04. 2011年6月18日 16:19:25: 27wuxjVxMs
静岡県知事→フランスサルコジ大統領様「お茶にして薄めて飲めば、直ちに人体に
影響があるものではありません、国の基準値以下です」
どうぞ心配なさらずお飲みください。
http://www.asyura2.com/11/genpatu12/msg/909.html#c4
★阿修羅♪ > アーカイブ > 2011年6月 > 18日16時19分 〜 ★阿修羅♪ |
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影響があるものではありません、国の基準値以下です」
どうぞ心配なさらずお飲みください。
http://www.asyura2.com/11/genpatu12/msg/909.html#c4
上空のは空気の逆転層でできた、煙の層だよ。良くあることだ。
http://www.asyura2.com/10/warb7/msg/764.html#c5
福島の被災者の方々との討論番組で、被災者の方が、東電と政府に対して怒りのコメントをされていたのに、自分の発言を妨げたとむっとした顔でさらにつまらないどうでもいい内容の話の続きをし始めた。
被災者の方へのねぎらいの言葉もないのかよ。このくそ馬鹿、と思った。
こいつは首相の器ではない。
まあ、菅も、小泉もそうだが…
日本情けなさすぎ
http://www.asyura2.com/11/genpatu12/msg/792.html#c23
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愛知県弁護士会の弁護士広嶋聡(ひろしま・さとる)容疑者(35)が成年後見人として管理していた高齢男性の預貯金1510万円を着服したとされる事件で、名古屋地検特捜部が16日の逮捕直後から、取り調べの録音・録画(可視化)を実施していることがわかった。特捜部は本人の同意が得られれば取り調べの全過程を録画する方針。全過程の可視化は東京地検特捜部が5月に、名古屋、大阪両地検の特捜部に先駆けて実施した。名古屋地検では初の実施となる。
捜査関係者によると、広嶋弁護士は逮捕直後、「弁護士を通じて答えたい」と黙秘。その後、取り調べに応じていく様子が録画されているという。
特捜部によると、広嶋弁護士は2009年7月、男性名義の銀行の定期預金を解約して約160万円を着服。さらに同月〜翌10年9月の27回、郵便局の通常貯金口座から計1350万円を引き出したとされる。
コー云う ノー餓鬼垂れる コー錯発言が、
他人を惑わし、避難を遅らす。
オマイさんら!"家畜"が逃げたら
困るとおもってんだろ?
オマイさんらを「早く来い」と
呼ぶ声が聴こえるか?
閻魔様の呼声が?
一刻も早く遠くへ逃げろ!とは チェルノブイリ被害の体験者の
科学者や ヤブロコフ博士 達の言ってることだ。
http://www.asyura2.com/11/genpatu12/msg/855.html#c38
そうじゃなくて逆かもしれません。
もし仮に高濃度放射能汚染の花粉を大量に吸い込んで花粉症で3月中旬から
5月末まで二ヵ月半鼻づまりしたとすれば、鼻の粘膜はガンマ線だけでなく
ベータ線も大量に浴びた事になるわけで、全身で分担するより局所的に鼻の粘膜が
強力な放射線浴びた事によって遺伝子DNA鎖が多重変異して修復不能になって
「鼻・副鼻腔癌」になる危険性が高まるかもしれません。
今年の春先に東北・北関東で頻繁に鼻血を出してた場合は要注意かもしれません。
*****
「鼻・副鼻腔癌」については下記サイト記事参照にして早期発見してください。
たかはし耳鼻科クリニックHP記事「鼻・副鼻腔癌」
http://www.takahashiclinic.com/gan/fukubikuu.htm
独立行政法人・国立病院機構 大阪医療センターHP記事
http://www.onh.go.jp/seisaku/cancer/kakusyu/jinhuku.html
株式会社エフェクトHP記事
http://www.effect-japan.com/cancer/maxillary.html
http://www.asyura2.com/11/genpatu12/msg/905.html#c7
放射能グッジョブと言えるな。
できるだけ多くの糞政治家・糞官僚や原発村、利益を独占してきた東京の経営者、都民のリーマンが放射能に負けて、消えて無くなることを期待してる。
http://www.asyura2.com/11/genpatu12/msg/875.html#c14
まあ、ご自身でご本人のお言葉をご覧ください。
http://ameblo.jp/noukanomuko/entry-10926646707.html
食料供給問題はまた別のことですが、このような方が、またいずこかで就農できる手立てを考えることが、大切ではないでしょうか。
http://infosecurity.jp/ さんに教えていただきました。
http://www.asyura2.com/11/genpatu12/msg/915.html
以下のグラフは包括的核実験禁止条約機関(CTBTO)が核実験を探知するために世界中に張り巡らした観測所で、観察された福島原発由来のヨウ素131の推移です。ピンクの折れ線38(Japan)とあるのは、群馬県高崎にある観測所で観測されたヨウ素131の推移です。
http://www.bfs.de/en/ion/imis/ctbto_aktivitaetskonzentrationen_jod.gif
理論的には科学未来館が説明するように時間が経てば減衰して行くはずですが、そうはなっていません。
3月16、21、30日、4月7、18、21日、5月4、5、11、23、26日にヨウ素131の値が跳ね上がっています。
これは再臨界が起きていることを示しています。福島原発では今も、短時間ですが
臨界が起きているのです。
政府東電はこの事実を必死に隠そうとしています。
しかし、放射性物質と言う自然はウソをつきません。
福島原発で夜間に見られる閃光と大量の蒸気発生は、再臨界によると推測できます。
http://www.asyura2.com/11/genpatu12/msg/911.html#c1
やはりそうですか。見たかった。
メジャーデビュー果たしてほしいけれど、絶対に先生をスポイルさせてなるものかですね。邪悪で不浄で下劣なテレビなぞに。
「我々がバッチリ小出氏を守らなければならない。小出氏を語るのはネット界なのだ 」
かっこいい。その通りです。
http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/881.html#c1
次に下痢が起こる仕組み。放射線で腸の壁をかたちづくる粘膜がダメージを受けるから。粘膜細胞は数日で入れ替わっているんだけど、放射線で粘膜細胞の DNAが損傷を受けて次世代の細胞を作れなくなる。数日経つと旧世代の粘膜細胞がはがれ落ちて、腸の壁の中身がむき出しになる。
むき出しになった壁の構造物から、血管からしみでた水分や、壊れた血管からの出血が起こって下痢になる。血小板が減って出血は止まりにくいし、白血球がなくて細菌感染でさらに下痢が悪くなるので、これも非常に深刻な病状だ。「ちょっと心配だから病院へ」なんてレベルの人には縁のない話。
-----------------------------------------------
http://www.marrow.or.jp/file/00-3.pdf
東海村で被爆した人の経過
放射線障害による出血は血小板が破壊されることによっておこる
この際、免疫細胞も同時に破壊されるので、白血球数は大幅に減り、感染症にかかりやすくなる
皮膚も日焼けのように赤くなり、数週間後にはズル剥けになる
要するに放射線によって鼻血が出るならほかの症状も一緒に出るということである
http://www.asyura2.com/11/genpatu12/msg/916.html
wikipedia「花粉症」見ると、日経メディカル オンライン 2004.01.14記事で
紹介されてたアメリカの研究以前に日本で、1993年に国立環境研究所が東京大学
医学部と共催で行った「花粉アレルギーの成因と動向-大気汚染との関連性」
というシンポジウムがすでにあったみたいです。
兜真徳・鈴木継美 編 篠原出版「花粉アレルギーと大気汚染」参照
http://www.asyura2.com/11/genpatu12/msg/905.html#c8
2000年8月
2001年6月
2001年6月15日
2002年6月7日
2005年
2007年
2007年8月16日
上海協力機構(シャンハイきょうりょくきこう、中国語:上海合作組織/上海合作组织、上合組織/上合组织)は、中華人民共和国・ロシア・カザフスタン・キルギス・タジキスタン・ウズベキスタンの6か国による多国間協力組織、もしくは国家連合。2001年6月15日、上海にて設立。2001年10月にアジア太平洋経済協力(APEC)首脳・閣僚会議が上海で開催されたが、これに先立ち上海の存在を国際的にアピールする結果となった。第一回設立会議が上海で行われたためこの呼び名となった。
目次
1 組織名称
2 概要
2.1 成立過程
2.2 軍事同盟として
2.3 世界の多極化
3 議題
3.1 安全保障
3.2 経済協力
3.3 文化交流
4 加盟国
4.1 加盟審査
4.2 関係国一覧
5 首脳会議
6 関連する国家連合
6.1 現存するもの
6.2 構想上のもの
6.3 歴史上のもの
7 引用
8 外部リンク
[編集] 組織名称
中国語
簡体字:上海合作组织 (上合组织)
繁体字:上海合作組織
ロシア語
キリル文字:Шанхайская организация сотрудничества (ШОС)
ラテン翻字:Shankhayskaya organizatsiya sotrudnichestva
[編集] 概要
[編集] 成立過程
主要六カ国による首脳会談
1996年4月に初めて集った上海ファイブ(ウズベキスタンを除く5か国首脳会議)を前身とする協力機構で、加盟国が抱える国際テロや民族分離運動、宗教過激主義問題への共同対処の外、経済や文化等幅広い分野での協力強化を図る。2000年の会議にウズベクがオブザーバーとして参加し、翌年に6カ国によって発展発足した。
中華人民共和国政府にとっては、ソ連一国と長大な国境線を持っていたものの、ソ連崩壊により多くの国と国境を接することになった。これらの分離独立した新興国の内情は、独立国家共同体(CIS)の影響力不足もあって非常に不安定であり、国家統制の及ばない武装勢力から中央アジアとの国境を共同で管理したい中国の思惑があったと見られ、国防上の要求もあり発足させた軍事同盟的な側面も持つ。またこれらの国に一定の影響力を持つことで、ロシアと対等な立場を保って、長期的な安全保障を確立したいものと見られる。またエネルギー問題に関しても、消費国である中華人民共和国としては、石油・天然ガス産出国である中央アジアの関係を強化したいものと考えられる。
2002年6月7日、サンクトペテルブルクにおいて、SCO地域対テロ機構の創設に関する協定が署名された。SCO地域対テロ機構執行委員会の書記局を上海に、本部をキルギスの首都ビシュケクに設置した。また同時に、同年初頭のアメリカ合衆国のブッシュ大統領の悪の枢軸発言に始まる、対テロ戦争拡大の動きを牽制した。
[編集] 軍事同盟として
図面での演習説明を受ける各国首脳
SCO理事会は名目の上では特定の国を対象とした軍事同盟ではないと述べているが、発足から経過するにつれて次第に単なる国境警備の組織としての枠組みを越えつつあると危惧する声は多い。2005年にはロシアが中華人民共和国・インドと相次いで共同軍事演習を行い、2007年には上海協力機構に加盟している6カ国による初の合同軍事演習(平和への使命2007)を行った。同軍事演習は中国陸軍1600名、ロシア陸軍2000名を中核に各国の陸軍部隊が一堂に会する大規模なもので、中露以外にはカザフスタン・キルギスタン・タジキスタンが特殊部隊や空挺部隊を派遣した他、ウズベキスタンが軍高官からなる将校団を派遣した。
また、2007年8月にビシュケクで行われた首脳会談で、テロ組織や分離独立運動など、加盟国に脅威を与える勢力に協力して対抗する長期善隣友好協力条約など8条約に調印した。周辺の国家連合との関係強化にも熱心で、2005年にはASEAN・SCO間で軍事的協定を結ぶ事に同意している。2007年、ASEAN理事会は協力関係を更に拡大する為に、両者の関係を事務局レベルから政府高官の直接対話に格上げする事を決定した。
[編集] 世界の多極化
NATOとSCOの領域を示した地図
SCOの加盟国、もしくは準加盟国の領域は地球上の陸地の約25%に達する。中華人民共和国の国境対策機構から、中華人民共和国・ロシア・インドといったユーラシア大陸における潜在的超大国(BRICS)、モンゴル、インド、アフガニスタン、イラン、パキスタン、東南アジア諸国連合(ASEAN)もオブザーバー加盟を申請するなど、北アジア、西アジア、南アジア、東アジアの連合体に発展する可能性を持つSCOは、いずれNATOに対抗しうる非西欧同盟として成長することを、アフリカや南アメリカの発展途上国・資源国から期待されている。
警戒感を強めるアメリカはSCOにオブザーバー加盟を要求したが、2005年にSCO理事会はこれを却下している。SCOはほかにもアフガニスタンのカルザイ政権が半ば「アメリカの傀儡」である事を理由に加盟申請を拒否したり、加盟国ウズベキスタンからの米軍撤退を要求するなど、アメリカとの対立路線を形成しつつある。過去のサミット(2007年のビシュケク・サミットを含む)では、たびたび間接的に「ワシントンへの反感」が示されている。2009年のサミットではイランのマフムード・アフマディーネジャード大統領がSCO議会でアメリカを批判、対米同盟としてのSCOに強い期待を寄せる演説を行った。
[編集] 議題
タジキスタンでの首脳会談
[編集] 安全保障
SCOは加盟国による中央アジア(ユーラシア)一帯の安全保障の確立を主な議題としている。しばしばそれはテロ・宗教問題・分離主義についての意見交換へと発展している。ウズベキスタンのタシケントで2004年6月16日から17日にかけて開催されたSCOサミットでは、地域対テロ機構(RATS)が正式に設立された。2006年4月21日、SCOはテロリズム対策の一環として国境地帯での麻薬密輸の摘発を行う事を決議した。
強化される軍事的な協力関係に懸念が広がる中、SCOは軍事同盟になる計画はないと釈明した。しかし同時に地域対テロ機構を運営する上で軍事協力の強化は当然の事であるとも表明しており、初期の段階で加盟国間の共同軍事演習が複数回行われた。2005年8月19日、中露共同軍事演習「平和への使命2005」が大規模に行われた。平行してオブザーバーであったインドとの露印軍事演習も開催され、成功した二つの軍事演習に自信を深めたロシアはSCOの軍事協力に積極的な行動を見せた。2007年、SCOによる初の六カ国共同軍事演習「平和への使命2007」がウラル山脈付近のロシア領で開催、ロシアのセルゲイ・イワノフ国防相は軍事演習は開かれた形で行われると声明した。
2007年10月、ドウシャンベサミットでSCO議会はロシアが主導する軍事同盟・集団安全保障条約(CSTO)との共同活動に向けた合意に署名した。
[編集] 経済協力
[編集] 文化交流
[編集] 加盟国
[編集] 加盟審査
2009年のエカテリンブルク・サミットに参加した国々。オブザーバー・対話パートナーだけでなく、客員参加国もを含めた最大規模の会合となった。
客員参加するアフガニスタンのカルザイ大統領
SCOへの加盟の希望については上述の理由から年々増加の一途をたどり、2004年にモンゴル、2005年にインド・パキスタン・イランがオブザーバー出席の地位を得た。特に印パ両国の加盟申請は中印パ3国間の対立の解消が期待されたが、2006年6月の会合では4カ国の正式加盟は見送られオブザーバーに留まっている。理由については「正式加盟に対する明確な規定がなく、法的手続きに時間を要する為」[1]とされている他、加盟国の急速な増大が機構運営に支障をきたす事と、中露と周辺四カ国の利害調整という本来の意味合いからユーラシア大陸全土を包括する国家連合へと大きく変化を遂げる事に迷いがある為だと指摘される[2]。
よって現在の所は正規加盟国は六カ国に留めて、オブザーバー・対話パートナーなどの段階的な参加制度を設ける事で加盟要請に対処している。2008年には客員参加枠が新たに設立され、加盟申請で留められていたアフガニスタンが、ASEANやCISなど統合を検討している国家連合の代表らと共に会議参加を許可された。
とはいえ、将来的な正規加盟国の増加は十分に考えられる。
[編集] 関係国一覧
正規加盟国
中国
ロシア
カザフスタン
キルギス
タジキスタン
ウズベキスタン
オブザーバー参加
モンゴル:2004年のタシケント・サミットで、インド・パキスタン・イランに先駆けてオブザーバーの地位を獲得した。
インド:2005年に参加。現在オブザーバー参加している国の中で最も重要な存在である大国で、加盟六カ国も格上げに前向きな姿勢を示している[3]。にも関わらず依然としてインドがオブザーバーに留まるのは、インド側の意向による部分が大きい。インド政府は中央ユーラシアでのロシアやタジキスタンとの関係強化[4][5]、及び資源問題の解決などを見込んでSCOとより深く関わる事を望む一方で[6]、非米同盟とも呼ばれるSCOへの正式参加がアメリカや欧州との関係を悪化させる事を危惧している。また同じオブザーバーであるパキスタンとの関係も、改善の切っ掛けとなる事を期待しつつもこれ以上の接近を批判する動きも国内で存在している。
パキスタン:2005年に参加。パキスタンは近年、アメリカからロシアへと軍事パートナーを切り替える事を志向し(2008年のグルジア軍の南オセチア自治区への侵攻にロシアが介入した事を支持した国の一つでもあった。)、その為にもSCOへの加盟を望んだ。2006年の第二回上海サミットでは開催国の中国に正式な加盟を熱望して、中国も他の加盟国に打診する事を約束した。正式加盟は先送りにされたが、同年のSCO首脳会議では特別に参加を許され、同会議でも格上げを強く要請した。
イラン:2005年に参加。2008年3月24日にSCO理事会が正規加盟への審査を開始したと報じられた。
対話パートナー参加(SCO憲章第14条に従って2008年に新設、オブザーバーに次ぐ資格が与えられる)
ベラルーシ:エカテリンブルク・サミットで対話パートナー資格を獲得
スリランカ:エカテリンブルク・サミットで対話パートナー資格を獲得
客員参加
アフガニスタン:エカテリンブルク・サミットに客員国として参加
独立国家共同体
東南アジア諸国連合
加盟申請国
トルクメニスタン
[編集] 首脳会議
回次 開催日 開催国 開催都市
第1回 2001年6月14日-15日 中国 上海
第2回 2002年6月7日 ロシア サンクトペテルブルク
第3回 2003年5月28日-29日 ロシア モスクワ
第4回 2004年6月17日 ウズベキスタン タシケント
第5回 2005年7月5日 カザフスタン アスタナ
第6回 2006年6月14日-15日 中国 上海
第7回 2007年8月16日 キルギス ビシュケク
第8回 2008年8月28日 タジキスタン ドゥシャンベ
第9回 2009年6月16日 ロシア エカテリンブルク
第10回 2010年6月11日 ウズベキスタン タシケント
[編集] 関連する国家連合
[編集] 現存するもの
独立国家共同体 (CIS) - ロシアが主導
集団安全保障条約 (CSTO) - ロシアが主導
東アジアサミット (EAS)
東南アジア諸国連合 (ASEAN)
ASEAN+3
北大西洋条約機構 (NATO) - アメリカ合衆国が主導
東アフリカ共同体 (EAC) - タンザニアとケニアが主導
アラブ連盟 - エジプトが主導
アラブ・マグレブ連合 (AMU) - アルジェリアが主導
[編集] 構想上のもの
東アジア共同体 (EAC)
アラブ連合国 - シリア(バアス党)が主導。イラク・レバノン・ヨルダン・イエメン・カタール・チュニジア各国のバアス党との連携で実現を目指したが、やがてシリア・イラク間で主導権争いが起こり、合邦運動は決裂。カタールとチュニジアにおいては運動そのものが非合法化される。
マフィリンド構想 - 戦前、フィリピンが主導したマレー人国家合邦構想。戦後、経済機構に特化したASEANの登場で存在価値がほぼ消失しているが、他地域で進む経済統合→政治統合移行の趨勢次第では、ASEANの枠組みの中で同様の動きが再浮上する可能性がある。
[編集] 歴史上のもの
ワルシャワ条約機構 (WTO) - 旧ソ連が主導
経済相互援助会議 (COMECON) - 旧ソ連が主導
大東亜共栄圏 - 旧大日本帝国が主導
ヨーロッパ新秩序 - 旧ナチスドイツが主導
アラブ・イスラム共和国(チュニジア・リビア連合)
アラブ連合共和国 - エジプトが主導
マラヤ連邦 - マレーシアの前身。かつてはシンガポールも加わっていた。
[編集] 引用
^ Moratorium on SCO expansion unlikely to be lifted in near future - source
^ ロシア・ノーヴォスチ通信社「誰が仲間で、誰が近く、誰が遠いのか」
^ Shanghai Cooperation Organisation - Towards New Dynamism
^ India makes a soft landing in Tajikistan
^ INDIA: THE NEW CENTRAL ASIAN PLAYER
^ [1]
[編集] 外部リンク
上海協力機構公式サイト(中国語、英語、ロシア語)
ジェトロのSCO紹介記事
http://www.asyura2.com/11/lunchbreak48/msg/173.html
次も正直に書きます。
お二人、並びにLEGACY OF ASHESさん、
最後に鬼塚英昭氏の著著群は、私としてみると、
これまでの知識・情報収集の域を超えています。
少々、時間を下さい。
手元に、『金は暴落する!』『日本のいちばん醜い日』『黒い絆──ロスチャイルドと原発マフィア』『ロスチャイルドと共産党中国が2012年、世界マネー覇権を共有する』を用意しました。私はどちらかと言えば、不器用です。理解に時間のかかる人間です。中でも、LEGACY OF ASHESさんの文章量は膨大です。
今は未だ、応答出来ません。暫く読み込ませて頂ければ、
少しは投稿記事への質疑応答も出来るかも知れません。
その時にはお二人の胸を借りて、さらなる高みに挑もうと思います。
次があったら日の丸持って参加する若者が増えるかもね
日本の若者よ、色んな意味で皆で日本を守ろう!
日本は素晴らしい国、日本人の誇りを取り戻そう!!
http://www.asyura2.com/11/genpatu12/msg/803.html#c101
ほんとの空へ・お〜い福島:原発やめ、故郷を取り戻せ=山田孝男 /福島
93年から95年まで毎日新聞福島支局のデスク(次長)だった。赴任は秋。最初の週末、カミさんと小3の娘、3歳の息子を連れ、土湯温泉(福島市)にちかい男沼(おぬま)へ出かけた。林のしめったにおいがすばらしく、思わず深呼吸したことを覚えている。
休日に県内を回り、山形や新潟へも足を延ばした。花見山の桜をめで、キノコ鍋に舌鼓を打ち、下手なりにスキーもやり、へっぴり腰でカヌーをこいだ。水と緑と白銀の忘れがたき福島が、いまは「強毒の放射性物質が飛散する汚染地域」として内外の耳目を集めている。原因は言わずもがな、原発だ。
福島を離れて16年後の今年4月初め、三陸の被災地を回る道すがら、郡山市に佐藤栄佐久前知事を訪ねた。この時、前知事自ら原発と県政の歴史を整理した年表の写しをいただいた。今あらためてそれを見ると、私が支局次長だった94年4月13日の項に、こういう記述がある。
「(国から)第一発電所の使用済み燃料共用プール設置了解要請あり。通産課長が使用済み燃料を『2010年から撤去』と約束したが、策定された国の長期計画では『2010年に撤去を検討』となっていた……」
通産は通商産業省(現経済産業省)。使用済み核燃料は高レベル放射性廃棄物だ。要するに、通産省が二枚舌を使った。それと気づいた前知事が電話を入れると、課長は異動していた。「役人には顔がない」。怒りの回想は、前知事が手記「知事抹殺!」(09年平凡社)に書き込んだ国政批判の核心だ。
これは、当時2期目の半ばにさしかかっていた前知事の転機を示す逸話である。以後、前知事は原発推進派から脱原発派へ向かう。
使用済み核燃料の問題は今でこそ明白だが、当時の私はよく理解していなかった。支局員だった大島透記者(現熊本支局長)が国・東電と県のズレに気づき、福島版で「オフサイドの構図」という連載企画をやった。
サッカー施設の寄贈をエサに危険を押しつける国と東電。反則めいた暴走への皮肉をタイトルに込めた。大島君の緻密な取材と抜群の文章力が評判になった。我々に今の知識と問題意識があれば、さらに深い記事になったと思う。
福島でいろいろなことを教わり、今も学ばせてもらっている。県民であろうとなかろうと、くむべき教訓は「原発をやめ、故郷を取り戻せ」しかないと確信している。(毎週土曜日掲載)
■人物略歴
◇やまだ・たかお
1952年東京生まれ。早大卒。75年毎日新聞社入社。長崎支局、西部本社報道部を経て政治部。93年福島支局次長。政治部長、東京本社編集局次長、同編集局総務。07年から政治部専門編集委員。月曜朝刊コラム「風知草」筆者。
毎日新聞 2011年6月18日 地方版
おまえバカじゃない
いつ書いてもよい掲示板になんでアドリブ、即興が必要なんだよ
いいから、まずちゃんと考えてから、誰にでもわかる明解な文章を書いてみい。
放射性物質を1Bqでも体内に入れたら、敏感な人だと鼻粘膜や胃粘膜が
必死で排出しようとする。
結果、鼻血が出たり下痢になったりする。
ウィルスや花粉なんかの異物が体内に入った場合と、機序は一緒。
あと放射性物質に対する反応は、個人差もかなり大きいらしい。
低線量の急性被曝症状ってことで、チェルノブイリ周辺でもさんざん報告が
出てるはずなんだけど。知らずに語ってんのかなあ。
http://www.asyura2.com/11/genpatu12/msg/916.html#c2
この講演会では、人民元の国際化に向けた業務と関連政策を紹介されましたが、香港特別行政区政府財政事務局の陳家強局長はその発言で、「ここ数年に香港と上海は、金融をめぐる交流と協力で成果を挙げている。人民元業務が多くの国で扱われてるのに伴い、人民元の国際化に向けたサービスの提供、それに相互の援助と補完、金融センターの役割の発揮などは、上海と香港がともに抱ええる課題となった」と述べました。(朱丹陽) 暮らし・経済へ
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http://www.asyura2.com/11/lunchbreak48/msg/174.html
胡主席も「両国首脳による定期的な会談が両国関係のダイナミックな発展の理由になっている」と語り、中露関係の現状に満足感を示した。
会談では、ロシアから中国への天然ガス供給などの2国間経済協力、北大西洋条約機構(NATO)の空爆が続くリビア問題や中東情勢のほか、北朝鮮の金正日総書記が5月に訪中し胡主席と会談した際に話し合われた北朝鮮核問題などが議題になったとみられる。
胡主席は16日にプーチン首相とも会談予定。
胡主席は15日、カザフスタンで開かれた中露と中央アジア諸国でつくる上海協力機構(SCO)の創設10周年記念首脳会議に出席した後、モスクワ入りした。
大統領と胡主席は17日、ロシア第2の都市サンクトペテルブルクで「国際経済フォーラム」に出席する。(モスクワ共同)
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http://www.asyura2.com/11/lunchbreak48/msg/175.html
ちゃんと調査して、関係者には結果責任を取らせるべきじゃねーの?
http://www.asyura2.com/11/genpatu12/msg/913.html#c4
ガンガン発言してください。東電につづいて関電も解体対象だろうな。
http://www.asyura2.com/11/genpatu12/msg/908.html#c8
4mSv/h!?
そんなスペックじゃ全然間に合わんのは、最初からわかっているはずだけど。
結局騙されてんじゃねーの?
大バカだ。・・・・
http://www.asyura2.com/11/genpatu12/msg/912.html#c2
今でも支配層にはそういう考えがあると思う、
お前の主張はわかる。しかし、申し訳ないが、一応、阿修羅は中高生向けの
教育サイトではないので、お前の水準に回りが合わせてくれることを期待するのには
無理がある。お前が自分で自分の理解力をあげるしかないのだ。(一本)
東電:戻ってきた線量計は数値を測る決まりだったので一応測っていきました。
すべてが役所仕事…形だけやってますというアリバイづくりだけですか。
なんのために線量計?危険な仕事に従事する人間のためでしょう。
想像力が働けば、東電だって「こんなに大きな数値になってます」と
防衛省にフィードバック出来たはず。
「21世紀の日本人」(1)
講師 川勝平太(国際日本文化研究センター教授)
http://web.archive.org/web/20080927221549/http://www.vectorinc.co.jp/kokkasenryaku/index2.html
現在
国際日本文化研究センター教授
略歴
早稲田大学大学院経済研究科
英国オックスフォード大学院博士課程修了
早稲田大学政治経済学部教授
著書
富国有徳論(紀伊国屋書店)
海洋連邦論(PHP研究所)
■川勝平太講師
川勝です。大事な会議にお招きいただいて、光栄です。
21世紀の日本人がいかにすれば元気になれるかについて、愚見を申し上げ、ご批判を賜りたいと思います。
現下の外務省のゴタゴタに対する国民感情が典型ですが、国民は政治に倦んでいます。
失業率が6%近くになって経済も病んでいます。テロ事件や不審船事件のほか、阪神・淡路大震災のような自然災害の危機が潜在しており、国民が政治のリーダーシップを高らかに仰ぎ、新しい国づくりにむけて意識改革に燃え、ここ日本は安全で安心な文明国であるという誇りをもてるようにするにはどうしたらいいか。私は、人心の一新は首都移転にしかず、という意見です。
平成2年に衆参両院の諸先生方が議決をされ、法律を定められ(議員立法でございました)、国会等移転審議会が平成8年に設けられ、平成11年の暮れに答申が出て三地域が候補地になりました。その後、諸先生方の決議で、2年後に一地域に絞り込むことになりました。その期限が今年5月末にまいります。首都の移転は、こういう厳しい状況ですから、財政問題等、難題はありますが、日本の首都移転の国民の意識への影響は甚大なものがあると思います。
日本国民の一番の理念とは「一国の独立の基礎は一身の独立にあり」というものでしょう。なぜそういえるのかと申しますと、日本はそう喝破した福沢諭吉を最高額紙幣一万円札に刷り、日本の顔として世界に通用させているからです。一人一人の独立、個の自立を基礎にした国づくりという理念は、万国に通用し、説得力の高いものです。
もう一つ日本の顔があります。首都です。日本は首都の場所によって時代区分してきた世界に唯一の国です。奈良、平安、鎌倉、室町、江戸、その後、明治からは東京に移し、首都と時代との関係は極めて明確です。奈良・京都は唐の文明を入れる器でした。奈良の平城京、京都の平安京は唐を文明と仰ぎ、長安の都を模して日本をつくる装置でした。奈良時代、平安時代は中国文明を受容した時代です。
その後、首都機能は鎌倉に移りました。鎌倉には五山の文化、禅の文化、庭の文化、茶の文化があります。これらは長安の文化ではありません。南船北馬といわれる中国には、大陸中国の北の文化と海洋中国の南の文化があります。例えば天目山は浙江省にあり、そこで使っていた茶碗と同形のものが天目茶碗として親しまれ、栄西はお茶を浙江省から持ってきました。禅、庭、茶など中国の南の文化が鎌倉に入ったのです。
鎌倉から首都機能は室町、すなわち京都に移りますが、北の大陸文化と南の大陸文化、この二つの中国の文明を統一したものが室町です。室町時代は公家の文化と武家の文化を融合したと日本史家の間でいわれますが、三代将軍義満は金閣寺をつくって北山文化、八代将軍義政は銀閣寺を建てて東山文化を生みました。そこには禅・庭・茶の文化が息づいています。中国との関係で国のかたちを見ますれば、日本は室町時代に南の中国の文化と北の中国の文化を京都で融合したと見ることができます。
中国は、長安、臨安、南京、北京などと、国の首都を移しましたが、首都を移しても時代名を変えません。そうした首都の多くは今や廃墟あるいは遺跡となっています。日本を見れば、京都には唐の長安のたたずまい、鎌倉には中国の南の文化のたたずまいを生きた文化遺産として残しています。まさに日本は東洋文明の生きた博物館であり、それが奈良、鎌倉、なかんずく京都にあると見ることができます。
しからば江戸の都に外国モデルがございましょうか。どこにもありません。日本が独自につくったものです。言いかえますと、中国文明からの自立を示すのが江戸の姿です。城郭の周囲に武士を集住させて城下町をつくり、農村をその周辺に配した一国一城政策がとられ、北は津軽から南は薩摩藩に至るまで、いわば小江戸がつくられました。室町時代に各地に小京都がつくられる。すなわち、中国文明を入れ切った日本の姿が全国津々浦々に
つくられたように、江戸時代には、中国から自立した江戸の姿が城下町として全国津々浦々につくられたのです。
明治維新以降、日本の時代区分は天皇のご在位によって明治、大正、昭和、平成に時期区分されていますが、まもなく一括して「東京時代」と呼ばれる時代が来るでしょう。東京は西洋文明を受容する装置であり、東京時代とは西洋文明を受容した時代です。
奈良、京都が北の大陸中国の文化を受容した時代の首都、鎌倉が南の海洋中国の文化を受容した時代の首都、室町が南北両方の中国文化を入れ切ったときの首都、江戸は中国文明から自立したときの首都であったのと同じ脈絡で、東京は欧米文明を受容したときの首都です。欧米文明の受容とそれへのキャッチアップが終わった今、全国津々浦々につくられてきた「ミニ東京」という呼称には、いまや蔑称に近い響きがあります。地方の人々は
いまでは「ミニ東京だ」といわれるのを喜びません。脱東京化すなわち西洋文明からの自立の動き、それは見事なまでに西洋文明を受容した東京からの自立として「地域自立」の動が全国津々浦々に広がっています。首都が移ることによって日本の国の形が変わるのは、日本の歴史に即して明らかです。
国会等移転審議会で16項目について一つ一つ点数をつけて、一番高い点数をとったのが那須・阿武隈です。反証は難しい。さらにもう1項目、例えば皇居をどうするかという項目は、どういうわけか入っていませんが、那須には御用邸がありますから、東濃や三重・畿央はその点で断然劣ります。現行憲法における陛下の国事行為を前提にしますれば、御用邸のある那須・阿武隈の地が、審議会の答申どおり、新首都にふさわしいと思います。
もう一つ、人心一新にかかわることとして、国民生活のライフスタイルが変わるというメッセージを伝えることが大切です。それには「生活の55年体制の打破」を掲げるのがよいと思います。細川政権の誕生によって破られた自由党・民主党が合同した「政治の55年体制」のことではなく、「2DK55型」「ハウス55」といわれた「生活の55年体制」です。昭和30年、1955年に今の都市基盤整備公団の前身の日本住宅公団が設立され、東大の吉武先生が考案された、台所で食事するという、昔でいえば使用人の生活スタイルを、ダイニング・キッチンという英語を使うことで、ハイカラとでも思わせたのでしょうか、2DK55型の住居、これは当初は一戸当たり30平米に満たなかったものが、大当たりして、千里ニュータウン、多摩ニュータウンのように、民間デベロッパーも参入し、ついに日本人の3人に1人が2DK55型とその変種の箱住みスタイルという結果になりました。
これが後に日本の都市景観の画一性、金太郎飴といわれる生活景観になったのはご承知のとおりです。
では、いかにして「55年体制の打破」を実現するのか。英語でいうホーム・スイート・ホームのホームの原義に返る運動をおこすことです。ホームは日本語では「家庭」です。
「家庭」という漢字を思い浮かべてください。「ハウス(家)」と「ガーデン(庭)」とが一体です。ハウス・ウイズ・ザ・ガーデン、あるいはハウス・イン・ザ・ガーデンです。
庭と家とが一体になって日本の「家庭」です。都市ではマンションという名の「箱」が、帰って寝泊まりするだけの場所、労働力の再生産場となりました。その原型が2DK55型で、この「箱」に、本来は屋敷を意味するマンションという名がつけられ、今1,400万世帯の人々が住んでいます。この生活の55年体制から脱して、多自然地域(自然の多い地域)に居住空間をつくっていこうということを地域分権とあわせて提唱していくことが生活スタイルの一新になると思います。
その一つの方法として、減反政策で遊休化している農地を活用できます。戦後の農地法は自作農創設を目的にしています。戦前の地主・小作関係の弊害への反省から導入されたものですが、数年前、新しい食料・農業・農村基本法が施行されました。第1の目的はもちろん食料の安定供給です。自給率がカロリーベースで40%を切っている今日、それを上げるのは重要です。もう一つの目的として、伝統文化の継承、水資源の涵養、環境の保全など、農業・農村の多面的機能がうたわれています。これは、農業・農村は農民の独占物ではなく、水資源の涵養や美しい国土の景観の保全は非農業民を含む国民すべてのものであるということをうたったものです。
現在、農民が急速にサラリーマン化しています。専業農家は40万戸を切っており、兼業農家も8割方が第2種兼業農家、要するにサラリーマンです。農民がサラリーマンに転化するのは簡単ですが、逆にサラリーマンが農民になるのは、農地法や自作農創設主義に阻まれて困難です。農業は専業農民がするという固定観念のもとに定められている制度が障害です。
第2種兼業農家のさらにその先に本物のサラリーマンがいます。そのようなサラリーマンが販売用農産物をつくるのではなく、半自給でも、4分の1自給でも、8分の1自給でも、16分の1自給でも、32分の1自給でも、あるいは64日分のうちの1日分の自給でも、売るためではない、農業ならぬいわば「農」の楽しみを渇望していることに思いをいたし、都市民に農のまねごとができるようにするのが筋ではないか。今日、ガーデニングがブームです。都市民が家庭菜園で土地を所有している人はほとんどいません。借りている人がはるかに多い。借地して農をする、いわば小作です。小作制度は戦前の悪弊として、戦後に否定されました。しかし、サラリーマンが農業に乗り出すのに土地を所有せず、むしろ借地する。そのために小作を復活させる。「サラリーマン小作」を55年体制の打破として提唱します。
日本人労働力の大半をしめるサラリーマンの間での農へのあこがれ、つまり自然と調和した生き方、家・庭一体、ハウス・ウイズ・ガーデン(家庭)へのあこがれがあります。
農地の借地については、土地基盤整備公団、地方公共団体、JAとか、しかるべき大組織が土地をお借りになるなり、地主になって、サラリーマンに又貸しされるのがよいと思います。社会主義のように農地公有化は、日本のように資本主義の市場経済にのっとっている社会ではできません。地主が公共団体、準公共団体ですと、安心できるだけでなく、土地使用について公的規制を設けられます。規制内容は軽井沢のような別荘地が参考になります。最低区画は1反(300坪)の1,000平米です。建物の建ぺい率は2割以下、300坪のうち建坪が60坪以下ですから、残りの240坪が緑になり、それだけあれば花を栽培したり、果物を植えたり、家庭菜園もできます。減反地を活用しサラリーマン各層が広く農に親しめるようにする。それは新しい農地解放です。減反させ、補助金を与え、果樹をつくらせている、これは二重三重の意味で無駄遣いです。
さらにいいますれば、現在の失業者は、いわば国破れて山河なしの状態です。戦後に外国から引き揚げてきた日本人には、国は破れたが山河はあった。唐の詩人、杜甫の名句が実感として思われた時代です。帰っていくべきふるさとはあり、疎開もできた。しかし、今、国民の80%が都会に住み、2分の1が三大都市圏に住んでいる中で、ふるさとをなくした人々が多くなり、失業しますと、生活品を現金で賄っているので、本当に食べる物もないということになりかねません。懸命に働いてきて失業し、帰るべき山河もないでは余りにも気の毒です。
さらに自給率で2割を切っている森林。日本は世界最大の材木の輸入国です。言いかえますと、世界最大の森林の破壊国です。同時に国土の7割弱の森林を悠々と持っている国です。みずからの森を保全して世界の森を壊す国といわれて何といたしましょうか。昭和30年代に国家が植林を奨励せられた。しかし、その後、外材輸入の政府の方針が変わったために、日本の山々が傷んでいるのです。山々に杉・ひのきの代わりに広葉樹を植えかえる等、緑の雇用事業を興す。そして、そういう人たちが中山間地域の減反地域に住んでいくようにすれば、たとえ現金収入がわずかでもやっていけます。
1930年代のアメリカのニューディール政策は、公共事業で貯金を投資に回すというケインズ政策が功を奏したのですが、今は公共事業批判もあるので、環境保全という大義名分をたて、人々に土に親しみ、食物については少しでも自給ができる方法を考えてください。
これは生活の55年体制の打破という脈絡で申し上げています。
さて、首都が移るとなれば、まず第1段階として立方機関の国会が移る。最終的には行政機能が移りますが、候補地住民も国民も、巨大な霞が関組織の再来を望んでいません。新首都に移すべき国家機能は外交、安全保障、通貨調整など国家主権の行使にどうしても必要なものに限り、他の行政機能は地域に委譲する。新首都に東京と同じ機能を移せば、公共事業への反感をあおるだけです。小さな世界都市、人口10万から30万ぐらいの規模、政令都市の10分の1から3分の1ながら、主権国家としての日本の立場をしっかりそこで発揮する場です。
つぎに、地域に権限を委譲する際の地域単位についてです。現在、47都道府県が地域の一番大きな単位です。しかし、島根県や鳥取県には70万前後の県民しかいません。府県の格差が大き過ぎます。地域ブロックを考えざるを得ません。現在、国の出先機関は、北海道と沖縄を除き、東北、関東、中部、北陸、近畿、四国、中国、九州の8ブロックに分けられています。この8ブロックに国土交通省の地域整備局など国の出先機関を配していま
す。地方整備局には、かつての中央の霞が関の権限の3分の1ほどを委譲して、知事の陳情ができるようになっています。省庁再編後のわずか2年でここまでなさいました。おそらく間もなく3分の2ほどの権限がそこに委譲されるのではないか。各ブロックに仮に地方長官をおくなり、県知事連合の政治的意思を反映させるようにすると、これはブロックといわないで、「道州」になると思いますが、これには一考を要します。
東京都だけで国民所得500兆円のうち80〜90兆円を占めています。関東平野全体、首都圏で180兆円ぐらいです。北海道・東北で60〜70兆円です。近畿ブロックで90兆円。四国はわずか13兆円。中国は2倍強で26兆円。九州は大体日本の10分の1です。同じブロックでも、四国ブロックでは関東ブロックの10分の1以下です。8ブロックに分ければいいというあいまいなまま道州制になっても道州間の格差は大きい。分ければかえって地域の不満を起こしかねません。
分権によって日本人が元気になり、新しい国づくりだとわかる分け方を考えねばなりません。参考にすべきは、1998年3月に正式に策定された「21世紀の国土のグランドデザイン」です。旧来の1極1軸型から多極多軸型に大転換し、多軸型として北東国土軸、西日本国土軸、日本海国土軸、太平洋新国土軸の四つの国土軸を提言しています。西日本国土軸(これは東京より西という意味で昔の第一国土軸のことです)の工業地帯以外に、多自然地域として、森の豊かな北東日本。かつての表玄関の日本海の歴史と伝統を持った日本海地域。太平洋の黒潮にあらわれる海の日本。これら少なくとも四つの顔を持った日本の姿を提示しています。
その考え方を受け、かつ経済規模を勘案しますと、基準は首都圏です。首都圏で180兆円の規模を持っています。その経済規模はフランスなみです。イギリスよりも大きい。関東地域だけでいわばG7に入れる。東京は90兆円の規模があり、カナダ規模です。東京だけでも先進国の仲間入りができます。G7がG8、G9になるぐらいのパワーを持っております。これを一つの基準にすべきです。首都圏は日本で一番大きな関東平野に広がっています。関東武者がかつて騎馬で駆けめぐった関東平野、「平野の日本」です。それに対して西方は、九州、中国、四国、近畿は、かつて額田王が天智天皇(中大兄皇子)を送ったときに歌われたという「熟田津に船乗りせむと月待てば」、これは四国ですが、瀬戸内海は内海でした。瀬戸内海を囲む中国、四国、九州、近畿で180兆円に達し、「海の日本」。これもフランス規模を持つ。イギリスを抜くわけです。そして、鈴鹿の関から東は木曽は山の中です。中央アルプスがあり、北には北アルプスがあり、南には南アルプスがある。まさに「山の日本」です。ジャパンアルプスの世界があります。これはカナダの経済規模を持っています。
西日本=海の日本。フランスなみ。山の日本=カナダ規模の中央日本。そして、関東の平野の日本、フランスなみ。北は白河の関を抜ければ一山百文などと悪口を言われましたが、そこには白神山地のような原生林があり、北海道の原生林がある。まさに遠野物語や、縄文の遺跡などのイメージが今に生きている「森の日本」です。
「森の日本」「平野の日本」「山の日本」「海の日本」と、自然景観の一番大切な四つの要素にそれぞれ立脚し、カナダが二つ分、イギリスないしフランスに匹敵する国力をもつ日本が二つ分。それぞれがサミットに出ればG10になって、10のうち4、40%が日本で、非キリスト教圏が4割ということで、文明間の対話にも寄与する。それはともかくとして、分権を国づくりとして行うことが、分権本来の内容でなければなりません。
そのためには税体系を根本的に変えないといけません。現下の国税の所得税、法人税、酒税、たばこ税、消費税をそれぞれの地域で徴収し、各地域の人口・経済規模に応じて、国家の安全保障、軍事、外交に必要な資金を拠出する。地方交付税を撤廃し、逆の「中央交付税」にする。いわばEUの日本版です。EUはヨーロッパの大小の国々が主権を譲り合って大きくなる。日本は大きな日本を小さく分権化する。方向性は逆ですが、結果的には、EU本部・議会にしろ日本の新首都にしろ、政府の役割は小さい。しかしその存在は重要です。主権にかかわらない国土交通省、文部科学省、厚生労働賞、経済産業省、農水省などの権限も財源も4つの日本に委譲する。そうすれば、新首都と地域との関係も明瞭になります。
それは言いかえますと、「県」をなくすことです。県は中央政府の下請け的存在で、中二階のようなもので、これは長期的には不用です。現在は平成の市町村の合併で、市民生活や福祉に直接かかわることを効率的にする。政令指定都市も増えるようで、県の役割は確実に減少します。県より大きな単位としては、先の大きき四つほどの日本にまとめるのがふさわしいと思います。
中央政府として国民がいだく物的イメージは、国会議員が国政を論じる議事堂の姿です。
議事堂も、明治以降、日本が欧米を模してキャッチアップすることを象徴して石造り。江戸城や京都御所とはっきり区別できます。首都機能をになう建物は時代を反映しているのです。議事堂は全国の代表の集まる場です。日本は地球環境問題を率先して解決したいということで、京都議定書も批准しています、それらに鑑み、北海道から南は九州、沖縄に至るまで、各地の代表を選ぶ。代表として選ぶのは各地の森林です。各都道府県から巨木を100本拠出していただければ4,700本になります。丸太のままがよい。削ると加工費も高くなります。丸太は表情が豊かです。丸太を床柱のイメージで国会議事堂を4,700本の床柱で作れば、壮観です。「オラさ、林の中にいるみたいだ」という宮澤賢治的メルヘン的世界になるでしょう。例えば屋久島の千年杉が入るとすれば、伐採前の写真、樹齢、樹木名をきっちり書き、個体識別できるようにして永遠にこれを顕彰する。そのようにしますと議事堂は日本の自然の代表です。集まり散じ人はかわっても、議事堂は日本固有の自然の代表ということになれば、「森の議事堂」として非常に魅力的パワーが生まれる。丸太の床柱群からなる国会議事堂は二酸化炭素をそこで固定しているのだ、と世界に胸を張れます。
立方府を森の議事堂になさいますと、議事堂が日本の森を活用して建物をつくっているように、地元の産物を生かして町づくりしていくという機運が生まれるでしょう。新首都が那須になれば「ミニ那須」——ミニ那須はおかしいですな。「小那須」も何となく変な感じですね。「北都」としますと小北都、森の都でもいいと思いますが、その名で日本中に地元の自然資源を活用する機運がみなぎります。日本は、北は寒帯的、南は亜熱帯、すなわちさまざまな風土に応じた生き方が現出する。「家のつくりやうは夏をもってむねとすべし」と兼好法師が言いました。私は京都で生まれ東京で仕事をしてきましたが、多自然居住を実行し、今は標高1,000メートルの軽井沢に住んで5年目です。今朝は氷点下マイナス3度か4度で、冬が厳しいかわりに、夏は冷房費は要りません。
「家のつくりようは冬をもってむねとすべし」と兼好法師に抗議をしたい。そのように地域に応じた住まいようがある。そのことは、世界の寒帯地域、温帯地域、熱帯地域などさまざまな地域への自然との付き合い方の日本モデルとして発信できます。日本は島々からなる風土ですから、各地で家と庭の一体のガーデンをつくり、自然調和型の景観を育てれば「日本ガーデンアイランズ」といわれるでしょう。それは地球という水の惑星に浮かぶ外国へのメッセージになります。地球は表面積の7割が海ですから、陸地は全体から見ればわずか3割にすぎません。陸地は島なのです。地球を大小様々な島々からなる多島海と見立て、「日本ガーデンアイランズ構想は地球をガーデンアイランズにするという志です」と言えば、「ガーデンアイランズ日本」はビジョンの発信になる。日本は東洋文明、西洋文明、東西両洋の文明を入れ切って地球に発信する時代です。歴史と風土に根ざした新しいライフスタイル、日本固有の「家・庭」一体のガーデン重視の生活スタイルに変え、「生活の55年体制」を打破したホーム・スイート・ホームをつくることによって、ガーデンアイランズといわれる美しい国のたたずまいをつくることが、環境破壊に悩む地球社会へのモデル発信になります。
来日されたブッシュ大統領が今回、国会で「シビライゼーション・アンド・テロリズム・キャン・ノット・コーイクジスト」と言われた。文明とテロリズムは共存できないと。9月11日のテロのときにも、文明社会、文明世界、文明人に対する挑戦だと言われた。
アメリカ人のいう「文明」という言葉を聞きますと、極東軍事裁判でジョセフ・キーナンが日本を裁くときにも、「これは世界を破滅から救うための文明の挑戦である」ということで、日本を野蛮の名のもとに裁いたのを思いだします。日本は明治維新以降、文明開化で、福沢諭吉さんが『文明論之概略』を書いて日本をいかに一等の文明国にするかということに腐心し、文明の実をあげたにもかかわらず、我々はアメリカ文明の名において「野蛮」として裁かれました。
ともあれ「文明」が21世紀の重要なキーワードです。日本は世界に冠たる文明国たるべきですが、私どもは「文明の衝突」を避けねばならない。今回のテロリズムを「文明の衝突」の脈絡で議論する危険は重々承知しつつも、歴史的には、ヨーロッパとイスラーム世界、ないしイスラーム地域になった東方との関係は不可分です。そもそも、ヨーロッパの古代・中世・近世・近代の転換期をごらんになりますと、いずれにもオリエントが決定
的役割を果たしています。
ヨーロッパで歴史の父といわれるヘロドトスは、あの全9章の『歴史』という書物の最後の7、8、9章で書いているのはペルシア戦争です。ペルシアをアテネが敗ったところで物語を終えています。東方の勢力を退けて初めてヨーロッパはヨーロッパになった、それが古代の成立です。
しからば中世はといいますと、オリエント地域がイスラームになる。イスラームが地中海に進出し、ローマのクリスチャンの「われらの海」が「イスラームの海」になり、ヨーロッパ人の活動領域がアルプス以北に閉じ込められて中世封建社会に入った。中世ヨーロッパはイスラームの進出によってつくられた。『マホメットとシャルルマーニュ』という有名な書物で20世紀前半の最高の歴史家のピレンヌがそう言って、歴史家にとっては常識です。
20世紀後半の最高の歴史家といわれるフェルナン・ブローデルが『地中海』という本で、近世がどのようにしてでき上がったのかについて書き、日本語でも5巻本として(ペーパーバックで10巻本)訳されていますが、その最後に書いてあるのはレパントの戦いです。オスマントルコの帝国を退けてヨーロッパは大西洋世界に乗り出し、近世の幕が開けたとあります。
このように、ヨーロッパの古代、中世、近世の時代転換に必ずオリエントがかかわっている。ヨーロッパのアイデンティティの中に、ルネサンスは言うまでもありませんが、オリエントの成果が入っていることは間違いありません。西洋とイスラーム東洋とは「文明の衝突」「文明の対話」「文明の共存」とどのような局面になろうと、切っても切れない関係にあるということです。
それを踏まえた上で、我々は、ヨーロッパ人が意図的に歴史の舞台から消してきたイスラームの世界、自己のアイデンティティの中で影響を受けた相手を消してつくり上げてきたヨーロッパの世界史、すなわち西洋の歴史を学んできました。しかし、日本はイスラームの世界に発見されました。日露戦争に勝ったときです。西はオスマントルコからアフガニスタンに至るまで、シルクロード世界はみな喜んだのです。旧ソ連の支配下にあったイスラームの世界の人たちは狂喜した。ヨーロッパに勝てるという自信を与えた。これはイスラーム世界における日本発見であった。この発見も広義の「文明の衝突」の脈絡のうちにあります。
一方、日本におけるイスラーム世界の発見は100年かかりました。「アジア」という言葉はヨーロッパからの外来語です。それまで「唐」「天竺」「南蛮」という言葉しかなかった。「アジア」という言葉を最初に使った人は福沢諭吉は『脱亜論』を書き、「亜」アジアについては中国と朝鮮のことしか書いていません。30年ほどたち、有名な『東洋の理想』で岡倉天心が、ヒマラヤ山脈によって隔てられているけれども、儒教の共同主義を持つ中国と、個人主義のベーダを持つインドがある。ヒマラヤ山脈によって隔てられた地域として天竺ではなくインドという地理概念で言った。1900年前後に初めてインドというのが日本人のアジア認識の中に入ったのです。
中東の発見は大川周明まで待たねばなりません。東条英機をげんこつで殴ってきちがい扱いされたあの方が『回教概論』を書いています。そして、司馬遼太郎さんが『草原の記』を書く、あるいは『韃靼疾風録』をお書きになる。モンゴルの世界が広がる。井筒俊彦先生のような世界的なイスラーム学者が出てくる。我々は中東から石油を依存している。
こういうことが相まってイスラーム世界が日本人の意識に入るのです。20世紀になってイスラームにおける日本発見があり、同時に、日本におけるイスラーム世界の発見があり、それはシルクロード世界の発見でもありました。
シルクロード地域とのかかわりは、日本の外交の一つの大陸政策になりえます。従来、東西の連衡を考えるときには、アメリカかソビエトか、あるいはアメリカか中国か、アメリカか旧ロシアかEUかという大国重視主義です。けれども、これからは国際関係の時代で、国連は多数決主義です。シルクロード地域にたくさんの国々があり、その大半はイスラーム国です。こういう地域は、今回のアフガニスタン復興で大使館を置くことになったように、実は大使館がないのです。しかし日本人のNGOが活動している。アフガニスタン復興の国際会議で日本の外務省はNGOをいれざるをえなかった。これは民間外交ができるところまで日本人が国際化したことを物語っています。外務省に全面的に頼らなくて外交ができる。外務省の援助があればもっといいとは思います。ともあれ、シルクロードは好日的、日本人もシルクロードに夢を持つ。日中戦争も、中国周辺のウズベキスタン、チベットのほか、少数民族の多くがもうちょっとで日本は中国に勝ってくれたのにと思っているところがある。ともかく日本という国はそういう中国周辺にある小国、シルクロードの小国にとってありがたい国です。シルクロード外交が東西軸に考えるときには重要であります。
しからば南北軸においてはどうか。南北においては、日本は島国で、西太平洋の一角に位置をしめており、西太平洋を生かすのが課題です。日本はアメリカに追随しているかのごとくです。しかし長期的にみれば、アメリカと日本は、新興国として並行的に発展してきた国です。アメリカにピルグリム・ファーザーズが行った17世紀初め、『文明の衝突』を書いたハンチントンのご先祖があのピルグルム・ファーザーズの一人ですが、彼らが東部に入植し、それから西部開拓に乗り出す。同じ頃、日本は江戸に幕府を開き、利根川を整備し、荒川を定め、江戸を100万都市にした。それまで戦争に従事していた足軽という土木の達人を軍事力から民間力にかえ、アメリカが西部開拓をしていたときに日本は東部開拓に乗り出したわけです。
アメリカがようやくヨーロッパから自立し、独立宣言をし、19世紀になってモンロー宣言といういわゆる鎖国宣言をしたときに、日本も1800年に初めて「鎖国」という言葉を使ってもう中国から輸入するほどのものは何もない、どの国も日本に来てもらいたくないと、無二念打ち払い令(異国船排撃法)、すなわち文字どおり鎖国令を出す。同じ時期です。
アメリカは太平洋に捕鯨にやってきて、捕鯨船員のために水と食料を供給してほしいと頼みました。人道的見地から日本は和親条約を結び、こうしてアメリカは日本開国の先鞭をつけましたが、その直後、内乱になりました。南北戦争です。日本も開国後、内乱になりました。東西の内乱です。西南の雄藩と東国の徳川が戦争した。アメリカが南北を統一してどうしたかというと、イギリスを追いかけた。日本は東西を統一してどうしたかというと、イギリスを追いかけた。両国ともイギリスを追いかけてどちらが大英帝国に信任せられたでしょうか。日本です。
日英同盟は、イギリスがナポレオン戦争時に大陸から締め出されて栄光ある孤立をしながら大英帝国を形成しましたが、その孤立政策を捨てて最初に対等の関係を結んだのが日本でした。日本はイギリスと組んで第一次大戦の戦勝国になり、北太平洋のほとんどの地域の統治を国際連盟から委託され、日本は太平洋地域の島々に教育を施した。第二次世界大戦で負けて、太平洋地域はアメリカの国際連合からの信託統治領になりました。そうした太平洋地域の島々が20世紀末に独立して、アメリカの戦後の統治と日本の戦前の統治を比べています。アメリカは軍事基地として使うか、援助漬けにしただけです。日本は教育をほどこしたということで、日本評価は高いのです。いいかえると親日的です。太平洋地域への過去100年間におけるコミットメントでは、アメリカと日本は五分五分、ないし日本に有利です。
西太平洋地域の南にはオセアニアが広がっていますが、その中心オーストラリアの最大の輸出国が日本、輸入元はアメリカに次いで日本です。オーストラリアがいかに日本と深い関係をもちたいかはご承知のとおりです。そうしますと、そこに「西太平洋津々浦々連合」、つまり島々の海洋連合を構想できます。離島も重要という認識も出てきます。外海にあって、小さくて、どうしようもなく、振興の対象とみなされ、国土の保全とか、海洋資源の確保とか、環境の保全とかだけで荷物に思われてきた離島が、国連海洋法によって200海里が排他的経済水域になり、離島の存在感も変わってきています。離島振興法も来年3月で切れますが、そのときに、西太平洋津々浦々連合構想のもとに小さな島々を大事にする。東ティモールでもそうですが、太平洋の小さな島国にとってはオーストラリア人が煙たい存在です。しかし、日本人なら歓迎される。オーストラリアはインドネシアでは嫌われていますが、隣国ですからどうしても大事にせざるを得ない。インドネシアは親日的です。オーストラリアは日本と組めばやりやすい。南太平洋の諸国のベクトルは北の日本に向いています。日本のベクトルはアメリカからだんだん自立してNIES、ASEANなどの海洋アジア地域との関係が深まって南に向かっています。西太平洋津々浦々連合は日本がリーダーシップをとれる位置にいます。
東西の連衡はシルクロード外交、南北の合掌としての西太平洋津々浦々連合をつくっていくことが、日本外交の新しい形になると思います。
そういう弱小国の多い地域にはODAによる援助が入っており、日本の青年が働いています。その中で最も好まれた国が、JICAの元総裁藤田公郎さんがシニア海外ボランティアとして行っていらっしゃるサモアです。17万人の人口のうち4,000人が失業している国ですが、そこにいる日本人ボランティアは、青年協力隊よりもシニア・ボランティアの方が多い。なぜかと聞きますと、美しく、安全で、安心な地上の楽園だからだというのです。家と庭が広い。庭の手入れが文化になっているので、庭がとてもきれいです。その庭にタロ芋、バナナもあり、鶏や豚が遊んでいます。建ぺい率が極めて低く、すごく豊かに見えるのです。豚や鶏がいなければ、ほとんどヨーロッパの高級住宅街かと思うようなところです。みなが共同で生活しているので安全で、犯罪が少ない。失業者がいても食うに困りませんから、これはGDP(グロス・ドメスティック・プロダクト)ではなくてGDH(グロス・ドメスティック・ハピネス)です。つまりサモアには国破れても帰っていく庭がある。全部現金で物を買う生活のばからしさがかえってわかる。
そういう島々に日本の青年が青年海外協力隊として2年間援助活動、いや実態に即していえば現地を学ぶ勉強をしています。フィールドワークです。彼等は帰ってくると相当冷遇される。彼らは海外の任地に行く前の3カ月は集中的な現地語教育をうけ、任地では2年間に書く5回のレポートは修士論文に値する。彼らにはアメリカのMBAに匹敵するMEAを与えるべきではないか。アメリカはMBA(マスター・オブ・ビジネス・アドミニストレーション)経営学修士という、大学が金儲けをするの資格をつくりました。日本はMEA(マスター・オブ・エンバイロンメンタル・アドミニストレーション)環境学修士という修士号を差し上げるのがよいでしょう。ところが文科省が青年海外協力隊は外務省の管轄なので学位を差し上げない。明治以来、留学といえば欧米に留学することでしたが、今、日本の青年たちは、欧米とは違う海外に行ってみようと、青年海外協力隊の試験を通り、日本語や獣医の資格などの能力を生かして行っています。海外を見たいという国際性をもつと同時に、勉強をした子が行っています。その青年たちの年齢は平均27歳です。
日本では彼等をないがしろにしています。JICA総裁の修了証書を差し上げるだけでは余りにももったいない。そこでMEAという新しい学位をつくって差し上げる。
こういうことも含めて、日本は南北軸では小国の多い西太平洋に津々浦々連合、それから東西軸ではシルクロード外交を展開し、同時にそれに学問をからめていくことが、21世紀の日本の世界への新しい貢献になるのではないかと思います。
以上、政治システム、経済の構造改革、危機管理に関しましては、災害対応に強く、国政全般を改革し、東京の一極集中を打破するというこの三大目的を持った首都機能移転によって突破口が開けるということです。外交安全保障に関しては、離島振興を、陸地中心から海洋中心にパラダイムを変えることによって、西太平洋津々浦々連合の中に生かす。
シルクロード外交は、イスラームとの関係を媒介にして、ロシア、中国、さらにEUに対する牽制にもなる。国際連合の中での友邦をたくさんつくることにもなる。生活スタイル改革に関しましては、「生活の55年体制」を打破し、家と庭が一体の「家庭」を復活させ、それを緑の雇用事業とあわせてやっていく。これはサラリーマン小作の勧めでもあります。
県をなくし、日本を「森の日本」「平野の日本」「山の日本」「海の日本」という四つの日本として地域再生を国づくりとして推進する。
この国の「顔」はカレンシーに刷ってある福沢諭吉です。福沢諭吉は「一国独立の基礎は一身の独立にある」「一身独立の基礎は学問にある」と言った。学問立国の顔なのです。
明治期における学問は洋学でした。しかし、洋学の時代は終わったと思います。明治5年に学制ができ、漢学、国学を退けて洋学でやると決めて、洋学の知識の体系に応じた国のたたずまいを欧米風してきました。洋学を今、毎年300万の学生が学んでいます。17万人の先生がいます。日本人が日本語によってすべての学問を教えているのです。教科書がすべて母国語で書かれている。そんなところはめずらしい。アフリカに行っても、カリブ海に行っても、旧植民地宗主国の教科書を使っている。日本語の教科書が書かれるのは、洋学は入れ切った何よりの証左です。入れ切って日本は世界第2位の経済大国として西洋先進国サミットの唯一の非西洋圏メンバーです。貯蓄率も高い。個人資産もある。森林資源もある。農地はほうったらかされている。これからは、むしろフロンティアを外ではなく中に求めていこう。そのための学問、地域を興すための学問が真の日本の学問になる。
洋学を目的にするのではなく、それを手段として踏まえた新しい学問です。それを「地域学(ローカロジー)」といってもいいし、「地球学(グローバロジー)」といってもいい。両者をあわせた地球地域学(グローカロジー)を立てて、地球の中で自分の地域がどういう位置にあるかを勉強していく。そういう新しい学問が今必要です。文科省が教科書を検定するなど、国民をばかにするなと言いたいですね。幕末には4万5,000の寺子屋があり識字率は世界一でした。検定はありません。けれども、持っている知識は共通していました。ましてや今日においてです。検定なしで何を勉強するべきかを見分ける実力を国民は持っていると思います。そういう中で我々は、薄っぺらい教科書でルーチン化した学問をやる時代を卒業して、地域に立脚した生き生きとした学問をおこすべきときです。
例えば漁師の畠山重篤氏が『森は海の恋人』という自伝を書きました。森と海と川との関係をみずからの体験から一つ一つ確かめていって、豊饒な海を持つためには広葉樹を山の中に植えねばならないということを発見していった人生の旅の記録です。海・川・森の関係は、彼が生きている気仙沼地域だけではなくて、日本津々浦々、さらに世界じゅうに成り立つ基本的な知恵であり、知識であることに気づいていく学問ですね。これはグローカロジーの一例です。ヨーロッパが、みずから辺境の地域から自立していくときに、学問を興し、その学問にのっとった形で国をつくり、それを我々がまねて勉強したように、今度は我々自身がみずから学問を立てて、それを人々が学びに来る、そのような学問立国としての顔を——私は、慶応の福沢さんより、早稲田の大隈重信さんの方がいいと思うのです。東西文明の調和を言いましたから福沢さんより構えがはるかに大きい。ともかくライバルの慶応の福沢さんの顔を日本に刷っており、学問立国としての日本という姿は胸を張れるものです。
清貧論などという偽善は言わない。豊かな富を恥じる必要はありません。富をどう使うかが問題です。シビライズドウエイで使う清富論であるべし。もともと富国強兵も、ご承知のように、それを明確に論じた横井小楠は国是三論で「富国強兵士道」と士の道がはいっている。「士道」とは「シビライズドウエイ」です。士道というと侍のイメージがありますが、富士の「富」はプロスペラス、富士の「士」モラル・プリンシプルズといえば富国有徳の国ということができます。日本の富は文明国にふさわしい使い方をする、環境破壊や人命の殺傷というのは野蛮な使い方です。富国有徳の国づくりが日本の世界に対するアイデンティティになると思う次第でございます。(拍手)
http://web.archive.org/web/20080927221549/http://www.vectorinc.co.jp/kokkasenryaku/index2.html
Made in Japan.
世界中で、この刻印がある物は、安価、性能が良くて、安全のシンボルを汚して何を考えているのか?
こんなばかげた事をしているならば、誰も買わなくなって、国内産業は壊滅し、外貨が稼げなくなって、石油、食料が買えなくなって、もっと酷い事になる事が判っていないのか?
目先の票欲しさに・・・。こんな知事を選んでいる、静岡県民の民意もしれるわ。(何処もほぼ同じか?)
http://www.asyura2.com/11/genpatu12/msg/909.html#c5
関電の節電要請を拒否したくだりなんか、なぜ拒否したのかひとこと説明
せんとなあ。・・・・
まさかわざとやってんのかな?
http://www.asyura2.com/11/genpatu12/msg/908.html#c9
件数が増える = Fukushima Daiichiの影響
http://www.asyura2.com/11/genpatu12/msg/884.html#c30
静岡の茶関連膿家や痴事や私長らが、強気だった理由の一つは
「静岡茶」が 実は 静岡産で無いトコロの
各地からの輸入茶葉で成立っていて、「ブレンド」のあげく"静岡ブランド"
が出来ていたそうな。タカをくくっていたんだろうな。「ドーセ混ぜんだら出っこねぇずらぁ」と。
(マイナー産地は名前が通ってないんであまり売り出せず、泣く泣く静岡屁輸出死てたそーだ。浜岡原発を取り除けて茶畑にし、富士山削って畑にしても、出回ってる「静岡茶」総量には足らんだろう。)
おフランスで一千ベクレル超の汚染を晒け出して仕舞った以上は、政府の責任者も農林省の責任者もフランスのクーコーで日本人を代表死てハラキリお詫びショウでもやってくれ。「ニホンジンはなんてイサギいいんだ!」と語りグソになるだろーよ!
さて、どうなるか。
話しは違うけどメルトスルーしている燃料の本当の温度は
どうやって測っているんだろう?
メルトスルーしている場合の冷温停止ってどんな状態なのか?
http://www.asyura2.com/11/genpatu12/msg/912.html#c3
お前の水準に周りが合わせて ○
おバカちゃんに添削してあげました。
おたまじゃくしとは勾玉を意味するのです。
『勾玉に遭遇 またたま オタマジャクシ 式年遷宮 御敷地ご奉仕の最中でした』〔Spiritual Value From Japan〕
http://www.jp-spiritual.com/ise_cleaning1.htm
いよいよUFOが頻繁に日本に来始めたようです、目的地はヤサカノマガタマを持つ天皇縁の神社である伊勢神宮や明治神宮であり明治神宮周辺の渋谷・六本木や途上の新宿等で目撃されているようです。
彼は如何なる強敵が立ちはだかろうと絶対に約束通り何れ私たちの前に姿を現す、大和の神の実在と峻厳さ、立派な畏れ多い人となりは既に彼等に会った能力のあるミュータントじゃないと分からない。
「UFOか?」−ホテルタラサ志摩の従業員が撮影した1枚の写真が話題に〔伊勢志摩経済新聞〕
http://iseshima.keizai.biz/headline/711/
新宿の上空に現れたUFOの大群とそれらを報道する海外メディア 〔YouTube〕
http://www.youtube.com/watch?v=Wd1UOyDmAcA
『UFO −渋谷ではたらく自遊人ブログ−』 〔YouTube〕
既に来ていて脅威を及ぼすつもりならとっくにやっているのに、科学者ほか有名人を使って彼らは脅威であり戦おうというキャンペーンは、もっか大和の神と戦っているイルミナティー勢力が大和の神と戦わせようとする意図であり日本人は自分の神との戦いを強要されていく。
サイバー・モバイル王者孫キューピーちゃんのフリーエネルギーキャンペーンにも、ただイルミナティーはこれから最終核戦争を起こす所存で上層(白人達)は火星に移住するが孫キューピーちゃん在日他有色人種下層イルミナティーは勝手に地下施設でも作っていちかばちか生き延びなさいというその為の資金提供に日本人が国家的に巻き込まれて行く。
○関連
『日本におたまじゃくし(勾玉)が降るものなり/ヤマトの神の帰還告知(太陽から現れナチス・シリウス他同盟軍と交戦中)』そこちょっとつんつく〔阿修羅〕
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/689.html
▽参考
『八咫鏡(やたのかがみ)と神の御名(み名) -明治時代の文部大臣,森有礼が唱えた神鏡ヘブル文字説の謎に迫る-』〔疲れた心に強い翼を! -You are loved- あなたは愛されている〕
http://godpresencewithin.web.fc2.com/pages/zatsugaku/yatanokagami.html
『太陽周圍疑現上千UFO』〔YouTube〕
http://www.youtube.com/watch?v=70JORVtlRUM
『数珠連メテオによる世界諸都市大津波壊滅計画とアデン域の油田破壊秘密基地/バタリオン・ナチスNWO最終章』
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/151.html
『神秘的に生命体的変形をしながら飛ぶスペースシップたち〔動画〕/これが地球を訪れるUFOたちの実際の形状だ!!』〔阿修羅〕
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/108.html
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/694.html
もう、大量の被曝してるのは間違いないだろうに、また今後
もまだまだ福一は放射性物質出しまくるの確定なのに、
「なにを信じて…」って言ってる親は、もう人の親としてど
うかと思う。
今後10年の間に >>15 みたいな悲惨な状況が多発するので
しょうが、原発の影響かどうか関連はわかりませんって、
だれも責任はとらないのは確定でしょうから。
http://www.asyura2.com/11/genpatu12/msg/855.html#c40
いずれにせよ、福島いや東北地方から逃げ出すかどうかは、
個人の判断責任。
1年後、3年後、はたまた5年後、8年後にどうなっているかも
個人の結果責任。
これ以上何をいっても聞く耳を持たない頑迷なものには、
何をいっても無駄、言わないほうがよい。
http://www.asyura2.com/11/genpatu12/msg/855.html#c41
いまどきタイポの指摘に3行もつかって馬鹿を自慢する奴などいない。(一本)
09は「文章が流麗だ」といって私を褒めた。
14で「それほどでもありませんよ」といって私は謙遜しつつも
「これくらいはアドリブで即書しています」と少しエゴを含めた逆説的な回答をした。
お前は頭が悪いので、それがわからなかった。
これからもわからないので、投稿は控えたほうがお前のためだ。(また一本)
無論、次回は私本人から返信はないだろう。
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/285.html#c20
それに、広島・長崎・ビキニ以降、バンバン放射性核種がまき散らされて、その拡散曲線に沿って、世界中でガン患者が増え出した。・・ガンは死因のトップは当たり前・・・というのは、実は当たり前でもなんでもなかったという・・・手品のトリックの中で我々は暮らしている。すべてがトリッキーな、まるで精神病等のような、世界だ・・・。
個人ヒステリーは、若狭で原発できて以来、万年ヒステリーで、ヒステリー症候群という、難病指定されている・・・。ぼちぼち、そろそろ、周りにヒステリー患者が増えてきて、治ってきた・・・。難病指定されることだけには、気をつけたほうがいいぞ。・・・結果的に身を守れなくなる。
http://www.asyura2.com/11/genpatu12/msg/884.html#c31
これからもわからないだろうから、○
もっと日本語勉強しようね、おバカチャン
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/285.html#c21
この意見はこの板でも時々散見されるし、テレビでコメンテイターも言っていた
が反対です。
なぜなら、放射性物質が大量に浮遊している汚染水を循環させれば、次のような
取り返しのつかない悪影響があるだろう。
@汚染濃度が上がり、浄化しようとしてもますます手に負えなくなる
A放射性物質の浮遊物が配管類、バルブ、ポンプ内部に浸透し機器を損傷させ、
内部の摩耗を早める。また高い放射能それ自体機器類を劣化(もろく)させる
B原子炉建屋内外での作業環境の改善が進まない。内部の瓦礫処理、破損機器の
取り外し、新設備の設置等は、汚水処理と並び喫緊の作業だから
http://www.asyura2.com/11/genpatu12/msg/907.html#c12
たぶん書いてるやつは二十台のゆとりだと思います。
http://www.asyura2.com/11/genpatu12/msg/908.html#c10
東日本大震災の津波も到達したよ。 30cmだけどね。
津波も到達したって、洪水になったわけじゃないんでしょ。
http://www.asyura2.com/09/news8/msg/552.html#c1
日本/原発の大事故−記事発表:2011年6月17日金曜日−記事更新:2011年6月18日土曜日
福島:放射能汚染水の除染プラントに早くも問題
記者:RFI
福島原発内にある10万トンの放射能汚染水の除染は、急がなければならなかった。さもなくば、その水は海にあふれ出る。2011年6月17日夜、東京電力の責任者は、除染プラントが運転を始めたと発表した。全てが空になったとき、専門家が原子炉に入ることが可能となるだろう。しかし、6月18日、放射性セシウムの吸収装置のいくつかの部品を交換するために、プラントは早くも停止した。
これは汚染とのレースだ。放射能は至る所にあり、発電所は放射線が強く、原子炉1,2,3号機では、人が直接入り込むことがもはやできない。1,2,3号機は溶解の途上にあり、高濃度の放射性マグマとなって、格納容器からこぼれて床に広がっている。
さらに、大気や海への放射性物質の放出が重なり、発電所の外で海や大地を汚染させた。
そのため、今日、福島で重要な問題は、原子炉の冷却に使われ、もはや現場で貯蔵することができなくなっている、10万トンの放射能汚染水の処理だ。オリンピック・プール40杯に相当する水!
この水はすでに発電所を水浸しにしており、専門家たちはこの水が除染される可能性に期待をかけている。すでに海に放たれた1万トンの放射能汚染水が、これ以上増えることは避けねばならない。
フランスの原子力企業・アレヴァ社や米国・キュリオン社などの他企業が現地に入り、東京電力が水処理システムを開発するのを支援した。試運転の時に亀裂が生じた。東京電力の説明によれば、これは技術的な問題でなく、米国側の除染設備の管理に人的なミスがあった。
この除染プラントは、1時間に50トン、つまり、1日1200トンの廃液を処理する能力を持ち、これにより、放射能レベルが大幅に低下するに違いない。
現在でもなお、東京電力は発電所内で、1日500トンの冷却水を注入しなければならない。
発電所の水の除染プラントが金曜日の夜に運転を開始しなければ、3日後には、各施設でこの放射能汚染水全部を食い止めることができなくなり、海に流されることになるだろう。
専門家たちが大量の汚染水の処理に至ったとしても、今度は別の問題に取り組まなければならない。この水を処理した後に残る、放射性の汚泥をどう管理するかだ。
それでも、この除染手続は簡単にいかないだろう。6月18日、運転開始後わずか数時間で、このプラントは停止した。原因は、放射性セシウムの吸収装置の部品にあった。この部品を予想よりもかなり早目に交換する必要があると、東京電力(TEPCO)の責任者は明らかにした。
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(投稿者より)
フランスRFIサイトに掲載された記事です。誤訳があるかも知れません。ご容赦下さい。
柏崎刈羽原発には、類似施設があると聞きました。汚染水を中古タンカーに積んで、海上輸送することはできたのです。また、わざわざ米・仏からプラントを購入しなくても、より高品質な日本製のプラントがあったとも聞いています。それでも、どのようなシステムをどこから購入するかは、東電の企業判断です。
環境への汚染物質の放出は止め、汚染された食品の流通も止めていただければ、東電の電力を使っていない私から、何も言うことはありません。ただ、さらに望むなら、住民と作業員の方々の健康を確保し、ついでに他の原子炉も順次停止していただければ、同じ1人の人間としてうれしく思います。
ところで、アレヴァ社のロベルジョン社長が、今月末をもって解任されるそうです。欧州のエネルギー政策の転換の動きに、福島の事故が拍車をかけました。ドイツもイタリアもスイスも、もうアレヴァ社から原子炉を買うことはありません。やはり仏エネルギー大手のEDF(「フランス電力公社」という名前の上場企業です)と連合を組んで、アブダビに原発を輸出する計画は、昨年頓挫しています。同社が推進する次世代加圧水炉は、1基がざっと60億ユーロです。ロベルジョン社長は原発重視の運営路線を修正しようと試み、原発推進に固執する政府と対立したようです。私にはそのように読みとれましたので、話半分に読み流していただければ有り難いです。
(Anne Lauvergeon, la patronne d'Areva, remerciée: RFI)
http://www.rfi.fr/france/20110617-anne-lauvergeon-patronne-areva-remerciee
http://www.asyura2.com/11/genpatu12/msg/918.html
こういう状態では,もはや循環冷却など全く意味がない。汚染水を浄化することは必要だが,東電がそれを循環冷却に使おうとしている意図は理解不能。
それよりも急を要するのは,原発敷地周囲を囲むように,地中深く地下の不透水層にまで届く壁を作って,周囲の地下水の流れから敷地を切り離すことだと思う。
http://www.asyura2.com/11/genpatu12/msg/912.html#c5
政治家だから、度胸以外に発言出来る何かがあるはずで、それをを支えているのは、何だろうね。
亀井や小沢なような気がする。
亀井が菅の近くに居るのも、小沢とツーカーでやってる気がする。
http://www.asyura2.com/11/genpatu12/msg/908.html#c11
国内企業が放水の特殊車両を申し出ても何日もストップさせる
国内企業でも出来ることを大金出してアレバに頼む。
イラク戦争のあとだってそうだったじゃないですか。
アメリカを中心とする企業が復興のためと言って火事場泥棒のように
イラク関連の仕事を受注していった。
(自分で壊し、そして儲けたアメリカ)
日本だって戦時中は特定企業が特需で儲けたじゃないですか。
今、戦争中の日本は国内外からのかっこうのカモだと思います。
http://www.asyura2.com/11/genpatu12/msg/870.html#c59
汚染水浄化システムの運転計画が無ければ、タンカーで運ぶ等の対策が既にされていたかもしれない。
単に、どこかに、故意に時間稼ぎさせらて、作業を遅らせられているような気がします。
溢れる前に、汚染水浄化システムを使おうとするのか、違う方法を選ぶかが選択すると思うが、製造した側の話にのせられていたら、間に合わなくなり、被害は大きくなると思う。
東大の「御用」学者
これからは東大の先生(現役・引退を問わず)には「御用」という文言を必ず付けましょう。
こっちは物々交換で意地でも税金を払わない経済を作ってみせる。死ね。ユダ金。
短期的には消費がすぼむだけだ。効果が出なくともこっちはなにも痛くない。
買わなければいいだけ。
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/213.html#c13
09です.
読めばわかるかと思いますが,武田氏の主張の重要な問題点を指摘してるつもりです.
重箱の隅をつつくようなことをするのは本意ではなかったので”揚げ足を取るような”という表現をしましたが,内容は揚げ足取りではないでしょ.馬鹿にされる謂れはないですね.
寧ろあれを読んで「揚げ足取り」だと思われるならば,上っ面しか読めてない.もっと分かりやすく書かないとわかりませんか?読解力が足りんよ.
http://www.asyura2.com/11/genpatu12/msg/875.html#c15
相馬市で酪農業50代男性自殺「原発さえなければ…」
福島県相馬市で、酪農業の50代男性が首をつった状態で死亡していたことが14日、同市や捜査関係者への取材で分かった。男性は自殺とみられ、「原発さえなければ」と、福島第1原発事故への恨み言とみられる言葉を書き残していた。
市によると、男性の遺体は11日に、自宅近くの小屋の中で発見された。壁には「原発さえなければ。残った酪農家は原発に負けないで頑張ってください。仕事する気力をなくした」と記されていた。男性は原発事故後、妻の母国であるフィリピンに子ども2人とともにいったん避難したが、単身で相馬市に戻っていた。
男性が住む地区は、3月に牛の原乳が出荷制限を受けた(現在は解除)ため、男性は搾乳した分を廃棄していたという。飼育していた牛も処分していたとみられる。同市の立谷秀清市長は「当市において、原発関連の犠牲者が出たことは誠に残念。海外に渡った2人の子どもが心配です」とコメントしている。
3月末には、同県須賀川市の農家男性(64)が、野菜の出荷停止決定を悲観して自殺。また4月には、計画的避難区域となった同県飯舘村の102歳の男性が、避難を苦に自殺したとみられる。
警察庁のまとめでは、震災や原発事故との関連は不明だが、5月の福島県の自殺者数(速報値)は68人。前年同月の49人と比べて、19人増加している。
(コメント)
自殺の大元の原因は福島第一原発事故だろうが、その後の「放射能、怖い、怖い」の過剰な反応による風評被害の犠牲者といえるだろう。
このコメントに対していかなる罵声、批判を浴びようとも、この考えは変わらない。そして、阿修羅の過剰に不安を煽る投稿やコメントも風評被害を生み出す一因となっていると思料する。
大津市坂本の主婦松井直美さん(54)絞殺事件で、滋賀県警が作製した犯人逮捕への協力を求めるチラシに、朝日新聞社が取材で撮影し、県警に提供した佐々木靖雄容疑者(47)(殺人容疑で逮捕)の写真が使われていたことがわかった。
佐々木容疑者が13日朝、自宅からミニバイクで外出する際の後ろ姿の写真で、同じ構図の写真が同社の16日付滋賀版に掲載されていた。同社は自社で定めている「事件の取材と報道」で「取材結果を報道目的以外に使わない」としている。
朝日新聞広報部の話「取材で撮った写真を提供し、結果として、報道目的以外の使用となりました。現在、事実関係を調査中です」
http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/883.html
核爆弾の開発は戦争が終わってからも続けられ、アメリカは南太平洋のビキニ環礁で爆発実験を行い、1949年9月23日にはソビエトが、1952年10月3日にはイギリスがこれに加わり、フランス、中国と続く。こうした実験、特に、大気圏内の爆発実験では、放射性物質は成層圏にまで吹き上げられ、放射性降下物(ラジオアクティブ・ファールアウト)として全地球的な規模で降ってきた。
大気圏内の核爆発実験には3回のピークがある。その最初は1951年から54年で、63回、合計61メガトンの爆発が行われた。このうち1954年3月1日、南太平洋のビキニ環礁で行われたアメリカの水素爆弾実験は、我が国にとっては特別なものとなった。偶然その近くでマグロ漁をしていた第五福竜丸が濃厚な放射性降下物をかぶり、乗組員23名が放射線症や放射線火傷になったのである。しかも不幸なことにうち1名は死亡した。2回目のピークは56年から58年の169回、89メガトン、3回目は61年から62年の177回、257メガトンの爆発である(UN2000)。
1962年の8月、ようやく部分核実験停止条約が成立して米英ソ三国の大気圏内核実験は停止され、それを境に人工放射能レベルは急速に減少した。この減少傾向は1964年の中国の参入で一時鈍ったが、1981年以降は、地下核実験のみとなった。結局のところ、大気圏内核実験は合計543回、440メガトンの爆発であった(UN2000)。
1986年には、核実験とは別の原因で大量の(とはいえ核実験と比べれば微々たるものであるが)放射性物質が成層圏へ入った。4月26日にソ連のチェルノブイリ原子力発電所で事故が起き、放出された放射性物質は、大火災に伴って発生した上昇気流によって成層圏まで舞い上がったのである。
こうした放射性ファールアウトに関し、日本では大学や研究所の研究者が早くから測定を始め、ネットワークをつくって調査してきた。放射線医学総合研究所(放医研)もビキニ事件が直接の契機になって設立されたものである。
監視体制はチェルノブイリ以後さらに増強されたが、これに関わっている機関は、放医研、気象庁、気象研究所、高層気象台、水産庁、海上保安庁、防衛庁(現防衛省)技術研究本部、農業環境技術研究所、畜産試験場、家畜衛生試験場といった国立試験研究機関に加え、全国47都道府県の衛生研究所、公害研究所や日本分析センターであり、調査対象は空、陸、海の自然環境から食品、人体内の放射線・放射線核種にまで及ぶ。
ファールアウトは地上に落下し、あらゆるものに降りかかる。海に山に野に町に降り、土に蓄えられ、水に溶け、やがて農畜産物や水産物に移り、これを食べた人の体に入る。人体中では、例えばセシウム137なら、セシウムが摂取される速度と排泄される速度との関係で人体中のセシウム137の量は変化する。監視体制はこれらをそれぞれの段階でチェックしているのであるが、ざっと見ると、ファールアウトが最大になる時期があり、それから遅れて食品中のセシウム137濃度が最大になり、それからさらに遅れて体内量の最大値が出現する。
ここではファールアウトによる環境汚染の総括ともいうべき人体内の放射能量の変遷を見ることにする。
人類の被曝線量を考えた時、最も重要なファールアウトは、炭素14である。しかし炭素14は、宇宙線により絶え間なくつくられており、その量は毎年1500兆ベクレルにも及ぶ。そして、この自然の炭素14と核爆発由来の炭素14は、区別がつかない。またこの核種はベータ線しか出さないので、サンプルを採取しないと計測できないといったやっかいさがある。
2番目に重要なセシウム137は、天然には存在しない核種であるので、これを測定すればファールアウトの様子がつかめる。しかもこの核種はガンマ線を出すので、人体内にあっても直接検出できる可能性がある。3番目はストロンチウム90はであるが、これはガンマ線を出さないので、測定は多少面倒である。
体内からのガンマ線を検出する装置は、ヒューマンカウンタとかホールボディカウンタ、あるいは全身計測機などと呼ばれる。ただ、ホールボディカウンタにもいろいろあり、精密な測定をするには、宇宙線による測定を避けて、特殊な鉄でつくった室内で計測する必要がある。放射線医学総合研究所では鉄室内ホールボディカウンタでの測定を1963年から始め、現在も続けている。
そのうち健康な成人男性について測定した内山正史氏のデータを見ると、セシウム137体内量は1963年の測定開始時にはすでに上昇しており、引き続いて上昇を続けて1964年10月に最大値、約600ベクレルに達した。その後は時間の経過につれて急速に減少し、1968年末には約70ベクレルとなった。
1970年から体内量は微増傾向に転じ、1971年前半には、1968年初めのレベルに戻った。これは1967年から1970年まで中国が毎年行った3メガトン級の大気圏内の核実験によってセシウム137が補給されたためである。1971、72両年には大気圏内核実験が行われなかった。1973年には2.5メガトン、1976年には4メガトンの核実験が大気圏内で実施された。この期間、体内量は30−50ベクレルを維持している。
大気圏内核実験は1980年10月の中国の実験を最後に行われなくなった。それにつれて体内量も現象を続け、1986年2月には22ベクレルとなった。
チェルノブイリ事故の影響はホールボディカウンタの測定でも確認されている。その最初は1986年5月1日であった。事故発生は4月26日午前1時過ぎというから、放射能が日本に到着して人体内の量の増加として認められるまでに5日ほどかかっている。事故直前の2月に22ベクレルであった放医研の被験者群の平均体内量は、5月第4週には、30ベクレルに増加した。事故後の早い時期には、食品汚染のばらつきを反映しているのであろう。被験者間で体内量の差が大きい。しかし汚染が普遍的になるとその差は小さくなり、体内量も増加して、事故1年後の1987年5月には平均60ベクレルに達した。その後、体内量は変動しつつ減少傾向し、3年後には元に戻った(内山氏1989、1997)。
ファールアウトから人類が受ける放射線量はどのくらいか。この場合、現在までに浴びた線量だけでなく将来浴びることになる線量も含めて考えなければならない。これを線量預託という。将来というのをいつまでにするかによって話は変わるが、大気圏内核実験の始まりから数えて2200年までで実効線量預託は約1.3ミリシーベルト。未来永劫まで考えた場合は、3.5ミリシーベルトと計算されている。いずれにしても自然放射線1年分(2.4ミリシーベルト)と同じオーダーである(UN2000)。
3.5ミリシーベルトの中身を見ると、炭素14によるものが圧倒的に多くて2.5ミリシーベルト、次がセシウム137で0.46ミリシーベルト、3位がストロンチウム90の0.115ミリシーベルト、4位がジルコニウム95の0.084ミリシーベルトである(UN2000)。
参考URL
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110428/trd11042823060023-n1.htm
私も当初は、3月15日から3月末までは高濃度のキセノン133が原因の可能性がある
とは思いましたが、空気中の放射性物質の放射能濃度が低下した4月以降の鼻血は
偶然かとも思ってたのですが、東京新聞の福島県の子供の鼻血多発と花粉症かも
しれないと診断した医師の記事を紹介してた投稿を読んで放射性物質が付着した
花粉による花粉症が原因かもしれないと思い直しました。
福島第一原発事故は杉・ヒノキの花粉が大量飛散してた時期で花粉症のシーズン
でした。
杉は日本の固有種だとかでヒノキも日本と台湾の山岳地帯だけに自然分布
とかで杉・ヒノキの花粉症患者はほとんど日本人らしいです。
だから海外での放射線障害とは別の状況ですし、杉・ヒノキの花粉の時期が
終わった真夏に投下された広島・長崎の原爆とも状況が異なるので、一概に
原発事故による放射性物質と無関係と決め付ける事も非科学的です。
ここは東北地方の高山で今でも残存する杉・ヒノキの花粉採取するか
どこかの研究機関が保存してるかもしれない今年の花粉のサンプルの
放射線を測定すべきだと思います。
*****
6月1日付け『東京新聞』記事
http://img.asyura2.com/us/bigdata/up1/source/4837.jpg
> この親子の場合、震災後いったん埼玉県内に避難したが、3月下旬に郡山市
>に戻った。すると小学校一年の長女(6つ)が、4月上旬から三週間、鼻血が
>出続けた。このうち1週間は両方の鼻から大量に出血。耳鼻科で診察を受けた
>が、「花粉症では」と言われた。「花粉症なんて初めて言われたし、普段は滅
>多に鼻血を出さないんですけど…」と母親は言う。長男(2つ)も4月下旬か
>ら5月に鼻血を出し続けた。
私の別・投稿記事参照
[ もしかして、子供の重症鼻血は「放射能花粉症」では? ]
http://www.asyura2.com/11/genpatu12/msg/905.html
http://www.asyura2.com/11/genpatu12/msg/916.html#c8
これら事故被曝のうち、REAC/TSが「有意な被曝」としているのは、次のどれかの基準を満たしているものである。
(1)骨髄、生殖腺をはじめとする全身に250ミリシーベルトを超える照射を受けた場合
(2)全身または手足の皮膚に6000ミリシーベルトを超える照射を受けた
場合
(3)外部照射に限るが、骨髄あるいは生殖腺以外の組織・臓器に750ミリシーベルトを超える照射を受けた場合
(4)米国放射線防護測定委員会が規定している最大臓器負荷線量の半分を超える体内沈着がある場合
(5)治療目的で放射性物質を投与したり放射線を照射するのに誤って行い、この誤った投与ないし照射によって上記のいずれか、あるいはいくつかの条件の組み合わさった状態がもたらされた場合
ただしここでいう有意な被曝は必ずしも深刻な医学的影響を意味しているのではない。例えば、骨髄、生殖腺をはじめとする全身に250ミリシーベルトの照射を受けたとしても、その程度の線量では、臨床症状は出ない。
キチガイ沙汰とはまさにこのこと
http://www.asyura2.com/11/genpatu12/msg/913.html#c7
LD50/60という専門用語がある。放射線を被曝した人たちのうち半分(50%)が60日以内に死亡する線量(lethal dose)で、半数致死量ともいう。半数致死量は被曝後にどういう医療を受けたかによって大分変わる。治療は全く受けられなかった広島・長崎では3.0グレイくらい、低く言う人は2.0グレイくらいと見積もられていたが、チェルノブイリでは、2.0ー3.5グレイの被曝なら助かっていて、半数致死量は6グレイ以上であったとされている。
放射線症の重症度はおよそのところ被曝線量で決まる。IAEAは被曝線量による実用的な分類を示している。1グレイ以下では異常はない。もしあったとしても問題にするほどではないとし、1グレイを超え2グレイ未満の放射線症を軽症、2-4グレイを中等症、4-6グレイを重症、6-8グレイを非常に重症、8グレイ以上を致死的としている。
1グレイを超え2グレイ未満は、白血球(好中球)が被曝後10日くらいまでに約10分の1に、さらに1ヵ月半後には100分の1くらいになることがあるが2カ月くらいで回復する。1カ月間外来で観察、となっている。
中等症以上はいずれも無菌室へ入院して専門的な治療が必要になるが、ここではその内容にには触れない。
*被曝線量と急性放射線量
被曝線量:0.1-1グレイ
前駆症状:嘔吐:なし、下痢:なし、頭痛:なし、意識:正常、体温:正常
リンパ球数(1):1.5-2.5G/L(2)
重症度:臨床以前
医学的対応:(-)
急性症状出現:(-)
主要症状:(-)
致死率:(-)
死亡時期:(-)
被曝線量:1-2グレイ
前駆症状:嘔吐:2時間以降、下痢:なし、頭痛:軽微、意識:正常、体温:正常
リンパ球数(1):0.8-1.5G/L(2)
重症度:軽症
医学的対応:外来で1カ月観察
急性症状出現:30日以後
主要症状:倦怠、疲労
致死率:(-)
死亡時期:(-)
被曝線量:2-4グレイ
前駆症状:嘔吐:1-2時間後、下痢:なし、頭痛:軽、意識:正常、体温:1-3時間後微熱
リンパ球数(1):0.5-0.8G/L(2)
重症度:中等症
医学的対応:総合病院入院
急性症状出現:18-28日
主要症状:発熱、感染、出血、衰弱、脱毛
致死率:0-50%
死亡時期:6-8週間後
被曝線量:4-6グレイ
前駆症状:嘔吐:1時間以内、下痢:軽3-8時間後、頭痛:中4-24時間後、意識:正常、体温:1-2時間後発熱
リンパ球数(1):0.3-0.5G/L(2)
重症度:重症
医学的対応:専門病院入院
急性症状出現:8-18日
主要症状:高熱、感染、出血、脱毛
致死率:20-70%
死亡時期:4-8週間後
被曝線量:6-8グレイ
前駆症状:嘔吐:30分以内、下痢:重1-3時間後、頭痛:重3-4時間後、意識:障害あることも、体温:1時間以内に高熱
リンパ球数(1):0.1-0.3G/L(2)
重症度:非常に重症
医学的対応:専門病院入院
急性症状出現:7日以内
主要症状:高熱、下痢、嘔吐、めまい・見当識喪失、血圧低下、
致死率:50-100%
死亡時期:1-2週間後
被曝線量:8グレイ以上
前駆症状:嘔吐:10分以内、下痢:重1時間以内、頭痛:重1-2時間後、意識:意識喪失、体温:1時間以内に高熱
リンパ球数(1):0.0-0.1G/L(2)
重症度:致死的
医学的対応:姑息的治療
急性症状出現:3日以内
主要症状:高熱、下痢、意識喪失
致死率:100%
死亡時期:1-2週間
(1)被曝後6日の値
(2)G/L:1リットルあたり10億個(1mm立方メートルあたり1000個)
所で、実際には関東地方もかなり汚染されているのでは。宮城県も同様でしょう。
福島県民はある程度気を付けているが、無防備な関東地方の人の方が、被曝の影響が早く出るかも。
http://www.asyura2.com/11/genpatu12/msg/917.html#c1
小出氏のように、大人として、冷徹に危険性を指摘して来た、ぶれない学者があることが、一つの救いの様に感じる。だが、その数が少ない。。。
福島から、どんどん汚染が広がっている。
01などの様な、怒りの矛先は、どんな関係者に向かうべきなのだろうか?
汚染されてしまっている(福島産は論外だが、もう関東どころではない。静岡茶にも、セシウムが基準値を二倍超えた検出だとフランス政府が発表した)食品に選択する権利があるのは大人である。食べ物一つでも、選ぶのは大人の判断なのだと、小出氏は言うのである。
01などの様な、責任転嫁な意見は、個人的な問題だけではない。
ずるい、狡猾な御用学者や、日本全国の原発推進派は、知事も含めて、3月でも半年でも、福島にて公務をしてもらいたい。東京の霞ヶ関の官僚にも、ある程度上級職は全員が現地に住んで、日本の舵取りをしたらどうか?と思う。
つまり、大本営を移転してみたら、本当に有効な手段が選択されるかもしれない。それは、夢だろうか?彼らに意見を求められれば小出氏も赴くだろう。
[次の悲劇を防がないといけない ]というテーマについて、解決策と思えば、これが浮かぶのだ。これは、小出氏に限らず、他の良心的な学者も、一般人にも、分かり易い対応策ではないだろうか。。。
小出氏に、反論する場合には、その解決策を出せといいたい。。。
http://www.asyura2.com/11/genpatu12/msg/808.html#c92
「前駆症状がいつどの程度に起こるか」を観察して線量を推定し、やがて現れてくる放射線症の重症度を予測する方法は、チェルノブイリの事故の経験で大分形が整った。
注目すべき前駆症状は嘔吐、下痢、頭痛、意識の程度、体温の五つ。
このうち嘔吐は、1−2グレイで2時間以降に、2−4グレイで1−2時間の間に、4−6グレイで1時間以内に、6−8グレイで30分以内に、8グレイ以上では10分以内にある。
下痢は、4−6グレイから起こりはじめ、6−8グレイでは重度のものが1−3時間の間に1割以上の人に、8グレイ以上では全員に見られる。
頭痛は、4グレイ以下でも軽いものが見られることがあるが、4−6グレイでは中程度のものが4−24時間の間に、6−8グレイでは重度のものが3−4時間の間に大部分の人に、8グレイ以上では重度のものが1−2時間の間に大部分の人で起きる。
意識は、6−8グレイでも多少影響されることがあり、8グレイ以上では意識を喪失することもある。体温は、2−4グレイで1−3時間の間に微熱が出る。4−6グレイでは、1−2時間の間に発熱する。6グレイ以上では、1時間以内に高熱を出す。前駆症状とされるこれらの症状は、事故時には被曝しない人でも精神神経反応としてしばしば起こるので、本人や現場が混乱することもあるが、この二つは血液検査、環境の線量測定ではっきり区別できる。
実例をあげると、1999年9月30日に起きた東海村ウラン加工工場臨界事故で、3名の被爆者を受け入れた放射線医学総合研究所では次のような推定をしている。「O氏は、被爆当日の38.5度の高熱により6グレイ当量以上の被曝が、10分以内の嘔吐、1時間以内の下痢、意識喪失などから8グレイ当量以上の被曝が推定される。一方、S氏は、被爆当日の38.5度の高熱により6グレイ当量以上の被曝が、1時間前後の嘔吐、下痢なしより4−6グレイ当量の被曝が疑われた。Y氏は、ヘリコプター搬送中に軽度の吐き気を覚えたほかは前駆症状らしきものが無いことにより、4グレイ当量以下の被曝と考えられた」
注:尚、ここに出てきたグレイ当量という単位は、中世線をガンマ線に換算して全体をガンマ線とするとグレイと同等という意味である。
もう少し後になれば、血液成分の減少カーブからの線量推定も、染色体分析による線量推定も、あるいは種々な物理的な線量推定も結果が出てくるわけであるが、事故初期のこの情報は患者をどの病院へ送るかのなどの判断に非常に役に立つ。
脱毛は被曝線量が約3-4グレイを超えるあたりから起き、その時期は線量に関係なく、事故後およそ2-3週間である。7グレイまでの線量では、毛髪はやがてまた生えてくるが、これを超えると脱毛は永続的となる。
中程度の被曝では、事故の2-3時間以内に紅斑が生じ、ほんの数時間続いて消える。これは一過性紅斑と呼ばれ、照射を受けた上皮細胞がヒスタミン様物質を放出するために起こる毛細血管の拡張によるものである。その2-4週間後に、もっと濃く、もっと長時間続く紅斑の繰り返しが1回から数回現れ、これは固定紅斑と呼ばれる。
スウェーデンのストランドキスト(1944)の研究によると、1回照射に換算して、紅斑がでるのが10グレイ、湿性落屑20グレイ、壊死30グレイである。もっともこうした線量は、体の場所によって、またどのくらいの面積が照射されたかでも違う。ストランドキストの数字は顔面や頭皮に生じた皮膚がんを300例近く治療した際に得られたデータを整理したもので、照射された面積は30−50平方センチメートルくらいが多いようである。
火傷自体のひどさと、その人全体として見た重症度は分けて考える。重症度は受傷面積と火傷の深さなどが関係するが、このあたりの話は普通の火傷と変わらない。なお、チェルノブイリのようにベータ線が中心の火傷の場合はX線・ガンマ線より皮下組織の障害が大きく、東海村ウラン加工工場臨界事故のように中性子成分が多い時には皮下脂肪に対する障害が大きい。これはそれぞれの放射線の体内での吸収のされ方を考えると当然である。
これまで意識して放射線障害という語を避け、放射線傷害を用いてきた。それには次のような理由がある。
放射線を浴びた人に出る影響は、どこに浴びたか、どのくらい浴びたか等々により、重大さも、症状も、出現時期も、千変万化であるが、いくつかの分類法がある。
放射線を浴びた人が自分の将来の健康を考えたり、被曝者に対処する際に便利なものとして時間経過による分類がある。この分類では被曝後割合早く出る早期影響と数年あるいはさらに後に出る晩発影響に二大別する。晩発影響としては、白内障とがん(白血病を含む)の二つだけを考えておけばよい。これ以外は全部早期影響である。
放射線障害の分類にはもう一つ別な観点からのものがある。それは放射線管理に関連したもので、国際放射線防護委員会(ICRP)は、「ちょっとでも浴びれば浴びた量に比例して害がある」という仮定が当てはめられるものを確率的影響、それとは対照的に「ある程度以上浴びなければ出ない」ものを確定的影響と称して、放射線の健康への影響を二つに区別している。
放射線の影響というと、ありとあらゆる「病気」が無闇やたらに降りかかってきそうな感じがするが、この分類でいう確率的影響に入るのは遺伝影響とがん(白血病を含む)だけである。ほかにも考えられる、放射線で起こりそうな病気や症状は全部確定的影響に分類されている。放射線症や放射線火傷のほか、白内障になる、不妊症になる、また最も心配されている胎児でいえば、奇形児になる、精神発達遅れになる、などはどれも確定的影響である。
放射線の「線量」も、確定的影響を考える時と、確率的影響を議論する時は、同じものを使ってはうまくいかない。確定的影響を論じる場合は、問題になっている身体各部位の吸収線量(その部位が浴びる線量)を用いる。また、確率的影響を論ずる場合は、ICRPが1990年にそれを目的にして定義した実効線量を用いる。単位は、吸収線量の場合はグレイ(㏉)か、その1000分の1を表すミリグレイ。実効線量の場合はシーベルト(㏜)か、その1000分の1を表すミリシーベルトを使う。
ICRPがせっかく数字をあげて、しきい値は何々では0.5グレイですとか、何々では0.1グレイですといっても、多くの人はうまく利用できない。事故の時に発表される線量は実効線量ミリシーベルトだけで、後は天下り的に心配ないというコメントがつくだけだからある。これでは、せっかくの情報も宝のもち腐れ。心配ないかどうか、自分で判断できない。
その場合、次のようにすると自分なりに判断できる。ミリシーベルトで発表された数字をそのままミリグレイと読み替え、後は位取りに注意してしきい値より大きいかどうか判断すればよい(こうすると100ミリシーベルトは100ミリグレイ=0.1グレイになる)。
こうした換算で間違いがないのは、次の二つの理由からである。
X線・ガンマ線だけの被曝の場合ー実効線量はもともと吸収線量から計算で出すもので、全身に均等に1グレイ浴びた時、1シーベルトになるように決めてある。事故に巻き込まれた一般人の被曝は、ふつう均等被曝と考えてよいから100ミリシーベルトは100ミリグレイになる。そうでない場合も、胎児が皮膚など体の他の部分より特にたくさん浴びることは考えにくいから、100ミリシーベルトの時でも胎児の線量は0.1グレイを超えないはずである。
中性子線を浴びた場合ーこの場合も全身均等被曝か体の一部分の被曝かという問題があるが、それはX線・ガンマ線と同じである。中性子線で違うのは、実効線量を出す時、もう一つ放射線荷重係数というのを掛けてあることである。放射線荷重係数は確率的影響を評価するためのRBE(問題にしている影響の種類によって違う)に較べ、かなり大きい。つまり、実効線量の数字は、確定的影響を議論するには大きめのRBEが掛け算された形になっているのである。だから中性子線で100ミリシーベルトの場合も、確定的影響から見ればX線・ガンマ線の100ミリグレイ以下と考えてよい。
確定的影響には、次の二つの特徴がある。(1)被曝量がある値(しきい値)を超えて初めて影響が出始める。逆に言えばこの値を超えなければその種の影響は出ない。(2)しきい値を超えた場合、被曝量が増えれば増えるほどその影響の程度はひどくなる(放射線症や放射線火傷の例を思い出してください)。なお「しきい値」というのは、閾値(いきち)と言ったり、英語を使ってthresholdと言ったりもするが、これは部屋の区切りのあの「敷居」からきた言葉で、安全と危険を分ける境界の線量という意味である。考えてみれば、私たちが普通に傷害と呼んでいるものは、みんな確定的影響の性質をもっている。だから、確定的影響だけを論じた場合、ことさらに「放射線傷害」という言葉を使った。
確定的影響のしきい値について、ICRPがあげているのは次のような数字である。
身体の大部分の部位は、放射線を1回に浴びた場合で、数グレイ。毎年毎年放射線を浴び続ける場合で、1年当たり0.5グレイ。大人でしきい値が低い部位は、生殖腺、眼の水晶体、骨髄の三つ。中でも低いのは男性生殖腺で、一時的に不妊になるかどうかでみたその値は、0.15グレイである。
胎児は大人より放射線に弱いことが知られているが、その代表とされる奇形のしきい値は0.1グレイである。
結論としては、胎児も含め、0.1グレイ(100ミリグレイ)までの放射線なら確定的影響は心配しなくてよいと言える。
確定的影響のしきい値(国際放射線防護委員会1990年勧告)
大部分の組織:1回照射される場合:数グレイ
大部分の組織:何年間も放射線を受ける場合:年当たり約0.5グレイ
生殖腺:一時的不妊(男性):1回照射で0.15グレイ
生殖腺:永久不妊(女性):急性照射で約2.5-6グレイ
眼の水晶体:水晶体混濁(中性子線の場合はこの1/2ないし1/3):急性照射で約2-10グレイ
骨髄:造血機能低下:骨髄全体の急性照射で約0.5グレイ
注:ICRPが水晶体混濁(中性子線の場合は1/2ないし1/3)と書いているのは、水晶体混濁を指標とした時中性子線のRBEを2から3に見積もるということである。中性子線の放射線荷重係数はエネルギーによって違うが、5から20になっているから、この差は大分大きい。
子宮内被曝時の確定的影響のしきい値(国際放射線防護委員会1990年勧告)
2週以内(胚死):0.1グレイ
7週以内(奇形):0.1グレイ
8−15週以内(精神発達遅れ):0.1-0.2グレイ
国家戦略本部第17回 平成14年4月24日
「日本が担う文明創造」(1)
講師 正村 公宏(専修大学講師)
http://web.archive.org/web/20080927221549/http://www.vectorinc.co.jp/kokkasenryaku/index2.html
生年月日
1931年
現在
専修大学名誉教授
略歴
東京大学経済学部卒業
専修大学経済学部教授
国民生活審議会委員ほか多数の政府審議会委員を歴任
著書
改革とは何か(ちくま新書)
地球市民の経済学(日本放送出版協会)
成熟社会への選択
■正村 公宏講師
講師日本の今日の経済危機、更には社会の様相が大変危うくなってきております。こういう危機の時代には即席の対応策を探して駆けずり回るというのは泥沼にはまるということをしっかり考えないといけないと思います。言ってみれば、堤防の決壊をくい止めるための応急措置はやらないわけにいかないと思います。しかしながら、こういう時期にこそインスタントラーメンのような即席のハウツー探しやめて、少しまじめに、この危機の本質は何か、源は何なのか、なぜこうなったのか、WhatとかWhyを問う必要がある。現代文明はハウツー文化をはやらせてしまう病気があります。これと闘わないと学問も政治も健全性を取り戻せないと私は思っているのであります。
この危機の本質は何なのか、何に由来するのか、どこで誰がどう間違えたのかということをしっかり考えることが必要だと思います。「過去のことを言っても始まらないよ」というのは間違いであります。過去についての的確な判断、評価、認識ということができないでどうして未来の設計ができるか。「設計」というのはあまりいい言葉ではありませんが、未来についての展望を切り開くことができるのか。過去を正しく締めくくることができない人間に、あるいは過去のいろいろな時点におけるいろいろな主体の誤りについて残念ながら率直に言わなければならないとしたら、そのことを率直に言うという勇気をもつことができないで、どうして責任のある未来についての展望を語ることができるのか、というのが私の近年の思いであります。
総合的、長期的な国家のあり方、針路を考えるときには、回り道のようでも歴史をしっかりとらえ直すということが必要だろうと思っております。来年2003年は、ペリーが最初に浦賀にやってきた年からちょうど150年になります。私たちはこの150年の日本の近現代の歴史全体についての理解をもう一度しっかりともつことが必要ではないか。そのことがはっきりしないから絶えず近隣諸国といろいろな形の摩擦があります。150年の近現代の日本の歴史における光と影の両面をしっかり締めくくるといいましょうか、見直すということが必要であります。
歴史は「もしも」を問わなければいけない。特に近現代の歴史については「もしも」ということを問わないといけない。誰がどこで間違えたのか、あのときこういう路線を選ばないで、こういう路線を選んだらどうなったのかという推理をする楽しさを歴史を学ぶ子供たちにも教えないといけない。
歴史は必然的なものではありません。主体がかかわっているわけであります。ある時点における国家の戦略を読み間違えた、選び間違えた、指導者たちが選び間違えたためにとんでもないことになったという事実が過去にあるのであれば、そのことを子供たちに教えなければいけません。
そして、もしそのときに主体の選択が大きな誤りがなければ(小さな誤りは避けることができませんけれども)、あるいは別の戦略をしっかりと状況を認識して選択したならば、歴史はどう変わり得たのかということを子供たちに考えさせる。こういう歴史教育をやらなければいけないのに日本ではやっていないと思うのです。
「悪うございました」と言って過去については近隣諸国に頭を下げればいいわけではないんですね。それは主体性のない対応でありまして、歴史についてはやはり過去の主体の責任を問いながら厳しい状況の中で別の道はあり得なかったのか、ということを問い詰めるという姿勢が歴史を学ぶことであると同時に、未来に対する自分たちの責任を考えるということでもある。今日のような日本の社会と経済が大きな困難に直面している時代には、回り道のようでも歴史をもう一度考えるという空気をつくることはどうしても必要ではないかと思っております。
150年の歴史を振り返ってつくづく思いますのは、もちろん日本の指導者たちは国民の空気からまったく独立であったわけではないのですけれども、直接には指導者たちが世界の情勢を読み損なったということが非常に大きな災いをもたらした。紛れもなく、とてつもない大戦争を誘発したことは事実でありまして、やむを得なかったのだというふうに私は思いません。どこかで世界の動きを読み間違えたんですね。
あえて乱暴な言い方をしますけれども、19世紀は帝国主義の時代でありました。しかし、20世紀は帝国主義に対する反対の動きが無視できない力を持つようになった時代であったわけであります。列強の動きを見ましてもイギリスの国家戦略とアメリカの国家戦略は明らかに違っていた。少なくともある時期以後は違っていたわけであります。植民地主義に対する考え方が違っていたわけですね。日本は中国を敵に回し、泥沼にはまり、最後にアメリカを敵に回し大戦争をやって大敗北をした。その過程で当時のリーダーは、ごく少数をのぞき、そうした世界史の大きな変化を読み取れなかった。敵にしてはならないものを敵に回して無謀な戦争をやった。
その過程を見ますと、誤った戦術によって困難な状況をつくり出し、その困難な状況を打開しようと思って更に誤った戦術を選択する。地球規模の状況分析をやり直して国家戦略を建て直すということをやらなかった。やろうとした人がいたけれども、それは在野のごく少数の人であった。また、元勲とか元老とか言われるような指導者の人たちも薄々感じてはいたけれども、そういう立場から国家戦略を正面から問題にしようとはなさらなかった。暴力で威嚇されて非常に難しい状態だったかもしれないんですけれども。
しかしながら、急進的なことを言っていた人たちも、とんでもない方向に日本の国家を引っ張っていくことで危機を打開しようとしたんですね。このことを学びとる必要がある。状況は今ともちろん違いますが、私たち日本人は世界の動きを読まないといけない。
この危機の10年、バブル崩壊後の経済をめぐる議論に限定いたしましても、議論がものすごく内向きになっていると思います。世界を自分で読む。そういうことをあらためてやらないといけない。たまたま21世紀の初頭に立っている今、20世紀はどういう時代であったのか、21世紀はどういう時代になるのか、あるいはどういう時代にしないといけないのかということを考えるべきだと思います。
いま危機の状態にあるとは言っても、紛れもなく我が国は経済的には大国であるわけです。大量の資源を消費し、大量の環境負荷物質を排出している国民であるわけですから、地球に責任を負わないといけないと思います。そのことを私は強調したい。「国家戦略」ということをご議論になるのであれば、地球規模の状況判断、文明史的な認識、文明史的な転換の必要性と可能性についてご議論いただくということをぜひお願いしたいと思います。
相当前から私は、「20世紀型の文明を延長することは人類の自滅につながる」ということを繰り返し述べてきた人間であります。
考えてみれば当たり前のことを言っているにすぎないということも思うんですけれども、当たり前のことを声を大にして言わなければならない時期というのがある。これだけ資源浪費的で環境破壊的な20世紀型の文明は延長できない。よく言われます言葉を借りれば持続可能性がないということはますます明らかになっています。
今年の冬、「暖かくて過ごしやすかったですね」という電子メールをある方からいただいた。それに対するご返事を差し上げた。「個人としては過ごしやすかったですけれども、これは大変なことが起こっているのではないかということを私たちに懸念させるものがあります。」と。地球の温暖化というのは、一本調子でいくわけではありません。夏はものすごく寒くなるかもしれませんし、あるところは日照りで、あるところは豪雨だったりする。あるいは竜巻、台風のエネルギーが大きくなり、数は少ないけど、やってくると思いがけずものすごく雨が降るとか、そういう形で変化が進む。2100年に地球の温度が1度上がるとか2度上がるという議論が先行してしまうために、先の話だと思ってしまうんですけれども、地球の温暖化が進むことによって気象異変が起こり、そのことが思いがけず大規模な食糧危機を地球規模で発生させる可能性だってあるわけであります。私たちは軽く考えすぎていると思います。
日常に追われて、超長期のことは目の中に入ってこない。一般の国民が日常のことに追われているのは仕方がないのですけれども、国家を指導する責任を負っていらっしゃる皆さん方が、「日常のことに振り回されて超長期のことを考える暇がないよ」と言っていたら、過去と同じになると思いますね。そういうことをいま考えないといけない。
環境が破壊されているだけではありません。人間の再生産が危うくなっている。日本だけではないと思います。先進社会共通に犯罪が非常に大きくなり、家族の形が崩れてしまい、いろいろな形で、リプロダクティブ・パワーと言っておきますが、再生産力が破壊されている。いわゆる環境ホルモンという化学物質による生殖力の破壊は深刻な事態を生み出す可能性があります。確認することはなかなか難しいですけれども、専門家によれば男子の精子の数が確実に統計的に減っていることが確認されている。
そういう問題について私たちは不確実であるとか、まだ十分に証明されていないからといって目をつぶってしまうわけにいかない。本当にそれが表面化したら取りかえしがつかなくなる危険があるわけですから。リプロダクティブ・パワーというふうに言いましたが、生物学では「生殖力」というふうに言うのでしょうけれども、経済学者である私は「再生産力」という言葉を使っております。数が減っているということは、ご存じのとおりです。日本の場合、特にそうですけれども、先進国共通にその傾向がありますね。10年、20年のスパンで考えたら激減と言っても言い過ぎではないぐらいに減っていますね。それだけではない。質の再生産に失敗しつつある。
日本の場合、現実に子供たちの育ち方がおかしくなってしまって、少数ではありますが、犯罪に走る子供が0.5%から1%に増えただけでも、兆候としては深刻だと思います。
そういう、質的な面での人間のリプロダクティブ・パワーがおかしくなっているということを含めて、私たちの文明のあり方を考えないといけない。そういうところに来ているのだということを私たちははっきり認識する必要があると思います。
冒頭に申し上げましたように、堤防が決壊しそうになるときに、10年後にどういう堤防をつくるかといってのんびり図面を描いているわけにいきません。しかし、例えば学力低下の問題について議論をしていますけれども、学力の低下をどう考えるのかということについての根源的な問いが欠けていると思います。
「育て方をどうするか」ということを議論するよりも、「育ち方がおかしくなっていないか」ということをしっかり議論することが私は必要だろうと思います。
生育環境そのものが劣化している。急激な都市化が進み、商業主義の支配的な影響力が子供にシャワーのようにものすごい勢いで注ぎ込まれている。けばけばしいコマーシャルのテレビの前に子供たちはいるわけです。そしてゲーム機が売り込まれて、子供はゲーム機の前に座ることで熱中する。それで自然とのふれあいを減らし、生身の人間とのふれあいを減らしているわけですね。ゲーム機の中ではいったん死んだ人間がコロッと生きて帰ってきます。そういう不可思議な架空の空間、仮想の空間の中に没入して生きているわけです。こんなことをやっていて、子供が健全に育つはずがありません。
あるお医者さんのお書きになった立派な本があります。病気を治す医療もあるけれども、人を殺す医療もあるんだということをお医者さんの立場から率直にお書きになっている。その中で私の印象に残っていることの一つは、そのお医者さんが岩手県の山の中の村で育ったときに、春になって雪が少し解けていくと、スイセンが出てきて花が開いていく。それを見てものすごく感動した、その感動が自分の生涯の原点だというふうに書いておられるのを読んで、「これだ!」と思ったんですね。
そういう例はたくさんありますでしょう。田舎の裏に森がある農家で育った子供たちが子供のときに、森を渡る風の音を聞いて、風には音があるということを学ぶわけですね。そして不安を感ずる。小さい子供ならば、すごく恐ろしく思うこともあるかもしれない。
自然というものをそういうふうに受け止める。自然の美しさ、素晴らしさだけではなくて、自然の怖さとか、すごさとか、そういうものを学びとって育つ子供がいまどのくらいいるでしょうか。
だいぶ前の話ですけれども、「今の子供たちはどれがコメで、どれがムギかというのはわからないでしょうね」とある農業の専門家に言ったら、「正村君、今は田舎に住んでいる子供だって、どれがコメで、どれがイネか。まして、どれがオオムギで、どれがコムギかなんてわかりっこないんだよ。勉強、勉強、勉強で、そういうことを考えようとしないんだよ」という話を聞き、愕然としたことがあります。私は東京生まれ、東京育ちでしたけれども、戦争中に疎開をしたおかげで田舎へ行きまして、ジャガイモの葉っぱというのはこういうんだ、オオムギというのはこういうんだ、コムギはこういうんだって覚える経験をしました。大変厳しい通学環境で苦労もしましたけれどもね。つまり、生育環境がおかしくなっていないかということを考えるべきだと思うのです。
それから、学力の問題ですが、そういうことを言うときに、「90何%の子供が高校へ行っているけれども、何%勉強しているかね。これは過剰進学ではないのかね」という声を上げる必要があるわけです。大学だって短大を入れますと50%の進学率です。「勉強しているのかね、何%がやっているのか、こんなの無駄ではないのか。」とか、「本当に大学教育のあり方を根底から変えなければ駄目ではないか」という批判の声を上げないで、みんなが高校へ行かせたいからといって高校をどんどん増やして、受け入れはしたけれども、勉強はさせないということをやってきているわけですね。
もちろん、これは我々大学の人間にも責任があります。なんとかして変えようと思ったわけですけれども、抵抗勢力というのはやはりどこにもありまして、カリキュラム一つ変えるのもものすごい大喧嘩しなければならない。少しは変わりましたけれども、抜本的な改革はついにできないで退職を迎えました。
でも、声を上げなければいけない。過剰進学ではないか。そこをさわらないで、みんなが望むものはいいことだ、みんなが行こうと言っているのだからいいではないか、で済ませてしまったら本当に子供の質的劣化をくい止めることはできません。そういう率直さがいま必要とされていると思います。
いずれにせよ、物質的に豊かになりすぎて、ある意味では物質的な豊かさを優先目標として追求した結果として何か大事なものを置き忘れてしまった。この文明の形の全体を問い直すということが今私たちには大きな課題だろうと思っています。
アジアの中で真っ先に先進国と呼ばれるだけの生産力を獲得し、先を走ってきたことは事実ですね。一種のデモンストレーション効果が働いてアジア諸国が日本の後を追いかけて経済の近代化、経済の成長を追求しようとしている。こういう状況の中で日本人は21世紀、何を目指すのか。文明を否定するということではありません。文明の形を変えるということを率先してやろうではないか、ということをやはり問題にする必要があると思うんです。
非常に乱暴に近現代を締めくくってしまえば、ヨーロッパに起源をもつ近現代の文明は、アメリカを経由して日本に波及する過程で物質主義の色彩を非常に強く持つようになった。市場原理主義的な傾向を非常に強く示すようになった。日本を経由して東アジアに広がったときに、日本が明治維新以後の曲折を経て最初に欧米並みの所得水準に到達したということは、決定的に重要な意味をアジアにおいて持っています。この衝撃を受けながら日本は経済の近代化を実現した先例であるというだけではなくて、アジア諸国にとって大きな市場であり、技術や資本を受け入れる相手国として非常にいい環境にある国である。こういう状況の中でアジアの経済発展は起こっているわけです。
私は高等学校向けのテレビやラジオで繰り返し言ってきたんですけれども、1960年代の日本の高度経済成長を日本の国内だけで見てはいけない。国際的な文脈の中で考えたならば、1960年代の日本の高度経済成長、それに続く中ぐらいの成長期があった、日本の経済成長は、アジアの経済的勃興の序曲であったというふうに考えるべきである。日本もアジアの一国ですから序曲なんです。外ではないのです。そのインパクトを受けながらアジア諸国がいま経済の発展をはかろうとしているときに憂慮されるのは、そこに見られる大変な金銭主義、物質主義の跋扈です。心ある中国の人たちは、「金銭主義でイカレてる」と自分の国について非常に心配をしています。
よくも悪くもヨーロッパはまだキリスト教という非常に強い規範力のある宗教を土台にして文明をつくってきた。あるいは土台にして、それを壊しながら、複雑な関係をもちながら文明をつくってきた。そういう規範と規律を提供するような宗教をもたない地域全体が、一挙に物質的に豊かになったときに何が起こるかということを私たちは考えないといけない。
もし1960年代前後の日本の経済成長がアジアの経済的勃興の序曲であったとするならば、日本の2000年代から2010年、2020年代の日本の自己変革の努力は、ヨーロッパから出発し、アメリカを経由してアジアに波及した文明の形を変えるという取り組みに向かっての序曲にしないといけない。そういう性質の問題を私たちは突きつけられているのだということを考えないといけないのではないかというふうに思っているわけであります。
ついでに申し上げますが、2000年を迎えましたときにミレニアムという騒ぎがありました。私のテーマである経済をコアにして、経済と社会、経済と政治、経済と文化の関係を見る立場で考えたときに、ミレニアムをむしろ問題にするならばもっとこういうことを考えるべきではないか。過去の1000年はよくも悪くも中東にオリジンをもつ一神教が幾つかの有力な文明の基盤をつくった。ローマ帝国の末期はキリスト教と切り離せなくなった。更にイスラム世界がある期間、比較的安定した秩序をつくり上げて文明をつくった。ローマ帝国のギリシャ、ローマの遺産は直接西ヨーロッパにつながるというよりは、恐らくは中東のイスラム諸国、イスラム文明を仲介にしていわばヨーロッパに再輸入されるという形で伝わった。アラビア数字が我々が日常使っている数字であるというのは、その一つの象徴的な事実でありますけれども。
いずれにせよ、アジアの西のほうとヨーロッパ、ユーラシア大陸の西と南のあたりに歴史的に相次いで形成された文明のコアに一神教がある。一神教は先程申し上げた強い規範力をもっている。規範をつくり上げるという力を持っている。その意味で文明の安定性を保障したと思いますけれども、同時に排他的な一神教でありますから大変なトラブルの原因になっているわけです。イスラムの人たちは異教徒を武力あるいは力でもって変えさせるということが自分たちの使命だと考えるという長い歴史をもっている。キリスト教の場合も異端に対する態度というのは苛烈なものがあります。キリスト教の2000年史を描いた専門家のものを読んで暗然たる気持ちになりますね。血まみれの歴史なわけです。
この一神教が文明と表裏一体の関係で人類の社会の強固な基盤をなしていた状況は、今後の1000年も続くのかということを私は問いたいわけです。恐らく一神教の影響力は弱まるだろうと思います。
一つは、科学です。宇宙論や生命論の急速な進歩によって私たちは新しい宇宙観、新しい生命観を構築しなければならないという必要に迫られている。19世紀、20世紀を通じて高名な科学者、自然科学の分野の高名な専門家でさえもキリスト教の信仰を捨てないで、神というものを捨てなかった。私に言わせれば一種の妥協をしてきたと思うんです。これからは、科学的な研究によってつくられつつある新しい宇宙と生命に関する我々の知見が、伝統的な宗教の規範から人間が脱出して、新しい形の社会的な規範をつくり上げるということに成功するかどうかが問われる1000年になるのではないかと思います。1000年間生きる心配はありませんから、「おまえの1000年前に言ったのはとんでもない話だったよ」と責められる心配がないから壮大なことを言っているわけですけれども(笑)、考える価値はあると思います。
科学の進歩が一つの理由です。もう一つは、アジアの近代文明の組み込まれであります。アジアは儒教資本主義だという議論をした人がいますけれども、私は信じておりません。そういう中東にオリジンをもつ一神教の影響を受けない地域が、近代文明の波をかぶっていく中でどういう形の文明の規範と規律を構築していくのかということが問われると思います。そのときに排他的な強い一神教的なレリジョンが力を持つとは考えられない。何か別の規範を考えないといけない。それがこれから1000年の課題です。それができるのかということが課題になるだろうと思います。
私はそういうような問題を投げかけさせていただいているのであって、「こうだ」と断言するつもりはありませんが、そういう種類のことをもっと考える必要があるだろう。恐らく近代文明を通じて、多くの人が近代化ということに対して肯定的な価値を見いだしたのは、物質的な豊かさそのものではなかったと思うんです。貧しさから抜け出すという意味で物的生産力を高めることは重要な意味を持ちました。また、いわば国民の大衆、民衆によって歓迎されたと思います。しかし、多くの指導者たちが近代化ということに対して肯定的な価値を見いだしたのは、「人権」と「自由」という目標であったと思います。
「人権」と「自由」という目標がどこまで世界に広がるのか。今の惨憺たる状態にあるアフリカが、人権の守られた社会になっていくという展望をもつことができるのか。その前にアジアはどうか、インドや中南米はどうかということを考えなければならないところに来ていますね。
物質的な豊かさは目標ではない。私たちが今あらためて近代の価値を次の時代に継承するとすれば、「人権」と「自由」であります。そして、貧しさから抜け出すということは、「人権」と「自由」を保障するという観点から避け難く要求されるわけでありますから、その限りにおいて物的生産力の維持ということが求められる。
しかし、現代の世代が際限もなく豊かさを追求するために、未来の世代が使うべき資源を使い尽くしてしまう。子や孫の時代になってしまったら環境が住めない状態になるということを許容するわけにいきません。フローの効率ではなくて、ストックの効率を考えないといけない。年々の所得をいかに上げるかではなくて、我々が地球あるいは太陽から与えられている、限られた資源をどうやって永続させるのか、持続的に使っていくのかという、世代を越えたストックの効率的利用ということを真剣に考えないといけないと思いますね。
そういう状況の中で「人権」が守られ、個人の「自由」、社会的規範、社会的な共同事業を維持するということを前提にして個人の自由な選択がある範囲において、保障されるような社会をどうやってつくるかという、新しい社会のイメージを考えていかなければならないだろうと思います。
そういうようなことを少なくとも私たちは話題にする必要がある。
そういう壮大な話ばかりしていると、「あの人は経済学者なのかね」とか言われるおそれがありますから、経済の問題にふれながらいま日本がやらなければならないことは何だろうかということをもう少し具体的にいま考えていることを提起させていただきます。
まず最初に本当の改革とは何なんだろうか。ストレートにいま話題になっていることについて申し上げてみたいと思います。
いま改革しなければならないところに来ていることは明らかであります。私は70年代以来の改革派でありますから(笑)、これから申し上げることは70年代以来、繰り返し繰り返し仲間と誘っていろいろな提言書を出したり、審議会でいろいろ言いたいことを言わせていただいたり、新聞やテレビで語ったり、いろいろなところで言ってきたことの蒸し返しです。
でも、改革の必要性というのは、おそくも1970年代には切迫した課題になっていたと思います。日本が先進国並み、イギリス並の所得水準に一応到達したのは70年であります、年々のフローに関しては。生活環境とか労働時間とかそういう点は別ですが。つまり、生産力のいちばん基盤になるところに関してはヨーロッパ並みになったというのは70年代ですけれども、その時点から後発工業国型の先発工業国に追いつくことを優先課題としてつくり上げられてきた一連の社会経済システム、社会経済制度、それによってつくられた国民の生活パターン、こういうものを変えなければいけない時期に来ている、そうしないと行き詰まる、あるいは破壊的な結果がもたらされるというのが60年代後半から70年代にかけて、私が駆け出しの学者であったときからの認識でありまして、その思いはいま非常に切実に強くなっております。
しかし、「改革って何だろうか」ということを考えないといけない。先日もあるマスメディアの数人の記者たちと半日懇談したときにも繰り返し強調したんですけれども、「いちばん問題になるのは何だろうか」と聞かれたら、日本人が目標を失っていることだ、と答えます。目標を失い、確信を失い、信頼を失っている。
「目標を失っている」というのは、マクロ的には経済を発展させる、ミクロ的には今よりも豊かになる、もう一つ言えば、子供が自分よりは豊かな時代に生きられる、あるいはむしろ自分よりは社会的地位が高くなるということを願ってものすごく進学競争に子供を追い立ててきた。本当にそれでいいのかという目標が揺らいでしまっている。未来に対する確信がなくなっている。未来に対して確信がなくなっているときに、資金をダブつかせたって投資や消費が起こるはずがないんです。金融緩和の大合唱をやっている人たちがいますけれども、大間違いです。財政を引いてしまって、需要を縮小させて、景気を悪くするようなことをやったり、状況を見ないでペイ・オフをせっかちに強行して信金を幾つも倒す、つぶすようなことをやっておいて金融緩和をやれと言っている。ゼロ金利になっているのに、更にゼロ金利。0.0何%などという金利の下で金融を運営させておいて、更に金融を緩和しろというのは愚の骨頂です。そんなにおカネをダブつかせてどうするんです? ゼロ金利というのは景気対策ではありません。不良債権を抱えている銀行と不良債務(返せない債務)を抱えて倒産状態のところをウロウロしている企業の倒産を先送りにするための政策であって、堤防決壊のためのアリの穴をふさぐための政策かもしれないけれども、景気対策ではない。金融緩和をどれだけやったって景気がよくなるはずがないのであって、それよりは、不景気というのは生産力・供給力に比べて需要量が少ないというきわめて明瞭なことをあらためて認識する必要がある。
財政赤字を減らそうと思って財政をいっぺんに詰めたらば、景気が悪くなってとんでもない。税収が減ってしまって、赤字も減らないわけです。それは過去に繰り返し経験しているわけです。80年代前半の臨調行革も失敗だったわけです。行革や、国鉄の民営化とか、賛成なんだけれども、毎年支出を切り詰めた。「こんなことをやっていたら、どんな強い経済でも絶対おかしくなる。臨調行革は大変大事なことをやったけれども、日本経済にとっては破壊的なことをやってしまった。」と当時申し上げた。そのとおりになりました。内需を引き締め過ぎてものすごい円高が起こって、円高不況になって、今度はあわてふためいてアクセルを踏み過ぎてバブルを引き起こしたわけでしょう。
また、性懲りもなく、政府は「財政再建か、景気対策か」と二者択一型の問題提起を繰り返し繰り返しおやりになっている。私にとっては大変悲しいことであります。
財政再建を本当におやりになるつもりならば、財政危機が深刻であるだけに30年、50年の展望の中でやらなければいけない。3年、5年で格好つけようと思ったら経済が破壊される。この状況を直視する必要があると思うんです。リアリズムに基づく状況認識で状況をしっかり踏まえて改革ということを中心に据えて考えなければいけない。改革をやることは、財政を切り詰める、短兵急に赤字を減らすことでは全然ないんです。
私が強調したいのは、改革というのは古いものを破壊すると同時に、新しいものを創造するということでなければならない。「古いものはもう駄目だから壊そう」というのは改革ではありません。地ならしをしよう。特殊法人にしても郵便局でも何でも変えなければ駄目だ、「変えなけれ駄目だ」という主張はわかります。
しかしながら、壊したあとに何をつくるんですか。スクラップだけの提案があって、ビルドの提案が見えない。ビルドの提案がないということは、どういう社会をつくろうとしているのか、文明史の大転換にあたってかなり心ある人たちが地球温暖化の問題について心配しているときに、それにどう対応するのかということが出てこない。産業廃棄物がそこらじゅうにばらまかれて、危険な物質が日本の全国にばらまかれて越境して廃棄されているとき、これをどうするかという政策が見えない。自治体が四苦八苦しているのに任されているというのはおかしいと思います。
そういう、何を目指して、どういう社会をつくるのかということを考えないといけない。
スクラップだけがあるのではなくて、スクラップしたあとにどういう社会をビルドするのか、政府の役割をどうビルドするのかということを示さないといけない。それがなければ、スクラップだけが話題になるならば、改革は国民運動にはなりません。「行き詰まっているから何とかしたほうがいいのかもしないね。それでは改革って言っている人を支持しよう」と世論調査ではパーセンテージが上がるかもしれませんけれども、自分たちの社会をつくる問題として改革を取り上げるという選挙民が何人いますか。ビルドの展望がない。スクラップと同時にビルドをお示しいただかなかったならば、改革は本当の国民的な運動にはならない。人気投票でしかない。
国民的な運動にならなければどうなるかといったら、人々は当面の生活の必要に迫られて、その日その日を過ごすしかありません。政治家の皆さん方もビルドを目指して、本当の求心力、政治の求心力、政府の求心力を強めるということに成功されなければ、一生懸命になっていろいろな目先の利益と結びつけて票を集めるということに努力をしないと自分の議席が危なくなる。
我々大学教授だって日常的には飯を食わなければならないわけですから、いろいろあるわけです。現実をちゃんと直視すると、国民にとって魅力のある政策が示されない状況の中で、一人一人の議員が大変苦労なさって票集め、カネ集めをなさっている。でも、本当に心配なんですね。日本の民主政治はここまで来てしまったのか。
皆さん、選挙区に帰って一生懸命やる。政策の論議などしている暇はない。そうすると、ますます政策づくりができない。悪循環ではないでしょうか。これをどこで打破するかということをやはり考えないといけないような気がするんです。
どのような社会を目指すのか、子供や孫の世代にどのような社会を残すのか、どのような地球を渡すのか、どのような国家・社会を継承してもらうのかということをもっとまじめに私たちは議論しないといけない。
そういうことを考えるときに、みっともない状態になっているとは言っても世界のGDPの15%を占めている国家の政府は、やはり地球史的な課題に責任を負わないといけない。むしろ逆に地球史な課題を中心に据えることによって新しいナショナル・ゴールの体系をつくっていく努力をする。できあがったものを国民に示すのではなくて、国民に対話を呼びかける。そのイニシアチブをとる。出来上がったものを、「これがナショナル・ゴールだよ」と押しつけるのではなくて、「ナショナル・ゴールを再構築しようではないか」というビルドのためのディスカッションを提起していくということを指導的な立場にあるすべての人間が責任として負わなければいけないのではないか。
そして、目標、確信、信頼を取り戻す。日本の社会、将来のあるべき社会経済システムの可能性に対して信頼を取り戻す、そういうことが必要なのではないかというふうに考えております。
最後に私がずっと言ってきたこと、最近になってまたそれを少しモディファイして言っていることを箇条書き的に申し上げます。
第1は「規制改革」であります。これは「規制緩和」と言ってはいけない。「規制改革」だ。70年代以来、私は規制改革論者であります。参議院の調査会に呼ばれたときに、「誤解しないでほしい。私は規制改革反対、現状維持を言っているのではない。むしろラディカルな規制改革論者なんだ。70年代以来そうなんだということを理解してほしい」と申し上げました。産業を優先する、産業を成長させる、産業の利益を保護する、これはある範囲において雇用を守るということにもつながるから正当性を持ち得たのでした。しかし、農業や金融を含めてそういう方向に傾斜した産業の側から経済の安定性をはかるという方向に傾斜した規制は1度全部撤廃したほうがいい。国民の生命の安全と生活の安定にかかわる分野については思い切って規制を強化するということをやらないといけない、そういう趣旨のことをいろいろな形で繰り返し述べてきたものであります。この信念は変わっておりません。今も同じであります。
「金融の自由化」というから誤解されるのです。「金融の自由化」は自由放任ではないのです。預金者は金融業、金融機関の実態はよくわかりませんから、預金者に替わって金融機関を監視し監査する責任が政府にあるんです。日銀、預金保険機構、そして政府の金融庁が一体になって預金者に替わって今まで以上に厳しい規制と監査をやらなければいけません。支店をどこに置くかとか、金利を統制するとか、そういう規制はやめたほうがいい。それは競争と自己責任体制です。
でも、ちゃんと立ち入って、経理がいいかげんになっているとか、非常にリスクの大きいものに投資をすることで高い金利を約束して、預金者からカネを不当に集めているような経営者はぶっ飛ばさなければいけないわけです。それは預金者にはできませんから、委託された公的な機関が監視するしかないんですね。金融分野でさえも規制緩和ではなくて、規制改革です。ある面では規制強化です。国民生活を不安定にするような金融業の経営に対しては厳しくチェックをしないといけない。
まして、いわんや、食品の安全とか医薬品の安全という分野については、もっときちんとした規制をやらないといけない。考えてみてください。60年代、70年代、80年代と薬害が繰り返し起こっていますでしょう。60年代にはサリドマイド事件がありました。80年代には薬害エイズ事件がありました。その後も幾つかあります。70年代に志を同じくする人たちと語らって提起した規制改革の原理に従って日本の行政機関を根底から変えるという課題が繰り返し証明されていたのに、全然取り組んでいなかったということです。医薬品の安全にかかわる独立の機関をつくらなければいけません。医薬品業界の国際競争力とか成長に関心をもつ役所が、そのまま医薬品の安全を審査していたら駄目です。そういうものの利害にかかわっているお医者さんを呼んできてやったりしたら、絶対うまくいかないわけです。委員会があってそこで薬品の安全を審査するというアメリカ的な仕組みにすれば、安全をチェックする人がその委員の使命になります。使命感に燃えてやらなければならない。もし失敗したらその人が責任を問われるわけですから、責任の所在が明確なわけです。こういう仕組みをつくらないといけない。
食品の安全も同じです。いわゆる狂牛病(牛海綿状脳症)事件でもって政府のあり方が問われていますけれども、今頃何を言っているのですか、というのが私の思いです。国民の生命の安全と生活の安定にかかわる分野における規制を強化しながら、旧来の農業保護政策とか金融保護政策とかその他様々の産業側から経済を見ている規制をやめるということをやらないといけない。これが私の規制改革論であります。
2番目は、「社会保障、社会福祉の拡充・強化」であります。これらをばらばらに扱わないでください。医療、介護、年金、子育て支援とか、そういうのをばらばらにないで、総合的な社会保障、社会福祉の戦略をお考えいただかないといけない。ばらばらに提起されるから不安だけが大きくなる。
弱者救済というのは、私の理解では先進国の社会保障の目的ではありません。弱者になるリスクはすべてのものが負っている。高齢化すればハンディを負う危険はうんと大きくなるわけですけれども、国民のすべてに対して安心を給付するということが先進社会の社会保障、社会福祉の目的であります。
安心を給付することが目的なのであって、所得の再分配が目的ではありません。安心が給付されることが重要です。幸いにして倒れないで、ポックリ死んでしまって、自分の介護保険の保険料が掛け捨てというのは変ですけれども、払い損になったというのは、その人はハッピーです。だから、安心が給付されていたかどうかが問題です。
今までの日本を見ると、倒れたときに、特別養護老人ホームは満杯なので2年、3年待ってくださいと言われている。これは安心がないわけです。特別養護老人ホームなんていうのはいつも満杯でなければ経営が成り立たないようにしているのがおかしいのです。ホテルだって航空会社だって100%旅客がいつもいるということはありませんでしょう。あいていなければおかしいのです。遊びがなければいけないのです。それは30%の定員でもって経営が成り立つようなおカネのばらまきはやってはいけませんけれども、定員の7割、8割でもって経営が成り立つようにすべきなんです。倒れたその日にケースワーカーが飛んできて、本当に重篤で何とかしなければならないとしたら、特別養護老人ホームにその日に入れるということをやってください。そうしたら、本当に安心感のある状態ができますでしょう。
そうなったらある程度国民の負担が増えたって、国民は文句を言わない。国民が政府に対して信頼していないから、政府はだんだんジリ貧になってきて、おカネをケチるようになる。政府がおカネをケチるから、国民はますます政府を信頼しない。この悪循環が今までずっと起こってきたと思うんです。このことを根底から考え直さないと、前向きの建設的なビルドに向けての改革の提案というのはなかなかできないと思います。すべてを市場に委ねるわけにはいきません。
例えば退職して退職金をもらった人が、その市場で一生懸命運用して、どうやったらいいかということばかり考えて、公的年金がもしもなくなって、私的年金がどんどん市場に委ねられるとなったら大変不安になりますね。公的にやったほうがいいのか、私的な負担に委ねたほうがいいのか。すべてを市場に委ねるのではなくて、少なくともある範囲において、子育て、年金、医療、介護などについて公的な事業としてやりましょうという政策が必要です。
公的な事業、社会の共同事業としてやりましょうということはイデオロギーの問題ではありません。効率の問題です。どちらが有効かということです。効率というのは、能率ということではありません。有効性の問題です。少ない資源で、高い、いちばんいい効果が得られるのはどちらかということであって、今日においては社会保障、社会福祉をめぐる問題はイデオロギーの問題ではなくて、効率の問題です。社会的共同事業を強化したほうがいいのであれば、みんなで議論して、社会的共同事業を強化するという努力をする。そういう観点で社会保障、社会福祉の見直しをする。削るという方向ではなくて、どうやったら有効なナショナルミニマムが保障できるかということを考える。そういうプログラム、議論の手順というものをお考えいただくことが必要なのではないかと思います。
3番目は、生活空間の変革であります。日本の都市空間はめちゃくちゃになっています。景観もおかしいです。都市の景観、農村の景観、ひどいことになっていますでしょう。ひどいとお思いにならないかもしれないけれども、私は涙が出るぐらいひどいと思います。森がどんどん壊れているし、農村へ行ってごらんなさい。屋根の色はまちまち。建築材料がいろいろ出てきたら、みんな勝手てんでんばらばらにやっている。美しさは何もない。ワラ(葺き)屋根を残せなどということは言いませんけれども、生活の上で機能的であると同時に、やはりある美しさを感じさせる町や村をつくるということをやるのは、子育ての問題とも関係します。文化の問題と関係します。生活の中に文化がなくてどうして日本固有の文化をつくるなどということが言えるんですか。都市も同じです。ヨーロッパの都市を見て、「ああ、きれいだな」と思って帰ってきて、日本は駄目だって諦めて何も言わないという、これが日本人。いや、それどころか、ヨーロッパへ行っても都市の景観などに心引かれないで、おみやげを買いあさっているというのが日本の観光ツアーですね。情けない。成り上がりものの行動であって、それを変えなければいけないと思います。都市の姿を変えなければいけない。
バリアフリーを徹底すること。地下鉄を降りてここまで上がってくるのにエスカレータがないところがあります。階段を上らなければならないところが。私も老人の仲間に入っていますから、結構きついですけれども。日本の都市は自力では、車椅子で歩けません。車椅子でホームに上がれる駅がどのくらいありますか。東京駅でさえも自力で上がれません。
経済的に豊かになりながら、こんなことをほったらかしにしてきたというのは恥ずかしいです。バリアフリーは少数のかわいそうな人のための施策だと思わないでください。我々の社会、普通の人が障害者とふれあって暮らすことができる状態をつくらなくて、どうして子供たちが人間の心を持つことができますか。
そういう大事なことを忘れている。スウェーデンの人たちは核戦争の危険があるときに、国民全部が避難できる地下壕をつくったというぐらいにおおまじめな人たちです。だから、人間的社会のためにはバリアフリーが絶対必要だと考えたら徹底的にバリアフリーをやったわけです。郊外の団地に住んで、自分で車椅子を動かしている人は、郊外の地下鉄の駅からストレートに都心に行って、エレベータで上がって、都心で仕事をすることができます。日本でそれがやれますか。
こういうことにもっと目を向けないといけない。これを本当にやろうと思ったらおカネがかかりますね。やらなければならない事業があるわけです。もうやることがないわけではないのです。田舎にクルマの走らない公共の道路をいっぱいつくるよりは、そういうところにもっと目を向けて、現実に都市化が進んでいるんですから、もっと人間らしい町をつくるということに目標を示すということをどうしてできないんでしょうか。
4番目、「生活時間の変革」であります。労働時間を短縮しなければいけません。このまま行ったら、企業に残された労働者がものすごく残業をやらされて過労死・過労自殺が増えます。他方で失業が増えて、失業自殺が増えていますけれども、そういう状態になるでしょう。労働基準法を改正して残業割増賃金率を25%から50%に引き上げる。「今時そんなことを言われたって困るよ」というかもしれませんが、そのぐらいの覚悟をして働き方を変える。
ワークシェアリングといいますけれども、防衛的、戦術的なワークシェアリングではなくて、攻撃的、戦略的なワークシェアリングを考える。いろいろな働き方を可能にする。いろいろな就業機会を用意し、いろいろな労働供給を用意する。パートタイムで働きたいということであればパートタイムで働けるようにしたほうがいい。パートタイマーとして働くことができるという人はたくさんいるわけですから、この人たちに、フルタイマーと(賃金は同じであるはずはないですけれども)、基本的に同じ権利をちゃんと保障するような仕組みをつくる。日本の税制も社会保険料も保険制度もそういうことを阻害していますね。パートタイマーがある水準以上の所得を獲得したらものすごく負担がかかる。亭主の税金が重くなる。だから、労働供給を制限していますね。おかしいではないですか。こんなのを何十年もほうっておくというのは変です。
そうではなくて、利害関係者がいろいろいるからすったもんだするかもしれないけれども、すっきりした税と保険の体系にする。パートタイマーもフルタイマーも提供している労働の量に応じて報酬が変わるのは決まっているけれども、社会制度上差別されない状態をつくっていく。そうすると女性の労働力をもっと活用できるし、活用できるようになったら労働力を福祉の分野や育児の分野でうんと生かしたらいいわけです。教育も改善する。そういう攻撃的、戦略的なワークシェアリングを追求するための制度改革をなぜ問題になさらないのでしょうか。
最後は、「分権と自治」であります。私はもともとはマルクス主義的な経済学を勉強して、マルクス主義的な社会体制変革論に染まった人間でありますから、中央集権的な社会主義をイメージしていましたから、若いときは中央集権主義者でありました。でも、70年代に豹変いたしました。君子豹変って本当はいい意味なんだそうですけど、私はいい意味で強調しているんですけれども。なぜか。いろいろなことを考えて、中央と地方の財政を勉強し直して、行政のあり方を考えて、徹底した分権しかないと考えるようになったのです。
徳川幕藩体制というのは、集権と分権の絶妙な組み合わせだったと思うんです。徳川幕府は大名を替えたりなんかする権力を行使していましたけれども、藩の集めた年貢を徳川幕府が直接何%よこせととっていたわけではないんです。統治は任せていた。自治です。監視はしていますけれども。だから、各藩の侍たちは統治を経験しているんです。国を治めるということの難しさを経験しているんです。
この徳川幕藩体制の集権と分権の絶妙な組み合わせこそが270年にわたる徳川時代の安定を保障したと思いますし、それだけではなくて、ハードウェアとソフトウェアとヒューマンウェアの面で大変な遺産を近代に残した。
特に、今言ったように多くの人間に統治を経験させ、片方で共通の言語を育てながら他方で文化的多様性を残したわけです。この徳川幕藩体制の残したものを使って、近現代の日本は急速に先発工業国に追いついたわけです。
でも、振り返ってみると、その過程でだんだん、いろいろな理由で中央集権が強まったんです。行き過ぎた中央集権と商業主義的な擬似文化の影響でものすごい画一化が進んだ。そしてせっかくの過去の集権と分権の組み合わせがつくり出したヒューマンウェアを中心とする遺産を食いつぶしつつある。中央依存がものすごく強くなって、画一的な志向が強くなっている。責任の意識が薄れてしまっている。
こういうことを考えると、「分権」と「自治」の徹底ということは、民族のエネルギーの基盤を耕しなおす仕事なんだというふうに考えるべきではないかと私は思っているわけです。
「分権」と「自治」はイデオロギーとしての民主主義を克服しながら、民主制というものを機能させるためにどうしても必要である。恐らく世界は、例えばヨーロッパ連合を見てください、国家を越えた組織をつくって、いろいろなすり合わせをして法律を統一しようとしていますけれども、ヨーロッパ連合が進めば進むほど分権が見直されると思います。大事なことについては国家を越えた連合体で考えていきますけれども、その中でそれが進めば進むほど、ネーションステートというものが相対化されていく。統治単位はネーションステートしかないんだという思い込みは克服されていくと思います。それぞれの国の中に少数民族もいるわけですし、少数言語もあるわけですし、その価値が見直されていく。そういうふうに考えるべきだろうと思います。その兆候はいろいろあります。
国家を越えた協力の時代であると思います。自由貿易地域をつくるとか、国際連合を強化するとか、国際的な連携プレーをテロに対してやっていくとかなど、ひとつひとつが重要な課題です。そういう中にありながら、もう一度あらためて「分権」と「自治」ということの重要性が認識されるべきだと思います。「分権」と「自治」の重要性を強調することはネーションステートの否定ではありません。21世紀の展望の中では、ネーションステートは簡単には克服できない。むしろ、ネーションステートのガバメントの機能を改善するということが課題になるだろうというふうに思います。ガバメントの機能を改善するためにも国民の民主的政治への参画をいろいろな形で進めて、国民の資質を高めていくという観点からも「自治」ということを真剣に考える必要がある。半端でない形の「自治」を真剣に考えていく必要がある。
全体として21世紀の文明が目指すべきものは、共通の文明のルールを持ちながら、確立しながら、例えば地球環境問題、貿易問題との取り組みとか、自然保護と貿易自由化をどうやって両立させるのかとか、大変な難問がたくさんあります。それを乗り越えるために新しい共通のルールを獲得していく。犯罪の防止もあります。変な国が核兵器を持つことをどうやって阻止するか。核ミサイルの開発をやろうとしている国に対してどういうふうに抑制、抑止していくのかということも含めて真剣に考えなければいけません。甘く考えてはいけない。国家の安全……。日本人が拉致されるという拉致の疑惑がたくさんあって、現実に人権が侵されているわけですから、こういうときに目をつぶっていてはいけないので、どうするか。国際社会の中で新しいルールをつくっていくということをやらないといけないと思います。
共通のルールをつくると同時に、文化的多様性をもう一度大事にして見直していくという「分権」と「自治」もそうですし、地方的な文化的多様性を尊重する。
伝統のすべてが継承されるべきものではありません。伝統のあるものは捨てなければいけない。伝統だって過去につくられたものですから、現代的な基準に照らして人権、自由の思想に反する伝統はあえて破棄して記録に残すということをやらないといけないと思います。選択しないといけない。
しかしながら、文化的多様性をなくしてしまうような画一主義と、行き過ぎた集権主義に対しては断固として闘うということが21世紀の恐らく先進諸国の多くの人たちが受け入れる共通の目標になるだろうと私は考えております。
http://web.archive.org/web/20080927221549/http://www.vectorinc.co.jp/kokkasenryaku/index2.html
本件に関する日本政府、特に国際法を主管する外務省の認識が驚くほど弱い。4月5日付東京新聞朝刊はこう記す。
放出される水は、低レベルといっても、原子炉等規制法で決められている濃度の最大五百倍の放射性物質を含み、危険時の応急の措置に限り、認められる水準だ。
また海洋汚染についての国際的取り決めであるロンドン条約では、原則として放射性廃棄物の海洋投棄を禁止している。しかし原子力安全・保安院は「ロンドン条約では、船や飛行機からの海洋投棄を禁じているのであって、陸上の施設からの放出は該当しない」としている。
ここで言う「ロンドン条約」とは、1972年にロンドンで採択された「廃棄物その他の物の投棄による海洋汚染の防止に関する条約」のことだ。日本については1980年11月14日に効力が発生している。
そもそも原子力安全・保安院には国際条約を有権的に解釈する権限がない。日本政府で国際条約の有権的解釈権をもつのは外務省(担当は国際法局)だ。外務省はいったいどのような解釈をしているのか、親しくする新聞記者に尋ねてみた。
記者「外務省も原子力安全・保安院と同じようにロンドン条約では、船や飛行機からの海洋投棄を禁じているのであって、陸上の施設からの放出は該当しないという説明をしています」
佐藤「それで国際的に通用すると思っているのだろうか」
記者「それは思っていないでしょう。自国の領海に廃棄物を投棄するような事態はあり得ないという前提だから、ロンドン条約では規定されていないのです。外務省に当事者意識が薄いのだと思います」
佐藤「ようするに時間稼ぎをしているわけだね」
記者「そう思います。頭を低くして自分たちに問題が降ってこないようにしているのでしょう」
佐藤「その不作為が国益を毀損する」
この記者の「外務省に当事者意識が薄い」という指摘が事柄の本質を衝いている。国際法における義務違反は国内法とは異なる。いくら日本政府が弁解しても、国際社会が条約に違反していると考えれば、それが真実となる。「ロンドン条約」第1条はこの条約の目的についてこう規定している。
締約国は、海洋環境を汚染するすべての原因を効果的に規制することを単独で及び共同して促進するものとし、また、特に、人の健康に被害をもたらし、生物資源及び海洋生物に害を与え、海洋の快適性を損ない又は他の適法な海洋の利用を妨げるおそれがある廃棄物その他の物の投棄による海洋汚染を防止するために実行可能なあらゆる措置をとることを誓約する。
日本政府もこの誓約を行っているのだ。日本政府(原子力安全・保安院も政府の一部を構成する)が「ロンドン条約では、船や飛行機からの海洋投棄を禁じているのであって、陸上の施設からの放出は該当しない」というような釈明をしていると、国際社会は「日本はロンドン条約の誓約を守るつもりがあるのか。おかしな国だ」という認識を持つようになる。対外的に日本国家を代表するのは外務省だ。外務省が窓口になって国際社会にきちんと情報を開示し、日本政府が所与の条件下で最悪の事態を避けるために、低レベルの放射性物質を含む汚染水の排出を余儀なくされているということを迅速かつ誠実に発表しないと、筆者の見立てでは今後1週間から10日で、日本に「原子力犯罪国家」という烙印が押される。
東電本社2階に設けられた政府と東電の統合対策本部には外務官僚も詰めている。いったい何をしているのか? 外務省は国際法に通暁した専門家を統合対策本部に常駐させ、必要なアドバイスを行い菅直人首相をしっかり支えてほしい。(2011年4月5日脱稿)
数兆円に上るとされる福島第1原発事故の損害賠償金を捻出するため、東京電力の資産を洗い出す第三者による「経営・財務調査委員会」が本格的に始動した。メンバーには、委員長の下河辺和彦弁護士を初め、“改革派”の面々が名を連ねる。東電が4割の土地を保有する尾瀬国立公園も聖域とはいえない。発電と送電部門の分離による東電解体を視野に入れているとの見方も強まっている。
■暗躍する仙谷氏
首相官邸にほど近い赤坂の古いオフィスビルの一室。入り口のドアには、「東京電力経営・財務調査タスクフォース事務局」と書かれたコピー用紙が無造作に貼られている。
事務局が開かれたのは今月10日。広い室内には会議用の長机が整然と並べられ、二十数人のスタッフが、打ち合わせや資料の精査に追われていた。
「仙谷(由人)官房副長官がタスクフォースのリーダー役だ」
首相官邸で16日に開かれた同委の初会合。冒頭で菅直人首相は、所管官庁の海江田万里経済産業相ではなく、早期退陣を迫り、関係が悪化しているはずの仙谷氏の名を挙げた。「東電改革は官邸主導でやる」という強い意思表示だ。
実際、官邸筋は「下河辺氏を委員長に指名したのは、任命者の海江田氏ではなく、同じ弁護士出身の仙谷氏だ」と証言する。
下河辺氏は、数多くの企業整理を手がけ、ダイエーやカネボウ再建で大なたを振るった産業再生機構の社外取締役も務めた。ある政府高官は「菅、仙谷、下河辺の3氏は、『大企業は悪』という思想から、『東電は丸裸にすべきだ』という観点でつながっている」と解説する。
■最も怖い東大教授
他のメンバーもいわくあり気だ。やはり仙谷氏と親しいとされるのが、DOWAホールディングスの吉川広和会長。給与カットや中核事業からの撤退で業績不振の同社を立ち直らせた経営手腕への評価は高い。
JR東海の葛西敬之会長も仙谷氏の“一本釣り”といわれる。旧国鉄の民営化に尽力した「改革三人組」の一人で、労使関係や雇用問題にも明るく、東電が拒む企業年金削減に切り込む布石との見方も。一委員では収まりがつかない大物経営者だけに、「将来的に社長として送り込むのでは」(財界筋)との観測まで浮上している。
そして東電にとって最も脅威となりそうなのが、松村敏弘東大教授だ。市場の競争促進が専門分野で、巨大企業による寡占などを研究テーマとしてきた。
委員内定後は、太陽光発電などの新規参入の必要性を指摘し、「発送電分離も議論から排除すべきではない」などと発言している。下河辺、吉川両氏も分離を否定しない。
送電設備の資産価値は4、5兆円に上り、買い手が見つかれば、賠償資金の大半を賄える。もっとも、エネルギー政策の根幹にかかわるため、政府の成長戦略実現会議でも中長期のテーマに位置づけられている。9月に報告書をまとめる調査委で結論が出せる問題ではなく、「自民党ベッタリだった東電を悪者に仕立て、得点を稼ぎたい民主党政権の思惑が透けてみえる」(財界関係者)。
■銀座再開発にも影響
東電の資産売却は各方面に波紋を広げている。下河辺氏は事務局のスタッフについて、公認会計士や投資銀行のコンサルタントら外部の人材をさらに増員する方針を示している。ある経済官庁幹部は「箔(はく)が付き、今後の仕事も広がるので人材には事欠かないだろうが、時給2万円といわれる人件費は税金から出る」と複雑な表情だ。
売却論がくすぶる尾瀬国立公園も揺れている。群馬県など地元自治体は反対し、政府も現時点では否定的だが、東電は木道の整備などに年約2億円を拠出している。賠償金との優先度を考えれば、国が維持していくことを前提に、政府が設立する「賠償支援機構」による買い上げ案は消えていない。
意外なところでは、松坂屋銀座店を建て替える銀座6丁目の再開発計画にも影響が出そうだ。
東電は対象地区にPR施設の旧テプコ銀座館だった土地と建物を保有している。当初は再開発ビルにリニューアルして入居する計画だったが、PR事業からの撤退で有力な売却候補となっている。今後発足する再開発組合が買い上げるしかなく、関係者は「計画の見直しは避けられない」と頭を悩ませている。
5人の企業改革のプロがどこまで深くメスを入れるのか。東電は戦々恐々としている。(吉村英輝)
http://www.asyura2.com/11/genpatu12/msg/919.html
★感染者を名乗る日本人男性2人が証言
中国を中心に、エイズに似た症状を訴えながら、検査では「陰性」と判定される患者が相次ぎ、「陰滋病」(陰性エイズ)として話題になっている。中国衛生省は「心理的な要因だ」としているが、新型肺炎SARSに立ち向かった中国の著名医師も研究を始めた。こうしたなか、20代の日本人男性2人が「私たちは感染者。実態を世間に広めてほしい」と夕刊フジの取材に応じた。
「陰滋病」は昨年春ごろから、中国の新聞やテレビで取り上げられ始めた。上海万博開催で報道は一時下火になったが、今年に入って再燃した。ほぼ共通する『症状』は別表の通り。訴えが相次いでいる中国・広東省の地元紙は「未知のウイルスによる奇病の疑いもある」などと報じている。
今回、夕刊フジのインタビューに応じたのは、東京都に住む20代半ばのAさんと、首都圏在住の20代前半のBさん。外見はいたって普通の若者だ。
このうちAさんは2007年秋、千葉県内のソープ店でコンドームを着けて遊んだ翌日から、異変を感じたという。相手女性の出身国は不明だ。
「全身にしびれとチクチクする痛みを感じた。熱は37度少し。陰部がただれて赤く腫れ、リンパ線が膨張していた。即、皮膚科に行くと『性器ヘルペス』と診断され、薬を処方されたが改善しなかった。エイズをはじめ、性病など、徹底的に検査したがシロだった」
「すごく疲れやすい。下痢が2、3カ月続く。仕事もやめざるを得なくなった。大学病院や総合病院、泌尿器科や性病科など30件ほど回ったが、原因は不明。心療内科にも行ったが『問題なし』。昨年、ネットで『陰滋病』を知った。同じ症状だった」
Bさんは昨年、海外で風俗嬢と遊んだのがきっかけだった。当然、コンドームは着けていた。病院の領収書の束を持ちながら、こう話す。
「遊んだ翌日から、全身にピリピリする痛みを感じた。尿道も少し痛かった。性病の知識がなかったので『気のせいだろう』と思っていた。9月になっても治らないので、エイズをはじめ、徹底的に性病検査をした。すべて陰性だった」
「でも、間違いなくおかしい。疲労感がものすごい。頭の回転も遅い。目の焦点もボケる。視力も落ちた。のどに圧迫感があり、口内炎ができやすい。交際中の彼女にも感染したのか、やや軽いものの同じような状況になっている」
AさんとBさんは、インターネット上で情報収集するとともに、自らの『症状』を公開したところ、都内をはじめ東北や関西など全国から「実は、私もそうだ」「同じ症状だ」という10人以上の男性から応答があった。彼らの多くは、都内の歓楽街で感染したと主張している。
中国の羊城晩報は先月11日、呼吸器疾病の第一人者で、中国工程院院士・中華医学会会長、鐘南山氏のインタビューを掲載。鐘氏は60人の自称「陰滋病感染者」を研究しており、「衛生部の(感染症ではないとの)説明に完全に同意できない」としている。
もし、コンドームを着けても防御できない未知の感染症が、中国だけでなく、日本国内でも広がりつつあるとすれば…。Aさんはいう。
「どうか、政府にこの症状が何かを調べてほしい。心因性でないことは、すべての検査がシロなのに体調が戻らないことで明らか。日本の風俗事情を考えると、爆発的に広がる危険性がある。どんな調査・研究にも協力したい」
第3者を通じて、細川律夫厚労相や民主党の長妻昭前厚労相に実情を訴えたが、細川氏からは返答はなし。長妻氏からは「世直しの参考とさせていただきます」とメールで返信が来たという。
伝染性の奇病だとすれば、早期の封じ込めが大事なのだが…。
【陰滋病を訴える人々の症状】
・微熱(36.8〜37.2℃)
・全身を刺すような痛み
・体の温疹、黒いアザ
・口内炎、歯茎の腫れ
・のどの腫れと痛み
・半年以上続く下痢
・嘔吐感、食欲不振
・ひどい倦怠感など
http://www.asyura2.com/09/iryo03/msg/437.html
原発事故など彗星衝突より確率が低い・・
科学的に検証しても・・というカルトを
思い出した・・・。
http://www.asyura2.com/11/genpatu12/msg/916.html#c11
東北の被災者の対策が一歩も進まないのに、奴らは原発再開で金に再び群がる手を考えています。
上関町では、先に多額のお金を貰っていたばかりに、このたび、原発を断念することに町の財政は大ごとになりました。既に箱モノを建設して運営しているのに、これから町民に「福祉は我慢」を強いらねばなりません。
福島原発事故のことは、その真実は国民の誰も知らないですよ。知らせていないと云う陰謀が、これは大変なことです。
4号機が倒壊すれば、未使用のウランもあったというプールはひっくり返り、中国地方へも放射被ばくが起こるそうですよ。
九州は既に南は危ない。
今、汚染水対策だけで大丈夫なのか? いや、高濃度放射線には近寄れない状況となって、何もできないのか・・・わかりませんね。誰にも・・・。
http://www.asyura2.com/11/genpatu12/msg/870.html#c61
あと弁護士だから、色々分かることも多いんだろう
ちょっと独裁気味なのと国旗・君が代については賛成できないが、これについてはがんばって欲しい
http://www.asyura2.com/11/genpatu12/msg/908.html#c12
どこか、ひと事のような人間の、依って立つ論拠は、いつも<科学的>だ。<科学的>というのは中世時代の<神的>と同じで、現代のカルトだ。それが原発事故のホントの原因だ。どこかしら、”こころ”が感じられない・・・。
この番組はよみうりテレビだが、メイン司会の辛坊氏(橋下氏推薦で政界入りするかも?)共々、もうかなり脱原発論議が盛んだから
http://www.asyura2.com/11/genpatu12/msg/908.html#c13
こちらこそどうぞ宜しくお願いします
鬼塚氏の著書を購読されるとのこと、ブラボー!
私見では『黒い絆』『日本の一番醜い日』を最初に読まれると、
順番としてよいのではないかと思います。
鬼塚氏が「降りかかる苦難を百も承知で追求の旅に出ている」原点だと思います。
処女作の『天皇のロザリオ』もお勧めですので、よかったらそのうちお読みください。
私はこの本のある箇所で、捜し求めていた答えよりもはるかに凄い答えがはっきり書いてあって、、
衝撃が脳天を突き抜けていきました。
どうか焦らずに時間をかけてゆっくり血肉にしてください。
何せ鬼塚氏の本は30年40年かけた思索がギュッと詰まっていますから。
マイペースが大事です。
そしてよかったら鬼塚氏以外の本も目を通してください。
必要なものは自然と108様のアンテナにひっかかって来ると思います。
ちなみに私は図書館が大好きです。
書店ではもう売られていない貴重な本の宝の山が図書館だから。
そういう世界から完全にブッとんでいるのがLEGACY様です。
ソ連崩壊がEU統合のためにあったこと、TCの会合でゴルバチョフが1億ドルで買収されたこと、
何よりもその叩き台がナチのセミナーにあったということ。ご主人様の本拠地がダッハウにあること。
こんなことどこの本にも書いてありませんよ・・・・・・
お話できるのを楽しみにお待ちしています。
ありがとうございます。
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/224.html#c109
はぁ〜???
原発ってのは、構造自体はボイラーなんだぞ?燃料以外は。
ボイラーと配管がしょっちゅう事故を起こすことはあたりまえだ。
おまえ、戦後五十年、いかほどの原発事故があったと思っているのだ?
科学的なものは科学的だ。
現代のカルトでない証拠に、たんなる数式の羅列が原子爆弾を生み出した。
原子爆弾は数学がなければ生まれていない。
これが科学の力だ。おまえごとき妄想狂がかんたんに鼻をうごめかせるほど敵は軟弱じゃない。
謙虚であることを忘れたものは憐れだ。
http://www.asyura2.com/11/genpatu12/msg/916.html#c13
>日本も「頼れるものは自分だけだ」という自覚を持たねば。
日本の場合はアメリカ(英米?)べったりだから、他の国と違い、本当に「頼れるものは自分だけだ」状態のような。
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/215.html#c2
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1738695740&owner_id=6445842
「横断幕に書かれている内容がすべてです」と言ふ言葉に、私は、逆に、宮崎駿監督の思ひの深さを感じます。
平成23年6月18日(土)
西岡昌紀(内科医)
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ジブリ横断幕は宮崎駿監督が考案!「攻撃的な意味はありません」とスタジオジブリがコメント
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1641046&media_id=14
(シネマトゥデイ - 06月17日 17:50)
スタジオジブリからのメッセージ 写真撮影:壬生智裕
東京都小金井市のスタジオジブリの屋上に、「スタジオジブリは原発ぬきの電気で映画をつくりたい」と書かれた横断幕が掲げられ、ネットを中心に話題を集めているが、同横断幕は宮崎駿監督の考案であることがわかった。スタジオジブリは、16日午前中に同横断幕を掲げたことを明かし、「攻撃的な意味はありません。横断幕に書かれている内容がすべてです」とコメントした。なお、詳細については8月10日発行の小冊子「熱風」にて発表するという。
『風の谷のナウシカ』や『となりのトトロ』『もののけ姫』などの例を挙げるまでもなく、宮崎監督は一貫して、「自然と人間との共生」をテーマに作品を生み出してきた。一方で埼玉県所沢市や東京都東村山市などの森を保護する「淵の森保全連絡協議会」の会長を務めるほか、昨年の9月には原発の安全性をPRする福島県双葉郡富岡町の「エネルギー館」から『となりのトトロ』などのキャラクターグッズ販売を撤退させるなど、環境問題には人一倍関心が強いことはよく知られている。
そして震災後の3月28日、映画『コクリコ坂から』の主題歌発表記者会見の際にも、節電のためにマイクを使用せずに行うなど、一貫して自然と現代社会とのかかわり方について考え続けてきたスタジオジブリ。そこで宮崎監督は「今は高所から文明論を軽々しく語るときではない。今も原発で作業する人たちなど、多くの犠牲に感謝と誇らしさを感じる」とコメントしていたこともあった。
原発の是非を問うと必ず「ではお前は電気を使わないで暮らせるのか?」といった感情論になりがちだが、確かにここまで発展した文明を今さら後退させるのは不可能なこと。しかし、福島第一原子力発電所の放射能の問題の解決のめどがいまだに付いていない現状もある。未曾有の被害を受けた日本が今後、エネルギー問題をどうするべきなのか、世界が注目している。そんな中で出されたスタジオジブリのメッセージは、日本人としてどのように生きていくべきなのか、ということを改めて見つめ直すきっかけになるのではないだろうか。(取材・文:島村幸恵、壬生智裕)
本当に30年もがんばった祝島の人たちはすごい。途中で心が折れそうになるよ
http://www.asyura2.com/11/genpatu12/msg/904.html#c3
この本は山本五十六とルーズベルト両人を攻撃するために書かれたようです。
著者のヤコブは言葉の詐術を使ってFDRと五十六を貶めています。
確証がないまま決め付けをしていますから、検証ではなくてプロパガンダです。
例えばヤコブが五十六を『骨の髄まで親米派のフリーメーソン』と定義づける理由は次の通りです。
>大正7年に五十六は帰国、10年から12年半ばまで海軍大学の教官に任じた。
>その後9カ月の欧州>視察旅行を終え、大正13年3月帰国。
>そして1年3カ月後、五十六は三たび渡米。アメリカの日本大使館付武官となった。
>戦前の海軍でこれほどアメリカと縁の深い軍人は他にいないのではないか。
> 山本五十六が骨の髄まで親米派となる過程は、このようにして造られたのである。
すごい暴論です。
アメリカに三度駐在すると『骨の髄まで親米派』と言われることになるなら、
例えばアメリカに10代の頃から留学していた松岡はどうなのでしょうか。
骨の髄どころか細胞の一個一個まで親米派でなければなりませんね。
松岡は細胞の一個一個まで親米派だったでしょうか?
実際は松岡は、近衛が手を焼くほどの親独ソ派でした。
今日は奇しくも五十六の命日です。(祥月命日は4月18日)
ヤコブは山本五十六の「死」を狂言と見なしています。
そのデッチ上げを検証してみます。
ヤコブによる五十六の死が狂言であることの理由
> 山本長官の「死」は明らかに狂言であろう。その穏された真相は次の如くであると推測される。
>>1.山本長官は太平洋戦争前半における帝国海軍崩壊のためのすべての役割を完了した。
>>2.そのため急遽姿を隠す必要が生じ、側近の宇垣纏中将(連合艦隊参謀長)や渡辺中佐参煤)と共謀し、あらかじめ暗号をアメリカ側に漏洩した上で長官機撃墜の一大ペテン劇を演出した。
>>3.当日、山本長官はわざわざ草色の第三種軍装を身にまとい、ジャングルを逃亡の際目立たぬよう略装にした。
>>4.米軍機攻撃の際、いち早くパラシュートで脱出、地上よりかねて打合せの場所からガダルカナル島米軍基地へと逃亡した。
>>5.捜索班が事故機を発見したとき、長官の身替りとされた男(恐らくは風貌の似た人物)を座席に縛りつけ毒殺した。
>>6.従って発見時には顔面の創も背部盲貫機銃創も存在しなかった。
>>7.その後、山本長官を「機上死」であると捏造するため、遺体に拳銃か鋭利な刀物で人工的な死後損傷を加えた。
1.についてはヤコブが根拠もなく決め付けているので検証のしようがありません。
2.については検証できます。
ジェームス・フォレスタル日記より
「勝利がよほどウレシカッタのか、誰かが山本提督の死が、
実は我々がすべて解読し待ち伏せした結果だと喋ってしまった。
横浜の米軍情報将校らはエラク怒っている。
せっかく暗号担当の日本海軍の将校らからじっくりと事情を聴こうとしているのに、
彼らは責任を感じて自殺をほのめかしているからだ。」
1943年4月13日
渡辺がラバウル司令部から暗号文で発した五十六の慰問のスケジュール表が、
アリューシャンにある米軍基地に傍受され、ハワイの米海軍解読室で徹夜で解読され、
14日8時2分ニミッツに報告された。
ニミッツ
「ヤマモトをゲットするべきかな?」
レートン
「日本にとってヤマモトはかけがえのない軍人です。
もし提督(ニミッツのこと)が墜死すれば代わりがいないのと同じです」
ニミッツ
「ハルゼーとミッチャーが元気づくのが目に見えるようだ」
FDR(フランクリン・デラノ・ルーズベルト)が了解する
「ゲット・ヤマモト!!」
ハルゼー
「孔雀は時間通りに行動するものと思量す。尻尾をうちわであおられたし」
4月15日山本機を攻撃する隊を『ヤマモト・ミッション』と命名。
ガダルカナル航空司令部ジョン・コンドン海兵隊中将が作戦を担当する。
コンドン
「たしか特別仕様の命令書には、 ”いかなる犠牲を払っても遂行せよ”、
とあり、ノックス海軍長官の署名があった。
いつそれを受け取ったかはハッキリと覚えている。4月16日金曜日だった」
4月18日深夜零時過ぎ
ミッチェル少佐が総指揮を取り『ヤマモト・ミッション』が決行される。
ミッチェル
「よく聞け、出撃要領を言う。離陸5時10分、編隊完了5時25分だ。
これは一秒の何分の一の正確さが必要だ。滑走路でヘマをするんじゃないぞ。
会敵まで2時間10分の飛行だ。
これも遅れてはいけない。攻撃機はランテイア大尉、二番機にバーバー中尉。
ゼロファイターが迎撃してきても相手にするな」
出撃搭乗員は18名。
『ヤマモト・ミッション』は、高度9メートルという超低空で飛行していく。
7時34分会敵。
戦後、渡辺安次元参謀とロジャー・ピーノウ大佐の聴聞の場面から
渡辺「あなたはずい分多くのことを聞こうとし、私もできるだけお答えしたつもりだ。
今度はこちらから一つだけ質問してよいだろうか?」
ピーノウ「・・・・・・・」
渡辺「どうやって長官を待ち伏せすることができたのか?」
ピーノウ「実は私は知っているが軍への誓いがあり、残念ながらお答えできない。」
以上は、ヤコブの言うように渡辺参謀が狂言の共謀者であったら有り得ない会話です。
アメリカ情報将校が日本の暗号担当将校の尋問を行い、渡辺参謀も聞き取りされています。
その中での会話です。渡辺参謀の無念が伝わってくる場面です。
その渡辺参謀をして
>あらかじめ暗号をアメリカ側に漏洩した上で長官機撃墜の一大ペテン劇を演出した。
と言うのは完全な冤罪です。ヤコブの一大ペテン劇の演出に引っかかってはいけません。
3.はこじつけ。
五十六はブインの第1航空隊を慰労かたがた訪れようとしていました。
しかし陸軍がまだ残っていて、カーキ色の軍服で泥まみれで働いていたのです。
その陸軍に配慮して三種服装を選んだのです。
伝達が伝わっていなかった軍医長と主計長だけが純白の二種軍装をしていましたが、
航空参謀甲乙、通信参謀、気象長、宇垣纏参謀長、副官、五十六の全員が三種軍装でした。
4.そのような八百長だったら、
2のような一秒の何分の一も正確さ要求される精密な『ヤマモト・ミッション』が組まれたでしょうか?
5.6.7.のずべてがヤコブの詐術です。
ヤコブは次のように思わせぶりな文章でいかにも死が偽装されたかのような暗示をかけています。
>山本長官の遺体は機外に投げ出された座席に腰かけ、軍刀を握りしめたままであったとされているが、
>その死には深い謎がつきまとう。
> 大本営発表の「死体検案書」(死亡診断書)と「死体検案記録」(死亡明細書)によれば、
>死亡日時は「昭和18年4月18日午前7時40分」である。
>傷病名は「顔面貫通機銃創及び背部盲貫機銃創」であり、
>末尾には「右証明ス 昭和18年4月20日 海軍軍医 少佐 田淵義三郎」として署名捺印がある。
>ところが墜落現場を最初に発見した浜砂陸軍少尉は次のように証言している。
>。ヨ長官はあたかもついさっきまで生きていたかのような風貌で、
>機外に抛出された座席上に端然として死亡していた……その顔面には創はなかったし、出血の痕もなかった。
>その発見は墜落後実に30時間前後も経った頃である」
30時間前後も経ったというのに、さっきまで生きていたかのような風貌だったら、
死が偽装されたことにどうしてなるのでしょうか?
要は即死ではなかった、というだけの話ではないですか。
そんなこと普通にあることです。
現場の検死メモによると、五十六は墜落後一日近く生存していたようです。
> 同様の証言は陸軍軍医・蜷川親博中尉も行なっている。
>蜷川中尉は長官機遭難現場近くの歩兵第23連隊の次級軍医として勤務していた。
>このため、中尉は救難捜索行動に参加し、長官死体の検視も行なっている。
「なぜ死んだのか分らないようなきれいな死体は五十六だけではなかった。
乗員らしい三人の死体はいずれも五体が満足にそろっており、致命的といえる外傷がみとめられなかった。
墜落後も生きていたとしかいいようがない姿であった。
参謀と思われる中佐などは、黄色いワイシャツのボタンを外し、三種軍装の上着を四つ折にして、
枕にして横たわっているのであった。」(大野芳著『山本五十六自決セリ』)
> にもかかわらず、山本長官の秘蔵っ子と言われた渡辺中佐参謀は、
>事故のあと19日、ラバウルより現地に急行、
>>20日夕刻掃海艇上に運び込まれた長官の遺骸を検死して大本営と全く同一内容の証言をしている。
「長官遭遇の第一報がラバウルに入り、やがて護衛の零戦がもどってきて報告を聞いたとき、
渡辺は、すぐにでも現地に急行したかった。ところが、激しいスコールのために、
予備の一式陸攻の整備が間に合わないというので、その日の移動を断念した。
渡辺はほとんど一睡もせずに翌朝6時半東飛行場を飛び立って駆けつけるのである」(前掲書より)
>渡辺参謀の証言内容とは「20日夕の時点で顔面貫通機銃創と背部盲貫機銃創は共にあった。
>>4月18日、機上での戦死は間違いない」というものである。
> 前出の田淵軍医は「私が検死した時点では顔面に創はあった」
>。ヨ姐(うじ)の侵蝕とは考えられぬ>」とし、
>さらに重要な証言「死後の作為が加えられたかどうか判らない」と言いながらもその可能性を強く示唆している。
ヤコブはこのような文章を書いて、死後の作為が加えれたと暗示にかけたいのでしょう。
思わせぶりな言葉に惑わされてはいけません。
渡辺参謀が五十六が機上死したことにしたかったように、
田淵軍医もそれにならって検死書に作為を加えたのです。
死の偽装ではなく、死因を偽装したのです。
以下、前掲書よりの抜粋です。
「そこで私は、『山本五十六の最期』の著者・蜷川親正さんを訪れた。
長官を検死したという蜷川軍医大尉の弟である。
蜷川さんの調査は、亡兄のメモを参考にして長官の死亡時刻を医学的に割り出している。」
「わたしは、山本長官に関する本の中に、墜落後も生きていたような噂を収録したのを見ている。
が、この種の噂はいくらもある。例えば、特攻第1号とされた関行男大尉が、生きて故郷に帰っている、
といった類である。山本生存説を唱えるこれらの記述も、これに似たようなもので、決め手となる証拠はなかった」
「蜷川メモを専門家に見せたところ、これでは立って見ていただけではないか、という。」
「そのメモには、もう一つ重要な点が記してあった。右肩上の『擦過傷?』と書いた部分だ。
草鹿任一中将の証言と『田淵検案書』とを見比べてみると、明らかな違いが分る。草鹿の証言によれば、
機銃弾が左から右へ貫通したことになっている。また、『田淵検案書』には、左下顎角から射入し、
右こめかみに抜けたとある。とても、『擦過傷?』どころではない。現場を見たひとの証言では、
『長官の顔はきれいだった』とあり、これはおそらくその通りではなかったかと判断した。
つまり蜷川さんの本の『ウジによる侵食が弾丸の創口のようにした』という記述を採用すべきだと考えた」
「わたしは、長官の軍刀が完全な姿ではなかった事実をあとになって山本長官の長男義正さんから聞いた。
柄の部分が飛んで、刀心(にぎりの部分)が剥き出しになっていたのだ。目釘(止め木)が吹っ飛んだか、
柄の紐が切れたかのいすれかであろう。軍刀を膝に挟んで腰掛けて自決をしたとすれば、当然に額がまえのめりになり、
刀心が当たることになる。つまり、そうしてできた傷口にウジが湧き、侵食部分が拡大されたのではないか。」
「草鹿証言と『田淵検案書』が、ともに貫通説を採用しているが、それは長官の機上死を強調するには、
弾丸が貫通しているほうが好都合だからではないかと見た。なぜならば、20ミリ機銃の弾丸が当たったなら、
頭部が吹っ飛ぶほどの破壊力があるはずである」
「では、なぜ長官は、左下顎から撃った、つまり左手で自決したのか。
『田淵検案書』には、『左肩甲骨中央部に示指頭大の創面あり』としているが、『山本五十六の最期』のなかで
蜷川親正さんは、安部大尉らの証言で『右肩甲骨』を負傷していたとしている。安部大尉は、裸にして長官を検死
している事実からも、この証言の方が正しいと判断せざるをえない。
だから拳銃の引き金を引くには、自由になる左手しかないのである」
「撃ったあと長官の左手には拳銃が握られていなければならない。ところが、その証言は皆無である。
しかし、誰かが拳銃を見て、『自決』だと知った。それが百武軍司令官に報告されていなければならない。
が、その証言はない。わたしは、蜷川軍医が隠したとしたが、これはあくまでも推測である」
連合艦隊知れ長官が自決したとあっては全軍の士気にかかわりますから当然のことだと思います。
五十六は戦局が悪化するにつけ、
「あと一年で自分の心身をすりつぶしてしまうつもりだ」
と言っていました。
以下は留守をしていた藤井参謀の回想です。
4月18日の夜幕僚室にいた私は、長官遭難の電報を手にした。
読み終わるや、背筋から腰から一切の力が抜け去るようである。
フラフラと腰を落とした。
色々のことが走馬灯のように頭の中をかけ廻る。
長官の戦死確実となった時、私は居残っていた磯部機関参謀と二人で、
長官室の整理にかかった。
机の中はきれいに整理されて殆ど何物もない。
級友堀氏宛外二、三通の封書があった。
抽出の中に半折の唐紙に達筆で書かれた一枚の書。
二人は手にとって黙読した。
どちらからともなく『これは・・・』と洩らしたきり
お互いに顔を見合わせたままであった。
征戦以来幾万の忠勇無隻の将兵は命をまとに奮戦し護国の神となりましぬ
ああ我何の面目がありて見(まみ)えむ大君に将又逝きし戦友の父兄に告げむ言葉なし
身は鉄石に非ずとも堅き心の一徹に敵陣深く切り込みて日本男児の血を見せむ
いざまてしばし若人ら死出の名残の一戦を華々しくも戦いてやがてあと追ふわれなるぞ
山本五十六誌
ここまで書いてきてたまらなく鬱になりました。
楽しいエピソードを書きます。
五十六が非常に尊敬していた山下源太郎少将が亡くなられる前のことです。
長い闘病中、奥さんが昼となく夜となく枕元でつききりで看病していました。
奥さんの疲れは並大抵ではなかったのですが、
重病の大将が朦朧たる意識でポッカリ目を開いた時、
奥さんが枕元にいると安堵するように見えるので、
奥さんはずいぶん無理をして付きっきりでいました。
でもあまりに長期間にわたったため疲労が極限に達していました。
これは何とかしなければいけないと側近の人々の間で話がかわされました。
ある日の深夜のことです。
五十六は山下夫人常用の大島紬の着物を着て奥さんの帯を締めて、
大将の枕元に座りました。
赤い下締めまで、これ見よがしの、楚々たる五十六の姿には、
ちょっと似たところさえあるではないか。
場所が場所とてみなは声も立てられず、驚いて見つめていました。
時折昏睡から目覚める大将は、つつましくすわる五十六の姿を見て、
夫人だと思い込んで、安心されているので、
みんなは喜びもし感激もしたということです。
当時、五十六は毎夜山下邸をお見舞いしましたが、
病人の安静を害さぬようにと、
玄関でも台所でもそっと戸を開けて、
音をたてぬように風のごとく出入りをしました。
戸締りがしてある時は、
忍者のように塀を乗り越えて行き来していたそうです。
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/224.html#c110
また、静岡茶をPRするために「1038ベクレルだけど安全ですよ(市長)」と書いた上で市民に無料配布するのが、良いです。
あれ?でもこれって放射性物質拡散かな? てへ
http://www.asyura2.com/11/genpatu12/msg/896.html#c16
危険すぎて、世界中が実用化を諦めた。
利権と予算を食い物にする日本の狂政治家とクソ官僚どもが延々と続けている。
少なくとも、これを推進するヤツラには家族を含めて全員、もんじゅ構内に居住を義務付けろ。
電力会社役員と家族にも原発構内居住を義務付けろ。
原発が安全ならできるハズだ。
http://www.asyura2.com/11/genpatu12/msg/913.html#c9
小さな子供がいても避難しない人たちは
子供が病気になった時、悲しんで、涙を流して諦めるのでしょう
日本人はずっとそうしてきたようですから
http://www.asyura2.com/11/genpatu12/msg/855.html#c49
6月8日名古屋大沢田昭二名誉教授×岩上氏@IWJ (ぼちぼちいこか。。。)
http://blog.livedoor.jp/tokiko1003/archives/2799584.html
http://www.asyura2.com/11/genpatu12/msg/895.html#c3
・1号機は津波ではなく地震による損傷でメルトダウン:再循環パイプの破損で津波前から毎時25トンの冷却水漏れ
http://www.asyura2.com/11/genpatu11/msg/584.html
投稿者 あっしら 日時 2011 年 5 月 23 日 05:26:10: Mo7ApAlflbQ6s
>1号機は、地震で再循環パイプが損傷し冷却水の漏れを生じ、…津波ではなく非直下型の震度6強の地震でまったくの機能不全に陥り、午後8時ころにはすべての炉心が露出して全面的なメルトダウンに向かったと言える*。
ここでの目玉は津波ではなく地震そのものによって機能不全に陥ったということを強調したかたのだろう。
だが、それが何なのさということだ。その辺の事情を的確に指摘しているのが次のコメント。
http://www.asyura2.com/11/genpatu12/msg/492.html#c14
>本当の騙しの手口は、「津波か地震かという原因」の問題に矮小化させようとしている、古川知事・原子力安全保安院・あっしらの共犯関係。漫才ではなく、ダチョウ倶楽部の様な三人コント。
地震そのものが原因で原子炉が暴走したことを解明したからといって、それが即脱原発の動きにはつながるとは限らない。
たとえば、震度8の加速度にも耐えられる原発を造るので万全です、と開き直る道(逆手)もあるのである。
*)1号機については津波以前に、地震の揺れで、配管に中規模または大規模の破損が生じ、そのため原発事故ではもっとも恐れられている「冷却材喪失事故」が起きたのでないかと、田中三彦氏は「世界」5月号で推測しているのである。(陳腐な議論を汗水垂らして展開するから徒労という)
1,結論。
あなたには、選択権が、一部あるだけ。
許可された選択権ですよ。
したがって、あなたには、完全自由など、初めから、ない!
2,そんな、アホな! ウソやろ!
と、言う人は、
宇宙の果てまで、行ってみましょう(爆笑)。
私は、これを実行した。
宇宙の果てまで行くと、なんと、何も無い(爆笑)。
まあ、何も無い、のではなく、暗黒のみが、あった。
近い表現では、光のない部屋に、いる状態やね。
目の前には、ただ、暗黒世界が、無限の様に、広がっていた。
3,さて、もう一つ、実験です。
ロバート・モンローの実験と、似たような事を、私も、実行した。
勘違いしないように。ロバート・モンローを支持している訳では、ない。
あなたが、幽体離脱に、慣れたら。慣れたらですよ。
この宇宙から、逃げ出しましょう(爆笑)。
あなたが、どこまで、行けるかにより、理解度が変わってくる。
私は、トコトンまで、自己意識をしっかり持ったまま、
この監獄宇宙から、脱出しようと、したのだ(爆笑)。
そうしたら、なんと、無理やり、連れ戻された、のですよ(爆笑)。
お前、一人で、逃げるのか!
と、言わんばかりに、操作されたのです。
不可視の操作者が、きっちり、あなたを、オチョクルでしょう。
私は、このオチョクリを、何度も、私が、理解するまで、やられたのだ!
死でさえ、操作されているのですよ。
なんと、この操作者は、宇宙の監視員なのです!(爆笑)。
あなたがたは、一人一人、例外なく、監視されているのです。
この事実を、はっきり、あなたが、理解したら、
あなたは、絶望するか、
開き直る、しか、ありません。
したがって、きれい事を言う宗教家、グル、聖者は、
すべて、詐欺師なのです(爆笑)。
なぜ、過去の聖者は、真実を、言わなかった、のか?
その理由は、アホな信者、狂信者が、殺す、からです。
もう一つは、あなたが、いずれ、知るだろう、と言う事を、
理解しているからです。
だから、私は、言ったのだ!
誰にも、従うな、と。
4,さらに、彼岸、極楽からも、脱出しましょう!
このレベルになると、乗り物、体は、無い!
あなたは、ただ、見る、視る、観る、だけ。
あなたには、意志、意思、が、
なんと、無いのですよ。
意志なき者が、どうして、何かを、実行出来るのか?
実行など、出来ないのだ!
これに言及していたのが、J・クリシュナムルティ、だったのだ!
意志なき行為。
意志なく、ただ、観る。
意志がないんですよ! みなさん!!!
私は、初め、J・クリシュナムルティの、
意志が、無い、
と言う、
この言葉の、意味が、どうしても、理解できなかった。
言葉の意味は、理解するが、
いいですか、みなさん、
J・クリシュナムルティは、体験したのです。
そして、理解したのです。
だから、言語で言及したのです。
いいですか、
私も、同じように、体験したので、初めて、
J・クリシュナムルティの、言う事を、
理解できたのです!!!
知識だけでは、アカン、という事に、気が付きましたか?
この観る、視る、は、
全宇宙の、いかなるものでも、観れるのです。
これは、第三の目の様な、オモチャでは、ありませんよ(爆笑)。
今夜の結論、
あなたに、絶対自由は、無い!
生きようが、死のうが、
あなたには、絶望しか、ないのです。
これが、事実なのです。
あなたは、水槽の中の、金魚、みたいなもの!
http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/429.html
私が、会った時は、1999年12月で、32階級でしたが、
一年後ぐらいに、33階級に昇格したとかで、Certificationを
見せてもらったと、元メイスンリーの友人(今は連絡が取れない)は言ってました。
日本人トップではないです。影武者的な存在ですが、裏社会に詳しい日の丸神道の
”山師さん(摩耶山)”も言ってましたけどね。
島唄さんが知っているメイスンリーは、表社会の人ではないでしょうか?
雑誌で知ったのですが、クリントン氏も大統領時代は30階級なので
階級的には、大統領より上になりますね。
私の会った人は、キッシンジャーと世界中を回ったと言ってましたが
ユダヤ・フリーメイスンでは、どのような基準で階級を決めているのかも知りません。
>人種差別されている日本人
ただ、私の会った人はユダヤ系日本人なので、出世したと、友人は言ってましたね。
三人で、日本の為に、メイスンに潜り込んで頑張ろうと誓って入会し
一人は、友人の家の近くの公園で、突如、首吊り自殺し、誰も自殺原因が解らない状態。
友人は、暗殺されたんだと解釈しメイスンを辞め、引越しし托鉢行をやっていました。
国宮殿下も、同じ研究をしていたそうですが、暗殺されたと思われるメイスンリーは
地上から、衛星を破壊する電磁波発生装置の研究をしていたそうで、その研究内容が、
ユダヤ・フリーメイスンの反感を買ったのだろうと言ってました。
私も、山師さんのように、霊能を開けば、ハッキリした事実を把握できるでしょうけど、
この程度しか解りません。
って言っているのは、ケロリンさんではなくて、かつて、小出さんとの論戦の中で「大橋さん」が言っていた言葉ですよね (・3・)
http://www.asyura2.com/11/genpatu12/msg/916.html#c15
国家戦略本部 第10回 平成14年2月27日
「21世紀の日本人」(1)
講師 川勝平太(国際日本文化研究センター教授)
http://web.archive.org/web/20080927221549/http://www.vectorinc.co.jp/kokkasenryaku/index2.html
現在
国際日本文化研究センター教授
略歴
早稲田大学大学院経済研究科
英国オックスフォード大学院博士課程修了
早稲田大学政治経済学部教授
著書
富国有徳論(紀伊国屋書店)
海洋連邦論(PHP研究所)
■川勝平太講師
川勝です。大事な会議にお招きいただいて、光栄です。
21世紀の日本人がいかにすれば元気になれるかについて、愚見を申し上げ、ご批判を賜りたいと思います。
現下の外務省のゴタゴタに対する国民感情が典型ですが、国民は政治に倦んでいます。
失業率が6%近くになって経済も病んでいます。テロ事件や不審船事件のほか、阪神・淡路大震災のような自然災害の危機が潜在しており、国民が政治のリーダーシップを高らかに仰ぎ、新しい国づくりにむけて意識改革に燃え、ここ日本は安全で安心な文明国であるという誇りをもてるようにするにはどうしたらいいか。私は、人心の一新は首都移転にしかず、という意見です。
平成2年に衆参両院の諸先生方が議決をされ、法律を定められ(議員立法でございました)、国会等移転審議会が平成8年に設けられ、平成11年の暮れに答申が出て三地域が候補地になりました。その後、諸先生方の決議で、2年後に一地域に絞り込むことになりました。その期限が今年5月末にまいります。首都の移転は、こういう厳しい状況ですから、財政問題等、難題はありますが、日本の首都移転の国民の意識への影響は甚大なものがあると思います。
日本国民の一番の理念とは「一国の独立の基礎は一身の独立にあり」というものでしょう。なぜそういえるのかと申しますと、日本はそう喝破した福沢諭吉を最高額紙幣一万円札に刷り、日本の顔として世界に通用させているからです。一人一人の独立、個の自立を基礎にした国づくりという理念は、万国に通用し、説得力の高いものです。
もう一つ日本の顔があります。首都です。日本は首都の場所によって時代区分してきた世界に唯一の国です。奈良、平安、鎌倉、室町、江戸、その後、明治からは東京に移し、首都と時代との関係は極めて明確です。奈良・京都は唐の文明を入れる器でした。奈良の平城京、京都の平安京は唐を文明と仰ぎ、長安の都を模して日本をつくる装置でした。奈良時代、平安時代は中国文明を受容した時代です。
その後、首都機能は鎌倉に移りました。鎌倉には五山の文化、禅の文化、庭の文化、茶の文化があります。これらは長安の文化ではありません。南船北馬といわれる中国には、大陸中国の北の文化と海洋中国の南の文化があります。例えば天目山は浙江省にあり、そこで使っていた茶碗と同形のものが天目茶碗として親しまれ、栄西はお茶を浙江省から持ってきました。禅、庭、茶など中国の南の文化が鎌倉に入ったのです。
鎌倉から首都機能は室町、すなわち京都に移りますが、北の大陸文化と南の大陸文化、この二つの中国の文明を統一したものが室町です。室町時代は公家の文化と武家の文化を融合したと日本史家の間でいわれますが、三代将軍義満は金閣寺をつくって北山文化、八代将軍義政は銀閣寺を建てて東山文化を生みました。そこには禅・庭・茶の文化が息づいています。中国との関係で国のかたちを見ますれば、日本は室町時代に南の中国の文化と北の中国の文化を京都で融合したと見ることができます。
中国は、長安、臨安、南京、北京などと、国の首都を移しましたが、首都を移しても時代名を変えません。そうした首都の多くは今や廃墟あるいは遺跡となっています。日本を見れば、京都には唐の長安のたたずまい、鎌倉には中国の南の文化のたたずまいを生きた文化遺産として残しています。まさに日本は東洋文明の生きた博物館であり、それが奈良、鎌倉、なかんずく京都にあると見ることができます。
しからば江戸の都に外国モデルがございましょうか。どこにもありません。日本が独自につくったものです。言いかえますと、中国文明からの自立を示すのが江戸の姿です。城郭の周囲に武士を集住させて城下町をつくり、農村をその周辺に配した一国一城政策がとられ、北は津軽から南は薩摩藩に至るまで、いわば小江戸がつくられました。室町時代に各地に小京都がつくられる。すなわち、中国文明を入れ切った日本の姿が全国津々浦々に
つくられたように、江戸時代には、中国から自立した江戸の姿が城下町として全国津々浦々につくられたのです。
明治維新以降、日本の時代区分は天皇のご在位によって明治、大正、昭和、平成に時期区分されていますが、まもなく一括して「東京時代」と呼ばれる時代が来るでしょう。東京は西洋文明を受容する装置であり、東京時代とは西洋文明を受容した時代です。
奈良、京都が北の大陸中国の文化を受容した時代の首都、鎌倉が南の海洋中国の文化を受容した時代の首都、室町が南北両方の中国文化を入れ切ったときの首都、江戸は中国文明から自立したときの首都であったのと同じ脈絡で、東京は欧米文明を受容したときの首都です。欧米文明の受容とそれへのキャッチアップが終わった今、全国津々浦々につくられてきた「ミニ東京」という呼称には、いまや蔑称に近い響きがあります。地方の人々は
いまでは「ミニ東京だ」といわれるのを喜びません。脱東京化すなわち西洋文明からの自立の動き、それは見事なまでに西洋文明を受容した東京からの自立として「地域自立」の動が全国津々浦々に広がっています。首都が移ることによって日本の国の形が変わるのは、日本の歴史に即して明らかです。
国会等移転審議会で16項目について一つ一つ点数をつけて、一番高い点数をとったのが那須・阿武隈です。反証は難しい。さらにもう1項目、例えば皇居をどうするかという項目は、どういうわけか入っていませんが、那須には御用邸がありますから、東濃や三重・畿央はその点で断然劣ります。現行憲法における陛下の国事行為を前提にしますれば、御用邸のある那須・阿武隈の地が、審議会の答申どおり、新首都にふさわしいと思います。
もう一つ、人心一新にかかわることとして、国民生活のライフスタイルが変わるというメッセージを伝えることが大切です。それには「生活の55年体制の打破」を掲げるのがよいと思います。細川政権の誕生によって破られた自由党・民主党が合同した「政治の55年体制」のことではなく、「2DK55型」「ハウス55」といわれた「生活の55年体制」です。昭和30年、1955年に今の都市基盤整備公団の前身の日本住宅公団が設立され、東大の吉武先生が考案された、台所で食事するという、昔でいえば使用人の生活スタイルを、ダイニング・キッチンという英語を使うことで、ハイカラとでも思わせたのでしょうか、2DK55型の住居、これは当初は一戸当たり30平米に満たなかったものが、大当たりして、千里ニュータウン、多摩ニュータウンのように、民間デベロッパーも参入し、ついに日本人の3人に1人が2DK55型とその変種の箱住みスタイルという結果になりました。
これが後に日本の都市景観の画一性、金太郎飴といわれる生活景観になったのはご承知のとおりです。
では、いかにして「55年体制の打破」を実現するのか。英語でいうホーム・スイート・ホームのホームの原義に返る運動をおこすことです。ホームは日本語では「家庭」です。
「家庭」という漢字を思い浮かべてください。「ハウス(家)」と「ガーデン(庭)」とが一体です。ハウス・ウイズ・ザ・ガーデン、あるいはハウス・イン・ザ・ガーデンです。
庭と家とが一体になって日本の「家庭」です。都市ではマンションという名の「箱」が、帰って寝泊まりするだけの場所、労働力の再生産場となりました。その原型が2DK55型で、この「箱」に、本来は屋敷を意味するマンションという名がつけられ、今1,400万世帯の人々が住んでいます。この生活の55年体制から脱して、多自然地域(自然の多い地域)に居住空間をつくっていこうということを地域分権とあわせて提唱していくことが生活スタイルの一新になると思います。
その一つの方法として、減反政策で遊休化している農地を活用できます。戦後の農地法は自作農創設を目的にしています。戦前の地主・小作関係の弊害への反省から導入されたものですが、数年前、新しい食料・農業・農村基本法が施行されました。第1の目的はもちろん食料の安定供給です。自給率がカロリーベースで40%を切っている今日、それを上げるのは重要です。もう一つの目的として、伝統文化の継承、水資源の涵養、環境の保全など、農業・農村の多面的機能がうたわれています。これは、農業・農村は農民の独占物ではなく、水資源の涵養や美しい国土の景観の保全は非農業民を含む国民すべてのものであるということをうたったものです。
現在、農民が急速にサラリーマン化しています。専業農家は40万戸を切っており、兼業農家も8割方が第2種兼業農家、要するにサラリーマンです。農民がサラリーマンに転化するのは簡単ですが、逆にサラリーマンが農民になるのは、農地法や自作農創設主義に阻まれて困難です。農業は専業農民がするという固定観念のもとに定められている制度が障害です。
第2種兼業農家のさらにその先に本物のサラリーマンがいます。そのようなサラリーマンが販売用農産物をつくるのではなく、半自給でも、4分の1自給でも、8分の1自給でも、16分の1自給でも、32分の1自給でも、あるいは64日分のうちの1日分の自給でも、売るためではない、農業ならぬいわば「農」の楽しみを渇望していることに思いをいたし、都市民に農のまねごとができるようにするのが筋ではないか。今日、ガーデニングがブームです。都市民が家庭菜園で土地を所有している人はほとんどいません。借りている人がはるかに多い。借地して農をする、いわば小作です。小作制度は戦前の悪弊として、戦後に否定されました。しかし、サラリーマンが農業に乗り出すのに土地を所有せず、むしろ借地する。そのために小作を復活させる。「サラリーマン小作」を55年体制の打破として提唱します。
日本人労働力の大半をしめるサラリーマンの間での農へのあこがれ、つまり自然と調和した生き方、家・庭一体、ハウス・ウイズ・ガーデン(家庭)へのあこがれがあります。
農地の借地については、土地基盤整備公団、地方公共団体、JAとか、しかるべき大組織が土地をお借りになるなり、地主になって、サラリーマンに又貸しされるのがよいと思います。社会主義のように農地公有化は、日本のように資本主義の市場経済にのっとっている社会ではできません。地主が公共団体、準公共団体ですと、安心できるだけでなく、土地使用について公的規制を設けられます。規制内容は軽井沢のような別荘地が参考になります。最低区画は1反(300坪)の1,000平米です。建物の建ぺい率は2割以下、300坪のうち建坪が60坪以下ですから、残りの240坪が緑になり、それだけあれば花を栽培したり、果物を植えたり、家庭菜園もできます。減反地を活用しサラリーマン各層が広く農に親しめるようにする。それは新しい農地解放です。減反させ、補助金を与え、果樹をつくらせている、これは二重三重の意味で無駄遣いです。
さらにいいますれば、現在の失業者は、いわば国破れて山河なしの状態です。戦後に外国から引き揚げてきた日本人には、国は破れたが山河はあった。唐の詩人、杜甫の名句が実感として思われた時代です。帰っていくべきふるさとはあり、疎開もできた。しかし、今、国民の80%が都会に住み、2分の1が三大都市圏に住んでいる中で、ふるさとをなくした人々が多くなり、失業しますと、生活品を現金で賄っているので、本当に食べる物もないということになりかねません。懸命に働いてきて失業し、帰るべき山河もないでは余りにも気の毒です。
さらに自給率で2割を切っている森林。日本は世界最大の材木の輸入国です。言いかえますと、世界最大の森林の破壊国です。同時に国土の7割弱の森林を悠々と持っている国です。みずからの森を保全して世界の森を壊す国といわれて何といたしましょうか。昭和30年代に国家が植林を奨励せられた。しかし、その後、外材輸入の政府の方針が変わったために、日本の山々が傷んでいるのです。山々に杉・ひのきの代わりに広葉樹を植えかえる等、緑の雇用事業を興す。そして、そういう人たちが中山間地域の減反地域に住んでいくようにすれば、たとえ現金収入がわずかでもやっていけます。
1930年代のアメリカのニューディール政策は、公共事業で貯金を投資に回すというケインズ政策が功を奏したのですが、今は公共事業批判もあるので、環境保全という大義名分をたて、人々に土に親しみ、食物については少しでも自給ができる方法を考えてください。
これは生活の55年体制の打破という脈絡で申し上げています。
さて、首都が移るとなれば、まず第1段階として立方機関の国会が移る。最終的には行政機能が移りますが、候補地住民も国民も、巨大な霞が関組織の再来を望んでいません。新首都に移すべき国家機能は外交、安全保障、通貨調整など国家主権の行使にどうしても必要なものに限り、他の行政機能は地域に委譲する。新首都に東京と同じ機能を移せば、公共事業への反感をあおるだけです。小さな世界都市、人口10万から30万ぐらいの規模、政令都市の10分の1から3分の1ながら、主権国家としての日本の立場をしっかりそこで発揮する場です。
つぎに、地域に権限を委譲する際の地域単位についてです。現在、47都道府県が地域の一番大きな単位です。しかし、島根県や鳥取県には70万前後の県民しかいません。府県の格差が大き過ぎます。地域ブロックを考えざるを得ません。現在、国の出先機関は、北海道と沖縄を除き、東北、関東、中部、北陸、近畿、四国、中国、九州の8ブロックに分けられています。この8ブロックに国土交通省の地域整備局など国の出先機関を配していま
す。地方整備局には、かつての中央の霞が関の権限の3分の1ほどを委譲して、知事の陳情ができるようになっています。省庁再編後のわずか2年でここまでなさいました。おそらく間もなく3分の2ほどの権限がそこに委譲されるのではないか。各ブロックに仮に地方長官をおくなり、県知事連合の政治的意思を反映させるようにすると、これはブロックといわないで、「道州」になると思いますが、これには一考を要します。
東京都だけで国民所得500兆円のうち80〜90兆円を占めています。関東平野全体、首都圏で180兆円ぐらいです。北海道・東北で60〜70兆円です。近畿ブロックで90兆円。四国はわずか13兆円。中国は2倍強で26兆円。九州は大体日本の10分の1です。同じブロックでも、四国ブロックでは関東ブロックの10分の1以下です。8ブロックに分ければいいというあいまいなまま道州制になっても道州間の格差は大きい。分ければかえって地域の不満を起こしかねません。
分権によって日本人が元気になり、新しい国づくりだとわかる分け方を考えねばなりません。参考にすべきは、1998年3月に正式に策定された「21世紀の国土のグランドデザイン」です。旧来の1極1軸型から多極多軸型に大転換し、多軸型として北東国土軸、西日本国土軸、日本海国土軸、太平洋新国土軸の四つの国土軸を提言しています。西日本国土軸(これは東京より西という意味で昔の第一国土軸のことです)の工業地帯以外に、多自然地域として、森の豊かな北東日本。かつての表玄関の日本海の歴史と伝統を持った日本海地域。太平洋の黒潮にあらわれる海の日本。これら少なくとも四つの顔を持った日本の姿を提示しています。
その考え方を受け、かつ経済規模を勘案しますと、基準は首都圏です。首都圏で180兆円の規模を持っています。その経済規模はフランスなみです。イギリスよりも大きい。関東地域だけでいわばG7に入れる。東京は90兆円の規模があり、カナダ規模です。東京だけでも先進国の仲間入りができます。G7がG8、G9になるぐらいのパワーを持っております。これを一つの基準にすべきです。首都圏は日本で一番大きな関東平野に広がっています。関東武者がかつて騎馬で駆けめぐった関東平野、「平野の日本」です。それに対して西方は、九州、中国、四国、近畿は、かつて額田王が天智天皇(中大兄皇子)を送ったときに歌われたという「熟田津に船乗りせむと月待てば」、これは四国ですが、瀬戸内海は内海でした。瀬戸内海を囲む中国、四国、九州、近畿で180兆円に達し、「海の日本」。これもフランス規模を持つ。イギリスを抜くわけです。そして、鈴鹿の関から東は木曽は山の中です。中央アルプスがあり、北には北アルプスがあり、南には南アルプスがある。まさに「山の日本」です。ジャパンアルプスの世界があります。これはカナダの経済規模を持っています。
西日本=海の日本。フランスなみ。山の日本=カナダ規模の中央日本。そして、関東の平野の日本、フランスなみ。北は白河の関を抜ければ一山百文などと悪口を言われましたが、そこには白神山地のような原生林があり、北海道の原生林がある。まさに遠野物語や、縄文の遺跡などのイメージが今に生きている「森の日本」です。
「森の日本」「平野の日本」「山の日本」「海の日本」と、自然景観の一番大切な四つの要素にそれぞれ立脚し、カナダが二つ分、イギリスないしフランスに匹敵する国力をもつ日本が二つ分。それぞれがサミットに出ればG10になって、10のうち4、40%が日本で、非キリスト教圏が4割ということで、文明間の対話にも寄与する。それはともかくとして、分権を国づくりとして行うことが、分権本来の内容でなければなりません。
そのためには税体系を根本的に変えないといけません。現下の国税の所得税、法人税、酒税、たばこ税、消費税をそれぞれの地域で徴収し、各地域の人口・経済規模に応じて、国家の安全保障、軍事、外交に必要な資金を拠出する。地方交付税を撤廃し、逆の「中央交付税」にする。いわばEUの日本版です。EUはヨーロッパの大小の国々が主権を譲り合って大きくなる。日本は大きな日本を小さく分権化する。方向性は逆ですが、結果的には、EU本部・議会にしろ日本の新首都にしろ、政府の役割は小さい。しかしその存在は重要です。主権にかかわらない国土交通省、文部科学省、厚生労働賞、経済産業省、農水省などの権限も財源も4つの日本に委譲する。そうすれば、新首都と地域との関係も明瞭になります。
それは言いかえますと、「県」をなくすことです。県は中央政府の下請け的存在で、中二階のようなもので、これは長期的には不用です。現在は平成の市町村の合併で、市民生活や福祉に直接かかわることを効率的にする。政令指定都市も増えるようで、県の役割は確実に減少します。県より大きな単位としては、先の大きき四つほどの日本にまとめるのがふさわしいと思います。
中央政府として国民がいだく物的イメージは、国会議員が国政を論じる議事堂の姿です。
議事堂も、明治以降、日本が欧米を模してキャッチアップすることを象徴して石造り。江戸城や京都御所とはっきり区別できます。首都機能をになう建物は時代を反映しているのです。議事堂は全国の代表の集まる場です。日本は地球環境問題を率先して解決したいということで、京都議定書も批准しています、それらに鑑み、北海道から南は九州、沖縄に至るまで、各地の代表を選ぶ。代表として選ぶのは各地の森林です。各都道府県から巨木を100本拠出していただければ4,700本になります。丸太のままがよい。削ると加工費も高くなります。丸太は表情が豊かです。丸太を床柱のイメージで国会議事堂を4,700本の床柱で作れば、壮観です。「オラさ、林の中にいるみたいだ」という宮澤賢治的メルヘン的世界になるでしょう。例えば屋久島の千年杉が入るとすれば、伐採前の写真、樹齢、樹木名をきっちり書き、個体識別できるようにして永遠にこれを顕彰する。そのようにしますと議事堂は日本の自然の代表です。集まり散じ人はかわっても、議事堂は日本固有の自然の代表ということになれば、「森の議事堂」として非常に魅力的パワーが生まれる。丸太の床柱群からなる国会議事堂は二酸化炭素をそこで固定しているのだ、と世界に胸を張れます。
立方府を森の議事堂になさいますと、議事堂が日本の森を活用して建物をつくっているように、地元の産物を生かして町づくりしていくという機運が生まれるでしょう。新首都が那須になれば「ミニ那須」——ミニ那須はおかしいですな。「小那須」も何となく変な感じですね。「北都」としますと小北都、森の都でもいいと思いますが、その名で日本中に地元の自然資源を活用する機運がみなぎります。日本は、北は寒帯的、南は亜熱帯、すなわちさまざまな風土に応じた生き方が現出する。「家のつくりやうは夏をもってむねとすべし」と兼好法師が言いました。私は京都で生まれ東京で仕事をしてきましたが、多自然居住を実行し、今は標高1,000メートルの軽井沢に住んで5年目です。今朝は氷点下マイナス3度か4度で、冬が厳しいかわりに、夏は冷房費は要りません。
「家のつくりようは冬をもってむねとすべし」と兼好法師に抗議をしたい。そのように地域に応じた住まいようがある。そのことは、世界の寒帯地域、温帯地域、熱帯地域などさまざまな地域への自然との付き合い方の日本モデルとして発信できます。日本は島々からなる風土ですから、各地で家と庭の一体のガーデンをつくり、自然調和型の景観を育てれば「日本ガーデンアイランズ」といわれるでしょう。それは地球という水の惑星に浮かぶ外国へのメッセージになります。地球は表面積の7割が海ですから、陸地は全体から見ればわずか3割にすぎません。陸地は島なのです。地球を大小様々な島々からなる多島海と見立て、「日本ガーデンアイランズ構想は地球をガーデンアイランズにするという志です」と言えば、「ガーデンアイランズ日本」はビジョンの発信になる。日本は東洋文明、西洋文明、東西両洋の文明を入れ切って地球に発信する時代です。歴史と風土に根ざした新しいライフスタイル、日本固有の「家・庭」一体のガーデン重視の生活スタイルに変え、「生活の55年体制」を打破したホーム・スイート・ホームをつくることによって、ガーデンアイランズといわれる美しい国のたたずまいをつくることが、環境破壊に悩む地球社会へのモデル発信になります。
来日されたブッシュ大統領が今回、国会で「シビライゼーション・アンド・テロリズム・キャン・ノット・コーイクジスト」と言われた。文明とテロリズムは共存できないと。9月11日のテロのときにも、文明社会、文明世界、文明人に対する挑戦だと言われた。
アメリカ人のいう「文明」という言葉を聞きますと、極東軍事裁判でジョセフ・キーナンが日本を裁くときにも、「これは世界を破滅から救うための文明の挑戦である」ということで、日本を野蛮の名のもとに裁いたのを思いだします。日本は明治維新以降、文明開化で、福沢諭吉さんが『文明論之概略』を書いて日本をいかに一等の文明国にするかということに腐心し、文明の実をあげたにもかかわらず、我々はアメリカ文明の名において「野蛮」として裁かれました。
ともあれ「文明」が21世紀の重要なキーワードです。日本は世界に冠たる文明国たるべきですが、私どもは「文明の衝突」を避けねばならない。今回のテロリズムを「文明の衝突」の脈絡で議論する危険は重々承知しつつも、歴史的には、ヨーロッパとイスラーム世界、ないしイスラーム地域になった東方との関係は不可分です。そもそも、ヨーロッパの古代・中世・近世・近代の転換期をごらんになりますと、いずれにもオリエントが決定
的役割を果たしています。
ヨーロッパで歴史の父といわれるヘロドトスは、あの全9章の『歴史』という書物の最後の7、8、9章で書いているのはペルシア戦争です。ペルシアをアテネが敗ったところで物語を終えています。東方の勢力を退けて初めてヨーロッパはヨーロッパになった、それが古代の成立です。
しからば中世はといいますと、オリエント地域がイスラームになる。イスラームが地中海に進出し、ローマのクリスチャンの「われらの海」が「イスラームの海」になり、ヨーロッパ人の活動領域がアルプス以北に閉じ込められて中世封建社会に入った。中世ヨーロッパはイスラームの進出によってつくられた。『マホメットとシャルルマーニュ』という有名な書物で20世紀前半の最高の歴史家のピレンヌがそう言って、歴史家にとっては常識です。
20世紀後半の最高の歴史家といわれるフェルナン・ブローデルが『地中海』という本で、近世がどのようにしてでき上がったのかについて書き、日本語でも5巻本として(ペーパーバックで10巻本)訳されていますが、その最後に書いてあるのはレパントの戦いです。オスマントルコの帝国を退けてヨーロッパは大西洋世界に乗り出し、近世の幕が開けたとあります。
このように、ヨーロッパの古代、中世、近世の時代転換に必ずオリエントがかかわっている。ヨーロッパのアイデンティティの中に、ルネサンスは言うまでもありませんが、オリエントの成果が入っていることは間違いありません。西洋とイスラーム東洋とは「文明の衝突」「文明の対話」「文明の共存」とどのような局面になろうと、切っても切れない関係にあるということです。
それを踏まえた上で、我々は、ヨーロッパ人が意図的に歴史の舞台から消してきたイスラームの世界、自己のアイデンティティの中で影響を受けた相手を消してつくり上げてきたヨーロッパの世界史、すなわち西洋の歴史を学んできました。しかし、日本はイスラームの世界に発見されました。日露戦争に勝ったときです。西はオスマントルコからアフガニスタンに至るまで、シルクロード世界はみな喜んだのです。旧ソ連の支配下にあったイスラームの世界の人たちは狂喜した。ヨーロッパに勝てるという自信を与えた。これはイスラーム世界における日本発見であった。この発見も広義の「文明の衝突」の脈絡のうちにあります。
一方、日本におけるイスラーム世界の発見は100年かかりました。「アジア」という言葉はヨーロッパからの外来語です。それまで「唐」「天竺」「南蛮」という言葉しかなかった。「アジア」という言葉を最初に使った人は福沢諭吉は『脱亜論』を書き、「亜」アジアについては中国と朝鮮のことしか書いていません。30年ほどたち、有名な『東洋の理想』で岡倉天心が、ヒマラヤ山脈によって隔てられているけれども、儒教の共同主義を持つ中国と、個人主義のベーダを持つインドがある。ヒマラヤ山脈によって隔てられた地域として天竺ではなくインドという地理概念で言った。1900年前後に初めてインドというのが日本人のアジア認識の中に入ったのです。
中東の発見は大川周明まで待たねばなりません。東条英機をげんこつで殴ってきちがい扱いされたあの方が『回教概論』を書いています。そして、司馬遼太郎さんが『草原の記』を書く、あるいは『韃靼疾風録』をお書きになる。モンゴルの世界が広がる。井筒俊彦先生のような世界的なイスラーム学者が出てくる。我々は中東から石油を依存している。
こういうことが相まってイスラーム世界が日本人の意識に入るのです。20世紀になってイスラームにおける日本発見があり、同時に、日本におけるイスラーム世界の発見があり、それはシルクロード世界の発見でもありました。
シルクロード地域とのかかわりは、日本の外交の一つの大陸政策になりえます。従来、東西の連衡を考えるときには、アメリカかソビエトか、あるいはアメリカか中国か、アメリカか旧ロシアかEUかという大国重視主義です。けれども、これからは国際関係の時代で、国連は多数決主義です。シルクロード地域にたくさんの国々があり、その大半はイスラーム国です。こういう地域は、今回のアフガニスタン復興で大使館を置くことになったように、実は大使館がないのです。しかし日本人のNGOが活動している。アフガニスタン復興の国際会議で日本の外務省はNGOをいれざるをえなかった。これは民間外交ができるところまで日本人が国際化したことを物語っています。外務省に全面的に頼らなくて外交ができる。外務省の援助があればもっといいとは思います。ともあれ、シルクロードは好日的、日本人もシルクロードに夢を持つ。日中戦争も、中国周辺のウズベキスタン、チベットのほか、少数民族の多くがもうちょっとで日本は中国に勝ってくれたのにと思っているところがある。ともかく日本という国はそういう中国周辺にある小国、シルクロードの小国にとってありがたい国です。シルクロード外交が東西軸に考えるときには重要であります。
しからば南北軸においてはどうか。南北においては、日本は島国で、西太平洋の一角に位置をしめており、西太平洋を生かすのが課題です。日本はアメリカに追随しているかのごとくです。しかし長期的にみれば、アメリカと日本は、新興国として並行的に発展してきた国です。アメリカにピルグリム・ファーザーズが行った17世紀初め、『文明の衝突』を書いたハンチントンのご先祖があのピルグルム・ファーザーズの一人ですが、彼らが東部に入植し、それから西部開拓に乗り出す。同じ頃、日本は江戸に幕府を開き、利根川を整備し、荒川を定め、江戸を100万都市にした。それまで戦争に従事していた足軽という土木の達人を軍事力から民間力にかえ、アメリカが西部開拓をしていたときに日本は東部開拓に乗り出したわけです。
アメリカがようやくヨーロッパから自立し、独立宣言をし、19世紀になってモンロー宣言といういわゆる鎖国宣言をしたときに、日本も1800年に初めて「鎖国」という言葉を使ってもう中国から輸入するほどのものは何もない、どの国も日本に来てもらいたくないと、無二念打ち払い令(異国船排撃法)、すなわち文字どおり鎖国令を出す。同じ時期です。
アメリカは太平洋に捕鯨にやってきて、捕鯨船員のために水と食料を供給してほしいと頼みました。人道的見地から日本は和親条約を結び、こうしてアメリカは日本開国の先鞭をつけましたが、その直後、内乱になりました。南北戦争です。日本も開国後、内乱になりました。東西の内乱です。西南の雄藩と東国の徳川が戦争した。アメリカが南北を統一してどうしたかというと、イギリスを追いかけた。日本は東西を統一してどうしたかというと、イギリスを追いかけた。両国ともイギリスを追いかけてどちらが大英帝国に信任せられたでしょうか。日本です。
日英同盟は、イギリスがナポレオン戦争時に大陸から締め出されて栄光ある孤立をしながら大英帝国を形成しましたが、その孤立政策を捨てて最初に対等の関係を結んだのが日本でした。日本はイギリスと組んで第一次大戦の戦勝国になり、北太平洋のほとんどの地域の統治を国際連盟から委託され、日本は太平洋地域の島々に教育を施した。第二次世界大戦で負けて、太平洋地域はアメリカの国際連合からの信託統治領になりました。そうした太平洋地域の島々が20世紀末に独立して、アメリカの戦後の統治と日本の戦前の統治を比べています。アメリカは軍事基地として使うか、援助漬けにしただけです。日本は教育をほどこしたということで、日本評価は高いのです。いいかえると親日的です。太平洋地域への過去100年間におけるコミットメントでは、アメリカと日本は五分五分、ないし日本に有利です。
西太平洋地域の南にはオセアニアが広がっていますが、その中心オーストラリアの最大の輸出国が日本、輸入元はアメリカに次いで日本です。オーストラリアがいかに日本と深い関係をもちたいかはご承知のとおりです。そうしますと、そこに「西太平洋津々浦々連合」、つまり島々の海洋連合を構想できます。離島も重要という認識も出てきます。外海にあって、小さくて、どうしようもなく、振興の対象とみなされ、国土の保全とか、海洋資源の確保とか、環境の保全とかだけで荷物に思われてきた離島が、国連海洋法によって200海里が排他的経済水域になり、離島の存在感も変わってきています。離島振興法も来年3月で切れますが、そのときに、西太平洋津々浦々連合構想のもとに小さな島々を大事にする。東ティモールでもそうですが、太平洋の小さな島国にとってはオーストラリア人が煙たい存在です。しかし、日本人なら歓迎される。オーストラリアはインドネシアでは嫌われていますが、隣国ですからどうしても大事にせざるを得ない。インドネシアは親日的です。オーストラリアは日本と組めばやりやすい。南太平洋の諸国のベクトルは北の日本に向いています。日本のベクトルはアメリカからだんだん自立してNIES、ASEANなどの海洋アジア地域との関係が深まって南に向かっています。西太平洋津々浦々連合は日本がリーダーシップをとれる位置にいます。
東西の連衡はシルクロード外交、南北の合掌としての西太平洋津々浦々連合をつくっていくことが、日本外交の新しい形になると思います。
そういう弱小国の多い地域にはODAによる援助が入っており、日本の青年が働いています。その中で最も好まれた国が、JICAの元総裁藤田公郎さんがシニア海外ボランティアとして行っていらっしゃるサモアです。17万人の人口のうち4,000人が失業している国ですが、そこにいる日本人ボランティアは、青年協力隊よりもシニア・ボランティアの方が多い。なぜかと聞きますと、美しく、安全で、安心な地上の楽園だからだというのです。家と庭が広い。庭の手入れが文化になっているので、庭がとてもきれいです。その庭にタロ芋、バナナもあり、鶏や豚が遊んでいます。建ぺい率が極めて低く、すごく豊かに見えるのです。豚や鶏がいなければ、ほとんどヨーロッパの高級住宅街かと思うようなところです。みなが共同で生活しているので安全で、犯罪が少ない。失業者がいても食うに困りませんから、これはGDP(グロス・ドメスティック・プロダクト)ではなくてGDH(グロス・ドメスティック・ハピネス)です。つまりサモアには国破れても帰っていく庭がある。全部現金で物を買う生活のばからしさがかえってわかる。
そういう島々に日本の青年が青年海外協力隊として2年間援助活動、いや実態に即していえば現地を学ぶ勉強をしています。フィールドワークです。彼等は帰ってくると相当冷遇される。彼らは海外の任地に行く前の3カ月は集中的な現地語教育をうけ、任地では2年間に書く5回のレポートは修士論文に値する。彼らにはアメリカのMBAに匹敵するMEAを与えるべきではないか。アメリカはMBA(マスター・オブ・ビジネス・アドミニストレーション)経営学修士という、大学が金儲けをするの資格をつくりました。日本はMEA(マスター・オブ・エンバイロンメンタル・アドミニストレーション)環境学修士という修士号を差し上げるのがよいでしょう。ところが文科省が青年海外協力隊は外務省の管轄なので学位を差し上げない。明治以来、留学といえば欧米に留学することでしたが、今、日本の青年たちは、欧米とは違う海外に行ってみようと、青年海外協力隊の試験を通り、日本語や獣医の資格などの能力を生かして行っています。海外を見たいという国際性をもつと同時に、勉強をした子が行っています。その青年たちの年齢は平均27歳です。
日本では彼等をないがしろにしています。JICA総裁の修了証書を差し上げるだけでは余りにももったいない。そこでMEAという新しい学位をつくって差し上げる。
こういうことも含めて、日本は南北軸では小国の多い西太平洋に津々浦々連合、それから東西軸ではシルクロード外交を展開し、同時にそれに学問をからめていくことが、21世紀の日本の世界への新しい貢献になるのではないかと思います。
以上、政治システム、経済の構造改革、危機管理に関しましては、災害対応に強く、国政全般を改革し、東京の一極集中を打破するというこの三大目的を持った首都機能移転によって突破口が開けるということです。外交安全保障に関しては、離島振興を、陸地中心から海洋中心にパラダイムを変えることによって、西太平洋津々浦々連合の中に生かす。
シルクロード外交は、イスラームとの関係を媒介にして、ロシア、中国、さらにEUに対する牽制にもなる。国際連合の中での友邦をたくさんつくることにもなる。生活スタイル改革に関しましては、「生活の55年体制」を打破し、家と庭が一体の「家庭」を復活させ、それを緑の雇用事業とあわせてやっていく。これはサラリーマン小作の勧めでもあります。
県をなくし、日本を「森の日本」「平野の日本」「山の日本」「海の日本」という四つの日本として地域再生を国づくりとして推進する。
この国の「顔」はカレンシーに刷ってある福沢諭吉です。福沢諭吉は「一国独立の基礎は一身の独立にある」「一身独立の基礎は学問にある」と言った。学問立国の顔なのです。
明治期における学問は洋学でした。しかし、洋学の時代は終わったと思います。明治5年に学制ができ、漢学、国学を退けて洋学でやると決めて、洋学の知識の体系に応じた国のたたずまいを欧米風してきました。洋学を今、毎年300万の学生が学んでいます。17万人の先生がいます。日本人が日本語によってすべての学問を教えているのです。教科書がすべて母国語で書かれている。そんなところはめずらしい。アフリカに行っても、カリブ海に行っても、旧植民地宗主国の教科書を使っている。日本語の教科書が書かれるのは、洋学は入れ切った何よりの証左です。入れ切って日本は世界第2位の経済大国として西洋先進国サミットの唯一の非西洋圏メンバーです。貯蓄率も高い。個人資産もある。森林資源もある。農地はほうったらかされている。これからは、むしろフロンティアを外ではなく中に求めていこう。そのための学問、地域を興すための学問が真の日本の学問になる。
洋学を目的にするのではなく、それを手段として踏まえた新しい学問です。それを「地域学(ローカロジー)」といってもいいし、「地球学(グローバロジー)」といってもいい。両者をあわせた地球地域学(グローカロジー)を立てて、地球の中で自分の地域がどういう位置にあるかを勉強していく。そういう新しい学問が今必要です。文科省が教科書を検定するなど、国民をばかにするなと言いたいですね。幕末には4万5,000の寺子屋があり識字率は世界一でした。検定はありません。けれども、持っている知識は共通していました。ましてや今日においてです。検定なしで何を勉強するべきかを見分ける実力を国民は持っていると思います。そういう中で我々は、薄っぺらい教科書でルーチン化した学問をやる時代を卒業して、地域に立脚した生き生きとした学問をおこすべきときです。
例えば漁師の畠山重篤氏が『森は海の恋人』という自伝を書きました。森と海と川との関係をみずからの体験から一つ一つ確かめていって、豊饒な海を持つためには広葉樹を山の中に植えねばならないということを発見していった人生の旅の記録です。海・川・森の関係は、彼が生きている気仙沼地域だけではなくて、日本津々浦々、さらに世界じゅうに成り立つ基本的な知恵であり、知識であることに気づいていく学問ですね。これはグローカロジーの一例です。ヨーロッパが、みずから辺境の地域から自立していくときに、学問を興し、その学問にのっとった形で国をつくり、それを我々がまねて勉強したように、今度は我々自身がみずから学問を立てて、それを人々が学びに来る、そのような学問立国としての顔を——私は、慶応の福沢さんより、早稲田の大隈重信さんの方がいいと思うのです。東西文明の調和を言いましたから福沢さんより構えがはるかに大きい。ともかくライバルの慶応の福沢さんの顔を日本に刷っており、学問立国としての日本という姿は胸を張れるものです。
清貧論などという偽善は言わない。豊かな富を恥じる必要はありません。富をどう使うかが問題です。シビライズドウエイで使う清富論であるべし。もともと富国強兵も、ご承知のように、それを明確に論じた横井小楠は国是三論で「富国強兵士道」と士の道がはいっている。「士道」とは「シビライズドウエイ」です。士道というと侍のイメージがありますが、富士の「富」はプロスペラス、富士の「士」モラル・プリンシプルズといえば富国有徳の国ということができます。日本の富は文明国にふさわしい使い方をする、環境破壊や人命の殺傷というのは野蛮な使い方です。富国有徳の国づくりが日本の世界に対するアイデンティティになると思う次第でございます。(拍手)
http://web.archive.org/web/20080927221549/http://www.vectorinc.co.jp/kokkasenryaku/index2.html
拍手はせず、拍手一覧を見る
処が現在、原発のお膝元・福島を除く「社会」全体で希求し行っているのが、「鼠1匹」程度の備えだ。「大山鳴動」以上の現状を前に社会全体が此の様では、全員でお手々繋いで、岩を抱いて淵に入る様なもの・・・正に自殺行為である。
滅んだ後に異変に気付いても最早遅い。というか、滅んだ時点でハイ御終い。
こねこねこ氏の考えが社会の支持をどれだけ受けているのかは判らないが、若し此れが「社会の総意」ならば・・・採るべき「攻めの1手」は限られてくる。
http://www.asyura2.com/11/genpatu12/msg/916.html#c16
ただ人肉は人工保存料やらステロイドやらわけのわからない薬付けが多くてそっちの方が怖いけど。
ある意味、養殖真鯛と一緒かな。
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/420.html#c10
敗戦で捕虜になり、下級兵士には禁止していた【生きて虜囚の辱め】を受けたのだ。
命令を出したヤツは責任を取らないのが、日本の悪しき伝統だ。
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