された超古代文明の叡智の結晶 ― それが『先代旧事本紀』だ!
 
 
第1章 万能の学問書『先代旧事本紀』の基礎知識

 『先代旧事本紀』と呼ばれる書物はいくつも存在している
 七十二巻本が原典と言える理由
 『旧事本紀』を貫く古代の万能理論「天隠山理論」とは?
 伊勢神宮と伊雑宮の真相
 神を祀るということの真意
 
 
第2章 なぜ天皇家と六家だけに「宇宙の奥義」が残されたのか

 喪失の危険は最初からわかっていた
 『古事記』以前の書、「古史古伝」と『旧事本紀』
 
 
第3章 世界中の「古代の叡智」はこうして文明の終着点「日本」に集った

 『旧事本紀』の「叡智」は、かつて世界中に存在していた
 超古代の叡智は、どのようなかたちで日本に残されていたのか
 『旧事本紀』はどこから出現したのか
 さまざまな古史古伝、それらもまた『旧事本紀』である
 「先代旧事」と「神代皇代」
 聖徳太子が天皇にならなかった理由
 『旧事本紀』編纂は天皇家だからこそできた
 聖徳太子の目指したもの
 
 
第4章 秦河勝とヒッタイト・ハッタイト文明

 『旧事本紀』編纂の黒幕!? 秦一族の謎
 秦氏と太子の思惑は一致していたのか?
 『旧事本紀』は人間を天才にする
 
 
第5章 聖徳太子の死後千四百年―初めて公開される『旧事本紀七十二巻』の実像

 本書で用いる『旧事本紀』の原本について
 宮東齋臣氏と『旧事本紀』
 『旧事本紀七十二巻』の構成と内容
 
 
第6章 世界の遺跡に宇宙の学問「天隠山理論」が表現されている理由

 誰が宇宙の発生を見ていたのか
 世界中の古代遺跡は一つの理論に基づいている
 繰り返される崩壊と生成
 『旧事本紀』がコンピューターでは解析できない理由
 人間の可能性
 
 
第7章 九重天と六重地―現代数学と物理を超越する「天隠山理論」の真髄

 『旧事本紀』の創造哲学
 理論の誕生を推理する
 九重天と六重地
 天隠山理論は円錐形の山か
 
 
第8章 幸魂・奇魂・荒魂・和魂(四つのDNA塩基)と現代生物学を超える霊魂とは?

 DNAの遺伝子も登場する
 天隠山と占い
 循環する乱数表
 神事と天隠山
 
 
第9章 天隠山理論の要諦にして―権力者が最も恐れた「五鎮三部」とは?

 五鎮三部
 
 
第10章 矛盾の間を生きる「人間」のための学問―『旧事本紀』の教える宗教とは?

 『旧事本紀』は中庸の学問
 宗教とは本来、人間学である
 人は何故信仰を求めるのか
 信ずべきは自分自身、神は人を救わない
 『旧事本紀』が教える親孝行
 道徳の基準「人の道」
 文明と進化
 人間が生きるために必要な学問とは
 
 
終章 謎の根元聖典『旧事本紀』が教える既存宗教と輪廻転生とは?

 現在の宗教は人間を滅亡に導く
 本当の宗教
 日本神道は根っ子、儒教は枝葉
 結果からアプローチした仏教は果実
 宗教が「欲を捨てよ」と教える意味
 日本神道も仏教も一神教である
 人間の才能と能力
 輪廻転生の真実
 
 
 
 
 
 
 
 
蘇我と物部、佛教とb道
物部氏を滅ぼしたのは蘇我氏ではない。
物部氏と蘇我氏は天皇の詔により和解した。

物部氏と蘇我氏を驅逐したのは百濟勢力藤原家である。
佛魔百濟勢力藤原家は聖徳太子や蘇我氏を滅ぼしたあと、
物部氏をも驅逐した。

死人に口無し。
兩家を驅逐した後は
自分達勢力に都合の良い樣に歴史を改竄僞造する。
全ての罪を蘇我氏に着せた。

白村江の戰い敗戰後、唐の太宰府筑紫都督府に據る大和軍事占領下に
唐側に巧妙に取り入り、有力豪族粛正の尖兵として、
物部氏や其の他有力豪族を抹殺し、シユメール文明由來の粘土板や
エジプト文明由來のパピルス等々、
所藏してゐた數多の貴重な歴史書を全て燒却破壞、
焚書坑儒を斷行し、b國日本の歴史の抹殺を圖つた。
 
 
 
『此の警告文は「エメラルドタブレツト」の文章を聯想する』
http://www.asyura2.com/08/bd54/msg/463.html

この警告文の主は恐らくユダヤ祭祀一族のレビ族です。
私はレビ族に関して投稿しようとした時に極めて特殊な方法で警告を受けた事があります。
レビ族は中国で秦を築いた秦一族と同系統であり、
レビ族にはおそらく大秦国と書くローマ帝国に関して、実は陰の真の支配者だった等の秘密がありますが、
おそらくローマ帝国に関するそれらの資料は秦一族である秦の始皇帝が焚書坑儒で学者達が後世に残してしまっては都合が悪い多くの資料を抹消したように抹消されています。
秦の始皇帝が抹消を意図した歴史資料の核心は、始皇帝の秦一族がローマ帝国の方から来た人達で云々といった事だった筈です。
秦一族が日本に来ている以上、ローマ帝国・秦・古代日本で、レビ族・秦一族に関する核心的な歴史資料が抹消され情報操作が為されている筈です。
 
 
 
 
蜂子皇子は百濟勢力に彼の地に留まり續けた場合
弑逆される事が確實ゆえ出羽の國に避難したのだ。
そして蘇我氏を歴史から抹消した。
『日本書紀』は藤原不比等が編纂した書。
 
 
585年(用明元年)- 聖徳太子の勧めにより宮中を脱出。
592年11月3日 - 父崇峻天皇が蘇我馬子に暗殺される。

        ― 蜂子皇子 - Wikipedia 経歴 據り
 
 
『日本書紀』に中臣鎌足が登場する直前のこと、気になる記事がのこされている。
 百済王豊璋が、三輸山で蜜蜂を飼おうとしたが失敗した、という話である。
 天香具山同様、三輪山は神聖な山であり、
 人が入ることはできなかったはずである。
その三輪山で豊璋が蜜蜂を放ったというこの記事は、
いったい何を意味しているのだろう。
そして、その直後の中臣鎌足神抵伯任命記事である。
二つの記事に、何か関係があるのだろうか。

                ― 関裕二氏著「藤原氏の正体」おわりに 據り
 
 
 
 
    
 
 
 
 
出羽の國のなぞ
http://www.asyura2.com/08/bd54/msg/648.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2008 年 12 月 29 日 16:33:38: Gsx84HOp6wiqQ

羽黒山參詣記
http://www.asyura2.com/08/bd54/msg/345.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2008 年 10 月 18 日 23:52:48: Gsx84HOp6wiqQ

先生、またまた誤解です。差し出がましい発言すみませんでした、どうぞ投稿をお続け下さい。
http://www.asyura2.com/08/bd54/msg/598.html
投稿者 そこちょっとつんつく 日時 2008 年 12 月 18 日 20:34:52: 8EItFG7yGzQIA
 
 
 
古代日本のフリーメーソン 石物云ふ時來たぞ
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/209.html
投稿者 不動明 日時 2010 年 12 月 26 日 21:39:44: yX4.ILg8Nhnko
 
 
 
 

http://www.asyura2.com/11/test22/msg/925.html

記事 [社会問題8] 「遅刻1回で減給」 非正規社員が郵便事業会社を提訴
「遅刻1回で減給」 非正規社員が郵便事業会社を提訴
http://www.youtube.com/watch?v=u0OP1aea2N0

「遅刻1回で減給」 非正規社員が郵便事業会社を提訴
http://www.ktv.co.jp/news/date/main.html#0377406
http://megalodon.jp/2011-0811-2117-02/www.ktv.co.jp/news/date/main.html

「遅刻1回で時給210円の減額」は違法だとして郵便事業会社の非正規社員が
会社を相手に損害賠償を求めて訴えを起こしました。

郵便事業会社の大阪城東支店で配達員として働く黒田恭司さん(49)と
山本一馬さん(37)は去年、会社から思わぬ処分を受けました。
2人は午前8時の始業時間にそれぞれ20分程度遅刻したことを理由に、
半年の間、時給を210円も減らされたのです。
背景には、郵便事業会社特有の評価制度がありました。
2人はまず『基礎評価』の中で「無届けの遅刻があった」として、
時給10円を減額されました。
これに加えて『能力に基づいた評価』の中で「遅刻をしたから他の契約社員に
指示・指導ができない」とされ、さらに200円を減額されたのです。

【山本さん】
「遅刻が1回あったからそれで言われるのは仕方がないけど、
それとスキル(=能力)の話は違う」
【黒田さん】
「(手取りで)22〜23万円だったのが、19〜20万円になった。
住宅ローンもあるし、固定資産税とか市民税とか多少の延滞が出た」

正社員であれば1回の遅刻で減給処分を受けることはあり得ません。
また、2人は給料の約14%をカットされたことになりますが、
労働基準法では、懲罰的な意味合いでの10%を超える減給を禁じています。
郵便事業会社は、去年起きた「ゆうパック」の配達遅れなどの影響で
業績が悪化しました。
2人を支援する組合は、そのしわ寄せが非正規社員にきていると指摘します。

【郵政労働者ユニオン・山田雅之さん】
「全国的にやられていたら相当な額。一番やりやすいところに手を出してきた。
(非正規社員は)大半の方が泣き寝入りして甘んじて応じるから」

2人は「遅刻を能力の評価に反映させた処分は誤りで、不利益も大きく違法だ」
として、会社に対しそれぞれ22万円余りの損害賠償を求めて提訴しました。

【黒田さん】
「沢山の人が罰を受けていると思う。みんなのためにも裁判に訴えるということ」

郵便事業会社の近畿支社はこれまでの取材に「正社員・非正規社員を問わず、
能力や仕事ぶりに基づき、適正に評価している」とコメントしています。
http://www.asyura2.com/10/social8/msg/431.html

コメント [原発・フッ素15] “保守派”論客が原発継続を語る:とても保守派とは思えない言説 あっしら
24. 2011年8月12日 04:19:30: ac6T02ooxU
櫻井よしこは徴兵制を復活させろとか言っている輩。保守というか先祖返り。
田母神は核武装したいようだが建造前にアメリカに潰されるのがオチ。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/469.html#c24
記事 [テスト22] 試驗投稿
 
 
 
 
    このbのまことの姿見せてやる積りでありたが、
    人に見せると、びつくりして氣を失ふもしれんから、
    石にほらせて見せておいたのにまだ氣づかんから木の型をやつたであらうがな、
    それがbの或る活動の時の姿であるぞ、
    bの見せ物にしてはならんぞ、
    お山の骨もその通りぞよ、
    これまで見せてもまだ分らんか、
    何もかもbがさしてあるのぞ。
    心配いらんから慾出さずに、素直に御用きいて下されよ、
    今度のお山開き まことに結構であるぞ、
    bが烈しくなると、bの話より出來んことになるぞ、
    bの話結構ぞ。
    七月の十三日、ひつ九のかみ。

                      ひふみb示 下つ卷 第三帖(四五)
 
 
 
 
    この方は元の肉体のままに生き通しであるから、天明にも見せなんだのざぞ、
    あちこちに臣民の肉體かりて豫言するbが澤山出てゐるなれど、
    九分九厘は分りて居れども、とどめの最後は分らんから、
    この方に從ひて御用せよと申してゐるのぞ。
    砂糖にたかる蟻となるなよ。
    百人千人の改心なれば、どんなにでも出來るなれど、
    今度は世界中、b々樣も畜生も惡魔も餓鬼も外道も三千世界の大洗濯ざから、
    そんなチヨロコイ事ではないのざぞ。
    ぶち壞し出來ても建直し分かるまいがな。
    火と水で岩戸開くぞ、
    智慧や學でやると、グレンと引繰り返ると申しておいたが、
    さう云へば智慧や學は要らんと臣民早合點するが、
    智慧や學も要るのざぞ。
    惡も御役であるぞ、この道理よく腹に入れて下されよ。
    天のb樣 地に御降りなされて、今度の大層な岩戸開きの指圖なされるのざぞ、
    國々のb々樣、うぶすな樣、力あるb々樣にも御苦勞になつているのざぞ。
    天照皇太b宮樣初めb々樣、あつくまつりて呉れと申してきかしてあろがな、
    bも佛もキリストも元は一つぞよ。
    八月三十一日、ひつ九の

                     ひふみb示 天つ卷 第四帖 (一一一)
 
 
 
 
    昔から生き通しの活b樣のすることぞ、
    泥の海にする位朝飯前のことざが、
    それでは臣民が可哀そうなから天の大b樣にこの方が詑びして
    一日(ひとひ)一日と延ばしてゐるのざぞ、
    その苦勞も分らずに臣民勝手なことばかりしてゐると、
    bの堪忍袋切れたら何んなことあるか分らんぞ、
    米があると申して油斷するでないぞ、
    一旦は天地へ引き上げぞ。
    八月七日、一二

              ひふみb示 天つ卷 第十七帖(一二四)
 
 
 
 
    
 
 
    

    

    

    

     

    

    
 
 
 
 


「超知ライブラリー001 [超図解]日本固有文明の謎の鍵はユダヤで解ける」據り
 
 
 
 
サキツミヨノフルコトノモトツフミオオイナルオシエ
先代舊事本紀大成經
 
 
「先代旧事本紀大成経」における古代天皇の身体的特徴 | zackyChannel
http://lucky2zacky.jugem.jp/?eid=760
 
 
「先代旧事本紀大成経」における古代天皇の身体的特徴
2009.05.26 Tuesday | 20:47
 
 
 
 
 
先代旧事本紀大成経(せんだいくじほんきたいせいきょう、先代舊事本紀大成經)は、『先代旧事本紀』を基に江戸時代に作られたと推測される偽書。(wikiより引用)

以下、先代旧事本紀大成経より、いにしえの天皇の身体的特徴を抜粋


神武天皇(初代)

背の高さは約3メートル15センチ、胴回りは、両手を伸ばして一抱えした長さに15センチほど足した長さ。頭には9センチほどの角が二本あり、それはまるで雪のような色をしています。背中には龍のような背ビレがあり、その長さは1メートル20センチ、尾の裏側には大きな鱗が72枚あります。105歳のときに皇太子の位に就かれました。

綏靖天皇(2代)

身長は3メートル、目は黄色に光り、まるで水星のような輝きを放っています。背中に鱗があり、怒られるときにはそれが逆立ちました。その武術は人に勝るので軽々しくモノを言えませんでした。

孝霊天皇(7代)

生まれながらの御容姿は、他の方とは大きく異なり、お顔が長く龍のようですが、決して醜くはありません。その耳の後ろに白い鱗があります。胸にも9枚の鱗があり、その9つの隙間から氣を放っておられます。俊敏で、どんな遠いところにも行かれます。

崇神天皇(10代)

背の高さは1メートル90センチ、額に10センチほどの青い角が一本あります。下の顎の歯は短く丸く、下は長く鼻にまで届きました。

垂仁天皇(11代)

背の高さは1メートル80センチ、髪は右曲がりに頭を9周するように生え、頭頂部で輪のように巻いてとどまっていました。両脇の下には金と緑の羽を持ち、肘にも同じような羽が根ざしておられました。

神功天皇(14代)

御容姿は非常にたおやかで美しく、その目には二つの瞳をお持ちでした。乳に9つの穴があり、力は強く建物の柱を揺るがすほどでした。

応神天皇(15代)

背の高さは2メートル90センチ、肘には弓を射るときの「鞆(とも)」いう丸い当て皮のような形がありました。顔の真ん中の角は天に向かってまるで弓に矢を番えたかのようでした。胸には72本の青い毛が牛の尾のように生えていました。その長さは馬の尻尾ほどで、とても強く根ざしていたので最後まで抜け落ちることはありませんでした。

仁徳天皇(16代)

御壮年のころで、背の高さは1メートル90センチほど、目には青と黄色の光があり、耳は眉毛の上ぐらいの位置から口の下にまで垂れ下がり、足の指は長く、まるで手の指のようでした。

以上

【出典】
天孫降臨/日本古代史の闇―神武の驚くべき正体 (5次元文庫)


■記紀によって偽書に追いやられた日本の超古代文書たち
http://lucky2zacky.jugem.jp/?eid=626
 
 
 
 
 
 
 
 
   ところで富士のコノハナサクヤ姫ノ命に關する傳承
   (b傳富士文献)に次のやうな話が傳はつてゐる。

    超古代、富士の裾野(すその)に阿祖山(あそやま)大b宮を中心とする
    カキツの都が榮えてゐた。
    その國の支配者は女性で、赤く輝く「石」を用い、
    その力によつて皿状の飛行物體を飛ばし、
    死人をよみがえらせ、地球萬國を夫である天皇とともに訪れ、
    世界を平和と安寧(あんねい)のうちに治めてゐた。
    しかし王國の支配は、腐敗した官僚と民衆の叛亂で次第にぐらつき、
    分裂した二國間で丸い「天球」を投げつけ合う激しい戰いが起こり、
    富士と地球の火山は相次いで大噴火し、
    コノハナサクヤ姫は富士の火口に身を投げた。
     なおコノハナサクヤの象徴は球體の丸い石であると云ふ。
    これが現在、南米各地で見つかつてゐる。
 
 
 
 
    英雄アシュヴァッターマンはみずからの空挺ヴィマーナ(飛行戦車)に踏みとどまると、
    水面に降り立って、神々さえも抵抗しがたいアグネアの武器を発射した……。
    アグネアがひとたび空中高く放たれると、
    その矢の束は光輝く流星の雨となって地上に落下し、敵を圧倒した。

    パーンダヴァの軍勢は、突如、深い闇に包まれ、方向感覚を失ってしまった。

    やがて恐ろしい風が吹き始め……太陽がぐらぐら揺れて
    あらゆるものが熱で焦がされ始めた。
    象たちはこの武器の発する熱に焼かれ、
    あたり一面に広がる炎から逃れようとして右往左往した。
    海や川の水まで蒸発し、水中に棲む生き物も死の脅威にさらされた……。

    矢の雨は、あらゆる方向から激しい風をともなって降り注いだ。
    雷よりすさまじい音をたてて爆発したこの武器のために、
    敵の兵士たちは猛火に包まれ、燃え木のようにバタバタと倒れた。
    巨大な象たちも、この武器に焼かれて狂おしい悲鳴をあげ、
    ドドーっと大地に崩れて重なっていった……。

    こうして戦場の生き物は戦車もろとも火に呑み込まれ……
    木の葉のように燃え尽きてしまった……。
    鳥たちは灰で真っ白になった。
    そして数時間後に、すべての食べ物は汚染されて食べられなくなった。
    これを見た兵士たちは恐怖にかられ、命からがら戦場から逃げ出した。
    彼らは急いで川に飛び込み、自分達の身体と身につけているものを洗った。

    ---

    高速のヴィマーナで空を飛んでいたクルスは“雷電”を巧みに操作した。
    彼は、三つの都市がそれまでのどんな武器でも効果がないことを知ると、
    これらの都市へ向けて、神々すらおそれていた巨大な苦しみをともなう武器を発射した。

    それは、太陽を一万個集めたほど明るく、
    輝ける炎と雲がそそり立つ柱となってもたらす
    “鉄の雷電”と呼ばれる未知の武器だった……。

    三つの都市の住民は、ひとり残らず焼き尽くされて灰となった。
    死体は見分けがつかないほど焼けただれ、手足の爪や髪の毛はことごとく抜け落ちた。
 
 
 
 
    「天の御璽のb寶」 「アメノミシルシノカンダカラ」 「天のみ知る死のb寶」
 
 
    


 
 
 
 
 
 
 
 
富士山の噴火口をグーグルマツプ地形圖で見ると不思議な人工地形が浮かび上がつて來る
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/230.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 5 月 20 日 03:04:43: xsXux3woMgsl6

バラモン教聖典『マハーバーラタ』より抜粋 | zackyChannel
http://lucky2zacky.jugem.jp/?eid=608

アメノミシルシノカンダカラ
http://www.asyura2.com/09/bd57/msg/587.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2009 年 12 月 05 日 01:28:47: xsXux3woMgsl6

大魔bの額に角がありヱヴアンゲリオン初號機にも額に角がある 先代舊事本紀大成經の崇b天皇の記述には額に角がある なんで?
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/229.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 5 月 20 日 02:49:13: xsXux3woMgsl6

ヱヴアンゲリヲン アマツヒツギノスミラミコト
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/251.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 5 月 25 日 23:03:31: xsXux3woMgsl6

日本海周邊にb國日本を守護する龍宮の乙姫樣のUSO艦隊、シーゲートが出現してゐる可能性有り
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/506.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 8 月 10 日 22:42:45: xsXux3woMgsl6
 
 
 
 
 
 
 
 
異形のb々は人間界に天皇と成つて天下つて來た存在だ。
佛魔百濟勢力藤原家は
其のb國日本を平和裏に統治してゐた異形のb々を驅逐した。
 
 
 
 
http://www.amazon.co.jp/謎の根元聖典-先代旧事本紀大成経-超知ライブラリー4-後藤-隆/dp/4198619239/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1298361420&sr=8-1
 
 
        
 
 
先代舊事本紀大成經
徳間書店刊
平成十六年(西暦2004年)十月三十一日發行
後藤隆氏著
「超知ライブラリー006 謎の根元聖典 先代旧事本紀大成経」

商品の説明

出版社/著者からの内容紹介

「先代旧事本紀」は竹内文書を含む古史古伝のすべてを網羅し、ヒッタイト・ハッタイトを超えて人類文明の根元まで遡るものであった!
内容(「BOOK」データベースより)
その存在を誰もが知りながら、入手の困難さ、内容の難解さゆえ、一切が謎のベールに包まれていた先代旧事本紀大成経。竹内文書をはじめ、あらゆる古史古伝のルーツともなった七二巻本の全容をここに初めて明らかにする…。
内容(「MARC」データベースより)
天皇家と六家が隠し持っていた秘録を基に、聖徳太子と秦河勝が実用書として再生させた「失われし超古代の叡智」72巻。ヒッタイト文明にまで遡る世界で最大最後の古史古伝。その堅牢なる秘密の封印がついにここに解かれる!

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

後藤 隆
神皇家初代当主神主。あまたの企業の相談役をつとめていたこともあるが、現在は東洋医学治療センター院長と『旧事本紀』の研究に集中している。先代旧事本紀大成経刊行普及会、先代旧事本紀大成経研修道場、神代皇代大成経刊行普及会の代表。(有)天隠山専務取締役。古文書翻訳出版協同組合(都認可番号;13産労商調設事第3号)代表理事などを歴任(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
 
 
目次

序章 ついに紐解かれる「超太古の叡智」七十二巻

 古代パルティアを見よ ― 人類は進化などしていない
 古代電池と金メッキの技術
 エジプトのピラミッドは、単に唯一残った古代建物の一つに過ぎない
 文明の終着点「日本」に残された超古代文明の叡智の結晶 ― それが『先代旧事本紀』だ!
 
 
第1章 万能の学問書『先代旧事本紀』の基礎知識

 『先代旧事本紀』と呼ばれる書物はいくつも存在している
 七十二巻本が原典と言える理由
 『旧事本紀』を貫く古代の万能理論「天隠山理論」とは?
 伊勢神宮と伊雑宮の真相
 神を祀るということの真意
 
 
第2章 なぜ天皇家と六家だけに「宇宙の奥義」が残されたのか

 喪失の危険は最初からわかっていた
 『古事記』以前の書、「古史古伝」と『旧事本紀』
 
 
第3章 世界中の「古代の叡智」はこうして文明の終着点「日本」に集った

 『旧事本紀』の「叡智」は、かつて世界中に存在していた
 超古代の叡智は、どのようなかたちで日本に残されていたのか
 『旧事本紀』はどこから出現したのか
 さまざまな古史古伝、それらもまた『旧事本紀』である
 「先代旧事」と「神代皇代」
 聖徳太子が天皇にならなかった理由
 『旧事本紀』編纂は天皇家だからこそできた
 聖徳太子の目指したもの
 
 
第4章 秦河勝とヒッタイト・ハッタイト文明

 『旧事本紀』編纂の黒幕!? 秦一族の謎
 秦氏と太子の思惑は一致していたのか?
 『旧事本紀』は人間を天才にする
 
 
第5章 聖徳太子の死後千四百年―初めて公開される『旧事本紀七十二巻』の実像

 本書で用いる『旧事本紀』の原本について
 宮東齋臣氏と『旧事本紀』
 『旧事本紀七十二巻』の構成と内容
 
 
第6章 世界の遺跡に宇宙の学問「天隠山理論」が表現されている理由

 誰が宇宙の発生を見ていたのか
 世界中の古代遺跡は一つの理論に基づいている
 繰り返される崩壊と生成
 『旧事本紀』がコンピューターでは解析できない理由
 人間の可能性
 
 
第7章 九重天と六重地―現代数学と物理を超越する「天隠山理論」の真髄

 『旧事本紀』の創造哲学
 理論の誕生を推理する
 九重天と六重地
 天隠山理論は円錐形の山か
 
 
第8章 幸魂・奇魂・荒魂・和魂(四つのDNA塩基)と現代生物学を超える霊魂とは?

 DNAの遺伝子も登場する
 天隠山と占い
 循環する乱数表
 神事と天隠山
 
 
第9章 天隠山理論の要諦にして―権力者が最も恐れた「五鎮三部」とは?

 五鎮三部
 
 
第10章 矛盾の間を生きる「人間」のための学問―『旧事本紀』の教える宗教とは?

 『旧事本紀』は中庸の学問
 宗教とは本来、人間学である
 人は何故信仰を求めるのか
 信ずべきは自分自身、神は人を救わない
 『旧事本紀』が教える親孝行
 道徳の基準「人の道」
 文明と進化
 人間が生きるために必要な学問とは
 
 
終章 謎の根元聖典『旧事本紀』が教える既存宗教と輪廻転生とは?

 現在の宗教は人間を滅亡に導く
 本当の宗教
 日本神道は根っ子、儒教は枝葉
 結果からアプローチした仏教は果実
 宗教が「欲を捨てよ」と教える意味
 日本神道も仏教も一神教である
 人間の才能と能力
 輪廻転生の真実
 
 
 
 
 
 
 
 
蘇我と物部、佛教とb道
物部氏を滅ぼしたのは蘇我氏ではない。
物部氏と蘇我氏は天皇の詔により和解した。

物部氏と蘇我氏を驅逐したのは百濟勢力藤原家である。
佛魔百濟勢力藤原家は聖徳太子や蘇我氏を滅ぼしたあと、
物部氏をも驅逐した。

死人に口無し。
兩家を驅逐した後は
自分達勢力に都合の良い樣に歴史を改竄僞造する。
全ての罪を蘇我氏に着せた。

白村江の戰い敗戰後、唐の太宰府筑紫都督府に據る大和軍事占領下に
唐側に巧妙に取り入り、有力豪族粛正の尖兵として、
物部氏や其の他有力豪族を抹殺し、シユメール文明由來の粘土板や
エジプト文明由來のパピルス等々、
所藏してゐた數多の貴重な歴史書を全て燒却破壞、
焚書坑儒を斷行し、b國日本の歴史の抹殺を圖つた。
 
 
 
『此の警告文は「エメラルドタブレツト」の文章を聯想する』
http://www.asyura2.com/08/bd54/msg/463.html

この警告文の主は恐らくユダヤ祭祀一族のレビ族です。
私はレビ族に関して投稿しようとした時に極めて特殊な方法で警告を受けた事があります。
レビ族は中国で秦を築いた秦一族と同系統であり、
レビ族にはおそらく大秦国と書くローマ帝国に関して、実は陰の真の支配者だった等の秘密がありますが、
おそらくローマ帝国に関するそれらの資料は秦一族である秦の始皇帝が焚書坑儒で学者達が後世に残してしまっては都合が悪い多くの資料を抹消したように抹消されています。
秦の始皇帝が抹消を意図した歴史資料の核心は、始皇帝の秦一族がローマ帝国の方から来た人達で云々といった事だった筈です。
秦一族が日本に来ている以上、ローマ帝国・秦・古代日本で、レビ族・秦一族に関する核心的な歴史資料が抹消され情報操作が為されている筈です。
 
 
 
 
蜂子皇子は百濟勢力に彼の地に留まり續けた場合
弑逆される事が確實ゆえ出羽の國に避難したのだ。
そして蘇我氏を歴史から抹消した。
『日本書紀』は藤原不比等が編纂した書。
 
 
585年(用明元年)- 聖徳太子の勧めにより宮中を脱出。
592年11月3日 - 父崇峻天皇が蘇我馬子に暗殺される。

           ― 蜂子皇子 - Wikipedia 経歴 據り
 
 
『日本書紀』に中臣鎌足が登場する直前のこと、気になる記事がのこされている。
 百済王豊璋が、三輸山で蜜蜂を飼おうとしたが失敗した、という話である。
 天香具山同様、三輪山は神聖な山であり、
 人が入ることはできなかったはずである。
その三輪山で豊璋が蜜蜂を放ったというこの記事は、
いったい何を意味しているのだろう。
そして、その直後の中臣鎌足神抵伯任命記事である。
二つの記事に、何か関係があるのだろうか。

                    ― 関裕二氏著「藤原氏の正体」おわりに 據り
 
 
 
 
    
 
 
 
 
出羽の國のなぞ
http://www.asyura2.com/08/bd54/msg/648.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2008 年 12 月 29 日 16:33:38: Gsx84HOp6wiqQ

羽黒山參詣記
http://www.asyura2.com/08/bd54/msg/345.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2008 年 10 月 18 日 23:52:48: Gsx84HOp6wiqQ

先生、またまた誤解です。差し出がましい発言すみませんでした、どうぞ投稿をお続け下さい。
http://www.asyura2.com/08/bd54/msg/598.html
投稿者 そこちょっとつんつく 日時 2008 年 12 月 18 日 20:34:52: 8EItFG7yGzQIA
 
 
 
古代日本のフリーメーソン 石物云ふ時來たぞ
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/209.html
投稿者 不動明 日時 2010 年 12 月 26 日 21:39:44: yX4.ILg8Nhnko
 
 
 
 

http://www.asyura2.com/11/test22/msg/926.html

記事 [テスト22] 試驗投稿
 
 
 
 
    このbのまことの姿見せてやる積りでありたが、
    人に見せると、びつくりして氣を失ふもしれんから、
    石にほらせて見せておいたのにまだ氣づかんから木の型をやつたであらうがな、
    それがbの或る活動の時の姿であるぞ、
    bの見せ物にしてはならんぞ、
    お山の骨もその通りぞよ、
    これまで見せてもまだ分らんか、
    何もかもbがさしてあるのぞ。
    心配いらんから慾出さずに、素直に御用きいて下されよ、
    今度のお山開き まことに結構であるぞ、
    bが烈しくなると、bの話より出來んことになるぞ、
    bの話結構ぞ。
    七月の十三日、ひつ九のかみ。

                      ひふみb示 下つ卷 第三帖(四五)
 
 
 
 
    この方は元の肉体のままに生き通しであるから、天明にも見せなんだのざぞ、
    あちこちに臣民の肉體かりて豫言するbが澤山出てゐるなれど、
    九分九厘は分りて居れども、とどめの最後は分らんから、
    この方に從ひて御用せよと申してゐるのぞ。
    砂糖にたかる蟻となるなよ。
    百人千人の改心なれば、どんなにでも出來るなれど、
    今度は世界中、b々樣も畜生も惡魔も餓鬼も外道も三千世界の大洗濯ざから、
    そんなチヨロコイ事ではないのざぞ。
    ぶち壞し出來ても建直し分かるまいがな。
    火と水で岩戸開くぞ、
    智慧や學でやると、グレンと引繰り返ると申しておいたが、
    さう云へば智慧や學は要らんと臣民早合點するが、
    智慧や學も要るのざぞ。
    惡も御役であるぞ、この道理よく腹に入れて下されよ。
    天のb樣 地に御降りなされて、今度の大層な岩戸開きの指圖なされるのざぞ、
    國々のb々樣、うぶすな樣、力あるb々樣にも御苦勞になつているのざぞ。
    天照皇太b宮樣初めb々樣、あつくまつりて呉れと申してきかしてあろがな、
    bも佛もキリストも元は一つぞよ。
    八月三十一日、ひつ九の

                     ひふみb示 天つ卷 第四帖 (一一一)
 
 
 
 
    昔から生き通しの活b樣のすることぞ、
    泥の海にする位朝飯前のことざが、
    それでは臣民が可哀そうなから天の大b樣にこの方が詑びして
    一日(ひとひ)一日と延ばしてゐるのざぞ、
    その苦勞も分らずに臣民勝手なことばかりしてゐると、
    bの堪忍袋切れたら何んなことあるか分らんぞ、
    米があると申して油斷するでないぞ、
    一旦は天地へ引き上げぞ。
    八月七日、一二

              ひふみb示 天つ卷 第十七帖(一二四)
 
 
 
 
            
 
 
    

    

    

    

     

    

    
 
 
 
 


「超知ライブラリー001 [超図解]日本固有文明の謎の鍵はユダヤで解ける」據り
 
 
 
 
サキツミヨノフルコトノモトツフミオオイナルオシエ
先代舊事本紀大成經
 
 
「先代旧事本紀大成経」における古代天皇の身体的特徴 | zackyChannel
http://lucky2zacky.jugem.jp/?eid=760
 
 
「先代旧事本紀大成経」における古代天皇の身体的特徴
2009.05.26 Tuesday | 20:47
 
 
 
 
 
先代旧事本紀大成経(せんだいくじほんきたいせいきょう、先代舊事本紀大成經)は、『先代旧事本紀』を基に江戸時代に作られたと推測される偽書。(wikiより引用)

以下、先代旧事本紀大成経より、いにしえの天皇の身体的特徴を抜粋


神武天皇(初代)

背の高さは約3メートル15センチ、胴回りは、両手を伸ばして一抱えした長さに15センチほど足した長さ。頭には9センチほどの角が二本あり、それはまるで雪のような色をしています。背中には龍のような背ビレがあり、その長さは1メートル20センチ、尾の裏側には大きな鱗が72枚あります。105歳のときに皇太子の位に就かれました。

綏靖天皇(2代)

身長は3メートル、目は黄色に光り、まるで水星のような輝きを放っています。背中に鱗があり、怒られるときにはそれが逆立ちました。その武術は人に勝るので軽々しくモノを言えませんでした。

孝霊天皇(7代)

生まれながらの御容姿は、他の方とは大きく異なり、お顔が長く龍のようですが、決して醜くはありません。その耳の後ろに白い鱗があります。胸にも9枚の鱗があり、その9つの隙間から氣を放っておられます。俊敏で、どんな遠いところにも行かれます。

崇神天皇(10代)

背の高さは1メートル90センチ、額に10センチほどの青い角が一本あります。下の顎の歯は短く丸く、下は長く鼻にまで届きました。

垂仁天皇(11代)

背の高さは1メートル80センチ、髪は右曲がりに頭を9周するように生え、頭頂部で輪のように巻いてとどまっていました。両脇の下には金と緑の羽を持ち、肘にも同じような羽が根ざしておられました。

神功天皇(14代)

御容姿は非常にたおやかで美しく、その目には二つの瞳をお持ちでした。乳に9つの穴があり、力は強く建物の柱を揺るがすほどでした。

応神天皇(15代)

背の高さは2メートル90センチ、肘には弓を射るときの「鞆(とも)」いう丸い当て皮のような形がありました。顔の真ん中の角は天に向かってまるで弓に矢を番えたかのようでした。胸には72本の青い毛が牛の尾のように生えていました。その長さは馬の尻尾ほどで、とても強く根ざしていたので最後まで抜け落ちることはありませんでした。

仁徳天皇(16代)

御壮年のころで、背の高さは1メートル90センチほど、目には青と黄色の光があり、耳は眉毛の上ぐらいの位置から口の下にまで垂れ下がり、足の指は長く、まるで手の指のようでした。

以上

【出典】
天孫降臨/日本古代史の闇―神武の驚くべき正体 (5次元文庫)


■記紀によって偽書に追いやられた日本の超古代文書たち
http://lucky2zacky.jugem.jp/?eid=626
 
 
 
 
 
 
 
 
   ところで富士のコノハナサクヤ姫ノ命に關する傳承
   (b傳富士文献)に次のやうな話が傳はつてゐる。

    超古代、富士の裾野(すその)に阿祖山(あそやま)大b宮を中心とする
    カキツの都が榮えてゐた。
    その國の支配者は女性で、赤く輝く「石」を用い、
    その力によつて皿状の飛行物體を飛ばし、
    死人をよみがえらせ、地球萬國を夫である天皇とともに訪れ、
    世界を平和と安寧(あんねい)のうちに治めてゐた。
    しかし王國の支配は、腐敗した官僚と民衆の叛亂で次第にぐらつき、
    分裂した二國間で丸い「天球」を投げつけ合う激しい戰いが起こり、
    富士と地球の火山は相次いで大噴火し、
    コノハナサクヤ姫は富士の火口に身を投げた。
     なおコノハナサクヤの象徴は球體の丸い石であると云ふ。
    これが現在、南米各地で見つかつてゐる。
 
 
 
 
    英雄アシュヴァッターマンはみずからの空挺ヴィマーナ(飛行戦車)に踏みとどまると、
    水面に降り立って、神々さえも抵抗しがたいアグネアの武器を発射した……。
    アグネアがひとたび空中高く放たれると、
    その矢の束は光輝く流星の雨となって地上に落下し、敵を圧倒した。

    パーンダヴァの軍勢は、突如、深い闇に包まれ、方向感覚を失ってしまった。

    やがて恐ろしい風が吹き始め……太陽がぐらぐら揺れて
    あらゆるものが熱で焦がされ始めた。
    象たちはこの武器の発する熱に焼かれ、
    あたり一面に広がる炎から逃れようとして右往左往した。
    海や川の水まで蒸発し、水中に棲む生き物も死の脅威にさらされた……。

    矢の雨は、あらゆる方向から激しい風をともなって降り注いだ。
    雷よりすさまじい音をたてて爆発したこの武器のために、
    敵の兵士たちは猛火に包まれ、燃え木のようにバタバタと倒れた。
    巨大な象たちも、この武器に焼かれて狂おしい悲鳴をあげ、
    ドドーっと大地に崩れて重なっていった……。

    こうして戦場の生き物は戦車もろとも火に呑み込まれ……
    木の葉のように燃え尽きてしまった……。
    鳥たちは灰で真っ白になった。
    そして数時間後に、すべての食べ物は汚染されて食べられなくなった。
    これを見た兵士たちは恐怖にかられ、命からがら戦場から逃げ出した。
    彼らは急いで川に飛び込み、自分達の身体と身につけているものを洗った。

    ---

    高速のヴィマーナで空を飛んでいたクルスは“雷電”を巧みに操作した。
    彼は、三つの都市がそれまでのどんな武器でも効果がないことを知ると、
    これらの都市へ向けて、神々すらおそれていた巨大な苦しみをともなう武器を発射した。

    それは、太陽を一万個集めたほど明るく、
    輝ける炎と雲がそそり立つ柱となってもたらす
    “鉄の雷電”と呼ばれる未知の武器だった……。

    三つの都市の住民は、ひとり残らず焼き尽くされて灰となった。
    死体は見分けがつかないほど焼けただれ、手足の爪や髪の毛はことごとく抜け落ちた。
 
 
 
 
    「天の御璽のb寶」 「アメノミシルシノカンダカラ」 「天のみ知る死のb寶」
 
 
    


 
 
 
 
 
 
 
 
富士山の噴火口をグーグルマツプ地形圖で見ると不思議な人工地形が浮かび上がつて來る
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/230.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 5 月 20 日 03:04:43: xsXux3woMgsl6

バラモン教聖典『マハーバーラタ』より抜粋 | zackyChannel
http://lucky2zacky.jugem.jp/?eid=608

アメノミシルシノカンダカラ
http://www.asyura2.com/09/bd57/msg/587.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2009 年 12 月 05 日 01:28:47: xsXux3woMgsl6

大魔bの額に角がありヱヴアンゲリオン初號機にも額に角がある 先代舊事本紀大成經の崇b天皇の記述には額に角がある なんで?
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/229.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 5 月 20 日 02:49:13: xsXux3woMgsl6

ヱヴアンゲリヲン アマツヒツギノスミラミコト
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/251.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 5 月 25 日 23:03:31: xsXux3woMgsl6

日本海周邊にb國日本を守護する龍宮の乙姫樣のUSO艦隊、シーゲートが出現してゐる可能性有り
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/506.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 8 月 10 日 22:42:45: xsXux3woMgsl6
 
 
 
 
 
 
 
 
異形のb々は人間界に天皇と成つて天下つて來た存在だ。
佛魔百濟勢力藤原家は
其のb國日本を平和裏に統治してゐた異形のb々を驅逐した。
 
 
 
 
http://www.amazon.co.jp/謎の根元聖典-先代旧事本紀大成経-超知ライブラリー4-後藤-隆/dp/4198619239/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1298361420&sr=8-1
 
 
        
 
 
先代舊事本紀大成經
徳間書店刊
平成十六年(西暦2004年)十月三十一日發行
後藤隆氏著
「超知ライブラリー006 謎の根元聖典 先代旧事本紀大成経」

商品の説明

出版社/著者からの内容紹介

「先代旧事本紀」は竹内文書を含む古史古伝のすべてを網羅し、ヒッタイト・ハッタイトを超えて人類文明の根元まで遡るものであった!
内容(「BOOK」データベースより)
その存在を誰もが知りながら、入手の困難さ、内容の難解さゆえ、一切が謎のベールに包まれていた先代旧事本紀大成経。竹内文書をはじめ、あらゆる古史古伝のルーツともなった七二巻本の全容をここに初めて明らかにする…。
内容(「MARC」データベースより)
天皇家と六家が隠し持っていた秘録を基に、聖徳太子と秦河勝が実用書として再生させた「失われし超古代の叡智」72巻。ヒッタイト文明にまで遡る世界で最大最後の古史古伝。その堅牢なる秘密の封印がついにここに解かれる!

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

後藤 隆
神皇家初代当主神主。あまたの企業の相談役をつとめていたこともあるが、現在は東洋医学治療センター院長と『旧事本紀』の研究に集中している。先代旧事本紀大成経刊行普及会、先代旧事本紀大成経研修道場、神代皇代大成経刊行普及会の代表。(有)天隠山専務取締役。古文書翻訳出版協同組合(都認可番号;13産労商調設事第3号)代表理事などを歴任(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
 
 
目次

序章 ついに紐解かれる「超太古の叡智」七十二巻

 古代パルティアを見よ ― 人類は進化などしていない
 古代電池と金メッキの技術
 エジプトのピラミッドは、単に唯一残った古代建物の一つに過ぎない
 文明の終着点「日本」に残された超古代文明の叡智の結晶 ― それが『先代旧事本紀』だ!
 
 
第1章 万能の学問書『先代旧事本紀』の基礎知識

 『先代旧事本紀』と呼ばれる書物はいくつも存在している
 七十二巻本が原典と言える理由
 『旧事本紀』を貫く古代の万能理論「天隠山理論」とは?
 伊勢神宮と伊雑宮の真相
 神を祀るということの真意
 
 
第2章 なぜ天皇家と六家だけに「宇宙の奥義」が残されたのか

 喪失の危険は最初からわかっていた
 『古事記』以前の書、「古史古伝」と『旧事本紀』
 
 
第3章 世界中の「古代の叡智」はこうして文明の終着点「日本」に集った

 『旧事本紀』の「叡智」は、かつて世界中に存在していた
 超古代の叡智は、どのようなかたちで日本に残されていたのか
 『旧事本紀』はどこから出現したのか
 さまざまな古史古伝、それらもまた『旧事本紀』である
 「先代旧事」と「神代皇代」
 聖徳太子が天皇にならなかった理由
 『旧事本紀』編纂は天皇家だからこそできた
 聖徳太子の目指したもの
 
 
第4章 秦河勝とヒッタイト・ハッタイト文明

 『旧事本紀』編纂の黒幕!? 秦一族の謎
 秦氏と太子の思惑は一致していたのか?
 『旧事本紀』は人間を天才にする
 
 
第5章 聖徳太子の死後千四百年―初めて公開される『旧事本紀七十二巻』の実像

 本書で用いる『旧事本紀』の原本について
 宮東齋臣氏と『旧事本紀』
 『旧事本紀七十二巻』の構成と内容
 
 
第6章 世界の遺跡に宇宙の学問「天隠山理論」が表現されている理由

 誰が宇宙の発生を見ていたのか
 世界中の古代遺跡は一つの理論に基づいている
 繰り返される崩壊と生成
 『旧事本紀』がコンピューターでは解析できない理由
 人間の可能性
 
 
第7章 九重天と六重地―現代数学と物理を超越する「天隠山理論」の真髄

 『旧事本紀』の創造哲学
 理論の誕生を推理する
 九重天と六重地
 天隠山理論は円錐形の山か
 
 
第8章 幸魂・奇魂・荒魂・和魂(四つのDNA塩基)と現代生物学を超える霊魂とは?

 DNAの遺伝子も登場する
 天隠山と占い
 循環する乱数表
 神事と天隠山
 
 
第9章 天隠山理論の要諦にして―権力者が最も恐れた「五鎮三部」とは?

 五鎮三部
 
 
第10章 矛盾の間を生きる「人間」のための学問―『旧事本紀』の教える宗教とは?

 『旧事本紀』は中庸の学問
 宗教とは本来、人間学である
 人は何故信仰を求めるのか
 信ずべきは自分自身、神は人を救わない
 『旧事本紀』が教える親孝行
 道徳の基準「人の道」
 文明と進化
 人間が生きるために必要な学問とは
 
 
終章 謎の根元聖典『旧事本紀』が教える既存宗教と輪廻転生とは?

 現在の宗教は人間を滅亡に導く
 本当の宗教
 日本神道は根っ子、儒教は枝葉
 結果からアプローチした仏教は果実
 宗教が「欲を捨てよ」と教える意味
 日本神道も仏教も一神教である
 人間の才能と能力
 輪廻転生の真実
 
 
 
 
 
 
 
 
蘇我と物部、佛教とb道
物部氏を滅ぼしたのは蘇我氏ではない。
物部氏と蘇我氏は天皇の詔により和解した。

物部氏と蘇我氏を驅逐したのは百濟勢力藤原家である。
佛魔百濟勢力藤原家は聖徳太子や蘇我氏を滅ぼしたあと、
物部氏をも驅逐した。

死人に口無し。
兩家を驅逐した後は
自分達勢力に都合の良い樣に歴史を改竄僞造する。
全ての罪を蘇我氏に着せた。

白村江の戰い敗戰後、唐の太宰府筑紫都督府に據る大和軍事占領下に
唐側に巧妙に取り入り、有力豪族粛正の尖兵として、
物部氏や其の他有力豪族を抹殺し、シユメール文明由來の粘土板や
エジプト文明由來のパピルス等々、
所藏してゐた數多の貴重な歴史書を全て燒却破壞、
焚書坑儒を斷行し、b國日本の歴史の抹殺を圖つた。
 
 
 
『此の警告文は「エメラルドタブレツト」の文章を聯想する』
http://www.asyura2.com/08/bd54/msg/463.html

この警告文の主は恐らくユダヤ祭祀一族のレビ族です。
私はレビ族に関して投稿しようとした時に極めて特殊な方法で警告を受けた事があります。
レビ族は中国で秦を築いた秦一族と同系統であり、
レビ族にはおそらく大秦国と書くローマ帝国に関して、実は陰の真の支配者だった等の秘密がありますが、
おそらくローマ帝国に関するそれらの資料は秦一族である秦の始皇帝が焚書坑儒で学者達が後世に残してしまっては都合が悪い多くの資料を抹消したように抹消されています。
秦の始皇帝が抹消を意図した歴史資料の核心は、始皇帝の秦一族がローマ帝国の方から来た人達で云々といった事だった筈です。
秦一族が日本に来ている以上、ローマ帝国・秦・古代日本で、レビ族・秦一族に関する核心的な歴史資料が抹消され情報操作が為されている筈です。
 
 
 
 
蜂子皇子は百濟勢力に彼の地に留まり續けた場合
弑逆される事が確實ゆえ出羽の國に避難したのだ。
そして蘇我氏を歴史から抹消した。
『日本書紀』は藤原不比等が編纂した書。
 
 
585年(用明元年)- 聖徳太子の勧めにより宮中を脱出。
592年11月3日 - 父崇峻天皇が蘇我馬子に暗殺される。

           ― 蜂子皇子 - Wikipedia 経歴 據り
 
 
『日本書紀』に中臣鎌足が登場する直前のこと、気になる記事がのこされている。
 百済王豊璋が、三輸山で蜜蜂を飼おうとしたが失敗した、という話である。
 天香具山同様、三輪山は神聖な山であり、
 人が入ることはできなかったはずである。
その三輪山で豊璋が蜜蜂を放ったというこの記事は、
いったい何を意味しているのだろう。
そして、その直後の中臣鎌足神抵伯任命記事である。
二つの記事に、何か関係があるのだろうか。

                    ― 関裕二氏著「藤原氏の正体」おわりに 據り
 
 
 
 
    
 
 
 
 
出羽の國のなぞ
http://www.asyura2.com/08/bd54/msg/648.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2008 年 12 月 29 日 16:33:38: Gsx84HOp6wiqQ

羽黒山參詣記
http://www.asyura2.com/08/bd54/msg/345.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2008 年 10 月 18 日 23:52:48: Gsx84HOp6wiqQ

先生、またまた誤解です。差し出がましい発言すみませんでした、どうぞ投稿をお続け下さい。
http://www.asyura2.com/08/bd54/msg/598.html
投稿者 そこちょっとつんつく 日時 2008 年 12 月 18 日 20:34:52: 8EItFG7yGzQIA
 
 
 
古代日本のフリーメーソン 石物云ふ時來たぞ
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/209.html
投稿者 不動明 日時 2010 年 12 月 26 日 21:39:44: yX4.ILg8Nhnko
 
 
 
 

http://www.asyura2.com/11/test22/msg/927.html

記事 [テスト22] 試驗投稿
 
 
 
 
    このbのまことの姿見せてやる積りでありたが、
    人に見せると、びつくりして氣を失ふもしれんから、
    石にほらせて見せておいたのにまだ氣づかんから木の型をやつたであらうがな、
    それがbの或る活動の時の姿であるぞ、
    bの見せ物にしてはならんぞ、
    お山の骨もその通りぞよ、
    これまで見せてもまだ分らんか、
    何もかもbがさしてあるのぞ。
    心配いらんから慾出さずに、素直に御用きいて下されよ、
    今度のお山開き まことに結構であるぞ、
    bが烈しくなると、bの話より出來んことになるぞ、
    bの話結構ぞ。
    七月の十三日、ひつ九のかみ。

                      ひふみb示 下つ卷 第三帖(四五)
 
 
 
 
    この方は元の肉体のままに生き通しであるから、天明にも見せなんだのざぞ、
    あちこちに臣民の肉體かりて豫言するbが澤山出てゐるなれど、
    九分九厘は分りて居れども、とどめの最後は分らんから、
    この方に從ひて御用せよと申してゐるのぞ。
    砂糖にたかる蟻となるなよ。
    百人千人の改心なれば、どんなにでも出來るなれど、
    今度は世界中、b々樣も畜生も惡魔も餓鬼も外道も三千世界の大洗濯ざから、
    そんなチヨロコイ事ではないのざぞ。
    ぶち壞し出來ても建直し分かるまいがな。
    火と水で岩戸開くぞ、
    智慧や學でやると、グレンと引繰り返ると申しておいたが、
    さう云へば智慧や學は要らんと臣民早合點するが、
    智慧や學も要るのざぞ。
    惡も御役であるぞ、この道理よく腹に入れて下されよ。
    天のb樣 地に御降りなされて、今度の大層な岩戸開きの指圖なされるのざぞ、
    國々のb々樣、うぶすな樣、力あるb々樣にも御苦勞になつているのざぞ。
    天照皇太b宮樣初めb々樣、あつくまつりて呉れと申してきかしてあろがな、
    bも佛もキリストも元は一つぞよ。
    八月三十一日、ひつ九の

                         ひふみb示 天つ卷 第四帖 (一一一)
 
 
 
 
    昔から生き通しの活b樣のすることぞ、
    泥の海にする位朝飯前のことざが、
    それでは臣民が可哀そうなから天の大b樣にこの方が詑びして
    一日(ひとひ)一日と延ばしてゐるのざぞ、
    その苦勞も分らずに臣民勝手なことばかりしてゐると、
    bの堪忍袋切れたら何んなことあるか分らんぞ、
    米があると申して油斷するでないぞ、
    一旦は天地へ引き上げぞ。
    八月七日、一二

                 ひふみb示 天つ卷 第十七帖(一二四)
 
 
 
 
                
 
 
    

    

    

    

     

    

    
 
 
 
 


「超知ライブラリー001 [超図解]日本固有文明の謎の鍵はユダヤで解ける」據り
 
 
 
 
サキツミヨノフルコトノモトツフミオオイナルオシエ
先代舊事本紀大成經
 
 
「先代旧事本紀大成経」における古代天皇の身体的特徴 | zackyChannel
http://lucky2zacky.jugem.jp/?eid=760
 
 
「先代旧事本紀大成経」における古代天皇の身体的特徴
2009.05.26 Tuesday | 20:47
 
 
 
 
 
先代旧事本紀大成経(せんだいくじほんきたいせいきょう、先代舊事本紀大成經)は、『先代旧事本紀』を基に江戸時代に作られたと推測される偽書。(wikiより引用)

以下、先代旧事本紀大成経より、いにしえの天皇の身体的特徴を抜粋


神武天皇(初代)

背の高さは約3メートル15センチ、胴回りは、両手を伸ばして一抱えした長さに15センチほど足した長さ。頭には9センチほどの角が二本あり、それはまるで雪のような色をしています。背中には龍のような背ビレがあり、その長さは1メートル20センチ、尾の裏側には大きな鱗が72枚あります。105歳のときに皇太子の位に就かれました。

綏靖天皇(2代)

身長は3メートル、目は黄色に光り、まるで水星のような輝きを放っています。背中に鱗があり、怒られるときにはそれが逆立ちました。その武術は人に勝るので軽々しくモノを言えませんでした。

孝霊天皇(7代)

生まれながらの御容姿は、他の方とは大きく異なり、お顔が長く龍のようですが、決して醜くはありません。その耳の後ろに白い鱗があります。胸にも9枚の鱗があり、その9つの隙間から氣を放っておられます。俊敏で、どんな遠いところにも行かれます。

崇神天皇(10代)

背の高さは1メートル90センチ、額に10センチほどの青い角が一本あります。下の顎の歯は短く丸く、下は長く鼻にまで届きました。

垂仁天皇(11代)

背の高さは1メートル80センチ、髪は右曲がりに頭を9周するように生え、頭頂部で輪のように巻いてとどまっていました。両脇の下には金と緑の羽を持ち、肘にも同じような羽が根ざしておられました。

神功天皇(14代)

御容姿は非常にたおやかで美しく、その目には二つの瞳をお持ちでした。乳に9つの穴があり、力は強く建物の柱を揺るがすほどでした。

応神天皇(15代)

背の高さは2メートル90センチ、肘には弓を射るときの「鞆(とも)」いう丸い当て皮のような形がありました。顔の真ん中の角は天に向かってまるで弓に矢を番えたかのようでした。胸には72本の青い毛が牛の尾のように生えていました。その長さは馬の尻尾ほどで、とても強く根ざしていたので最後まで抜け落ちることはありませんでした。

仁徳天皇(16代)

御壮年のころで、背の高さは1メートル90センチほど、目には青と黄色の光があり、耳は眉毛の上ぐらいの位置から口の下にまで垂れ下がり、足の指は長く、まるで手の指のようでした。

以上

【出典】
天孫降臨/日本古代史の闇―神武の驚くべき正体 (5次元文庫)


■記紀によって偽書に追いやられた日本の超古代文書たち
http://lucky2zacky.jugem.jp/?eid=626
 
 
 
 
 
 
 
 
   ところで富士のコノハナサクヤ姫ノ命に關する傳承
   (b傳富士文献)に次のやうな話が傳はつてゐる。

    超古代、富士の裾野(すその)に阿祖山(あそやま)大b宮を中心とする
    カキツの都が榮えてゐた。
    その國の支配者は女性で、赤く輝く「石」を用い、
    その力によつて皿状の飛行物體を飛ばし、
    死人をよみがえらせ、地球萬國を夫である天皇とともに訪れ、
    世界を平和と安寧(あんねい)のうちに治めてゐた。
    しかし王國の支配は、腐敗した官僚と民衆の叛亂で次第にぐらつき、
    分裂した二國間で丸い「天球」を投げつけ合う激しい戰いが起こり、
    富士と地球の火山は相次いで大噴火し、
    コノハナサクヤ姫は富士の火口に身を投げた。
     なおコノハナサクヤの象徴は球體の丸い石であると云ふ。
    これが現在、南米各地で見つかつてゐる。
 
 
 
 
    英雄アシュヴァッターマンはみずからの空挺ヴィマーナ(飛行戦車)に踏みとどまると、
    水面に降り立って、神々さえも抵抗しがたいアグネアの武器を発射した……。
    アグネアがひとたび空中高く放たれると、
    その矢の束は光輝く流星の雨となって地上に落下し、敵を圧倒した。

    パーンダヴァの軍勢は、突如、深い闇に包まれ、方向感覚を失ってしまった。

    やがて恐ろしい風が吹き始め……太陽がぐらぐら揺れて
    あらゆるものが熱で焦がされ始めた。
    象たちはこの武器の発する熱に焼かれ、
    あたり一面に広がる炎から逃れようとして右往左往した。
    海や川の水まで蒸発し、水中に棲む生き物も死の脅威にさらされた……。

    矢の雨は、あらゆる方向から激しい風をともなって降り注いだ。
    雷よりすさまじい音をたてて爆発したこの武器のために、
    敵の兵士たちは猛火に包まれ、燃え木のようにバタバタと倒れた。
    巨大な象たちも、この武器に焼かれて狂おしい悲鳴をあげ、
    ドドーっと大地に崩れて重なっていった……。

    こうして戦場の生き物は戦車もろとも火に呑み込まれ……
    木の葉のように燃え尽きてしまった……。
    鳥たちは灰で真っ白になった。
    そして数時間後に、すべての食べ物は汚染されて食べられなくなった。
    これを見た兵士たちは恐怖にかられ、命からがら戦場から逃げ出した。
    彼らは急いで川に飛び込み、自分達の身体と身につけているものを洗った。

    ---

    高速のヴィマーナで空を飛んでいたクルスは“雷電”を巧みに操作した。
    彼は、三つの都市がそれまでのどんな武器でも効果がないことを知ると、
    これらの都市へ向けて、神々すらおそれていた巨大な苦しみをともなう武器を発射した。

    それは、太陽を一万個集めたほど明るく、
    輝ける炎と雲がそそり立つ柱となってもたらす
    “鉄の雷電”と呼ばれる未知の武器だった……。

    三つの都市の住民は、ひとり残らず焼き尽くされて灰となった。
    死体は見分けがつかないほど焼けただれ、手足の爪や髪の毛はことごとく抜け落ちた。
 
 
 
 
    「天の御璽のb寶」 「アメノミシルシノカンダカラ」 「天のみ知る死のb寶」
 
 
    


 
 
 
 
 
 
 
 
富士山の噴火口をグーグルマツプ地形圖で見ると不思議な人工地形が浮かび上がつて來る
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/230.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 5 月 20 日 03:04:43: xsXux3woMgsl6

バラモン教聖典『マハーバーラタ』より抜粋 | zackyChannel
http://lucky2zacky.jugem.jp/?eid=608

アメノミシルシノカンダカラ
http://www.asyura2.com/09/bd57/msg/587.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2009 年 12 月 05 日 01:28:47: xsXux3woMgsl6

大魔bの額に角がありヱヴアンゲリオン初號機にも額に角がある 先代舊事本紀大成經の崇b天皇の記述には額に角がある なんで?
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/229.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 5 月 20 日 02:49:13: xsXux3woMgsl6

ヱヴアンゲリヲン アマツヒツギノスミラミコト
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/251.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 5 月 25 日 23:03:31: xsXux3woMgsl6

日本海周邊にb國日本を守護する龍宮の乙姫樣のUSO艦隊、シーゲートが出現してゐる可能性有り
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/506.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 8 月 10 日 22:42:45: xsXux3woMgsl6
 
 
 
 
 
 
 
 
異形のb々は人間界に天皇と成つて天下つて來た存在だ。
佛魔百濟勢力藤原家は
其のb國日本を平和裏に統治してゐた異形のb々を驅逐した。
 
 
 
 
http://www.amazon.co.jp/謎の根元聖典-先代旧事本紀大成経-超知ライブラリー4-後藤-隆/dp/4198619239/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1298361420&sr=8-1
 
 
        
 
 
先代舊事本紀大成經
徳間書店刊
平成十六年(西暦2004年)十月三十一日發行
後藤隆氏著
「超知ライブラリー006 謎の根元聖典 先代旧事本紀大成経」

商品の説明

出版社/著者からの内容紹介

「先代旧事本紀」は竹内文書を含む古史古伝のすべてを網羅し、ヒッタイト・ハッタイトを超えて人類文明の根元まで遡るものであった!
内容(「BOOK」データベースより)
その存在を誰もが知りながら、入手の困難さ、内容の難解さゆえ、一切が謎のベールに包まれていた先代旧事本紀大成経。竹内文書をはじめ、あらゆる古史古伝のルーツともなった七二巻本の全容をここに初めて明らかにする…。
内容(「MARC」データベースより)
天皇家と六家が隠し持っていた秘録を基に、聖徳太子と秦河勝が実用書として再生させた「失われし超古代の叡智」72巻。ヒッタイト文明にまで遡る世界で最大最後の古史古伝。その堅牢なる秘密の封印がついにここに解かれる!

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

後藤 隆
神皇家初代当主神主。あまたの企業の相談役をつとめていたこともあるが、現在は東洋医学治療センター院長と『旧事本紀』の研究に集中している。先代旧事本紀大成経刊行普及会、先代旧事本紀大成経研修道場、神代皇代大成経刊行普及会の代表。(有)天隠山専務取締役。古文書翻訳出版協同組合(都認可番号;13産労商調設事第3号)代表理事などを歴任(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
 
 
目次

序章 ついに紐解かれる「超太古の叡智」七十二巻

 古代パルティアを見よ ― 人類は進化などしていない
 古代電池と金メッキの技術
 エジプトのピラミッドは、単に唯一残った古代建物の一つに過ぎない
 文明の終着点「日本」に残された超古代文明の叡智の結晶 ― それが『先代旧事本紀』だ!
 
 
第1章 万能の学問書『先代旧事本紀』の基礎知識

 『先代旧事本紀』と呼ばれる書物はいくつも存在している
 七十二巻本が原典と言える理由
 『旧事本紀』を貫く古代の万能理論「天隠山理論」とは?
 伊勢神宮と伊雑宮の真相
 神を祀るということの真意
 
 
第2章 なぜ天皇家と六家だけに「宇宙の奥義」が残されたのか

 喪失の危険は最初からわかっていた
 『古事記』以前の書、「古史古伝」と『旧事本紀』
 
 
第3章 世界中の「古代の叡智」はこうして文明の終着点「日本」に集った

 『旧事本紀』の「叡智」は、かつて世界中に存在していた
 超古代の叡智は、どのようなかたちで日本に残されていたのか
 『旧事本紀』はどこから出現したのか
 さまざまな古史古伝、それらもまた『旧事本紀』である
 「先代旧事」と「神代皇代」
 聖徳太子が天皇にならなかった理由
 『旧事本紀』編纂は天皇家だからこそできた
 聖徳太子の目指したもの
 
 
第4章 秦河勝とヒッタイト・ハッタイト文明

 『旧事本紀』編纂の黒幕!? 秦一族の謎
 秦氏と太子の思惑は一致していたのか?
 『旧事本紀』は人間を天才にする
 
 
第5章 聖徳太子の死後千四百年―初めて公開される『旧事本紀七十二巻』の実像

 本書で用いる『旧事本紀』の原本について
 宮東齋臣氏と『旧事本紀』
 『旧事本紀七十二巻』の構成と内容
 
 
第6章 世界の遺跡に宇宙の学問「天隠山理論」が表現されている理由

 誰が宇宙の発生を見ていたのか
 世界中の古代遺跡は一つの理論に基づいている
 繰り返される崩壊と生成
 『旧事本紀』がコンピューターでは解析できない理由
 人間の可能性
 
 
第7章 九重天と六重地―現代数学と物理を超越する「天隠山理論」の真髄

 『旧事本紀』の創造哲学
 理論の誕生を推理する
 九重天と六重地
 天隠山理論は円錐形の山か
 
 
第8章 幸魂・奇魂・荒魂・和魂(四つのDNA塩基)と現代生物学を超える霊魂とは?

 DNAの遺伝子も登場する
 天隠山と占い
 循環する乱数表
 神事と天隠山
 
 
第9章 天隠山理論の要諦にして―権力者が最も恐れた「五鎮三部」とは?

 五鎮三部
 
 
第10章 矛盾の間を生きる「人間」のための学問―『旧事本紀』の教える宗教とは?

 『旧事本紀』は中庸の学問
 宗教とは本来、人間学である
 人は何故信仰を求めるのか
 信ずべきは自分自身、神は人を救わない
 『旧事本紀』が教える親孝行
 道徳の基準「人の道」
 文明と進化
 人間が生きるために必要な学問とは
 
 
終章 謎の根元聖典『旧事本紀』が教える既存宗教と輪廻転生とは?

 現在の宗教は人間を滅亡に導く
 本当の宗教
 日本神道は根っ子、儒教は枝葉
 結果からアプローチした仏教は果実
 宗教が「欲を捨てよ」と教える意味
 日本神道も仏教も一神教である
 人間の才能と能力
 輪廻転生の真実
 
 
 
 
 
 
 
 
蘇我と物部、佛教とb道
物部氏を滅ぼしたのは蘇我氏ではない。
物部氏と蘇我氏は天皇の詔により和解した。

物部氏と蘇我氏を驅逐したのは百濟勢力藤原家である。
佛魔百濟勢力藤原家は聖徳太子や蘇我氏を滅ぼしたあと、
物部氏をも驅逐した。

死人に口無し。
兩家を驅逐した後は
自分達勢力に都合の良い樣に歴史を改竄僞造する。
全ての罪を蘇我氏に着せた。

白村江の戰い敗戰後、唐の太宰府筑紫都督府に據る大和軍事占領下に
唐側に巧妙に取り入り、有力豪族粛正の尖兵として、
物部氏や其の他有力豪族を抹殺し、シユメール文明由來の粘土板や
エジプト文明由來のパピルス等々、
所藏してゐた數多の貴重な歴史書を全て燒却破壞、
焚書坑儒を斷行し、b國日本の歴史の抹殺を圖つた。
 
 
 
『此の警告文は「エメラルドタブレツト」の文章を聯想する』
http://www.asyura2.com/08/bd54/msg/463.html

この警告文の主は恐らくユダヤ祭祀一族のレビ族です。
私はレビ族に関して投稿しようとした時に極めて特殊な方法で警告を受けた事があります。
レビ族は中国で秦を築いた秦一族と同系統であり、
レビ族にはおそらく大秦国と書くローマ帝国に関して、実は陰の真の支配者だった等の秘密がありますが、
おそらくローマ帝国に関するそれらの資料は秦一族である秦の始皇帝が焚書坑儒で学者達が後世に残してしまっては都合が悪い多くの資料を抹消したように抹消されています。
秦の始皇帝が抹消を意図した歴史資料の核心は、始皇帝の秦一族がローマ帝国の方から来た人達で云々といった事だった筈です。
秦一族が日本に来ている以上、ローマ帝国・秦・古代日本で、レビ族・秦一族に関する核心的な歴史資料が抹消され情報操作が為されている筈です。
 
 
 
 
蜂子皇子は百濟勢力に彼の地に留まり續けた場合
弑逆される事が確實ゆえ出羽の國に避難したのだ。
そして蘇我氏を歴史から抹消した。
『日本書紀』は藤原不比等が編纂した書。
 
 
585年(用明元年)- 聖徳太子の勧めにより宮中を脱出。
592年11月3日 - 父崇峻天皇が蘇我馬子に暗殺される。

           ― 蜂子皇子 - Wikipedia 経歴 據り
 
 
『日本書紀』に中臣鎌足が登場する直前のこと、気になる記事がのこされている。
 百済王豊璋が、三輸山で蜜蜂を飼おうとしたが失敗した、という話である。
 天香具山同様、三輪山は神聖な山であり、
 人が入ることはできなかったはずである。
その三輪山で豊璋が蜜蜂を放ったというこの記事は、
いったい何を意味しているのだろう。
そして、その直後の中臣鎌足神抵伯任命記事である。
二つの記事に、何か関係があるのだろうか。

                    ― 関裕二氏著「藤原氏の正体」おわりに 據り
 
 
 
 
    
 
 
 
 
出羽の國のなぞ
http://www.asyura2.com/08/bd54/msg/648.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2008 年 12 月 29 日 16:33:38: Gsx84HOp6wiqQ

羽黒山參詣記
http://www.asyura2.com/08/bd54/msg/345.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2008 年 10 月 18 日 23:52:48: Gsx84HOp6wiqQ

先生、またまた誤解です。差し出がましい発言すみませんでした、どうぞ投稿をお続け下さい。
http://www.asyura2.com/08/bd54/msg/598.html
投稿者 そこちょっとつんつく 日時 2008 年 12 月 18 日 20:34:52: 8EItFG7yGzQIA
 
 
 
古代日本のフリーメーソン 石物云ふ時來たぞ
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/209.html
投稿者 不動明 日時 2010 年 12 月 26 日 21:39:44: yX4.ILg8Nhnko
 
 
 
 

http://www.asyura2.com/11/test22/msg/928.html

コメント [お知らせ・管理20] SaveChild厨さん、タイトル規定違反です。ご理解いただけるまで投稿可能数を0にしておきます。 管理人さん
01. SaveChild厨 2011年8月12日 04:49:06: hfhZnjAARar8w : 9ekHqeA2Es
何度も、お手数おかけし、すみません。
以後。気をつけさせて頂きます。
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/224.html#c1
コメント [自然災害17] 8月12日に注意!コテ造&ママゴンさんのメッセージ yamori
104. あいにゃん 2011年8月12日 04:50:41: ojI/Mqw/xxQfM : fVFRQxQ1Tw
ホントに来ましたね 偶然なのかホントなのか半信半疑になりました。
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/496.html#c104
コメント [原発・フッ素15] ウソだろ!! [原発の避難準備区域、9月にも一括解除 20キロ圏外] SaveChild厨
24. SaveChild厨 2011年8月12日 04:51:37: hfhZnjAARar8w : 9ekHqeA2Es
タイトル表示違反でした。申し訳ありません。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/417.html#c24
記事 [Ψ空耳の丘Ψ59] 鶴(ゼウス)と亀(シリウス)が統べた日本[かごめ歌]/竜宮乙姫「瀬織津姫は恐るべき神」と本居宣長








(上の掲載画像は、『アルクトゥルスかく語りき!』http://arcturusprobe2010.blog75.fc2.com/blog-entry-248.html様より転載)

荒ぶるアマテラスこと竜宮乙姫、瀬織津姫は善人にはユーモラスでお優しくとも悪人達には罪穢れの禊(みそぎ)清めの神という説があります。

大海原から龍に乗ってやって来て一切の罪穢れを大海原に飲み込み山々の頂に集め、そしてその山の川に罪穢れを流す怒れる浄化と新世界新生の神へと変化する事があるそうです。

以下はそのようなポールシフトのような現象を表現しているようにも解釈できる日本古来の歌です。

何れにせよ異民族には嘲笑の対象でも私達日本民族皆のご先祖がたにとっては信仰し待ち焦がれ希望を託していた神々のお一方です。ご先祖がたが信じた以上は私達も信じることにしましょう。

ともすれば自身は肉体が滅び天に帰る事になっても世界が浄化されて悪(罪穢れ)が滅びた方が良いという、正しい神を待ち望む高潔な意思こそが私達日本人のご先祖方の真骨頂なのかも知れません。


か ご め か ご め

か ご の 中 の 鳥 は

い つ い つ 出 や る

夜 明 け の 晩 に

鶴 と 亀 が 滑 っ た(統べた)

後 ろ の 正 面 だ あ れ


か ご め か ご め

か ご の 中 の 鳥 は

い つ い つ 出 や る

夜 明 け の 晩 に

つ る つ る  つ っ ぱ い た

な べ の な べ の  底 抜 け




鶴とはゼウス大神を意味することがあるそうです。

『皇国史観から多民族史観へ』〔Lemurian resonance〕

http://lemurian.blog.shinobi.jp/Category/33/2/



そこに鶴が重なってくるのですから、明らかにこれは白鳥=ゼウスのギリシャ神話がなんらかの形で関わっていたことは明白です。ただ、日本にも古い北極星信仰がありましたから、そこに、誰が持ってきたかはわかりませんがギリシャ神話が力を持って日本の神話に取り込まれているんです。   」


亀とはシリウスの神を意味することがあるそうです。

『日本ガメ?→クサガメ』〔自然ウォチング〕

http://blog.livedoor.jp/yoji_horie/archives/51466237.html




たとえばドゴン族では、カメは創造神ノンモの化身とされ、亀甲(きつこう)の矩形(くけい)は原初大地に刻まれた耕地の区画、鋸歯(きよし)状の線は水の流れや地霊としての蛇(じや)を表した。バンバラ族でもカメは天と地の象徴とされ、少年の成人儀礼に用いられる。 」


『第9話 ドゴン族のシリウス神話』〔アトランティス幻想〕

http://www2.odn.ne.jp/~cic04500/atlan09.html




ドゴン族の描くナマズの姿のノンモ





『祭神−−豊玉姫命』〔豊玉姫神社(佐賀県嬉野市)〕

http://www3.ocn.ne.jp/~tohara/toyotama.html



社殿右前の覆屋の中に、白いナマズが祀られている。

  傍らの案内には、

    「豊玉姫神社の“お遣い”は“ナマズ”です。嬉野川を支配し、郷の守りについて、国に大難あるときには、六尺の大ナマズが現れ、神託を告げると語り継がれています。

  このナマズ様は、古来より“肌の病”にご利益があるといわれています。・・・」

とあり、町史には

  「社の後ろに淵がありナマズが住んでいたが鞍置鯰といい、豊玉姫大明神の遣いであったので、これを捕え食べると神罰があった。ナマズは2m余りの大きさであったが、なかなか人目につかなかった。しかし国に異変があるときは必ず淵に浮かんだという」

とある。

  しかし記紀によれば、祭神・トヨタマヒメの正体は“八尋のワニ”(サメ)とあるから、ワニあるいはサメを以てお遣いとするのならわかるが、ナマズというのは不可解。

  当社がナマズを“お遣い”とするのは、トヨタマヒメとの関係というより、ナマズに係わる俗信からのものらしい。

  ナマズは、その強靱な生命力から水界の主とみられ、雨乞いなどに霊験ありとされたというが、一般には地震を起こす霊力があるとされ、地震除けとして崇拝されてきた(茨城の鹿島神宮では、地震を起こす大ナマズを鹿島神が押さえ込んでいる)。」





(画像は『一筆!さが便り:佐賀県の観光情報』http://asobo-saga.jp/mt/archives/2008/12/post_459.html様より転載)







(画像は『一筆!さが便り:佐賀県の観光情報』http://asobo-saga.jp/mt/archives/2008/12/post_459.html様より転載)





『アヌンナキは「天より地に降り来たる者」 - 目の星は人類の母――天狼星信仰之謎 - Yahoo!ブログ』〔UMAMOON〕

http://umamoon.tumblr.com/post/332699065



シュメール都市国家の中ではもっとも南に位置するエリドゥは、神話では「深淵の都」として知られ、水と知恵の神エンキの都とされています。発掘調査の結果によると、エリドゥの各神殿層は十八層まであるが、第八層神殿では魚の骨がいっぱい詰まった頸の長い「亀型土器」が発見され、第六層神殿内部にはおびただしい魚類の骨が至聖所の一角に積み上げられていました。」

 



『与那国島海底遺跡』〔 歴史・古代文明と世界のミステリー〕

http://historyholic.blog114.fc2.com/blog-entry-39.html




与那国島海底遺跡の亀の石と呼ばれる地形





『大祓いのりと考【太祝詞考】』〔れんだいこの歴史学院〕

http://www.marino.ne.jp/~rendaico/rekishi/kodaishico/nihonshindoco/noritoco/futonoritoco.html



及川俊哉氏の「瀬織津姫の謎」を転載しておく。...

つまり、本居宣長は八十禍津日神は黄泉の国からけがれを運んできて災いを起こす神様だから、邪神であり、おそるべきである(「あなかしこかしこ」)と言っているわけです。同じ神が、一方で善神の瀬織津姫と呼ばれ、他方で邪神の八十禍津日神と呼ばれる。

...また、身近なところでは、よくわたしたちが食べているお団子。あの串に三つさす御手洗団子のかたちの由来は京都下賀茂神社の御手洗社(瀬織津姫をまつっている)の池の泡がぷくぷく連続して浮かぶ様子からとられたものです。『御手洗』ということが、禊ぎ祓いに関係することは言うまでもありません。」



▽参考


『おたまじゃくしが降った紫波と三次の地が意味するもの/荒ぶるアマテラス(天の岩戸の)のかごめ歌』 そこちょっとつんつく〔阿修羅〕

http://www.asyura2.com/09/bd56/msg/453.html


『第10話〜古代UFO奇譚と竜宮伝説』〔アトランティス幻想〕

http://www2.odn.ne.jp/~cic04500/atlan10.html


『日本(ウサギ達)は鰐(ワニ)が守る/土星のリングを作り出し常駐する巨大UFO』そこちょっとつんつく〔阿修羅〕

http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/844.html


『激戦宇宙大戦争!?哺乳類最強プレアデス愛グループVS人間捕食爬虫類凶悪グループ』そこちょっとつんつく〔阿修羅〕

http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/721.html


『日本におたまじゃくし(勾玉)が降るものなり/ヤマトの神の帰還告知(太陽から現れナチス・シリウス他同盟軍と交戦中)』そこちょっとつんつく〔阿修羅〕

http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/689.html



(『在日の勝利宣言』なるものを行い防犯会社セ○ムや帝○警備・新帝○警備に天下った腐敗警察OBや多数有力ロリコン政治家・議員らをパチンコマネー等で抱き込んでいる、また某世田谷一家冊人・麻薬併用電磁波深層洗脳での種々通り魔や小学校襲撃事件や連続少女誘拐レイプ冊人および毒入り緑茶ほか治安悪化自作自演・引越し前後放火等のFEMA策動MKウルトラ兵器在日で北朝鮮国家指令六本木麻薬・関東連合ルート似非右翼暴力団員(暴力団員さんというか素人相手粘着専門のちんけなチンピラ?)でもある、K東会K俣和也こと某掲示板のヤハ○ェの祟り○○じゃ〜=○幸彦=○○法師=ブログ「瀬織津姫の○先」「あの日あ○時」ほにゃらら等のブログ(私の書き込みに見せかけて私が普段から自身を俺様や神と名乗っていて遂に通り魔事件等を起こしたというシナリオ作りとブログ読者脳内情報シンクロで読者)主と関連人物が、自身らの悪事を世間に暴露認知される事を恐れて「カルトめ」「妄想癖」「ふざけんじゃねえ」「恐怖や不安を煽る悪質な書き込み」云々と、読者様方にも不快なコメントがしつこいのでコメント投稿を不可にさせて頂きました。皆様、あしからずm(__)m...)





http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/845.html

コメント [原発・フッ素15] 政府らが未だ「人体影響はない」と厳命する理由はこれだ! (先住民族末裔の反乱)  赤かぶ
97. ネオナチ・ケロリン 2011年8月12日 04:58:22: MrvEQaLOjA3C2 : OYXZNtmeUE

<20mSv/年>でも、泣いてやめていった御用学者も居ったな?

●この国の<放射線防護学研究者>の基準は、
<149mSv/年> ・・らしい。
それと、
●>20キロメートル圏内のほとんどは、将来立ち入り禁止を解除できる ・・らしい。
その将来とは、2〜3年後か?・・2〜3万年後か?
どっちが近いか・・答えてくれ・・・。

<プルトニュームは飲んでも、だいじょぶ!!>
<20km圏内など、スグに立ち入り禁止解除!!>
<年間20mSv/年は、1mSv/月にも満たない!!>

どこが、どう、可笑しいか、この国の国民レベルでは、
分からないんだろうな?
あの知的レベルがスゴイらしい『ポピュリズム』にでも
聞かんと、前へ進めんかも知れんな?・・・世界的には、
中国新幹線より、はるかに話題になるだろうな?

・・・どうだろう?
アホ過ぎて、すでに水面下では、笑われているらしいが・・。


http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/346.html#c97

コメント [昼休み49] もう十分に楽しませてもらった。これまでありがとう。テレビよ、さらば!・2ch(多重債務国と仲良く曽根崎心中して下さい) 小沢内閣待望論
01. 2011年8月12日 05:15:28: ac6T02ooxU
ま、なくなったら無くなってで構わない。新しいテレビ局がどんどん出てくる世の中になればいい。
http://www.asyura2.com/11/lunchbreak49/msg/637.html#c1
コメント [原発・フッ素15] 首都圏もチェルノブイリ並みに汚染されている (日刊ゲンダイ)  赤かぶ
27. 7750 2011年8月12日 05:41:33: gXixHIm2qRr1E : UmmFr1l5ds
昨日、和食チェーン大戸屋に行ったところ福島県のジャガイモ使用とのこと・・・・。
ジャガイモはセシウムの吸収率が高いのではないかと思うので、これは気をつけて食べないといけない・・・・。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/446.html#c27
コメント [カルト8] 副島隆彦:重掲より吉見おさむvs副島隆彦 kanegon
01. 2011年8月12日 05:42:00: OlLe4OHFNA
副島は外部被ばくのことだけで内部被ばくのことを
一つも考慮しいない。民主党枝野のCTと比べるととかレントゲンと
の例えと同じ考えだ。ちゃっかり枝野は自分の妻子はシンガポールに逃がしていた。何も知らされていない福島県民は水をもらいに雪のちらつく中で外で行列をつくっていたのだ。被曝していると知らされずに。ここはソ連か日本なのかと思いたくなるほどの悪夢だった。
副島は意気揚々と原発前に4月に行ってかなり高い放射線量を計測してきたようだが、プルトニウム(半減期2万5千年)やテルルなど
核分裂時にでる恐ろしい物質を多量に吸い込んでしまったようだ。
このことからも、外部被ばくだけでなく内部被ばくによっても
死に至るのだという事実がわかりこのことは大変に重要だ。
副島も自らを人体実験の検体材料としてネットで画像によってもさらしている。
原爆投下直後、外部被ばくのことだけを隠し切れなくなって
米国は研究材料としてその惨劇を一部公表したが、
一番重要なことは隠されていた内部被ばくだ。
長呼吸、食物、皮膚などからの吸収も含む。
もちろん、副島は外部被ばくも受けており細胞にダメージを受けているが
呼吸から吸い込んだ内部被ばくはより深刻であろう。
ビキニ被曝で問題になったのは、広島原爆の1000倍の核爆発によるサンゴが巻き上げられて実験場から250キロほどにいた日本の漁師がその粉末を吸ってしまったことによる被曝なのだ。しかし当時これを公表することは許されなかった。
これを明らかにすると米国は核実験をできなくなってしまう。
しかしそれに反して日本では原水爆実験禁止が叫ばれ多くの署名が集められることになった。これに焦った米国は日本に毒を持って毒を制するという方針を定め日本中に原爆の一種である原発を地雷のように設置した。
この狭い日本をアメリカ製の原発だらけにしたのだ。
もともと人を殺すために作った兵器など所詮平和利用はできない。
長崎の被爆者の66年前に死んだ細胞からは今もプルトニウムを発している。
副島の末路も同じであろう。
放射能障害の怖いところは、後から数年して徐々に重篤化することである。
しかも数年、数十年と自分の子孫にまで影響は永遠に続く。
このことを副島は一部わかっていながら弟子も会員も含めてお金をもらった勢力に魂を売ったのだ。
副島は、誰からも信用されない。薄っぺらい詐欺的な本を出してもう誰も読まない。このペテン男を本気にする者がいるだろうか。
福島で苦しむ人たちを、広島長崎で苦しむ被害者を副島は金もうけに利用して彼らの苦しみを副島の自己満足、商売の道具として利用したことは決して許されることではない。
副島のペテン行為は広島、長崎の犠牲者や今もまだ苦しむ被害者への冒涜行為である。
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/454.html#c1
コメント [原発・フッ素15] マスコミが隠した真実 東電族=東電+自民党+マスコミの報道は、全部嘘であった 菅総理のほうが正直だ ザ・真相
67. 2011年8月12日 05:48:19: ac6T02ooxU
領収書出さない菅も自民もどっちもどっち。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/388.html#c67
コメント [原発・フッ素15] “保守派”論客が原発継続を語る:とても保守派とは思えない言説 あっしら
25. 2011年8月12日 05:53:37: DprNjXc3KE
コンピューター監視法に小沢は決して反対しない。
その意味が、支持者には解るかな?

http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/469.html#c25
記事 [Ψ空耳の丘Ψ59] 此の國に張り巡らされし封印・結界を自らの手で解き放ち、封印されし鬼達を自らの手で解き放て
 
 
 
 


 
 
 
 
    此の國に張り巡らされし封印・結界を自らの手で解き放ち、
    封印されし鬼達を解き放てと、我々を促してゐる。
    其れ無くして我々は眞の力を持ち經ない。
    鬼とは邪成る存在ではなく「鬼」であり「b」あると。

    宇宙b靈アーリオーンはさう語る。
 
 
 
 
此處國に張り巡らされた結界を、自らの手で解き放てと我々を促してゐる
http://www.asyura2.com/0610/idletalk21/msg/399.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2006 年 12 月 11 日 22:32:47: Gsx84HOp6wiqQ

水 此の世とあの世を繋ぐ者
http://www.asyura2.com/09/bd57/msg/609.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2009 年 12 月 11 日 01:18:00: xsXux3woMgsl6 
 
 
 
 


 
 
 
 

http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/846.html

記事 [Ψ空耳の丘Ψ59] 「白村江の戰い」と云ふ古代に起きた敗戰革命 其れを謀つた百濟王子豊璋(中臣鎌足)と中大兄皇子(天智天皇)と云ふ佛魔
 
 
 
 
    またたきの間に天地引繰り返る樣な大騒動が出來るから、くどう氣つけてゐるのざ、
    さあといふ時になりてからでは間に合はんぞ、用意なされよ。
    戰の手傳ひ位なら、どんなbでも出來るのざが、
    この世の大洗濯は、われよしのbではよう出來んぞ。
    この方は元のままの身體(からだ)持ちてゐるのざから、
    いざとなれば何んなことでもして見せるぞ。
    仮名ばかりのb示と申して馬鹿にする臣民も出て來るが、
    仕まひにはその仮名に頭下げて來ねばならんぞ、
    かなとは (カミ)の七(ナ)ぞ、bの言葉ぞ。
    今の上の臣民、自分で世の中のことやりてゐるように思うてゐるが、
    みなbがばかして使つてゐるのに氣づかんか、
    氣の毒なお役も出て來るから、早う改心して呉れよ。
    年寄や女や盲、聾ばかりになりても、まだ戰やめず、
    bの國の人だねの無くなるところまで、やりぬく惡の仕組もう見て居れんから、
    bはいよいよ奧の手出すから、奧の手出したら、
    今の臣民ではようこたえんから、身魂くもりてゐるから、
    それでは虻蜂取らずざから、早う改心せよと申してゐるのぞ、
    このことよく心得て下されよ、
    bせけるぞ。
    八月二日、ひつ九のか三。

                        ひふみb示 下つ卷 第二十八帖 (七〇)
 
 
 
 
自分達の敵對・反對勢力を「白村江の戰い」に據つて壞滅させ、
唐に據る軍事占領體制を誘發せしめ、
倭國(蝦夷[エミシ])勢力を抹殺、解體・改造した。

其れはまさに
陸軍皇道派青年將校を嗾して暴發せしめ、
2.26クーデーターを決起せしめ此れを速やかに鎭壓、
戰爭擴大最大の障壁であつた陸軍皇道派を粛清、
計劃的自滅戰、滿洲事變、上海事變から支那事變へ、
そして大東亞戰爭へを開戰せしめ、
敗戰に據るGHQ軍事占領下での敗戰革命へと驀進して行つたやうに。

藤原不比等編纂『日本書紀』曰く

    「蛇(をろち)と犬(いぬ)と相交(つる)めり。
       俄(しばらく)ありて倶(とも)に死ぬ」
 
 
 
 
近衞は首相に就任した時點で捨て駒として處理される事は決まつてゐた。
ゆゑに計劃の核心部分は本當に知らされてゐなかつたのだらう。
此のやうに五攝家の筆頭であらうとも、必要と有らば躊躇無く切り捨てる。


 
 
 
 

現代日本の閏閥(けいばつ)を牛耳る藤原氏

 『日本書紀』は、蘇我入鹿こそが、天皇家をないがしろにした、という。しかし、中
臣鎌足が天皇家のために身を粉にしたかというと、大きな疑問符がつきまとう。
 藤原氏は中臣鎌足以来、つねに日本の頂点に君臨しつづけた。しかもそれは、一貫
して、「天皇家のため」ではなく、自家の繁栄のためだったように思えてならない。
 それは、この一族の生まれつきの習性であったようにも思えるのだ。
 その習性、伝統は、古代から近代、現代にいたっても、まったく変わっていないの
である。そして、藤原氏にとって「天皇」とは、自家の繁栄を継続するための道具に
すぎなかったのではなかったか。
 じっさい、現代に至っても、藤原氏は「天皇にもっとも近い一族」という立場を利
用し、目に見えない閨閥を作り上げてしまっているのである。
 そこでこのあたりの事情を、現代史に焦点を移してすこし説明しよう。
 太平洋戦争の戦前戦中、三度総理大臣の座に就いた近衞文麿は、昭和天皇に政務を
上奏するとき、椅子に座り、足を組んだままで、涼しい顔をしていたという。
 もちろん周囲の顰蹙(ひんしゅく)を買ったが、このような不謹慎が許されたのにはわけがある。
近衞氏が藤原五摂家の筆頭だったからにほかならない。
 五摂家は七世紀の大物政治家・藤原不比等の四人の男子、武智麻呂(むちまろ)、房前(ふささき)、宇合(うまかい)、
麻呂(まろ)のなかの、房前の末裔、藤原北家(ほっけ)が五つの家に別れ(近衞、九条、二条、一条、
鷹司[たかつかさ])、平安時代以来、明治にいたるまで、代々摂政と関白を輩出する一族として、
貴族社会の頂点に君臨してきたのである。
 これは余談ながら、藤原五摂家の末裔は、現代社会にも、大きな影響力をもってい
る。
 例えば、近衞文麿は戦時中、陸軍の暴走をおさえようと東条英機暗殺計画を練り、
これを「大化改新」になぞらえ、悦に入っていたという。計画は未遂に終わったが、
藤原の末裔であることを、文麿はつよく意識していたわけである。
 この近衞文麿の祖父・忠熙(ただひろ)は左大臣として朝廷の頂点にあって公武合体を推進した
人物だった。この忠熙の夫人は島津藩主の娘で、さらに忠煕の子・篤麿(あつまろ)の夫人は加賀
藩前田家の女人と、近衞家は当時の有力氏族との間に、さかんに門閥(もんばつ)を形成していた
のである。
 文麿の夫人は豊後佐伯(ぶんごさいき)藩主家の千代子で、千代子との間の二女・温子(よしこ)が細川護貞(もりさだ)に
嫁いだ。細川は、熊本藩主の流れであり、細川ガラシャで名高い。護貞と温子の間に
生まれた子が、元首相・細川護熙(もりひろ)で、さらにその弟の護輝(もりてる)が、近衞家に養子に入って
いる。
 このように、近衞家の織りなした閨閥は、旧華族を中心にくり広げられ、華麗なる
一族を形成する。
 藤原氏の末裔氏族の中で、近衞家以上に幅広い閨閥を作り上げたのは、西園寺(さいおんじ)家で
ある。
 西園寺家は五摂家の一ランク下の清華(せいか)家に当たる。それにもかかわらず西園寺家が
名を馳せたのは、公望(きんもち)の活躍に負うところが大きい。
 西園寺公望は勤王公卿(くぎょう)として華々しくデビューし、その後自由民権運動を展開、さ
らには、最後の元老として名高く、軍部の暴走、ファシズム化に最後まで抵抗した人
物として知られる。
 西園寺公望には一人娘の新がいて、毛利家の八郎が婿入りした。
 二人の間に六人の子が生まれ、西園寺家の閨閥を形づくっていくこととなる。
 代表的なのは二女春子が住友財閥家に嫁いだもので、それ以前、住友家は徳大寺(とくだいじ)家
とも姻戚関係を結んでおり、藤原の血をつよく引き入れたのである。この住友財閥家
と西園寺の間の子たちが広く閨閥を形成していき、

 西園寺家はまさに、我が国の代表的支配階層の家系を横断的に綱羅している(『門
閥』佐藤朝泰 立風書房)

 というほどの、強固な網の目を、現代社会に張り巡らしていったのである。
 
 
昭和天皇の前で足を組んだ近衞文麿

 それにしても、藤原氏という存在は、いかにして古代から現代にいたるまで、日本
のエスタブリッシュメントの地位を占めつづけてこられたのであろう。
 彼らの「権威・権力」は、天皇に女(むすめ)を入れ、皇后とすることによって保たれてきた
ものだ。奈良時代よりこのかた、皇后のほとんどは藤原系に牛耳られ、天皇家の血は、
藤原で塗りつぶされたといっても過言ではないほどなのである。したがって、近衞文
麿の胸中に、「天皇」は「藤原の子」に過ぎないという意識がなかったといえば嘘に
なろう。
 じっさい、「天皇」は、藤原氏の権勢を保持するための道具であった時代が、長く
続いたのだ。
 ちなみに、なぜ権力を持たない「天皇」が政争の道具になり得たかといえば、八世
紀に整備された律令という法制度の元で、「天皇」から超法規的な命令を引き出すこ
とによって(正確には引き出すのではなく、言わせるのだが)、政敵を倒すことがで
きたからである。
 すなわち藤原氏にとって、法治国家にありながら、法を曲解、無視することのでき
る魔法が、「天皇」の存在だったわけである。
 その魔法の杖を支配するための手段が、「姻戚」である。
「この世をば我が世とそ思ふ望月の……」と詠った道長は、娘の三人を皇后にするこ
とに成功している。皇后の生んだ子がもっとも有力な皇位継承候補になるのであって、
その皇子たちを、藤原は「我が子」として飼い慣らしていったのである。そして、藤
原氏の意に背く天皇は強引に退位させられた。こうしておけば、藤原権力は安泰であ
る。
 このように、奈良時代から平安時代にかけて、藤原氏は律令(法律)と天皇を支配
することに奔走した。律令を自家の都合のいいように解釈し、それでもだめなら、
「天皇の命令」という魔法を用意し、朝堂を独占したのである。
 近衛文麿は、こういう歴史を背負っていたからこそ、昭和天皇の前で足を組んだの
であろう。

                      関裕二氏著「藤原氏の正体」
                      第一章「積善の藤家」の謎
                      現代日本の閏閥(けいばつ)を牛耳る藤原氏
                      昭和天皇の前で足を組んだ近衞文麿
                      五十六頁據り
 
 
 
 
NHKテレビで西園寺が「あの戰爭は俺達がやつたんだ」とニヤニヤし乍ら語つてゐた事は、今も腦裏から離れない
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/365.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 2 月 27 日 16:28:05: yX4.ILg8Nhnko

イルミナテイーカードの一枚にある「Japanカード」 眞珠灣奇襲攻撃 あんたらのやらうとしてゐる事は解つてゐる
http://www.asyura2.com/10/warb6/msg/388.html
投稿者 不動明 日時 2010 年 11 月 13 日 03:05:17: yX4.ILg8Nhnko

あんたらが自作自演核テロと尖閣諸島周邊海域での偶發を裝つた武力衝突、第二の盧溝橋事件を再び企ててゐる事は既にバレてゐる
http://www.asyura2.com/10/warb6/msg/741.html
投稿者 不動明 日時 2010 年 12 月 03 日 01:23:40: yX4.ILg8Nhnko

中共の核武裝に全面協力したのは佛魔百濟勢力藤原五攝家だつた
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/363.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 2 月 27 日 02:05:04: yX4.ILg8Nhnko

藤原五攝家に據る日本核武裝論中共側最大の功勞者  江沢民の知られざる?事実・経歴 出身大学、実は…… [サーチナ]
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/753.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 7 月 12 日 01:58:09: yX4.ILg8Nhnko
 
 
 
 
 
 
 
 
常識で考える日本古代史
5.3 白村江前夜
http://www1.rurbannet.ne.jp/~papas/joshiki-nihonshi/story/sec5_3.htm
5.4 白村江の戦い
http://www1.rurbannet.ne.jp/~papas/joshiki-nihonshi/story/sec5_4.htm
5.5 実像の天智天皇
http://www1.rurbannet.ne.jp/~papas/joshiki-nihonshi/story/sec5_5.htm
5.6 壬申の乱再考
http://www1.rurbannet.ne.jp/~papas/joshiki-nihonshi/story/sec5_6.htm
日本古代史の真相
http://www1.rurbannet.ne.jp/~papas/joshiki-nihonshi/story/sec6_1.htm
 
 
5.3 白村江前夜

5.3.1 白村江と倭国の百済支援

この時期の朝鮮半島情勢を知る一級資料は、日本書紀である。

これまで日本書紀には信用できない部分が多いと書いているが、これは中国・朝鮮半島から検証することのできない日本国内の記事についてであって、対外的な記事については信用していいのではないかと思う。なぜなら、そこに明らかな間違いが書いてあれば、日本書紀そのものが信用されないからである。

現在みることのできる日本書紀は、漢字かな交じり文で書かれている。これは、現代の日本の読者にはそうでないと読めない(それをさらに現代文に訳すことも多い)からで、もともと日本書紀は漢文(中国語)で書かれている。当時の朝鮮半島や日本は中国語文化圏であった。(ひらがなができたのは平安時代。ハングルはもっとずっと後)

つまり中国・朝鮮半島の人々にとって、同時代に自国語で書かれている文書であるから、日本書紀を入手すればその内容をすぐに精査することができる。だから日本書紀の作者としては、特に中国・朝鮮半島の記事については、可能な限り正確な記事を書く必要があった。そうでないと、日本書紀そのものの信憑性が問われることになるからである。

唐が滅亡してから後に編纂された国書「旧唐書」「新唐書」において、日本についての記事の中に日本書紀から引用されたと思われる部分がある(歴代天皇など)。これは、中国側が日本書紀に一応は信用を置いている、ということであり、この点からみても当時の中国・朝鮮半島の記事について信用することができる、とみる。

従って以下では、日本書紀の記事から白村江前後の状況を検討してみたい。念のため付け加えると、信用できるのは中国・朝鮮半島から検証可能な対外的な部分であって、そうでない国内の動きについては後の政権(日本)にとって有利なことしか書いていない、という前提は変わらない。

さて、朝鮮半島情勢が風雲急を告げたのは、西暦661年である。この年の7月、斉明天皇が崩御されたのと同時期に、唐軍が高句麗城下に進軍したとある。

そして日本書紀によると、皇太子である中大兄皇子は即位せず、天皇とならずに戦争を指揮したことになっている。これが本当だとすると、この時期、日本は国家元首がいないまま戦争状態に突入したことになる。そして中大兄皇子はこのまま、白村江の戦後処理が終わるまで天皇とはならない。

このことが何を意味するかについては諸説ある。中大兄皇子が実の妹であり先代・孝徳天皇の皇后でもある間人大后(はしひとのおおきさき)を妻としていたから、という説もある。しかしどのような理由があろうとも、勝戦国が、敗戦国の元首の責任を問わない、などということは考えられない(特に古代)。

ということは、中大兄皇子は当時唐と交戦した倭国の責任者ではなく、白村江の戦後処理に伴って、日本列島の主(唐からみると日本国王)として認知された、と考えるのが自然ではないだろうか。この問題は後でまた検討することとして、この時代、斉明天皇が崩御してから天智天皇が即位するまでの7年間を「天智称制」と呼ぶ。

朝鮮半島に話を戻すと、唐軍の進軍に伴う対策として、翌月から翌々月(8月〜9月)にかけて倭国から百済に武器、食料の援護、そして援軍五千が送られている。唐が高句麗を攻撃する一方で、新羅が百済に攻勢を強めたからである。

さて、この五千という数、当時の倭(日本)の国力から見て、どの程度の負担となったのだろうか。
 
 
5.3.2 倭国の支援はどの程度の規模だったのか

百済支援にあたり、倭国は最終的に二万七千の援軍を送ることになる。この数が累計なのかその時点での追加支援なのか不明であるが、少なめにみて累計と考えることにする。

われわれが同時代の戦争として、TV番組等で知識を持っているのは太平洋戦争(第二次世界大戦)である。最終的に日本軍の総兵力としては800万人前後(陸軍550万人、海軍250万人)とされるが、よく指摘される「員数主義」(形式的に数だけ合わせておく)や国内に残存する軍備等から考えて、外地に展開されていたのは200万人前後と考えられる。

さて、昭和20年の人口は国勢調査で分かっていて、約8200万人。これに戦没者300万人を加えると8500万人。この総数に対して800万人が兵力で、うち200万人が外地に展開されているということである。

さて、白村江当時の日本列島の人口はというと、おそらく200〜300万人前後ではなかったかと推定される。

現在の日本の人口は約1億2千万。江戸時代の人口はほぼ2千万人で安定しており、これが100年間でほぼ6倍になったのは、工業化によりより多くの食料が確保できるようになったことと、医療水準の向上により死亡率が下がったことによる。

江戸時代の人口2千万人にまで増えた要因は、金属製農具の普及と牛馬による生産力(および輸送力)の向上であり、具体的には武装農民(=武士)による新田の開発によって増産が可能となったことによる。それ以前(平安時代前半)の日本列島の人口は、おそらく5〜6百万人前後であったと推定される。

白村江はさらにそれ以前である。金属製農具が普及していない以上農業生産はそれほど大きくはなく、魏志や隋書の記事にあるように、半農半漁の生活をしていたと思われる。人口として維持できたのは多く見積もって3百万人前後であろう。

さて、人口3百万人のうち2万7千人を海外派兵するという規模は、割合とすれば太平洋戦争の3分の1程度であるが、相当に高い比率ということはお分かりいただけると思う。さらに、当時は道も輸送手段も整備されておらず、太平洋戦争と違って工業が発達していないので、船さえ十分なものは作れなかったはずである。

そうした中でとりあえず5千人を派兵するというだけで現代の数十万人にあたるだろうし、最終的な2万7千人は太平洋戦争の2百万人に匹敵する負担、と考えることは、それほど的を外れているとは思われない。
 
 
5.3.3 太平洋戦争クラスの派兵に、県の部長クラスが指揮?

国力の相当部分を傾けた戦争を指揮するのに、どのような人物が現地司令官であるのが自然だろうか。特に考えなくてはならないのは、7世紀には無線も電話もなく、指揮命令は人力に頼らなくてはならないことである。それなりの格を持った人物、最高司令官ないし少なくともその次のクラスでなくてはならないだろう。

さて、斉明天皇七年(661年)の唐軍の攻勢を、高句麗は再びしのいだ。これは日本書紀には、「厳寒で河川が凍結したため」と書かれているが、通常の場合河川の凍結は輸送を容易にするので攻め手(この場合は唐)に有利なはずである。とりあえず、寒地装備が十分でなかったため退却した、と読んでおくことにしよう。

翌、天智称制元年(662年)、気候が暖かくなると再び唐軍が来襲する。百済にも、新羅の攻勢がある。この年の12月、百済首都の州柔(ツヌ)城で重要な会議が持たれる。議題は、百済首都の移転についてである。

豊璋王をはじめとする百済の意見は、「山城であるツヌにいつまでも篭城していては、食べるものがなくなってしまう。平地の避城(ヘサシ)に都を移すべきである」というものであった。これに対し倭国の意見は、「ここ(ツヌ)にいるから新羅が攻めてこれないのであり、ヘサシに陣をひいて守ることは困難である。腹が減ることよりも、滅亡しないことが大切である」というものであった。

この意見を述べたとされるのが、朴市多来津(エチノ・タクツ)という人物である。詳しい素性は不明で、近江の豪族だという。日本書紀の中では、この百済滅亡〜白村江のくだりにしか登場しない。位階は小山下(しょうせんげ)というから、後の官位でいうと従七位下、司令官でもなければ高官とすら呼べない。

しかし、考えてみてほしい。例えば今日の六ヵ国会議で北朝鮮問題を議論している中で、県の部長クラスが会議のメンバーとして発言し、他国の首脳に意見するなどということがありうるだろうか。仮に意見があったとしても、それをしかるべき立場の者に伝え、その人の意見として会議において表明するというのが普通ではないのだろうか。

今と違って昔はそういうことにうるさくなかった、という説明は困難である。昔の方が、身分上下による差別は比較にならないほど大きい。さらに、このエチノタクツ、後段の白村江における奮戦でも記事になっているのである。

ここから考えられることは、おそらくこういうことである。エチノタクツという人物がいたことは確かであろうが(記載のとおり派遣軍の中級役人として)、ここに書いてあることは彼がしたことではない。本当は白村江の戦いの重要人物であるのに、日本書紀としては「いなかったことにした」人物がしたことなのではなかろうか。

ずばり、その人物とは倭国王である、と考えている。この時点まで、日本列島を代表する政権の責任者として認知されていた人物(大和朝廷の天皇ではない)がいて、その人物が百済滅亡から白村江においても重要な役割を果たしていた。しかし、天皇家が万世一系で日本列島を治めていたというのが日本書紀の建て前であるので、その人物の実名は書けなかった。

このエチノタクツに仮託された人物が、隋書のアマ・タリシヒコの後継者(子供か孫)であり、この時点でオオキミと呼ばれていたのではないか。そう仮定すると前後の事実と非常によくつじつまが合うのである。
 
 
5.3.4 百済滅亡の3つの要因

さて、結論からいうと翌、天智称制2年(669年)に百済は滅亡することになるのだが、その大きな要因となった3つの失敗がある。それ以前に、「唐に味方しなかったこと」が最大の失敗なのだが、これは民族の自立という理由もありやむを得ない面もある。

第一の失敗は、エチノ・タクツ(実際には、同盟軍である倭国王とみる)の意見にもかかわらず、遷都を強行したことである。百済王の思惑通り収穫の時期まで持ちこたえられればまた違ったかもしれないが、実際には平地のヘサシに遷都して早々の2月には、新羅の攻勢の前に首都の確保が困難となってしまった。

都を移すということは、物資と人員という資源を移動するということである。そして、相手の攻勢を受けて首都を放棄するということは、物資(特に食糧と兵器)の多くを置いたまま逃げ出すということである。ただでさえ食糧を心配していた百済王は、余計な遷都をすることによってさらに物資が乏しくなったものと考えられる。

第二の失敗は、むしろ唐・新羅の諜報活動を誉めるべきかもしれないが、百済内部で対立を起こしてしまったことである。この時代の百済は正確には復興・百済であり、原・百済は斉明天皇七年(660年)、義慈王が唐に降伏していったん滅びている。復興・百済はもともと倭国にいた豊璋王と重臣・鬼室福信(きしつ・ふくしん)のいわばレジスタンス政権である。

この政権において、豊璋王と鬼室福信が対立し、鬼室福信は謀反の疑いで斬首されたのだから、攻める側にとっては相手の守備力が半減したということである。福信が処刑されたのが6月、それを知って新羅が山城であるツヌにまで迫ってきたのが8月。電話もインターネットもない時代に、おそろしく早く情報が流れている。やはり、何らかの工作があったとみるべきであろう。

第三の失敗は、戦力を分断されたことである。この年、倭国から百済に派遣されたとされる兵力は2万7千。この時代の人口を考えると、国力を傾けた派兵であることはすでに述べた。そして、日本書紀の記載をみると、山城であるツヌを守る兵力と、倭国の主力とみられる兵力が、どうやら分断されているのである。

ツヌを包囲しているのは新羅軍であり、ツヌへの入口にあたる白村江の河口で待ち伏せているのが唐の水軍である。そして倭軍はツヌを支援するため、まず唐の包囲網を突破して、ようやくツヌの支援ができるという状況なのである。百済と倭国本軍との間に、いつの間にか唐と新羅が割り込んでしまっている。

前年12月の段階で、百済王とエチノ・タクツが作戦会議を行っているくらいだから、この時点では倭国と百済は分断されていない。しかし、翌夏にはこういう状況となっている。やはり、戦術的なミスがあったというべきであろう。あるいは、倭国の反対にもかかわらず百済が遷都を強行したことで、倭国王がへそを曲げていったん国へ戻ってしまったというのが真相かもしれない。
 
 
 
 
5.4 白村江の戦い

5.4.1 白村江当時の状況

天智称制2年、西暦663年8月。百済最後の拠点である州柔(ツヌ)城に新羅の軍勢が迫る。百済・豊璋王は城兵を前にこう言った。「もうすぐ、倭国の援軍1万が到着する。それまでの辛抱である。私は、白村江まで援軍を迎えに行く」

百済が食糧の確保をめざして、平野部のヘサシに一時首都を移転したことはさきに述べた。しかし、移転からわずか2ヵ月、新羅の攻勢の前にヘサシを放棄、豊璋王以下はツヌに戻っている。そして6月、百済内部の内輪もめにより重臣であり武将でもある鬼室福信が処刑されたのを知り、新羅は城を包囲したのである。

ここで当時の状況について再度整理してみたい。

唐と新羅が同盟し、百済は高句麗・倭国と組んでこれに対抗している。国力としては圧倒的に上位にある唐が攻勢を強め、663年秋の時点で、高句麗は朝鮮半島北部(現・北朝鮮)に釘付けとなっている。その間、新羅が朝鮮半島南部(現・韓国)を勢力下におき、百済は白村江上流のツヌ城に包囲されている。唐は新羅応援のため、白村江河口に軍団を集結させた。

白村江は現在の錦江であり、その下流域は現在の韓国でいうと全羅北道と忠清南道の境界を流れている。朝鮮半島南端から200kmほど北上した地点である。対馬対岸の釜山から朝鮮半島南西端の木浦(モクホ)あたりまで300km、九州北岸から釜山までさらに200km、倭国の軍団が九州北岸から出発したとしても700kmにわたる遠征である。

そして、百済を支援しようとする倭国がしなければいけないことは、孤立しているツヌ城に物資−食糧と武器−を補給することである。そのためには、まず白村江河口に展開している唐の包囲網を突破し、さらにツヌ城を包囲している新羅を撃破して、ようやく戦争目的を達することができる。単に、白村江河口の海戦に勝てばいいというものではないのだ。

さて、その軍事目的を達成するだけの装備を、倭国は有していたのだろうか。まず最初に輸送力を考えてみると、約500年後の源平・壇ノ浦の戦いにおいて潮の流れが戦局を一変させたように、この時代の船には動力はない。風力、潮力、人力で動かさなければならない。義経が八艘飛びしたくらいだから、大きさも大したことはない。おそらく漁に使っていた船、中国沿岸でジャンク船と呼ばれるものと大きく違ってはいなかっただろう。

その動力がない小さな船で、仮に倭国からの出発地点が九州北部だったとしても、壱岐、対馬を経て釜山、さらに朝鮮半島南岸から西岸を白村江まで、700kmにわたる航行をしなくてはならない。潮の流れにもよるが移動日数の単位は「日」ではなく「週」、場合によっては二〜三ヵ月を要したとしてもおかしくない。

さらに作戦目的が物資の補給であるから、最終目的地のツヌに届けるための食糧や兵器という積荷がある。目的地に着くまでには戦争をする訳だから、兵士も空腹という訳にはいかずその分の食糧も兵器も必要である。となると、朝鮮半島のどこかに補給基地がないと作戦目的を達成するのは難しい。しかし、白村江までの道のりは663年秋の時点で、すべて敵国・新羅の勢力圏なのである。
 
 
5.4.2 戦力の差は顕著

補給基地については、日本書紀に将軍・上毛野君稚子(かみつけぬのきみ・わかこ)が6月に新羅の城を2つ落としたとあるので、もしかするとこれなのかもしれない。ただし、周りがすべて新羅の勢力圏だとすれば、水の補給や兵の野営などは可能であったとしても、本来の意味での補給−食糧や武器の補充−には限界があったと思われる。

いずれにしても、ジャンク船程度の輸送手段で、倭国を出てから十分な休息や補給ができなかったと思われる倭国軍に対し、唐はどうだったろうか。中国における大規模な海戦というと、赤壁の戦い、つまりレッド・クリフがあるが、これは白村江より400年前。この時代すでに、唐はある程度の規模を持った軍船を有しているのである。

日本書紀によると、唐軍の軍船は170艘。一方倭国の軍船は400艘(旧唐書)とも1000艘(三国史記)ともされる。日本書紀の記述からみる限り、兵の人数的には倭国の方が少なかったと思われるので、いかに倭軍の軍船が小規模であったかということである。

輸送力においてそのような差があった上に、武器の性能という点でも倭国は唐に劣っていたと考えられる。白村江に先立つ百済支援においても、矢、糸、綿、布、皮革、コメを送っている(天智称制元年・正月)ように、攻撃においては矢、守備においては皮革が倭国の主要装備であった。金属製品が含まれていない。

古墳から鉄剣が出土するように、2〜3世紀以降倭国にも鉄製品があった。しかし、原料となる鉄鉱石はこの時代まだ中国・朝鮮半島からの輸入に頼っており、砂鉄は産出したけれども量的にはそれほど多くは望めない。中国・朝鮮半島からの輸入は、百済が衰えて高句麗は自国の守備に手一杯という状況では、当然難しいということになる。

一方、唐・新羅は自前で鉄製品を用意できる。木製品・皮革製品・繊維製品で武装する倭国・百済と、金属製品を含む武装が可能な唐・新羅とでは、攻撃力・守備力の点でも相当の差があったといわざるを得ない。

このように、輸送力・装備に差があるということは、作戦・用兵上でかなり上回らなくては勝ち目はないということである。しかし、倭国は作戦的にも、かなり拙いやり方をしたようなのである。
 
 
5.4.3 やみくもに突撃して壊滅した作戦面の拙さ

輸送力と兵の装備のいずれの面でも不利な倭国が、白村江河口の唐軍の包囲網を突破するには、少なくとも作戦面で上回っていなければならなかったが、どうやらこの点においても倭国は失敗したようである。その経緯は、日本書紀によると以下のとおりであった。

八月二十七日、先着した倭軍と唐軍との間に交戦があり、倭軍は負けて退いた。唐軍は深追いせず、陣形を整えて待機した。翌二十八日、倭軍の本隊が到着した。百済王と倭軍の諸将はこう相談した。「われわれが先を争って突撃すれば、敵は後退するに違いない」

軍船の性能でも、攻守の武器の性能でも劣る倭軍が、いたずらに正面から攻撃しても勝つことは難しい。それも、奇襲するとか全軍が一斉攻撃するならともかく、到着した部隊から順に突撃するのは、戦力の逐次導入といって戦略的にはたいへん拙劣な方法である。

倭軍は乱れた隊列で、唐軍の堅陣に対し正面突破を図った。唐軍は倭の軍船を左右から挟み撃ちにして戦った。あっという間に、倭軍は敗れた。

戦力が劣っていても精神力(気合)で勝てると考えるのは、日本にとって伝統ともいえる考え方である。きわめて愚かな作戦とは思うけれども、倭軍であればそういう考えで突撃するのはある意味当り前なのかもしれない。同様のメンタリティは、白村江から1300年後の太平洋戦争でも、根強く残っているくらいである。

その上、倭軍は風向きや潮の流れもほとんど考慮していなかった。下の「気象」という単語は書紀でも使われている。今日の意味と、ほぼ同じであると考えられる。

気象を考えずに戦ったため、船の向きを変えることすらできず、海中に落ちて溺れ死ぬ者は数知れなかった。エチノタクツは、天を仰ぎ、歯を食いしばって戦い、数十人を殺したが、遂に戦死した。百済王は、数人の部下とともに、高句麗方面へと逃げた。

ここで再び、エチノタクツの登場である。日本書紀の白村江の戦いに関する記事は、ほとんど以上の内容で終わる。登場人物は、百済王、諸将(ひとまとめ)、エチノタクツだけ。これでタクツが書紀の紹介どおり、将軍でも副将でもない地方の豪族、今日でいう県の部長クラスというのであれば、なぜ彼の名前だけが特筆されるのか意味が分からない。
 
 
5.4.4 日本書紀の作者は敗戦があまり悔しくない?

白村江で倭軍の船団が全滅してから八日後の九月七日、ツヌ城は降伏した。頼みの綱である倭国の援軍が来ない以上、やむを得ない降伏であった。このあたりの経緯について、日本書紀の記事は淡々としている。

百済の人々はこう話し合った。「ツヌ城は降伏し、百済の名前は絶えてしまった。事ここに至っては、どうしようもない。先祖の墓所にも、再び行くことはできないだろう。テレ城まで逃れて、後のことは倭の将軍達と相談するしかない」そして、妻子に、百済を去る決意を示したのであった。

テレ城とはどこなのか、百済が滅亡してしまったので確かなことは分からない。おそらく朝鮮半島南岸で、対馬に渡ることができるどこかの海岸近くではなかったかと思われる。ちなみに、朝鮮半島南岸からは、晴れた日には対馬を望むことができる。

いまも昔も、戦争に敗れて他国に逃れることができるのはある程度の財産を持った上流階級の人々であって、一般庶民は新たな支配者の下で耐えるしかない。ベトナム戦争終結時の難民もそうだし、今日脱北して中国の日本・韓国大使館に逃げ込む人と同様である。

百済を逃れた人の多くも、旧支配者層であったり、先端技術者であったりした。彼らはこの後日本に渡り、奈良時代以降急速に進められた技術革新に大きく寄与することとなる。

こうして日本書紀の記事をみてくると、全体の印象として、書紀の作者達は白村江の敗戦をあまり悔しく思っていないということがよく分かる。二万数千の大部隊を派遣し、逃げた者はいたにせよ相当の戦死者が出たにもかかわらず、個人名であげられている戦死者はエチノタクツのみということにも、そのことは現れている。

もっというと、白村江以前の記事の中にも、「これは百済滅亡の予兆ではないか」「占ったところ、高句麗・百済が日本を頼ってくるという結果が出た」など、縁起でもないことが何ヵ所かに書かれている。もしも白村江以前にそんなことを公言していたとしたら、当時そんな言葉はないが「非国民」と言われても仕方がないであろう。

ましてや敗戦後に、「負けることは分かっていた」ようなことを書いて、当時の指導者や戦死者の遺族が面白いはずがない。にもかかわらずそういうことが書かれていて、しかも敗戦の記事がきわめて簡単に、たいして感情移入もされていないということは、どういうことなのだろうか。

おそらくそれは、書紀の作者たちにとって、白村江の敗戦が他人事ということなのである。つまり、近畿・大和朝廷の人々は直接白村江に関わっていない。さらに、白村江の敗戦によって、近畿・大和朝廷の日本列島における相対的な地位が上がったとすれば、日本書紀でこのような書き方がなされていることもうなづける。

ということは、以前に書いた結論、「日本列島における代表的な政権が、白村江以前は倭国、白村江以降はじめて日本=近畿・大和朝廷になった」ということである。教科書にはそう書いていないが、常識で考えるとそうなる。そしてそう考えると、天智天皇に関するいくつかの疑問点にも、納得のいく回答が得られるのである。
 
 
 
 
5.5 実像の天智天皇

5.5.1 天智天皇が戦争責任を追及されなかったのはなぜか

西暦663年、白村江河口の海戦において倭軍は壊滅的な敗戦を喫し、支援していた百済は滅亡した。この結果、朝鮮半島南部(現在の韓国)は新羅の支配するところとなり、新羅と唐の同盟軍に挟み撃ちされる形となった高句麗も、5年後に滅亡することとなる。

前節で説明したように、この時代の東アジア、特に朝鮮半島の情勢は、「唐・新羅連合」対「高句麗・百済・倭国連合」の勢力争いであった。この争いが唐・新羅連合軍の完勝に終わったということである。

だから、敗戦国である百済・高句麗は国として滅亡することとなった。問題はなぜ、日本だけが国として存続し、かつ、戦争時点で国家元首であり軍最高司令官でもあるはずの天智天皇が敗戦後も国家元首であり続けることができたのか、ということである。日本書紀には、この点について納得できる説明がなされていない。

天智天皇については、もう一つの疑問がある。この章の初め(5.1.)に書いたように、日本書紀に書かれている内容をよく読んでみると、天智天皇の業績は決して特筆すべきものではない。大化の改新はあってもなくても大勢に影響はなく、国力を傾けた百済支援は白村江の大敗によって投下した兵力・武器・兵糧、つまり人材と資本をすべて失ったのである。

にもかかわらず、平安時代以降の天皇はすべて天智天皇の子孫であり、藤原氏も天智天皇の血筋である、という記事もあるくらい、後の世において天智天皇は特別視されているのである。

本来であれば、天智天皇を「戦争責任者」として連行してもおかしくない唐・新羅も、日本書紀を見る限り丁重な態度であるし、実際に戦争責任を問題にしていないことは、遣唐使がほどなく復活し、それ以前にも唐・日本間の交流(捕虜の返還など)があったことからも明らかである。

以上の状況、つまり、日本国内において特別視されていること、かつて戦争した国から責任を問われていないこと、これを合理的に説明するためには、日本書紀に書かれている内容を一度白紙に戻して考えてみる必要があると思っている。

日本書紀の記事をないものとすれば、これらの事実を最も合理的に説明できる事実は以下のようになるはずである。

1.唐・新羅と敵対した倭国の国家元首は、戦争責任をとらされている。つまり、天智天皇とは別人である。

2.天智天皇の最大の業績は、「倭国」から「日本」へ、日本列島を代表する政権を移したことにある。

3.唐・新羅が天智天皇の「日本」を優遇したのは、白村江の戦いに参加しなかったからである。つまり、白村江以前から、唐・新羅と内通していた。

以下では、これらの仮定が前後の事実関係と矛盾するかしないかを考察してみたい。
 
 
5.5.2 白村江以前の日本列島を代表したのは、九州倭国

倭国から日本への政権の移動が起こったと仮定すると、まず解決するのが旧唐書(くとうじょ)の記載である。

唐の国書である旧唐書には、倭国に関する記事と日本国に関する記事が並立している。倭国は、かつての邪馬台国であり、さらに遡って後漢の時代に朝貢した倭奴国である、とされており、一方日本国は、「倭国の別種」とはっきり書かれている。別種の意味は明確でないが、常識的に考えれば、日本列島の中にある別の国ということになるだろう。

さらに、一説として、「日本はもともと小国であったが、倭国を併合した」とある。一説とはいえ、国書に書かれている以上は単なるうわさ話ということは考えにくく、それに類する事実の裏付けがあったと考えるのが自然である。

そして、さきの仮定(白村江の戦いの事後処理により、倭国から日本国に代表政権が移った)を置くと、まさにこの旧唐書の記事はそのまま事実ということになる。そして、敗戦国は国の滅亡という形で戦争責任をとらされることが多いという国際関係の常識にも、非常によく合致するのである。

これらの仮定を否定する材料は一つだけである。それは、「日本書紀にそう書いていない」ということである。逆に言うと、日本書紀(及び日本書紀をベースとして書かれた六国史等)がなければ、旧唐書をもとにこの仮定の方が通説となっているべき、前後の事実関係と非常につじつまの合った仮定なのである。

逆に、日本書紀の制作者の側の事情を考察すると、そもそも書紀の大前提は、「万世一系の天皇家が、日本列島を代表する唯一無二の政権である」ということだから、天皇家以外の政権があったとしても「なかった」と書かなければならない。中国の史書を読めば天皇家ではない政権が歴代王朝に朝貢しているのは明らかなのに、それらの政権については書くことができないのである。

そして、天皇家以外の政権はなかったという前後のつじつまを合わせるためには、前世代の政権(具体的には九州の倭国)から日本列島の支配を奪った天智天皇の最大の業績を、そのまま書くことはできなかった。だから、大化の改新については過大評価するし、後の時代にも特別視されているということではないだろうか。

日本書紀に関してもう一つ不自然なのは、なぜ政治的実権が天武天皇の血統に移ったにもかかわらず、それでもあえて天智天皇の業績が強調されているのかということである。

天武天皇は天智天皇の実弟であると日本書紀には書かれているが、これはきわめて疑わしいとされている。天武天皇の年齢があえて不明とされているどころか、後代の記録によると天武天皇の方が年上なのである。いまでもなく、年齢が上の実弟などということはありえない。

なぜわざわざ、天武天皇を天智天皇の実弟と書かなければならなかったのか。このことも、さきの仮定を置くと、合理的な説明が可能なのである。
 
 
5.5.3 「日本」の代表は、なぜ天智天皇の血筋である必要があるのか

天智天皇と天武天皇は実の兄弟ではないとすると、なぜ日本書紀はわざわざ「嘘の系図」を示さなければならなかったのか。このことを考える上で参考になるのは、およそ900年後、琉球王国が明国に対して行った政権移動後の説明である。

琉球を統一した尚巴志(しょう・はし)に始まる第一尚氏の血統は、もともと家臣であった内間金丸(うちま・かなまる)によって滅ぼされる。その際、すでに「中山王(ちゅうざんおう)」として第一尚氏を認めていた明国との摩擦を避けるため、金丸はわざわざ尚円と名乗り、第一尚氏の血縁者として琉球王と認められたのである。

900年後でさえそうなのだから、白村江の時代にはそうした操作がさらに必要とされたであろうという推定が成り立つ。つまり、唐・新羅にとって天智天皇こそが同盟者であるので、その後継者は天智天皇から正当に譲位された王でなければならない。天武天皇もそう思ったから、あえて天智天皇の同母弟で後継者というストーリーにしたのではないか。

そして、なぜ唐・新羅にとって天智天皇が同盟者なのかというと、それはまさに軍事的激突となった白村江以前から、天智天皇が同盟者であったと考えなければ説明がつかない。はっきりいうと、百済・高句麗と同盟して唐・新羅と対抗するという当時の倭国全体の方針に反して、天智天皇が唐・新羅と内通していたということである。

もし、天智天皇が白村江当時の国家元首で最高司令官であるとすれば、その後に壬申の乱で天武天皇系に実権が移動した際、天智天皇の業績を過大に評価する必要はない。なぜなら、唐・新羅にとって、かつて敵対した政権が崩壊したことは喜ぶべきことであって、あえて疑問をさしはさむ必要など一つもないからである。

実は、天武天皇が天智天皇の正当な後継者と主張している日本書紀にも、言わずもがなの記事が書かれている。671年に天智天皇が崩御、翌672年に壬申の乱が起こり、天武天皇が勝って皇位を継承するが、その際、九州まで来た高句麗・亡命政権(高句麗は668年に滅亡している)の使者に対し、天武天皇は変なことを言っている。

大宰府長官より、高句麗の使者に対しこのように伝えた。「天皇は新たに天下を平定された。祝賀使の他にはお会いにならない。このまま、お帰りいただきたい。」(日本書紀・天武天皇 下)

新たに政権を取った天武天皇に対し、祝賀の他に何の目的があって、高句麗の使者はわざわざやって来たのだろう。これも、唐・新羅と親しい天智天皇の政権が倒れたので、新政権に対して高句麗復活に向けた協力の打診を目的としていたと考える以外に、納得できる理由が見当たらないのである。
 
 
5.5.4 天皇という称号は、天智天皇以前にはなかった

そもそも、白村江以前に、日本列島の国家元首が「天皇」と名乗ったという証拠は、日本書紀以外に何もない。かつては「倭王」であり、本来なら当然そう名乗っているはずの遣隋使の時点でも、国王アマ・タリシヒコの名乗りは「オオキミ(王)」である。万葉集に載せられている和歌を見ても、天皇と書いてあるのは添え書き(説明文)だけなのである。

鎌倉時代に編纂された「釈日本紀」には、神武天皇から始まる漢風諡号は、淡海三船(おおみのみふね)によるものと書かれている。これには異論もあるが、三船は天智天皇のひ孫だから、少なくとも天智天皇の時代には天皇という名乗りはされていなかったということである。

これらのことから、白村江前後の真相を推理する。まず最初に、百済・高句麗と同盟し、白村江に大軍を派遣した倭国は、九州・倭国(遣隋使のアマ・タリシヒコの国)と関東・毛野国が中心で、大和政権はあまり協力的でなかったということである。

大和朝廷の立場からすると、これは内通というよりも、朝鮮半島の情勢を唐・新羅有利と考えて、白村江以前からそれに向けた対応をしていたということであろう。唐・新羅サイドからみるとこれは願ったり叶ったりである。白村江に進軍した倭国にとって、前も後も敵になるからだ。

当然、新羅を通じて唐にその意向は伝えられていて、唐が朝鮮半島を制圧した後は、半島には新羅、日本列島には大和朝廷という親・唐政権が樹立され、いわば唐の属国となるはずであった。実際にそうならなかったのは、白村江の戦い直後から、唐の内乱が始まったという要因によるところが大きい。

さて、白村江の敗戦により百済は滅亡し、倭国も壊滅的な打撃を受けた。九州に本拠が置かれていた倭国支配層の多くは、戦死したり捕虜になったりしたのではないか。

そして、唐の後ろ盾により全権を把握した天智天皇がまず行ったことは、旧・九州倭国に対しては防衛拠点の整備という大規模な土木工事、旧・関東毛野国に対しては、国境警備という名目の軍隊派遣を命令することであった。

ただでさえ、白村江への人材・物資の派遣(経済的負担)と敗戦による打撃(軍隊の壊滅)により疲弊していた九州・関東は、この追加負担により致命的な打撃を受けることとなる。天智天皇側から言わせれば、「あなた方が進めた戦争なのだから、後始末までちゃんとやってください」ということだったと思われるが、命令される側はたまったものではない。

そしてこのことが、壬申の乱の大きな原因になったのではないかと思っている。結局のところ、天智天皇はやり過ぎたのである。
 
 
5.5.5 水城と防人はなぜ九州・関東の負担なのか

いうまでもなく、九州に命じた土木工事とは水城(みずき)など防衛拠点の整備であり、関東に命じた軍隊派遣とは防人(さきもり)である。天智天皇サイドからすると、九州まで唐・新羅が攻めてくる可能性はほとんどないと分かっていたはずだが、国内的にも内通していたことを明らかにできなかったということもあるだろう。

そして、もう一つの戦後処理として、旧百済、高句麗の難民の問題がある。百済・高句麗は敗戦により国土を失ったので、支配層の多くは倭国に逃亡を余儀なくされた。そして、日本書紀にも記載されているし、現代にも高麗川という地名が残っているように、多くは東国、つまり旧・関東毛野国に入植させたのである。

もともと白村江で軍隊が壊滅し、組織的に大和朝廷と対抗することが難しかった九州倭国と関東毛野国は、これ以降歴史の表舞台からは姿を消すことになる。こうして天智天皇は、日本列島を唐の軍事的侵略から守るとともに、近畿の一勢力にすぎなかった大和朝廷を日本唯一の政権として確立することができた。

そして、このことが天智天皇にとって、表向きには書くことのできない大偉業となったのではないか。なぜ書くことができないかったかというと、「万世一系」、つまり天皇家が唯一無二の政権だという建前が一つ、もう一つには本当のことを書けば、白村江の敗戦により多くの犠牲を出した側からみれば「裏切り者」と映ることは避けられないからである。

もちろん当時はマスコミもインターネットもないので、そうしたことを一般庶民が知ることはできなかった。そして、後に日本書紀が編さんされると、これだけが公式かつ記録された事実ということになるのである。

とはいえ、支配層にとっては、そうした事実のあらましは分かっていたと思われる。特に、大和朝廷の中でも旧・倭国に近い人達、つまり九州、関東、さらに百済・高句麗の人脈につながるグループにとって、親しい人達を白村江で見殺しにした上に、戦後処理の名目で多大な人的・物的負担を強制する天智天皇への反感は高まっていたのではないか。

それは次の問題として、これらの事実を暗示的に示しているとみられることがある。天智天皇が都とした大津京は、後継者である大友皇子(弘文天皇)の陵墓があるように、天智天皇とゆかりが深い土地柄である。平安時代になって、ここには三井寺が置かれた。そして、この三井寺に秘仏として祀られているのが、新羅明神(しんらみょうじん)なのである。

新羅明神の新羅は「しんら」と発音するが、これは朝鮮半島における発音(シルラ)を反映したものとされる。もちろん新羅明神を祀ったのは後世のことであり(最澄の弟子の円珍)、唐での修行から帰る円珍を守護したという伝説が残されているが、天智天皇と唐・新羅との関係を暗に示しているのではないか。少なくとも、白村江当時に天智天皇が国家元首であったとすれば、新羅は同盟国百済を滅ぼした敵国のはずなのである。

一方、聖徳太子・蘇我氏と縁の深い法隆寺に祀られているのが、百済観音である。大和の旧支配者層にとっても、より身近だったのは百済であることを示している。そして、大化の改新といわれる政変の最大の意義とは、これを境として、大和朝廷の方針が百済支援から新羅との同盟に舵を切られたことにある、という推定も可能となるのである。
 
 
5.5.6 遠の朝廷・九州大宰府

さて、教科書的な歴史では天皇家が万世一系で日本列島の統治者であったはずであるが、これまで説明してきたように、中国の史書や白村江の敗戦処理を常識的に分析すると、天智天皇以前には九州倭国が日本列島を代表する政権であったということになる。改めてその論拠をまとめると以下のようになる。

1.国力を傾けた戦争の時点での国家元首であるはずの天智天皇が、そのままの地位で権力を維持できたというのは疑問である。同盟国の百済・高句麗も、この前後に滅亡している。

2.中国の正史である旧唐書には、唐が成立していた時点で日本列島に「倭国」と「日本国」が並存したと書かれている。しかも、日本国はもともと小国であったが、倭国を併合したとされる。

3.日本書紀には神武天皇以来、「天皇」号が付せられているが、こうした漢風諡号が作られたのは奈良時代で、後の記録では天智天皇の子孫が考えたという。日本書紀以外に、天智天皇以前の大和朝廷支配者が「天皇」を名乗ったという証拠はない。

4.白村江の交戦国である唐・新羅との間で、戦後かなり早くから関係修復がなされている。そして、天智天皇とゆかりの深い大津・三井寺の秘仏は新羅明神である。

さて、これらの論拠は、大和朝廷が白村江以前から日本列島を代表する政権ではなかったことを暗示しているとはいっても、九州に代表政権があったことの直接の証拠とはいえないという反論がありうる。確かに、日本書紀以外の古代史の文献はないので証拠はない(個人的には、中国の史書が九州を示しているのは明らかであると考えるが)。

ただ、奈良平城京以前に、九州大宰府に唐の長安を模した都市があったことは一つの根拠といえるかもしれない。この大宰府は平城京より規模は小さいとはいえ、飛鳥板葺宮(天武天皇の都)より相当大きな都市であった(現在の天満宮・観世音寺から二日市あたりまでを含む)。

そして大宰府政庁は、万葉集で「とおのみかど(遠の朝廷)」と呼ばれているのである。通説では「遠方(九州)にある朝廷」と解するが、「みかど」とはもともと御門、権力者の住まいを示す言葉である。大宰府になってからここに天皇が住んだことはなく、ここを「みかど」と言うかどうかは疑問である。むしろ「かつて(倭国と称していた時代)の朝廷」と理解する方が自然ではないかと考えている。
 
 
 
 
5.6 壬申の乱再考

5.6.1 壬申の乱の真相

前回まで、白村江の戦い(西暦663年)以前に日本列島を代表する政権は九州に本拠を置く倭国であること、そして、白村江の際に唐・新羅と内通し、戦いに直接参加しなかった天智天皇の大和朝廷=日本が、それ以降、唐・新羅の支援の下で日本列島を代表する政権となったのではないかという仮説を述べてきたところである。

この仮説の裏付けとなるのは、唐の国書である「旧唐書」の記載、それと、古代の国際関係からみて、戦争に敗れた政権がそのまま権力を維持することを敵国が認めるはずがないという常識的な判断である。しかし、これは教科書で教えている日本の古代史とは全く異なる。

ただ、この仮説を採ると、白村江前後の政治的問題以外にも、飛鳥時代から奈良時代にかけての古代史の疑問点がいくつか解決されることも確かである。

例えば、西暦592年に起こった祟峻天皇暗殺事件。これは、ときの最高権力者であるはずの天皇を、臣下である蘇我馬子が首謀者となって暗殺した事件である。そして、なんと暗殺事件の後、馬子は推古天皇、摂政・聖徳太子の下、大臣(おおおみ)として実権を掌握するのである(ちなみに、馬子が首謀者であることは日本書紀に書かれており、この点には争いがない)。

この時点で大和朝廷が代表政権であり、祟峻天皇が最高権力者であったならば、これは「国家の転覆」を図るものであり、暗殺の首謀者が次の政権で重用されることは考えられない。ところが、地方政権の内輪もめであると考えれば、感覚としてはしばらく後に平将門が関東で国司を追放したのとよく似ていることになる。

将門は最終的に新皇を名乗り中央に反抗したので討伐されたが、その時点では現状追認の動きもあったのである。同様に、地方政権の内輪もめと周りが認めてくれて、実際に混乱なく治まっているのであれば、「中央政権」が現状追認したとしてもおかしくはない。少なくとも、国家の代表者を暗殺した犯人がそのまま権力中枢に居座るというよりもかなり現実的である。

そして、その仮説が正しいとすれば、その性格が相当に違ってきてしまうのが壬申の乱である。教科書が教える壬申の乱とは以下のとおりとなる。

西暦671年、天智天皇の崩御により、大津宮の大友皇子と吉野宮の大海人皇子の対立が深まった。大友皇子は吉野に進撃を試みるが、大海人皇子はこれを逃れ、軍を整備して逆に大津宮へ攻め上り、両軍は尾張・近江国境付近で交戦した。これに大海人皇子は勝利し、天武天皇として即位した。大友皇子は敗死した。

日本書紀には概略このように書かれているが、天智天皇が亡くなってから天武天皇が即位するまでの間、誰も天皇でないのはおかしいということになり、千数百年後の明治時代になって大友皇子が弘文天皇と呼ばれることになったのはご存知のとおり。ただ、真相としてはおそらく天皇位の空白など、当時は誰も気にしていなかったはずである。

そもそも大和朝廷が権力を掌握したのがつい7、8年前のことであるならば、そのままの形で1400年続くことなど、現代ならば結果として分かっているものの、当時は誰も想像すらしていなかったと考える方がずっと常識的である。

では、実際には壬申の乱の真相はどういうものだったのだろうか。次回以降考えてみることにしたい。
 
 
5.6.2 日本書紀における壬申の乱直前の状況説明は信用できない

壬申の乱について書かれているほとんど唯一の史料は、日本書紀の天武天皇紀(上)である。何度も繰り返すが、日本書紀は大和朝廷以外に日本列島には政権はなかったという建て前で一貫して書かれているので、どこが本当のことでどこが創作なのかを区別して読む必要がある。正直なところ、過去の日本書紀論はこの点の踏み込みが不十分なのである。

さて、そうした観点から日本書紀を再検討すると、その背景を書紀では説明していないか、説明してあっても全く納得できない(おそらく一部は事実であり、一部は事実でない)事柄として、例えば以下の点を上げることができる。

ア. 天智天皇は、前代の斉明天皇が亡くなった西暦662年以降即位せずに政務をとり(天智称制)、668年1月に即位した。

太平洋戦争に匹敵するヒト・モノ・カネを掛けた国家の一大事である白村江の戦い(663年)時点で、正式な国家元首も軍最高司令官もいないことなどありえない。少なくとも、敵国(戦勝国)はそれでは許してくれない。この事実を常識的に説明できる理由は、天智天皇は白村江の敗戦を受けて、この時点で国家元首となったということ以外に考えられない。

イ. 天武天皇は天智天皇の同母弟で、天智天皇即位とともに東宮(次期天皇)となった。

天武天皇は、正妃の莵野皇女(うののひめみこ、後に持統天皇となる。神田うのの名前の出典であることでも有名)はじめ、天智天皇の娘を4人も妻に迎えており、同母兄弟とは考えにくい。また、天智天皇自身に大友皇子(弘文天皇)はじめ何人も男子がいるのに、わざわざ弟を後継者に指名するのも疑問である。

従って、日本書紀の以上の記事は、建て前を守るための創作である可能性がきわめて大きい。だから、壬申の乱直前の状況として、確からしいと認められるのは以下の点くらいである。

@ 西暦668年の時点で、天智天皇が大和朝廷の代表となった。

(この年、高句麗が滅亡して新羅が朝鮮半島を統一。また、この時点で唐軍が九州に駐留していることを勘案すると、ここで大和朝廷が対外的に日本列島を代表する政権となったと考えられる。)

A 政権内部で天智天皇に次ぐ実力者としては、天皇の子である大友皇子(弘文天皇)と、弟とされる大海人皇子(天武天皇)がいた。

(天智天皇と大海人皇子が実際にどのような血縁関係であったかは不明。ただし、いくつかのヒントがあるので後で考察する。いずれにしても、この2勢力は、婚姻関係で何重にも関係を強化しており、政権内の実力者であったことは間違いない。)

B 国力のすべてを注ぎ込んだ白村江の敗戦と、唐軍の進駐、土木工事(水城)や軍役の強制(防人)が重なり、日本列島の人々は相当な負担にさらされていた。

(これは、書紀の記事を読むだけでも確かだし、戦争に負けたらこうなることは避けられない。)

こうした中、正式に即位してからわずか4年、天智天皇が崩御される。後の史料に暗殺説も出ているくらいで、不穏な情勢の下での死去であったことは間違いない(これも何度もくり返すが、天智天皇の在位中に特筆すべき業績はない)。間髪を入れず、近江の大友皇子と吉野の大海人皇子の対立が激化する。

普通に考えれば、これは後継者争いということになる。
 
 
5.6.3 大海人皇子の進路は、家康の本能寺直後とほとんど同じ

天智天皇の死後、激しく対立することとなった大友皇子と大海人皇子。結果として大海人皇子が勝利することになるのだが、争いの当初はむしろ大友皇子が優勢だったとみられる。というのは、大友皇子が吉野を攻撃する際に、大海人皇子が吉野から伊賀を経由して尾張へ逃れたことが記録されているからである。

672年5月、近江の大友皇子が挙兵の気配を示し、吉野に向けての街道筋に斥候を配しているのを確認した大海人皇子は、このように号令した。「近江方は、我々を攻撃しようとしている。黙って滅ぼされる訳にはいかない。早急に美濃へ向かい、挙兵して不破関を封鎖せよ」そして、自らも東国へ入ることを決断した。日本書紀・天武天皇紀上

大友皇子は今でいえば、東海道線で大津から京都、さらに近鉄で奈良方面への進出を図ったことになる。一方の大海人皇子は大友皇子が奈良県に入る前に、大和八木から近鉄名古屋線で逃げたということである。不破関は近畿から東国への出入り口に当たり、ちょうど関が原付近になる。

この大海人皇子の進路は、およそ900年後の本能寺の変に際し、徳川家康が堺から三河へと少人数で命からがら逃亡した経路とほとんど同じである。つまり、大海人皇子の状況分析としては、後の徳川家康と同様、畿内は敵側の勢力範囲であり、ひとまず安全な東国に向かう以外に方法はない、ということであったと思われる。

壬申の乱の経過をきわめて大雑把にまとめると、奈良方面へ進出した大友軍を大海人軍が持ちこたえている間に、大海人軍の本隊が名古屋から大津へと反転攻勢をかけて大友軍を撃破し、大友皇子は敗れて自殺することになる。つまり大海人軍の主力は、東国にいたということである。この点も、後の家康と重なる。

つまり、天智天皇の死後、その路線をそのまま継承するはずであった大友皇子に、東国は味方しなかった。政治的には、東国は大海人皇子を支援していたということである。

この時代、九州の防備に防人(さきもり)を派遣している一大勢力は関東であり、これまで述べてきたように、関東毛野国は白村江以前には九州倭国に次ぐ勢力であったと思われる。その関東を含む東国を、大海人皇子は安全圏とみなしていたということになる。もちろん、天智天皇が政権を持っていた時代から、より関東に近い政治的立場にいたということであろう。

一方、近畿より西はどうなっていたかというと、こちらについても日本書紀に興味深い記事が書かれている。大友皇子が大海人皇子挙兵の一報を受けて、中国・九州に向けて使者を派遣するのだが、その際の経緯について以下のように述べられているのである。
 
 
5.6.4 中国と九州も大友皇子=天智後継政権に味方しなかった

大海人皇子が吉野から尾張へと近鉄名古屋線に乗って逃れたことを知った大津の大友皇子は、奈良方面に加えて東国への攻勢を強めるとともに、背後の吉備(中国)、筑紫(九州)に向けて援軍を命令した。その際、伝令として吉備に向かった樟使主磐手(くすのおみ・いわて)と筑紫に向かった佐伯連男(さへきのむらじ・をとこ)に、皇子はこのように命じたと日本書紀に書かれている。

「吉備・筑紫はもともと大海人皇子と親しい。もし命令を聞かないのであれば、その場で討ち果たせ。」日本書紀・天武天皇紀上

そして実際に、援軍を渋った吉備は討たれてしまう。しかし筑紫の栗隈王(くるくまのおおきみ)は、護衛を従えて不意打ちに十分に注意するとともに、このように回答して援軍を断ったのである。

「この筑紫の軍隊は、外敵に備えるために置かれているのであって、内乱に備えるためではありません。もしここで私が軍を動かした結果、国の防備ができず外敵の侵入を許したとしたら、その時になって私が何回死罪となったとしても取り返しがつきません。援軍要請には従うことはできません。」出典同じ

この栗隈王は、白村江敗戦後に筑紫率(ちくしのかみ)に任命されているので、大和朝廷が台頭した後の新勢力ということになる。また、この王は奈良時代の重臣である橘諸兄の祖父にあたる。もちろん、この援軍拒否(間接的に、大海人皇子の応援)の功績が認められたものである。

余談であるが、この栗隈王をはじめ、飛鳥時代から奈良時代前期にかけての登場人物の系図は、あまりはっきりしないものがいくつかある。栗隈王の出自も、日本書紀そのものには書かれていない(後の記録に敏達天皇の子孫とある)。おそらく、そうした人物は、表立って日本書紀に書くことができなかった九州、関東系統に連なる有力者ではなかっただろうか。

もし栗隈王が敏達天皇の子孫だとすれば、天智天皇〜大友皇子とはかなり近い血縁関係になるので、最初から、「彼らは大海人と親しいので逆らうなら殺せ」と言われてしまうような間柄ではないはずなのである(推古天皇の死後、敏達天皇系統と用命天皇系統の間で、皇位継承の争いがあった)。

壬申の乱に話を戻すと、近畿圏を押さえていた大友皇子に対し、大海人皇子は東国(主として関東)の軍事により対抗することを意図して東国に逃れ、中国・九州も大海人皇子支援の意思を明確にしたということである。そして次の段階では、大海人軍が関が原を越えて近江に進軍し、大友軍が敗北するという結果となる。

このあたりの経緯を最も常識的に判断するならば、白村江の敗戦を契機に、唐・新羅の後ろ盾の下に成立した大和朝廷=天智天皇系の覇権に対し、旧勢力である関東及び九州が“NO”の意思表示をしたということではないだろうか。その直接の要因は水城・防人といった敗戦による負担の増大であるが、心情的には白村江で多くの人々を見殺しにしたことへの反感があったのではないかと思われる。

そうした背景を考えると、栗隈王の援軍拒否の理由は意味深長である。表向きの意味の他に、「国境警備を命じたのはあなた方ではないか」「われわれの真の敵は海の向こうにいるのであって、こちら側ではない」という裏の意味が窺える言い分ではないか。そして、この言葉を発した栗隈王〜天武天皇の出自もある程度推察できる。旧宗主国である九州倭国にきわめて近い勢力であると考えられる。
 
 
5.6.5 宇佐八幡の重視からみる天武皇統と九州の関係

大海人皇子が天智天皇直系の大友皇子を自殺に追い込むことによって、壬申の乱は決着することになったが、対外的にはそのまま公表することは難しかったはずである。というのは、唐の後ろ盾のもとすでに新羅による朝鮮半島統一が確立しており、今となっては反新羅・百済復興を主張したところで何も得るものはないからである。

そこで大海人皇子サイドとしては、対外的にはこれまでの路線を継承するとしたのではないだろうか。具体的には、「私は天智天皇の実弟であり、以前から後継者に指名されておりました」「天智天皇の死後、後継者を巡る争いがありましたが、従来決められていたとおりに決着いたしました」と、外向けには公表したのである。

つまりこれが、日本書紀にそう書かなければならなかった真相であろう。実際には、天智天皇後継には大友皇子が指名されていたはずだし(だから明治時代になって弘文天皇として歴代に加えられた)、大海人皇子は正式な後継者ではなかった。まさに、後の時代になって、琉球第二尚氏が明に報告したのと同じやり方なのである。

だから、天武天皇(大海人皇子)が天智天皇の同母弟であるというのは日本書紀の建て前であって、事実とは考えにくい。後の時代の史書に天武天皇の方が年上という記録がある上、天智天皇が4人もの娘を天武天皇の妃としていることからも、そのことは推定できる。

それでは、天武天皇とはどういう背景を持つ人物だったのだろうか。そのことを考察する上で重要であるのは、壬申の乱から約100年経過した、奈良時代末の混乱の際の対応である。

天武天皇の皇統は、聖武天皇の時代に絶頂期を迎える(この時代に、東大寺の大仏が完成)。しかし、その娘である高野天皇(たかののすめらみこと、孝謙・称徳天皇)をもってこの皇統は断絶する。その際、天皇は全く血縁関係のない道鏡法王を後継者に指名しようとするが、ここで舞台となったのが宇佐八幡宮である。

八幡神とは、応神天皇(ホムダ王)のご神霊であるとされる。応神天皇自身、その子である仁徳天皇(オオサザキ王)に比べると、畿内政権に親しい天皇ではない(古事記における記事の量が全然違う)。

確かに、天智天皇も天武天皇も、応神天皇の子孫ではあっても、仁徳天皇の直系の子孫ではないという理由付けは可能である(仁徳皇統は武烈天皇までで断絶)。しかし、この事件の後、宇佐八幡宮が歴史の表舞台に登場しないのはなぜなのか。平安時代以降は、八幡宮といえば、平安京近郊の石清水八幡宮か、鎌倉の鶴岡八幡宮なのである。

つまり、天武皇統にとって九州宇佐というのはきわめて重要な八幡宮であるけれども、天智皇統にとってはそうではない、ということになるのではないか。
 
 
5.6.6 天皇位とはそもそも何だったか

現代のわれわれにとって、天皇位を考える上で暗黙の前提となっているのは、「少なくとも千数百年以上にわたり、父系相続により受け継がれてきた由緒ある位である」ということである。しかし考えてみれば、奈良時代末にこの前提が同様に受け入れられていたかどうかは定かではない。

天武天皇の時代からは約100年、仁徳天皇(オオサザキ王)の時代からとしても約300年、いずれにせよ現代から考えるほど天皇の位は絶対不可侵ではなかった可能性がある。いわば、鎌倉幕府から江戸幕府くらいのスパンであり、そう考えれば血縁のない道鏡に譲位しようとした高野天皇の構想そのものは、坂本竜馬による新政府構想と大して変わらないものだったのかもしれない。

そもそも天皇位は、「畿内政権における最大資産家の財産承継者」であったのではないかと考えている。それに、天智天皇以来、日本列島を代表する政権として「全国から租税を収納する権利」が加わった。この2つの要素はそもそも別物で、後者を声高に主張するのは東大寺建設にあたっての聖武天皇の詔くらいからである。

だから、高野天皇(このときは孝謙天皇)も、恵美押勝(藤原仲麻呂)に後者の権利を与えた。それは、天皇位の本質(皇室財産の継承者)とは別だったからではないか。そう考えると、推古天皇以来女帝が相次いだ理由もある程度推測できる。実際に戦争したり政治的判断を下したりする必要があればともかく、そうでないならば財産継承者が必ずしも男性である必要はないのである。

財産をマネージメントするのが女性であっても、あまり不都合は生じない。というよりは、夫が亡くなった場合の財産の継承は、最初から子供世代に行くのではなく、ひとまず妻に行われるのが現代でも普通である。飛鳥時代〜奈良時代の皇位継承は、そうした要素が大きかったのではないかと考える。

そうした皇位継承の背景にあったのは、もともと畿内政権の支配者には「租税収納権」がなかったということではないだろうか。

この連載で述べてきたように、天智天皇以前には大和朝廷は代表政権ではなく(代表は九州倭国)、それが大和朝廷となったのは奈良時代以降であると考えれば、そういう結論に達する。地方からの納税について、直接の証拠が残っているのは奈良時代からである。地方からの物資が集積するため、初めて平城京のような巨大都市が必要となったのである。

そして、「天皇位」の根拠となる継承財産のそもそものいわれは、九州倭国が近畿に遠征した際の、現地司令部(いわば傀儡政権)であったことにあるのではないか。そう考えれば、現地政権の初代である仁徳天皇(オオサザキ王)の伝説が多いのも納得できるし、何かあれば九州の父・応神天皇(宇佐八幡!)にお伺いを立てるというのも、畿内政権から大和朝廷に伝わるDNAだったとも考えられるのである。
 
 
 
 
日本古代史の真相
 
6.1. 古代日本史へのアプローチ 〜経済的側面から考える

これまで、8世紀初めまでの日本古代史の各論について検討してきた。教科書の教える歴史は、まず大和朝廷が列島を統一して、それから中国・朝鮮半島との交渉があり、大化の改新から壬申の乱を経て、奈良平城京の完成をもって律令国家が完成したというものであるが、この展開にはかなりの無理がある。

何度も繰り返しになるが、当時の中国史書の内容と一致しないし、根拠とされる日本書紀の記載にも矛盾がある。古事記・日本書紀以前の史料は、大化の改新の際に蘇我氏滅亡とともに焼失したとされるが、それほど大事なものにコピー(写本)もなかったというのは考えてみれば妙な話である。

したがって、日本古代の真相は、そうした教科書的ストーリーとは違ったアプローチから構築されるべきであると考えている。

その出発点となるのは、まず古代における日本列島の経済的背景ではないかと思う。大和朝廷が何世紀に列島を統一したという証拠はないけれども、仮に6〜7世紀の日本列島の人口が2百万人であったとすれば、2百万人が食べていけるだけの生産高があったこと、すなわち、農業と水産業で2百万人分のGDPを稼いでいたことだけは間違いないのである。

さて、現代日本の人口は約1億2千万人であり、江戸時代の全人口は約2千万人とされている。明治以降約100年で人口は6倍増となったことになるが、この人口急増を支えたのは、明治以降の工業化である。当初は繊維工業、次に鉄鋼業、さらに電気・電子機器、自動車産業が日本のGDPを増大させ、多くの人口を養うことを可能にした。

それ以前、明治以降に匹敵する人口急増期は、弥生時代〜古墳時代であった。この時期、大陸からの稲作技術の導入により農業生産が拡大し、日本列島の人口は数十万人から約2百万人へ、100〜200年の間に4〜5倍増となったと考えられる。工業と農業の違いはあるものの、やはりGDPの増大が、人口の増加に結びついたのである。

そして、この人口急増期の狭間、弥生時代から江戸時代にかけては、千数百年間で2百万人から2千万人まで人口が増加している(10倍は大きく見えるが、100年あたりにすると平均1.2〜1.3倍の増加)。この要因は、金属器の普及=農具の改善による生産性の向上と、新田の開発である。

その担い手となったのが武装農民であり、後に武士へと成長していく階層である。武士が貴族(荘園領主)を凌駕していくこの時代は、いわば2百万人を食べさせていた産業を、新興産業が徐々に追い越して行き、最後には2百万対1千8百万になっていく過程と考えると分かりやすい。

話を戻してまず古代である。わが国に人口が数十万から2百万人に増えた弥生時代、日本列島の状況は統一国家に向かうものであったのかどうか。
 
 
6.2. 国家を形成するモチベーション

この連載のはじめで述べたように、統一国家は「他の国を征服したい」という動機だけで作られるものではない。もちろん、そういう動機で征服活動を始めた王はいただろうが、少なくとも1年以上の長期にわたり占領を続けるためには、収穫物の収奪(納税)システムと、物資の輸送・軍隊の派遣のための交通網がなければならない。

常識的に考えれば分かるが、余剰生産物のない所を征服したとしても、得るものはほとんどない。奴隷(労働力)として収奪したとしても、彼らに食べさせるものがなければ労働力として機能しないのである。そして、余剰生産物がなければ、貯蓄もない。強奪すべき収穫物も、占拠する建造物もないのである。

だから、一人の王のもとに、国として一定規模の版図が成立するためには、そこにある程度の余剰収穫物があって、その余剰部分を集中し再分配するシステムが必要である。ということは、弥生時代以前の日本列島には統一国家が成立する可能性はほとんどないということになる。

すべての人がぎりぎり食べていくだけの経済力しかなければ、人口も増えないし、軍隊も整備できない。仮に軍隊を組織して他国の占領を目指したところで、どこに攻めて行ったところでみんな「食うや食わず」の経済水準であれば、その国はぎりぎり生活できるだけの人だけで構成されることになる。征服者にとって、あまり魅力的とはいえない。

弥生時代に入り、中国・朝鮮半島を経由して大規模な稲作農業が日本列島でも行われるようになった。同時に、金属器(鉄製品、銅製品)と製作技術、すなわち鉱工業が始まった。金属器の使用は農業生産力を大きく拡大したので、ここでGDPが飛躍的に増大したと考えられる。

このGDPの拡大により、日本列島ではようやく余剰生産物を安定的に確保することが可能となった。具体的には、10人の労働により10人分以上の、20人30人分の生産を行うことが可能となったということである。余剰生産物は貯えられたり、他の地域の特産物(水産業、鉱工業生産物)と交換されたりして、中長期的には人口の増加を可能としたであろう。

弥生人の生活はこうして豊かになったが、逆にこの時点で、他国からすると征服するメリットができてしまったことになる。隣の村に貯えがあれば、征服することにより自分たちの貯えを増やすことができるし、余剰生産物を食べさせることにより、奴隷として使役することも、軍隊を組織することも可能となる。

つまり、弥生時代に続く古墳時代というのは、そういう時代だったと考えられるのである。
 
 
6.3. 2世紀の日本列島で最大勢力は出雲

西暦57年に倭奴国が後漢に朝貢し金印を下賜されたのは、逆に考えればその時代まで日本列島には、先進国である中国に使節を派遣できるような国力がなかったということである。その倭奴国が九州北部であるのは、九州が日本列島で最も早く、大陸の先進文化を吸収できたという地理的要因で説明できる。

その後2世紀になると、「倭国は大きく乱れた」と中国の史書にある。折りしも、弥生時代のさなかである。各地域において余剰生産物を巡って、征服〜支配の関係が生じてきたと考えられる。1世紀には九州北部に限られていた金属器の普及地域が徐々に広がり、生産性が向上し余剰生産できる地域が多くなったということである。

この時代、きちんとした道路を作るだけの余力はどこの地域にもなかったはずで、主な輸送手段は海路であった。ということは、九州北部にまず伝わった大陸文化が、ここから日本海沿岸、九州西岸・東岸、そして瀬戸内海と、船による輸送によって日本列島に広まったと考えられる。

イメージとしてはペルシャ湾沿岸からアラビア半島にかけて、油田のある海岸部に沿ってクウェート、サウジアラビア、バーレーン、UAE、オマーン、イエメンと各国が並んでいるように、古代日本列島においても物資の輸送が容易である海岸部に沿って、小国家が並存していたのではないか。繰り返しになるが、余剰生産力のない地域(内陸部)に領土を拡大しても、あまり意味がないのである。

そして2世紀の日本列島において、最大の勢力を持っていた地域は出雲だったのではないか。

というのは日本神話において、オオクニヌシの出雲が治めていた日本列島を、アマテラスの孫であるニニギノミコトが降臨して「国譲り」を受けたことになっており、これはおそらく歴史的な事実を背景としたものと思われるからである。3世紀の邪馬台国から7世紀初めのアマ・タリシヒコまで、中国側では同じ国が朝貢したとみなしており、それ以前で有力国家が成立しうる時期となると、2世紀が最も有力である。

山陰地方は現在、東京から行くのに最も不便な地域の一つであり、先進地域というイメージはないかもしれないが、中国・朝鮮半島から海路ということになれば、九州北部に次いで日本列島の中では便のいい地域である。

そして、弥生時代最大の遺跡の一つである出雲・荒神谷遺跡からは358本もの銅剣がまとまって出土している。銅剣が実際に武器として使用されたかどうかはともかく、この時代に銅は輸入品しかなかったはずなので、弥生時代の出雲が相当の経済力を有していたことは間違いない。

その経済力の背景となったのは、おそらく鉄製品と考えられる。鉄製品は錆びてしまうので、古代のものがそのまま出土することはほとんどないが、この地域では砂鉄が産出されることから、かなり古い時代から鉄製品を製造していたと考えられている。鉄製品は武器にもなれば、農具にもなる。

おそらく、最初は輸入鉄製品の模倣から始まり、徐々に国産化が可能となったのであろう。鉄鉱石から鉄製品にするのはそれなりに技術が必要だが、砂鉄を鉄製品にするのは比較的容易である。鉄製品の国産化は、さらに農業生産性を向上させ、日本列島のGDPを増大させたと考えられる。

出雲は鉄製品というベンチャー産業によって、日本列島の最先端地域となったのである。
 
 
6.4 神無月はなぜ10月か 〜 出雲が日本列島の中心であった時代

陰暦の10月を神無月(かんなづき)と言うが、出雲ではこの月を「神有月(かみありつき)」と呼ぶ。全国の神様がみんな出雲に集ってしまうので、出雲以外では神「無」月と称するという説があるが、「な」は現代の「の」に当たる助詞で「神の月」を意味するという説もある。陰暦6月は水無月(みなつき)と呼ぶけれど雨量が少ない訳ではないことからすると、おそらく後者の方が正しいようだ。

神無月の意味が「神の月」であったとしても、神様が出雲に集まった月であるという伝承を否定するものではない。そして、そういう歴史的事実は、実際にあったのではないかと考えている。つまり、収穫が終わり寒くなる前に、日本全国から出雲へ、鉄製品を求める人々が集まってきたのではないだろうか。

鉄製農具を使うことにより農業生産性が格段に向上したことは間違いないので、余剰収穫物が生じた地域は、それにより生産設備としての鉄製品を求めただろう。また、購買力を持った人が集まる地域には、他にも地域の特産物(織物や海産物、黒曜石などが当時でも広く交易されたらしい)を交換しようとする人々が集まってきたはずである。

自らは鉄製品という先端工業品を持ち、商取引の中心地にもなった出雲は、日本列島でも随一の経済力を持つ地域となったのである。荒神谷から出土した銅剣は、武器と考えると意味がよく分からないが、これを貨幣と考えると、当時の権力者が鉄製品の製造販売や、市場の提供(特産物交換の“場所代”)により蓄積した財産ではないかという推定が可能となる。

このことは古墳時代の他の銅製品、関西圏の銅鐸や九州圏の銅矛についても同様であるが、これらは後の時代の貨幣、つまり交換可能な購買力と考えるのが妥当ではないか。

つまり、後の時代には個人個人が銅銭を持って市場で商品を購入することになるが、2〜3世紀にそれができるのは「国」単位である。だとすれば、銅銭よりも大きな銅製品「銅剣」「銅鐸」「銅矛」が貨幣であったと考えてもおかしくない。銅は当時最も価値の高い金属であったし、「銅剣」「銅鐸」等にすれば秤量も容易になる(見た目で重さの見当がつく)メリットもあったと思われる。

さて、話は戻るがこの時代に、多くの国々にとって収穫は年一回だから、その収穫後の陰暦10月あたりに、出雲で大規模な交易が行われた。そうした伝承が、出雲に年一回神々が集まるという神話となって後の時代に受け継がれたのではなかろうか。

いまでも出雲大社の正殿の周囲には、全国の神々が集まってきて滞在するとされる建物がある。はるか昔の2世紀に、全国から人々が集まってきた名残りだと考えると、壮大なロマンである(当時の「国」は海岸に沿って展開していたと考えられるので、おそらく船を使って移動したものと思われる)。

ちなみに、古代の製鉄法とされるたたら製鉄は、砂鉄や鉄を多く含む鉱石(磁鉄鉱など)を原料として、高温に熱して叩き、不純物を除いた後に成形したらしい。このたたら製鉄が伝承されていたのは、出雲近郊の島根県安来地区である。日本列島最初のベンチャーである製鉄業が出雲でスタートしたという仮説と、非常にリンクしているのである。

そして、いったん入手した鉄製品を違う形に成型したり、壊れたものを修理するのは、最初に原料から作るのに比べて低い温度で可能だし、技術的にも難しくはない。だから、そうした二次加工は日本全国で行われたと考えられる(吉野ヶ里遺跡にもそうした施設と思われるものがある)。

そうした二次加工で製作されたものは、おそらく農機具や生活用品だけではなく、鉄剣や鉄の鏃(やじり)、つまり武器としての鉄製品が含まれていただろう。出雲のベンチャー産業であった鉄製品が全国に広まり、これが武器として成型し直されたことによって、近隣国への侵略、つまり「倭国大乱」につながったのではないか。
 
 
6.5 国譲り神話の元となった事件とは

日本神話が伝えるところ、古代出雲の覇権を大和朝廷が奪ったのは「国譲り」による平和裏な政権移行であったという。天上のアマテラスの孫にあたるニニギが、日本列島を治めよとの命をうけて地上に降り立ち(天孫降臨)、部下であるタケミカヅチが稲佐浜(いなさはま)において国譲りの折衝をしたと伝えられる(「いなさ」はYes or Noの意味である)。

この際、出雲の王であるオオクニヌシは、子であるコトシロヌシとタケミナカタが応じるのであれば自分は異存はない、と回答した。コトシロヌシとタケミナカタは紆余曲折あったがこれに同意したので、オオクニヌシは自分のために大きな社(出雲大社)を建てることを条件に、ニニギに統治権を譲って身を引いたとされる。

さて、以上が日本神話の伝えるところであるが、中国史書の中で、日本列島において話し合いで政権が移行したことを暗示する記事は一つしかない。魏志倭人伝の示す、次の事件である。

倭国乱相攻伐歴年、乃共立一女子為王。名曰卑弥呼。
倭国は乱れ、互いに攻撃し合うこと長きにおよび、共に一人の女王を立てることとした。その名を卑弥呼という。

卑弥呼擁立に際し、戦いに疲れた各国は、「共に一女子を立て」王とすることとした。つまり、武力による決着ではなく、話し合いで決めたのである。古代日本において、話し合いによる政権移行が図られたとみなせるのは、この事件だけである。

後の時代の倭の五王は、「祖先は自ら甲冑をまとい休む間もなく」他国を侵略したと誇らかに宣言している。また、隋に使者を送ったアマ・タリシヒコは、天子すなわち先祖代々の王者であると名乗っている。いずれも、話し合いにより権力を握った訳ではない。それ以降も、日本列島の権力者が、武力ではなく話し合いで決まった例など、明治時代まで下らなければ見出すことはできない。

むしろ、近代以前においては、話し合いで権力者を決めることの方が異例といっていい。そして、その事例が、中国の史書と日本の神話のいずれにも登場しており、しかも年代的にも近い。だとすれば、話し合いによる卑弥呼擁立が、オオクニヌシからニニギへの国譲り神話の元になった事件と考えるのは、決して突飛な発想ではない。
 
 
6.6 九州の覇権

2世紀末に卑弥呼が擁立されてから、7世紀の白村江まで、日本列島の覇権はずっと九州にあったと考える。

以前述べたように、魏志倭人伝の「郡至女王国万二千余里」(帯方郡から女王国まで一万二千里余りである)という記載を否定しない限り、陸行だろうが海行だろうが、邪馬台国は九州北部にしかならない。その後の倭の五王、アマ・タリシヒコいずれも邪馬台国の後継というのが中国側の認識であり、だいいちアマ・タリシヒコの国には阿蘇山があるのだ。

それでは、倭の五王が主張するところの侵略した他国とはどこなのだろうか。これは、おそらく農業生産力の向上(金属器の普及)により3世紀以降に国力を増した「卑弥呼連合」以外の国ではなかったかと考える。その中のいくつかは武力で対抗しようとしたが、その代表格が近畿であり、関東だったのではないだろうか。

イワレヒコ=神武天皇の東征は、常識的に考えると九州政権による近畿への派兵である。イワレヒコが、近畿政権の防衛線である速吸の門(はやすいのと:豊予海峡といわれているが、私は鳴戸海峡か来島海峡だと考えている。海流が急で船団の展開が困難な場所だからである)を突破し、大和盆地を攻略した。そのやり方も「撃ちてし止まん」(皆殺し)である。

まさに、倭の五王が高らかに宣言した、「毛人を制すること五十五国」の世界である。平安時代になっても、後の大和朝廷の人々は東北アイヌの棟梁であるアテルイを講和のふりをして殺しているし、さらに下って江戸時代には北海道アイヌのシャクシャインが松前藩にだまし討ちにされている。イワレヒコ=神武天皇の東征と、かなりの共通点がある。

ただし、この五十五という国数は、西の六十六、北の九十五と比べると少ない。これは、日本列島東部が当時それほど開けてはおらず、人口密度も低かったことを示していると考えられる。関東・毛野国あたりになると、狩猟を主な産業とする蝦夷=アイヌの国とそれほど差はなかったのではないだろうか。

さて、いったんは派兵して占領し現地司令官を置いた近畿地区だが、そのうちに現地勢力の巻き返しがある。統治する側にも後継者争いや内輪もめがあって、次第に本国=九州とは疎遠になっていく。そのあたりは鎌倉幕府が、最初は源氏将軍だったはずなのに、藤原将軍になり宮将軍になり、結局は執権の北条氏が実権を握ったようなイメージであろう。

九州から近畿への派兵と占領、現地司令官の派遣は、イワレヒコ=神武天皇の時と、ホムダ=応神天皇の時と、二度あったのではないかと思われる。おそらく、前者が3世紀、後者が4世紀頃のことと考えられる(これが、古事記の中巻と下巻の区分のもとになった)。その間、日本列島を代表して朝鮮半島にたびたび派兵し、中国と交渉していたのは九州倭国政権であった。

近畿=大和朝廷はこの時代まだ倭国の地方政権であり、後方支援の役割を担っていたと考えられるのである。
 
 
6.7 九州から大和へ

九州倭国は3世紀以降7世紀の白村江に至るまで、常に朝鮮半島への派兵を行ってきた。このことは広開土王碑文や、倭の五王から中国への依頼(新羅・百済等の将軍として任命するよう求めた)により裏付けられる。

この時代、巨大古墳のほとんどは大和・河内地区に集中しているが、このことを日本列島統一の証拠とする説が多い(歴史教科書もほぼこの論調で作られている)。だがおそらく実際には、九州倭国は国力のほとんどを朝鮮半島派兵に費やしてしまい、巨大古墳を作る余力がなかったというのが本当のところではないだろうか。

戦争と建設のどちらがよりGDPを必要とするかというと、それぞれの規模にもよるが、やはり戦争ではないかと思われる。この時代、古墳の建設はほとんどが土木工事であり、労働力とある程度の機材があれば可能なのに対し、戦争には輸送手段(船)、武器、食料および労働力が必要である。

そして戦争の場合、戦死という犠牲が生じる。これは単に戦力のマイナスというだけではなく、生産力のマイナスにもつながる。戦死者が増えれば、将来何年かのGDPは必ず減少する。言葉を変えると、再び新たな世代が生産年齢に達するまで、低成長を余儀なくされるということである。

だから、近畿に古墳が多いというのは、この地に中央集権的に権力が集中していたからというよりも、むしろ九州が朝鮮半島に進出を図っている間に、地方独自の財源(生産余力)によって建設されたとみるのが妥当である。日本列島の代表政権には、朝鮮半島の利権を奪還するという最優先課題があったはずなのに、古墳を作っているヒマがあったということは、逆にいうと中央とのつながりの薄い地方政権であったということである。

現代の感覚だと、九州と近畿は同じ政権が治めていて当然と考えがちであるが、源平の時代にも、南北朝・室町の時代にも、さらに戦国時代に至っても、近畿政権は九州を円満に治めていた訳ではない。ましてや古代に、近畿と九州が簡単に統一政権を作れたとは思われない。

これは、現代のわれわれが考えるよりはるかに、瀬戸内海の交通が安全・円滑なものではなかったことによるのではないだろうか。応神・仁徳時代の大遠征(私はこれが、倭王武による遠征ではないかと考えている)のような大規模なものを除けば、九州と近畿間のヒト・モノの交流というのはそれほど頻繁ではなく、九州軍団が引き上げた後、近畿の在来勢力が巻き返すことができたのではないかと考えるのである。
 
 
 
 

http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/847.html

コメント [原発・フッ素15] 皆さんご存知の通り私はずっと菅直人総理大臣を支持してきました! 帝都通信
22. 2011年8月12日 06:15:56: DprNjXc3KE
上のコメントらは、原発利権の凄まじさを良く示している。
よくぞここまで浸透したものだ。利権屋、守銭奴というのは庶民にまでいるもんだな。

不幸中の幸いがあるとすれば、菅が首相だったことだ。彼に代わる者は何処にもいない。予測していた通り、首相にさえ必要情報が伝わっていなかった。

彼が早くからベント指示を出していたことは知っていたが、やはり実行されなかった理由が未だ彼にも分からないのだ。これも想像通りだ。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/447.html#c22

コメント [原発・フッ素15] 行き場のない"核のゴミ"北海道幌延町の不安 妹之山商店街
01. 2011年8月12日 06:16:39: uDhmjPSe4A
再生エネルギー特別措置法案


http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201108120086.html


再生エネ法案修正に産業界の意向
 与野党が最終合意した再生エネルギー特別措置法案は、自然エネルギーの普及加速と、できるだけ電気料金の値上げを抑制したい産業界の強い意向のはざまの中で、「妥協」を優先した格好となった。

 「脱原発依存」を掲げる菅直人首相は、同法案成立を退陣の条件に加えたが、太陽光などの活用が狙い通りに勢いづくかは不透明だ。

 自然エネルギーの普及には家庭や事業者からの買い取り価格の水準を維持することが不可欠。その半面、電気料金を抑えて国内産業の国際競争力を落とさない必要性もあり、法案審議では当初から「バランスを取るのは難しい」(民主党議員)との声が漏れていた。

 最終的に、電力の大口需要者には料金の軽減措置が設けられた。買い取りコストと料金の間に生じる差額を国民負担で穴埋めする可能性も出てきた。

 菅首相は主要国(G8)首脳会議で2020年代の早期に自然エネルギーの発電比率を「20%にする」と強調。しかし政府の想定では新制度がスタートしても、現在の約9%から20年までに4%程度しか上乗せできない見通しで、太陽光などの普及にはもともと力不足だ。

 福島第1原発事故後のエネルギー政策をめぐる議論は、定期検査中の原発の再稼働問題などを含め、深まっているとは言い難い。法案は自然エネルギー普及を後押しする「入り口」にすぎず、今後は中長期的なエネルギー政策を本格的に策定する過程で、一段の普及に向けた仕組みを検討する必要がありそうだ。

【写真説明】国会内で会談する左から公明・石井、自民・石破、民主・玄葉の3党政調会長(11日午後)
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/489.html#c1

記事 [Ψ空耳の丘Ψ59] 「ヒエタノアレモコロサレキ」(稗田阿禮も殺されき) 古代日本は唐に占領された ― 漢字文化に抹殺された眞實
 
 
 
 
非難されていた中大兄皇子

 ところで、中大兄皇子に対する民衆の反発には、一つの頂点がある。
 それは、日本史上最大の国家存亡の危機、白村江の戦いの前後である。
 このあたりの事情を、詳しくみてみよう。
 孝徳天皇の崩御を受けて、中大兄皇子の母(皇極天皇)が重酢(ちょうそ)、斉明天皇が登場す
る。
 何を思ったか、斉明天皇は、飛鳥周辺で、盛大に土木工事に励んだ。
 飛鳥の天香具山の西側から石上山(いそのかみやま)(奈良県天理市)に至る長大な水路を掘り、舟二
百艘(そう)をもって、石上山の石を積んで、宮の東の山に石を重ね、垣とした。
 ちなみに、この工事が現実に行われていた可能性は高くなっている。飛鳥の東側の
丘陵地帯から、大量の石を積み上げた垣のあとと、新亀石(かめいし)が発見された(酒船石(さけふねいし)遺
跡)ことは、記憶に新しい。
『日本書紀』は、この工事に対する人々の反応を「狂心の渠(たぶれごごろのみぞ)」という言葉を用いて記
録している。「尋常な行為ではない」と罵った、というのである。
「石の山を造っても、自然と崩れ去るにちがいない」
 と、言い放ったという。先述した斉明二年(六五六)の岡本宮の火災は、このよう
な囂々(ごうごう)たる非難のさなかに起きたものだ。
 この土木工事が、斉明朝に行われていたから、人々が斉明天皇を罵倒したかのよう
に思われているが、そうではあるまい。このときすでに、実権は中大兄皇子と中臣鎌
足に移っていたはずだからである。
 このあと、斉明天皇は孫の建皇子(たけるのみこ)の死を悼み、悲嘆に暮れている。斉明四年(六五
八)五月と同年十月に、それぞれ三首ずつ、建皇子を偲ぶ歌を詠っている。その様は
政治家のそれではなく、母であり祖母である手弱女(たおやめ)としての姿である。乙巳(いつし)の変の入
鹿暗殺場面で、子の中大兄皇子に叱責されて返す言葉を失った皇極天皇の姿を重ねれ
ば、女帝の弱い立場がみえてくる。事実、建皇子の死につづき孝徳天皇の御子の有間
皇子(ありまのみこ)が謀反(むほん)を起こすと、中大兄皇子はこれを独断でもって裁断している。
 では、なぜ中大兄皇子が飛鳥の東側に、「狂心の渠」を造ったかといえば、それは
酔狂ではなく、しっかりとした軍事目的があったと考えられる。すなわちそれは、中
大兄皇子の目論む百済遠征への準備であり、遠征中に飛鳥で不穏な事態が生じたとき
のための布石にほかなるまい。
 民衆が不満を爆発させたのも、中大兄皇子のめざす百済救援を無謀と判断していた
からであろう。
 斉明六年(六六〇)、いよいよ遠征というそのとき、駿河国(するがのくに)で船を造らせ難波に曳
航(えいこう)させたところ、理由もなく、船の艫(とも)と舳先(へさき)が逆さまになってしまった、という。こ
れをみた人々は、

  衆終(ひとびとつい)に敗(やぶ)れむことを知りぬ。
 
 と、ヤマト朝廷の遠征は失敗するであろうと噂しあったという。
 民衆の判断は的確であった。
 ヤマト朝廷軍は、白村江の会戦で、唐と新羅の連合軍の前に、完膚無きまで叩きの
めされ、百済は滅亡した。そして、唐の大軍が日本列島に押し寄せるかもしれないと
いう、悪夢のシナリオが予想されたのである。中大兄皇子は必死に、西日本各地に城
郭を築いた。
 唐が百済滅亡後、せめる矛先を日本ではなく、「まず高句麗」、と判断したことで、
かろうじて日本は救われた。高句麗滅亡後、新羅が唐に反旗を翻(ひるがえ)し、唐はヤマト朝廷
に対し、懐柔策を採ってきたのである。
 天智六年(六六七)三月、九死に一生を得た中大兄皇子は、都を近江に遷す。

  是(こ)の時に、天下の百姓(おおみたから)、都遷すことを願はずして、諷(そ)へ諫(あざむく)く者多し。
  童謡亦衆(わらべうたまたおほ)し。
  日日夜夜(ひるよる)、失火(みづながれ)の処多し。

 つまり、遷都には反対論が根強く、民衆は各地で暴徒と化したようである。
 このような中大兄皇子(天智天皇)に対する反発は、畢竟中大兄皇子の示した強烈
なまでの百済救援政策に起因しているのであって、乙巳の変の際に古人大兄皇子が漏
らした、「入鹿が韓人に殺された!」に対する分注「入鹿が韓政=朝鮮半島をめぐる
政策の行き違いによって殺された」の一節に、重大な関心を示さずにはいられないの
である。
 ここで指摘しておかなくてはならないのは、要するに、『日本書紀』のいうような
蘇我氏の専横、これに対する中大兄皇子、中臣鎌足の正義の戦いこそが乙巳の変(大
化改新)であったという常識を、まず疑ってかかる必要がある、ということである。
 
 
 
 
天武天皇と藤原氏の間に横たわるわだかまり

 忘れてはならないのは、天武天皇(大海人皇子)と「藤原」との間に、大きなわだ
かまりが横たわっていたことである。
 わかりやすい例を一つあげておこう。
 藤原不比等の父・中臣鎌足は、壬申の乱の直前、大海人皇子の即位を阻上するため
に暗躍していた疑いがつよい。
 なぜなら当時、天智自身、皇位を弟で皇太子の大海人皇子ではなく、自分の子の大
友皇子に譲りたいと焦っていたこと。中臣鎌足は天智の懐刀であって、天智の意志
を尊重していたと考えた方がつじつまが合う。そして、このことを証明するように、
日本最初の漢詩集『懐風藻(かいふうそう)』の大友皇子を紹介する一節に、次のような奇妙な記事が
残されている。
 天智天皇晩年のことである。ちょうど来日していた唐使劉徳高(りゅうとくこう)が大友皇子をさして、
日本にいるのはもったいないほどの人物だと評価した、という。その劉徳高が、ある
とき夢を見た。それは、大友皇子が皇位を継承しようとすると、脇から邪魔者が現れ、
横取りしてしまった、というのである。怪しんだ劉徳高は、これを中臣鎌足に話した
という。すると中臣鎌足は、

  天道親無(てんどうしんな)し、惟善(ただぜん)をのみ是(こ)れ輔(たす)くと。

 とのべたという。天は公平であり、善行を積むものを必ず助けます。だから、大友
皇子が徳を修める限り、皇位はかならず転がり込むでしょう、というのである。
 ここにいう邪魔者とは、大海人皇子であり、中臣鎌足が大海人皇子の廃太子を願っ
ていたことはまず間違いない。その中臣鎌足は壬申の乱の直前に亡くなるが、その子
藤原不比等も、父にならって、大友皇子側についたからこそ、敗戦の憂き目にあった
のだろう。
 事実、藤原不比等は天武天皇在位中は、まったく日の目を見なかったのであり、歴
史に登場するのは、天武崩御の後のことなのである。
 この間、不比等は朝廷から干されていた可能性が高く、とするならば、不比等が天
武朝を美化する目的の歴史書の編纂をおもしろく思っていたはずがなく、逆に、天武
の正体を抹殺しようと企んだ疑いさえ出てくるのである。『日本書紀』のなかで天武
天皇の前半生がまったく空白なのは、そのためと考えられる。したがって、『日本書
紀』をめぐるこれまでの通説、常識を、今一度疑ってかかる必要があることはいうま
でもない。

                      関裕二氏著「藤原氏の正体」
                      第一章「積善の藤家」の謎
                      非難されていた中大兄皇子
                      三十四頁據り
                      第ニ章 謎に包まれた藤原氏の出自
                      天武天皇と藤原氏の間に横たわるわだかまり
                      八十六頁據り
 
 
 
 
 
 
 
 
交通の要衝、關門海峽を抑えるには絶好の位置
唐の軍事占領據點「筑紫都督府」
 
 
 
 
第3章 古代日本は中国に占領された―漢字文化に抹殺された真実
 
 
 神代文字を抹殺した恐るべき黒い勢力≠ェある

 奈良時代以前の日本に文字があったことは、文献にもはっきり書かれているし、遺物にもは
っきり刻まれている。したがって、文献と遺物の両方から、日本に古代文字があったことはす
でに立証済みである。
 にもかかわらず、そのことがこれまで周知の事実とならなかったのはなぜだろうか。古代史
の権威が口をそろえて神代文字を否定したり、日本の古代文字を無視してきたのはいったいな
ぜなのか。
 ここには私たち日本人のすべてが、いまだにその真相をつかんでいない歴史上の大きなトリ
ックがあるように思われる。そこには、これまでの権威すらも呑みこんでしまう歴史上のブラ
ック・ホールのようなもの、つまり私が先に漢字の呪縛≠ニ名づけた、私たちの目には見え
ない巨大な意志が存在し、この恐るべきカが日本の古代文字資料を抹殺して奈良時代以前の歴
史を封印してきた背景があるように思われるのだ。
 その恐るべき力の正体とは何か。
 私たち日本人の奈良時代以前の歴史に、誰が考えても異常としか思えない巨大な空白をもた
らした力の実体とは何か。日本古来の文字で書かれた文献を奪い取った、途方もない勢力とは
いったいなんだったのだろうか。
 私には、その力の実体がどんなものであったのか、今のところすべてを正確に述べることは
できない。が、一つだけはっきりしていることは、その勢力が今から千三百五十年ほど前の大
化改新(六四五年)と白村江の戦い(六六三年)の時代に、日本海周辺のほぼ全域に台頭し、
それまでの日本にあった固有の文字と文化、王家と有力氏族の記憶をほとんど消し去ってしま
った、という点である。
 私たちはこれまでの教育のなかで、日本は滅亡に瀕した百済の請いを受けて唐・新羅の連合
軍と白村江で戦い、手痛い敗北を喫したあとは連合軍≠フ侵攻を恐れて都を近江に遷したと
しか教わっていない。いわんやその戦いに敗れたときに、そのまま日本が唐の軍隊に占領され
たこと、そして、この時代以後につくられた日本の都城や古墳の設計単位が、それまでの高麗
尺(唐によって滅ぼされた高句麗の尺度)から、唐尺に全面的に改めさせられたことなどは
一度も教わっていない。
 したがって、この時期に中国東北部と朝鮮半島、日本を占領した中国の軍隊が、この地域に
伝わる固有の文字資料をことごとく抹殺し、漢字で書かれたもの以外は絶対に後世に伝えない
ようにした、などということは考えたことすらなかったはずである。
 
 
 中国の日本占領GHQ≠ヘ大宰府に置かれていた

 けれども、古代の日本が六六三年の白村江の戦いに敗れたあと、中国の占領支配を受けたこ
とは、『日本書紀』の天智天皇の条のなかにそれとなく記されている。
 すなわち、天智四(六六五)年の記事では、この年、日本へやってきた唐の使節団の人数が
二百五十四人であったのが、同八年と九年には二千人にふくれあがっている。天智八年十二月
の条にはこうある。

   もろこしかくむそう  よ   つかは きた
……大唐、郭務悰等二千餘人を遣して來らしむ。……

 敗戦後の日本へ二干人という大量の使者が続々とやってきたのは異常といわなければならな
い。このことは、唐の使者がただの使者ではなく、占領軍司令部の要員であったことを暗示し
ているのだ。
 また、天智六(六六七)年の記事によれば、この年には、すでに九州の太宰府が「筑紫都督
府」という呼び名に変わっているが、この都督府≠ニいう表現は、唐の軍隊が高麗と百済の
都をそれぞれ占領したときに「平壌都督府」「熊津都督府」と称した例をみてもわかるように、
唐の占領軍司令部が置かれた外国の都をさしている。したがって、九州の太宰府が六六七年以
降、中国による日本占領支紀の拠点となっていたことは明らかである。
 いってみれば太宰府が、第二次大戦後に皇居前の第一生命ビルに置かれたマッカーサーの占
領軍司令部(GHQ)と同じようになっていたのである。そして、戦後の日本が英語使用を強
要されたのと同じく、いやそれ以上に、白村江の敗戦後の日本は、全面的な漢字使用を強制さ
れたのだ。
 天智天皇はこの年の春、近江京に遷都し「漢字使用令」を出した。こうした近江京の文化が
漢字文化そのものであったこと、そして、天智天皇と天武天皇に代表される勢力が六七二年の
壬申の乱で激しい死闘を演じたことなどは、これまで、この時期の中国による日本占領支配と
のかかわりのなかで論じられたことはなかった。
 この問題については、ごく少数の学者か天智天皇は百済系で天武天皇は新羅系または高句麗
系であったということを述べる程度にとどまり、白村江の敗戦以後、日本と朝鮮、中国東北部
にまたがるかつての高句麗王国が解体したことや、その後、壬申の乱を機に高句麗の旧領に渤
海・新羅・日本の三国が、唐の承認を必要とするかたちで成立したことなどは論じられていな
い。
 しかし、この時期の唐帝国の周辺を見渡せばわかることだが、この頃からインドと日本を結
ぶ南海ルートの影が薄くなっていく。つまり、私流にいえば、インド以東のアジアには漢字以
外の文字文化が、それ以前にはなかったような印象が強くなる。
 七世紀の初めに隋の陽帝が率いる百万の大軍と戦ってこれを退け、ついに隋を滅ぼす糸口を
つくった高句麗は、六六八年に唐によって滅ぼされるまで、七百年以上もの歴史を誇っていた
古い国であるが、このような国にさえ固有の文字で書かれた記録はなかったことになっている。
 秦・漢帝国以来の中国諸王朝が、周辺諸国にみずからの漢字文化を押しつけ、中国の宗主権
を認めない国を侵略して、その国の文字文化を破壊したことは、中国の史書に王家の記録を没
収した記事がたびたび登場することをみても確かだ。
 このような中国の支配者による歴史抹殺の手口、すなわち漢字以外の文字で書かれた他民族
の記録を抹殺し、そのことによって他民族を中華帝国に従属させていくやり方の最も顕著な例
が、秦の始皇帝による焚書坑儒だ。
 中国における漢字の成り立ちを調べてみても、漢字のなかには、それ以前に大陸の各地で使
われていた日本の古代文字を並べ替え、それによって元の意味を消し去る手法で新たにつくら
れた例がいくつかあることが確認できる。
 
 
 日本解体≠目にした天武天皇の憤慨

 これまで日本人は、中国の漢字文化を受け入れることによって、原始の日本が開明化したか
のように教えこまれてきた。が、それははたして本当だろうか。実際は逆ではなかったか。
 中国の日本占領支配の実態は、目にあまるものがあったように思われる。壬申の乱に勝利し
て、中国の日本占領支配にいちおうの終止符を打った天武天皇も、国内の中国人に対し、憤慨
してこう述べている(『日本書紀』天武六<六七七>年の条)。

  なんじ
  「汝らのやからは、もとより七つのあしきことを犯せり、
             はか
    ……常に汝らは謀りごとをもって事わざとなす」

 つまり、中国人がいつも陰謀を企て、国家の解体をはかってきたことを天武天皇は糾弾して
いるのである。こうしたことはおよそ、戦争に敗れた国が占領軍に対して種々感ずることであ
ろう。通常の日本人が、史上初の被占領体験と孝えている第二次大戦後の約十年間にも、同様
のことをアメリカに対して抱いたと聞く。
 いや、それ以上のものだったろう。被占領時にその国の歴史に根ざす貴重な遺産ともいえる
言葉や文字を剥奪された例はたくさんあるし、戦勝国の文字を押しつけられた国は古今東西を
問わず多くの実例で確かめることができる。
 しかし、である。まさか私たちの国にもこのような屈辱的な歴史があったとは、讀者は夢に
も思わなかったであろう。そう、日本は白村江の戦いに敗れて中国に占領され、漢字使用を押
しつけられるなかで神代文字を喪失したのだ。
 
 
 稗田阿礼は神代文字の通訳≠セった

 天武天皇は、二度目の被占領時の首相・吉田茂にたとえられるかもしれない。完全な再独立
こそできなかったにしても、主権の回復はなしえたことと思われる。その一端が『古事記』の
成立である。また、天武の即位後しばらくして「筑紫都督府」の呼称も消えている。
 ちなみに、さきにもふれた壬申の乱だが、通常、天智と天武は兄弟であり、この内乱は皇位
継承をめぐって天智の子・大友皇子との間で戦われたとされている。
 しかし、そうした考えからは天智と天武の政策の遠いがまったく説明できない。そこに歴
史の闇の封印≠ェ介在していることは明らかだろう。
 前述した系統の違いはその意味でも注目される。そして、これを詳述するには紙面に限りが
あるため、ここでは皇室の菩提寺(京都の泉涌寺)に天武天皇の墓がないことだけをいって
おこう。
 さて、稗田阿礼が誦み=Aそれを太安万侶が漢字で書きとめてつくられたといわれる『古
事記』だが、私はなんらかの圧力(たとえばそれ以前にあった日本の古代文字の記録を漢字に
改めるようかかった圧力)と、日本の解体を憂慮した天武天皇の意思とが相乗されて撰録され
たと考えている。
 その証拠に、『古事記』には、稗田阿礼が神代文字で書かれた記録を読んだ≠烽フを、安
万侶が漢字に改めていったという意味合いのことがはっきり書かれている。たとえば、安万侶
自身が『古事記』序文でこう述べている。

 そこで天皇(天武天皇のこと)は阿礼に命じて、帝皇の日継及び先代旧辞を誦み習わせ
 たり……。
 ここに天皇(持統天皇のこと)は、帝紀及び旧辞の違いを正そうとして、臣、安万侶に
命じて、阿礼が誦むところの先帝(天武天皇)の御命令になられた旧辞の類を撰録して差
し出すようにと仰せられた……。

 つまり、安万侶は「阿礼が誦む(=読む)ところの帝紀・旧辞」を手がかりとして、『古事
記』を編纂したのである。もし帝紀や旧辞が漢字で書かれたものであるなら、漢文の達人だっ
た安万侶がそれを自分で読めばすむことで、わざわざ阿礼の口を借りる必要はないはずだ。
 これはどういうことを意味するのか。そうだ、『古事記』の元になった『帝紀』や『旧辞』
(注12)は、阿礼には読めても安万侶には読めない文字、つまり日本の古代文字で書かれてい
たのだ。そして、阿礼は神代文字で書かれた記録と漢文の橋渡し役、いわば通訳として安万侶
のために働いた、ということではないか。
 記憶力バツグンといわれた阿礼は、「読み習ったもの」を記憶した。しかしそれは、神代文
字で書かれていたものを読んで、それを記億にとどめたということなのだ。
 正史編纂という国家の重大事業にあたって、おそらく阿礼は、神代文字で書かれた『帝紀』
や『旧辞』を暗誦するくらい念入りに讀み、それをていねいに安万侶に読んで聞かせたものと
思われる。
 
 
 ヒエタノアレモコロサレキ ― 知りすぎた男の悲劇

 こうして日本人は、八世紀の初めに『古事記』と「日本書紀』というかたちで、漢字に置き
替えられた日本の歴史書をもったが、その元になった『帝紀』や『旧辞』などの書物、あるい
は日本に古くから伝わる固有の文字で書かれた由緒正しい歴史の記録を失うことによって、本
来の日本人がもっていた自由な精神や創造的な見方さえも失ってしまったのではないか。
 私がこのことを痛感するのは、ほかでもない。宮崎県の高千穂で見つかったという碑文(郷
土誌『すみのえ』一〇四号所収)を私なりに解読した結果、そこに以下のような恐るべき一文
が刻まれていたことを確認したからである。

  「ヒエタノアレモコロサレキ」(稗田阿礼も殺されき)

 この短いが驚くべき一文について、説明は要すまい。稗田阿礼は『古事記』の完成した七一
二年以後のある日、突然、何者かの手によって暗殺されたことを、この高千穂碑文は物語って
いるのである。
 もしこのことが事実であるとしたら、彼の死は、日本の古代文字資料に記されていた真実の
歴史が、闇の力によって葬られたことを意味するのである。
 そして、このことはまた、そのような力がつい最近まで、すべての日本人の無意識に働きか
け、私たちの歴史解明の努力を歪めてきたことをも意味している。
『古事記』と『日本書紀』が日本の古代文字で書かれず、漢字を使って書かれた背景には何が
あったのか。日本人の言葉と歴史が漢字に置き替えられたとき、そこにはどんなトリックが用
意されていたのか。稗田阿礼は、その秘密をあまりにも知りすぎたために消されてしまったの
ではないだろうか。
 おそらく阿礼と同じ運命にあった者は一人や二人ではなかったろう。「稗田阿礼も……」と
いう記述からそれを察することができる。
 
 
 ベールに覆われた日本人の祖先の歴史

 私は漢字以前の日本の古代文字の存在について検証してきた。
 日本には漢字以前に文字がなかった、という定説がなぜつくられてきたのだろうか。それは、
この高千穂碑文の解読の結果、「稗田阿礼も殺されき」という言葉によっても推測されるよう
に、意図的に日本の過去の歴史が消されていった事実を示しているのだ。
 時の権力者、この場合は中国(唐)の日本占領軍の指令によって、日本古来の文字を使うこ
とが禁止され、占領国の文字(漢字)を使用することが強制されたのである。
 とはいうものの日本は古い国である。古代の「残存遺物」は多く残されているし、「古史古
伝」と呼ばれる「記紀(『古事記』と『日本書紀』)以前の書」にも伝えられている。
 これらの文書は、もちろん日本の古代文字で書かれていたにちがいないが、古代文字の使用
が禁止されたあとは、漢字を当てはめて書き写され、伝えられてきた。
 古史古伝が偽作、偽書とされる理由は、その内容が記紀と異なる部分が多いことにある。し
かし記紀の記述が一〇〇パーセント正しいという証明はなされていない。『魏志倭人伝』に記
述されている邪馬台国や、その女王の卑弥呼について、記紀は一言もふれていないではないか。
逆にいえば、『魏志倭人伝』を中心にみるなら、記紀こそ偽作、あるいは偽書だという疑いす
ら出てくる。
 まして、古史古伝には、ほぼ共通したテーマ、あるいは目的のようなものがある。それは、
そのほとんどが古代の権力闘争に敗れた側の豪族の家系に伝わった文書というかたちをとって
いることである。戦争に勝利した新しい権力にとっては、これらの敗北者の過去の歴史は抹殺
の対象になるべきものであったにちがいない。だからこそ、文書を保存しようとする敗者の側
は、さまざまなカムフラージュを施すことになる。
 したがって、後世の私たちが読むと、難解で奇想天外な話として映り、それが歴史的事実だ
ということがわからなくなってしまいそうである。
 しかし、それは史実を史実でないようなものに変えて伝えたために、そうなってしまった、
と受け止めるのが正しい見方であろう。
 だとすれば、古史古伝を読む場合は、意図的になされたカムフラージュのべールを一枚一枚
たんねんにはがしていけばよいわけである。するとそこには、消されたはずの私たちの祖先の
歴史が、白日のもとに浮かび上がってくるにちがいない。
 
 
 闇の封印≠フ外にある『契丹古伝』の発見

 このような視点に立って、読者とともに古史古伝を読みながら本書を進めていこうと思うの
だが、まず最初にあげられるものは『契丹古伝(きったんこでん)』であろう。
『契丹古伝』は九四二年に編纂された遼(契丹)王家の史書である。遼は、文献史上では五世
紀に内モンゴルのシラムレン河流域に現われた遊牧狩猟民族・契丹(キタイ)が十世紀に打ち
立てた王朝で、モンゴルから中国東北地方と華北の一部にまたがる地域を支配していた。宋か
から燕雲十六州を奪うなど、いわば中国(漢人〈漢民族〉)と対抗していたといっていい。しか
も『契丹古伝』は一九〇五年に現在の中国・吉林省で発見されるまで長い間王家の人々によっ
て守られてきたため、漢民族の闇の封印≠ノあっていない。
 そしてこの、『契丹古伝』の編纂目的は、建国まもない遼(九一六〜一一二五)の王家がみ
ずからの歴史的背景と正統性を明らかにしながら、漢民族の中原(ちゅうげん)支配に抵抗する周辺民族の
団結をリードし、鼓舞するところにあった。
 が、同書は結果的に、私たち日本人が今となっては入手できなくなった『秘府録』(後述)
をはじめとする八世紀以前の古代史料を駆使することによって、記紀や他の古史古伝から洩れ
てしまった渤海滅亡以前の高句麗・日本の太古史を明らかにする数少ない貴重な資料となった
のである。これは、同書の編纂に携わった契丹の史官・耶律羽之(やりつうし)の歴史家としての資質が優れ
ていたこと、すなわち憶説にたよらず「史料に語らせる」という客観的で実証的な叙述方法の
賜物である。
『契丹古伝』は『秘府録』その他の資料を忠実に引用することによって、私たちがもはや知る
機会のなくなった太古日本の歴史の真相を間接的に物語ることになった。
 さらにこの書物は、契丹王家の源流を明らかにする試みを通して、アジア全土にかつて栄え
た高句麗・日本の王家の失われた歴史をよみがえらせ、今は亡き契丹人の祖先とともに私たち
日本人の祖先が西方からの侵略者と勇敢に戦ったことや、漢帝国の成立以前に彼らが世界各地
で活躍した事を伝えてくれるのである。
 
 
 紀元前の日本史と世界史の虚構が暴かれる!

 さて、『契丹古伝』が私たちに垣間見せてくれる太古日本の歴史は、その内容があまりにも
通説とかけ離れているため、これまで欧米や中国の学者たちが流布してきた世界史の常識に従
えば、まったくの空想としか思えない。
 が、『契丹古伝』によれぱ、私たち日本人と契丹人の共通の祖先である「東大神族(シウカラ)」(『契丹
古伝』では「東大古族(とうたいこぞく)」とも記される)の歴史は、過去三千年にわたってエジプト、シュメー
ル、インダス、黄河の地を次々に侵略してきたアッシリヤ人、つまり中国で漢人(あやひと)として知られ
る欧米の支配階級アーリヤ人の手で抹殺され、改竄(かいざん)されてきたという。
 つまり、私たちがこれまで教わってきた紀元前の日本と世界の歴史、とくに秦・漢帝国、ロ
ーマ帝国以前にカラ族=東大神族が地球の各地で都市文明を興した史実を抹殺した世界史はこ
とごとく虚構である、というのが『契丹古伝』全体を貫く基本テーマとなっている。
 私たちの祖先の真実の歴史、カラ族(クル族)と呼ばれてきた東大神族がかつて地球のすみ
ずみに築き上げてきた輝かしいムー文明(太古日本の宇宙文明)の歴史は、アトランティス人
(漢人/アーリヤ人/アッシリヤ人)の手で巧妙に流布されてきた歴史の通説にひそむ大ウソ
を暴かないかぎり明らかにすることはできない、と同書は訴えているのである。
 
 
 「漢字の発明者・蒼頡(そうきつ)」の碑文がいまだに解けない漢字国・中国の謎

 たとえば『契丹古伝』は、紀元前の中国大陸の主人公はあとからやって來た漢民族ではなく、
もともとそこに住んでいた日本人の祖先だった、と記す。
 そこで、これから述べることは拙著『超古代世界王朝の謎』(日本文芸社刊)のなかですで
に紹介したことだが、きわめて重大なことなので再び取り上げながら、目を中国自体に向けて
みよう。
 中国の歴史の記録は、前漢の武帝が司馬遷に命じて編纂した『史記』に始まる。この『史
記』の記録に基づいて、これまで紀元前の中国には、夏(か)とか殷(いん)、周(しゅう)(西周)という王朝があっ
たとされ、やがて秦という強大な王朝が台頭して中国全土を統一した、ということになってい
る。秦による中国の統一以前の歴史は、一般には次のようにいわれている。
 すなわち、紀元前七七〇年頃から東周の時代が始まり、諸侯の一つであった大国の晋(しん)が紀元
前四〇三年頃に分裂したあと、戦国時代になった。そして紀元前五世紀に始まる戦国時代から、
斉(せい)・晋・楚(そ)などの覇王の戦いが激しくなっていった。そして、戦国諸国を統一したのが秦の始
皇帝である、と。
 しかし、このように教えられてきた中国の歴史がはたして真実だったのかどうか、日本の場
合と同様、考え直してみる必要がありそうだ。
 その好例として、中国の西安郊外に碑林(碑文の林)というところがある。その碑林に、漢
字の発明者といわれる蒼頡(そうきつ)という人物が残した碑文がある。
 漢字を発明したのがほんとうに中国人であるとしたら、この蒼頡碑文はとっくに中国の学者
が読み解いていていいはずだが、いまだに中国では謎の碑文として、未解読のままなのである。
 しかし、そこに書かれている文字は、101ページをご覧になればわかるとおり、日本に伝わっ
ている北海道異体文字(アイヌ文字)とそっくりである。また一部、トヨクニ文字に似ている
ものもある。そこで、この蒼頡碑文を、日本の北海道異体文字とトヨクニ文字の混用文として
読んでみるとどうだろう。

  死後に富むを得
  幸い 子々孫々まで
  満たしめよ
       いわ    ん
  とくれぐれ言はれけむこと
       つつしう
  たみたみ慎み思ふ

 ここには、古代の日本語として意味をなす、すばらしい文が刻まれているのである。そこで
疑問となるのは、なぜ古代の中国に日本の神代文字で書かれた碑文があるのか、ということだ。
これは大問題である。もしかしたら漢字の発明者と伝えられる蒼頡という人物は、中国人では
なく、古代の日本人ではなかったか。こんな途方もない想像さえ生まれてくる。
 
 
 中国・戦国時代の斉(せい)は出雲の国の事だった!?

 古代中国に日本人がいた!?しかもこの日本人は漢字の発明者らしい。
 私は不思議に思って、改めて日本神話と斉の国の神話を読み直してみることにした。
 するとどうだろう、これまで誰も考えつかなかったような、もっとすごいことがわかってき
たのである。
 それはプロローグにも記したが、日本神話と斉の国の記録のなかにみられる「国譲り」の話
が驚くほどよく似ていることだ。かいつまんで話すと、こうなる。
 斉の最後の王である王建は、秦の始皇帝に国譲りをしている。一方、出雲神話のなかにもオ
オクニヌシがニニギノミコトに国譲りをしたという話がある。
 そこに登場するオオクニヌシの祖父はサシクニヲホといい、母はサシクニワカヒメという。
この二人の名前を北海道異体文字で表わしてみると、105ページ図10のようにそれぞれ、「敫(きょう)」
「君王后(くんこうおう)」という字になる。
 もうお気づきだろう。斉の最後の王、王建の祖父と母は、オオクニヌシの租父および母と、
ピッタリ一致してしまうのだ。
 ということは、出雲神話のサシクニヲホとサシクニワカヒメが、それぞれ斉の国の?と君王
后という人物にすり替えられた、ということではないだろうか。
 そう思って、ほかにもいろいろ調べているうちに、それを裏づける証拠が次々と出てきた。
 まず、それぞれの国譲りをした場所と、そのあと移った場所について、さきほどのようにし
て調べてみると、これまたピッタリ一致することが判明した。すなわち、日本神話のイナサノ
ヲバマが斉の「荊」に、タギシノヲバマが「松柏」という字になるのである。
 このことは何を意味しているのだろうか。これは、中国大陸を舞台とした出雲のかつての真
実の歴史が、のちに漢字に書き改められ、中国の歴史にすり替えられてしまった、ということ
を意味していないか。
 さらに、この頃(戦国時代)の貨幣を調べてみると、戦国諸国が現在の中国大陸にあったな
ら、当然、それぞれ独自の貨幣をもっていたはずなのに、どれも斉の貨幣と同じものを使用し
ていたことが判明している。しかも奇妙なことに、その貨幣にはすべて、たとえば「アマフユ
キヌ」のように、当時の出雲の王の名が神代文字で刻まれているのだ。
 この事実からも、戦国時代の斉の正体は、日本神話でいままでその実在性が疑問視されてき
た出雲の国だったことがよくわかるのである。が、決定的なのは次の事実だ。
 出雲を神代文字で表わし、それを組み合わせてみると、なんと斉≠ニいう字になる。これ
をみれば、中国の歴史がすり替えられたことは一目瞭然である。どうやら中国においても、
『史記』以前の記録のすり替えが行なわれたことは間違いないようだ。
 いってしまえば、漢の武帝が紀元前一〇八年頃、司馬遷に書かせた『史記』とは、とんでも
ないクワセモノということになる。
 司馬遷は『史記』の執筆中、獄につながれていた。完成後には解放される約束であったにも
かかわらず、まもなく殺されてしまった。
 これはちょうど、『古事記』の編纂に携わった稗田阿礼が、やはり『古事記』完成後に殺さ
れたという事情とよく似ている。両者は偶然の一致とは思えない。日本の太古史と中国の古い
歴史を抹殺しようとした勢力が、それぞれの背後にあったことは間違いない。
 
 
 紀元前の中国史を書き換えた西から来た人≠ニは何か?

 私はその正体を追ってみた。その結果私が得た結論は、さきの『契丹古伝』に記されたとお
りだった。『契丹古伝』が語るところを引用してみよう。
 
   その昔、地球は大異変に見舞われ、恐るべき洪水が発生して、海と陸の形はすっかり変
   わってしまった。
   この異変で地軸が傾いた結果、大地は中国の北西部で縮んで盛り上がり(ヒマラヤの隆
   起)、南東部で引き裂かれて沈没した(フィリピン海溝の形成)……。
   尭・舜の時代に地球の全土は戦火に包まれ、禹(う)は洪水の後始末に追われた。
   ところが、このような戦争と異変の混乱に乗じて、人身牛首の神を祀るもの、蛇身人首
   の鬼を祀るものが、西から東へ次々とやって来て、我らの地に住みついた……。
 
 前述したように、『契丹古伝』はここで、紀元前の中国大陸のもともとの主人公は今の中国
人ではなかった、と述べている。現在では漢民族が最初から中国五干年の歴史の主人公であっ
たかのように説かれているが、それは事実ではないらしい。紀元前の中国の歴史は、西から来
た人々によって書き換えられてしまった、というのである。その先をもうすこしみてみよう。
 
   彼らはみずからを我ら東大古族の神の子孫と偽ったばかりでなく、伏犠(ふくぎ)や神農(しんの 
   う)、黄帝(こうてい)、
   少昊(しょうこう)なる人物を、我らの王の祖先に仕立てあげ、その系図に自分たちの祖先をつなげて、
   これら偽りの神と王に対する崇拝を我らに強制して、みずからを聖帝の子孫なりと誇らし
   げに語っている。
 
 ここに書いてあることは非常に重大である。私たち日本人と契丹人は東大古族≠ニいわれ
ていたが、西から侵入してきた人たちが、自分たちこそ東大古族の神の子孫であると偽り、系
図や歴史まで自分たちのものとしてでっちあげたというのである。さらに先がある。
 
   けれども彼らは、みずからの祖先と思っていた尭と舜が、彼らの思惑に反して、東大古
   族の王であったことをはたして知っているのだろうか。
   西から中国の地に移住して帰化した人々が、我らの王に仕えたのは、尭・舜のときでは
   なく、その後久しく續いた夏王朝の創始者たる禹のとき以来のことである。彼らは禹を、
   あたかも彼ら中国人の王であり、中国大陸だけを治めた王であったかのように記している
   が、これはとんでもない間違いだ。
 
 これらのことがもしも事実だとすると、これはゆゆしきことである。つまり、中国大陸のも
ともとの主人公は、いまの中国人の祖先ではなく、東大古族といわれていた日本人と契丹人の
共通の祖先だった、ということになるからだ。さらに『契丹古伝』はこう語る。
 
   『史記』に記された禹は、大洪水を生きのびてティルムンの楽園に住んだシュルッパクの
   王、ウトナピシュティムをさしている。彼の治めた地域は、息子のギルガメシュが活躍し
   たメソポタミアのウルクだけでなく、全世界に及んでいたのである。
   我ら東大古族の王である禹は、中国だけの王ではなく世界全体の王であったことが、西
   族の伝承によっても確かめられるのである。
 
 ここに「西族の伝承」と記されているのは、中国大陸に西から侵入したアッシリヤ人(漢
人)が今のイラクあたりに残した粘土板文書に登場するシュメール伝説をさしている。
 しかし私たちは、そのシュメール伝説のティルムンの王がはたして我々日本人とどんな関係
があるか調べてみなければ、ここに書いてあることをにわかに信じるわけにはいかない。
 私はさっそくアッシリヤの歴史を調べ、「西族」の宮殿跡から出土したといわれる粘土板文
書にあたってみた。すると……。
 
 
 
 
 
 
 
 
太古、日本の王は世界を治めた!―神代文字が明かす消された歴史の謎
高橋 良典 (著)
http://www.amazon.co.jp/太古、日本の王は世界を治めた-―神代文字が明かす消された歴史の謎-高橋-良典/dp/4198601550
 
 
内容(「BOOK」データベースより)

世界各地に遺る岩に刻まれた文字が何と日本語で読めた。
この神代文字の解読と神話の謎解きで、日本人のルーツは、世界最古の歴史を誇るティムルンの民、カラ族であり、
その王は世界を治めていた、と手ぎわよく明かす。

内容(「MARC」データベースより)

ロスチャイルド財閥が日本の神代文字に異常な関心を示しているのはなぜか。
「隠蔽された地球史」とは。世界中の碑文・幻の文字の謎を明かす鍵が日本の古代文字に。
太古日本の歴史の真実を読み解く。〈ソフトカバー〉*
 
 
目次

はじめに

 ロスチャイルド財閥が日本の神代文字に異常な関心を示している!?
 四国・劍山には世界の王のしるし≠ェ眠っている!?
 隠蔽された地球史≠ェ今、明らかにされる!
 
 
プロローグ “太古の秘密”を解き明かす―“地球探検”の旅へ

 「世界の富の半分を所有」するロスチャイルド家
 情報に錬金術を行使する一族の存在
 世界中の神話はお互いによく似ている
 太古の祕密を解き明かす鍵は神代文字だ!
 日本の神代文字で世界の未解読文字が読める
 伊勢神宮の不思議な文字≠ェ語りかける
 神宮文庫の謎の奉納文が読めた!
 さまざまな字体があった日本固有の古代文字
 奉納文はニセモノではない!
 神代文字は地球探検≠フマスターキーだ
 
 
第1章 “彼ら”が今、必死で探し求めているもの―古代のスーパー・テクノロジー“ヴィマナ”

 アンデスの黄金板碑文が投げかけるメッセージ
 ロスチャイルドの関心と神代文字が重なった
 太古日本・クル族の脅威の航空機ヴィマナ
 世界各地の伝承と遺物が証明するヴィマナの実在
 地球各地から月や火星に飛んだヴィマナ
 輝いていた太古日本カラ文明の数々
 原日本人・カラ「クル」族の保持した宇宙文明の証明
 ヒトラーやF・D・ルーズベルトも追い求めていたクルの宝
 
 
第2章 “漢字の呪縛”を解き放て―今、解かれる歴史の“闇の封印”

 『日本書紀』の「古き字」とは何か?
 古鏡に残された神代文字銘文を読む
 従来の解釈には問題≠ェありすぎる!
 何が書かれているのか? ― 新しい解読の真実性
 覆された「上古文字なし」の通説 ― 何が問われるべきか
 漢字の呪縛から離れよ ― 復権する古代日本
 心ある学者は既に古鏡銘文の見直しの必要を感じている
 イヅモ文字で読めた古鏡の銘文が表わす王
 古代文字文化圏との遭遇 ― 広がる日本$「界
 神代文字は「甲骨文字」成立の時点までさかのぼる!
 
 
第3章 古代日本は中国に占領された―漢字文化に抹殺された真実

 神代文字を抹殺した恐るべき黒い勢力≠ェある
 中国の日本占領GHQ≠ヘ大宰府に置かれていた
 日本解体≠目にした天武天皇の憤慨
 稗田阿礼は神代文字の通訳≠セった
 ヒエタノアレモコロサレキ ― 知りすぎた男の悲劇
 ベールに覆われた日本人の祖先の歴史
 闇の封印≠フ外にある『契丹古伝』の発見
 紀元前の日本史と世界史の虚構が暴かれる!
 「漢字の発明者・蒼頡(そうきつ)」の碑文がいまだに解けない漢字国・中国の謎
 中国・戦国時代の斉(せい)は出雲の国の事だった!?
 紀元前の中国史を書き換えた西から来た人≠ニは何か?
 
 
第4章 伝説の楽園“ティルムン”を求めて―インド“高天原”への道

 シュメール伝説の楽園「ティルムン」はどこにあるのか?
 インダス国家こそティルムンだった!
 インダス文明のベールをはがそう
 サーンチー文字が神代文字で読めた!
 暗号文書=w新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』からの出発
 日本人はデカン高原からやって来た!
 実在の歴史がアナグラム≠ノよって神話化されている
 暗号解読の五法則≠ナ身近になるインド
 
 
第5章 世界に雄飛した太古カラ族―インダス文明の建設者は日本人だった

 幻の蓬莱山(ほうらいさん)をめぐる「宮下文書(みやしたもんじょ)」の新視点
 『宮下文書』の「大原(おおはら)」はボーパールか?
 「高砂の不二山(たかさごのふじさん)」の正体が判明した!
 デカンの民族大移動を証明する
 面足命(おもだるのみこと)≠ヘハスティナープラの大王だった
 インドの天神族′ケ流の地を行く
 シュメール伝説のウトナピシュティムは日本神話の天御中主(あめのみなかぬし)だった!
 東冥(とうめい)→東表(とうひょう)→東大国(とうたいこく)に隠されていたティルムン=日本の証明
 インダス人が日本人の祖先だった事を示す祈りの言葉「生命永遠な在れ(いのちとわなあれ)」
 鍵を握るウジャインのカラ族が残した神代文字碑文
 バージャ石窟にはっきりと残されていた「カラ」の銘文
 今よみがえるインダス文明を担った古代日本のカラ族の歴史
 インド古代史と日本古代史がついに一致した!
 
 
第6章 太古日本の王は世界を治めた―実在した!幻の東大国ティルムンの王

 原日本人・カラ族の足跡を求めて
 太古日本の真相を明かす『契丹古伝』の三つの秘史
 古代アフリカ、アジア、アメリカ一帯を治めた神祖スサダミコ
 大王スサダミコとカラ族(日本人)の「五原」(五大陸)統治
 エクアドルでの縄文土器発見が意味するもの
 アフリカ古代碑文にも登場するスダス=i=スサダミコ)神代文字
 世界各地で確認され始めたスサダミコの足跡
 世界に向かって視野を広げたとき、古代日本人の真の姿が見えてくる
 紀元前の地球規模の大異変には世界大戦≠烽ゥかわっている!?
 古代の核戦争≠叙述する『マハーバーラタ』
 破滅的な戦争が古代世界で何度も起こった!?
 『山海経(せんがいきょう)』が明かす驚異の太古世界
 『淮南子(えなんじ)』に記された禹(う)の地下都市は実在した!
 世界全土を統治していた夏(か)王朝の禹(う)
 『東日外三郡誌(つがるそとさんぐんし)』が明かす真実の歴史 ― 夏王朝はアソベ王朝だった!
 太古日本のアソベ王朝とツボケ王朝は世界王朝だった!
 
 
エピローグ 太古日本は世界に広がっていた―二十一世紀“地球統一国家”の夢

 インドの「タミル」もティルムンに由来する
 縄文文明の見直しが始まった! ― 豊饒な古代世界の交流
 あなたの先祖はアフリカ系? ― 意外な渡来もあった太古日本の広がり
 世界各地の遺跡が示す原日本人・カラ族の高度な古代文明
 言語が示すイスラエルとのつながり ― 八阪氏のルーツ再び
 あなたの先祖はエトルリア人? ― カラ族はローマ帝国建国にかかわった!
 碑文でたどれるカラ族地球大移動≠フ足跡
 太古の宇宙船「サブハ」で世界を巡行した日本の王
 天神降臨(てんじんこうりん)≠ゥら始まる古代世界の驚異の歴史の実相
 アッシリアと戦った太古日本のティルムン王
 太古、日本の王は世界を治めた≠アとを忘れてはならない
 ティルムン世界王国の再建と五原の統治
 太古日本=ティルムン王の世界統治を裏づける神代文字碑文
 日本発、歴史上の大発見時代が始まった!
 
 
 
 

http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/848.html

コメント [原発・フッ素15] 行き場のない"核のゴミ"北海道幌延町の不安 妹之山商店街
02. 2011年8月12日 06:18:14: uDhmjPSe4A
再生エネルギー特別措置法案
再生エネルギー

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110812/stt11081200310000-n1.htm

民主、自公に大幅歩み寄り 3党が修正合意 再生エネルギー特別措置法案
2011.8.12 00:30
 民主、自民、公明の3党は11日夜、国会内で政調会長会談を開き、再生エネルギー特別措置法案の修正で正式合意した。菅直人首相の退陣条件である同法案を成立させ、早急に首相を退陣させたい民主党側が、自公両党案に大幅に歩み寄った形だ。

 修正案は(1)買い取り価格を第三者機関「調達価格等算定委員会」の意見を基に決定する(2)電力使用量が製造業平均の8倍以上の業種を対象に、国内産業空洞化防止のため電気料金値上げ分を8割以上減額する措置を講じる−ことなどが柱。

 負担軽減措置の財源には石油石炭税やエネルギー特別会計の活用を検討することも付則に明記した。電気料金の高騰を招かないよう、政府のエネルギー基本計画見直し時にとどまらず、少なくとも3年ごとに制度を見直し、平成33年3月末までに法律を抜本改正することも盛り込んだ。

 法案は24年7月1日施行だが、東日本大震災の被災地には9カ月間の猶予期間を設ける。

 さらに、3党政調会長会談では(1)国会同意人事となる算定委員会委員の人選を3党で速やかに行う(2)電力消費型産業の消費実態について調査を行い、具体的な負担軽減措置を早急にまとめる−ことで合意した。

 当初、法案は12日の衆院通過を目指したが、合意が遅れたため19日に衆院通過する見通しとなった。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/489.html#c2

記事 [Ψ空耳の丘Ψ59] この世をば我が世とぞ思ふ望月の 欠けたることもなしと思へば  唐に據る大和軍事占領の走狗 虎(唐)の衣を借る狐(藤原)
 
 
 
 
なにゆゑ大和に何の基盤も無かつた百濟王子豊璋(中臣鎌足)と云ふ
藤原勢力が絶對的な權力を掌握し得たのか。
其れは倭國(蝦夷[エミシ])勢力、畢竟、蘇我勢力の排除と云ふ
中大兄皇子(天智天皇)の利害の一致と、大和を軍事占領してゐた
「唐」と云ふ、壓倒的・絶對的な存在の後ろ盾
虎(唐)の衣を借る狐(藤原)、唐の大和占領政策の走狗として存在したがゆゑ。

ではなにゆゑ唐は其處までして大和を占領せねばならなかつたのか。
焚書坑儒を斷行し、蝦夷(エミシ)の、そして大和の
文字を、歴史を抹殺せねばならなかつたのか。
其れこそが、此の問題の核心の筈である。
 
 
 
 
    「天皇」を語るには、タブーがあるとされている。
     しかしその幻想の皮をはぎとれば、
     じっさいのタブーは「天皇」にあったのではなく、
    「天皇」を隠れ蓑にして私利私欲に走った権力者
    「藤原」にこそかけられていたのではあるまいか。
     天皇の正体を明かすということは、
     藤原の歴史を白日のもとに曝す作業にほかならないからである。
 
 
    藤原氏の歴史をそのまま素直に書き連ねれば、
    それだけで、藤原に対する辛らつな批判になってしまうのだ。
    史学界がいまだに、藤原氏の肩をもつことこそ、
    奇怪でならないのである。
    考えれば考えるほど、藤原とは不思議な一族である。
    藤原氏の繁栄と日本人の幸福は、相容れない。
    それはなぜかといえば、藤原氏が他氏との共存を拒んだからだ。
    それにもかかわらず、彼らは千数百年の間日本に君臨し、
    今でも門閥の頂点に立ち、
    隠然たる力を維持しつづけているのである。
    この生命力は、いったいどこから来たのだろう。
    そして、「藤原の呪縛」から、
    いつわれわれは解き放たれるのであろうか。
 
 
    此れこそが藤原僞史ネツトワークの就せる業
 
 
 
 
 
 
 
 
はじめに

 七世紀、逆臣蘇我入鹿諜殺で活躍した藤原(中臣)鎌足の登場以来、藤原一族は、
日本の頂点に君臨しつづけた。極論すれば、日本の歴史は、藤原氏の歴史そのものな
のである。
 平安時代、藤原道長は、

 この世をば我が世とぞ思ふ望月の 欠けたることもなしと思へば

 という、傲慢きわまりない歌を残した。
 傲慢だが事実である。朝堂は藤原一党に牛耳られ、他の氏族は藤原氏のご機嫌をう
かがい、平伏するほか手はなくなっていたのである。
 藤原摂関家は日本各地の土地を貪欲にもぎ取り、
「他人が錐を突き立てる隙もないほどの領土をひとりじめしている」
 と批難されるほどであった。
 藤原氏が日本中の土地を占有したという話は、やや誇張が込められていたようだが、
天皇家の外戚となることによって、揺るぎない権力を手に入れたことは事実だ。気に
入らない天皇を自由に退位させられるほどの力である。
 この時代、日本は藤原氏の私物と化したといっても過言ではなく、その後も、この
一族はしぶとく生き残っていく。
 中世にいたり、貴族社会が没落した後も、藤原氏は巧妙に武家社会に血脈を拡げ、
時の権力者を陰で操る、という七世紀来の繁栄の手管を保ちつづけるのである。
 近世の貧窮はあったものの、近代にいたり、明治維新と共に、不死鳥のように蘇る。
 藤原氏は天皇にもっとも近い一族だったから、華族の筆頭に持ち上げられ、以後、
新たな門閥、閨閥を再構築し、エスタブリッシュメントとして、日本社会に隠然たる
影響力を及ぼしつづけている。恐るべきことに、藤原の血脈は、政界、官界、経済界、
学界と、現代日本の中枢の隅々にまで張り巡らされているのである。
 例えば、田中角栄元首相が今太閤と呼ばれ、また庶民宰相とも呼ばれたのは、日本
を実質的に支配する門閥の外から権力の中枢に登りつめたからにほかならず、だから
こそロッキード事件で、エスタブリッシュメントにはめられ排斥されたという話が、
まことしやかに語られるわけである。
 このように、日本の歴史を語り、現代社会の実相を知るために、「藤原」は避けて
通れない。だが、これまで「藤原」について、日本人はあまりに無知であり、無関心
でありすぎたように思う。
 なぜ「藤原」は忘れ去られていたのであろうか。一つ穿った考えを許されるなら、
それは「藤原と天皇家が近すぎた」からではあるまいか。
「天皇」を語るには、タブーがあるとされている。しかしその幻想の皮をはぎとれば、
じっさいのタブーは「天皇」にあったのではなく、「天皇」を隠れ蓑にして私利私欲
に走った権力者「藤原」にこそかけられていたのではあるまいか。天皇の正体を明か
すということは、藤原の歴史を白日のもとに曝す作業にほかならないからである。
 本書は、日本を支配する「権力の一族」藤原氏の実像を、古代史に遡って読み解こ
うとするものである。
 なぜ藤原氏は、尋常ならざる権力欲を千年に渡って持続できたのか、そして、権力
を手放さなかったのか……。その理由は、この一族の成り立ちの中に隠されているは
ずである。
 
 
 
 
おわりに

『日本書紀』に中臣鎌足が登場する直前のこと、気になる記事がのこされている。
 百済王豊璋が、三輸山で蜜蜂を飼おうとしたが失敗した、という話である。
 天香具山同様、三輪山は神聖な山であり、人が入ることはできなかったはずである。
その三輪山で豊璋が蜜蜂を放ったというこの記事は、いったい何を意味しているのだ
ろう。そして、その直後の中臣鎌足神抵伯任命記事である。二つの記事に、何か関係
があるのだろうか。
 推理をたくましくすれば、百済王豊璋が何かしらの「出雲の神の山」への冒涜をお
こない、それが「蜜蜂」で暗示されていた、ということであろうか。あるいは、百済
救援に見向きもしない飛鳥の政権に対し、百済王豊璋が不穏な動きを見せた、という
ことであろうか。
 ところで、百済王の「蜜蜂」は、もう一つの意味で、暗示的である。
 昆虫の蜜蜂をめぐって、こんな話がある。
 日本在来種の蜜蜂の群の中に西洋蜜蜂を放っても、両者は共存するが、西洋蜜蜂の
群の中に日本蜜蜂を放つと、西洋蜜蜂は日本蜜蜂を徹底的に叩きのめし、全滅させて
しまう、というのだ。したがって現在では、養蜂家のほとんどが西洋蜜蜂を飼い、蜜
を集めているのである。
 また、蜜蜂は湿度に弱く、一定の極点に達すると巣の中の幼虫が死滅してしまう。
そのため働き蜂が巣の中に風を送り込むが、そのとき西洋蜜蜂は頭を外に出すのに対
して、日本蜜蜂は尻をだして無防傭なのだという。
 なぜこのような差ができてしまったかというと、日本には花が多いが、かたやヨー
ロッパには花が少なく、共存共栄がはかりにくいからだ。しかも、日本の夏は長いの
に対し、ヨーロッパは短くまた天敵も多い。そして、西欧人の「より強い蜂(天敵)
を使い、邪魔な蜂を駆逐する」という発想が、現在の西洋蜜蜂を育て上げたといわれ
ている(会田雄次『日本人の意識構造』 講談社)。
 ようするに、外敵の少ない日本の蜜蜂はお人好しなのである。そして、このような
日本蜜蜂の習性は日本人そのものの属性とも通じている。いや、日本人のお人好しが、
日本蜜蜂の属性を形づくったといった方が正確なのである。
 このような日本人の習性の根は深く、すでに縄文時代に形成され、弥生時代の渡来
人受け入れに繋がっていったはずである。
 では、なぜこのような特殊な民族が生まれたのかといえば、それはなんといっても、
日本が東海の孤島だったからであろう。常に隣人と接触し、喧嘩をしてきた民族から
すれば、日本列島人の「お人好し」は、噴飯ものであったかもしれない。日本人が
「多神教」というおだやかな宗教観を保ちつづけてこられたのも、「海」という防波堤
があったからにほかなるまい。
 そして、日本蜜蜂と西洋蜜蜂の話は、七世紀の飛鳥の都で新たな国家建設を目論ん
でいたヤマトの豪族と、その隙をついて権力を独占しようとした藤原氏の姿に重なっ
てくる。
 藤原氏が千年王国を築き得たのは、藤原不比等の手腕によるところが大きいが、そ
のいっぽうで、律令制度の導入期の混乱が不比等に味方したこと、そして、ヤマトの
豪族層の「日本蜜蜂」的な属性が、「西洋蜜蜂」的な藤原氏にとって、格好の餌食と
なったことが大きな要因であろう。
 なお、今回の文庫化にあたっては、新潮社常務取締役松田宏氏、新潮文庫編集部の
青木大輔氏、同内田諭氏、潟Aイブックコミュニケーションズ代表取締役の的場康樹
氏、歴史作家の梅澤恵美子氏のみなさまにお世暗になりました。改めてお礼申し上げ
ます。

                                            合掌
 
 
 
 
文庫版あとがき

「藤原に何か恨みでもあるのか」
 と、聞かれることがある。
 友人に藤原君がいるわけでもないし、藤原さんにいじめられた覚えもない。学校で
習った通り、子供のころから、中臣鎌足こそが大化改新の立役者であり、天皇家中
興の英雄と信じて疑わなかった。
 千数百年の間、上流階級でありつづけてきたことに対するやっかみがあるわけでも
ない。
 ところが、仏像に魅了され奈良に通い始めるようになって、
「本当に、藤原氏は、人々の期待を一身に背負った英雄だったのだろうか」
 という疑念が頭から離れなくなってしまったのである。
 そう考えた理由は、いくつもある。
 奈良ホテルから元興寺(がんごうじ)にかけての一帯は、「平城(なら)の飛鳥」と呼ばれていた。平城京
の人々は、この地に飛鳥の面影を探し出していたようなのだ。元興寺は飛鳥の法興寺
(ほうこうじ)(飛鳥寺)を移築したもので、法興寺は飛鳥のシンボルであった。
 現代人も、なぜか「あすか」言葉の響きに、懐かしさを感じてしまうのである。
 天智天皇の御子(みこ)・志貴皇子(しきのみこ)も、飛鳥には深い思い入れがあったようだ。『万葉集』
に、次の一首がある(巻一―五一)。

 うねめ
 采女の袖吹きかへす明日香風都遠みいたづらに吹く

 飛鳥から藤原京への遷都のあとに作られたもので、「明日香風(飛鳥に吹く風)」が、
今は何の甲斐もなく、いたづらに吹いているという。飛鳥は藤原京からみて、すぐ目
と鼻の先にもかかわらず、志貴皇子は飛鳥の里に、深い郷愁の念を抱いていたのであ
る。
 志貴皇子に限らず、古代人は飛鳥に、「古き良き時代」を感じとっていたようなの
だ。大伴坂上郎女(おおともさかかみのいらつめ)の歌に、つぎのようなものがある(「万葉集』巻六―九九二)。

                あをに  なら 
 ふるさとの 飛鳥はあれど 青丹よし 平城のあすかを みらくしよしも

 ふる里の飛鳥も懐かしいが、平城の飛鳥もまたすばらしい、というのである。
 なぜ人々は、「飛鳥」が忘れられなかったのだろう。「飛鳥」は「蘇我氏全盛時代の
都」なのであって、教科書で習ったように、蘇我氏が大悪人で、飛鳥時代が蘇我専横
の暗黒時代だったのならば、これは不自然ではなかろうか。
 明日香村の飛鳥寺と甘樫丘(あまかしのおか)の間に、入鹿の首塚があって、いくたびか通っている内
に、はっとした。
「そういえば、首塚に手向けられる花が、絶えたことがない」
 と気づいたのである。ちょっと不意を突かれた思いだった。
 橿原市小綱(かしはらししょうこ)の入鹿神社でも、似たような驚きを感じた。そこかしこの路傍に、無数
の石柱が立てられ、「蘇我入鹿公御旧跡」と刻まれていたからだ。「公」も「御旧跡」
も、極悪人に対して用いる言葉ではない。だからこの石柱は、戦時中「不謹慎」とい
うことで、すべて取り払われてしまったという。それでも今、入鹿神社の周辺で件の
石柱がみられるのは、戦後、この地区の人々が、もとに戻したためである。
 このような例をみているうちに、「なにかが違う」と、思い始めた。われわれの知
らない歴史が、奈良の地に埋もれているのではないかと、思えてならなくなった。そ
して、教科書に書いてあったことは、まちがっているのではないか、と疑い始めたの
である。
 こうして、『日本書紀』を読み直す旅は始まった。そして、蘇我の謎を追っていく
うちに、教科書では教えてもらえなかった藤原氏の裏の顔が見えてきたのである。
 筆者は、藤原氏が嫌いなわけではない。だが、藤原氏の歴史をそのまま素直に書き
連ねれば、それだけで、藤原に対する辛らつな批判になってしまうのだ。史学界がい
まだに、藤原氏の肩をもつことこそ、奇怪でならないのである。
 考えれば考えるほど、藤原とは不思議な一族である。藤原氏の繁栄と日本人の幸福
は、相容れない。それはなぜかといえば、藤原氏が他氏との共存を拒んだからだ。そ
れにもかかわらず、彼らは千数百年の間日本に君臨し、今でも門閥の頂点に立ち、隠
然たる力を維持しつづけているのである。
 この生命力は、いったいどこから来たのだろう。
 そして、「藤原の呪縛」から、いつわれわれは解き放たれるのであろうか。

   二〇〇八年九月
                                           関 裕二
 
 
 
 
 
 
 
 
藤原氏の正体 (新潮文庫)
関 裕二 (著)
http://www.amazon.co.jp/藤原氏の正体-新潮文庫-関-裕二/dp/4101364710
 
 
内容(「BOOK」データベースより)

大化改新の英雄・鎌足以降、常に日本の中枢に居座り続けた藤原氏。しかし、その出自は謎に包まれ、未だ古代史の闇として秘され続けている。正史に輝く華々しい業績を持つ一方で、一族繁栄のためには政敵を葬ることも厭わないという負の横顔を持つ彼らは一体何者だったのか?著者独自の研究から、ついに明らかになったその素顔―。富と権力に驕れる一族の正体を暴く渾身の論考。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

関 裕二
歴史作家。千葉県柏市生れ。仏教美術に魅了され奈良に通いつめ、独学で古代史を学ぶ。1991(平成3)年に『聖徳太子は蘇我入鹿である』でデビュー。以後精力的に執筆活動を続けている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
 
 
第一章 「積善の藤家」の謎

大化改新は本当に正義の改革だったのか
目に余った蘇我氏の専横
中臣鎌足と中大兄皇子の劇的な出会い
入鹿暗殺の顛末
腑に落ちない『日本書紀』の分注
崩れ去る常識
不審火に包まれる中大兄皇子の宮
非難されていた中大兄皇子
中臣鎌足を襲った祟り
斉明天皇につきまとう鬼
積善の藤家の謎
正史の落雷記事と「積善の藤家」の因果
崇りにおびえる藤原氏
「滅罪」こそが藤原氏の「善行」だった?
現代日本の閨閥を牛耳る藤原氏
昭和天皇の前で足を組んだ近衞文麿
多くの皇族を殺害した藤原氏
宿主の養分を吸い取る植物「藤(原)」
藤原という突然変異はどこから来たのか
 
 
第二章 謎に包まれた藤原氏の出自

出自のはっきりしない藤原氏
神話で大活躍する中臣氏の祖神
歴史時代の中臣氏のさえない活躍
唐突に歴史に姿を現す中臣鎌足
なぜ『日本書紀』は藤原氏の過去を描かなかったのか
天武天皇と藤原氏の間に横たわるわだかまり
中臣鎌足は常陸国鹿嶋からやってきたという説
武甕槌神・経津主神の謎
中臣氏の祖神は東国から勧請された?
中臣氏が成り上がりだったという梅原説
枚岡神社と春日大社の奇妙な関係
ヤマトの中臣氏が物部氏の没落によって東国に進出したとする説
鎌足の出自を解明するには、第三の仮説が必要
『古語拾遺』の訴え
なぜ中臣氏は神道の伝統を無視したのか
なぜ中臣氏は神道と関わっていたのか
物部氏の正体
ヤマト建国に活躍した諸地域
不比等が神話に葬った出雲は実在した
物部氏は吉備からやってきた?
零落した物部氏の神を横取りした中臣氏
藤原不比等が黒作懸侃刀を持ち出したわけ
 
 
第三章 律令制度で日本のすべてを私物化した藤原氏

日本の律令を整備したのは藤原氏だった
部民制と屯倉制
聖徳太子が先鞭を付けた律令制度
蘇我氏は律令潰しに走っていない?
大化改新の裏側
乙巳の変の原因は外交問題だった?
百済王豊璋と中臣鎌足の接点
白村江の戦いで姿をくらました中臣鎌足
『大織冠伝』の不思議な記述
中臣鎌足が豊璋であった証拠
百済王の中臣鎌足への贈り物
藤原千年の基礎を築いた藤原不比等
改革事業を漬しにかかった中臣鎌足
蘇我が作った律令
壬申の乱で豪族は没落していない?
天武天皇の目論見
なぜ天智の娘が天武朝で即位できたのか
天香具山の歌に秘められた暗示
神話に隠された持統の姿
天智系王家の復活
持統即位のきな臭い背景
高市と持統の蜜月
藤原が律令を制した意味
 
 
第四章 崇りにおびえる藤原氏

律令を悪用した藤原氏
藤原氏は独裁政治をめざしていなかった?
藤原氏を糾弾する『竹取物語』
藤原のための天皇に同情したかぐや姫
藤原に滅ぼされた長屋王
藤原の子聖武天皇の豹変
藤原に殺された安積親王
暴虐な藤原仲麻呂のふるまい
皇帝になった藤原仲麻呂
天皇家滅亡の危機を招いた藤原仲麻呂
静かな王朝交替
藤原に殺された井上内親王
ヤマトの崇りから逃れた桓武天皇
呪われた平安京
崇りによって藤原は馬脚を現した?
律令の理念の一角を崩した崇りの威力
平安王朝が空海や安倍晴明を求めたわけ
 
 
第五章 藤原氏と日本の官僚の根源

平安という暗黒時代
四家に分かれた藤原氏
藤原不比等の身勝手な法解釈
貴族になった藤原氏
自家以外の繁栄を拒んだ藤原氏
招婿婚と外戚の意味
藤原が仕組んだ政変
はめられた菅原道真
藤原摂関政治の本質
鎌足の墓をあばくのは不敬?
藤原氏はなぜ、歴史書を好んで編纂したのか
日本史の本当のタブーは藤原氏を語ること
 
 
 
 

http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/849.html

コメント [お知らせ・管理20] 削除報告。規定違反かも?報告もこちら 8/3- 管理人さん
43. 2011年8月12日 06:19:55: 3Sz5bSNGFo
**** ダイナモ・・Gikou89・・sci ****

これって日経筋の・・・同一人物じゃないの?
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/206.html#c43

コメント [原発・フッ素15] 行き場のない"核のゴミ"北海道幌延町の不安 妹之山商店街
03. 2011年8月12日 06:21:08: uDhmjPSe4A
上から中国新聞、産經新聞、時事通信

再生エネルギー特別処置法案
再生エネルギー
脱原発

http://www.jiji.com/jc/c?g=eco_30&k=2011081100822

企業、被災地の電気料軽減=再生エネ法案で修正合意−民自公
 民主、自民、公明の3党の政調会長は11日、国会内で会談し、再生エネルギー特別措置法案の修正で正式合意した。これを受け、12日の衆院経済産業委員会で菅直人首相出席の下、締めくくり質疑を行う予定。修正内容では、自公両党の要求に沿い、電力を多く消費する企業や、東日本大震災の被災地を対象とした電気料金の負担軽減措置の導入、買い取り価格を決める第三者機関設置が決まった。
 法案は、菅首相が掲げた退陣条件を最後に満たす形で26日までに成立する見通し。3党の政調会長は「速やかに成立させる」ことで合意したが、12日を目指していた衆院本会議通過は来週以降に持ち越した。
 法案は、太陽光や風力などで発電した電気の全量買い取りを電力会社に義務付けるもので、住宅用の太陽光発電からは、これまで通り自家消費せずに残った余剰分を買い取る仕組みを続ける。
 買い取り費用は、家庭や企業の電気料金に上乗せされ、電気代の値上げにつながるため、自公両党は産業界への料金転嫁額の圧縮や買い取り価格の透明な決定を要求していた。(2011/08/11-23:11)
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/489.html#c3

コメント [自然災害17] 8月12日に注意!コテ造&ママゴンさんのメッセージ yamori
105. 2011年8月12日 06:21:23: nFR4rlKKAg
平成23年08月12日04時42分 気象庁発表
12日04時37分頃地震がありました。
震源地は遠州灘 ( 北緯34.4度、東経138.2度)で震源の
深さは約10km、地震の規模(マグニチュード)は5.2と推定されます。
各地の震度は次の通りです。
なお、*印は気象庁以外の震度観測点についての情報です。

最大震度2 静岡県
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/496.html#c105

記事 [Ψ空耳の丘Ψ59] 我れ蘇れり 平成(一八十「イワト」成る)の世に  根の國に追ひやられし鬼、素盞鳴尊として 出雲に國を戻す時は來た
 
 
 
 
    磐戸しめの始めはナギ(伊邪那岐命)ナミ(伊邪那美命)の命の時であるぞ、
    ナミのbが火のbを生んで黄泉國に入られたのが、そもそもであるぞ、
    十の卵を八つ生んで二つ殘して行かれたのであるぞ、
    十二の卵を十生んだことにもなるのであるぞ、
    五つの卵を四つ生んだとも言へるのであるぞ、
    總てb界のこと、靈界のことは、現界から見れば妙なことであるなれど、
    それでちやんと道にはまつてゐるのであるぞ。
    一ヒネリしてあるのぢや、
    天と地との間に大きレンズがあると思へば段々に判りてくるぞ。
    夫b、妻b、別れ別れになつたから、
    一方的となつたから、磐戸がしめられたのである道理、判るであらうがな。
    その後、獨りbとなられた夫bが三bをはじめ、
    色々なものをお生みになつたのであるが、
    それが一方的であることは申す迄もないことであらう、
    妻bも同樣、黄泉大bとなられて、黄泉國の總てを生み育て給ふたのであるぞ、
    この夫婦bが、時めぐり來て、
    千引の磐戸をひらかれて相抱き給ふ時節來たのであるぞ、
    うれしうれしの時代となつて來たのであるぞ。
    同じ名のbが到るところに現はれて來るのざぞ、
    名は同じでも、はたらきは逆なのであるぞ、
    この二つがそろうて、三つとなるのぞ、
    三が道ぞと知らせてあらうがな。
    時來たりなば この千引の磐戸を倶にひらかんと申してあらうがな。

    次の磐戸しめは天照大bの時ぞ、
    大bはまだ磐戸の中にましますのぞ、
    ダマシタ磐戸からはダマシタbがお出ましぞと知らせてあらう。
    いよいよとなつてマコトの天照大b、天照皇大b、日の大b、
    揃ふてお出まし近うなつて來たぞ。

    次の磐戸しめは素盞鳴命に總ての罪をきせてネの國に追ひやつた時であるぞ、
    素盞鳴命は天下(あめがした)を治しめす御役(おんやく)のbであるぞ。
    天ヶ下(あめがした)は重きもののつもりて固まりたものであるからツミと見へるのであつて、
    よろづの天のb々が積もる(と言ふ)ツミ(積)をよく理解せずして罪bと誤つて了つたので、
    これが正しく磐戸しめであつたぞ、
    命(みこと)をアラブルbなりと申して傳へてゐるなれど、
    アラブルbとは粗暴なbではないぞ、
    あばれ廻り、こわし廻るbではないぞ、アラフル(現生る)bであるぞ、
    天ヶ下、大國土を守り育て給ふbであるぞ、取違ひしてゐて申しわけあるまいがな。
    このことよく理解出來ねば、今度の大峠は越せんぞ。
    絶對の御力を發揮し給ふ、ナギ、ナミ兩bが、
    天ヶ下を治らす御役目を命じられてお生みなされた尊き御bであるぞ。
    素盞鳴の命にも二通りあるぞ、
    一bで生み給へる御bと、
    夫婦呼吸を合せて生み給へる御bと二通りあるぞ、
    間違へてはならんことぞ。

    b武天皇の磐戸しめは、
    御自ら人皇を名乘り給ふより他に道なき迄の御働きをなされたからであるぞ。
    bの世から人の世への移り變りの事柄を、
    一應、磐戸にかくしてbヤマトイハレ彦命として、
    人皇として立たれたのであるから、
    大きな磐戸しめの一つであるぞ。

    佛教の渡來までは、わずかながらもマコトのb道の光がさしてゐたのであるなれど、
    佛教と共に佛魔わたり來て完全に磐戸がしめられて、
    クラヤミの世となつたのであるぞ、
    その後はもう亂れほうだい、やりほうだいの世となつたのであるぞ、

    これが五度目の大き磐戸しめであるぞ。

                          日月b示 五十默示祿 碧玉の卷 第十帖
 
 
 
 
 
 
 
 
蘇我入鹿慘殺からb國日本は百濟に乘つ取られてゐた  藤原五攝家とは百濟亡命王族だつたのだ
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/347.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 2 月 19 日 02:15:38: yX4.ILg8Nhnko
 
 
 
 
 
 
 
 
『日本書紀』は天皇家や藤原氏の正当性・正統性を証明するための歴史書なのであっ
て、豪族の主張を通すための歴史書ではない。まして、七世紀に中臣鎌足によって滅
ぼされた蘇我本宗家が「正統ならざる系譜」を持っていたとすれば、当然『日本書
紀』は鬼の首を取ったように、それを高く掲げたに違いないのだ。
『日本書紀』がそれをせず、あえて大豪族の中で蘇我氏だけ、その祖の姿を消してし
まったのは、蘇我氏が公言できぬほど正統な一族であったからであろう。その系譜が
後世に伝わってしまったら、中臣鎌足のみならず、藤原氏の「傷」になりかねないほ
ど正統な家系だったからではあるまいか。
 
 
鬼の代名詞になった元興寺

 蘇我が「正統な一族」であったことは、意外なところから明らかとなってくる。そ
れは、蘇我がどういう理由からか、「鬼」とつながってくることである。
 そもそも太古の日本では「鬼」と「神」が同意語だった。多神教の「神」には二面
性があって、恵みをもたらすいっぽうで、災難や災害をもたらすもので、これは人智
のおよばない「大自然」そのものといっていい。これが「神」の本質であり、「神」
は基本的に恐ろしい存在なのである。
 したがって、かつては「神」と「鬼」ははっきりと峻別されていなかったし、どち
らも畏敬されるべき存在だった。ところが、『日本書紀』が編纂され、「鬼」が忌むべ
きものと位置づけられて以降、「神」と「鬼」の差別が始まった。
 中世に至ると、被差別民の中には自ら「鬼の末裔」を名乗り出る者が出現した。そ
れは、「神=鬼」という二面性が本来の姿であり、零落した「神」が「鬼」と呼ばれ
るようになったという歴史背景が隠されていたからなのである。
 そして、突飛なことをいうようだが、誰も彼もが「鬼」扱いしてもらえたわけでは
ない。「鬼」の烙印を押された者たちには、相応の「資格」がなくてはならなかった
はずだ。それは、「神」に近い氏族であったことであり、だからこそ零落して「鬼」
になったということになる。
 すなわち、「鬼」との接点を持っていた蘇我氏は、「神」に近い一族であった疑いが
強いのである。この一点は非常に大きな意味を持っている。
 つまり、蘇我氏の出自を探る上で、これまで見過ごされてきたのは、「なぜ蘇我氏
は鬼とつながっていたのか」ということなのである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 多神教世界においては、神も鬼も同意語なのであって、鬼を退治する神は、鬼のよ
うに恐ろしい力を持っていなければならない。すなわち鬼のようにものすごい力を持
った神とは、ようするに鬼なのである。
 元興寺が鎮守社に御霊社を選んだのは、その祭神が人びとを苦しめる疫病をもたら
すとしても、逆に言えば、それだけの強い力を持った「鬼」なのであり、これを丁重
に祀りあげ、「味方」にしてしまえば、この地を守る強力な神に変身する、というこ
となのである。
 もっとも、だからといって誰もが好きこのんで崇り神を身近におきたがるわけでは
ない。とくに、「祟られる」と恐怖を感じている程、できるだけ遠ざけておいて祀
りたいというのが人情というものであろう。それにもかかわらず、なぜ元興寺はあえ
て強力な崇り神を選んだのだろう。
 それは、元興寺が井上内親王たちを追いつめた側ではなく、反対側の位置にいたか
らではなかったか。すなわち、崇り神とはいっても、元興寺は、井上内親王に対しや
ましい気持ちを持っていない。恨まれる筋合いはないばかりか、かえって「反藤原」
という共通点を持っているのである。
 ところで、言い忘れていたが、本来同一であった「神」と「鬼」だが、ある時期を
境に、両者の間に明確なラインが引かれていく。「鬼」には「悪」のイメージが付け
られ、「神」に対峙するかのような図式が成立していったのである。
 これがいつなのかというと、はっきりとした形で残っているのは、西暦七二〇年に
編纂された『日本書紀』であった。そして、平安時代にいたると、それまで「モノ」
と呼ばれていた「鬼」は、「オニ」と呼ばれ、完璧に悪者扱いされ、零落していくの
である。
 では、なぜ八世紀に神と鬼が分離されたのかと言えば、その理由はすでに触れたが、
もう少し説明を加えておこう。
 つまりこういうことだ。ヤマトの神道祭祀の中心的存在であった物部氏らが、藤原
氏の台頭で衰弱させられ、藤原氏が「神道」そのものを乗っ取り、さらに神話を創作
することで、物部氏らの「大きさ」を抹殺してしまったということなのである。
 そして、神にもっとも近く正統な氏族である物部氏らに、「モノ=鬼=邪」の烙印
を押すことで、藤原氏自身の正当性を捏造したのだ。
 すなわち、中臣神道を創作した藤原氏が、神と鬼を峻別し、「聖」と「邪」に区別
してしまったのである。
 
 
 
 
 
 
 
 
法隆寺救世観音に打ち込まれた楔

 法隆寺の鬼と聞けば、梅原猛氏の「法隆寺怨霊封じ込め説」を思い浮かべられる
方も多いだろう。上宮王家滅亡事件の主犯は蘇我入鹿だが、じっさいには中臣鎌足が
黒幕だったという推理で、蘇我氏の内部分裂を利用して、上宮王家を滅亡に追い込み、
さらには、蘇我氏を衰弱させることに成功したとする。そして、聖徳太子の一族の崇
りを恐れた中臣鎌足の末裔・藤原氏は、法隆寺に聖徳太子一族の怨霊を封じ込めたと
考えたのである。
 一世を風靡したこの斬新なアイディアを無視することはできない。たとえば、梅原
氏が指摘するように、法隆寺東院伽藍(夢殿)の救世観音の光背は、直接仏像の後頭
部に打ち付けられている。さらに救世観音は、まるでミイラのような姿で眠らされて
いた。五百フィートの布でぐるぐる巻きにされたまま、秘仏として門外不出とされて
きたのである。
 明治時代、フェノロサと岡倉天心が法隆寺を訪れ、救世観音を閉じこめた厨子の扉
を開こうとしたとき、寺僧たちは大災害に見舞われるという言い伝えを信じていたか
ら、恐怖に戦(おのの)いたのだという。
 救世観音は、たんなる仏像ではない。聖徳太子等身像といわれている代物だ。よう
するに、聖徳太子そのものが厨子の中に眠っていたわけである。そして、眠りから覚
められては困る何かが法隆寺にはあった、ということになる。
 このような伝承が残っていた事自体怪奇であり、オカルトじみていると考えるの
が当然であろう。そして、梅原氏の指摘するように、何かしらの歴史の「秘密」と
「裏」があったと考えられる。だが通説は、こういう発想を笑殺するだけだ。
 もっとも、梅原氏が述べるように、上宮王家滅亡事件の黒幕が中臣鎌足だったから
藤原氏が聖徳太子を恐れたかというと、この考えには無理がある。もしこの図式通り
なら、藤原氏がまず恐れたのは聖徳太子ではなく、山背大兄王(やましろのおおえのみこ)の崇りであるはずなの
に、山背大兄王とその一族はいまだに墓域も定かではなく、法隆寺における影も異常
なほど薄い。
 これまで述べてきたように、山背大兄王は『日本書紀』の仕掛けたカラクリの歯車
のひとつなのであって、一度この偶像を度外視して法隆寺を考えてみる必要があるだ
ろう。「山背大兄王」という要因がなければ、梅原説は成り立たなくなる。しかしい
っぽうで、法隆寺は「崇る何者か」を祀っていることは間違いないからだ。
 いったい、法隆寺では何が祀られているのか。この謎をどのように解き明かせばい
いのだろう。
 
 
法隆寺を席巻する鬼

 ここで問題にしたいのは、法隆寺が「鬼」であふれている、ということである。
 なにしろ、法隆寺と言えば、日本の仏教美術の粋を集めた場所として知られるが、
仏像にはひとつの特徴があって、どうした理由からか、童顔童身のお姿が多いのであ
る。
 たとえば、聖霊院(しょうりょういん)の内陣(ないじん)には、本尊聖徳太子像を中心に、麻呂子王像、恵慈法師像、
山背大兄王像、殖栗王(えぐりのみこ)像などが祀られるが、聖徳太子像を除いて、すべてが童顔童身
である。山背大兄王らは聖徳太子の子どもだから童顔としても、聖徳太子の仏教の師
にあたる恵慈法師まで子ども扱いされているのは、いかなる理由によるのか。
 さらに、仏像の脇役で普段目につかない天蓋の木彫も、やはり童子であふれている。
「原色日本の美術 2 法隆寺」(小学館)の解説には、

  天蓋についている天人の像はかわいらしい童顔である。

 としてなんの疑問も寄せていないが、「かわいらしい童顔」は、食わせ者である。
なにしろその正体は、「鬼」なのだから……。
 
 
 
 
 
 
 
 
出雲神スサノオと蘇我のつながり

 蘇我と鬼は、ほかの場所でもつながっている。それが出雲神・スサノオとの関係だ。
 スサノオは高天原で天つ神の敵となった。だからスサノオの末裔の出雲神たちの多
くは、『日本書紀』の中で鬼扱いされている。ようするに、スサノオが鬼の親分なの
である。
 そのスサノオと蘇我が、意外な場所で接点を持ってくる。それが、第一章で登場し
た入鹿神社である。
 すでに触れたように、入鹿神社の祭神は、蘇我入鹿ともう一柱、出雲神・スサノオ
(素戔嗚尊[すさのおのみこと]、須佐之男[すさのお])がいる。
 蘇我入鹿と出雲神スサノオの間に脈絡はない。それなのに、なぜ入鹿神社ではスサ
ノオと入鹿を並べて祀っているのだろう。
 もっと謎めくのが、出雲神のふるさと、出雲大社だ。
 スサノオは出雲建国の祖神なのだが、不思議なことに、出雲大社の主祭神は大己貴
命(おおなむちのみこと)(=大国主命[おおくにぬしのみこと])で、スサノオではない。スサノオは、大己貴命を祀る本殿真裏の
摂社に祀られている。
 問題は、このスサノオを祀る社の名で、「素鵞社(そがのやしろ)」という。素鵞と書いて、「ソガ」
と読むところがミソで、ここでもスサノオと「ソガ」がつながってくる。
 入鹿神社と出雲大社でつながった「スサノオ」と「ソガ」。二つの接点だけでは、
「偶然にすぎない」と笑殺されるだけだろう。しかし出雲と蘇我は、あらゆる場所で
つながってくる。そして蘇我のみならず「出雲」も、「鬼」と深いつながりを持って
いる。
 
 
 
 
 
 
 
 
蘇我も出雲も鬼とつながる

 さて、出雲のスサノオとソガのつながりに、これだけこだわったのにはわけがある。
 まず第一に、すでに触れたように、蘇我と出雲が強い因果でつながっていたとしか
思えないこと。そして第二に、「出雲」は「蘇我」同様、日本の歴史を代表する「鬼」
にほかならないからである。
 そこでまず、出雲と蘇我の関係を探る前に、出雲と鬼のつながりを考えてみよう。
 鬼を「荒ぶる神」と考えることができるならば、出雲神の祖であるスサノオはまさ
に鬼のような神であった。
 スサノオは伊弉諾尊・伊弉冉尊の子で、太陽神・天照大神の弟にあたる。
 有名な天の岩屋戸神話は、太陽神・天照大神が岩屋戸に籠もって、世界中が闇に包
まれてしまうという話だが、そのきっかけは、スサノオの狼籍にあった。
 天児屋命や手力男命、さらには天鈿女命等の活躍によって天照大神は無事に表に
出されるが、スサノオは高天原を追放されてしまったわけである。
 スサノオは地上界に降りて、出雲建国の活躍を見せるが、出雲の神々そのものが
「鬼」とみなされていたようなところがある。
 スサノオが出雲から去ると彼の末裔(あるいは子ども)である大己貴命が出雲を完
成させた。すると、高天原の天照大神は、出雲を奪い、子どもを地上界に君臨させよ
うと画策する。
 その時、葦原中国(地上界)には、「邪しき神」がいて、また彼らは「邪しき鬼」
でもあるといい、これを打ち払え、という言葉が出てくる。
 このように、『日本書紀』は明らかに出雲の神々を「鬼」とみなしている。
 それだけではない。
 大己貴命の幸魂(おだやかで、人に幸を与える魂)は大物主神どいい、出雲からヤ
マトに移され三輪山(奈良県桜井市)で祀られるが、大物主神はヤマト朝廷がもっと
も丁重に祀った神であった。いわば、ヤマトにおける出雲神の代表格であり、その大
物主神の「物」が、「鬼」の「モノ」であるところが重要である(奈良時代以前、
「鬼」は「オニ」とは読まずに「モノ」と言っていた)。
『日本書紀』には、第十代崇神天皇の時代、次のような事件が起きていたと記録して
いる。崇神五年、ヤマトの地では、干魃や天変地異が相次ぎ、疫病がはやり、人口は
半分になろうとしていたという。このため翌年には、人びとは土地を手放し流浪し、
不穏な空気が漂っていたという。
 この窮状に頭を悩ませた崇神天皇は、ためしに占いをしてみた。すると巫女に神が
憑依し、崇神天皇が神意を問うと、大物主神が名乗りを挙げ、大物主神の子・大田田
根子をもって自分を祀らせれば、世は平静を取り戻すだろうというので、そのとおり
にしたのだという。
 このときの事件について、『古事記』にははっきりと「大物主神が崇ったのだ」と
記されている。
 このように、出雲神大物主神は、ヤマトを代表する崇り神であり、だからこそ、
「大いなる物(神・鬼)の主の神」という尊称を与えられているわけである。「モノ」
の重要性が分かってくると、この「大物主神」の名は、非常に大きな意味を持ってい
たことがはっきりする。
 くどいようだが、出雲神「大物主神」は、「モノの中のモノ」であり、「神の中の
神」「鬼の中の鬼」にほかならない。

                         関裕二氏著「蘇我氏の正体」
                         第三章 謎めく蘇我氏の出自
                         『日本書紀』が隠した蘇我氏の正統性
                         鬼の代名詞になった元興寺
                         神と鬼を峻別してしまった藤原氏
                         法隆寺救世観音に打ち込まれた楔
                         出雲神スサノオと蘇我のつながり
                         蘇我も出雲も鬼とつながる 據り
 
 
 
 
 
 
 
 
はじめに

 日本の歴史にはアンタッチャブルな領域が厳然と存在する。
 しかも、今では、それがアンタッチャブルであることさえ忘れ去られるほど、歴史
の奥深く、闇の闇に封印されてしまったのである。
 普通、歴史のタブーと言えば、それは当然「天皇」にかけられているものと考える
だろう。だが、本当のタブーは、「天皇」そのものではなく、「天皇」を傀儡にして甘
い汁を吸ってきた一族にこそかけられていたのである。
 もちろんそれが藤原氏であり、日本で最高の伝統と格式を誇る「華の貴族」の歴史
の暗部を、かつて拙著『藤原氏の正体』(新潮文庫)の中で暴いて見せたのである。
 天皇家のタブーとは、ようするに天皇家そのものにかけられていたのではなく、天
皇家の「裏」にうごめく俗権力にかけられていたわけである。「聖なる帝」を操り、
欲望の限りを尽くした藤原氏の実像こそが、語ってはいけないタブーだったのである。
 しかし、この話には、まだ裏がある。じつを言うと、藤原氏が日本史最大のタブー
であったわけではない。
 では、「天皇」や「藤原氏」よりもアンタッチャブルな存在など、どこにいるとい
うのであろう。
 八世紀の藤原氏は、『日本書紀』を編纂し、真実の歴史を闇に葬った。さらに政敵
の正体を抹殺することで、天皇家や藤原氏の正統性と正当性を証明して見せていたの
だ。すなわち、『日本書紀』が正体を抹殺し、悪役に仕立て上げたであろうかつての
政敵こそが、「神秘化された天皇よりも、華の貴族・藤原氏よりも、探ってはいけな
いタブーを抱えた重大な一族」だったのではないかと思いいたるのである。
 そしてもちろん、それが誰かと言えば、蘇我氏ではないだろうか。その証拠に、藤
原不比等が編纂に大きな影響を及ぼしたはずの『日本書紀』の中で、蘇我氏の出自は
湮滅(いんめつ)されている。出自をおおやけにしなかったのは、「分からなかった」からではな
く、「分かっていた」からであり、だからこそ抹殺されたのだろう。歴史の敗者であ
る蘇我氏が、もし仮に「賤(いや)しい出自の者ども」だったのならば、必ずや『日本書紀』
はその正体を明かしたに違いないからだ。だが、『日本書紀』は、あえて「知らぬふ
り」を貫いて、蘇我氏の出自を隠匿した、ということになる。
 では、蘇我氏とはいったい何者だったのだろう。
 筆者はこれまで邪馬台国とヤマト建国の歴史を再現することに精力を注いできた。
そしてようやく、蘇我氏の恐るべき正体に行き着いたのである。彼らこそ、ヤマト建
国時の日本の大王家であった。そして、さらに、ヤマトの大王家の歴史には、「裏の
裏」が隠されていたことに気づいたのである。
 蘇我氏の正体は、これまでまったく明らかにされてこなかった。なぜこれほど重要
な氏族の正体がはっきりしなかったのかと言えば、それは、藤原氏が全精力を注ぎこ
んで蘇我氏の正体を抹殺してしまったからだろう。蘇我氏の正体が露見すれば、藤原
氏の正当性は根底から否定されてしまうからである。
 だが、二十一世紀にいたり、ようやく彼らの正体は、明らかになろうとしているの
である。
 われわれは、われわれの誇るべき歴史と、「蘇我」という輝かしい氏族の活躍を、
今取り戻そうとしているのである。
 蘇我氏の正体を、探っていこうと思う。
 
 
 
 
おわりに

 毎日テレビのニュースを見て、毎朝新聞を読んでいれば、今この時、世の中で何が
起きているのか、なんとなく分かったような気分になれる。
 訳知り顔の評論家のコメントを聞いていれば、それで世の中の仕組みが分かったよ
うに思えてくる。
 しかしじっさいには、われわれは、何も分かっていないのだ。なぜ政府が理解に苦
しむ判断を下したのか、裏の裏で何が起きているのか、本当のところは、ほとんどが
闇の中である。
 じつを言うと、われわれが新聞を読んでいるのは、「世の中で何が起きているのか、
その深層を知ることができる」からではない。本当は、「世の中で起きていることの
表層を、人びとはどのように認識しているのか」それを知るためでしかないのだ。
 では、われわれは「真実や深層」をどうやって知ればいいのだろう。
 ここに「歴史」を学ぶことの意味がある。
 たとえば、明治維新で徳川幕府は瓦解した。そしてこの百四十年余、倒幕は革命的
な行為と絶賛されてきたのである。もちろんそれは、勝者が明治維新を称賛し、彼ら
の作り上げた体制が今日にまで続いているからこそ、倒幕軍の正当性は保障されてい
るわけである。
 たしかに、旧態依然とした幕藩体制をあのまま続けるわけにはいかなかった。しか
し、もし勝海舟や徳川慶喜という「名プロデューサー」が、史上稀に見る潔い負けっ
ぷりを演出しなければ、日本は西欧列強の植民地になっていたであろう。これまでほ
とんど指摘されてこなかった歴史観だが、大切な事実である。
 さらに言うならば、一度白旗を挙げた徳川幕府にさらに切先を突きつけた「官軍」
の横暴を糾弾する作業も、「歴史」に課せられた宿題である。
 このように、われわれは「あのとき何が起きていたのか」という形でしか「社会の
現実」を知ることはできないのだ。だからこそ、歴史を知る努力を怠ってはならない
のである。
 古代史も同様だろう。蘇我氏のように、歴史の勝者に手柄を横取りされてしまい滅
びていった者たちは、無数に存在するはずだ。彼らの無念の思いを発掘することこそ
が、今を生きる者に与えられたひとつの使命なのである。
 なお、今回の文庫化にあたっては、新潮社常務取締役松田宏氏、新潮文庫編集部の
内田諭氏、(株)アイブックコミュニケーションズ代表取締役・的場康樹氏、歴史作
家の梅澤恵美子氏にお世話になりました。あらためてお礼申し上げます。
                                             合掌
 
 
 
 
文庫版あとがき

 版築(はんちく)という土木工法がある。すでに、古墳時代には日本でも普通に使われていた技
術だ。人海戦術で、土を突き固め、さらに土を幾度も重ね層を造っていく。原始的に
見えるが、想像以上に強固な土塁(どるい)や、築地塀(ついじべい)が出来上がる。現代科学の粋を集めたコ
ンクリートよりも、耐用年数は上まわるとされている。その証拠に、各地に残された
前方後円墳の封土(ほうど)は、ほとんど原形を留めたまま、今に残されている。
 なぜ版築の話をしたのかというと、蘇我馬子の墓とされる飛鳥の石舞台が丸裸なの
は、「自然に流れ去ったからではない」ことを言いたいためだ。くどいようだが、古
墳や墳丘墓は、よほどのことがない限り崩れないのである。
 では誰が、石舞台の封土を削り取ってしまったのだろう。それはおそらく、蘇我氏
の政敵の仕業にちがいない。
 政敵の墓を暴くという行為は、実際に『日本書紀』の中に例がある。だとすれば、
封土のない石舞台は、歴史の勝者によって人為的に破壊された可能性が高く、悲劇的
な蘇我氏の墓標に見えてくるのであり、むき出しになった石室はまるで、「晒し者」
のようだ。
 それにしても、なぜ蘇我氏は、後の政権に嫌われ、罵られる命運を担ったのだろう。
それは、『日本書紀』が言うように、彼らが専横をくり広げ、憎むべき大悪人だった
からなのだろうか。けれどもすでに述べてきたように、蘇我氏こそ改革派だったのな
らば、これほどの仕打ちを受ける必然性が見出せない。ここに、さらに深い、蘇我氏
の秘密が隠されていたのではないかと思えてならないのである。
 そして唐突ながら、その理由は、蘇我氏が「東」と強くつながっていたからではな
いかと、筆者は勘ぐっている。
 五世紀から六世紀にかけて、「東」は急速に力をつけ、ヤマトを揺り動かす大勢力
に成長したのだ。蘇我氏は、「東」という新興勢力のパワーを得て、権力基盤を築い
たのではあるまいか。
 蘇我と「東」の接点は、いくつもあげることができる。
 乙巳(いつし)の変の直前、緊迫する空気の中、蘇我氏は側近の東漢氏(やまとのあやし)だけではなく、東国の
屈強の兵士を身辺に配置している。「東」の人びとを信頼していた証である。また、
蘇我氏の父は蝦夷(えみし)で、蘇我日向(ひむか)の別名は武蔵(むさし)だ。「蝦夷」も「武蔵」も、「東」を意
識した名である。
 飛鳥に都が置かれた時代、東国の蝦夷は飛鳥に招かれ、蘇我氏の拠点・甘樫丘(あまかしのおか)の東
側の槻(つき)の木の下で、饗応を受けている。これほど蝦夷と朝廷が緊密に交流した時代は
他に例をみない。やはり蘇我氏と「東」は、強くつながっている。
 壬申(じんしん)の乱(六七二)に際し、大海人皇子(おおあまのみこ)(のちの天武天皇)を陰から支えたのは蘇
我氏だが、大海人皇子が東国の軍団を率いて近江の大友皇子(おおとものみこ)を圧倒できたのも、蘇我
氏と東国との深い縁ゆえだろう。乱を制した天武天皇は、都を近江から蘇我の地盤・
飛鳥に戻し、さらに信州の地(長野県松本市)に副都を建設しようと目論んだ。親蘇
我政権は、親東国政権でもあったのだ。
 蘇我氏が頭角を現したのは、六世紀初頭の継体天皇の出現ののちのことだ。継体天
皇は越(北陸地方)からやってきた大王であり、その越と強くつながる阿倍氏が、や
はり六世紀に忽然(こつぜん)と中央政界に登場した事実を、軽視することはできない。継体天皇
は、史上初めて「東」からやってきた大王であり、ほぼ同時に蘇我氏が頭角を現した
のは、偶然ではあるまい。
『国造本紀(こくぞうほんぎ)』によれば、北陸地方に多くの蘇我系国造(くにのみやつこ)が任命されていたという。
蘇我氏はヒスイにこだわった氏族として知られるが、ヒスイは越の特産品であり、縄
文人の珍重した宝石だ。やはり蘇我と越(東)は、目に見えぬ糸でつながっている。
 一方蘇我氏を打倒した八世紀の藤原政権は、なぜか「東」を極端に恐れた。都周辺
で不穏な空気が流れると、必ず東国に通じる三つの関を固く閉じた(三関固守(さんげんこしゅ))。天
皇家の故地・越に抜ける道も閉ざしてしまうほどの、異常な行動である。
 さらに、『日本書紀』は「東」を、まつろわぬ野蛮人の住む場所と決めつけている。
この東国に対する「敵視」「蔑視」は、憎悪と偏見に満ちている。それはなぜかと言
えば、蘇我氏の残像を、「東」にみていたからではあるまいか。
 ではなぜ、蘇我氏と「東」はつながっていたのだろう。
『日本書紀』や『古事記』、『風土記(ふどき)』には、敗れ去った出雲神(いずもしん)たちが東国に逃れてい
ったと記録されている。考古学的にも、ヤマト建国後の「東」に出雲的な文化が流入
していることが確かめられているし、武蔵国造は出雲国造家の流れをくんでいる。七
世紀の蘇我氏が画策した行政改革も、じっさいのところ、既得権益に捕らわれない東
国豪族のパワーを活用することによって、推進されていたと私はにらんでいる。
 蘇我氏の祖・武内宿彌(たけのうちのすくね)(天日槍(あめのひぼこ))は、朝鮮半島から祖国に戻ってきたのに「外国
人」とみなされ、政権から追い出された。その後、末裔(まつえい)のだれかが、新天地東国に向
い、繁栄を勝ち取ったのだろう。そして六世紀、勇躍ヤマトに乗り込んでみたものの、
「ヤツらは蝦夷」と蔑(さげす)まれ、結局ヤマトから追い出されたのではなかったか。
 飛鳥の石舞台の封土がきれいに削り取られてしまった理由も、このような「よそ者
の蘇我氏」「蝦夷としての蘇我氏」に対する差別感が、どこかに潜んでいたように思
えてならないのである。
 これはあまり知られていないが、入鹿の首塚だけではなく、石舞台の石室の裏側に
も、欠かさず野の花が供えつづけられている。蘇我氏の栄光と悲劇を思うとき、この
ことだけが、唯一の救いなのである。

   二〇〇九年三月
                                           関 裕二
 
 
 
 
 
 
 
 
蘇我氏の正体 (新潮文庫)
関 裕二 (著)
http://www.amazon.co.jp/蘇我氏の正体-新潮文庫-関-裕二/dp/4101364729/ref=pd_sim_b_1
 
 
内容(「BOOK」データベースより)

大化改新での「入鹿誅殺」により、悪の象徴として記憶されてきた蘇我氏。以降、歴史の表舞台から姿を消した彼らは一体何者だったのか?最新の研究成果と、著者独自の調査で明らかになる衝撃の出自。その隠蔽工作に奔走する藤原氏の裏の顔。祟り、朝鮮半島、天皇、そして浦島太郎など古代史に散らばるキーワードから、悲劇の一族の全貌を大胆な解釈で捉え直す、渾身の本格論考。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

関 裕二
1959(昭和34)年、千葉県柏市生れ。歴史作家。仏教美術に魅了されて奈良に通いつめ、独学で古代史を学ぶ。1991(平成3)年に『聖徳太子は蘇我入鹿である』でデビュー。以後精力的に執筆活動を続けている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
 
 
第一章 蘇我氏の「悪行」と乙巳の変

蘇我入鹿暗殺(乙巳の変)の現場
蘇我氏がくり広げた専横の数々
上宮王家滅亡の結末
蘇我氏の横暴と高まる反発
入鹿を称える入鹿神社の謎
見直されつつある蘇我氏の業績
律令制度の基礎を築いたのは蘇我氏?
なぜ蘇我氏が王家をもり立てたのか
『日本書紀』が蘇我氏の正体を抹殺するこれだけの動機
境遇が似ている蘇我入鹿と菅原道真
蘇我入鹿を大悪人に仕立て上げるための巧妙なカラクリ
頭脳明断な入鹿がなぜ無謀な行動に出たのか
山背大兄王は存在しなかった!?
 
 
第二章 蘇我氏と鬼

蘇我の正義を実証できるのか
蘇我は崇って出ていた
崇りが明かす蘇我氏の正義
奇跡の寺・山田寺の不思議
首だけが生き残った山田寺の本尊
蘇我倉山田石川麻呂の生首と山田寺仏頭の因縁
蘇我倉山田石川麻呂の悲劇的な最期
なぜ遠智娘は「塩」に発狂したのか
生首を「スシ」にした百済王豊璋
山田寺の廃墟にたむろする怨霊?
 
 
第三章 謎めく蘇我氏の出自

『日本書紀』は蘇我氏の何を隠匿してしまったのか
武内宿禰と蘇我氏を切り離した戦後の史学界
蘇我は「石川」から生まれた?
蘇我氏渡来人説
蘇我氏の出自を無視した『日本書紀』
『日本書紀』が隠した蘇我氏の正統性
鬼の代名詞になった元興寺
平城京遷都に抵抗した法興寺
鬼を退治した元興寺のガゴゼ
元興寺が鎮守社に選んだのは崇る御霊社
神と鬼を唆別してしまった藤原氏
鬼と深く縁を結ぶ蘇我氏
蘇我系皇族・聖徳太子が演じた童子(鬼)の鬼退治
法隆寺救世観音に打ち込まれた楔
法隆寺を席巻する鬼
法隆寺の謎と蘇莫者の謎
蘇莫者は聖徳太子なのか
蘇我だからこそ恐ろしいという共通の認識
出雲神スサノオと蘇我のつながり
なぜスサノオを祀る社がソガなのか
蘇我も出雲も鬼とつながる
崇る出雲神
蘇我氏は出雲に進出していたのか
言代主神とそっくりな武内宿禰
葛城の一言主神は出雲神の言代主神?
 
 
第四章 天日槍と武内宿禰の謎

『日本書紀』が必死になって隠してしまった蘇我氏の素性
ヤマト建国の秘密を握る纏向遺跡
考古学が示した出雲の実在性
出雲の国譲りと天孫降臨の真実
トヨと邪馬台国の男王の謎
仲哀天皇という歴史改竄のカラクリ
武内宿禰は天日槍? 唐突な梅澤氏のつぶやき
天日槍と神功皇后をつなげる系譜
天日槍が来日した理由
神と鬼という両面性を持った天日槍
天日槍は歴史時代の人なのか神話の神なのか
韓国岳と宇佐神宮
なぜ応神天皇が八幡神となったのか
日本の韓国(辛国)と天孫降臨伝承
伽耶王子ツヌガアラシトと応神天皇のつながり
天日槍とそっくりで正反対という不思議な神サルタヒコ
サルタヒコと天日槍と武内宿禰を結ぷ糸
伊勢と出雲二つの国譲りの秘密
天日槍とつながるサルタヒコと武内宿禰
天日槍を救ったトヨ(神功皇后)
死んだはずなのに生きていた武内宿禰
残された最後の謎
 
 
第五章 蘇我氏の正体

なぜ『日本書紀』は蘇我が渡来人と喧伝しなかったのか
スサノオと蘇我氏の奇妙な共通点
新羅王になった倭人・脱解王の謎
脱解王ともうひとりの倭人瓠公の活躍
スサノオと脱解王のつながり
脱解王とそっくりな浦島太郎
浦島太郎が間抜けだったのは日本にもどつてきたから?
脱解王と天日槍(武内宿彌)をつなぐ「鉄・鍛冶」
我れ蘇れり! と宣言した蘇我氏の正体
 
 
 
 

http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/850.html

記事 [Ψ空耳の丘Ψ59] 蛇(をろち)と犬と相交(つる)めり 俄(しばらく)ありて倶に死ぬ 天皇に祭祀を授けた物部氏
 
 
 
 
 b道祭祀の様式は物部が天皇に授けた。
 大陸と半島の國際情勢の不穏な状況から
天皇の要請に據り、物部・蘇我兩豪族共互ひの利害を乘り越え、國内を
統一して政に當たる事に據つて、此の國難を乘り切る事に同意した。
 然し唐と中大兄皇子(天智天皇)、中臣鎌足(百濟王子豊璋)の計略に
據つて乙巳の變から白村江の戰い、そして敗戰、唐傀儡政權樹立。
壬申の亂を經て藤原不比等の時代に大和政權乘つ取りの邪魔者である
蘇我氏と物部氏を抹殺し、此處に大和政權乘つ取りを達成した。
 其の物部が天皇に授けたb道祭祀の様式を藤原氏は中臣b道と云ふ
インキチb道で破壞した。
 零落した蘇我氏と物部氏の末裔達は、大和政權にまつろわぬ者共、
鬼・天狗等の山岳脩驗道や物の怪となり、闇の世界を支配した。
 正統なる血筋にして正統なる靈統である鬼・天狗・物の怪達。

 我れ蘇れり 磐戸開きの世に

 平成(イワト)の世に御世出づる。
 出雲、物部、蘇我は蘇る。
 
 
 和を以て貴しと爲す 
 
 
 
 
 
 
 
 
1999年7の月ハルマゲドン≠ニいうのがー。三次元の世界では、たいしたことがなかったんですが、霊界ではあったんです。
http://www.asyura2.com/09/bd57/msg/650.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2009 年 12 月 27 日 01:59:04: xsXux3woMgsl6

聯中が幣立b宮に來てゐたらしい
http://www.asyura2.com/08/bd54/msg/571.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2008 年 12 月 13 日 00:26:25: Gsx84HOp6wiqQ

宗教と科學、東洋と西洋は最終的には融合しなければ成らない
http://www.asyura2.com/08/bd52/msg/642.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2008 年 4 月 22 日 22:56:16: Gsx84HOp6wiqQ

「21世紀の世界は日本のキツズ(new breed)が變革してゐくだらう」
http://www.asyura2.com/08/bd53/msg/405.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2008 年 6 月 29 日 19:00:16: Gsx84HOp6wiqQ
 
 
 
 
もののけと物部
http://www.asyura2.com/08/bd54/msg/713.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2009 年 1 月 12 日 00:44:31: Gsx84HOp6wiqQ

「鶴と龜が統べつた」 ― 物部と出雲と越の國
http://www.asyura2.com/09/bd55/msg/161.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2009 年 2 月 01 日 22:12:25: Gsx84HOp6wiqQ

石上b宮(物部b宮)が放火された
http://www.asyura2.com/09/bd55/msg/390.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2009 年 3 月 14 日 01:08:57: Gsx84HOp6wiqQ

鶴と龜、五芒星と六芒星、物部と出雲
http://www.asyura2.com/09/bd56/msg/305.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2009 年 5 月 24 日 16:30:36: Gsx84HOp6wiqQ
 
 
 
NHK朝の聯續テレビ小説「瞳」から「だんだん」へ
http://www.asyura2.com/08/bd54/msg/303.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2008 年 10 月 06 日 22:16:29: Gsx84HOp6wiqQ

二月二十二日に二十二歳の雙子の茉奈・佳奈が出雲大社(縁結びのb)のb前で
http://www.asyura2.com/09/bd55/msg/298.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2009 年 2 月 23 日 23:55:15: Gsx84HOp6wiqQ

次のNHK朝の聯續テレビ小説は「つばさ」ださうだ
http://www.asyura2.com/09/bd55/msg/460.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2009 年 3 月 29 日 00:45:07: Gsx84HOp6wiqQ

いらつしやいませ出雲さん NHK朝の聯續テレビ小説は「ウエルかめ」だ
http://www.asyura2.com/09/bd57/msg/474.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2009 年 10 月 22 日 22:42:26: Gsx84HOp6wiqQ
 
 
 
八月二十三日日曜日 日の宮幣立b宮の五色b祭が日の曜日に執り行はれた
http://www.asyura2.com/09/bd57/msg/293.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2009 年 9 月 05 日 00:36:01: Gsx84HOp6wiqQ

ホピ族も「丸に違ひ鷹の羽の家紋」が大切な紋だと云ふ
http://www.asyura2.com/08/bd54/msg/356.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2008 年 10 月 21 日 22:10:54: Gsx84HOp6wiqQ

籠b社(眞名井b社)參拜記 間にあつたかな
http://www.asyura2.com/09/bd57/msg/792.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 3 月 01 日 22:16:49: xsXux3woMgsl6
 
 
 
東北新幹線全線開業  まつろわぬ者共、蝦夷(エミシ)達が動き出す
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/157.html
投稿者 不動明 日時 2010 年 12 月 10 日 21:57:38: yX4.ILg8Nhnko

ヤツター!! 御隱れになつてゐた尊いお魚「國鱒」が見つかつた バンザーイ!! バンザーイ!! バンザーイ!!
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/178.html
投稿者 不動明 日時 2010 年 12 月 16 日 23:47:10: yX4.ILg8Nhnko

諏訪で「太陽柱」が出現、光のタワーが上空に
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/352.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 2 月 19 日 15:35:30: yX4.ILg8Nhnko

世相は厳しい結果 諏訪大社下社春宮で「筒粥神事」
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/353.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 2 月 19 日 15:37:49: yX4.ILg8Nhnko

三六九 新年早々出雲大社のお膝元松江に於いて今後の日本の型が示された
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/237.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 1 月 04 日 04:25:35: yX4.ILg8Nhnko

JAL:赤いツルのロゴマーク「鶴丸」 尾翼に復活 - 毎日jp(毎日新聞)
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/367.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 2 月 28 日 23:42:34: yX4.ILg8Nhnko
 
 
 
護衞艦「くらま」衝突炎上と鞍馬の火祭り サナート・クマラさん、御降臨あそばされましたね
http://www.asyura2.com/09/bd57/msg/495.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2009 年 10 月 29 日 23:46:01: Gsx84HOp6wiqQ

羽黒山參詣記
http://www.asyura2.com/08/bd54/msg/345.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2008 年 10 月 18 日 23:52:48: Gsx84HOp6wiqQ

出羽の國のなぞ
http://www.asyura2.com/08/bd54/msg/648.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2008 年 12 月 29 日 16:33:38: Gsx84HOp6wiqQ

映畫「おくりびと」がアカデミー賞を受賞した 羽が出づる地、天翔ける狗の聖地、出羽の國
http://www.asyura2.com/09/bd55/msg/312.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2009 年 2 月 26 日 23:35:47: Gsx84HOp6wiqQ

クムランの人々はどこかに落ちのびて其の傳統を守り續けてゐますよ。彼等は此の世の終りの戰いには、必ず現れて何かをする筈です
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/158.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 4 月 30 日 01:04:18: xsXux3woMgsl6

7月23日はスマイル・メツセージの日
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/281.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 6 月 03 日 00:21:53: xsXux3woMgsl6 

7月23日から8月23日は「犬の日」
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/469.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 8 月 01 日 19:20:37: xsXux3woMgsl6

狗を以つて、狗を解き 狗を以つて、狗を征す
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/429.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 7 月 23 日 00:28:24: xsXux3woMgsl6

其の不思議なる御手には 他界の太陽シリアスの 下し賜える御力の 光の棒ぞ燃え盛る
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/306.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 6 月 16 日 23:24:36: xsXux3woMgsl6

鞍馬寺 ウエサク祭の謎解き 此處でも出て來るb戸
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/314.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 6 月 18 日 22:04:43: xsXux3woMgsl6

アドルフ・ヒトラーが最後に託したと云ふ「レツド・バタリオン 最後の部隊」とは何なのか
http://www.asyura2.com/09/bd56/msg/523.html >
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2009 年 7 月 04 日 17:44:04: Gsx84HOp6wiqQ

サタンの國と卍の國 小澤はなにゆゑ佛教會に接近し、基督教批判をしたのか そして米軍基地での銃亂射事件の意味とは
http://www.asyura2.com/09/bd57/msg/539.html >
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2009 年 11 月 12 日 01:31:00: Gsx84HOp6wiqQ

表と裏はひとつの者 ケリを附ける事を宿命づけられてゐるb國日本
http://www.asyura2.com/09/bd57/msg/643.html >
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2009 年 12 月 24 日 22:55:43: xsXux3woMgsl6

The Matrix
http://www.asyura2.com/09/bd57/msg/634.html >
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2009 年 12 月 20 日 22:32:22: xsXux3woMgsl6


 
 
 
 
 
 
 
 
はじめに

 歴史に関心がない方ならば、「物部氏」と聞いても、
「蘇我氏と仏教導入をめぐって争った一族のこと?」
 としか、興味を示されないかもしれない。
 だが極論すれば、物部一族の正体を明かすことは、古代史の多くの謎を解き明かす
ことに通じている。それほど、重要な一族なのである。
 だいたい、『日本書紀』には、
「物部氏は天皇家よりも先にヤマトに舞い降り、ヤマトを統治していた」
 と記されているのだ。天皇家以前のヤマトの王家が物部氏の一族なのであり、彼ら
の存在を無視して、古代史を語ることは不可能なのである。
 けれども、天皇家同様、物部氏の正体が杳(よう)としてつかめない。原因ははっきりとし
ている。『日本書紀』が物部氏の正体を抹殺してしまったからだ。
 八世紀に編纂(へんさん)された正史『日本書紀』は歴史を改鼠(かいざん)し、真実を隠蔽(いんぺい)するために記さ
れた。
 そう断言してしまうのは、これが「正史」の本質だからである。歴史の勝者が自ら
の正当性、正統性を証明するために記すのが「正史」にほかならない。
 したがってわれわれは、八世紀の朝廷がどのような秘密を握っていて、どのような
史実を隠匿(いんとく)してしまったのかを追い求めていかなければならない。
『日本書紀』編纂の最大の目的はなんだったのか。それは、『日本書紀』編纂直前、
古代最大の豪族が没落していることと無関係ではない。それが、今回お話しする物部
氏なのである。
 和銅三年(七一〇)三月十日、平城京遷都(せんと)に際し、石上(いそのかみ)(物部)麻呂は、藤原京の
留守役に任命され、旧都に残された。問題は、石上麻呂がこのとき、下級役人ではな
かったことだ。それどころかこの人物は左大臣であり、現代風にいえば、総理大臣な
のである。
 一国の宰相でありながら、旧都の留守役を天皇から命じられたのは、平城京遷都そ
のものが、静かなクーデターだったことを意味する。もちろん、石上=物部潰しの陰
謀にほかならない。仕掛けたのは、当時急速に力をつけつつあった藤原不比等であろ
う。
 これ以降、二度と物部氏は朝堂のトップに躍り出るようなことはなかった。『日本
書紀』が書かれたのは、石上麻呂が藤原京に取り残されてから十年後のことであり、
このタイミングから考えて、古代最大の豪族物部氏の活躍と素性が、すっかり抹殺さ
れてしまった疑いは強い。『日本書紀』編纂の目的のひとつが、物部氏の正体を抹殺
することでもあったろう。
 それでは、物部氏の歴史の、何が、どのように湮滅(いんめつ)されてしまったというのだろう。
 筆者はかつて、物部氏を「出雲」という視点から見つめてきた。それは、出雲神と
物部氏との間に、かすかなつながりを見出してきたからである。
 しかしここにきて、物部氏は、
「出雲は出雲でも出雲ではないのではあるまいか」
 と思うようになってきた。出雲神話の「出雲」は、旧国名の「出雲」を指している
のではなく、もっと広い地域の話をひとつにまとめたのであって、「物部」は、「神話
の世界では出雲であったとしても、実際の地図の出雲ではない地域」からやってきた
一族ではないかと思えてきた。それが具体的にどこかといえば、吉備(きび)である。
 これまで筆者は、あえて「吉備」に関して沈黙を守ってきた。ヤマトの三世紀の纏
向(まきむく)遺跡の発掘が進み、ヤマト建国に果たした吉備の重要性がはつきりしてきたとはい
え、それでは吉備の正体を言い当てられるかというと、自信はなかったのだ。ただ漠
然と、
「ひょっとして吉備の正体は物部ではないのか」
 と勘ぐってきたのである。だから、「吉備」について、多くを語らずにしまってお
いたのだ。
 だが今回、物部氏の正体を追い、ついに吉備と物部のつながりを確信したのである。
 では、なぜ『日本書紀』は、物部氏と吉備の関係を抹殺してしまったのだろう。
 もちろんそれは、物部氏の正体がばれてしまっては、せっかく『日本書紀』の構築
した「虚構」が、すべて台無しになってしまうからだろう。
 謎に満ちた物部氏の正体を、いよいよ明らかにするときが来たのである。
 
 
 
 
おわりに

 今回、物部を書くにあたり、急遼、かねてより気になっていた「八尾と物部の考古
学」を現地で取材した。
 いよいよ「明日八尾へ」という晩、大阪福島の割烹(かっぽう)「きむら」で、筆者は案内をお
願いした西森忠幸氏と重岡清氏、それに、旧友田中和寛君を招き、ささやかな前夜祭
を開いた。
「どこを案内すればよいのか」
 というただ一点に、案内役のお二人は盛り上がり、考古学に対する情熱と饒舌(じょうぜつ)に、
こちらはただただ圧倒されるばかりだった。
「物部と八尾が、大好きでたまらない」
 という熱気が、まさにオーラのようにめらめらとあたりに立ちこめていたのだ。
「八尾自慢になるかもしれませんが、たっぷりご案内させてもらいますわ」
 という、頼もしいお言葉。
 当日の取材旅行は、『歴史街道』編集長・辰本清隆氏も加わり、賑やかな道中にな
った。
 おかげで、密度の濃い、そして、有益な情報をいくつも得ることができた。
 なかでも印象に残ったのは、松岳山(まつおかやま)古墳だった。
 石棺の両側に屹立(きつりつ)する不思議な石の板も謎めくが、それよりも何よりも「大和川が
眼下に見下ろせる」こと、ちょうど、ヤマトから河内に降りてきた場所に、まるで関
所を設けるかのように、五世紀に巨大な前方後円墳が造営されていたことが大切なの
だ。
 ここに眠る首長は、恐らく物部系の誰かだろう。問題は「立地」である。
 流通の要衝の展望のきく高台に墓を造る例は、いくつも報告されていて、古代の首
長層の「癖」だったようなところがある。新潟の弥彦山の山頂の天香語山命(あまのかぐやまのみこと)の墓や、
丹後半島の網野銚子山(ちょうしやま)古墳(京都府京丹後市網野町の前方後円墳)に登ってみたこと
があるが、日本海を一望のもとに見渡せるその視界の広さに、圧倒された。
 だから、松岳山古墳に立ったとき、「物部の思惑」が垣間見えたような気がしたの
である。物部はなぜ河内に陣取ったのか……、それは、物部はヤマトを河内からコン
トロールしていたということであろう。
 この古墳の位置どりから、物部氏のしたたかさを実感し、また、現地に足を延ばさ
ないとわからないことはいっぱいあると痛感した次第である。
 なお、今回の文庫化にあたっては、新潮社常務取締役・松田宏氏、新潮文庫編集
部・内田諭氏、東京書籍の寺嶋誠氏、アイブックコミュニケーションズの的場康樹氏、
歴史作家の梅澤恵美子氏のご尽力を賜りました。あらためてお礼申し上げます。

                                               合掌
 
 
 
 
文庫版あとがき

 幕末の長州藩は関門海峡の一番狭い場所に、砲台を築き、「攘夷(じょうい)」を決行している。
元治元年(一八六四)八月のことだ。
 狙いは良かった。川のような幅の海峡だから、狙い澄まして打ち込めば、当時最先
端の欧米の軍艦でも、相当な被害をこうむったにちがいない。だが、長州藩と異国船
の備える火器の性能差が何をもたらすのか、攘夷派の志士たちは、その意味に、早く
気付くべきであった。
 イギリス、フランス、オランダの連合艦隊は、長州藩の揃(そろ)えた大砲の射程距離を嘲
笑(あざわら)うかのように、遠方から雨あられと砲弾を打ち込んできた。当然のことながら、こ
れでは勝負にならない。けりはあっけなく付いた。長州藩の挑んだ攘夷戦は、大敗北
に終わったのである(馬関戦争)。
 余談ながら、大東亜戦争に際し、すでに時代遅れになっていた巨大戦艦に日本がこ
だわり続けたのは、ひょっとすると、馬関戦争のトラウマだったのではないかと思え
る節がある。
 射程の長い方が圧倒的に有利であることを痛いほど思い知らされた「攘夷派」たち
は、巨艦、巨砲に固執し、幻想を抱き続け、航空戦の時代に突入していたことに、気
付くことができなかったのではあるまいか。航空機の優位性を説き続けたのが、かつ
て薩長軍に抵抗した旧長岡藩出身の山本五十六だったところに、話の妙がある。
 それはともかく、馬関戦争ののち講和条約が結ばれたが、よく知られるように、奇
兵隊の高杉晋作は「攘夷を唱えたのは徳川幕府」と開き直り、賠償を免れた。また、
イギリスの提督が、彦島(ひこしま)の租借(そしゃく)を持ちかけてきたのも有名な話だが、ことの重大性に
気付いていた人物は、少なかった。
 下関の西南の一角に、小川のような海峡を挟んで、小さな島がある。これが彦島
で、このイギリス側の要求を毅然と拒絶したのも、高杉晋作である。
 もし仮に彦島が香港のように九十九年間、イギリスの領土になっていたら、日本の
発展はかなり制約されたものになっていただろう。
 彦島に巨大な軍事基地と近代要塞が構築されてしまえば、日本の流通はイギリスに
牛耳られたようなものだ。日本の水運の要衝である関門海峡は、水道でいえば蛇口で
あり、彦島はまさに、蛇口のパッキンの役目を負っている。
 軍事戦略という視点でも、彦島は重要な意味を持っていた。日本海と瀬戸内海を分
断されてしまえば、日本海軍の戦闘力は、半減する。もし幕末、彦島の租借が押し切
られていれば、昭和十六年(一九四一)十二月八日、真珠湾攻撃と同時に彦島の争奪
戦が展開されただろう。すると、チャーチルご自慢の戦艦・プリンスオブウェールズ
は、関門海峡で撃沈されていたかもしれない(実際には、真珠湾攻撃の二日後、マレ
ー沖海戦で、日本の海軍航空隊によって撃沈されている)。
 日本の急所が関門海峡であることを一瞬で見抜いたアングロサクソンの戦略眼には、
舌を巻く。そして、同じように、彦島の重要性を認識し、これを手放すまいと体をは
った高杉晋作も、やはり、一級の人物である。
 高杉晋作は最晩年「死んだら、赤間ヶ関の鬼になる」と言い放ったというが、古代
から「赤間」を牛耳ってきたのが、「鬼=モノ」の物部氏であった。長州藩の築いた
砲台の周辺は物部氏が握っていたし、その対岸には和布刈(めかり)神社が鎮座し、物部系豪
族・赤間氏が祀っていたのである。
 ようするに、物部氏はすでに千数百年前に「日本を支配するにはここをおさえれば
よい」と気づき、十九世紀になって、アングロサクソンが物部氏の慧眼(けいがん)にお墨付きを
与えた、ということでしかない。
 壇ノ浦の合戦で源義経に敗れた平家が、九州に逃れるという選択肢を捨て、この
地で滅んだのは、海を支配することで繁栄を築いた彼らが、関門海峡を失うことの意
味を、十分知っていたからだろう。
 ちなみに、佐々木小次郎と宮本武蔵が決戦に挑んだのも、彦島にほど近い巌流島だ
が、こちらは天下云々とはまったく関係がない。あしからず。
 なお、新潮文庫編集部の内田諭氏、新潮社校閲部の森本章子氏には、『藤原氏の正
体』『蘇我氏の正体』『物部氏の正体』三冊の編集・校閲に御尽力いただきました。心
からお礼申し上げます。

   二〇一〇年三月
                                              関 裕二
 
 
 
 
 
 
 
 
物部氏の正体 (新潮文庫)
関 裕二 (著)
http://www.amazon.co.jp/物部氏の正体-新潮文庫-関-裕二/dp/4101364737/ref=pd_sim_b_2
 
 
内容(「BOOK」データベースより)

仏教導入を巡る蘇我氏との対立で知られる物部氏。古代史を代表する大豪族でありながら、正史から抹殺され、その全貌は多くの謎に包まれている。天皇家の神事と奇妙な接点を持ち、『日本書記』で「天皇家より先にヤマトを統治していた」と記される彼らは何ものか。出雲、吉備、出自に迫る論考は、やがてヤマト建国の真相へと辿り着く。既存の歴史を根底から覆す三部作、堂々の完結編。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

関 裕二
1959(昭和34)年、千葉県柏市生れ。歴史作家。仏教美術に魅了されて奈良に通いつめ、独学で古代史を学ぶ。1991(平成3)年に『聖徳太子は蘇我入鹿である』でデビュー。以後精力的に執筆活動を続けている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
 
 
第一章 ヤマトの神にもっとも近い物部氏

仏教を拒絶した物部氏
なぜ天皇ではなく物部氏が神道に固執したのか
天皇家よりも先にヤマトに舞い降りた物部氏
身内を殺して神武に恭順した饒速日命
特別な存在物部がなぜ石見に逼塞したのか
天皇家は物部氏の祭祀を踏襲している?
なぜ元明女帝は物部を恐れたのか
蛇(出雲)とつながる物部
崇る神を招き寄せる物部氏
天皇家と物部氏の不思議な関係
天皇は物部の祭祀形態を継承することを条件にヤマト入りした?
物部こそヤマトの神にもっとも近い一族?
 
 
第二章 物部氏はどこからやってきたのか

物部氏の謎
二人の初代王の謎
纏向遺跡からわかってきたこと
ヤマト建国の考古学とぴったり重なる『日本書紀』の記述
物部氏はどこからやってきたのか
物部東遷説と邪馬台国東遷説
太田亮氏の物部東遷説
瀬戸内海を牛耳っていた物郡氏
物部氏は稲作をヤマトにもたらした?
物部王国こそ邪馬台国?
ありえない物部・葛城王朝の相剋
物部は邪馬台国の敵?
流動化する国際情勢と邪馬台国の東遷
物部=北部九州を覆した出雲説
出雲の国譲りと天孫降臨のいきさつ
なぜ朝廷は自ら作り上げた亡霊を恐れたのか
出雲がそこにあったことを訴える巨大木柱
なぜ『日本書紀』はヤマト建国史を出雲と南部九州に狭めてしまったのか
吉備はどこに消えたのか
 
 
第三章 物部と吉備の謎

なぜ物部は敵に塩を送り続けたのか
石見の物部神社の謎
出雲いじめの尖兵となった物部氏
物部は出雲であって出雲ではない
出雲にひとくくりにされたヤマト建国の要素
吉備はなぜよくわからないのか
物部と吉備にやられる出雲
本当の吉備の豪族の系譜とは?
ヤマト建国の考古学
弥生時代後期の山陰地方にあふれ出した鉄
なぜ北部九州が栄えたのか
吉備が発展する条件
特殊器台形土器の特殊な歴史
ヤマト建国の中心に立っていた吉備
ヤマトと北部九州の複雑な関係
物部氏の正体を明かすための天孫降臨と邪馬台国
北部九州は一枚岩だったのか
大分県日田市が投げかける波紋
北部九州沿岸地帯にとってのネック
 
 
第四章 「物部は吉備である」を探る

なぜ『日本書紀』は物部を天神といったのか
吉備といえば桃太郎
桃太郎のモデルになった吉備津彦
吉備は出雲を恐れていた?
吉備は出雲に進出していた
吉備の石上の謎
物部氏と中臣氏の関係と吉備のつながり
河内に陣取った物部と中臣
河内王朝の出現は王朝交替か
河内王朝論の登場
河内王朝論の主張
物部が日本海を邪魔にしたわけ
ヤマトの王は国の中心に立っていない?
河内に残された吉備の痕跡
松岳山古墳の奇妙なオブジェ
五世紀末にパイオニアが西からやってきたという話
物部氏は五世紀末にヤマトに現れた?
五世紀の吉備氏反乱伝承
吉備の反乱伝承に隠された葛城と吉備のつながり
吉備の前方後円墳の歴史
吉備の反乱の裏事情
ヤマトが吉備を潰すことは物理的に不可能
 
 
第五章 物部の秘密・蘇我の秘密

ヤマト建国時の物部の不審な行動
ヤマト建国の仕掛け人は誰か
神功皇后と邪馬台国の台与
ヤマト建国をめぐる歴史のねじれ
ヤマト王家誕生の真実の歴史
蘇我氏が物部氏を収奪していたとする説
蘇我を糾弾しない物部という謎
蛇と犬が仲良く死んだという暗号
物部氏の目指したもの
 
 
 
 

http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/851.html

コメント [原発・フッ素15] 今更ですが 続・群馬2011学徒出陣 中学生 志願 尉官候補生 岩沼派遣 爺さん
08. 2011年8月12日 06:24:50: DprNjXc3KE
爺さん良く分かってるじゃないか。若者を踏みつけにする体制、許すまじ。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/441.html#c8
記事 [Ψ空耳の丘Ψ59] bは鬼であり鬼はbである 大いなる惠みを齎すbは又大いなる災いを齎す鬼である
 
 
 
 

 
 

                
 
 
 
 
藤裔會會長にして孝明帝を祀る平安b宮宮司九條道弘
聯中の手に據つて弑逆されし孝明帝
孝明帝の祟りに怯える「積善の藤家」
鬼・天狗・物の怪に怯える「積善の藤家」

藤原五攝家の一角、平安b宮宮司 九条道弘が玉鉾b社に來てゐた
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/350.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 2 月 19 日 02:25:06: yX4.ILg8Nhnko

伊勢神宮大宮司に鷹司氏 北白川氏の後任
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/332.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 2 月 13 日 19:22:39: yX4.ILg8Nhnko

b國日本の腐敗の元兇の綜本山春日大社が必死にお祓ひ
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/528.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 4 月 25 日 18:37:32: yX4.ILg8Nhnko

其れがHAARPのせいであらうが天體のせいであらうが、各地で災害が發生し、結果として其れは起こる
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/267.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 5 月 30 日 02:57:43: xsXux3woMgsl6

b國日本に盜り憑いた百濟勢力藤原家と云ふ病原菌を自ら驅除しなければ、最惡のシナリオが發動する事に成る
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/362.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 2 月 27 日 02:03:15: yX4.ILg8Nhnko
 
 
 
なにゆゑ國聯ビルがかつての屠殺場に建てられてゐるのか
http://www.asyura2.com/09/bd55/msg/160.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2009 年 2 月 01 日 22:05:44: Gsx84HOp6wiqQ

殺生肉喰禁斷の詔敕
http://www.asyura2.com/09/bd55/msg/189.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2009 年 2 月 04 日 21:45:00: Gsx84HOp6wiqQ

日本人は鯨を喰べる事を止める時が來たやうだ
http://www.asyura2.com/09/bd56/msg/479.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2009 年 6 月 21 日 23:51:05: Gsx84HOp6wiqQ

あくま(惡魔)で肉喰(にくじき)慘業(さんぎやう)を止めぬなら、天の磐戸開きの型として、日向の國を滅ぼすまで
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/472.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 2 月 01 日 23:22:29: yX4.ILg8Nhnko
 
 
 
誠に遺憾乍ら、此れから更に、多くの人が死ぬだらう
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/442.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 7 月 01 日 22:41:40: yX4.ILg8Nhnko
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
呪う天皇の暗号 (新潮文庫)
関 裕二 (著)
http://www.amazon.co.jp/呪う天皇の暗号-新潮文庫-関-裕二/dp/4101364745/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1312872772&sr=1-1


はじめに

 足かけ四年使い込んだパソコンのハードディスクから、妙な金属音が聞こえ始め、
いよいよ御陀仏かと観念し、新たなマシーンを購入した。
 真新しいキーボードをぱちぱちとたたき、すべての設定を終え、いざ本格使用とい
う日の朝。電源が入らない。
「よもや……」
 前日の晩、この原稿を書くために、パソコンの壁紙を変えておいたのだ。「呪う天
皇」「崇る天皇」を書くにあたって稲荷信仰に深く分け入る必要があったから、東京
郊外の高尾山の飯縄(いいづな)神社の小さなお堂に祀られる、何十匹という狐様にご登場願った
のだ。気分を高めるために、いつも新著のテーマに合わせた壁紙を用意する。だが、
今回選んだ壁紙は、いつにもなく強烈な妖気をただよわせていた。
 ちょっと観た感じ、異様な光景である。朱色を背景に、びっしりと白い狐がこちら
を向いている。実におどろおどろしい。
「まさか、狐のいたずら……」
 人間とは実に愚かな動物である。それは、パソコンによくある初期故障にすぎない
とわかってからつくづく感じている。トラブル解消後のパソコンは、「狐様」とうま
く共存している。科学の粋を集めたパソコンを操作する人間が、狐の崇りに怯えてし
まったわけである。我ながら失笑した。
 しかし、だからといって、「呪いと崇り」を低俗な宗教観と見下す気持ちはさらさ
らない。「呪いと崇り」こそ、日本人が守り続けてきた一種の「叡智」でもあるから
だ。
 たとえば、樹木には精霊が宿り、無闇にこれを伐り倒せば崇りに遭うと、人々は信
じてきた。
「それは迷信にすぎない」
 と笑殺することはたやすい。だが、このような信仰を守り続けてきたからこそ、日
本列島には豊かな森が残されてきた事実を忘れてはなるまい。
 森を失えば文明が滅びるという歴史の鉄則は、ここ数十年の研究によって唱えられ
るようになったことであって、それ以前、樹木の大切さなど、説かれたことはなかっ
た。にもかかわらず日本列島から森が消滅しなかったのは、湿潤な気侯が幸いしただ
けではなく、「呪いと崇り」が大きな意味を持っていたからである。「呪いや崇り」を
怖れることによって、「生命体としての地球」を、知らず知らずのうちに、われわれ
は守り、またその森にわれわれは守られてきたわけでもある。その点、「呪いや崇り」
とは、科学ではいまだに説明されていない「大自然の摂理」と言いかえても良いわけ
である。
 近代日本がこの貴重な叡智を嘲笑い、軽視したことによって、日本列島の景観がい
かなるものになったか、あらためて述べるまでもあるまい。
「呪いと崇り」は、歴史にも大きな影響を及ぼした。たとえば、三世紀来、日本の王
家には強い権力というものが与えられなかった。「弱い王」が守られてきた理由は、
彼(あるいは彼女)らが「崇る王」そのものだったからである。権力を持たないにも
かかわらず、王家を潰すことができなかったのは、彼らに手をかければ恐ろしい目に
遭う、という共通の認識がもたれていたからにほかならない。では、なぜ日本の王家
は「崇る者」と考えられてきたのだろう。
 日本人と天皇家の謎とは、まさにこれである。
 ヤマト建国の過程で、なぜ「崇る王」が選ばれ擁立されたのだろう。なぜ日本人は、
「呪いと崇り」を怖れる一方で、「呪う王」「崇る王」を求めてやまなかったのか。
 要するに、「恐ろしい王」とは、大自然のあり方そのものであり、日本人は「大自
然の摂理にもっとも近い形の王権」を希求したのではなかったか。そして、だからこ
そ「崇る王」が守られたのではあるまいか。
 では、このような仮説をいかに証明できるというのだろう。「呪う王」「崇る天皇」
の暗号を、解き明かしていこうと思う。
 
 
 
 
おわりに

 国民体育大会などで天皇陛下を招く自治体は、てんやわんやの騒動となる。道は掃
き清められ、厳重な警備体制が敷かれる。宿泊される旅館の畳は新品に張り替えられ、
当然のことながら(?)、古いトイレはウォシュレットに取り替えられる。
 なにがあっても、「粗相」は許されないのだ。
 なぜそうなのかといえば、「天皇は恐ろしい存在」と考えるとすっきりする。「さわ
らぬ神に崇りなし」の精神が根底にある。
「崇る天皇」「永続する天皇」は、日本史最大の謎である。たった一本の錦の御旗に
武士団が恐れおののいた理由は、これまで明確にされてきたとは言えない。ただ漠然
と、権力を持たない東洋的な王権としての「天皇の権威」がいつしか強い幻想となっ
て、人々を震え上がらせたのではないか、と考えられていたわけである。
 そのいっぽうで、綱野善彦氏は、中世の「表の王」と「裏社会」が結びつくことで、
天皇家の永続性が約束されたと推理したのである。しかし、これが完壁ではなかった
のは、天皇家の根っこ、古代における天皇家の姿がはっきりしなかったからにほかな
らない。網野善彦氏の説に対する今谷明氏の反論が、「当初権力を持っていた天皇」
という間違った前提からはじめられたのは、致し方のないことであった。
 しかし、すでにヤマト建国のそのとき、天皇(大王)は崇るからこそ連れてこられ
たと考えることで、多くの謎が氷解するのである。
「崇る王」、その根源にある「崇る女神の恐怖」の記憶は、日本人の深層心理にしっ
かりと刻み込まれ、自覚のないまま稲荷や八幡の祠を祭り続けているように思われる。
つまり、「日本の呪いと祟り」の根源には、太古から続く「崇る天皇」という問題が
秘められているのである。
 そして、「天皇」にいったん権力を渡せば、どのような災難に遭うかを十分承知し
ているのにもかかわらず、近代日本が「禁じ手」を使ったのは、日本人としての「ま
ともな神経」を失っていたからにほかなるまい。
 また、だからといってこの王権を危険視し、できれば潰してしまいたいなどという
戦後の「進歩的」な発想に同意することはできない。「崇る神(それは大自然でもあ
る)」に震え上がる謙虚さこそが、日本民族の叡智であり、今日すっかり忘れ去られ
てしまった日本人本来の美徳でもあるからだ。
 なお、今回の文庫化にあたっては、新潮社常務取締役松田宏氏、新潮社文庫編集部
の内田諭氏、新潮社校閲部の新庄滋氏、潟Aイブックコミュニケーションズ代表取締
役の的場康樹氏、歴史作家の梅澤恵美子氏のみなさまにお世話になりました。改めて
お礼申し上げます。

                                               合掌
 
 
 
 
文庫版あとがき

 歴史に「もし」は禁物だが、もし日本ではなく、ドイツやイタリアが「唯一の被爆
国」であったとしたら、広島や長崎の展開するような「核兵器廃絶運動」はしていな
かったのではないか。
 日本の核兵器廃絶運動は、
「核兵器は悲惨な結果を招く。だから核兵器を廃絶しよう」
と「情」を前面に打ち出す。このように訴えることは、まちがいではない。しか
し、本気で核兵器をこの世から葬り去りたいのなら、このやり方はあまり効果がない。
現実を動かすには、戦略とルール作りが必要だからだ。
 もしドイツやイタリアだったら、こうするのではあるまいか。すなわち、核保有国
が非核保有国を核攻撃した場合の厳罰を、国際社会に提案するのだ。
 その一方で、核保有国の経済的負担が大きくなるようなシステムを造る。具体的に
は、非核保有国が国連に代わる組織を造り、核保有国の核兵器保有数に比例した税を
徴収することだ。負担に耐えられなくなった核保有国は、次第に核兵器の数を減らし
ていく……。
 もっとも核保有国は、このようなプランを一蹴するだろう。けれども、現実を変え
るための具体的なプランをもっているかいないかでは、雲泥の差がある。議論を高め
れば、国連のあり方そのものを、変えることができるかもしれない。
 いずれにせよ、核兵器廃絶を情で訴えるだけの運動には、限界がある。第二次世界
大戦の勝者(ほとんどが白人でキリスト教徒)が核兵器を独占的に保有する正当性はも
はやなく、非核保有国に核兵器保有を思いとどまらせる思想的根拠が脆弱なのだ。だ
からこそ、核拡散の恐怖が、現実のものになりつつある。また、資源争奪戦がこのま
ま加熱すれば、核兵器が飛び交う危険性が高まる。
 要は、理念を唱えるだけではなく、現実を動かすための具体的な戦略を練ることだ。
そして、日米安保条約から抜け出し自立した国家を夢みるなら、核武装か、世界を巻
き込んだルール作りのどちらかが必要だということを、自覚する必要がある。
 なぜこのような話をしたかというと、日本人は伝統的に、戦略を練ることが苦手だ
からだ。そして、その理由もはっきりとしている。本編でも触れたように、日本人が
多神教世界にどっぷりと浸かっているためである。
 多神教世界の住民は、大自然(神)のカには、到底かなわないと諦念を抱く。だか
ら、自然を支配し改造しようとする発想が芽生えない。いわば「受け身の処世術」を
身につけている。
 その一方でキリスト教やイスラム教といった一神教世界の住民は、宇宙を創造した
のは神と説き、神の名のもとに自然を支配しようと目論む。だから、世界を支配する
ための正義が掲げられ、プランが描かれる。
 日本の外交に戦略が欠如し、アメリカや中国に振り回されるのは、このような日本
人の宗教観と無縁ではない。内田樹(たつる)氏の『日本辺境論』(新潮新書)に多神教という
キーワードを組み合わせれば、完壁な日本人論が成立する。
 ただし、日本人も一神教的正義を掲げるべきだ、といっているのではない。内田樹
氏も述べているとおり、「こんな変わった国の人間にしかできないことがあるとした
ら、それは何かを考える」べきだろう。
 一神教が砂漠で生まれたのは、一般に言われているように、「何もない砂漠で抽象
的な思考を身につけた」からではなく、「豊穣の地を追い出された敗者が勝者を呪い、
敵を倒す正当性を見出すために一神教は生まれた」と、筆者は考える(『[日本書紀]
が隠し通した天皇の正体』廣済堂文庫)。
 一神教は、大自然に対する畏怖を忘却した独善の信仰であり、一神教の論理を野放
しにすれば、自然破壊は留まるところを知らず、人類滅亡の日は、限りなく近づくに
違いない。事実、核兵器を保有するのは、一神教(共産主義も含まれる)の国々である。
 核兵器廃絶を実現するために必要なのは、一神教世界の論理と戦略ではなく、「多
神教的自然観」を共有する者たちの連携なのではなかろうか。せめてそのための戦略
だけでも、唯一の被爆国である日本が、世界に向けて発信していきたいのである。
 そしてわれわれは、「呪い」や「崇り」に彩られた多神教世界の住民であることを、
誇りにするべきなのである。
 
 
 
 
序章 古代から裏社会を支配する者

裏社会と表社会
誰がこの国を支配しているのか
人間社会を真に支配する者
森に似ている天皇という王権
循環する支配のベクトル
天皇に結びつくことで特権を獲得した道々の輩
天皇は政治力学によって偶然守られた?
王権簒奪を目論んだ足利義満
天皇が「裏」と結びついた契機
神道は破壊され鬼は零落した
藤原に反発した聖武天皇
天皇は呪いと崇りを具現化する者
 
 
第1章 祟りや迷信におびえる権力者たち

二回過去を捨てた日本人
文部省が音頭を取った「迷信」の排除
西洋的=文化的という発想
呪いと崇りの宗教観の基層を形づくった修験道
権力者を嘲笑う修験道
藤原氏は太古の信仰を潰し中臣神道を創作した
崇りにおびえた権力者・藤原氏
崇る鬼・調伏する鬼
神仏分離の本当の標的
深層に沈殿した太古の宗教観
口裂け女に秘められた太古の日本
『日本書紀』に語り継がれた縄文の信仰
口裂け女と山姥のつながり
日本の民俗信仰の基層を彩る豊穣の女神
隠されてしまった豊穣の女神
 
 
第2章 「稲」「水」「塩」に込められた滅びた者の崇り

日本を支配する「崇り」
天皇家を震え上がらせた稲城という呪術
物部守屋も稲城の呪術を用いていた
崇る稲とは何か
水と塩の呪いをかけられた天皇
海神に呪われた皇祖神
崇りと豊穣をもたらす海の神
豊穣の神・伊勢神宮の豊受大神の謎
海の女神に崇られる男たち
豊受大神が海の神であった理由
稲は豊穣と崇りの象徴だった?
海の呪術とつながる一族
由緒正しい一族・蘇我氏
豊受大神と蘇我氏の不思議なつながり
蘇我氏の正体を明らかにする物部氏
蘇我氏と神道のつながり
藤原氏がヒスイを抹殺したわけ
 
 
第3章 全国に広がった稲荷信仰と水の崇りの関係

高知県物部村に残される呪術
なぜ稲荷神は増殖するのか
稲荷神と白鳥(餅)のつながり
稲荷信仰と秦氏の重要性
稲荷信仰と土着信仰のつながり
稲荷信仰は五穀豊穣の祈りなのか
雷神を寄せ付けない稲葉の呪力
夫婦となった雷神と稲の神
雷神と穀霊神のふたつの顔をもつ稲荷の神
なぜ稲荷社は「水」とつながるのか
太陽神天照大神が水の女神であることの不整合
光と水は重なってくる?
天照大神は本当に女性だったのか
天照大神を男性とする『古事記』?
日本的な神ではない天照大神
天照大神と大物主神
稲荷社に隠された♂と♀
ストーンサークルが残した太古の信仰
太陽神と縄文信仰のつながり
ひとつのセットとして祀られた太陽神と豊穣の女神
強烈な崇りを連想させる稲荷神
 
 
第4章 日本を支配する呪いと崇りの正体

なぜヤマト建国に弱い王が求められたのか
ふたりの初代王は崇る王
崇るヒスイの王家を潰した持統と不比等
聖武天皇はなぜ宇佐八幡を特別扱いしたのか
疫病神としての八幡神
八幡神と応神天皇のつながり
宇佐神宮の祭神は崇る神
宇佐八幡の特殊神事に登場する饒速日命とトヨ
住吉が字佐でヤマトを敵に回すという謎
宇佐と宗像・住吉を結ぶ神武天皇
神功皇后をめぐる『日本書紀』の思惑
トヨが九州に封印されたカラクリ
喪船という水の崇り
天孫降臨とトヨ敗北の因果
崇る大物主神という嘘の記述
三輪山の日向御子の正体
呪いと崇りの王の正体
 
 
 
 

http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/852.html

記事 [Ψ空耳の丘Ψ59] 人に見せるとびつくりして氣を失ふもしれんから石にほらせて見せておいたのにまだ氣づかんから木の型をやつたであらうがな
 
 
 
 
    このbのまことの姿見せてやる積りでありたが、
    人に見せると、びつくりして氣を失ふもしれんから、
    石にほらせて見せておいたのにまだ氣づかんから木の型をやつたであらうがな、
    それがbの或る活動の時の姿であるぞ、
    bの見せ物にしてはならんぞ、
    お山の骨もその通りぞよ、
    これまで見せてもまだ分らんか、
    何もかもbがさしてあるのぞ。
    心配いらんから慾出さずに、素直に御用きいて下されよ、
    今度のお山開き まことに結構であるぞ、
    bが烈しくなると、bの話より出來んことになるぞ、
    bの話結構ぞ。
    七月の十三日、ひつ九のかみ。

                          ひふみb示 下つ卷 第三帖(四五)
 
 
 
 
    この方は元の肉体のままに生き通しであるから、天明にも見せなんだのざぞ、
    あちこちに臣民の肉體かりて豫言するbが澤山出てゐるなれど、
    九分九厘は分りて居れども、とどめの最後は分らんから、
    この方に從ひて御用せよと申してゐるのぞ。
    砂糖にたかる蟻となるなよ。
    百人千人の改心なれば、どんなにでも出來るなれど、
    今度は世界中、b々樣も畜生も惡魔も餓鬼も外道も三千世界の大洗濯ざから、
    そんなチヨロコイ事ではないのざぞ。
    ぶち壞し出來ても建直し分かるまいがな。
    火と水で岩戸開くぞ、
    智慧や學でやると、グレンと引繰り返ると申しておいたが、
    さう云へば智慧や學は要らんと臣民早合點するが、
    智慧や學も要るのざぞ。
    惡も御役であるぞ、この道理よく腹に入れて下されよ。
    天のb樣 地に御降りなされて、今度の大層な岩戸開きの指圖なされるのざぞ、
    國々のb々樣、うぶすな樣、力あるb々樣にも御苦勞になつているのざぞ。
    天照皇太b宮樣初めb々樣、あつくまつりて呉れと申してきかしてあろがな、
    bも佛もキリストも元は一つぞよ。
    八月三十一日、ひつ九の

                         ひふみb示 天つ卷 第四帖 (一一一)
 
 
 
 
    昔から生き通しの活b樣のすることぞ、
    泥の海にする位朝飯前のことざが、
    それでは臣民が可哀そうなから天の大b樣にこの方が詑びして
    一日(ひとひ)一日と延ばしてゐるのざぞ、
    その苦勞も分らずに臣民勝手なことばかりしてゐると、
    bの堪忍袋切れたら何んなことあるか分らんぞ、
    米があると申して油斷するでないぞ、
    一旦は天地へ引き上げぞ。
    八月七日、一二

                 ひふみb示 天つ卷 第十七帖(一二四)
 
 
 
 
                  
 
 
    

    

    

    

     

    

    
 
 
 
 


「超知ライブラリー001 [超図解]日本固有文明の謎の鍵はユダヤで解ける」據り
 
 
 
 
サキツミヨノフルコトノモトツフミオオイナルオシエ
先代舊事本紀大成經
 
 
「先代旧事本紀大成経」における古代天皇の身体的特徴 | zackyChannel
http://lucky2zacky.jugem.jp/?eid=760
 
 
「先代旧事本紀大成経」における古代天皇の身体的特徴
2009.05.26 Tuesday | 20:47
 
 
 
 
 
先代旧事本紀大成経(せんだいくじほんきたいせいきょう、先代舊事本紀大成經)は、『先代旧事本紀』を基に江戸時代に作られたと推測される偽書。(wikiより引用)

以下、先代旧事本紀大成経より、いにしえの天皇の身体的特徴を抜粋


神武天皇(初代)

背の高さは約3メートル15センチ、胴回りは、両手を伸ばして一抱えした長さに15センチほど足した長さ。頭には9センチほどの角が二本あり、それはまるで雪のような色をしています。背中には龍のような背ビレがあり、その長さは1メートル20センチ、尾の裏側には大きな鱗が72枚あります。105歳のときに皇太子の位に就かれました。

綏靖天皇(2代)

身長は3メートル、目は黄色に光り、まるで水星のような輝きを放っています。背中に鱗があり、怒られるときにはそれが逆立ちました。その武術は人に勝るので軽々しくモノを言えませんでした。

孝霊天皇(7代)

生まれながらの御容姿は、他の方とは大きく異なり、お顔が長く龍のようですが、決して醜くはありません。その耳の後ろに白い鱗があります。胸にも9枚の鱗があり、その9つの隙間から氣を放っておられます。俊敏で、どんな遠いところにも行かれます。

崇神天皇(10代)

背の高さは1メートル90センチ、額に10センチほどの青い角が一本あります。下の顎の歯は短く丸く、下は長く鼻にまで届きました。

垂仁天皇(11代)

背の高さは1メートル80センチ、髪は右曲がりに頭を9周するように生え、頭頂部で輪のように巻いてとどまっていました。両脇の下には金と緑の羽を持ち、肘にも同じような羽が根ざしておられました。

神功天皇(14代)

御容姿は非常にたおやかで美しく、その目には二つの瞳をお持ちでした。乳に9つの穴があり、力は強く建物の柱を揺るがすほどでした。

応神天皇(15代)

背の高さは2メートル90センチ、肘には弓を射るときの「鞆(とも)」いう丸い当て皮のような形がありました。顔の真ん中の角は天に向かってまるで弓に矢を番えたかのようでした。胸には72本の青い毛が牛の尾のように生えていました。その長さは馬の尻尾ほどで、とても強く根ざしていたので最後まで抜け落ちることはありませんでした。

仁徳天皇(16代)

御壮年のころで、背の高さは1メートル90センチほど、目には青と黄色の光があり、耳は眉毛の上ぐらいの位置から口の下にまで垂れ下がり、足の指は長く、まるで手の指のようでした。

以上

【出典】
天孫降臨/日本古代史の闇―神武の驚くべき正体 (5次元文庫)


■記紀によって偽書に追いやられた日本の超古代文書たち
http://lucky2zacky.jugem.jp/?eid=626
 
 
 
 
 
 
 
 
   ところで富士のコノハナサクヤ姫ノ命に關する傳承
   (b傳富士文献)に次のやうな話が傳はつてゐる。

    超古代、富士の裾野(すその)に阿祖山(あそやま)大b宮を中心とする
    カキツの都が榮えてゐた。
    その國の支配者は女性で、赤く輝く「石」を用い、
    その力によつて皿状の飛行物體を飛ばし、
    死人をよみがえらせ、地球萬國を夫である天皇とともに訪れ、
    世界を平和と安寧(あんねい)のうちに治めてゐた。
    しかし王國の支配は、腐敗した官僚と民衆の叛亂で次第にぐらつき、
    分裂した二國間で丸い「天球」を投げつけ合う激しい戰いが起こり、
    富士と地球の火山は相次いで大噴火し、
    コノハナサクヤ姫は富士の火口に身を投げた。
     なおコノハナサクヤの象徴は球體の丸い石であると云ふ。
    これが現在、南米各地で見つかつてゐる。
 
 
 
 
    英雄アシュヴァッターマンはみずからの空挺ヴィマーナ(飛行戦車)に踏みとどまると、
    水面に降り立って、神々さえも抵抗しがたいアグネアの武器を発射した……。
    アグネアがひとたび空中高く放たれると、
    その矢の束は光輝く流星の雨となって地上に落下し、敵を圧倒した。

    パーンダヴァの軍勢は、突如、深い闇に包まれ、方向感覚を失ってしまった。

    やがて恐ろしい風が吹き始め……太陽がぐらぐら揺れて
    あらゆるものが熱で焦がされ始めた。
    象たちはこの武器の発する熱に焼かれ、
    あたり一面に広がる炎から逃れようとして右往左往した。
    海や川の水まで蒸発し、水中に棲む生き物も死の脅威にさらされた……。

    矢の雨は、あらゆる方向から激しい風をともなって降り注いだ。
    雷よりすさまじい音をたてて爆発したこの武器のために、
    敵の兵士たちは猛火に包まれ、燃え木のようにバタバタと倒れた。
    巨大な象たちも、この武器に焼かれて狂おしい悲鳴をあげ、
    ドドーっと大地に崩れて重なっていった……。

    こうして戦場の生き物は戦車もろとも火に呑み込まれ……
    木の葉のように燃え尽きてしまった……。
    鳥たちは灰で真っ白になった。
    そして数時間後に、すべての食べ物は汚染されて食べられなくなった。
    これを見た兵士たちは恐怖にかられ、命からがら戦場から逃げ出した。
    彼らは急いで川に飛び込み、自分達の身体と身につけているものを洗った。

    ---

    高速のヴィマーナで空を飛んでいたクルスは“雷電”を巧みに操作した。
    彼は、三つの都市がそれまでのどんな武器でも効果がないことを知ると、
    これらの都市へ向けて、神々すらおそれていた巨大な苦しみをともなう武器を発射した。

    それは、太陽を一万個集めたほど明るく、
    輝ける炎と雲がそそり立つ柱となってもたらす
    “鉄の雷電”と呼ばれる未知の武器だった……。

    三つの都市の住民は、ひとり残らず焼き尽くされて灰となった。
    死体は見分けがつかないほど焼けただれ、手足の爪や髪の毛はことごとく抜け落ちた。
 
 
 
 
    「天の御璽のb寶」 「アメノミシルシノカンダカラ」 「天のみ知る死のb寶」
 
 
    


 
 
 
 
 
 
 
 
富士山の噴火口をグーグルマツプ地形圖で見ると不思議な人工地形が浮かび上がつて來る
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/230.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 5 月 20 日 03:04:43: xsXux3woMgsl6

バラモン教聖典『マハーバーラタ』より抜粋 | zackyChannel
http://lucky2zacky.jugem.jp/?eid=608

アメノミシルシノカンダカラ
http://www.asyura2.com/09/bd57/msg/587.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2009 年 12 月 05 日 01:28:47: xsXux3woMgsl6

大魔bの額に角がありヱヴアンゲリオン初號機にも額に角がある 先代舊事本紀大成經の崇b天皇の記述には額に角がある なんで?
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/229.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 5 月 20 日 02:49:13: xsXux3woMgsl6

ヱヴアンゲリヲン アマツヒツギノスミラミコト
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/251.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 5 月 25 日 23:03:31: xsXux3woMgsl6

日本海周邊にb國日本を守護する龍宮の乙姫樣のUSO艦隊、シーゲートが出現してゐる可能性有り
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/506.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 8 月 10 日 22:42:45: xsXux3woMgsl6
 
 
 
 
 
 
 
 
異形のb々は人間界に天皇と成つて天下つて來た存在だ。
佛魔百濟勢力藤原家は
其のb國日本を平和裏に統治してゐた異形のb々を驅逐した。
 
 
 
 
http://www.amazon.co.jp/謎の根元聖典-先代旧事本紀大成経-超知ライブラリー4-後藤-隆/dp/4198619239/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1298361420&sr=8-1
 
 
        
 
 
先代舊事本紀大成經
徳間書店刊
平成十六年(西暦2004年)十月三十一日發行
後藤隆氏著
「超知ライブラリー006 謎の根元聖典 先代旧事本紀大成経」

商品の説明

出版社/著者からの内容紹介

「先代旧事本紀」は竹内文書を含む古史古伝のすべてを網羅し、ヒッタイト・ハッタイトを超えて人類文明の根元まで遡るものであった!
内容(「BOOK」データベースより)
その存在を誰もが知りながら、入手の困難さ、内容の難解さゆえ、一切が謎のベールに包まれていた先代旧事本紀大成経。竹内文書をはじめ、あらゆる古史古伝のルーツともなった七二巻本の全容をここに初めて明らかにする…。
内容(「MARC」データベースより)
天皇家と六家が隠し持っていた秘録を基に、聖徳太子と秦河勝が実用書として再生させた「失われし超古代の叡智」72巻。ヒッタイト文明にまで遡る世界で最大最後の古史古伝。その堅牢なる秘密の封印がついにここに解かれる!

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

後藤 隆
神皇家初代当主神主。あまたの企業の相談役をつとめていたこともあるが、現在は東洋医学治療センター院長と『旧事本紀』の研究に集中している。先代旧事本紀大成経刊行普及会、先代旧事本紀大成経研修道場、神代皇代大成経刊行普及会の代表。(有)天隠山専務取締役。古文書翻訳出版協同組合(都認可番号;13産労商調設事第3号)代表理事などを歴任(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
 
 
目次

序章 ついに紐解かれる「超太古の叡智」七十二巻

 古代パルティアを見よ ― 人類は進化などしていない
 古代電池と金メッキの技術
 エジプトのピラミッドは、単に唯一残った古代建物の一つに過ぎない
 文明の終着点「日本」に残された超古代文明の叡智の結晶 ― それが『先代旧事本紀』だ!
 
 
第1章 万能の学問書『先代旧事本紀』の基礎知識

 『先代旧事本紀』と呼ばれる書物はいくつも存在している
 七十二巻本が原典と言える理由
 『旧事本紀』を貫く古代の万能理論「天隠山理論」とは?
 伊勢神宮と伊雑宮の真相
 神を祀るということの真意
 
 
第2章 なぜ天皇家と六家だけに「宇宙の奥義」が残されたのか

 喪失の危険は最初からわかっていた
 『古事記』以前の書、「古史古伝」と『旧事本紀』
 
 
第3章 世界中の「古代の叡智」はこうして文明の終着点「日本」に集った

 『旧事本紀』の「叡智」は、かつて世界中に存在していた
 超古代の叡智は、どのようなかたちで日本に残されていたのか
 『旧事本紀』はどこから出現したのか
 さまざまな古史古伝、それらもまた『旧事本紀』である
 「先代旧事」と「神代皇代」
 聖徳太子が天皇にならなかった理由
 『旧事本紀』編纂は天皇家だからこそできた
 聖徳太子の目指したもの
 
 
第4章 秦河勝とヒッタイト・ハッタイト文明

 『旧事本紀』編纂の黒幕!? 秦一族の謎
 秦氏と太子の思惑は一致していたのか?
 『旧事本紀』は人間を天才にする
 
 
第5章 聖徳太子の死後千四百年―初めて公開される『旧事本紀七十二巻』の実像

 本書で用いる『旧事本紀』の原本について
 宮東齋臣氏と『旧事本紀』
 『旧事本紀七十二巻』の構成と内容
 
 
第6章 世界の遺跡に宇宙の学問「天隠山理論」が表現されている理由

 誰が宇宙の発生を見ていたのか
 世界中の古代遺跡は一つの理論に基づいている
 繰り返される崩壊と生成
 『旧事本紀』がコンピューターでは解析できない理由
 人間の可能性
 
 
第7章 九重天と六重地―現代数学と物理を超越する「天隠山理論」の真髄

 『旧事本紀』の創造哲学
 理論の誕生を推理する
 九重天と六重地
 天隠山理論は円錐形の山か
 
 
第8章 幸魂・奇魂・荒魂・和魂(四つのDNA塩基)と現代生物学を超える霊魂とは?

 DNAの遺伝子も登場する
 天隠山と占い
 循環する乱数表
 神事と天隠山
 
 
第9章 天隠山理論の要諦にして―権力者が最も恐れた「五鎮三部」とは?

 五鎮三部
 
 
第10章 矛盾の間を生きる「人間」のための学問―『旧事本紀』の教える宗教とは?

 『旧事本紀』は中庸の学問
 宗教とは本来、人間学である
 人は何故信仰を求めるのか
 信ずべきは自分自身、神は人を救わない
 『旧事本紀』が教える親孝行
 道徳の基準「人の道」
 文明と進化
 人間が生きるために必要な学問とは
 
 
終章 謎の根元聖典『旧事本紀』が教える既存宗教と輪廻転生とは?

 現在の宗教は人間を滅亡に導く
 本当の宗教
 日本神道は根っ子、儒教は枝葉
 結果からアプローチした仏教は果実
 宗教が「欲を捨てよ」と教える意味
 日本神道も仏教も一神教である
 人間の才能と能力
 輪廻転生の真実
 
 
 
 
 
 
 
 
蘇我と物部、佛教とb道
物部氏を滅ぼしたのは蘇我氏ではない。
物部氏と蘇我氏は天皇の詔により和解した。

物部氏と蘇我氏を驅逐したのは百濟勢力藤原家である。
佛魔百濟勢力藤原家は聖徳太子や蘇我氏を滅ぼしたあと、
物部氏をも驅逐した。

死人に口無し。
兩家を驅逐した後は
自分達勢力に都合の良い樣に歴史を改竄僞造する。
全ての罪を蘇我氏に着せた。

白村江の戰い敗戰後、唐の太宰府筑紫都督府に據る大和軍事占領下に
唐側に巧妙に取り入り、有力豪族粛正の尖兵として、
物部氏や其の他有力豪族を抹殺し、シユメール文明由來の粘土板や
エジプト文明由來のパピルス等々、
所藏してゐた數多の貴重な歴史書を全て燒却破壞、
焚書坑儒を斷行し、b國日本の歴史の抹殺を圖つた。
 
 
 
『此の警告文は「エメラルドタブレツト」の文章を聯想する』
http://www.asyura2.com/08/bd54/msg/463.html

この警告文の主は恐らくユダヤ祭祀一族のレビ族です。
私はレビ族に関して投稿しようとした時に極めて特殊な方法で警告を受けた事があります。
レビ族は中国で秦を築いた秦一族と同系統であり、
レビ族にはおそらく大秦国と書くローマ帝国に関して、実は陰の真の支配者だった等の秘密がありますが、
おそらくローマ帝国に関するそれらの資料は秦一族である秦の始皇帝が焚書坑儒で学者達が後世に残してしまっては都合が悪い多くの資料を抹消したように抹消されています。
秦の始皇帝が抹消を意図した歴史資料の核心は、始皇帝の秦一族がローマ帝国の方から来た人達で云々といった事だった筈です。
秦一族が日本に来ている以上、ローマ帝国・秦・古代日本で、レビ族・秦一族に関する核心的な歴史資料が抹消され情報操作が為されている筈です。
 
 
 
 
蜂子皇子は百濟勢力に彼の地に留まり續けた場合
弑逆される事が確實ゆえ出羽の國に避難したのだ。
そして蘇我氏を歴史から抹消した。
『日本書紀』は藤原不比等が編纂した書。
 
 
585年(用明元年)- 聖徳太子の勧めにより宮中を脱出。
592年11月3日 - 父崇峻天皇が蘇我馬子に暗殺される。

           ― 蜂子皇子 - Wikipedia 経歴 據り
 
 
『日本書紀』に中臣鎌足が登場する直前のこと、気になる記事がのこされている。
 百済王豊璋が、三輸山で蜜蜂を飼おうとしたが失敗した、という話である。
 天香具山同様、三輪山は神聖な山であり、
 人が入ることはできなかったはずである。
その三輪山で豊璋が蜜蜂を放ったというこの記事は、
いったい何を意味しているのだろう。
そして、その直後の中臣鎌足神抵伯任命記事である。
二つの記事に、何か関係があるのだろうか。

                    ― 関裕二氏著「藤原氏の正体」おわりに 據り
 
 
 
 
    
 
 
 
 
出羽の國のなぞ
http://www.asyura2.com/08/bd54/msg/648.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2008 年 12 月 29 日 16:33:38: Gsx84HOp6wiqQ

羽黒山參詣記
http://www.asyura2.com/08/bd54/msg/345.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2008 年 10 月 18 日 23:52:48: Gsx84HOp6wiqQ

先生、またまた誤解です。差し出がましい発言すみませんでした、どうぞ投稿をお続け下さい。
http://www.asyura2.com/08/bd54/msg/598.html
投稿者 そこちょっとつんつく 日時 2008 年 12 月 18 日 20:34:52: 8EItFG7yGzQIA
 
 
 
古代日本のフリーメーソン 石物云ふ時來たぞ
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/209.html
投稿者 不動明 日時 2010 年 12 月 26 日 21:39:44: yX4.ILg8Nhnko
 
 
 
 

http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/853.html

コメント [カルト8] 副島隆彦:重掲より吉見おさむvs副島隆彦 kanegon
02. 2011年8月12日 06:29:39: OlLe4OHFNA
福島原発事故が夢だったらいいのにといつも思います。
日本人としてなぜこの国で再度大量の核が爆発したのか。
しかもチェルノブイリ級のメルトスルーが4連発も。
これからこの核汚染国家で生きていかなければならないと思うと憂鬱です。
その覚悟もまだきちんとできていないというか。
はたしてこれからどれ位の日本人がこの国で生き残れるのか(自分も含む)。
この国で生きていけなくなったら自分たちの子孫が
よその国で新天地を見つけてそこで順応して上手く生き残れるのか。
何も考えない人は、原発事故前と変わらぬ穏やかな生活を送っているんでしょうが、繊細、利発、鋭敏で機敏な人たちは本当に考えれば考えるほど、知れば知るほど放射能汚染が怖くてたまらないのです。
広島、長崎に住むことも原爆投下後60年以上たっても恐ろしいのに、
それを何百倍も上回る汚染が福島で起きて日本全体が影響されているんですから。
汚染物質を民主党政府は全国にも流通させるし。
もう日本国民を等しく内部被曝させようとしているとしか思えません。
これからどうやって子供を産み育てていくのでしょうか、この狭い日本で。
安心しろって言われてもできるものじゃありません。
結局日本は戦後66年たってもいまだに植民地であり敗戦国のままだったということでしょう。日本にいる限り大小の違いはあれ被曝は逃れられない。
でも日本を出たいけれど外国で生きるほどの持ち合わせも資質もない。
希望をもちたいけれど誰も持てない日本になりそうです。
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/454.html#c2
コメント [原発・フッ素15] 行き場のない"核のゴミ"北海道幌延町の不安 妹之山商店街
04. 2011年8月12日 06:30:08: uDhmjPSe4A
日本経済新聞

民主党
菅首相
菅直人
退陣条件
3条件
再生エネルギー特別処置法案
再生エネルギー
自民党 協力姿勢
脱原発
自然エネルギー
谷垣禎一
2011年8月11日
平成23年8月11日
衆院通過


http://www.nikkei.com/news/headline/related-article/tc/g=96958A9C93819481E3E2E2E1998DE3E2E2EAE0E2E3E38297EAE2E2E2;bm=96958A9C93819499E3E3E2E08A8DE3E3E2EAE0E2E3E3E2E2E2E2E2E2;bu=BFBD9496EABAB5E6B39EBBB49D909FBF9890B6A3A3BBB4E0FDA6B38A82B3A0E19899E4818AE4E2B5BBA69AEB9CB9B4E682BE849E9CA4E5A2B7A6BAB584F9A3BEBE85B695E6E6A8E2B5A187E685A5988AE5E7E7E39F9CA180B6858384E0A2B894838295E5AB84A0E284828493EAB0A49885A48087EB8796AAA7EABEB3EB9486E3838295E5AB84A0E284828493EAB0A49885A48087EB8796AAA7EABEB3EB9486E3838295E5AB84A0E284828493EAB0A49885A48087EB8796AAA7EABEB3EB9486E3838295E5AB84A0E284828493EAB0A49885A48087EB8796AAA7EABEB3EB9486E3838295E5AB84A0E284828493EAB0A49885A48087EB8796AAA7EABEB3EB9486E3838295E5AB84A0E284828493EAB0A49885A48087EB8796AAA7EABEB3EB9486E3838295E5AB84A0E284828493EAB0A49885A48087EB8796AAA7EABEB3EB9486E3838295E5AB84A0E284828493EAB0A49885A48087EB8796AAA7EABEB3EB9486E3919A9886FDB7A4ABB59697EF


自民党内で10日、赤字国債発行法案と再生エネルギー特別措置法案で協力姿勢に転じたことへの混乱が広がった。執行部は菅直人首相に月内退陣を明言させたが、衆院解散・総選挙に追い込むためには赤字国債法案を切り札として取っておくべきだと訴えた強硬派の不満が根強く残る。首相退陣後の大連立への警戒感もくすぶっている。

 「非常に窮屈な日程だ。合意した法案が本当に通るのかなとも思わざるを得ない」。佐藤勉国会対策委員長代理は10日、党国対幹部会後、記者団にこぼした。

●突然の方針転換

 逢沢一郎国対委員長は赤字国債法案の温存を狙った強硬派。谷垣禎一総裁が協力路線にかじを切り、国対は突然の方針転換に翻弄された。再生エネ特措法案は10日の民主、自民、公明3党の政調会長会談で12日の衆院通過を目指す方針で一致。週内の衆院通過は難しいとみていた国対は困惑している。

 「ちょっと急ぎすぎなんじゃないか」。10日、最大派閥、町村派会長の町村信孝元官房長官は都内の同派事務所に集まった約20人の所属議員を前に、赤字国債法案の扱いに不満をにじませた。

 町村氏は赤字国債法案で安易に妥協せず、早期解散に追い込んで民主党政権を打倒すべきだと主張していた。記者団には法案への賛否を聞かれ「一晩考える」と述べるにとどめた。

 谷垣氏らが赤字国債法案への協力に動いたことが首相の退陣明言を引き出したが、代償としては不人気の菅首相のまま衆院解散に追い込む戦略を失った。党内には「谷垣氏や協力推進派の大島理森副総裁、石原伸晃幹事長は民主党との大連立を狙っているのではないか」との臆測が飛び交う。

 党内は連立後の衆院選が戦いにくくなることなどを理由に慎重論が根強い。町村派の会合では首相退陣後の大連立に反対する方針で一致した。

 ●谷垣氏は大連立否定

 石原氏らは民主党の新体制と今年度第3次補正予算案など復旧復興を中心に協力し、年内解散を経て政権奪取の戦略を描く。谷垣氏も10日、大連立に否定的な見解を示したが、一方で代表選出馬の意向を固めた野田佳彦財務相に「思いつきを打ち上げる方ではない。ああいう方に頑張っていただく必要がある」と秋波を送った。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/489.html#c4

コメント [カルト8] 免許皆伝だ! 合格!!!05. 2011年8月11日 16:47:38: P9lBJBtolI 氏。 宇宙一いい加減な博士
04. 2011年8月12日 06:35:53: P9lBJBtolI
博士、皆さんありがとう!!(><。。。。
やっと初めての免許皆伝です。
皆さんの支えそして博士が色々教えてくださったおかげです。
今日は気持ちよく寝れます(U0U)zzz
こう言った方が良いなど自我と相談せずにストレート表現したのが
よかったのかな。
チョー嬉しいです^^
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/452.html#c4
コメント [経世済民72] 輸出超過大国、日本、中国、ドイツは世界経済を駄目にしている、賃金上げて輸出超過を止めよ heiwatarou
31. 2011年8月12日 06:40:25: m5kq4Hj80g
>>中谷巌(一橋大学名誉教授)『痛快!経済学』集英社 1998  p175
>>。ヨ不況だから貿易黒字が増える」のであって,

>これは間違いと言うことですね

 どこが間違いなのですか?事実を示したとおりですが。

>貿易黒字が大きいから豊かになるわけではないのです。
>だがこれはどうですか、

貿易黒字が大きいから豊か(GDP増)になるわけではないのです。


 その通りですが。

対外資産がプラスだろうがマイナスだろうが、

GDPマイナス日本
プラス中国 ドイツ アメリカ フランス イギリスです。

 これが事実です。マイナスだから豊かになれないのではありませんし、プラスだから、豊かになるわけでもありません。

「貿易黒字だから経済成長」も、「貿易赤字だから経済低下」もありません。
 

 事実に基づき、あなたのような妄想を書かないこと! 
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/659.html#c31

コメント [自然災害17] 死者ゼロの岩手・普代村を守ったのは… 2人の「ヒーロー」(MSN産経) 赤かぶ
07. 2011年8月12日 06:53:17: rhbXmxdmJw
3千人の命を救った二人。

勝利を導くのは、研ぎ澄まされた頭と心の持ち主一人、二人の勇気だとわかる。

あきらめちゃいけない事を教えてくれた。

赤かぶさん御投稿ありがとう。
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/256.html#c7

コメント [お知らせ・管理20] SaveChild厨さん、タイトル規定違反です。ご理解いただけるまで投稿可能数を0にしておきます。 管理人さん
02. 管理人さん 2011年8月12日 06:58:42: Master
投稿可能数を元に戻しておきました。

引き続き阿修羅掲示板を大活用してくださいませ。
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/224.html#c2

コメント [原発・フッ素15] 汚染がれき 原発の中だと厳重に管理されるものを、外では一般廃棄物と同じでよいというのはダブルスタンダードだ   赤かぶ
02. 2011年8月12日 06:59:47: hvkbydMJj2
直接核廃棄物汚染物の埋設募集に応募に応じる地区が日本国内にないのでウランバートルに銭を払って持ち込もうとする政府であるが、ソレはウランバートルは地層が安定し地震も無い国であるということ。日本では例えば六甲山に900メートル地下に埋設し2万年経過すると、300メートル空中に盛り上がる地層の隆起が起こる。かような次第で、キロ当たり20000ベクレルの焼却灰を四国九州北海道の各地の埋設地に埋設したとして、後世どうなるか学術的の想定をしっかりしなくてはならない。県や自治体の長の任期に上滑りの対応をすれば後世に禍根を残す。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/488.html#c2
コメント [経世済民72] 米国債の格下げ 問題は算術でなく政治にある  ポール・クルーグマン ダイナモ
01. 2011年8月12日 07:06:05: mHY843J0vA
>私たちが抱える問題は、ほとんど一方の側だけにかかわるものだ。具体的に言えば、自分たちの要求を1インチでも譲歩させるくらいなら、再び危機をもたらすことも辞さない過激な右派の連中の台頭が引き起こしている

こういう非難は無意味でしょうね。
逆に左派というのは右派から見れば、身勝手な寄生虫にしか見えないのです
この世界というのは、利己的な人間で構成されていますから
それを前提にして、行動していくしかないでしょう
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/710.html#c1

記事 [原発・フッ素15] 小出裕章・たね蒔きジャーナル8月11日(牧村しのぶのブログ)/音声付き
20110811 たね蒔きジャーナル 京都大学原子炉実験所助教 小出裕章

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http://d.hatena.ne.jp/pinsuke/20110811/1313070618

2011-08-11
小出裕章・たね蒔きジャーナル8月11日(牧村しのぶのブログ)


小出裕章・京都大学原子炉実験所助教による福島原発事故の解説

毎日放送ラジオ「たね蒔きジャーナル」(月〜金曜)

http://www.mbs1179.com/tane/

http://twitter.com/tane1179

11日放送分(80回)書き起こしをメールより転載させていただきます

*****

 原発関係のニュース、福島県、震災と事故で、脱原発を基本理念とした復興ビジョンを示し、福島に原発の集中していたことを見直します。放射線の安全基準他を入れてビジョンを示しました。

 東電の事故で、原子力安全庁、環境省に置くと細野氏が言っています。15日に閣議決定し、来年4月の発足を目指します。内閣府という案もあり、独立性が確保できないと、環境省(何のしがらみもない)になりました。経済産業省からの独立はいいものの、アメリカのFEMAのような独立性の高いプロ集団をどう作るかが問題と池田さんの指摘がありました。時の政権、政治からどれだけ独立するか、なのです。


 そして、小出先生のお話、リスナーの質問が来ており、神奈川の方より、夫婦で金属加工業をしており、屋外の産廃金属を使うと、放射能に汚染された可能性があり、それは計測できるかについて、スクラップに放射能が紛れ込んだ事故は世界で何件も起きており、トラックごと放射能を測定して検査することを実施しており、技術的には可能なものの、中小企業にはかなりの負担で、猛烈な汚染のみ分かればいいなら簡単なもので良いが、精度の高い測定は大変であり、原発を解体すると、1つで60万立方メートルのゴミ(コンクリート、鉄)が出て、汚染の度合いごとに仕分けして、汚染の低いものは一般のゴミにすることも認めています(クリアランス)。こと細かく、セシウムはこれだけ、コバルトはこれだけ、と決められており、100ベクレル/kgなのですが、福島の汚染は猛烈でそれを越えているのです。何か新しい制度を作り、トラックを集中して検査することをしないと対応できないのです。その汚染の中で生きるしか方法はないのです。

 埼玉の主婦から、放射能汚染、小中学校でホームルームでも取り上げられていないのです。文科省が仕切っているからでしょうか、と言うことで、もちろん学校で教えるべきで、しかし日本で原子力についてちゃんと教えたことはないが、事故が起こり、子供たちに正しい情報を教えるべき、学校で原子力をちゃんと教えていなかった、学校で原発が危険と先生が言うことが許されなかったのです。

 福島の原発、朝日の報道で、2度目の炉心溶融があったということについて、詳細を教えて欲しいとのことで、小出先生、あり得ることであり、現在の報道だと、融けるのを防いでいた炉心が、水が足りなくなり、融けたという推測が発表され、裏付ける証拠は、大量の放射能が観測されており、15日まで水素爆発、22日も出ているのです。

 事故直後に、東電が社員を引き上げさせてくれと言ったのは、手が打てないからかについての質問について、打てないが、事故後、現場で作業員が収束のために働いてくれて、何とか破局を免れたのです、ありがたいことなのです。スリーマイルではどんな事故か分からず、7年半たって圧力容器を見たら炉心が融けていたことがわかり、事故中にこれが分かっていたなら、運転員はみんな逃げていたと言うのです。

 10シーベルト/時間の意味合い、これは近づくことは出来ず、防護・遮蔽壁を作り、ダクトを切り離して隔離することを、1年後か2年後にしないといけないのです。


http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/490.html

コメント [原発・フッ素15] ベトナムの原発建設支援確認 めっちゃホリディ
02. 2011年8月12日 07:16:53: hvkbydMJj2
原発運転にともない発生する核ゴミは日本がソックリ引き取るのだろう
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/484.html#c2
コメント [原発・フッ素15] “保守派”論客が原発継続を語る:とても保守派とは思えない言説 あっしら
26. 2011年8月12日 07:18:13: EsJZgsIzPQ
丸山健二
 戦争を推し進めたがる連中は、兵士としてはほとんど役に立たない、老いぼれたちであって、かれらはいつも安全なところに身を置き、冷血な命令を平気で下し、何十万、何百万という犠牲者を軽々と乗り越えて、勲章を押しいただき、名誉を独り占めにし、後世に名を残し、記念碑やら銅像やらを建てる。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/469.html#c26
コメント [原発・フッ素15] 原子力安全庁:実行力は未知数 環境省内にも戸惑い (毎日新聞)  赤かぶ
03. 2011年8月12日 07:27:23: vdTZNC5yCw
「遠野物語」で有名な柳田國男は、農務省の役人でした。

当時法案立案力が弱かった農務省は、東大法学部卒の柳田を迎え入れ強化したそうです。

柳田は農務省の役人として全国を歩く中で、そのごの柳田民俗学につながる知見を得たといいます。

原発行政力が弱い環境省も、これに習って、正しい脱原発人材を集めれば良いのではと思います。


http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/483.html#c3

記事 [原発・フッ素15] 放射性物質含む灰、埋め立て可能…環境省原案
放射性物質含む灰、すべて埋め立て可能…環境省原案
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110811-OYT1T00089.htm

8000→10万Bqに基準緩和 列島汚染

--引用--
福島第一原発事故により放射性物質が付着したがれきや汚泥の焼却灰について、
環境省は10日、すべての焼却灰について技術的に埋め立ては可能とする処理方針の原案を公表した。
--------
8/10 第五回 災害廃棄物 安全評価 検討会 メンバー(←決めたのはヤツラ)
http://www.env.go.jp/press/file_view.php?serial=18029&hou_id=14105

毎日JP 
放射性物質:焼却灰 10万ベクレル以下なら埋め立て検討
http://mainichi.jp/select/science/news/20110715k0000m040088000c.html

--引用--
排ガス用のフィルターがついていないタイプの既存施設でも
汚染がれきの焼却に問題がないことが報告された。
ほぼ全ての焼却場で処理が可能になるという。

--------
大気に大量放出 → 焼却場 周辺汚染 → 日本全国汚染


 8/8 放射性物質含む可能性 震災ごみ焼却へ説明会 いわき市
 http://www.kahoku.co.jp/news/2011/08/20110808t61001.htm

  国立環境研究所資源循環・廃棄物研究センターの大迫政浩センター長は
  「排ガスの放射性物質はフィルターでほぼ完全に除去される」


8/9 環境省 災害廃棄物の進捗状況(最後のページ)
http://www.env.go.jp/jishin/index.html

7/14 第四回 災害廃棄物 安全評価 検討会 概要(堂々と非公開と書かれている)
http://www.env.go.jp/jishin/attach/haikihyouka_kentokai/04-yoshi.pdf

上記ソース 

環境省HP 災害廃棄物対策(第五回検討会もこちらで発表待ちです)
http://www.env.go.jp/jishin/index.html


解説HP

日々雑感【放射能がれき処分問題】
政府主導で全国で埋め立て処理か【汚染スゴイけど九州に埋めようかなぁ〜】
http://hibi-zakkan.sblo.jp/article/47298756.html

以上

赤かぶさんとネタかぶりですが、ご容赦下さい。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/491.html

コメント [Ψ空耳の丘Ψ59] 夏休み。小魚突く ヤスの作り方、アイロンで超簡単 安価。 kokopon
04. 2011年8月12日 07:40:12: wIcpB1Tc7I

 検索→ 古代の昆虫、巨大化の謎に新説
古代昆虫の多くの種でも、幼虫が水中から酸素を受動的に取り込んでいて、
摂取量をうまく調節できなかった可能性がある。酸素濃度が非常に高かった
時代には、きわめて危険な状態だ。酸素毒性のリスクを減らす1つの方法が、
巨大化することだったと考えられる。

あの水のない川は何だ 1-2-3-4
http://portal.nifty.com/kiji/110811146748_1.htm

綿のような白い虫がスリランカの村に大量発生
http://omoroid.blog103.fc2.com/blog-entry-556.html
Strange New Insect Creatures Infesting Galewela Village in Sri Lanka
http://www.youtube.com/watch?v=OHKwHwPKS8E
 画像検索→ Flatid Leaf Bug Nymph



http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/806.html#c4

コメント [自然災害17] 証言記録 市民たちの戦争 封印された大戦争(NHK):「地震の次は何をお見舞いしましょうか」とB29がビラ 会員番号4153番
16. 2011年8月12日 07:41:35: IXEITbxd3s
15 大いに同調賛同
気象改変装置の真偽(浜田和幸参議院議員) 忍
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contemporary navigation : 環境改変技術 敵対的使用禁止条約 1977年の全文

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気象は軍事情報で気象兵器は実存するため、上記の条約が国連で採択された。
大きい地震の場合、ベクテル社の関与した土木公共工事を疑うのが技術屋の基本です。
阪神大震災も、明石大橋のケンブリッジの中間に震央があり、ベクテル社のボーリングした位置です。
羽田空港も関西国際空港もベクテルが関与しています。ベクテルの社長は元米国国防省長官キッシンジャーで彼らの意図はわかりやすい。
日本の国民が民意で自公政権から脱却し社会党や民主党に政権交代したときには、必ず大地震が引き起こされる。そして売国官僚共が政権に偽の情報を流すか、肝心な情報を流さない。民意は担当政権を見放し、再び自公政権に戻す工作がマスゴミが電通の指令の元、徹底的に捏造、虚偽の報道で国民をだまし、米国のゴロツキの言うことを良く聞く自公に選挙で勝たして、民意で自公政権が生まれる形になる。
言うことを聞かない政治家は、地検特捜が法務官僚、裁判所と結託して、不当に逮捕し生命を抹殺する。
実に分かり易い構造であるが、国民の多くは、今までコロット騙されて来ましたが、さすがに福島の放射能汚染は、世界的過ぎて、国民は1億以上覚醒した模様です。
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/502.html#c16

コメント [原発・フッ素15] “保守派”論客が原発継続を語る:とても保守派とは思えない言説 あっしら
27. suzupapa 2011年8月12日 07:46:20: SfLsS4t7MHoQQ : S667JzQzlY
原発が化石燃料の代替えになるという言説が推進論者の主張であるが、ほんとうにそうだろうか?およそ地下資源を採掘して運搬し、燃料として燃やす発電方式を成り立たせているものが何か、考えてみたら極めて自明である。あらゆる動力の主流は石油燃料を使用するものであり、石油が無ければ、ウランを地中から取り出すこともできないし、いずれかへ運ぶこともできない。

すなわち最も有力な代替えエネルギーとされる原子力は石油動力によって運営されているのであり、まさしく石油文明のサブセットに過ぎないのだ。

では、石油無しの原子力文明とはどうなのか?あらゆる自動車船舶採掘重機も含めた電気のフォローしないところまで原子力動力で動かせるのか?原子力自動車のような小さな原子炉を持つものが無数に存在する社会というものを想像できるだろうか?
核物質管理は困難になるし、それこそシビアアクシデントのリスクは幾何級数的に増大するであろう。


掘って運んで練って燃やす、このような浪費的エネルギーは、いかなるものであれ
日常的にサポートする動力とは切り離せない宿命があるのである。

では再生エネルギーはどうであろう?

風力にしろ太陽光にしろ海水温度差、波力、地熱にしろそこにあるものをそのままエネルギーに変換するというのがミソである。建設/保守管理には動力が必要だろうが、掘り出したり運んだり都度補充する必要も無く、原子力のように別のエネルギーを使って管理する必要も無い

このようで無いと、化石燃料からの脱却はできないし、原子力にはその資格が無い


http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/469.html#c27

コメント [原発・フッ素15] 小出裕章・たね蒔きジャーナル8月10日(牧村しのぶのブログ)/原子力を廃棄するために原子力を研究する人が育ってほしい gataro
07. 2011年8月12日 07:50:43: evSC25VapI
小出先生はいくらお金をもらっても、名誉や地位をちらつかせられても自分の信念が壊される人生なんて興味ないし、ちっとも幸せを感じられないんだろうなーと思います。

大多数の人間はある程度の所で妥協したり、自分を慰めたりしながら適当に世間を生きていくのでしょうが、先生はそういうタイプの人ではないんだよね。
なんだか、山崎豊子の”沈まぬ太陽”を思い出しました。

でも欲を言えばこれからの日本の為に、心ある第二、第三の小出先生のような気骨ある若き学者さんが出てきて欲しいものです。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/460.html#c7

記事 [Ψ空耳の丘Ψ59] デーヴィッド・デ・ロスチャイルドは二人いる
ニューヨークのウオール街をニュー・マネーとするなら、ロス茶はオールド・マネーにあたる。いわゆる、ヨーロッパ王族・貴族・ローマ法皇の金庫番だ。

その帝王がデーヴィッド・デ・ロス茶である。

ロス茶の金融ネットワークはヨーロッパ中に蜘蛛の巣のようにはりめぐられている。

古くは、フランクフルト、ジュネーヴ、ベネチア、パリ、ロンドン、ヴィエナなどに本拠があった。

今現在はイギリス・ロス茶とフランス・ロス茶をまとめる、デーヴィッド・デ・ロス茶が世界金融王だ。

よくメディアが大富豪として焦点をあてるイギリスのデーヴィッド・デ・ロス茶は比較的に若い(1978年生まれ)。イギリスのロス茶家の三男坊で冒険家で環境保護主義でみてくれも悪くない。しかし、彼はすでにロス茶株を全てフランス・ロス茶に売っている。

マスゴミはわざとこの人を注目しているのだと思う。

この人はデーヴィッド・メイヤー・デ・ロスチャイルド(David Mayer de Rothschaild)だ。

彼にはイングランド銀行をとおして、世界中の中央銀行の金利を操作する力などない。

みなさんには、デーヴィッド・レネー・デ・ロスチャイルド(David Rene de Rothschaild)に着目していただきたい。

以上。
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/854.html

コメント [原発・フッ素15] “保守派”論客が原発継続を語る:とても保守派とは思えない言説 あっしら
28. 2011年8月12日 07:52:48: IIzrsqmIno
米国から日本を守る安全保障として原爆開発は必要かもしれない、
しかし、そのためには原発が必要なのか?
米国は、原発なしで、原爆を作ったのではないか?

まとめてくれてありがとう。


http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/469.html#c28

コメント [原発・フッ素15] “保守派”論客が原発継続を語る:とても保守派とは思えない言説 あっしら
29. 2011年8月12日 07:58:35: oz33FCcPgo
櫻井よしこも昔はまともで、社会的弱者に対する暖かい目があった。

ゲストに広河隆一氏を招いてチェルノブイリの実態をレポートする番組に出ていた。
http://www.youtube.com/watch?v=WCfzjHaVu5s

いつのころからか醜悪な右翼ババアになり下がった。

本人が今これを見たら何と言うのかね。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/469.html#c29

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