40. 2011年7月17日 00:06:16: rIBZA0Jm6M
相変わらず肯定派はレベルが低いのばっかりですね〜
彼等には何が見えてるのでしょうか?笑
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/368.html#c40
★阿修羅♪ > アーカイブ > 2011年7月 > 17日00時06分 〜 ★阿修羅♪ |
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彼等には何が見えてるのでしょうか?笑
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/368.html#c40
故郷を追われて、帰る見込みも立たない、被災者のこと、一片も考えてない企業は、何処へでも行ってください。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/366.html#c22
次々に高濃度の放射性セシウムが検出される飼料の稲わら。16日には、福島県郡山市の農家に残っていた稲わらから1キロ当たり50万ベクレルもの放射性セシウムが検出された。相馬市の農家からも、宮城県大崎市から納入された稲わらからも高い値が検出されたという。なぜ、これほど広範囲で、稲わらから放射性物質が見つかるのか。
農林水産省によると、稲わらは通常、秋のコメの収穫時に乾燥させ、倉庫などにしまって使用する。だが、今回基準を超える放射性セシウムが検出された稲わらは、秋の収穫時から水田に野ざらしになっており、3月の原発事故後に集められていた。
「雨にさらされた稲わらは、栄養分が抜けカビが生えるため、飼料用としては勧められないやり方だ」と農水省担当者。しかし、収穫期に雨が続くなど乾燥が進まない場合は、まれに水田に置いたまま冬を越すこともあるという。
水田に置かれたままだった稲わらは「事故直後の放射性物質が含まれた雨をもろに浴びた」(農水省)とみられる。さらに、放置された稲わらを集める際、土の表面に落ちた放射性セシウムをこそげ取った可能性もあるという。
放射性物質は風で飛ばされ、降る雨で地面に落ちる。今回、高濃度の放射性セシウムが検出された地域は原発から遠く離れているが、天候が影響したとみられる。立命館大の安斎育郎名誉教授(放射線防護学)は「3月の水素爆発時に出た放射性物質が、雨が降ったときに、昨秋に収穫した稲わらにホットスポット的に落ち、中に入っていったのではないか」と指摘する。
さらに、稲わらは乾燥している。学習院大の村松康行教授(放射化学)は「軽いので、お茶と同じで重さあたりの濃度が濃くなってしまう。表面積も広く、付着しやすい」と説明する。
ただ、安斎名誉教授によると、50万ベクレルの稲わらを毎日1キロ、4カ月食べ続けた牛の肉の放射性セシウムは1キロ当たり約6万ベクレル。人間が200グラム食べても内部被曝(ひばく)は0・2ミリシーベルトで「健康に被害が出る程度ではない」(安斎名誉教授)という。
村松教授は「牛の体内からは時間とともに放射性セシウムが排出され、30〜40日で半分になるという報告もある。今秋に収穫した後の稲わらは土壌から吸収した放射性セシウムを含むので、餌として与えるなら、対策も必要だ」と訴える。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/422.html
燃料は、みんな出ちゃったから、「原子炉“安定的な冷却”」ということですね。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/393.html#c11
なお、君のような考え方は
>>326で既出です。
バ○丸出しは恥ずかしいですよ。
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/284.html#c390
第一の敵は原発推進派であって菅ではないのです。
菅は原発推進派と闘おうとしているのかも知れないと思っているのです。
ストレステスト自体まやかしだとは思いますがそれすらも経団連会長の米倉は許せないと言ったのです。
我々脱原発派は再稼動に対するストレステストを支持し評価の基準を厳しくする事を菅に要求するべきです。
菅を降ろしても原発事故の収拾と放射能に対する対処がマシになるという保障は何もありません。
1月30日の時点では菅は消費税増税と検察やマスコミと一体となって小沢を排除しようとしている打倒対象でしかありませんでした。
しかし、今やその菅は延命の為に脱原発にシフトし脱原発派が利用すべき対象となったのです。
原発推進派に逆らうという命がけの延命なのです。
原発推進派がどんな連中であるかは分かるでしょ?
http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/485.html#c7
小沢氏に期待したいのは俺もやまやまだが、今の政治状況で小沢氏やその同志による政権の早期実現など
明らかに絵に描いた餅。そんな簡単にいくのなら、社民や共産だって明日にも政権取れるだろうよ。
今夏の原発再稼働を阻止できれば、推進派の原発必要論の虚構がいよいよ明らかになる。
今は原発政策転換の正念場だよ。だから推進派は菅降ろしに必死なんだ。
自分は菅は断固不支持だ。だが上記の理由で、秋までは「菅降ろし」への同調を封印する。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/357.html#c71
もう平成だぜ爺さんよ。
まったくロマンチストな爺さんだぜ。
ビートルズも反日極左も工作員だったんだろ。
長生きしたって良いことなんかないんだよ。
でもな、あたしもほんとは青い人好きだぜベイビー。もう一度新宿西口広場に集まろうぜ。
http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/485.html#c8
>>38の方の様に、知ったかぶりして高慢な方が多くなった背景は、
羊飼い達の宗教破壊によるものなんですが・・
本来、日本人は、謙虚さ・謝罪する文化がありました。
宗教を羊飼い達や権力者達が、破壊してしまったのでモラル・ハザードが発生。
善悪の基準を自分に置いてしまうので、森羅万象の理も解ってないのに
真っ向から否定する。 理解できないなら、まず質問をして、相手が何を言っているかを
確認して、意見の相違を述べれば良いのに、乏しい知識で喧嘩売って来るパターンが
多くて困ってます。 米国は治安が悪いですが、感謝・報謝を必ずするキリスト教
プロテスタント系
のモラルがあるので、上手く行きました。
日本は、モラル・ハザードが酷く、感謝も謝罪もしない文化になりつつあります。
日本IBM&日本政府が、米国のビル・ゲイツなどの著名人などが感謝の還元を
する文化を輸入していれば、財政難も311大震災も起きなかった。
まずは、モラル向上です。
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/146.html#c81
人間の大人が大声で真似ているみたいな声でしたが、見れば、確かにウグイスが木から木へ渡りながら必死で鳴いていました。
普通、こんなに人家のそばへ来ないのに、変だね、と驚きました。
しかも、昼間、ずっと30分以上も鳴き続けていたのです。
家の中でもやかましいほどでした。
ウグイスも放射能を感じて異常を訴えていたのかもしれません。
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/468.html#c65
こんなに放射能(放射線)を撒き散らしたら、それこそテロリスト同然でしょう。
にもかかわらず、その責任を負っているはずの東電なども、きちんとメディアが
追及しないということもあるんでしょうが、放置されたまま。
だからこそ!の広瀬さんと明石さんの刑事告発という行動が出てきたのだけど。
それはさておき、07さんご紹介の霧箱というのは興味深いですね。
あと、12さんが書いていた
>稲わらは空気も水も通さないよう保管しているので、セシウムだけが混入することは、ありえない
ですが、放射能(放射線)というのは分厚い鉛の壁でもない限り通ってしまうのではないですか?(核種にもよるかもしれないが)
だからこそ、当初「水道水が〜」というときに
多くの人がミネラル・ウォーターを買いに走ったと思いますが、
それだって、実は浴びていた可能性もあっただろうと思ったのです。
今更言ってもどうしようもないけど、小出さんがいつもおっしゃるように
こんな悲惨なことにならないように(原発を)止めようとしていたのだ、って
いうことに尽きます。本当に悔しい。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/380.html#c13
神がいるかどうかを考えるなど時間の無駄だと言いたいのです。
貴方はこの意見に反対ですか?
賛成ですか?
それとも既にいるかどうか知っているのですか?
私は神の存在の有無を考える人に興味があります。
そんな無駄な事に何故時間を取るのかを。
恐らくはこれは自分が作った言葉によって逆に思考を支配されてしまった人間の病だと思います。
言葉病ね。
何にでも名前を付けすには気がすまないし何でも言葉で説明しないと気がすまないという。
私自身その病にかかっていると思いますがそれを自覚しています。
http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/488.html#c20
地産地商の牛乳と放射能まみれの混ぜ牛乳とを区別できる
有効な方法はないんでしょうか…
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/283.html#c39
原発の実用化は100年早過ぎなのです。
それでも止めない政府・原子力業界
東電のウラ側、原発の儲かるカラクリ【1】
http://president.jp.reuters.com/article/2011/07/13/22825BD4-A7AB-11E0-8EF7-32FF3E99CD51.php
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/422.html#c1
また、放射線で汚染された地域になにかしら、投資するすることは、経済的な行為でしょうか?
もともとは、自民党が、原発を推進してきたことが、大きな原因と思います。
補償は、政府だけがするべきでなく、自民党も原発を推進してきた責任として取ることが良いのではと思います。
日本は世界第2位の原発保有国です。当然、それにかかわる技術者の数も第2位の数が存在すると思います。にも、かかわらず、東電社員の行動とは、情報隠ぺい、汚染水処理が、まともに進捗しないありさまです。
仕事できないやつは、一般的に左遷か退職です。そんな社員が、東電の原発部門には、大量にいるように思います。
農業関係者も、東電から散々補助を受けてきたのに、まだ補償しろというのは、違和感を感じます。
原発の爆発リスクがあるからこそ、補助金を受領していたのですから、他人(日本国民)の力を受けず、自分で責任を取ってくださいと申し上げたい。
農業関係者には、セシウムをはじめとする放射性物質を拡散させた責任をとって貰いたいです。
これは、日本国民に対しての殺人、致傷行為と受け取っても良いのは無いでしょうか?
http://www.asyura2.com/11/genpatu11/msg/550.html#c154
福島県の畜産農家自身が、汚染源に変貌していく様は、哀れで醜い。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/300.html#c14
>昨日、大阪市内のスーパー「イズミヤ」では福島産のキュウリが山積みされており、産地表示は値札にはなされていなかった
について、値札に山地の表示が無かったのであれば、どこに産地の表示があったのか、参考に教えていただけるとありがたいです。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/387.html#c8
新宿区や宇都宮市、前橋市、さいたま市等では、自然放射の基底値が上昇しています。
これは、どう考えても今回の東京電力からの放射性物質拡散によるものと考えるのが自然です。
したがって、色が塗られていない場所もデータがなかっただけで汚染されているはずです。
ここに載っているデータですら地上から30mもあるところで計測しているふざけた値が載っているので、ないよりはマシですが、信用するには足りないと思います。
この国で真実を知ることは、相当困難なことなのです。
われわれは、だれがこの国をこの様なおかしな社会にしたのかよく考えるべきだと思います。
http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/134.html#c87
もういい加減に
>ただ、安斎名誉教授によると、50万ベクレルの稲わらを毎日1キロ、4カ月食べ続けた牛の肉の放射性セシウムは1キロ当たり約6万ベクレル。人間が200グラム食べても内部被曝(ひばく)は0・2ミリシーベルトで「健康に被害が出る程度ではない」(安斎名誉教授)という。
言葉遊びによる被害の矮小化→これこそ風評被害の最たるもの-やめませんか。
いずれにせよ、チェルノブイリとそれほど変わらないような原発事故が起き、いまだその最終的な景色も見えない中でそれこそ不毛な論議をせず、
即時的影響の少ない、不可視なものではあるが客観的、中長期的にみて
多大な損害を被った”事実”に対して対処していかねば本当に
日本という国家は衰退の一途をたどり、将来は中国や韓国・朝鮮の属国に成り果て
世界からJAPANという場所がなくなってしまうのではないか...
というのは杞憂だろうか...
もっといえば私たち生物種のひとつとしての人類は本当に絶滅の危機に瀕しているのではないだろうか。
陰謀論などではなく、原発だけにとどまらず、今人間にとってあらゆる分野からの攻撃によって恐竜と同じ道をたどっているんじゃあないだろうか。
夢や希望といったものはこの世にあるのか?
東電も新聞屋も全く変わっていない。先にするなら今まででも出来たはず。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/404.html#c10
04さんが、値札に産地表示されていないそのキュウリを「福島産」であるとしたその根拠をお聞きしたいと思い、コメントしました。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/387.html#c9
地震兵器、でアマゾンで検索すると多くの本が出てくるので、地震学者でもない素人が証明する前に多くの専門家が証明している。
しかし、本を読んで知識を広めることもしない輩は、話にならないので、どうしようもない。
本を読まないから、世界の常識も知らないのだろう。
バットもグローブも持たずに野球の試合に出てくるようなもんだわな。
人に証明せよ、と言う前に
逆に君は、阪神とか、東日本とか、四川とかスマトラとかの地震が人工地震ではなかったということを証明できますか?w
証明できたら、すげえ、偉い!とほめてつかわそう、w
できなかったら、根拠もなしに人工地震説を否定しているということになる。
ちなみに、911が自作自演ということも、君は信じていないのかな。
自作自演という証拠はいっぱいあるが、自作自演ではなかった、という証明はまだされていないのだよ。
そっちのほうも君が証明できたら、偉いと思うけどねw
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110411/dst11041111510019-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110409/dst11040900040000-n1.htm
来年は米も同じことになるでしょうね。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/283.html#c40
最も大きな働きは温暖化が二酸化炭素のせいだと大騒ぎしていたときにこの理屈に強烈に冷や水を浴びせたこと。この貢献は大きかった。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/399.html#c17
おそらく、相当安く買い叩いていると思う。
政府と東京電力がこの夏、盛んに訴える「電力不足」の“信憑性”が問われている。東電が公開しているピーク時供給力は最近、不自然なまでに急増。だが、多くの自治体は無意味な「夜間節電」を続け、治安の悪化が深刻さを増している。そんななか、東電の副社長が「夏場は乗り切れる」と言及し、他社への電力融通まで口にし始めた。電力が足りているのなら、犯罪防止に振り向けるべきではないか。
節電による街路の消灯で治安の悪化が懸念されているが、それを裏付けるデータが14日、警察庁から発表された。今年上半期の全国のひったくりの件数は前年と比べて10%以上減ったが、東電管内の1都8県は福島第1原発事故直後の4月に27・7%も増加していたのだ。節電で道が暗かったことなどが原因とみられている。
今月4日には、NHKの午後9時のニュースで興味深いリポートが放送された。節電目的で東京都内などで街灯の一部が消されたことで、ひったくり被害が増えている実情が詳細に報じられたのだ。また、節電のために自宅のクーラー使用を控えて窓をあける人が増えたことから、ホームセンターでは不審者の侵入を防ぐ窓の補助鍵など、いわゆる防犯グッズの売り上げが伸びているという。
そもそも、電力は“ため置き”ができない。夜間に節電しても日中の電力需給の逼迫(ひっぱく)解消には何の役にも立たない。しかも、日中の電力でさえ、いまや“逼迫”とは言えない状況だ。現状について、東電関係者は次のように語る。
「震災直後には、7月末時点で4650万キロワット程度の供給能力しかないとされていましたが、実際には7月末に5730万キロワットに達する見込みです。それだけで今夏の最大需要と予想される5500万キロワットを上回る。送電時のさまざまなマイナス要素を勘案しても、一般家庭や地方自治体に節電を要請する状況ではありません」
さらに“隠し電力”として、日中に貯水した水を深夜の余剰電力で引き上げる揚水発電も平均650万キロワット存在する。にもかかわらず、37年も前に施行された電力使用制限令を引っ張り出し、「でんき予報」を出してまで、政府と東電は間断なく、電力不足と節電を訴え続けているのだ。
自治体の夜間節電は、この方針に従ったものだが、果たしてそれでいいのか。NHKのニュースでリポートされた東京都中野区江原町の都道街路灯を管理する都道路管理部の担当者は「行政としては、住民のためにも点灯させたいのが本音」としつつも、次のように語る。
「午前9時から午後8時までのピーク時間帯の節電15%を達成するには、午後8時までは点灯できず、明暗センサーを切っているため、その後も点灯できません。都としてはまだ、夜間の電力需給が足りているとは考えておらず、エコやライフスタイル変換の観点からも、消灯は必要と考えております」
同じ地域で、都道以外の一般道の街路灯を管理する中野区の道路維持担当者も、「役所として、昼夜トータルで節電の必要性があると判断し、消灯を続けています。当初は不便や不安を訴える住民の苦情もありましたが、現在はほとんど寄せられません」と説明。しかし、別の関係者は、「猛暑の中で節電をお願いしている区民に対し、役所として(危機感を)アピールする意味合いもある」と本音を明かす。
■東電副社長は暴言
経済アナリストの森永卓郎氏は、「いい加減、非科学的なことはやめたほうがいい。電力が足りることが分かっているにもかかわらず、電力制限令の対象でない自治体や企業が街路灯やエレベーター、エスカレーター、エアコンの使用を制限するのは、意味のない弱者イジメにほかなりません。政府や東電の言うまま、何も考えずに節電するのは、計画経済下にある社会主義国家の無知な国民のようなもの」と話す。
しかし、少なくとも東京都と中野区は電力使用制限令が続く9月22日まで、点灯を再開する予定はないという。こうしたなか、東電の藤本孝副社長は日本経済新聞のインタビューで、「同じ気温でみた場合に10〜15%程度電力使用量が減り、夏場は乗り切れるメドがつきつつある」と語った。
事実上の“節電解除宣言”かと思ったらさにあらず、東電の発電量に余力が出た場合は、「(関西電力など西日本の電力各社から)要請があれば、応援融通を検討しなければならない」と言い放ったのだ。
全国で唯一、罰則付きの「電力制限令」で強制節電を強いられている東電管内の大規模事業者や、治安悪化に悩む一般利用者には“暴言”にも近い発言だ。しかも、その一方で藤本副社長は「(需給逼迫による)計画停電を何としても避けるためにも、需給には余裕を持ちたい」と、電力会社の“伝家の宝刀”をチラつかせることも忘れなかった。
「もし、余剰電力を他社に融通するようなことになったら、然るべき対価を受け取ったうえで、電力使用制限令の対象となった事業者に迷惑料を支払うのが筋。さらに、事業者の了承を得たうえで、原発被災者への賠償に充てるべきでしょう。そうでもしないと、利用者の納得は到底得られません」(前出の東電関係者)
こうした状況を受け、『しあわせ節電』の著書がある鈴木孝夫・慶大名誉教授は逆説的にこう語る。
「中途半端な“強制節電”に振り回されてストレスをためるくらいなら、夜通し街路灯がこうこうとともるほうが異常と考えを変えるほうがスッキリする。道路が暗ければ犯罪が増えるのは当たり前で、街路灯などに頼らず『自分の身は自分で守る』という国際的に当たり前の感覚を身につけるしかない。政府と電力各社は電力の有無にかかわらず、もっと節電を推し進め、国民の生き方を変えたらよい」
東電は7月16−22日の電力需要について、従来予想の5500万キロワットから4910万キロワットまで引き下げた。電力供給の回復と“過剰な”節電努力により、「節電の夏」はなんともちぐはぐな展開となりそうだ。
◇
大飯原発:1号機を手動停止 供給不足分拡大し節電影響も
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110717k0000m040100000c.html
毎日新聞 2011年7月16日 21時32分(最終更新 7月16日 21時40分)
関西電力は16日、調整運転中の大飯原発1号機(福井県おおい町、加圧水型、出力117.5万キロワット)で緊急炉心冷却装置(ECCS)系統にトラブルがあったと福井県に伝えた。原因調査のため、同日午後8時53分に原子炉を手動停止した。再稼働の見通しは立っておらず、8月の最大電力(需要)に対する供給力の不足分が大幅に拡大し、関電が要請している節電などにも影響を及ぼす可能性がある。
関電は、定期検査中の試運転に当たる調整運転から営業運転に移行するための、最終検査の申請作業を準備していたが、作業はストップする。
県や関電の発表によると、15日午後10時46分ごろ、4系統あるECCSのうち1系統で、非常時に原子炉内に冷却水を注入するための「蓄圧タンク」の圧力が約2割低下した。タンク内に窒素を補給して約1時間後には基準値に戻した。原因について関電は、タンク内の圧力を自動的に調整する安全弁に何らかの問題があり、一時的に窒素が漏れ出た可能性があるとみており、今後、弁を分解点検する方針。
関電は東日本大震災発生前日の3月10日に1号機の原子炉を稼働した。福島第1原発事故を受け、地元の意向に配慮するとして、調整運転のまま4カ月以上フル出力で発送電。近く営業運転に移行する予定だった。県は、定期検査中の原発の再稼働については、新たな国の安全基準の提示などを条件とする一方、1号機の営業運転は容認する意向だった。しかし今回のトラブルで「安全基準が示されなければ再稼働は認められない」との見解を関電に伝えた。
関電が福井県内で運転する原発11基のうち、定期検査で既に4基が停止。21日以降には更に2基が停止する。【安藤大介、横山三加子】
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/423.html
それはよくわかる.皆そう捉えてるもんだと思ってた.はじめは.
しかしこの数か月の阿修羅の武田氏の発言に対するコメントを見る限り,想像以上に武田氏の発言を信奉するヒトが多いのでちょっと心配になる.
はじめは何でそうなるの?って面食らった.
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/399.html#c19
アホかね。小出先生は東京住民が3/15に「1日で1mS」、しかも内部被曝したと言っているんだろ?なら、たとえば福島市の子供たちは「3/15だけで」で100mS被爆したんだよ。その後今までいったいどれだけの量、被爆したんだろうな。10倍で済むのか。もう病状はそこかしこで眼に見えていることだろう。あと、逆に、福島県民全員が1mS以上原発のせいで余計に被爆するかというとそうではない。福島は東京と違って広いんだよ。
また、子供は放射能雨に濡れたセシウム稲わらは食わない。牛じゃない。牛と子供を偉そうに一緒くたにするな。一方、こどもは放射性気体はいやというほど吸い込んだだろう。
>それにもかかわらず、福島の子供たちに逃げる選択肢は事実上、与えられていない。
やはりアホだな。今さら、牛と比較して何言ってるんだ?4ヶ月も前に、誰も何も言わないときに、福島の子供たちの将来はすでに決定した。放射能がどうでもよくなった今になって、「逃げる」もクソもないんだよ。今頃になってこういうふうに妙な人の道を解きたがるカスにはかえって腹がたつ。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/418.html#c9
これでは始めに事故ありきで何のための装置かわからない...
世界的に見ても多くの電力会社のあるべき姿は中央集約的、大規模化が当たり前かのように語られてきたようだが、送電コストが電力会社の経費の大部分を占める現在、本当は電気なんぞは、小規模地方分散型のほうがよほど効率的だろうに...
でもそれは逆に金を生む”利権”からするとあってはならない状態であるのは容易に想像できる...
火山が多い、島国日本の姿をみれば原発なんぞは絶対に不必要な非効率、将来に莫大な負債を残す危険極まりないものであるのは明白だろう。
かくも利権という甘い汁はおいしい手放せないもんなんか???
しょーもない、
例年を忘れたが、一応報告。
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/468.html#c68
わかるように表示してあったんなら隠ぺいてのは言いすぎでは.
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/387.html#c10
悪魔の証明要求、論点すり替え、自分の常識=世界の常識、上から目線、世界の大災害全て人工で証明可能宣言!
まさにフルオプション仕様!
アンタ凄すぎるぜ!
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/368.html#c42
太平洋の魚が食えなくなったら東電の賠償スキームも債務超過もヘッタクレもないだろうが。たった1000億円がどうしたこうしたの問題ではない。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/414.html#c8
国際板に投稿してください。
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/155.html
国・行政は、福島と近辺から汚染食料が拡散するのを、ほおかむりして
知らんふりしていたのが、ばれた。
体質とはいえ、なんで役人はばれるまでほっとくんだろうね。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/312.html#c11
風呂窓からは侵入も逃走も出来ない。
繊維痕も擦れた跡も無いし侵入したとしたら殺害状況と辻褄が合わない。
逃走後鍵も掛かっていた。
つまり顔見知りで玄関から招かれて、しかも合鍵を作って持っていた。
つまり犯人は友人これが正解だと私は思う。
http://www.asyura2.com/09/nihon29/msg/547.html#c26
もし生産者から二束三文に買いたたいているのなら、被災地支援どころか
被災者農民をセカンドレイプしているに他ならない。
被災地支援を銘打つなら、支援カンパも販売価格に上乗せして、通常の価格か
それよりも高い価格で売らなければ道理が通らない。
けっきょく。いずみやもイオンも、被災地から廃棄寸前の放射能汚染品を
買いたたいて入手し、それに不当なマージンを乗っけて消費者を騙して
商売している死の商人だろ。(笑)
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/387.html#c11
を一年は200日で計算すると・・・なんと1ミリシーベルトを下回った。とのこと。
柏市役所環境保全課の担当者によると文部科学省の推奨する試算方法なのだと。
一年は365日あるし、1日は24時間のはず。それ以外のときはどこに居ればいいのか。
不思議な国 「日本」
地震板は、地震そのものについての板です。
地震に伴ういろんな関連する記事は、それぞれの板に投稿をお願いします。
この場合は日本の事件板などに。
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/156.html
愛国改善党さん、板違い投稿があります。ご理解いただけるまで投稿可能数を0にしておきます。
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/155.html
>>03 板違いで問題あり。日本の事件板なら問題無し。で対処しておきました。
88(スリーエイト)さん、板違い投稿があります。板選定ルールをご理解いただけるまで投稿可能数を0にしておきます。
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/156.html
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/152.html#c4
それを異常だと決め付けるのが陰謀論者ですよ。
こないだもジャガイモが実をつけただけで放射能が影響か!?って騒いでましたし
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/468.html#c69
おまえの「モラルハザード」についての独り善がりの定義や、
ユダヤや天皇についての中学生なみ、「ムー」以下のおバカな無知ぶりは
方腹痛いぜ。
おまえのようなキチガイは、個人情報を下痢便のようにたれ流しても
誰も相手にしないだろうが、おまえがもし真実を語っているのなら、
とっくに権力は、おまえが自分で吹聴している個人情報、家族や親族に
ついての個人情報などを手がかりにして、おまえの個人名や住所などを
割り出して、それなりの制裁をしていることだろう。
幸いにも、おまえのようなキチガイの妄言は、誰もまともに相手にしていない。
喜んでいいぞ。(笑)
阿修羅のみなさんは、バカがつくほど過度に優しいから、おまえの妄言による
掲示板荒らしを見て見ぬふりして許しているけれど、シャバの現実はきびしいぜ。
おまえみたいに、他人の善意に甘えて、他人に迷惑をかけながら好き勝手な
妄言を吐いているキイガイを、世間がいつまでも黙認していると思ったら
大まちがいだぞ。
おまえは反省して行動をあらためねば、近日中に大きな災難に見舞われるだろう。
これは親切心からの忠告である。
わたしは、おまえが自業自得の不幸に至るのは不本意である。
よくよく反省せよ。
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/146.html#c82
[以下引用]
(a)誘因――発電コストの安さと立地難
現在の原子力発電は、そもそもが軍事技術の利用である。それが軍事技術を持たない日本で推進された理由は何であろうか。アイゼンハウアー大統領が、原子力の平和利用を呼びかけ[平和のための原子力]、国連がそのための組織[IAEA]をつくった戦後の時期は、科学信仰の社会的文脈が強く、わが国では、これに反対の動きは生まれようもなかった。その実態が知られていなかったからでもある。そのための研究は当然とされてきた。事実政府がつけた当初の予算は3億円弱で、文献収集、基礎研究のための資金であった。
これが原子力発電へと進んだのは、原子力発電のコストは非常に安いという売り込みに、通産省と電力各社がとびついたからであった。電力各社(9社)と電源開発のほか、これに関連する産業グループなどが出資して1957年に設立されたのが日本原子力発電であり、この会社がイギリスから導入したわが国最初の原子力発電・東海1号は、発電コストがキロ2円52銭という売りこみであった。やがてこれがまったくの嘘であることが明らかになるが、なお安さに引かれ、アメリカのジェネラル・エレクトリック社(GE)と、ウェスティング・ハウス社(WH)から、日本原子力発電が敦賀にGEの技術で、関西電力が美浜にWHの技術でともに70年11月、東電が福島にGEの技術で原子力発電所を71年3月に完成させている。
発電コストが安いこと。それに加えて水力にしろ火力にしろ立地が難しくなった時、1ヶ所で大容量の発電可能な原子力が電力会社にとっては魅力的だったのである。
(b)地元政治家たちの原発誘致――柏崎刈羽原発の場合
ダムの誘致にともなう補償が、地元の有力者をどのように潤し、建設事業者が工事の一定割合を地元の県の自民党支部に政治献金しているか等々、自民党長期政権を支えたメカニズムが明らかになるのは、例えば、川辺川ダムの実態を追った毎日新聞記者福岡賢正氏の努力や、長年八ツ場ダム問題に取りくんできた鈴木郁子氏の記録、そして研究者の分析などが結び合ってであったように、原発誘致の実情も、新潟日報の努力によってようやく明らかになった。
2007年8月16日から2008年6月22日まで掲載され、新聞協会賞を受賞した「揺らぐ安全神話――柏崎刈羽原発」である。この掲載は筆が加えられ『原発と地震――柏崎刈羽「震度7」の警告――』(講談社、2009年)となった。
中越沖地震(2007年7月16日)によって東京電力の柏崎刈羽原発はすべて緊急停止した。福島第一原発のように津波に襲われることがなかったこともあって、混乱はあったものの近隣への被害は生れなかった。しかしこれで原発付近には断層がいくつもあることがわかった。断層の近くに原発があるということは、危険の可能性が大きいことを意味する。なぜこのような土地が選ばれたのか。
東電の調査が不十分だったこともある。だが地元からあらかじめ用意された土地が提供され、それを購入したということの方が大きい。適地を選んで立地したわけではないのである。
この地への誘致を働きかけた中心人物は、当時の柏崎市長小林治助氏と刈羽村村長だった木村博保氏である。
柏崎刈羽原発に政治生命をかけた小林氏に原発誘致をすすめたのは、理研ピストリング工業(現リケン)の元会長の松根宗一氏である。1963年といわれる。東電がこの地に原発を建設するのが69年であるから、6年ほど前である。松根氏は興銀から理研に入った人であり、新潟のこの地は理研発祥の地であるところから小林氏との関係が生れたものと思われる。重要なことは、松根宗一氏は、1954年理研に入ると同じ年に東電顧問になっており、のちに電力事業連合会の副会長についている。この地位に電力業界以外の人がついたのは、松根氏のみである。
他方、木村博保氏は田中角栄の地元の支援団体である陸山会の会長をつとめた自由民主党員で、刈羽村長から県会議員になり、東電から声をかけられ、東電本社で小松甚太郎専務に会っている。
新潟日報の記事で注目しなければならないのは、三つである。
第一は、原発計画が発表される3年前、刈羽村村長だった木村氏は、予定地52ヘクタールを買い、東電に売り、その利益として3億5865万円を税務申告していることである。買った坪当り単価の20倍ほどで売っている。72年度新潟県の長者番付の第1位は小林氏であり、第2位も原発に土地を売った人である。この年原発成金が多数生れたという。
第二は、2007年12月13日の記事で田中角栄の元秘書で国家老と言われた本間幸一(昂一)氏の次のような言葉である。東電への土地売却利益4億円を木村博保氏と田中角栄のもとに運んだと。当時田中角栄は自民党の幹事長で、総裁選で福田赳夫と争っており、この金は、総裁選に利用されたものと思われる。この記事は、自民党の政治資金と原発の関係を物語っている。
第三は、田中角栄は首相になり、電源三法(1974年6月成立)を成立させたが、その発案者は柏崎市長だった小林治助氏だったという。従来までダムにしろ発電所にしろ、建設されれば地元市町村に多額の固定資産税が入る。電源三法はこれに加え、各電力会社、その販売電力量に比例した電源開発促進税を払い、これを財源として地方に交付金を与えようというものである。その目的は原子力発電の立地を容易にするためであった。
これが原発建設を日本で拡大した最大の力である。
(c)なぜ原発銀座が生れるのか――アヘンのような交付金
電源三法によって集められた資金は、そのほとんどが、電源立地地域対策交付金として電源が立地する県と、付近市町村に種々な名目で分けられていく。その名称は、電源立地等初期対策交付金、電源立地促進対策交付金、原子力発電施設等周辺地域交付金、電力移出県等交付金、原子力発電施設等立地地域長期発展対策交付金であり、その他原子力発電施設立地地域共生交付金もある。
交付金の種類の多さに戸惑うとともに、たがいがダブラないか、第三者にはその違いがどこにあるか、まったくわからない。湯水のごとく金がまかれ、地元がこれを求めた姿が浮かぶかのような交付金の数である。もちろん、それが電力料金を高めている。原子力発電の原価はそのぶん上昇すべきものなのである。
私は昔、石川県の手取川ダムの立地によって地元が固定資産税収入をふやし地方の財政が一変したことを述べたことがある[原注 『世界』1983年1月号、経済戯評]。だが今は、それをはるかに上回る電源開発促進税である。設備が作られ、それに応じて生れる固定資産税と違って、それ以前から交付され、建設中が一番多額なのである。『週刊ダイヤモンド』編集部は『電源立地制度の概要』(資源エネルギー庁)によって、電源立地地域に対する交付金がどう配分されていくかを経年的に明らかにする試算をつくっている(2011年5月21日号)。それによると配分額は、運転開始以後約20億円〜22億円が約30年間交付されるのに対し、着工された年には74億円強、それから2年間は最高の77億5000万円となっている。
1年77億円という金額は、原発が立地する過疎の市町村にとっては極めて大きな金額である。注意しなければならないのは、原発立地の環境に与える評価を開始した年から5億2000万円交付されることであり、評価いかんで、建設するかしないかではなく、評価は建設を予定していることと[ママ]、運転開始までの10年間に440億円交付され、運転開始以後交付金が大きく減少することである。このことが、地方議会と首長が、もう1基原発の建設を、という要望につながるのである。
原発立地に必ずしも賛成でなかった福島県の佐藤栄佐久知事は原発立地の地元の議会の増設要求に対し、原発は麻薬だと言ったのは、この交付金を批判してであった。なぜ特定地域に原発銀座といわれるように、何基もの原発が次々に建設されるか。その理由は、交付金の魅力と電源会社にとっての同一地立地の容易さとの結果である。
(d)利権政治のビジネス・モデルの確立
このような交付金の魅力は電源立地だけではない。ダムの建設の場合でも同じである。
神奈川県清川村は1990年代まで財政指数0.2〜0.4つまり、税その他の収入が財政規模の2割から4割しかない村だったが、宮ヶ瀬ダムの建設を受け入れることによって、完成の前年(1999年)約12億円の交付金が入った。財政規模約20億円の6割である。こうして2003年には村の財政指数は1以上――つまり自前の収入でまかなえる――の富裕団体になる。建設それ自体が問題である群馬県の長野原町の「八ツ場ダム」関係者は、バスを仕立てて、この宮ヶ瀬ダムと清川村を訪れている。清川村の財政の一変を見せ、住民のダム誘致賛成を拡大しようとしたのである。
電源立地とダムとの交付金について見てきた。ダムと水力発電所がともにあるならば、2つの交付金がえられることになるだろう。その一例が、群馬県の上野村――日本航空の飛行機がダッチロールして墜落した村である。
税収入は約2億円。地方交付税の11〜13億円程度で村の財政を支えていた。ところが2005年ダムと水力発電所が完成すると財政は一変する。06年固定資産税だけで27億円あり、財政指数[財政力指数]は、1.3、つまり、財政は大きな黒字で不交付団体になった。
注意しなければならないのは、これらの市町村はいずれも所得水準が低く、人口が減少している過疎地域だったり、若者に働く場のない地域だったことである。柏崎市長を4期つとめた小林治助氏は、助役から市長になった人であるが、日本石油発祥の地であった柏崎でありながら、製油所も廃止され、1963年7万9000人余あった人口も67年には7万人を割り、69年には市の財政は財政再建団体に指定される一歩手前まできていた。そのため刈羽村につらなる砂丘に地域振興の起爆剤を求めたのである。財政悪化は刈羽村でも同じであった。
山村の振興にダムをというのもおなじである。貧しい取り残されたかなしい山村にダムを、貧しい海浜の町や村に原発を。ともに交付金で誘って建設を要望させる。電力会社がこれを受ける。行政指導国家の政治はそれを認可するだけで責任をとらない。柏崎市はこれによって2009年度県内の市で最も財政状況の良い市になった。
そして、田中角栄が柏崎刈羽で4億円を、木村博保が3億8000万円を手にし、建設にともなう工事の一部が自民党県連に献金され、地方に強い自民党をつくりあげたのである。
私は、今年3月八ツ場ダムの記念館に立ち寄った。問題の時は、沢山の人だったといわれているが、この時は人影はなかった。八ツ場ダム推進吾妻住民協議会の会長H氏は、ダムの中止をかかげた前原誠司国土交通大臣に、"地元の声を聞け"とせまった人であるが、自民党の地元議員でもあり、「ダム屋」40人に土地を売り、補償金約10億円を手にし、信用金庫への借金2億円を返済し、立派な家を新築したという。この話をした町の人の反応は"羨ましい"であり、批判はどこにもなかった。
田中角栄がつくったと言われるこの政治ビジネス・モデルに支えられた自民党の地方組織を政権交替は崩すことはできなかった。菅内閣を支えている人たちは闘わないのである。その本質は自民党と同じなのであろうか。
この政治ビジネス・モデルは、原発というメフィストフェレスと手を結んだことである。ファウストが青春と引きかえに良心を売ったように、電力会社も、地方の首長も議員も、今日の繁栄のために、これからの安らぎを、メフィストフェレスに売ったのである。
改めて強調したいのは、原子力発電を日本に次々に建設した責任は自民党にあるということである。谷垣自民党総裁は福島の大災害に責任をとらなければならないのである。その誘致に狂奔した地方議員、町長なども同様である。かれらの過去を知る新聞記者が、被害者顔のこれらの人に強い批判を加えたのもうなずける。石原伸晃自民党幹事長は「脱原発は集団ヒステリー」と発言したという(毎日新聞 2011年6月15日)。民主党の事故対応を批判する前に、利権と一体化して推進した自民党の責任を反省すべきなのである。
あらためて書くまでもない。自分たちの土地が使うわけでもない電力の設備をつくるのであるから、電力消費者が電源開発促進税を払い、自分たちが交付金を受けるのは当然であるという論理は成り立たない。自分たちが使わない機械工場の建設を認めるかわりに、機械に開発促進税を課してよいことにならない。自分たちが食べない米を耕作するのだから、交付金をよこせということもありえない。政治と地域をゆがめる電源三法は廃止し、その分電力価格を下げ、政治を正す必要がある。[以上引用]
[引用文筆者のプロフィール(掲載誌『世界』より引用)]
伊東光晴 いとう・みつはる 京都大学名誉教授。1927年生まれ。著書に『ケインズ』『政権交代の政治経済学』など。本誌2011年5月号、6月号に「戦後国際貿易ルールの理想に帰れ」を寄稿。
[引用についての投稿者による注記]
引用文は、伊東光晴氏の「経済学からみた原子力発電──何が推進させたか、代案は何か──」(『世界』 2001年8月号、岩波書店)からの抜粋である。
この論文の構成は、次の通りである。
一.原子力発電をめぐる法制度の違い
二.日本で原子力発電を推進したものは何か
三.原子力発電の発電コストは安いのか
四.福島原発事故にもとづく損害賠償
五.脱原発から原発のない社会へ
そのうち、「二.日本で原子力発電を推進したものは何か」を引用した。
引用文中の数字は、もとの文章ではすべて漢数字で書かれている。投稿者が半角算用数字にあらためた。
段落の頭は、もとの文章では一字下げになっている。投稿者が一字下げのかわりに段落間に空行を入れた。
ハイパーリンクは、投稿者がつけたものである。
[投稿者による要約およびコメント]
(a)誘因
通産省と電力各社は発電コストの安さにとびついたいう。しかし、そのコストが安いという触れ込みは嘘であることがやがて明らかになった。嘘だとわかった段階で撤退の動きが起きなかったのか、もう少し説明がほしい。
1954年にはじめて政府が原子力予算を通したとき、修正案を提出したのは野党の改進党に所属していた中曽根康弘氏である。中曽根氏に触れていないのは物足りない。ブログに引用されている中曽根氏の回想録によれば、原子力の平和利用研究予算に学界やジャーナリズムが反対するのは明らかなので、予算修正は秘密裡に準備されたという(「東日本大震災の歴史的位置―原子力開発を強力に推進した中曽根康弘" 」Hisato Nakajima 2011年4月11日)。
なお、中曽根氏などの原発推進のもくろみに軍事目的があったのではないかという推測もある。これに関連してくるはずだが、筆者伊東光晴氏も原子力発電と軍事利用の表裏一体の関係について、日本国内の問題としては採りあげていないが、それがアメリカで原子力発電を推進した誘因であるとして、簡単に述べている(その箇所は引用していない)。
(b)地元政治家たちの原発誘致
原発を誘致すると、地元の市町村に多額の固定資産税が入る。それに加えて、電源三法の交付金が出る。さらには、用地の売却で大きな利益をえる関係者もあらわれる。このようにして原発誘致が儲かるということが、原発を推進するうえで最大の力になったのだという。その電源三法をつくったのは1974年当時の田中角栄首相であり、発案者は柏崎市長だった。
田中角栄については、阿修羅掲示板でも評価が高いようだ。しかし、地元(および自分自身)への利益誘導の手法についてはどうだろう。わたしは、原発誘致とか公共事業とかいった利益誘導がむしろその地方のためにならなかったのではないかという、直感的な疑念をいだいている。これは、何もしない方がよかったというのではなく、あれだけの政治力があったのならもう少しべつな豊かさが実現できていたかもしれないのにという、後知恵にもとづく疑念である。投稿者は新潟県が出身なのだ。
(c)なぜ原発銀座が生れるのか
電源三法による交付金は、原発の着工から運転開始までがもっとも多額であり、運転開始の翌年から大きく減少する。このため、自治体の側から原発増設の要望が出てくる。交付金がアヘンにたとえられる所以である。
伊東光晴氏が参照した『週刊ダイヤモンド』(2011年5月21日号)の記事「原発は『カネのなる木』 甘い汁を求め原発に群がったヒト・企業・カネ」の図をみるのがわかりやすい。
原発立地地域に対する交付金のモデルケース |
(d)利権政治のビジネス・モデルの確立
電源三法の交付金の出所は、電力消費者が負担した電源開発促進税である。ただし、このような交付金をえる仕組みは、発電機能のないダムにもみられる。ダムに水力発電所がつけば、さらに交付金が増える。こうして、地方の疲弊した自治体の中からは当然誘致を引き受けるところも出てくる。
自民党は、このようなビジネス・モデルによって、地方に強固な基盤をつくった。
原発推進の責任は自民党にある。民主党は自民党の地方組織を崩せなかったので、その本質が疑われる。伊東光晴氏の結論は、政治と地域をゆがめる電源三法を廃止すべきであるというものだ。
伊東氏は、廃止の根拠として、自分が消費しないものを生産するから交付金を受けるなどという論理は一般的にありえないとして、機械工場や米作の例を挙げている。
しかし、これには異論がある。ダムやほかの発電所ならともかく、原発には格別のリスクがともなうので、伊東氏のいうような一般化はできないのではないだろうか。『世界』(2011年7月号)に掲載された清水修二氏の「電源三法は廃止すべきである」には、この問題がくわしく論じられている。伊東氏の論文は概説としてわかりやすいので紹介したが、問題の所在を理解するためには、清水氏の論文も読まなければならない。といっても、電源三法を廃止すべきだという結論に変わりはないが。
わたしの関心は、電源三法および利権誘導的なさまざまな交付金を廃止した後で、どのようにして地方を再生すればいいのかというところにある。たとえば東京都の世田谷区で保坂展人氏がやろうとしているようなことを、地方のそれぞれの自治体が、世田谷区とはくらべものにならない悪い条件のもとで、それぞれのやり方でやらなくてはならないのだ。
http://www.asyura2.com/11/test22/msg/640.html
馬鹿を言いなさい。どれもこれも自然界には通常ないか
1ベクレル/kg未満の不検出です。
誤解しないでください。日本の地方自治体がいまやってるのは下手すると
50ベクレル/kgは不検出と表示です。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/375.html#c13
これが揃ってる陰謀論者は珍しいくらいだねぇ
多くの書き込みの中で特に突っ込んだ話すらしていない事からニワカだという事も伺える
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/368.html#c43
(a)誘因――発電コストの安さと立地難
現在の原子力発電は、そもそもが軍事技術の利用である。それが軍事技術を持たない日本で推進された理由は何であろうか。アイゼンハウアー大統領が、原子力の平和利用を呼びかけ[平和のための原子力]、国連がそのための組織[IAEA]をつくった戦後の時期は、科学信仰の社会的文脈が強く、わが国では、これに反対の動きは生まれようもなかった。その実態が知られていなかったからでもある。そのための研究は当然とされてきた。事実政府がつけた当初の予算は3億円弱で、文献収集、基礎研究のための資金であった。
これが原子力発電へと進んだのは、原子力発電のコストは非常に安いという売り込みに、通産省と電力各社がとびついたからであった。電力各社(9社)と電源開発のほか、これに関連する産業グループなどが出資して1957年に設立されたのが日本原子力発電であり、この会社がイギリスから導入したわが国最初の原子力発電・東海1号は、発電コストがキロ2円52銭という売りこみであった。やがてこれがまったくの嘘であることが明らかになるが、なお安さに引かれ、アメリカのジェネラル・エレクトリック社(GE)と、ウェスティング・ハウス社(WH)から、日本原子力発電が敦賀にGEの技術で、関西電力が美浜にWHの技術でともに70年11月、東電が福島にGEの技術で原子力発電所を71年3月に完成させている。
発電コストが安いこと。それに加えて水力にしろ火力にしろ立地が難しくなった時、1ヶ所で大容量の発電可能な原子力が電力会社にとっては魅力的だったのである。
(b)地元政治家たちの原発誘致――柏崎刈羽原発の場合
ダムの誘致にともなう補償が、地元の有力者をどのように潤し、建設事業者が工事の一定割合を地元の県の自民党支部に政治献金しているか等々、自民党長期政権を支えたメカニズムが明らかになるのは、例えば、川辺川ダムの実態を追った毎日新聞記者福岡賢正氏の努力や、長年八ツ場ダム問題に取りくんできた鈴木郁子氏の記録、そして研究者の分析などが結び合ってであったように、原発誘致の実情も、新潟日報の努力によってようやく明らかになった。
2007年8月16日から2008年6月22日まで掲載され、新聞協会賞を受賞した「揺らぐ安全神話――柏崎刈羽原発」である。この掲載は筆が加えられ『原発と地震――柏崎刈羽「震度7」の警告――』(講談社、2009年)となった。
中越沖地震(2007年7月16日)によって東京電力の柏崎刈羽原発はすべて緊急停止した。福島第一原発のように津波に襲われることがなかったこともあって、混乱はあったものの近隣への被害は生れなかった。しかしこれで原発付近には断層がいくつもあることがわかった。断層の近くに原発があるということは、危険の可能性が大きいことを意味する。なぜこのような土地が選ばれたのか。
東電の調査が不十分だったこともある。だが地元からあらかじめ用意された土地が提供され、それを購入したということの方が大きい。適地を選んで立地したわけではないのである。
この地への誘致を働きかけた中心人物は、当時の柏崎市長小林治助氏と刈羽村村長だった木村博保氏である。
柏崎刈羽原発に政治生命をかけた小林氏に原発誘致をすすめたのは、理研ピストリング工業(現リケン)の元会長の松根宗一氏である。1963年といわれる。東電がこの地に原発を建設するのが69年であるから、6年ほど前である。松根氏は興銀から理研に入った人であり、新潟のこの地は理研発祥の地であるところから小林氏との関係が生れたものと思われる。重要なことは、松根宗一氏は、1954年理研に入ると同じ年に東電顧問になっており、のちに電力事業連合会の副会長についている。この地位に電力業界以外の人がついたのは、松根氏のみである。
他方、木村博保氏は田中角栄の地元の支援団体である陸山会の会長をつとめた自由民主党員で、刈羽村長から県会議員になり、東電から声をかけられ、東電本社で小松甚太郎専務に会っている。
新潟日報の記事で注目しなければならないのは、三つである。
第一は、原発計画が発表される3年前、刈羽村村長だった木村氏は、予定地52ヘクタールを買い、東電に売り、その利益として3億5865万円を税務申告していることである。買った坪当り単価の20倍ほどで売っている。72年度新潟県の長者番付の第1位は小林氏であり、第2位も原発に土地を売った人である。この年原発成金が多数生れたという。
第二は、2007年12月13日の記事で田中角栄の元秘書で国家老と言われた本間幸一(昂一)氏の次のような言葉である。東電への土地売却利益4億円を木村博保氏と田中角栄のもとに運んだと。当時田中角栄は自民党の幹事長で、総裁選で福田赳夫と争っており、この金は、総裁選に利用されたものと思われる。この記事は、自民党の政治資金と原発の関係を物語っている。
第三は、田中角栄は首相になり、電源三法(1974年6月成立)を成立させたが、その発案者は柏崎市長だった小林治助氏だったという。従来までダムにしろ発電所にしろ、建設されれば地元市町村に多額の固定資産税が入る。電源三法はこれに加え、各電力会社、その販売電力量に比例した電源開発促進税を払い、これを財源として地方に交付金を与えようというものである。その目的は原子力発電の立地を容易にするためであった。
これが原発建設を日本で拡大した最大の力である。
(c)なぜ原発銀座が生れるのか――アヘンのような交付金
電源三法によって集められた資金は、そのほとんどが、電源立地地域対策交付金として電源が立地する県と、付近市町村に種々な名目で分けられていく。その名称は、電源立地等初期対策交付金、電源立地促進対策交付金、原子力発電施設等周辺地域交付金、電力移出県等交付金、原子力発電施設等立地地域長期発展対策交付金であり、その他原子力発電施設立地地域共生交付金もある。
交付金の種類の多さに戸惑うとともに、たがいがダブラないか、第三者にはその違いがどこにあるか、まったくわからない。湯水のごとく金がまかれ、地元がこれを求めた姿が浮かぶかのような交付金の数である。もちろん、それが電力料金を高めている。原子力発電の原価はそのぶん上昇すべきものなのである。
私は昔、石川県の手取川ダムの立地によって地元が固定資産税収入をふやし地方の財政が一変したことを述べたことがある[原注 『世界』1983年1月号、経済戯評]。だが今は、それをはるかに上回る電源開発促進税である。設備が作られ、それに応じて生れる固定資産税と違って、それ以前から交付され、建設中が一番多額なのである。『週刊ダイヤモンド』編集部は『電源立地制度の概要』(資源エネルギー庁)によって、電源立地地域に対する交付金がどう配分されていくかを経年的に明らかにする試算をつくっている(2011年5月21日号)。それによると配分額は、運転開始以後約20億円〜22億円が約30年間交付されるのに対し、着工された年には74億円強、それから2年間は最高の77億5000万円となっている。
1年77億円という金額は、原発が立地する過疎の市町村にとっては極めて大きな金額である。注意しなければならないのは、原発立地の環境に与える評価を開始した年から5億2000万円交付されることであり、評価いかんで、建設するかしないかではなく、評価は建設を予定していることと[ママ]、運転開始までの10年間に440億円交付され、運転開始以後交付金が大きく減少することである。このことが、地方議会と首長が、もう1基原発の建設を、という要望につながるのである。
原発立地に必ずしも賛成でなかった福島県の佐藤栄佐久知事は原発立地の地元の議会の増設要求に対し、原発は麻薬だと言ったのは、この交付金を批判してであった。なぜ特定地域に原発銀座といわれるように、何基もの原発が次々に建設されるか。その理由は、交付金の魅力と電源会社にとっての同一地立地の容易さとの結果である。
(d)利権政治のビジネス・モデルの確立
このような交付金の魅力は電源立地だけではない。ダムの建設の場合でも同じである。
神奈川県清川村は1990年代まで財政指数0.2〜0.4つまり、税その他の収入が財政規模の2割から4割しかない村だったが、宮ヶ瀬ダムの建設を受け入れることによって、完成の前年(1999年)約12億円の交付金が入った。財政規模約20億円の6割である。こうして2003年には村の財政指数は1以上――つまり自前の収入でまかなえる――の富裕団体になる。建設それ自体が問題である群馬県の長野原町の「八ツ場ダム」関係者は、バスを仕立てて、この宮ヶ瀬ダムと清川村を訪れている。清川村の財政の一変を見せ、住民のダム誘致賛成を拡大しようとしたのである。
電源立地とダムとの交付金について見てきた。ダムと水力発電所がともにあるならば、2つの交付金がえられることになるだろう。その一例が、群馬県の上野村――日本航空の飛行機がダッチロールして墜落した村である。
税収入は約2億円。地方交付税の11〜13億円程度で村の財政を支えていた。ところが2005年ダムと水力発電所が完成すると財政は一変する。06年固定資産税だけで27億円あり、財政指数[財政力指数]は、1.3、つまり、財政は大きな黒字で不交付団体になった。
注意しなければならないのは、これらの市町村はいずれも所得水準が低く、人口が減少している過疎地域だったり、若者に働く場のない地域だったことである。柏崎市長を4期つとめた小林治助氏は、助役から市長になった人であるが、日本石油発祥の地であった柏崎でありながら、製油所も廃止され、1963年7万9000人余あった人口も67年には7万人を割り、69年には市の財政は財政再建団体に指定される一歩手前まできていた。そのため刈羽村につらなる砂丘に地域振興の起爆剤を求めたのである。財政悪化は刈羽村でも同じであった。
山村の振興にダムをというのもおなじである。貧しい取り残されたかなしい山村にダムを、貧しい海浜の町や村に原発を。ともに交付金で誘って建設を要望させる。電力会社がこれを受ける。行政指導国家の政治はそれを認可するだけで責任をとらない。柏崎市はこれによって2009年度県内の市で最も財政状況の良い市になった。
そして、田中角栄が柏崎刈羽で4億円を、木村博保が3億8000万円を手にし、建設にともなう工事の一部が自民党県連に献金され、地方に強い自民党をつくりあげたのである。
私は、今年3月八ツ場ダムの記念館に立ち寄った。問題の時は、沢山の人だったといわれているが、この時は人影はなかった。八ツ場ダム推進吾妻住民協議会の会長H氏は、ダムの中止をかかげた前原誠司国土交通大臣に、"地元の声を聞け"とせまった人であるが、自民党の地元議員でもあり、「ダム屋」40人に土地を売り、補償金約10億円を手にし、信用金庫への借金2億円を返済し、立派な家を新築したという。この話をした町の人の反応は"羨ましい"であり、批判はどこにもなかった。
田中角栄がつくったと言われるこの政治ビジネス・モデルに支えられた自民党の地方組織を政権交替は崩すことはできなかった。菅内閣を支えている人たちは闘わないのである。その本質は自民党と同じなのであろうか。
この政治ビジネス・モデルは、原発というメフィストフェレスと手を結んだことである。ファウストが青春と引きかえに良心を売ったように、電力会社も、地方の首長も議員も、今日の繁栄のために、これからの安らぎを、メフィストフェレスに売ったのである。
改めて強調したいのは、原子力発電を日本に次々に建設した責任は自民党にあるということである。谷垣自民党総裁は福島の大災害に責任をとらなければならないのである。その誘致に狂奔した地方議員、町長なども同様である。かれらの過去を知る新聞記者が、被害者顔のこれらの人に強い批判を加えたのもうなずける。石原伸晃自民党幹事長は「脱原発は集団ヒステリー」と発言したという(毎日新聞 2011年6月15日)。民主党の事故対応を批判する前に、利権と一体化して推進した自民党の責任を反省すべきなのである。
あらためて書くまでもない。自分たちの土地が使うわけでもない電力の設備をつくるのであるから、電力消費者が電源開発促進税を払い、自分たちが交付金を受けるのは当然であるという論理は成り立たない。自分たちが使わない機械工場の建設を認めるかわりに、機械に開発促進税を課してよいことにならない。自分たちが食べない米を耕作するのだから、交付金をよこせということもありえない。政治と地域をゆがめる電源三法は廃止し、その分電力価格を下げ、政治を正す必要がある。[以上引用]
[引用文筆者のプロフィール(掲載誌『世界』より引用)]
伊東光晴 いとう・みつはる 京都大学名誉教授。1927年生まれ。著書に『ケインズ』『政権交代の政治経済学』など。本誌2011年5月号、6月号に「戦後国際貿易ルールの理想に帰れ」を寄稿。
[引用についての投稿者による注記]
引用文は、伊東光晴氏の「経済学からみた原子力発電──何が推進させたか、代案は何か──」(『世界』 2001年8月号、岩波書店)からの抜粋である。
この論文の構成は、次の通りである。
一.原子力発電をめぐる法制度の違い
二.日本で原子力発電を推進したものは何か
三.原子力発電の発電コストは安いのか
四.福島原発事故にもとづく損害賠償
五.脱原発から原発のない社会へ
そのうち、「二.日本で原子力発電を推進したものは何か」を引用した。
引用文中の数字は、もとの文章ではすべて漢数字で書かれている。投稿者が半角算用数字にあらためた。
段落の頭は、もとの文章では一字下げになっている。投稿者が一字下げのかわりに段落間に空行を入れた。
ハイパーリンクは、投稿者がつけたものである。
[投稿者による要約およびコメント]
(a)誘因
通産省と電力各社は発電コストの安さにとびついたいう。しかし、そのコストが安いという触れ込みは嘘であることがやがて明らかになった。嘘だとわかった段階で撤退の動きが起きなかったのか、もう少し説明がほしい。
1954年にはじめて政府が原子力予算を通したとき、修正案を提出したのは野党の改進党に所属していた中曽根康弘氏である。中曽根氏に触れていないのは物足りない。ブログに引用されている中曽根氏の回想録によれば、原子力の平和利用研究予算に学界やジャーナリズムが反対するのは明らかなので、予算修正は秘密裡に準備されたという(「東日本大震災の歴史的位置―原子力開発を強力に推進した中曽根康弘」Hisato Nakajima 2011年4月11日)。
なお、中曽根氏などの原発推進のもくろみに軍事目的があったのではないかという推測もある。これに関連してくるはずだが、筆者伊東光晴氏も原子力発電と軍事利用の表裏一体の関係について、日本国内の問題としては採りあげていないが、それがアメリカで原子力発電を推進した誘因であるとして、簡単に述べている(その箇所は引用していない)。
(b)地元政治家たちの原発誘致
原発を誘致すると、地元の市町村に多額の固定資産税が入る。それに加えて、電源三法の交付金が出る。さらには、用地の売却で大きな利益をえる関係者もあらわれる。このようにして原発誘致が儲かるということが、原発を推進するうえで最大の力になったのだという。その電源三法をつくったのは1974年当時の田中角栄首相であり、発案者は柏崎市長だった。
田中角栄については、阿修羅掲示板でも評価が高いようだ。しかし、地元(および自分自身)への利益誘導の手法についてはどうだろう。わたしは、原発誘致とか公共事業とかいった利益誘導がむしろその地方のためにならなかったのではないかという、直感的な疑念をいだいている。これは、何もしない方がよかったというのではなく、あれだけの政治力があったのならもう少しべつな豊かさが実現できていたかもしれないのにという、後知恵にもとづく疑念である。投稿者は新潟県が出身なのだ。
(c)なぜ原発銀座が生れるのか
電源三法による交付金は、原発の着工から運転開始までがもっとも多額であり、運転開始の翌年から大きく減少する。このため、自治体の側から原発増設の要望が出てくる。交付金がアヘンにたとえられる所以である。
伊東光晴氏が参照した『週刊ダイヤモンド』(2011年5月21日号)の記事「原発は『カネのなる木』 甘い汁を求め原発に群がったヒト・企業・カネ」の図をみるのがわかりやすい。
原発立地地域に対する交付金のモデルケース |
(d)利権政治のビジネス・モデルの確立
電源三法の交付金の出所は、電力消費者が負担した電源開発促進税である。ただし、このような交付金をえる仕組みは、発電機能のないダムにもみられる。ダムに水力発電所がつけば、さらに交付金が増える。こうして、地方の疲弊した自治体の中からは当然誘致を引き受けるところも出てくる。
自民党は、このようなビジネス・モデルによって、地方に強固な基盤をつくった。
原発推進の責任は自民党にある。民主党は自民党の地方組織を崩せなかったので、その本質が疑われる。伊東光晴氏の結論は、政治と地域をゆがめる電源三法を廃止すべきであるというものだ。
伊東氏は、廃止の根拠として、自分が消費しないものを生産するから交付金を受けるなどという論理は一般的にありえないとして、機械工場や米作の例を挙げている。
しかし、これには異論がある。ダムやほかの発電所ならともかく、原発には格別のリスクがともなうので、伊東氏のいうような一般化はできないのではないだろうか。『世界』(2011年7月号)に掲載された清水修二氏の「電源三法は廃止すべきである」には、この問題がくわしく論じられている。伊東氏の論文は概説としてわかりやすいので紹介したが、問題の所在を理解するためには、清水氏の論文も読まなければならない。といっても、電源三法を廃止すべきだという結論に変わりはないが。
わたしの関心は、電源三法および利権誘導的なさまざまな交付金を廃止した後で、どのようにして地方を再生すればいいのかというところにある。たとえば東京都の世田谷区で保坂展人氏がやろうとしているようなことを、地方のそれぞれの自治体が、世田谷区とはくらべものにならない悪い条件のもとで、それぞれのやり方でやらなくてはならないのだ。
http://www.asyura2.com/11/test22/msg/641.html
このアメリカ政府高官たち(お供の通訳たちと)が、もうこの3ヶ月も首相官邸に隠密で常駐して、そして日本国の首相以下に、「あれをこうしろ。次は、ここをこうしろ。それでよし。お前は無能だからここから出てゆけ」とかの指示と命令を、毎日、出しているのである。IAEA による日本直接管理は、本当に、実行されているのである。「日本人になんか任せておけない」ということだ。重大な原子力事故を起こした。世界全体に影響することだから。
もうひとり、福島第2原発だろうが、ここの管理棟に、ずっと、ランス・ガトリングという名の、アメリカ軍人で核戦争・化学戦争の専門家がずっと常駐している。それから東京の東芝の本社ビルの中に、年老いたアメリカ人の核技術者たちが10名ぐらい来ている。
彼らは、1979年のスリーマイル島の原発事故の時に対応した、GE(ジーイー)の技術者たちである。だからもう70歳をとうに過ぎて80歳ぐらいの爺さんたちだ。この人たちの様子は、日本のテレビでチラと報道された。この爺さんたちは、福島第一の一号機のマークワンという名の格納容器や炉心の設計技師たちであるから、複雑な配管の配置もすべて知っている。逆に彼らでなければ分からない。
彼ら3者は、皆、連携して動いている。そして、そのすべてを、ウォーラーが統括している。
菅直人が、「私はステップ2まで(すなわち来年の3月まで)首相をやりたい」とぬけぬけと言い放ったのは、このウォーラーからの「そこまではお前がやれ」という指図(さしず)があったからだ。今やみじめな野党である自民党や、菅直人に反対する民主党内の大勢力からなる日本の国会議員400人が束になってかかっても、菅直人を首相から引きずり下ろせ無いのは、こういう「地底(すなわち外国)からの大きな力」が働いているからだ。
このアメリカ政府の覆面高官が、首相官邸に秘かに常駐していて、(夜は、裏のキャピトル東急ホテルに地下のトンネルを通って寝に帰るのだろう)。そして、日本の国家政治を直接、管理しているからだ。日本国に、このような大きな外側からの力がかかっているのである。
3月16日に、アメリカ政府が派遣した原発事故の調査団34名と、IAEAの調査団12名は「福島原発は収まった」という真実を、17日の夜には確認した。もう、再臨界も、メルトダウンの進行も、水蒸気爆発も起きない。東京にまで高濃度の放射能の拡散はないことがはっきりした。燃料棒は飛び散っていない。放射線そのものを強く出すプルトニウムなどは、事故の現場近くでほとんどは消滅する。
ところが、3月28日頃から政府と東電と保安院の態度が急に変わった。それまでは、あれほど「原発は安全である、事故は収まった」と言っていた政府や東電が、急に危険だと言いだした。これには大きな策略がある。
やはりIAEA、国際原子力機関という組織がおかしい。ここの今の事務局長は日本人で、天野之弥(あまのゆきや)という外務省官僚上がりだ。どう考えてもアメリカの金融財界人たちが世界の核管理を続けるために選んだ、特殊な背景をもつ人物である。ウィキリークスが秘密公開した情報の中に、「天野が’自分はアメリカの言うことを何でも聞く’と言った。だからエルバラダイ(エジプト人)の次に選ばれた」ことが暴露されている。
だから、今回の事態の推移を一番大きな枠組みで見ると、アメリカの一番上の勢力が、ヨーロッパの核兵器や原子力ビジネスをやっている人たちを叩きのめそうとして動いている。
この原発事故が起きてから後の動きを見ると、日本国民に対する恐ろしい統制、管理が進んでいる。はっきり言えば、IAEAによる日本直接管理という動きである。日本政府はIAEAに乗っ取られているように見える。
IAEAが率先して「福島原発は危ない。日本は危ない」と過剰に言いだした。そのために地元の住民たちが大変悲惨な目に遭っている。原発避難民のまま、家に近寄ることもできない。たった1回、2時間だけ防護服を着て、預金通帳などの貴重品を持ち出すために自宅に帰れるというおかしなことになった。放射能など、もうほとんどないのだ。
現地にいる自衛隊も警察も消防も簡単なマスクをしている程度で、何の異様さもなく平然と動いている。ところが、テレビや新聞では全身防護服に包まれた恐ろしい恰好をして、テレビ画面に映るように仕向けられている。20キロ圏内に金網と鉄条網を敷かれてしまったら、もうそこの中には誰も入れなくなる。アメリカの命令で、日本政府はここの秘密の場所で、これからヘンなことをたくさんやらされるだろう。「放射能が危ない、危ない」と過剰に言い続けることによって、日本国民の精神を委縮させ、復興の気持ちを奪い取っている。この大きな企み、すなわちアメリカによる’日本再占領’の企みを、私たちは見抜かなければならない。
やはり、IAEAという国際機関が、日本国民を脅している。天然痘やコレラという凶悪な伝染病の大流行や、化学兵器戦争と同じような状態に見せかけている。そしてこれは誰の責任でもない、という理屈にもっていく。このことが非常におかしい。
IAEAとかが世界を悪い意思で上から統制して、日本国民・日本民族を脅迫して計画的に密かに自分たちの管理下に置いている。そして日本国民の金融資産をもっと奪い取ろうとしている。
本当は一番悪いのはIAEAである。このIAEAという凶悪な組織による日本国の再占領、支配という事態が起きている。あの「天野之弥」という今の事務局長は、日本人なのに、悪魔のような輩だ。3月18日には、「福島原発事故は収束に向かう」と日本に来て言った。ところが、20日にはウィーンの本部に帰るや、「日本のフクシマ原発は、極めて深刻である」と報告した。
IAEAに脅されて、日本政府が、世界に向かって「日本は核汚染された」と風評被害を撒き散らしている。それが、4月11日・12日に発表された「レベル7」である。ロシア・フランス・アメリカの原子力学者たちが、「レベル7なんてとんでもない。レベル5ぐらいでいい」と一斉に批判した。それ以来、日本政府はこの「レベル7」の話をあまりしなくなった。事故から3カ月経ってもまだ「福島県から避難しなさい」と福島県民に向かって言っている。被曝や放射能汚染など誰もしていない。知恵のない臆病者たちだけが集団ヒステリーを起して騒いでいる。
ヒラリー・クリントンをはじめとするアメリカの最高政治権力者たちは、早くも3月17日夜の時点で、「フクシマはもう収まった、放射線量は激減した」と確認していた。もっと早く15日の時点でヒラリー及び、彼女の本当の上司であるデイヴィッド・ロックフェラーらトップは真実の数字を握っている。原発のすぐ真上でも、400ミリシーベルト/時くらいしかでていないことを把握した。スパイ衛星やグローバル・ホークという無人偵察機を12日から原発の真上に飛ばしていたのだから。
仙石由人が、官房副長官に復帰して、17日の午後8時には天皇認証をもらっている。協調介入のためのG7の電話会議を開いて、米ドルの暴落(1ドル76円)を阻止する動きに出た。18日から株も上げた。すなわちあの時に「日本政府は米国債を売らない」という取引がアメリカとの間で成立したのである。合計1000兆円(12兆ドル)、そのうち日本政府の分だけでも250兆円くらい保有する。だからそれらを売ってお金を日本に取り戻すという動きを日本が少しでもしようとしたら、それはアメリカにとって最大の危機となる。米国債の暴落であり、それは世界恐慌への突入である。だからそれを阻止するために、アメリカは日本と秘密の合意をこの時、成立させた。
本当の愛国政治家であったら、「せめて100兆円、とにかくすぐ返してくれ。それで復興資金を作る」と言わなければならない。それなのに、4月7日、震災復興会議を作らせて、「復興税」という新しい税金を国民から取ると言いだした。こんな時に増税したら国民経済はさらに冷えきって、いよいよ日本は復興できない。景気回復もできない。新しい税金をかけるために、審議会をつくって、それで国民的な合意が成り立ったみたいなフリをする。財務官僚どもというのはアメリカの手先で残酷な人々で、国民からお金をむしり取ることしか考えていない。
東電と日本政府が怖いのは、IAEAとアメリカ政府(ヒラリー・クリントン)の恫喝、脅迫、強制的な上からの命令なのである。だから外国にはヘイコラする。
だから20万人や30万人の事故の現地の日本国民が殺されようが、どんなに酷い目に遭おうがなんともない。
ヒラリー・クリントンは、4月17日に、たった5時間だけ日本に来て、「支援料」をふんだくって帰って行った。この金額は、毎年の「思いやり予算」1880億円の5年分の先払いの額、すなわち9400億円であることが判明した。アメリカというのは、震災と原発で困っている日本から、チャッカリと金(お助け料)をもぎ取っていく。
これらの日本対策の政策の立案は、CSIS(ジョージタウン大学・戦略国際問題研究所)が全部仕切っている。CSISと、経団連と農協、それから共同通信、電通などの大手町のアメリカの手先集団が、日本国を支配して、アメリカによる’日本再占領計画’を今まさに実行しつつある。このことに多くの日本人が早く気付くべきだ。アメリカは、日本の政府、財界、大企業を直接乗っ取ることによって日本を哀れな国にしつつある。この現実に対して、「日本国民よ、自覚せよ」としか言いようがない。
福島瑞穂「胸ぐら掴んで聞いてやりたい」-菅の脱原発依存宣言批判を批判/他(jiji.com)
http://www.asyura2.com/11/senkyo116/msg/678.html
投稿者 虎丸花蜂 日時 2011 年 7 月 17 日 01:38:05: ZoHfPWCwONHuo
元記事タイトル
「脱原発」の首相擁護=福島社民党首
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2011071500859
江古田に「エコだハウス」の小池百合子(自民)-“超”原発で原発維持表明
http://www.asyura2.com/11/senkyo116/msg/679.html
投稿者 虎丸花蜂 日時 2011 年 7 月 17 日 01:39:07: ZoHfPWCwONHuo
元記事タイトル
原発活用は必要=自民総務会長
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2011071500415
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/152.html#c5
(a)誘因――発電コストの安さと立地難
現在の原子力発電は、そもそもが軍事技術の利用である。それが軍事技術を持たない日本で推進された理由は何であろうか。アイゼンハウアー大統領が、原子力の平和利用を呼びかけ[平和のための原子力]、国連がそのための組織[IAEA]をつくった戦後の時期は、科学信仰の社会的文脈が強く、わが国では、これに反対の動きは生まれようもなかった。その実態が知られていなかったからでもある。そのための研究は当然とされてきた。事実政府がつけた当初の予算は3億円弱で、文献収集、基礎研究のための資金であった。
これが原子力発電へと進んだのは、原子力発電のコストは非常に安いという売り込みに、通産省と電力各社がとびついたからであった。電力各社(9社)と電源開発のほか、これに関連する産業グループなどが出資して1957年に設立されたのが日本原子力発電であり、この会社がイギリスから導入したわが国最初の原子力発電・東海1号は、発電コストがキロ2円52銭という売りこみであった。やがてこれがまったくの嘘であることが明らかになるが、なお安さに引かれ、アメリカのジェネラル・エレクトリック社(GE)と、ウェスティング・ハウス社(WH)から、日本原子力発電が敦賀にGEの技術で、関西電力が美浜にWHの技術でともに70年11月、東電が福島にGEの技術で原子力発電所を71年3月に完成させている。
発電コストが安いこと。それに加えて水力にしろ火力にしろ立地が難しくなった時、1ヶ所で大容量の発電可能な原子力が電力会社にとっては魅力的だったのである。
(b)地元政治家たちの原発誘致――柏崎刈羽原発の場合
ダムの誘致にともなう補償が、地元の有力者をどのように潤し、建設事業者が工事の一定割合を地元の県の自民党支部に政治献金しているか等々、自民党長期政権を支えたメカニズムが明らかになるのは、例えば、川辺川ダムの実態を追った毎日新聞記者福岡賢正氏の努力や、長年八ツ場ダム問題に取りくんできた鈴木郁子氏の記録、そして研究者の分析などが結び合ってであったように、原発誘致の実情も、新潟日報の努力によってようやく明らかになった。
2007年8月16日から2008年6月22日まで掲載され、新聞協会賞を受賞した「揺らぐ安全神話――柏崎刈羽原発」である。この掲載は筆が加えられ『原発と地震――柏崎刈羽「震度7」の警告――』(講談社、2009年)となった。
中越沖地震(2007年7月16日)によって東京電力の柏崎刈羽原発はすべて緊急停止した。福島第一原発のように津波に襲われることがなかったこともあって、混乱はあったものの近隣への被害は生れなかった。しかしこれで原発付近には断層がいくつもあることがわかった。断層の近くに原発があるということは、危険の可能性が大きいことを意味する。なぜこのような土地が選ばれたのか。
東電の調査が不十分だったこともある。だが地元からあらかじめ用意された土地が提供され、それを購入したということの方が大きい。適地を選んで立地したわけではないのである。
この地への誘致を働きかけた中心人物は、当時の柏崎市長小林治助氏と刈羽村村長だった木村博保氏である。
柏崎刈羽原発に政治生命をかけた小林氏に原発誘致をすすめたのは、理研ピストリング工業(現リケン)の元会長の松根宗一氏である。1963年といわれる。東電がこの地に原発を建設するのが69年であるから、6年ほど前である。松根氏は興銀から理研に入った人であり、新潟のこの地は理研発祥の地であるところから小林氏との関係が生れたものと思われる。重要なことは、松根宗一氏は、1954年理研に入ると同じ年に東電顧問になっており、のちに電力事業連合会の副会長についている。この地位に電力業界以外の人がついたのは、松根氏のみである。
他方、木村博保氏は田中角栄の地元の支援団体である陸山会の会長をつとめた自由民主党員で、刈羽村長から県会議員になり、東電から声をかけられ、東電本社で小松甚太郎専務に会っている。
新潟日報の記事で注目しなければならないのは、三つである。
第一は、原発計画が発表される3年前、刈羽村村長だった木村氏は、予定地52ヘクタールを買い、東電に売り、その利益として3億5865万円を税務申告していることである。買った坪当り単価の20倍ほどで売っている。72年度新潟県の長者番付の第1位は小林氏であり、第2位も原発に土地を売った人である。この年原発成金が多数生れたという。
第二は、2007年12月13日の記事で田中角栄の元秘書で国家老と言われた本間幸一(昂一)氏の次のような言葉である。東電への土地売却利益4億円を木村博保氏と田中角栄のもとに運んだと。当時田中角栄は自民党の幹事長で、総裁選で福田赳夫と争っており、この金は、総裁選に利用されたものと思われる。この記事は、自民党の政治資金と原発の関係を物語っている。
第三は、田中角栄は首相になり、電源三法(1974年6月成立)を成立させたが、その発案者は柏崎市長だった小林治助氏だったという。従来までダムにしろ発電所にしろ、建設されれば地元市町村に多額の固定資産税が入る。電源三法はこれに加え、各電力会社、その販売電力量に比例した電源開発促進税を払い、これを財源として地方に交付金を与えようというものである。その目的は原子力発電の立地を容易にするためであった。
これが原発建設を日本で拡大した最大の力である。
(c)なぜ原発銀座が生れるのか――アヘンのような交付金
電源三法によって集められた資金は、そのほとんどが、電源立地地域対策交付金として電源が立地する県と、付近市町村に種々な名目で分けられていく。その名称は、電源立地等初期対策交付金、電源立地促進対策交付金、原子力発電施設等周辺地域交付金、電力移出県等交付金、原子力発電施設等立地地域長期発展対策交付金であり、その他原子力発電施設立地地域共生交付金もある。
交付金の種類の多さに戸惑うとともに、たがいがダブラないか、第三者にはその違いがどこにあるか、まったくわからない。湯水のごとく金がまかれ、地元がこれを求めた姿が浮かぶかのような交付金の数である。もちろん、それが電力料金を高めている。原子力発電の原価はそのぶん上昇すべきものなのである。
私は昔、石川県の手取川ダムの立地によって地元が固定資産税収入をふやし地方の財政が一変したことを述べたことがある[原注 『世界』1983年1月号、経済戯評]。だが今は、それをはるかに上回る電源開発促進税である。設備が作られ、それに応じて生れる固定資産税と違って、それ以前から交付され、建設中が一番多額なのである。『週刊ダイヤモンド』編集部は『電源立地制度の概要』(資源エネルギー庁)によって、電源立地地域に対する交付金がどう配分されていくかを経年的に明らかにする試算をつくっている(2011年5月21日号)。それによると配分額は、運転開始以後約20億円〜22億円が約30年間交付されるのに対し、着工された年には74億円強、それから2年間は最高の77億5000万円となっている。
1年77億円という金額は、原発が立地する過疎の市町村にとっては極めて大きな金額である。注意しなければならないのは、原発立地の環境に与える評価を開始した年から5億2000万円交付されることであり、評価いかんで、建設するかしないかではなく、評価は建設を予定していることと[ママ]、運転開始までの10年間に440億円交付され、運転開始以後交付金が大きく減少することである。このことが、地方議会と首長が、もう1基原発の建設を、という要望につながるのである。
原発立地に必ずしも賛成でなかった福島県の佐藤栄佐久知事は原発立地の地元の議会の増設要求に対し、原発は麻薬だと言ったのは、この交付金を批判してであった。なぜ特定地域に原発銀座といわれるように、何基もの原発が次々に建設されるか。その理由は、交付金の魅力と電源会社にとっての同一地立地の容易さとの結果である。
(d)利権政治のビジネス・モデルの確立
このような交付金の魅力は電源立地だけではない。ダムの建設の場合でも同じである。
神奈川県清川村は1990年代まで財政指数0.2〜0.4つまり、税その他の収入が財政規模の2割から4割しかない村だったが、宮ヶ瀬ダムの建設を受け入れることによって、完成の前年(1999年)約12億円の交付金が入った。財政規模約20億円の6割である。こうして2003年には村の財政指数は1以上――つまり自前の収入でまかなえる――の富裕団体になる。建設それ自体が問題である群馬県の長野原町の「八ツ場ダム」関係者は、バスを仕立てて、この宮ヶ瀬ダムと清川村を訪れている。清川村の財政の一変を見せ、住民のダム誘致賛成を拡大しようとしたのである。
電源立地とダムとの交付金について見てきた。ダムと水力発電所がともにあるならば、2つの交付金がえられることになるだろう。その一例が、群馬県の上野村――日本航空の飛行機がダッチロールして墜落した村である。
税収入は約2億円。地方交付税の11〜13億円程度で村の財政を支えていた。ところが2005年ダムと水力発電所が完成すると財政は一変する。06年固定資産税だけで27億円あり、財政指数[財政力指数]は、1.3、つまり、財政は大きな黒字で不交付団体になった。
注意しなければならないのは、これらの市町村はいずれも所得水準が低く、人口が減少している過疎地域だったり、若者に働く場のない地域だったことである。柏崎市長を4期つとめた小林治助氏は、助役から市長になった人であるが、日本石油発祥の地であった柏崎でありながら、製油所も廃止され、1963年7万9000人余あった人口も67年には7万人を割り、69年には市の財政は財政再建団体に指定される一歩手前まできていた。そのため刈羽村につらなる砂丘に地域振興の起爆剤を求めたのである。財政悪化は刈羽村でも同じであった。
山村の振興にダムをというのもおなじである。貧しい取り残されたかなしい山村にダムを、貧しい海浜の町や村に原発を。ともに交付金で誘って建設を要望させる。電力会社がこれを受ける。行政指導国家の政治はそれを認可するだけで責任をとらない。柏崎市はこれによって2009年度県内の市で最も財政状況の良い市になった。
そして、田中角栄が柏崎刈羽で4億円を、木村博保が3億8000万円を手にし、建設にともなう工事の一部が自民党県連に献金され、地方に強い自民党をつくりあげたのである。
私は、今年3月八ツ場ダムの記念館に立ち寄った。問題の時は、沢山の人だったといわれているが、この時は人影はなかった。八ツ場ダム推進吾妻住民協議会の会長H氏は、ダムの中止をかかげた前原誠司国土交通大臣に、"地元の声を聞け"とせまった人であるが、自民党の地元議員でもあり、「ダム屋」40人に土地を売り、補償金約10億円を手にし、信用金庫への借金2億円を返済し、立派な家を新築したという。この話をした町の人の反応は"羨ましい"であり、批判はどこにもなかった。
田中角栄がつくったと言われるこの政治ビジネス・モデルに支えられた自民党の地方組織を政権交替は崩すことはできなかった。菅内閣を支えている人たちは闘わないのである。その本質は自民党と同じなのであろうか。
この政治ビジネス・モデルは、原発というメフィストフェレスと手を結んだことである。ファウストが青春と引きかえに良心を売ったように、電力会社も、地方の首長も議員も、今日の繁栄のために、これからの安らぎを、メフィストフェレスに売ったのである。
改めて強調したいのは、原子力発電を日本に次々に建設した責任は自民党にあるということである。谷垣自民党総裁は福島の大災害に責任をとらなければならないのである。その誘致に狂奔した地方議員、町長なども同様である。かれらの過去を知る新聞記者が、被害者顔のこれらの人に強い批判を加えたのもうなずける。石原伸晃自民党幹事長は「脱原発は集団ヒステリー」と発言したという(毎日新聞 2011年6月15日)。民主党の事故対応を批判する前に、利権と一体化して推進した自民党の責任を反省すべきなのである。
あらためて書くまでもない。自分たちの土地が使うわけでもない電力の設備をつくるのであるから、電力消費者が電源開発促進税を払い、自分たちが交付金を受けるのは当然であるという論理は成り立たない。自分たちが使わない機械工場の建設を認めるかわりに、機械に開発促進税を課してよいことにならない。自分たちが食べない米を耕作するのだから、交付金をよこせということもありえない。政治と地域をゆがめる電源三法は廃止し、その分電力価格を下げ、政治を正す必要がある。[以上引用]
[引用文筆者のプロフィール(掲載誌『世界』より引用)]
伊東光晴 いとう・みつはる 京都大学名誉教授。1927年生まれ。著書に『ケインズ』『政権交代の政治経済学』など。本誌2011年5月号、6月号に「戦後国際貿易ルールの理想に帰れ」を寄稿。
[引用についての投稿者による注記]
引用文は、伊東光晴氏の「経済学からみた原子力発電──何が推進させたか、代案は何か──」(『世界』 2001年8月号、岩波書店)からの抜粋である。
この論文の構成は、次の通りである。
一.原子力発電をめぐる法制度の違い
二.日本で原子力発電を推進したものは何か
三.原子力発電の発電コストは安いのか
四.福島原発事故にもとづく損害賠償
五.脱原発から原発のない社会へ
そのうち、「二.日本で原子力発電を推進したものは何か」を引用した。
引用文中の数字は、もとの文章ではすべて漢数字で書かれている。投稿者が半角算用数字にあらためた。
段落の頭は、もとの文章では一字下げになっている。投稿者が一字下げのかわりに段落間に空行を入れた。
ハイパーリンクは、投稿者がつけたものである。
[投稿者による要約およびコメント]
(a)誘因
通産省と電力各社は発電コストの安さにとびついたいう。しかし、そのコストが安いという触れ込みは嘘であることがやがて明らかになった。嘘だとわかった段階で撤退の動きが起きなかったのか、もう少し説明がほしい。
1954年にはじめて政府が原子力予算を通したとき、修正案を提出したのは野党の改進党に所属していた中曽根康弘氏である。中曽根氏に触れていないのは物足りない。ブログに引用されている中曽根氏の回想録によれば、原子力の平和利用研究予算に学界やジャーナリズムが反対するのは明らかなので、予算修正は秘密裡に準備されたという(「東日本大震災の歴史的位置―原子力開発を強力に推進した中曽根康弘」Hisato Nakajima 2011年4月11日)。
なお、中曽根氏などの原発推進のもくろみに軍事目的があったのではないかという推測もある。これに関連してくるはずだが、筆者伊東光晴氏も原子力発電と軍事利用の表裏一体の関係について、日本国内の問題としては採りあげていないが、それがアメリカで原子力発電を推進した誘因であるとして、簡単に述べている(その箇所は引用していない)。
(b)地元政治家たちの原発誘致
原発を誘致すると、地元の市町村に多額の固定資産税が入る。それに加えて、電源三法の交付金が出る。さらには、用地の売却で大きな利益をえる関係者もあらわれる。このようにして原発誘致が儲かるということが、原発を推進するうえで最大の力になったのだという。その電源三法をつくったのは1974年当時の田中角栄首相であり、発案者は柏崎市長だった。
田中角栄については、阿修羅掲示板でも評価が高いようだ。しかし、地元(および自分自身)への利益誘導の手法についてはどうだろう。わたしは、原発誘致とか公共事業とかいった利益誘導がむしろその地方のためにならなかったのではないかという、直感的な疑念をいだいている。これは、何もしない方がよかったというのではなく、あれだけの政治力があったのならもう少しべつな豊かさが実現できていたかもしれないのにという、後知恵にもとづく疑念である。投稿者は新潟県が出身なのだ。
(c)なぜ原発銀座が生れるのか
電源三法による交付金は、原発の着工から運転開始までがもっとも多額であり、運転開始の翌年から大きく減少する。このため、自治体の側から原発増設の要望が出てくる。交付金がアヘンにたとえられる所以である。
伊東光晴氏が参照した『週刊ダイヤモンド』(2011年5月21日号)の記事「原発は『カネのなる木』 甘い汁を求め原発に群がったヒト・企業・カネ」の図をみるのがわかりやすい。
原発立地地域に対する交付金のモデルケース |
(d)利権政治のビジネス・モデルの確立
電源三法の交付金の出所は、電力消費者が負担した電源開発促進税である。ただし、このような交付金をえる仕組みは、発電機能のないダムにもみられる。ダムに水力発電所がつけば、さらに交付金が増える。こうして、地方の疲弊した自治体の中からは当然誘致を引き受けるところも出てくる。
自民党は、このようなビジネス・モデルによって、地方に強固な基盤をつくった。
原発推進の責任は自民党にある。民主党は自民党の地方組織を崩せなかったので、その本質が疑われる。伊東光晴氏の結論は、政治と地域をゆがめる電源三法を廃止すべきであるというものだ。
伊東氏は、廃止の根拠として、自分が消費しないものを生産するから交付金を受けるなどという論理は一般的にありえないとして、機械工場や米作の例を挙げている。
しかし、これには異論がある。ダムやほかの発電所ならともかく、原発には格別のリスクがともなうので、伊東氏のいうような一般化はできないのではないだろうか。『世界』(2011年7月号)に掲載された清水修二氏の「電源三法は廃止すべきである」には、この問題がくわしく論じられている。伊東氏の論文は概説としてわかりやすいので紹介したが、問題の所在を理解するためには、清水氏の論文も読まなければならない。といっても、電源三法を廃止すべきだという結論に変わりはないが。
わたしの関心は、電源三法および利権誘導的なさまざまな交付金を廃止した後で、どのようにして地方を再生すればいいのかというところにある。たとえば東京都の世田谷区で保坂展人氏がやろうとしているようなことを、地方のそれぞれの自治体が、世田谷区とはくらべものにならない悪い条件のもとで、それぞれのやり方でやらなくてはならないのだ。
http://www.asyura2.com/11/test22/msg/642.html
>>管と言う猫は、少なくともすでに浜岡を止め、玄海の再稼動とひいてはその他の停止中の原発の再稼動を止めた。また、首相として「脱原発」を宣言した。立派にねずみを取ってきた。
>>。ヨ白い猫であろうが、黒い猫であろうが、ねずみを捕る猫はいい猫だ」
薄汚い溝鼠の巣窟のような日本の状況下で孤軍奮闘して3匹のネズミを取ったことの意義は非常に大きいことであり大いに評価すべきだ。
今はこの猫を殺すとかはずすとか言う状況ではない。
この猫を応援し、次々にネズミを捕ることを期待しよう。
でも陰謀論者の逃げ足の早さときたら右に出る者は陰謀論者というくらい逃げる逃げる!
ニワカ陰謀論者?
いやぁ、こいつはスゲぇやつだぜ!
どんな最高Levelの半端な証明してくれるかワクワクしてきたーー!
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/368.html#c44
(a)誘因――発電コストの安さと立地難
現在の原子力発電は、そもそもが軍事技術の利用である。それが軍事技術を持たない日本で推進された理由は何であろうか。アイゼンハウアー大統領が、原子力の平和利用を呼びかけ[平和のための原子力]、国連がそのための組織[IAEA]をつくった戦後の時期は、科学信仰の社会的文脈が強く、わが国では、これに反対の動きは生まれようもなかった。その実態が知られていなかったからでもある。そのための研究は当然とされてきた。事実政府がつけた当初の予算は3億円弱で、文献収集、基礎研究のための資金であった。
これが原子力発電へと進んだのは、原子力発電のコストは非常に安いという売り込みに、通産省と電力各社がとびついたからであった。電力各社(9社)と電源開発のほか、これに関連する産業グループなどが出資して1957年に設立されたのが日本原子力発電であり、この会社がイギリスから導入したわが国最初の原子力発電・東海1号は、発電コストがキロ2円52銭という売りこみであった。やがてこれがまったくの嘘であることが明らかになるが、なお安さに引かれ、アメリカのジェネラル・エレクトリック社(GE)と、ウェスティング・ハウス社(WH)から、日本原子力発電が敦賀にGEの技術で、関西電力が美浜にWHの技術でともに70年11月、東電が福島にGEの技術で原子力発電所を71年3月に完成させている。
発電コストが安いこと。それに加えて水力にしろ火力にしろ立地が難しくなった時、1ヶ所で大容量の発電可能な原子力が電力会社にとっては魅力的だったのである。
(b)地元政治家たちの原発誘致――柏崎刈羽原発の場合
ダムの誘致にともなう補償が、地元の有力者をどのように潤し、建設事業者が工事の一定割合を地元の県の自民党支部に政治献金しているか等々、自民党長期政権を支えたメカニズムが明らかになるのは、例えば、川辺川ダムの実態を追った毎日新聞記者福岡賢正氏の努力や、長年八ツ場ダム問題に取りくんできた鈴木郁子氏の記録、そして研究者の分析などが結び合ってであったように、原発誘致の実情も、新潟日報の努力によってようやく明らかになった。
2007年8月16日から2008年6月22日まで掲載され、新聞協会賞を受賞した「揺らぐ安全神話――柏崎刈羽原発」である。この掲載は筆が加えられ『原発と地震――柏崎刈羽「震度7」の警告――』(講談社、2009年)となった。
中越沖地震(2007年7月16日)によって東京電力の柏崎刈羽原発はすべて緊急停止した。福島第一原発のように津波に襲われることがなかったこともあって、混乱はあったものの近隣への被害は生れなかった。しかしこれで原発付近には断層がいくつもあることがわかった。断層の近くに原発があるということは、危険の可能性が大きいことを意味する。なぜこのような土地が選ばれたのか。
東電の調査が不十分だったこともある。だが地元からあらかじめ用意された土地が提供され、それを購入したということの方が大きい。適地を選んで立地したわけではないのである。
この地への誘致を働きかけた中心人物は、当時の柏崎市長小林治助氏と刈羽村村長だった木村博保氏である。
柏崎刈羽原発に政治生命をかけた小林氏に原発誘致をすすめたのは、理研ピストリング工業(現リケン)の元会長の松根宗一氏である。1963年といわれる。東電がこの地に原発を建設するのが69年であるから、6年ほど前である。松根氏は興銀から理研に入った人であり、新潟のこの地は理研発祥の地であるところから小林氏との関係が生れたものと思われる。重要なことは、松根宗一氏は、1954年理研に入ると同じ年に東電顧問になっており、のちに電力事業連合会の副会長についている。この地位に電力業界以外の人がついたのは、松根氏のみである。
他方、木村博保氏は田中角栄の地元の支援団体である陸山会の会長をつとめた自由民主党員で、刈羽村長から県会議員になり、東電から声をかけられ、東電本社で小松甚太郎専務に会っている。
新潟日報の記事で注目しなければならないのは、三つである。
第一は、原発計画が発表される3年前、刈羽村村長だった木村氏は、予定地52ヘクタールを買い、東電に売り、その利益として3億5865万円を税務申告していることである。買った坪当り単価の20倍ほどで売っている。72年度新潟県の長者番付の第1位は小林氏であり、第2位も原発に土地を売った人である。この年原発成金が多数生れたという。
第二は、2007年12月13日の記事で田中角栄の元秘書で国家老と言われた本間幸一(昂一)氏の次のような言葉である。東電への土地売却利益4億円を木村博保氏と田中角栄のもとに運んだと。当時田中角栄は自民党の幹事長で、総裁選で福田赳夫と争っており、この金は、総裁選に利用されたものと思われる。この記事は、自民党の政治資金と原発の関係を物語っている。
第三は、田中角栄は首相になり、電源三法(1974年6月成立)を成立させたが、その発案者は柏崎市長だった小林治助氏だったという。従来までダムにしろ発電所にしろ、建設されれば地元市町村に多額の固定資産税が入る。電源三法はこれに加え、各電力会社、その販売電力量に比例した電源開発促進税を払い、これを財源として地方に交付金を与えようというものである。その目的は原子力発電の立地を容易にするためであった。
これが原発建設を日本で拡大した最大の力である。
(c)なぜ原発銀座が生れるのか――アヘンのような交付金
電源三法によって集められた資金は、そのほとんどが、電源立地地域対策交付金として電源が立地する県と、付近市町村に種々な名目で分けられていく。その名称は、電源立地等初期対策交付金、電源立地促進対策交付金、原子力発電施設等周辺地域交付金、電力移出県等交付金、原子力発電施設等立地地域長期発展対策交付金であり、その他原子力発電施設立地地域共生交付金もある。
交付金の種類の多さに戸惑うとともに、たがいがダブラないか、第三者にはその違いがどこにあるか、まったくわからない。湯水のごとく金がまかれ、地元がこれを求めた姿が浮かぶかのような交付金の数である。もちろん、それが電力料金を高めている。原子力発電の原価はそのぶん上昇すべきものなのである。
私は昔、石川県の手取川ダムの立地によって地元が固定資産税収入をふやし地方の財政が一変したことを述べたことがある[原注 『世界』1983年1月号、経済戯評]。だが今は、それをはるかに上回る電源開発促進税である。設備が作られ、それに応じて生れる固定資産税と違って、それ以前から交付され、建設中が一番多額なのである。『週刊ダイヤモンド』編集部は『電源立地制度の概要』(資源エネルギー庁)によって、電源立地地域に対する交付金がどう配分されていくかを経年的に明らかにする試算をつくっている(2011年5月21日号)。それによると配分額は、運転開始以後約20億円〜22億円が約30年間交付されるのに対し、着工された年には74億円強、それから2年間は最高の77億5000万円となっている。
1年77億円という金額は、原発が立地する過疎の市町村にとっては極めて大きな金額である。注意しなければならないのは、原発立地の環境に与える評価を開始した年から5億2000万円交付されることであり、評価いかんで、建設するかしないかではなく、評価は建設を予定していることと[ママ]、運転開始までの10年間に440億円交付され、運転開始以後交付金が大きく減少することである。このことが、地方議会と首長が、もう1基原発の建設を、という要望につながるのである。
原発立地に必ずしも賛成でなかった福島県の佐藤栄佐久知事は原発立地の地元の議会の増設要求に対し、原発は麻薬だと言ったのは、この交付金を批判してであった。なぜ特定地域に原発銀座といわれるように、何基もの原発が次々に建設されるか。その理由は、交付金の魅力と電源会社にとっての同一地立地の容易さとの結果である。
(d)利権政治のビジネス・モデルの確立
このような交付金の魅力は電源立地だけではない。ダムの建設の場合でも同じである。
神奈川県清川村は1990年代まで財政指数0.2〜0.4つまり、税その他の収入が財政規模の2割から4割しかない村だったが、宮ヶ瀬ダムの建設を受け入れることによって、完成の前年(1999年)約12億円の交付金が入った。財政規模約20億円の6割である。こうして2003年には村の財政指数は1以上――つまり自前の収入でまかなえる――の富裕団体になる。建設それ自体が問題である群馬県の長野原町の「八ツ場ダム」関係者は、バスを仕立てて、この宮ヶ瀬ダムと清川村を訪れている。清川村の財政の一変を見せ、住民のダム誘致賛成を拡大しようとしたのである。
電源立地とダムとの交付金について見てきた。ダムと水力発電所がともにあるならば、2つの交付金がえられることになるだろう。その一例が、群馬県の上野村――日本航空の飛行機がダッチロールして墜落した村である。
税収入は約2億円。地方交付税の11〜13億円程度で村の財政を支えていた。ところが2005年ダムと水力発電所が完成すると財政は一変する。06年固定資産税だけで27億円あり、財政指数[財政力指数]は、1.3、つまり、財政は大きな黒字で不交付団体になった。
注意しなければならないのは、これらの市町村はいずれも所得水準が低く、人口が減少している過疎地域だったり、若者に働く場のない地域だったことである。柏崎市長を4期つとめた小林治助氏は、助役から市長になった人であるが、日本石油発祥の地であった柏崎でありながら、製油所も廃止され、1963年7万9000人余あった人口も67年には7万人を割り、69年には市の財政は財政再建団体に指定される一歩手前まできていた。そのため刈羽村につらなる砂丘に地域振興の起爆剤を求めたのである。財政悪化は刈羽村でも同じであった。
山村の振興にダムをというのもおなじである。貧しい取り残されたかなしい山村にダムを、貧しい海浜の町や村に原発を。ともに交付金で誘って建設を要望させる。電力会社がこれを受ける。行政指導国家の政治はそれを認可するだけで責任をとらない。柏崎市はこれによって2009年度県内の市で最も財政状況の良い市になった。
そして、田中角栄が柏崎刈羽で4億円を、木村博保が3億8000万円を手にし、建設にともなう工事の一部が自民党県連に献金され、地方に強い自民党をつくりあげたのである。
私は、今年3月八ツ場ダムの記念館に立ち寄った。問題の時は、沢山の人だったといわれているが、この時は人影はなかった。八ツ場ダム推進吾妻住民協議会の会長H氏は、ダムの中止をかかげた前原誠司国土交通大臣に、"地元の声を聞け"とせまった人であるが、自民党の地元議員でもあり、「ダム屋」40人に土地を売り、補償金約10億円を手にし、信用金庫への借金2億円を返済し、立派な家を新築したという。この話をした町の人の反応は"羨ましい"であり、批判はどこにもなかった。
田中角栄がつくったと言われるこの政治ビジネス・モデルに支えられた自民党の地方組織を政権交替は崩すことはできなかった。菅内閣を支えている人たちは闘わないのである。その本質は自民党と同じなのであろうか。
この政治ビジネス・モデルは、原発というメフィストフェレスと手を結んだことである。ファウストが青春と引きかえに良心を売ったように、電力会社も、地方の首長も議員も、今日の繁栄のために、これからの安らぎを、メフィストフェレスに売ったのである。
改めて強調したいのは、原子力発電を日本に次々に建設した責任は自民党にあるということである。谷垣自民党総裁は福島の大災害に責任をとらなければならないのである。その誘致に狂奔した地方議員、町長なども同様である。かれらの過去を知る新聞記者が、被害者顔のこれらの人に強い批判を加えたのもうなずける。石原伸晃自民党幹事長は「脱原発は集団ヒステリー」と発言したという(毎日新聞 2011年6月15日)。民主党の事故対応を批判する前に、利権と一体化して推進した自民党の責任を反省すべきなのである。
あらためて書くまでもない。自分たちの土地が使うわけでもない電力の設備をつくるのであるから、電力消費者が電源開発促進税を払い、自分たちが交付金を受けるのは当然であるという論理は成り立たない。自分たちが使わない機械工場の建設を認めるかわりに、機械に開発促進税を課してよいことにならない。自分たちが食べない米を耕作するのだから、交付金をよこせということもありえない。政治と地域をゆがめる電源三法は廃止し、その分電力価格を下げ、政治を正す必要がある。
[以上引用]
[引用文筆者のプロフィール(掲載誌『世界』より引用)]
伊東光晴 いとう・みつはる 京都大学名誉教授。1927年生まれ。著書に『ケインズ』『政権交代の政治経済学』など。本誌2011年5月号、6月号に「戦後国際貿易ルールの理想に帰れ」を寄稿。
[引用についての投稿者による注記] [投稿者による要約およびコメント] (b)地元政治家たちの原発誘致 (c)なぜ原発銀座が生れるのか
引用文は、伊東光晴氏の「経済学からみた原子力発電──何が推進させたか、代案は何か──」(『世界』 2001年8月号、岩波書店)からの抜粋である。
この論文の構成は、次の通りである。
一.原子力発電をめぐる法制度の違い
二.日本で原子力発電を推進したものは何か
三.原子力発電の発電コストは安いのか
四.福島原発事故にもとづく損害賠償
五.脱原発から原発のない社会へ
そのうち、「二.日本で原子力発電を推進したものは何か」を引用した。
引用文中の数字は、もとの文章ではすべて漢数字で書かれている。投稿者が半角算用数字にあらためた。
段落の頭は、もとの文章では一字下げになっている。投稿者が一字下げのかわりに段落間に空行を入れた。
ハイパーリンクは、投稿者がつけたものである。
(a)誘因
通産省と電力各社は発電コストの安さにとびついたいう。しかし、そのコストが安いという触れ込みは嘘であることがやがて明らかになった。嘘だとわかった段階で撤退の動きが起きなかったのか、もう少し説明がほしい。
1954年にはじめて政府が原子力予算を通したとき、修正案を提出したのは野党の改進党に所属していた中曽根康弘氏である。中曽根氏に触れていないのは物足りない。ブログに引用されている中曽根氏の回想録によれば、原子力の平和利用研究予算に学界やジャーナリズムが反対するのは明らかなので、予算修正は秘密裡に準備されたという(「東日本大震災の歴史的位置―原子力開発を強力に推進した中曽根康弘」Hisato Nakajima 2011年4月11日)。
なお、中曽根氏などの原発推進のもくろみに軍事目的があったのではないかという推測もある。これに関連してくるはずだが、筆者伊東光晴氏も原子力発電と軍事利用の表裏一体の関係について、日本国内の問題としては採りあげていないが、それがアメリカで原子力発電を推進した誘因であるとして、簡単に述べている(その箇所は引用していない)。
原発を誘致すると、地元の市町村に多額の固定資産税が入る。それに加えて、電源三法の交付金が出る。さらには、用地の売却で大きな利益をえる関係者もあらわれる。このようにして原発誘致が儲かるということが、原発を推進するうえで最大の力になったのだという。その電源三法をつくったのは1974年当時の田中角栄首相であり、発案者は柏崎市長だった。
田中角栄については、阿修羅掲示板でも評価が高いようだ。しかし、地元(および自分自身)への利益誘導の手法についてはどうだろう。わたしは、原発誘致とか公共事業とかいった利益誘導がむしろその地方のためにならなかったのではないかという、直感的な疑念をいだいている。これは、何もしない方がよかったというのではなく、あれだけの政治力があったのならもう少しべつな豊かさが実現できていたかもしれないのにという、後知恵にもとづく疑念である。投稿者は新潟県が出身なのだ。
電源三法による交付金は、原発の着工から運転開始までがもっとも多額であり、運転開始の翌年から大きく減少する。このため、自治体の側から原発増設の要望が出てくる。交付金がアヘンにたとえられる所以である。
伊東光晴氏が参照した『週刊ダイヤモンド』(2011年5月21日号)の記事「原発は『カネのなる木』 甘い汁を求め原発に群がったヒト・企業・カネ」の図をみるのがわかりやすい。
(d)利権政治のビジネス・モデルの確立
電源三法の交付金の出所は、電力消費者が負担した電源開発促進税である。ただし、このような交付金をえる仕組みは、発電機能のないダムにもみられる。ダムに水力発電所がつけば、さらに交付金が増える。こうして、地方の疲弊した自治体の中からは当然誘致を引き受けるところも出てくる。
自民党は、このようなビジネス・モデルによって、地方に強固な基盤をつくった。
原発推進の責任は自民党にある。民主党は自民党の地方組織を崩せなかったので、その本質が疑われる。伊東光晴氏の結論は、政治と地域をゆがめる電源三法を廃止すべきであるというものだ。
伊東氏は、廃止の根拠として、自分が消費しないものを生産するから交付金を受けるなどという論理は一般的にありえないとして、機械工場や米作の例を挙げている。
しかし、これには異論がある。ダムやほかの発電所ならともかく、原発には格別のリスクがともなうので、伊東氏のいうような一般化はできないのではないだろうか。『世界』(2011年7月号)に掲載された清水修二氏の「電源三法は廃止すべきである」には、この問題がくわしく論じられている。伊東氏の論文は概説としてわかりやすいので紹介したが、問題の所在を理解するためには、清水氏の論文も読まなければならない。といっても、電源三法を廃止すべきだという結論に変わりはないが。
わたしの関心は、電源三法および利権誘導的なさまざまな交付金を廃止した後で、どのようにして地方を再生すればいいのかというところにある。たとえば東京都の世田谷区で保坂展人氏がやろうとしているようなことを、地方のそれぞれの自治体が、はるかに悪い条件のもとで、それぞれのやり方でやらなくてはならないのだ。
http://www.asyura2.com/11/test22/msg/643.html
7月末供給能力5730万kw
その他に揚水発電650万kw
合計:6380万kw
それに対して、需要見通しは5500万kw(当初予想)→4910万kw(現在)
供給余力880万kw(当初予想)→1470万kw(現在)
東電で今現在動いている原発は、柏崎刈羽原発しかなく、その出力は、
1号機112.2万kw
5号機111.1
6号機138.3
7号機132.9
計:494.5万kw
http://www.tepco.co.jp/kk-np/monitoring/den-j.html
かりに柏崎刈羽原発が停止しても、供給余力の範囲内。停電など起こりませんね。
もうこれで、原発がないと電力需要はまかなえないというのは、
東電管内ではありえないということが、はっきりしたでしょう。
原発が止まってしまっても、横須賀火力等の遊休火力が再稼働していきますから、
(7月末までに120万kw,もともとは263万kwあった)何の問題も起こりません。
さらに、東北電力、中部電力、北陸電力も
すでに原発が全て止まっていて、今夏の電力供給には目途が立っています。
(ちなみに中部電には日本最大の火力発電所、川越火力がある)
沖縄電力には、最初から原発がありません。
結局、原発依存度が国内最高だった関西電力と、それと同程度に高かった
九州電力のみ電力需給が逼迫するという状況なんですから、関西電と九電
に火力を増設すれば、何の問題もおきないのです。
もう、原発が再稼働しないと電力不足が起こるという、オオカミ少年は
止めてもらいたいものですね。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/423.html#c1
燃料は3月中にさっさと逃げ出して原子炉はもうとっくにもぬけの殻だと何度言ったら判るんだ、犬hkやゴミウリは!炉の温度が上がらず大人しいのは当たり前だろが 笑
事故経過とこれまでの原子炉情報のいい加減さをつぶさに吟味すれば、すでに燃料など居ない結論に誰でも達する。
連中の解説をよく調べれば燃料が居る証拠などただの一度も出したことがないし、居ると判断出来るデータさえ無い(計器は事故以来ぶっ壊れたまま滅茶苦茶なのだからそのデータはすべてデタラメである)のが判るだろ。結局「水を入れてる現実が燃料が居る証拠」という訳の判らないことを論拠にしてるのが犬hkとマスゴミなのである 笑
犬hkよ、燃料はどこに居るのか教えてやる。
燃料は格納容器底7m下のコンクリート深井戸の底か、それを突き抜けた地球の中で中ドロドロの溶岩状態で核物質をせっせとまき散らし、井戸の中や地中を放射能まみれにしている最中だ。
反原発風潮を押さえるためと賠償責任を軽くするため被害を軽く見せかける、もぬけの殻の原子炉相手の安定冷却ごっこをいつまでもやっていろ。
ただし、そんな幼稚な騙しに引っかかる国民などもう居ないことは良く覚えておけ。
燃料は原子炉などにもう居ない。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/393.html#c12
(a)誘因――発電コストの安さと立地難
現在の原子力発電は、そもそもが軍事技術の利用である。それが軍事技術を持たない日本で推進された理由は何であろうか。アイゼンハウアー大統領が、原子力の平和利用を呼びかけ[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%92%8C%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B" title="http://ja.wikipedia.org">平和のための原子力]、国連がそのための組織[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E6%A9%9F%E9%96%A2" title="http://ja.wikipedia.org">IAEA]をつくった戦後の時期は、科学信仰の社会的文脈が強く、わが国では、これに反対の動きは生まれようもなかった。その実態が知られていなかったからでもある。そのための研究は当然とされてきた。事実政府がつけた当初の予算は3億円弱で、文献収集、基礎研究のための資金であった。
これが原子力発電へと進んだのは、原子力発電のコストは非常に安いという売り込みに、通産省と電力各社がとびついたからであった。電力各社(9社)と電源開発のほか、これに関連する産業グループなどが出資して1957年に設立されたのが日本原子力発電であり、この会社がイギリスから導入したわが国最初の原子力発電・東海1号は、発電コストがキロ2円52銭という売りこみであった。やがてこれがまったくの嘘であることが明らかになるが、なお安さに引かれ、アメリカのジェネラル・エレクトリック社(GE)と、ウェスティング・ハウス社(WH)から、日本原子力発電が敦賀にGEの技術で、関西電力が美浜にWHの技術でともに70年11月、東電が福島にGEの技術で原子力発電所を71年3月に完成させている。
発電コストが安いこと。それに加えて水力にしろ火力にしろ立地が難しくなった時、1ヶ所で大容量の発電可能な原子力が電力会社にとっては魅力的だったのである。
(b)地元政治家たちの原発誘致――柏崎刈羽原発の場合
ダムの誘致にともなう補償が、地元の有力者をどのように潤し、建設事業者が工事の一定割合を地元の県の自民党支部に政治献金しているか等々、自民党長期政権を支えたメカニズムが明らかになるのは、例えば、川辺川ダムの実態を追った毎日新聞記者福岡賢正氏の努力や、長年八ツ場ダム問題に取りくんできた鈴木郁子氏の記録、そして研究者の分析などが結び合ってであったように、原発誘致の実情も、新潟日報の努力によってようやく明らかになった。
2007年8月16日から2008年6月22日まで掲載され、新聞協会賞を受賞した「http://www.niigata-nippo.co.jp/jyusyou/rensai_01.html" title="http://www.niigata-nippo.co.jp/jyusyou/rensai_01.html">揺らぐ安全神話――柏崎刈羽原発」である。この掲載は筆が加えられ『http://www.amazon.co.jp/%E5%8E%9F%E7%99%BA%E3%81%A8%E5%9C%B0%E9%9C%87%E2%80%95%E6%9F%8F%E5%B4%8E%E5%88%88%E7%BE%BD%E3%80%8C%E9%9C%87%E5%BA%A67%E3%80%8D%E3%81%AE%E8%AD%A6%E5%91%8A-%E6%96%B0%E6%BD%9F%E6%97%A5%E5%A0%B1%E7%A4%BE-%E7%89%B9%E5%88%A5%E5%8F%96%E6%9D%90%E7%8F%AD/dp/4062152339" title="http://www.amazon.co.jp">原発と地震――柏崎刈羽「震度7」の警告――』(講談社、2009年)となった。
中越沖地震(2007年7月16日)によって東京電力の柏崎刈羽原発はすべて緊急停止した。福島第一原発のように津波に襲われることがなかったこともあって、混乱はあったものの近隣への被害は生れなかった。しかしこれで原発付近には断層がいくつもあることがわかった。断層の近くに原発があるということは、危険の可能性が大きいことを意味する。なぜこのような土地が選ばれたのか。
東電の調査が不十分だったこともある。だが地元からあらかじめ用意された土地が提供され、それを購入したということの方が大きい。適地を選んで立地したわけではないのである。
この地への誘致を働きかけた中心人物は、当時の柏崎市長小林治助氏と刈羽村村長だった木村博保氏である。
柏崎刈羽原発に政治生命をかけた小林氏に原発誘致をすすめたのは、理研ピストリング工業(現リケン)の元会長の松根宗一氏である。1963年といわれる。東電がこの地に原発を建設するのが69年であるから、6年ほど前である。松根氏は興銀から理研に入った人であり、新潟のこの地は理研発祥の地であるところから小林氏との関係が生れたものと思われる。重要なことは、松根宗一氏は、1954年理研に入ると同じ年に東電顧問になっており、のちに電力事業連合会の副会長についている。この地位に電力業界以外の人がついたのは、松根氏のみである。
他方、木村博保氏は田中角栄の地元の支援団体である陸山会の会長をつとめた自由民主党員で、刈羽村長から県会議員になり、東電から声をかけられ、東電本社で小松甚太郎専務に会っている。
新潟日報の記事で注目しなければならないのは、三つである。
第一は、原発計画が発表される3年前、刈羽村村長だった木村氏は、予定地52ヘクタールを買い、東電に売り、その利益として3億5865万円を税務申告していることである。買った坪当り単価の20倍ほどで売っている。72年度新潟県の長者番付の第1位は小林氏であり、第2位も原発に土地を売った人である。この年原発成金が多数生れたという。
第二は、2007年12月13日の記事で田中角栄の元秘書で国家老と言われた本間幸一(昂一)氏の次のような言葉である。東電への土地売却利益4億円を木村博保氏と田中角栄のもとに運んだと。当時田中角栄は自民党の幹事長で、総裁選で福田赳夫と争っており、この金は、総裁選に利用されたものと思われる。この記事は、自民党の政治資金と原発の関係を物語っている。
第三は、田中角栄は首相になり、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E6%BA%90%E4%B8%89%E6%B3%95" title="http://ja.wikipedia.org">電源三法(1974年6月成立)を成立させたが、その発案者は柏崎市長だった小林治助氏だったという。従来までダムにしろ発電所にしろ、建設されれば地元市町村に多額の固定資産税が入る。電源三法はこれに加え、各電力会社、その販売電力量に比例した電源開発促進税を払い、これを財源として地方に交付金を与えようというものである。その目的は原子力発電の立地を容易にするためであった。
これが原発建設を日本で拡大した最大の力である。
(c)なぜ原発銀座が生れるのか――アヘンのような交付金
電源三法によって集められた資金は、そのほとんどが、電源立地地域対策交付金として電源が立地する県と、付近市町村に種々な名目で分けられていく。その名称は、電源立地等初期対策交付金、電源立地促進対策交付金、原子力発電施設等周辺地域交付金、電力移出県等交付金、原子力発電施設等立地地域長期発展対策交付金であり、その他原子力発電施設立地地域共生交付金もある。
交付金の種類の多さに戸惑うとともに、たがいがダブラないか、第三者にはその違いがどこにあるか、まったくわからない。湯水のごとく金がまかれ、地元がこれを求めた姿が浮かぶかのような交付金の数である。もちろん、それが電力料金を高めている。原子力発電の原価はそのぶん上昇すべきものなのである。
私は昔、石川県の手取川ダムの立地によって地元が固定資産税収入をふやし地方の財政が一変したことを述べたことがある[原注 『世界』1983年1月号、経済戯評]。だが今は、それをはるかに上回る電源開発促進税である。設備が作られ、それに応じて生れる固定資産税と違って、それ以前から交付され、建設中が一番多額なのである。『週刊ダイヤモンド』編集部は『http://www2.dengen.or.jp/html/leaf/seido/seido.html" title="http://www2.dengen.or.jp">電源立地制度の概要』(資源エネルギー庁)によって、電源立地地域に対する交付金がどう配分されていくかを経年的に明らかにする試算をつくっている(http://dw.diamond.ne.jp/contents/2011/0521/index.html" title="http://dw.diamond.ne.jp">2011年5月21日号)。それによると配分額は、運転開始以後約20億円〜22億円が約30年間交付されるのに対し、着工された年には74億円強、それから2年間は最高の77億5000万円となっている。
1年77億円という金額は、原発が立地する過疎の市町村にとっては極めて大きな金額である。注意しなければならないのは、原発立地の環境に与える評価を開始した年から5億2000万円交付されることであり、評価いかんで、建設するかしないかではなく、評価は建設を予定していることと[ママ]、運転開始までの10年間に440億円交付され、運転開始以後交付金が大きく減少することである。このことが、地方議会と首長が、もう1基原発の建設を、という要望につながるのである。
原発立地に必ずしも賛成でなかった福島県の佐藤栄佐久知事は原発立地の地元の議会の増設要求に対し、原発は麻薬だと言ったのは、この交付金を批判してであった。なぜ特定地域に原発銀座といわれるように、何基もの原発が次々に建設されるか。その理由は、交付金の魅力と電源会社にとっての同一地立地の容易さとの結果である。
(d)利権政治のビジネス・モデルの確立
このような交付金の魅力は電源立地だけではない。ダムの建設の場合でも同じである。
神奈川県清川村は1990年代まで財政指数0.2〜0.4つまり、税その他の収入が財政規模の2割から4割しかない村だったが、宮ヶ瀬ダムの建設を受け入れることによって、完成の前年(1999年)約12億円の交付金が入った。財政規模約20億円の6割である。こうして2003年には村の財政指数は1以上――つまり自前の収入でまかなえる――の富裕団体になる。建設それ自体が問題である群馬県の長野原町の「八ツ場ダム」関係者は、バスを仕立てて、この宮ヶ瀬ダムと清川村を訪れている。清川村の財政の一変を見せ、住民のダム誘致賛成を拡大しようとしたのである。
電源立地とダムとの交付金について見てきた。ダムと水力発電所がともにあるならば、2つの交付金がえられることになるだろう。その一例が、群馬県の上野村――日本航空の飛行機がダッチロールして墜落した村である。
税収入は約2億円。地方交付税の11〜13億円程度で村の財政を支えていた。ところが2005年ダムと水力発電所が完成すると財政は一変する。06年固定資産税だけで27億円あり、財政指数[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%A1%E6%94%BF%E5%8A%9B%E6%8C%87%E6%95%B0" title="http://ja.wikipedia.org">財政力指数]は、1.3、つまり、財政は大きな黒字で不交付団体になった。
注意しなければならないのは、これらの市町村はいずれも所得水準が低く、人口が減少している過疎地域だったり、若者に働く場のない地域だったことである。柏崎市長を4期つとめた小林治助氏は、助役から市長になった人であるが、日本石油発祥の地であった柏崎でありながら、製油所も廃止され、1963年7万9000人余あった人口も67年には7万人を割り、69年には市の財政はhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%A1%E6%94%BF%E5%86%8D%E5%BB%BA%E5%9B%A3%E4%BD%93" title="http://ja.wikipedia.org">財政再建団体に指定される一歩手前まできていた。そのため刈羽村につらなる砂丘に地域振興の起爆剤を求めたのである。財政悪化は刈羽村でも同じであった。
山村の振興にダムをというのもおなじである。貧しい取り残されたかなしい山村にダムを、貧しい海浜の町や村に原発を。ともに交付金で誘って建設を要望させる。電力会社がこれを受ける。行政指導国家の政治はそれを認可するだけで責任をとらない。柏崎市はこれによって2009年度県内の市で最も財政状況の良い市になった。
そして、田中角栄が柏崎刈羽で4億円を、木村博保が3億8000万円を手にし、建設にともなう工事の一部が自民党県連に献金され、地方に強い自民党をつくりあげたのである。
私は、今年3月八ツ場ダムの記念館に立ち寄った。問題の時は、沢山の人だったといわれているが、この時は人影はなかった。八ツ場ダム推進吾妻住民協議会の会長H氏は、ダムの中止をかかげた前原誠司国土交通大臣に、"地元の声を聞け"とせまった人であるが、自民党の地元議員でもあり、「ダム屋」40人に土地を売り、補償金約10億円を手にし、信用金庫への借金2億円を返済し、立派な家を新築したという。この話をした町の人の反応は"羨ましい"であり、批判はどこにもなかった。
田中角栄がつくったと言われるこの政治ビジネス・モデルに支えられた自民党の地方組織を政権交替は崩すことはできなかった。菅内閣を支えている人たちは闘わないのである。その本質は自民党と同じなのであろうか。
この政治ビジネス・モデルは、原発というメフィストフェレスと手を結んだことである。ファウストが青春と引きかえに良心を売ったように、電力会社も、地方の首長も議員も、今日の繁栄のために、これからの安らぎを、メフィストフェレスに売ったのである。
改めて強調したいのは、原子力発電を日本に次々に建設した責任は自民党にあるということである。谷垣自民党総裁は福島の大災害に責任をとらなければならないのである。その誘致に狂奔した地方議員、町長なども同様である。かれらの過去を知る新聞記者が、被害者顔のこれらの人に強い批判を加えたのもうなずける。石原伸晃自民党幹事長は「脱原発は集団ヒステリー」と発言したという(毎日新聞 2011年6月15日)。民主党の事故対応を批判する前に、利権と一体化して推進した自民党の責任を反省すべきなのである。
あらためて書くまでもない。自分たちの土地が使うわけでもない電力の設備をつくるのであるから、電力消費者が電源開発促進税を払い、自分たちが交付金を受けるのは当然であるという論理は成り立たない。自分たちが使わない機械工場の建設を認めるかわりに、機械に開発促進税を課してよいことにならない。自分たちが食べない米を耕作するのだから、交付金をよこせということもありえない。政治と地域をゆがめる電源三法は廃止し、その分電力価格を下げ、政治を正す必要がある。
[以上引用]
[引用文筆者のプロフィール(掲載誌『世界』より引用)]
伊東光晴 いとう・みつはる 京都大学名誉教授。1927年生まれ。著書に『ケインズ』『政権交代の政治経済学』など。本誌2011年5月号、6月号に「戦後国際貿易ルールの理想に帰れ」を寄稿。
[引用についての投稿者による注記]
引用文は、伊東光晴氏の「http://www.iwanami.co.jp/sekai/2011/08/174.html" title="http://www.iwanami.co.jp">経済学からみた原子力発電──何が推進させたか、代案は何か──」(『世界』 http://www.iwanami.co.jp/sekai/2011/08/directory.html" title="http://www.iwanami.co.jp">2011年8月号、岩波書店)からの抜粋である。
この論文の構成は、次の通りである。
一.原子力発電をめぐる法制度の違い
二.日本で原子力発電を推進したものは何か
三.原子力発電の発電コストは安いのか
四.福島原発事故にもとづく損害賠償
五.脱原発から原発のない社会へ
そのうち、「二.日本で原子力発電を推進したものは何か」を引用した。
引用文中の数字は、もとの文章ではすべて漢数字で書かれている。投稿者が半角算用数字にあらためた。
段落の頭は、もとの文章では一字下げになっている。投稿者が一字下げのかわりに段落間に空行を入れた。
ハイパーリンクは、投稿者がつけたものである。
[投稿者による要約およびコメント]
(a)誘因
通産省と電力各社は発電コストの安さにとびついたいう。しかし、そのコストが安いという触れ込みは嘘であることがやがて明らかになった。嘘だとわかった段階で撤退の動きが起きなかったのか、もう少し説明がほしい。
1954年にはじめて政府が原子力予算を通したとき、修正案を提出したのは野党の改進党に所属していた中曽根康弘氏である。中曽根氏に触れていないのは物足りない。ブログに引用されている中曽根氏の回想録によれば、原子力の平和利用研究予算に学界やジャーナリズムが反対するのは明らかなので、予算修正は秘密裡に準備されたという(「http://tokyopastpresent.wordpress.com/2011/04/11/%E6%9D%B1%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E7%9A%84%E4%BD%8D%E7%BD%AE%E3%83%BC%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E9%96%8B%E7%99%BA%E3%82%92%E5%BC%B7%E5%8A%9B%E3%81%AB/" title="http://tokyopastpresent.wordpress.com">東日本大震災の歴史的位置―原子力開発を強力に推進した中曽根康弘」Hisato Nakajima 2011年4月11日)。
なお、中曽根氏などの原発推進のもくろみに軍事目的があったのではないかという推測もある。これに関連してくるはずだが、筆者伊東光晴氏も原子力発電と軍事利用の表裏一体の関係について、日本国内の問題としては採りあげていないが、それがアメリカで原子力発電を推進した誘因であるとして、簡単に述べている(その箇所は引用していない)。
(b)地元政治家たちの原発誘致
原発を誘致すると、地元の市町村に多額の固定資産税が入る。それに加えて、電源三法の交付金が出る。さらには、用地の売却で大きな利益をえる関係者もあらわれる。このようにして原発誘致が儲かるということが、原発を推進するうえで最大の力になったのだという。その電源三法をつくったのは1974年当時の田中角栄首相であり、発案者は柏崎市長だった。
田中角栄については、阿修羅掲示板でも評価が高いようだ。しかし、地元(および自分自身)への利益誘導の手法についてはどうだろう。わたしは、原発誘致とか公共事業とかいった利益誘導がむしろその地方のためにならなかったのではないかという、直感的な疑念をいだいている。これは、何もしない方がよかったというのではなく、あれだけの政治力があったのならもう少しべつな豊かさが実現できていたかもしれないのにという、後知恵にもとづく疑念である。投稿者は新潟県が出身なのだ。
(c)なぜ原発銀座が生れるのか
電源三法による交付金は、原発の着工から運転開始までがもっとも多額であり、運転開始の翌年から大きく減少する。このため、自治体の側から原発増設の要望が出てくる。交付金がアヘンにたとえられる所以である。
伊東光晴氏が参照した『週刊ダイヤモンド』(2011年5月21日号)の記事「原発は『カネのなる木』 甘い汁を求め原発に群がったヒト・企業・カネ」の図をみるのがわかりやすい。
(d)利権政治のビジネス・モデルの確立
電源三法の交付金の出所は、電力消費者が負担した電源開発促進税である。ただし、このような交付金をえる仕組みは、発電機能のないダムにもみられる。ダムに水力発電所がつけば、さらに交付金が増える。こうして、地方の疲弊した自治体の中からは当然誘致を引き受けるところも出てくる。
自民党は、このようなビジネス・モデルによって、地方に強固な基盤をつくった。
原発推進の責任は自民党にある。民主党は自民党の地方組織を崩せなかったので、その本質が疑われる。伊東光晴氏の結論は、政治と地域をゆがめる電源三法を廃止すべきであるというものだ。
伊東氏は、廃止の根拠として、自分が消費しないものを生産するから交付金を受けるなどという論理は一般的にありえないとして、機械工場や米作の例を挙げている。
しかし、これには異論がある。ダムやほかの発電所ならともかく、原発には格別のリスクがともなうので、伊東氏のいうような一般化はできないのではないだろうか。『世界』(2011年7月号)に掲載された清水修二氏の「電源三法は廃止すべきである」には、この問題がくわしく論じられている。伊東氏の論文は概説としてわかりやすいので紹介したが、問題の所在を理解するためには、清水氏の論文も読まなければならない。といっても、電源三法を廃止すべきだという結論に変わりはないが。
わたしの関心は、電源三法および利権誘導的なさまざまな交付金を廃止した後で、どのようにして地方を再生すればいいのかというところにある。たとえば東京都の世田谷区で保坂展人氏がやろうとしているようなことを、地方のそれぞれの自治体が、はるかに悪い条件のもとで、それぞれのやり方でやらなくてはならないのだ。
http://www.asyura2.com/11/test22/msg/644.html
(a)誘因――発電コストの安さと立地難
現在の原子力発電は、そもそもが軍事技術の利用である。それが軍事技術を持たない日本で推進された理由は何であろうか。アイゼンハウアー大統領が、原子力の平和利用を呼びかけ[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%92%8C%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B" title="http://ja.wikipedia.org">平和のための原子力]、国連がそのための組織[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E6%A9%9F%E9%96%A2" title="http://ja.wikipedia.org">IAEA]をつくった戦後の時期は、科学信仰の社会的文脈が強く、わが国では、これに反対の動きは生まれようもなかった。その実態が知られていなかったからでもある。そのための研究は当然とされてきた。事実政府がつけた当初の予算は3億円弱で、文献収集、基礎研究のための資金であった。
これが原子力発電へと進んだのは、原子力発電のコストは非常に安いという売り込みに、通産省と電力各社がとびついたからであった。電力各社(9社)と電源開発のほか、これに関連する産業グループなどが出資して1957年に設立されたのが日本原子力発電であり、この会社がイギリスから導入したわが国最初の原子力発電・東海1号は、発電コストがキロ2円52銭という売りこみであった。やがてこれがまったくの嘘であることが明らかになるが、なお安さに引かれ、アメリカのジェネラル・エレクトリック社(GE)と、ウェスティング・ハウス社(WH)から、日本原子力発電が敦賀にGEの技術で、関西電力が美浜にWHの技術でともに70年11月、東電が福島にGEの技術で原子力発電所を71年3月に完成させている。
発電コストが安いこと。それに加えて水力にしろ火力にしろ立地が難しくなった時、1ヶ所で大容量の発電可能な原子力が電力会社にとっては魅力的だったのである。
(b)地元政治家たちの原発誘致――柏崎刈羽原発の場合
ダムの誘致にともなう補償が、地元の有力者をどのように潤し、建設事業者が工事の一定割合を地元の県の自民党支部に政治献金しているか等々、自民党長期政権を支えたメカニズムが明らかになるのは、例えば、川辺川ダムの実態を追った毎日新聞記者福岡賢正氏の努力や、長年八ツ場ダム問題に取りくんできた鈴木郁子氏の記録、そして研究者の分析などが結び合ってであったように、原発誘致の実情も、新潟日報の努力によってようやく明らかになった。
2007年8月16日から2008年6月22日まで掲載され、新聞協会賞を受賞した「http://www.niigata-nippo.co.jp/jyusyou/rensai_01.html" title="http://www.niigata-nippo.co.jp/jyusyou/rensai_01.html">揺らぐ安全神話――柏崎刈羽原発」である。この掲載は筆が加えられ『http://www.amazon.co.jp/%E5%8E%9F%E7%99%BA%E3%81%A8%E5%9C%B0%E9%9C%87%E2%80%95%E6%9F%8F%E5%B4%8E%E5%88%88%E7%BE%BD%E3%80%8C%E9%9C%87%E5%BA%A67%E3%80%8D%E3%81%AE%E8%AD%A6%E5%91%8A-%E6%96%B0%E6%BD%9F%E6%97%A5%E5%A0%B1%E7%A4%BE-%E7%89%B9%E5%88%A5%E5%8F%96%E6%9D%90%E7%8F%AD/dp/4062152339" title="http://www.amazon.co.jp">原発と地震――柏崎刈羽「震度7」の警告――』(講談社、2009年)となった。
中越沖地震(2007年7月16日)によって東京電力の柏崎刈羽原発はすべて緊急停止した。福島第一原発のように津波に襲われることがなかったこともあって、混乱はあったものの近隣への被害は生れなかった。しかしこれで原発付近には断層がいくつもあることがわかった。断層の近くに原発があるということは、危険の可能性が大きいことを意味する。なぜこのような土地が選ばれたのか。
東電の調査が不十分だったこともある。だが地元からあらかじめ用意された土地が提供され、それを購入したということの方が大きい。適地を選んで立地したわけではないのである。
この地への誘致を働きかけた中心人物は、当時の柏崎市長小林治助氏と刈羽村村長だった木村博保氏である。
柏崎刈羽原発に政治生命をかけた小林氏に原発誘致をすすめたのは、理研ピストリング工業(現リケン)の元会長の松根宗一氏である。1963年といわれる。東電がこの地に原発を建設するのが69年であるから、6年ほど前である。松根氏は興銀から理研に入った人であり、新潟のこの地は理研発祥の地であるところから小林氏との関係が生れたものと思われる。重要なことは、松根宗一氏は、1954年理研に入ると同じ年に東電顧問になっており、のちに電力事業連合会の副会長についている。この地位に電力業界以外の人がついたのは、松根氏のみである。
他方、木村博保氏は田中角栄の地元の支援団体である陸山会の会長をつとめた自由民主党員で、刈羽村長から県会議員になり、東電から声をかけられ、東電本社で小松甚太郎専務に会っている。
新潟日報の記事で注目しなければならないのは、三つである。
第一は、原発計画が発表される3年前、刈羽村村長だった木村氏は、予定地52ヘクタールを買い、東電に売り、その利益として3億5865万円を税務申告していることである。買った坪当り単価の20倍ほどで売っている。72年度新潟県の長者番付の第1位は小林氏であり、第2位も原発に土地を売った人である。この年原発成金が多数生れたという。
第二は、2007年12月13日の記事で田中角栄の元秘書で国家老と言われた本間幸一(昂一)氏の次のような言葉である。東電への土地売却利益4億円を木村博保氏と田中角栄のもとに運んだと。当時田中角栄は自民党の幹事長で、総裁選で福田赳夫と争っており、この金は、総裁選に利用されたものと思われる。この記事は、自民党の政治資金と原発の関係を物語っている。
第三は、田中角栄は首相になり、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E6%BA%90%E4%B8%89%E6%B3%95" title="http://ja.wikipedia.org">電源三法(1974年6月成立)を成立させたが、その発案者は柏崎市長だった小林治助氏だったという。従来までダムにしろ発電所にしろ、建設されれば地元市町村に多額の固定資産税が入る。電源三法はこれに加え、各電力会社、その販売電力量に比例した電源開発促進税を払い、これを財源として地方に交付金を与えようというものである。その目的は原子力発電の立地を容易にするためであった。
これが原発建設を日本で拡大した最大の力である。
(c)なぜ原発銀座が生れるのか――アヘンのような交付金
電源三法によって集められた資金は、そのほとんどが、電源立地地域対策交付金として電源が立地する県と、付近市町村に種々な名目で分けられていく。その名称は、電源立地等初期対策交付金、電源立地促進対策交付金、原子力発電施設等周辺地域交付金、電力移出県等交付金、原子力発電施設等立地地域長期発展対策交付金であり、その他原子力発電施設立地地域共生交付金もある。
交付金の種類の多さに戸惑うとともに、たがいがダブラないか、第三者にはその違いがどこにあるか、まったくわからない。湯水のごとく金がまかれ、地元がこれを求めた姿が浮かぶかのような交付金の数である。もちろん、それが電力料金を高めている。原子力発電の原価はそのぶん上昇すべきものなのである。
私は昔、石川県の手取川ダムの立地によって地元が固定資産税収入をふやし地方の財政が一変したことを述べたことがある[原注 『世界』1983年1月号、経済戯評]。だが今は、それをはるかに上回る電源開発促進税である。設備が作られ、それに応じて生れる固定資産税と違って、それ以前から交付され、建設中が一番多額なのである。『週刊ダイヤモンド』編集部は『http://www2.dengen.or.jp/html/leaf/seido/seido.html" title="http://www2.dengen.or.jp">電源立地制度の概要』(資源エネルギー庁)によって、電源立地地域に対する交付金がどう配分されていくかを経年的に明らかにする試算をつくっている(http://dw.diamond.ne.jp/contents/2011/0521/index.html" title="http://dw.diamond.ne.jp">2011年5月21日号)。それによると配分額は、運転開始以後約20億円〜22億円が約30年間交付されるのに対し、着工された年には74億円強、それから2年間は最高の77億5000万円となっている。
1年77億円という金額は、原発が立地する過疎の市町村にとっては極めて大きな金額である。注意しなければならないのは、原発立地の環境に与える評価を開始した年から5億2000万円交付されることであり、評価いかんで、建設するかしないかではなく、評価は建設を予定していることと[ママ]、運転開始までの10年間に440億円交付され、運転開始以後交付金が大きく減少することである。このことが、地方議会と首長が、もう1基原発の建設を、という要望につながるのである。
原発立地に必ずしも賛成でなかった福島県の佐藤栄佐久知事は原発立地の地元の議会の増設要求に対し、原発は麻薬だと言ったのは、この交付金を批判してであった。なぜ特定地域に原発銀座といわれるように、何基もの原発が次々に建設されるか。その理由は、交付金の魅力と電源会社にとっての同一地立地の容易さとの結果である。
(d)利権政治のビジネス・モデルの確立
このような交付金の魅力は電源立地だけではない。ダムの建設の場合でも同じである。
神奈川県清川村は1990年代まで財政指数0.2〜0.4つまり、税その他の収入が財政規模の2割から4割しかない村だったが、宮ヶ瀬ダムの建設を受け入れることによって、完成の前年(1999年)約12億円の交付金が入った。財政規模約20億円の6割である。こうして2003年には村の財政指数は1以上――つまり自前の収入でまかなえる――の富裕団体になる。建設それ自体が問題である群馬県の長野原町の「八ツ場ダム」関係者は、バスを仕立てて、この宮ヶ瀬ダムと清川村を訪れている。清川村の財政の一変を見せ、住民のダム誘致賛成を拡大しようとしたのである。
電源立地とダムとの交付金について見てきた。ダムと水力発電所がともにあるならば、2つの交付金がえられることになるだろう。その一例が、群馬県の上野村――日本航空の飛行機がダッチロールして墜落した村である。
税収入は約2億円。地方交付税の11〜13億円程度で村の財政を支えていた。ところが2005年ダムと水力発電所が完成すると財政は一変する。06年固定資産税だけで27億円あり、財政指数[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%A1%E6%94%BF%E5%8A%9B%E6%8C%87%E6%95%B0" title="http://ja.wikipedia.org">財政力指数]は、1.3、つまり、財政は大きな黒字で不交付団体になった。
注意しなければならないのは、これらの市町村はいずれも所得水準が低く、人口が減少している過疎地域だったり、若者に働く場のない地域だったことである。柏崎市長を4期つとめた小林治助氏は、助役から市長になった人であるが、日本石油発祥の地であった柏崎でありながら、製油所も廃止され、1963年7万9000人余あった人口も67年には7万人を割り、69年には市の財政はhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%A1%E6%94%BF%E5%86%8D%E5%BB%BA%E5%9B%A3%E4%BD%93" title="http://ja.wikipedia.org">財政再建団体に指定される一歩手前まできていた。そのため刈羽村につらなる砂丘に地域振興の起爆剤を求めたのである。財政悪化は刈羽村でも同じであった。
山村の振興にダムをというのもおなじである。貧しい取り残されたかなしい山村にダムを、貧しい海浜の町や村に原発を。ともに交付金で誘って建設を要望させる。電力会社がこれを受ける。行政指導国家の政治はそれを認可するだけで責任をとらない。柏崎市はこれによって2009年度県内の市で最も財政状況の良い市になった。
そして、田中角栄が柏崎刈羽で4億円を、木村博保が3億8000万円を手にし、建設にともなう工事の一部が自民党県連に献金され、地方に強い自民党をつくりあげたのである。
私は、今年3月八ツ場ダムの記念館に立ち寄った。問題の時は、沢山の人だったといわれているが、この時は人影はなかった。八ツ場ダム推進吾妻住民協議会の会長H氏は、ダムの中止をかかげた前原誠司国土交通大臣に、"地元の声を聞け"とせまった人であるが、自民党の地元議員でもあり、「ダム屋」40人に土地を売り、補償金約10億円を手にし、信用金庫への借金2億円を返済し、立派な家を新築したという。この話をした町の人の反応は"羨ましい"であり、批判はどこにもなかった。
田中角栄がつくったと言われるこの政治ビジネス・モデルに支えられた自民党の地方組織を政権交替は崩すことはできなかった。菅内閣を支えている人たちは闘わないのである。その本質は自民党と同じなのであろうか。
この政治ビジネス・モデルは、原発というメフィストフェレスと手を結んだことである。ファウストが青春と引きかえに良心を売ったように、電力会社も、地方の首長も議員も、今日の繁栄のために、これからの安らぎを、メフィストフェレスに売ったのである。
改めて強調したいのは、原子力発電を日本に次々に建設した責任は自民党にあるということである。谷垣自民党総裁は福島の大災害に責任をとらなければならないのである。その誘致に狂奔した地方議員、町長なども同様である。かれらの過去を知る新聞記者が、被害者顔のこれらの人に強い批判を加えたのもうなずける。石原伸晃自民党幹事長は「脱原発は集団ヒステリー」と発言したという(毎日新聞 2011年6月15日)。民主党の事故対応を批判する前に、利権と一体化して推進した自民党の責任を反省すべきなのである。
あらためて書くまでもない。自分たちの土地が使うわけでもない電力の設備をつくるのであるから、電力消費者が電源開発促進税を払い、自分たちが交付金を受けるのは当然であるという論理は成り立たない。自分たちが使わない機械工場の建設を認めるかわりに、機械に開発促進税を課してよいことにならない。自分たちが食べない米を耕作するのだから、交付金をよこせということもありえない。政治と地域をゆがめる電源三法は廃止し、その分電力価格を下げ、政治を正す必要がある。
[以上引用]
[引用文筆者のプロフィール(掲載誌『世界』より引用)]
伊東光晴 いとう・みつはる 京都大学名誉教授。1927年生まれ。著書に『ケインズ』『政権交代の政治経済学』など。本誌2011年5月号、6月号に「戦後国際貿易ルールの理想に帰れ」を寄稿。
[引用についての投稿者による注記]
引用文は、伊東光晴氏の「http://www.iwanami.co.jp/sekai/2011/08/174.html" title="http://www.iwanami.co.jp">経済学からみた原子力発電──何が推進させたか、代案は何か──」(『世界』 http://www.iwanami.co.jp/sekai/2011/08/directory.html" title="http://www.iwanami.co.jp">2011年8月号、岩波書店)からの抜粋である。
この論文の構成は、次の通りである。
一.原子力発電をめぐる法制度の違い
二.日本で原子力発電を推進したものは何か
三.原子力発電の発電コストは安いのか
四.福島原発事故にもとづく損害賠償
五.脱原発から原発のない社会へ
そのうち、「二.日本で原子力発電を推進したものは何か」を引用した。
引用文中の数字は、もとの文章ではすべて漢数字で書かれている。投稿者が半角算用数字にあらためた。
段落の頭は、もとの文章では一字下げになっている。投稿者が一字下げのかわりに段落間に空行を入れた。
ハイパーリンクは、投稿者がつけたものである。
[投稿者による要約およびコメント]
(a)誘因
通産省と電力各社は発電コストの安さにとびついたいう。しかし、そのコストが安いという触れ込みは嘘であることがやがて明らかになった。嘘だとわかった段階で撤退の動きが起きなかったのか、もう少し説明がほしい。
1954年にはじめて政府が原子力予算を通したとき、修正案を提出したのは野党の改進党に所属していた中曽根康弘氏である。中曽根氏に触れていないのは物足りない。ブログに引用されている中曽根氏の回想録によれば、原子力の平和利用研究予算に学界やジャーナリズムが反対するのは明らかなので、予算修正は秘密裡に準備されたという(「http://tokyopastpresent.wordpress.com/2011/04/11/%E6%9D%B1%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E7%9A%84%E4%BD%8D%E7%BD%AE%E3%83%BC%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E9%96%8B%E7%99%BA%E3%82%92%E5%BC%B7%E5%8A%9B%E3%81%AB/" title="http://tokyopastpresent.wordpress.com">東日本大震災の歴史的位置―原子力開発を強力に推進した中曽根康弘」Hisato Nakajima 2011年4月11日)。
なお、中曽根氏などの原発推進のもくろみに軍事目的があったのではないかという推測もある。これに関連してくるはずだが、筆者伊東光晴氏も原子力発電と軍事利用の表裏一体の関係について、日本国内の問題としては採りあげていないが、それがアメリカで原子力発電を推進した誘因であるとして、簡単に述べている(その箇所は引用していない)。
(b)地元政治家たちの原発誘致
原発を誘致すると、地元の市町村に多額の固定資産税が入る。それに加えて、電源三法の交付金が出る。さらには、用地の売却で大きな利益をえる関係者もあらわれる。このようにして原発誘致が儲かるということが、原発を推進するうえで最大の力になったのだという。その電源三法をつくったのは1974年当時の田中角栄首相であり、発案者は柏崎市長だった。
田中角栄については、阿修羅掲示板でも評価が高いようだ。しかし、地元(および自分自身)への利益誘導の手法についてはどうだろう。わたしは、原発誘致とか公共事業とかいった利益誘導がむしろその地方のためにならなかったのではないかという、直感的な疑念をいだいている。これは、何もしない方がよかったというのではなく、あれだけの政治力があったのならもう少しべつな豊かさが実現できていたかもしれないのにという、後知恵にもとづく疑念である。投稿者は新潟県が出身なのだ。
(c)なぜ原発銀座が生れるのか
電源三法による交付金は、原発の着工から運転開始までがもっとも多額であり、運転開始の翌年から大きく減少する。このため、自治体の側から原発増設の要望が出てくる。交付金がアヘンにたとえられる所以である。
伊東光晴氏が参照した『週刊ダイヤモンド』(2011年5月21日号)の記事「原発は『カネのなる木』 甘い汁を求め原発に群がったヒト・企業・カネ」の図をみるのがわかりやすい。
(d)利権政治のビジネス・モデルの確立
電源三法の交付金の出所は、電力消費者が負担した電源開発促進税である。ただし、このような交付金をえる仕組みは、発電機能のないダムにもみられる。ダムに水力発電所がつけば、さらに交付金が増える。こうして、地方の疲弊した自治体の中からは当然誘致を引き受けるところも出てくる。
自民党は、このようなビジネス・モデルによって、地方に強固な基盤をつくった。
原発推進の責任は自民党にある。民主党は自民党の地方組織を崩せなかったので、その本質が疑われる。伊東光晴氏の結論は、政治と地域をゆがめる電源三法を廃止すべきであるというものだ。
伊東氏は、廃止の根拠として、自分が消費しないものを生産するから交付金を受けるなどという論理は一般的にありえないとして、機械工場や米作の例を挙げている。
しかし、これには異論がある。ダムやほかの発電所ならともかく、原発には格別のリスクがともなうので、伊東氏のいうような一般化はできないのではないだろうか。『世界』(2011年7月号)に掲載された清水修二氏の「電源三法は廃止すべきである」には、この問題がくわしく論じられている。伊東氏の論文は概説としてわかりやすいので紹介したが、問題の所在を理解するためには、清水氏の論文も読まなければならない。といっても、電源三法を廃止すべきだという結論に変わりはないが。
わたしの関心は、電源三法および利権誘導的なさまざまな交付金を廃止した後で、どのようにして地方を再生すればいいのかというところにある。たとえば東京都の世田谷区で保坂展人氏がやろうとしているようなことを、地方のそれぞれの自治体が、はるかに悪い条件のもとで、それぞれのやり方でやらなくてはならないのだ。
自分の意に沿わないものは
マインドコントロールを受けた悪の手先みたいな事を言ってる事だけは理解出来たが
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/385.html#c18
――崎山比早子 元放射線医学総合研究所主任研究員・高木学校メンバー インタビュー
福島第一原子力発電所の事故から4ヵ月が経過した。当初、漏れ出た放射能による汚染は福島原発周辺の市町村だけと伝えられていた。しかし、その後の自治体などの調査で、国が定めた避難区域以外にも一般の人の年間被ばく限度を超える可能性のある汚染地域が存在することが明らかになり、住民は不安をつのらせている。
6月6日、筆者が共同主宰する「日本の医療を守る市民の会」では、被ばくについての正しい知識を市民に届けるために、元・放射線医学総合研究所主任研究員で医学博士の崎山比早子氏(「高木学校」メンバー)の講演会を開催した。今回は、その崎山氏に改めて放射線が身体に与える影響についてインタビューした。
■被ばくに安全な「しきい値」など存在しない
――福島第一原発事故の対応策として、国はこれまで1mSv(ミリシーベルト)だった一般の人の年間被ばく限度を、緊急時ということで20mSv(暫定基準値)まで引き上げました。福島の母親たちを中心とした運動によって、子どもの被ばく限度は1mSv以下を目指すことになりましたが、避難地域に指定されていない伊達市や川俣町などには年間被ばく量が外部被ばくだけで20mSv以上に達する地域が点在しています。低線量被ばくは「CT検査1回分の線量だから大丈夫」「広島の原爆被害者の調査でも100mSv以下ではがんは増えていません」という専門家もいますが、本当に健康への影響はないのでしょうか。
放射線被ばくの障害は、被ばくした線量によって急性障害と晩発障害に分けられます。一度に大量の放射線を浴びると、短時間で嘔吐、下血、吐血、紫斑、脱毛などの急性障害が現れますが、いちばん軽い症状はリンパ球や白血球の一時的減少です。これが出始める100〜250mSv付近が、急性障害の「しきい値」(この線量以下ならば被ばくしても急性症状がでないという値)となっています。
福島第一原発事故のあと、テレビで政府関係者や専門家が「ただちに健康に影響を及ぼす線量ではないから安心」と繰り返したのは、この急性障害を引き起こすような線量ではないということでしょう。
100〜250mSv以下の低線量被ばくは、すぐに目に見える形で健康被害が出るわけではありません。だからといって安全なのではなく、被ばく後、数年〜数十年たってから、がんをはじめとしたさまざまな病気になる危険性があるのです。これを晩発障害といいます。
アメリカの原爆障害調査委員会(ABCC)が始め、その後、放射線影響研究所が引き継いだ広島原爆被爆生存者約9万人に行った生涯追跡調査によると、がんの他に、心疾患、脳血管疾患、消化器疾患、呼吸器疾患も増加することが明らかになっています。この人たちの平均被ばく量は200mSvですが、半数以上は50mSv以下です。とくに、がんの死亡率は被ばく線量が多いほど増加しますが、この線量以下ならば被ばくしても害はないという「しきい値」は見つかっていません。
広島・長崎の被爆者追跡調査は世界でも信頼性の高い研究として評価されており、国際放射線防護員会(ICRP)もこの調査結果に基づいて「発がんには『しきい値』はない」という勧告を出しています。また、米国科学アカデミー(BEIR VII)、国連科学委員会(UNSCEAR)、欧州放射線リスク委員会(ECRR)も、低線量被ばくの「しきい値なし直線説」を採用しています。それなのに、日本の医療者の中にはABCCの調査結果を無視するような発言をする人がいるのです。もしも「100mSvで害がない」というなら、この調査を上回るしっかりとした科学的根拠を示すべきだと思います。
――1986年のチェルノブイリ原発事故のあとで、子どもの甲状腺がんが増えたと聞くのでとても心配です。どれくらいの割合で増えたのでしょうか。
チェルノブイリ原発の事故が起こる前までは、ベラルーシ共和国では小児の甲状腺がんは年間数人でした。ところが、事故の4年後の1990年には15歳未満の子どもの30人程度に甲状腺がんが見られるようになり、1995年には90人近くまで増えています。これは原発事故の影響といって間違いないでしょう。
――被ばくをすると、なぜ、がんになるリスクが増すのでしょうか。
がんは遺伝子の異常によって起こる病気で、複数の遺伝子の変化が積み重なってできるものです。がんが高齢者に多い病気なのは、長く生きている間に環境中にある化学物質、放射線などによる変異が蓄積するからで、環境中に放射能が増大すると、その変異を促進すると考えられています。
人間の身体は約60兆個の細胞によってできており、細胞は日々生まれ変わっています。ひとつひとつの細胞には身体の設計図となるDNAがあり、細胞が分裂するときは設計図通りに複製されて新しい細胞に伝えられます。放射線を浴びると、このDNAに傷がつきます。細胞はDANの損傷を修復しようとしますが、複雑な損傷で、数が多くなると修復できなくなります。
1999年に東海村で起きたJCO臨界事故では、作業員の方が1万7000〜2万mSvもの高線量の被ばくをし、修復不可能なほどDNAに損傷を受けました。本質的な治療は切断されたDNAを正しくつなぎ合わせることですが、そのようなことはできるはずもありません。被ばくの当初はほとんど異常がないように見えましたが、細胞が入れ替わる時期から皮膚がむけおち、腸管からの下血、感染症が始まりました。そして、最新の治療を受けましたが、83日後に亡くなりました。主治医は「医療の限界を痛感した」と言っています。
低線量の被ばくでも、本質的に細胞に与える損傷のメカニズムは同じで、身体の設計図であるDNAに傷をつけてしまうということです。年間被ばく量1mSvということは、1年かけて全身の細胞のDNAに平均して1本の放射線が通るということを意味します。そのときにできた傷が正しく修復できないと、異変をもったままDNAが複製され、次の細胞に受け継がれていくことで、将来的にがんを発症する可能性がでてきます。20mSvの被ばくだと平均20本の放射線が通ることになり、それだけDNAが損傷されて異変の可能性が高まり、発がんのリスクも高まることになります。
さらに、放射線被ばくの影響は、がんだけではなく、さまざまな病気の発症にかかわっているという研究データもあります。
■セシウムの高線量地域では子どもに高血圧、糖尿病、白内障などの症状が見られる
――被ばくによる障害は、がんのほかに、どのようなものがあるのでしょうか。
1997年にベラルーシ共和国のゴメリ州で、10歳までに死亡した子ども52人を病理解剖して、セシウム137の臓器別蓄積量を調べた研究論文があります。
(Bandazbervsky Y.I. Swiss Med Wkly 133,2003)
日本の専門家の中には「セシウムは骨格筋にしか蓄積されない」という人もいるのですが、この論文によると、骨格筋より甲状腺に圧倒的に高いセシウムが蓄積されています。その他、副腎、膵臓、胸腺にも高線量のセシウムが蓄積されていますが、これらはすべて身体の成長や代謝に重要な働きする内分泌系です。ここに高線量のセシウムが貯まると、ホルモン分泌も悪くなったりして、成長を妨げることになります。そのため、なかなか身体が大きくならなかったり、虚弱体質の子どもが増えたそうです。ゴメリ州には糖尿病の子どもも多いのですが、膵臓にセシウムが蓄積することで、インシュリンの分泌に影響を与えていることも考えられます。
内分泌系以外にも、小腸、大腸、腎臓、脾臓、心臓、肺、脳、肝臓にもセシウムは蓄積しており、呼吸器疾患や消化器疾患を繰り返したり、脳神経疾患、先天異常、白内障などもあるそうです。また、高血圧、低血圧、心電図の異常など心臓血管系の疾患が多いという調査結果もあり、まるで高齢者のような病気を患う子どもがいることにも驚きます。脾臓などの免疫系にも蓄積が見られるので、免疫機能が低下し、感染症を起こして病気になりやすくなります。疲れやすく、ひとりで2つ以上の病気を抱えている子どもが多いのも特徴です。以前は全体の80〜90%の子どもが健康だったのに、チェルノブイリ原発事故以降は20%程度しか健康な子どもがいなくなったということです。
放射性セシウムは、カリウムやナトリウムと似た性質なので、これらが蓄積する器官にはセシウムも蓄積しやすいという考えもありますが、こうした病気が出る原因はまだはっきりとは分かっていません。しかし、チェルノブイリの今は、25年後のフクシマの姿です。私たちはチェルノブイリから多くを学び、子どもたちの健康を守るための努力をしなければならないと思います。
――被ばくの影響を少しでも取り除くにはどうすればいいでしょうか。
放射線の強さが半分に減少するまでの期間(半減期)は、それぞれの放射性物質によって異なります。たとえば、プルトニウム239は2万4100年ですから、呼吸などによって取り込まれると、一生、体内で放射線を出し続けることになり非常に危険です。しかし、セシウム137の物理的半減期は30.2年で、人間の身体の中で実際に減少していく生物学的半減期は100〜110日です。さらに、新陳代謝の活発な乳児は、大人の5分の1の期間で放射線量が減少していきます。
ベラルーシで、汚染のない環境に子どもを移して、汚染されていない食べ物を与えて、体内のセシウムの量を測定したデータがあります。この時、同時にりんごの乾燥粉末(15〜16%のアップルペクチンを含む)5gを、1日2回、服用させているのですが、3週間後には体内のセシウムが62.6%減少しています。
福島のお子さんも汚染のない環境に移住できるのが理想ですが、それが難しい場合は夏休みだけでもいいので、汚染のない地域にいる親戚やボランティア団体が開催しているサマーキャンプなどのところに行かせられるといいと思います。
チェルノブイリ原発事故によるセシウムの汚染が高い地域で、肉(牛肉、豚肉、羊肉)、きのこ類、ベリー類、牛乳を摂っている人は、これらをまったく摂っていない人に比べて、体内汚染の値が約3倍も高いという研究があります。ロシアとは食文化が違うので、これをそのまま日本に当てはめることはできませんが、肉類や牛乳、きのこ類などを食べるときは汚染がないかどうか注意することが必要だと思います。
体内被ばくを避けるためには、できるだけ放射能で汚染された食品を食べないようにするしかありませんから、国や行政は食品の放射能測定をもっときめ細かく行うべきだと思います。チェルノブイリ原発事故のときは、放射能汚染の高い地域には汚染されていない食品を送って、優先的に食べてもらおうという運動がありました。日本の一部でも、そのような運動が起こっています。
――福島第一原発の事故のあと、「ヨウ素剤は副作用があるので飲まないように」と発言をした専門家もいましたが、ヨウ素剤はそれほど副作用の大きな薬なのでしょうか。
放射性ヨウ素が体内に入る前から直後までにヨウ素剤を飲めば、甲状腺に入る放射性ヨウ素の93%を抑えられます。しかし、6時間後の服用では10%に減少してしまうので、ヨウ素剤は事故が起きたらすぐに服用することが大切です。
万一の事故に備えて、フランスやドイツ、ベルギーなどでは、原発の周囲5km以内には各家庭にヨウ素剤が事前に配布されています。ところが、日本の原子力安全委員会のヨウ素剤検討会では、「誤った服用による副作用をさけるために家庭配布はしない」と決めたのです。
しかし、ヨウ素剤には副作用はなく、チェルノブイリ原発事故のとき、ポーランドでは1050万人がヨウ素剤を服用しましたが、副作用の報告はされていません。日本でも家庭配布していて、爆発後すぐにヨウ素剤を服用していれば、もっと被ばくを避けられたかもしれないと思うと、とても残念です。ただし、飲み過ぎると甲状腺機能を抑えてしまうので、続けて服用するのは避けてください。飲み過ぎた場合は、服用を止めれば元に戻ります。
こんなにも苛酷な事故が起きたというのに、今だに原発が稼動している地域があります。万一の事故に備えて、ヨウ素剤の配布のあり方は早急に見直すべきだと思います。
<プロフィール>
崎山比早子(さきやま ひさこ)
医学博士。マサチューセッツ工科大学研究員、放射線医学総合研究所主任研究官を経て、1999年から高木学校のメンバーに。高木学校は、プルトニウムの危険性を訴え続けた物理学者の故・高木仁三郎氏が、市民の立場から問題に取り組む市民科学者を育成するために1998年に創設した団体。
<参考文献>
●Bandazbervsky Y.I. Swiss Med Wkly 133,2003
●「受ける?受けない? エックス線 CT検査 医療被ばくのリスク」(七つ森書館)
電力会社は、耐震補強のコストカットに悩み中。
四連動は想定外にしちゃおうかな〜とか、やってますよ。
個人・企業・国、あらゆるレベルで、リスクの分散・首都機能移転・海外への展開を考えるのが、もはや普通の状況になってます。
AB = (□×sin △) ÷ { sin (○ + △) }
どうでぃ、今日から夏休みの俺でも解けらぁ。
しかし、自然災害とその対応のあり方は数学の問題解きと全然違うだろw
なぁにが前提だよ。事故当時の現場の状況をよく想像してみろ。
自分の鼻くそを他人の袖にこすり付けるような態度で何が解決できるんだ?
問題は、彼を殺害して逃亡に成功したアラブ・ペルシャ系の男が見つかっていない
ということですね。おそらく何事もなかったのように国外逃亡して賞金にありついて
左団扇の生活をしているのでありましょう。
手がかりはない、時間がたちすぎている、しかも犯人はおそらく中東にいる、
となれば捜査のてだてはないかもしれない。CIA・モサド級の諜報機関に依頼するところから
はじめないといけないかもしれない。まず解決は無理だろう。
それだからといって、別のところで犯人をでっちあげればいいというものではない。
それは現実逃避ですよ。犯人は中東・中央アジア・インドネシア系の奴にきまっている。
イスラムに我々近代人の倫理は通用しない。あいつらに言論の自由はないのだから。
これが原子力発電へと進んだのは、原子力発電のコストは非常に安いという売り込みに、通産省と電力各社がとびついたからであった。電力各社(9社)と電源開発のほか、これに関連する産業グループなどが出資して1957年に設立されたのが日本原子力発電であり、この会社がイギリスから導入したわが国最初の原子力発電・東海1号は、発電コストがキロ2円52銭という売りこみであった。やがてこれがまったくの嘘であることが明らかになるが、なお安さに引かれ、アメリカのジェネラル・エレクトリック社GE)と、ウェスティング・ハウス社(WH)から、日本原子力発電が敦賀にGEの技術で、関西電力が美浜にWHの技術でともに70年11月、東電が福島にGEの技術で原子力発電所を71年3月に完成させている。
発電コストが安いこと。それに加えて水力にしろ火力にしろ立地が難しくなった時、1ヶ所で大容量の発電可能な原子力が電力会社にとっては魅力的だったのである。
(b)地元政治家たちの原発誘致――柏崎刈羽原発の場合
ダムの誘致にともなう補償が、地元の有力者をどのように潤し、建設事業者が工事の一定割合を地元の県の自民党支部に政治献金しているか等々、自民党長期政権を支えたメカニズムが明らかになるのは、例えば、川辺川ダムの実態を追った毎日新聞記者福岡賢正氏の努力や、長年八ツ場ダム問題に取りくんできた鈴木郁子氏の記録、そして研究者の分析などが結び合ってであったように、原発誘致の実情も、新潟日報の努力によってようやく明らかになった。
2007年8月16日から2008年6月22日まで掲載され、新聞協会賞を受賞した「揺らぐ安全神話――柏崎刈羽原発」である。この掲載は筆が加えられ『原発と地震――柏崎刈羽「震度7」の警告――』(講談社、2009年)となった。
中越沖地震(2007年7月16日)によって東京電力の柏崎刈羽原発はすべて緊急停止した。福島第一原発のように津波に襲われることがなかったこともあって、混乱はあったものの近隣への被害は生れなかった。しかしこれで原発付近には断層がいくつもあることがわかった。断層の近くに原発があるということは、危険の可能性が大きいことを意味する。なぜこのような土地が選ばれたのか。
東電の調査が不十分だったこともある。だが地元からあらかじめ用意された土地が提供され、それを購入したということの方が大きい。適地を選んで立地したわけではないのである。
この地への誘致を働きかけた中心人物は、当時の柏崎市長小林治助氏と刈羽村村長だった木村博保氏である。
柏崎刈羽原発に政治生命をかけた小林氏に原発誘致をすすめたのは、理研ピストリング工業(現リケン)の元会長の松根宗一氏である。1963年といわれる。東電がこの地に原発を建設するのが69年であるから、6年ほど前である。松根氏は興銀から理研に入った人であり、新潟のこの地は理研発祥の地であるところから小林氏との関係が生れたものと思われる。重要なことは、松根宗一氏は、1954年理研に入ると同じ年に東電顧問になっており、のちに電力事業連合会の副会長についている。この地位に電力業界以外の人がついたのは、松根氏のみである。
他方、木村博保氏は田中角栄の地元の支援団体である陸山会の会長をつとめた自由民主党員で、刈羽村長から県会議員になり、東電から声をかけられ、東電本社で小松甚太郎専務に会っている。
新潟日報の記事で注目しなければならないのは、三つである。
第一は、原発計画が発表される3年前、刈羽村村長だった木村氏は、予定地52ヘクタールを買い、東電に売り、その利益として3億5865万円を税務申告していることである。買った坪当り単価の20倍ほどで売っている。72年度新潟県の長者番付の第1位は小林氏であり、第2位も原発に土地を売った人である。この年原発成金が多数生れたという。
第二は、2007年12月13日の記事で田中角栄の元秘書で国家老と言われた本間幸一(昂一)氏の次のような言葉である。東電への土地売却利益4億円を木村博保氏と田中角栄のもとに運んだと。当時田中角栄は自民党の幹事長で、総裁選で福田赳夫と争っており、この金は、総裁選に利用されたものと思われる。この記事は、自民党の政治資金と原発の関係を物語っている。
第三は、田中角栄は首相になり、電源三法(1974年6月成立)を成立させたが、その発案者は柏崎市長だった小林治助氏だったという。従来までダムにしろ発電所にしろ、建設されれば地元市町村に多額の固定資産税が入る。電源三法はこれに加え、各電力会社、その販売電力量に比例した電源開発促進税を払い、これを財源として地方に交付金を与えようというものである。その目的は原子力発電の立地を容易にするためであった。
これが原発建設を日本で拡大した最大の力である。
(c)なぜ原発銀座が生れるのか――アヘンのような交付金
電源三法によって集められた資金は、そのほとんどが、電源立地地域対策交付金として電源が立地する県と、付近市町村に種々な名目で分けられていく。その名称は、電源立地等初期対策交付金、電源立地促進対策交付金、原子力発電施設等周辺地域交付金、電力移出県等交付金、原子力発電施設等立地地域長期発展対策交付金であり、その他原子力発電施設立地地域共生交付金もある。
交付金の種類の多さに戸惑うとともに、たがいがダブラないか、第三者にはその違いがどこにあるか、まったくわからない。湯水のごとく金がまかれ、地元がこれを求めた姿が浮かぶかのような交付金の数である。もちろん、それが電力料金を高めている。原子力発電の原価はそのぶん上昇すべきものなのである。
私は昔、石川県の手取川ダムの立地によって地元が固定資産税収入をふやし地方の財政が一変したことを述べたことがある[原注 『世界』1983年1月号、経済戯評]。だが今は、それをはるかに上回る電源開発促進税である。設備が作られ、それに応じて生れる固定資産税と違って、それ以前から交付され、建設中が一番多額なのである。『週刊ダイヤモンド』編集部は『title="http://www2.dengen.or.jp">電源立地制度の概要』(資源エネルギー庁)によって、電源立地地域に対する交付金がどう配分されていくかを経年的に明らかにする試算をつくっている(title="http://dw.diamond.ne.jp">2011年5月21日号)。それによると配分額は、運転開始以後約20億円〜22億円が約30年間交付されるのに対し、着工された年には74億円強、それから2年間は最高の77億5000万円となっている。
1年77億円という金額は、原発が立地する過疎の市町村にとっては極めて大きな金額である。注意しなければならないのは、原発立地の環境に与える評価を開始した年から5億2000万円交付されることであり、評価いかんで、建設するかしないかではなく、評価は建設を予定していることと[ママ]、運転開始までの10年間に440億円交付され、運転開始以後交付金が大きく減少することである。このことが、地方議会と首長が、もう1基原発の建設を、という要望につながるのである。
原発立地に必ずしも賛成でなかった福島県の佐藤栄佐久知事は原発立地の地元の議会の増設要求に対し、原発は麻薬だと言ったのは、この交付金を批判してであった。なぜ特定地域に原発銀座といわれるように、何基もの原発が次々に建設されるか。その理由は、交付金の魅力と電源会社にとっての同一地立地の容易さとの結果である。
(d)利権政治のビジネス・モデルの確立
このような交付金の魅力は電源立地だけではない。ダムの建設の場合でも同じである。
神奈川県清川村は1990年代まで財政指数0.2〜0.4つまり、税その他の収入が財政規模の2割から4割しかない村だったが、宮ヶ瀬ダムの建設を受け入れることによって、完成の前年(1999年)約12億円の交付金が入った。財政規模約20億円の6割である。こうして2003年には村の財政指数は1以上――つまり自前の収入でまかなえる――の富裕団体になる。建設それ自体が問題である群馬県の長野原町の「八ツ場ダム」関係者は、バスを仕立てて、この宮ヶ瀬ダムと清川村を訪れている。清川村の財政の一変を見せ、住民のダム誘致賛成を拡大しようとしたのである。
電源立地とダムとの交付金について見てきた。ダムと水力発電所がともにあるならば、2つの交付金がえられることになるだろう。その一例が、群馬県の上野村――日本航空の飛行機がダッチロールして墜落した村である。
税収入は約2億円。地方交付税の11〜13億円程度で村の財政を支えていた。ところが2005年ダムと水力発電所が完成すると財政は一変する。06年固定資産税だけで27億円あり、財政指数[財政力指数]は、1.3、つまり、財政は大きな黒字で不交付団体になった。
注意しなければならないのは、これらの市町村はいずれも所得水準が低く、人口が減少している過疎地域だったり、若者に働く場のない地域だったことである。柏崎市長を4期つとめた小林治助氏は、助役から市長になった人であるが、日本石油発祥の地であった柏崎でありながら、製油所も廃止され、1963年7万9000人余あった人口も67年には7万人を割り、69年には市の財政は財政再建団体に指定される一歩手前まできていた。そのため刈羽村につらなる砂丘に地域振興の起爆剤を求めたのである。財政悪化は刈羽村でも同じであった。
山村の振興にダムをというのもおなじである。貧しい取り残されたかなしい山村にダムを、貧しい海浜の町や村に原発を。ともに交付金で誘って建設を要望させる。電力会社がこれを受ける。行政指導国家の政治はそれを認可するだけで責任をとらない。柏崎市はこれによって2009年度県内の市で最も財政状況の良い市になった。
そして、田中角栄が柏崎刈羽で4億円を、木村博保が3億8000万円を手にし、建設にともなう工事の一部が自民党県連に献金され、地方に強い自民党をつくりあげたのである。
私は、今年3月八ツ場ダムの記念館に立ち寄った。問題の時は、沢山の人だったといわれているが、この時は人影はなかった。八ツ場ダム推進吾妻住民協議会の会長H氏は、ダムの中止をかかげた前原誠司国土交通大臣に、"地元の声を聞け"とせまった人であるが、自民党の地元議員でもあり、「ダム屋」40人に土地を売り、補償金約10億円を手にし、信用金庫への借金2億円を返済し、立派な家を新築したという。この話をした町の人の反応は"羨ましい"であり、批判はどこにもなかった。
田中角栄がつくったと言われるこの政治ビジネス・モデルに支えられた自民党の地方組織を政権交替は崩すことはできなかった。菅内閣を支えている人たちは闘わないのである。その本質は自民党と同じなのであろうか。
この政治ビジネス・モデルは、原発というメフィストフェレスと手を結んだことである。ファウストが青春と引きかえに良心を売ったように、電力会社も、地方の首長も議員も、今日の繁栄のために、これからの安らぎを、メフィストフェレスに売ったのである。
改めて強調したいのは、原子力発電を日本に次々に建設した責任は自民党にあるということである。谷垣自民党総裁は福島の大災害に責任をとらなければならないのである。その誘致に狂奔した地方議員、町長なども同様である。かれらの過去を知る新聞記者が、被害者顔のこれらの人に強い批判を加えたのもうなずける。石原伸晃自民党幹事長は「脱原発は集団ヒステリー」と発言したという(毎日新聞2011年6月15日)。民主党の事故対応を批判する前に、利権と一体化して推進した自民党の責任を反省すべきなのである。
あらためて書くまでもない。自分たちの土地が使うわけでもない電力の設備をつくるのであるから、電力消費者が電源開発促進税を払い、自分たちが交付金を受けるのは当然であるという論理は成り立たない。自分たちが使わない機械工場の建設を認めるかわりに、機械に開発促進税を課してよいことにならない。自分たちが食べない米を耕作するのだから、交付金をよこせということもありえない。政治と地域をゆがめる電源三法は廃止し、その分電力価格を下げ、政治を正す必要がある。
[引用文筆者のプロフィール(掲載誌『世界』より引用)]
伊東光晴 いとう・みつはる 京都大学名誉教授。1927年生まれ。著書に『ケインズ』『政権交代の政治経済学』など。本誌2011年5月号、6月号に「戦後国際貿易ルールの理想に帰れ」を寄稿。
[引用についての投稿者による注記]
引用文は、伊東光晴氏の「経済学からみた原子力発電──何が推進させたか、代案は何か──」(『世界』 2001年8月号、岩波書店)からの抜粋である。
この論文の構成は、次の通りである。
一.原子力発電をめぐる法制度の違い
二.日本で原子力発電を推進したものは何か
三.原子力発電の発電コストは安いのか
四.福島原発事故にもとづく損害賠償
五.脱原発から原発のない社会へ
そのうち、「二.日本で原子力発電を推進したものは何か」を引用した。
引用文中の数字は、もとの文章ではすべて漢数字で書かれている。投稿者が半角算用数字にあらためた。
段落の頭は、もとの文章では一字下げになっている。投稿者が一字下げのかわりに段落間に空行を入れた。
ハイパーリンクは、投稿者がつけたものである。
[投稿者による要約およびコメント]
(a)誘因
通産省と電力各社は発電コストの安さにとびついたいう。そのコストが安いという触れ込みは嘘であることがやがて明らかになるが、それでもなお原発は安いとみなされていた。このコストの問題については、とくにLNGとの比較で検証がおこなわれている(その箇所は引用していない)。
1954年にはじめて政府が原子力予算を通したとき、修正案を提出したのは野党の改進党に所属していた中曽根康弘氏である。中曽根氏に触れられていないのは物足りない。インターネット上のブログなどで引用されている中曽根氏の回想録によれば、原子力の平和利用研究予算に学界やジャーナリズムが反対するのは明らかなので、予算修正は秘密裡に準備されたという(「東日本大震災の歴史的位置ー原子力開発を強力に推進した中曽根康弘" 」Hisato Nakajima 2011年4月11日)。
中曽根氏などの原発推進のもくろみに軍事目的があったのではないかという推測もある。これに関連してくると思われるが、伊東光晴氏も、原子力発電と軍事利用の表裏一体の関係について、日本国内の問題としては採りあげていないものの、それがアメリカで原子力発電を推進した誘因であるとして、簡単に述べている(その箇所は引用していない)。
(b)地元政治家たちの原発誘致
原発を誘致すると、地元の市町村に多額の固定資産税が入る。それに加えて、電源三法の交付金が出る。さらには、用地の売却で大きな利益をえる関係者もあらわれる。このようにして原発誘致が儲かるということが、原発を推進するうえで最大の力になったのだという。その電源三法をつくったのは1974年当時の田中角栄首相であり、発案者は柏崎市長だった。
田中角栄については、阿修羅掲示板でも評価が高いようだ。しかし、地元(および自分自身)への利益誘導の手法についてはどうだろう。わたしは、原発誘致とか公共事業とかいった利益誘導がむしろその地方のためにならなかったのではないかという、直感的な疑念をいだいている。これは、何もしない方がよかったというのではなく、あれだけの政治力があったらもう少しべつな豊かさが実現できたかもしれないのにという、後知恵にもとづく疑念である。じつは投稿者は新潟県の出身なのだ。
(c)なぜ原発銀座が生れるのか
電源三法による交付金は、原発の着工から運転開始までがもっとも多額であり、運転開始の翌年から大きく減少する。このため、自治体の側から原発増設の要望が出てくる。交付金がアヘンにたとえられる所以である。
伊東光晴氏が参照した『週刊ダイヤモンド』(2011年5月21日号)の記事「原発は『カネのなる木』 甘い汁を求め原発に群がったヒト・企業・カネ」の図をみるのがわかりやすい。
https://lh4.googleusercontent.com/-ysDh1nelr6o/TiG7dVSpgLI/AAAAAAAAABM/vKHVBwF8DK8/s800/nuclear_money.jpg
(d)利権政治のビジネス・モデルの確立
電源三法の交付金の出所は、電力消費者が負担した電源開発促進税である。ただし、このような交付金をえる仕組みは、発電機能のないダムにもみられる。ダムに水力発電所がつけば、さらに交付金が増える。こうして、地方の疲弊した自治体の中からは当然誘致を引き受けるところも出てくる。
自民党は、このようなビジネス・モデルによって、地方に強固な基盤をつくった。原発推進の責任は自民党にある。民主党も自民党の地方組織を崩すことができず、その本質が疑われる。伊東光晴氏の結論は、政治と地域をゆがめる電源三法を廃止すべきであるというものだ。
伊東氏は、廃止の根拠として、自分が消費しないものを生産するから交付金を受けるなどという論理は一般的にありえないとして、機械工場や米作の例を挙げている。
しかし、これには異論がある。ダムやほかの発電所ならともかく、原発には格別のリスクがともなうので、伊東氏のいうような一般化はできないのではないだろうか。『世界』(2011年7月号)に掲載された清水修二氏の「電源三法は廃止すべきである」には、この問題がくわしく論じられている。伊東氏の論文は概説としてわかりやすいので引用して紹介したが、電源三法の問題の所在を理解するためには、清水氏の論文もあわせて読みたい。電源三法を廃止すべきだという結論については変わりがないが。
わたしの関心は、電源三法および利権誘導的なさまざまな交付金を廃止した後で、どのようにして地方を再生すればいいのかというところにある。たとえば東京都の世田谷区で保坂展人氏がやろうとしているようなことを、地方のそれぞれの自治体が、はるかに悪い条件のもとで、それぞれのやり方でやらなくてはならないのだ。
http://www.asyura2.com/11/test22/msg/646.html
>>13
代表的なのはカリウムとかラドンかな。
ビルとかで1階には住むな、1階は換気が大事、と昔から言われていたりしている物質。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/375.html#c14
3号機は、燃料プールの爆発時、燃料の多くが飛散してしまったようだから、証拠の隠滅が目的かもしれない。
どこにそんな脅かしがあるの?お前の頭の中で起こっていることじゃないですか。
ホロコーストの話は、あなたの書いた真実二割の誇張ネタを本気にした花田の糞馬鹿が
雑誌を売るために非常識をやらかしスポンサーに逃げられて追い出されたのが顛末でしょ?
五十嵐がやったことはイスラム世界への挑戦であり、非近代国家への果たし状の出版だった
のだから全くケースは異なる。政府の高官であろうと小学生だろうとそんなことは争うまでもない
明白な事実ですよ。
これが原子力発電へと進んだのは、原子力発電のコストは非常に安いという売り込みに、通産省と電力各社がとびついたからであった。電力各社(9社)と電源開発のほか、これに関連する産業グループなどが出資して1957年に設立されたのが日本原子力発電であり、この会社がイギリスから導入したわが国最初の原子力発電・東海1号は、発電コストがキロ2円52銭という売りこみであった。やがてこれがまったくの嘘であることが明らかになるが、なお安さに引かれ、アメリカのジェネラル・エレクトリック社GE)と、ウェスティング・ハウス社(WH)から、日本原子力発電が敦賀にGEの技術で、関西電力が美浜にWHの技術でともに70年11月、東電が福島にGEの技術で原子力発電所を71年3月に完成させている。
発電コストが安いこと。それに加えて水力にしろ火力にしろ立地が難しくなった時、1ヶ所で大容量の発電可能な原子力が電力会社にとっては魅力的だったのである。
(b)地元政治家たちの原発誘致――柏崎刈羽原発の場合
ダムの誘致にともなう補償が、地元の有力者をどのように潤し、建設事業者が工事の一定割合を地元の県の自民党支部に政治献金しているか等々、自民党長期政権を支えたメカニズムが明らかになるのは、例えば、川辺川ダムの実態を追った毎日新聞記者福岡賢正氏の努力や、長年八ツ場ダム問題に取りくんできた鈴木郁子氏の記録、そして研究者の分析などが結び合ってであったように、原発誘致の実情も、新潟日報の努力によってようやく明らかになった。
2007年8月16日から2008年6月22日まで掲載され、新聞協会賞を受賞した「揺らぐ安全神話――柏崎刈羽原発」である。この掲載は筆が加えられ『原発と地震――柏崎刈羽「震度7」の警告――』(講談社、2009年)となった。
中越沖地震(2007年7月16日)によって東京電力の柏崎刈羽原発はすべて緊急停止した。福島第一原発のように津波に襲われることがなかったこともあって、混乱はあったものの近隣への被害は生れなかった。しかしこれで原発付近には断層がいくつもあることがわかった。断層の近くに原発があるということは、危険の可能性が大きいことを意味する。なぜこのような土地が選ばれたのか。
東電の調査が不十分だったこともある。だが地元からあらかじめ用意された土地が提供され、それを購入したということの方が大きい。適地を選んで立地したわけではないのである。
この地への誘致を働きかけた中心人物は、当時の柏崎市長小林治助氏と刈羽村村長だった木村博保氏である。
柏崎刈羽原発に政治生命をかけた小林氏に原発誘致をすすめたのは、理研ピストリング工業(現リケン)の元会長の松根宗一氏である。1963年といわれる。東電がこの地に原発を建設するのが69年であるから、6年ほど前である。松根氏は興銀から理研に入った人であり、新潟のこの地は理研発祥の地であるところから小林氏との関係が生れたものと思われる。重要なことは、松根宗一氏は、1954年理研に入ると同じ年に東電顧問になっており、のちに電力事業連合会の副会長についている。この地位に電力業界以外の人がついたのは、松根氏のみである。
他方、木村博保氏は田中角栄の地元の支援団体である陸山会の会長をつとめた自由民主党員で、刈羽村長から県会議員になり、東電から声をかけられ、東電本社で小松甚太郎専務に会っている。
新潟日報の記事で注目しなければならないのは、三つである。
第一は、原発計画が発表される3年前、刈羽村村長だった木村氏は、予定地52ヘクタールを買い、東電に売り、その利益として3億5865万円を税務申告していることである。買った坪当り単価の20倍ほどで売っている。72年度新潟県の長者番付の第1位は小林氏であり、第2位も原発に土地を売った人である。この年原発成金が多数生れたという。
第二は、2007年12月13日の記事で田中角栄の元秘書で国家老と言われた本間幸一(昂一)氏の次のような言葉である。東電への土地売却利益4億円を木村博保氏と田中角栄のもとに運んだと。当時田中角栄は自民党の幹事長で、総裁選で福田赳夫と争っており、この金は、総裁選に利用されたものと思われる。この記事は、自民党の政治資金と原発の関係を物語っている。
第三は、田中角栄は首相になり、電源三法(1974年6月成立)を成立させたが、その発案者は柏崎市長だった小林治助氏だったという。従来までダムにしろ発電所にしろ、建設されれば地元市町村に多額の固定資産税が入る。電源三法はこれに加え、各電力会社、その販売電力量に比例した電源開発促進税を払い、これを財源として地方に交付金を与えようというものである。その目的は原子力発電の立地を容易にするためであった。
これが原発建設を日本で拡大した最大の力である。
(c)なぜ原発銀座が生れるのか――アヘンのような交付金
電源三法によって集められた資金は、そのほとんどが、電源立地地域対策交付金として電源が立地する県と、付近市町村に種々な名目で分けられていく。その名称は、電源立地等初期対策交付金、電源立地促進対策交付金、原子力発電施設等周辺地域交付金、電力移出県等交付金、原子力発電施設等立地地域長期発展対策交付金であり、その他原子力発電施設立地地域共生交付金もある。
交付金の種類の多さに戸惑うとともに、たがいがダブラないか、第三者にはその違いがどこにあるか、まったくわからない。湯水のごとく金がまかれ、地元がこれを求めた姿が浮かぶかのような交付金の数である。もちろん、それが電力料金を高めている。原子力発電の原価はそのぶん上昇すべきものなのである。
私は昔、石川県の手取川ダムの立地によって地元が固定資産税収入をふやし地方の財政が一変したことを述べたことがある[原注 『世界』1983年1月号、経済戯評]。だが今は、それをはるかに上回る電源開発促進税である。設備が作られ、それに応じて生れる固定資産税と違って、それ以前から交付され、建設中が一番多額なのである。『週刊ダイヤモンド』編集部は『title="http://www2.dengen.or.jp">電源立地制度の概要』(資源エネルギー庁)によって、電源立地地域に対する交付金がどう配分されていくかを経年的に明らかにする試算をつくっている(title="http://dw.diamond.ne.jp">2011年5月21日号)。それによると配分額は、運転開始以後約20億円〜22億円が約30年間交付されるのに対し、着工された年には74億円強、それから2年間は最高の77億5000万円となっている。
1年77億円という金額は、原発が立地する過疎の市町村にとっては極めて大きな金額である。注意しなければならないのは、原発立地の環境に与える評価を開始した年から5億2000万円交付されることであり、評価いかんで、建設するかしないかではなく、評価は建設を予定していることと[ママ]、運転開始までの10年間に440億円交付され、運転開始以後交付金が大きく減少することである。このことが、地方議会と首長が、もう1基原発の建設を、という要望につながるのである。
原発立地に必ずしも賛成でなかった福島県の佐藤栄佐久知事は原発立地の地元の議会の増設要求に対し、原発は麻薬だと言ったのは、この交付金を批判してであった。なぜ特定地域に原発銀座といわれるように、何基もの原発が次々に建設されるか。その理由は、交付金の魅力と電源会社にとっての同一地立地の容易さとの結果である。
(d)利権政治のビジネス・モデルの確立
このような交付金の魅力は電源立地だけではない。ダムの建設の場合でも同じである。
神奈川県清川村は1990年代まで財政指数0.2〜0.4つまり、税その他の収入が財政規模の2割から4割しかない村だったが、宮ヶ瀬ダムの建設を受け入れることによって、完成の前年(1999年)約12億円の交付金が入った。財政規模約20億円の6割である。こうして2003年には村の財政指数は1以上――つまり自前の収入でまかなえる――の富裕団体になる。建設それ自体が問題である群馬県の長野原町の「八ツ場ダム」関係者は、バスを仕立てて、この宮ヶ瀬ダムと清川村を訪れている。清川村の財政の一変を見せ、住民のダム誘致賛成を拡大しようとしたのである。
電源立地とダムとの交付金について見てきた。ダムと水力発電所がともにあるならば、2つの交付金がえられることになるだろう。その一例が、群馬県の上野村――日本航空の飛行機がダッチロールして墜落した村である。
税収入は約2億円。地方交付税の11〜13億円程度で村の財政を支えていた。ところが2005年ダムと水力発電所が完成すると財政は一変する。06年固定資産税だけで27億円あり、財政指数[財政力指数]は、1.3、つまり、財政は大きな黒字で不交付団体になった。
注意しなければならないのは、これらの市町村はいずれも所得水準が低く、人口が減少している過疎地域だったり、若者に働く場のない地域だったことである。柏崎市長を4期つとめた小林治助氏は、助役から市長になった人であるが、日本石油発祥の地であった柏崎でありながら、製油所も廃止され、1963年7万9000人余あった人口も67年には7万人を割り、69年には市の財政は財政再建団体に指定される一歩手前まできていた。そのため刈羽村につらなる砂丘に地域振興の起爆剤を求めたのである。財政悪化は刈羽村でも同じであった。
山村の振興にダムをというのもおなじである。貧しい取り残されたかなしい山村にダムを、貧しい海浜の町や村に原発を。ともに交付金で誘って建設を要望させる。電力会社がこれを受ける。行政指導国家の政治はそれを認可するだけで責任をとらない。柏崎市はこれによって2009年度県内の市で最も財政状況の良い市になった。
そして、田中角栄が柏崎刈羽で4億円を、木村博保が3億8000万円を手にし、建設にともなう工事の一部が自民党県連に献金され、地方に強い自民党をつくりあげたのである。
私は、今年3月八ツ場ダムの記念館に立ち寄った。問題の時は、沢山の人だったといわれているが、この時は人影はなかった。八ツ場ダム推進吾妻住民協議会の会長H氏は、ダムの中止をかかげた前原誠司国土交通大臣に、"地元の声を聞け"とせまった人であるが、自民党の地元議員でもあり、「ダム屋」40人に土地を売り、補償金約10億円を手にし、信用金庫への借金2億円を返済し、立派な家を新築したという。この話をした町の人の反応は"羨ましい"であり、批判はどこにもなかった。
田中角栄がつくったと言われるこの政治ビジネス・モデルに支えられた自民党の地方組織を政権交替は崩すことはできなかった。菅内閣を支えている人たちは闘わないのである。その本質は自民党と同じなのであろうか。
この政治ビジネス・モデルは、原発というメフィストフェレスと手を結んだことである。ファウストが青春と引きかえに良心を売ったように、電力会社も、地方の首長も議員も、今日の繁栄のために、これからの安らぎを、メフィストフェレスに売ったのである。
改めて強調したいのは、原子力発電を日本に次々に建設した責任は自民党にあるということである。谷垣自民党総裁は福島の大災害に責任をとらなければならないのである。その誘致に狂奔した地方議員、町長なども同様である。かれらの過去を知る新聞記者が、被害者顔のこれらの人に強い批判を加えたのもうなずける。石原伸晃自民党幹事長は「脱原発は集団ヒステリー」と発言したという(毎日新聞2011年6月15日)。民主党の事故対応を批判する前に、利権と一体化して推進した自民党の責任を反省すべきなのである。
あらためて書くまでもない。自分たちの土地が使うわけでもない電力の設備をつくるのであるから、電力消費者が電源開発促進税を払い、自分たちが交付金を受けるのは当然であるという論理は成り立たない。自分たちが使わない機械工場の建設を認めるかわりに、機械に開発促進税を課してよいことにならない。自分たちが食べない米を耕作するのだから、交付金をよこせということもありえない。政治と地域をゆがめる電源三法は廃止し、その分電力価格を下げ、政治を正す必要がある。
[引用文筆者のプロフィール(掲載誌『世界』より引用)]
伊東光晴 いとう・みつはる 京都大学名誉教授。1927年生まれ。著書に『ケインズ』『政権交代の政治経済学』など。本誌2011年5月号、6月号に「戦後国際貿易ルールの理想に帰れ」を寄稿。
[引用についての投稿者による注記]
引用文は、伊東光晴氏の「経済学からみた原子力発電──何が推進させたか、代案は何か──」(『世界』 2001年8月号、岩波書店)からの抜粋である。
この論文の構成は、次の通りである。
一.原子力発電をめぐる法制度の違い
二.日本で原子力発電を推進したものは何か
三.原子力発電の発電コストは安いのか
四.福島原発事故にもとづく損害賠償
五.脱原発から原発のない社会へ
そのうち、「二.日本で原子力発電を推進したものは何か」を引用した。
引用文中の数字は、もとの文章ではすべて漢数字で書かれている。投稿者が半角算用数字にあらためた。
段落の頭は、もとの文章では一字下げになっている。投稿者が一字下げのかわりに段落間に空行を入れた。
ハイパーリンクは、投稿者がつけたものである。
[投稿者による要約およびコメント]
(a)誘因
通産省と電力各社は発電コストの安さにとびついたいう。そのコストが安いという触れ込みは嘘であることがやがて明らかになるが、それでもなお原発は安いとみなされていた。このコストの問題については、とくにLNGとの比較で検証がおこなわれている(その箇所は引用していない)。
1954年にはじめて政府が原子力予算を通したとき、修正案を提出したのは野党の改進党に所属していた中曽根康弘氏である。中曽根氏に触れられていないのは物足りない。インターネット上のブログなどで引用されている中曽根氏の回想録によれば、原子力の平和利用研究予算に学界やジャーナリズムが反対するのは明らかだったので、予算修正は秘密裡に準備されたという(「東日本大震災の歴史的位置ー原子力開発を強力に推進した中曽根康弘」Hisato Nakajima 2011年4月11日)。
中曽根氏などの原発推進のもくろみに軍事目的があったのではないかという推測もある。これに関連してくると思われるが、原子力発電と軍事利用の表裏一体の関係については伊東光晴氏も、、日本国内の問題としては採りあげていないものの、アメリカで原子力発電が推進された誘因であるとして、簡単に述べている(その箇所は引用していない)。
(b)地元政治家たちの原発誘致
原発を誘致すると、地元の市町村に多額の固定資産税が入る。それに加えて、電源三法の交付金が出る。さらには、用地の売却で大きな利益をえる関係者もあらわれる。このようにして原発誘致が儲かるということが、原発を推進するうえで最大の力になったのだという。その電源三法をつくったのは1974年当時の田中角栄首相であり、発案者は柏崎市長だった。
田中角栄については、阿修羅掲示板でも評価が高いようだ。しかし、地元(および自分自身)への利益誘導の手法についてはどうだろう。わたしは、原発誘致とか公共事業とかいった利益誘導がむしろその地方のためにならなかったのではないかという、直感的な疑念をいだいている。これは、何もしない方がよかったというのではなく、あれだけの政治力があったらもう少しべつな豊かさが実現できたかもしれないのにという、後知恵にもとづく疑念だ。じつは投稿者は新潟県の出身である。
(c)なぜ原発銀座が生れるのか
電源三法による交付金は、原発の着工から運転開始までがもっとも多額であり、運転開始の翌年から大きく減少する。このため、自治体の側から原発増設の要望が出てくる。交付金がアヘンにたとえられる所以である。
伊東光晴氏が参照した『週刊ダイヤモンド』(2011年5月21日号)の記事「原発は『カネのなる木』 甘い汁を求め原発に群がったヒト・企業・カネ」の図をみるのがわかりやすい。
送信者 asyura |
(d)利権政治のビジネス・モデルの確立
電源三法の交付金の出所は、電力消費者が負担した電源開発促進税である。ただし、このような交付金をえる仕組みは、発電機能のないダムにもみられる。ダムに水力発電所がつけば、さらに交付金が増える。こうして、地方の疲弊した自治体の中からは当然誘致を引き受けるところも出てくる。
自民党は、このようなビジネス・モデルによって、地方に強固な基盤をつくった。原発推進の責任は自民党にある。民主党も自民党の地方組織を崩すことができず、その本質が疑われる。伊東光晴氏の結論は、政治と地域をゆがめる電源三法を廃止すべきであるというものだ。
伊東氏は、廃止の根拠として、自分が消費しないものを生産するから交付金を受けるなどという論理は一般的にありえないとして、機械工場や米作の例を挙げている。
しかし、これには異論がある。ダムやほかの発電所ならともかく、原発には格別のリスクがともなうので、伊東氏のいうような一般化はできないのではないだろうか。『世界』(2011年7月号)に掲載された清水修二氏の「電源三法は廃止すべきである」には、この問題がくわしく論じられている。伊東氏の論文は概説としてわかりやすいので引用して紹介したが、電源三法の問題の所在を理解するためには、清水氏の論文もあわせて読みたい。電源三法を廃止すべきだという結論については変わりがないが。
わたしの関心は、電源三法および利権誘導的なさまざまな交付金を廃止した後で、どのようにして地方を再生すればいいのかというところにある。たとえば東京都の世田谷区で保坂展人氏がやろうとしているようなことを、地方のそれぞれの自治体が、はるかに悪い条件のもとで、それぞれのやり方でやらなくてはならないのだ。
http://www.asyura2.com/11/test22/msg/647.html
原発導入初期の流れ
http://www.asahi.com/politics/gallery_e/view_photo.html?politics-pg/0717/TKY201107160729.jpg
政府が1955年、原発を導入するために初めて派遣した海外調査団の報告書が、原子力委員会の設置を推進する内容に偽装されていたことがわかった。作成に関与した旧通商産業省の初代原子力課長(故人)の偽装を認める証言が、文部科学省の内部文書に記録されていた。
文書は85〜94年、日本の原子力行政の重鎮で、原子力局長や原子力委員を務めた故・島村武久氏が、原子力政策にかかわった政治家や官僚、学者など33人を講師として招いた「島村研究会」の録音記録。A4判620ページにわたって文書化され、文科省が製本したものを朝日新聞が入手した。
政府は54年12月、初めての原子力予算で、物理学者を団長とする15人の「原子力平和的利用海外調査団」を派遣。4班に分かれて米英仏やインド、スウェーデン、デンマークなど14カ国を巡り、原子力行政の組織体制を調べた。
調査団は帰国後、原子力を推進・開発する政府の機関について「各国の統括機関はほとんどすべて委員会の形をとり多頭。各方面の意見を十分に入れるためと思われる」と報告書に明記して、集団指導体制による委員会の設置を日本でも急ぐよう提言した。
事務局として作成にかかわった旧通産省工業技術院原子力課の初代課長の故・堀純郎氏は88年、「島村研究会」に招かれ、「(トップに)委員会をつくっているのは米国だけで、ほかにはどこもない」と指摘。フランスは「役所」、イギリスは「公社」だったにもかかわらず、「(諸外国は)どこでも委員会だ。だから日本でも委員会を作らなくちゃいかんと強調した」と偽装を証言した。
さらに「若い事務官がこんなうそ書けるかと憤慨した」とも証言し、のちに資源エネルギー庁次長となる豊永恵哉氏が偽装に抵抗したことを明らかにした。
豊永氏は朝日新聞の取材に「委員会は米国にしかなく、責任があいまいになり、日本になじまないと思った。むしろしっかりした行政組織を作るべきだと上司に進言した」と話す。
政府は報告書をもとに原子力委員会を56年に発足させ、初代委員長に正力松太郎国務相、委員にノーベル物理学賞の湯川秀樹氏、経団連会長の石川一郎氏らを起用。著名人を集めた委員会を設け、米国の水爆実験で「第五福竜丸」が被曝(ひばく)した事件による原子力への世論の逆風を弱める狙いがあったとみられる。政府が公表した報告書の偽装は、原発導入期からの隠蔽(いんぺい)体質を示すものだ。(山岸一生)
そういわれているだけだ。近代国家イスラエルと、非近代国家イスラムとの区別もつかない
厚生省の平職員がいったことを脅しと受け取るようなメンタリティーなら何もやらないほうがいいな。
kanegonやペ二マキも、自分の意に沿わないのは悪の手先副島の回し者だから、似てるかも。
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/385.html#c19
黒幕の原子力安全委員会の鈴木篤之も。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/398.html#c19
http://www.fifa.com/womensworldcup/highlights/video/video=1476061/index.html
http://www.asyura2.com/09/sports01/msg/333.html#c3
今回の事件において原発推進論者がよくもちだすものに、比較の対象にならないものを無理やり同質化させるというものがあるというのは前述したとおりである。
その危険性の程度・地理的時間的影響において比較の対象となりえないもの、ここでは「自動車」と「原子力発電所」についてその内在する危険性を共通項として取り出して「同じ」とする理屈である。こういう理屈は、過去において、いわゆる公害事件においても、国・公害企業側に立つ御用学者らによって頻繁に行われてきた常套手段なのだ。(水俣病における有機水銀の摂取という明白な疫学的検証による証拠があるにもかかわらず、被害者の生活態度たとえば喫煙・飲酒などを持ち出すことなど。「有機水銀確かに危険ですね。でも、タバコの害だってすてたもんじゃない。だから、あなたの症状は、あの会社の廃液とは限定できないですよ・・。」)
なお、これは、比較的簡単な算数の公理などを学んだ者にも直接的に訴えることができる利点がある。ひとつの反証があればその定理は成立しない。逆にいえば、ある命題を否定するためには一つの反証があればよいというような態度である。そして、これを現実の価値評価の問題にそのままスライドさせてくる。
たとえば、「男は女よりも身長が高い」という命題があったとする。これは「すべての男性は、すべての女性よりも身長が高い」という意味であればこれは誤りである。しかし、「統計的に男性のほうが女性よりも身長が高い」という意味であればこれは有益な情報である。「男は女よりも身長が高い」という命題を数学論理的に否定することに懸命となる者よりも、「普通はそうである」と統計的に肯定する者のほうが、服飾メーカーとしては間違いなく成功する可能性が高い。
原子力発電は危険である。
原子力発電以外の火力・水力発電も危険である。
よって、原子力発電だけが危険であるわけではない。
だから、原子力発電を継続すべきである。・・・・・
以前どこかのコメントに「引力」すら危険であるので、原子力発電と同じだという趣旨のものを見た。
私も「男女共同参画」という事業のすぐそばにいたことがあるので、かつて、これについては、「人間」というくくりで、その性差をあえて無視するような無理が多数あったことを目撃している。たとえば、自治体が税金を使って「男性のための化粧講座」というものを開催していたことを知っている。確かに化粧をしたがる男性は存在する。しかし、それは女性とは比較にならないほど少数ではないかと思っている。現在はむしろ性差という「現実に存在するもの」を前提により現実的な「共同社会」を形成すべきだと考えている。
つまり、「あるものはある」「ないものはない」という現実直視のない論理は空虚であり、意図的にそれを利用するのは詐欺であるということである。
なお、セクシストという用語は初めて聞くので、なんともコメントできないが、人種においては当然のことながらその権利においては男女間と同等に「平等」であるはずだ。しかし、人種・民族間においてまったく違いがないなどとは夢にも思っていない。今回の原発事故において日本という国の固有性があらためて認識している。また、民族間の文化等の相違をむしろ無視・解消する方向でものごとを推進してきたのは欧米を中心とする権力側の人間たちではなかったかと考えている。彼らこそ、世界の人権問題を引き起こしてきた張本人であると思う。なお、いきなり「お前」と呼ばれる筋合いもない。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/381.html#c15
アホかお前は。犯人も動機も全部わかっとるわ。
現在の原子力発電は、そもそもが軍事技術の利用である。それが軍事技術を持たない日本で推進された理由は何であろうか。アイゼンハウアー大統領が、原子力の平和利用を呼びかけ[平和のための原子力]、国連がそのための組織[IAEA]をつくった戦後の時期は、科学信仰の社会的文脈が強く、わが国では、これに反対の動きは生まれようもなかった。その実態が知られていなかったからでもある。そのための研究は当然とされてきた。事実政府がつけた当初の予算は3億円弱で、文献収集、基礎研究のための資金であった。
これが原子力発電へと進んだのは、原子力発電のコストは非常に安いという売り込みに、通産省と電力各社がとびついたからであった。電力各社(9社)と電源開発のほか、これに関連する産業グループなどが出資して1957年に設立されたのが日本原子力発電であり、この会社がイギリスから導入したわが国最初の原子力発電・東海1号は、発電コストがキロ2円52銭という売りこみであった。やがてこれがまったくの嘘であることが明らかになるが、なお安さに引かれ、アメリカのジェネラル・エレクトリック社GE)と、ウェスティング・ハウス社(WH)から、日本原子力発電が敦賀にGEの技術で、関西電力が美浜にWHの技術でともに70年11月、東電が福島にGEの技術で原子力発電所を71年3月に完成させている。
発電コストが安いこと。それに加えて水力にしろ火力にしろ立地が難しくなった時、1ヶ所で大容量の発電可能な原子力が電力会社にとっては魅力的だったのである。
(b)地元政治家たちの原発誘致――柏崎刈羽原発の場合
ダムの誘致にともなう補償が、地元の有力者をどのように潤し、建設事業者が工事の一定割合を地元の県の自民党支部に政治献金しているか等々、自民党長期政権を支えたメカニズムが明らかになるのは、例えば、川辺川ダムの実態を追った毎日新聞記者福岡賢正氏の努力や、長年八ツ場ダム問題に取りくんできた鈴木郁子氏の記録、そして研究者の分析などが結び合ってであったように、原発誘致の実情も、新潟日報の努力によってようやく明らかになった。
2007年8月16日から2008年6月22日まで掲載され、新聞協会賞を受賞した「揺らぐ安全神話――柏崎刈羽原発」である。この掲載は筆が加えられ『原発と地震――柏崎刈羽「震度7」の警告――』(講談社、2009年)となった。
中越沖地震(2007年7月16日)によって東京電力の柏崎刈羽原発はすべて緊急停止した。福島第一原発のように津波に襲われることがなかったこともあって、混乱はあったものの近隣への被害は生れなかった。しかしこれで原発付近には断層がいくつもあることがわかった。断層の近くに原発があるということは、危険の可能性が大きいことを意味する。なぜこのような土地が選ばれたのか。
東電の調査が不十分だったこともある。だが地元からあらかじめ用意された土地が提供され、それを購入したということの方が大きい。適地を選んで立地したわけではないのである。
この地への誘致を働きかけた中心人物は、当時の柏崎市長小林治助氏と刈羽村村長だった木村博保氏である。
柏崎刈羽原発に政治生命をかけた小林氏に原発誘致をすすめたのは、理研ピストリング工業(現リケン)の元会長の松根宗一氏である。1963年といわれる。東電がこの地に原発を建設するのが69年であるから、6年ほど前である。松根氏は興銀から理研に入った人であり、新潟のこの地は理研発祥の地であるところから小林氏との関係が生れたものと思われる。重要なことは、松根宗一氏は、1954年理研に入ると同じ年に東電顧問になっており、のちに電力事業連合会の副会長についている。この地位に電力業界以外の人がついたのは、松根氏のみである。
他方、木村博保氏は田中角栄の地元の支援団体である陸山会の会長をつとめた自由民主党員で、刈羽村長から県会議員になり、東電から声をかけられ、東電本社で小松甚太郎専務に会っている。
新潟日報の記事で注目しなければならないのは、三つである。
第一は、原発計画が発表される3年前、刈羽村村長だった木村氏は、予定地52ヘクタールを買い、東電に売り、その利益として3億5865万円を税務申告していることである。買った坪当り単価の20倍ほどで売っている。72年度新潟県の長者番付の第1位は小林氏であり、第2位も原発に土地を売った人である。この年原発成金が多数生れたという。
第二は、2007年12月13日の記事で田中角栄の元秘書で国家老と言われた本間幸一(昂一)氏の次のような言葉である。東電への土地売却利益4億円を木村博保氏と田中角栄のもとに運んだと。当時田中角栄は自民党の幹事長で、総裁選で福田赳夫と争っており、この金は、総裁選に利用されたものと思われる。この記事は、自民党の政治資金と原発の関係を物語っている。
第三は、田中角栄は首相になり、電源三法(1974年6月成立)を成立させたが、その発案者は柏崎市長だった小林治助氏だったという。従来までダムにしろ発電所にしろ、建設されれば地元市町村に多額の固定資産税が入る。電源三法はこれに加え、各電力会社、その販売電力量に比例した電源開発促進税を払い、これを財源として地方に交付金を与えようというものである。その目的は原子力発電の立地を容易にするためであった。
これが原発建設を日本で拡大した最大の力である。
(c)なぜ原発銀座が生れるのか――アヘンのような交付金
電源三法によって集められた資金は、そのほとんどが、電源立地地域対策交付金として電源が立地する県と、付近市町村に種々な名目で分けられていく。その名称は、電源立地等初期対策交付金、電源立地促進対策交付金、原子力発電施設等周辺地域交付金、電力移出県等交付金、原子力発電施設等立地地域長期発展対策交付金であり、その他原子力発電施設立地地域共生交付金もある。
交付金の種類の多さに戸惑うとともに、たがいがダブラないか、第三者にはその違いがどこにあるか、まったくわからない。湯水のごとく金がまかれ、地元がこれを求めた姿が浮かぶかのような交付金の数である。もちろん、それが電力料金を高めている。原子力発電の原価はそのぶん上昇すべきものなのである。
私は昔、石川県の手取川ダムの立地によって地元が固定資産税収入をふやし地方の財政が一変したことを述べたことがある[原注 『世界』1983年1月号、経済戯評]。だが今は、それをはるかに上回る電源開発促進税である。設備が作られ、それに応じて生れる固定資産税と違って、それ以前から交付され、建設中が一番多額なのである。『週刊ダイヤモンド』編集部は『title="http://www2.dengen.or.jp">電源立地制度の概要』(資源エネルギー庁)によって、電源立地地域に対する交付金がどう配分されていくかを経年的に明らかにする試算をつくっている(2011年5月21日号)。それによると配分額は、運転開始以後約20億円〜22億円が約30年間交付されるのに対し、着工された年には74億円強、それから2年間は最高の77億5000万円となっている。
1年77億円という金額は、原発が立地する過疎の市町村にとっては極めて大きな金額である。注意しなければならないのは、原発立地の環境に与える評価を開始した年から5億2000万円交付されることであり、評価いかんで、建設するかしないかではなく、評価は建設を予定していることと[ママ]、運転開始までの10年間に440億円交付され、運転開始以後交付金が大きく減少することである。このことが、地方議会と首長が、もう1基原発の建設を、という要望につながるのである。
原発立地に必ずしも賛成でなかった福島県の佐藤栄佐久知事は原発立地の地元の議会の増設要求に対し、原発は麻薬だと言ったのは、この交付金を批判してであった。なぜ特定地域に原発銀座といわれるように、何基もの原発が次々に建設されるか。その理由は、交付金の魅力と電源会社にとっての同一地立地の容易さとの結果である。
(d)利権政治のビジネス・モデルの確立
このような交付金の魅力は電源立地だけではない。ダムの建設の場合でも同じである。
神奈川県清川村は1990年代まで財政指数0.2〜0.4つまり、税その他の収入が財政規模の2割から4割しかない村だったが、宮ヶ瀬ダムの建設を受け入れることによって、完成の前年(1999年)約12億円の交付金が入った。財政規模約20億円の6割である。こうして2003年には村の財政指数は1以上――つまり自前の収入でまかなえる――の富裕団体になる。建設それ自体が問題である群馬県の長野原町の「八ツ場ダム」関係者は、バスを仕立てて、この宮ヶ瀬ダムと清川村を訪れている。清川村の財政の一変を見せ、住民のダム誘致賛成を拡大しようとしたのである。
電源立地とダムとの交付金について見てきた。ダムと水力発電所がともにあるならば、2つの交付金がえられることになるだろう。その一例が、群馬県の上野村――日本航空の飛行機がダッチロールして墜落した村である。
税収入は約2億円。地方交付税の11〜13億円程度で村の財政を支えていた。ところが2005年ダムと水力発電所が完成すると財政は一変する。06年固定資産税だけで27億円あり、財政指数[財政力指数]は、1.3、つまり、財政は大きな黒字で不交付団体になった。
注意しなければならないのは、これらの市町村はいずれも所得水準が低く、人口が減少している過疎地域だったり、若者に働く場のない地域だったことである。柏崎市長を4期つとめた小林治助氏は、助役から市長になった人であるが、日本石油発祥の地であった柏崎でありながら、製油所も廃止され、1963年7万9000人余あった人口も67年には7万人を割り、69年には市の財政は財政再建団体に指定される一歩手前まできていた。そのため刈羽村につらなる砂丘に地域振興の起爆剤を求めたのである。財政悪化は刈羽村でも同じであった。
山村の振興にダムをというのもおなじである。貧しい取り残されたかなしい山村にダムを、貧しい海浜の町や村に原発を。ともに交付金で誘って建設を要望させる。電力会社がこれを受ける。行政指導国家の政治はそれを認可するだけで責任をとらない。柏崎市はこれによって2009年度県内の市で最も財政状況の良い市になった。
そして、田中角栄が柏崎刈羽で4億円を、木村博保が3億8000万円を手にし、建設にともなう工事の一部が自民党県連に献金され、地方に強い自民党をつくりあげたのである。
私は、今年3月八ツ場ダムの記念館に立ち寄った。問題の時は、沢山の人だったといわれているが、この時は人影はなかった。八ツ場ダム推進吾妻住民協議会の会長H氏は、ダムの中止をかかげた前原誠司国土交通大臣に、"地元の声を聞け"とせまった人であるが、自民党の地元議員でもあり、「ダム屋」40人に土地を売り、補償金約10億円を手にし、信用金庫への借金2億円を返済し、立派な家を新築したという。この話をした町の人の反応は"羨ましい"であり、批判はどこにもなかった。
田中角栄がつくったと言われるこの政治ビジネス・モデルに支えられた自民党の地方組織を政権交替は崩すことはできなかった。菅内閣を支えている人たちは闘わないのである。その本質は自民党と同じなのであろうか。
この政治ビジネス・モデルは、原発というメフィストフェレスと手を結んだことである。ファウストが青春と引きかえに良心を売ったように、電力会社も、地方の首長も議員も、今日の繁栄のために、これからの安らぎを、メフィストフェレスに売ったのである。
改めて強調したいのは、原子力発電を日本に次々に建設した責任は自民党にあるということである。谷垣自民党総裁は福島の大災害に責任をとらなければならないのである。その誘致に狂奔した地方議員、町長なども同様である。かれらの過去を知る新聞記者が、被害者顔のこれらの人に強い批判を加えたのもうなずける。石原伸晃自民党幹事長は「脱原発は集団ヒステリー」と発言したという(毎日新聞2011年6月15日)。民主党の事故対応を批判する前に、利権と一体化して推進した自民党の責任を反省すべきなのである。
あらためて書くまでもない。自分たちの土地が使うわけでもない電力の設備をつくるのであるから、電力消費者が電源開発促進税を払い、自分たちが交付金を受けるのは当然であるという論理は成り立たない。自分たちが使わない機械工場の建設を認めるかわりに、機械に開発促進税を課してよいことにならない。自分たちが食べない米を耕作するのだから、交付金をよこせということもありえない。政治と地域をゆがめる電源三法は廃止し、その分電力価格を下げ、政治を正す必要がある。
[以上引用]
[引用文筆者のプロフィール(掲載誌『世界』より)]
伊東光晴 いとう・みつはる 京都大学名誉教授。1927年生まれ。著書に『ケインズ』『政権交代の政治経済学』など。本誌2011年5月号、6月号に「戦後国際貿易ルールの理想に帰れ」を寄稿。
[引用文についての投稿者による注記]
引用文は、伊東光晴氏の「経済学からみた原子力発電──何が推進させたか、代案は何か──」(『世界』 2001年8月号、岩波書店)からの抜粋である。
この論文の構成は、次の通り。
一.原子力発電をめぐる法制度の違い
二.日本で原子力発電を推進したものは何か
三.原子力発電の発電コストは安いのか
四.福島原発事故にもとづく損害賠償
五.脱原発から原発のない社会へ
そのうち、「二.日本で原子力発電を推進したものは何か」を引用した。
引用文中の数字は、掲載誌の文章ではすべて漢数字で書かれている。横書き表示にあわせて、投稿者が適宜半角算用数字にあらためた。
段落の頭は、もとの文章では一字下げになっている。投稿者が一字下げのかわりに段落間に空行を入れた。
ハイパーリンクは、投稿者が勝手につけた。
[投稿者による要約およびコメント]
(a)誘因
通産省と電力各社は発電コストの安さにとびついたいう。そのコストが安いという触れ込みは嘘であることがやがて明らかになるが、それでもなお原発は安いとみなされていた。原発のコストの問題については、とくにLNGとの比較で検証がおこなわれている(その箇所は引用していない)。
1954年にはじめて政府が原子力予算を通したとき、修正案を提出したのは野党の改進党に所属していた中曽根康弘氏である。中曽根氏に触れられていないのは物足りない。インターネット上のブログなどで引用されている中曽根氏の回想録によれば、原子力の平和利用研究予算に学界やジャーナリズムが反対するのは明らかだったので、予算修正は秘密裡に準備されたという(「東日本大震災の歴史的位置ー原子力開発を強力に推進した中曽根康弘」Hisato Nakajima 2011年4月11日)。
中曽根氏などの原発推進のもくろみに軍事目的があったのではないかという推測もある。これに関連してくると思われるが、原子力発電と軍事利用の表裏一体の関係については、伊東光晴氏も、日本国内の問題としては採りあげていないものの、アメリカで原子力発電が推進された誘因であるとして簡単に述べている(その箇所は引用していない)。
(b)地元政治家たちの原発誘致
原発を誘致すると、地元の市町村に多額の固定資産税が入る。それに加えて、電源三法の交付金が出る。さらには、用地の売却で大きな利益をえる関係者もあらわれる。このようにして原発誘致が儲かるということが、原発を推進するうえで最大の力になったのだという。その電源三法をつくったのは1974年当時の田中角栄首相であり、発案者は柏崎市長だった。
田中角栄については、阿修羅掲示板でも評価が高いようだ。しかし、地元(および自分自身)への利益誘導の手法についてはどうだろう。わたしは、原発誘致とか公共事業とかいった利益誘導がむしろその地方のためにならなかったのではないかという、直感的な疑念をいだいている。これは、何もしない方がよかったというのではなく、あれだけの政治力があったらもう少しべつな豊かさが実現できたかもしれないのにという、後知恵にもとづく疑念だ。じつは投稿者は新潟県出身である。
(c)なぜ原発銀座が生れるのか
電源三法による交付金は、原発の着工から運転開始までがもっとも多額であり、運転開始の翌年から大きく減少する。このため、自治体の側から原発増設の要望が出てくる。交付金がアヘンにたとえられる所以である。
伊東光晴氏の参照した『週刊ダイヤモンド』(2011年5月21日号)の記事「原発は『カネのなる木』 甘い汁を求め原発に群がったヒト・企業・カネ」の図をみるのがわかりやすい。
送信者 asyura |
(d)利権政治のビジネス・モデルの確立
電源三法の交付金の出所は、電力消費者が負担した電源開発促進税である。ただし、このような交付金をえる仕組みは、発電所のないダムにもみられる。ダムに水力発電所がつけば、さらに交付金が増える。こうして、地方の疲弊した自治体の中には誘致を引き受けるところが当然出てくる。
自民党は、このようなビジネス・モデルによって、地方に強固な基盤をつくった。原発推進の責任は自民党にある。民主党も自民党の地方組織を崩すことができず、その本質も疑がわしい。伊東光晴氏の結論は、政治と地域をゆがめる電源三法を廃止すべきであるというものである。
伊東氏は、廃止の根拠として、自分が消費しないものを生産するから交付金を受けるなどという論理は一般的にありえないとして、機械工場や米作の例を挙げている。
しかし、これには異論がある。ダムやほかの発電所ならともかく、原発には格別のリスクがともなうので、伊東氏のような一般化はできないのではないだろうか。『世界』(2011年7月号)に掲載された清水修二氏の「電源三法は廃止すべきである」には、この問題がくわしく論じられている。伊東光晴氏の論文は概説としてわかりやすいので引用して紹介したが、電源三法の問題の所在を理解するためには、清水氏の論文もあわせて読みたい。もっとも、電源三法を廃止すべきだという結論については変わりがないが。
わたしの関心は、電源三法および利権誘導的なさまざまな交付金を廃止した後で、どのようにして地方を再生すればいいのかというところにある。たとえば東京都の世田谷区で保坂展人氏がやろうとしているようなことを、地方のそれぞれの自治体が、はるかに悪い条件のもとで、それぞれのやり方でやらなくてはならないのだ。
伊東光晴氏の論文のサブタイトル中に「代案は何か」とあるが、地方再生についての代案は提出されていない。
http://www.asyura2.com/11/test22/msg/648.html
少々の瑕疵じゃないだろう。
つい最近まで東電がスポンサーの番組で原発だ原発だと大声で唱えていたのだからね。
このさい、過去には目をつぶろう。
東電OBの蓮池透氏、サーファーの木村氏などは、はっきりと脱原発を宣言している。
それはそれでいい。一人でも多く脱原発のために活動して欲しい。
原発のあがりで食っていたくせに、などと非難はしない。
反・脱原発派のなかにも当然いろいろな意見があるだろう。
小出先生の年配者は汚染食品を食べて福島を支えるべき、という意見には私は同意しがたい。
しかし反・脱原発という基本的な方向は全く同じである。
武田氏の場合は、根本から原発に対する考え方が異なるわけだから問題外。
長年、反・脱原発活動をしてきた人たちからも完全に無視されている。
当然でしょう。
「共闘」って懐かしい言葉だな。ひょっとして60-70年安保世代ですか?
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/399.html#c21
安全な原発などがあり得るはずもないが、安全性は別にしても問題は山積みである。
思いつくだけでこれだけある。
-石油石炭よりも埋蔵量がはるかに少ないウランの供給問題
-核燃サイクルの破綻
-増え続ける使用済み燃料の管理と保管(10万年以上)
-労働者の被曝
-原発、再処理工場の環境汚染
-廃炉の費用と技術的問題
これらの問題についてどう解決すべきか、科学者として明確な解決法を示すべきでしょう。
解が全くないからこそ、みな反・脱原発を主張しているわけです。
原子力が技術として完全に破綻していることは誰が見ても明白です。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/399.html#c22
現在の原子力発電は、そもそもが軍事技術の利用である。それが軍事技術を持たない日本で推進された理由は何であろうか。アイゼンハウアー大統領が、原子力の平和利用を呼びかけ[平和のための原子力]、国連がそのための組織[IAEA]をつくった戦後の時期は、科学信仰の社会的文脈が強く、わが国では、これに反対の動きは生まれようもなかった。その実態が知られていなかったからでもある。そのための研究は当然とされてきた。事実政府がつけた当初の予算は3億円弱で、文献収集、基礎研究のための資金であった。
これが原子力発電へと進んだのは、原子力発電のコストは非常に安いという売り込みに、通産省と電力各社がとびついたからであった。電力各社(9社)と電源開発のほか、これに関連する産業グループなどが出資して1957年に設立されたのが日本原子力発電であり、この会社がイギリスから導入したわが国最初の原子力発電・東海1号は、発電コストがキロ2円52銭という売りこみであった。やがてこれがまったくの嘘であることが明らかになるが、なお安さに引かれ、アメリカのジェネラル・エレクトリック社GE)と、ウェスティング・ハウス社(WH)から、日本原子力発電が敦賀にGEの技術で、関西電力が美浜にWHの技術でともに70年11月、東電が福島にGEの技術で原子力発電所を71年3月に完成させている。
発電コストが安いこと。それに加えて水力にしろ火力にしろ立地が難しくなった時、1ヶ所で大容量の発電可能な原子力が電力会社にとっては魅力的だったのである。
(b)地元政治家たちの原発誘致――柏崎刈羽原発の場合
ダムの誘致にともなう補償が、地元の有力者をどのように潤し、建設事業者が工事の一定割合を地元の県の自民党支部に政治献金しているか等々、自民党長期政権を支えたメカニズムが明らかになるのは、例えば、川辺川ダムの実態を追った毎日新聞記者福岡賢正氏の努力や、長年八ツ場ダム問題に取りくんできた鈴木郁子氏の記録、そして研究者の分析などが結び合ってであったように、原発誘致の実情も、新潟日報の努力によってようやく明らかになった。
2007年8月16日から2008年6月22日まで掲載され、新聞協会賞を受賞した「揺らぐ安全神話――柏崎刈羽原発」である。この掲載は筆が加えられ『原発と地震――柏崎刈羽「震度7」の警告――』(講談社、2009年)となった。
中越沖地震(2007年7月16日)によって東京電力の柏崎刈羽原発はすべて緊急停止した。福島第一原発のように津波に襲われることがなかったこともあって、混乱はあったものの近隣への被害は生れなかった。しかしこれで原発付近には断層がいくつもあることがわかった。断層の近くに原発があるということは、危険の可能性が大きいことを意味する。なぜこのような土地が選ばれたのか。
東電の調査が不十分だったこともある。だが地元からあらかじめ用意された土地が提供され、それを購入したということの方が大きい。適地を選んで立地したわけではないのである。
この地への誘致を働きかけた中心人物は、当時の柏崎市長小林治助氏と刈羽村村長だった木村博保氏である。
柏崎刈羽原発に政治生命をかけた小林氏に原発誘致をすすめたのは、理研ピストリング工業(現リケン)の元会長の松根宗一氏である。1963年といわれる。東電がこの地に原発を建設するのが69年であるから、6年ほど前である。松根氏は興銀から理研に入った人であり、新潟のこの地は理研発祥の地であるところから小林氏との関係が生れたものと思われる。重要なことは、松根宗一氏は、1954年理研に入ると同じ年に東電顧問になっており、のちに電力事業連合会の副会長についている。この地位に電力業界以外の人がついたのは、松根氏のみである。
他方、木村博保氏は田中角栄の地元の支援団体である陸山会の会長をつとめた自由民主党員で、刈羽村長から県会議員になり、東電から声をかけられ、東電本社で小松甚太郎専務に会っている。
新潟日報の記事で注目しなければならないのは、三つである。
第一は、原発計画が発表される3年前、刈羽村村長だった木村氏は、予定地52ヘクタールを買い、東電に売り、その利益として3億5865万円を税務申告していることである。買った坪当り単価の20倍ほどで売っている。72年度新潟県の長者番付の第1位は小林氏であり、第2位も原発に土地を売った人である。この年原発成金が多数生れたという。
第二は、2007年12月13日の記事で田中角栄の元秘書で国家老と言われた本間幸一(昂一)氏の次のような言葉である。東電への土地売却利益4億円を木村博保氏と田中角栄のもとに運んだと。当時田中角栄は自民党の幹事長で、総裁選で福田赳夫と争っており、この金は、総裁選に利用されたものと思われる。この記事は、自民党の政治資金と原発の関係を物語っている。
第三は、田中角栄は首相になり、電源三法(1974年6月成立)を成立させたが、その発案者は柏崎市長だった小林治助氏だったという。従来までダムにしろ発電所にしろ、建設されれば地元市町村に多額の固定資産税が入る。電源三法はこれに加え、各電力会社、その販売電力量に比例した電源開発促進税を払い、これを財源として地方に交付金を与えようというものである。その目的は原子力発電の立地を容易にするためであった。
これが原発建設を日本で拡大した最大の力である。
(c)なぜ原発銀座が生れるのか――アヘンのような交付金
電源三法によって集められた資金は、そのほとんどが、電源立地地域対策交付金として電源が立地する県と、付近市町村に種々な名目で分けられていく。その名称は、電源立地等初期対策交付金、電源立地促進対策交付金、原子力発電施設等周辺地域交付金、電力移出県等交付金、原子力発電施設等立地地域長期発展対策交付金であり、その他原子力発電施設立地地域共生交付金もある。
交付金の種類の多さに戸惑うとともに、たがいがダブラないか、第三者にはその違いがどこにあるか、まったくわからない。湯水のごとく金がまかれ、地元がこれを求めた姿が浮かぶかのような交付金の数である。もちろん、それが電力料金を高めている。原子力発電の原価はそのぶん上昇すべきものなのである。
私は昔、石川県の手取川ダムの立地によって地元が固定資産税収入をふやし地方の財政が一変したことを述べたことがある[原注 『世界』1983年1月号、経済戯評]。だが今は、それをはるかに上回る電源開発促進税である。設備が作られ、それに応じて生れる固定資産税と違って、それ以前から交付され、建設中が一番多額なのである。『週刊ダイヤモンド』編集部は『電源立地制度の概要』(資源エネルギー庁)によって、電源立地地域に対する交付金がどう配分されていくかを経年的に明らかにする試算をつくっている(2011年5月21日号)。それによると配分額は、運転開始以後約20億円〜22億円が約30年間交付されるのに対し、着工された年には74億円強、それから2年間は最高の77億5000万円となっている。
1年77億円という金額は、原発が立地する過疎の市町村にとっては極めて大きな金額である。注意しなければならないのは、原発立地の環境に与える評価を開始した年から5億2000万円交付されることであり、評価いかんで、建設するかしないかではなく、評価は建設を予定していることと、運転開始までの10年間に440億円交付され、運転開始以後交付金が大きく減少することである。このことが、地方議会と首長が、もう1基原発の建設を、という要望につながるのである。
原発立地に必ずしも賛成でなかった福島県の佐藤栄佐久知事は原発立地の地元の議会の増設要求に対し、原発は麻薬だと言ったのは、この交付金を批判してであった。なぜ特定地域に原発銀座といわれるように、何基もの原発が次々に建設されるか。その理由は、交付金の魅力と電源会社にとっての同一地立地の容易さとの結果である。
(d)利権政治のビジネス・モデルの確立
このような交付金の魅力は電源立地だけではない。ダムの建設の場合でも同じである。
神奈川県清川村は1990年代まで財政指数0.2〜0.4つまり、税その他の収入が財政規模の2割から4割しかない村だったが、宮ヶ瀬ダムの建設を受け入れることによって、完成の前年(1999年)約12億円の交付金が入った。財政規模約20億円の6割である。こうして2003年には村の財政指数は1以上――つまり自前の収入でまかなえる――の富裕団体になる。建設それ自体が問題である群馬県の長野原町の「八ツ場ダム」関係者は、バスを仕立てて、この宮ヶ瀬ダムと清川村を訪れている。清川村の財政の一変を見せ、住民のダム誘致賛成を拡大しようとしたのである。
電源立地とダムとの交付金について見てきた。ダムと水力発電所がともにあるならば、2つの交付金がえられることになるだろう。その一例が、群馬県の上野村――日本航空の飛行機がダッチロールして墜落した村である。
税収入は約2億円。地方交付税の11〜13億円程度で村の財政を支えていた。ところが2005年ダムと水力発電所が完成すると財政は一変する。06年固定資産税だけで27億円あり、財政指数[財政力指数]は、1.3、つまり、財政は大きな黒字で不交付団体になった。
注意しなければならないのは、これらの市町村はいずれも所得水準が低く、人口が減少している過疎地域だったり、若者に働く場のない地域だったことである。柏崎市長を4期つとめた小林治助氏は、助役から市長になった人であるが、日本石油発祥の地であった柏崎でありながら、製油所も廃止され、1963年7万9000人余あった人口も67年には7万人を割り、69年には市の財政は財政再建団体に指定される一歩手前まできていた。そのため刈羽村につらなる砂丘に地域振興の起爆剤を求めたのである。財政悪化は刈羽村でも同じであった。
山村の振興にダムをというのもおなじである。貧しい取り残されたかなしい山村にダムを、貧しい海浜の町や村に原発を。ともに交付金で誘って建設を要望させる。電力会社がこれを受ける。行政指導国家の政治はそれを認可するだけで責任をとらない。柏崎市はこれによって2009年度県内の市で最も財政状況の良い市になった。
そして、田中角栄が柏崎刈羽で4億円を、木村博保が3億8000万円を手にし、建設にともなう工事の一部が自民党県連に献金され、地方に強い自民党をつくりあげたのである。
私は、今年3月八ツ場ダムの記念館に立ち寄った。問題の時は、沢山の人だったといわれているが、この時は人影はなかった。八ツ場ダム推進吾妻住民協議会の会長H氏は、ダムの中止をかかげた前原誠司国土交通大臣に、"地元の声を聞け"とせまった人であるが、自民党の地元議員でもあり、「ダム屋」40人に土地を売り、補償金約10億円を手にし、信用金庫への借金2億円を返済し、立派な家を新築したという。この話をした町の人の反応は"羨ましい"であり、批判はどこにもなかった。
田中角栄がつくったと言われるこの政治ビジネス・モデルに支えられた自民党の地方組織を政権交替は崩すことはできなかった。菅内閣を支えている人たちは闘わないのである。その本質は自民党と同じなのであろうか。
この政治ビジネス・モデルは、原発というメフィストフェレスと手を結んだことである。ファウストが青春と引きかえに良心を売ったように、電力会社も、地方の首長も議員も、今日の繁栄のために、これからの安らぎを、メフィストフェレスに売ったのである。
改めて強調したいのは、原子力発電を日本に次々に建設した責任は自民党にあるということである。谷垣自民党総裁は福島の大災害に責任をとらなければならないのである。その誘致に狂奔した地方議員、町長なども同様である。かれらの過去を知る新聞記者が、被害者顔のこれらの人に強い批判を加えたのもうなずける。石原伸晃自民党幹事長は「脱原発は集団ヒステリー」と発言したという(毎日新聞2011年6月15日)。民主党の事故対応を批判する前に、利権と一体化して推進した自民党の責任を反省すべきなのである。
あらためて書くまでもない。自分たちの土地が使うわけでもない電力の設備をつくるのであるから、電力消費者が電源開発促進税を払い、自分たちが交付金を受けるのは当然であるという論理は成り立たない。自分たちが使わない機械工場の建設を認めるかわりに、機械に開発促進税を課してよいことにならない。自分たちが食べない米を耕作するのだから、交付金をよこせということもありえない。政治と地域をゆがめる電源三法は廃止し、その分電力価格を下げ、政治を正す必要がある。
[以上引用]
[引用文筆者のプロフィール(掲載誌『世界』より)]
伊東光晴 いとう・みつはる 京都大学名誉教授。1927年生まれ。著書に『ケインズ』『政権交代の政治経済学』など。本誌2011年5月号、6月号に「戦後国際貿易ルールの理想に帰れ」を寄稿。
[引用文についての投稿者による注記]
引用文は、伊東光晴氏の「経済学からみた原子力発電──何が推進させたか、代案は何か──」(『世界』 2001年8月号、岩波書店)からの抜粋である。
この論文の構成は、次の通り。
一.原子力発電をめぐる法制度の違い
二.日本で原子力発電を推進したものは何か
三.原子力発電の発電コストは安いのか
四.福島原発事故にもとづく損害賠償
五.脱原発から原発のない社会へ
そのうち、「二.日本で原子力発電を推進したものは何か」を引用した。
引用文中の数字は、掲載誌の文章ではすべて漢数字で書かれている。横書き表示にあわせて、投稿者が適宜算用数字にあらためた。
段落の頭は、もとの文章では一字下げになっている。投稿者が一字下げのかわりに段落間に空行を入れた。
ハイパーリンクは、投稿者が勝手につけた。
[投稿者による要約およびコメント]
(a)誘因
通産省と電力各社は発電コストの安さにとびついたいう。そのコストが安いという触れ込みは嘘であることがやがて明らかになるが、それでもなお原発は安いとみなされていた。原発のコストの問題については、とくにLNGとの比較で検証がおこなわれている(その箇所は引用していない)。
1954年にはじめて政府が原子力予算を通したとき、修正案を提出したのは野党の改進党に所属していた中曽根康弘氏である。中曽根氏に触れられていないのは物足りない。インターネット上のブログなどで引用されている中曽根氏の回想録によれば、原子力の平和利用研究予算に学界やジャーナリズムが反対するのは明らかだったので、予算修正は秘密裡に準備されたという(「東日本大震災の歴史的位置ー原子力開発を強力に推進した中曽根康弘」Hisato Nakajima 2011年4月11日)。
中曽根氏などの原発推進のもくろみに軍事目的があったのではないかという推測もある。これに関連してくると思われるが、原子力発電と軍事利用の表裏一体の関係については、伊東光晴氏も、日本国内の問題としては採りあげていないものの、アメリカで原子力発電が推進された誘因であるとして簡単に述べている(その箇所は引用していない)。
(b)地元政治家たちの原発誘致
原発を誘致すると、地元の市町村に多額の固定資産税が入る。それに加えて、電源三法の交付金が出る。さらには、用地の売却で大きな利益をえる関係者もあらわれる。このようにして原発誘致が儲かるということが、原発を推進するうえで最大の力になったのだという。その電源三法をつくったのは1974年当時の田中角栄首相であり、発案者は柏崎市長だった。
田中角栄については、阿修羅掲示板でも評価が高いようだ。しかし、地元(および自分自身)への利益誘導の手法についてはどうだろう。わたしは、原発誘致とか公共事業とかいった利益誘導がむしろその地方のためにならなかったのではないかという、直感的な疑念をいだいている。これは、何もしない方がよかったというのではなく、あれだけの政治力があったらもう少しべつな豊かさが実現できたかもしれないのにという、後知恵にもとづく疑念だ。じつは投稿者は新潟県出身である。
(c)なぜ原発銀座が生れるのか
電源三法による交付金は、原発の着工から運転開始までがもっとも多額であり、運転開始の翌年から大きく減少する。このため、自治体の側から原発増設の要望が出てくる。交付金がアヘンにたとえられる所以である。
伊東光晴氏の参照した『週刊ダイヤモンド』(2011年5月21日号)の記事「原発は『カネのなる木』 甘い汁を求め原発に群がったヒト・企業・カネ」の図をみるのがわかりやすい。
送信者 asyura |
(d)利権政治のビジネス・モデルの確立
電源三法の交付金の出所は、電力消費者が負担した電源開発促進税である。ただし、このような交付金をえる仕組みは、発電所のないダムにもみられる。ダムに水力発電所がつけば、さらに交付金が増える。こうして、地方の疲弊した自治体の中には誘致を引き受けるところが当然出てくる。
自民党は、このようなビジネス・モデルによって、地方に強固な基盤をつくった。原発推進の責任は自民党にある。民主党も自民党の地方組織を崩すことができず、その本質が疑わしい。伊東光晴氏の結論は、政治と地域をゆがめる電源三法を廃止すべきであるというものである。
伊東氏は、廃止の根拠として、自分が消費しないものを生産するから交付金を受けるなどという論理は一般的にありえないとして、機械工場や米作の例を挙げている。
しかし、これには異論がある。ダムやほかの発電所ならともかく、原発には格別のリスクがともなうので、伊東氏のような一般化はできないのではないだろうか。『世界』(2011年7月号)に掲載された清水修二氏の「電源三法は廃止すべきである」には、この問題がくわしく論じられている。伊東光晴氏の論文は概説としてわかりやすいので引用して紹介したが、電源三法の問題の所在を理解するためには、清水氏の論文もあわせて読みたい。もっとも、電源三法を廃止すべきだという結論については変わりがないが。
わたしの関心は、電源三法および利権誘導的なさまざまな交付金を廃止した後で、どのようにして地方を再生すればいいのかというところにある。たとえば東京都の世田谷区で保坂展人氏がやろうとしているようなことを、地方のそれぞれの自治体が、はるかに悪い条件のもとで、それぞれのやり方でやらなくてはならないのだ。
伊東光晴氏の論文のサブタイトル中に「代案は何か」とあるが、地方再生についての代案は提出されていない。
http://www.asyura2.com/11/test22/msg/649.html
広瀬隆さん、さすがです。応援しています。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/398.html#c20
現在の原子力発電は、そもそもが軍事技術の利用である。それが軍事技術を持たない日本で推進された理由は何であろうか。アイゼンハウアー大統領が、原子力の平和利用を呼びかけ[平和のための原子力]、国連がそのための組織[IAEA]をつくった戦後の時期は、科学信仰の社会的文脈が強く、わが国では、これに反対の動きは生まれようもなかった。その実態が知られていなかったからでもある。そのための研究は当然とされてきた。事実政府がつけた当初の予算は3億円弱で、文献収集、基礎研究のための資金であった。
これが原子力発電へと進んだのは、原子力発電のコストは非常に安いという売り込みに、通産省と電力各社がとびついたからであった。電力各社(9社)と電源開発のほか、これに関連する産業グループなどが出資して1957年に設立されたのが日本原子力発電であり、この会社がイギリスから導入したわが国最初の原子力発電・東海1号は、発電コストがキロ2円52銭という売りこみであった。やがてこれがまったくの嘘であることが明らかになるが、なお安さに引かれ、アメリカのジェネラル・エレクトリック社GE)と、ウェスティング・ハウス社(WH)から、日本原子力発電が敦賀にGEの技術で、関西電力が美浜にWHの技術でともに70年11月、東電が福島にGEの技術で原子力発電所を71年3月に完成させている。
発電コストが安いこと。それに加えて水力にしろ火力にしろ立地が難しくなった時、1ヶ所で大容量の発電可能な原子力が電力会社にとっては魅力的だったのである。
(b)地元政治家たちの原発誘致――柏崎刈羽原発の場合
ダムの誘致にともなう補償が、地元の有力者をどのように潤し、建設事業者が工事の一定割合を地元の県の自民党支部に政治献金しているか等々、自民党長期政権を支えたメカニズムが明らかになるのは、例えば、川辺川ダムの実態を追った毎日新聞記者福岡賢正氏の努力や、長年八ツ場ダム問題に取りくんできた鈴木郁子氏の記録、そして研究者の分析などが結び合ってであったように、原発誘致の実情も、新潟日報の努力によってようやく明らかになった。
2007年8月16日から2008年6月22日まで掲載され、新聞協会賞を受賞した「揺らぐ安全神話――柏崎刈羽原発」である。この掲載は筆が加えられ『原発と地震――柏崎刈羽「震度7」の警告――』(講談社、2009年)となった。
中越沖地震(2007年7月16日)によって東京電力の柏崎刈羽原発はすべて緊急停止した。福島第一原発のように津波に襲われることがなかったこともあって、混乱はあったものの近隣への被害は生れなかった。しかしこれで原発付近には断層がいくつもあることがわかった。断層の近くに原発があるということは、危険の可能性が大きいことを意味する。なぜこのような土地が選ばれたのか。
東電の調査が不十分だったこともある。だが地元からあらかじめ用意された土地が提供され、それを購入したということの方が大きい。適地を選んで立地したわけではないのである。
この地への誘致を働きかけた中心人物は、当時の柏崎市長小林治助氏と刈羽村村長だった木村博保氏である。
柏崎刈羽原発に政治生命をかけた小林氏に原発誘致をすすめたのは、理研ピストリング工業(現リケン)の元会長の松根宗一氏である。1963年といわれる。東電がこの地に原発を建設するのが69年であるから、6年ほど前である。松根氏は興銀から理研に入った人であり、新潟のこの地は理研発祥の地であるところから小林氏との関係が生れたものと思われる。重要なことは、松根宗一氏は、1954年理研に入ると同じ年に東電顧問になっており、のちに電力事業連合会の副会長についている。この地位に電力業界以外の人がついたのは、松根氏のみである。
他方、木村博保氏は田中角栄の地元の支援団体である陸山会の会長をつとめた自由民主党員で、刈羽村長から県会議員になり、東電から声をかけられ、東電本社で小松甚太郎専務に会っている。
新潟日報の記事で注目しなければならないのは、三つである。
第一は、原発計画が発表される3年前、刈羽村村長だった木村氏は、予定地52ヘクタールを買い、東電に売り、その利益として3億5865万円を税務申告していることである。買った坪当り単価の20倍ほどで売っている。72年度新潟県の長者番付の第1位は小林氏であり、第2位も原発に土地を売った人である。この年原発成金が多数生れたという。
第二は、2007年12月13日の記事で田中角栄の元秘書で国家老と言われた本間幸一(昂一)氏の次のような言葉である。東電への土地売却利益4億円を木村博保氏と田中角栄のもとに運んだと。当時田中角栄は自民党の幹事長で、総裁選で福田赳夫と争っており、この金は、総裁選に利用されたものと思われる。この記事は、自民党の政治資金と原発の関係を物語っている。
第三は、田中角栄は首相になり、電源三法(1974年6月成立)を成立させたが、その発案者は柏崎市長だった小林治助氏だったという。従来までダムにしろ発電所にしろ、建設されれば地元市町村に多額の固定資産税が入る。電源三法はこれに加え、各電力会社、その販売電力量に比例した電源開発促進税を払い、これを財源として地方に交付金を与えようというものである。その目的は原子力発電の立地を容易にするためであった。
これが原発建設を日本で拡大した最大の力である。
(c)なぜ原発銀座が生れるのか――アヘンのような交付金
電源三法によって集められた資金は、そのほとんどが、電源立地地域対策交付金として電源が立地する県と、付近市町村に種々な名目で分けられていく。その名称は、電源立地等初期対策交付金、電源立地促進対策交付金、原子力発電施設等周辺地域交付金、電力移出県等交付金、原子力発電施設等立地地域長期発展対策交付金であり、その他原子力発電施設立地地域共生交付金もある。
交付金の種類の多さに戸惑うとともに、たがいがダブラないか、第三者にはその違いがどこにあるか、まったくわからない。湯水のごとく金がまかれ、地元がこれを求めた姿が浮かぶかのような交付金の数である。もちろん、それが電力料金を高めている。原子力発電の原価はそのぶん上昇すべきものなのである。
私は昔、石川県の手取川ダムの立地によって地元が固定資産税収入をふやし地方の財政が一変したことを述べたことがある[原注 『世界』1983年1月号、経済戯評]。だが今は、それをはるかに上回る電源開発促進税である。設備が作られ、それに応じて生れる固定資産税と違って、それ以前から交付され、建設中が一番多額なのである。『週刊ダイヤモンド』編集部は『電源立地制度の概要』(資源エネルギー庁)によって、電源立地地域に対する交付金がどう配分されていくかを経年的に明らかにする試算をつくっている(2011年5月21日号)。それによると配分額は、運転開始以後約20億円〜22億円が約30年間交付されるのに対し、着工された年には74億円強、それから2年間は最高の77億5000万円となっている。
1年77億円という金額は、原発が立地する過疎の市町村にとっては極めて大きな金額である。注意しなければならないのは、原発立地の環境に与える評価を開始した年から5億2000万円交付されることであり、評価いかんで、建設するかしないかではなく、評価は建設を予定していることと、運転開始までの10年間に440億円交付され、運転開始以後交付金が大きく減少することである。このことが、地方議会と首長が、もう1基原発の建設を、という要望につながるのである。
原発立地に必ずしも賛成でなかった福島県の佐藤栄佐久知事は原発立地の地元の議会の増設要求に対し、原発は麻薬だと言ったのは、この交付金を批判してであった。なぜ特定地域に原発銀座といわれるように、何基もの原発が次々に建設されるか。その理由は、交付金の魅力と電源会社にとっての同一地立地の容易さとの結果である。
(d)利権政治のビジネス・モデルの確立
このような交付金の魅力は電源立地だけではない。ダムの建設の場合でも同じである。
神奈川県清川村は1990年代まで財政指数0.2〜0.4つまり、税その他の収入が財政規模の2割から4割しかない村だったが、宮ヶ瀬ダムの建設を受け入れることによって、完成の前年(1999年)約12億円の交付金が入った。財政規模約20億円の6割である。こうして2003年には村の財政指数は1以上――つまり自前の収入でまかなえる――の富裕団体になる。建設それ自体が問題である群馬県の長野原町の「八ツ場ダム」関係者は、バスを仕立てて、この宮ヶ瀬ダムと清川村を訪れている。清川村の財政の一変を見せ、住民のダム誘致賛成を拡大しようとしたのである。
電源立地とダムとの交付金について見てきた。ダムと水力発電所がともにあるならば、2つの交付金がえられることになるだろう。その一例が、群馬県の上野村――日本航空の飛行機がダッチロールして墜落した村である。
税収入は約2億円。地方交付税の11〜13億円程度で村の財政を支えていた。ところが2005年ダムと水力発電所が完成すると財政は一変する。06年固定資産税だけで27億円あり、財政指数[財政力指数]は、1.3、つまり、財政は大きな黒字で不交付団体になった。
注意しなければならないのは、これらの市町村はいずれも所得水準が低く、人口が減少している過疎地域だったり、若者に働く場のない地域だったことである。柏崎市長を4期つとめた小林治助氏は、助役から市長になった人であるが、日本石油発祥の地であった柏崎でありながら、製油所も廃止され、1963年7万9000人余あった人口も67年には7万人を割り、69年には市の財政は財政再建団体に指定される一歩手前まできていた。そのため刈羽村につらなる砂丘に地域振興の起爆剤を求めたのである。財政悪化は刈羽村でも同じであった。
山村の振興にダムをというのもおなじである。貧しい取り残されたかなしい山村にダムを、貧しい海浜の町や村に原発を。ともに交付金で誘って建設を要望させる。電力会社がこれを受ける。行政指導国家の政治はそれを認可するだけで責任をとらない。柏崎市はこれによって2009年度県内の市で最も財政状況の良い市になった。
そして、田中角栄が柏崎刈羽で4億円を、木村博保が3億8000万円を手にし、建設にともなう工事の一部が自民党県連に献金され、地方に強い自民党をつくりあげたのである。
私は、今年3月八ツ場ダムの記念館に立ち寄った。問題の時は、沢山の人だったといわれているが、この時は人影はなかった。八ツ場ダム推進吾妻住民協議会の会長H氏は、ダムの中止をかかげた前原誠司国土交通大臣に、"地元の声を聞け"とせまった人であるが、自民党の地元議員でもあり、「ダム屋」40人に土地を売り、補償金約10億円を手にし、信用金庫への借金2億円を返済し、立派な家を新築したという。この話をした町の人の反応は"羨ましい"であり、批判はどこにもなかった。
田中角栄がつくったと言われるこの政治ビジネス・モデルに支えられた自民党の地方組織を政権交替は崩すことはできなかった。菅内閣を支えている人たちは闘わないのである。その本質は自民党と同じなのであろうか。
この政治ビジネス・モデルは、原発というメフィストフェレスと手を結んだことである。ファウストが青春と引きかえに良心を売ったように、電力会社も、地方の首長も議員も、今日の繁栄のために、これからの安らぎを、メフィストフェレスに売ったのである。
改めて強調したいのは、原子力発電を日本に次々に建設した責任は自民党にあるということである。谷垣自民党総裁は福島の大災害に責任をとらなければならないのである。その誘致に狂奔した地方議員、町長なども同様である。かれらの過去を知る新聞記者が、被害者顔のこれらの人に強い批判を加えたのもうなずける。石原伸晃自民党幹事長は「脱原発は集団ヒステリー」と発言したという(毎日新聞2011年6月15日)。民主党の事故対応を批判する前に、利権と一体化して推進した自民党の責任を反省すべきなのである。
あらためて書くまでもない。自分たちの土地が使うわけでもない電力の設備をつくるのであるから、電力消費者が電源開発促進税を払い、自分たちが交付金を受けるのは当然であるという論理は成り立たない。自分たちが使わない機械工場の建設を認めるかわりに、機械に開発促進税を課してよいことにならない。自分たちが食べない米を耕作するのだから、交付金をよこせということもありえない。政治と地域をゆがめる電源三法は廃止し、その分電力価格を下げ、政治を正す必要がある。
[以上引用]
[引用文筆者のプロフィール(掲載誌『世界』より)]
伊東光晴 いとう・みつはる 京都大学名誉教授。1927年生まれ。著書に『ケインズ』『政権交代の政治経済学』など。本誌2011年5月号、6月号に「戦後国際貿易ルールの理想に帰れ」を寄稿。
[引用文についての投稿者による注記]
引用文は、伊東光晴氏の「経済学からみた原子力発電──何が推進させたか、代案は何か──」(『世界』 2001年8月号、岩波書店)からの抜粋である。
この論文の構成は、次の通り。
一.原子力発電をめぐる法制度の違い
二.日本で原子力発電を推進したものは何か
三.原子力発電の発電コストは安いのか
四.福島原発事故にもとづく損害賠償
五.脱原発から原発のない社会へ
そのうち、「二.日本で原子力発電を推進したものは何か」を引用した。
引用文中の数字は、掲載誌の文章ではすべて漢数字で書かれている。横書き表示にあわせて、投稿者が適宜算用数字にあらためた。
段落の頭は、もとの文章では一字下げになっている。投稿者が一字下げのかわりに段落間に空行を入れた。
ハイパーリンクは、投稿者が勝手につけた。
[投稿者による要約およびコメント]
(a)誘因
通産省と電力各社は発電コストの安さにとびついたいう。そのコストが安いという触れ込みは嘘であることがやがて明らかになるが、それでもなお原発は安いとみなされていた。原発のコストの問題については、とくにLNGとの比較で検証がおこなわれている(その箇所は引用していない)。
1954年にはじめて政府が原子力予算を通したとき、修正案を提出したのは野党の改進党に所属していた中曽根康弘氏である。中曽根氏に触れられていないのは物足りない。インターネット上のブログなどで引用されている中曽根氏の回想録によれば、原子力の平和利用研究予算に学界やジャーナリズムが反対するのは明らかだったので、予算修正は秘密裡に準備されたという(「東日本大震災の歴史的位置ー原子力開発を強力に推進した中曽根康弘」Hisato Nakajima 2011年4月11日)。
中曽根氏などの原発推進のもくろみに軍事目的があったのではないかという推測もある。これに関連してくると思われるが、原子力発電と軍事利用の表裏一体の関係については、伊東光晴氏も、日本国内の問題としては採りあげていないものの、アメリカで原子力発電が推進された誘因であるとして簡単に述べている(その箇所は引用していない)。
(b)地元政治家たちの原発誘致
原発を誘致すると、地元の市町村に多額の固定資産税が入る。それに加えて、電源三法の交付金が出る。さらには、用地の売却で大きな利益をえる関係者もあらわれる。このようにして原発誘致が儲かるということが、原発を推進するうえで最大の力になったのだという。その電源三法をつくったのは1974年当時の田中角栄首相であり、発案者は柏崎市長だった。
田中角栄については、阿修羅掲示板でも評価が高いようだ。しかし、地元(および自分自身)への利益誘導の手法についてはどうだろう。わたしは、原発誘致とか公共事業とかいった利益誘導がむしろその地方のためにならなかったのではないかという、直感的な疑念をいだいている。これは、何もしない方がよかったというのではなく、あれだけの政治力があったらもう少しべつな豊かさが実現できたかもしれないのにという、後知恵にもとづく疑念だ。じつは投稿者は新潟県出身である。
(c)なぜ原発銀座が生れるのか
電源三法による交付金は、原発の着工から運転開始までがもっとも多額であり、運転開始の翌年から大きく減少する。このため、自治体の側から原発増設の要望が出てくる。交付金がアヘンにたとえられる所以である。
伊東光晴氏の参照した『週刊ダイヤモンド』(2011年5月21日号)の記事「原発は『カネのなる木』 甘い汁を求め原発に群がったヒト・企業・カネ」の図をみるのがわかりやすい。
送信者 |
(d)利権政治のビジネス・モデルの確立
電源三法の交付金の出所は、電力消費者が負担した電源開発促進税である。ただし、このような交付金をえる仕組みは、発電所のないダムにもみられる。ダムに水力発電所がつけば、さらに交付金が増える。こうして、地方の疲弊した自治体の中には誘致を引き受けるところが当然出てくる。
自民党は、このようなビジネス・モデルによって、地方に強固な基盤をつくった。原発推進の責任は自民党にある。民主党も自民党の地方組織を崩すことができず、その本質が疑わしい。伊東光晴氏の結論は、政治と地域をゆがめる電源三法を廃止すべきであるというものである。
伊東氏は、廃止の根拠として、自分が消費しないものを生産するから交付金を受けるなどという論理は一般的にありえないとして、機械工場や米作の例を挙げている。
しかし、これには異論がある。ダムやほかの発電所ならともかく、原発には格別のリスクがともなうので、伊東氏のような一般化はできないのではないだろうか。『世界』(2011年7月号)に掲載された清水修二氏の「電源三法は廃止すべきである」には、この問題がくわしく論じられている。伊東光晴氏の論文は概説としてわかりやすいので引用して紹介したが、電源三法の問題の所在を理解するためには、清水氏の論文もあわせて読みたい。もっとも、電源三法を廃止すべきだという結論については変わりがないが。
わたしの関心は、電源三法および利権誘導的なさまざまな交付金を廃止した後で、どのようにして地方を再生すればいいのかというところにある。たとえば東京都の世田谷区で保坂展人氏がやろうとしているようなことを、地方のそれぞれの自治体が、はるかに悪い条件のもとで、それぞれのやり方でやらなくてはならないのだ。
伊東光晴氏の論文のサブタイトル中に「代案は何か」とあるが、地方再生についての代案は提出されていない。
http://www.asyura2.com/11/test22/msg/650.html
稲わらだけじゃない。土地も農作物も水もすべて汚染されている。
農家にはお気の毒だが、農業・牧畜は一切禁止。
東電は損害を全額補償すること。
福島第一事故放射能放出量6月迄:37万→77万テラベクレル
高濃度汚染水:7億2072万テラベクレル
核燃料残量:0ベクレル
この記録が破られることはおそらくないでしょう。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/393.html#c13
現在の原子力発電は、そもそもが軍事技術の利用である。それが軍事技術を持たない日本で推進された理由は何であろうか。アイゼンハウアー大統領が、原子力の平和利用を呼びかけ[平和のための原子力]、国連がそのための組織[IAEA]をつくった戦後の時期は、科学信仰の社会的文脈が強く、わが国では、これに反対の動きは生まれようもなかった。その実態が知られていなかったからでもある。そのための研究は当然とされてきた。事実政府がつけた当初の予算は3億円弱で、文献収集、基礎研究のための資金であった。
これが原子力発電へと進んだのは、原子力発電のコストは非常に安いという売り込みに、通産省と電力各社がとびついたからであった。電力各社(9社)と電源開発のほか、これに関連する産業グループなどが出資して1957年に設立されたのが日本原子力発電であり、この会社がイギリスから導入したわが国最初の原子力発電・東海1号は、発電コストがキロ2円52銭という売りこみであった。やがてこれがまったくの嘘であることが明らかになるが、なお安さに引かれ、アメリカのジェネラル・エレクトリック社(GE)と、ウェスティング・ハウス社(WH)から、日本原子力発電が敦賀にGEの技術で、関西電力が美浜にWHの技術でともに70年11月、東電が福島にGEの技術で原子力発電所を71年3月に完成させている。
発電コストが安いこと。それに加えて水力にしろ火力にしろ立地が難しくなった時、1ヶ所で大容量の発電可能な原子力が電力会社にとっては魅力的だったのである。
(b)地元政治家たちの原発誘致――柏崎刈羽原発の場合
ダムの誘致にともなう補償が、地元の有力者をどのように潤し、建設事業者が工事の一定割合を地元の県の自民党支部に政治献金しているか等々、自民党長期政権を支えたメカニズムが明らかになるのは、例えば、川辺川ダムの実態を追った毎日新聞記者福岡賢正氏の努力や、長年八ツ場ダム問題に取りくんできた鈴木郁子氏の記録、そして研究者の分析などが結び合ってであったように、原発誘致の実情も、新潟日報の努力によってようやく明らかになった。
2007年8月16日から2008年6月22日まで掲載され、新聞協会賞を受賞した「揺らぐ安全神話――柏崎刈羽原発」である。この掲載は筆が加えられ『原発と地震――柏崎刈羽「震度7」の警告――』(講談社、2009年)となった。
中越沖地震(2007年7月16日)によって東京電力の柏崎刈羽原発はすべて緊急停止した。福島第一原発のように津波に襲われることがなかったこともあって、混乱はあったものの近隣への被害は生れなかった。しかしこれで原発付近には断層がいくつもあることがわかった。断層の近くに原発があるということは、危険の可能性が大きいことを意味する。なぜこのような土地が選ばれたのか。
東電の調査が不十分だったこともある。だが地元からあらかじめ用意された土地が提供され、それを購入したということの方が大きい。適地を選んで立地したわけではないのである。
この地への誘致を働きかけた中心人物は、当時の柏崎市長小林治助氏と刈羽村村長だった木村博保氏である。
柏崎刈羽原発に政治生命をかけた小林氏に原発誘致をすすめたのは、理研ピストリング工業(現リケン)の元会長の松根宗一氏である。1963年といわれる。東電がこの地に原発を建設するのが69年であるから、6年ほど前である。松根氏は興銀から理研に入った人であり、新潟のこの地は理研発祥の地であるところから小林氏との関係が生れたものと思われる。重要なことは、松根宗一氏は、1954年理研に入ると同じ年に東電顧問になっており、のちに電力事業連合会の副会長についている。この地位に電力業界以外の人がついたのは、松根氏のみである。
他方、木村博保氏は田中角栄の地元の支援団体である陸山会の会長をつとめた自由民主党員で、刈羽村長から県会議員になり、東電から声をかけられ、東電本社で小松甚太郎専務に会っている。
新潟日報の記事で注目しなければならないのは、三つである。
第一は、原発計画が発表される3年前、刈羽村村長だった木村氏は、予定地52ヘクタールを買い、東電に売り、その利益として3億5865万円を税務申告していることである。買った坪当り単価の20倍ほどで売っている。72年度新潟県の長者番付の第1位は小林氏であり、第2位も原発に土地を売った人である。この年原発成金が多数生れたという。
第二は、2007年12月13日の記事で田中角栄の元秘書で国家老と言われた本間幸一(昂一)氏の次のような言葉である。東電への土地売却利益4億円を木村博保氏と田中角栄のもとに運んだと。当時田中角栄は自民党の幹事長で、総裁選で福田赳夫と争っており、この金は、総裁選に利用されたものと思われる。この記事は、自民党の政治資金と原発の関係を物語っている。
第三は、田中角栄は首相になり、電源三法(1974年6月成立)を成立させたが、その発案者は柏崎市長だった小林治助氏だったという。従来までダムにしろ発電所にしろ、建設されれば地元市町村に多額の固定資産税が入る。電源三法はこれに加え、各電力会社、その販売電力量に比例した電源開発促進税を払い、これを財源として地方に交付金を与えようというものである。その目的は原子力発電の立地を容易にするためであった。
これが原発建設を日本で拡大した最大の力である。
(c)なぜ原発銀座が生れるのか――アヘンのような交付金
電源三法によって集められた資金は、そのほとんどが、電源立地地域対策交付金として電源が立地する県と、付近市町村に種々な名目で分けられていく。その名称は、電源立地等初期対策交付金、電源立地促進対策交付金、原子力発電施設等周辺地域交付金、電力移出県等交付金、原子力発電施設等立地地域長期発展対策交付金であり、その他原子力発電施設立地地域共生交付金もある。
交付金の種類の多さに戸惑うとともに、たがいがダブラないか、第三者にはその違いがどこにあるか、まったくわからない。湯水のごとく金がまかれ、地元がこれを求めた姿が浮かぶかのような交付金の数である。もちろん、それが電力料金を高めている。原子力発電の原価はそのぶん上昇すべきものなのである。
私は昔、石川県の手取川ダムの立地によって地元が固定資産税収入をふやし地方の財政が一変したことを述べたことがある[原注 『世界』1983年1月号、経済戯評]。だが今は、それをはるかに上回る電源開発促進税である。設備が作られ、それに応じて生れる固定資産税と違って、それ以前から交付され、建設中が一番多額なのである。『週刊ダイヤモンド』編集部は『電源立地制度の概要』(資源エネルギー庁)によって、電源立地地域に対する交付金がどう配分されていくかを経年的に明らかにする試算をつくっている(2011年5月21日号)。それによると配分額は、運転開始以後約20億円〜22億円が約30年間交付されるのに対し、着工された年には74億円強、それから2年間は最高の77億5000万円となっている。
1年77億円という金額は、原発が立地する過疎の市町村にとっては極めて大きな金額である。注意しなければならないのは、原発立地の環境に与える評価を開始した年から5億2000万円交付されることであり、評価いかんで、建設するかしないかではなく、評価は建設を予定していることと、運転開始までの10年間に440億円交付され、運転開始以後交付金が大きく減少することである。このことが、地方議会と首長が、もう1基原発の建設を、という要望につながるのである。
原発立地に必ずしも賛成でなかった福島県の佐藤栄佐久知事は原発立地の地元の議会の増設要求に対し、原発は麻薬だと言ったのは、この交付金を批判してであった。なぜ特定地域に原発銀座といわれるように、何基もの原発が次々に建設されるか。その理由は、交付金の魅力と電源会社にとっての同一地立地の容易さとの結果である。
(d)利権政治のビジネス・モデルの確立
このような交付金の魅力は電源立地だけではない。ダムの建設の場合でも同じである。
神奈川県清川村は1990年代まで財政指数0.2〜0.4つまり、税その他の収入が財政規模の2割から4割しかない村だったが、宮ヶ瀬ダムの建設を受け入れることによって、完成の前年(1999年)約12億円の交付金が入った。財政規模約20億円の6割である。こうして2003年には村の財政指数は1以上――つまり自前の収入でまかなえる――の富裕団体になる。建設それ自体が問題である群馬県の長野原町の「八ツ場ダム」関係者は、バスを仕立てて、この宮ヶ瀬ダムと清川村を訪れている。清川村の財政の一変を見せ、住民のダム誘致賛成を拡大しようとしたのである。
電源立地とダムとの交付金について見てきた。ダムと水力発電所がともにあるならば、2つの交付金がえられることになるだろう。その一例が、群馬県の上野村――日本航空の飛行機がダッチロールして墜落した村である。
税収入は約2億円。地方交付税の11〜13億円程度で村の財政を支えていた。ところが2005年ダムと水力発電所が完成すると財政は一変する。06年固定資産税だけで27億円あり、財政指数[財政力指数]は、1.3、つまり、財政は大きな黒字で不交付団体になった。
注意しなければならないのは、これらの市町村はいずれも所得水準が低く、人口が減少している過疎地域だったり、若者に働く場のない地域だったことである。柏崎市長を4期つとめた小林治助氏は、助役から市長になった人であるが、日本石油発祥の地であった柏崎でありながら、製油所も廃止され、1963年7万9000人余あった人口も67年には7万人を割り、69年には市の財政は財政再建団体に指定される一歩手前まできていた。そのため刈羽村につらなる砂丘に地域振興の起爆剤を求めたのである。財政悪化は刈羽村でも同じであった。
山村の振興にダムをというのもおなじである。貧しい取り残されたかなしい山村にダムを、貧しい海浜の町や村に原発を。ともに交付金で誘って建設を要望させる。電力会社がこれを受ける。行政指導国家の政治はそれを認可するだけで責任をとらない。柏崎市はこれによって2009年度県内の市で最も財政状況の良い市になった。
そして、田中角栄が柏崎刈羽で4億円を、木村博保が3億8000万円を手にし、建設にともなう工事の一部が自民党県連に献金され、地方に強い自民党をつくりあげたのである。
私は、今年3月八ツ場ダムの記念館に立ち寄った。問題の時は、沢山の人だったといわれているが、この時は人影はなかった。八ツ場ダム推進吾妻住民協議会の会長H氏は、ダムの中止をかかげた前原誠司国土交通大臣に、"地元の声を聞け"とせまった人であるが、自民党の地元議員でもあり、「ダム屋」40人に土地を売り、補償金約10億円を手にし、信用金庫への借金2億円を返済し、立派な家を新築したという。この話をした町の人の反応は"羨ましい"であり、批判はどこにもなかった。
田中角栄がつくったと言われるこの政治ビジネス・モデルに支えられた自民党の地方組織を政権交替は崩すことはできなかった。菅内閣を支えている人たちは闘わないのである。その本質は自民党と同じなのであろうか。
この政治ビジネス・モデルは、原発というメフィストフェレスと手を結んだことである。ファウストが青春と引きかえに良心を売ったように、電力会社も、地方の首長も議員も、今日の繁栄のために、これからの安らぎを、メフィストフェレスに売ったのである。
改めて強調したいのは、原子力発電を日本に次々に建設した責任は自民党にあるということである。谷垣自民党総裁は福島の大災害に責任をとらなければならないのである。その誘致に狂奔した地方議員、町長なども同様である。かれらの過去を知る新聞記者が、被害者顔のこれらの人に強い批判を加えたのもうなずける。石原伸晃自民党幹事長は「脱原発は集団ヒステリー」と発言したという(毎日新聞2011年6月15日)。民主党の事故対応を批判する前に、利権と一体化して推進した自民党の責任を反省すべきなのである。
あらためて書くまでもない。自分たちの土地が使うわけでもない電力の設備をつくるのであるから、電力消費者が電源開発促進税を払い、自分たちが交付金を受けるのは当然であるという論理は成り立たない。自分たちが使わない機械工場の建設を認めるかわりに、機械に開発促進税を課してよいことにならない。自分たちが食べない米を耕作するのだから、交付金をよこせということもありえない。政治と地域をゆがめる電源三法は廃止し、その分電力価格を下げ、政治を正す必要がある。
[以上引用]
[引用文筆者のプロフィール(掲載誌『世界』より)]
伊東光晴 いとう・みつはる 京都大学名誉教授。1927年生まれ。著書に『ケインズ』『政権交代の政治経済学』など。本誌2011年5月号、6月号に「戦後国際貿易ルールの理想に帰れ」を寄稿。
[引用文についての投稿者による注記]
引用文は、伊東光晴氏の「経済学からみた原子力発電──何が推進させたか、代案は何か──」(『世界』 2001年8月号、岩波書店)からの抜粋である。
この論文の構成は、次の通り。
一.原子力発電をめぐる法制度の違い
二.日本で原子力発電を推進したものは何か
三.原子力発電の発電コストは安いのか
四.福島原発事故にもとづく損害賠償
五.脱原発から原発のない社会へ
そのうち、「二.日本で原子力発電を推進したものは何か」を引用した。
引用文中の数字は、掲載誌の文章ではすべて漢数字で書かれている。横書き表示にあわせて、投稿者が適宜算用数字にあらためた。
段落の頭は、もとの文章では一字下げになっている。投稿者が一字下げのかわりに段落間に空行を入れた。
ハイパーリンクは、投稿者が勝手につけた。
[投稿者による要約およびコメント]
(a)誘因
通産省と電力各社は発電コストの安さにとびついたいう。そのコストが安いという触れ込みは嘘であることがやがて明らかになるが、それでもなお原発は安いとみなされていた。原発のコストの問題については、とくにLNGとの比較で検証がおこなわれている(その箇所は引用していない)。
1954年にはじめて政府が原子力予算を通したとき、修正案を提出したのは野党の改進党に所属していた中曽根康弘氏である。中曽根氏に触れられていないのは物足りない。インターネット上のブログなどで引用されている中曽根氏の回想録によれば、原子力の平和利用研究予算に学界やジャーナリズムが反対するのは明らかだったので、予算修正は秘密裡に準備されたという(「東日本大震災の歴史的位置ー原子力開発を強力に推進した中曽根康弘」Hisato Nakajima 2011年4月11日)。
中曽根氏などの原発推進のもくろみに軍事目的があったのではないかという推測もある。これに関連してくると思われるが、原子力発電と軍事利用の表裏一体の関係については、伊東光晴氏も、日本国内の問題としては採りあげていないものの、アメリカで原子力発電が推進された誘因であるとして簡単に述べている(その箇所は引用していない)。
(b)地元政治家たちの原発誘致
原発を誘致すると、地元の市町村に多額の固定資産税が入る。それに加えて、電源三法の交付金が出る。さらには、用地の売却で大きな利益をえる関係者もあらわれる。このようにして原発誘致が儲かるということが、原発を推進するうえで最大の力になったのだという。その電源三法をつくったのは1974年当時の田中角栄首相であり、発案者は柏崎市長だった。
田中角栄については、阿修羅掲示板でも評価が高いようだ。しかし、地元(および自分自身)への利益誘導の手法についてはどうだろう。わたしは、原発誘致とか公共事業とかいった利益誘導がむしろその地方のためにならなかったのではないかという、直感的な疑念をいだいている。これは、何もしない方がよかったというのではなく、あれだけの政治力があったらもう少しべつな豊かさが実現できたかもしれないのにという、後知恵にもとづく疑念だ。じつは投稿者は新潟県出身である。
(c)なぜ原発銀座が生れるのか
電源三法による交付金は、原発の着工から運転開始までがもっとも多額であり、運転開始の翌年から大きく減少する。このため、自治体の側から原発増設の要望が出てくる。交付金がアヘンにたとえられる所以である。
伊東光晴氏の参照した『週刊ダイヤモンド』(2011年5月21日号)の記事「原発は『カネのなる木』 甘い汁を求め原発に群がったヒト・企業・カネ」の図をみるのがわかりやすい。
送信者 |
(d)利権政治のビジネス・モデルの確立
電源三法の交付金の出所は、電力消費者が負担した電源開発促進税である。ただし、このような交付金をえる仕組みは、発電所のないダムにもみられる。ダムに水力発電所がつけば、さらに交付金が増える。こうして、地方の疲弊した自治体の中には誘致を引き受けるところが当然出てくる。
自民党は、このようなビジネス・モデルによって、地方に強固な基盤をつくった。原発推進の責任は自民党にある。民主党も自民党の地方組織を崩すことができず、その本質が疑わしい。伊東光晴氏の結論は、政治と地域をゆがめる電源三法を廃止すべきであるというものである。
伊東氏は、廃止の根拠として、自分が消費しないものを生産するから交付金を受けるなどという論理は一般的にありえないとして、機械工場や米作の例を挙げている。
しかし、これには異論がある。ダムやほかの発電所ならともかく、原発には格別のリスクがともなうので、伊東氏のような一般化はできないのではないだろうか。『世界』(2011年7月号)に掲載された清水修二氏の「電源三法は廃止すべきである」には、この問題がくわしく論じられている。伊東光晴氏の論文は概説としてわかりやすいので引用して紹介したが、電源三法の問題の所在を理解するためには、清水氏の論文もあわせて読みたい。もっとも、電源三法を廃止すべきだという結論については変わりがないが。
わたしの関心は、とりあえず電源三法および利権誘導的なさまざまな交付金を廃止するとして、その後どのようにして地方を再生すればいいのかというところにある。たとえば東京都の世田谷区で保坂展人氏がやろうとしているようなことを、地方のそれぞれの自治体が、はるかに悪い条件のもとで、それぞれのやり方でやらなくてはならないのだ。
伊東光晴氏の論文のサブタイトル中には「代案は何か」とあるが、地方再生についての代案は提出されていない。
http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/492.html
東京電力は16日、福島第1原発から出た放射性物質による地下水汚染を防ぐ遮蔽(しゃへい)壁(地下ダム)について、基本設計に着手したことを明らかにした。細野豪志原発事故担当相は建築を急ぐ考えを明らかにしており、東電は当初計画を前倒しして、事故収束に向けた工程表の「ステップ2」(今月中旬から3〜6カ月後まで)の期間内に着工できるか検討中だ。19日に改定する工程表に盛り込む。
地下ダムは、1〜4号機の原子炉建屋と隣接するタービン建屋周辺に、遮蔽目的の壁を地下30メートルまで埋め込む。東電によると、第1原発地下では、山から海に向かって地下水が1日5〜10センチの速度で流れており、放置すれば放射性物質が地下水を通じて海側に流れる恐れがある。
この計画は工程表の5月の改定で初めて盛り込まれ、6月の改定ではステップ2終了までに工法を検討し、着工は「中期的課題」としていた。関係者によると現在、建屋周辺をボーリング調査中で、結果によっては着工が遅れる可能性もあるという。
東電の松本純一原子力・立地本部長代理は16日の会見で「タービン建屋地下の放射性物質濃度は低く、地下水に高濃度の放射性物質が漏れ出ている可能性は薄い」としながらも、「流出のリスクは認識しており、なるべく早く工事に取り掛かりたい」と述べた。【岡田英、中西拓司】
【関連記事】
* 【すべてはここから始まった 写真で見る】津波に襲われる福島第1原発
http://mainichi.jp/select/jiken/graph/20110519/
* <毎日新聞が地下ダム計画をスクープ>風知草:株価より汚染防止だ=山田孝男
http://mainichi.jp/select/seiji/fuchisou/news/20110620ddm002070081000c.html
* <毎日新聞が地下ダム計画をスクープ>東電、遮蔽壁費用公表せず 債務超過懸念で
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110620k0000e040050000c.html
* <関連記事>東京電力が政府側に渡した汚染水遮へい壁に関する文書の全文
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110620mog00m040005000c.html
* <関連記事>地下ダム計画文書 東電が作成を認める
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110622k0000m020084000c.html
毎日新聞 2011年7月17日 2時50分(最終更新 7月17日 4時00分)
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/426.html
ここ阿修羅のサイトでも、早く逃げろと何度も何度も言っているし、
避難民を受け入れる市町村もたくさんある。
あとは福島の親御さんたちの決意だけだ。
問題は推進派に飼いならされた政府とマスゴミが一切無視していること。
全く頼りにならないから、自分たちで行動するしかないのです。
幸い、我々にはインターネットという強力なツールがあるので、
ネットを通じて情報交換をすればいい。
汚染牛肉の問題はとくに子供にとって極めて深刻。
セシウムは筋肉や甲状腺に蓄積され、10年、20年後に障害が出てきます。
食品汚染から福島を含めてすべての子供たちを守らないといけません。
>多くの人がミネラル・ウォーターを買いに走ったと思いますが、
>それだって、実は浴びていた可能性もあっただろうと思ったのです。
3.11以前にボトリングされたミネラル・ウォーターに、3.11以降の事故の影響が及ぶ可能性はありません。
あなたメンタル面は大丈夫ですか?
それとも煽りの愉快犯ですか?
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/380.html#c15
こらこら、自分の理解が足りないのかもしれないだろうが・・先生達への侮辱は許さんぞう
浜岡の運転を止めたのは、そんなに凄い事ですか?
福島第一原発は点検で停止していた原子炉が事故を起こしていますよ。
浜岡の運転を停止させたからといって「東南海地震が来ても安全」とは言えません。
ましてや、福島原発事故の原因の検証すら終わらないうちに、運転を停止しただけで危険を回避したと思うのは時期尚早ではないでしょうか。
菅の「浜岡の運転を停止させます」は
私には単に耳障りの良い薄っぺらな言葉にしか聞こえませんが・・・
そして、菅の脱原発宣言が騒がれているのは、与野党問わず国民の誰もが望んでいる「脱原発」そのものが批難されているのではありません。
「総理発言=政府見解」という一般常識が欠如している菅が、思いつくがままにベラベラ喋りまくり、いたずらに混乱を引き起こしている事を批判されているのです。
菅発言を閣僚が事前に聞いていないのは一度や二度ではありません。
これでは
「政権与党の体を成していない」
と言われて当然でありましょう。
原発を無くすまでの過程や期間、
代替エネルギーの段階的活用方法、
波及する様々な問題(経済への影響、電力の安定供給、国民負担増)をどうクリアしていくか、
関連法をどう整備していくのか、
発送電分離や電力事業の一部国営化の議論、
福島原発事故の終息、その他の原発も含め廃炉までの道筋や放射性廃棄物の処理方法が定まらない現状で、原子力研究を今後どう扱っていくのか、
いかに混乱を抑えながら脱原発へシフトしていくのか、
などなど・・・
そういった政権与党として当然示さなければならない具体的な「脱原発への道筋」を、民主党内はおろか閣内ですら全く協議しないまま発言する愚を批難されているのです。
「夢」を語るだけなら小学生でもできるという事です。
「脱原発」など総選挙の争点にすらなりません。
与野党含め、国民皆「脱原発」なのだから。
大切なのは、どのように脱原発を進めるか、
その手法を示すのが政権与党の責務です。
菅が語るべき事は「夢」では無く「脱原発への道すじ」なのです。
「菅ではダメだ」
と言われるのは、好きだの嫌いだのという感情論では無く
菅が、真に総理大臣としての資質が無いからに他なりません。
ここまでの混乱と停滞を招いた民主党は、ただちに菅の後継総理を立て日本再生のために動いてもらわねばなりません。
今の民主党内で総理にふさわしい器は、小沢一郎以外にいないでしょう。
ありがとうございます。
wikipediaにて、“臨界事故”の項目で、
「チェレンコフ光の例としては、原子力発電所の燃料が入ったプールの中で見える青白い光」
とありましたが、まさか、そういう事ですか?
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/320.html#c16
そのうち、地獄谷のようにあちこちで放射性水蒸気がシューシュー噴き出すかも。
海側に露天風呂でも作って、御用の皆さんを招待しますか?
安全デマ流布に狂奔する疲れをプルト温泉で癒してもらいましょう。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/404.html#c12
道原子力安全対策課によると、同日午前、福井県からトラブル発生の連絡があった。
泊原発3号機は3月7日から、試験運転を行っている。大飯原発が今回のトラブルで国への最終検査申請を見合わせることになったため、泊原発3号機は最終検査で異常がなければ、全国の定期検査中の原発で東日本大震災後初の営業運転再開に単独で入る可能性が出てきた。
<北海道新聞7月16日朝刊掲載>
こりゃだめだ。やる気まんまん。
菅氏の本質を示す言葉は、鳩山さんが普天間でいきづまっているとき、
鳩山さんに、国民の関心をそらすことが大事だ、消費増税を言おう、
と進言したことです。阿修羅の他の板にでているので探してみてください。
鳩山さんはそのとき、普天間で行き詰まっても消費増税で国民の目をそらすということはできないと言って、菅氏の進言を断っています。
ここに菅氏の本質がでています。
国民の関心をそらすためには、そのことが片付かないうちに
別のことを持ち出す、これが菅氏の政治手法なのです。
政権交代後の菅氏の行動を検証してみましょう。
政権交代で菅氏は国家戦略担当相をまかされました。これは省庁を横断でき
かつ指示きるとても、将来的な我が国の国家戦略を見直すために重要なポストでした。
なぜなら
菅氏は鼻血がでなくなるまで徹底した行政改革をやると
豪語していたことは、投稿者さんも知っていることでしょう。
だから鳩山さんは、菅氏に国家戦略省を任せました。
ところがどうでしょう。国家戦略をまったくもっていなかった菅氏は
国家戦略相という仕事無内容にしてしまったのみならず、
行政改革というネズミは採らずに、民主党の行政改革はつぶれ、
菅内閣になって天下りはそのまま温存どころか巧妙に拡大しているではありませんか。
菅氏は行政改革というネズミを採る猫ではなく、むしろ悪いネズミを増やしてきました。
菅氏は代表になって最初の参議院選挙で突然、マニフェストにない消費増税をいいだして、国民に信を問うといって大敗し、ねじれ国会を引き起こしました。でもに、短い期間に首相が替わることはよくないという奇妙な論理で擁護する朝日らマスコミによる世論のあとおしをうけ、責任をとらずに総理の座にいすわりました。
以後も菅氏は失敗の責任を絶対にとろうとはしてきませんでした。
菅氏はみずからの失敗の責任をとらずに、他に責任を負わせる人です。
その事例は尖閣問題の情報隠しや今回の原発の言った、言わないなどからも
投稿者さんにもわかるでしょう。
菅氏は代表選挙のとき、412人のサッカーとかノーサイドと言っていました。
そうして迷っている民主党議員をとりこみました。
たとえれば、全員野球という猫で、さまざまなネズミをとって改革を推進すると言うことです。
だから、小沢氏は改革のために協力すると言っていたのですが、ところが、菅氏のやったことは小沢氏排除の事ばかりでした。みずからの権力維持にじゃまになるからです。ノーサイドという言葉は全くどこ吹く風でした。あげくのはては原口氏が小沢氏をもっと活用しようと進言すると、小沢氏は抹殺すべき政治家と言ってのけました。
菅氏はノーサイドという言葉で、民主党議員らをだましたのです。
自らの権力を守るためにはじゃまな存在は徹底的に排除する、これが菅氏の本質です。また、菅氏は窮地に立ったときになると天才的なだましを行う人なのです。
菅氏の無能ぶりは、被災地対応の遅れ、原発初動捜査の失敗による
がつぎつぎと明らかになり、これでは菅氏にまかせてはおけない、という声が
あがりました。最初は菅一派は小沢氏グループをこの機会に排除するつもりで
準備していました。松木議員がその日のうちに除籍されたのがその証拠です。
しかし、小沢氏グループは90名以上になる勢いでしたから、あわてて
菅・岡田一派は、鳩山さんをだましにかかったのでした。
特例法案通過と第二次補正のメドがついたら退陣する(6月末から7月まで)というものでした。
人のよい鳩山さんは見事に騙され、不信任案否決にまわりました。
6月2日の民主党代議士会での菅氏の若い人に道をゆずりたいという殊勝な発言を
退陣表明とうけとめて、鳩山氏は代議士を代表したかたちで冒頭で演説し、それが不信任案否決の流れをつくりました。
生き延びた菅氏は満面の笑みを浮かべて、その夜の記者会見では、原発の低温化まで(来年1月以降まで)とぽろっと本音を漏らしました。
これには、鳩山さんもいかり、菅氏をペテン師よばわりしたことは周知のとおりです。岡田執行部も菅氏の退陣をせまらざるを得なくなりました。マスコミも当然、代議士会での菅氏の発言は退陣表明ととらえていましたから、びっくりして、以後は退陣の方向に流れがなったのです。
でもこのときから菅氏の退陣の流れはでき、いつ退陣するかになってきたのです。
生き延びた菅氏は、国民生活第一派が検討していた再生エネルギー法案に飛びつきました。そして(退陣の条件に)、それを付け加えることに成功しました。退陣の条件にというのは、投稿者さんも含めて普通の常識の人がそう思っているだけかもしれません。
これで、また延命ができました。
つぎにとびついたのが、脱原発の流れです。
5月6日夜の記者会見で浜岡原発を防潮堤ができるまでの2年間ほど停止要請をすると突然言い出しました。
閣議等の決定もなくです。だから政府部内もあちこちで混乱しました。が、この発言で、浜岡は止まりました。
思いつきで発言でもうまくいくものだと味をしめ、原発をとめることが次のカードになると自信を持ったのでしょう。
5月や6月の段階では、原発の再稼働をすすめており、安全宣言を準備していました。決して菅氏は脱原発派ではありません。
菅氏及び政府了解をうけて、海江田氏は原発安全宣言をだし、玄海原発に赴き、政府の方針は定期テスト後の原発再開だから、安全だからということで原発再開を容認しました。
ところが、菅氏は突然7月6日になってストレステストを言い出しました。政府見解ではなく彼の思いつきです。政府部内は混乱し、原発立地県の知事・町長らも大混乱になりました。しかし、思いつきがまた功を奏しました。
思いつき発言が後追いで政策となりました。しかも、ストレステストの再稼働容認に自分もいれること成功しました。こうして菅氏は思いつき発言を政策にしていく手法を経験的に学び、生き延びる方策となることが本能的にかぎ分けるようになりました。
これは脱原発が自分が生き延びる策だと感じ取ったのです。
それが7月13日夕刻の記者会見での脱原発社会宣言です。
これをすなおに受け取って菅氏に対する感謝の言葉があふれるようになりました。
一方で、菅氏に対する原発推進派からの攻撃も強まりました。
菅氏は脱原発は政府見解かと問われて、私の思いだと述べています。
それで菅氏にとってはよいのです。
思いつきでも、よい思いつきは黒い猫がしゃべっても
よい思いつきと擁護する人がいることに気がついたのです。
しかも、よい思いつきはあとからちゃんと整備できるし、
自分の延命につながるということに気がつきました。
ここで、視点を代えて、なぜ菅氏がこれほど延命したいのかを
考えてみます。
一番は、自らの権力欲です。
政策実現ではありません。
代表選挙のときの菅氏と小沢氏の演説のレベルの違いは阿修羅の皆さんなら
ご存じです。菅氏は民主党議員の職業の羅列で、そこには夢のある政策は
なんら語られていません。小沢氏にはビジョンがありました。
この菅氏の演説を聴いて菅氏に投票を決めたという馬淵氏を私は
信用していませんし、もちろん、菅氏を支持した前原、仙谷、岡田氏らや山尾とか横粂とかも信用していません。
この演説で小沢氏に投票した原口氏ら国民生活第一派を信用します。
政策をまったく持っていない菅氏ですから
民主党のマニフェストをまったく無視してもかまわないのです。
政権を担って7ヶ月の今年一月の菅氏の年頭挨拶は
開国元年(TPP推進)、最小不幸社会、不条理な政治からの脱却(小沢氏排除)でした。
だから、民主党のマニフェストにない増税派の与謝野氏を内閣にいれることができるのです。
脱原発はどこにもなく、増税路線があることをしっかり認識しておいてください。
原発事故がおきるまではむしろ原発推進派でした。
なぜ、権力の座にこだわるか。
彼はやめるわけにいかないのです。
なぜなら、彼は政治資金規正法違反者なのですから、
明確に外国人から政治献金をうけていたことは事実で3月10日に返金していて
そのあとの国会では外国人と知らなかったと答弁していますから、
外国人と認識していたから返したことは間違いありませんし、虚偽答弁になります。
検察が動き出しているのです。
でも総理でいる間は捜査は総理には及ばないでしょう。
外国人からの献金を知らなかったと言い逃れれば言い逃れることができる
政治資金規正法違反で、総理大臣を逮捕する処罰に値するかという
検察の論理が働くからです。
したがって、捜査が終了するまでは権力の座からおりるわけにいかないのです。
で、本題に戻ります。
菅氏は脱原発派ではないこと、彼の生き延びるために飛びついた策であることは
おそらく投稿者さんも認識したうえでの発言でしょう。
だから脱原発というネズミをとる菅氏はよい猫だ、よって彼を応援する、という
趣旨になるのでしょう。
でも、しっかり認識しておいてください。
彼は行政改革としゃべっていてもそれを実行していません。
いいのです。彼にとっては思いつきですから、
ノーサイドと言っていましたが、実行していません。
よいのです、権力をとるためのだましのテクニックですから、
脱原発も自分の思いをのべた(おもいつき)と言っています。
脱原発宣言というような高邁な理想をもったものではないのです。
でもそれでよいのです。
思いつきですから、うまく行かなかったら思いつきだと言ったではないか、
うまくいけば手柄にできるのです。
かれにとっては、延命策にさえなればよいのです。
ここまで私がいうのは、普天間をそらすために
こともあろうに消費増税を進言する、ここに彼の本質があるとみているからです。
投稿者さんが主張する脱原発路線ですが、
れは民主党のマニフェストをよくよめば、十分政策的に可能であることがわかります。
政権交代時の民主党のエネルギー政策は、最初に再生エネルギーの活用、これは数字をあげて推進することを約束しています。だから国民生活派が研究を続けていたのです。最後に安全第一に慎重に原発を推進でした。だから安全でない原発は脱できるのです。
脱原発は民主党のマニフェストに帰ることができる国民生活派が総理になれば
思いつきでなく政策として実現できるのです。
私は延命策として脱原発を思いつきで述べている菅氏が本気で
脱原発路線をすすむとは考えていません。
菅氏が延命されれば、つぎにくるのは開国元年のTPPと消費税増税
これだと見ています。
これは決して被災地住民や被爆地住民救済にはつながりません。
被災地の農業や漁業は壊滅的打撃をうけます。
生活費をかせげない被災地住民の人たちの生活はより一層打撃を
うけるのです。
菅氏の延命は、より一層の政治の混乱と国際的不信用と
被災地住民への救済の遅れと政治への不信感を増すだけです。
菅氏の一刻も早い退陣がこの国を救うと考えています。
脱原発は、政策として主張している国民生活派の政治家がいます。
彼らにまかせるべきなのです。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/357.html#c75
1997年7月オブニンスクの医学放射線研究センター(MRRC)のロシア・ブリャンスク州高放射能汚染地区へのフィールドミッションに参加した。笹川記念保健協力財団のチェルノブイリ医療協力事業の一環である。モスクワから南西90キロメートルに位置するこの都市は、日本では「つくば」に相当する旧ソ連の科学都市である。街の壁には、アインシュタインの有名な式(E=m×cの2乗:質量に光速度の二乗を乗じた値はエネルギーに等しい)が大きく描かれている。なお、1954年に世界初の原子力発電所がこの地に誕生している。
このミッション参加者の内訳はMRRCからステパネンコ博士、コンドラショー博士、シャフターリン博士ら7名、科学工業ユニオン・タイフーンから事故直後に現地調査をしたスニコフ博士、モスクワの生物物理学研究所からヨウ素129の調査のための土の採取にガブリーリン博士、ブリャンスクダイアゴナスティックセンターからアレクサンドル博士、イズベスチヤ紙の記者チェチェン氏、そして私の総勢12名である。4個のスペクトロメータを搭載したモービルラボを含む3台の車で、7月18日朝9時にオブニンスクを発ち、南西方向に約400キロメートル離れた町クリンシーへ向かった。このミッションは、その前年に原医研に客員教授として招待されていたステパネンコ博士からの提案がその発端だった。彼から、ロシアで最も汚染した村ザボリエの話を聞いた私は、その調査の機会を心待ちにしていた。
私のねらいはチェルノブイリ事故からのフォールアウトで高レベルに汚染した居住制限地区の被曝線量調査である。
途中ブリャンスクダイアゴナスティックセンターに立ち寄り、ドロホフ博士から現地の甲状腺がんの疫学的状況の説明を受けた。土壌汚染の少ない地域でも、甲状腺がんの発生が少なくないと言う。その晩クリンシーに到着した。
ウエートホテルを基地として日帰りの現地調査が翌日からはじまるのだが、私がこれまで経験した、旧ソ連のホテルの中でも最もレベルの低いものであった。9泊の滞在中に、シャワーの湯は二晩しか供給されなかったし、部屋は一度も掃除されなかった。支配人は私たちに挨拶に来てベストを尽くすと言ったにもかかわらず、他のロシア科学者たちも同様な悪印象をもったようだ。
バザールで魚の燻製(くんせい)、野菜、西瓜、チーズ、豚肉などの食料品を調達した後、11時45分に出発。ザボリエ村の6キロメートル手前、眺めのすばらしいマカリチの丘の上で昼食休憩。毎時0.36マイクロシーベルト。この場所で、前年の厳戒管理区域での調査で校正した検出器を用い、セシウムの地表面汚染密度のその場測定を試みた。
セシウム137が放射するガンマ線を直径2.5センチメートル、長さ5センチメートルのヨウ化ナトリウムの結晶で検出する。その一秒間当たりの計数と汚染密度との関係を既に求めているので、その計数を測定することから、未知の土地の汚染密度を知ることが可能である。液晶画面を有するスペクトロメータと称するノートサイズの装置にガンマ線のデータを記録し、それを信号ケーブルでつないだノートパソコンへ読み込む。このパソコンで汚染密度が計算できるようにしてある。測定に3分、計算に2分で、結果が出せる。
その場でのセシウム137放射能の測定結果は平方メートル当たり316キロベクレルだった。この迅速な評価にロシア科学者たちの関心が集まった。今回が、オブニンスクの科学者たちとの最初の合同調査である。
昼食を終え、いよいよ厳戒管理地区・ザボリエ村へ移動。レンガ造りの旧織物工場の壁からドリルで直径5センチメートルのレンガ試料をくりぬいた。その近くでその場測定した結果は、セシウムの汚染は平方メートル当たり5.1メガベクレル、線量率が時間当たり3.9マイクロシーベルトと確かに高い値だった。
その廃工場の前の草原で、村のウシャコフさん(40歳)が草刈りをしていた。日に焼けた筋肉質の男性。そこでチェルノブイリという名の、丈50センチメートル程の真っ直ぐに伸びた先に小さな花を見た。群生せず、一本のみが、ひっそりと咲いていた。
その後、旧養鶏場へ移動した。そこも同様に高濃度に汚染していた。セシウムの汚染は平方メートル当たり6.3メガベクレル。
ウシャコフさんをマカリチの川辺へ連れていき、車に搭載した機械で体内放射能量を測定した。セシウムの全身量は10万ベクレルだった。この放射能は筋肉組織に分布し、ガンマ線を放射する。彼の場合、これによる年間の内部被曝線量を3ミリシーベルトと推定した。
小川には近くに放牧された牛たちが水を飲みに来るため、糞が多数あった。それを踏まないように気をつけながら、私たちはパンツ1枚で水浴を楽しんだ。小川での水浴は最高。ロシアのアルブス(西瓜)もうまい。この時、マカリチで入手したウォッカを喉の奥に入れた。クリンシーのホテルの風呂には湯がないので、その後毎日、小川が風呂代わりとなってしまった。風呂好きの私は、毎日、動物の糞を踏まないようにと願った。
チェルノブイリ事故後、1989年にザボリエなどの村の住民は退去することになったが、そのまま居残った人たちがいる。20時、ウシャコフさんの家を訪れ、家の内外の放射線を測定させてもらった。彼の家の外の線量率は毎時2.9マイクロシーベルトだが、中は外からの放射線が壁で遮蔽されているため約4分の1と低かった。家で12時間、屋外に12時間いるとし、彼の1年間の外部被曝を推定すると、およそ14ミリシーベルトになる。この量は日本と比べると約10倍だ。セシウムに汚染した村に暮らすウシャコフさんは、内部被曝の3ミリシーベルトと合わせて、総被曝線量は年間17ミリシーベルトと推定した。
家の玄関先の日陰には長椅子が置かれ、彼のお母さんや近所の老人たちが腰掛けた。日本や広島の話をした。「広島では何人が亡くなりなしたか」と聞かれた。「1945年の12月までに市民14万人が死亡したが、今は完全にきれいになり、復興しています」と伝えた。
前年ベラルーシで苦い思いをしたので、今回はポラロイドカメラ用意していた。この村には、電気、電話はないし、もちろん写真店も存在しない。いっしょの写真を撮り、それを渡すと大層喜ばれた。帰りには、籠いっぱいの新鮮なキノコをもらった。21時40分村を出た、日没。
ウシャコフさんがこのゾーンで今後50年間暮らした場合、チェルノブイリ事故起因の外部被曝線量を推定すると269ミリシーベルトになる。
体内のセシウム137放射能量から推定される50年間の内部被曝は72ミリシーベルトである。したがって推定総被曝線量は341ミリシーベルト。なお、放射線被曝した歯のエナメル質の電子スピン共鳴測定から、ステパネンコ博士のグループが評価した1986年から1996年の外部被曝線量は180ミリシーベルトであり、1年間当たりでは平均18ミリシーベルトであった。一方、スニコフ博士は事故直後に、ザボリエのある地点で、被曝線量を、1986年から1990年まで住み続けたと仮定した場合で、より大きな値である1000ミリシーベルトを、1990年から2060年まで住み続けた場合で400ミリシーベルトと推定している。しかしこの調査の後、彼は亡くなってしまったので、この違いを今となっては、議論できない。
これに対し日本で毎年、胃と胸部のX線集団検診(1回4および0.3ミリシーベルトの被曝)を50年間続けると、自然放射線による被曝も含めて290ミリシーベルトの線量になる。一方、ザボリエ村のセシウム137の残留放射能密度の最大値は、1平方メートル当たり6.3メガベクレルだった。したがってセシウム放射能汚染密度が日本の場合の約1000倍以上高いにもかかわらず、被曝線量の今後に関してはザボリエと日本との間には大差はないことになる。
ホテルでの食事は、科学者チームによる自炊だった。各自1回は調理するとのことで、私も一度皆の希望で日本食を用意することになってしまった。そこでNHKの番組「男の料理」でみたある俳優のキャベツ料理を思い出した。それは、1個丸ごとのキャベツと、豚肉を使った単純なメニューだった。もちろん、この料理は私にとって、これが最初の試みだ。
幸い韓国製の醤油を、ロシアの友人がバザールで調達してくれていたので助かった。本当は日本酒も必要なのだが、ないので代わりに皆が好きなウォッカを用いた。砂糖に醤油、それにウォッカを混ぜたソースを、鍋の具にかけたとたん、ロシア人たちの目は点になった。今晩の食事をあきらめた顔をしたように見えた。彼らロシア人は決して、ウォッカを料理には用いないと後で聞いた。20分くらい煮込んで、まだかまだかと待たせた後、各自の皿に盛り付け、食事開始。おっかなびっくりの彼らだったが、とたんに皆明るい顔になって「クスナ(美味しい)」と言ってくれた。
さて、本日ザボリエ村でいただいたキノコは、チーム一の料理人がフライパンで炒めてくれた。せっかくだから、ロシア一の汚染村からのキノコを食べる前に測定することを提案した。スペクトロメータの液晶画面にセシウムの存在を示す大きなピークを見た。1個当たり約1000ベクレルのキノコは好い味だった。「オーチンクスナ(大変美味しい)、トースト(乾杯)」
翌朝、早速自分の体内放射能量を自ら、ホテル室内で測定した。1インチサイズの検出器は、人体測定用に校正してきていた。これにより、世界のどこでも測定ができるようになっている。今回の自分の体の測定が記念すべき最初の使用だった。その結果、私の体に4キロベクレル(=4000ベクレル)のセシウムが取り込まれたことが判明した。これによる内部被曝の推定は0.04ミリシーベルトである。これが、携帯型測定器による放射能全身測定のはじまりであり、かつ自分自身の体を用いた人体実験のはじまりでもあった。
翌朝から開始した自らの体内に含まれる放射能セシウム137量の経時変化の測定は帰国後も続いた。その結果は、初期の4日間で半分になり、その後104日で半減するように徐々に排出されていった。現在は検出されないくらいにまで減少している。セシウムは取り込まれた後、全身の筋肉組織に均等に分布し、私の例のように少しずつなくなる。この代謝によって半減する期間を、生物半減期と言う。セシウム137の物理半減期30年に比べると、その生物半減期は成人の場合約100日とかなり短いことがわかる。放射能セシウム137は全身分布とこの短い生物半減期のため、造血器官に近い骨に沈着して生物半減期の長いストロンチウム90やプルトニウムと比べ危険性は相対的に低い。
今回の10日間の調査が原因の私の被曝線量は内外被曝合わせて、約0.3ミリシーベルトと推定した。この量は日本で実施されている胃のX線集団検診による被曝線量4ミリシーベルトの10分の1以下である。胃の撮影が瞬時の被曝に対し、少しずつ受けた被曝、すなわち低線量率の継続的被曝である。被曝量が同じでも、この低線量率や分割被曝の場合のリスクは低い。
>>01
始め「天誅」だの今回の事態が「太平洋戦争の被害を上回ることがない」だの
お里が知れる発言をされる御仁がいて喜ばしい限りだが
空缶ですら口走った「首都圏3千万人緊急避難の可能性」は起こりうることだからね
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