37. 2011年8月10日 08:39:40: FUviF2HWlS
>>36訂正 国会公務員→国家公務員
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/388.html#c37
65. 2011年8月10日 08:42:34: DcxDg6lzRM
>>63
もう既知だと思うけど2ちゃん学問板の地理人類学、地理お国自慢スレに行けば縄文、弥生の美醜(言うまでもなく日本原住民縄文人の彫りの深さに対して帰来人弥生のいかにも朝鮮人顔を対置させて差別する民族学的遺伝子学的にはまったく無根拠な言い争い)やアイヌにまで日本人の源流を求めて弥生人文化をあくまで支配文化だと忌避する等、贔屓の引き倒しに固執する痛いネトウヨ嫌韓厨くんたちの痴態が及んでいる。
こういう連中に教え諭しても無理だよ。世間に出て自分が変だったと気付くまで治らない。
その良い例が8月8日のお間抜けデモだ。
自然発生的だと自画自賛するが、デモすることを事前に警察に届け出ていないこと、これがたとえばこいつらが唾棄するサヨクやプロ市民がそうしたらたちまち非難、悪口、罵詈雑言でスレが消費されるだろう。
ところが自分らだと自分たちの自然な意思の発露だからいい!と開き直っている。
フジテレビの日撲滅を掲げてデモだのネット工作だのいろいろやりましたが、なにひとつフジテレビの視聴率には響きませんでした。
自分たちの敗北を認めたくないからTシャツのロゴにケチつけたり揚げ足取りに終始して瑣末なことにこだわりお茶を濁している。
視聴者は見たくないものは見ないという普通の選択をちゃんとやっている。
お間抜けなネトウヨ嫌韓厨くんたちの思惑よりね。
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/206.html#c65
http://yokodo999.blog104.fc2.com/blog-entry-354.html
円が基軸通貨になっている!?
米国のデフォルトはギリギリのところで回避されましたが、単に先送りされたに過ぎません。取り敢えず債務の上限が1兆ドル(77兆円)引き上げられましたが、即日使い果たしてしまったようです。米国の財政赤字は底なしの状態で、幾ら金を注ぎ込んでも状況は改善されません。ドル自体が紙切れなので、当たり前ですが…。(「紙切れ同然」ではなく、文字どおり紙切れです)
こんな有様なのに、野田佳彦財務大臣は、8日朝に行われたG7財務相らによる緊急の電話会議で、米国債の保有を継続する方針を表明しました。米国債を保有し続けていることでこれまで数十兆円もの為替差損を出しているのですから、本来なら直ちに売り払うべきです。しかし、米国の植民地である我国に売却という選択肢はありません。植民地の管理人として、本国に忠誠を誓うことしかできないのです。
ドルを使う限り、事態は打開できません。ドルになぜ信用がないのかと言えば、国家自体の問題もさることながら、ドルの裏付けとなっている金が偽物であることが明らかになってしまっているからです。現在の変動相場制の下では、通貨と金のリンクは切り離されていますが、だからといって単なる紙切れを幾らでも刷って使えるというわけではありません。なにがしかの裏付けがないと、通貨は信認されません。今のドルには、その信認がないのです。
そこで現在何が行われているのかというと、米国はドルではなく円を使って決済しているようです。これは板垣英憲氏の情報ですが、米国のFRBは、戦勝国の権利として日本の紙幣の原版を押さえているいるそうです。つまり、日本政府を通じて日銀にに紙幣を刷らせることができるようなのです。(板垣氏は、FRBが日本の造幣局に常時検査官を配置していると述べていますが、造幣局で造られるのは硬貨ですから、「国立印刷局」の間違いでしょう。紙幣は、国立印刷局で造られています)
この情報が正しければ、米国は日本の国立印刷局から大量の円紙幣を納入させていることになります。そのため、ヒラリー・クリントンが頻繁に米軍基地を使って来日し、円紙幣の増刷を督励して、持ち帰っているそうです。
しかし、現在主流の通貨は預金通貨で、紙幣はそれほど使われていません。コンピューター上の仮想の通貨が預金通貨ですが、これでは信用されないので、現物の円紙幣が使われているということなのでしょう。でも、余りにまだるっこしいやり方です。
ベンシャミン・フルフォード氏は、米ドルには数種類あって同一ではないと述べています。米国外で刷られているドルがあり、日本でも造られているようなのです。ドル紙幣には記号が記してありますが、それを見ればどこで刷られたものか判別でき、日本で刷られたものは日本政府の信用が付されているので信任が厚いということのようです。こちらの方が有り得ると思われますが…。
とは言え、ドルの信用が地に堕ちれば、「dollar」という表示そのものが忌避されることになります。そのため、やむを得ず円を使うことにしたのかも知れません。円高に歯止めが掛らないのはこのためだと板垣氏は述べていますが、そう言われれば納得できる面もあります。
円が信認されているのは、日本の経済力のためではありません。技術力は落ちていますし、震災の影響で国内はガタガタです。こんな状態の日本の国力を信じるほど、世界の金融関係者は甘くありません。円が膨大な金塊によって裏付けられているからこそ、信用されているのです。
なぜ我国に膨大な金があるのかというと、「黄金の国」.と言われたほどですから、金が産出されるということもあります。しかし、戦時中に東南アジアなどで略奪した金もたくさん存在しています。それらは現在、日中の要人によって共同管理されているようですが、欧米諸国もその恩恵に与っています。従って、真相が明るみに出ることはありません。
現在進行中の出来事は真に不条理ですが、一般国民には到底窺い知ることのできない背景が存在しています。それを韜晦して世界のため、国民のためというポーズを当局が取っているので解りにくいものとなっています。現状を変えることは難しいですが、公式発表を疑って裏読みし、真相を探り当てる努力はすべきでしょう。さもなければ、何もかも失ってしまうことになりかねないからです。
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http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/448.html
06. 2011年8月10日 08:47:24: ziwEB0JzPs
>>04
ストロンチウム90、プルトニウム238、239、240を何故、測らないのだ。
なぜその事をちゃんと言わないんだ
それを言わないのはインチキだぞ
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/414.html#c6
01. 2011年8月10日 08:47:24: DcxDg6lzRM
アホくさwコジツケまだやってんのかよ。
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/209.html#c1
03. 2011年8月10日 08:48:42: dNo8GvWkm2
緊急時避難準備区域のままだと賠償金の心配しなくちゃいけないから?
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/431.html#c3
194. 2011年8月10日 08:49:45: uo24qIg0cQ
> 191 こういうことを今いっている人たちは、たぶん1ヶ月前には「今回の事故で日本は終わりだ。」といっていたのではないか。 の多摩散人へ
そんなことはありません。3月11日から、他の原発で同じことが起こったら日本は終わりだと多くの人が主張していました。例えば浜岡が同じことになったときを考えればすぐに理解できることです。また若狭湾沿岸の事故でも同じようなものです。
もしも事故が起こっても今回の福島の経験から準備を整えれば被害を少なくできるとのことですが、大口径配管の破断などがあれば分秒単位で破局に至ります。どのような準備も無意味です。なんらなすすべもありません。また、浜岡の直下での地震時など、道路はずたずたで外部からは何も対応策ができません。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/319.html#c194
http://yogurtcaramel.blog94.fc2.com/blog-entry-8.html
ウルトラ・ダラー 手嶋龍一
結構話題になった小説。
小説としてはどうかという批判が結構あったんですが、別に筆者が文章のうまさをアピールしているわけでないし、この本の主題も人物の内面を描き出すことでは決してない。
したがって、文学作品として読むのならやめたほうがいい。しかし、「本」として面白いか否かと言われたら、迷わず面白いと答える。なんといっても社会情勢の描き方が丁寧なのである。登場人物にリアリティがないとかこの本に対して言うのはあまりにもナンセンス。だいたいにして文学作品に出てくる人間にリアリティがあるみたいな言い方じゃないか。
それに登場人物にリアリティがなければいけないなんて誰が決めた?社会情勢という部分にリアリティをもってくる小説がいけないなんて決まりはない。
とにかくいわゆる「小説」としての欠点をすべて補ってなお余りあるほどの面白さがこの本にはある。
とりあえず読んでみて損はない一冊である。
http://www.asyura2.com/11/lunchbreak49/msg/580.html
66. 2011年8月10日 08:52:17: 8qkp570kfE
い、遺伝?DNA調べれば国籍が解るんですか?
日本国籍の夫婦がアメリカで出産したら、親子鑑定で一致しなくなるんですか?そういう子は二重国籍だと思うんですが、二十歳でどちらか国籍を選択したら、未成年の頃とDNAが゙違うものになるんですか?
知らなかったわぁ。進歩してますね、どちらの国の科学技術ですか?
お恥ずかしいことに日本じゃまだ、リコンしたら女は半年再婚できないんです。どっちの子供か解んないからって。
だとしても凄いね。『何代遡っても、自分には「渡来人」の血も一滴も混じっていない!』って言い切れるって。太平洋ど真ん中の島々でも結構色々よそと交流があるらしいのに。家訓かなんかで、代々同族結婚繰り返したのかな。
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/206.html#c66
03. 2011年8月10日 08:52:20: S57QJHub3w
ネトウヨくん8.8デモの大不発が悔しいからって八つ当たりすんなよw
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/208.html#c3
バカじゃなかろうか、細野(原発大臣) 保安院分離→「環境省外局」プラン
http://asumaken.blog41.fc2.com/blog-entry-3584.html
2011/8/9 日刊ゲンダイ :「日々担々」資料ブログ
経産省・東電 高笑い
菅政権が来年4月の発足を目指す新たな原子力規制機関「原子力安全庁」構想。やらせ連発の原子力安全・保安院を原発推進を担う経産省から分離・独立させるのは当然だが、新機関の置き場所で政権内がモメている。細野豪志原発担当相(39)は「環境省の外局」にこだわっているが、愚の骨頂である。
新たな規制機関の設立は、原子力の「規制」と「推進」を分離させるのが最大の狙い。ところが、環境省はこれまで地球温暖化対策の観点から、原発推進の旗振り役を演じてきた。京都議定書の制定を受け、98年にまとめた「地球温暖化対策推進大綱」には堂々と「原子力の推進」を掲げ、こう強調していた。
〈引き続き増加するエネルギー需要を満たしつつ、わが国の(CO2)削減目標を達成するためには、原発の新増設が不可欠〉
〈国民の一人一人が原子力を含むエネルギー問題について理解を深める教育を推進する〉
新機関を環境省に移しても、原発行政の「アクセル役とブレーキ役の同居」という矛盾は引き継がれるのだ。
原発行政をめぐっては、経産省と過去50年間で68人の天下りを受け入れてきた電力各社との癒着構造も大問題だ。環境省だって天下りゼロの清廉潔白な組織ではない。傘下の公益法人のうち、16法人・24ポストに過去3代以上連続してOBが天下っている。
「しかも、環境省の官僚は経産官僚以上に原子力の知識に疎い。環境省が電力会社の言いなりとなり、天下りを通じて取り込まれるのは目に見えています。今まで以上に電力会社の支配力が増す可能性は極めて高い」(電力業界ベテラン記者)
新機関は職員500〜600人の体制を想定している。環境省内に専門スタッフがいなければ、経産省から切り離しても人材は「経産省頼み」。細野大臣は新機関の幹部が経産省に戻ることを禁じる「ノーリターンルール」の導入を検討しているが、人的つながりを分断できるとは思えない。
結局、細野プランは経産省と電力各社をよろこばせるだけだ。
◆「政府からの独立」が最重要
行政学の権威である前千葉大教授の新藤宗幸氏は「なぜ、新機関を内閣の管轄から切り離す議論が出てこないのか」とこう言う。
「新たな規制機関で最重視すべきは、いかに政府から独立し、専門性を兼ねた組織をつくるかです。政府が電力供給の責任を負う限り、どの省庁に位置づけても『規制』と『推進』の矛盾は付きまといます。枝野官房長官などは『内閣府に設置すべき』という意見ですが、それこそ内閣府に置けば、その時々の政権のエネルギー政策で新機関の活動が左右されてしまう。あれだけの事故が起きたのですから、既成の概念に縛られる必要はありません。政治主導にこだわるあまり、新組織を従来のワクにはめて政府の管轄下に置く議論しか出てこないのは残念です」
デタラメ経産省と東電幹部の高笑いが聞こえてきそうだ。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/432.html
31. 2011年8月10日 08:55:08: t5gzmyyhXY
子宮頸癌のワクチンって、イギリスの小学生で死亡事故が何件か出てますよね。
諸外国で、もう疫病神扱いのこのワクチンを
今日本が導入する意味があるの????
まるで薬害エイズを彷彿させます。
欧米では、血液製剤にエイズウイルスが混入していた危険性があったから
血液製剤が売れなくなって沢山余っていた。
そんな時、日本(の企業)が安価になったのを見計らって大量買いに走った。
いくら安くたって、有害と分かっている物で一儲けとは!。
ひどすぎる日本版資本主義。
子宮頸癌ワクチンは、ウイルス汚染されている訳ではないから
その点は薬害エイズよりも無害です。
しかし、死亡するほどの副作用がある事は
周知徹底すべきだし、子宮頸癌の根本的な原因を分かっていれば
ワクチンに頼る前に、気を付ける事があるのではないでしょうか?
↓
(子宮頸癌の原因であるヒトパピローマウイルスは健康な男性にもいます。
普段は無害です。しかし性交渉で女性にうつる事があります。
つまり、遊びすぎに要注意という事です)
http://www.asyura2.com/09/iryo03/msg/268.html#c31
16. 2011年8月10日 08:55:08: S57QJHub3w
でもここ数日、暑いけどね。
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/205.html#c16
http://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken/e/a82f56b2654172424b1bb663e3249370
菅直人首相は、米国債100兆円分放棄のサインができず、オバマ大統領が日米首脳会談を拒否!!
2011年08月08日 18時07分51秒 | 政治
◆「米政府が、9月前半に予定されていた日米首脳会談の日程調整を事実上拒否していることが7日、分かった。複数の日本政府高官が明らかにした。菅直人首相の退陣時期が不透明な上、仮にオバマ大統領が菅首相と会談しても議題や成果が乏しいためだ」と産経新聞msn産経ニュースが、伝えた。オバマ大統領は5月26日夕(日本時間27日未明)、ドービルのホテルでオバマ米大統領と会談した際、「今年前半」としてきた菅直人首相の訪米について9月上旬の公式訪問を招請し、菅直人首相は、これに同意していた。首相は環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)の交渉参加判断の時期について、「できるだけ早期に判断したい」などといろいろ約束していた。
msn産経ニュースは、日程調整を事実上拒否の理由について「菅直人首相の退陣時期が不透明な上、仮にオバマ大統領が菅首相と会談しても議題や成果が乏しい」と報じているが、確かに、これも大きな理由であろう。
しかし、本当の理由は、違う。「板垣英憲情報局」でも書いてきたように、菅直人首相が、「日本保有の米国債約100兆円(非公式保有の約1000兆円)分について債権放棄する文書にサインし、全世界に記者発表してくれ」というオバマ大統領の強い要請に応じようとしないので、日米首脳会談の日程調整を拒否しているということである。
ティモシー・ガイトナー財務長官は、上下両院が米国債の発行上限引き上げ法案に賛成してくれて、間一髪のところで、「デフォルト(債務不履行)」を回避できたところで、辞任するつもりだった。だが、格付け機関の1つであるスタンダード&プアーズが、米国債の格付けを「AAA→AA+」に1ランク引き下げたため、一難去ってまた一難、米国発の金融不安を招いてしまい、基軸通貨ドルの信認ヲまで揺るがすことになった。このため、日米欧先進7か国(G7)の財務相・中央銀行総裁による緊急電話会議に追われ、混乱回避に懸命にならざるを得なくなった。
オバマ大統領やガイトナー財務長官にしてみれば、菅直人首相が債権放棄するというサインをして、米国債をただのの紙切れにすると決断してくれれば格付け機関スタンダート&プアーズ如きの餌食にされないで済んだという悔しい思いをしているのであろう。
◆しかし、菅直人首相にしてみれば、簡単なことではない。勝手にサインして、国民の貴重な財産をただ紙切れにしたと知られれば、それこそ、ただでは済まされない。国民から厳しく糾弾されることになるからである。「早くサインしろ」とやいのやいのと責め立てられ、旧内務省系の高級官僚OBに相談した挙句、サインできなかったのである。
という経緯から、菅直人首相は、いまのところ、訪米できるか否か、危うい状況にある。だが、菅直人首相は8月8日の衆院予算委員会で、中国で開かれる「辛亥革命100周年記念式典」には出席に意欲を示している。勃発日の10月10日に因んで、「双十革命」「ダブル・テン(Double Ten)」とも称される。菅直人首相の誕生日が、1946年10月10日でもあり、米国がダメなら中国ということかも知れない。だが、中国から招待状がきているわけではない。
◆参考までに、産経新聞の記事を以下、引用しておこう。
産経新聞msn産経ニュースは8月8日午前9時25分、「日米首脳会談見送りの公算 米、日程調整を“拒否”」という見出しをつけて、以下のように報じた。
「米政府が、9月前半に予定されていた日米首脳会談の日程調整を事実上拒否していることが7日、分かった。複数の日本政府高官が明らかにした。菅直人首相の退陣時期が不透明な上、仮にオバマ大統領が菅首相と会談しても議題や成果が乏しいためだ。原子力発電を推進したい米政府は首相の『脱原発』方針にも強い不快感を伝えてきており、首脳会談は見送られる公算が大きくなった。政府高官によると、7月以降、外務省が首脳会談の日程を固めるため再三にわたり米国務省に調整を打診。しかし、9月前半まで残り1カ月となっても国務省は候補となる日程を一切返答してきていない。『9月はオバマ大統領の日程が窮屈になってきている』と、首脳会談の調整を後回しにしていることさえ示唆したという。枝野幸男官房長官は5日、菅首相が訪米して行う日米首脳会談について『実務的に調整しているところだ』とだけ述べている。米政府が首脳会談に消極的なのは、現状では日米同盟の『深化』に向け明確なメッセージを打ち出せないとの判断があるためだ。米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)移設問題が進展しないことを受け、パッケージである沖縄海兵隊のグアム移転経費に米議会の削減圧力が強まっている。米側は、首脳会談を開けば普天間移設を議題にせざるを得ず、5月の首脳会談のように『進展』を誓い合うだけではグアム経費にも悪影響が及ぶと懸念する。経済分野でも、菅政権が環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)交渉への参加判断を先送りしながら、欧州連合(EU)との経済連携協定(EPA)締結に向けた協議を先行させていることに不満を募らせる。菅首相は9月下旬にニューヨークで開かれる国連総会出席にも意欲を示すが、演説で『脱原発」を表明すれば、米国の原子力政策にもダメージを与えるとの警告も発してきている。
今月22日にはバイデン米副大統領が来日し菅首相と会談するが、その場で首脳会談の見送りを通告してくる可能性もある」
本日の「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」
米オバマ政権・FRBが「円紙幣」を増刷し、嫌われる「ドル建決済」から「円建決済」に切り替えている
◆〔特別情報@〕
米国3大格付け機関の1つであるスタンダード&プアーズ(S&P)の最上級の「AAA」に格付けされていた米国債が、1ランク下の「AA+」に格下げされ、世界経済が大混乱に陥っている。だが、不思議なことに、日本は、国債が4ランク格下の「AA−」に格付けされていながら、中国に次ぐ第2位の保有国にランクされるほど、米国債を買わされていた。その規模は、公式約100兆円(非公式には約1000兆円)にも上っている。
http://www.asyura2.com/11/lunchbreak49/msg/581.html
08. 2011年8月10日 08:55:57: ss7AktKrIg
私は01さんに賛同だ。
再稼動さえ阻止すれば、原発は来年には全停止になる。
原発は停止にしてもすぐ取り出せるわけではない、何で停止を10年も20年も待たねばならないんだ、待つ必要がどこに有るのだ。
電気は原発が全停止しても困らない事が分かったのに!
停止を迷っている間に大きな地震が一つでも来れば日本は即アウトだ!
何でそんなリスクを負わねばならないんだ。
そんな命のリスクを負ってまで、高校野球の中継してもらいたいのか?
TVを見ていたいのか?
信じられないよ、その神経が。
まだ福島の悲しみが他の土地に住んでいる人にはわからないようだね。
自分が全てを失ってみなけりゃ、福島と同じ体験をして見なけりゃ分からないらしいね、人間って、馬鹿だよ、その時はもう終わりって事なのに。
TV局を停電にさえすれば夏場の暑い時の数日間のうちの数時間を乗り切れるのではないか?
先ずやってみれば良いじゃないか!TV局の停電!
http://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken/e/3c488be8000dbf38d95f768e480b9a18
民主党の野田佳彦、前原誠司、馬渕澄夫、海江田万里、小沢鋭仁ら私利私欲の政治家に総理大臣を任せられるか
2011年08月09日 21時28分33秒 | 政治
◆こいつらは、一体何を考えているのか。菅直人首相がまだ何時辞めるとも明言していないのに、8月末に代表選挙を行うことが決まっているかのように走り出している。こいつらとは、岡田克也幹事長や仙谷由人代表代行、玄葉光一郎政調会長(戦略担当相)、安住淳国対委員長、枝野幸男官房長官、輿石東参院議員会長の「6人組」だ。
それに代表選に名乗りを上げようとしている野田佳彦財務相、前原誠司前外相、馬渕澄夫前国土交通相、海江田万里経済産業相、小沢鋭仁元環境相らである。
これらの代表選立候補予定者は、本当に「代表=首相」に相応しいのか。菅直人首相と比較して、果たして、彼を上回る政治家なのか。どう見ても疑わしい。岡田克也幹事長や仙谷由人代表代行の策謀家、陰謀家の策動に踊らされているだけではないのか。私利私欲で総理大臣になりたいだけではないのか。小沢一郎元代表の復権封じ込めに利用されているにすぎないのではないかなどと、いろいろと不純な動機ばかりが、憶測される。
◆「南洲翁遺訓」の冒頭、西郷隆盛翁は、次のような言葉を示している。
「廟堂に立ちて大政を為すは天道を行うものなれば、些(ちっ)とも私を挟みては済まぬもの也。いかにも心を公平に操(と)り、正道を踏み、広く賢人を選挙し、能く其の職に任(た)うる人を挙げて政柄を執らしむるは、即ち天意也。夫れ故真に賢人と認る以上は、直に我が職を譲る程ならでは叶わぬものぞ。故に何程国家に勲労有るとも、其の職に任(た)へぬ人を官職を以て賞するは善からぬことの第一也。官は其の人を撰びて之れを授け、功有る者には俸禄を以て賞し、之れを愛し置くものぞと申さるるに付き、然らば尚書仲虺之誥(しょうしょちゅうきのこう)に、「徳懋(さか)んなるは官を懋んにし、功懋んなるは賞を懋んにする」と之れ有り。徳と官と相い配し、功と賞と相い対するは此の義にて候いしやと請問せしに、翁欣然として、其の通りぞと申されき」
※現代語訳(政府の閣僚となり国政の枢要に関わるのは、天道を行なうのであるから、少しでも、私利私欲を出してはならない。故に、どんなことがあっても心を公正公平にして、正しい道を歩み、広く賢人を選んで、その職務に忠実に実行できる人に政権を執らせることこそ天の意志である。であるから本当に賢人で適任だと認める人がいたら、すぐにでも職を譲る程でなくてはならい。つまりどんなに国に功績があっても、その職務に不適任な人物を官職に就けるのは第一に良くないことである。官職は、人物をよく選んで授けるべきで、功績のある人物には、俸給を多く与えて奨励するのが良いと南洲翁が申されるので、それは尚書(書経=政治史、政教を記した中国最古の歴史書)仲虺(紀元前1600年前、殷の湯王の大臣)の誥(朝廷が下す辞令書)のなかに『徳の高い者には官位を与え、功績の多い者には褒賞を多くする』というのがありますけれど、そいう意味でしょうかと尋ねたところ、南洲翁は大変喜ばれて、まったくその通りだと答えられた)
果たして、野田佳彦財務相、前原誠司前外相、馬渕澄夫前国土交通相、海江田万里経済産業相、小沢鋭仁元環境相らは、「徳の高い者」と言えるだろうか。どうみても、否である。徳のない菅直人首相以下どころか、「未満」ではないか。
◆民主党の代表任期は、2012年9月である。それでなくても、いま世界経済が大変なことになっているというのに、のんびりと代表選挙などにう本日の「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」
小沢一郎元代表が、オバマ米大統領から米国債約100兆円の債権放棄にサインしない菅直人首相に対する「内閣不信任決議案」の提出要請を受けている
◆〔特別情報@〕
戦後66年を経ても、日本は依然として完全独立国ではない。駐日米大使館内の「日本管理委員会」を現地最高司令部として日本の統治権を事実上、掌握し続けている。平和憲法を与えられてはいても、米国が軍事力を振るい、日本の自衛隊を補完部隊として組み込み、使い勝手のよい準軍事大国にして、憲法を形骸化しているのは、周知の通りである。
http://www.asyura2.com/11/lunchbreak49/msg/582.html
27. 2011年8月10日 09:00:49: 8qkp570kfE
海外メディアガ世界に発信?しないで欲しいわ。
今、世界の日本を見る目は『地震、津波、原発』。日本でデモがあったらしいぞ!!ってクリックしたら出てきた情報がこれ、じゃ『はあ!?』だ。
義援金返せって言われそう
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/201.html#c27
01. 2011年8月10日 09:04:39: FUviF2HWlS
日刊ゲンダイの記者は、経産省・原子力安全保安院を、斑目・原子力安全委員会の様な組織にしろと言っている。
何を考えているのやら...。
06. 2011年8月10日 09:05:03: nwOJhjbmeg
つい先週「ふくしま総文」という馬鹿なイベントを福島で開催し、1万2千人の高校生を集めて被曝させたのは文化庁と朝日新聞だろ。なに気の狂ったことを書いてんだ、こいつらは?
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/429.html#c6
10. 2011年8月10日 09:06:21: 3SstCBCT4w
02. 海幸彦 2011年8月09日 08:58:44: jY0c1QUHK1KaM : vA4gTy2yFs
米国債格下げ
ム―ディーズとかS&Pとか
インサイダー・トレードなのです。
ショートで儲けている輩がいるのです。
03. 2011年8月09日 22:20:01: czgXAEQpzY
もはや借金を増やし続ける手法はとれない以上、長期的にはアメリカは輸入を減らし輸出を増やすしか手はない。
輸出競争力があるのは、農産物、医薬品、それに保険屋を含む金融ノウハウ、最もぼろ儲けは武器、TPPのごり押しと危機を演出し武器を売りつけようとしてくる。
(新世紀人コメント)
リビアに因縁をつけて戦争をやっている体制が必然的に招いた現象だ。
しかし、これは意図的に起されている可能性を疑うべきだ。
中東民主化が意図的に起された事と同根である可能性がある。
即ち、経済が破産状態にある英国をリビア戦争と国内混乱により拠り衰退へと追い込み、来年のロンドン・オリンピックで決定的な駄目押し的事件なり情勢なりを造り出す目的なのかもしれない。
行く先は英国のファシズム化か、又はEUへの積極参入か?
01. 海幸彦 2011年8月09日 15:45:44: jY0c1QUHK1KaM : vA4gTy2yFs
イギリスは既に世界一の監視カメラ国家。
ロンドン・オリンピックに向け警察国家化・ファシズムへの下準備でしょう。
02. 2011年8月09日 17:17:16: y2UYF1WZ2I
銀行やらヘッジファンドが襲われないでしけたパン屋や家具屋が襲われてるところがミソかもね。ロンドンの不動産を最高値で売り逃げた連中がいるんだろね
03. 2011年8月09日 22:38:12: rjxbFHK7ho
>>02
今回暴れている黒にはそのような知識はないでしょう。
知っている最高級な品はSONY製品程度か。
04. 2011年8月09日 23:41:23: rjxbFHK7ho
>リビアに因縁をつけて戦争をやっている体制が必然的に招いた現象だ。
たしかに、リビアやアラブで「民主化」とか言って暴動を推奨などしているから、
自国内でもフェースブックやツイッター暴動が発生してしまったわけですね。
これでリビア政府が英国内暴動黒人を支持して武器や資金でも供給したら完全喜劇。
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/658.html#c10
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2011081000071
地方都市で暴動続く=首都は沈静化−英
【ロンドン時事】英警察による黒人男性射殺事件をきっかけに始まったロンドンの暴動は4日目を迎えた9日夜、沈静化の兆しを見せている。一方、BBC放送によると、中部の都市マンチェスターとバーミンガム近郊ではビルが放火されるなど混乱が続いている。
マンチェスター中心部ではこの日、若者約200人が商店に火を付けたほか、窓を割るなどして暴れた。警察側は若者を解散させようと追い掛け、これまでに7人を逮捕した。また市の郊外でも若者が建物に火を付けたり、車両をひっくり返したりした。
バーミンガム近郊では、スーパーに若者が押し入って略奪し、車2台に火を付けたという。
これに対しロンドンは、通常の5倍以上とされる警官約1万6000人が警備に当たり、これまでのところ混乱は起きていない。一部の商店は夕方前にシャッターを下ろし、暴動への警戒を強めた。(2011/08/10-06:36)
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http://www.asyura2.com/11/lunchbreak49/msg/583.html
02. 2011年8月10日 09:09:17: 8qkp570kfE
日本人らしい日本人、て、どんな日本人?
http://www.asyura2.com/09/gaikokujin01/msg/764.html#c2
07. 2011年8月10日 09:09:20: tUmLmmqu0Y
>04 8oYat33sk
おまえそのものが大インチキだ
セシウムの「環境的半減期は180〜320年」
http://wired.jp/wv/2011/04/05/セシウムの「環境的半減期は180〜320年」/
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/414.html#c7
17. 2011年8月10日 09:12:40: ziwEB0JzPs
あくまで主観的な報告。
近くの大手スーパーで見た光景。
野菜、魚、肉売り場、閑散。
面白かったのは、中に入っているパン屋さん。何を求めているか気づいたようだ。
卵、ミルクを使用しない、小麦と塩のみのフランスパン、普段は250円のところ
少し小さめにして98円で売っていた。これが次から次に売れていた。
スーパーに行っても買うものがない。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/402.html#c17
01. 2011年8月10日 09:13:07: FUviF2HWlS
>これに対し、原発本部の中村明・副本部長(上席執行役員)が「個人に迷惑をかけるような資料は抜いておけ」などと部下に指示。2、3冊のファイルから、一部の文書が廃棄されたという。
九電の組織の内部のいたるところに共産党工作員が潜入しているね。
共産党は素晴らしい。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/430.html#c1
http://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken/e/3fd823eeb8eba35221bb70219d8c8ae6
政治のプロ・小沢一郎元代表排除の「愚民政治」と「7つの勘違い」が日本政治を危うくさせている
2011年08月07日 20時51分09秒 | 政治
◆「愚民の上に苛き政府あり」と福沢諭吉翁が、名著「学問ノススメ」のなかで断言している。いままさに、日本政治は、この言葉通りの状況にある。慶応大学経済学部出身の小沢一郎元代表は、そう痛感しているはずである。日本政治の不幸は、政治のプロ・小沢一郎元代表排除の「愚民政治」と「7つの勘違い」が日本政治を空回りさせ、危うくさせていると言っても過言ではない。
◆@愚民によって選ばれた与野党国会議員の多くは、「総理大臣は、罵倒し非難して、野次り倒せる」と勘違いしている。こう思い込んで疑わないのは、ひとえに日本国憲法の規定についての不勉強にある。第69条の衆議院での「内閣不信任決議案可決」、「内閣信任案否を受けて、内閣総辞職を選んだ場合以外に辞任させることはできない。ただし、訴訟の結果、または議院での懲罰除名の結果、国会議員たる地位を失へば、総理大臣の資格を失ってその地位を失うのは、当然である。
従って、総理大臣自身が、その意思に基づいて辞職しない限り、だれも引き摺り下ろすことはできない。単に辞意を漏らしたり、辞意らしき発言をしたからと言って、その言葉には、法的拘束力はない。これを勘違いして、国会議員が蠢き、走り出すのは、早とちりであり、マスメディアが「退陣」と書き立てるのは、大誤報となる。菅直人首相の6月2日の民主党代議士会において「一定のメドがつけば若い世代への引き継ぎを果たすめ」と発言したのは、これに当る。
ここから、与野党ともに自ら招いた勘違い政局のドツボに嵌ったまま、時間と血税を空費し続けている。私を含めて愚民は、ただ傍観するのみである。
A民主党の岡田克也幹事長、仙谷由人代表代行、玄葉光一郎政調会長(戦略担当相)、安住淳国対委員長、枝野幸男官房長官、輿石東参院議員会長の「6人組」、あるいは、「反小沢」の急先鋒である岡田克也幹事長、仙谷由人代表代行、安住淳国対委員長、枝野幸男官房長官の「4人組」は、「菅降ろし」の急先鋒であるのだが、菅直人首相が「即辞任する」と勘違いして、せっかく野党自民党や公明党などが提出してくれた菅直人内閣不信任案が、可決寸前にあったにもかかわらず、否決してしまった。信任された結果となった菅直人政権をすぐさま引き摺り下ろそうとするのは、どう見ても論理矛盾であった。
さりとて、今度は民主党提出として、再度、不信任決議案を延長国会に提出する勇気は、岡田克也幹事長ら「6人組」にはなく、「座敷牢」にブチ込まれていながら高見の見物としゃれ込んでいる小沢一郎元代表からは「法的には、同一国会に不信任決議案提出は、何回もできるゾ」とからかわれている始末だ。辛いのう。
B岡田克也幹事長、仙谷由人代表代行、安住淳国対委員長、枝野幸男官房長官の「4人組」は、「自民党と公明党の要求通り、『4K』の1つ子ども手当を廃止すれば、公債特例法案に賛成してもらえる」と勘違い、「マニフェストは、財源確保の点で見通しが甘かった」と謝罪までさせられた。
ところが、「外堀を埋めれば、内堀から本丸までも」という具合に攻め続け、ついには、「子ども手当の名前も下ろせ」「残りの3Kも止めろ」と民主党のアイデンティティまで否定し、要求は際限がなく、このまま言いなりになっていると、「民主党を解党しろ」と言われかねないムチャクチャぶりである。
最近は、「予算をもっと削減しろ、しなければ、公債特例法案には賛成できない」と新たな言いがかりをつけてきているという。さすがの愚民の間からは、「防衛費も含めて全省庁予算を一律2割カットすればいい」という正論が飛び出している。自民党は、早期に衆院を解散・総選挙に追い込めば、谷垣禎一総裁の下で大勝できると取らぬ狸の皮算用、こちらも相当の勘違い症候群に罹っていて、救い難い。
D民主党の若手国会議員も、かなり勘違いしている。「鳩山由紀夫前首相、菅直人首相、小沢一郎元代表」のいわゆる「トロイカ(3頭立て馬車)」中心の政治に終止符を打ち、若返りを図るべきだと騒ぎ始めている。その首謀者が、代表選に名乗りを上げている馬渕澄夫前国土交通相だ。「トロイカ」を一気に葬り去ろうという策動である。
だが、馬渕澄夫前国土交通相は、つい先ごろまで、民主党最大派閥を率いている小沢一郎元代表に面会して、協力を求めていたはずなのに、ここにきて、「トロイカ」中心の政治に終止符を打とうと叫び始めたのは、小沢一郎元代表から色よい返事をもらえなかったのであろう。
しかし、馬渕澄夫前国土交通相はもとより、前原誠司前外相、野田佳彦財務相、小沢鋭仁元環境相ら代表選出馬に意欲的な若手政治家は、いずれも経験不足のため、統率力、政治力ともに菅直人首相以下だ。それが、2013年8月末までの衆院議員任期満了までに総理大臣になれなければ、2度とチャンスはめぐってこないと焦っているのだ。あくまで私利私欲にすぎない。愚民の幸せは、これっぽっちも考えていない輩である。だから、勘違いも甚だしくなる。
E若手国会議員のなかでも、松下政経塾出身の前原誠司前外相(8期生)、野田佳彦財務相(1期生)樽床伸二元国対委員長(3期生)、原口一博元総務相(4期生)、玄葉光一郎 - 政調会長(8期生)らの勘違いは、救い難い。朝日新聞が8月5日付け朝刊「オピニオン面」(11面)の「耕論」欄で「松下政経塾に任せられるか」という見出しをつけて、「松下幸之助が政経塾をつくって32年。政権交代を出身者たちが担い、『ポスト菅』候補にも名を連ねる。だが、ひ弱さも漂い、政治は混迷を深めている。彼らに任せて大丈夫か」と疑問と批判を投げかけている。
F与野党ともに、「内閣支持率が急落・低下すれば菅直人首相は、退陣せざるを得なくなる」と思い込んでいた。これが大きな間違い、勘違いだった。
NNN(日本放送)網が8月7日発表した世論調査結果によると、菅直人内閣の支持率は、「15.8%」と横ばいで相変わらずの超低空飛行、政党支持率では、民主党18.5%とこれもまた、超低空飛行。読売新聞は8月7日付け朝刊「政治面」(4面)の「政(まつりごと)なび」欄で、政治部の河島光平次長が「『青木の法則』と菅政権」と題して、面白い文章を掲載している。「青木」とは、自民党の青木幹雄元参院議員会長のことである。「青木の法則」とは、青木幹雄元参院議員会長が唱えた説である。それは「内閣支持率と与党第1党支持率の和が50%を切れば、首相はほどなく退陣する」と「内閣支持率と党内の首相支持率の和が100%ならば政権は安定する」の2種類あるという。
この法則に照らせば、「内閣支持率15.8%+与党第1党支持率18.5%=34.3%」ということになり、法則通りならば、「首相はほどなく退陣する」という結果になっているはずである。河島光平次長は「今の政治に『青木の法則』が通用しないのは、時代の変化ゆえと言うより、本来は政権を担うほど成熟していない政治家が権力の中枢に座つてしまった危うさゆえと言えるかもしれない」と結んでいる。まさしく、その通りだろう。
本日の「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」
米国債格下げは、「ドル時代終わりの始まり」、新基軸通貨「アメロ」への切り替えのチャンスとなり、ディビッド・ロックフエラーが策動する「悪の戦争経済」に突入か?
◆〔特別情報@〕
いよいよ現実化してきた。それは、基軸通貨の「ドルから新通貨アメロへの転換」である。はっきり言えば、米国は、すべてがガタガタである。このことが、基軸通貨ドルの立場を最悪にしている。スタンダート&プアーズが米国債の格付けを最上級の「AAAが、から「AA+」(前日のブログでAA−、日本と同じと書いたのは、間違いなので、訂正する)に格下げされたからと言って、いまさら驚くまでもない。とっくのむかしに権威は失墜していたにすぎないのだ。
02. 2011年8月10日 09:16:03: 8rNCXQYiW2
01のように東電幹部がおっしゃっておられます。東電は何を考えているのやら。もちろん カネ、カネ、カネ 金があれば、名もいらん、日本もいらん、命もいらん。
32. 2011年8月10日 09:16:58: t5gzmyyhXY
↑思い切って書いてしまいましたが真剣に心配しています。
子宮頸癌は、性病ではありませんが、
性交渉で感染する可能性が高いという事です。
(同じ子宮の癌でも、子宮体癌は、また別の原因の病気です。)
小学生の女子にワクチンを接種する事が大事ですか?
それだったら野放し状態の性風俗産業を規制した方が、効果はあると思います。
http://www.asyura2.com/09/iryo03/msg/268.html#c32
67. 2011年8月10日 09:18:15: GqSxitx6i2
まともなジャーナリストのいないフジサンケイなどは国民の敵といっても過言ではない。
広告会社を道ずれにするのはやや酷かもしれないが、一蓮托生の面も否定できないから仕方ないか。
国民のためのジャーナリズムを樹立しなければ、民主主義は育たない。
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/206.html#c67
09. 2011年8月10日 09:21:30: FUviF2HWlS
>>08
減給から解放されるから、役員以外の東電社員は潰れて新会社に移行した方が嬉しい。
私は、東電は解散させずに、政府が圧力をかけて、社員の給与を最低賃金法の限度額まで引き下げるのが良いと思っている。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/427.html#c9
38. 2011年8月10日 09:24:33: 6pzQcBE7jE
筆者は、菅直人が「福島第一周辺は今後15〜20年は住めない」と言った、と書いているが事実でしょうか?
メディアの報道では菅は発言を強く否定していました。
たしか菅と3月26日に会談した連合の故笹森清元会長(内閣府特別顧問)が記者会見(記者相手に)で菅の発言として紹介していたと思います。
それを聞いた菅は激しく否定、連合元会長も前言を翻して自分の発言だったと訂正しました。
だから筆者の「菅のほうが正直だ」とあるのは間違いではないですか?
菅が笹森氏の発言を否定していなかったなら「菅のほうが正直だ」と言えますが。
ことほどさように菅の言動は時々刻々と変転極まりなく信じるに足らないのです。
ようするに菅は、常に世論の風向きばかりを気にして自分に批判が向かないように発言し、訂正ばかりするコウモリ男なのです。
菅には自分の意見が無いのです。
世論の風向きやマスゴミの論調(もどき)しだいなのです。
こんな小人に国家存亡の危機を委ねざるを得ない日本国民は何たる不幸か!
小沢氏の「後継者は菅氏以外なら誰でも」もあながちジョークではないでしょう。
筆者の「自民とマスゴミと東電」に関する記述は全面同意します。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/388.html#c38
16. 七転八起 2011年8月10日 09:27:53: FjY83HydhgNT2 : qqCNcK3o9g
15. 2011年8月10日 04:44:51: 1l6WBTWghQ 様へ。
ホッとするお言葉、有難う御座います。
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/199.html#c16
03. 2011年8月10日 09:30:03: 698IRcsqsc
どこにつくろうがどうせ無意味な組織になる事は解りきっている
だからトップに小出さんや武田さん、議員なら河野、吉井、福島
などを入れて「この組織は無意味だ」と宣言させなくてはならん
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/432.html#c3
http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2011/08/i-7608.html
2011-08-09
〔☆ フクシマ・NEWS〕 ニューヨーク・タイムズが日本政府当局の「SPEEDi」データ非公開問題を追及報道 「涙の辞任」の小佐古教授 「必死になって繰り返し」公表を求める 首相の「トップアドバイザーら」がこれを無視 北へ逃げた浪江町の馬場町長 「これは殺人に等しい」
ニューヨーク・タイムズは8日、東京支局のノリミツ・オオニシ、マーチン・ファクラー両記者による、「日本政府、放射能情報隠し 避難民を危険に曝す(Japan Held Nuclear Data, Leaving Evacuees in Peril)」という、長文の調査報道記事を掲げた。
⇒
(*紙面画像はgataroによる)
この中で、とくに注目されるのは、あの「涙の会見」を行ない、抗議の辞任をした小佐古・東大教授が、菅直人首相の「トップ・アドバイザー」に対して繰り返し、必死になって「SPEEDiによる拡散地図」を公開するよう求めたが、無視された――と証言していることである。
Mr. Kosako said the top advisers to the prime minister repeatedly ignored his frantic requests to make the Speedi maps public, and he resigned ……
小佐古教授は、首相官邸の事務局がSPEEDiの存在に気付いたあとも、当局者らは、その予測があとになって問題視されたとき、費用のかかる避難をさせた責任を取りたくなかったことから、その公表を拒否した、とも証言している。
However, Mr. Kosako said, the prime minister’s office refused to release the results even after it was made aware of Speedi, because officials there did not want to take responsibility for costly evacuations if their estimates were later called into question.
タイムズ紙に対する小佐古教授の証言は、日本の政府当局が「SPEEDi」を公開しなかったことで住民に被曝を強いた事実を告発するものだ。(場合によっては当局者らの責任問題にも発展しそうな可能性を秘めている……ただし、これは、大沼の判断)
また、小佐古教授の教え子であり、菅首相にアドバイスし続けた、民主党国会議員の空本誠喜氏も「最終的に、SPEEDiのデータを隠したのは、首相官邸の事事務局」と断言したした。
“In the end, it was the prime minister’s office that hid the Speedi data,” he said.
その一方で、タイムズ紙の記事は、SPEEDiを動かしていた文科省が首相官邸にデータを提供していなかった事実も指摘している。
文科省の担当者のケンジ・ミヤモトは「(ツナミで原発のセンサーが壊れたので)放射能の放出の強さを知ることができなかったから、避難命令が出た場合、責任を取りようななかった」と言っている。
And indeed, Speedi had been churning out maps and other data hourly since the first hours after the catastrophic earthquake and tsunami. But the Education Ministry had not provided the data to the prime minister’s office because, it said, the information was incomplete. The tsunami had knocked out sensors at the plant: without measurements of how much radiation was actually being released by the plant, they said, it was impossible to measure how far the radioactive plume was stretching.
“Without knowing the strength of the releases, there was no way we could take responsibility if evacuations were ordered,” said Keiji Miyamoto of the Education Ministry’s nuclear safety division, which administers Speedi.
しかし小佐古教授は、不完全なデータであっても、放出された放射能のレベルを推測するのにSPEEDiを使うべきだと要求した。それでも住民の避難を誘導するのに使えるマップが手にすることができるかも知れないと考えたからだ。
実際、文科省はそれを行なっていた。SPEEDiでコンピューター・シミュレーションしていた。そしてつくられたいくつかのマップは、放射能雲が原発の北西へ拡大することを明確に示していた。
But even with incomplete data, Mr. Kosako said he urged the government to use Speedi by making educated guesses as to the levels of radiation release, which would have still yielded usable maps to guide evacuation plans. In fact, the ministry had done precisely that, running simulations on Speedi’s computers of radiation releases. Some of the maps clearly showed a plume of nuclear contamination extending to the northwest of the plant, beyond the areas that were initially evacuated.
これに対して、首相アドバイザーの何人かが、SPEEDiのシステムは放射能雲の拡散方向を予測するのに役立たないと主張した。原子力委員会の近藤駿介は事故後の数日間、SPEEDiが作成したマップは一貫せず。風向きによって1日に何回も変わった、と語った。
「使えないもをどうして発表しなくちゃならないの?」と近藤氏は言った。「風向きを見た現地の人の何人かは、わかっていたはずだ」
Some advisers to the prime minister argue that the system was not that useful in predicting the radiation plume’s direction. Shunsuke Kondo, who heads the Atomic Energy Commission, an advisory body in the Cabinet Office, said that the maps Speedi produced in the first days were inconsistent, and changed several times a day depending on wind direction.
“Why release something if it was not useful?” said Mr. Kondo, also a retired professor of nuclear engineering at the University of Tokyo. “Someone on the ground in Fukushima, looking at which way the wind was blowing, would have known just as much.”
しかし、小佐古氏やその他の専門家は、SPEEDiの地図は、データを読み取れる人間の手元にあれば、とてつもなく役に立つものだと指摘した。
Mr. Kosako and others, however, say the Speedi maps would have been extremely useful in the hands of someone who knew how to sort through the system’s reams of data.
小佐古氏はまた、SPEEDiのデーアの読み取りはとても複雑なものので、文科省と保安院、原子力安全委員会は、データを「ホット・ポテト(難題)」のように回すだけで、誰ひとり結果に責任をとろうとしなかった、と語った。
He said the Speedi readings were so complex, and some of the predictions of the spread of radiation contamination so alarming, that three separate government agencies — the Education Ministry and the two nuclear regulators, the Nuclear and Industrial Safety Agency and Nuclear Safety Commission — passed the data to one another like a hot potato, with none of them wanting to accept responsibility for its results.
なお、空本議員によると、菅首相から議員のもとへ、アドバイスを求める電話があったのは、3月15日の夜のこと。空本議員は早速、恩師の小佐古教授を含む。私設のアドバイザー・グループを立ち上げた。
チェルノブイリ事故でのソ連当局の対応を研究したことのある小佐古教授は早速、枝野官房長官に、SPEEDiを使って放射能の拡散予測を行なうようアドバイズした、という。
(ということは、枝野長官はかなり早い段階からSPEEDiの存在を知っていたことになる。これに関して、細野豪志は3月23日になって初めて提出を受けた、と同紙に語っている……)
さて、これらの政府機関の当局者はタイムズ紙のインタビューに対し、SPEEDiの責任は自分のところにはないと、責任のなすりつけ合いをするばかり。原子力安全委員会の委員長に至っては、同紙のインタビューを拒絶した。
で、こうした「情報非公開」の結果、現地ではどんな事態が起きたか?
タイムズ紙のオオニシ記者らは浪江町の住民たちの被曝問題を例にあげている。
事故後、浪江町にはトーキョーから何の指示もなかった。このため、町役場の人々は季節風の北風の風上にあたる北へと住民を避難させた。町内の津島地区が避難先だった。そこで子どもたちは屋外で遊び、親たちは川水で米をといで炊いた。
東京の政府当局者がSPEEDiのデータを隠さなければ、被曝せずに済んだかも知れない。
浪江町の馬場有・町長は言った。「これは殺人に等しい」と。
06. 2011年8月10日 09:34:27: QXVaulDOhs
>安全対策を怠った直接の責任者は東電の社員達だ。
安全対策を怠った直接の責任者は、トップクラスの経営陣で一般社員ではありません。
福島第一の事故で、4基ものプラントが重大事故を起こした原因に、「社内規定や報告義務の違反」があったというのでしょうか。現場や管理者が経営陣に、地震・津波やプルサーマルの危険性を報告しなかったかったから、このような重大事故につながったとでもいうのでしょうか。
実態は、危険性を指摘すると上部から睨まれて不利益を被ることになり、こと安全に対しては声を上げられないような体質になっていたのではないでしょうか。
売春の果てに殺された当時東電の管理職であった女性の父親も東電の社員で、将来を嘱望されていたそうですが、プルサーマルの危険性を主張したら左遷されて将来の芽が亡くなったそうです。
勿論、経営陣だけの責任ではありません。原発を推進しようとした、正力松太郎や中曽根を源流とした政治勢力の責任は重大です。東電のカネの力は、そのような政治家を増殖し、学界やマスコミも買収して危険性を無視として運転を続ける環境を作り、東電の経営者はその波に乗って利益至上主義で安全対策を怠った直接の原因でしょう。
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/679.html#c6
68. 2011年8月10日 09:38:21: 8qkp570kfE
無届けってコトは『道路交通法違反』ですよね。花王の不買運動とか、お台場合衆国のお客さんに怒鳴りつけたりとか。てんで疎いですが、威力業務妨害は?
『正しい事』とために『多少』の犠牲や逸脱はやむをえない?それって中国のデモでも言われてましたよね『愛国有理』でしたっけ。日本語にもありますよね。
盗人にも三分の理。
示『威』行為、とは言いますが、『威』嚇してどうすんだ。
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/206.html#c68
01. heiwatarou 2011年8月10日 09:41:01: Bioiw4SmLoqDQ : uKFoqoJusE
議論にしようかと悩んだのですが、政治に一番必要なことだと思い、政治版に投稿してしまいました。
済みませんでした。反省しています。
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/219.html#c1
04. 2011年8月10日 09:41:20: FUviF2HWlS
この際、原子力の利用に関する一切の規制法を撤廃し、政府の規制組織を無くし、原子力の安全管理をすべて民間企業の判断に委ね、自由主義経済の原理である市場原理に任せるという考え方もあり得る。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/432.html#c4
http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2011/08/post-96e4.html
2011-08-10
〔フクシマ・ビデオ・NEWS〕 AP通信も日本政府の“SPEEDI隠し”を告発報道 ユーチューブで全世界拡散!
⇒ http://www.youtube.com/watch?v=70TYXGWeZhg&feature=player_embedded#at=120
(*動画貼り付けはgataroによる)
ニューヨーク・タイムズに続いて、同じように世界的な影響力を持つ、米国のAP通信が、日本政府の「SPEEDI非公開」問題を、ビデオニュースで報じ、ユーチューブを通じて拡散中だ。
AP通信の調査で、日本政府の当局者たちが、自分たちが持っている(放射能拡散)モニタリング・システムの放射能拡散予報を無視し、原発付近住民たちを、予想された放射能雲から遠ざけることに失敗していたことが判明した。
AP IMPACT: An Associated Press investigation has found that Japanese government officials ignored radiation forecasts from their own monitoring system, failing to keep residents near a crippled nuclear plant from a predicted plume. (Aug. 9)
この問題に関するニューヨーク・タイムズの調査報道は ⇒ http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2011/08/i-7608.html
小佐古氏の「涙の辞任」のほんとうの理由は、この問題だった!
39. 2011年8月10日 09:49:08: QDOXlxmHrs
いずれにしても(小沢嫌いの)アメリカの力を借りて、鳩山小沢政権を引きずり倒し、党幹部.閣僚を能力に関係なく反小沢派で固め、マニフエストも蹴とばし、国民の期待を裏切り、民主党をメチャクチャにした元凶は菅直人である。その罪は万死に値する。
無論自民党の過去の悪政は小泉で頂点に達した。彼らが反省しない限り自民党の
将来はないし、民主党をとやかく云うのは天に唾するたぐいである。
マスゴミも何度国民をミスリードすれば気が済むのか、彼らに対して、ジャーナリストとしての本来の姿になれと、猛省を要求する。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/388.html#c39
14. 2011年8月10日 09:49:38: RkRLttXVPs
NEVADAくんは商売で言ってるとはいえ参考になることが少なくない。「今後金融市場はどこかで落ち着きますが、それは『だまし』であり、その後にはとてつもない崩壊が待っています」落ち着く前から「だまし」だと言わないところがいい。
だれが考えてもダウが10000ドルを超えているなんて当然だよね。まあ3000ドルがいいとこだ、なんていうやつは太平洋に沈められるか。お手盛りとはいえトリプルAの格付けをもつ国はたかったり寄生したり恐喝したり収奪したりなどしない。本当のおともだちだから。
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/689.html#c14
10. 2011年8月10日 09:50:01: JGBLhwapsh
「チベット問題の象徴」とダライ・ラマ法王に言わしめた少女尼僧。
拷問と強制労働の12年を耐え抜いた彼女の戦い
『囚われのチベットの少女』
http://www.youtube.com/watch?v=oD43G1iRtXM&feature=related
http://www.asyura2.com/10/kokusai5/msg/763.html#c10
69. 2011年8月10日 09:52:46: BPeAuOjlng
【またフジV】
http://npn.co.jp/article/detail/66535278/より
系列局の東海テレビの不適切なテロップ問題で揺れるフジテレビだが、自局の女子アナがやらかしてしまった。
8日に放送された同局のニュース番組「FNNスーパーニュース」では、群馬県桐生市の斎場で営まれた、急性心筋梗塞(こうそく)で亡くなったサッカー元日本代表、松田直樹さん(享年34歳)の通夜を梅津弥英子アナが現場から生中継した。
梅津アナはVTR放送の間、自分の姿が映っていないと勘違いしたのか、中継スタッフと「(中継が)まだ入っていないの? うっそーん」などと談笑。タイミングが悪いことにその姿が生中継されてしまったのだ。
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/206.html#c69
39. 2011年8月10日 09:53:17: mIg01PN1oE
25の投稿者に同意。
指導者たちが、なぜかくも無責任で、能なしだったのか?
そうせざるを得ない背景があったからだ。
NHKは、いつまでも表層を追わずに、この「背景」を説明して下さい。
これじゃ、いつまでも死んだ者が浮かばれない。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/361.html#c39
70. 2011年8月10日 09:57:33: BSyNu4YkWI
腐り切った番犬テレビフジに攻撃すれば...腐り切った警察や検察が不当逮捕するし.茂木を始めとして●金をもらってネット右翼〔清和会の子分〕が攻撃してくるから危険です。....それよりも●フジの主要スポンサー花王への攻撃だ。「フジを支持している」スポンサー花王に、●花王製品の不買運動するのが正しい道だぞ!!
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/206.html#c70
186. 2011年8月10日 09:58:47: 8qkp570kfE
テレビを見るとあほになる?そして『私』はテレビを見ていない?
なるほどつまり『だから私はお利口さん』と言いたいわけですか。
テレビは一億総ハクチカだって言われだした頃にネットが槍玉に上がらなかったのは、ここまで普及してなかっただけじゃないかと思うが
何にしても、日本人だからって謙虚だとは限らない、その見本市みたいだな、ここは。あんまり『日本人』を貶めないでくれる?
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/164.html#c186
22. 2011年8月10日 10:00:01: JGBLhwapsh
中国人留学生の皆さん、六四天安門事件をご存じですか
http://www.youtube.com/watch?v=dYF7LHRSOKU&feature=related
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/446.html#c22
04. 爺さん 2011年8月10日 10:01:27: pkMRoq8j2xu8g : AAUFR2eMKs
そこで原水禁大会を開いて気勢をあげようが、高校生を集めて総合文化祭を開こうが、当面は人間が住む場所ではない。
それを認めたうえで、諸般の理由でそこに残るのも個人の勝手と言えば勝手だ。
退避移住に関わる保障を避ける政府・当局の悪辣さは責め続けられるべきだ。
しかしそれに対する方も冷静に、冷酷なくらい冷静に考える必要があるのではないか。
良心と資材と経済的資源をどこに配分するか。
チェルノブイリでの経験の報告によれば、福島と栃木北部の高汚染地域では、次に訳出したような、放射能との泥沼の戦いが待ち構えている。
高汚染地域にばかり気をとられて、他の関東と宮城岩手などの、除染や放射線防護策の徹底で、まだ比較的そこでの持続的地域社会存続可能性が高いと思われる地域の対策を、後手に回し続ける愚作はもうやめよう。
細菌でセシウムがバリウムになったとしても、そこにはいくつもの他の核種が残る。
そこで農業を続ける限り、あらゆる「正当性」が考え出され、全国に汚染農酪農産物がばら撒き続けられる。
そこの農家は関西野菜を食べるとかの笑い話も囁かれながら。
人がそこに残る限り、汚染は意図的に拡散され続ける。
ヤブロコフ編著「チェルノブイリ 破局の人々と環境への影響」から農林業に焦点を当てた部分を訳出しました。ご参考までに。
第4章14節 チェルノブイリ放射能汚染地域での放射線防御の方法
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/694.html
翻訳プロジェクトのかたがた、この事態でも全面先行無料公開しないか?
あなた方の意図は目的は何なんだ?
私はあなた方の良心をすでに疑っています。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/431.html#c4
28. 2011年8月10日 10:01:42: BPeAuOjlng
報道も、読み上げミスなどでなく、
ご霊前での躾すら、できてない。
http://npn.co.jp/article/detail/66535278/より
系列局の東海テレビの不適切なテロップ問題で揺れるフジテレビだが、自局の女子アナがやらかしてしまった。
8日に放送された同局のニュース番組「FNNスーパーニュース」では、群馬県桐生市の斎場で営まれた、急性心筋梗塞(こうそく)で亡くなったサッカー元日本代表、松
田直樹さん(享年34歳)の通夜を梅津弥英子アナが現場から生中継した。
梅津アナはVTR放送の間、自分の姿が映っていないと勘違いしたのか、中継スタッフと「(中継が)まだ入っていないの? うっそーん」などと談笑。タイミングが悪いことにその姿が生中継されてしまったのだ。
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/201.html#c28
13. 2011年8月10日 10:04:18: RkRLttXVPs
マスゴミにはだまされないこと。国民がこれを自覚してはじめて戦後になる。
http://www.asyura2.com/10/warb7/msg/843.html#c13
23. 2011年8月10日 10:05:16: JGBLhwapsh
中凶属国反対! 絶対反対! 中凶属国反対!
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/446.html#c23
フェリーニの「甘い生活」
より、印象に残るシーンと音楽をいくつか・・
フェリーニといっても、
若い人には、わからないだろう・・
この「甘い生活」は、ヒデとロザンナの
ロザンナさんが、イタリアで生活していた当時、
公開されていたそうです。
当時、子どもだった、ロザンナさんは、
「甘い生活」は、子どもは観てはいけない映画に
なっており、観れなかったそうです。
私が印象に残ってるのは、
最初のヘリコプターのシーンと
ラストシーンです。
特にラストシーンで、
マルチェロが向こう岸の理知的な少女と
言葉を交わすシーン・・
(でも、声は波の音でかき消され、交信できず・・)
観てる人が、どうにでも解釈できる形になっています・・
私は、退廃的な生活をしているマルチェロ達が
網にかかったおぞましいエイに象徴され
向こう岸の女の子が真摯に生きる人間の象徴・・
という理解をしていますが・・
「いい大人が、こんな時間に、なに、バカやってんの?
あんたたち、バカじゃないの!
そんな、こと、ばかりやってると、
人間・・おわっちゃうよ!」
というセリフに聞こえたりもしますが・・
皆さんはどう感じたでしょうか?
それにしても、マルチェロ・・カッコイイですね・・
アニタもグラマーというか肉感的というか・
あんな女優さん、今、世界広しといえ、いませんな・・
印象的な最初のシーン
La Dolce Vita
http://www.youtube.com/watch?v=EJWQF3IAeJQ&feature=related
印象的なラストシーン
La Dolce Vita-Fellini-Finale
http://www.youtube.com/watch?v=6Opglbu1NTY&NR=1
アニタとマルチェロ
- La Dolce Vita "Fontana di trevi"
http://www.youtube.com/watch?v=The8Xi6fKOE&NR=1
アニタとマルチェロのうん十年後・・見事・・な老け具合です・・
Mejores escenas del cine jamás X - Intervista, Federico Fellini
http://www.youtube.com/watch?v=6r3h8W-oqyE&feature=related
30. 2011年8月10日 10:08:44: i7CGvypOTw
>>21
>。ヨ呼び出し符号が分か」れば攻撃意図が解り、方位測定によれば「攻撃先も分かる」とあるのだが。
「方位測定によれば「攻撃先も分かる」」とあります。
この方位測定は真珠湾攻撃艦隊の出した電波であり、これが無ければ攻撃先は分からない。
すなわち、スティンネットの本には、「呼び出し符号が分かれば攻撃先も分かる」とは書いていない。しかし、NHKは「呼び出し符号が分かれば攻撃先も分かる」と云っている。
この違いを理解して下さい。
>。ヨルーズベルトの仕掛けた罠」であろうがなかろうが、「アメリカは12月2日に真珠湾が攻撃されることが分かっ」ていたはず、と本書は執拗に書いている。
アメリカのルーズベルト大統領とその側近、及び日本艦隊の電波を傍受したハワイの情報部のスタッフには分かった。
しかし、NHKの云うように「呼び出し符号が分ったから攻撃先が分かった」のではない。
ハワイの情報部のスタッフには日本艦隊の電波を傍受したから分かったのである。
>>22
> なぜ呼び出し符号の例示に、「ニイタカヤマノボレ」は不適切。
呼び出し符号 MA SU 0 の付いた暗号無線をアメリカが傍受してもアメリカは攻撃部隊の攻撃先は分からない。
例が不適切とは、未だ当方の書いたことの基本が分かっていないようで、これ以上の説明は止める。
>>24
> NHKの番組では、コールサインの分析で 「日本での行き先」がわかるといった説明はまったくしていません。
上の投稿文に
「それは、平文で出されるコールサインの分析によるもので、どの島から何機出撃したのか、日本での行き先はどこなのかも推測できるようになった。」
とある。
すなわち、「平文で出されるコールサインの分析で、日本での行き先はどこなのかも推測できるようになった。」
と書いてある。正確に理解して下さい。
> 広島に関してはエノラゲイが原爆を搭載していると確信できなかったでしょうが、長崎については高い蓋然性で原爆搭載機だと判断したはずです。
>>17 に書いたように、米軍第509混成群団は、1945(昭和20)年7月20日から8月14日にかけて、東京、富山、長岡(新潟県)、敦賀(福井県)、福島、島田(静岡県)、焼津(静岡県)、浜松(静岡県)、名古屋、春日井(愛知県)、豊田(愛知県)、大垣(岐阜県)、四日市(三重県)、大阪、和歌山、宇部(山口県)、新居浜(愛媛県)など1都2府15県29市町(現在の自治体数)の44目標に模擬原爆49発を投下(計18任務、延べ50機)、約420人が死亡、約1200百人が負傷した(「春日井の戦争を記録する会」の調べ。なお、模擬原爆と判明したのは1991年)。
この44目標に模擬原爆49発を投下した爆弾のどれが本物なのか、どうして事前に分かるのですか?
しかも、模擬原爆と判明したのは1991年!
NHKの超能力の番組制作者以外には不可能です。
アメリカが何年もの長期間と莫大な予算を投じて日本人を原爆で計画的に大量虐殺した原爆投下と、福島の地震と津波で起きた原発事故を同列に扱うのは、日本国民への冒涜です。
NHKの大嘘番組に騙されてはなりません。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/396.html#c30
07. 2011年8月10日 10:09:46: d1TIJiJZxw
使用済み核燃料を国内で格納するとすれば、それは福島原発周辺部だろう。
各廃棄物といったゴミ集積処分場などの施設を置くのに最適の場所だ。
もはや人が定住できない土地であれば、狭い日本ということでこの地を選ばざるを得ない。
巨額の原発関連交付金がでるのであれば、今回の原発事故の被災者救済に使うべきだろう。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/422.html#c7
08. 2011年8月10日 10:11:40: XTDP8hj9A2
現広島市長、菅首相の脱原発発言を批判!こいつやはり原発村の住民!広島の皆さん現市長をリコールしましょう!世界最初の被爆民としてリコールしないと恥ずかしいよ!
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/414.html#c8
40. taked4700 2011年8月10日 10:12:12: 9XFNe/BiX575U : 1ZXpbNkH5U
大本営参謀の情報戦記―情報なき国家の悲劇 (文春文庫) [文庫]
という本がある。
にある程度の情報が載っている。
NHKの番組はこの本の出版があってから作られたのでは?
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/361.html#c40
03. 2011年8月10日 10:13:32: wcGx49WPLM
日銀が名目的には超緩和政策をとりながら実質的な意味では金融緩和を行ってこなかったことは事実であると思う。だが、日本銀行に課せられている役割はインフレの防止であって、経済成長ではない。たぶん日銀法ではデフレの防止も謳っていないのではないか。今の日銀は本来の役割以上のことを求められている。政府があまりにも無能であるために。その張本人の一人が次の民主党代表選に立候補する予定だという。財務省のパペットが何をするというのだろう。増税か?私はインフレには反対だ。経済成長を伴わないインフレは最悪だ。すでに日本は力強い経済成長を実現できるだけの条件を持ち合わせていないのが実情だ。債権国の立場を利用して世界資本主義の寄生虫として生きていくことが最もふさわしい姿だ。そのためには円高のほうが何かと都合がよいことも事実だ。躍進著しい新興国と無理に張り合う必要などさらさらないと思う。
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/690.html#c3
01. 海幸彦 2011年8月10日 10:15:58: jY0c1QUHK1KaM : 3SstCBCT4w
NATOのリビア空爆:83名虐殺(子供33名)
リビアの水源は地下水です。インフラ攻撃により電源がカットされ、水不足の緊急危機です。
リビアの国民は嘘ばかりのインターナシオナル・ジャーナリスト達に激怒しています。
病院を爆撃して、52名の子供を殺しました!
ジャーナリストは知っています!GPS(衛星)があるのに病院を爆撃しているのです!ジャーナリストはNATOのスパイ化しているのです!
ジャーナリストは絶対攻撃されない立派なホテルにいるのです。
反政府勢力は勝手に31名の内閣を解散し、15名の幹部を組閣し、特高警察を組織しています。暗殺部隊です。
ファシズムなのです!
何としてもこれを止めなければならないのです!
http://www.youtube.com/watch?v=HyEr_kB963o
http://www.asyura2.com/10/warb7/msg/849.html#c1
http://ytaka2011.blog105.fc2.com/blog-entry-218.html#comment10375
(阿修羅7月29日記事=米国債:実は8月xx日償還が勝負。中国政府による不買宣言?)
グレンベックがリークした上記のこれ
「ある出来事があったちょうど13日後に中国は米国債の不買宣言をする」
ある出来事が「米債格下げ」であるのなら・・
8/5日のその13日後は8/18日ですね ?
不買宣言を直で言うとは思えないけど
元高の容認(ドルペッグの解除)という形でいうことはありそうだなと
今日発表のCPIは高い値だったし
現状の世界情勢で利上げができないとなると
インフレ抑制のために政策転換もありうるかな?
〆・・米国債:実は8月15日償還が勝負。中国政府による不買宣言?(阿修羅7月29日記事)
(http://ytaka2011.blog105.fc2.com/blog-entry-217.html#comment10292 )
ロイターの記事によると、8月2日に上限引き上げ合意に至らなくとも、米政府には予想外の税収があったために、すぐにはデフォルトにはならないらしいですね。問題は、8月15日にまとまった額の米国債の利払いがあるらしく、これには対応できないとのこと。つまり、8月15日が勝負になるということでしょうか。
以前、5月の記事に、
某筋によると、ある大きな事件があるという。その事件がなんであり、それがいつあるのかは示さなかったが、その事件があってからちょうど13日目に世界経済をパニックに陥れる大きな出来事があると・・
その出来事とは、中国政府による米国債の不買宣言である。中国政府は米国債を二度と買わないことを宣言するのだ。
というものがありました。8月2日の13日目って、ちょうど15日ですよね・・中国が一番の米国債保有国ですから、15日に利払いできないと、中国が報復として米国債不買宣言を出す・・ということなのでしょうか。
高速鉄道の問題もあり、人民の目を他にそらしたいという中国共産党の目論みが不買宣言となるのか?(引用終わり)
*******
★ 米財務長官が中国副首相と金融市場情勢で意見交換(・・内容は秘匿)
http://jp.reuters.com/article/businessNews/idJPJAPAN-22630520110809
[ワシントン 9日 ロイター]米国のガイトナー財務長官は9日、中国の王岐山副首相と電話会談を行い、世界経済、および世界的な金融市場の情勢について意見を交換したと米財務省が同日発表した。
声明には、スタンダード&プアーズ(S&P)による米国債の格下げ、および中国が保有する米国債に関する言及はない。(抜粋)
*******
★ 中国は米国を「格下げ」できるのか(ジョセフ・ナイ ハーバード大教授の呟き・・)
http://jp.reuters.com/article/jp_column/idJPJAPAN-22620920110809?pageNumber=2&virtualBrandChannel=13621
・・中国が何らかの顕著なやり方で、米ドルから離れていくのかどうか。外貨準備の若干の調整はあるにしても、米ドルに取って代わる良い代替案は少ない。 もちろん、中国が人民元を準備通貨にすべく、為替市場とクレジット市場の開放に向かう可能性はある。ただ、中国共産党はそこまでの経済自由化を望んではおらず、準備もできていないはずだ。
有識者の一部には、中国はドルを売ると脅しをかけて米国を屈服させることができるとの意見もある。 仮に中国がドルを投げ売りすれば、米国を跪かせることはできるかもしれないが、自分自身も地面に伏すことになりかねない。
米中関係をめぐる状況は、米ソが対立していた冷戦時代の構図に似ていると言えそうだ。どちらかが攻撃をすれば双方が破滅するという代償が避けられないため、両国が相互依存のバランスを何とか保とうとしている。(抜粋)
米国は債務問題や政治的な手詰まりで深刻な問題に直面しているが、それらは大きな絵の一部分であることも忘れるべきではない。一部の中国人にみられる思い上がりやナショナリズム、一部の米国人にみられる余計な警戒心が、相互依存のバランスをを難しくする。
最近の金融危機やS&Pによる格下げといった短期的な出来事から長期的な展望を誤ると、代償が高くつく政治的な判断ミスにもつながりかねない。(抜粋)
10. 2011年8月10日 10:20:54: aLKNexFxxc
>6
ただのアホです
でもこういうアホが多いんだよね〜
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/427.html#c10
05. 恵也 2011年8月10日 10:25:37: cdRlA.6W79UEw : 282YS6jaOY
>>01 何十万人の被爆者が2年後に苦しみ始める可能性が大である。
間違い!
2年後じゃなく被ばく直後から、いろんな急性症状が出て苦しんでます。
俺は30km圏外の福島県のド田舎の高汚染地帯(0.5〜3.0μSv/h)を
車で通ったが、2日後に下痢なり、手足がムズ痒く、頭に独特な痛みを感じた。
高汚染地帯の女性の方(50才くらい)にだいぶ長く話してもらったが、ご自分で
ドイツ製の線量計を持ち自分で測定して、県からも20mSv/yを超えるからと
避難を勧められておられた方が自己責任で留まっておられた。
その女性は瞼、鼻、唇が赤くなっておられた。
2年後くらいなら、原爆ぶらぶら病とか甲状腺ガンが増えるのじゃないかね。
注;俺が持ってた線量計は秋葉原で買った中国製だ(4.5万円)
ーーーー引用開始ーーーー
「ぶらぶら病」は、被害者家族の命名です。
広島に駐屯していた日本軍の兵士が終戦後に故郷に帰る。九死に一生を得た
人が、30分も農作業できない、倦怠感で立っていられない、働けない、という
状態になります。被爆後の街の瓦礫除去作業などに従事した人たちです。
いまでも、ふつうの人の疲労や倦怠は、そのメカニズムはわかっていません。
人や医者は、経験的に疲労を、そしてそれが休息によって回復することを知って
いるだけなのです。
(肥田舜太郎さん より)
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/431.html#c5
40. 2011年8月10日 10:25:45: YycR3BnCek
浜岡が厚木、横須賀への匕首だったとしたら・・・・
米にとめる口実を与えてしまったのかもしれない。
そう考えないと、あんなところに、そもそも原発作ったやつらの頭の構造が信じられない。米軍基地への捨て身の抵抗とでも考えなければまったく理解できない。まあ、そんな深謀遠慮なんか無かったんだったら、そいつらは人間ではなかったとしたしないと納得できない。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/388.html#c40
02. 恵也 2011年8月10日 10:25:57: cdRlA.6W79UEw : 282YS6jaOY
>> 郷原信郎委員長(名城大教授、弁護士)は9日夜、福岡市内で緊急に記者会見し
さすがに郷原氏だ。
この方の調査なら信頼できる。普通の御用弁護士とは違う。
内部告発で証拠を押さえたようだけど、原発マフィアの証拠隠しも本格的に始まった。
この中村明・副本部長は最低限、懲戒免職にしないとこれからも証拠の破棄が続く。
原発マフィアの世論誘導でいつもやってた方法が、ここで露呈したわけだ。
しかしこんな連中の出すデータで電気が足らんから節約しろなんて信用できるのかな。
副本部長という要職の人間がこんな非合法な行為をしたのだから、原発本部の人間
はすべて停職処分にし、減給すべき。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/430.html#c2
07. 恵也 2011年8月10日 10:26:18: cdRlA.6W79UEw : 282YS6jaOY
>>05 自分のことは棚上げして恥知らずな朝日ですが、
公表してくれるだけでも御の字だ。
読売という原発推進の先頭に立ち、公表しない新聞より数倍益し。
なんでこんな事までアンタは朝日を目の仇にするのかね。
小佐古氏は抗議の辞任をしたとはいえ、原発推進の先頭に立った人だから
ニューズウィークへの談話も自己責任回避の傾向が見れる。
近藤駿介氏と意見を異にし完全に辞めたのだから、もっと発言して欲しいものだ。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/429.html#c7
11. 2011年8月10日 10:32:49: 3SstCBCT4w
匿名のヘッジ・ファンドが米国格下げに8億5000万ドルの賭けをしていました(倍率:10倍)。
これは1992年にジョージ・ソロス氏がやってのけた手口に類似しています。
インサイダー取引の疑いが濃いのです。
http://www.dailymail.co.uk/news/article-2023809/Did-George-Soros-win-10-1-return-S-Ps-US-credit-rating-downgrade.html
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/658.html#c11
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-08-10/2011081015_01_1.html
2011年8月10日(水)「しんぶん赤旗」
九電会談メモ 大筋認める/佐賀知事、責任は否定「やらせメール」/県議会特別委
佐賀県の古川康知事は9日、県議会原子力安全対策等特別委員会(38人の県議全員で構成)で、九州電力「やらせメール」の発端となったとされる九電幹部との「会談メモ」について、「細かいニュアンスや私の真意と違う点があるが、このような項目の話はした」とメモを大筋で認めましたが、「責任を取るつもりはない」と居直りました。
県民より九電か 武藤議員が批判
「会談メモ」は、6月21日に古川知事と九電の段上守副社長(当時)らが会談した内容を佐賀支店長(同)がまとめ、九電役員などにメールで報告していたものです。
古川知事は、九電幹部との会談で、玄海原発(佐賀県玄海町)の再稼働問題について「自民党議員は再稼働について理解がある。議員に対し、(再開を求める)支持者の声を伝えていくことは大事だ」と話したことを明らかにしました。県民説明番組(6月26日)についても「再開問題について経済界からも声を出したらよい」と述べ、出演者の人選にも言及したことを認めたものの「発言する相手や時期を考えると発言の内容は軽率だった」とするにとどまりました。「やらせメール」については「指示していない」と責任を否定しました。
質疑では12人が発言。日本共産党の武藤明美議員は「指示していないというが、『やらせメール』を招いた結果は重大だ」と指摘。「県知事の発言は、再稼働に向け九電に都合のよい道筋をつけようというもの。県民ではなく九電の方を向くような人は知事にふさわしくない」と批判しました。
==============================================
<解説>「運転再開」の真意明らか
「しんぶん赤旗」 2011.8.10 日刊紙 15面
古川康佐賀県知事は、9日の県議会特別委員会で「ニュアンスが違うが、話した項目はメモの通りだ」と述べました。
知事は「やらせメールを送るような指示はしていない」と言いますが、九州電力の段上守副社長(当時)と会ったのは、6月21日。国主催の「県民説明番組」(同26日)の直前です。そのタイミングで知事が「経済界の立場からも声を出したらいい」との「長年の持論」(知事)を当事者である九電幹部に伝えたことが、九電による再稼働容認メールの組織的投稿につながったことは間違いありません。
「メモの内容は私の真意と違う」と知事は述べています。しかし、玄海原発の再稼働問題が全国から注目されている時期に九電幹部と会って「持論」を述べた知事の「真意」が「運転再開にあったことは、原子力安全・保安院の説明や、経産相による「安全宣言」を受け、「運転再開に向かうステップに至ったと考えていた」という知事自身の言明からも明らかです。
知事には、歴代の九電佐賀支店長からの政治献金や選挙での支援など九電との癒着も指摘されています。「県民ではなく九電の方を向いている」知事に原発再稼働を判断する資格があるのか。厳しく問われています。 (内田達朗)
--------------------------------------
佐賀県知事の発言メモ要旨
「しんぶん赤旗」 2011.8.10 日刊紙 15面
九州電力玄海原発(佐賀県玄海町)の運転再開をめぐり6月26日に開かれた住民説
明会に先立って、当時副社長の段上守氏らと会談した際の古川康知事の発言内容のメモの要旨は以下の通り。作成者は当時佐賀支店長の大坪潔晴氏。
【説明会の形式】ケーブルテレビやインターネットで中継し、県民代表者5人程度が質問する。1人は佐賀商工会議所の専務理事を予定。残りは県民代表として普通の参加者を選ぶ。
【自民党県議への働きかけ】自民党系県議は再起動の必要性について分かっているが、選挙を通じて寄せられた不安の声に乗っかって発言している。議員には支持者からの声が最も影響力が大きいと思う。いろいろなルートで議員への働き掛けをするよう(各県議の)支持者にお願いしていただきたい。
【ネットを通じて意見】住民説明会の際に、発電再開容認の立場からも、ネットを通じて意見や質問を出してほしい。
【国サイドのリスクは首相】発電再開に向けての総理自身のメッセージが発せられな
い。首相の言動で考えているスケジュールが遅れることを心配している。
06. 2011年8月10日 10:33:57: iOZOHO9y1o
だあかあらあ〜
半減期の短いセシュウム134がこれからどんどん無くなるから
二、三年で放射線量は半減だっちゅうの
だてやスイキョでシーベルトという単位が決まっている訳ではない
顕著な症状が出るのが壱シーベルトから
だからシーベルトという単位がある
マイクロシーベルトのレベルは
その壱シーベルトの百万分の一
こんな微量ではどんな障害も起きようが無い
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/431.html#c6
09. 2011年8月10日 10:34:35: 8qkp570kfE
論より証拠。今日ぐらいの暑さで、まだ停電してないってコトは、少なくともこれくらいの暑さなら、今、動いてる発電所だけで足りると言う事を日本中が証明している、と言う事なんじゃないですか。昨日もかなり暑かったけど、停電しましたか。
三月の震災から今日まで五ヶ月足らずの間に、企業も個人も避難袋や節電グッズの購入はじめ、色々な事をされてると思いますけど。来年の夏までさらに約10ヶ月もあるのに、何も手を打たない、なんてありえないと思うんですが。いつも思うんですが、ほんと、原発推進の連中は反対派にだけ荒唐無稽なストイックや不都合を押し付ける
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/390.html#c9
http://chikyuza.net/n/archives/12680
オスロから六本木へ
2011年 8月 9日 時代をみる ノルウェー連続テロ事件 右翼 宇波彰 教科書採択問題
<宇波彰(うなみあきら):評論家・明治学院大学名誉教授>
政治的右翼は、地域・時代によって様相を異にする。ノルウェーのいわゆる「連続テロ事件」について、7月30日の読売新聞は、次のように書いている。「欧州の極右の動向に詳しいマシュー・グッドウィン英ノッティンガム大学講師は、<ブレイビック容疑者は極右の間ですでに”英雄”扱いにされている>と指摘し、模倣犯の出現を懸念している。」
このマシュー・グッドウィンはまだ30前の若いアカデミシャンであるが、この記事にもあるように「極右の動向に詳しい」ひとであり、今年の4月に英国国民党についての研究『イギリスの新しいファッシズム 英国国民党の興隆』(Matthew Goodwin,New British fascism,rise of the British National Party,Routledge,2011)を刊行した。英国国民党(the National Party)は、最近特に勢力を拡大しつつあるフランスの右翼政党である国民戦線とつながるイギリスの極右政党であり、英国議会では議席を持っていないが、欧州会議では、イギリスが持つ72議席のうち、2議席を占めている。イギリス国内でも、地方議会には少ないながらも議席がある。この国民党幹部は、2009年にフランスの国民戦線の幹部と共に靖国神社に参拝している。
イギリスの新聞「オブザーバー」(7月28日 電子版)は、クリス・アーノットによるグッドウィンについての記事を載せた。それは、この若いアカデミシャンが、反ファッシズムの立場からイギリス極右の研究をしていることを伝えている。それは、ノルウェーの事件を、イギリスにとってけっして「対岸の火事」として扱わないという態度の表明として読むことができるであろう。
しかし、イギリスとフランス、ノルウェー、そしてドイツ、オーストリアでは、それぞれ「右翼」もしくは「極右」が異なった姿を示しているのは当然のことである。フランスの国民戦線は、勢力の拡大と共に、暴力的な要素を隠しているように見える。大統領選挙に候補者を出そうとする政党ならば、「暴力」を隠すのは当然である。ノルウェーの「極右」が、いきなり「テロ」に走ったのは、それがまだ政党化していないからではないだろうか。一口に「右翼・極右」といっても同列に論じることは困難である。
それでは、日本のばあいはどうなっているのか。日本の右翼は、テロ事件を起こしたり、フランスの国民戦線と姉妹政党を作ったりはしていない。その本当の動きは、見えてこないが、教科書採択問題に一つの鍵があるように思われる。
最近、横浜市、東京都大田区、大田原市などの教育委員会が相次いで育鵬社の中学校の歴史・公民の教科書の採択を決めたことに注目したい。6月22日の産経新聞(電子版)によると、大阪府の橋下知事を代表とする「大阪維新の会」の大阪市議団は、育鵬社、自由社の教科書を採択するように求める決議案を9月定例市議会に提出することを決めたという。
育鵬社の教科書が、どういうものかについては、その企画委員、編集委員の顔ぶれを見れば、およそのことは理解できるであろう。歴史教科書の監修者は、渡部昇一、伊藤隆、渡辺利夫、岡崎久彦、田中英道の各氏であり、歴史教科書の監修者は、渡辺利夫、川上和久、中山理、百地章、石井昌弘、礒前秀二、八木秀次の各氏である。このなかで産経新聞の「正論」の執筆メンバーが多いのが注目される。要するに、日本の代表的な右派の学者を集めた執筆陣である。
この育鵬社の教科書作成の母体は、「日本教育再生機構」という組織である。この組織が、去る5月10日に六本木のハリウッドホールで「育鵬社版歴史・公民教科書出版記念シンポジウム」を開催したが、その「登壇者」は、安部晋三、川上和久、八木秀次、伊藤隆、屋山太郎の五人であった。「教育再生」が何を再生させようとしているかは、このメンバーから推測可能である。日本の右翼は、教科書を媒介にして、徐々にその勢力を拡大しつつあるというべきであろう。
(付記。なお私は、ここで述べたことと関連する問題について、雑誌「情況」6/7月合併号に「原発事故の裏側にあるもの」という小文を載せた。ぜひ併せて読んで頂きたい。日本の知識人の頂点に存在するはずの元東京大学総長の方々が、東電・東芝の重役に天下りして、原発に関して権力・大企業擁護の御用学者の先頭に立っていることを批判したものである。2011年8月8日。)
初出:宇波 彰現代哲学研究所http://uicp.blog123.fc2.com/より許可を得て転載
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔eye1541:110809〕
09. 2011年8月10日 10:40:43: FUviF2HWlS
>>08
湯崎・広島県知事の見解を問いたい。
広島知事:式典での首相「脱原発」発言に不快感
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110810k0000m040044000c.html
平和祈念の場で脱原発とは…広島知事、首相批判
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110810-OYT1T00006.htm
「平和記念式典の政治利用」=「脱原発」の首相批判―湯崎広島知事
http://www.asahi.com/politics/jiji/JJT201108090051.html
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/414.html#c9
07. 2011年8月10日 10:44:03: aLKNexFxxc
>05さん
だから低線量の内部被爆は気にするなってことですか?
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/411.html#c7
13. 2011年8月10日 10:45:43: VSRnDCr1FU
12様と同じで本題に関係ないが、ハゲは本人の責任ではない。
肥満は本人の責任大だが、ハゲは本人の責任ではないので、よって悪く言ってはいけない。
誰が考えても、米は国民が毎日食するものだから、放射能の数値は少ないほうがいいと思う。500ベクレルなんて多すぎると小出先生も言っていた。私もそう思う。米に関しては基準を出来るだけ低くしてほしいと願う。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/413.html#c13
http://chikyuza.net/n/archives/12647
ブレイビク容疑者の思想的背景
2011年 8月 9日 時代をみる ノルウェー連続テロ事件宇井 宙
<宇井 宙(ういひろし):ちきゅう座会員>
先月22日、ノルウェーで起きた連続テロ事件の背景には、欧州各国で反移民・反イスラムを掲げる極右勢力の台頭がある、ということを前回の記事「テロリストの心象風景」(*1)で指摘した。そのこと自体は、すでに多くの論者が指摘していることで、間違ってはいないが、アンネシュ・ブレイビク容疑者の犯行計画書の内容が明らかになるにつれて、彼の思想的背景には、欧州にとどまらず、インターネットを通じてグローバルに形成されたイスラム憎悪のネットコミュニティ(the global Islamophobic blogosphere)(*2)が存在することが明らかになってきた。
彼が犯行直前にネットに投稿した1516頁に及ぶ犯行計画書「2083」――このタイトルは、彼の理想とする「キリスト教単一文化のヨーロッパ」が実現されると彼が空想する年であると同時に、彼が愛読していたジョージ・オーウェルの「1984」をもじってつけたものであろう――が、様々な評論家、イデオローグ、ブロガーからのコピー・ペーストであることはすでに多くの人が指摘しているところであるが、イスラエル・シャミアによれば、とりわけ彼に大きな影響を与えているのは、デイヴィッド・ホロヴィッツ、ダニエル・パイプス、バット・イェオー、ロバート・スペンサー、アンドリュー・ボストムなどである(*3)。このうちバット・イェオーを除く4人はアメリカ人の極右ネオコン(新保守主義者)である。ホロヴィッツは、新左翼から転向した極右で、「フロントページ」という雑誌の編集長で、「デイヴィッド・ホロヴィッツ自由センター」(DHFC)の創設者である(*4)。パイプスとイェオーとスペンサーはいずれも「フロントページ」の定期的な寄稿者である。パイプスは外交政策研究所の理事を務めた後、「中近東フォーラム」を設立し、アメリカの外交政策やイスラムや「イスラム主義(Islamism)」についての著述活動をしている。2003年、当時のブッシュ大統領が、パイプスを米国平和財団理事に任命しようとしたのに対し、民主党議員やアラブ系アメリカ人団体や人権活動家たちの反対によって阻止されたという一幕もあった(*5)。バット・イェオー(ヘブライ語で「ナイルの娘」という意味のペンネーム)はスイス在住のエジプト系英国人でユダヤ教徒である。彼女には『ユーラビア――ユーロとアラブの枢軸』という著作があり、欧州諸国とアラブ諸国がイスラエルの生存を不可能にするために協力しており、欧州大陸をイスラム化するという陰謀を抱いている、という陰謀理論の発明者として知られている(*6)。彼女は、ブレイビクに対して親切に助言をし、彼女の未公表論文を送ったこともあったらしく、ブレイビクの犯行計画書の中で唯一好意的に名前を挙げられている人物である(*7)。スペンサーは、DHFCと共同で「ジハード・ウォッチ」というブログを開設し、『暴かれたイスラム』という著書の中では、イスラム教の教義そのものがテロリストを生み出している、といった主張をしているそうだ。また、彼の『ムハンマドに関する真実』という著作はベストセラーにもなっている。彼はまた、パメラ・ゲラーと共同で「アメリカのイスラム化を止めろ(SIOA)」という団体を設立した(*8)。パメラ・ゲラーは、世界貿易センター跡地(グラウンド・ゼロ)の近くにおけるイスラム教徒共同センターの建設計画への反対運動をしたことで知られるブロガーである(*9)。ボストムは心臓血管疾患を専門とする医学者だが、『ジハードの遺産』といった著書もある自称「イスラムの反ユダヤ主義」の専門家でもあるシオニストである(*10)。
これらのネオコン右翼は、伝統的右翼とは異なり、反ユダヤ主義ではなく、むしろ親イスラエルであり、イスラム敵視で共通している。ブレイビクは欧州のネオナチ集団に対して、ユダヤ人への憎悪をイスラム教徒に向けるよう勧告したこともあり、政治的にはアメリカとイスラエルに強いシンパシーを抱いている。彼の夢想によれば、ヨーロッパがイスラム教徒を一掃して真に「独立」した暁に、まず真っ先になすべきことは、パレスチナ人に対する一切の支援を停止することであり、「2083」の中では、彼の支持者に対して、イスラエルがすべてのイスラム教徒のシリア人とパレスチナ人をガザと西岸とエルサレムから追放するのを援助するよう呼びかけている。ブレイビクの頭の中では、世界の歴史はキリスト教文明とイスラム文明の間の闘争として描かれているのであろう。そして、シャミアによれば、彼のイスラム憎悪はノルウェーの国内やヨーロッパの内部だけでなく、あらゆるところのイスラム教徒に向けられているのである(*11)。
このように見てくると、ブレイビクの思想の背景には、欧州諸国に共通する反移民感情の高まりを背景とした極右勢力の台頭という現象も確かに一方にはあるが、他方では、アメリカにおける宗教右派の影響力も見てとれる。アメリカにおける宗教右派の台頭については以前、「アメリカの原理主義」(*12)および「米国の宗教右派と中東政策」(*13)という記事でも指摘したことがあるが、キリスト教原理主義という特異な宗教思想を背景とするイスラエルへの強硬な支持者であるクリスチャン・シオニストと、従来からあるユダヤ・ロビーとの連携関係が特徴となっている(*14)。
ノルウェーは人口約500万人の平和な小国であり、リベラルな政治風土でも知られている。1990年代半ばの世界価値観調査によれば、欧米の16カ国のうち、「あなたは大抵の人は信頼できると思いますか、それとも他人には注意すべきだと思いますか」という質問に対して、「信頼できる」と答えた人の割合は、平均が44.8%だったのに対して、ノルウェーは65.3%と最も高い数値を示している。1999−2000年の調査ではデンマーク(66.5%)、スウェーデン(66.3%)に次いで3位となったが、依然として65.3%と高い数値を維持している。因みに、フランス(21.3%)、イギリス(29.0%)、ベルギー(29.2%)などは低い数値となっている(*15)。なお、ノルウェー国内の移民の数は55万人強で、過去15年間に2倍になったが、その多くはポーランド人やスウェーデン人であって、彼らの存在は政治的に全く問題となっていない。イスラム諸国出身の移民は約20万人であり、彼らの出身国はパキスタン(3万人)やソマリアやイラクやボスニアなどである(*16)。彼らの多くが圧倒的な経済格差や西欧諸国が関与した戦争などで生じた混乱から逃れてきた人々である、という事実はブレイビクのようなネオコン思想の持ち主には全く想像すらできないのであろう。
ノルウェーのような平和で他者への信頼感の厚い社会で起きた凶悪テロは、移民問題で揺れる欧州諸国を震撼させた。では、わが日本は対岸の火事で済まされる出来事なのだろうか? ブレイビク自身や、彼が尊敬していた欧州の極右政党の政治家たち――例えばイギリス国民党のニック・グリフィン党首やオランダ自由党のヘルト・ウィルダース党首など――が口を揃えて言っているのが、「日本の排他的な移民政策を模範にすべきだ」という言葉である、という事実(*17)を我々日本の市民はどう考えるべきだろうか。
[註]
(1) http://chikyuza.net/n/archives/12482
(2) http://www.nytimes.com/2011/07/29/opinion/Gaarder-Eriksen.html?_r=1
(3) http://www.counterpunch.org/shamir08032011.html
(4) http://en.wikipedia.org/wiki/David_Horowitz
(5) http://en.wikipedia.org/wiki/Daniel_Pipes
(6) http://en.wikipedia.org/wiki/Bat_Yeor
(7) supra note. (3)
(8) http://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Spencer_(author)
(9) http://en.wikipedia.org/wiki/Pamela_Geller
(10) http://en.wikipedia.org/wiki/Andrew_Bostom
(11) supra note (3)
(12) http://chikyuza.net/n/archives/5739
(13) http://chikyuza.net/n/archives/5771
(14) 註(12), (13)のほか、例えば参照、スーザン・ジョージ『アメリカは、キリスト教原理主義・新保守主義に、いかに乗っ取られたのか?』作品社、2008年
(15) Markus Crepaz, “’If you are my brother, I may give you a dime!’ Public opinion on multiculturalism, trust, and the welfare state”, in Keith Banting and Will Kymlicka (eds.), Multiculturalism and the Welfare State: Recognition and Redistribution in Contemporary Democracies, Oxford UP, 2009.
(16) supra note (2)
(17) http://www.news-digest.co.uk/news/content/view/3091/120
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔eye1539:110809〕
07. 2011年8月10日 10:46:27: iQinVlOl1c
↑よっ!アサツーの工作下請けご苦労さん(笑)
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/431.html#c7
04. 2011年8月10日 10:48:38: FUviF2HWlS
やらせメールを依頼したとしても、何の法律を犯したことにもならない。
県民に原発稼動の必要性を真摯に語る方が人気が出る。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/406.html#c4
59. 2011年8月10日 10:48:58: AQqyLULhMc
被災地の薪、一転燃やすことに…京都・送り火
読売新聞 8月10日(水)3時1分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110809-00001265-yom-soci
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/369.html#c59
08. 2011年8月10日 10:50:36: lBcXI6NWHk
木村真三氏とその一行は陰気臭かったねぇ。黒い背広を着て周りから明らかに浮いていて、何事かと不安そうに見ている村人を権威ぶっている様子で威圧しまくりだったな。
木村真三氏に進められて内部被ばくの検査をして、高濃度の放射性物質に汚染されていたあのナロジチ村の貧しい親子に対して、あの後木村氏はすぐにここから避難しなさいと忠告したのかな?福島の親子に対して小出教授や武田教授が言っているように「子供を被曝させておいて責任を感じないんですか?」ってね。まあ無理だろうね。原因ははっきりとは分からないって番組の最後で悔しそうに言ってたからね。
もっとも放射性物質が原因だと何となく臭わせていたけど。でも結局断定できなかったね。日本の他分野の研究者達からも放射性物質が原因だと結論付けたかった木村氏に対して、放射性物質だけではなくもっと他のデータも集めるべきだと突っ込まれてたしね。
チェルノブイリの事故から25年も経つのにまだ解らないんだな。逆に福島では解って無いのに危険だと断定してるわけか?放射性物質は見えなくて危険がすぐには解らない、そもそも危険かどうかも分からないのに危険をこれでもかと煽り本を出版して小出と武田は相当儲かったようだね。
そろそろ小出・武田と山下・神谷で討論番組で対決してもらいたいな。俺は小出・武田が逃げるんじゃないかと思うけどな。なにしろ山下・神谷と違って「専門外」だからね。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/411.html#c8
02. 2011年8月10日 10:55:30: aLKNexFxxc
福島が汚染されていると騒いでいるけど
隣の栃木も福島よりは汚染度は似たりよったり
那須塩原の高い線量が検出されている校庭も除染の予定はあっても
5ヶ月になるいまでも手つかず
測れば2〜5,6〜マイクロシーベルトなんてとこは普通にあるし
水道水も検査なし
それでも人々は文句も言わず普通に生活しています
住民の知能程度が低すぎ|〜・・・としか言えません
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/409.html#c2
29. 2011年8月10日 10:56:46: 8qkp570kfE
女子アナが雑なのは、韓流ドラマのせいですか?お台場合衆国に遊びに来た子供連れのせい?彼らを威嚇すれば改まるのか??
て言うか。ネットでかもしれないけど、フジ。生中継で見てるんだ...私よりフジに詳しい。しかも八日って、見てイイ日だったの?うっそーん(笑)
28さん、GoodJob!!
ちなみに私が見なかったのはたまたまです。フジのときもあるし、他のときも見ないときもある。
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/201.html#c29
12. 2011年8月10日 10:56:53: lgTfWDumo6
4年2ヶ月の間に
M7、M8の地震が10、20と起きてるから、地震にゃ・・・
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/497.html#c12
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110810-00000027-yom-bus_all
「地元軽視」と高橋知事…泊原発の営業運転
読売新聞 8月10日(水)0時20分配信
定期検査中で調整運転している北海道電力の泊原子力発電所3号機(北海道泊村、91・2万キロ・ワット)について、最速で11日中にも営業運転に移行する見通しとなった。
北電は営業運転に移行するための最終検査(総合負荷性能検査)の受検申請を9日、海江田経済産業相に行ったが、最終検査は9、10の両日に行われ、結果は11日に予定されている原子力安全委員会で報告される見通しとなったためだ。問題がなければ北電は定期検査の終了証の交付を受け、営業運転に移行する。
泊3号機の営業運転移行に向けては、北海道の高橋はるみ知事が国に対して質問書を提出していた。国は9日に「泊3号機は再稼働でなく運転の継続として扱う」などと回答、北電には改めて最終検査を受けるよう求め、北電がすぐに申請に踏み切った。高橋知事は申請について、「地元軽視で、甚だ遺憾だ」と、不信感を表した。 最終更新:8月10日(水)0時20分
23. 2011年8月10日 10:58:11: LAK2Vu2TFg
>今年は円高で純輸出はさらに減るでしょう。これが円高不景気なのです。だから馬鹿げたことと言っているのです
だから、あなたはばか。
今年貿易黒字は減る。なぜなら、景気回復(GDPが去年よりプラス成長)しているから。
>これが円高不景気なのです。
かってに作るな。今年は好景気(プラス成長)。円高でも好景気なの。どうして、妄想できるのかなあ?
事実は「円高好景気(GDPプラス値)」なんだって!
>馬鹿げたことと言っているのです
お前さんが馬鹿げてる。
いいか?貿易黒字は「不況で増える」の。不況とはGDPマイナスのことなの。
>1990年前半はGDPは増えて純輸出は13兆円にも増えたが1995年の円高不況で95年96年は大幅に減った97年以降は円安になり純輸出はまた増えた。
なんで嘘までつくんだ?
91年 92年 93年 94年 95年
GDP 469,421.8 480,782.8 483,711.8 488,450.3 495,165.5
貿易黒字 7,547.0 10,397.6 10,765.5 9,883.0 6,957.7
ちゃんと、GDP拡大で減っているだろうが。91年と95年をよく見ろ!
好況(GDPプラス)だから、増えるんだ! あほか? 505,011.8
96年 97年 98年
GDP 505,011.8 515,644.1 504,905.4
貿易黒字 2,538.8 5,757.5 9,444.0
95 96年は大幅に減った。当たり前だ。GDP増(好況)だからだ。
97年→98年の不況(戦後2回目のマイナス成長)で、
貿易黒字は増えているだろうが!
円安も円高も関係ないんだ! ドあほ!!
04. 2011年8月10日 10:58:58: 6hGyQ5UTdE
日本国民の経済に対する考え方、個人、地域、国それぞれに対する行動。
世界(欧米?)基準と比較すればかなりのずれが生じていると思う。
今回の震災にしても、バブル崩壊時にしても、リーマンショック時にしても、世界基準に照らし合わせたら考えられない行動を日本人はとってきていると思う。
それを基にして経済政策を採らないと良い結果なんて・・・
何を基準にして政策を採らないといけないかなんて結果を見て判断するしか・・・
少なくとも世界(欧米?)の経済学者の基準で行動しても日本人は・・・・・
それに甘えた政策もどうかと思うが・・・・・
「世界の」の意味づけも・・・・・
何を基準に何を判断するか、結局は自分自身で判断するしか・・・
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/690.html#c4
05. 2011年8月10日 10:59:12: PgPBMdxElo
>>04.
国家は電力会社がどんな方法で発電するのかに干渉しない、という案ですね。
自ら研究開発を行いながら、最も良い方法で商品生産をするのがあたりまえですね。
考えてみれば、電力以外はみなそうなんですよね。
製油会社は事故に備えて自主消防組織を編成しています。
その他の産業も同様に事故対策を自ら行いうるような体制を持っています。
キーは発電会社、送電会社の分離と、地域独占の排除による自由競争体制作りですね。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/432.html#c5
47. 2011年8月10日 11:01:26: nmX660NWrY
>43さん
ナチュラルハーモニーは農薬のみならず肥料も使わない自然農法です。
肥料を使うから害虫が発生するそうです。
野山の草木のように自然に育つのを待ちます。
しかも子どもには1ベクレル以下の食品を与えることがモットーだそうです。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/380.html#c47
18. 2011年8月10日 11:01:32: qMgd17wAMA
>>16
どんな物理法則もその答えの為には捻じ曲げる
この世の全ての悪はユダヤ という考えに取り憑かれている
もはや神、悪魔などの宗教のレベルだよ。
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/493.html#c18
01. 2011年8月10日 11:07:00: f07AWWWTas
これのせいか。韓国の経済市場も死に体だよな
韓国株価暴落、歴代5度目のサーキットブレーカー発動
http://japanese.joins.com/article/616/142616.html?servcode=300§code=310
更に翌日歴代6度目、二日連続のサーキットブレーカー発動
2,3日で株価20%以上の大暴落
植民地経済の国がモロに影響を受けているわ。
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/691.html#c1
16. 2011年8月10日 11:08:23: tsE4aMAzcM
原発事故前と寸分違わない環境にしてもらってから帰ればいい。
勿論事故前の放射能を一ミリたりとも出さない原発にして。
辛いが自分ならそうなるまで帰らない。(多分間に合わず死んでるが)
マスコミもそのぐらい良心持って報道して、国民のためにご奉公しろよな。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/417.html#c16
11. 恵也 2011年8月10日 11:10:00: cdRlA.6W79UEw : mh6QgtGpbU
>>07 菅の表明は糞にも劣ると言うんだ。
そうは言っても菅の周りは営業運転再開を望んでる連中ばかりだからね。
原発マフィアの力は強力だ。
社民党や共産党が閣内に入ったら、営業運転を止めれるかも知れんが
辞めるのが決まってる菅直人総理だけじゃ止めれん。
次の総理なら原発推進が加速するかも知れんな。
しかし北海道電力も九州電力と同じように、都合の悪い資料廃棄を
会社として命令してるだろうから郷原信郎氏に調査して欲しい。
保安院じゃ内部告発しても握りつぶすから信用できん。
ーーーー引用開始ーーーー
NHKニュース速報
東京電力が原子力発電所の点検記録を不正に記載し、トラブルを隠していた
問題で、福島第二原子力発電所の三号機では、平成九年の定期検査で原
子炉内部のシュラウドと呼ばれる構造物に広い範囲のひびが見つかっていなが
ら国に報告しないで運転を続け、去年になって初めて見つかったとウソの発表を
していたことが明らかになりました。
経済産業省の原子力安全・保安院などによりますと、このひびは平成九年の
定期検査の際に下請けのメーカーが見つけたもので、シュラウドの全周にわたり、
およそ十六メートルが確認されていたという事です。[2002-09-05-10:32]
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これは,私たちの質問書を見て,放っておくと市民団体の追求により明らかにさ
れてしまうと知った保安院による意図的なリークと思われます。一年も前に知って
いながらぬけしゃあしゃあと…。
(シュラウドと保安院の罪 より)
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/401.html#c11
01. 2011年8月10日 11:11:01: FQuprmjf0A
殺人に等しい、そのとおりだがこの言葉の前に大量のがつく。
大量殺人に等しい。←これが正しい。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/433.html#c1
12. 2011年8月10日 11:11:28: ziwEB0JzPs
*鬼怒川は利根川水系。茨城の海が汚れているだけではない。
946 マイワシ 千葉県銚子沖 7月7日 21.5
965 アユ(天然) 栃木県宇都宮市(鬼怒川) 7月13日 137
*霞ヶ浦も汚染された。
945 ワカサギ 茨城県霞ヶ浦(北浦) 7月7日 79
*数値は低いといえ神奈川の海も汚染されている。
1071 ヤマトカマス 神奈川県鎌倉地先 7月20日 3.5
1073 マアナゴ 神奈川県横浜金沢沖 7月20日 4.3
*阿武隈川は仙台湾に注いでいる。
1046 カタクチイワシ宮城県仙台湾 7月13日 12
1194 アユ(天然) 福島県伊達市(阿武隈川) 7月27日 1240
*猪苗代湖の水は疎水を通して福島県中通りでも利用されている。
1199 ヤマメ(天然) 福島県猪苗代町(猪苗代湖) 7月27日 170
*三陸まで汚染されている。
1048 マダラ 宮城県志津川沖 7月13日 12
*阿賀川は阿賀野川の支流、阿賀野川は新潟市で海に注いでいる。
1210 イワナ(天然) 福島県檜枝岐村(阿賀川) 7月27日 113
1231 マダイ(内臓部) 新潟県新潟東港沖 7月28日 21
http://www.jfa.maff.go.jp/j/kakou/Q_A/pdf/110808_result_jp.pdf
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/419.html#c12
06. 2011年8月10日 11:11:54: FUviF2HWlS
>>05
現状の電力会社の地域独占は、法律による制限でそうなっているわけでない。
新たに自前で送電網を造って、既存の電力会社と競うだけの気概のある企業が現れないだけだ。
政治家に法律を作らせて、都合良く既存の電力会社の送電網を借りて起業しようとするから、発送電分離が必要などと喚くのだ。
真の起業家なら、立法府などには頼らない。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/432.html#c6
01. 2011年8月10日 11:12:54: ozl4ufz17U
管理人さんに、水を差すようなコメントで申し訳ありませんが、
以前、お試しセット500円を申し込んだら、自動的に入会扱いになり、
頼みもしない5000円相当の食材を勝手に送られてきたので、トラブルになりました。解約や苦情の窓口が非常にわかりづらく、企業としてどうかと思いました。
購入の際には、システムをよく理解したうえで、利用されることをお勧めします。
http://www.asyura2.com/10/yoi1/msg/192.html#c1
41. 2011年8月10日 11:13:30: p9B89YgNYw
極秘情報と言うのは常に片側の真実しか現れないことに留意して欲しい、
全体像を推測するのは我々の読解力に掛かっている、
売国NHK,韓流NHKという前提で見ることが必要、
韓米に都合のいい解釈になっているはず
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/361.html#c41
17. 2011年8月10日 11:15:49: FQuprmjf0A
殺人政府に成り果てた。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/417.html#c17
10. 2011年8月10日 11:18:20: XTDP8hj9A2
08 市長でなく県知事でした。まあ市長も似たようなもんですが!
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/414.html#c10
http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp1-20110810-818137.html
米時価総額、一時アップル首位
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9日のニューヨーク株式市場で、米電子機器大手アップルの企業価値を示す株式時価総額が一時、首位の米石油大手エクソンモービルを抜き、初めて米企業最大となる場面があった。
終値ではエクソンが抜き返した。ロイター通信によると、エクソンは3483億ドル(約26兆8000億円)で、アップルが3467億ドルだった。このところの米株安基調の中で、好業績のアップルが高値圏にある一方、エクソン株は低迷していた。
アップルは携帯電話iPhone(アイフォーン)や多機能端末iPad(アイパッド)など製品群の販売が好調さを維持している。(共同)
[2011年8月10日8時54分]
41. 2011年8月10日 11:24:41: ycWZEttOLI
菅は己の延命の為に小沢氏を裏切ったではないか。誠実な男だったら共に特捜検察と闘って行かなければならなかった。だから可視化も不透明で何時実行できるか解らない。原発事故についても適切な判断が出来ないでいる3月17日の段階でスピーディーを使って汚染マップを公表していれば、住民の対応も変わっていた。
政治家は誠実で困難な時に適切な判断が出来ない人間が総理になっては、い菅のだ。
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-3118.html
2011年8月10日 (水)
「非現実的な夢想家」が救済する損なわれた大地
旧聞に属することだが、さる6月9日、日本を代表する作家である村上春樹氏がスペインのカタルーニャでスピーチを行った。カタルーニャ国際賞を受賞し、その受賞記念講演を実施したものだ。
私たち日本人は、このスピーチ動画(*)をじっくりと見るか、その文章をじっくりと読むべきだ。きわめて重要なメッセージが込められている。
(*)スピ−チ動画 1/4・2/4・3/4・4/4
原子力ビジネスを推進する日本の利権複合体にとっては、極めて不都合な指摘が散りばめられている。村上春樹氏は単に原子力村の利権複合体を糾弾するだけではなく、利権複合体の行動を容認してきてしまった一般市民のこれまでの行動にも反省の姿勢を表明するものである。
これが、私たちのあるべきスタンスである。村上氏はこの姿勢に対して利権複合体の人々は、「非現実的な夢想家」のレッテルを貼るのだと指摘する。利権複合体の一角を占めるマスメディアもこのプロパガンダを繰り返し、何も考えぬ国民は、自分の頭で冷静に考えることを放棄して、マスメディアが流す論調に無責任に身を委ねてしまう。
そうした自省と忸怩たる思いが静かに語られた。私たち市民は思考停止に陥ってはならない。マスメディアが流布する特定の利害に基づく情報に流されてはならないのだ。
村上春樹氏のスピーチから以下の部分を転載させていただく。
「僕が語っているのは、具体的に言えば、福島の原子力発電所のことです。
みなさんもおそらくご存じのように、福島で地震と津波の被害にあった六基の原子炉のうち、少なくとも三基は、修復されないまま、いまだに周辺に放射能を撒き散らしています。メルトダウンがあり、まわりの土壌は汚染され、おそらくはかなりの濃度の放射能を含んだ排水が、近海に流されています。風がそれを広範囲に運びます。
十万に及ぶ数の人々が、原子力発電所の周辺地域から立ち退きを余儀なくされました。畑や牧場や工場や商店街や港湾は、無人のまま放棄されています。そこに住んでいた人々はもう二度と、その地に戻れないかもしれません。その被害は日本ばかりではなく、まことに申し訳ないのですが、近隣諸国に及ぶことにもなりそうです。
なぜこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因はほぼ明らかです。原子力発電所を建設した人々が、これほど大きな津波の到来を想定していなかったためです。何人かの専門家は、かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことを指摘し、安全基準の見直しを求めていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。なぜなら、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったからです。
また原子力発電所の安全対策を厳しく管理するべき政府も、原子力政策を推し進めるために、その安全基準のレベルを下げていた節が見受けられます。
我々はそのような事情を調査し、もし過ちがあったなら、明らかにしなくてはなりません。その過ちのために、少なくとも十万を超える数の人々が、土地を捨て、生活を変えることを余儀なくされたのです。我々は腹を立てなくてはならない。当然のことです。
日本人はなぜか、もともとあまり腹を立てない民族です。我慢することには長けているけれど、感情を爆発させるのはそれほど得意ではない。そういうところはあるいは、バルセロナ市民とは少し違っているかもしれません。でも今回は、さすがの日本国民も真剣に腹を立てることでしょう。
しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないでしょう。今回の事態は、我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。」
(中略)
「何故そんなことになったのか?戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?
理由は簡単です。「効率」です。
原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を持ち、原子力発電を国策として推し進めるようになりました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。
そして気がついたときには、日本の発電量の約30パーセントが原子力発電によってまかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、地震の多い狭い島国の日本が、世界で三番目に原発の多い国になっていたのです。
そうなるともうあと戻りはできません。既成事実がつくられてしまったわけです。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね」という脅しのような質問が向けられます。国民の間にも「原発に頼るのも、まあ仕方ないか」という気分が広がります。高温多湿の日本で、夏場にエアコンが使えなくなるのは、ほとんど拷問に等しいからです。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。」
(中略)
「原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。
それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。」
自分の目で現実を見て、自分の頭でものを考える。流布されている情報に素朴な疑問を持つ。怒るべき対象には怒りを感じる。そして行動する。人間としてのこの基本的な行動が欠落するとき、国も国家も人々の手を離れたものになってしまう。
福島で起きた現実を私たち日本人は、もう一度、冷静に見つめ直す必要があるのではないか。東電は救済され、原発を再稼働させるための悪質なやらせ偽装工作の実態も次々に明らかになる。しかし、これらの驚くべき情報の露見に対して、私たちはほとんど無反応になり始めているのではないか。
社会の本当の主役である市民が考える意思と行動するエネルギーを失うとき、社会は私たちのものではなくなってしまう。社会のなかで飼われる家畜人間になってしまう。村上氏は私たち市民に強い警鐘を鳴らしているのだと思う。
------投稿者・祈りより------
(*)の部分は投稿者の判断で付加いたしました。
(紹介動画の見落としを避けるため)
http://www.asyura2.com/11/test23/msg/103.html
(続)原発の源流と日米関係/4/福島原発事故対処/ホワイトハウス直結
「しんぶん赤旗」 2011.07.28 日刊紙 1面
6月3日、福島原発事故の政府・東京電力統合対策室の合同記者会見−。事故対処での「日米協力」について報告した細野豪志首相補佐官(現原発事故担当相)は「同盟関係としてさまざまな協力が信頼関係の下で前向きに進んだ」と語りました。
いらだちの声
米政府は3月11日の事故発生の直後から、被害状況の評価や日本政府の対応を支援するため米原子力規制委員会(NRC)の専門家らを派遣。米国民に対し福島第1原発から半径50マイル(約80`b)圏外への避難勧告を出すなど、独自の対応を進めました。
この勧告は、「20`圏内は避難」という当時の日本側の措置と大きく乖離し、日米の認識のギャップを浮き彫りにしました。さらに、米政府内では、支援を申し出たにもかかわらず、日本側が当初、受け入れに消極的にみえたことから、菅政権の危機管理能力への不信が噴出したといいます。
こうした「いらだちの声」は日本の首相官邸にも届き、菅直人首相は3月17日、オバマ米大統領との電話会談で、申し出のあった支援について米側と今後よく協議することを約束。米国が派遣した原子力専門家との連携を緊密にしていくと表明しました。
冒頭の細野氏の会見によると、この電話会談に「端を発し」て、原発事故の対応について「日米両国の関係者が一堂に会して協議する枠組み」がつくられ、3月22日以降、「当初は毎日」開催されました。
日本側からは細野氏や福山哲郎官房副長官をはじめ関係省庁や東京電力関係者、米側はエネルギー省、NRC、軍、在日大使館関係者らが出席。原子炉や使用済み核燃料棒の安定化、放射性物質の拡散防止、放射能汚染水への対応など「あらゆることについて議論」し、「(米側から)いろいろなアドバイスをいただいた」(細野氏)といいます。
舞台裏に海軍
菅首相に日米協議を進言したという民主党の長島昭久衆院議員は、この協議を「日本の官邸からホワイトハウスをつなぐ、日米の意思決定にとって非常に重要なもの」だと強調しています。(『Voice』7月号) 文字通り、米政府は、事故対処の意思決定過程に組織的かつ全面的に関与できるホワイトハウス直結の仕組みをつくったのです。
加えて、こうした「日米協力」で「当初から、原子力推進とその安全性の監督責任を負う米海軍組織である海軍原子炉の防衛専門家が、おもに舞台裏での役割を果たした」と指摘されています(パトリック・クローニン新米国安全保障センター上級顧問らの論文、『外交』第7号)。それは、日本の原発がもともと、米海軍が潜水艦用に開発し、商業用に転用した原子炉をそのまま輸入したり、ライセンス生産したものだからです。
細野氏は会見で、「日米協力」が「独立国同士」の協力であることを繰り返し強調しました。しかし、原発の重大事故で米国の援助が必要なこと自体、日本の原発技術が米国発であり、自立していないことを示しているといえます。
(つづく)
福島原発事故対応のため米から派遣された関係者 ○米エネルギー省…(3月15日までに)34人○米原子力規制委員会(NRC)…(同16日までに)11人○米パシフィック・ノースウエスト国立研究所…(同30日に)2人○米保健福祉省…(同13日に)1人○米海兵隊放射能等対応専門部隊(CBIRF)…約150人(4月2日〜5月4日)○米海軍艦艇システムコマンドから原子力技術部長○米原子力発電運転協会から技術者○米ゼネラル・エレクトリック社から技術者など(※)日米協議には、NRCのヤツコ委員長、ウォルシュ米太平洋艦隊司令官らが出席したとも報じられています。 (赤嶺政賢衆院議員への政府答弁書などから作成) |
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(続)原発の源流と日米関係/5/福島事故とオバマ政権/撤退発言に米が圧力
「しんぶん赤旗」 2011.07.29 日刊紙 1面
「(福島)原発事故が起こって多くの人が死んだわけではない。むしろ地震、津波で命を落としている」「確かに汚染は深刻だが、日本のほんの一部が汚染されているだけで、チェルノブイリ(原発事故)の10分の1だ」 6月16日、都内の講演会で、福島原発事故の影響をことさら小さくみせようと、こんな暴言を吐いた人物がいます。新米国安全保障センター(CNAS)のパトリック・クローニン上級顧問です。
CNASは、オバマ米政権で東アジア・太平洋政策を担当するキャンベル国務次官補が創立したシンクタンク。クローニン氏は、キャンベル氏の懐刀と言われています。
しかし実際は、今回の原発事故での米政府の対応は、クローニン氏の発言とは正反対の対応でした。
あべこべ対応
在日米軍を含め日本国内の米政府機関の職員の家族に対して国外退避を許可。米軍は国防長官の承認を得て、放射能の検知・除染、医療支援などを行う海兵隊の“虎の子”部隊(CBIRF)を派遣するなど、「危機感」(北沢俊美防衛相)を持って対応しました。
なぜクローニン氏は、事故の影響を小さくみせようとしたのか。
同氏は講演で「将来の日本の経済成長は健全なエネルギー政策に基づくのであり、それは米国にとっても、世界にとっても極めて重要だ」と主張。エネルギーには「多様な手段が必要」であり、「原子力はその手段の一つにならなければならない」と強調しました。
その上で、「(原発の)安全度を高めてリスク(危険)を最小限に抑える新しい原子力技術のイノベーション(革新)を進めることが必要だ」と語りました。
これは、オバマ米大統領が3月30日に発表した新しいエネルギー政策で、「次世代原子炉の設計・建設にあたり、原子力規制委員会による既存炉の安全点検と日本の教訓を組み入れる」と表明したことと符合します。
オバマ政権は「地球温暖化対策」を理由に原発推進路線を取っています。しかし、1978年のスリーマイル島原発事故以来、原発の“安全性”への疑問は米国でも少なくありません。そのため、日本に何としても「安全な原発」を実現するよう求めているのです。
菅発言を追及
菅直人首相は5月下旬にフランスで開かれた主要8カ国首脳会議(G8サミット)で「原子力の安全性を最高水準に高める」と表明しました。
首相はその後、内閣支持率の低迷を打開するため、7月13日に「原発に依存しない社会を目指す」と表明。その2日後には「私個人の考え方」と後退しましたが、ナイズ米国務副長官は20日、高橋千秋外務副大臣との会談で、「近い将来とかなり先を見た将来、(日本の)エネルギー(政策)をどうしていくのか」と問いただしました。
日本が「原発撤退」に向かわないよう、神経質になっていることがうかがえます。
(つづく)
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(続)原発の源流と日米関係/6/揺らぐ原子力業界/利権維持へ日米融合
「しんぶん赤旗」 2011.07.31 日刊紙 1面
米国は1953年12月に打ち出した「平和のための原子力」(アトムズ・フォー・ピース)政策以来、軍事・非軍事の両面で核を利用した世界支配を行ってきました。
具体的には、世界中に核兵器の網の目を敷く一方、同盟国・友好国に濃縮ウランや原子炉を提供してエネルギー分野を支配下に置くというものです。日本はこれを全面的に受け入れてきた国です。
寿命最大80年
核による世界支配の要となってきたのが、米国の原子力産業です。GE(ゼネラル・エレクトロニクス)、WH(ウェスティング・ハウス)を軸とした主要企業は、@原子力発電A海軍用原子炉B核爆弾−といった分野で市場を独占してきました。
原発では、年間40基もの原子炉が発注された時期もありました。しかし、70年代後半から新規発注は激減し、80年以降はゼロです。
その最大の理由は、79年のスリーマイル島(TMI)事故を前後して重大事故が相次いだことです。もともとは原子力潜水艦用に開発した原子炉(軽水炉)を陸揚げして商業用に転化したため、“安全”を二の次、三の次にした弱点が露呈しました。TMI事故後、米当局による規制が強化されました。追加的な安全対策でコストが上昇し、「安い電気」ではなくなったのです。
現在、米国では104基が稼働していますが、多くは耐用年数が近づいています。このまま推移すれば、2020年代から原子炉廃炉の時代に突入します。米エネルギー省はこれを何とか食い止めようと、12年度予算に、寿命を最大80年に伸ばすための延命策を計上しています。
次世代原子炉
原発が斜陽産業化する中、WH社が経営危機に陥りました。06年2月、東芝が同社を買収し、世界を驚かせました。07年には日立とGEが原子力部門で合弁会社を設立し、日米融合が一気に進みました。
東芝は当時の報道発表で、「2020年までに世界の原子力需要は約1・5倍に拡大する」と予測。「今後大きな成長が見込まれる世界の原子力市場の変化を先取りし、WH社の株式を取得」したと述べています。
しかし、原発輸出を見込んでのもくろみは、福島第1原発事故によって崩れつつあります。
原子炉メーカーの幹部は言います。「TMI事故以来、商業用原子炉の管理・技術の第一人者は日本になった。しかし、今回の事故で、原発の安全性への世界的認識もマイナスになった。他国への売り込みに影響は出るだろう」 米エネルギー省の12年度予算では、高温ガス冷却炉など「次世代原子炉」に加え、トラックで持ち運びが可能とされる「小型原子炉」の研究・開発費が計上されました。
東芝・WH社はすでに小型原子炉の開発に乗り出しています。既存炉の延命と新たな原子炉の開発を並行して進めながら、何としても原発利権を維持する−日米双方の思惑が感じられます。
(つづく)
日本の最大の問題の一つは政治家が「本来の仕事」を果た;していないこと (杉並からの情報発信です)
http://www.asyura2.com/11/senkyo117/msg/719.html
投稿者 赤かぶ 日時 2011 年 8 月 09 日 23:33:34: igsppGRN/E9PQ
日本の最大の問題の一つは政治家が「本来の仕事」を果た;していないこと
http://blog.goo.ne.jp/yampr7/e/fba0c40840a09babca218ad2f35b5a86
2011-08-09 17:48:27 杉並からの情報発信です
今年5月23日福島県の母親たちが文科省が決めた「年間20ミリシーベルトの被曝量」に抗議して文科省に直接出向い たとき、一緒に抗議行動に参加した国会議員はたった4名でした。
今年4−5月にかけてAPF通信社の山路社長と市民ボランティアの方々が福島原発20km県内に遺棄された犬猫の救 出作戦を行った際積極的に協力してくれた国会議員は皆無でした。
今年6月16日政府提案の「コンピューター監視法案」が参議院法務委員会で強行採決された時、国会前に座り込んで反対運動に加わった国会議員は皆無でした。
衆参の国会議員は全部で724人いますが、国民が様々な問題で苦闘している現場になぜ彼らは登場しないのでしょう か?
12. 2011年8月10日 11:30:51: RkRLttXVPs
円高にまかせ日本は輸入大国になればいい。強い円と価格低下で消費を促進する。輸出で食ってる大企業は円高に勝てる競争力のある製品で勝負すればいい。助ける必要などない。無駄飯食いのたかり官僚・公務員・寄生マスゴミは大掃除・整理して累進所得課税をすればいい。潤沢な災害復興資金が得られ、かつ恒常的な大幅減税ができる。
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/680.html#c12
http://d.hatena.ne.jp/otello/20090429
2009-04-29 ノウイング
ノウイング KNOWING
ポイント ★★
DATE 09/4/24
THEATER THRP
監督 アレックス・プロヤス
ナンバー 97
出演 ニコラス・ケイジ/ローズ・バーン/チャンドラー・カンタベリー/ララ・ロビンソン
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています
傾いた主翼が送電線を引きちぎったかと思うと、大地を切り裂きながら胴体ともに地面に叩きつけられる。暴走する電車がホームを横滑りして支柱をなぎ倒し、乗客を飲み込んでいく。飛行機の墜落事故や地下鉄の脱線事故に遭遇した主人公が体験する圧倒的な臨場感がリアルに再現される。さらに巨大化した太陽の放射線に焼きつくされ、あとかたもなく廃墟となってしまう地球。壮大な災害をの前には全く無力な人間の弱さを背景に、逃れられない運命を知ったときに何をすべきかを問う。
50年前のタイムカプセルから数字の羅列を記した手紙を受け取ったケイレブは、奇妙なささやき声を耳にするようになる。ケイレブの父・ジョンはその手紙の意味を解読、過去50年間に起きた大惨事の日時と犠牲者数・現場の座標であると知る。
手紙から地球の滅亡が間近に迫っていると知り、ジョンは何とか食い止めようと奔走する。だが、もはや個人の努力のレベルではいかんともしがたい太陽系規模のカタストロフィ。ケイレブを謎の男たちに預けると、疎遠になっていた父親の元に帰る。終末は愛する肉親とともに迎えるというのが人としての一番幸せな最期なのだろう。結果的に、物語は手紙の謎解きや黒い服の男たちに関係なく、時間はあらかじめ定められたとおりの未来に進み、ジョンの努力をあざ笑うかのよう。映画はアクションとスペクタクルに走ってしまい、ジョンの心理的な葛藤がほとんど見られず残念だ。
宇宙人といえば侵略型、友好型と流行はあったが、この作品では物質文明を凌駕する霊的な存在として登場する。彼らは直接心で交信し、人類の科学では感知できない高度な移動手段を持つ。ケイレブとその友人、その他少数の選ばれし者たちが宇宙人によって他の惑星に連れ去られ、新たな世界を築くというラストシーンはわずかに救いをもたらす。しかし、生き残る者を選別する基準なども全く描かれず、死ぬべき者はやっぱり死ぬ。ならば、最初から何も知らなかったほうが幸せだったと思わせる展開には首をかしげる。もうひとひねる脚本に工夫がほしかった。
毎日新聞 8月9日(火)12時23分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110809-00000112-mailo-hok
道警はお盆期間中の道内主要国道と高速道路の交通渋滞予想をまとめた。ピークは13、14日。道央道や道東道のインターチェンジ(IC)などで帰省や観光の車で渋滞や混雑が見込まれる。交通規制課は「予想時間帯を避ける計画を立ててほしい」と呼びかけている。
【岸川弘明】
渋滞予想は次の通り。
【国道5号】七飯町西大沼−同町峠下(札幌方向)13日午前10時〜午後3時に5キロ以上
【国道274号】夕張市紅葉山−同市滝ノ上(帯広方向)13日午前9時〜午後5時に5キロ以上▽同市紅葉山−同市登川(札幌方向)14日午後5時〜7時半に5キロ以上
【道央道】北広島IC(出口)12〜15日の正午〜午後5時に混雑▽栗沢バスストップ付近(旭川方向)13日午前9〜11時に混雑
【道東道】夕張IC(出口)13日午前9時〜午後5時に6・5キロ▽占冠IC(出口)13日午後10〜11時に2キロ、14日午前11時〜午後5時に3・5キロ、15日午後2〜4時に混雑
【札樽自動車道】雁来IC付近(札幌方向)13日午前8時〜正午に3キロ▽札幌北IC付近(同)13日午前8〜10時に混雑▽朝里本線料金所(小樽方向)13日午前9〜11時に2キロ
01. BRIAN ENO 2011年8月10日 11:32:39: tZW9Ar4r/Y2EU : vfGGvbPXMg
おまけ
John Mayer - Waiting On The World To Change - Rove Live
http://www.youtube.com/watch?v=BodyfJ8M6Oc&feature=related
01. 2011年8月10日 11:35:11: N5IBtnHZ9w
ぷっw
http://www.asyura2.com/11/lunchbreak49/msg/581.html#c1
06. 2011年8月10日 11:35:50: ziwEB0JzPs
>>02
ウソつきソースなし一発屋、工作員。
>チェルノブイリの汚染では半減期の長いセシュウム137が大部分だったが・・・
よく臆面も無くこのようなウソを書けることに感心する。生まれながらの嘘つき。
>>03爺さん氏の挙げる「チェルノブイリ」読みなさい。
研究者によって違うがCs−134は137の5〜6割出ている。
>福島では半減期が約二年と137より格段に短いセシュウム134が汚染のおよそ半分を占めている
以下の試算値の根拠は示されていない。2年で半分になっても危険。
>Cs-134・・・1.8E+16
Cs-137・・・1.5E+16
http://www.meti.go.jp/press/2011/06/20110606008/20110606008-2.pdf
読売新聞 8月10日(水)3時1分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110809-00001227-yom-pol
民主、自民、公明3党は9日、民主党政権公約(マニフェスト)の主要政策見直しについて合意した。
これを受け、菅首相(民主党代表)が掲げた「退陣3条件」のうち、最大の焦点となっていた特例公債法案は11日に衆院を通過し、月内に成立することが確実となった。再生可能エネルギー特別措置法案も今月31日までの会期内に成立する方向で、既に成立した2011年度第2次補正予算と合わせて首相の「退陣3条件」は月内に整う見通しとなった。首相は9日夜、記者団に、退陣3条件が整えば退陣するのかと聞かれ、「これまで自分が言ってきたことについては、ちゃんと責任を持つ」と述べた。首相が月内に退陣を明言するとの見方が強まってきた。
http://www.asyura2.com/11/lunchbreak49/msg/588.html
http://www.sankei-kansai.com/2011/08/10/20110810-056379.php
2011年8月10日
府立高校長を全員公募 維新「教育基本条例案」
大阪府の橋下徹知事が率いる地域政党「大阪維新の会」が、府議会に提出する「教育基本条例案」で、府立高校の校長の全員公募を打ち出す方針であることが9日、わかった。条例案の原案では、「教育行政からあまりに政治が遠ざけられ、教育に民意が十分反映されない不均衡な役割分担を改善すべきだ」と指摘。政治家が教育行政により積極的に関与する姿勢を明確にした。
知事は、府教育委員会との協議を経て「高校が実現すべき目標」を設定し、教育委員が目標を実現する責務を果たさない場合、議会の同意で罷免できるとしている。
このほか府立高に関し、入学者数が3年連続で定員を下回り、改善の見込みがなければ統廃合する。正副校長は条例制定後5年以内に任期付き採用に切り替える規定なども盛り込む方針。
ただ、政治的中立性を保つため、教育委員会は独立組織と位置付けられてきており、教職員組合だけでなく、教育委員会サイドからも反発を招く可能性が高く、論議を呼ぶのは必至とみられる。
(2011年8月10日 06:55)
05. 2011年8月10日 11:41:38: 5JETSRixgQ
03さん、
日本は、デフレも脱却してないのだ。
インフレを懸念する。という発想自体、
官僚の者の発想です。おかしい。
円高がいいなどというのもおかしい。
今、お札をたくさん、すって経済を
潤すしかないのですよ。
超低金利というが、完全ゼロ金利じゃないでしょう。
日本は島国だからね。発想が、いまだに江戸時代ですね。
42. 2011年8月10日 11:42:49: XTy6fnE6gU
元々ほとんどがユダヤ人の青年共産主義者同盟?はソビエト連邦崩壊後、イスラエルやアメリカに鞍替えしてなかった?
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/388.html#c42
06. 2011年8月10日 11:42:49: 8qkp570kfE
フジだからじゃなくて面白くないから見てませんけど。前田あっちゃんが男にみえるか?
皆。フジに興味津々なのね、と思う。
『フジの女子アナが八日のニュースでやらかした!』なんてコメも他にあったし。八日にも見るんだから、他の日に見ちゃいけなかろうはずがない、と。
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/207.html#c6
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110810-OYT1T00344.htm
朝から気温上昇…高温注意情報、35都府県に
日本列島は10日、広い範囲で高気圧に覆われ、朝から各地で気温が上昇した。
午前10時前には千葉県鴨川市で34・1度、東京都八王子市と岩手県釜石市でいずれも33・4度を記録した。気象庁は35度以上の猛暑日が予想される場合に事前に注意を呼びかける「高温注意情報」を、7月14日の発表開始以来最多となる全国35都府県に出した。
午後2時過ぎには、前橋市と埼玉県熊谷市で37度まで上昇すると予想されており、同庁では「熱中症に十分注意してほしい」と呼びかけている。暑さは12日頃まで続く見込み。
(2011年8月10日11時13分 読売新聞)
http://www.asyura2.com/11/lunchbreak49/msg/590.html
http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp1-20110810-818194.html
北朝鮮の暗殺部隊が活動か 韓国紙報道
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10日付の韓国紙、中央日報は、金寛鎮国防相を暗殺する任務を帯びた北朝鮮の特殊部隊が韓国内で活動を開始したと報じた。政府関係者の話として伝えた。
同紙によると、特殊部隊が活動しているとの情報は、韓国と米国の軍部や情報当局が把握。北朝鮮が特殊部隊を直接派遣したのか、韓国内のスパイを利用したのかなど実態については分かっていないという。外国人テロリストを雇った可能性もあるとしている。
金国防相は、北朝鮮が軍事挑発を行った場合、断固とした対応を取るとの考えを一貫して示している。同紙は、韓国政府が金国防相の警護強化などの対応策を取っているとしている。(共同)
[2011年8月10日10時54分]
政府は、調整運転中の北海道電力泊原発3号機の営業運転再開について、再稼働には当たらないとの見解を示した。
道の質問に回答した。3号機は、全原発で今後実施されるストレステスト(耐性評価)の2次評価の対象になるとしている。
これを受け、北電は道の正式な態度表明を待たず、運転再開に向け、早々と経済産業省原子力安全・保安院に最終検査を申請した。
営業運転への移行ありきで手続きを急ぎすぎてはいないか。
道は経産省に対し、3項目の質問を提出していた。一番肝心なのは、「安全性は担保されるのか」という点だ。
政府は、保安院だけで行ってきた最終検査に、原子力安全委員会の評価を加えると言うが、具体的な審査方法さえ明らかにしていない。
これで、どうやって道民の不安を鎮めることができるのか。少なくとも政府は、ダブルチェックで安全性が一層高まるという根拠を説明すべきだ。
安全に万全を期すなら、3号機をいったん停止させて、耐性評価の1次から受けさせるというのも当然、選択肢の一つだろう。
電力需給の逼迫(ひっぱく)を受け、経産省は、停止中の原発の再稼働を急いでいる。3号機を稼働中とみなすのは、1次評価からやり直すのを避けたいという意図があるのではないか。
道が示した冬場の電力供給の試算でも、3号機の稼働が前提となっている。政府、道、北電の3者いずれも、現状を追認する方法を模索していたとの疑いが拭えない。
定期検査中の3号機は、東日本大震災の直前から調整運転に入った。
この状態が5カ月も続いているのは、確かに異常事態だが、問題は、現状を稼働中と呼ぶかどうかではない。重要なのはあくまでも安全の確保だ。
高橋はるみ知事は、政府が道に回答する一方、北電に最終検査の申請を促したことに不快感を示した。地元軽視のやり方に憤るのは当然だが、それで終わっては意味がない。
道が質問書を政府に出した後、保安院がやらせ問題に深く関与していたことが発覚し、泊3号機と同じ状態だった関西電力大飯原発1号機はトラブルで停止した。
3号機に注がれる道民の視線は厳しさを増している。
手続き上は、営業運転再開に道の同意は必要ではない。
しかし、政府のお墨付きを待つ受け身の姿勢では道民の安全は守れないだろう。道には、安全性の担保について、納得できるまで、政府をただす努力を求めたい。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/310924.html
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/438.html
65. 2011年8月10日 11:50:26: NXk1DTWYzQ
>64さまの言う通りだ。
福一周辺の アメダス でさえ、壊れたコトにして
風向きデータでさえ、ズット隠していたのだ!
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/346.html#c65
02. 2011年8月10日 11:51:20: 8pgL4Nusqw
浪江町町長の言葉はあまりに重い。国民は知らなきゃいけない、この言葉。
【必見】小出裕章「1,2,3号機あわせれば広島原爆4000発分相当の核分裂生成物」
http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65756772.html
2011年08月10日06:00 ざまあみやがれい!
20110809 たね蒔きジャーナル 京都大学原子炉実験所助教 小出裕章
http://www.youtube.com/watch?v=NMYxmumXW_Q&feature=player_embedded
2011年8月9日、小出裕章氏がたね蒔きジャーナルに出演されました。内容は、原爆と原発メカニズムの説明でした。その内容を文字に書き起こしました。
※初稿です。これから誤字などを訂正していきます。
(書き起こし)
水野「小出さんこんばんわ」
小出「こんばんわ」
平野「こんばんわ、よろしくお願いします」
小出「よろしくお願いします」
水野「今日は長崎で66回目の原爆の日を迎えております。え、広島長崎でも今年はですね、特に原爆と原発を放射能の被害をうけるという意味において 共通すると、いうことで。ま、原子力発電所に対するこの問題に対して言葉を発するかたも多いようです。そこで今日はですね、1つお願いがありまして。 えー、原爆と原発の事故というのはそもそも科学的にいうとどう違うのかと、いうメカニズムを教えていただきたいと思うんです」
小出「はい」
水野「いかがでしょうか」
小出「はい。えー、原爆というのは、えー、むき出しの原子炉だと思っていただければいいですけれども。核分裂をしたときに強烈な放射線が飛び出して きますし。えーその時に核分裂生成物という放射性物質ができます。えー原爆の場合には、核分裂をしたときの強烈な放射線がまず降り注ぎますし、えー、その 時にできた核分裂生成物という放射性物質があとあとまでも影響を及ぼすという形になります。原子力発電所の場合には、えー核分裂自身は原子炉の中で起きて いる、わけで、強烈な放射線はほとんどはエネルギーという形に変換されて電気になる、あるいは海を温めるという形になっている、わけです。んで、ただでき た放射性物質、まあ核分裂生成物という放射性物質自身は、原爆でできるものと同じ物で。それが今回の事故のようなことになると、大量に吹き出してきて環境 を汚すということになります。」
水野「ふーん。今おっしゃった、核分裂してできる放射性物質というのは、じゃあ、原爆、核兵器としての原爆の時には死の灰という言葉がありますが。それのことですか?」
小出「それのことです。ただし、えー原爆の場合には核分裂した直後に全てが、その場から放出されるのですね」
水野「つまり一瞬のうちにこの死の灰を含めて全部外に放出されるんですね」
小出「そうです。ですから短い寿命の放射性物質も、全てがその場で放出されてくると。ただし原子力発電の場合には、核分裂してできた放射性物質、核 分裂生成物のうち短い寿命の放射性物質は原子炉の中にある間にある程度なくなってくれているわけ、ですね。ですからある程度寿命の長い放射性物質だけが事 故の時に吹き出してくるという形になります。」
水野「はあー。ということは確か寿命の短いヨウ素というようなものは、原発では、ま、いくらか一部しか出ないけれども、核兵器の原爆の時は全部一瞬にして出てしまうということでよろしいですか?」
小出「そのとおりです。はあー」
平野「それであの」
小出「はい」
平野「原子力工学というまあ意味から言うと、今のお話しだとですね」
小出「はい」
平野「強烈なエネルギーを1箇所の原子炉の中に閉じ込めるという、技術がですね、原爆よりはなんか、一見難しく思われるんですけども。それはどのようにそれは技術的には」
小出「もちろん難しいのです」
平野「難しいですね」
小出「はい。えー、ただそのー、強烈な放射線と私は、(※咳)、言葉にしましたけれども。アルファー線、ベーター線、ガンマー線、あるいは中性子線 という形でそれが吹き出してくるわけですが。えーそれが、原子炉の炉心と呼ばれてる部分で、え、アルファー線やベーター線は簡単にエネルギーに変換され、 ますし。えーベーター線のかなりの部分はエネルギーに変換され、中性子線は、ま、それもまあそれなりに変換されながら周辺のものを放射化させるという形に なってしまうのです。でそれらを全てまあ制御しながらやりたいというのが原子力発電、という技術です。」
水野「すいません。エネルギーに転換ていうのは何が何になることなんですか(笑)。すいませんねえわからず(笑)」
小出「えー、放射線というものはですね、エネルギーの塊と思っていただければいい、と私は思います」
水野「エネルギーの塊っちゅうのは見えないもののことを云うてはるんですか」
小出「はい。本来はですね、例えばアルファー線というのはヘリウムの原子核、ですし、ベーター線は電子ですから、えー、言ってみれば物なんですね」
水野「はあー、見えないけどモノなんですか」
小出「はい。あの、そうです。電子というのはいわゆる、でん、私たちが電気製品を使うときの電流として流れてるものであって、えー、決してその、無 色透明とかですね、えー、何も形のないものではないのですけれども。それはこの世界にある限り簡単にあのエネルギーに姿が変わってしまうというそういうも のなん、です」
水野「はい」
小出「で、それが原爆の場合には、爆発したときに噴き出してくるわけですけれども」
水野「それは例えば、原爆の被害に合われた人にとっては、熱線という言葉を聞きますよね。」
小出「そうです」
水野「凄まじい熱線が来たと。この熱線が今おっしゃったエネルギーに変換されたもの…ですか」
小出「そうです。熱線と爆風にほとんどのものは変換されています。」
水野「はあー」
小出「はい」
水野「熱線と爆風になってエネルギーが放出されると」
小出「そうです」
水野「いうことですね」
小出「はい」
水野「じゃ、原発の場合は発電所の場合は」
小出「えーその発生した熱を使って、水を沸騰させて、出てきた蒸気でタービンを回すというのが原子力発電です。」
水野「それで電気が起こるんですか」
小出「はい。タービンにあの発電機がつながっていて、まあ、ター、いや、タービンが動くとですね、発電機が動いて電気が起きるというそういう仕組みになっています」
水野「はぁー。だからそれを原子炉の中で制御してやっていれば、エネルギーの良い使い方ができるという考え方なんですね」
小出「基本的にはそうです」
水野「なるほど。じゃ、エネルギーの大きさは核兵器の原爆と比べてどうなんでしょうか。」
小出「えー広島の原爆の場合には、えーウランが800グラム、燃えました。はい。んで」
水野「800グラム」
小出「はい。えー大量の放射線と熱線と爆風がまずは起きて。で核分裂生成物という放射性物質が周辺を汚染して、また人々を被ばくさせ、ました。原子力発電所の場合には、えー、今日だったら100万キロワットと、いうのが標準になっていますけれども。えーその場合には1年間(※)に3キログラムのウランを核分裂させます。」(※「1日に」の言い間違いか?)
水野「はあ」
小出「つまり広島原爆約4発分のウランを毎日毎日核分裂させながら電気を起こして海を温めて、そしてできた死の灰は原子炉の中に溜まっていくという、そういう機械が原子力発電所です。」
水野「じゃ原発の方がエネルギーはもっともっとでっかいわけですか。」
小出「はるかにおおきいです。はい」
平野「今回ですね。あのー福島の事故でよく使われてる比較があって。広島型原爆の20発分とか、あのー先生は当初もっと大きい単位のことをおっしゃられた気がするんですけど」
小出「はい」
平野「これは今あの、ま、今までわかってるデーターでは例えば何発分という言い方が近いんですかね」
小出「えー多分100発を超えてると思います」
水野「え? すいませんもう一度、言うてください。広島の、広島に落とされた原爆のエネルギーの100発分のエネルギーと言うんですか死の灰といいますか?」
小出「そうではありません。はい。えー広島原爆がばらまいた、核分裂生成物。その中の代表的な核分裂生成物はセシウム137という核分裂生成物です けれども。その広島原爆がばらまいたセシウム137、の100発分を越えるセシウム137を福島第一原子力発電所の事故ですでに環境にばらまいたということです」
水野「えー100発分のセシウムがもうすでにばらまかれたんですか。中にまだ格納容器の中にあるんではないんですか?」
小出「違います。大気中にばらまかれました。そして今12万トンの汚染水として、多分それを越えるものが汚染水の中に存在しています。」
水野「そん なに。あの。多い量なんですか?」
小出「もちろんです。えー、福島第一原子力発電所は46万キロワット、第2第3は78万キロワット、ですので3基合わせ ると200万キロワット分ある、んですね。」
水野「はい」
小出「んで、100万キロワットの原子力発電所はさきほど聞いていただきましたように、1日3キログラムのウランを燃やします。つまり1年間に約1トンのウランを燃やしている、んですね。」
水野「1年間に1トンですね」
小出「はい。で広島原爆は800グラムですから、ゆうに1000発分を超えます。」
2人「ふーん」「はい」
小出「はい。そしたら200万キロワット分あるわけですから1年間に2000発分を超える核分裂生成物を生み出しています。えーそして原子炉という のは1度動き出しますと、約3年経たないと燃料を取り出しませんので、えー平均すれば、約2年分くらいは原子炉の中にたまってるはずです。」
2人「はあー」
小出「ですから、1号機2号機3号機を合わせれば広島原爆4000発分に相当するぐらいの核分裂生成物が、あのー、炉心の中にあった、のです。その うちわずか100発とか200発あるいは300発と私は言っているわけですから、えーまだまだ大量の放射能は、閉じ込められた形で残って、います。」
水野「4000発のうちの100発というような大雑把な言い方をするとそういう事ですね」
小出「はい。多分そうだろうと私は思って」
水野「多分外に出ただろう。」
小出「はいそうです」
水野「これが100発の単位がもっと上がっていって、全部」
小出「出れば、あと10倍あるわけです」
水野「10杯あるってことですよね」
小出「はい」
水野「それが出ていく恐れっていうのはあるんですか?」
小出「はい。わたしはまだ、それが、もちろんそれがないことを願っていますけれども。完全にそれが無いというふうに断言できない状態に私はいます。 えー東京電力も今現在炉心を冷やそうと作業員の方々が大量の被曝をしながら作業してるということは、その破局的な被害を防ごうとしているからです」
水野「完全に無いと言えるにはどうしたらいいんですか?」
小出「えー原子炉をこれ以上溶かさないことです。」
水野「はあー。これ以上原子炉が溶けたら、これから10倍ものものが出てくるというおそれが無いとは言えないということですね」
小出「はい。私自身はそう思っていますので、なんとか作業員のかたに頑張って欲しいと願いますし。多分東京電力もそうしようと思っていると思います。」
水野「はい。またいろんなお話を聞かせてください。」
小出「はい」
水野「どうもありがとうございました。」
平野「ありがとうございました」
小出「ありがとうございました」
水野「京都大学原子炉実験所助教、小出裕章先生に伺いました」
(書き起こし、ここまで)
66. 2011年8月10日 11:55:27: qSlsy0HElI
読売2011/8/10「広島県の湯崎英彦知事は9日の定例記者会見で、菅首相が6日の平和記念式典のあいさつで「原発に依存しない社会」を目指す考えを改めて表明したことについて、「式典は被爆者や核兵器廃絶について考える場。注目を集める場での発言は、支持率上昇につなげるためと疑われても仕方がなく、適切ではない」と批判した。さらに「平和祈念よりも脱原発が注目されるのは、いかがなものか」とし、「発言が政治的利用と言われても仕方ない」と述べた。」
点と線
小菅や網走やあちこちに居て、官弁食べている人達が、何か急に立派な道徳的な訓示を垂れても、人々は信用するだろうか。言うは易く行うは難し、言うだけだったら、誰でも何でも言える。要は、その言葉より、その人となりその人の生き様、を国民は見る。これまでどのように生き、何を行い、その上でなにを言ってきたか、それを国民は見ると言うことだ。
菅が広島平和記念式典の場ので、脱原発にアクセント置いた挨拶したが、本人は気付かないようだが、非常に場違いなのだ、よく考えてみれば分かる。長崎でも、式典後の会見で、核抑止力からの脱却を強調したが、「核抑止力に立脚」という党の従来の基本政策、基本理念とどう斉合させるのか。本当に核抑止力からの脱却を考えているなら、「(辺野古日米合意を)しっかりと受け止め」と言ったときに、そう言う代わりに、「核抑止力脱却」を言うべきだった。沖縄普天間辺野古は、抑止力を基本とするアメリカ核戦略体制の具体的展開だからだ。高速増殖炉もんじゅ廃炉も、菅は盛んにコメントしているが、同じだ。核燃サイクル事業に関わることだし、菅のこれまでの言動とどう斉合性つけるのか。菅は原発推進論者として、率先してベトナムへの原発売り込みはかり、同時に核廃棄物対策・核燃サイクル事業も、セットで向こうへ提示してきた。このことと、もんじゅ廃炉をどう繋げるのか。大体、もんじゅは「夢の」と言われてきたことから類推できる。この場合、「夢の」は独訳すればutopie、英訳ならutopiaくらいの意味だろう。すなわち、「夢の」「理想の」というより、「実現しそうない」というニュアンスが込められている。そもそも無理なのだ。冷却剤として、水(海水)使えず、高温高圧の金属ナトリウムしか使えない現状では、欧米どの国も挑戦して皆失敗している。金属ナトリウムは、僅かに空気に触れただけで爆発する、十数年前の福井もんじゅ爆発のときは、爆発と言わず「事象」といって誤魔化したが。終始一貫、もんじゅに警鐘ならしてきたとか、小出さんのように反原発に人生掛け、冷や飯くっても意に介さないできたとか、そういう人達の発言なら、国民は聞く。プロセスや周りとのすり合わせもなく、基本方針・理念との斉合もなく、菅は受けそうと思えば、何でも言う。これでは、国民は、もうその手は桑名の蛤で、また口から出まかせをいっているなと、信用しない。菅の場合、線でなく点、それまでとの繋がりがなく、突然に何かを言い出す。しかも、ベースのここまでの生き方自体が、売り、裏切り、騙し、ポイ捨ての連続であったから、何か言っても最早信用されない。頭を丸めて法衣きて四国へ行き、延命寺からスタートして自らの汚れを洗い流すなら、信用する国民もでるかもしれない。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/346.html#c66
08. 2011年8月10日 11:55:34: XTy6fnE6gU
>>06、あんた「チッソ」の火災の板に「劣化ウランの成分の内、放射性物質は0.3%」って書いてなかった?
劣化ウラン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A3%E5%8C%96%E3%82%A6%E3%83%A9%E3%83%B3
〜天然ウランには、熱中性子による核分裂反応を起こしやすいウラン235と起こしにくいウラン238が含まれ、このうちウラン235の含有率は0.7%程度である。この天然ウランからウラン濃縮によって濃縮ウランを得た後に残された部分は、通常、ウラン235の含有率が0.2%程度であり、これを劣化ウランと呼ぶ。〜
〜IAEAによると[2]、純粋な天然ウラン1mg当りの放射能が25.4Bqであるのに対して、劣化ウラン中のウラン1mg当りの放射能は14.8Bqである。核種別の内訳を見ると、標準的な劣化ウランには、ウラン238・ウラン235・ウラン234がそれぞれ、99.8%・0.2%・0.001%の割合で含まれており、それぞれが持つ放射能の割合は、83.7%・1.1%・15.2%である。〜
つまり、「全部放射性物質」ですよ。IAEAが自分で言ってるのだから間違いないでしょう。つまり、劣化ウラン1gあたり14800Bq・・・。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/431.html#c8
71. 2011年8月10日 11:58:16: AKnXNA3LEk
【民団】「ネット・ウヨクと毎日戦ってきた」…民団が積極的に関わってきた衆議院選挙
「参政権」どうなる 本紙記者座談会
http://www.mindan.org/shinbun/news_bk_view.php?corner=2&page=1&subpage=3531
在日本大韓民国民団の考えを理解出来ない者、民団に都合の悪い存在=ネトウヨ
となってしまっているのは確定的に明らか
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/206.html#c71
円高の理由
円高が止まらない。マスコミはその理由を全て「米国債の格下げ」のような報道を繰り返している。
ここで国民が勘違いをしてはいけないことがある。円高の理由についてである。「米国債の格下げ」による影響も確かにある。ただそれは1ドル80ドルからの3、4円分の円高であって、それ以前の100円〜90円から80円まで長時間軸的な円高は、米国のドルに対して、円の通過供給量が少なくなっているためである。
そのあたりは、高橋洋一氏の「週刊現代:史上最高値をうかがう円高は「人災」。復興増税を狙う財務省と日銀の日本的官僚制度が犯人だ欧州危機や米国債問題は本質ではない」にグラフを交えて簡単に説明がある。引用させていただくと...
原理は単純。円とドルでどちららが相対的に多いか少ないかだ。多いほうの通貨は希少価値がなく安く、少ない方の通貨は希少価値が出て高くなる。こうした考え方をマネタリー・アプローチといって、国際金融では常識になっている。
この単純な原理でその程度、為替を説明できるのだろうか。2007年以降、リーマンショックで米国はドルを増やしたが、日本はほとんど増やしていない。
その結果、猛烈な円高になった。単純な回帰分析をすると、日米のマネタリーベースの比によって。円ドルレートの9割方は説明できる。
円/ドル=67.5+41.5*日米マネタリーベース(億円/百万ドル)の比率・・・(*)
複雑な動きをするとされる為替レートがこれほど単純に説明できるのはかなり衝撃的だそうなのである。非常に単純な原理なのである。このマネタリー・アプローチを財務省や日銀は認めず、「通貨量を増やせばハイパーインフレになる」とマスコミ経由で国民に垂れ流し、通貨供給量を増やそうとはしない。
その辺の事情については、以下にも詳しい。
* 日本は破産しない!? 騙されるな!「国債暴落で国家破産!」はトンデモ話だ!
* 経済ニュースが10倍よくわかる 日本経済のカラクリ
また昨日の「週刊現代:10円円高になると日経平均は1100円下がる現実を見よ--米国債格付け引き下げより深刻な、政府・日銀の「自国窮乏化政策」」によると、ついに財務省擁護派の榊原英資でさせ、焦る状況になっていたようである↓。
前述の番組(8/7日の)では、長谷川さんが、円高対策として先週の本コラムでの18兆円日銀引受の話をしたら、出演していた元財務官の榊原英資氏が、「その時期に来ている、日銀引受は禁じ手といっても一時的にはいい」といった。一年前には、量的緩和による金融緩和(もちろん日銀引受は論外)を強い口調で否定していたが、その榊原氏ですら量的緩和や日銀引受を認めざるをえなくなった。
個人的には円高が全て悪だとは思っていないが、日本国民が「円高によって景気が悪くなる」と思うことによる、不景気が深刻化することが問題である。
さらに円高の悪影響として、株価の下落があげられる。「週刊現代:10円円高になる...」から引き続き引用させていただくと、
前略
そこで、経済全体への影響となると、マイナスのほうが大きい。というのは、日本経済の中でも有力なエクセレント企業は、輸出という世界市場で競争している。それらの企業が生み出す付加価値は相対的に大きい。円高はそれらの価格競争力を奪ってしまうので、海外へ向けての消費活動のプラス面が吹き飛んでしまう。
これは、内閣府が行った試算で、10%の円高(ドル安)が進むと日本の実質国内総生産(GDP)を1年目に0.2%、2年目に0.4%押し下げる結果からもわかる。
なにより、日本経済の移す鏡とも言われる株価も、円高になると下落するなどの動きを示すので、円高の日本経済への悪影響が理解できる。
下図は日米の株価指数の推移を示したモノだ。
米国に比べて日本株の出足が鈍いことがわかる。ところが、日本株価指数をドルに換算すると、日米の株価指数はそっくりな動きになる。唯一の違いは、大震災の3月11日以降の日本株の落ち込みだ。おおよそ800円くらい日米で段差があるが、それを除くと、下図のようにほぼ9割方同じ動きだ。
日本株価がドル建てで米国株価と同じ動きということは、円高になればなるほど日本株価は下がるということになる。このデータからは、10円円高になると、日経平均で1100円程度下がることがわかる。
リーマンショック移行、米国では今回の米国債の格下げにより株価は暴落はしているが、その間に株価は上昇し、それなりに経済は回り始めていた。だが日本の市場では、その分を全て為替差益で米国に持っていかたため、株価の上昇が抑えられている状況なのである。
日銀、財務省が今の政策を続ける限り、円高は確実に続くだろう。一般の国民はその理由を知らずに、「不景気だ!でも仕方ないなぁ」と思い続けるのか。
この円高の流れは、一時的に円の供給量を増やすだけでは解消は決してされない。岩田規久男先生が主張するように、デフレを解消し、日米間の予想実質金利の差を少なくしていくしかないのである。その辺りは↓に詳しい(震災前に読んでいたが、本日記で要点を纏め切れずにいました orz)
デフレと超円高 (講談社現代新書)
デフレと超円高 (講談社現代新書)
* 作者: 岩田規久男
* 出版社/メーカー: 講談社
* 発売日: 2011/02/18
* メディア: 新書
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要点は、グレッグのブログさんの説明がシンプルなので引用させていただく
日本ように10年後の名目金利が1.5%だとしてもインフレ期待がー1%であれば、実質金利は1.5−(−1)=2.5%になる。
対してアメリカは名目金利が3%でもインフレ期待が3%であれば3−3=0%である。 どちらの金利が高いのか??予想インフレ率を加味した実質金利では明らかに日本の方が高いのである。これが持続すると市場が予想するから、円高が止まらないのである。金利が高い通貨の方が買われるのは当然である。
ともかく、通貨供給量を増やしてデフレを解消しない限り、円高も不景気も解消はしない。日銀の早急な対応を求める!
http://d.hatena.ne.jp/kenjiro-t/20110809/1312870591
===転載終了===
いんちき格付け会社の日本国債の格付け程度などどうでもいい。
あぶない国の通貨がこれほど世界中から買われる。
金・銀の次に安定しているのではないか?
理由は、円の供給量が不足しているから希少価値が出ている。鉱物並。
http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/1958.html
08. 2011年8月10日 11:58:32: FUviF2HWlS
シャープは太陽光発電に積極的だが、日本の脱原発には反対している。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/economic/305762.html
http://www.asahi.com/business/update/0711/OSK201107110137.html
http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/513.html#c8
60. 2011年8月10日 12:06:03: 8qkp570kfE
54さん、仮にこのまま使われずに送り火が行われていたとしても、それは『京都人』の罪ではありません。『京都人』を十把一からげに偏狭な薄情もの呼ばわりするコメに、飲まれてはいけません。送り火の護摩木をどうするか、京都人は投票でもしましたか?保存協会がビビッて、事なかれにはしっただけ。
さあ。『やっぱり京都は』なんて全てを見通したようにけなしてた方々。使うことになりました。
やっぱり京都は閉鎖的で陰湿で薄情だ?
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/369.html#c60
07. 2011年8月10日 12:09:11: XTy6fnE6gU
東電4〜6月期、原発賠償に4000億円。
安愚楽牧場、負債4000億円。
細野大臣、原発風評被害には優先対応の談話あり。
口蹄疫による当社の対応について/有限会社旬刊宮崎に対する訴訟について(安愚楽牧場)
http://www.asyura2.com/09/buta02/msg/690.html
投稿者 ニューニュー
そのまんま東、山本モナ、何処のプロダクション?
ハン・スクドン一味の活動資金に成るのか?
04. 2011年8月10日 12:09:45: rBIoSWDTz1
共産党がいつ原発容認だったか、その根拠はなんですか?
ただの思いこみのネガティブキャンペーン?
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/415.html#c4
13. 2011年8月10日 12:11:55: XtCSzH28xA
>>10
検索しても君のレスとマンガの紹介しか出てこないな
その見出しだけ見て情報源確認してないとかないよね?
それとも現実と虚構の境界が曖昧になっちゃった人か
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/497.html#c13
05. 2011年8月10日 12:13:58: rBIoSWDTz1
共産党ってソ連に対しても中国に対しても平気で喧嘩売ってたしw
原発に関しても、賛成なんて話は全然聞いたことないもんで、
もし本当に根拠がある話なら、ちゃんとそれを示して欲しいってことね。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/415.html#c5
RBB TODAY 8月10日(水)11時15分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110810-00000008-rbb-sci
BIGLOBEは10日、Twitterなどのソーシャルサービスに投稿されたコメントをパーソナルクラウド上に保存できる「Yukarin’Note(ゆかりんのーと)」のベータ版の提供を開始した。正式版は今秋より提供予定。
「Yukarin’Note」(yukar.in)は、複数のソーシャルサービス上でのコミュニケーション(仲間との“縁(ゆかり)”)を、スクラップブックのようにWeb上のノートにまとめて保存できるサービスとなっている。ベータ版ではTwitterに対応。
利用者は、大切に残しておきたいツイートやダイレクトメッセージなどを、ドラッグ&ドロップで1つのノートにまとめることができる。ツイートの順番も自由にレイアウトできる他、個々のツイートに対して自身のコメントを追加できる。まとめたノートには、3色カラーシールの貼り付けに加え、タイトルと概要の入力も可能。
正式版では、BIGLOBEメールをはじめ、Facebookやmixiなどにも対応する。また公開範囲を指定してノートを共有し、仲間内で自由にコメントを追加できる機能も提供される予定。
http://www.asyura2.com/09/it11/msg/661.html
03. 2011年8月10日 12:20:16: 5MCpLKZe8s
民主党代表 地方参政権に賛成
http://www.geocities.jp/yotsta/mindan.htm
鳩山由紀夫、韓国民団新年会で地方参政権実現約束!!
http://www.nicovideo.jp/watch/sm13280181
「皆様方の悲願である(外国人)地方参政権の付与に関して、大きな道を開く年にしていこうではないか」
小沢幹事長、在日韓国人への地方参政権付与に意欲
http://www.chosunonline.com/news/20091113000009
「参政権問題はわたしが民団に約束したことだ。約束は必ず守られるべきだ」
特定の国の特定の団体に権利を与える約束をする
これが日本の外交です
http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/523.html#c3
31. taked4700 2011年8月10日 12:22:28: 9XFNe/BiX575U : 1ZXpbNkH5U
>>17
で触れられている模擬原爆、パンプキン爆弾
http://www.youtube.com/watch?v=wvuavrqh1No
http://www.youtube.com/watch?v=MccMcKiapkk&NR=1
で多少の報道がされています。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/396.html#c31
28. 2011年8月10日 12:22:34: UozapwI0Ew
安愚楽牧場が再生法申請 負債総額620億円 東電に賠償請求へ 産経新聞2011.8.10 09:43
和牛オーナー制度で資金調達し、黒毛和牛の生産を全国展開する畜産会社「安愚楽牧場」(栃木県)が、9日に東京地裁に民事再生法の適用を申請し、保全命令を受けたことが10日、同社幹部への取材で分かった。3月末時点の負債総額は約619億8700万円。オーナーは47都道府県に約7万人おり、契約解除にかかる費用は最大で約4千億円になる見込みで、負債総額はさらに膨らむとみられる。
幹部は、経営悪化の要因として、東京電力福島第1原発事故による契約解除の増加や和牛の価格下落を挙げ、「われわれの過失もあるが、東電の過失割合は大きい」として、損害賠償を請求する考えを示した。今月17日に神戸市、19日に東京都内で債権者への説明会を開く予定。
>阿修羅掲示板に詳しくデータがありますが、宮崎の口蹄疫は韓国と中国型との型の一致率が95%を超えてますね。韓国人留学生の受け入れとその帰還。そして、韓牛の発売。その間に宮崎の冷凍精子が千数百本も盗まれている(旬刊 宮崎も報じてます)。まあ、日本の裁判ならほぼ100%有罪ですね。2010/5/28
民主党政府は宮崎口蹄疫の韓国・中国からの感染経路を明らかにせよ!
http://www.asyura2.com/09/buta02/msg/647.html
投稿者 一国民より 日時 2010 年 5 月 26 日 11:49:17:
http://www.asyura2.com/09/buta02/msg/647.html#c28
01. 2011年8月10日 12:26:33: LGUfwnafEI
なにいまさらアホみたいなこと言ってるの?
道民の安全?福島の人は殺されかかってますけど?
そんなの眼中にあるわけないでしょ?
経済が大事ですよ!国民の命なんかほっとけ!
お金がすべてでしょ?異論なんか認めないよ。
発電!発電!原発事故で人死んでないでしょ?
風評被害ですよ!こんな記事書くと。
02. 2011年8月10日 12:28:14: qMgd17wAMA
リトルボーイはあからさまだが、これは厳しい
むしろ男が可哀想
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/209.html#c2
またたきの間に天地引繰り返る樣な大騒動が出來るから、くどう氣つけてゐるのざ、
さあといふ時になりてからでは間に合はんぞ、用意なされよ。
戰の手傳ひ位なら、どんなbでも出來るのざが、
この世の大洗濯は、われよしのbではよう出來んぞ。
この方は元のままの身體(からだ)持ちてゐるのざから、
いざとなれば何んなことでもして見せるぞ。
仮名ばかりのb示と申して馬鹿にする臣民も出て來るが、
仕まひにはその仮名に頭下げて來ねばならんぞ、
かなとは (カミ)の七(ナ)ぞ、bの言葉ぞ。
今の上の臣民、自分で世の中のことやりてゐるように思うてゐるが、
みなbがばかして使つてゐるのに氣づかんか、
氣の毒なお役も出て來るから、早う改心して呉れよ。
年寄や女や盲、聾ばかりになりても、まだ戰やめず、
bの國の人だねの無くなるところまで、やりぬく惡の仕組もう見て居れんから、
bはいよいよ奧の手出すから、奧の手出したら、
今の臣民ではようこたえんから、身魂くもりてゐるから、
それでは虻蜂取らずざから、早う改心せよと申してゐるのぞ、
このことよく心得て下されよ、
bせけるぞ。
八月二日、ひつ九のか三。
ひふみb示 下つ卷 第二十八帖 (七〇)
自分達の敵對・反對勢力を「白村江の戰い」に據つて壞滅させ、
唐に據る軍事占領體制を誘發せしめ、
倭國(蝦夷[エミシ])勢力を抹殺、解體・改造した。
其れはまさに
陸軍皇道派青年將校を嗾して暴發せしめ、
2.26クーデーターを決起せしめ此れを速やかに鎭壓、
戰爭擴大最大の障害物と成つてゐた陸軍皇道派を粛清、
計劃的自滅戰、滿洲事變、上海事變から支那事變へ、
そして大東亞戰爭へを開戰せしめ、
敗戰に據るGHQ軍事占領下での敗戰革命へと驀進して行つたやうに。
藤原不比等編纂『日本書紀』曰く
「蛇(をろち)と犬(いぬ)と相交(つる)めり。
俄(しばらく)ありて倶(とも)に死ぬ」
近衞は首相に就任した時點で捨て駒として處理される事は決まつてゐた。
ゆゑに計劃の核心部分は本當に知らされてゐなかつたのだらう。
此のやうに五攝家の筆頭であらうとも必要と有らばあつさり切り捨てられる。
現代日本の閏閥(けいばつ)を牛耳る藤原氏
『日本書紀』は、蘇我入鹿こそが、天皇家をないがしろにした、という。しかし、中
臣鎌足が天皇家のために身を粉にしたかというと、大きな疑問符がつきまとう。
藤原氏は中臣鎌足以来、つねに日本の頂点に君臨しつづけた。しかもそれは、一貫
して、「天皇家のため」ではなく、自家の繁栄のためだったように思えてならない。
それは、この一族の生まれつきの習性であったようにも思えるのだ。
その習性、伝統は、古代から近代、現代にいたっても、まったく変わっていないの
である。そして、藤原氏にとって「天皇」とは、自家の繁栄を継続するための道具に
すぎなかったのではなかったか。
じっさい、現代に至っても、藤原氏は「天皇にもっとも近い一族」という立場を利
用し、目に見えない閨閥を作り上げてしまっているのである。
そこでこのあたりの事情を、現代史に焦点を移してすこし説明しよう。
太平洋戦争の戦前戦中、三度総理大臣の座に就いた近衞文麿は、昭和天皇に政務を
上奏するとき、椅子に座り、足を組んだままで、涼しい顔をしていたという。
もちろん周囲の顰蹙(ひんしゅく)を買ったが、このような不謹慎が許されたのにはわけがある。
近衞氏が藤原五摂家の筆頭だったからにほかならない。
五摂家は七世紀の大物政治家・藤原不比等の四人の男子、武智麻呂(むちまろ)、房前(ふささき)、宇合(うまかい)、
麻呂(まろ)のなかの、房前の末裔、藤原北家(ほっけ)が五つの家に別れ(近衞、九条、二条、一条、
鷹司[たかつかさ])、平安時代以来、明治にいたるまで、代々摂政と関白を輩出する一族として、
貴族社会の頂点に君臨してきたのである。
これは余談ながら、藤原五摂家の末裔は、現代社会にも、大きな影響力をもってい
る。
例えば、近衞文麿は戦時中、陸軍の暴走をおさえようと東条英機暗殺計画を練り、
これを「大化改新」になぞらえ、悦に入っていたという。計画は未遂に終わったが、
藤原の末裔であることを、文麿はつよく意識していたわけである。
この近衞文麿の祖父・忠熙(ただひろ)は左大臣として朝廷の頂点にあって公武合体を推進した
人物だった。この忠熙の夫人は島津藩主の娘で、さらに忠煕の子・篤麿(あつまろ)の夫人は加賀
藩前田家の女人と、近衞家は当時の有力氏族との間に、さかんに門閥(もんばつ)を形成していた
のである。
文麿の夫人は豊後佐伯(ぶんごさいき)藩主家の千代子で、千代子との間の二女・温子(よしこ)が細川護貞(もりさだ)に
嫁いだ。細川は、熊本藩主の流れであり、細川ガラシャで名高い。護貞と温子の間に
生まれた子が、元首相・細川護熙(もりひろ)で、さらにその弟の護輝(もりてる)が、近衞家に養子に入って
いる。
このように、近衞家の織りなした閨閥は、旧華族を中心にくり広げられ、華麗なる
一族を形成する。
藤原氏の末裔氏族の中で、近衞家以上に幅広い閨閥を作り上げたのは、西園寺(さいおんじ)家で
ある。
西園寺家は五摂家の一ランク下の清華(せいか)家に当たる。それにもかかわらず西園寺家が
名を馳せたのは、公望(きんもち)の活躍に負うところが大きい。
西園寺公望は勤王公卿(くぎょう)として華々しくデビューし、その後自由民権運動を展開、さ
らには、最後の元老として名高く、軍部の暴走、ファシズム化に最後まで抵抗した人
物として知られる。
西園寺公望には一人娘の新がいて、毛利家の八郎が婿入りした。
二人の間に六人の子が生まれ、西園寺家の閨閥を形づくっていくこととなる。
代表的なのは二女春子が住友財閥家に嫁いだもので、それ以前、住友家は徳大寺(とくだいじ)家
とも姻戚関係を結んでおり、藤原の血をつよく引き入れたのである。この住友財閥家
と西園寺の間の子たちが広く閨閥を形成していき、
西園寺家はまさに、我が国の代表的支配階層の家系を横断的に綱羅している(『門
閥』佐藤朝泰 立風書房)
というほどの、強固な網の目を、現代社会に張り巡らしていったのである。
昭和天皇の前で足を組んだ近衞文麿
それにしても、藤原氏という存在は、いかにして古代から現代にいたるまで、日本
のエスタブリッシュメントの地位を占めつづけてこられたのであろう。
彼らの「権威・権力」は、天皇に女(むすめ)を入れ、皇后とすることによって保たれてきた
ものだ。奈良時代よりこのかた、皇后のほとんどは藤原系に牛耳られ、天皇家の血は、
藤原で塗りつぶされたといっても過言ではないほどなのである。したがって、近衞文
麿の胸中に、「天皇」は「藤原の子」に過ぎないという意識がなかったといえば嘘に
なろう。
じっさい、「天皇」は、藤原氏の権勢を保持するための道具であった時代が、長く
続いたのだ。
ちなみに、なぜ権力を持たない「天皇」が政争の道具になり得たかといえば、八世
紀に整備された律令という法制度の元で、「天皇」から超法規的な命令を引き出すこ
とによって(正確には引き出すのではなく、言わせるのだが)、政敵を倒すことがで
きたからである。
すなわち藤原氏にとって、法治国家にありながら、法を曲解、無視することのでき
る魔法が、「天皇」の存在だったわけである。
その魔法の杖を支配するための手段が、「姻戚」である。
「この世をば我が世とそ思ふ望月の……」と詠った道長は、娘の三人を皇后にするこ
とに成功している。皇后の生んだ子がもっとも有力な皇位継承候補になるのであって、
その皇子たちを、藤原は「我が子」として飼い慣らしていったのである。そして、藤
原氏の意に背く天皇は強引に退位させられた。こうしておけば、藤原権力は安泰であ
る。
このように、奈良時代から平安時代にかけて、藤原氏は律令(法律)と天皇を支配
することに奔走した。律令を自家の都合のいいように解釈し、それでもだめなら、
「天皇の命令」という魔法を用意し、朝堂を独占したのである。
近衛文麿は、こういう歴史を背負っていたからこそ、昭和天皇の前で足を組んだの
であろう。
関裕二氏著「藤原氏の正体」
第一章「積善の藤家」の謎
現代日本の閏閥(けいばつ)を牛耳る藤原氏
昭和天皇の前で足を組んだ近衞文麿
五十六頁據り
NHKテレビで西園寺が「あの戰爭は俺達がやつたんだ」とニヤニヤし乍ら語つてゐた事は、今も腦裏から離れない
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/365.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 2 月 27 日 16:28:05: yX4.ILg8Nhnko
イルミナテイーカードの一枚にある「Japanカード」 眞珠灣奇襲攻撃 あんたらのやらうとしてゐる事は解つてゐる
http://www.asyura2.com/10/warb6/msg/388.html
投稿者 不動明 日時 2010 年 11 月 13 日 03:05:17: yX4.ILg8Nhnko
あんたらが自作自演核テロと尖閣諸島周邊海域での偶發を裝つた武力衝突、第二の盧溝橋事件を再び企ててゐる事は既にバレてゐる
http://www.asyura2.com/10/warb6/msg/741.html
投稿者 不動明 日時 2010 年 12 月 03 日 01:23:40: yX4.ILg8Nhnko
中共の核武裝に全面協力したのは佛魔百濟勢力藤原五攝家だつた
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/363.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 2 月 27 日 02:05:04: yX4.ILg8Nhnko
藤原五攝家に據る日本核武裝論中共側最大の功勞者 江沢民の知られざる?事実・経歴 出身大学、実は…… [サーチナ]
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/753.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 7 月 12 日 01:58:09: yX4.ILg8Nhnko
常識で考える日本古代史
5.3 白村江前夜
http://www1.rurbannet.ne.jp/~papas/joshiki-nihonshi/story/sec5_3.htm
5.4 白村江の戦い
http://www1.rurbannet.ne.jp/~papas/joshiki-nihonshi/story/sec5_4.htm
5.5 実像の天智天皇
http://www1.rurbannet.ne.jp/~papas/joshiki-nihonshi/story/sec5_5.htm
5.6 壬申の乱再考
http://www1.rurbannet.ne.jp/~papas/joshiki-nihonshi/story/sec5_6.htm
日本古代史の真相
http://www1.rurbannet.ne.jp/~papas/joshiki-nihonshi/story/sec6_1.htm
5.3 白村江前夜
5.3.1 白村江と倭国の百済支援
この時期の朝鮮半島情勢を知る一級資料は、日本書紀である。
これまで日本書紀には信用できない部分が多いと書いているが、これは中国・朝鮮半島から検証することのできない日本国内の記事についてであって、対外的な記事については信用していいのではないかと思う。なぜなら、そこに明らかな間違いが書いてあれば、日本書紀そのものが信用されないからである。
現在みることのできる日本書紀は、漢字かな交じり文で書かれている。これは、現代の日本の読者にはそうでないと読めない(それをさらに現代文に訳すことも多い)からで、もともと日本書紀は漢文(中国語)で書かれている。当時の朝鮮半島や日本は中国語文化圏であった。(ひらがなができたのは平安時代。ハングルはもっとずっと後)
つまり中国・朝鮮半島の人々にとって、同時代に自国語で書かれている文書であるから、日本書紀を入手すればその内容をすぐに精査することができる。だから日本書紀の作者としては、特に中国・朝鮮半島の記事については、可能な限り正確な記事を書く必要があった。そうでないと、日本書紀そのものの信憑性が問われることになるからである。
唐が滅亡してから後に編纂された国書「旧唐書」「新唐書」において、日本についての記事の中に日本書紀から引用されたと思われる部分がある(歴代天皇など)。これは、中国側が日本書紀に一応は信用を置いている、ということであり、この点からみても当時の中国・朝鮮半島の記事について信用することができる、とみる。
従って以下では、日本書紀の記事から白村江前後の状況を検討してみたい。念のため付け加えると、信用できるのは中国・朝鮮半島から検証可能な対外的な部分であって、そうでない国内の動きについては後の政権(日本)にとって有利なことしか書いていない、という前提は変わらない。
さて、朝鮮半島情勢が風雲急を告げたのは、西暦661年である。この年の7月、斉明天皇が崩御されたのと同時期に、唐軍が高句麗城下に進軍したとある。
そして日本書紀によると、皇太子である中大兄皇子は即位せず、天皇とならずに戦争を指揮したことになっている。これが本当だとすると、この時期、日本は国家元首がいないまま戦争状態に突入したことになる。そして中大兄皇子はこのまま、白村江の戦後処理が終わるまで天皇とはならない。
このことが何を意味するかについては諸説ある。中大兄皇子が実の妹であり先代・孝徳天皇の皇后でもある間人大后(はしひとのおおきさき)を妻としていたから、という説もある。しかしどのような理由があろうとも、勝戦国が、敗戦国の元首の責任を問わない、などということは考えられない(特に古代)。
ということは、中大兄皇子は当時唐と交戦した倭国の責任者ではなく、白村江の戦後処理に伴って、日本列島の主(唐からみると日本国王)として認知された、と考えるのが自然ではないだろうか。この問題は後でまた検討することとして、この時代、斉明天皇が崩御してから天智天皇が即位するまでの7年間を「天智称制」と呼ぶ。
朝鮮半島に話を戻すと、唐軍の進軍に伴う対策として、翌月から翌々月(8月〜9月)にかけて倭国から百済に武器、食料の援護、そして援軍五千が送られている。唐が高句麗を攻撃する一方で、新羅が百済に攻勢を強めたからである。
さて、この五千という数、当時の倭(日本)の国力から見て、どの程度の負担となったのだろうか。
5.3.2 倭国の支援はどの程度の規模だったのか
百済支援にあたり、倭国は最終的に二万七千の援軍を送ることになる。この数が累計なのかその時点での追加支援なのか不明であるが、少なめにみて累計と考えることにする。
われわれが同時代の戦争として、TV番組等で知識を持っているのは太平洋戦争(第二次世界大戦)である。最終的に日本軍の総兵力としては800万人前後(陸軍550万人、海軍250万人)とされるが、よく指摘される「員数主義」(形式的に数だけ合わせておく)や国内に残存する軍備等から考えて、外地に展開されていたのは200万人前後と考えられる。
さて、昭和20年の人口は国勢調査で分かっていて、約8200万人。これに戦没者300万人を加えると8500万人。この総数に対して800万人が兵力で、うち200万人が外地に展開されているということである。
さて、白村江当時の日本列島の人口はというと、おそらく200〜300万人前後ではなかったかと推定される。
現在の日本の人口は約1億2千万。江戸時代の人口はほぼ2千万人で安定しており、これが100年間でほぼ6倍になったのは、工業化によりより多くの食料が確保できるようになったことと、医療水準の向上により死亡率が下がったことによる。
江戸時代の人口2千万人にまで増えた要因は、金属製農具の普及と牛馬による生産力(および輸送力)の向上であり、具体的には武装農民(=武士)による新田の開発によって増産が可能となったことによる。それ以前(平安時代前半)の日本列島の人口は、おそらく5〜6百万人前後であったと推定される。
白村江はさらにそれ以前である。金属製農具が普及していない以上農業生産はそれほど大きくはなく、魏志や隋書の記事にあるように、半農半漁の生活をしていたと思われる。人口として維持できたのは多く見積もって3百万人前後であろう。
さて、人口3百万人のうち2万7千人を海外派兵するという規模は、割合とすれば太平洋戦争の3分の1程度であるが、相当に高い比率ということはお分かりいただけると思う。さらに、当時は道も輸送手段も整備されておらず、太平洋戦争と違って工業が発達していないので、船さえ十分なものは作れなかったはずである。
そうした中でとりあえず5千人を派兵するというだけで現代の数十万人にあたるだろうし、最終的な2万7千人は太平洋戦争の2百万人に匹敵する負担、と考えることは、それほど的を外れているとは思われない。
5.3.3 太平洋戦争クラスの派兵に、県の部長クラスが指揮?
国力の相当部分を傾けた戦争を指揮するのに、どのような人物が現地司令官であるのが自然だろうか。特に考えなくてはならないのは、7世紀には無線も電話もなく、指揮命令は人力に頼らなくてはならないことである。それなりの格を持った人物、最高司令官ないし少なくともその次のクラスでなくてはならないだろう。
さて、斉明天皇七年(661年)の唐軍の攻勢を、高句麗は再びしのいだ。これは日本書紀には、「厳寒で河川が凍結したため」と書かれているが、通常の場合河川の凍結は輸送を容易にするので攻め手(この場合は唐)に有利なはずである。とりあえず、寒地装備が十分でなかったため退却した、と読んでおくことにしよう。
翌、天智称制元年(662年)、気候が暖かくなると再び唐軍が来襲する。百済にも、新羅の攻勢がある。この年の12月、百済首都の州柔(ツヌ)城で重要な会議が持たれる。議題は、百済首都の移転についてである。
豊璋王をはじめとする百済の意見は、「山城であるツヌにいつまでも篭城していては、食べるものがなくなってしまう。平地の避城(ヘサシ)に都を移すべきである」というものであった。これに対し倭国の意見は、「ここ(ツヌ)にいるから新羅が攻めてこれないのであり、ヘサシに陣をひいて守ることは困難である。腹が減ることよりも、滅亡しないことが大切である」というものであった。
この意見を述べたとされるのが、朴市多来津(エチノ・タクツ)という人物である。詳しい素性は不明で、近江の豪族だという。日本書紀の中では、この百済滅亡〜白村江のくだりにしか登場しない。位階は小山下(しょうせんげ)というから、後の官位でいうと従七位下、司令官でもなければ高官とすら呼べない。
しかし、考えてみてほしい。例えば今日の六ヵ国会議で北朝鮮問題を議論している中で、県の部長クラスが会議のメンバーとして発言し、他国の首脳に意見するなどということがありうるだろうか。仮に意見があったとしても、それをしかるべき立場の者に伝え、その人の意見として会議において表明するというのが普通ではないのだろうか。
今と違って昔はそういうことにうるさくなかった、という説明は困難である。昔の方が、身分上下による差別は比較にならないほど大きい。さらに、このエチノタクツ、後段の白村江における奮戦でも記事になっているのである。
ここから考えられることは、おそらくこういうことである。エチノタクツという人物がいたことは確かであろうが(記載のとおり派遣軍の中級役人として)、ここに書いてあることは彼がしたことではない。本当は白村江の戦いの重要人物であるのに、日本書紀としては「いなかったことにした」人物がしたことなのではなかろうか。
ずばり、その人物とは倭国王である、と考えている。この時点まで、日本列島を代表する政権の責任者として認知されていた人物(大和朝廷の天皇ではない)がいて、その人物が百済滅亡から白村江においても重要な役割を果たしていた。しかし、天皇家が万世一系で日本列島を治めていたというのが日本書紀の建て前であるので、その人物の実名は書けなかった。
このエチノタクツに仮託された人物が、隋書のアマ・タリシヒコの後継者(子供か孫)であり、この時点でオオキミと呼ばれていたのではないか。そう仮定すると前後の事実と非常によくつじつまが合うのである。
5.3.4 百済滅亡の3つの要因
さて、結論からいうと翌、天智称制2年(669年)に百済は滅亡することになるのだが、その大きな要因となった3つの失敗がある。それ以前に、「唐に味方しなかったこと」が最大の失敗なのだが、これは民族の自立という理由もありやむを得ない面もある。
第一の失敗は、エチノ・タクツ(実際には、同盟軍である倭国王とみる)の意見にもかかわらず、遷都を強行したことである。百済王の思惑通り収穫の時期まで持ちこたえられればまた違ったかもしれないが、実際には平地のヘサシに遷都して早々の2月には、新羅の攻勢の前に首都の確保が困難となってしまった。
都を移すということは、物資と人員という資源を移動するということである。そして、相手の攻勢を受けて首都を放棄するということは、物資(特に食糧と兵器)の多くを置いたまま逃げ出すということである。ただでさえ食糧を心配していた百済王は、余計な遷都をすることによってさらに物資が乏しくなったものと考えられる。
第二の失敗は、むしろ唐・新羅の諜報活動を誉めるべきかもしれないが、百済内部で対立を起こしてしまったことである。この時代の百済は正確には復興・百済であり、原・百済は斉明天皇七年(660年)、義慈王が唐に降伏していったん滅びている。復興・百済はもともと倭国にいた豊璋王と重臣・鬼室福信(きしつ・ふくしん)のいわばレジスタンス政権である。
この政権において、豊璋王と鬼室福信が対立し、鬼室福信は謀反の疑いで斬首されたのだから、攻める側にとっては相手の守備力が半減したということである。福信が処刑されたのが6月、それを知って新羅が山城であるツヌにまで迫ってきたのが8月。電話もインターネットもない時代に、おそろしく早く情報が流れている。やはり、何らかの工作があったとみるべきであろう。
第三の失敗は、戦力を分断されたことである。この年、倭国から百済に派遣されたとされる兵力は2万7千。この時代の人口を考えると、国力を傾けた派兵であることはすでに述べた。そして、日本書紀の記載をみると、山城であるツヌを守る兵力と、倭国の主力とみられる兵力が、どうやら分断されているのである。
ツヌを包囲しているのは新羅軍であり、ツヌへの入口にあたる白村江の河口で待ち伏せているのが唐の水軍である。そして倭軍はツヌを支援するため、まず唐の包囲網を突破して、ようやくツヌの支援ができるという状況なのである。百済と倭国本軍との間に、いつの間にか唐と新羅が割り込んでしまっている。
前年12月の段階で、百済王とエチノ・タクツが作戦会議を行っているくらいだから、この時点では倭国と百済は分断されていない。しかし、翌夏にはこういう状況となっている。やはり、戦術的なミスがあったというべきであろう。あるいは、倭国の反対にもかかわらず百済が遷都を強行したことで、倭国王がへそを曲げていったん国へ戻ってしまったというのが真相かもしれない。
5.4 白村江の戦い
5.4.1 白村江当時の状況
天智称制2年、西暦663年8月。百済最後の拠点である州柔(ツヌ)城に新羅の軍勢が迫る。百済・豊璋王は城兵を前にこう言った。「もうすぐ、倭国の援軍1万が到着する。それまでの辛抱である。私は、白村江まで援軍を迎えに行く」
百済が食糧の確保をめざして、平野部のヘサシに一時首都を移転したことはさきに述べた。しかし、移転からわずか2ヵ月、新羅の攻勢の前にヘサシを放棄、豊璋王以下はツヌに戻っている。そして6月、百済内部の内輪もめにより重臣であり武将でもある鬼室福信が処刑されたのを知り、新羅は城を包囲したのである。
ここで当時の状況について再度整理してみたい。
唐と新羅が同盟し、百済は高句麗・倭国と組んでこれに対抗している。国力としては圧倒的に上位にある唐が攻勢を強め、663年秋の時点で、高句麗は朝鮮半島北部(現・北朝鮮)に釘付けとなっている。その間、新羅が朝鮮半島南部(現・韓国)を勢力下におき、百済は白村江上流のツヌ城に包囲されている。唐は新羅応援のため、白村江河口に軍団を集結させた。
白村江は現在の錦江であり、その下流域は現在の韓国でいうと全羅北道と忠清南道の境界を流れている。朝鮮半島南端から200kmほど北上した地点である。対馬対岸の釜山から朝鮮半島南西端の木浦(モクホ)あたりまで300km、九州北岸から釜山までさらに200km、倭国の軍団が九州北岸から出発したとしても700kmにわたる遠征である。
そして、百済を支援しようとする倭国がしなければいけないことは、孤立しているツヌ城に物資−食糧と武器−を補給することである。そのためには、まず白村江河口に展開している唐の包囲網を突破し、さらにツヌ城を包囲している新羅を撃破して、ようやく戦争目的を達することができる。単に、白村江河口の海戦に勝てばいいというものではないのだ。
さて、その軍事目的を達成するだけの装備を、倭国は有していたのだろうか。まず最初に輸送力を考えてみると、約500年後の源平・壇ノ浦の戦いにおいて潮の流れが戦局を一変させたように、この時代の船には動力はない。風力、潮力、人力で動かさなければならない。義経が八艘飛びしたくらいだから、大きさも大したことはない。おそらく漁に使っていた船、中国沿岸でジャンク船と呼ばれるものと大きく違ってはいなかっただろう。
その動力がない小さな船で、仮に倭国からの出発地点が九州北部だったとしても、壱岐、対馬を経て釜山、さらに朝鮮半島南岸から西岸を白村江まで、700kmにわたる航行をしなくてはならない。潮の流れにもよるが移動日数の単位は「日」ではなく「週」、場合によっては二〜三ヵ月を要したとしてもおかしくない。
さらに作戦目的が物資の補給であるから、最終目的地のツヌに届けるための食糧や兵器という積荷がある。目的地に着くまでには戦争をする訳だから、兵士も空腹という訳にはいかずその分の食糧も兵器も必要である。となると、朝鮮半島のどこかに補給基地がないと作戦目的を達成するのは難しい。しかし、白村江までの道のりは663年秋の時点で、すべて敵国・新羅の勢力圏なのである。
5.4.2 戦力の差は顕著
補給基地については、日本書紀に将軍・上毛野君稚子(かみつけぬのきみ・わかこ)が6月に新羅の城を2つ落としたとあるので、もしかするとこれなのかもしれない。ただし、周りがすべて新羅の勢力圏だとすれば、水の補給や兵の野営などは可能であったとしても、本来の意味での補給−食糧や武器の補充−には限界があったと思われる。
いずれにしても、ジャンク船程度の輸送手段で、倭国を出てから十分な休息や補給ができなかったと思われる倭国軍に対し、唐はどうだったろうか。中国における大規模な海戦というと、赤壁の戦い、つまりレッド・クリフがあるが、これは白村江より400年前。この時代すでに、唐はある程度の規模を持った軍船を有しているのである。
日本書紀によると、唐軍の軍船は170艘。一方倭国の軍船は400艘(旧唐書)とも1000艘(三国史記)ともされる。日本書紀の記述からみる限り、兵の人数的には倭国の方が少なかったと思われるので、いかに倭軍の軍船が小規模であったかということである。
輸送力においてそのような差があった上に、武器の性能という点でも倭国は唐に劣っていたと考えられる。白村江に先立つ百済支援においても、矢、糸、綿、布、皮革、コメを送っている(天智称制元年・正月)ように、攻撃においては矢、守備においては皮革が倭国の主要装備であった。金属製品が含まれていない。
古墳から鉄剣が出土するように、2〜3世紀以降倭国にも鉄製品があった。しかし、原料となる鉄鉱石はこの時代まだ中国・朝鮮半島からの輸入に頼っており、砂鉄は産出したけれども量的にはそれほど多くは望めない。中国・朝鮮半島からの輸入は、百済が衰えて高句麗は自国の守備に手一杯という状況では、当然難しいということになる。
一方、唐・新羅は自前で鉄製品を用意できる。木製品・皮革製品・繊維製品で武装する倭国・百済と、金属製品を含む武装が可能な唐・新羅とでは、攻撃力・守備力の点でも相当の差があったといわざるを得ない。
このように、輸送力・装備に差があるということは、作戦・用兵上でかなり上回らなくては勝ち目はないということである。しかし、倭国は作戦的にも、かなり拙いやり方をしたようなのである。
5.4.3 やみくもに突撃して壊滅した作戦面の拙さ
輸送力と兵の装備のいずれの面でも不利な倭国が、白村江河口の唐軍の包囲網を突破するには、少なくとも作戦面で上回っていなければならなかったが、どうやらこの点においても倭国は失敗したようである。その経緯は、日本書紀によると以下のとおりであった。
八月二十七日、先着した倭軍と唐軍との間に交戦があり、倭軍は負けて退いた。唐軍は深追いせず、陣形を整えて待機した。翌二十八日、倭軍の本隊が到着した。百済王と倭軍の諸将はこう相談した。「われわれが先を争って突撃すれば、敵は後退するに違いない」
軍船の性能でも、攻守の武器の性能でも劣る倭軍が、いたずらに正面から攻撃しても勝つことは難しい。それも、奇襲するとか全軍が一斉攻撃するならともかく、到着した部隊から順に突撃するのは、戦力の逐次導入といって戦略的にはたいへん拙劣な方法である。
倭軍は乱れた隊列で、唐軍の堅陣に対し正面突破を図った。唐軍は倭の軍船を左右から挟み撃ちにして戦った。あっという間に、倭軍は敗れた。
戦力が劣っていても精神力(気合)で勝てると考えるのは、日本にとって伝統ともいえる考え方である。きわめて愚かな作戦とは思うけれども、倭軍であればそういう考えで突撃するのはある意味当り前なのかもしれない。同様のメンタリティは、白村江から1300年後の太平洋戦争でも、根強く残っているくらいである。
その上、倭軍は風向きや潮の流れもほとんど考慮していなかった。下の「気象」という単語は書紀でも使われている。今日の意味と、ほぼ同じであると考えられる。
気象を考えずに戦ったため、船の向きを変えることすらできず、海中に落ちて溺れ死ぬ者は数知れなかった。エチノタクツは、天を仰ぎ、歯を食いしばって戦い、数十人を殺したが、遂に戦死した。百済王は、数人の部下とともに、高句麗方面へと逃げた。
ここで再び、エチノタクツの登場である。日本書紀の白村江の戦いに関する記事は、ほとんど以上の内容で終わる。登場人物は、百済王、諸将(ひとまとめ)、エチノタクツだけ。これでタクツが書紀の紹介どおり、将軍でも副将でもない地方の豪族、今日でいう県の部長クラスというのであれば、なぜ彼の名前だけが特筆されるのか意味が分からない。
5.4.4 日本書紀の作者は敗戦があまり悔しくない?
白村江で倭軍の船団が全滅してから八日後の九月七日、ツヌ城は降伏した。頼みの綱である倭国の援軍が来ない以上、やむを得ない降伏であった。このあたりの経緯について、日本書紀の記事は淡々としている。
百済の人々はこう話し合った。「ツヌ城は降伏し、百済の名前は絶えてしまった。事ここに至っては、どうしようもない。先祖の墓所にも、再び行くことはできないだろう。テレ城まで逃れて、後のことは倭の将軍達と相談するしかない」そして、妻子に、百済を去る決意を示したのであった。
テレ城とはどこなのか、百済が滅亡してしまったので確かなことは分からない。おそらく朝鮮半島南岸で、対馬に渡ることができるどこかの海岸近くではなかったかと思われる。ちなみに、朝鮮半島南岸からは、晴れた日には対馬を望むことができる。
いまも昔も、戦争に敗れて他国に逃れることができるのはある程度の財産を持った上流階級の人々であって、一般庶民は新たな支配者の下で耐えるしかない。ベトナム戦争終結時の難民もそうだし、今日脱北して中国の日本・韓国大使館に逃げ込む人と同様である。
百済を逃れた人の多くも、旧支配者層であったり、先端技術者であったりした。彼らはこの後日本に渡り、奈良時代以降急速に進められた技術革新に大きく寄与することとなる。
こうして日本書紀の記事をみてくると、全体の印象として、書紀の作者達は白村江の敗戦をあまり悔しく思っていないということがよく分かる。二万数千の大部隊を派遣し、逃げた者はいたにせよ相当の戦死者が出たにもかかわらず、個人名であげられている戦死者はエチノタクツのみということにも、そのことは現れている。
もっというと、白村江以前の記事の中にも、「これは百済滅亡の予兆ではないか」「占ったところ、高句麗・百済が日本を頼ってくるという結果が出た」など、縁起でもないことが何ヵ所かに書かれている。もしも白村江以前にそんなことを公言していたとしたら、当時そんな言葉はないが「非国民」と言われても仕方がないであろう。
ましてや敗戦後に、「負けることは分かっていた」ようなことを書いて、当時の指導者や戦死者の遺族が面白いはずがない。にもかかわらずそういうことが書かれていて、しかも敗戦の記事がきわめて簡単に、たいして感情移入もされていないということは、どういうことなのだろうか。
おそらくそれは、書紀の作者たちにとって、白村江の敗戦が他人事ということなのである。つまり、近畿・大和朝廷の人々は直接白村江に関わっていない。さらに、白村江の敗戦によって、近畿・大和朝廷の日本列島における相対的な地位が上がったとすれば、日本書紀でこのような書き方がなされていることもうなづける。
ということは、以前に書いた結論、「日本列島における代表的な政権が、白村江以前は倭国、白村江以降はじめて日本=近畿・大和朝廷になった」ということである。教科書にはそう書いていないが、常識で考えるとそうなる。そしてそう考えると、天智天皇に関するいくつかの疑問点にも、納得のいく回答が得られるのである。
5.5 実像の天智天皇
5.5.1 天智天皇が戦争責任を追及されなかったのはなぜか
西暦663年、白村江河口の海戦において倭軍は壊滅的な敗戦を喫し、支援していた百済は滅亡した。この結果、朝鮮半島南部(現在の韓国)は新羅の支配するところとなり、新羅と唐の同盟軍に挟み撃ちされる形となった高句麗も、5年後に滅亡することとなる。
前節で説明したように、この時代の東アジア、特に朝鮮半島の情勢は、「唐・新羅連合」対「高句麗・百済・倭国連合」の勢力争いであった。この争いが唐・新羅連合軍の完勝に終わったということである。
だから、敗戦国である百済・高句麗は国として滅亡することとなった。問題はなぜ、日本だけが国として存続し、かつ、戦争時点で国家元首であり軍最高司令官でもあるはずの天智天皇が敗戦後も国家元首であり続けることができたのか、ということである。日本書紀には、この点について納得できる説明がなされていない。
天智天皇については、もう一つの疑問がある。この章の初め(5.1.)に書いたように、日本書紀に書かれている内容をよく読んでみると、天智天皇の業績は決して特筆すべきものではない。大化の改新はあってもなくても大勢に影響はなく、国力を傾けた百済支援は白村江の大敗によって投下した兵力・武器・兵糧、つまり人材と資本をすべて失ったのである。
にもかかわらず、平安時代以降の天皇はすべて天智天皇の子孫であり、藤原氏も天智天皇の血筋である、という記事もあるくらい、後の世において天智天皇は特別視されているのである。
本来であれば、天智天皇を「戦争責任者」として連行してもおかしくない唐・新羅も、日本書紀を見る限り丁重な態度であるし、実際に戦争責任を問題にしていないことは、遣唐使がほどなく復活し、それ以前にも唐・日本間の交流(捕虜の返還など)があったことからも明らかである。
以上の状況、つまり、日本国内において特別視されていること、かつて戦争した国から責任を問われていないこと、これを合理的に説明するためには、日本書紀に書かれている内容を一度白紙に戻して考えてみる必要があると思っている。
日本書紀の記事をないものとすれば、これらの事実を最も合理的に説明できる事実は以下のようになるはずである。
1.唐・新羅と敵対した倭国の国家元首は、戦争責任をとらされている。つまり、天智天皇とは別人である。
2.天智天皇の最大の業績は、「倭国」から「日本」へ、日本列島を代表する政権を移したことにある。
3.唐・新羅が天智天皇の「日本」を優遇したのは、白村江の戦いに参加しなかったからである。つまり、白村江以前から、唐・新羅と内通していた。
以下では、これらの仮定が前後の事実関係と矛盾するかしないかを考察してみたい。
5.5.2 白村江以前の日本列島を代表したのは、九州倭国
倭国から日本への政権の移動が起こったと仮定すると、まず解決するのが旧唐書(くとうじょ)の記載である。
唐の国書である旧唐書には、倭国に関する記事と日本国に関する記事が並立している。倭国は、かつての邪馬台国であり、さらに遡って後漢の時代に朝貢した倭奴国である、とされており、一方日本国は、「倭国の別種」とはっきり書かれている。別種の意味は明確でないが、常識的に考えれば、日本列島の中にある別の国ということになるだろう。
さらに、一説として、「日本はもともと小国であったが、倭国を併合した」とある。一説とはいえ、国書に書かれている以上は単なるうわさ話ということは考えにくく、それに類する事実の裏付けがあったと考えるのが自然である。
そして、さきの仮定(白村江の戦いの事後処理により、倭国から日本国に代表政権が移った)を置くと、まさにこの旧唐書の記事はそのまま事実ということになる。そして、敗戦国は国の滅亡という形で戦争責任をとらされることが多いという国際関係の常識にも、非常によく合致するのである。
これらの仮定を否定する材料は一つだけである。それは、「日本書紀にそう書いていない」ということである。逆に言うと、日本書紀(及び日本書紀をベースとして書かれた六国史等)がなければ、旧唐書をもとにこの仮定の方が通説となっているべき、前後の事実関係と非常につじつまの合った仮定なのである。
逆に、日本書紀の制作者の側の事情を考察すると、そもそも書紀の大前提は、「万世一系の天皇家が、日本列島を代表する唯一無二の政権である」ということだから、天皇家以外の政権があったとしても「なかった」と書かなければならない。中国の史書を読めば天皇家ではない政権が歴代王朝に朝貢しているのは明らかなのに、それらの政権については書くことができないのである。
そして、天皇家以外の政権はなかったという前後のつじつまを合わせるためには、前世代の政権(具体的には九州の倭国)から日本列島の支配を奪った天智天皇の最大の業績を、そのまま書くことはできなかった。だから、大化の改新については過大評価するし、後の時代にも特別視されているということではないだろうか。
日本書紀に関してもう一つ不自然なのは、なぜ政治的実権が天武天皇の血統に移ったにもかかわらず、それでもあえて天智天皇の業績が強調されているのかということである。
天武天皇は天智天皇の実弟であると日本書紀には書かれているが、これはきわめて疑わしいとされている。天武天皇の年齢があえて不明とされているどころか、後代の記録によると天武天皇の方が年上なのである。いまでもなく、年齢が上の実弟などということはありえない。
なぜわざわざ、天武天皇を天智天皇の実弟と書かなければならなかったのか。このことも、さきの仮定を置くと、合理的な説明が可能なのである。
5.5.3 「日本」の代表は、なぜ天智天皇の血筋である必要があるのか
天智天皇と天武天皇は実の兄弟ではないとすると、なぜ日本書紀はわざわざ「嘘の系図」を示さなければならなかったのか。このことを考える上で参考になるのは、およそ900年後、琉球王国が明国に対して行った政権移動後の説明である。
琉球を統一した尚巴志(しょう・はし)に始まる第一尚氏の血統は、もともと家臣であった内間金丸(うちま・かなまる)によって滅ぼされる。その際、すでに「中山王(ちゅうざんおう)」として第一尚氏を認めていた明国との摩擦を避けるため、金丸はわざわざ尚円と名乗り、第一尚氏の血縁者として琉球王と認められたのである。
900年後でさえそうなのだから、白村江の時代にはそうした操作がさらに必要とされたであろうという推定が成り立つ。つまり、唐・新羅にとって天智天皇こそが同盟者であるので、その後継者は天智天皇から正当に譲位された王でなければならない。天武天皇もそう思ったから、あえて天智天皇の同母弟で後継者というストーリーにしたのではないか。
そして、なぜ唐・新羅にとって天智天皇が同盟者なのかというと、それはまさに軍事的激突となった白村江以前から、天智天皇が同盟者であったと考えなければ説明がつかない。はっきりいうと、百済・高句麗と同盟して唐・新羅と対抗するという当時の倭国全体の方針に反して、天智天皇が唐・新羅と内通していたということである。
もし、天智天皇が白村江当時の国家元首で最高司令官であるとすれば、その後に壬申の乱で天武天皇系に実権が移動した際、天智天皇の業績を過大に評価する必要はない。なぜなら、唐・新羅にとって、かつて敵対した政権が崩壊したことは喜ぶべきことであって、あえて疑問をさしはさむ必要など一つもないからである。
実は、天武天皇が天智天皇の正当な後継者と主張している日本書紀にも、言わずもがなの記事が書かれている。671年に天智天皇が崩御、翌672年に壬申の乱が起こり、天武天皇が勝って皇位を継承するが、その際、九州まで来た高句麗・亡命政権(高句麗は668年に滅亡している)の使者に対し、天武天皇は変なことを言っている。
大宰府長官より、高句麗の使者に対しこのように伝えた。「天皇は新たに天下を平定された。祝賀使の他にはお会いにならない。このまま、お帰りいただきたい。」(日本書紀・天武天皇 下)
新たに政権を取った天武天皇に対し、祝賀の他に何の目的があって、高句麗の使者はわざわざやって来たのだろう。これも、唐・新羅と親しい天智天皇の政権が倒れたので、新政権に対して高句麗復活に向けた協力の打診を目的としていたと考える以外に、納得できる理由が見当たらないのである。
5.5.4 天皇という称号は、天智天皇以前にはなかった
そもそも、白村江以前に、日本列島の国家元首が「天皇」と名乗ったという証拠は、日本書紀以外に何もない。かつては「倭王」であり、本来なら当然そう名乗っているはずの遣隋使の時点でも、国王アマ・タリシヒコの名乗りは「オオキミ(王)」である。万葉集に載せられている和歌を見ても、天皇と書いてあるのは添え書き(説明文)だけなのである。
鎌倉時代に編纂された「釈日本紀」には、神武天皇から始まる漢風諡号は、淡海三船(おおみのみふね)によるものと書かれている。これには異論もあるが、三船は天智天皇のひ孫だから、少なくとも天智天皇の時代には天皇という名乗りはされていなかったということである。
これらのことから、白村江前後の真相を推理する。まず最初に、百済・高句麗と同盟し、白村江に大軍を派遣した倭国は、九州・倭国(遣隋使のアマ・タリシヒコの国)と関東・毛野国が中心で、大和政権はあまり協力的でなかったということである。
大和朝廷の立場からすると、これは内通というよりも、朝鮮半島の情勢を唐・新羅有利と考えて、白村江以前からそれに向けた対応をしていたということであろう。唐・新羅サイドからみるとこれは願ったり叶ったりである。白村江に進軍した倭国にとって、前も後も敵になるからだ。
当然、新羅を通じて唐にその意向は伝えられていて、唐が朝鮮半島を制圧した後は、半島には新羅、日本列島には大和朝廷という親・唐政権が樹立され、いわば唐の属国となるはずであった。実際にそうならなかったのは、白村江の戦い直後から、唐の内乱が始まったという要因によるところが大きい。
さて、白村江の敗戦により百済は滅亡し、倭国も壊滅的な打撃を受けた。九州に本拠が置かれていた倭国支配層の多くは、戦死したり捕虜になったりしたのではないか。
そして、唐の後ろ盾により全権を把握した天智天皇がまず行ったことは、旧・九州倭国に対しては防衛拠点の整備という大規模な土木工事、旧・関東毛野国に対しては、国境警備という名目の軍隊派遣を命令することであった。
ただでさえ、白村江への人材・物資の派遣(経済的負担)と敗戦による打撃(軍隊の壊滅)により疲弊していた九州・関東は、この追加負担により致命的な打撃を受けることとなる。天智天皇側から言わせれば、「あなた方が進めた戦争なのだから、後始末までちゃんとやってください」ということだったと思われるが、命令される側はたまったものではない。
そしてこのことが、壬申の乱の大きな原因になったのではないかと思っている。結局のところ、天智天皇はやり過ぎたのである。
5.5.5 水城と防人はなぜ九州・関東の負担なのか
いうまでもなく、九州に命じた土木工事とは水城(みずき)など防衛拠点の整備であり、関東に命じた軍隊派遣とは防人(さきもり)である。天智天皇サイドからすると、九州まで唐・新羅が攻めてくる可能性はほとんどないと分かっていたはずだが、国内的にも内通していたことを明らかにできなかったということもあるだろう。
そして、もう一つの戦後処理として、旧百済、高句麗の難民の問題がある。百済・高句麗は敗戦により国土を失ったので、支配層の多くは倭国に逃亡を余儀なくされた。そして、日本書紀にも記載されているし、現代にも高麗川という地名が残っているように、多くは東国、つまり旧・関東毛野国に入植させたのである。
もともと白村江で軍隊が壊滅し、組織的に大和朝廷と対抗することが難しかった九州倭国と関東毛野国は、これ以降歴史の表舞台からは姿を消すことになる。こうして天智天皇は、日本列島を唐の軍事的侵略から守るとともに、近畿の一勢力にすぎなかった大和朝廷を日本唯一の政権として確立することができた。
そして、このことが天智天皇にとって、表向きには書くことのできない大偉業となったのではないか。なぜ書くことができないかったかというと、「万世一系」、つまり天皇家が唯一無二の政権だという建前が一つ、もう一つには本当のことを書けば、白村江の敗戦により多くの犠牲を出した側からみれば「裏切り者」と映ることは避けられないからである。
もちろん当時はマスコミもインターネットもないので、そうしたことを一般庶民が知ることはできなかった。そして、後に日本書紀が編さんされると、これだけが公式かつ記録された事実ということになるのである。
とはいえ、支配層にとっては、そうした事実のあらましは分かっていたと思われる。特に、大和朝廷の中でも旧・倭国に近い人達、つまり九州、関東、さらに百済・高句麗の人脈につながるグループにとって、親しい人達を白村江で見殺しにした上に、戦後処理の名目で多大な人的・物的負担を強制する天智天皇への反感は高まっていたのではないか。
それは次の問題として、これらの事実を暗示的に示しているとみられることがある。天智天皇が都とした大津京は、後継者である大友皇子(弘文天皇)の陵墓があるように、天智天皇とゆかりが深い土地柄である。平安時代になって、ここには三井寺が置かれた。そして、この三井寺に秘仏として祀られているのが、新羅明神(しんらみょうじん)なのである。
新羅明神の新羅は「しんら」と発音するが、これは朝鮮半島における発音(シルラ)を反映したものとされる。もちろん新羅明神を祀ったのは後世のことであり(最澄の弟子の円珍)、唐での修行から帰る円珍を守護したという伝説が残されているが、天智天皇と唐・新羅との関係を暗に示しているのではないか。少なくとも、白村江当時に天智天皇が国家元首であったとすれば、新羅は同盟国百済を滅ぼした敵国のはずなのである。
一方、聖徳太子・蘇我氏と縁の深い法隆寺に祀られているのが、百済観音である。大和の旧支配者層にとっても、より身近だったのは百済であることを示している。そして、大化の改新といわれる政変の最大の意義とは、これを境として、大和朝廷の方針が百済支援から新羅との同盟に舵を切られたことにある、という推定も可能となるのである。
5.5.6 遠の朝廷・九州大宰府
さて、教科書的な歴史では天皇家が万世一系で日本列島の統治者であったはずであるが、これまで説明してきたように、中国の史書や白村江の敗戦処理を常識的に分析すると、天智天皇以前には九州倭国が日本列島を代表する政権であったということになる。改めてその論拠をまとめると以下のようになる。
1.国力を傾けた戦争の時点での国家元首であるはずの天智天皇が、そのままの地位で権力を維持できたというのは疑問である。同盟国の百済・高句麗も、この前後に滅亡している。
2.中国の正史である旧唐書には、唐が成立していた時点で日本列島に「倭国」と「日本国」が並存したと書かれている。しかも、日本国はもともと小国であったが、倭国を併合したとされる。
3.日本書紀には神武天皇以来、「天皇」号が付せられているが、こうした漢風諡号が作られたのは奈良時代で、後の記録では天智天皇の子孫が考えたという。日本書紀以外に、天智天皇以前の大和朝廷支配者が「天皇」を名乗ったという証拠はない。
4.白村江の交戦国である唐・新羅との間で、戦後かなり早くから関係修復がなされている。そして、天智天皇とゆかりの深い大津・三井寺の秘仏は新羅明神である。
さて、これらの論拠は、大和朝廷が白村江以前から日本列島を代表する政権ではなかったことを暗示しているとはいっても、九州に代表政権があったことの直接の証拠とはいえないという反論がありうる。確かに、日本書紀以外の古代史の文献はないので証拠はない(個人的には、中国の史書が九州を示しているのは明らかであると考えるが)。
ただ、奈良平城京以前に、九州大宰府に唐の長安を模した都市があったことは一つの根拠といえるかもしれない。この大宰府は平城京より規模は小さいとはいえ、飛鳥板葺宮(天武天皇の都)より相当大きな都市であった(現在の天満宮・観世音寺から二日市あたりまでを含む)。
そして大宰府政庁は、万葉集で「とおのみかど(遠の朝廷)」と呼ばれているのである。通説では「遠方(九州)にある朝廷」と解するが、「みかど」とはもともと御門、権力者の住まいを示す言葉である。大宰府になってからここに天皇が住んだことはなく、ここを「みかど」と言うかどうかは疑問である。むしろ「かつて(倭国と称していた時代)の朝廷」と理解する方が自然ではないかと考えている。
5.6 壬申の乱再考
5.6.1 壬申の乱の真相
前回まで、白村江の戦い(西暦663年)以前に日本列島を代表する政権は九州に本拠を置く倭国であること、そして、白村江の際に唐・新羅と内通し、戦いに直接参加しなかった天智天皇の大和朝廷=日本が、それ以降、唐・新羅の支援の下で日本列島を代表する政権となったのではないかという仮説を述べてきたところである。
この仮説の裏付けとなるのは、唐の国書である「旧唐書」の記載、それと、古代の国際関係からみて、戦争に敗れた政権がそのまま権力を維持することを敵国が認めるはずがないという常識的な判断である。しかし、これは教科書で教えている日本の古代史とは全く異なる。
ただ、この仮説を採ると、白村江前後の政治的問題以外にも、飛鳥時代から奈良時代にかけての古代史の疑問点がいくつか解決されることも確かである。
例えば、西暦592年に起こった祟峻天皇暗殺事件。これは、ときの最高権力者であるはずの天皇を、臣下である蘇我馬子が首謀者となって暗殺した事件である。そして、なんと暗殺事件の後、馬子は推古天皇、摂政・聖徳太子の下、大臣(おおおみ)として実権を掌握するのである(ちなみに、馬子が首謀者であることは日本書紀に書かれており、この点には争いがない)。
この時点で大和朝廷が代表政権であり、祟峻天皇が最高権力者であったならば、これは「国家の転覆」を図るものであり、暗殺の首謀者が次の政権で重用されることは考えられない。ところが、地方政権の内輪もめであると考えれば、感覚としてはしばらく後に平将門が関東で国司を追放したのとよく似ていることになる。
将門は最終的に新皇を名乗り中央に反抗したので討伐されたが、その時点では現状追認の動きもあったのである。同様に、地方政権の内輪もめと周りが認めてくれて、実際に混乱なく治まっているのであれば、「中央政権」が現状追認したとしてもおかしくはない。少なくとも、国家の代表者を暗殺した犯人がそのまま権力中枢に居座るというよりもかなり現実的である。
そして、その仮説が正しいとすれば、その性格が相当に違ってきてしまうのが壬申の乱である。教科書が教える壬申の乱とは以下のとおりとなる。
西暦671年、天智天皇の崩御により、大津宮の大友皇子と吉野宮の大海人皇子の対立が深まった。大友皇子は吉野に進撃を試みるが、大海人皇子はこれを逃れ、軍を整備して逆に大津宮へ攻め上り、両軍は尾張・近江国境付近で交戦した。これに大海人皇子は勝利し、天武天皇として即位した。大友皇子は敗死した。
日本書紀には概略このように書かれているが、天智天皇が亡くなってから天武天皇が即位するまでの間、誰も天皇でないのはおかしいということになり、千数百年後の明治時代になって大友皇子が弘文天皇と呼ばれることになったのはご存知のとおり。ただ、真相としてはおそらく天皇位の空白など、当時は誰も気にしていなかったはずである。
そもそも大和朝廷が権力を掌握したのがつい7、8年前のことであるならば、そのままの形で1400年続くことなど、現代ならば結果として分かっているものの、当時は誰も想像すらしていなかったと考える方がずっと常識的である。
では、実際には壬申の乱の真相はどういうものだったのだろうか。次回以降考えてみることにしたい。
5.6.2 日本書紀における壬申の乱直前の状況説明は信用できない
壬申の乱について書かれているほとんど唯一の史料は、日本書紀の天武天皇紀(上)である。何度も繰り返すが、日本書紀は大和朝廷以外に日本列島には政権はなかったという建て前で一貫して書かれているので、どこが本当のことでどこが創作なのかを区別して読む必要がある。正直なところ、過去の日本書紀論はこの点の踏み込みが不十分なのである。
さて、そうした観点から日本書紀を再検討すると、その背景を書紀では説明していないか、説明してあっても全く納得できない(おそらく一部は事実であり、一部は事実でない)事柄として、例えば以下の点を上げることができる。
ア. 天智天皇は、前代の斉明天皇が亡くなった西暦662年以降即位せずに政務をとり(天智称制)、668年1月に即位した。
太平洋戦争に匹敵するヒト・モノ・カネを掛けた国家の一大事である白村江の戦い(663年)時点で、正式な国家元首も軍最高司令官もいないことなどありえない。少なくとも、敵国(戦勝国)はそれでは許してくれない。この事実を常識的に説明できる理由は、天智天皇は白村江の敗戦を受けて、この時点で国家元首となったということ以外に考えられない。
イ. 天武天皇は天智天皇の同母弟で、天智天皇即位とともに東宮(次期天皇)となった。
天武天皇は、正妃の莵野皇女(うののひめみこ、後に持統天皇となる。神田うのの名前の出典であることでも有名)はじめ、天智天皇の娘を4人も妻に迎えており、同母兄弟とは考えにくい。また、天智天皇自身に大友皇子(弘文天皇)はじめ何人も男子がいるのに、わざわざ弟を後継者に指名するのも疑問である。
従って、日本書紀の以上の記事は、建て前を守るための創作である可能性がきわめて大きい。だから、壬申の乱直前の状況として、確からしいと認められるのは以下の点くらいである。
@ 西暦668年の時点で、天智天皇が大和朝廷の代表となった。
(この年、高句麗が滅亡して新羅が朝鮮半島を統一。また、この時点で唐軍が九州に駐留していることを勘案すると、ここで大和朝廷が対外的に日本列島を代表する政権となったと考えられる。)
A 政権内部で天智天皇に次ぐ実力者としては、天皇の子である大友皇子(弘文天皇)と、弟とされる大海人皇子(天武天皇)がいた。
(天智天皇と大海人皇子が実際にどのような血縁関係であったかは不明。ただし、いくつかのヒントがあるので後で考察する。いずれにしても、この2勢力は、婚姻関係で何重にも関係を強化しており、政権内の実力者であったことは間違いない。)
B 国力のすべてを注ぎ込んだ白村江の敗戦と、唐軍の進駐、土木工事(水城)や軍役の強制(防人)が重なり、日本列島の人々は相当な負担にさらされていた。
(これは、書紀の記事を読むだけでも確かだし、戦争に負けたらこうなることは避けられない。)
こうした中、正式に即位してからわずか4年、天智天皇が崩御される。後の史料に暗殺説も出ているくらいで、不穏な情勢の下での死去であったことは間違いない(これも何度もくり返すが、天智天皇の在位中に特筆すべき業績はない)。間髪を入れず、近江の大友皇子と吉野の大海人皇子の対立が激化する。
普通に考えれば、これは後継者争いということになる。
5.6.3 大海人皇子の進路は、家康の本能寺直後とほとんど同じ
天智天皇の死後、激しく対立することとなった大友皇子と大海人皇子。結果として大海人皇子が勝利することになるのだが、争いの当初はむしろ大友皇子が優勢だったとみられる。というのは、大友皇子が吉野を攻撃する際に、大海人皇子が吉野から伊賀を経由して尾張へ逃れたことが記録されているからである。
672年5月、近江の大友皇子が挙兵の気配を示し、吉野に向けての街道筋に斥候を配しているのを確認した大海人皇子は、このように号令した。「近江方は、我々を攻撃しようとしている。黙って滅ぼされる訳にはいかない。早急に美濃へ向かい、挙兵して不破関を封鎖せよ」そして、自らも東国へ入ることを決断した。日本書紀・天武天皇紀上
大友皇子は今でいえば、東海道線で大津から京都、さらに近鉄で奈良方面への進出を図ったことになる。一方の大海人皇子は大友皇子が奈良県に入る前に、大和八木から近鉄名古屋線で逃げたということである。不破関は近畿から東国への出入り口に当たり、ちょうど関が原付近になる。
この大海人皇子の進路は、およそ900年後の本能寺の変に際し、徳川家康が堺から三河へと少人数で命からがら逃亡した経路とほとんど同じである。つまり、大海人皇子の状況分析としては、後の徳川家康と同様、畿内は敵側の勢力範囲であり、ひとまず安全な東国に向かう以外に方法はない、ということであったと思われる。
壬申の乱の経過をきわめて大雑把にまとめると、奈良方面へ進出した大友軍を大海人軍が持ちこたえている間に、大海人軍の本隊が名古屋から大津へと反転攻勢をかけて大友軍を撃破し、大友皇子は敗れて自殺することになる。つまり大海人軍の主力は、東国にいたということである。この点も、後の家康と重なる。
つまり、天智天皇の死後、その路線をそのまま継承するはずであった大友皇子に、東国は味方しなかった。政治的には、東国は大海人皇子を支援していたということである。
この時代、九州の防備に防人(さきもり)を派遣している一大勢力は関東であり、これまで述べてきたように、関東毛野国は白村江以前には九州倭国に次ぐ勢力であったと思われる。その関東を含む東国を、大海人皇子は安全圏とみなしていたということになる。もちろん、天智天皇が政権を持っていた時代から、より関東に近い政治的立場にいたということであろう。
一方、近畿より西はどうなっていたかというと、こちらについても日本書紀に興味深い記事が書かれている。大友皇子が大海人皇子挙兵の一報を受けて、中国・九州に向けて使者を派遣するのだが、その際の経緯について以下のように述べられているのである。
5.6.4 中国と九州も大友皇子=天智後継政権に味方しなかった
大海人皇子が吉野から尾張へと近鉄名古屋線に乗って逃れたことを知った大津の大友皇子は、奈良方面に加えて東国への攻勢を強めるとともに、背後の吉備(中国)、筑紫(九州)に向けて援軍を命令した。その際、伝令として吉備に向かった樟使主磐手(くすのおみ・いわて)と筑紫に向かった佐伯連男(さへきのむらじ・をとこ)に、皇子はこのように命じたと日本書紀に書かれている。
「吉備・筑紫はもともと大海人皇子と親しい。もし命令を聞かないのであれば、その場で討ち果たせ。」日本書紀・天武天皇紀上
そして実際に、援軍を渋った吉備は討たれてしまう。しかし筑紫の栗隈王(くるくまのおおきみ)は、護衛を従えて不意打ちに十分に注意するとともに、このように回答して援軍を断ったのである。
「この筑紫の軍隊は、外敵に備えるために置かれているのであって、内乱に備えるためではありません。もしここで私が軍を動かした結果、国の防備ができず外敵の侵入を許したとしたら、その時になって私が何回死罪となったとしても取り返しがつきません。援軍要請には従うことはできません。」出典同じ
この栗隈王は、白村江敗戦後に筑紫率(ちくしのかみ)に任命されているので、大和朝廷が台頭した後の新勢力ということになる。また、この王は奈良時代の重臣である橘諸兄の祖父にあたる。もちろん、この援軍拒否(間接的に、大海人皇子の応援)の功績が認められたものである。
余談であるが、この栗隈王をはじめ、飛鳥時代から奈良時代前期にかけての登場人物の系図は、あまりはっきりしないものがいくつかある。栗隈王の出自も、日本書紀そのものには書かれていない(後の記録に敏達天皇の子孫とある)。おそらく、そうした人物は、表立って日本書紀に書くことができなかった九州、関東系統に連なる有力者ではなかっただろうか。
もし栗隈王が敏達天皇の子孫だとすれば、天智天皇〜大友皇子とはかなり近い血縁関係になるので、最初から、「彼らは大海人と親しいので逆らうなら殺せ」と言われてしまうような間柄ではないはずなのである(推古天皇の死後、敏達天皇系統と用命天皇系統の間で、皇位継承の争いがあった)。
壬申の乱に話を戻すと、近畿圏を押さえていた大友皇子に対し、大海人皇子は東国(主として関東)の軍事により対抗することを意図して東国に逃れ、中国・九州も大海人皇子支援の意思を明確にしたということである。そして次の段階では、大海人軍が関が原を越えて近江に進軍し、大友軍が敗北するという結果となる。
このあたりの経緯を最も常識的に判断するならば、白村江の敗戦を契機に、唐・新羅の後ろ盾の下に成立した大和朝廷=天智天皇系の覇権に対し、旧勢力である関東及び九州が“NO”の意思表示をしたということではないだろうか。その直接の要因は水城・防人といった敗戦による負担の増大であるが、心情的には白村江で多くの人々を見殺しにしたことへの反感があったのではないかと思われる。
そうした背景を考えると、栗隈王の援軍拒否の理由は意味深長である。表向きの意味の他に、「国境警備を命じたのはあなた方ではないか」「われわれの真の敵は海の向こうにいるのであって、こちら側ではない」という裏の意味が窺える言い分ではないか。そして、この言葉を発した栗隈王〜天武天皇の出自もある程度推察できる。旧宗主国である九州倭国にきわめて近い勢力であると考えられる。
5.6.5 宇佐八幡の重視からみる天武皇統と九州の関係
大海人皇子が天智天皇直系の大友皇子を自殺に追い込むことによって、壬申の乱は決着することになったが、対外的にはそのまま公表することは難しかったはずである。というのは、唐の後ろ盾のもとすでに新羅による朝鮮半島統一が確立しており、今となっては反新羅・百済復興を主張したところで何も得るものはないからである。
そこで大海人皇子サイドとしては、対外的にはこれまでの路線を継承するとしたのではないだろうか。具体的には、「私は天智天皇の実弟であり、以前から後継者に指名されておりました」「天智天皇の死後、後継者を巡る争いがありましたが、従来決められていたとおりに決着いたしました」と、外向けには公表したのである。
つまりこれが、日本書紀にそう書かなければならなかった真相であろう。実際には、天智天皇後継には大友皇子が指名されていたはずだし(だから明治時代になって弘文天皇として歴代に加えられた)、大海人皇子は正式な後継者ではなかった。まさに、後の時代になって、琉球第二尚氏が明に報告したのと同じやり方なのである。
だから、天武天皇(大海人皇子)が天智天皇の同母弟であるというのは日本書紀の建て前であって、事実とは考えにくい。後の時代の史書に天武天皇の方が年上という記録がある上、天智天皇が4人もの娘を天武天皇の妃としていることからも、そのことは推定できる。
それでは、天武天皇とはどういう背景を持つ人物だったのだろうか。そのことを考察する上で重要であるのは、壬申の乱から約100年経過した、奈良時代末の混乱の際の対応である。
天武天皇の皇統は、聖武天皇の時代に絶頂期を迎える(この時代に、東大寺の大仏が完成)。しかし、その娘である高野天皇(たかののすめらみこと、孝謙・称徳天皇)をもってこの皇統は断絶する。その際、天皇は全く血縁関係のない道鏡法王を後継者に指名しようとするが、ここで舞台となったのが宇佐八幡宮である。
八幡神とは、応神天皇(ホムダ王)のご神霊であるとされる。応神天皇自身、その子である仁徳天皇(オオサザキ王)に比べると、畿内政権に親しい天皇ではない(古事記における記事の量が全然違う)。
確かに、天智天皇も天武天皇も、応神天皇の子孫ではあっても、仁徳天皇の直系の子孫ではないという理由付けは可能である(仁徳皇統は武烈天皇までで断絶)。しかし、この事件の後、宇佐八幡宮が歴史の表舞台に登場しないのはなぜなのか。平安時代以降は、八幡宮といえば、平安京近郊の石清水八幡宮か、鎌倉の鶴岡八幡宮なのである。
つまり、天武皇統にとって九州宇佐というのはきわめて重要な八幡宮であるけれども、天智皇統にとってはそうではない、ということになるのではないか。
5.6.6 天皇位とはそもそも何だったか
現代のわれわれにとって、天皇位を考える上で暗黙の前提となっているのは、「少なくとも千数百年以上にわたり、父系相続により受け継がれてきた由緒ある位である」ということである。しかし考えてみれば、奈良時代末にこの前提が同様に受け入れられていたかどうかは定かではない。
天武天皇の時代からは約100年、仁徳天皇(オオサザキ王)の時代からとしても約300年、いずれにせよ現代から考えるほど天皇の位は絶対不可侵ではなかった可能性がある。いわば、鎌倉幕府から江戸幕府くらいのスパンであり、そう考えれば血縁のない道鏡に譲位しようとした高野天皇の構想そのものは、坂本竜馬による新政府構想と大して変わらないものだったのかもしれない。
そもそも天皇位は、「畿内政権における最大資産家の財産承継者」であったのではないかと考えている。それに、天智天皇以来、日本列島を代表する政権として「全国から租税を収納する権利」が加わった。この2つの要素はそもそも別物で、後者を声高に主張するのは東大寺建設にあたっての聖武天皇の詔くらいからである。
だから、高野天皇(このときは孝謙天皇)も、恵美押勝(藤原仲麻呂)に後者の権利を与えた。それは、天皇位の本質(皇室財産の継承者)とは別だったからではないか。そう考えると、推古天皇以来女帝が相次いだ理由もある程度推測できる。実際に戦争したり政治的判断を下したりする必要があればともかく、そうでないならば財産継承者が必ずしも男性である必要はないのである。
財産をマネージメントするのが女性であっても、あまり不都合は生じない。というよりは、夫が亡くなった場合の財産の継承は、最初から子供世代に行くのではなく、ひとまず妻に行われるのが現代でも普通である。飛鳥時代〜奈良時代の皇位継承は、そうした要素が大きかったのではないかと考える。
そうした皇位継承の背景にあったのは、もともと畿内政権の支配者には「租税収納権」がなかったということではないだろうか。
この連載で述べてきたように、天智天皇以前には大和朝廷は代表政権ではなく(代表は九州倭国)、それが大和朝廷となったのは奈良時代以降であると考えれば、そういう結論に達する。地方からの納税について、直接の証拠が残っているのは奈良時代からである。地方からの物資が集積するため、初めて平城京のような巨大都市が必要となったのである。
そして、「天皇位」の根拠となる継承財産のそもそものいわれは、九州倭国が近畿に遠征した際の、現地司令部(いわば傀儡政権)であったことにあるのではないか。そう考えれば、現地政権の初代である仁徳天皇(オオサザキ王)の伝説が多いのも納得できるし、何かあれば九州の父・応神天皇(宇佐八幡!)にお伺いを立てるというのも、畿内政権から大和朝廷に伝わるDNAだったとも考えられるのである。
日本古代史の真相
6.1. 古代日本史へのアプローチ 〜経済的側面から考える
これまで、8世紀初めまでの日本古代史の各論について検討してきた。教科書の教える歴史は、まず大和朝廷が列島を統一して、それから中国・朝鮮半島との交渉があり、大化の改新から壬申の乱を経て、奈良平城京の完成をもって律令国家が完成したというものであるが、この展開にはかなりの無理がある。
何度も繰り返しになるが、当時の中国史書の内容と一致しないし、根拠とされる日本書紀の記載にも矛盾がある。古事記・日本書紀以前の史料は、大化の改新の際に蘇我氏滅亡とともに焼失したとされるが、それほど大事なものにコピー(写本)もなかったというのは考えてみれば妙な話である。
したがって、日本古代の真相は、そうした教科書的ストーリーとは違ったアプローチから構築されるべきであると考えている。
その出発点となるのは、まず古代における日本列島の経済的背景ではないかと思う。大和朝廷が何世紀に列島を統一したという証拠はないけれども、仮に6〜7世紀の日本列島の人口が2百万人であったとすれば、2百万人が食べていけるだけの生産高があったこと、すなわち、農業と水産業で2百万人分のGDPを稼いでいたことだけは間違いないのである。
さて、現代日本の人口は約1億2千万人であり、江戸時代の全人口は約2千万人とされている。明治以降約100年で人口は6倍増となったことになるが、この人口急増を支えたのは、明治以降の工業化である。当初は繊維工業、次に鉄鋼業、さらに電気・電子機器、自動車産業が日本のGDPを増大させ、多くの人口を養うことを可能にした。
それ以前、明治以降に匹敵する人口急増期は、弥生時代〜古墳時代であった。この時期、大陸からの稲作技術の導入により農業生産が拡大し、日本列島の人口は数十万人から約2百万人へ、100〜200年の間に4〜5倍増となったと考えられる。工業と農業の違いはあるものの、やはりGDPの増大が、人口の増加に結びついたのである。
そして、この人口急増期の狭間、弥生時代から江戸時代にかけては、千数百年間で2百万人から2千万人まで人口が増加している(10倍は大きく見えるが、100年あたりにすると平均1.2〜1.3倍の増加)。この要因は、金属器の普及=農具の改善による生産性の向上と、新田の開発である。
その担い手となったのが武装農民であり、後に武士へと成長していく階層である。武士が貴族(荘園領主)を凌駕していくこの時代は、いわば2百万人を食べさせていた産業を、新興産業が徐々に追い越して行き、最後には2百万対1千8百万になっていく過程と考えると分かりやすい。
話を戻してまず古代である。わが国に人口が数十万から2百万人に増えた弥生時代、日本列島の状況は統一国家に向かうものであったのかどうか。
6.2. 国家を形成するモチベーション
この連載のはじめで述べたように、統一国家は「他の国を征服したい」という動機だけで作られるものではない。もちろん、そういう動機で征服活動を始めた王はいただろうが、少なくとも1年以上の長期にわたり占領を続けるためには、収穫物の収奪(納税)システムと、物資の輸送・軍隊の派遣のための交通網がなければならない。
常識的に考えれば分かるが、余剰生産物のない所を征服したとしても、得るものはほとんどない。奴隷(労働力)として収奪したとしても、彼らに食べさせるものがなければ労働力として機能しないのである。そして、余剰生産物がなければ、貯蓄もない。強奪すべき収穫物も、占拠する建造物もないのである。
だから、一人の王のもとに、国として一定規模の版図が成立するためには、そこにある程度の余剰収穫物があって、その余剰部分を集中し再分配するシステムが必要である。ということは、弥生時代以前の日本列島には統一国家が成立する可能性はほとんどないということになる。
すべての人がぎりぎり食べていくだけの経済力しかなければ、人口も増えないし、軍隊も整備できない。仮に軍隊を組織して他国の占領を目指したところで、どこに攻めて行ったところでみんな「食うや食わず」の経済水準であれば、その国はぎりぎり生活できるだけの人だけで構成されることになる。征服者にとって、あまり魅力的とはいえない。
弥生時代に入り、中国・朝鮮半島を経由して大規模な稲作農業が日本列島でも行われるようになった。同時に、金属器(鉄製品、銅製品)と製作技術、すなわち鉱工業が始まった。金属器の使用は農業生産力を大きく拡大したので、ここでGDPが飛躍的に増大したと考えられる。
このGDPの拡大により、日本列島ではようやく余剰生産物を安定的に確保することが可能となった。具体的には、10人の労働により10人分以上の、20人30人分の生産を行うことが可能となったということである。余剰生産物は貯えられたり、他の地域の特産物(水産業、鉱工業生産物)と交換されたりして、中長期的には人口の増加を可能としたであろう。
弥生人の生活はこうして豊かになったが、逆にこの時点で、他国からすると征服するメリットができてしまったことになる。隣の村に貯えがあれば、征服することにより自分たちの貯えを増やすことができるし、余剰生産物を食べさせることにより、奴隷として使役することも、軍隊を組織することも可能となる。
つまり、弥生時代に続く古墳時代というのは、そういう時代だったと考えられるのである。
6.3. 2世紀の日本列島で最大勢力は出雲
西暦57年に倭奴国が後漢に朝貢し金印を下賜されたのは、逆に考えればその時代まで日本列島には、先進国である中国に使節を派遣できるような国力がなかったということである。その倭奴国が九州北部であるのは、九州が日本列島で最も早く、大陸の先進文化を吸収できたという地理的要因で説明できる。
その後2世紀になると、「倭国は大きく乱れた」と中国の史書にある。折りしも、弥生時代のさなかである。各地域において余剰生産物を巡って、征服〜支配の関係が生じてきたと考えられる。1世紀には九州北部に限られていた金属器の普及地域が徐々に広がり、生産性が向上し余剰生産できる地域が多くなったということである。
この時代、きちんとした道路を作るだけの余力はどこの地域にもなかったはずで、主な輸送手段は海路であった。ということは、九州北部にまず伝わった大陸文化が、ここから日本海沿岸、九州西岸・東岸、そして瀬戸内海と、船による輸送によって日本列島に広まったと考えられる。
イメージとしてはペルシャ湾沿岸からアラビア半島にかけて、油田のある海岸部に沿ってクウェート、サウジアラビア、バーレーン、UAE、オマーン、イエメンと各国が並んでいるように、古代日本列島においても物資の輸送が容易である海岸部に沿って、小国家が並存していたのではないか。繰り返しになるが、余剰生産力のない地域(内陸部)に領土を拡大しても、あまり意味がないのである。
そして2世紀の日本列島において、最大の勢力を持っていた地域は出雲だったのではないか。
というのは日本神話において、オオクニヌシの出雲が治めていた日本列島を、アマテラスの孫であるニニギノミコトが降臨して「国譲り」を受けたことになっており、これはおそらく歴史的な事実を背景としたものと思われるからである。3世紀の邪馬台国から7世紀初めのアマ・タリシヒコまで、中国側では同じ国が朝貢したとみなしており、それ以前で有力国家が成立しうる時期となると、2世紀が最も有力である。
山陰地方は現在、東京から行くのに最も不便な地域の一つであり、先進地域というイメージはないかもしれないが、中国・朝鮮半島から海路ということになれば、九州北部に次いで日本列島の中では便のいい地域である。
そして、弥生時代最大の遺跡の一つである出雲・荒神谷遺跡からは358本もの銅剣がまとまって出土している。銅剣が実際に武器として使用されたかどうかはともかく、この時代に銅は輸入品しかなかったはずなので、弥生時代の出雲が相当の経済力を有していたことは間違いない。
その経済力の背景となったのは、おそらく鉄製品と考えられる。鉄製品は錆びてしまうので、古代のものがそのまま出土することはほとんどないが、この地域では砂鉄が産出されることから、かなり古い時代から鉄製品を製造していたと考えられている。鉄製品は武器にもなれば、農具にもなる。
おそらく、最初は輸入鉄製品の模倣から始まり、徐々に国産化が可能となったのであろう。鉄鉱石から鉄製品にするのはそれなりに技術が必要だが、砂鉄を鉄製品にするのは比較的容易である。鉄製品の国産化は、さらに農業生産性を向上させ、日本列島のGDPを増大させたと考えられる。
出雲は鉄製品というベンチャー産業によって、日本列島の最先端地域となったのである。
6.4 神無月はなぜ10月か 〜 出雲が日本列島の中心であった時代
陰暦の10月を神無月(かんなづき)と言うが、出雲ではこの月を「神有月(かみありつき)」と呼ぶ。全国の神様がみんな出雲に集ってしまうので、出雲以外では神「無」月と称するという説があるが、「な」は現代の「の」に当たる助詞で「神の月」を意味するという説もある。陰暦6月は水無月(みなつき)と呼ぶけれど雨量が少ない訳ではないことからすると、おそらく後者の方が正しいようだ。
神無月の意味が「神の月」であったとしても、神様が出雲に集まった月であるという伝承を否定するものではない。そして、そういう歴史的事実は、実際にあったのではないかと考えている。つまり、収穫が終わり寒くなる前に、日本全国から出雲へ、鉄製品を求める人々が集まってきたのではないだろうか。
鉄製農具を使うことにより農業生産性が格段に向上したことは間違いないので、余剰収穫物が生じた地域は、それにより生産設備としての鉄製品を求めただろう。また、購買力を持った人が集まる地域には、他にも地域の特産物(織物や海産物、黒曜石などが当時でも広く交易されたらしい)を交換しようとする人々が集まってきたはずである。
自らは鉄製品という先端工業品を持ち、商取引の中心地にもなった出雲は、日本列島でも随一の経済力を持つ地域となったのである。荒神谷から出土した銅剣は、武器と考えると意味がよく分からないが、これを貨幣と考えると、当時の権力者が鉄製品の製造販売や、市場の提供(特産物交換の“場所代”)により蓄積した財産ではないかという推定が可能となる。
このことは古墳時代の他の銅製品、関西圏の銅鐸や九州圏の銅矛についても同様であるが、これらは後の時代の貨幣、つまり交換可能な購買力と考えるのが妥当ではないか。
つまり、後の時代には個人個人が銅銭を持って市場で商品を購入することになるが、2〜3世紀にそれができるのは「国」単位である。だとすれば、銅銭よりも大きな銅製品「銅剣」「銅鐸」「銅矛」が貨幣であったと考えてもおかしくない。銅は当時最も価値の高い金属であったし、「銅剣」「銅鐸」等にすれば秤量も容易になる(見た目で重さの見当がつく)メリットもあったと思われる。
さて、話は戻るがこの時代に、多くの国々にとって収穫は年一回だから、その収穫後の陰暦10月あたりに、出雲で大規模な交易が行われた。そうした伝承が、出雲に年一回神々が集まるという神話となって後の時代に受け継がれたのではなかろうか。
いまでも出雲大社の正殿の周囲には、全国の神々が集まってきて滞在するとされる建物がある。はるか昔の2世紀に、全国から人々が集まってきた名残りだと考えると、壮大なロマンである(当時の「国」は海岸に沿って展開していたと考えられるので、おそらく船を使って移動したものと思われる)。
ちなみに、古代の製鉄法とされるたたら製鉄は、砂鉄や鉄を多く含む鉱石(磁鉄鉱など)を原料として、高温に熱して叩き、不純物を除いた後に成形したらしい。このたたら製鉄が伝承されていたのは、出雲近郊の島根県安来地区である。日本列島最初のベンチャーである製鉄業が出雲でスタートしたという仮説と、非常にリンクしているのである。
そして、いったん入手した鉄製品を違う形に成型したり、壊れたものを修理するのは、最初に原料から作るのに比べて低い温度で可能だし、技術的にも難しくはない。だから、そうした二次加工は日本全国で行われたと考えられる(吉野ヶ里遺跡にもそうした施設と思われるものがある)。
そうした二次加工で製作されたものは、おそらく農機具や生活用品だけではなく、鉄剣や鉄の鏃(やじり)、つまり武器としての鉄製品が含まれていただろう。出雲のベンチャー産業であった鉄製品が全国に広まり、これが武器として成型し直されたことによって、近隣国への侵略、つまり「倭国大乱」につながったのではないか。
6.5 国譲り神話の元となった事件とは
日本神話が伝えるところ、古代出雲の覇権を大和朝廷が奪ったのは「国譲り」による平和裏な政権移行であったという。天上のアマテラスの孫にあたるニニギが、日本列島を治めよとの命をうけて地上に降り立ち(天孫降臨)、部下であるタケミカヅチが稲佐浜(いなさはま)において国譲りの折衝をしたと伝えられる(「いなさ」はYes or Noの意味である)。
この際、出雲の王であるオオクニヌシは、子であるコトシロヌシとタケミナカタが応じるのであれば自分は異存はない、と回答した。コトシロヌシとタケミナカタは紆余曲折あったがこれに同意したので、オオクニヌシは自分のために大きな社(出雲大社)を建てることを条件に、ニニギに統治権を譲って身を引いたとされる。
さて、以上が日本神話の伝えるところであるが、中国史書の中で、日本列島において話し合いで政権が移行したことを暗示する記事は一つしかない。魏志倭人伝の示す、次の事件である。
倭国乱相攻伐歴年、乃共立一女子為王。名曰卑弥呼。
倭国は乱れ、互いに攻撃し合うこと長きにおよび、共に一人の女王を立てることとした。その名を卑弥呼という。
卑弥呼擁立に際し、戦いに疲れた各国は、「共に一女子を立て」王とすることとした。つまり、武力による決着ではなく、話し合いで決めたのである。古代日本において、話し合いによる政権移行が図られたとみなせるのは、この事件だけである。
後の時代の倭の五王は、「祖先は自ら甲冑をまとい休む間もなく」他国を侵略したと誇らかに宣言している。また、隋に使者を送ったアマ・タリシヒコは、天子すなわち先祖代々の王者であると名乗っている。いずれも、話し合いにより権力を握った訳ではない。それ以降も、日本列島の権力者が、武力ではなく話し合いで決まった例など、明治時代まで下らなければ見出すことはできない。
むしろ、近代以前においては、話し合いで権力者を決めることの方が異例といっていい。そして、その事例が、中国の史書と日本の神話のいずれにも登場しており、しかも年代的にも近い。だとすれば、話し合いによる卑弥呼擁立が、オオクニヌシからニニギへの国譲り神話の元になった事件と考えるのは、決して突飛な発想ではない。
6.6 九州の覇権
2世紀末に卑弥呼が擁立されてから、7世紀の白村江まで、日本列島の覇権はずっと九州にあったと考える。
以前述べたように、魏志倭人伝の「郡至女王国万二千余里」(帯方郡から女王国まで一万二千里余りである)という記載を否定しない限り、陸行だろうが海行だろうが、邪馬台国は九州北部にしかならない。その後の倭の五王、アマ・タリシヒコいずれも邪馬台国の後継というのが中国側の認識であり、だいいちアマ・タリシヒコの国には阿蘇山があるのだ。
それでは、倭の五王が主張するところの侵略した他国とはどこなのだろうか。これは、おそらく農業生産力の向上(金属器の普及)により3世紀以降に国力を増した「卑弥呼連合」以外の国ではなかったかと考える。その中のいくつかは武力で対抗しようとしたが、その代表格が近畿であり、関東だったのではないだろうか。
イワレヒコ=神武天皇の東征は、常識的に考えると九州政権による近畿への派兵である。イワレヒコが、近畿政権の防衛線である速吸の門(はやすいのと:豊予海峡といわれているが、私は鳴戸海峡か来島海峡だと考えている。海流が急で船団の展開が困難な場所だからである)を突破し、大和盆地を攻略した。そのやり方も「撃ちてし止まん」(皆殺し)である。
まさに、倭の五王が高らかに宣言した、「毛人を制すること五十五国」の世界である。平安時代になっても、後の大和朝廷の人々は東北アイヌの棟梁であるアテルイを講和のふりをして殺しているし、さらに下って江戸時代には北海道アイヌのシャクシャインが松前藩にだまし討ちにされている。イワレヒコ=神武天皇の東征と、かなりの共通点がある。
ただし、この五十五という国数は、西の六十六、北の九十五と比べると少ない。これは、日本列島東部が当時それほど開けてはおらず、人口密度も低かったことを示していると考えられる。関東・毛野国あたりになると、狩猟を主な産業とする蝦夷=アイヌの国とそれほど差はなかったのではないだろうか。
さて、いったんは派兵して占領し現地司令官を置いた近畿地区だが、そのうちに現地勢力の巻き返しがある。統治する側にも後継者争いや内輪もめがあって、次第に本国=九州とは疎遠になっていく。そのあたりは鎌倉幕府が、最初は源氏将軍だったはずなのに、藤原将軍になり宮将軍になり、結局は執権の北条氏が実権を握ったようなイメージであろう。
九州から近畿への派兵と占領、現地司令官の派遣は、イワレヒコ=神武天皇の時と、ホムダ=応神天皇の時と、二度あったのではないかと思われる。おそらく、前者が3世紀、後者が4世紀頃のことと考えられる(これが、古事記の中巻と下巻の区分のもとになった)。その間、日本列島を代表して朝鮮半島にたびたび派兵し、中国と交渉していたのは九州倭国政権であった。
近畿=大和朝廷はこの時代まだ倭国の地方政権であり、後方支援の役割を担っていたと考えられるのである。
6.7 九州から大和へ
九州倭国は3世紀以降7世紀の白村江に至るまで、常に朝鮮半島への派兵を行ってきた。このことは広開土王碑文や、倭の五王から中国への依頼(新羅・百済等の将軍として任命するよう求めた)により裏付けられる。
この時代、巨大古墳のほとんどは大和・河内地区に集中しているが、このことを日本列島統一の証拠とする説が多い(歴史教科書もほぼこの論調で作られている)。だがおそらく実際には、九州倭国は国力のほとんどを朝鮮半島派兵に費やしてしまい、巨大古墳を作る余力がなかったというのが本当のところではないだろうか。
戦争と建設のどちらがよりGDPを必要とするかというと、それぞれの規模にもよるが、やはり戦争ではないかと思われる。この時代、古墳の建設はほとんどが土木工事であり、労働力とある程度の機材があれば可能なのに対し、戦争には輸送手段(船)、武器、食料および労働力が必要である。
そして戦争の場合、戦死という犠牲が生じる。これは単に戦力のマイナスというだけではなく、生産力のマイナスにもつながる。戦死者が増えれば、将来何年かのGDPは必ず減少する。言葉を変えると、再び新たな世代が生産年齢に達するまで、低成長を余儀なくされるということである。
だから、近畿に古墳が多いというのは、この地に中央集権的に権力が集中していたからというよりも、むしろ九州が朝鮮半島に進出を図っている間に、地方独自の財源(生産余力)によって建設されたとみるのが妥当である。日本列島の代表政権には、朝鮮半島の利権を奪還するという最優先課題があったはずなのに、古墳を作っているヒマがあったということは、逆にいうと中央とのつながりの薄い地方政権であったということである。
現代の感覚だと、九州と近畿は同じ政権が治めていて当然と考えがちであるが、源平の時代にも、南北朝・室町の時代にも、さらに戦国時代に至っても、近畿政権は九州を円満に治めていた訳ではない。ましてや古代に、近畿と九州が簡単に統一政権を作れたとは思われない。
これは、現代のわれわれが考えるよりはるかに、瀬戸内海の交通が安全・円滑なものではなかったことによるのではないだろうか。応神・仁徳時代の大遠征(私はこれが、倭王武による遠征ではないかと考えている)のような大規模なものを除けば、九州と近畿間のヒト・モノの交流というのはそれほど頻繁ではなく、九州軍団が引き上げた後、近畿の在来勢力が巻き返すことができたのではないかと考えるのである。
http://www.asyura2.com/11/test22/msg/905.html
08. 2011年8月10日 12:29:09: jHcvgo9Qjw
ところで、日本原子力研究開発機構の瑞浪超深地層研究所はどうなってるんだ?
http://www.jaea.go.jp/04/tono/miu/mium.html
まるでオンカロみたいにも見えるこの研究所。
瑞浪超深地層研究所の跡利用は
関係自治体の参加を得た跡利用検討委員会を設置して検討
って書かれてるけど。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/422.html#c8
72. 2011年8月10日 12:29:34: 6DfahBEmDY
54はまだ洗脳されてるな。
お台場なんかそこらの公園と変わりないんだよ。蛆テレビの周辺は公共度が高いのかよ。
そんなびくびくぶりってのがマスコミに国民になめられる証拠だ。
このての御仁には欧米のたまご投げも恐るべき犯罪行為としか映らないのだろう。
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/206.html#c72
43. 2011年8月10日 12:30:08: snKNzjHKTo
まずは東電を潰してしまうことが最優先されるべき。なんといっても国民の生命を危険に犯し、未だにそれに関わる情報を発表しない、直接の加害者である犯罪企業を存続させるなど、国会はまともではない。東電は国内、国外の全資産を公開して賠償させるとともに、その後消滅してもらう。それ以外の電力会社は発電事業のみに限定し、多数の企業が事業参入できるようにし、送電事業は新たに競争入札による事業とする。これが世界標準だろう。今までのは見かけばかりの民営事業でその実は国営事業といっても過言ではない。郵政民営化より民営化にふさわしい。日本は法治国家だ。犯罪を犯した企業、役人、学者、要人はお裁きにかけなければならない。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/388.html#c43
02. 2011年8月10日 12:30:34: MBPTB4QM0g
管理人さん、私は今年の7月からこのOISIXを利用させていただいております。
当初、OISIXも震災後の暫定基準値内の食品を提供していましたが、
お客様の放射能に対する問い合わせ、要望が非常に多く寄せられたため
今現在は震災前の基準値に従っています。
ホームページでも放射能への取り組みについて積極的に説明しており、
他の食品通販会社よりも真摯な企業努力を感じます。
私は最初からOISIXクラブに入会し定期的(毎週と隔週のどちらか選択可能)な
食品配送をしてもらっています。また、OISIX側が旬のお勧め商品をバランス良く
組み込んでくれ、期日までにその要不要の選択も可能です。
更に組み込んでくれる商品合計の価格帯もある程度選択できます。
私が入会した際は確か\4,000代、\6,000代、\8,000代の選択が可能で
最終的に「隔週の配達で\4,000代のコース」を選択しました。
家族形態も様々ですから、この選択肢の幅はとても便利だと思います。
勿論、OISIXが組み込んでくれる商品の他に欲しい商品があれば追加もできます。
定期的とは言え「今週は旅行に出掛けるから配送は不要」といった場合は
事前にキャンセルもできます。
入会金、会費は不要。退会もいつでもできます。
決して私はOISIXも廻し者ではありません。
一般のSMやGMSで購入するよりも確かに高価です。
これまで私は「生産者の顔を見て食品を購入する」なんてことは
全く考えていませんでした。
ディスカウントスーパーで食費を如何に抑えるかを考え、
大量に消費、無駄に廃棄するような生活を送ってきたことを反省しています。
震災以降、皮肉なことではありますが、
生産者の顔がはっきり見えることは消費者に如何に「安心」を与えて
くれているかを肌で感じています。そして何より「美味しい」。
「でも…」と思うのは
「東北関東の食品群を選択的に避けて、安心安全を求めて購入することは
これから何十年と続く汚染被害と対峙するとき、本当に正しいことなのか」と
自問自答する毎日です。
きっと小出裕章氏が提案するように「暫定基準値以下なら安全」といった
線引きではなく、全ての食品を流通させた上で汚染度と共に
20禁、30禁、40禁、50禁のような警告を表示して消費者が判断して
購入するようなシステムが必要なのかもしれませんね。
勿論、これには異論もありましょうが。
何はともあれ、OISIX、お勧めします。
http://www.asyura2.com/10/yoi1/msg/192.html#c2
08. 2011年8月10日 12:32:15: XTy6fnE6gU
>>07の続き。
リトワニア原発、リベート4000億円。
コムソモーレツとバサエフの行った、バルト民主化。
ソビエト連邦崩壊後、コムソモーレツのNATO、イスラエル鞍替え。
マグナBSP。
北朝鮮の軽水炉はラムズフェルトが役員の会社が販売の可能性。
ハン・スクドンの北人脈。
これが、『原発補償』なのか・・・。
北欧・スカンジナビアで銃乱射や・・ロンドンでは暴動が起きている。
欧州騒乱に底流しているのは、現代金融資本主義=グローバリズムが生み出した、鬼子の過激なローカルパーティーである。
移民自由化を危惧する、民族純化を求める原理主義の暴発と・・雇用差別に抗議するヒスパニックの暴発である。
その源流を探れば・・金融ユダヤが経営する、国境を越えた世界政府の市場寡占一極化、その軋みが引き起こした反乱だろう。
EU諸国のソブリン危機も元をただせば、リーマン危機でも生き延びた金融ユダヤによる、第二のリーマン危機である。経済状況が証券化金融バブルか、デフレ財政危機かのちがいである。
金融ユダヤの生き残りをかけた、金融戦争が「市場の国境」で起きておる。
そして、その「市場の国境」のなかに幽閉されたままの「非ユダヤ階層」の反乱が・・グローバリズム凋落の鐘を鳴らしておる。
米国ではティーパーテイが、イスラエルではアラブ系ユダヤ人が、中国天安門(赤色ユダヤ)では党員たちが鐘を鳴らしておる。
★ 米国の凋落は世界の凋落
http://www.y-asakawa.com/Message2011-2/11-message93.htm
格付け会社スタンダード・プアーズ社(S&P)の米国債の格下げが、世界の証券市場を揺るがしている。
サブプライム問題から発した2008年秋の株価暴落はショッキングではあったが、カラッとした面があった。しかし今回の急落には暗い絶望感が漂っている。なぜなら、世界の覇権国であった米国の凋落が背景にあるからである。
先のリーマンショック後には、米国政府は日本の国家予算を上回る70兆円近い資金を金融機関や自動車会社の救済に使い、景気の立て直しに力を注いだ。しかし、それがさしたる効果を産まなかったことは、実質的な失業率が10%を大きく上回り、大卒の就職率 が30%以下に落ち込んでいる現状を見れば明々白々である。
今回はこうした民間の経済悪化だけでなく、救済する立場にある政府そのものが火の車であることが明らかとなったのだから、政府による財政支援は期待するわけにはいかない。もしも 、そのようなことをしたら、世界は一気に米国を見限ることになる。私が今回の株価の急落は「暗い絶望感が漂っている」というのはそのためである。
我々は、今回は単なる経済の悪化という側面だけでなく、米国という世界の覇権国家の凋落という悲しむべき一面を見せていることを見逃してはならない。歴史を振り返れば、スペインやギリシャが凋落した後、英国がそれに代わって覇権国家となり、その後 、英国が衰退した後、米国が表舞台に登場し今日に至っている。
このように、これまでは世界の覇権国家が衰退するとその都度、次なる覇権国家が台頭して来ていた。誰もが考えるのは、今回、米国の後を引き継ぐのは中国である、ということである。しかし、その中国の今の社会情勢はそれに応えるられる状況ではない。
経済的な発展はめざましいが、いつ暴動が起き、共産党政権が転覆するかわからないのが現状である。こんな状態で世界の覇権国家になれるはずがない。
だからこそ、今回の経済的危機、財政的危機は暗く絶望的なイメージがつきまとうのである。そして、米国の凋落は世界の凋落でもあるのだ。
米国は「負債中毒を治療」し「収入に見合った生活」を!!
それにしても、先の米国債の格下げが発表された後の中国の反応は、米国国民に相当のショックを与えたはずだ。中国から発せられたメッセージを一言で言うなら、「米国よ、米国国民よ、いい加減に自分たちの背負った借金の大きさに気づき、身の丈にあった生活に切り替えよ!!」というものであった。(抜粋)
★ イスラエルの凋落が始まった
http://rockway.blog.shinobi.jp/Entry/607/
イスラエルが中東で随一の軍事大国であり、そのためどんな悲惨な状況がガザで生じても、アラブの同胞国家らはなにもできなかった。イスラエルはそれをよく知っているからやりたい放題のことをパレスチナ人に対して行ってきた。
しかしここに来て、中東では「アラブの春」の嵐が吹き、その風はイスラエルにまで到達しつつある。従ってこのブログでは「アラブの春」は「中東の春」へと変化しつつあると指摘した。
またアメリカに依存しているイスラエルはアメリカがコケれば、その安全保障面で危機が出来する、と指摘してきた。
現在、イスラエル内での民衆の蜂起と、アメリカの国債格下げを原因とする株式市場の急落、という2大ショックに見舞われて、イスラエル政府はこれからは、今迄どおりの武断的で傍若無人的な外交政策はできなくなりつつあることを認識していかねばならないだろう。ようするに、中東でイスラエルの「お山の大将」の時代は終わりつつある、ということ。
そしてこの「アラブの春」、「中東の春」は、やがてヨーロッパへと飛び火しそうであり、その先にはアメリカが待っているし、中国が待っている。これは経済・金融崩壊問題とリンクし、お互いがお互いを刺激しながら、世界は動乱の世界へとなだれ込んでいく。
その先にあるものは、人間が築いてきた「文明」なるものが、いかにはかないものであるかを思い知らされる状況であり、自然の奥に存在する、「見えざる存在」への畏怖と崇敬、それを基盤とする新しい文明形成の胎動であろう。その時、この世で栄えてきた者たちの多くは次にやってくるその世での栄えを共にしていないであろう。
★ 離脱者、ついに1億人突破 中国共産党の凋落が進んでいる
http://www.epochtimes.jp/jp/2011/08/html/d62781.html
【大紀元日本8月9日】大紀元時報が2004年12月に発表したシリーズ社説は、中国共産党の知られざる歴史事実を世に明らかにした。中共およびその関連組織である中国共産主義青年団(共青団)と中国少年先鋒隊(少先隊)の3つの組織から離脱する「三退」の動きが中国全土で広がり、今月7日、離脱者はついに1億人を突破した。
脱者数の内訳は、中国共産党からの離脱者が38.4%、共青団からの離脱者が22.2%、少先隊からの離脱者が23.7%、不明15.7%となっている。この割合から類推すると、離脱者が1億人を超えた現在、中国共産党からの脱党者数は3千万人ということになり、全党員8千万人の4割弱に及ぶ。脱党者の中には、中央政府官僚、各地方政府幹部も含まれており、脱党の動きは中国の各社会階層に広がっている。
・なぜ、三退をするのか、
多くの中国人は中共に対して、ある種の幻想を抱いていた。きっと中共が「守ってくれる」というもので、不平不満を抱きながらも中共の改革に期待していた。しかし国民は気づいた。つまり、中共は誕生以来悪事を尽くしてきたということ、そして、中共は「守ってくれない」だけでなく、その存在自身が問題の根源であるということを。
ならば、この党との関係をどう断ち切るか。中国問題の専門家で、米国在住の華人・章天亮氏は、中国人は流血よりも理性的な道を選んだと指摘する。つまり、中国共産党とその関連組織から離脱し、もっとも平和的な手段で中共を解体させるということだ。
近年、中国社会では対立が激化し、大規模な抗議活動が毎日のように勃発している。温家宝首相の政府報告書もこの社会問題を認めている。国中に中共への不満や鬱憤が噴出し、多くの国民は体制崩壊を望んでいる。つまり高速鉄道の重大事故であろうと、その他の突発的な事件であろうと、国民は中共に対して堪忍袋の緒が切れる寸前の状態にある、ということだ」と章氏は分析する。
・中国の人権活動は脱党ブームを推し進める
三退の動きがますます世に広がる中、多くの中国人が自ら脱党を申し出ている。最近では、湖北省の黄岡市煙草公司の「維権」(合法的権利を守る)党員がグループで脱党を公に宣言した。脱党支援センターの責任者・李大勇氏は「これは新たなステップである。今後、このような集団での脱党は増え続けていくであろう」と述べた。
最近の脱党ブームの特徴について、李大勇氏は、「今年に入って、民衆は去年よりも中共を恐れなくなり、脱党を快く受け入れている」と述べた。
・三退が未来の中国に与える影響
さらに李氏は、「中国の長い歴史からみると、黒い雲が一時的に中国の大地を覆っていたに過ぎない。この黒い雲が追い払われると、中国の民衆は二度と中共の影響を受けなくなる。真の意味で独立かつ自由になっていく。普遍的な価値を有する国の民衆と同様に、人間の自由という基本的な権利を得られる。その状況において、彼らも今の世界中のほかの国のように、普遍的な価値観で生活し、仕事する。私が思うには、中華民族はそれで新たなページを開くことができる」と述べた。(抜粋)
73. 2011年8月10日 12:39:49: qMgd17wAMA
>>30
テレ朝、サッカー日韓戦の猿真似問題で旭日旗を捏造報道!
http://alfalfalfa.com/archives/2059078.html
韓国メディア発信で検証せずに紹介した件ですが
こんな事もあるから、実物見るまで信じられませんねぇ。
(日時、場所の捏造も去る事ながらズームしたら旭日旗でも無い事が分かります)
>>30以降無視されてますし、推して察するべきなのかもしれませんが
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/206.html#c73
01. 2011年8月10日 12:41:04: eCniQu8uTI
刑事告発されている山下被告の言いなりになり将来、後悔しても手遅れだ。
今のうちにできるだけのことはしておかなければならない。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/428.html#c1
02. 2011年8月10日 12:41:51: 5JETSRixgQ
米国国債を大量買いすると
円高を促進するのか??
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/684.html#c2
48. 2011年8月10日 12:42:06: 7ypKHFgTT2
生協。3週間前に嫁に辞めてもらった。
退会する人が非常に多いようで退会担当という人が電話口に出てきた。
以前辞めようかと思い嫁が電話した時には退会用なんていう担当はいなかったと言うが。
組合員番号というものも向こうで教えてくれたし
怒ってみたら書類も生協側が出しておいてくれて何もせずすぐ退会することが出来た。
健康・生命保険は多少時間もかかり通常通り書類を記入後送ったりもしたが
基本的にどの部署担当の人にも申し訳なさのような雰囲気が漂っていた。
放射性物質の話しを持ち出すと担当者の声が震えだし安全と認識していると言い続ける声が
消え入りそうでここの社員は絶対に自社で扱う食べ物を買っていないなと思った。
何にせよ社員ですら何か半信半疑の応答だったけど、これでいいのか生協。
客離れが続いて大事な生産者さん達を返って困らせることになるんじゃねーのか?おい。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/380.html#c48
またたきの間に天地引繰り返る樣な大騒動が出來るから、くどう氣つけてゐるのざ、
さあといふ時になりてからでは間に合はんぞ、用意なされよ。
戰の手傳ひ位なら、どんなbでも出來るのざが、
この世の大洗濯は、われよしのbではよう出來んぞ。
この方は元のままの身體(からだ)持ちてゐるのざから、
いざとなれば何んなことでもして見せるぞ。
仮名ばかりのb示と申して馬鹿にする臣民も出て來るが、
仕まひにはその仮名に頭下げて來ねばならんぞ、
かなとは (カミ)の七(ナ)ぞ、bの言葉ぞ。
今の上の臣民、自分で世の中のことやりてゐるように思うてゐるが、
みなbがばかして使つてゐるのに氣づかんか、
氣の毒なお役も出て來るから、早う改心して呉れよ。
年寄や女や盲、聾ばかりになりても、まだ戰やめず、
bの國の人だねの無くなるところまで、やりぬく惡の仕組もう見て居れんから、
bはいよいよ奧の手出すから、奧の手出したら、
今の臣民ではようこたえんから、身魂くもりてゐるから、
それでは虻蜂取らずざから、早う改心せよと申してゐるのぞ、
このことよく心得て下されよ、
bせけるぞ。
八月二日、ひつ九のか三。
ひふみb示 下つ卷 第二十八帖 (七〇)
自分達の敵對・反對勢力を「白村江の戰い」に據つて壞滅させ、
唐に據る軍事占領體制を誘發せしめ、
倭國(蝦夷[エミシ])勢力を抹殺、解體・改造した。
其れはまさに
陸軍皇道派青年將校を嗾して暴發せしめ、
2.26クーデーターを決起せしめ此れを速やかに鎭壓、
戰爭擴大最大の障壁であつた陸軍皇道派を粛清、
計劃的自滅戰、滿洲事變、上海事變から支那事變へ、
そして大東亞戰爭へを開戰せしめ、
敗戰に據るGHQ軍事占領下での敗戰革命へと驀進して行つたやうに。
藤原不比等編纂『日本書紀』曰く
「蛇(をろち)と犬(いぬ)と相交(つる)めり。
俄(しばらく)ありて倶(とも)に死ぬ」
近衞は首相に就任した時點で捨て駒として處理される事は決まつてゐた。
ゆゑに計劃の核心部分は本當に知らされてゐなかつたのだらう。
此のやうに五攝家の筆頭であらうとも、必要と有らば躊躇無く切り捨てる。
現代日本の閏閥(けいばつ)を牛耳る藤原氏
『日本書紀』は、蘇我入鹿こそが、天皇家をないがしろにした、という。しかし、中
臣鎌足が天皇家のために身を粉にしたかというと、大きな疑問符がつきまとう。
藤原氏は中臣鎌足以来、つねに日本の頂点に君臨しつづけた。しかもそれは、一貫
して、「天皇家のため」ではなく、自家の繁栄のためだったように思えてならない。
それは、この一族の生まれつきの習性であったようにも思えるのだ。
その習性、伝統は、古代から近代、現代にいたっても、まったく変わっていないの
である。そして、藤原氏にとって「天皇」とは、自家の繁栄を継続するための道具に
すぎなかったのではなかったか。
じっさい、現代に至っても、藤原氏は「天皇にもっとも近い一族」という立場を利
用し、目に見えない閨閥を作り上げてしまっているのである。
そこでこのあたりの事情を、現代史に焦点を移してすこし説明しよう。
太平洋戦争の戦前戦中、三度総理大臣の座に就いた近衞文麿は、昭和天皇に政務を
上奏するとき、椅子に座り、足を組んだままで、涼しい顔をしていたという。
もちろん周囲の顰蹙(ひんしゅく)を買ったが、このような不謹慎が許されたのにはわけがある。
近衞氏が藤原五摂家の筆頭だったからにほかならない。
五摂家は七世紀の大物政治家・藤原不比等の四人の男子、武智麻呂(むちまろ)、房前(ふささき)、宇合(うまかい)、
麻呂(まろ)のなかの、房前の末裔、藤原北家(ほっけ)が五つの家に別れ(近衞、九条、二条、一条、
鷹司[たかつかさ])、平安時代以来、明治にいたるまで、代々摂政と関白を輩出する一族として、
貴族社会の頂点に君臨してきたのである。
これは余談ながら、藤原五摂家の末裔は、現代社会にも、大きな影響力をもってい
る。
例えば、近衞文麿は戦時中、陸軍の暴走をおさえようと東条英機暗殺計画を練り、
これを「大化改新」になぞらえ、悦に入っていたという。計画は未遂に終わったが、
藤原の末裔であることを、文麿はつよく意識していたわけである。
この近衞文麿の祖父・忠熙(ただひろ)は左大臣として朝廷の頂点にあって公武合体を推進した
人物だった。この忠熙の夫人は島津藩主の娘で、さらに忠煕の子・篤麿(あつまろ)の夫人は加賀
藩前田家の女人と、近衞家は当時の有力氏族との間に、さかんに門閥(もんばつ)を形成していた
のである。
文麿の夫人は豊後佐伯(ぶんごさいき)藩主家の千代子で、千代子との間の二女・温子(よしこ)が細川護貞(もりさだ)に
嫁いだ。細川は、熊本藩主の流れであり、細川ガラシャで名高い。護貞と温子の間に
生まれた子が、元首相・細川護熙(もりひろ)で、さらにその弟の護輝(もりてる)が、近衞家に養子に入って
いる。
このように、近衞家の織りなした閨閥は、旧華族を中心にくり広げられ、華麗なる
一族を形成する。
藤原氏の末裔氏族の中で、近衞家以上に幅広い閨閥を作り上げたのは、西園寺(さいおんじ)家で
ある。
西園寺家は五摂家の一ランク下の清華(せいか)家に当たる。それにもかかわらず西園寺家が
名を馳せたのは、公望(きんもち)の活躍に負うところが大きい。
西園寺公望は勤王公卿(くぎょう)として華々しくデビューし、その後自由民権運動を展開、さ
らには、最後の元老として名高く、軍部の暴走、ファシズム化に最後まで抵抗した人
物として知られる。
西園寺公望には一人娘の新がいて、毛利家の八郎が婿入りした。
二人の間に六人の子が生まれ、西園寺家の閨閥を形づくっていくこととなる。
代表的なのは二女春子が住友財閥家に嫁いだもので、それ以前、住友家は徳大寺(とくだいじ)家
とも姻戚関係を結んでおり、藤原の血をつよく引き入れたのである。この住友財閥家
と西園寺の間の子たちが広く閨閥を形成していき、
西園寺家はまさに、我が国の代表的支配階層の家系を横断的に綱羅している(『門
閥』佐藤朝泰 立風書房)
というほどの、強固な網の目を、現代社会に張り巡らしていったのである。
昭和天皇の前で足を組んだ近衞文麿
それにしても、藤原氏という存在は、いかにして古代から現代にいたるまで、日本
のエスタブリッシュメントの地位を占めつづけてこられたのであろう。
彼らの「権威・権力」は、天皇に女(むすめ)を入れ、皇后とすることによって保たれてきた
ものだ。奈良時代よりこのかた、皇后のほとんどは藤原系に牛耳られ、天皇家の血は、
藤原で塗りつぶされたといっても過言ではないほどなのである。したがって、近衞文
麿の胸中に、「天皇」は「藤原の子」に過ぎないという意識がなかったといえば嘘に
なろう。
じっさい、「天皇」は、藤原氏の権勢を保持するための道具であった時代が、長く
続いたのだ。
ちなみに、なぜ権力を持たない「天皇」が政争の道具になり得たかといえば、八世
紀に整備された律令という法制度の元で、「天皇」から超法規的な命令を引き出すこ
とによって(正確には引き出すのではなく、言わせるのだが)、政敵を倒すことがで
きたからである。
すなわち藤原氏にとって、法治国家にありながら、法を曲解、無視することのでき
る魔法が、「天皇」の存在だったわけである。
その魔法の杖を支配するための手段が、「姻戚」である。
「この世をば我が世とそ思ふ望月の……」と詠った道長は、娘の三人を皇后にするこ
とに成功している。皇后の生んだ子がもっとも有力な皇位継承候補になるのであって、
その皇子たちを、藤原は「我が子」として飼い慣らしていったのである。そして、藤
原氏の意に背く天皇は強引に退位させられた。こうしておけば、藤原権力は安泰であ
る。
このように、奈良時代から平安時代にかけて、藤原氏は律令(法律)と天皇を支配
することに奔走した。律令を自家の都合のいいように解釈し、それでもだめなら、
「天皇の命令」という魔法を用意し、朝堂を独占したのである。
近衛文麿は、こういう歴史を背負っていたからこそ、昭和天皇の前で足を組んだの
であろう。
関裕二氏著「藤原氏の正体」
第一章「積善の藤家」の謎
現代日本の閏閥(けいばつ)を牛耳る藤原氏
昭和天皇の前で足を組んだ近衞文麿
五十六頁據り
NHKテレビで西園寺が「あの戰爭は俺達がやつたんだ」とニヤニヤし乍ら語つてゐた事は、今も腦裏から離れない
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/365.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 2 月 27 日 16:28:05: yX4.ILg8Nhnko
イルミナテイーカードの一枚にある「Japanカード」 眞珠灣奇襲攻撃 あんたらのやらうとしてゐる事は解つてゐる
http://www.asyura2.com/10/warb6/msg/388.html
投稿者 不動明 日時 2010 年 11 月 13 日 03:05:17: yX4.ILg8Nhnko
あんたらが自作自演核テロと尖閣諸島周邊海域での偶發を裝つた武力衝突、第二の盧溝橋事件を再び企ててゐる事は既にバレてゐる
http://www.asyura2.com/10/warb6/msg/741.html
投稿者 不動明 日時 2010 年 12 月 03 日 01:23:40: yX4.ILg8Nhnko
中共の核武裝に全面協力したのは佛魔百濟勢力藤原五攝家だつた
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/363.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 2 月 27 日 02:05:04: yX4.ILg8Nhnko
藤原五攝家に據る日本核武裝論中共側最大の功勞者 江沢民の知られざる?事実・経歴 出身大学、実は…… [サーチナ]
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/753.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 7 月 12 日 01:58:09: yX4.ILg8Nhnko
常識で考える日本古代史
5.3 白村江前夜
http://www1.rurbannet.ne.jp/~papas/joshiki-nihonshi/story/sec5_3.htm
5.4 白村江の戦い
http://www1.rurbannet.ne.jp/~papas/joshiki-nihonshi/story/sec5_4.htm
5.5 実像の天智天皇
http://www1.rurbannet.ne.jp/~papas/joshiki-nihonshi/story/sec5_5.htm
5.6 壬申の乱再考
http://www1.rurbannet.ne.jp/~papas/joshiki-nihonshi/story/sec5_6.htm
日本古代史の真相
http://www1.rurbannet.ne.jp/~papas/joshiki-nihonshi/story/sec6_1.htm
5.3 白村江前夜
5.3.1 白村江と倭国の百済支援
この時期の朝鮮半島情勢を知る一級資料は、日本書紀である。
これまで日本書紀には信用できない部分が多いと書いているが、これは中国・朝鮮半島から検証することのできない日本国内の記事についてであって、対外的な記事については信用していいのではないかと思う。なぜなら、そこに明らかな間違いが書いてあれば、日本書紀そのものが信用されないからである。
現在みることのできる日本書紀は、漢字かな交じり文で書かれている。これは、現代の日本の読者にはそうでないと読めない(それをさらに現代文に訳すことも多い)からで、もともと日本書紀は漢文(中国語)で書かれている。当時の朝鮮半島や日本は中国語文化圏であった。(ひらがなができたのは平安時代。ハングルはもっとずっと後)
つまり中国・朝鮮半島の人々にとって、同時代に自国語で書かれている文書であるから、日本書紀を入手すればその内容をすぐに精査することができる。だから日本書紀の作者としては、特に中国・朝鮮半島の記事については、可能な限り正確な記事を書く必要があった。そうでないと、日本書紀そのものの信憑性が問われることになるからである。
唐が滅亡してから後に編纂された国書「旧唐書」「新唐書」において、日本についての記事の中に日本書紀から引用されたと思われる部分がある(歴代天皇など)。これは、中国側が日本書紀に一応は信用を置いている、ということであり、この点からみても当時の中国・朝鮮半島の記事について信用することができる、とみる。
従って以下では、日本書紀の記事から白村江前後の状況を検討してみたい。念のため付け加えると、信用できるのは中国・朝鮮半島から検証可能な対外的な部分であって、そうでない国内の動きについては後の政権(日本)にとって有利なことしか書いていない、という前提は変わらない。
さて、朝鮮半島情勢が風雲急を告げたのは、西暦661年である。この年の7月、斉明天皇が崩御されたのと同時期に、唐軍が高句麗城下に進軍したとある。
そして日本書紀によると、皇太子である中大兄皇子は即位せず、天皇とならずに戦争を指揮したことになっている。これが本当だとすると、この時期、日本は国家元首がいないまま戦争状態に突入したことになる。そして中大兄皇子はこのまま、白村江の戦後処理が終わるまで天皇とはならない。
このことが何を意味するかについては諸説ある。中大兄皇子が実の妹であり先代・孝徳天皇の皇后でもある間人大后(はしひとのおおきさき)を妻としていたから、という説もある。しかしどのような理由があろうとも、勝戦国が、敗戦国の元首の責任を問わない、などということは考えられない(特に古代)。
ということは、中大兄皇子は当時唐と交戦した倭国の責任者ではなく、白村江の戦後処理に伴って、日本列島の主(唐からみると日本国王)として認知された、と考えるのが自然ではないだろうか。この問題は後でまた検討することとして、この時代、斉明天皇が崩御してから天智天皇が即位するまでの7年間を「天智称制」と呼ぶ。
朝鮮半島に話を戻すと、唐軍の進軍に伴う対策として、翌月から翌々月(8月〜9月)にかけて倭国から百済に武器、食料の援護、そして援軍五千が送られている。唐が高句麗を攻撃する一方で、新羅が百済に攻勢を強めたからである。
さて、この五千という数、当時の倭(日本)の国力から見て、どの程度の負担となったのだろうか。
5.3.2 倭国の支援はどの程度の規模だったのか
百済支援にあたり、倭国は最終的に二万七千の援軍を送ることになる。この数が累計なのかその時点での追加支援なのか不明であるが、少なめにみて累計と考えることにする。
われわれが同時代の戦争として、TV番組等で知識を持っているのは太平洋戦争(第二次世界大戦)である。最終的に日本軍の総兵力としては800万人前後(陸軍550万人、海軍250万人)とされるが、よく指摘される「員数主義」(形式的に数だけ合わせておく)や国内に残存する軍備等から考えて、外地に展開されていたのは200万人前後と考えられる。
さて、昭和20年の人口は国勢調査で分かっていて、約8200万人。これに戦没者300万人を加えると8500万人。この総数に対して800万人が兵力で、うち200万人が外地に展開されているということである。
さて、白村江当時の日本列島の人口はというと、おそらく200〜300万人前後ではなかったかと推定される。
現在の日本の人口は約1億2千万。江戸時代の人口はほぼ2千万人で安定しており、これが100年間でほぼ6倍になったのは、工業化によりより多くの食料が確保できるようになったことと、医療水準の向上により死亡率が下がったことによる。
江戸時代の人口2千万人にまで増えた要因は、金属製農具の普及と牛馬による生産力(および輸送力)の向上であり、具体的には武装農民(=武士)による新田の開発によって増産が可能となったことによる。それ以前(平安時代前半)の日本列島の人口は、おそらく5〜6百万人前後であったと推定される。
白村江はさらにそれ以前である。金属製農具が普及していない以上農業生産はそれほど大きくはなく、魏志や隋書の記事にあるように、半農半漁の生活をしていたと思われる。人口として維持できたのは多く見積もって3百万人前後であろう。
さて、人口3百万人のうち2万7千人を海外派兵するという規模は、割合とすれば太平洋戦争の3分の1程度であるが、相当に高い比率ということはお分かりいただけると思う。さらに、当時は道も輸送手段も整備されておらず、太平洋戦争と違って工業が発達していないので、船さえ十分なものは作れなかったはずである。
そうした中でとりあえず5千人を派兵するというだけで現代の数十万人にあたるだろうし、最終的な2万7千人は太平洋戦争の2百万人に匹敵する負担、と考えることは、それほど的を外れているとは思われない。
5.3.3 太平洋戦争クラスの派兵に、県の部長クラスが指揮?
国力の相当部分を傾けた戦争を指揮するのに、どのような人物が現地司令官であるのが自然だろうか。特に考えなくてはならないのは、7世紀には無線も電話もなく、指揮命令は人力に頼らなくてはならないことである。それなりの格を持った人物、最高司令官ないし少なくともその次のクラスでなくてはならないだろう。
さて、斉明天皇七年(661年)の唐軍の攻勢を、高句麗は再びしのいだ。これは日本書紀には、「厳寒で河川が凍結したため」と書かれているが、通常の場合河川の凍結は輸送を容易にするので攻め手(この場合は唐)に有利なはずである。とりあえず、寒地装備が十分でなかったため退却した、と読んでおくことにしよう。
翌、天智称制元年(662年)、気候が暖かくなると再び唐軍が来襲する。百済にも、新羅の攻勢がある。この年の12月、百済首都の州柔(ツヌ)城で重要な会議が持たれる。議題は、百済首都の移転についてである。
豊璋王をはじめとする百済の意見は、「山城であるツヌにいつまでも篭城していては、食べるものがなくなってしまう。平地の避城(ヘサシ)に都を移すべきである」というものであった。これに対し倭国の意見は、「ここ(ツヌ)にいるから新羅が攻めてこれないのであり、ヘサシに陣をひいて守ることは困難である。腹が減ることよりも、滅亡しないことが大切である」というものであった。
この意見を述べたとされるのが、朴市多来津(エチノ・タクツ)という人物である。詳しい素性は不明で、近江の豪族だという。日本書紀の中では、この百済滅亡〜白村江のくだりにしか登場しない。位階は小山下(しょうせんげ)というから、後の官位でいうと従七位下、司令官でもなければ高官とすら呼べない。
しかし、考えてみてほしい。例えば今日の六ヵ国会議で北朝鮮問題を議論している中で、県の部長クラスが会議のメンバーとして発言し、他国の首脳に意見するなどということがありうるだろうか。仮に意見があったとしても、それをしかるべき立場の者に伝え、その人の意見として会議において表明するというのが普通ではないのだろうか。
今と違って昔はそういうことにうるさくなかった、という説明は困難である。昔の方が、身分上下による差別は比較にならないほど大きい。さらに、このエチノタクツ、後段の白村江における奮戦でも記事になっているのである。
ここから考えられることは、おそらくこういうことである。エチノタクツという人物がいたことは確かであろうが(記載のとおり派遣軍の中級役人として)、ここに書いてあることは彼がしたことではない。本当は白村江の戦いの重要人物であるのに、日本書紀としては「いなかったことにした」人物がしたことなのではなかろうか。
ずばり、その人物とは倭国王である、と考えている。この時点まで、日本列島を代表する政権の責任者として認知されていた人物(大和朝廷の天皇ではない)がいて、その人物が百済滅亡から白村江においても重要な役割を果たしていた。しかし、天皇家が万世一系で日本列島を治めていたというのが日本書紀の建て前であるので、その人物の実名は書けなかった。
このエチノタクツに仮託された人物が、隋書のアマ・タリシヒコの後継者(子供か孫)であり、この時点でオオキミと呼ばれていたのではないか。そう仮定すると前後の事実と非常によくつじつまが合うのである。
5.3.4 百済滅亡の3つの要因
さて、結論からいうと翌、天智称制2年(669年)に百済は滅亡することになるのだが、その大きな要因となった3つの失敗がある。それ以前に、「唐に味方しなかったこと」が最大の失敗なのだが、これは民族の自立という理由もありやむを得ない面もある。
第一の失敗は、エチノ・タクツ(実際には、同盟軍である倭国王とみる)の意見にもかかわらず、遷都を強行したことである。百済王の思惑通り収穫の時期まで持ちこたえられればまた違ったかもしれないが、実際には平地のヘサシに遷都して早々の2月には、新羅の攻勢の前に首都の確保が困難となってしまった。
都を移すということは、物資と人員という資源を移動するということである。そして、相手の攻勢を受けて首都を放棄するということは、物資(特に食糧と兵器)の多くを置いたまま逃げ出すということである。ただでさえ食糧を心配していた百済王は、余計な遷都をすることによってさらに物資が乏しくなったものと考えられる。
第二の失敗は、むしろ唐・新羅の諜報活動を誉めるべきかもしれないが、百済内部で対立を起こしてしまったことである。この時代の百済は正確には復興・百済であり、原・百済は斉明天皇七年(660年)、義慈王が唐に降伏していったん滅びている。復興・百済はもともと倭国にいた豊璋王と重臣・鬼室福信(きしつ・ふくしん)のいわばレジスタンス政権である。
この政権において、豊璋王と鬼室福信が対立し、鬼室福信は謀反の疑いで斬首されたのだから、攻める側にとっては相手の守備力が半減したということである。福信が処刑されたのが6月、それを知って新羅が山城であるツヌにまで迫ってきたのが8月。電話もインターネットもない時代に、おそろしく早く情報が流れている。やはり、何らかの工作があったとみるべきであろう。
第三の失敗は、戦力を分断されたことである。この年、倭国から百済に派遣されたとされる兵力は2万7千。この時代の人口を考えると、国力を傾けた派兵であることはすでに述べた。そして、日本書紀の記載をみると、山城であるツヌを守る兵力と、倭国の主力とみられる兵力が、どうやら分断されているのである。
ツヌを包囲しているのは新羅軍であり、ツヌへの入口にあたる白村江の河口で待ち伏せているのが唐の水軍である。そして倭軍はツヌを支援するため、まず唐の包囲網を突破して、ようやくツヌの支援ができるという状況なのである。百済と倭国本軍との間に、いつの間にか唐と新羅が割り込んでしまっている。
前年12月の段階で、百済王とエチノ・タクツが作戦会議を行っているくらいだから、この時点では倭国と百済は分断されていない。しかし、翌夏にはこういう状況となっている。やはり、戦術的なミスがあったというべきであろう。あるいは、倭国の反対にもかかわらず百済が遷都を強行したことで、倭国王がへそを曲げていったん国へ戻ってしまったというのが真相かもしれない。
5.4 白村江の戦い
5.4.1 白村江当時の状況
天智称制2年、西暦663年8月。百済最後の拠点である州柔(ツヌ)城に新羅の軍勢が迫る。百済・豊璋王は城兵を前にこう言った。「もうすぐ、倭国の援軍1万が到着する。それまでの辛抱である。私は、白村江まで援軍を迎えに行く」
百済が食糧の確保をめざして、平野部のヘサシに一時首都を移転したことはさきに述べた。しかし、移転からわずか2ヵ月、新羅の攻勢の前にヘサシを放棄、豊璋王以下はツヌに戻っている。そして6月、百済内部の内輪もめにより重臣であり武将でもある鬼室福信が処刑されたのを知り、新羅は城を包囲したのである。
ここで当時の状況について再度整理してみたい。
唐と新羅が同盟し、百済は高句麗・倭国と組んでこれに対抗している。国力としては圧倒的に上位にある唐が攻勢を強め、663年秋の時点で、高句麗は朝鮮半島北部(現・北朝鮮)に釘付けとなっている。その間、新羅が朝鮮半島南部(現・韓国)を勢力下におき、百済は白村江上流のツヌ城に包囲されている。唐は新羅応援のため、白村江河口に軍団を集結させた。
白村江は現在の錦江であり、その下流域は現在の韓国でいうと全羅北道と忠清南道の境界を流れている。朝鮮半島南端から200kmほど北上した地点である。対馬対岸の釜山から朝鮮半島南西端の木浦(モクホ)あたりまで300km、九州北岸から釜山までさらに200km、倭国の軍団が九州北岸から出発したとしても700kmにわたる遠征である。
そして、百済を支援しようとする倭国がしなければいけないことは、孤立しているツヌ城に物資−食糧と武器−を補給することである。そのためには、まず白村江河口に展開している唐の包囲網を突破し、さらにツヌ城を包囲している新羅を撃破して、ようやく戦争目的を達することができる。単に、白村江河口の海戦に勝てばいいというものではないのだ。
さて、その軍事目的を達成するだけの装備を、倭国は有していたのだろうか。まず最初に輸送力を考えてみると、約500年後の源平・壇ノ浦の戦いにおいて潮の流れが戦局を一変させたように、この時代の船には動力はない。風力、潮力、人力で動かさなければならない。義経が八艘飛びしたくらいだから、大きさも大したことはない。おそらく漁に使っていた船、中国沿岸でジャンク船と呼ばれるものと大きく違ってはいなかっただろう。
その動力がない小さな船で、仮に倭国からの出発地点が九州北部だったとしても、壱岐、対馬を経て釜山、さらに朝鮮半島南岸から西岸を白村江まで、700kmにわたる航行をしなくてはならない。潮の流れにもよるが移動日数の単位は「日」ではなく「週」、場合によっては二〜三ヵ月を要したとしてもおかしくない。
さらに作戦目的が物資の補給であるから、最終目的地のツヌに届けるための食糧や兵器という積荷がある。目的地に着くまでには戦争をする訳だから、兵士も空腹という訳にはいかずその分の食糧も兵器も必要である。となると、朝鮮半島のどこかに補給基地がないと作戦目的を達成するのは難しい。しかし、白村江までの道のりは663年秋の時点で、すべて敵国・新羅の勢力圏なのである。
5.4.2 戦力の差は顕著
補給基地については、日本書紀に将軍・上毛野君稚子(かみつけぬのきみ・わかこ)が6月に新羅の城を2つ落としたとあるので、もしかするとこれなのかもしれない。ただし、周りがすべて新羅の勢力圏だとすれば、水の補給や兵の野営などは可能であったとしても、本来の意味での補給−食糧や武器の補充−には限界があったと思われる。
いずれにしても、ジャンク船程度の輸送手段で、倭国を出てから十分な休息や補給ができなかったと思われる倭国軍に対し、唐はどうだったろうか。中国における大規模な海戦というと、赤壁の戦い、つまりレッド・クリフがあるが、これは白村江より400年前。この時代すでに、唐はある程度の規模を持った軍船を有しているのである。
日本書紀によると、唐軍の軍船は170艘。一方倭国の軍船は400艘(旧唐書)とも1000艘(三国史記)ともされる。日本書紀の記述からみる限り、兵の人数的には倭国の方が少なかったと思われるので、いかに倭軍の軍船が小規模であったかということである。
輸送力においてそのような差があった上に、武器の性能という点でも倭国は唐に劣っていたと考えられる。白村江に先立つ百済支援においても、矢、糸、綿、布、皮革、コメを送っている(天智称制元年・正月)ように、攻撃においては矢、守備においては皮革が倭国の主要装備であった。金属製品が含まれていない。
古墳から鉄剣が出土するように、2〜3世紀以降倭国にも鉄製品があった。しかし、原料となる鉄鉱石はこの時代まだ中国・朝鮮半島からの輸入に頼っており、砂鉄は産出したけれども量的にはそれほど多くは望めない。中国・朝鮮半島からの輸入は、百済が衰えて高句麗は自国の守備に手一杯という状況では、当然難しいということになる。
一方、唐・新羅は自前で鉄製品を用意できる。木製品・皮革製品・繊維製品で武装する倭国・百済と、金属製品を含む武装が可能な唐・新羅とでは、攻撃力・守備力の点でも相当の差があったといわざるを得ない。
このように、輸送力・装備に差があるということは、作戦・用兵上でかなり上回らなくては勝ち目はないということである。しかし、倭国は作戦的にも、かなり拙いやり方をしたようなのである。
5.4.3 やみくもに突撃して壊滅した作戦面の拙さ
輸送力と兵の装備のいずれの面でも不利な倭国が、白村江河口の唐軍の包囲網を突破するには、少なくとも作戦面で上回っていなければならなかったが、どうやらこの点においても倭国は失敗したようである。その経緯は、日本書紀によると以下のとおりであった。
八月二十七日、先着した倭軍と唐軍との間に交戦があり、倭軍は負けて退いた。唐軍は深追いせず、陣形を整えて待機した。翌二十八日、倭軍の本隊が到着した。百済王と倭軍の諸将はこう相談した。「われわれが先を争って突撃すれば、敵は後退するに違いない」
軍船の性能でも、攻守の武器の性能でも劣る倭軍が、いたずらに正面から攻撃しても勝つことは難しい。それも、奇襲するとか全軍が一斉攻撃するならともかく、到着した部隊から順に突撃するのは、戦力の逐次導入といって戦略的にはたいへん拙劣な方法である。
倭軍は乱れた隊列で、唐軍の堅陣に対し正面突破を図った。唐軍は倭の軍船を左右から挟み撃ちにして戦った。あっという間に、倭軍は敗れた。
戦力が劣っていても精神力(気合)で勝てると考えるのは、日本にとって伝統ともいえる考え方である。きわめて愚かな作戦とは思うけれども、倭軍であればそういう考えで突撃するのはある意味当り前なのかもしれない。同様のメンタリティは、白村江から1300年後の太平洋戦争でも、根強く残っているくらいである。
その上、倭軍は風向きや潮の流れもほとんど考慮していなかった。下の「気象」という単語は書紀でも使われている。今日の意味と、ほぼ同じであると考えられる。
気象を考えずに戦ったため、船の向きを変えることすらできず、海中に落ちて溺れ死ぬ者は数知れなかった。エチノタクツは、天を仰ぎ、歯を食いしばって戦い、数十人を殺したが、遂に戦死した。百済王は、数人の部下とともに、高句麗方面へと逃げた。
ここで再び、エチノタクツの登場である。日本書紀の白村江の戦いに関する記事は、ほとんど以上の内容で終わる。登場人物は、百済王、諸将(ひとまとめ)、エチノタクツだけ。これでタクツが書紀の紹介どおり、将軍でも副将でもない地方の豪族、今日でいう県の部長クラスというのであれば、なぜ彼の名前だけが特筆されるのか意味が分からない。
5.4.4 日本書紀の作者は敗戦があまり悔しくない?
白村江で倭軍の船団が全滅してから八日後の九月七日、ツヌ城は降伏した。頼みの綱である倭国の援軍が来ない以上、やむを得ない降伏であった。このあたりの経緯について、日本書紀の記事は淡々としている。
百済の人々はこう話し合った。「ツヌ城は降伏し、百済の名前は絶えてしまった。事ここに至っては、どうしようもない。先祖の墓所にも、再び行くことはできないだろう。テレ城まで逃れて、後のことは倭の将軍達と相談するしかない」そして、妻子に、百済を去る決意を示したのであった。
テレ城とはどこなのか、百済が滅亡してしまったので確かなことは分からない。おそらく朝鮮半島南岸で、対馬に渡ることができるどこかの海岸近くではなかったかと思われる。ちなみに、朝鮮半島南岸からは、晴れた日には対馬を望むことができる。
いまも昔も、戦争に敗れて他国に逃れることができるのはある程度の財産を持った上流階級の人々であって、一般庶民は新たな支配者の下で耐えるしかない。ベトナム戦争終結時の難民もそうだし、今日脱北して中国の日本・韓国大使館に逃げ込む人と同様である。
百済を逃れた人の多くも、旧支配者層であったり、先端技術者であったりした。彼らはこの後日本に渡り、奈良時代以降急速に進められた技術革新に大きく寄与することとなる。
こうして日本書紀の記事をみてくると、全体の印象として、書紀の作者達は白村江の敗戦をあまり悔しく思っていないということがよく分かる。二万数千の大部隊を派遣し、逃げた者はいたにせよ相当の戦死者が出たにもかかわらず、個人名であげられている戦死者はエチノタクツのみということにも、そのことは現れている。
もっというと、白村江以前の記事の中にも、「これは百済滅亡の予兆ではないか」「占ったところ、高句麗・百済が日本を頼ってくるという結果が出た」など、縁起でもないことが何ヵ所かに書かれている。もしも白村江以前にそんなことを公言していたとしたら、当時そんな言葉はないが「非国民」と言われても仕方がないであろう。
ましてや敗戦後に、「負けることは分かっていた」ようなことを書いて、当時の指導者や戦死者の遺族が面白いはずがない。にもかかわらずそういうことが書かれていて、しかも敗戦の記事がきわめて簡単に、たいして感情移入もされていないということは、どういうことなのだろうか。
おそらくそれは、書紀の作者たちにとって、白村江の敗戦が他人事ということなのである。つまり、近畿・大和朝廷の人々は直接白村江に関わっていない。さらに、白村江の敗戦によって、近畿・大和朝廷の日本列島における相対的な地位が上がったとすれば、日本書紀でこのような書き方がなされていることもうなづける。
ということは、以前に書いた結論、「日本列島における代表的な政権が、白村江以前は倭国、白村江以降はじめて日本=近畿・大和朝廷になった」ということである。教科書にはそう書いていないが、常識で考えるとそうなる。そしてそう考えると、天智天皇に関するいくつかの疑問点にも、納得のいく回答が得られるのである。
5.5 実像の天智天皇
5.5.1 天智天皇が戦争責任を追及されなかったのはなぜか
西暦663年、白村江河口の海戦において倭軍は壊滅的な敗戦を喫し、支援していた百済は滅亡した。この結果、朝鮮半島南部(現在の韓国)は新羅の支配するところとなり、新羅と唐の同盟軍に挟み撃ちされる形となった高句麗も、5年後に滅亡することとなる。
前節で説明したように、この時代の東アジア、特に朝鮮半島の情勢は、「唐・新羅連合」対「高句麗・百済・倭国連合」の勢力争いであった。この争いが唐・新羅連合軍の完勝に終わったということである。
だから、敗戦国である百済・高句麗は国として滅亡することとなった。問題はなぜ、日本だけが国として存続し、かつ、戦争時点で国家元首であり軍最高司令官でもあるはずの天智天皇が敗戦後も国家元首であり続けることができたのか、ということである。日本書紀には、この点について納得できる説明がなされていない。
天智天皇については、もう一つの疑問がある。この章の初め(5.1.)に書いたように、日本書紀に書かれている内容をよく読んでみると、天智天皇の業績は決して特筆すべきものではない。大化の改新はあってもなくても大勢に影響はなく、国力を傾けた百済支援は白村江の大敗によって投下した兵力・武器・兵糧、つまり人材と資本をすべて失ったのである。
にもかかわらず、平安時代以降の天皇はすべて天智天皇の子孫であり、藤原氏も天智天皇の血筋である、という記事もあるくらい、後の世において天智天皇は特別視されているのである。
本来であれば、天智天皇を「戦争責任者」として連行してもおかしくない唐・新羅も、日本書紀を見る限り丁重な態度であるし、実際に戦争責任を問題にしていないことは、遣唐使がほどなく復活し、それ以前にも唐・日本間の交流(捕虜の返還など)があったことからも明らかである。
以上の状況、つまり、日本国内において特別視されていること、かつて戦争した国から責任を問われていないこと、これを合理的に説明するためには、日本書紀に書かれている内容を一度白紙に戻して考えてみる必要があると思っている。
日本書紀の記事をないものとすれば、これらの事実を最も合理的に説明できる事実は以下のようになるはずである。
1.唐・新羅と敵対した倭国の国家元首は、戦争責任をとらされている。つまり、天智天皇とは別人である。
2.天智天皇の最大の業績は、「倭国」から「日本」へ、日本列島を代表する政権を移したことにある。
3.唐・新羅が天智天皇の「日本」を優遇したのは、白村江の戦いに参加しなかったからである。つまり、白村江以前から、唐・新羅と内通していた。
以下では、これらの仮定が前後の事実関係と矛盾するかしないかを考察してみたい。
5.5.2 白村江以前の日本列島を代表したのは、九州倭国
倭国から日本への政権の移動が起こったと仮定すると、まず解決するのが旧唐書(くとうじょ)の記載である。
唐の国書である旧唐書には、倭国に関する記事と日本国に関する記事が並立している。倭国は、かつての邪馬台国であり、さらに遡って後漢の時代に朝貢した倭奴国である、とされており、一方日本国は、「倭国の別種」とはっきり書かれている。別種の意味は明確でないが、常識的に考えれば、日本列島の中にある別の国ということになるだろう。
さらに、一説として、「日本はもともと小国であったが、倭国を併合した」とある。一説とはいえ、国書に書かれている以上は単なるうわさ話ということは考えにくく、それに類する事実の裏付けがあったと考えるのが自然である。
そして、さきの仮定(白村江の戦いの事後処理により、倭国から日本国に代表政権が移った)を置くと、まさにこの旧唐書の記事はそのまま事実ということになる。そして、敗戦国は国の滅亡という形で戦争責任をとらされることが多いという国際関係の常識にも、非常によく合致するのである。
これらの仮定を否定する材料は一つだけである。それは、「日本書紀にそう書いていない」ということである。逆に言うと、日本書紀(及び日本書紀をベースとして書かれた六国史等)がなければ、旧唐書をもとにこの仮定の方が通説となっているべき、前後の事実関係と非常につじつまの合った仮定なのである。
逆に、日本書紀の制作者の側の事情を考察すると、そもそも書紀の大前提は、「万世一系の天皇家が、日本列島を代表する唯一無二の政権である」ということだから、天皇家以外の政権があったとしても「なかった」と書かなければならない。中国の史書を読めば天皇家ではない政権が歴代王朝に朝貢しているのは明らかなのに、それらの政権については書くことができないのである。
そして、天皇家以外の政権はなかったという前後のつじつまを合わせるためには、前世代の政権(具体的には九州の倭国)から日本列島の支配を奪った天智天皇の最大の業績を、そのまま書くことはできなかった。だから、大化の改新については過大評価するし、後の時代にも特別視されているということではないだろうか。
日本書紀に関してもう一つ不自然なのは、なぜ政治的実権が天武天皇の血統に移ったにもかかわらず、それでもあえて天智天皇の業績が強調されているのかということである。
天武天皇は天智天皇の実弟であると日本書紀には書かれているが、これはきわめて疑わしいとされている。天武天皇の年齢があえて不明とされているどころか、後代の記録によると天武天皇の方が年上なのである。いまでもなく、年齢が上の実弟などということはありえない。
なぜわざわざ、天武天皇を天智天皇の実弟と書かなければならなかったのか。このことも、さきの仮定を置くと、合理的な説明が可能なのである。
5.5.3 「日本」の代表は、なぜ天智天皇の血筋である必要があるのか
天智天皇と天武天皇は実の兄弟ではないとすると、なぜ日本書紀はわざわざ「嘘の系図」を示さなければならなかったのか。このことを考える上で参考になるのは、およそ900年後、琉球王国が明国に対して行った政権移動後の説明である。
琉球を統一した尚巴志(しょう・はし)に始まる第一尚氏の血統は、もともと家臣であった内間金丸(うちま・かなまる)によって滅ぼされる。その際、すでに「中山王(ちゅうざんおう)」として第一尚氏を認めていた明国との摩擦を避けるため、金丸はわざわざ尚円と名乗り、第一尚氏の血縁者として琉球王と認められたのである。
900年後でさえそうなのだから、白村江の時代にはそうした操作がさらに必要とされたであろうという推定が成り立つ。つまり、唐・新羅にとって天智天皇こそが同盟者であるので、その後継者は天智天皇から正当に譲位された王でなければならない。天武天皇もそう思ったから、あえて天智天皇の同母弟で後継者というストーリーにしたのではないか。
そして、なぜ唐・新羅にとって天智天皇が同盟者なのかというと、それはまさに軍事的激突となった白村江以前から、天智天皇が同盟者であったと考えなければ説明がつかない。はっきりいうと、百済・高句麗と同盟して唐・新羅と対抗するという当時の倭国全体の方針に反して、天智天皇が唐・新羅と内通していたということである。
もし、天智天皇が白村江当時の国家元首で最高司令官であるとすれば、その後に壬申の乱で天武天皇系に実権が移動した際、天智天皇の業績を過大に評価する必要はない。なぜなら、唐・新羅にとって、かつて敵対した政権が崩壊したことは喜ぶべきことであって、あえて疑問をさしはさむ必要など一つもないからである。
実は、天武天皇が天智天皇の正当な後継者と主張している日本書紀にも、言わずもがなの記事が書かれている。671年に天智天皇が崩御、翌672年に壬申の乱が起こり、天武天皇が勝って皇位を継承するが、その際、九州まで来た高句麗・亡命政権(高句麗は668年に滅亡している)の使者に対し、天武天皇は変なことを言っている。
大宰府長官より、高句麗の使者に対しこのように伝えた。「天皇は新たに天下を平定された。祝賀使の他にはお会いにならない。このまま、お帰りいただきたい。」(日本書紀・天武天皇 下)
新たに政権を取った天武天皇に対し、祝賀の他に何の目的があって、高句麗の使者はわざわざやって来たのだろう。これも、唐・新羅と親しい天智天皇の政権が倒れたので、新政権に対して高句麗復活に向けた協力の打診を目的としていたと考える以外に、納得できる理由が見当たらないのである。
5.5.4 天皇という称号は、天智天皇以前にはなかった
そもそも、白村江以前に、日本列島の国家元首が「天皇」と名乗ったという証拠は、日本書紀以外に何もない。かつては「倭王」であり、本来なら当然そう名乗っているはずの遣隋使の時点でも、国王アマ・タリシヒコの名乗りは「オオキミ(王)」である。万葉集に載せられている和歌を見ても、天皇と書いてあるのは添え書き(説明文)だけなのである。
鎌倉時代に編纂された「釈日本紀」には、神武天皇から始まる漢風諡号は、淡海三船(おおみのみふね)によるものと書かれている。これには異論もあるが、三船は天智天皇のひ孫だから、少なくとも天智天皇の時代には天皇という名乗りはされていなかったということである。
これらのことから、白村江前後の真相を推理する。まず最初に、百済・高句麗と同盟し、白村江に大軍を派遣した倭国は、九州・倭国(遣隋使のアマ・タリシヒコの国)と関東・毛野国が中心で、大和政権はあまり協力的でなかったということである。
大和朝廷の立場からすると、これは内通というよりも、朝鮮半島の情勢を唐・新羅有利と考えて、白村江以前からそれに向けた対応をしていたということであろう。唐・新羅サイドからみるとこれは願ったり叶ったりである。白村江に進軍した倭国にとって、前も後も敵になるからだ。
当然、新羅を通じて唐にその意向は伝えられていて、唐が朝鮮半島を制圧した後は、半島には新羅、日本列島には大和朝廷という親・唐政権が樹立され、いわば唐の属国となるはずであった。実際にそうならなかったのは、白村江の戦い直後から、唐の内乱が始まったという要因によるところが大きい。
さて、白村江の敗戦により百済は滅亡し、倭国も壊滅的な打撃を受けた。九州に本拠が置かれていた倭国支配層の多くは、戦死したり捕虜になったりしたのではないか。
そして、唐の後ろ盾により全権を把握した天智天皇がまず行ったことは、旧・九州倭国に対しては防衛拠点の整備という大規模な土木工事、旧・関東毛野国に対しては、国境警備という名目の軍隊派遣を命令することであった。
ただでさえ、白村江への人材・物資の派遣(経済的負担)と敗戦による打撃(軍隊の壊滅)により疲弊していた九州・関東は、この追加負担により致命的な打撃を受けることとなる。天智天皇側から言わせれば、「あなた方が進めた戦争なのだから、後始末までちゃんとやってください」ということだったと思われるが、命令される側はたまったものではない。
そしてこのことが、壬申の乱の大きな原因になったのではないかと思っている。結局のところ、天智天皇はやり過ぎたのである。
5.5.5 水城と防人はなぜ九州・関東の負担なのか
いうまでもなく、九州に命じた土木工事とは水城(みずき)など防衛拠点の整備であり、関東に命じた軍隊派遣とは防人(さきもり)である。天智天皇サイドからすると、九州まで唐・新羅が攻めてくる可能性はほとんどないと分かっていたはずだが、国内的にも内通していたことを明らかにできなかったということもあるだろう。
そして、もう一つの戦後処理として、旧百済、高句麗の難民の問題がある。百済・高句麗は敗戦により国土を失ったので、支配層の多くは倭国に逃亡を余儀なくされた。そして、日本書紀にも記載されているし、現代にも高麗川という地名が残っているように、多くは東国、つまり旧・関東毛野国に入植させたのである。
もともと白村江で軍隊が壊滅し、組織的に大和朝廷と対抗することが難しかった九州倭国と関東毛野国は、これ以降歴史の表舞台からは姿を消すことになる。こうして天智天皇は、日本列島を唐の軍事的侵略から守るとともに、近畿の一勢力にすぎなかった大和朝廷を日本唯一の政権として確立することができた。
そして、このことが天智天皇にとって、表向きには書くことのできない大偉業となったのではないか。なぜ書くことができないかったかというと、「万世一系」、つまり天皇家が唯一無二の政権だという建前が一つ、もう一つには本当のことを書けば、白村江の敗戦により多くの犠牲を出した側からみれば「裏切り者」と映ることは避けられないからである。
もちろん当時はマスコミもインターネットもないので、そうしたことを一般庶民が知ることはできなかった。そして、後に日本書紀が編さんされると、これだけが公式かつ記録された事実ということになるのである。
とはいえ、支配層にとっては、そうした事実のあらましは分かっていたと思われる。特に、大和朝廷の中でも旧・倭国に近い人達、つまり九州、関東、さらに百済・高句麗の人脈につながるグループにとって、親しい人達を白村江で見殺しにした上に、戦後処理の名目で多大な人的・物的負担を強制する天智天皇への反感は高まっていたのではないか。
それは次の問題として、これらの事実を暗示的に示しているとみられることがある。天智天皇が都とした大津京は、後継者である大友皇子(弘文天皇)の陵墓があるように、天智天皇とゆかりが深い土地柄である。平安時代になって、ここには三井寺が置かれた。そして、この三井寺に秘仏として祀られているのが、新羅明神(しんらみょうじん)なのである。
新羅明神の新羅は「しんら」と発音するが、これは朝鮮半島における発音(シルラ)を反映したものとされる。もちろん新羅明神を祀ったのは後世のことであり(最澄の弟子の円珍)、唐での修行から帰る円珍を守護したという伝説が残されているが、天智天皇と唐・新羅との関係を暗に示しているのではないか。少なくとも、白村江当時に天智天皇が国家元首であったとすれば、新羅は同盟国百済を滅ぼした敵国のはずなのである。
一方、聖徳太子・蘇我氏と縁の深い法隆寺に祀られているのが、百済観音である。大和の旧支配者層にとっても、より身近だったのは百済であることを示している。そして、大化の改新といわれる政変の最大の意義とは、これを境として、大和朝廷の方針が百済支援から新羅との同盟に舵を切られたことにある、という推定も可能となるのである。
5.5.6 遠の朝廷・九州大宰府
さて、教科書的な歴史では天皇家が万世一系で日本列島の統治者であったはずであるが、これまで説明してきたように、中国の史書や白村江の敗戦処理を常識的に分析すると、天智天皇以前には九州倭国が日本列島を代表する政権であったということになる。改めてその論拠をまとめると以下のようになる。
1.国力を傾けた戦争の時点での国家元首であるはずの天智天皇が、そのままの地位で権力を維持できたというのは疑問である。同盟国の百済・高句麗も、この前後に滅亡している。
2.中国の正史である旧唐書には、唐が成立していた時点で日本列島に「倭国」と「日本国」が並存したと書かれている。しかも、日本国はもともと小国であったが、倭国を併合したとされる。
3.日本書紀には神武天皇以来、「天皇」号が付せられているが、こうした漢風諡号が作られたのは奈良時代で、後の記録では天智天皇の子孫が考えたという。日本書紀以外に、天智天皇以前の大和朝廷支配者が「天皇」を名乗ったという証拠はない。
4.白村江の交戦国である唐・新羅との間で、戦後かなり早くから関係修復がなされている。そして、天智天皇とゆかりの深い大津・三井寺の秘仏は新羅明神である。
さて、これらの論拠は、大和朝廷が白村江以前から日本列島を代表する政権ではなかったことを暗示しているとはいっても、九州に代表政権があったことの直接の証拠とはいえないという反論がありうる。確かに、日本書紀以外の古代史の文献はないので証拠はない(個人的には、中国の史書が九州を示しているのは明らかであると考えるが)。
ただ、奈良平城京以前に、九州大宰府に唐の長安を模した都市があったことは一つの根拠といえるかもしれない。この大宰府は平城京より規模は小さいとはいえ、飛鳥板葺宮(天武天皇の都)より相当大きな都市であった(現在の天満宮・観世音寺から二日市あたりまでを含む)。
そして大宰府政庁は、万葉集で「とおのみかど(遠の朝廷)」と呼ばれているのである。通説では「遠方(九州)にある朝廷」と解するが、「みかど」とはもともと御門、権力者の住まいを示す言葉である。大宰府になってからここに天皇が住んだことはなく、ここを「みかど」と言うかどうかは疑問である。むしろ「かつて(倭国と称していた時代)の朝廷」と理解する方が自然ではないかと考えている。
5.6 壬申の乱再考
5.6.1 壬申の乱の真相
前回まで、白村江の戦い(西暦663年)以前に日本列島を代表する政権は九州に本拠を置く倭国であること、そして、白村江の際に唐・新羅と内通し、戦いに直接参加しなかった天智天皇の大和朝廷=日本が、それ以降、唐・新羅の支援の下で日本列島を代表する政権となったのではないかという仮説を述べてきたところである。
この仮説の裏付けとなるのは、唐の国書である「旧唐書」の記載、それと、古代の国際関係からみて、戦争に敗れた政権がそのまま権力を維持することを敵国が認めるはずがないという常識的な判断である。しかし、これは教科書で教えている日本の古代史とは全く異なる。
ただ、この仮説を採ると、白村江前後の政治的問題以外にも、飛鳥時代から奈良時代にかけての古代史の疑問点がいくつか解決されることも確かである。
例えば、西暦592年に起こった祟峻天皇暗殺事件。これは、ときの最高権力者であるはずの天皇を、臣下である蘇我馬子が首謀者となって暗殺した事件である。そして、なんと暗殺事件の後、馬子は推古天皇、摂政・聖徳太子の下、大臣(おおおみ)として実権を掌握するのである(ちなみに、馬子が首謀者であることは日本書紀に書かれており、この点には争いがない)。
この時点で大和朝廷が代表政権であり、祟峻天皇が最高権力者であったならば、これは「国家の転覆」を図るものであり、暗殺の首謀者が次の政権で重用されることは考えられない。ところが、地方政権の内輪もめであると考えれば、感覚としてはしばらく後に平将門が関東で国司を追放したのとよく似ていることになる。
将門は最終的に新皇を名乗り中央に反抗したので討伐されたが、その時点では現状追認の動きもあったのである。同様に、地方政権の内輪もめと周りが認めてくれて、実際に混乱なく治まっているのであれば、「中央政権」が現状追認したとしてもおかしくはない。少なくとも、国家の代表者を暗殺した犯人がそのまま権力中枢に居座るというよりもかなり現実的である。
そして、その仮説が正しいとすれば、その性格が相当に違ってきてしまうのが壬申の乱である。教科書が教える壬申の乱とは以下のとおりとなる。
西暦671年、天智天皇の崩御により、大津宮の大友皇子と吉野宮の大海人皇子の対立が深まった。大友皇子は吉野に進撃を試みるが、大海人皇子はこれを逃れ、軍を整備して逆に大津宮へ攻め上り、両軍は尾張・近江国境付近で交戦した。これに大海人皇子は勝利し、天武天皇として即位した。大友皇子は敗死した。
日本書紀には概略このように書かれているが、天智天皇が亡くなってから天武天皇が即位するまでの間、誰も天皇でないのはおかしいということになり、千数百年後の明治時代になって大友皇子が弘文天皇と呼ばれることになったのはご存知のとおり。ただ、真相としてはおそらく天皇位の空白など、当時は誰も気にしていなかったはずである。
そもそも大和朝廷が権力を掌握したのがつい7、8年前のことであるならば、そのままの形で1400年続くことなど、現代ならば結果として分かっているものの、当時は誰も想像すらしていなかったと考える方がずっと常識的である。
では、実際には壬申の乱の真相はどういうものだったのだろうか。次回以降考えてみることにしたい。
5.6.2 日本書紀における壬申の乱直前の状況説明は信用できない
壬申の乱について書かれているほとんど唯一の史料は、日本書紀の天武天皇紀(上)である。何度も繰り返すが、日本書紀は大和朝廷以外に日本列島には政権はなかったという建て前で一貫して書かれているので、どこが本当のことでどこが創作なのかを区別して読む必要がある。正直なところ、過去の日本書紀論はこの点の踏み込みが不十分なのである。
さて、そうした観点から日本書紀を再検討すると、その背景を書紀では説明していないか、説明してあっても全く納得できない(おそらく一部は事実であり、一部は事実でない)事柄として、例えば以下の点を上げることができる。
ア. 天智天皇は、前代の斉明天皇が亡くなった西暦662年以降即位せずに政務をとり(天智称制)、668年1月に即位した。
太平洋戦争に匹敵するヒト・モノ・カネを掛けた国家の一大事である白村江の戦い(663年)時点で、正式な国家元首も軍最高司令官もいないことなどありえない。少なくとも、敵国(戦勝国)はそれでは許してくれない。この事実を常識的に説明できる理由は、天智天皇は白村江の敗戦を受けて、この時点で国家元首となったということ以外に考えられない。
イ. 天武天皇は天智天皇の同母弟で、天智天皇即位とともに東宮(次期天皇)となった。
天武天皇は、正妃の莵野皇女(うののひめみこ、後に持統天皇となる。神田うのの名前の出典であることでも有名)はじめ、天智天皇の娘を4人も妻に迎えており、同母兄弟とは考えにくい。また、天智天皇自身に大友皇子(弘文天皇)はじめ何人も男子がいるのに、わざわざ弟を後継者に指名するのも疑問である。
従って、日本書紀の以上の記事は、建て前を守るための創作である可能性がきわめて大きい。だから、壬申の乱直前の状況として、確からしいと認められるのは以下の点くらいである。
@ 西暦668年の時点で、天智天皇が大和朝廷の代表となった。
(この年、高句麗が滅亡して新羅が朝鮮半島を統一。また、この時点で唐軍が九州に駐留していることを勘案すると、ここで大和朝廷が対外的に日本列島を代表する政権となったと考えられる。)
A 政権内部で天智天皇に次ぐ実力者としては、天皇の子である大友皇子(弘文天皇)と、弟とされる大海人皇子(天武天皇)がいた。
(天智天皇と大海人皇子が実際にどのような血縁関係であったかは不明。ただし、いくつかのヒントがあるので後で考察する。いずれにしても、この2勢力は、婚姻関係で何重にも関係を強化しており、政権内の実力者であったことは間違いない。)
B 国力のすべてを注ぎ込んだ白村江の敗戦と、唐軍の進駐、土木工事(水城)や軍役の強制(防人)が重なり、日本列島の人々は相当な負担にさらされていた。
(これは、書紀の記事を読むだけでも確かだし、戦争に負けたらこうなることは避けられない。)
こうした中、正式に即位してからわずか4年、天智天皇が崩御される。後の史料に暗殺説も出ているくらいで、不穏な情勢の下での死去であったことは間違いない(これも何度もくり返すが、天智天皇の在位中に特筆すべき業績はない)。間髪を入れず、近江の大友皇子と吉野の大海人皇子の対立が激化する。
普通に考えれば、これは後継者争いということになる。
5.6.3 大海人皇子の進路は、家康の本能寺直後とほとんど同じ
天智天皇の死後、激しく対立することとなった大友皇子と大海人皇子。結果として大海人皇子が勝利することになるのだが、争いの当初はむしろ大友皇子が優勢だったとみられる。というのは、大友皇子が吉野を攻撃する際に、大海人皇子が吉野から伊賀を経由して尾張へ逃れたことが記録されているからである。
672年5月、近江の大友皇子が挙兵の気配を示し、吉野に向けての街道筋に斥候を配しているのを確認した大海人皇子は、このように号令した。「近江方は、我々を攻撃しようとしている。黙って滅ぼされる訳にはいかない。早急に美濃へ向かい、挙兵して不破関を封鎖せよ」そして、自らも東国へ入ることを決断した。日本書紀・天武天皇紀上
大友皇子は今でいえば、東海道線で大津から京都、さらに近鉄で奈良方面への進出を図ったことになる。一方の大海人皇子は大友皇子が奈良県に入る前に、大和八木から近鉄名古屋線で逃げたということである。不破関は近畿から東国への出入り口に当たり、ちょうど関が原付近になる。
この大海人皇子の進路は、およそ900年後の本能寺の変に際し、徳川家康が堺から三河へと少人数で命からがら逃亡した経路とほとんど同じである。つまり、大海人皇子の状況分析としては、後の徳川家康と同様、畿内は敵側の勢力範囲であり、ひとまず安全な東国に向かう以外に方法はない、ということであったと思われる。
壬申の乱の経過をきわめて大雑把にまとめると、奈良方面へ進出した大友軍を大海人軍が持ちこたえている間に、大海人軍の本隊が名古屋から大津へと反転攻勢をかけて大友軍を撃破し、大友皇子は敗れて自殺することになる。つまり大海人軍の主力は、東国にいたということである。この点も、後の家康と重なる。
つまり、天智天皇の死後、その路線をそのまま継承するはずであった大友皇子に、東国は味方しなかった。政治的には、東国は大海人皇子を支援していたということである。
この時代、九州の防備に防人(さきもり)を派遣している一大勢力は関東であり、これまで述べてきたように、関東毛野国は白村江以前には九州倭国に次ぐ勢力であったと思われる。その関東を含む東国を、大海人皇子は安全圏とみなしていたということになる。もちろん、天智天皇が政権を持っていた時代から、より関東に近い政治的立場にいたということであろう。
一方、近畿より西はどうなっていたかというと、こちらについても日本書紀に興味深い記事が書かれている。大友皇子が大海人皇子挙兵の一報を受けて、中国・九州に向けて使者を派遣するのだが、その際の経緯について以下のように述べられているのである。
5.6.4 中国と九州も大友皇子=天智後継政権に味方しなかった
大海人皇子が吉野から尾張へと近鉄名古屋線に乗って逃れたことを知った大津の大友皇子は、奈良方面に加えて東国への攻勢を強めるとともに、背後の吉備(中国)、筑紫(九州)に向けて援軍を命令した。その際、伝令として吉備に向かった樟使主磐手(くすのおみ・いわて)と筑紫に向かった佐伯連男(さへきのむらじ・をとこ)に、皇子はこのように命じたと日本書紀に書かれている。
「吉備・筑紫はもともと大海人皇子と親しい。もし命令を聞かないのであれば、その場で討ち果たせ。」日本書紀・天武天皇紀上
そして実際に、援軍を渋った吉備は討たれてしまう。しかし筑紫の栗隈王(くるくまのおおきみ)は、護衛を従えて不意打ちに十分に注意するとともに、このように回答して援軍を断ったのである。
「この筑紫の軍隊は、外敵に備えるために置かれているのであって、内乱に備えるためではありません。もしここで私が軍を動かした結果、国の防備ができず外敵の侵入を許したとしたら、その時になって私が何回死罪となったとしても取り返しがつきません。援軍要請には従うことはできません。」出典同じ
この栗隈王は、白村江敗戦後に筑紫率(ちくしのかみ)に任命されているので、大和朝廷が台頭した後の新勢力ということになる。また、この王は奈良時代の重臣である橘諸兄の祖父にあたる。もちろん、この援軍拒否(間接的に、大海人皇子の応援)の功績が認められたものである。
余談であるが、この栗隈王をはじめ、飛鳥時代から奈良時代前期にかけての登場人物の系図は、あまりはっきりしないものがいくつかある。栗隈王の出自も、日本書紀そのものには書かれていない(後の記録に敏達天皇の子孫とある)。おそらく、そうした人物は、表立って日本書紀に書くことができなかった九州、関東系統に連なる有力者ではなかっただろうか。
もし栗隈王が敏達天皇の子孫だとすれば、天智天皇〜大友皇子とはかなり近い血縁関係になるので、最初から、「彼らは大海人と親しいので逆らうなら殺せ」と言われてしまうような間柄ではないはずなのである(推古天皇の死後、敏達天皇系統と用命天皇系統の間で、皇位継承の争いがあった)。
壬申の乱に話を戻すと、近畿圏を押さえていた大友皇子に対し、大海人皇子は東国(主として関東)の軍事により対抗することを意図して東国に逃れ、中国・九州も大海人皇子支援の意思を明確にしたということである。そして次の段階では、大海人軍が関が原を越えて近江に進軍し、大友軍が敗北するという結果となる。
このあたりの経緯を最も常識的に判断するならば、白村江の敗戦を契機に、唐・新羅の後ろ盾の下に成立した大和朝廷=天智天皇系の覇権に対し、旧勢力である関東及び九州が“NO”の意思表示をしたということではないだろうか。その直接の要因は水城・防人といった敗戦による負担の増大であるが、心情的には白村江で多くの人々を見殺しにしたことへの反感があったのではないかと思われる。
そうした背景を考えると、栗隈王の援軍拒否の理由は意味深長である。表向きの意味の他に、「国境警備を命じたのはあなた方ではないか」「われわれの真の敵は海の向こうにいるのであって、こちら側ではない」という裏の意味が窺える言い分ではないか。そして、この言葉を発した栗隈王〜天武天皇の出自もある程度推察できる。旧宗主国である九州倭国にきわめて近い勢力であると考えられる。
5.6.5 宇佐八幡の重視からみる天武皇統と九州の関係
大海人皇子が天智天皇直系の大友皇子を自殺に追い込むことによって、壬申の乱は決着することになったが、対外的にはそのまま公表することは難しかったはずである。というのは、唐の後ろ盾のもとすでに新羅による朝鮮半島統一が確立しており、今となっては反新羅・百済復興を主張したところで何も得るものはないからである。
そこで大海人皇子サイドとしては、対外的にはこれまでの路線を継承するとしたのではないだろうか。具体的には、「私は天智天皇の実弟であり、以前から後継者に指名されておりました」「天智天皇の死後、後継者を巡る争いがありましたが、従来決められていたとおりに決着いたしました」と、外向けには公表したのである。
つまりこれが、日本書紀にそう書かなければならなかった真相であろう。実際には、天智天皇後継には大友皇子が指名されていたはずだし(だから明治時代になって弘文天皇として歴代に加えられた)、大海人皇子は正式な後継者ではなかった。まさに、後の時代になって、琉球第二尚氏が明に報告したのと同じやり方なのである。
だから、天武天皇(大海人皇子)が天智天皇の同母弟であるというのは日本書紀の建て前であって、事実とは考えにくい。後の時代の史書に天武天皇の方が年上という記録がある上、天智天皇が4人もの娘を天武天皇の妃としていることからも、そのことは推定できる。
それでは、天武天皇とはどういう背景を持つ人物だったのだろうか。そのことを考察する上で重要であるのは、壬申の乱から約100年経過した、奈良時代末の混乱の際の対応である。
天武天皇の皇統は、聖武天皇の時代に絶頂期を迎える(この時代に、東大寺の大仏が完成)。しかし、その娘である高野天皇(たかののすめらみこと、孝謙・称徳天皇)をもってこの皇統は断絶する。その際、天皇は全く血縁関係のない道鏡法王を後継者に指名しようとするが、ここで舞台となったのが宇佐八幡宮である。
八幡神とは、応神天皇(ホムダ王)のご神霊であるとされる。応神天皇自身、その子である仁徳天皇(オオサザキ王)に比べると、畿内政権に親しい天皇ではない(古事記における記事の量が全然違う)。
確かに、天智天皇も天武天皇も、応神天皇の子孫ではあっても、仁徳天皇の直系の子孫ではないという理由付けは可能である(仁徳皇統は武烈天皇までで断絶)。しかし、この事件の後、宇佐八幡宮が歴史の表舞台に登場しないのはなぜなのか。平安時代以降は、八幡宮といえば、平安京近郊の石清水八幡宮か、鎌倉の鶴岡八幡宮なのである。
つまり、天武皇統にとって九州宇佐というのはきわめて重要な八幡宮であるけれども、天智皇統にとってはそうではない、ということになるのではないか。
5.6.6 天皇位とはそもそも何だったか
現代のわれわれにとって、天皇位を考える上で暗黙の前提となっているのは、「少なくとも千数百年以上にわたり、父系相続により受け継がれてきた由緒ある位である」ということである。しかし考えてみれば、奈良時代末にこの前提が同様に受け入れられていたかどうかは定かではない。
天武天皇の時代からは約100年、仁徳天皇(オオサザキ王)の時代からとしても約300年、いずれにせよ現代から考えるほど天皇の位は絶対不可侵ではなかった可能性がある。いわば、鎌倉幕府から江戸幕府くらいのスパンであり、そう考えれば血縁のない道鏡に譲位しようとした高野天皇の構想そのものは、坂本竜馬による新政府構想と大して変わらないものだったのかもしれない。
そもそも天皇位は、「畿内政権における最大資産家の財産承継者」であったのではないかと考えている。それに、天智天皇以来、日本列島を代表する政権として「全国から租税を収納する権利」が加わった。この2つの要素はそもそも別物で、後者を声高に主張するのは東大寺建設にあたっての聖武天皇の詔くらいからである。
だから、高野天皇(このときは孝謙天皇)も、恵美押勝(藤原仲麻呂)に後者の権利を与えた。それは、天皇位の本質(皇室財産の継承者)とは別だったからではないか。そう考えると、推古天皇以来女帝が相次いだ理由もある程度推測できる。実際に戦争したり政治的判断を下したりする必要があればともかく、そうでないならば財産継承者が必ずしも男性である必要はないのである。
財産をマネージメントするのが女性であっても、あまり不都合は生じない。というよりは、夫が亡くなった場合の財産の継承は、最初から子供世代に行くのではなく、ひとまず妻に行われるのが現代でも普通である。飛鳥時代〜奈良時代の皇位継承は、そうした要素が大きかったのではないかと考える。
そうした皇位継承の背景にあったのは、もともと畿内政権の支配者には「租税収納権」がなかったということではないだろうか。
この連載で述べてきたように、天智天皇以前には大和朝廷は代表政権ではなく(代表は九州倭国)、それが大和朝廷となったのは奈良時代以降であると考えれば、そういう結論に達する。地方からの納税について、直接の証拠が残っているのは奈良時代からである。地方からの物資が集積するため、初めて平城京のような巨大都市が必要となったのである。
そして、「天皇位」の根拠となる継承財産のそもそものいわれは、九州倭国が近畿に遠征した際の、現地司令部(いわば傀儡政権)であったことにあるのではないか。そう考えれば、現地政権の初代である仁徳天皇(オオサザキ王)の伝説が多いのも納得できるし、何かあれば九州の父・応神天皇(宇佐八幡!)にお伺いを立てるというのも、畿内政権から大和朝廷に伝わるDNAだったとも考えられるのである。
日本古代史の真相
6.1. 古代日本史へのアプローチ 〜経済的側面から考える
これまで、8世紀初めまでの日本古代史の各論について検討してきた。教科書の教える歴史は、まず大和朝廷が列島を統一して、それから中国・朝鮮半島との交渉があり、大化の改新から壬申の乱を経て、奈良平城京の完成をもって律令国家が完成したというものであるが、この展開にはかなりの無理がある。
何度も繰り返しになるが、当時の中国史書の内容と一致しないし、根拠とされる日本書紀の記載にも矛盾がある。古事記・日本書紀以前の史料は、大化の改新の際に蘇我氏滅亡とともに焼失したとされるが、それほど大事なものにコピー(写本)もなかったというのは考えてみれば妙な話である。
したがって、日本古代の真相は、そうした教科書的ストーリーとは違ったアプローチから構築されるべきであると考えている。
その出発点となるのは、まず古代における日本列島の経済的背景ではないかと思う。大和朝廷が何世紀に列島を統一したという証拠はないけれども、仮に6〜7世紀の日本列島の人口が2百万人であったとすれば、2百万人が食べていけるだけの生産高があったこと、すなわち、農業と水産業で2百万人分のGDPを稼いでいたことだけは間違いないのである。
さて、現代日本の人口は約1億2千万人であり、江戸時代の全人口は約2千万人とされている。明治以降約100年で人口は6倍増となったことになるが、この人口急増を支えたのは、明治以降の工業化である。当初は繊維工業、次に鉄鋼業、さらに電気・電子機器、自動車産業が日本のGDPを増大させ、多くの人口を養うことを可能にした。
それ以前、明治以降に匹敵する人口急増期は、弥生時代〜古墳時代であった。この時期、大陸からの稲作技術の導入により農業生産が拡大し、日本列島の人口は数十万人から約2百万人へ、100〜200年の間に4〜5倍増となったと考えられる。工業と農業の違いはあるものの、やはりGDPの増大が、人口の増加に結びついたのである。
そして、この人口急増期の狭間、弥生時代から江戸時代にかけては、千数百年間で2百万人から2千万人まで人口が増加している(10倍は大きく見えるが、100年あたりにすると平均1.2〜1.3倍の増加)。この要因は、金属器の普及=農具の改善による生産性の向上と、新田の開発である。
その担い手となったのが武装農民であり、後に武士へと成長していく階層である。武士が貴族(荘園領主)を凌駕していくこの時代は、いわば2百万人を食べさせていた産業を、新興産業が徐々に追い越して行き、最後には2百万対1千8百万になっていく過程と考えると分かりやすい。
話を戻してまず古代である。わが国に人口が数十万から2百万人に増えた弥生時代、日本列島の状況は統一国家に向かうものであったのかどうか。
6.2. 国家を形成するモチベーション
この連載のはじめで述べたように、統一国家は「他の国を征服したい」という動機だけで作られるものではない。もちろん、そういう動機で征服活動を始めた王はいただろうが、少なくとも1年以上の長期にわたり占領を続けるためには、収穫物の収奪(納税)システムと、物資の輸送・軍隊の派遣のための交通網がなければならない。
常識的に考えれば分かるが、余剰生産物のない所を征服したとしても、得るものはほとんどない。奴隷(労働力)として収奪したとしても、彼らに食べさせるものがなければ労働力として機能しないのである。そして、余剰生産物がなければ、貯蓄もない。強奪すべき収穫物も、占拠する建造物もないのである。
だから、一人の王のもとに、国として一定規模の版図が成立するためには、そこにある程度の余剰収穫物があって、その余剰部分を集中し再分配するシステムが必要である。ということは、弥生時代以前の日本列島には統一国家が成立する可能性はほとんどないということになる。
すべての人がぎりぎり食べていくだけの経済力しかなければ、人口も増えないし、軍隊も整備できない。仮に軍隊を組織して他国の占領を目指したところで、どこに攻めて行ったところでみんな「食うや食わず」の経済水準であれば、その国はぎりぎり生活できるだけの人だけで構成されることになる。征服者にとって、あまり魅力的とはいえない。
弥生時代に入り、中国・朝鮮半島を経由して大規模な稲作農業が日本列島でも行われるようになった。同時に、金属器(鉄製品、銅製品)と製作技術、すなわち鉱工業が始まった。金属器の使用は農業生産力を大きく拡大したので、ここでGDPが飛躍的に増大したと考えられる。
このGDPの拡大により、日本列島ではようやく余剰生産物を安定的に確保することが可能となった。具体的には、10人の労働により10人分以上の、20人30人分の生産を行うことが可能となったということである。余剰生産物は貯えられたり、他の地域の特産物(水産業、鉱工業生産物)と交換されたりして、中長期的には人口の増加を可能としたであろう。
弥生人の生活はこうして豊かになったが、逆にこの時点で、他国からすると征服するメリットができてしまったことになる。隣の村に貯えがあれば、征服することにより自分たちの貯えを増やすことができるし、余剰生産物を食べさせることにより、奴隷として使役することも、軍隊を組織することも可能となる。
つまり、弥生時代に続く古墳時代というのは、そういう時代だったと考えられるのである。
6.3. 2世紀の日本列島で最大勢力は出雲
西暦57年に倭奴国が後漢に朝貢し金印を下賜されたのは、逆に考えればその時代まで日本列島には、先進国である中国に使節を派遣できるような国力がなかったということである。その倭奴国が九州北部であるのは、九州が日本列島で最も早く、大陸の先進文化を吸収できたという地理的要因で説明できる。
その後2世紀になると、「倭国は大きく乱れた」と中国の史書にある。折りしも、弥生時代のさなかである。各地域において余剰生産物を巡って、征服〜支配の関係が生じてきたと考えられる。1世紀には九州北部に限られていた金属器の普及地域が徐々に広がり、生産性が向上し余剰生産できる地域が多くなったということである。
この時代、きちんとした道路を作るだけの余力はどこの地域にもなかったはずで、主な輸送手段は海路であった。ということは、九州北部にまず伝わった大陸文化が、ここから日本海沿岸、九州西岸・東岸、そして瀬戸内海と、船による輸送によって日本列島に広まったと考えられる。
イメージとしてはペルシャ湾沿岸からアラビア半島にかけて、油田のある海岸部に沿ってクウェート、サウジアラビア、バーレーン、UAE、オマーン、イエメンと各国が並んでいるように、古代日本列島においても物資の輸送が容易である海岸部に沿って、小国家が並存していたのではないか。繰り返しになるが、余剰生産力のない地域(内陸部)に領土を拡大しても、あまり意味がないのである。
そして2世紀の日本列島において、最大の勢力を持っていた地域は出雲だったのではないか。
というのは日本神話において、オオクニヌシの出雲が治めていた日本列島を、アマテラスの孫であるニニギノミコトが降臨して「国譲り」を受けたことになっており、これはおそらく歴史的な事実を背景としたものと思われるからである。3世紀の邪馬台国から7世紀初めのアマ・タリシヒコまで、中国側では同じ国が朝貢したとみなしており、それ以前で有力国家が成立しうる時期となると、2世紀が最も有力である。
山陰地方は現在、東京から行くのに最も不便な地域の一つであり、先進地域というイメージはないかもしれないが、中国・朝鮮半島から海路ということになれば、九州北部に次いで日本列島の中では便のいい地域である。
そして、弥生時代最大の遺跡の一つである出雲・荒神谷遺跡からは358本もの銅剣がまとまって出土している。銅剣が実際に武器として使用されたかどうかはともかく、この時代に銅は輸入品しかなかったはずなので、弥生時代の出雲が相当の経済力を有していたことは間違いない。
その経済力の背景となったのは、おそらく鉄製品と考えられる。鉄製品は錆びてしまうので、古代のものがそのまま出土することはほとんどないが、この地域では砂鉄が産出されることから、かなり古い時代から鉄製品を製造していたと考えられている。鉄製品は武器にもなれば、農具にもなる。
おそらく、最初は輸入鉄製品の模倣から始まり、徐々に国産化が可能となったのであろう。鉄鉱石から鉄製品にするのはそれなりに技術が必要だが、砂鉄を鉄製品にするのは比較的容易である。鉄製品の国産化は、さらに農業生産性を向上させ、日本列島のGDPを増大させたと考えられる。
出雲は鉄製品というベンチャー産業によって、日本列島の最先端地域となったのである。
6.4 神無月はなぜ10月か 〜 出雲が日本列島の中心であった時代
陰暦の10月を神無月(かんなづき)と言うが、出雲ではこの月を「神有月(かみありつき)」と呼ぶ。全国の神様がみんな出雲に集ってしまうので、出雲以外では神「無」月と称するという説があるが、「な」は現代の「の」に当たる助詞で「神の月」を意味するという説もある。陰暦6月は水無月(みなつき)と呼ぶけれど雨量が少ない訳ではないことからすると、おそらく後者の方が正しいようだ。
神無月の意味が「神の月」であったとしても、神様が出雲に集まった月であるという伝承を否定するものではない。そして、そういう歴史的事実は、実際にあったのではないかと考えている。つまり、収穫が終わり寒くなる前に、日本全国から出雲へ、鉄製品を求める人々が集まってきたのではないだろうか。
鉄製農具を使うことにより農業生産性が格段に向上したことは間違いないので、余剰収穫物が生じた地域は、それにより生産設備としての鉄製品を求めただろう。また、購買力を持った人が集まる地域には、他にも地域の特産物(織物や海産物、黒曜石などが当時でも広く交易されたらしい)を交換しようとする人々が集まってきたはずである。
自らは鉄製品という先端工業品を持ち、商取引の中心地にもなった出雲は、日本列島でも随一の経済力を持つ地域となったのである。荒神谷から出土した銅剣は、武器と考えると意味がよく分からないが、これを貨幣と考えると、当時の権力者が鉄製品の製造販売や、市場の提供(特産物交換の“場所代”)により蓄積した財産ではないかという推定が可能となる。
このことは古墳時代の他の銅製品、関西圏の銅鐸や九州圏の銅矛についても同様であるが、これらは後の時代の貨幣、つまり交換可能な購買力と考えるのが妥当ではないか。
つまり、後の時代には個人個人が銅銭を持って市場で商品を購入することになるが、2〜3世紀にそれができるのは「国」単位である。だとすれば、銅銭よりも大きな銅製品「銅剣」「銅鐸」「銅矛」が貨幣であったと考えてもおかしくない。銅は当時最も価値の高い金属であったし、「銅剣」「銅鐸」等にすれば秤量も容易になる(見た目で重さの見当がつく)メリットもあったと思われる。
さて、話は戻るがこの時代に、多くの国々にとって収穫は年一回だから、その収穫後の陰暦10月あたりに、出雲で大規模な交易が行われた。そうした伝承が、出雲に年一回神々が集まるという神話となって後の時代に受け継がれたのではなかろうか。
いまでも出雲大社の正殿の周囲には、全国の神々が集まってきて滞在するとされる建物がある。はるか昔の2世紀に、全国から人々が集まってきた名残りだと考えると、壮大なロマンである(当時の「国」は海岸に沿って展開していたと考えられるので、おそらく船を使って移動したものと思われる)。
ちなみに、古代の製鉄法とされるたたら製鉄は、砂鉄や鉄を多く含む鉱石(磁鉄鉱など)を原料として、高温に熱して叩き、不純物を除いた後に成形したらしい。このたたら製鉄が伝承されていたのは、出雲近郊の島根県安来地区である。日本列島最初のベンチャーである製鉄業が出雲でスタートしたという仮説と、非常にリンクしているのである。
そして、いったん入手した鉄製品を違う形に成型したり、壊れたものを修理するのは、最初に原料から作るのに比べて低い温度で可能だし、技術的にも難しくはない。だから、そうした二次加工は日本全国で行われたと考えられる(吉野ヶ里遺跡にもそうした施設と思われるものがある)。
そうした二次加工で製作されたものは、おそらく農機具や生活用品だけではなく、鉄剣や鉄の鏃(やじり)、つまり武器としての鉄製品が含まれていただろう。出雲のベンチャー産業であった鉄製品が全国に広まり、これが武器として成型し直されたことによって、近隣国への侵略、つまり「倭国大乱」につながったのではないか。
6.5 国譲り神話の元となった事件とは
日本神話が伝えるところ、古代出雲の覇権を大和朝廷が奪ったのは「国譲り」による平和裏な政権移行であったという。天上のアマテラスの孫にあたるニニギが、日本列島を治めよとの命をうけて地上に降り立ち(天孫降臨)、部下であるタケミカヅチが稲佐浜(いなさはま)において国譲りの折衝をしたと伝えられる(「いなさ」はYes or Noの意味である)。
この際、出雲の王であるオオクニヌシは、子であるコトシロヌシとタケミナカタが応じるのであれば自分は異存はない、と回答した。コトシロヌシとタケミナカタは紆余曲折あったがこれに同意したので、オオクニヌシは自分のために大きな社(出雲大社)を建てることを条件に、ニニギに統治権を譲って身を引いたとされる。
さて、以上が日本神話の伝えるところであるが、中国史書の中で、日本列島において話し合いで政権が移行したことを暗示する記事は一つしかない。魏志倭人伝の示す、次の事件である。
倭国乱相攻伐歴年、乃共立一女子為王。名曰卑弥呼。
倭国は乱れ、互いに攻撃し合うこと長きにおよび、共に一人の女王を立てることとした。その名を卑弥呼という。
卑弥呼擁立に際し、戦いに疲れた各国は、「共に一女子を立て」王とすることとした。つまり、武力による決着ではなく、話し合いで決めたのである。古代日本において、話し合いによる政権移行が図られたとみなせるのは、この事件だけである。
後の時代の倭の五王は、「祖先は自ら甲冑をまとい休む間もなく」他国を侵略したと誇らかに宣言している。また、隋に使者を送ったアマ・タリシヒコは、天子すなわち先祖代々の王者であると名乗っている。いずれも、話し合いにより権力を握った訳ではない。それ以降も、日本列島の権力者が、武力ではなく話し合いで決まった例など、明治時代まで下らなければ見出すことはできない。
むしろ、近代以前においては、話し合いで権力者を決めることの方が異例といっていい。そして、その事例が、中国の史書と日本の神話のいずれにも登場しており、しかも年代的にも近い。だとすれば、話し合いによる卑弥呼擁立が、オオクニヌシからニニギへの国譲り神話の元になった事件と考えるのは、決して突飛な発想ではない。
6.6 九州の覇権
2世紀末に卑弥呼が擁立されてから、7世紀の白村江まで、日本列島の覇権はずっと九州にあったと考える。
以前述べたように、魏志倭人伝の「郡至女王国万二千余里」(帯方郡から女王国まで一万二千里余りである)という記載を否定しない限り、陸行だろうが海行だろうが、邪馬台国は九州北部にしかならない。その後の倭の五王、アマ・タリシヒコいずれも邪馬台国の後継というのが中国側の認識であり、だいいちアマ・タリシヒコの国には阿蘇山があるのだ。
それでは、倭の五王が主張するところの侵略した他国とはどこなのだろうか。これは、おそらく農業生産力の向上(金属器の普及)により3世紀以降に国力を増した「卑弥呼連合」以外の国ではなかったかと考える。その中のいくつかは武力で対抗しようとしたが、その代表格が近畿であり、関東だったのではないだろうか。
イワレヒコ=神武天皇の東征は、常識的に考えると九州政権による近畿への派兵である。イワレヒコが、近畿政権の防衛線である速吸の門(はやすいのと:豊予海峡といわれているが、私は鳴戸海峡か来島海峡だと考えている。海流が急で船団の展開が困難な場所だからである)を突破し、大和盆地を攻略した。そのやり方も「撃ちてし止まん」(皆殺し)である。
まさに、倭の五王が高らかに宣言した、「毛人を制すること五十五国」の世界である。平安時代になっても、後の大和朝廷の人々は東北アイヌの棟梁であるアテルイを講和のふりをして殺しているし、さらに下って江戸時代には北海道アイヌのシャクシャインが松前藩にだまし討ちにされている。イワレヒコ=神武天皇の東征と、かなりの共通点がある。
ただし、この五十五という国数は、西の六十六、北の九十五と比べると少ない。これは、日本列島東部が当時それほど開けてはおらず、人口密度も低かったことを示していると考えられる。関東・毛野国あたりになると、狩猟を主な産業とする蝦夷=アイヌの国とそれほど差はなかったのではないだろうか。
さて、いったんは派兵して占領し現地司令官を置いた近畿地区だが、そのうちに現地勢力の巻き返しがある。統治する側にも後継者争いや内輪もめがあって、次第に本国=九州とは疎遠になっていく。そのあたりは鎌倉幕府が、最初は源氏将軍だったはずなのに、藤原将軍になり宮将軍になり、結局は執権の北条氏が実権を握ったようなイメージであろう。
九州から近畿への派兵と占領、現地司令官の派遣は、イワレヒコ=神武天皇の時と、ホムダ=応神天皇の時と、二度あったのではないかと思われる。おそらく、前者が3世紀、後者が4世紀頃のことと考えられる(これが、古事記の中巻と下巻の区分のもとになった)。その間、日本列島を代表して朝鮮半島にたびたび派兵し、中国と交渉していたのは九州倭国政権であった。
近畿=大和朝廷はこの時代まだ倭国の地方政権であり、後方支援の役割を担っていたと考えられるのである。
6.7 九州から大和へ
九州倭国は3世紀以降7世紀の白村江に至るまで、常に朝鮮半島への派兵を行ってきた。このことは広開土王碑文や、倭の五王から中国への依頼(新羅・百済等の将軍として任命するよう求めた)により裏付けられる。
この時代、巨大古墳のほとんどは大和・河内地区に集中しているが、このことを日本列島統一の証拠とする説が多い(歴史教科書もほぼこの論調で作られている)。だがおそらく実際には、九州倭国は国力のほとんどを朝鮮半島派兵に費やしてしまい、巨大古墳を作る余力がなかったというのが本当のところではないだろうか。
戦争と建設のどちらがよりGDPを必要とするかというと、それぞれの規模にもよるが、やはり戦争ではないかと思われる。この時代、古墳の建設はほとんどが土木工事であり、労働力とある程度の機材があれば可能なのに対し、戦争には輸送手段(船)、武器、食料および労働力が必要である。
そして戦争の場合、戦死という犠牲が生じる。これは単に戦力のマイナスというだけではなく、生産力のマイナスにもつながる。戦死者が増えれば、将来何年かのGDPは必ず減少する。言葉を変えると、再び新たな世代が生産年齢に達するまで、低成長を余儀なくされるということである。
だから、近畿に古墳が多いというのは、この地に中央集権的に権力が集中していたからというよりも、むしろ九州が朝鮮半島に進出を図っている間に、地方独自の財源(生産余力)によって建設されたとみるのが妥当である。日本列島の代表政権には、朝鮮半島の利権を奪還するという最優先課題があったはずなのに、古墳を作っているヒマがあったということは、逆にいうと中央とのつながりの薄い地方政権であったということである。
現代の感覚だと、九州と近畿は同じ政権が治めていて当然と考えがちであるが、源平の時代にも、南北朝・室町の時代にも、さらに戦国時代に至っても、近畿政権は九州を円満に治めていた訳ではない。ましてや古代に、近畿と九州が簡単に統一政権を作れたとは思われない。
これは、現代のわれわれが考えるよりはるかに、瀬戸内海の交通が安全・円滑なものではなかったことによるのではないだろうか。応神・仁徳時代の大遠征(私はこれが、倭王武による遠征ではないかと考えている)のような大規模なものを除けば、九州と近畿間のヒト・モノの交流というのはそれほど頻繁ではなく、九州軍団が引き上げた後、近畿の在来勢力が巻き返すことができたのではないかと考えるのである。
http://www.asyura2.com/11/test22/msg/906.html
01. 2011年8月10日 12:43:47: 7j0ndEYvMk
正確には電子はものではないですがここでは仕方ないですね。ラジオで説明するのは無理でしょう
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/439.html#c1
61. 2011年8月10日 12:44:03: aLKNexFxxc
3月15日に北関東から京都の宇治に避難してきましたが
知り合いらしい人もいず、6匹の犬を連れての避難で初めはどうなることかと
思っていました。市役所、不動産屋、みなさんとても親切で
ドックランつきのマンションをすぐに探してくれました。
初め道が狭く混んでいて車の運転でイライラしましたが
少し経つとそれもなれ、
便利さを求めそれほど必要ではないような処にまで
高速まがいの立派な道が次々作られていたそちらのほうがおかしいのだと思うようになりました。
地元の小さな商店もまだまだ沢山残っていて
このまま京都に住みつこうかな〜と考えています
また京都では罹災証明がなくてもいち早く非難し来る人を受け入れているとも聞きました。
>54さん
国を信用できない現状では京都の人の判断はちっともおかしなことだとは思いません、京都府は誰になんと言われようと府民生活をしっかり守ってもらいたいと思います。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/369.html#c61
非難されていた中大兄皇子
ところで、中大兄皇子に対する民衆の反発には、一つの頂点がある。
それは、日本史上最大の国家存亡の危機、白村江の戦いの前後である。
このあたりの事情を、詳しくみてみよう。
孝徳天皇の崩御を受けて、中大兄皇子の母(皇極天皇)が重酢(ちょうそ)、斉明天皇が登場す
る。
何を思ったか、斉明天皇は、飛鳥周辺で、盛大に土木工事に励んだ。
飛鳥の天香具山(あまのかぐやま)の西側から石上山(いそのかみやま)(奈良県天理市)に至る長大な水路を掘り、舟二
百艘(そう)をもって、石上山の石を積んで、宮の東の山に石を重ね、垣とした。
ちなみに、この工事が現実に行われていた可能性は高くなっている。飛鳥の東側の
丘陵地帯から、大量の石を積み上げた垣のあとと、新亀石(かめいし)が発見された(酒船石(さけふねいし)遺
跡)ことは、記憶に新しい。
『日本書紀』は、この工事に対する人々の反応を「狂心の渠(たぶれごごろのみぞ)」という言葉を用いて記
録している。「尋常な行為ではない」と罵った、というのである。
「石の山を造っても、自然と崩れ去るにちがいない」
と、言い放ったという。先述した斉明二年(六五六)の岡本宮の火災は、このよう
な囂々(ごうごう)たる非難のさなかに起きたものだ。
この土木工事が、斉明朝に行われていたから、人々が斉明天皇を罵倒したかのよう
に思われているが、そうではあるまい。このときすでに、実権は中大兄皇子と中臣鎌
足に移っていたはずだからである。
このあと、斉明天皇は孫の建皇子(たけるのみこ)の死を悼み、悲嘆に暮れている。斉明四年(六五
八)五月と同年十月に、それぞれ三首ずつ、建皇子を偲ぶ歌を詠っている。その様は
政治家のそれではなく、母であり祖母である手弱女(たおやめ)としての姿である。乙巳(いつし)の変の入
鹿暗殺場面で、子の中大兄皇子に叱責されて返す言葉を失った皇極天皇の姿を重ねれ
ば、女帝の弱い立場がみえてくる。事実、建皇子の死につづき孝徳天皇の御子の有間
皇子(ありまのみこ)が謀反(むほん)を起こすと、中大兄皇子はこれを独断でもって裁断している。
では、なぜ中大兄皇子が飛鳥の東側に、「狂心の渠」を造ったかといえば、それは
酔狂ではなく、しっかりとした軍事目的があったと考えられる。すなわちそれは、中
大兄皇子の目論む百済遠征への準備であり、遠征中に飛鳥で不穏な事態が生じたとき
のための布石にほかなるまい。
民衆が不満を爆発させたのも、中大兄皇子のめざす百済救援を無謀と判断していた
からであろう。
斉明六年(六六〇)、いよいよ遠征というそのとき、駿河国(するがのくに)で船を造らせ難波に曳
航(えいこう)させたところ、理由もなく、船の鱸(とも)と舳先(へさき)が逆さまになってしまった、という。こ
れをみた人々は、
衆終(ひとびとつい)に敗(やぶ)れむことを知りぬ。
と、ヤマト朝廷の遠征は失敗するであろうと噂しあったという。
民衆の判断は的確であった。
ヤマト朝廷軍は、白村江の会戦で、唐と新羅の連合軍の前に、完膚無きまで叩きの
めされ、百済は滅亡した。そして、唐の大軍が日本列島に押し寄せるかもしれないと
いう、悪夢のシナリオが予想されたのである。中大兄皇子は必死に、西日本各地に城
郭を築いた。
唐が百済滅亡後、せめる矛先を日本ではなく、「まず高句麗」、と判断したことで、
かろうじて日本は救われた。高句麗滅亡後、新羅が唐に反旗を翻(ひるがえ)し、唐はヤマト朝廷
に対し、懐柔策を採ってきたのである。
天智六年(六六七)三月、九死に一生を得た中大兄皇子は、都を近江に遷す。
是(こ)の時に、天下の百姓(おおみたから)、都遷すことを願はずして、諷(そ)へ諫(あざむく)く者多し。童謡亦衆(わらべうたまたお
ほ)し。
日日夜夜(ひるよる)、失火(みづながれ)の処多し。
つまり、遷都には反対論が根強く、民衆は各地で暴徒と化したようである。
このような中大兄皇子(天智天皇)に対する反発は、畢竟中大兄皇子の示した強烈
なまでの百済救援政策に起因しているのであって、乙巳の変の際に古人大兄皇子が漏
らした、「入鹿が韓人に殺された!」に対する分注「入鹿が韓政=朝鮮半島をめぐる
政策の行き違いによって殺された」の一節に、重大な関心を示さずにはいられないの
である。
ここで指摘しておかなくてはならないのは、要するに、『日本書紀』のいうような
蘇我氏の専横、これに対する中大兄皇子、中臣鎌足の正義の戦いこそが乙巳の変(大
化改新)であったという常識を、まず疑ってかかる必要がある、ということである。
天武天皇と藤原氏の間に横たわるわだかまり
忘れてはならないのは、天武天皇(大海人皇子)と「藤原」との間に、大きなわだ
かまりが横たわっていたことである。
わかりやすい例を一つあげておこう。
藤原不比等の父・中臣鎌足は、壬申の乱の直前、大海人皇子の即位を阻上するため
に暗躍していた疑いがつよい。
なぜなら当時、天智自身、皇位を弟で皇太子の大海人皇子ではなく、自分の子の大
友皇子に譲りたいと焦っていたこと。中臣鎌足は天智の懐刀であって、天智の意志
を尊重していたと考えた方がつじつまが合う。そして、このことを証明するように、
日本最初の漢詩集『懐風藻(かいふうそう)』の大友皇子を紹介する一節に、次のような奇妙な記事が
残されている。
天智天皇晩年のことである。ちょうど来日していた唐使劉徳高(りゅうとくこう)が大友皇子をさして、
日本にいるのはもったいないほどの人物だと評価した、という。その劉徳高が、ある
とき夢を見た。それは、大友皇子が皇位を継承しようとすると、脇から邪魔者が現れ、
横取りしてしまった、というのである。怪しんだ劉徳高は、これを中臣鎌足に話した
という。すると中臣鎌足は、
天道親無(てんどうしんな)し、惟善(ただぜん)をのみ是(こ)れ輔(たす)くと。
とのべたという。天は公平であり、善行を積むものを必ず助けます。だから、大友
皇子が徳を修める限り、皇位はかならず転がり込むでしょう、というのである。
ここにいう邪魔者とは、大海人皇子であり、中臣鎌足が大海人皇子の廃太子を願っ
ていたことはまず間違いない。その中臣鎌足は壬申の乱の直前に亡くなるが、その子
藤原不比等も、父にならって、大友皇子側についたからこそ、敗戦の憂き目にあった
のだろう。
事実、藤原不比等は天武天皇在位中は、まったく日の目を見なかったのであり、歴
史に登場するのは、天武崩御の後のことなのである。
この間、不比等は朝廷から干されていた可能性が高く、とするならば、不比等が天
武朝を美化する目的の歴史書の編纂をおもしろく思っていたはずがなく、逆に、天武
の正体を抹殺しようと企んだ疑いさえ出てくるのである。『日本書紀』のなかで天武
天皇の前半生がまったく空白なのは、そのためと考えられる。したがって、『日本書
紀』をめぐるこれまでの通説、常識を、今一度疑ってかかる必要があることはいうま
でもない。
関裕二氏著「藤原氏の正体」
第一章「積善の藤家」の謎
非難されていた中大兄皇子
三十四頁據り
第ニ章 謎に包まれた藤原氏の出自
天武天皇と藤原氏の間に横たわるわだかまり
八十六頁據り
交通の要衝、關門海峽を抑えるには絶好の位置
唐の軍事占領據點「筑紫都督府」
第3章 古代日本は中国に占領された―漢字文化に抹殺された真実
神代文字を抹殺した恐るべき黒い勢力≠ェある
奈良時代以前の日本に文字があったことは、文献にもはっきり書かれているし、遺物にもは
っきり刻まれている。したがって、文献と遺物の両方から、日本に古代文字があったことはす
でに立証済みである。
にもかかわらず、そのことがこれまで周知の事実とならなかったのはなぜだろうか。古代史
の権威が口をそろえて神代文字を否定したり、日本の古代文字を無視してきたのはいったいな
ぜなのか。
ここには私たち日本人のすべてが、いまだにその真相をつかんでいない歴史上の大きなトリ
ックがあるように思われる。そこには、これまでの権威すらも呑みこんでしまう歴史上のブラ
ック・ホールのようなもの、つまり私が先に漢字の呪縛≠ニ名づけた、私たちの目には見え
ない巨大な意志が存在し、この恐るべきカが日本の古代文字資料を抹殺して奈良時代以前の歴
史を封印してきた背景があるように思われるのだ。
その恐るべき力の正体とは何か。
私たち日本人の奈良時代以前の歴史に、誰が考えても異常としか思えない巨大な空白をもた
らした力の実体とは何か。日本古来の文字で書かれた文献を奪い取った、途方もない勢力とは
いったいなんだったのだろうか。
私には、その力の実体がどんなものであったのか、今のところすべてを正確に述べることは
できない。が、一つだけはっきりしていることは、その勢力が今から千三百五十年ほど前の大
化改新(六四五年)と白村江の戦い(六六三年)の時代に、日本海周辺のほぼ全域に台頭し、
それまでの日本にあった固有の文字と文化、王家と有力氏族の記憶をほとんど消し去ってしま
った、という点である。
私たちはこれまでの教育のなかで、日本は滅亡に瀕した百済の請いを受けて唐・新羅の連合
軍と白村江で戦い、手痛い敗北を喫したあとは連合軍≠フ侵攻を恐れて都を近江に遷したと
しか教わっていない。いわんやその戦いに敗れたときに、そのまま日本が唐の軍隊に占領され
たこと、そして、この時代以後につくられた日本の都城や古墳の設計単位が、それまでの高麗
尺(唐によって滅ぼされた高句麗の尺度)から、唐尺に全面的に改めさせられたことなどは
一度も教わっていない。
したがって、この時期に中国東北部と朝鮮半島、日本を占領した中国の軍隊が、この地域に
伝わる固有の文字資料をことごとく抹殺し、漢字で書かれたもの以外は絶対に後世に伝えない
ようにした、などということは考えたことすらなかったはずである。
中国の日本占領GHQ≠ヘ大宰府に置かれていた
けれども、古代の日本が六六三年の白村江の戦いに敗れたあと、中国の占領支配を受けたこ
とは、『日本書紀』の天智天皇の条のなかにそれとなく記されている。
すなわち、天智四(六六五)年の記事では、この年、日本へやってきた唐の使節団の人数が
二百五十四人であったのが、同八年と九年には二千人にふくれあがっている。天智八年十二月
の条にはこうある。
もろこしかくむそう よ つかは きた
……大唐、郭務悰等二千餘人を遣して來らしむ。……
敗戦後の日本へ二干人という大量の使者が続々とやってきたのは異常といわなければならな
い。このことは、唐の使者がただの使者ではなく、占領軍司令部の要員であったことを暗示し
ているのだ。
また、天智六(六六七)年の記事によれば、この年には、すでに九州の太宰府が「筑紫都督
府」という呼び名に変わっているが、この都督府≠ニいう表現は、唐の軍隊が高麗と百済の
都をそれぞれ占領したときに「平壌都督府」「熊津都督府」と称した例をみてもわかるように、
唐の占領軍司令部が置かれた外国の都をさしている。したがって、九州の太宰府が六六七年以
降、中国による日本占領支紀の拠点となっていたことは明らかである。
いってみれば太宰府が、第二次大戦後に皇居前の第一生命ビルに置かれたマッカーサーの占
領軍司令部(GHQ)と同じようになっていたのである。そして、戦後の日本が英語使用を強
要されたのと同じく、いやそれ以上に、白村江の敗戦後の日本は、全面的な漢字使用を強制さ
れたのだ。
天智天皇はこの年の春、近江京に遷都し「漢字使用令」を出した。こうした近江京の文化が
漢字文化そのものであったこと、そして、天智天皇と天武天皇に代表される勢力が六七二年の
壬申の乱で激しい死闘を演じたことなどは、これまで、この時期の中国による日本占領支配と
のかかわりのなかで論じられたことはなかった。
この問題については、ごく少数の学者か天智天皇は百済系で天武天皇は新羅系または高句麗
系であったということを述べる程度にとどまり、白村江の敗戦以後、日本と朝鮮、中国東北部
にまたがるかつての高句麗王国が解体したことや、その後、壬申の乱を機に高句麗の旧領に渤
海・新羅・日本の三国が、唐の承認を必要とするかたちで成立したことなどは論じられていな
い。
しかし、この時期の唐帝国の周辺を見渡せばわかることだが、この頃からインドと日本を結
ぶ南海ルートの影が薄くなっていく。つまり、私流にいえば、インド以東のアジアには漢字以
外の文字文化が、それ以前にはなかったような印象が強くなる。
七世紀の初めに隋の陽帝が率いる百万の大軍と戦ってこれを退け、ついに隋を滅ぼす糸口を
つくった高句麗は、六六八年に唐によって滅ぼされるまで、七百年以上もの歴史を誇っていた
古い国であるが、このような国にさえ固有の文字で書かれた記録はなかったことになっている。
秦・漢帝国以来の中国諸王朝が、周辺諸国にみずからの漢字文化を押しつけ、中国の宗主権
を認めない国を侵略して、その国の文字文化を破壊したことは、中国の史書に王家の記録を没
収した記事がたびたび登場することをみても確かだ。
このような中国の支配者による歴史抹殺の手口、すなわち漢字以外の文字で書かれた他民族
の記録を抹殺し、そのことによって他民族を中華帝国に従属させていくやり方の最も顕著な例
が、秦の始皇帝による焚書坑儒だ。
中国における漢字の成り立ちを調べてみても、漢字のなかには、それ以前に大陸の各地で使
われていた日本の古代文字を並べ替え、それによって元の意味を消し去る手法で新たにつくら
れた例がいくつかあることが確認できる。
日本解体≠目にした天武天皇の憤慨
これまで日本人は、中国の漢字文化を受け入れることによって、原始の日本が開明化したか
のように教えこまれてきた。が、それははたして本当だろうか。実際は逆ではなかったか。
中国の日本占領支配の実態は、目にあまるものがあったように思われる。壬申の乱に勝利し
て、中国の日本占領支配にいちおうの終止符を打った天武天皇も、国内の中国人に対し、憤慨
してこう述べている(『日本書紀』天武六<六七七>年の条)。
なんじ はか
「汝らのやからは、もとより七つのあしきことを犯せり、……常に汝らは謀りごとをもっ
わざ
て事となす」
つまり、中国人がいつも陰謀を企て、国家の解体をはかってきたことを天武天皇は糾弾して
いるのである。こうしたことはおよそ、戦争に敗れた国が占領軍に対して種々感ずることであ
ろう。通常の日本人が、史上初の被占領体験と孝えている第二次大戦後の約十年間にも、同様
のことをアメリカに対して抱いたと聞く。
いや、それ以上のものだったろう。被占領時にその国の歴史に根ざす貴重な遺産ともいえる
言葉や文字を剥奪された例はたくさんあるし、戦勝国の文字を押しつけられた国は古今東西を
問わず多くの実例で確かめることができる。
しかし、である。まさか私たちの国にもこのような屈辱的な歴史があったとは、讀者は夢に
も思わなかったであろう。そう、日本は白村江の戦いに敗れて中国に占領され、漢字使用を押
しつけられるなかで神代文字を喪失したのだ。
稗田阿礼は神代文字の通訳≠セった
天武天皇は、二度目の被占領時の首相・吉田茂にたとえられるかもしれない。完全な再独立
こそできなかったにしても、主権の回復はなしえたことと思われる。その一端が『古事記』の
成立である。また、天武の即位後しばらくして「筑紫都督府」の呼称も消えている。
ちなみに、さきにもふれた壬申の乱だが、通常、天智と天武は兄弟であり、この内乱は皇位
継承をめぐって天智の子・大友皇子との間で戦われたとされている。
しかし、そうした考えからは天智と天武の政策の遠いがまったく説明できない。そこに歴
史の闇の封印≠ェ介在していることは明らかだろう。
前述した系統の違いはその意味でも注目される。そして、これを詳述するには紙面に限りが
あるため、ここでは皇室の菩提寺(京都の泉涌寺)に天武天皇の墓がないことだけをいって
おこう。
さて、稗田阿礼が誦み=Aそれを太安万侶が漢字で書きとめてつくられたといわれる『古
事記』だが、私はなんらかの圧力(たとえばそれ以前にあった日本の古代文字の記録を漢字に
改めるようかかった圧力)と、日本の解体を憂慮した天武天皇の意思とが相乗されて撰録され
たと考えている。
その証拠に、『古事記』には、稗田阿礼が神代文字で書かれた記録を読んだ≠烽フを、安
万侶が漢字に改めていったという意味合いのことがはっきり書かれている。たとえば、安万侶
自身が『古事記』序文でこう述べている。
そこで天皇(天武天皇のこと)は阿礼に命じて、帝皇の日継及び先代旧辞を誦み習わせ
たり……。
ここに天皇(持統天皇のこと)は、帝紀及び旧辞の違いを正そうとして、臣、安万侶に
命じて、阿礼が誦むところの先帝(天武天皇)の御命令になられた旧辞の類を撰録して差
し出すようにと仰せられた……。
つまり、安万侶は「阿礼が誦む(=読む)ところの帝紀・旧辞」を手がかりとして、『古事
記』を編纂したのである。もし帝紀や旧辞が漢字で書かれたものであるなら、漢文の達人だっ
た安万侶がそれを自分で読めばすむことで、わざわざ阿礼の口を借りる必要はないはずだ。
これはどういうことを意味するのか。そうだ、『古事記』の元になった『帝紀』や『旧辞』
(注12)は、阿礼には読めても安万侶には読めない文字、つまり日本の古代文字で書かれてい
たのだ。そして、阿礼は神代文字で書かれた記録と漢文の橋渡し役、いわば通訳として安万侶
のために働いた、ということではないか。
記憶力バツグンといわれた阿礼は、「読み習ったもの」を記憶した。しかしそれは、神代文
字で書かれていたものを読んで、それを記億にとどめたということなのだ。
正史編纂という国家の重大事業にあたって、おそらく阿礼は、神代文字で書かれた『帝紀』
や『旧辞』を暗誦するくらい念入りに讀み、それをていねいに安万侶に読んで聞かせたものと
思われる。
ヒエタノアレモコロサレキ ― 知りすぎた男の悲劇
こうして日本人は、八世紀の初めに『古事記』と「日本書紀』というかたちで、漢字に置き
替えられた日本の歴史書をもったが、その元になった『帝紀』や『旧辞』などの書物、あるい
は日本に古くから伝わる固有の文字で書かれた由緒正しい歴史の記録を失うことによって、本
来の日本人がもっていた自由な精神や創造的な見方さえも失ってしまったのではないか。
私がこのことを痛感するのは、ほかでもない。宮崎県の高千穂で見つかったという碑文(郷
土誌『すみのえ』一〇四号所収)を私なりに解読した結果、そこに以下のような恐るべき一文
が刻まれていたことを確認したからである。
「ヒエタノアレモコロサレキ」(稗田阿礼も殺されき)
この短いが驚くべき一文について、説明は要すまい。稗田阿礼は『古事記』の完成した七一
二年以後のある日、突然、何者かの手によって暗殺されたことを、この高千穂碑文は物語って
いるのである。
もしこのことが事実であるとしたら、彼の死は、日本の古代文字資料に記されていた真実の
歴史が、闇の力によって葬られたことを意味するのである。
そして、このことはまた、そのような力がつい最近まで、すべての日本人の無意識に働きか
け、私たちの歴史解明の努力を歪めてきたことをも意味している。
『古事記』と『日本書紀』が日本の古代文字で書かれず、漢字を使って書かれた背景には何が
あったのか。日本人の言葉と歴史が漢字に置き替えられたとき、そこにはどんなトリックが用
意されていたのか。稗田阿礼は、その秘密をあまりにも知りすぎたために消されてしまったの
ではないだろうか。
おそらく阿礼と同じ運命にあった者は一人や二人ではなかったろう。「稗田阿礼も……」と
いう記述からそれを察することができる。
ベールに覆われた日本人の祖先の歴史
私は漢字以前の日本の古代文字の存在について検証してきた。
日本には漢字以前に文字がなかった、という定説がなぜつくられてきたのだろうか。それは、
この高千穂碑文の解読の結果、「稗田阿礼も殺されき」という言葉によっても推測されるよう
に、意図的に日本の過去の歴史が消されていった事実を示しているのだ。
時の権力者、この場合は中国(唐)の日本占領軍の指令によって、日本古来の文字を使うこ
とが禁止され、占領国の文字(漢字)を使用することが強制されたのである。
とはいうものの日本は古い国である。古代の「残存遺物」は多く残されているし、「古史古
伝」と呼ばれる「記紀(『古事記』と『日本書紀』)以前の書」にも伝えられている。
これらの文書は、もちろん日本の古代文字で書かれていたにちがいないが、古代文字の使用
が禁止されたあとは、漢字を当てはめて書き写され、伝えられてきた。
古史古伝が偽作、偽書とされる理由は、その内容が記紀と異なる部分が多いことにある。し
かし記紀の記述が一〇〇パーセント正しいという証明はなされていない。『魏志倭人伝』に記
述されている邪馬台国や、その女王の卑弥呼について、記紀は一言もふれていないではないか。
逆にいえば、『魏志倭人伝』を中心にみるなら、記紀こそ偽作、あるいは偽書だという疑いす
ら出てくる。
まして、古史古伝には、ほぼ共通したテーマ、あるいは目的のようなものがある。それは、
そのほとんどが古代の権力闘争に敗れた側の豪族の家系に伝わった文書というかたちをとって
いることである。戦争に勝利した新しい権力にとっては、これらの敗北者の過去の歴史は抹殺
の対象になるべきものであったにちがいない。だからこそ、文書を保存しようとする敗者の側
は、さまざまなカムフラージュを施すことになる。
したがって、後世の私たちが読むと、難解で奇想天外な話として映り、それが歴史的事実だ
ということがわからなくなってしまいそうである。
しかし、それは史実を史実でないようなものに変えて伝えたために、そうなってしまった、
と受け止めるのが正しい見方であろう。
だとすれば、古史古伝を読む場合は、意図的になされたカムフラージュのべールを一枚一枚
たんねんにはがしていけばよいわけである。するとそこには、消されたはずの私たちの祖先の
歴史が、白日のもとに浮かび上がってくるにちがいない。
闇の封印≠フ外にある『契丹古伝』の発見
このような視点に立って、読者とともに古史古伝を読みながら本書を進めていこうと思うの
だが、まず最初にあげられるものは『契丹古伝(きったんこでん)』であろう。
『契丹古伝』は九四二年に編纂された遼(契丹)王家の史書である。遼は、文献史上では五世
紀に内モンゴルのシラムレン河流域に現われた遊牧狩猟民族・契丹(キタイ)が十世紀に打ち
立てた王朝で、モンゴルから中国東北地方と華北の一部にまたがる地域を支配していた。宋か
から燕雲十六州を奪うなど、いわば中国(漢人〈漢民族〉)と対抗していたといっていい。しか
も『契丹古伝』は一九〇五年に現在の中国・吉林省で発見されるまで長い間王家の人々によっ
て守られてきたため、漢民族の闇の封印≠ノあっていない。
そしてこの、『契丹古伝』の編纂目的は、建国まもない遼(九一六〜一一二五)の王家がみ
ずからの歴史的背景と正統性を明らかにしながら、漢民族の中原(ちゅうげん)支配に抵抗する周辺民族の
団結をリードし、鼓舞するところにあった。
が、同書は結果的に、私たち日本人が今となっては入手できなくなった『秘府録』(後述)
をはじめとする八世紀以前の古代史料を駆使することによって、記紀や他の古史古伝から洩れ
てしまった渤海滅亡以前の高句麗・日本の太古史を明らかにする数少ない貴重な資料となった
のである。これは、同書の編纂に携わった契丹の史官・耶律羽之(やりつうし)の歴史家としての資質が優れ
ていたこと、すなわち憶説にたよらず「史料に語らせる」という客観的で実証的な叙述方法の
賜物である。
『契丹古伝』は『秘府録』その他の資料を忠実に引用することによって、私たちがもはや知る
機会のなくなった太古日本の歴史の真相を間接的に物語ることになった。
さらにこの書物は、契丹王家の源流を明らかにする試みを通して、アジア全土にかつて栄え
た高句麗・日本の王家の失われた歴史をよみがえらせ、今は亡き契丹人の祖先とともに私たち
日本人の祖先が西方からの侵略者と勇敢に戦ったことや、漢帝国の成立以前に彼らが世界各地
で活躍した事を伝えてくれるのである。
紀元前の日本史と世界史の虚構が暴かれる!
さて、『契丹古伝』が私たちに垣間見せてくれる太古日本の歴史は、その内容があまりにも
通説とかけ離れているため、これまで欧米や中国の学者たちが流布してきた世界史の常識に従
えば、まったくの空想としか思えない。
が、『契丹古伝』によれぱ、私たち日本人と契丹人の共通の祖先である「東大神族(シウカラ)」(『契丹
古伝』では「東大古族(とうたいこぞく)」とも記される)の歴史は、過去三千年にわたってエジプト、シュメー
ル、インダス、黄河の地を次々に侵略してきたアッシリヤ人、つまり中国で漢人(あやひと)として知られ
る欧米の支配階級アーリヤ人の手で抹殺され、改竄(かいざん)されてきたという。
つまり、私たちがこれまで教わってきた紀元前の日本と世界の歴史、とくに秦・漢帝国、ロ
ーマ帝国以前にカラ族=東大神族が地球の各地で都市文明を興した史実を抹殺した世界史はこ
とごとく虚構である、というのが『契丹古伝』全体を貫く基本テーマとなっている。
私たちの祖先の真実の歴史、カラ族(クル族)と呼ばれてきた東大神族がかつて地球のすみ
ずみに築き上げてきた輝かしいムー文明(太古日本の宇宙文明)の歴史は、アトランティス人
(漢人/アーリヤ人/アッシリヤ人)の手で巧妙に流布されてきた歴史の通説にひそむ大ウソ
を暴かないかぎり明らかにすることはできない、と同書は訴えているのである。
「漢字の発明者・蒼頡(そうきつ)」の碑文がいまだに解けない漢字国・中国の謎
たとえば『契丹古伝』は、紀元前の中国大陸の主人公はあとからやって來た漢民族ではなく、
もともとそこに住んでいた日本人の祖先だった、と記す。
そこで、これから述べることは拙著『超古代世界王朝の謎』(日本文芸社刊)のなかですで
に紹介したことだが、きわめて重大なことなので再び取り上げながら、目を中国自体に向けて
みよう。
中国の歴史の記録は、前漢の武帝が司馬遷に命じて編纂した『史記』に始まる。この『史
記』の記録に基づいて、これまで紀元前の中国には、夏(か)とか殷(いん)、周(しゅう)(西周)という王朝があっ
たとされ、やがて秦という強大な王朝が台頭して中国全土を統一した、ということになってい
る。秦による中国の統一以前の歴史は、一般には次のようにいわれている。
すなわち、紀元前七七〇年頃から東周の時代が始まり、諸侯の一つであった大国の晋(しん)が紀元
前四〇三年頃に分裂したあと、戦国時代になった。そして紀元前五世紀に始まる戦国時代から、
斉(せい)・晋・楚(そ)などの覇王の戦いが激しくなっていった。そして、戦国諸国を統一したのが秦の始
皇帝である、と。
しかし、このように教えられてきた中国の歴史がはたして真実だったのかどうか、日本の場
合と同様、考え直してみる必要がありそうだ。
その好例として、中国の西安郊外に碑林(碑文の林)というところがある。その碑林に、漢
字の発明者といわれる蒼頡(そうきつ)という人物が残した碑文がある。
漢字を発明したのがほんとうに中国人であるとしたら、この蒼頡碑文はとっくに中国の学者
が読み解いていていいはずだが、いまだに中国では謎の碑文として、未解読のままなのである。
しかし、そこに書かれている文字は、101ページをご覧になればわかるとおり、日本に伝わっ
ている北海道異体文字(アイヌ文字)とそっくりである。また一部、トヨクニ文字に似ている
ものもある。そこで、この蒼頡碑文を、日本の北海道異体文字とトヨクニ文字の混用文として
読んでみるとどうだろう。
死後に富むを得
幸い 子々孫々まで
満たしめよ
いわ ん
とくれぐれ言はれけむこと
つつし う
たみたみ慎み思ふ
ここには、古代の日本語として意味をなす、すばらしい文が刻まれているのである。そこで
疑問となるのは、なぜ古代の中国に日本の神代文字で書かれた碑文があるのか、ということだ。
これは大問題である。もしかしたら漢字の発明者と伝えられる蒼頡という人物は、中国人では
なく、古代の日本人ではなかったか。こんな途方もない想像さえ生まれてくる。
中国・戦国時代の斉(せい)は出雲の国の事だった!?
古代中国に日本人がいた!?しかもこの日本人は漢字の発明者らしい。
私は不思議に思って、改めて日本神話と斉の国の神話を読み直してみることにした。
するとどうだろう、これまで誰も考えつかなかったような、もっとすごいことがわかってき
たのである。
それはプロローグにも記したが、日本神話と斉の国の記録のなかにみられる「国譲り」の話
が驚くほどよく似ていることだ。かいつまんで話すと、こうなる。
斉の最後の王である王建は、秦の始皇帝に国譲りをしている。一方、出雲神話のなかにもオ
オクニヌシがニニギノミコトに国譲りをしたという話がある。
そこに登場するオオクニヌシの祖父はサシクニヲホといい、母はサシクニワカヒメという。
この二人の名前を北海道異体文字で表わしてみると、105ページ図10のようにそれぞれ、「敫(きょう)」
「君王后(くんこうおう)」という字になる。
もうお気づきだろう。斉の最後の王、王建の祖父と母は、オオクニヌシの租父および母と、
ピッタリ一致してしまうのだ。
ということは、出雲神話のサシクニヲホとサシクニワカヒメが、それぞれ斉の国の?と君王
后という人物にすり替えられた、ということではないだろうか。
そう思って、ほかにもいろいろ調べているうちに、それを裏づける証拠が次々と出てきた。
まず、それぞれの国譲りをした場所と、そのあと移った場所について、さきほどのようにし
て調べてみると、これまたピッタリ一致することが判明した。すなわち、日本神話のイナサノ
ヲバマが斉の「荊」に、タギシノヲバマが「松柏」という字になるのである。
このことは何を意味しているのだろうか。これは、中国大陸を舞台とした出雲のかつての真
実の歴史が、のちに漢字に書き改められ、中国の歴史にすり替えられてしまった、ということ
を意味していないか。
さらに、この頃(戦国時代)の貨幣を調べてみると、戦国諸国が現在の中国大陸にあったな
ら、当然、それぞれ独自の貨幣をもっていたはずなのに、どれも斉の貨幣と同じものを使用し
ていたことが判明している。しかも奇妙なことに、その貨幣にはすべて、たとえば「アマフユ
キヌ」のように、当時の出雲の王の名が神代文字で刻まれているのだ。
この事実からも、戦国時代の斉の正体は、日本神話でいままでその実在性が疑問視されてき
た出雲の国だったことがよくわかるのである。が、決定的なのは次の事実だ。
出雲を神代文字で表わし、それを組み合わせてみると、なんと斉≠ニいう字になる。これ
をみれば、中国の歴史がすり替えられたことは一目瞭然である。どうやら中国においても、
『史記』以前の記録のすり替えが行なわれたことは間違いないようだ。
いってしまえば、漢の武帝が紀元前一〇八年頃、司馬遷に書かせた『史記』とは、とんでも
ないクワセモノということになる。
司馬遷は『史記』の執筆中、獄につながれていた。完成後には解放される約束であったにも
かかわらず、まもなく殺されてしまった。
これはちょうど、『古事記』の編纂に携わった稗田阿礼が、やはり『古事記』完成後に殺さ
れたという事情とよく似ている。両者は偶然の一致とは思えない。日本の太古史と中国の古い
歴史を抹殺しようとした勢力が、それぞれの背後にあったことは間違いない。
紀元前の中国史を書き換えた西から来た人≠ニは何か?
私はその正体を追ってみた。その結果私が得た結論は、さきの『契丹古伝』に記されたとお 典/dp/4198601550
りだった。『契丹古伝』が語るところを引用してみよう。
その昔、地球は大異変に見舞われ、恐るべき洪水が発生して、海と陸の形はすっかり変
わってしまった。
この異変で地軸が傾いた結果、大地は中国の北西部で縮んで盛り上がり(ヒマラヤの隆
起)、南東部で引き裂かれて沈没した(フィリピン海溝の形成)……。
尭・舜の時代に地球の全土は戦火に包まれ、禹(う)は洪水の後始末に追われた。
ところが、このような戦争と異変の混乱に乗じて、人身牛首の神を祀るもの、蛇身人首
の鬼を祀るものが、西から東へ次々とやって来て、我らの地に住みついた……。
前述したように、『契丹古伝』はここで、紀元前の中国大陸のもともとの主人公は今の中国
人ではなかった、と述べている。現在では漢民族が最初から中国五干年の歴史の主人公であっ
たかのように説かれているが、それは事実ではないらしい。紀元前の中国の歴史は、西から来
た人々によって書き換えられてしまった、というのである。その先をもうすこしみてみよう。
彼らはみずからを我ら東大古族の神の子孫と偽ったばかりでなく、伏犠(ふくぎ)や神農(しんの
う)、黄帝(こうてい)、
少昊(しょうこう)なる人物を、我らの王の祖先に仕立てあげ、その系図に自分たちの祖先をつなげて、
これら偽りの神と王に対する崇拝を我らに強制して、みずからを聖帝の子孫なりと誇らし
げに語っている。
ここに書いてあることは非常に重大である。私たち日本人と契丹人は東大古族≠ニいわれ
ていたが、西から侵入してきた人たちが、自分たちこそ東大古族の神の子孫であると偽り、系
図や歴史まで自分たちのものとしてでっちあげたというのである。さらに先がある。
けれども彼らは、みずからの祖先と思っていた尭と舜が、彼らの思惑に反して、東大古
族の王であったことをはたして知っているのだろうか。
西から中国の地に移住して帰化した人々が、我らの王に仕えたのは、尭・舜のときでは
なく、その後久しく續いた夏王朝の創始者たる禹のとき以来のことである。彼らは禹を、
あたかも彼ら中国人の王であり、中国大陸だけを治めた王であったかのように記している
が、これはとんでもない間違いだ。
これらのことがもしも事実だとすると、これはゆゆしきことである。つまり、中国大陸のも
ともとの主人公は、いまの中国人の祖先ではなく、東大古族といわれていた日本人と契丹人の
共通の祖先だった、ということになるからだ。さらに『契丹古伝』はこう語る。
『史記』に記された禹は、大洪水を生きのびてティルムンの楽園に住んだシュルッパクの
王、ウトナピシュティムをさしている。彼の治めた地域は、息子のギルガメシュが活躍し
たメソポタミアのウルクだけでなく、全世界に及んでいたのである。
我ら東大古族の王である禹は、中国だけの王ではなく世界全体の王であったことが、西
族の伝承によっても確かめられるのである。
ここに「西族の伝承」と記されているのは、中国大陸に西から侵入したアッシリヤ人(漢
人)が今のイラクあたりに残した粘土板文書に登場するシュメール伝説をさしている。
しかし私たちは、そのシュメール伝説のティルムンの王がはたして我々日本人とどんな関係
があるか調べてみなければ、ここに書いてあることをにわかに信じるわけにはいかない。
私はさっそくアッシリヤの歴史を調べ、「西族」の宮殿跡から出土したといわれる粘土板文
書にあたってみた。すると……。
太古、日本の王は世界を治めた!―神代文字が明かす消された歴史の謎
高橋 良典 (著)
http://www.amazon.co.jp/太古、日本の王は世界を治めた-―神代文字が明かす消された歴史の謎-高橋-良
内容(「BOOK」データベースより)
世界各地に遺る岩に刻まれた文字が何と日本語で読めた。この神代文字の解読と神話の謎解きで、日本人のルーツは、世界最古の歴史を誇
るティムルンの民、カラ族であり、その王は世界を治めていた、と手ぎわよく明かす。
内容(「MARC」データベースより)
ロスチャイルド財閥が日本の神代文字に異常な関心を示しているのはなぜか。「隠蔽された地球史」とは。世界中の碑文・幻の文字の謎を
明かす鍵が日本の古代文字に。太古日本の歴史の真実を読み解く。〈ソフトカバー〉*
目次
はじめに
ロスチャイルド財閥が日本の神代文字に異常な関心を示している!?
四国・劍山には世界の王のしるし≠ェ眠っている!?
隠蔽された地球史≠ェ今、明らかにされる!
プロローグ “太古の秘密”を解き明かす―“地球探検”の旅へ
「世界の富の半分を所有」するロスチャイルド家
情報に錬金術を行使する一族の存在
世界中の神話はお互いによく似ている
太古の祕密を解き明かす鍵は神代文字だ!
日本の神代文字で世界の未解読文字が読める
伊勢神宮の不思議な文字≠ェ語りかける
神宮文庫の謎の奉納文が読めた!
さまざまな字体があった日本固有の古代文字
奉納文はニセモノではない!
神代文字は地球探検≠フマスターキーだ
第1章 “彼ら”が今、必死で探し求めているもの―古代のスーパー・テクノロジー“ヴィマナ”
アンデスの黄金板碑文が投げかけるメッセージ
ロスチャイルドの関心と神代文字が重なった
太古日本・クル族の脅威の航空機ヴィマナ
世界各地の伝承と遺物が証明するヴィマナの実在
地球各地から月や火星に飛んだヴィマナ
輝いていた太古日本カラ文明の数々
原日本人・カラ「クル」族の保持した宇宙文明の証明
ヒトラーやF・D・ルーズベルトも追い求めていたクルの宝
第2章 “漢字の呪縛”を解き放て―今、解かれる歴史の“闇の封印”
『日本書紀』の「古き字」とは何か?
古鏡に残された神代文字銘文を読む
従来の解釈には問題≠ェありすぎる!
何が書かれているのか? ― 新しい解読の真実性
覆された「上古文字なし」の通説 ― 何が問われるべきか
漢字の呪縛から離れよ ― 復権する古代日本
心ある学者は既に古鏡銘文の見直しの必要を感じている
イヅモ文字で読めた古鏡の銘文が表わす王
古代文字文化権との遭遇 ― 広がる日本$「界
神代文字は「甲骨文字」成立の時点までさかのぼる!
第3章 古代日本は中国に占領された―漢字文化に抹殺された真実
神代文字を抹殺した恐るべき黒い勢力≠ェある
中国の日本占領GHQ≠ヘ大宰府に置かれていた
日本解体≠目にした天武天皇の憤慨
稗田阿礼は神代文字の通訳≠セった
ヒエタノアレモコロサレキ ― 知りすぎた男の悲劇
ベールに覆われた日本人の祖先の歴史
闇の封印≠フ外にある『契丹古伝』の発見
紀元前の日本史と世界史の虚構が暴かれる!
「漢字の発明者・蒼頡(そうきつ)」の碑文がいまだに解けない漢字国・中国の謎
中国・戦国時代の斉(せい)は出雲の国の事だった!?
紀元前の中国史を書き換えた西から来た人≠ニは何か?
第4章 伝説の楽園“ティルムン”を求めて―インド“高天原”への道
シュメール伝説の楽園「ティルムン」はどこにあるのか?
インダス国家こそティルムンだった!
インダス文明のベールをはがそう
サーンチー文字が神代文字で読めた!
暗号文書=w新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』からの出発
日本人はデカン高原からやって来た!
実在の歴史がアナグラム≠ノよって神話化されている
暗号解読の五法即≠ナ身近になるインド
第5章 世界に雄飛した太古カラ族―インダス文明の建設者は日本人だった
幻の蓬莱山(ほうらいさん)をめぐる「宮下文書(みやしたもんじょ)」の新視点
『宮下文書』の「大原(おおはら)」はボーパールか?
「高砂の不二山(たかさごのふじさん)」の正体が判明した!
デカンの民族大移動を証明する
面足命(おもだるのみこと)≠ヘハスティナープラの大王だった
インドの天神族′ケ流の地を行く
シュメール伝説のウトナピシュティムは日本神話の天御中主(あめのみなかぬし)だった!
東冥(とうめい)→東表(とうひょう)→東大国(とうたいこく)に隠されていたティルムン=日本の証明
インダス人が日本人の祖先だった事を示す祈りの言葉「命永遠在れ(いのちとわあれ)」
鍵を握るウジャインのカラ族が残した神代文字碑文
バージャ石窟にはっきりと残されていた「カラ」の銘文
今よみがえるインダス文明を担った古代日本のカラ族の歴史
インド古代史と日本古代史がついに一致した!
第6章 太古日本の王は世界を治めた―実在した!幻の東大国ティルムンの王
原日本人・カラ族の足跡を求めて
太古日本の真相を明かす『契丹古伝』の三つの秘史
古代アフリカ、アジア、アメリカ一帯を治めた神祖スサダミコ
大王スサダミコとカラ族(日本人)の「五原」(五大陸)統治
エクアドルでの縄文土器発見が意味するもの
アフリカ古代碑文にも登場するスダス=i=スサダミコ)神代文字
世界各地で確認され始めたスサダミコの足跡
世界に向かって視野を広げたとき、古代日本人の真の姿が見えてくる
紀元前の地球規模の大異変には世界大戦≠烽ゥかわっている!?
古代の核戦争≠叙述する『マハーバーラタ』
破滅的な戦争が古代世界で何度も起こった!?
『山海経(さんかいきょう)』が明かす驚異の太古世界
『淮南子(えなんじ)』に記された禹(う)の地下都市は実在した!
世界全土を統治していた夏(か)王朝の禹(う)
『東日外三郡誌(つがるそとさんぐんし)』が明かす真実の歴史 ― 夏王朝はアソベ王朝だった!
太古日本のアソベ王朝とツボケ王朝は世界王朝だった!
エピローグ 太古日本は世界に広がっていた―二十一世紀“地球統一国家”の夢
インドの「タミル」もティネムンに由来する
縄文文明の見直しが始まった! ― 豊饒な古代世界の交流
あなたの先祖はアフリカ系? ― 意外な渡来もあった太古日本の広がり
世界各地の遺跡が示す原日本人・カラ族の高度な古代文明
言語が示すイスラエルとのつながり ― 八阪氏のルーツ再び
あなたの先祖はエトルリア人? ― カラ族はローマ帝国建国にかかわった!
碑文でたどれるカラ族地球大移動≠フ足跡
太古の宇宙船「サブハ」で世界を巡行した日本の王
天神降臨(てんじんこうりん)≠ゥら始まる古代世界の驚異の歴史の実相
アッシリアと戦った太古日本のティルムン王
太古、日本の王は世界を治めた≠アとを忘れてはならない
ティルムン世界王国の再建と五原の統治
太古日本=ティルムン王の世界統治を裏づける神代文字碑文
日本発、歴史上の大発見時代が始まった!
http://www.asyura2.com/11/test22/msg/907.html
74. 2011年8月10日 12:45:38: iERnqePMdY
Fool on the Hillって、ビートルズの曲ですよね。
なぜ"the hill"が「島国」なんでしょうか?
山が多いのが日本ですが、それを"hill"としたとしても、単数だしねぇ。
基本的なところで間違っている、言いがかりのようなことを引き合いに出しては説得力を失いますので、気をつけたほうがいい。
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/206.html#c74
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