43. 2011年4月28日 22:17:55: p16ROxhCSU
32
そうだね。みんなでできる事からやっていこう。
http://www.asyura2.com/11/genpatu10/msg/113.html#c43
03. 2011年4月28日 22:20:46: ynSQvzTlvk
「緊急作業に従事して通常の限度を超えた人が他の原発で働けなくなる」って言ってるけど、被曝が原因で働けなくなることは、考えないのかな。
01. 2011年4月28日 22:20:48: M6askrW2gs
はぁー?相変わらず新聞の丸呑み?
http://www.asyura2.com/11/lunchbreak46/msg/464.html#c1
46. 2011年4月28日 22:21:46: TEsdEQp0Zw
>>36. 2011年4月28日 20:14:04: 2cIUw2Wa0Y
BUTAは黙ってろ!
ここは人間が来るところだ!
何? 「BUTAとは失礼な! 撤回しろ!」だと?
…そうか、それは済まなかった。俺も言い過ぎたよ。撤回して言い直そう。
UJIは黙ってろっっっっ!!!!!!!!!!
http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/760.html#c46
今晩のたねまきジャーナル、プルトニウムは聞いた事あるけど、アメリウム、キュリウムってなんじゃそれは?って感じです。
山本義隆の「熱学思想の展開」にも、そんな元素出てこえへんかったぞ。
小出さんの今晩のお話、ウランが核分裂起こすと、プルトニウムができて、プルトニウムに中性子が当たるとアメリウムができて、アメリウムに中性子が当たると
キュリウムができるらしい。キュリウムってキュリー夫人に敬意を表して付けられた元素名なんか?
初めて耳にする元素名で勉強になりました。
今日も、小出センセイのところ要約いただきました。感謝いたします。
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11. 2011年4月28日 22:04:20: z5nYIYBmV6
ジャック・どんどんさん、今日のお話が来ました。今日は、汚染水と、作業員の被曝環境、さらにキュリュウムという元素のお話です。
毎日放送ラジオ「たね蒔きジャーナル」、本日は千葉猛さんのご案内で、毎日新聞論説委員の藤田悟さんのご案内でお話がありました。千葉さん、東北のお酒を被災地応援に飲んでおられるそうです。
まず、原発ニュース、事故対策の拠点で作業員の浴びた放射線を東電が毎回記録せず、後から推定していたことが分かりました。ここで作業員が寝泊りしていて、災害対策本部で線量計をつけておらず、正確な記録ではなく、これくらいと推定しているのです。水素爆発後、0.1ミリシーベルト/時間を越えています。年間1ミリを超える被曝をした人もいて、東電の管理は杜撰です。
厚労省は、5年間で100ミリシーベルトを超えないなら、他の原発で働いてもよいとしています。福島では年間250ミリのことになり、範囲を超える人が出ているのです(むちゃくちゃだ)。原発作業員は7万人いる(7万人しかいない)ので、作業員がいなくなり他の原発での作業に支障が出るのです(だったら、私は他の原発を止めたらいいと思うのですが…)。
1号機の温度、圧力は下がっています。圧力容器に入れる水を6トン→10トンにして、14トンにはしていません。格納容器が大気圧以下になると回りの空気が入り水素爆発の可能性もあり、まだきわどいです。
汚染水処理で、アレバ社が対策を立てています。「共沈法」になります。
アメリカ南部で竜巻が発生し、原子炉の電源喪失も起こっています(アラバマ)、原子炉が緊急停止(福島第1と同じタイプ)で、ディーゼルにより生き延びました。
そして、小出先生のお話、1号機の水棺、原子炉の水の量を2.5倍にせずに温度、圧力が下がったのですが、どこかで漏れている、放射性物質が漏れる、水を入れたら圧力が上がるのに下がるとは漏れていて、破損が広がるのです。圧力容器の圧力が下がるのはいいこと(炉心を冷やさないといけないので、1号機は温度がなかなか下がらなかったのに、やっと下がった)なのです、これは本来の目的になっています。
高濃度汚染水の広がりを防ぐため、地下に壁(セメントを入れて地下40mまでの壁を作る、酒の枡のようなものを作る)のですが、それで防げるかは、小出先生、専門知識がなく分からないが、難しいだろうとのことでした。
福島第1の地下に大きなプールを作り水をためる(地下46m)、ばかげた説明で、そんなもので水が止まるわけはない、地震で地面も割れている、無理のある構想だということで、巨大タンカーで対処すべき、40mの壁にどんな工事になるのか、ということで、1秒でも早く実現できる策がいるので、これは実現性の低いものなのです。追い込まれた中ではダメなのです。
福島県郡山市の土の除去、取っても最終処分地がなく行き詰っている、福島原発周囲は無人地帯にしないといけない、そこに汚染物の「墓場」にしないといけないとのことでした。そうしないとダメ、産廃処分ではダメなのです。放射能管理の出来るところが要るのです。放射能汚染された瓦礫の処理場所は、こういう方法しかない(放射能は人間の手で消せないので、あきらめて管理できるところに集めるしかないのです)のです。地下のプールの話、汚染水の処理に本当に困っている、原子炉を冷やすために汚染水は増える、それを何とかしないといけない、1秒を争っていい方策を決めないといけないのです。
水漏れ、どこに行っているかは、タービン建屋、トレンチ、地下、敷地にしみ込んでいるのです。トレンチに滝のように流れ、水の漏れない構造ではない+地震で割れてアウト、なのです。
これから台風のシーズンで、アメリカの原発が嵐で停止、リスナーより、事故原発に台風が直撃したらどうなるかとの質問に、小出先生、分からない、アメリカでは送電線に支障が出た、非常用電源も信用できないのです。これから、さらに深刻な方向になりうるのです+余震が何ヶ月も続くので、深刻なトラブルになるのです。
作業員被曝、年間50ミリではなく、5年間100ミリに関しては、1年間に100ミリ浴びてもいいことになる、50ミリの規定があると他の原発に支障が出るので、被曝規定緩和は、作業員が追い詰められている、そんなことを国が一方的に決めていいのか、という見解が小出先生よりありました。年間50ミリも意味がなくなり、こんなものを変えてはいけないのです。
キュリュウムが原発敷地内から出ましたが、プルトニウムがあり、ウランが核分裂させて、ウランに中性子を加えてプルトニウムになり、さらにアメリシウム、そしてキュリュウムになるのです。ウランがプルトニウムになり、そうなると、アメリシウム、キュリュウムも当たり前に出るのです。キュリュウムはとてつもなく悪影響(プルトニウムより毒性大、ただ量が少ないので危険度は大きくならないものの)であり、ウランの燃料ペレットが融けているわけで、キュリュウムがさらに大きく出る危険性もあるのです。冷却失敗、もっと損傷したらもっとたくさんキュリュウムが出て、大変なことになります。事態収拾は困難で、作業環境を改善しないといけない、汚染水処理で、夢のような話を聞かされて驚いたとのことでした。
私も反核運動に関わり30年以上ですが、年間何ミリシーベルトが危ないとか、何ベクレルが危ないとか、ましてやキュリュウムの話なんて初めて聞きました。今後もフォローします。
47. 2011年4月28日 22:26:34: p16ROxhCSU
小泉政権時代の朝日新聞にて、針すなお、という風刺画が小泉だけはすごく良い人物のように描いてたのを思い出した。わざとだったのだろうか。絵はうまいのだが。
実はかなりの影響があったのではないか、小泉を好意的に見るよう洗脳する効果はかなりあったのではないかと考えている。
http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/760.html#c47
48. 2011年4月28日 22:31:41: FFHoemLN5c
テレ朝の「モーニング バード」、全く政局を取り上げない方針に舵をきったようだ。鳥越氏、森永氏、レモンちゃん、山口氏・・辛口コメンテーターをばっさり切った。その分つまらない娯楽番組が増え、番組が味気ないB級グルメ以下に成り下がってしまった。どうしたらこんなにカスみたいな番組が作れるのか、テレ朝に聞いてみたいくらいだ。
羽鳥氏も朝の顔としては、フレッシュさというか、さわやかさにどうしても欠け、今一つなじめない。やはり、他局のセコハンと言う感じがどうしても拭いきれないせいだろうか。
石原の息子のおふざけ気象予報士や、長島のアホボンなんかがコメンテーターで出てて、番組の質を一層低下させる要因となっている。
初回見てそのひどさにギョッとして、チャンネル他局にしたが、今日改めてみて、全然その低レベルの内容が改善されてなかったので、もう金輪際観るの止めるワ。
http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/760.html#c48
49. 2011年4月28日 22:33:59: fNkqxrri3M
私も両親を説得し、20年間続いていた我が家の慣習
「朝日新聞購読」にピリオドを打たせました。
さすがに、朝日の原発に関しての記事の書き方、伝え方だけは我慢ならず。
声の欄までも質が低かった。
地方に住んでいますので、両親向けの次の新聞
が見つからないのだけが残念ですが。。
http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/760.html#c49
50. 2011年4月28日 22:45:02: edLycframs
私もとうとう今月で朝日をやめる。
腹立たしいこと限りなかったが、
テレビをみない我が家では
新聞は天気予報の重要な情報源。
子どもが毎朝見たいので(子どもはネットを見ない)
新聞をやめられなかったが、
東京新聞系列が勧誘に来てくれて2カ月無料だから
ようやく決心したのだ。
朝日の販売員は全く悪くないが
ヘッドクオーターが悪すぎるので見限るしかないのだ。
http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/760.html#c50
06. 2011年4月28日 22:46:58: obUeO9PiB2
6匹か。ボランティアさんたちは、警戒区域指定の前々日と前日で、50匹保護しました。一日25匹。4倍の熱意。
http://www.asyura2.com/11/genpatu10/msg/134.html#c6
04. 2011年4月28日 22:52:14: hlZnqufmFM
限度を超えた人が他の原発で働けなくなるなんて言うのは、その人を使い捨てするつもなのか。人道上ゆるせない。その人の一生を保証するぐらいの責任があるだろう。東京電力はそんな会社だったのか。
http://www.asyura2.com/11/genpatu10/msg/140.html#c4
『ある神話の背景』の背景 〈神話〉を作る身振りと〈事実〉へ向かう姿勢
石川為丸
曽野綾子の『ある神話の背景』は、いささか挑発的な、右よりの論調を特徴とする雑誌『諸君』に1971年10月から1972年8月まで11ヶ月にわたって連載された後、1973年に、単行本として文芸春秋社から刊行された。この『ある神話の背景』を書き上げた曽野の意図はあまりにも明白であると言ってよい。
「神話」とは、言うまでもなく、古くから人々の間に語り継がれている神を中心にした物語のことである。が、普通は、「客観的根拠なしに人々によって広く信じられていることがら」といった意味で使われている。曽野はかつての沖縄戦における日本軍のなした悪業の事実を、客観的根拠のない「神話」という水準のものにしたかったのだ。沖縄戦にまつわる島々の重たい歴史を、軽い「神話」にしてしまおうとする意図。慶良間列島の島々の名前を覚えにくいという人のために、曽野はこんなザレ歌をわざわざつくったりしているのだ。
「慶良間(けらま)ケラケラ、阿嘉(あか)んべ、座間味(ざまみ)やがれ、ま渡嘉敷(かしとき)」。最後の「渡
嘉敷」に無理があるへたくそなザレ歌ではあるにせよ、曾野のこういう軽いノリが、暗黙のうちにそのことを物語ってもいるのだろう。
だが、この書『ある神話の背景』はそれなりの説得力を持ってはいたようである。琉大の仲程昌徳先生でさえ、こんなことを書いて、曽野の「神話」説に寄り添ったほどなのだから。
仲程先生は、「公平な視点というストイックなありようが、曽野の沖縄戦をあつかった三作目『ある神話の背景 沖縄・渡嘉敷島の集団自決』にもつらぬかれるのはごく当然であったといえる。」(「本土の作家の沖縄戦記」)などと曽野を持ち上げていたのだ。だが、もし、曽野の語り口に惑わされずに、冷静に『ある神話の背景』を読んでいさえすれば、それが、戦後になってまとめられた赤松隊の「私製陣中日誌」や、赤松や赤松隊の兵士らの証言等をもとに構成された加害者の側に立ったものでしかなかったということがわかるだろう。いったいそんなもののどこに、「公平な視点というストイックなありよう」などが貫かれていようか。だが、仲程先生はさらに、〈ルポルタージュ構成をとっている本書で曽野が書きたかったことは、いうまでもなく、赤松隊長によって、命令されたという集団自決神話をつきくずしていくことであった。そしてそれは、たしかに曽野の調査が進んでいくにしたがって疑わしくなっていくばかりでなく、ほとんど完膚なきまでにつき崩されて、「命令説」はよりどころを失ってしまう。すなわち、『鉄の暴風』の集団自決を記載した箇所は、重大な改定をせまられたのである。〉とまで述べて、曽野の「神話」説を全面肯定したのだ。
こうした論調の存在を踏まえて、1985年になって、『鉄の暴風』で渡嘉敷島の集団自決の項を執筆した太田良博氏から「沖縄戦に“神話”はない」と題された曽野綾子の「神話」説への丁寧な反論が「沖縄タイムス」紙上(1985年4月8日〜4月18日)でなされた。これに対する曽野綾子からの「お答え」があり、更にそれに対して太田氏からの反論があった。この太田―曽野論争を受けて、タイムス紙上で、石原昌家氏、大城将保氏、いれいたかし氏、仲程昌徳氏、宮城晴美氏らが発言した。その後、『ある神話の背景』をめぐる論争等に関連して、シンポジウム「沖縄戦はいかに語り継がるべきか」が、沖大で催された。その際の、新崎盛暉氏、岡本恵徳氏、大城将保氏、牧港篤三氏らの発言が「琉球新報」紙に掲載された。さらに、タイムス紙上に伊敷清太郎氏の「『ある神話の背景』への疑念」が掲載された。さらに、新聞の投書欄やコラムを通して活発な発言がなされた。
「太田氏は、伝聞証拠で信用できないと(曽野らに)決めつけられた『鉄の暴風』の記述を戦後四十年にしてさらに補完したことでジャーナリストとしての責任を果たしたことになり、そのことに敬意を表したい。」といれい氏が述べている通り、この論争では太田良博氏は一貫して事実に向かおうとする真摯な姿勢を貫いた。それに比べて、曽野綾子の不真面目さが際立っていた。曽野は、「つい一週間ほど前に、エチオピアから帰ってきたばかりである」ことをまず述べて、太田氏の主張も、それに反駁することも、自分の著作も、
「現在の地球的な状況の中では共にとるに足りない小さなことになりかけていると感じる」
などと言って、まともに対応しなかったのだ。また、
「第二次世界大戦が終わってから四十年が経った」ので「いつまでも戦争を語り継ぐだけでもあるまい、と言えば沖縄の方々は怒られると思うが、終戦の年に生まれた子供たちがもう四十歳にもなったのである。もし大量の尊い人間の死を何かの役に立たせようとするならば、それは決して回顧だけに終わっていいものだとは私は思わない」
などと説教までたれていたのだ。
こういう無責任なずらしに対しては、石原氏がピシリといいことを言っている。
「歴史始まって以来の大きなできごとである沖縄戦の全事実の一部たりとも、闇に葬り去らずに記録し、そこから再び惨劇を繰り返さない歴史の教訓を学ぶことが、体験者と同時代に生きるものの責務であり、体験を語ることが戦没者の死を無駄にしない生存者の使命となっている」と。
『ある神話の背景』を書き上げた曽野の意図は、住民虐殺を始めとする、沖縄における日本軍のなした悪業の数々を免罪しようということであった。もともとそんなことは無理なことなので、曽野はまともに論争することができなかったのだと言えよう。客観的な事実に正面からぶつかったら、当然にもボロが出てしまうような質のものだった。だから曽野は、『鉄の暴風』の中の太田氏の記述を、
「こういう書き方は歴史ではない。神話でないというなら、講談である。」
とけなしてみたり、
「太田氏という人は分裂症なのだろうか。」
などと病む者への配慮を欠いた、けなし文句で対応することしかできなかったのだ。挙句の果ては、
沖縄は「閉鎖社会」だとか、学校教育の場では「日の丸」を掲揚し、「君が代」をきちんと歌わせろ、
などと述べる始末であった。
太田氏の反論に対して、曽野は、結局何一つまともに対応できなかったのだ。
曽野の発言に見られるような支配的な潮流は、沖縄戦における日本軍の犯罪を免罪し、
「もうあの戦争のことは忘れよう」
ということであった。そういう文脈の中で、仲程昌徳氏が、「軍部にのみ責任をなすりつけて、国民自身における外的自己と内的自己の分裂の状態への反省を欠くならば、ふたたび同じ失敗を犯す危険があろう」という岸田秀の一節を引用して、民衆レベルでの戦争責任を持ち出そうとしたのは、それ自体は大切な問題であったにもかかわらず、住民の側が凄まじい被害を受けた場であるということを考慮にいれていないために、大きく論点を逸らす役割しか果たさなかったと言えよう。それは、
「生き残ったものすべての罪である」などといった、沖縄戦における真の加害責任を免罪しようとする曽野の論調に荷担するものでしかなかったのだ。
だが、そのような仲程氏の発言を除けば、県史料編集所専門員(当時)の大城将保氏の、「住民虐殺」も「集団自決」も根本的な要因は軍の住民に対する防諜対策、スパイ取締であったという、客観的な資料に基づく説をはじめとして、総じて沖縄戦を再認識させる真摯なものであった。ただ、残念であったことは、論争が、沖縄という地域限定のものから全国的なものに展開する前に、曽野が逃亡を決め込んでしまったことである。
こうした十四年前に行なわれた論争に、私たちは、今何を付け加えようか。それがあまりにも常識的なことであるためなのか、天皇制への言及がなかったことが、ただ一つ私などの気になっている点ではある。渡嘉敷や座間味にまで慰安婦を連れて蠕動していた日本軍は、そこでいったい何を目的にしていたのかということを、ひとまず再確認しておこう。
渡嘉敷では住民を虐殺し、「集団自決」を強制させていたわけであるが、それは、皇軍の使命が沖縄を守るためなどではなく、「国体(天皇制)護持」のためであったからということだ。
ポツダム宣言の受諾が遅れたのは、時の権力が国体護持すなわち天皇制の存続に執着したためであることは、今や常識となっている。天皇の命を救い、天皇制を延命させるための策謀のために、沖縄の住民九万四千人が犠牲にされたのだということは、何度でも確認しておく必要があるだろう。
天皇(制)による戦争の凄まじい犠牲にあいながらも、それから半世紀以上経てもなお、天皇制は温存され、沖縄が日米両軍の戦争遂行のための中心基地にされているという事態に、私たちはもっと驚くべきなのだ。これは、戦争責任の問題が、「戦後責任」として現在にも持ち越されているということにほかならない。十四年前の「集団自決」論争は、今に温存されてしまった「戦前・戦中」と絡めて、繰り返し想起していくべきはずのものである。
http://www.h3.dion.ne.jp/~kuikui/hihyou.htm
雑誌『正論』に1971〜72年にかけて連載されたテキストをまとめた『ある神話の背景』が1973年に出版され、それに対する反論が1985年に「沖縄タイムス」で、太田良博さんという、沖縄タイムスが刊行して、曽野綾子さんの批判対象テキストになっている『鉄の暴風』を書いた人によって掲載されたわけです。
なんで本が出てから10年以上もたってこんなことになったかは不明なんですが(あまりくわしく調べてないんだけど、家永三郎教科書裁判と関係ある様子)、太田良博さんの批判テキストは1985年4月8日から10回にわたって掲載され、それに対する曽野綾子さんの反論が、1985年5月1日から5回、さらに太田良博さんの再反論が1985年5月15日から6回にわたって掲載されました。
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「沖縄戦に“神話”はない」----「ある神話の背景」反論(1)(太田良博・沖縄タイムス1985年4月8日掲載)
はじめに
沖縄戦でいつも話題になる事件の一つに渡嘉敷島の集団自決と住民虐殺がある。
この事件について作家の曽野綾子氏は『ある神話の背景』のなかで、
当時渡嘉敷島の指揮官であった赤松嘉次大尉が「完璧な悪玉にされている。赤松元大尉は、沖縄戦史における数少ない、神話的悪人の一人であった」
と述べる。その神話の源になっているのが『鉄の暴風』のなかの赤松に関する記述だとしてその赤松神話を突き崩すために書かれたのが『ある神話の背景』である。
ちょっと待った! 弁護士・成歩堂龍一の出番です。
『ある神話の背景』が復刊された『沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実』(曽野綾子・ワッツ)では、当該箇所は以下のように書かれています。p39、赤松大尉が1970年に渡嘉敷島の慰霊祭にやってきたときの話。
赤松元大尉は、沖縄戦史における数少ない、神話的悪人の一人であった。私の目に触れる限り、彼は完璧に悪玉であった。その人物を、今人々は見たのだ。それは面長で痩せた、どこにでもいそうな市井の一人の中年の男の姿をしていた。
こういう微妙な言い回しの違い(パラフレーズ)はけっこうあるので、気をつけたいところです。赤松元大尉を悪玉と見る見方に関して、曽野綾子さんは「そう見る側」を客観的に見ているように、ぼくには思えました。
さらに曽野綾子さんは、「神話」というものについて以下のように語ります。p39-40
神話は神話として、深く暗く遠いところに置かれている限り、そして実態が決して人々の目にふれない限り、安定した重い意味を持つのだった。しかしそれが明るみに取り出された場合、神話の本体を目撃して人々はたじろぐのが普通である。なぜなら、悪に於いても、善においても、それほどに完璧だというものは、このようにめったにあり得ないからだ。
赤松神話も、まさにその日、ふとしたことから深い暗い沖縄の記憶から取り出されたのである。
これを、石川為丸さんの以下のテキストと比べてみます。
→『ある神話の背景』の背景 曽野綾子の一書にふれて(石川為丸)
「神話」とは、言うまでもなく、古くから人々の間に語り継がれている神を中心にした物語のことである。が、普通は、「客観的根拠なしに人々によって広く信じられていることがら」といった意味で使われている。
曽野はかつての沖縄戦における日本軍のなした悪業の事実を、客観的根拠のない「神話」という水準のものにしたかったのだ。
沖縄戦にまつわる島々の重たい歴史を、軽い「神話」にしてしまおうとする意図。
曽野氏は、沖縄タイムス社刊『鉄の暴風』を、戦後、沖縄住民によって書かれた沖縄戦記録の原典と見ているが、その中の第二章「悲劇の離島」の第一項「集団自決」が、『ある神話の背景」で問題とされている箇所である。
実は、その部分は、当時、沖縄タイムス社の記者だった私が執筆したもので、いわば〈赤松神話〉の作り主は私だった、ということになる。そして、赤松神話は『ある神話の背景』によって突き崩されたとする見方が、沖縄の戦記作家たちの間に出てきている。
『鉄の暴風』のなかの=集団自決=の項は、伝聞証拠によって書かれている、赤松の自決命令は事実に反するとする『ある神話の背景』の主張に同調する意見である。もちろんが『ある神話の背景』をそのままみとめているわけではない。手きびしい批判をくわえながらも、曽野氏が指摘した集団自決に関する事実関係については、曽野説を支持し、『鉄の暴風』の記述は訂正を迫られているとしている。
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060908/oota01
仲程氏の指摘
「太田氏が辛うじて那覇で《捕えた》証言者は二人であった。一人は、当時の座間味の助役であり現在の沖縄テレビ社長である山城安次郎氏と、南方から復員して島に帰って来ていた宮平栄治氏であった。宮平氏は事件当時、南方にあり、山城氏は同じような集団自決の目撃者ではあったが、それは渡嘉敷島で起こった事件ではなく、隣の座間味という島での体験であった。もちろん、二人とも、渡嘉敷の話は人から詳しく聞いてはいたが、直接の経験者ではなかった」との曽野氏の文章を引用した上で、仲程氏はつぎのように述べる。
〈ルポルタージュ構成をとっている本書で曽野が書きたかったことは、いうまでもなく、赤松隊長によって、命令されたという集団自決神話をつき崩していくことであった。
そしてそれは、たしかに曽野の調査が進んでいくにしたがって疑わしくなっていくばかりでなく、ほとんど完膚なきまでにつき崩されて、「命令」説はよりどころを失ってしまう。すなわち、『鉄の暴風』の集団自決を記載した箇所は、重大な改訂をせまられたのである〉としている。さらにまた、仲程氏はつぎのように書いている。
定説化をおそれる
〈曽野は、そのことに関して「いずれにせよ、渡嘉敷島に関する最初の資料と思われるものは、このように、新聞社によって、やっと捕えられた直接体験者ではない二人から、むしろ伝聞証拠という形で固定されたのであった」と記載に対する重要な指摘をする〉
右のように、『鉄の暴風』の渡嘉敷島に関する記録が、直接の体験者でない者からの伝聞証拠によって書かれたというのが『ある神話の背景』の論理展開の上でのもっとも重要な土台になっており、それが、そのまま信じこまれているのである。
この「伝聞証拠説」に関する事実関係を明らかにしなければ、曽野氏の見解が、そのまま定説化するおそれがあるので、伝聞証拠で「赤松神話」をつくったとされている私としては、このさい、裏史の証言台に立たざるをえない。すなわち、『鉄の暴風』の問題の箇所が決して伝聞証拠にもとづく記述でないことを立証するために----。
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060909/oota012
赤松大尉の暴状
まず、曽野綾子氏の「伝聞情報説」が事実に反することを立証するために、事のいきさつをのべておく。『鉄の暴走』の渡嘉敷島に関する話は、だれから聞いて取材したかと曽野氏に聞かれたとき、私は、はっきり覚えてないと答えたのである。事実、そのときは、確かな記憶がなかったのである。ただ、はっきり覚えていることは、宮平栄治氏と山城安次郎氏が沖縄タイムス社に訪ねてきて、私と会い、渡嘉敷島の赤松大尉の暴状について語り、ぜひ、そのことを戦記に載せてくれとたのんだことである。そのとき、はじめて私は「赤松事件」を知ったのである。
宮平、山城の両氏は、曽野氏が言うように「新聞社がやっと那覇で捕えることのできた証言者」ではなく、向こうからやってきた情報提供者であって、「それでは調べよう」と私は答えたにすぎない。そのとき、私は二人を単なる情報提供者と見ていたのだから、二人から証言を取ろうなどとは考えなかったし、二人も、そのとき、赤松事件について詳しいことは知っていなかった。
〈二人とも、渡嘉敷の話は人から詳しく聞いてはいたが…〉と、『ある神話の背景』のなかに書いてあるのは、曽野氏の勝手な解釈である。
それで私は、あのとき、なんのメモもしなかったし、二人はそのことを告げただけで帰ったのである。その後、『鉄の暴風』が出版されるまで、いや、出版後も長く彼らとは会っていない。
宮平氏の復員
宮平氏が沖縄タイムス社に私を訪ねてきたことを、私が特にはっきり覚えているのは、次の事情からである。宮平氏は私の中学の同級だった。そして、宮平氏が、沖縄タイムス社に姿を見せたときは、中学以来はじめての邂逅(かいこう)だったので、とくに印象が強かったのである。
宮平氏(終戦当時、准尉)が復員して、郷里の渡嘉敷島に帰ってみると、集団自決や住民虐殺事件が待っていた。その怒りをもって、宮平氏は、新聞社に私を訪ねてきたのだが私は、その宮平氏から渡嘉敷島の事件について取材したとは、曽野氏に語っていない。だれから取材したかについては、はっきりおぼえていないが、宮平氏から聞いて、はじめて、その事実を知ったことはたしかだ、とあやふやな返事をしたにすぎない。ところが『ある神話の背景』では、宮平・山城の両氏から私が取材したことにされている。
取材に関する事実
曽野氏は、宮平氏当人とも会って、そのことについてたしかめているようだ。『ある神話の背景』では、つぎのようなカッコ付きの説明をしている。(もっとも、宮平氏はそのような取材を受けた記憶はないという)と書いてあるのである。そう書きながら曽野氏は、宮平氏から私が取材しているものと断定している。これは自己どう着である。
宮平氏本人が私(太田)から取材をうけたことを否定しているのだから、では、太田は、だれから取材したのかということについて、曽野氏は、疑問をもつべきであり、さらに、取材に関する事実をたしかめるべきである。その疑問を残したまま、私自身もはっきりした記憶がないと答えてあったにもかかわらず、曽野氏は、私が宮平氏から取材したことにしてしまっている。そして、『鉄の暴風』の記述は、直接の体験者でない者からの伝聞証拠による記述だと断定しているのである。この断定のあやまちはどこからきているか。
『ある神話の背景』は、集めた資料や情報から帰納的に結論が導かれたものではなく、あらかじめ予断があって、それを立証するための作業であったようにおもわれる。
はじめに赤松元大尉に会って、「悪人とは思えない」との印象をうけた。執筆者の私は、だれから取材したかについてあやふやな返事をした。だが、早とちりにとびついたのが〈伝聞証拠説〉である。そこで、宮平氏の被取材否定の高い障壁もカッコ付き説明で簡単にとびこえてしまったのである。でなければ書けなかった『ある神話の背景』の論理をささえる土台は、その点で、不安定なものとなる。
(太字は原文では傍点表記)
このテキストについては、曽野綾子さんからの反論で緻密に語られるわけですが、『「集団自決」の真実』(『ある神話の背景』改題・復刊)では、その部分はどう書いてあるかを引用してみます。p62-65
「鉄の暴風」は、まだ戦傷いえぬ、昭和二十五年に沖縄タイムス社によって企画出版されたものであった。沖縄タイムス社自身が創立されたのは、昭和二十三年であった。
当時政府に勤めていた太田良博氏は、或る日、沖縄タイムス理事・豊平良顕(とよひらりょうけん)氏から、その手伝いをしないかと乞われたのであった。戦史を書こうなどということを思いつくのは、当時まだ新聞社くらいのものであった。そこには新聞人の使命感があった。
取材に歩くと言っても、太田氏が当時使えたのは、トラックを改造したものだけであった。バスさえもまだなかった時代である。
「そんな時に渡嘉敷島へは、どうしていらっしゃいました」
私は驚いて尋ねた。
「漁船でもお使いになりましたんですか? でも、漁船もろくにありませんでしたでしょう」
「いや、とても考えられませんでしたね。定期便もないし」
「どうしていらっしゃいました?」
「いや、向うから来てもらったんですよ」
「何に乗って来ておもらいになったんですか」
「何に乗ってきましたかねえ」
困難な時代であった。直接生きるために必要なもの以外のことに、既にこうして働き始めていた人があるということは、私には信じられないくらいであった。
太田氏が辛うじて那覇で《捕えた》証言者は二人であった。二人は、当時の座間味村の助役であり現在の沖縄テレビ社長である山城安次郎氏と、南方から復員して島に帰って来ていた宮平栄治氏であった。宮平氏は事件当時、南方にあり、山城氏は同じような集団自決の目撃者ではあったが、それは渡嘉敷島で起った事件ではなく、隣の座間味という島での体験であった。勿論、二人共、渡嘉敷の話は人から詳しく聞いてはいたが、直接の経験者ではなかった。しかし当時の状況では、その程度でも、事件に近い人を探し出すのがやっとだった。太田氏は僅か三人のスタッフと共に全沖縄戦の状態を三か月で調べ、三か月で執筆したのである。(もっとも、宮平氏はそのような取材を受けた記憶はないと言う)
太田氏は、この戦記について、まことに、玄人らしい分析を試みている。太田氏によれば、この戦記は、当時の空気を繁栄しているという。当時の社会事情は、アメリカ側をヒューマニスティックに扱い、日本軍側の旧悪をあばくという空気が濃厚であった。太田氏は、それを私情をまじえずに書き留める側にあった。「述べて作らず」である。とすれば、当時のそのような空気を、そっくりその儘、記録することもまた、筆者としての当然の義務の一つであったと思われる。
「時代が違うと見方が違う」
と太田氏はいう。最近沖縄県史の編集をしている史料研究所あたりでは、又見方が違うと思うという。違うのはまちがいなのか自然なのか。
いずれにせよ、恐らく、渡嘉敷島に関する最初の資料と思われるものは、このように、新聞社によって、やっと捕えられた直接体験者ではない二人から、むしろ伝聞証拠という形で、固定されたのであった。
で、実はこのあと、「沖縄戦に“神話”はない」連載第三回目では、太田良博さんは「伝聞証拠ではなく、ちゃんと関係者から話を聞いた」ということで、猛烈な勢いで反論しています。
しかしなんでこう、太田良博さんと曽野綾子さんの間で、言った・言ってないとか、記憶違いだとか、あとで思い出したとか、みたいなことになっちゃったんでしょうか。この「証言者」「伝聞証拠」という件に関しては、太田さんの言い分のほうが正しいような気が、ぼくにはしています。
曽野綾子さんも、本にする前に「あなたの言ったことはこのように書きましたが、この記述で問題はありませんか」みたいな確認をすればよかったのに(していてもなおかつ、そのような「記憶違い」は出て来るとは思いますが)。雑誌レベルのインタビューだったら、相手の確認を得ないまま本(雑誌)にしちゃうこともないわけではありませんが、セミ・ドキュメンタリーというか、ノンフィクション形式の著作物にするんだったら、「そんなことを、俺は言った覚えはない」と相手に言われない程度の確認はもう、嫌というぐらい必要な気がします。
で、もうひとつ気になることですが、この『「集団自決」の真実』には曽野綾子さんのテキストとしては「悪人とは思えない」というフレーズ、もしくはそれに類似したものは出てきませんでした。
赤松元大尉は、沖縄戦史における数少ない、神話的悪人の一人であった。私の目に触れる限り、彼は完璧に悪玉であった。その人物を、今人々は見たのだ。それは面長で痩せた、どこにでもいそうな市井の一人の中年の男の姿をしていた。
というのがあるので、「はじめに赤松元大尉に会って、「完璧に悪玉であった」との印象をうけた。」なら分からなくもないのですが。あるいは「どこにでもいそうな市井の一人の中年の男の姿」ということを受けるのなら「はじめに赤松元大尉に会って「どこにでもいそうな市井の一人の中年の男」との印象をうけた」とか。せいぜいパラフレーズするにしても「「普通の男に思える」との印象を受けた」、でしょうか。
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060909/oota02
実は『鉄の暴風』は伝聞証拠によって書かれたものではないのである。それを明らかにする前に一言ことわっておきたいことがある。私は、曽野綾子氏に、取材した相手をはっきりおぼえていないと答えた。事実、そのときは、そうであった。取材相手をおぼえていないというのは、取材者としては、うかつのように聞こえるかもしれないが、それにはそれなりの理由があった。
記録は取材の一部
一つの理由は、『鉄の暴風』を書くに当たっては、あまりにたくさんの人と会ったので、話を聞いた、それらの人たちがいちいちだれであったか、おぼえていないということである。一つの座談会に、多いときは二十人近くも集まる。座談会だけでもいくらやったかわからない。それも沖縄戦全般にわたっての取材で、渡嘉敷島の記録は、そのごく一部である。取材期間三ヵ月、まったく突貫工事である。それに『鉄の暴風』に記録として採用したのは、これまた取材の一部であり、記録されなかった証言者のものもふくめると、いちいちおぼえられないほどの人たちと会っている。
『鉄の暴風』は、証言集ではなくk、沖縄戦の全容の概略を伝えようとしたため、証言者の名前を克明に記録するという方法をとらなかった。
立体的証言を信用
もう一つの理由は、取材のやり方である。『鉄の暴風』の執筆者は、牧港篤三記者と私の二人であったが、普通、ルポ・ライターがやるように、あるいは新聞記者が新聞記事を取材するように、私たち執筆者が任意に、あるいは主意的に取材相手を選択して取材したのではなく、話を聞くために人を集めるにあたっては、大体において、新聞社(沖縄タイムス)がお膳立てをしたのである。私たちは、社が集めてくれた人たちの話を記録して、それを文章化する作業につぎつぎと追われていた。
証言者の名をいちいちおぼえていないのは、そういう事情にもよるが、曽野氏から渡嘉敷島に関する取材相手を聞かれたときは、『鉄の暴風』の執筆からすでに二十数年もたっていたのである。
『鉄の暴風』で証言者の名前をいちいち記録しなかったのも、理由はほかにもあるが、そのときの証言者たちの一つの事件に対する複数の立体的証言を私たちが信用していたからである。生死の境をくぐってきたばかりの人たちの証言として重くみたからであり、沖縄戦の体験は、沖縄住民の歴史的な共有財産(注:原文は傍点)であると考えたからである。
渡嘉敷島に関する記録も、社が直接体験者を集めて記録したものである。記録の場所は那覇市内のある旅館の一室であった。その旅館は、現在の国映館の筋向いの奥まった所にあったようにおぼえている。このことを、『ある神話の背景』が出たあと、『鉄の暴風』を読み返していくうちに思い出したのである。
古波蔵氏も出席
新聞社が責任をもって証言者を集める以上、直接体験者でない者の伝聞証拠などを採用するはずがない。あのとき旅館に証言者を集めたのは、沖縄タイムス社の専務だった座安盛徳氏(故人)だった。
当時、座安氏は、糸満に居住していて、その対岸の渡嘉敷島の関係者を集めるのに有利な立場にあった。そのとき、例の旅館に集まった人たちが誰々であったか、確かな記憶はないが、その中に、戦争中の渡嘉敷村長だった古波蔵惟好氏がいたことをようやく思い出した。古波蔵氏は、集団自決の現場にいた人である。
古波蔵氏とは、その後も二回ほど会っている。同氏は、姓を「米田」に改め、那覇の泊港の船舶関係の事務所にいた。その事務所に、私はいくつかの事実を確かめるために訪ねて行ったのである。この再度の訪問で、私が知りえた事実のなかには『鉄の暴風』に記録されなかったものもある。『ある神話の背景』のなかの他の箇所について反ばくできる材料であるが、伝聞証拠説に関する本筋から外れるので、ここでは割愛することにする。
戦後二十数年もたって曽野氏が赤松大尉やその隊員から聞いた話よりも、戦後まもなく、戦争体験者から聞いた話によって書かれた『鉄の暴風』の記録がより確かであると信ずる。
今回はかなり具体的に、太田さんが『鉄の暴風』を書くにあたって、どういう風に関係者(直接体験者)から証言を得たか(取材したか)が語られています。
曽野綾子さんが『ある神話の背景』で「太田氏は僅か三人のスタッフと共に全沖縄戦の状態を三か月で調べ、三か月で執筆したのである」という風に語っている、『鉄の暴風』執筆時のハードなスケジュール状況は確かに感じますが(それによる事実誤認や聞き間違いは、直接体験者が経験を語るにあたっても、なかったとは言い切れないでしょう)、「いずれにせよ、恐らく、渡嘉敷島に関する最初の資料と思われるものは、このように、新聞社によって、やっと捕えられた直接体験者ではない二人から、むしろ伝聞証拠という形で、固定されたのであった」と語っている部分とは、確かに矛盾しています。
まぁ、勝手な憶測としては、ぼくは曽野綾子さんは太田良博さんに、
「あなたは、渡嘉敷島の集団自決について、誰からお聞きになりましたか?」
という質問をしたんじゃないか、と思っています。
その質問の「誰」という部分を、太田さんは「その情報(集団自決の情報)を最初に提供した人物」と解釈し、曽野さんは「集団自決に関する直接体験をした証言者」と解釈した、というのは何となくありそうなことです。
お二人の、相手に対する厳しい批判になっている部分が少しは感じられるにしろ、基本的には誠実なように見えるテキストからは、どちらかが(あるいは両方とも)嘘を言っている、という判断は、なかなか難しいんですよね。
なんか、ミステリーの証言トリックとして使えそうな気がします。
Aという人物が殺され、Bが犯人として逮捕される。Aの友人であるCは、警察(あるいは探偵)から、次のような質問を受ける。
「容疑者のBの女性関係が、かなり乱れていた、という話もあるんですが、Cさんはそれについて何か聞いたことがありますか?」
「ああ、それについては、DさんとかEさん(二人とも女性)とかから聞きました」
で、その「聞いた」というDさんやEさんは、「伝聞情報」をCさんに伝えただけ。「だいぶプレイボーイって噂みたい」と、何かの機会にCさんに言った、という感じ。
ところが警察(あるいは探偵)のほうは、DさんやEさんがその直接の体験者(容疑者Bと「関係」を持った人物)である、と勘違いしてしまう。
…ものすごくベタな、通俗ミステリーみたいな筋立てになっちゃいそうですが。
みなさんはどう思いますか。
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060910/oota03
体験者の証言記録
『鉄の暴風」の渡嘉敷島に関する記録が、伝聞証拠によるものでないことは、その文章をよく読めばわかることである。
直接体験者でないものが、あんなにくわしく事実を知っていたはずもなければ、直接体験者でもないものが、直接体験者をさしおいて、そのような重要な事件の証言を、新聞社に対して買って出るはずがないし、記録者である私も、直接体験者でないものの言葉を「証言」として採用するほどでたらめではなかった。永久に残る戦記として新聞社が真剣にとり組んでいた事業に、私(『鉄の暴風』には「伊佐」としてある)は、そんな不まじめな態度でのぞんだのではなかった。
『鉄の暴風』の渡嘉敷島に関する記録のなかで、具体的に名前が出てくるのは、住民の生存者では、当時の「古波蔵村長」と「渡嘉敷国民学校の宇久眞成校長」の二人だけである。『鉄の暴風』の問題の箇所の文脈からみても、その記録のなかに、すくなくとも、この二人の証言がはいっていることは察知できるはずだが、どういうわけか、ほかの面では、いろんな資料を鋭く読みとっている曽野氏が、この渡嘉敷島の記録が、伝聞証拠によるものか、直接体験者の証言によるものかという判断では、その目は曇ってしまっている。『鉄の暴風』のなかの記録が伝聞証拠によるものだとの前提が欲しかったからである。
宇久校長宅で取材
宇久眞成氏は、渡嘉敷島が戦場となった当時、国民学校の校長として、軍と住民の間にはさまれて苦しい立場に立たされた人である。『鉄の暴風』の渡嘉敷島に関する記録の末尾に出てくる、赤松大尉とその部下が米軍に降伏する場面は、宇久氏から直接聞いた話で、宇久氏は、その降伏式に立ち会っていたのである。その話は、私が単独で、宇久氏の家で取材した。
宇久家は、私が幼少のときからの隣家で、宇久氏の子供たちと私は幼なじみの間柄だったし、私が終戦の翌日、ジャワから復員したときも、一時、大分県に疎開していた宇久氏の留守家族の所に仮住まいし、その年十一月、沖縄に帰還するときも、宇久氏の家族の一員ということにしてもらって、いっしょに帰ったのであり、現在も、親族以上の交際を続けている。
宇久家は教育一家であり、長男と長女は定年で教職を退いているが、二男はいま高知女子大の先生である。宇久眞成氏(故人)は誠実な人柄であった。その宇久氏に、渡嘉敷島での体験を聞き、いろいろたしかめた上で、『鉄の暴風』のある記録を書いたのである。あのとき、口数の少ない宇久氏は、低い声でしみじみとした口調でつぶやいた。
「兵隊はこわい」----。
宇久氏が言う兵隊とは、赤松大尉と、その部下たちのことである。
記述改訂必要なし
これで、『鉄の暴風』のなかの渡嘉敷島に関する記述が、伝聞証拠によるものでなく、ほんとうの体験者からの取材であることをことわっておく。
伝聞証拠説で、『鉄の暴風』にある渡嘉敷島の記事はアテにならないものだという印象を与えた上で、『ある神話の背景』の論理は構築されているが、『鉄の暴風』の渡嘉敷島の記述が伝聞証拠によらない、実体験者の証言によって書かれたものとなると、あとに残るのは、赤松の言葉を信ずるか、渡嘉敷島の住民の言葉を信じるかと言う問題である。
私は赤松の言葉を信用しない。したがって、赤松証言に重きをおいて書かれた『ある神話の背景』を信ずるわけにはいかない。渡嘉敷島の住民の証言に重きをおいた『鉄の暴風』の記述は改訂する必要はないと考えている。
赤松はたしかな証拠もなく住民を処刑しているが、彼の言葉を信用して、彼のために全面弁護を試みている『ある神話の背景』よりも、戦争の被害者である渡嘉敷島の住民のなまなましい体験をもとに書いた『鉄の暴風』のなかの“渡嘉敷敗戦記”が信ずるに足るものである。同戦記は証言による記録として書かれたが、『ある神話の背景』は赤松弁護の意図で書かれている。
ううむ…。
どうも、なんか最後のほうは「痴漢に会って泣いている女子高生の言い分を信じる」みたいな感じになっているように、ぼくには思えるような飛躍を感じてしまいました。
信じる・信じないの問題ではなく、また、赤松大尉が「たしかな証拠もなく住民を処刑」したかしないかでもなく、ぼくとしては「赤松大尉の『集団自決せよ』みたいな命令」が実際にあったのか、それを誰かが聞いているのか、「聞いた」という証言はあるのかないのか、というのが、ぼく、および曽野綾子さんが考えたい問題なわけです。
「命令書(文書として残っている書類)」があるか否か、ではないですよ。口頭で伝えられる「命令」に対して複数の人間が「言った」と証言すれば、そしてその証言に対し「言わなかった」という証言がなければ、その「命令」があった、ということは、書類が残っているというケースの次に、「実際にあったこと」として判断すべき材料になるでしょう。
「痴漢」の例で言うのなら、実際の物的証拠(髪の毛とかDNA鑑定できるもの)が存在しなくても、「彼女が痴漢されているのを見た」という第三者が複数存在していたら、その女性が痴漢に会ったのは、信じる・信じないとは別の次元で「あったことには間違いない」という判断ができるし、それに対して別の第三者が「ずっと見ていたが、そのような行為はなかった」と証言したら、ちょっとややこしいことになるな、というわけです(物的証拠が必要になるかもしれません)。
で、赤松大尉が村の人間全員集めて「お前ら全員死ね!」と言った、なんて、直接体験者の証言はどうもないみたいなので。あるのは「赤松大尉の命令らしい」という伝聞情報ばかりになっているのが考えどころですね。つまり、赤松大尉が村の人たちに何かを伝える場合は、直接命令ではなく村の代表者を通して伝えた(村の代表者が「赤松大尉の命令だ」的なことを言った、という証言はある)のが話をややこしくしているわけです。
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060911/oota04
『鉄の暴風』の渡嘉敷島に関する記録は、伝聞証拠によるもので、そのまま信ずることはできないという前提で、『ある神話の背景』は、集団自決の問題をもち出す。
渡嘉敷島住民の集団自決に関し、赤松大尉は命令を下したおぼえはないという。この“赤松証言”に曽野綾子は重点を置いている。しかし、その言葉の信憑(ぴょう)性をどう検証できるだろうか。もし、これが検証できないとすれば、『鉄の暴風』の記述を崩す根拠とはならないわけだが、『ある神話の背景』で、「赤松証言」の客観的真実性が証明されてはいない。たとえ赤松の命令があったとしても、赤松本人が「私が命令した」というはずはないのである。自分に不利な証言となるからである。命令は、あったとしても、おそらく口頭命令であったはずで、そうであれば、「命令された」「いや、命令しなかった」と、結局は水掛け論に終わるだけである。
共犯者の立場
この命令説の真相を知っていると思われる人物が二人いる。一人は、赤松の副官であった知念少尉であり、一人は赤松と住民の間に立って連絡係の役目をつとめた駐在巡査安里喜順氏である。この二人とも、『ある神話の背景』のなかで真相を語っているとは思えない。知念は赤松と共犯者の立場にあり、安里は自決命令を伝えたなどとは言い難いので、「自決命令」を否定するほうが有利なのである。
集団自決命令の有無をうんぬんする場合、物的な状況証拠となるのが、あのとき住民の手にわたった手りゅう弾で、それがなぜ住民の手に渡ったかということが問題である。『ある神話の背景』によると、手りゅう弾が住民の手に渡ったのは、防衛隊員が勝手に渡したのであって、「自分はあずかり知らぬ」といったような赤松の談話を載せてあるが、手りゅう弾は、戦力を構成する重要な兵器の一つであって、その取り扱いについては軍の指揮官が責任を負うべきものである。手りゅう弾が住民に渡されて、その手りゅう弾で、住民は集団自決を行っているのだ。その手りゅう弾は、住民の集団自決を結果するような状況をつくり出しているのだ。
武器管理の常識
昭和二十年三月二十五日、米艦船は慶良間列島に激しい砲撃を加え、翌二十六日、米軍の一部が渡嘉敷島に上陸、二十八日に集団自決が行われている。最初、陣地の近くに集まった住民たちが、陣地近くの恩納河原に追いやられたとき、米軍の迫撃砲の攻撃をうけて、住民たちは死と隣り合わせの状況にあったことは確かだが、それだけが集団自決を誘発したとは思えない。それを誘発したのは手りゅう弾である。切迫した状況のなかで、手りゅう弾五十二発が住民に渡されたのだが、そのこたおがいちばん重要な意味をもっている。
これだけの手りゅう弾は、装備劣悪な赤松隊にとって、かなりの比重をもつ火力であったはずである。赤松元大尉は、手りゅう弾は、防衛隊員が勝手に住民に渡したのであって、自分は知らぬと言っていたようだが、防衛隊員が、どういう理由で、自分の意思で、同じ島の住民である非戦闘員に手りゅう弾を渡すのか、その動機や理由が理解できないし、防衛隊員も、また、大切な武器である手りゅう弾を上官の許可なく他人に私たりすると、軍規上、厳しい処罰を受けるおそれがあることを知らなかったはずはないのである。
武器の取り扱いについては防衛隊員も厳格な注意を受けていたはずで、軍隊の指揮官が武器の取り扱いについての注意もなしに武器をあたえることは考えられないのである。
手りゅう弾が、防衛隊員を通じて住民に渡されたことについては、軍の同意、許可、あるいは命令があったとしかおもえない。平時、ピストルの不当所持をさえ警察は血眼になって摘発する。敵前での手りゅう弾のもつ意味は、その比ではない。手りゅう弾は防衛隊員が勝手に渡したのだ、おれは知らぬ、と赤松が言ったとすれば、これは軍隊の常識からみて、まったくのでたらめとしか言いようがない。そんなはずはないのである。
この「手りゅう弾」の問題、つまり「軍の関係者による関与なしで住民の手元にそんな武器が渡るはずがない」という問題はとても重要なのですが、具体的な討論の材料として展開していないのが残念です(このあとの、太田さんのテキストに対する曽野綾子さんの反論でも、その部分は具体的に語られていません)。
「自分はあずかり知らぬ」といった部分の赤松大尉の記述は、以下の通りです。『ある神話の背景』改題の『「集団自決」の真実』から、p153
「自決命令は出さないとおっしゃっても、手榴弾を一般の民間人にお配りになったとしたら、皆が死ねと言われたのだと思っても仕方ありませんね」
私は質問をはじめた。
「手榴弾は配ってはおりません。只、防衛召集兵には、これは正規軍ですから一人一、二発渡しておりました。艦砲でやられて混乱に陥った時、彼らが勝手にそれを家族に渡したのです。今にして思えば、きちんとした訓練のゆきとどいていない防衛召集兵たちに、手榴弾を渡したのがまちがいだったと思います。
赤松氏は答えた。
(太字は引用者=ぼく)
赤松氏の説明と、状況から判断すると、太田良博さんが提起している「防衛隊員が、どういう理由で、自分の意思で、同じ島の住民である非戦闘員に手りゅう弾を渡すのか」という「その動機や理由」は多分、アメリカ軍の捕虜になって欲しくない、という防衛隊員の考えなんじゃないかと思います。それについて「自分はあずかり知らぬ」(正確には「彼らが勝手にそれを家族に渡した」)という赤松元大尉の答弁は、太田良博さんの言う通り「軍の指揮官が責任を負うべきもの」であることは否定できないでしょう。ただし、その「責任」については、赤松さんの話が本当だとするなら、武器を民間人に配った防衛隊員に対する処罰もからんでこなければならない責任問題ではありますが…。
また、「安里は自決命令を伝えたなどとは言い難い」と、太田さんが思っている根拠をもう少し知りたいと思いました。
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060912/oota05
赤松大尉の言葉
赤松大尉の命令または暗黙の許可がなければ、手りゅう弾は住民の手に渡らなかったと考えるのが妥当である。それ以外のことは考えられない。
曽野綾子氏は軍隊の組織を知らないから単純に赤松の言葉を信ずるのである。軍の指揮官は、武器の所在と実数を確実に掌握していなければならない。武器の取り扱いについては、指揮官の命令(注:原文傍点)が絶対に必要である。防衛隊員が、指揮官の命令がないのに勝手に武器を処分することは絶対に許されない行為である。それがわかったら、それこそ大変なことになる。敵前歩哨が居眠りをするだけで、死刑、ときめられている陸軍刑法のなかで、軍の生命である武器を指揮官の命令なくして処分することが何を意味するか、容易に理解できることである。防衛隊員を通じて手りゅう弾が住民に渡された事実を、赤松が知らなかったはずはない。「知らなかった」とは白々しい言葉である。
あの状況の中で、住民の手に手りゅう弾が渡ったことは、なにを意味するか。「死」を目前にしての手りゅう弾は、心理的に「死」を誘発する「物」だったのである。それに、手りゅう弾は、住民が求めたものでなく、あたえられた(注:原文傍点)「物」だった。
追加された手榴弾
そして、そのあたえられた数にも問題がある。渡嘉敷島の集団自決者の数は、『鉄の暴風』では三百三十六人、沖縄タイムス社刊の沖縄大百科事典では三百二十九人となっている。だが、曽野氏は、その数を非常に少なく見積もろうとしている。そのため地形を説明したり、わずかの自決者しか目撃しなかったという兵隊の証言を引き合いに出す。二十人や三十人の自決なら手りゅう弾は四発か五発あればよい。何百人も自決したはずがないと曽野氏は疑っているが、住民に渡された手りゅう弾は五十二発である。一発の手りゅう弾が十人の自決用としても、この数は数百人分に当たる。
しかも、手りゅう弾の渡され方にも問題がある。自決用として住民に渡された手りゅう弾は、最初、三十二発だったが、さらに、二十発増加されたという。この「追加」は何を意味するか。最初の三十二発では足らないということで追加されたという。「足りない」と判断したのはだれかということになる。個々の防衛隊員が任意に判断したのか。個々の防衛隊員が勝手に渡すなら、まず、自分用の一個か、多くて二個である。防衛隊員が勝手に渡したのであれば、住民に渡された手りゅう弾全部の実数を個々の防衛隊員が知るはずがない。したがって、三十二発では足りないと判断したのは防衛隊員ではないはずだ。
ある統一した意志
防衛隊員が軍の掌握下から完全に離れておれば、個々任意に渡したとも考えられるが、あのとき防衛隊員は軍の完全な掌握下にあったのである。集団自決の時期は、米軍上陸の直後であり、小さい島では軍の統制から全く離れることはできなかった。防衛隊員は軍に強くひきつけられていたのだ。防衛隊員が勝手に手りゅう弾を住民に渡したなどとは考えられない。また、集団自決直前、住民は、赤松の陣地付近に集合させられている。住民が勝手に集まってきたのだと赤松は説明しているが、当時の状況から考えてありえないことである。十数人の住民が偶然、その陣地付近にやってきたというなら、そういうこともありうるかもしれないが、この場合は、何百人という住民が、それぞれのかくれていた場所から出てきて集合しているのである。任意に集まるはずがない。かり出されたのである。
集団自決の直前に、住民の集結という事実があった。ある統一した意志が働かなければ、あの状況の中で、軍陣地に多くの住民が集結することはおこりえない。集団自決は、この「住民集結」という状況によって準備されたのである。
米軍上陸、赤松隊の陣地への住民の集結、そして手りゅう弾が住民の手に渡り、その直後、集団自決がおこった。これら一連の事実関係は見逃すことができない。
陣地付近への住民集結には、ある強い意志が働いていたと私は判断する。
どうもここらへん、入力しながら太田良博さんの文章の乱れが気になりますが(同じような語句の繰り返しなど)。神話というか、語り継がれる民話を入力しているような気分になります。まぁそれはともかく。
「防衛隊員が、指揮官の命令がないのに勝手に武器を処分することは絶対に許されない行為である」ということなら、防衛隊員もそのあたりについて調査され、何らかの事情がはっきりして、処分の対象になったとかならなかったとかいう事実はあったのでしょうか。まぁ、日本軍(旧帝国の)がなくなってしまった以上、「防衛隊員」の罪も、赤松隊長の責任も問われる具合は異なってくるとは思いますが、「知らなかった」、正確には、曽野綾子さんのテキストに基づくと「彼ら(防衛隊員)が勝手にそれを家族に渡した」赤松さんの責任と比べると、防衛隊員のかたがたの責任の問われ具合が少し甘すぎるように、ぼくには思えました。
「手りゅう弾の渡され方」が一度ではなく二度に分けられた件に関しては、ちょっと『ある神話の背景』に引用されている『鉄の暴風』あたりのテキストでは確認できなかったので、それが記録されている文書・テキストをもう少し探してみたいと思います(ご存知のかたは教えてください)。
さらに、「一発の手りゅう弾が十人の自決用としても」という数字の根拠がよくわからないところです。手りゅう弾の殺傷能力について、もう少し調べたいところですが、『ある神話の背景』では、住民の言葉として、「手榴弾を抜いたが発火しなかった」(p140:古波蔵元村長の言葉を曽野綾子氏が引用)、「手榴弾がきかないもんですからね。不発とかで」(p159:住民・金城つる子さんの言葉)、「不発のほうが多かった」(p175:住民A(匿名)氏の言葉として。ただし曽野綾子氏は補足として「住民の多くはやはり手榴弾の起爆法を知らなかったのだという」という記述も加えている)など、五十二発の手りゅう弾で、「一発の手りゅう弾が十人の自決用としても、この数は数百人分に当たる」という判断には無理があります。「自決用」として渡す手榴弾に数百発のものを、赤松隊が用意できるとは、当時の武器弾薬の状況から考えるととてもできないわけですが、村の住民全員に「これで死ね」と武器(手榴弾)を渡すことはちょっと無理だったのでは(もちろん、武器を渡すことなく、「いろいろな道具で死んでくれ」と命令することも可能なので、そのことが即、「集団自決の命令はなかった、ということではありませんが)。
「それぞれのかくれていた場所から出てきて集合している」という話は、もう少しあとで状況について調べて語ってみたいと思います。
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060913/oota06
初め壕や洞穴に
米軍上陸と同時に住民は追われるように陣地付近に逃げてきたと『ある神話の背景』では説明する。砲撃と米軍上陸、この事実に直面した住民たちはとっさに、それぞれ安全とおもわれる場所、つまり壕や洞穴にかくれたようだ。それが当然である。いきなり猛攻をうけたときの反射的な初動である。『鉄の暴風』には「住民はいち早く各部落の待避壕に避難し…」と書いたが、実際はあわてふためいた本能的な行動だったと思う。そして、住民たちは各個に孤立し、そこには統一された意思はなかった。軍の意思により駐在巡査がかり集めたというのが真相であろう。その理由は「住民は捕虜になるおそれがある。軍が保護してやる」というのである。
米軍上陸が三月二十三日で、その翌日、赤松隊は西山A高地に陣地を移動している。その陣地の位置がまた問題である。赤松隊長自身、その移動先の陣地の場所を最初は知っていなかったと『ある神話の背景』に書かれている。壕や洞穴に身をひそめていた住民たちが、赤松隊がどこに移動したか知るはずがない。ところが、住民が新陣地である西山A高地の赤松隊の陣地付近に集まってきたのは、赤松隊が陣地をそこに移動したその当日である。住民集結には誘導者がいたのだ。軍の意思が働いていたのだ。
安里巡査が伝達
住民は西山A高地のことは知っていても、そこに赤松隊が移動した事実を知るには、移動の事実の伝達者がいなければならぬ。その伝達者は安里巡査以外には考えられない。彼は軍と住民の連絡の立場にあったからである。赤松隊の説明のように、多くの住民が砲弾に追われて逃げこんだというのは、移動した陣地の所在が住民にとって不明の状態ではありえず、偶然がいくつもかさならなければ起こりえないことである。また、集団自決は、軍の玉砕を信じて決行されたものにちがいない。軍が戦後も生きのびて部隊降伏するとわかっておれば、集団自決は行われなかったはずだ。
住民の自決をうながした自決前日の将校会議についての『鉄の暴風』の記述を曽野氏は、まったくの虚構としてしりぞけている。『ある神話の背景』のなかにつぎの言葉がある。
曽野氏こそ虚構
〈ただ神話として『鉄の暴風』に描かれた将校会議の場面は実に文学的によく書けた情景と言わねばならない。しかし、これは多かれ少なかれどの作家にも共通の問題だと思うが、文章を書く者にとっての苦しみは、現実は常に語り伝えられたり、書き残されたものほど、明確でもなく、劇的でもないということである。言葉を換えていえば、現実が常に歯ぎれわるく、混とんとしているからこそ、創作というものは、そこに架空世界を鮮やかに作る余地があるのである。しかし、そのようなことが許され得るのは、虚構の世界においてだけであろう。歴史にそのように簡単に形をつけてしまうことは、だれにも許されないことである〉。
よくかけた文章とはむしろ曽野氏のこの文章のことで、これでとどめをさしたつもりかも知れないが、あの場面は、決して私が想像で書いたものではなく、渡嘉敷島の生き残りの証言をそのまま記録したにすぎない。将校会議はなかったということを証明するために、それをおこなう場所さえなかったと曽野氏は説明する。将校会議などやろうとおもえばどこでもできる。陣地の設備など問題ではない。
陣地になんの設備もなかったというのもおかしい。通常、陣地の移動は設備のある場所を選ぶ。「西山A高地」は軍隊用語であり、陣地名とおもわれる。渡嘉敷島には赤松隊がくる前に設営隊もおった。西山A高地は要塞の場所らしいが、その場所に、その翌年*1からきていた設営隊や赤松隊は、そこに陣地もつくらずに何をしていたのだろう。しかも、西山A高地を“複廓陣地”とよんでいる。複廓陣地とは高度の防御陣地のことである。
ちょっとこのあたりから、太田良博さんのテキストは「思う」「あろう」「はずがない」「考えられない」という、反論・反証が難しい割に、説得しようという著者の意図が気になる表現が多くなります。
「『鉄の暴風』に描かれた将校会議の場面」というのは、『ある神話の背景』改題の『「集団自決」の真実』によるとこんな感じです。p132-135
惨憺たる泥まみれの一夜であった。指揮官自らが穴掘りをしたのである。
しかし沖縄戦に関する資料の一つとしてどこにも引用される、沖縄タイムス社刊の『沖縄戦記・鉄の暴風』はその夜のことを決してそのようには伝えていない。それどころか、全く別の光景が描かれている。
「日本軍が降伏してから解ったことだが、彼らが西山A高地(複廓陣地のこと。----曽野注)に陣地を移した翌二十七日、地下壕内において将校会議を開いたが、そのとき赤松大尉は『持久戦は必至である。軍としては最後の一兵まで戦いたい、まず非戦闘員をいさぎよく自決させ、われわれ軍人は島に残った凡ゆる食料を確保して、持久体勢をととのえ、上陸軍と一戦交えねばならぬ。事態はこの島に住むすべての人間の死を要求している』ということを主張した。これを聞いた副官の知念少尉(沖縄出身)は悲憤のあまり、慟哭し、軍籍にある身を痛嘆した」
昭和四十六年七月十一日、那覇で知念元少尉に会った時、私が最初に尋ねたのはこのことであった。
「地下壕はございましたか?」
私は質問した。
「ないですよ、ありません」
知念氏はきっぱりと否定した。
「この本の中に出てくるような将校会議というものはありましたか」
「いやあ、ぜんぜんしていません。只、配備のための将校会議というのはありました。一中隊どこへ行け、二中隊どこへ行けという式のね。全部稜線に配置しておりましたんでね。
知念朝睦氏は、あまりにもまちがった記事が多いのと、最近、老眼鏡をかけなければ字が読みにくくなったので、この頃は渡嘉敷島に関することは一切、読まないことにした、と私に笑いながら語った。
つけ加えれば、知念氏は少なくとも昭和四十五年までには沖縄の報道関係者から一切のインタービューを受けたことがないという。それが、赤松氏来島の時に「知念は逃げかくれしている」という一部の噂になって流れたが、
「逃げかくれはしておりません。しかし何も聞いていないところへ、こちらから話を売り込みに行く気もありませんから、黙っておりました。
昨年春(昭和四十五年三月)赤松隊長が見えた時に、市役所の所員の山田義時という人から会いたい、という申し出を受けました。何も知らないので、初めは会おうと思いましたが、その後、その山田氏が、赤松帰れという声明文などを空港で読み上げて、それで名前もわかりましたので、そんな人に会うのは不愉快だと思って断りました。しかしその時が面会を申し込まれた最初でした」
知念朝睦氏は語るのである。
そこにいた兵隊たちの言葉を総て、共同謀議による嘘だというのであれば別だが、その日、地下壕で将校会議が行われたということを、その儘信じることは少々危険なようである。当の知念元少尉自身がその話を承認しない。又当時、第二中隊長であった富野稔元少尉も、山川泰邦著『秘録沖縄戦史』(沖縄グラフ社)の「三月二十七日、(中略)安全地帯は、もはや軍の壕陣地しかない」という部分に、根本的な二つのまちがいがあると指摘する。第一は軍はまだ壕を掘っていなかったこと、第二は壕予定地といえども決して安全ではなかったこと。富野氏によればあの島にはその日、安全を保障される土地は一平方メートルもなかった。
と、この後に、太田良博さんが引用している「ただ神話として『鉄の暴風』に描かれた将校会議の場面は実に文学的によく書けた情景と言わねばならない。」云々が来るわけです。
「地下壕内において将校会議を開いた」という『鉄の暴風』の記述と、「ないですよ、ありません」という知念元少尉の発言(『ある神話の背景』改題の『「集団自決」の真実』中の記述)とは、まっこうから対立するわけで、本当だったら実際に地下壕があったかなかったか、その「物的証拠」を検証するしかないわけなんですが、太田さんのテキストでは「将校会議などやろうとおもえばどこでもできる。陣地の設備など問題ではない。」と言っているので、これはもう、なかった、という判断で特に問題はないんじゃないかと思います。
で、実際には「なかった」という可能性の高い「地下壕での将校会議」で、「まず非戦闘員をいさぎよく自決させ」ということが話されたのか話されなかったのか、なんですが、「地下壕ではないどこか別の場所でそのような話がなされた」ということを信じるには、ぼくの想像力の何かをねじまげないと難しいものがあります。つまり、『鉄の暴風』で語られている「将校会議」の、ある部分は嘘で、ある部分は真実である、というような想像力を作り上げないと難しい、ということですね。
太田良博さんの「伝聞情報」「直接体験の証言」との混乱部分をはっきりさせるには、「日本軍が降伏してから解ったことだが」という「解ったこと」については、「誰」によってわかったのか、ということが重要な問題でしょうか。つまり、その「将校会議」で語られたことを太田良博さんに伝えた人物は、その情報を「伝聞情報」で知ったのか、「直接体験」として実際に、赤松大尉その他が語ったことを聞いたのか、ということです。
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060914/oota07
信頼どこにおくか
将校会議があったかなったか、赤松隊の陣地がどうだったかということは、付帯的な問題にすぎない。『鉄の暴風』が伝聞証拠によって書かれたものであり、また、なかには創作的な記述があることを証明するためにそれらは持ち出されたものだが、『鉄の暴風』の記述がすべて実体験者の証言によるものであり、記述者の創作は介入していないことを言明することで答えとしたい。あとは、赤松側の言葉を信用するか、住民側の証言に信頼を置くかの選択が残されるだけである。
ありもしない「赤松神話」を崩すべく、曽野綾子氏は、新しい神話を創造しているにすぎない。そのやり方は手がこんでいる。『鉄の暴風』だけでなく渡嘉敷島に関するほかの戦記もすべて信用できないとする。なぜなら、それらの戦記にも『鉄の暴風』とおなじようなことが書かれているからで、それらすべてを否定しないと、赤松弁護の立論ができないのである。
沖縄側の渡嘉敷戦記の全面否定は、あとで曽野氏がいちばん信用できるとする赤松隊の陣中日誌なるものを持ち出すための伏線となっている。『鉄の暴風』の渡嘉敷戦記が、伝聞証拠によって書かれたとする判断をふまえて、曽野氏はつぎのように推理する。
曽野氏は、渡嘉敷島に関する三つの記録をあげている。沖縄タイムス社刊『鉄の暴風』、渡嘉敷村遺族会編『慶良間列島・渡嘉敷島の戦闘概要』、渡嘉敷村が出した『渡嘉敷島における戦争の様相』の三つである。そして、この三つの戦記は、そのうちのどれかを模写したような文章の酷似が随所にある、と曽野氏は指摘する。結論を言えば他の二つの戦記は『鉄の暴風』のひき写しであるというのである。
「事実内容」の問題
『鉄の暴風』の文章を、他の二つの戦記がまねたおうだという判断から、事実内容までもほとんど『鉄の暴風』の受け売りだとし、『鉄の暴風』の渡嘉敷戦記が信用できないので、その文章をまねて書かれた他の二つの戦記の事実内容まで疑わしいとする推理だが、この推理はおかしい。渡嘉敷村遺族会編の戦記も渡嘉敷村編の戦記も、直接の体験者たちの証言または編集によってまとめられたものであることは間違いない。直接の体験者たちによってまとめられたものが、いくぶん文章をまねることはともかく、事実内容まで、伝聞証拠によって書かれたとされる『鉄の暴風』の渡嘉敷戦記をまねるということがありうるだろうか。
この三つの資料は、文章の類似点があるとはいえ、事実内容については、大筋において矛盾するところはないのである。それは当然のことで、『鉄の暴風』が伝聞証拠によって書かれたものでないことはもちろん、むしろ、上述の他の戦記資料によって『鉄の暴風』の事実内容の信ぴょう性が立証されたといえるのである。三つの資料は、いずれも直接体験者の証言に基づくものであって、直接体験者でない者からの伝聞証拠によって三つの記録の事実内容が共通性をもたされているのではないことはあきらかである。
私製の「陣中日誌」
曽野氏が最も信用できる資料として赤松弁護の道具に使っている赤松隊の「陣中日誌」なるものは、ほんとの「陣中日誌」ではない。軍隊では、作戦要務令で規定された陣中日誌を「陣中日誌」というのだが、赤松隊の陣中日誌なるものは、戦後まとめられた(記述の年月日がある)もので、「私製陣中日誌」であることがわかった。しかも自画自賛と自己弁護の色合の強いもので、客観的資料として信用しがたいものである。
現地側の戦記資料はすべて否定し、赤松隊のこの「私製陣中日誌」に最大の信を置いて書かれたのが『ある神話の背景』である。赤松隊の「私製陣中日誌」と曽野氏の『ある神話の背景』とは、書かれた意図に似通うものがあり、赤松隊弁護の意図で重なり合っているが、『ある神話の背景』があるていど公平を装っている点だけがちがっている。
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060915/oota08
任務放棄に失望
赤松嘉次大尉の証言は信用しがたい。その一例をあげておく。赤松隊の任務は舟艇による特攻であった。だが、赤松隊は、渡嘉敷島に米軍が来攻したとき、みずから舟艇を破壊して、米艦船に対する特攻という本来の任務を放棄してしまった。
この任務放棄に関し、赤松は、慶良間巡視中の船舶隊長大町大佐の命令があったからだとしている。大町大佐は慶良間近海で戦死しているので死人に口なしである。大町大佐がわざわざ特攻中止を命ずるために慶良間巡視に出かけたとは思えないが、この出撃中止が軍司令部の意向ではなかったことだけはっきりしている。
沖縄守備第三十二軍の高級参謀であった八原博通大佐の手記『沖縄決戦』によると、慶良間の海上特攻に一縷の望みをかけていたことがわかる。「好機断固として海上に出撃すべきである。願わくば出撃してくれと祈る」云々の言葉がある(同書144ページ)。現地からの無線連絡で攻撃失敗がわかると、八原参謀は「意志が弱く、不屈不撓あくまで自己の任務目的を遂行せんとする頑張りが足りない」と慶良間の海上特攻隊に失望の色をみせている。
無電内容も疑問
たとえ大町大佐が出撃中止を命じたとしても、その場合、無電で、首里の軍司令部にその真相をたしかめる方法が赤松大尉には残されていた。慶良間群島に海上特攻を配置させたのは、高級参謀八原大佐だった。また、八原大佐は海上特攻の主任参謀でもあった。特攻の出撃中止が軍司令部の意志を無視しておこなわれたことは同大佐の著書で明らかである。
「出撃不可能」との軍司令部に対する慶良間現地からの無電内容にも疑問がはさまれる。出撃中止の時点で、赤松隊も舟艇も米軍の陸上攻撃をうけていないのである。出撃は、夜間に企画されたもので、米軍による夜間の陸上攻撃は考えられない。渡嘉敷島に対する米軍の攻撃が始まったのは三月二十五日未明、米軍の一部が渡嘉敷島に上陸したのは翌二十六日の未明、すると二十五日夜から翌日未明にかけての夜間は何をしていたのかということになる。赤松隊長が中止させたと『鉄の暴風』には記録されている。また、事実、わざわざ舟艇を自爆させるだけの余裕があったことがすべてを物語っている。ちなみに、沖縄本島周辺の他の海域では、随所で舟艇による果敢な海上特攻が実行されて戦果をあげている事実がある。慶良間の特攻隊の任務放棄はまったくの例外であった。
住民処刑の例
とにかく、赤松戦隊は、海上特攻という最重要の任務を放棄したからには、軍司令部から見れば、戦略的にも戦術的にも無意味な存在となったのである。その後、この戦隊には、陸上戦闘による戦果がほとんどなく、米軍はなんの損害もうけなかった。赤松隊は無力な島の住民との間にいろいろなトラブルをひき起こしているだけである。
じつは、赤松が、集団自決を命令した、命令しなかったという事件よりも、住民処刑のほうがもっと問題である。集団自決下命問題は、赤松が下命しなかったといえば、それで不確定性をもつ性格のものだが、住民処刑は否定できない事実である。曽野氏は、不確定性をもつ集団自決を前面に出して、一種の煙幕を張り、そのあとで、否定できない事実である住民処刑については、軍の綱領や軍法などを持ち出して各種の弁護を試みているが、その弁護は別の事実によって支離滅裂となるのである。その事実とは、住民処刑と矛盾する兵隊に対する赤松の処置である。
住民処刑について、二、三の例をあげる。
伊江島出身の若い女性たちが米軍にたのまれて赤松の陣地に行き、降伏勧告文を取りついだために斬首の刑をうけている。また、終戦の日の八月十五日、米軍の投稿勧告分を陣地近くの木の枝に結んで帰ろうとした与那嶺徳と大城牛の二人が捕えられて殺された。しかし、おなじ降伏勧告でも相手が日本の軍人であった場合は、赤松大尉はちがった態度をとっている。『ある神話の背景』の121ページ、122ページをみればわかる。
「集団自決を命令した、命令しなかったという事件よりも、住民処刑のほうがもっと問題である」と言ってしまうと、「集団自決の命令があったかどうかという問題はどうでもいい」ということにも聞こえてしまうのが難儀です。ぼく自身はそれについて、あった・なかったの話を聞いてみたいので、「ことの本質はそれではない」と言われると、話が広がりすぎて手に負えなくなってしまうのですね。「政治家とマスコミとの距離」を、「NHKの人間が、ある番組の放送前に自民党の議員と会ったか合わなかったか」と切り離して考えるのと同じことで、「ことの本質」という志の高さは評価したいとは思いますが。
『ある神話の背景』の121ページ、122ページにあたる、『「集団自決」の真実』の部分は確認できなかったんですが(あとで図書館とかで調べてみます)、『「集団自決」の真実』では、「処刑」の理由についてはp228以降に書かれていました。あとでちゃんと入力してみたいんですが、要約すると「国際法上の軍使のスタイルではなかった」とか、またもいろいろ意見が食い違ったりしています。
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060916/oota09
終戦直後、二本の中尉と下士官が赤松のところに降伏勧告にきている。しかも、下士官は米軍の服装をしていた。降伏勧告にきた住民がことごとく殺された事実からすれば、相手が軍人であれば、なおさら厳格に対処すべきである。だが、赤松は降伏勧告にきた二人の軍人をおとなしく帰している。
大城訓導は民間人
また、家族に会いに行ったというだけの理由による大城訓導の処刑がある。渡嘉敷国民学校の大城徳安訓導が、島内の別の場所にいた妻にこっそり会いに行ったという理由だけで、縄でしばられて陣地に連行され、斬首(ざんしゅ)されたのである。この事件について、曽野綾子氏は、大城訓導が「招集された正規兵」(曽野氏は、防衛隊員を正規兵と解釈している)だったことをあげて、赤松の処置が「民間人」に対するものでなく、軍律により軍人に対してとられた処置(処刑)で、不当ではなかったと弁護する。
防衛隊員が「正規の軍人」であったとする解釈には同意できないが、大城訓導は、正式な防衛隊員でもなかった。防衛召集は満十七歳以上、四十五歳までの男子が対象で、武器をあたえられず、飛行場建設や陣地構築に使役され、戦場では弾丸運び、まったくの補助兵力であった。召集の時期は、昭和十九年十月から十二月までと、昭和二十年一月から三月までの二回だが、この二回の防衛召集で大城訓導は召集を受けていない。
渡嘉敷国民学校の校長だった宇久眞成氏から私が直接きいた話によると、大城訓導は、当時、教頭であり、年齢も四十九歳、防衛召集年齢の上限(四十五歳)をこえていた。(小学校教員は、普通、防衛召集の対象からはずされていた)。その大城訓導を、赤松大尉が勝手に防衛隊員にしたらしい。これは、甚だしい越権行為であった。召集は国家行為であるからである。大城訓導は、殺されるまで「民間人」であったのだ。
赤松批判で私兵に
なぜ、赤松は勝手に大城訓導を防衛隊員にしたのか、そのことについて、宇久氏は、大城訓導があからさまに赤松隊のやりかたを批判したことに原因があったのだと説明した。赤松批判が知れて強制的に赤松大尉個人の「私兵」とされたようである。大城訓導は、親子ほど年齢差のある若い兵隊たちから相当いじめられたらしく、苦役と精神的苦痛にたえられなかったが、妊娠中の妻(おなじく教員)のことが心配で、無断で妻に会いに行き、陣地を勝手に離れたとして殺されたのである。
戦争体験への暴挙
ところが、赤松隊から隊員である二人の兵隊が逃亡するという事件があった。このとき、部下の兵隊二人の逃亡を赤松は見逃している(『ある神話の背景』230ページ)。この兵隊逃亡に対して、赤松大尉は「去る者を追うのはよそう」と言った、というのである。部下の兵(身内)に対しては、なんという「寛大な処置」であろう。指揮官が部下兵の逃亡を見逃すのは「逃亡幇助」であって、軍律上、許せない行為である。兵隊の「敵前逃亡」は陸軍刑法では死刑である。
住民処刑は、たいてい「通敵のおそれがある」という理由によってなされている。住民をスパイ視していたわけだ。たとえ住民をスパイとして利用することにしても、敵である米軍よりも味方である赤松隊のほうが、言葉も通じるし、同国民でもあるという立場からみて、はるかに有利な条件をを備えていたはずで、住民は、敵情をさぐらせるのに好都合で、その意味では、補助戦力に転化できたはずだが、それはあくまで赤松隊に敵攻撃の意志があった場合にかぎられる。その意志がなければ、住民は、逆に、陣地の所在を敵に通報するのではないかという危惧の対象にしかならない。赤松隊は、まさに、その危惧の目で住民を見ていたのである。
この事実は、赤松が攻撃の意志を全く失い、自己陣地の暴露と敵の攻撃だけを極度に恐れていたことを雄弁に物語っている。古波蔵樽(たる)という男が家族全員を失い、悲嘆にくれて山中をさまよっているところを、スパイの恐れがあると言って、高橋伍長が軍刀で斬殺したという事件もある。
沖縄戦に「神話」などというものはない。沖縄戦は今日的な出来事であるし、沖縄にいたすべての住民が自分の目で見て体験したことである。『鉄の暴風』は、まさにこの体験の記録である。
曽野氏の『ある神話の背景』は、沖縄住民の戦争体験の重さを甘くみた暴挙であり、とくに住民処刑についての全面的な赤松弁護はまったく軽率である。
(おわり)
元テキスト(記事)は、沖縄タイムス1985年4月8日〜18日に掲載されました(1985年4月14日は休載)。
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060917/oota10
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原発には寿命がありますから、新設や更新がなければ自然消滅します。
国民のみんなが本当のことを知ることが大切です。今まではウソが多すぎました。
本当のことを知った上で判断することが大切です。
その上でやはり政治が動かなければなりません。
市町村議員に正しいことを知ってもらい、市町村議会が脱原発の決議を上げていくことが、遠回りのように見えても近道であり、いったん上げた決議は消えませんから蓄積型の運動になり長続きします。橋下知事の決断は大いに追い風となるでしょう。
8月の広島で、長崎で、日本人は世界に向けてどんな言葉を発信できるでしょうか。
福島を契機に脱原発の社会を選択し、再生可能エネルギーの開発に国をあげて取り組み、その成果を世界の人々と分かち合うことで世界に貢献したい、そんなメッセージを世界に発信できればいいと思います。
私も微力ながら脱原発の道を開くために活動を始めています。
講演会なども独自に開くようにしています。
ご参考に以下のホームページをごらんください。
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http://www.labornetjp.org/news/2011/0425fukusima
4月25日、「子どもたちを放射能から守るための集会(準備会)」が福島市内の青少年会館で開かれ、100名が参加した。(主催:原発震災復興・福島会議、福島老朽原発を考える会)
文部科学省が19日、校外活動の制限をする基準を年間20ミリシーベルト(1時間あたり屋外3.8マイクロシーベルトとして算出)として以降、福島県内では、外遊び自粛を解除する学校が出るなど混乱がより大きなものとなっている。そもそも、4月上旬に福島県が実施した原発から30km圏外のすべての小中学校、特別支援学校、幼稚園、保育園で行った放射線量は、実施校の実に75.9%で放射線管理区域以上の危険数値(1時間あたり0.6マイクロシーベルト以上)を示していたのである。
国自らが決めた基準を、福島県民の意向を無視し、大幅に引き上げたことに対し怒りと不安が広がり始めている。その不安を出し合い、今後の方針を決めていく場にしていくために本集会が開催された。会場は、満席となり急きょ第2会場が設けられた。
集会では主催者から状況報告と集会の趣旨が説明されたあと、7〜8人のグループごとに分かれ、参加者の意見交換が行われた。(詳細は、「福島老朽原発を考える会」HPを参照してください。)
ここで出された参加者の意見を集約し、5月1日には第2回「子どもたちを放射能から守るための集会」が開催される。そして、5月2日(予定)には福島の代表も上京し第2回対政府交渉が行われる。
この問題、福島の30万人の子どもたちの命がかかっている待ったなしの課題である。マスコミが「文科省の20ミリシーベルト」問題を全く報じない中、市民、労働者の力で必ず勝ちとっていかなければならない。(湯本雅典)
*集会の予定
・福島の子どもたちを放射能から守れ!東京集会
日時:4月30日(土)13:30〜16:00
場所:全水道会館大会議室(JR水道橋駅5分)
主催:福島老朽原発を考える会
プルトニウムなんかいらないよ!東京
・福島で子どもたちを放射能から守るための集会
日時:5月1日(日)13:30〜16:30
場所:ホリスティカかまた4階(ハーモニーホール)
福島県福島市鎌田字門丈壇4−1 024-552-5111
JR福島駅から阿武隈急行線 卸町駅 5分
主催:原発震災復興・福島会議
福島老朽原発を考える会
-----------------------------
<参照>
04. 2011年4月28日 22:53:45: RHE7IfGFEu
おらも地震による冷却材喪失説が主な原因と
思うが、それを証明するには10年後にカメラ
を格納容器内に入れる必要があるべ。
でないと証明できないだべさ。
又、今後なんらかの爆発で格納容器が破裂
すれば、破損又は破断している配管事態が
大破してしまうので・・・
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/943.html#c4
4月28日の毎日新聞の朝刊で、大阪府の橋下徹知事が「脱原発」を表明したことが報じられています。
関西広域連合(大阪、兵庫、京都、滋賀などの知事が集まる)の会合で表明するそうです。具体的には原発の新設や更新を認めないことで、脱原発の社会を実現してゆこうというもので、ソフトバンクの孫正義社長にも影響を受けたと話しています。
原発には寿命がありますから、新設や更新がなければ自然消滅します。
国民のみんなが本当のことを知ることが大切です。今まではウソが多すぎました。
本当のことを知った上で判断することが大切です。
その上でやはり政治が動かなければなりません。
市町村議員に正しいことを知ってもらい、市町村議会が脱原発の決議を上げていくことが、遠回りのように見えても近道であり、いったん上げた決議は消えませんから蓄積型の運動になり長続きします。橋下知事の決断は大いに追い風となるでしょう。
8月の広島で、長崎で、日本人は世界に向けてどんな言葉を発信できるでしょうか。
福島を契機に脱原発の社会を選択し、再生可能エネルギーの開発に国をあげて取り組み、その成果を世界の人々と分かち合うことで世界に貢献したい、そんなメッセージを世界に発信できればいいと思います。
私も微力ながら脱原発の道を開くために活動を始めています。
講演会なども独自に開くようにしています。
ご参考に以下のホームページをごらんください。
01. 2011年4月28日 23:02:25: x4czYT3CiE
フルフォードとスペクターが上智大学に留学していたのを無視するのか?
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/132.html#c1
中東での不安定化は当然反イスラエル・ユダヤに続く。
イスラム対ユダヤの宗教戦争だ。
武器を作る者が当然利益をえる。
そして原油産業もかかわる。
阿修羅はそれを理解している。
何故阿修羅はこれをあおる。
おい、ダイナモ、チンポ付いてんのか?
http://www.asyura2.com/10/warb7/msg/566.html
44. 2011年4月28日 23:05:22: osfUxSvGsk
下記URLがガンダーセンさんの公式サイトの動画集です。
http://www.fairewinds.com/updates
他にも色々勉強になる動画が沢山あります。
(ただし英語)
http://www.asyura2.com/11/genpatu10/msg/113.html#c44
07. 2011年4月28日 23:05:59: XvVSl9QFUo
東電清水社長は「原賠法に則り、場合によっては国の支援も仰ぎ、誠意をもって賠償させていただく」と繰り返す。
つまり、もう裏では話は付いているということだ。
菅は『第一義的には東電の責任でするべきだが、政府も保証に責任をもつ」と言う。
政府が保証などと言う言い方で誤魔化すな! 一私企業の瑕疵のために税金を投入するとハッキリ言え。さもなくば、現政権の閣僚が個人として保証しなさい。
国民の税金を投入するためには、東電が原発を全て廃炉にして出直しを宣言した場合に限る。
それが無い限り、東電社員の月給が10万円を割ろうが、びた一文税金は出すな。
だいたい、清水という人はどういう感覚を持っているのか。
海江田大臣が「役員報酬40%では、まだ国民の納得が得られない」と苦言をを呈すると、40%カットは「大変非常に厳しいと考えている」と反論したというではないか。
放射能漏洩で、農民は自殺し、漁業従事者は漁の目処も立たず、中小の会社は倒産し、旅館なども店をたたんでいる。
給料半分になったって元々高給だったのだから、そういう人のことを思えばまだまだ足りないはずだ。
本当に、こういう体質の会社に税金を投入することは許されない。
http://www.asyura2.com/11/genpatu10/msg/130.html#c7
58. 2011年4月28日 23:06:04: OIAWu5Cg4g
>>57
他の投稿者の所と記載した部分ですが、以下の投稿です。
「まだ地震兵器の存在が信じられない方は、 読売新聞記事とペンタゴンサイトを見てください(B・フルフォード)」
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/200.html
の
37・45・46・50・55・66
の投稿が私のものです。
お時間があればお目通し下さい。
いかに返答が帰ってこないか、こじつけ解釈かが分かると思います。
投稿中「米ソの気象兵器に関する条約」のくだりがあります。
どなたかに国会図書館で調べてみれば事実が明らかになるとの助言を受け調べてきました。
語られるような地震兵器とは話が違うないようですが・・・。
必要があればお伝えします。
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/264.html#c58
131. 2011年4月28日 23:07:33: ubpPH9UsfI
大体、国立大学の教授ってさ、体制にべったり、お上に逆らわない人がなれるんだよね。自分の信念を曲げず正論を言った時点で出世はない。生活のために節操を捨てる人のほうが多いだろうと思う。企業に勤めてても、同様のことはあるでしょ?
http://www.asyura2.com/11/genpatu7/msg/922.html#c131
51. 2011年4月28日 23:10:18: Fj7KvyDn5W
朝日新聞が言おうが言うまいが、原発は日本にとって
エネルギー資源ばかりでなく、原子力技術の開発の見地から
必要なのである。
それにしてもまだ飯山一郎は福島原発でガレキかたづけしてないのか。
行けといったろが!
01. 2011年4月28日 23:13:25: XvVSl9QFUo
橋本知事、支持。
しかし、読売・シンボウを擁立だけはいただけないよなぁ。あれさえなければ、諸手で支持だったんだけど・・・。
http://www.asyura2.com/11/genpatu10/msg/143.html#c1
14. 2011年4月28日 23:14:36: vTWoBTqZTQ
まずは11:59は11年5月9日が本命〜!?
次の3:29は=3月11日という意味になりませんか!?
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/479.html#c14
12. 2011年4月28日 23:15:00: PgGEzDs2v2
■森田は 勘違いしてないか
農家の方の謝罪を ふんぞり返って 森田は聞いてたけど
放射能を ぶち撒いた 東電の責任!
行政を司る アンタは 住民を代表して
東電に乗り込み 農産物の買取要求&賠償金を取ってきて
農家の方々に お渡しする仕事をさぼっとるから こんなことになる
今日明日にも 生活に必要な 金の支払いすべし
03. 2011年4月28日 23:15:03: InMaNky1UQ
キュリウムはプルトニウムより毒性強い。
核燃料サイクル機構=動燃は食えるんだよな。
プルト君以外にもキュリちゃん作れよ。
そうだに、まずは記者会で劣化ウラン弾をパクパク食べてくれ。
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/945.html#c3
12. 2011年4月28日 23:16:50: 55TD8UASTE
安心感にすがっていたいという思いを消して、真正面から様々な情報を見ることができれば、何も、このブログの方が提示してくださった、保安員との電話の会話を見なくても、今の状態はかなり危機であることは明確ではないでしょうか。
世の中には善も悪も両方あって、両者のバランスによって成り立っているのだと思うので、善ばかりが世に溢れていないのは現実だとしても、原発問題ではメディアがコントロールされていることによって、あまりにもアンバランスな情報が、多くの人たちを洗脳しているように見受けるのが、今の日本ですよね?
そんな中、千葉さんが敢えてこのような記事を書いている動機は、善意の他なにものもないと思います。この記事を見た全ての人に声が届かなくても、たとえ一人の人に届くだけでも、書くに値することだと思います。それがもし、小さなお子さんを持つ親御さんならなおさら。一人の命が蝕まれることを防げるかもしれませんから。
こういうものを読んで怒る人は、人に依存しすぎているんじゃないですか?(怖いという気持ちをどうしてくれるのよー!?)というのは、自分の責任で自分の中で解決すべき。甘えるんじゃねえ、って思います。
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/927.html#c12
29. 2011年4月28日 23:17:28: jDCVsKf2to
原発を中止にした芦浜原発闘争
芦浜に白い花咲く頃 vol.2 より引用
・原子力発電はまだ実験段階であり、万一を考えて辺地を選んだものと思われる。
・絶対事故がないとは誰にも保証できない。外国では今までに事故の例がある。
・原子力発電からは沢山の死の灰が出来るが、この恐ろしい死の灰をどう処理
するかはまだ解決がついていない。
・許容量以下の放射能なら心配ないと云うがわずかなものでも長い年月堆積され
たら人体にどんな影響があるか非常に疑問である。子孫の代になってその影響が
あらわれても取り返しがつかない。
・大量の冷却水が使用されるので海水の温度差が魚場に与える影響は非常に大きい。
芦浜に白い花咲く頃 vol.2
http://camp.ff.tku.ac.jp/rencon/Houren_V22.html#FOO
芦浜の四季 Vol.2 「冬の芦浜」
http://camp.ff.tku.ac.jp/rencon/Houren_V18.html#FOO
1Q74 1967年芦浜 ― 2009年08月10日
http://fine.asablo.jp/blog/2009/08/10/4488328
海よ! 芦浜原発30年
http://blog.goo.ne.jp/ryuzou42/e/3ff6d7b20b55c7b3583af641fd49d3c2
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/883.html#c29
45. 2011年4月28日 23:17:42: pEgCpfCxXY
参考記事。2011-4-26
http://www.asahi.com/national/update/0426/TKY201104260384.html
文部科学省は26日、福島第一原発から20〜30キロ圏内の田村市、いわき市、広野町の4カ所の土壌中のプルトニウム238、239、240の分析結果を公表した。田村市で微量の239と240を検出したが、1980年代までの大気圏内核実験によるもので、今回の事故による飛散は確認されなかったという。
大気中の放射線量については、宮城、福島、茨城、千葉の4県で平常値を上回っている。福島県によると、福島市は毎時1.64マイクロシーベルト(前日は1.65)、飯舘村4.07マイクロシーベルト(同4.08)とわずかに下がった。郡山市は1.55マイクロシーベルト(同1.51)とやや上がった。
------------------
>>42さんのいわれるように、
>遠くには飛散していない ???
http://www.asyura2.com/11/genpatu10/msg/113.html#c45
07. 遠山の金さん 2011年4月28日 23:19:25: psj3IN/xK7JbA : Gw1DrBijyI
4月29日(金)開催 脱原発イベント情報
「さよなら原発 神戸アクション」
場所:東遊園地(神戸市役所南側 JR阪神阪急三宮より南へ徒歩5分)
http://www.mapion.co.jp/here/all/110428/mapi0223700110428231616.html
集会:13時より パレード:15時〜16時
コース:東遊園地を北上し2号線を西へ、元町大丸前を通って再び東遊園地に帰る。
HP:さよなら原発神戸アクションブログ
http://ameblo.jp/sayonaragenpatukobe/
問い合わせ先高橋 090-3652-8652 dfadl300@kcc.zaq.ne.jp
中野 080-3030-3083 shingokobe@k.vodafone.ne.jp
01. 2011年4月28日 23:22:52: uBx0ZtljjI
はいはい、火星人襲来パート2だよ!全員集合!!
そうやって、今まで「キリスト」「魔女」「UFO、金星人(何故か美女)」「ネッシー」「雪男」「ミステリーサークル」「スプーン曲げ」「超能力」「ニューエイジ」「チャネリング」「霊界心霊」「池田大作」だのを創作して、騙して来た。さすが、ユダヤ金融銀行家、白人の考えることは、気が狂っているw
そして、それにまんまと騙されても、まだ気がつかない、バカな大衆w
「UFO、宇宙人、はいるだろう」などと思っている人は、UFO宇宙人というシロモノがごく最近、欧米白人が言い出した(創作した)事実、その謀略の歴史、現実すら知らないw
まあ、UFO宇宙人大好きっ子は、↓の様なフォトショップも無い時代の、ウチュウジン、ユーホー、とか見て、一生興奮しててくれ。作った白人もさぞ喜ぶだろう。
http://blog-imgs-41.fc2.com/k/u/w/kuwa98/3m2.jpg
http://giga.world.coocan.jp/ufo/photo/captured_alien.html
http://mondomystery.o-oku.jp/adamuski.html
UFOを、考え出したのは、ジョージ・アダムスキーという、ポーランド系ユダヤ人。彼こそが、UFOの産みの親。アメリカには、ハリウッド=ユダヤ系の、シナリオライターが五万といる。それらは、CIA,NSAと連動、米軍特殊部隊”心理作戦部”がいかに大衆を騙すか、に心血を注いで生活をしている。
今度も白人が、2012年以後に、ブルービーム計画をやるようだから、みんな政治だの経済だの戦争だの、すっかり忘れて、空でも見上げていてくれ。白人が映写機でキリストだか何かを写すみたいだからw
その隙に、アメリカ白人は、計画通り、金融破たん、デフォルト、新ドルアメロ、借金帳消し、中東で大戦争、又いろいろ”やらかして”くれるようなんだ。
まあ、永遠に”彼ら”は、この手の騙し絵を創作し続けるだろう。何故なら、
「現実に、無いものを、無いと証明することは、難しい」=悪魔の証明wという手があるw=「大衆を永遠に騙し続けることは、簡単である」w
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/535.html#c1
02. 2011年4月28日 23:26:59: XyroorzXBM
フルフォードは孫さんに似ている、スパイであっても不思議でないのに相手を信頼させるおおらかさがある。
スペクターは明らかにスパイ、本音で話していないのがすぐ分かる。
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/132.html#c2
05. 2011年4月28日 23:28:00: d3u5E9fAn2
これは上からの命令や支持によって出てきた案というより、現場の中間管理職の声が反映されたものだろう。
こういう緊急事態の際は、上級管理職は何一つ案など出ないもので、すべては現場の管理者の発案で
会社全体が動いていたとみていいし、現在もそうだと見ていい。
つまり上も下も現場管理者にいいように振り回されているとみるべきだ。
もっとも、こんなときに現場管理者に逆らえるものではない。東電社長だって反論はできない。
首を挿げ替えることはできないわけだから。
こういう問題をなんとかクリアしなければ東電幹部や政府に文句を言っても何も解決しない。
http://www.asyura2.com/11/genpatu10/msg/140.html#c5
04. たそがれ竹べえ 2011年4月28日 23:29:43: EzRc1UvJydDio : SYEBZagBfg
>02
Wikipediaを含め、一つのソースに依存するのは危険で、複数の資料で確認する必要があるということですね。とても参考になりました。
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/956.html#c4
52. 2011年4月28日 23:29:47: efeZwdKH9E
小沢報道、原発事故報道を
取り仕切っているのは、
電通と朝日新聞社。
依頼主は、霞が関と財界。
小沢と福島が、
真実のメディアと司法を
露呈させた。
中国、北朝鮮並みの全体主義国家。
46. 2011年4月28日 23:31:31: 4cdbbeRrbA
>44さん
とても参考になる動画、ありがとうございます。
Arnie Gundersen氏はアメリカ版小出氏ですね。
論理的で、無駄な部分がほとんどない。
東電はこういった学者に対してリアルタイムで全てのデータを開示すべきだ。
政府や御用学者どもと口裏をあわせてヒソヒソと相談しながら小出しにするな。
53. 2011年4月28日 23:35:25: CMU5DbMicw
>>51
自分のうちの近くに作ってもらえ!
http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/760.html#c53
83. 2011年4月28日 23:35:43: mSWNgwvFsQ
チェルノブイリ事故の時はゴルバチョフ書記長だったので、曲がりなりにも、ペレストロイカやグラスノスチを進めていた、日本はペレストロイカやグラスノスチをしようとして和製KGB(特捜や公安)や和製プラウダ(朝日や読売)の妨害で頓挫している状態でしょう。
ロシアにバカにされるのも当然です。
02. 2011年4月28日 23:36:36: CrSPO7aj1k
画像に出てくる”出撃”場面、ヘルメットが棚にズラーっと並べられてる。そこでマスクをつけて、棚のヘルメットをかぶり・・・。
ヘルメットは使い回し。
そんなヘルメットがたくさんあるところへ、マスク付けずに入ってきて、
そんなところでマスクをつける、−−−そういう作業指揮になってるようだ。
放射能粉塵を 持ち込ませ、吸い込ませ になってないか?内部被ばく対策は、なされてないのか?
国営放送・NHKによる原子力関連情報の偏向度合いが半端ない
今日は朝から気分の悪い番組を目にした。
ジャニーズの井ノ原快彦と”横浜石井の元愛人”有働由美子がキャスターを務める「あさイチ」なる番組にて、所謂「黒い雨」(放射性物質を含む雨)をして、全くのデマと断罪したのである。
オドロオドロシイ脚色がなされた映像と共に、震災にて出回っているデマを流布するチェーンメールの代表格的扱いにて、「黒い雨」=「デマ」との偏向色に満ちた放送をおこなったのである。
詳細の内容は、以下に示す同番組HPにて確認できるので時間のある方はご覧いただきたい。
『あさイチ』
「あなたはどうする?災害時の情報」
放送日 :2011年 4月27日(水)
放送時間 :午前8:15〜午前9:55(100分)
番組HP: http://www.nhk.or.jp/asaichi/
○番組内容
▽黒い雨が降る?あのデマメールどう作られた
http://www.nhk.or.jp/asaichi/2011/04/27/01.html
文字情報だけではちょっとニュアンスが伝わりにくいやも知れないが、映像をみればその偏向度合いは酷いものであった。
ただ、ゲストで出演していた室井佑月がコメントを求められ、
「デマ情報がどうかは個人レベルで判断が可能であり、そのようなメール等を受け取っても問題ない。それよりもデマと称して言いたいことが言えない状況(言論統制)になることの方が怖い。」
との至極真っ当な、いい意味でのKYコメントをしていて笑わせてもらった。
室井佑月によるこのコメントこそ、今のメディアの報道姿勢を暗に断罪するものと言えよう。
「風評被害」に関してもそうであるが、情報というものはそれを受け取る側が判断して「受け入れ」または「拒絶」するものである。
それをデマと称して、情報統制を行なうことの方が何倍も罪が重いと言ってよいであろう。
何故なら「風評被害」なるものは、「誤った情報」により拡がるのではなく、「情報不足」により拡がるからである。
判断するための情報が不足しているから、個々人が二の足を踏むのである。
賛否両論があるであろうが、情報がすべてオープン化されていれば、常識ある人間であれば、的確な判断が可能であり、大きな「風評被害」など起きないというのが個人的な見解である。
したがって、いま起きている「風評被害」をつくり出しているのは、NHKの言うチェーンメールでもなければツイッターのつぶやきでもない。
情報開示をせず情報隠蔽姿勢が一向に改まらない国家権力、としてマスゴミ自身が「風評被害」生み出している元凶なのである。
今回取り上げた「あさイチ」の例などまだかわいいものである。
以下に取り上げるNHKの「科学文化部」なる、NHKの専門記者らが展開しているブログ内容の内容が目を覆うばかりの酷さなのである。
その内容はまるで「国会答弁」かと疑うような”はぐらかし感”極まりないものである。
(転載開始)
【解説・被ばく限度は1ミリ?20ミリ?100ミリ?】
2011年04月21日 (木)
http://www9.nhk.or.jp/kabun-blog/600/79535.html
文科省などはおととい、福島県内で子どもたちが学校で安全に過ごすための放射線量の限度について「年間20ミリシーベルト未満」という目安を発表しました。
〜中略〜
今回、学校の安全目安について政府は「復旧期」の上限値である年間20ミリシーベルトを採用したということです。
そう聞くと、「復旧期? 緊急時ではないの?」という疑問がわきます。
事故が続く中で「復旧期」の指標を採用したのは、計画的避難区域などに指定される地域以外では、放射性物質の影響は一定程度に抑えられると判断したためと政府は説明しています。
しかしこれはあくまで今後、想定外の事が起こらなければという但し書きつきです。
これまで何度も「想定外」が起きているのですから。
今回の学校での放射線量の目安は、ICRPの「復旧期」の指標のうち、上限にあたる年間20ミリシーベルトを採用し、多くてもこれを超えないようにと設定されました。
しかし「なぜ上限の20ミリ?」または「緊急時なのか?復旧期なのか?」といった疑問に対して、政府は丁寧な説明をしているのか、指摘しなければなりません。
不安を取り除くために十分な説明をするとともに、政府には、この目安を使っている間もできる限り年間1ミリシーベルトに収まることを目指して、引き続き被ばく量を減らす努力を続けることが求められます。
(追記)〜みなさんから寄せられたご質問をもとに、補足します。
▼「緊急時」「復旧期」とはいつのこと?
ICRPでは原子力発電所の事故などで「緊急時」とは放射線を制御できていない状態です。
つまり、平常時の1mSv以下という線量限度を守りたくても守れない状況です。
「復旧期」は放射線のコントロールは取り戻したものの、その場に放射性物質が残ってしまった状況を想定しています。
▼なぜ年間20mSvを基準にとったのか?
大きな疑問。
「ICRPが20mSvという数字を挙げているからそのまま採用した」
「緊急事態と復旧期の端境期だから」
というのが政府の説明です。
その後の取材でもこれ以上の根拠が示されることはありませんでした。
科学的には、学校生活を制限した場合の損失と仮定される健康への被害を比較して、より損失が少ない方を選ぶという方法がとられます。
今回の政府の決定の背景にもこうした判断があったとみられます。
しかし、こうした方法をとる場合、どのようなリスクを比較したのかという情報を明確にする必要があります。
情報が無いと検証もできなくなってしまいます。
今の情報では十分な検証ができません。
「子どもの被ばくを出来る限り減らす」ことをより重視する社会では、それ以外の場面でのより大きな不便や損失に耐えることが出来るでしょう。
そうなれば、さらに高いレベルの対策を取る事も想定されます。
健康被害、とりわけ子どもの健康被害を出来る限りゼロに近づけたいという親や保護者の思いは当然のものです。
政府は判断の根拠をきちんと示して、対策がどうして妥当であるのかを説明する必要があります。
引き続き、様々な対策の判断の根拠を明らかにするよう求めていきます。
▼子どもの内部被ばくはどう考えているのか?
今回示された年間20ミリシーベルトという数値には、空気中に地表から舞い上がった放射性物質を吸い込むことによる「内部被ばく」の可能性が考慮されていないのでは?という疑問があります。
これに対し政府は、現状のデータから内部被ばくの量を計算したところ、被ばく全体の3.5%から0.2%に留まったため空間線量に基づいて目安を示すことにしたとしています。
つまり微量なので内部被ばくを考慮しなくても構わないという考え方です。
計算の根拠となるモニタリングのデータをもとに、常に最新の状況を注視する必要があります。
▼ICRPの基準は成人向けではないか?成長期の子どもはより厳しい基準を適用するべきではないか?
ICRPは子どもと胎児については感受性が高く、生涯のリスクは大人と比べて3倍になるとしていますが、基準に使われる放射線量(1mSv、20mSv、100mSvなど)に年齢の区別を設けていません。
これは一般的に「公衆」を年齢ごとに分けて、対策に差をつけるのが難しいというのが理由の一つだと考えられます。
ただしICRPは、絶対的なデータを示しているのではなく、各国の事情にあわせて対策をとることを求めています。
子どもへの被ばくをより少なくする観点から、さらに低い値を採用することも可能です。
なぜ20mSvを採用したのか、さらに低い値を採用しなかったのはなぜか、考え方を示す必要があります。
▼放射性物質の観測機器の高さが20mなどあまり人の歩かない高さにあるそうだが、人の高さでなくてもいいのか?
通常、文部科学省の調査は主に各地の衛生研究所などで行っています。
この際、機器が設置されている場所は建物の屋上や庭なので統一されていません。
これは問題だと思います。
やや複雑ですが、放射性物質がどれだけ降り積もったかを計るのは「定時降下物調査」というもので、これは地上でも屋上でもそれほど変化はないと見られます。
その一方で「空間放射線量」の調査では、地上に近づくと地上の放射性物質からの放射線も検出するため地表に近い方が高くなります。
なお、先日の福島県内の学校での「暫定的な目安」を決めた際の調査の際には、子どもの身長を考慮して、幼稚園・保育所・小学校では地上から50センチ、中学校では地上から1メートル地点で測定しています。
「暫定的な目安」の値の決め方については多くの問題が指摘されていますが、測定方法だけをとってみると、屋外のグラウンド、コンクリート、教室の窓側、廊下側など、これまでより詳細に行われているという印象です。
ただ本当に子どもの被ばくを減らす観点から言えば、調査で校庭に線量の高い場所が見つかったならば、土壌表面の除去などの対応をあわせて行うべきだと思います。
(藤原記者)
(転載終了)
藤原何某という記者は、説明しているようでまったく説明になっておらず、質問に答えているようでまったく中身のない回答に終始していると感じるのは小生だけであろうか?
ここで、同ブログの「読者からのコメント欄」に是非注目いただきたい。
この藤原何某よりも余程、的を射たコメントをしていると言えよう。
同コメントは以下の通り。
○内部被曝と外部被曝と言うのをしっかり考える必要が有るのでは無いでしょうか。
ご参考にしてみて下さい。
http://takedanet.com/2011/04/49_5e8b.html
投稿日時:2011年04月21日 21:57 | オオイデ
○労基法では20mSv/yr以上の環境では18歳未満の子供を働かせてはならないというものがあり、整合性を問われていました。
子供といっても幼稚園児から中学生まで発達段階はいろいろありますが、大人の基準値そのままでいいのかという疑問は残ります。
それにしても、管理地域も基準値も知らずに会見に出てくる文科省は酷すぎます。
こんな状態で非常時基準を信じろという方が無理があります。
投稿日時:2011年04月21日 21:57 | あきこ
○20ミリシーベルトまで、とされている根拠は何なんでしょう?
過去に人体実験でもして、それなら安全ということなのでしょうか。
机上の計算であって、実質的には今回の現状が人体実験になっているのではないでしょうか?
〜中略〜
あいまいな物のいい方しかしない政府はもちろんですが、このような報道の具体性のなさが、風評被害を助長しているのだと思います。
投稿日時:2011年04月21日 22:03 | とんとん
○何度読んでも、理解できません。
子供の安全がまるで数字のトリックで扱われているように感じてしまいます。
投稿日時:2011年04月21日 22:25 | junko
○最初に、「子どもたちが学校で安全に過ごすための放射線量の限度」と言いながら、解説は大人の話ばかりです。
「子ども」の限度がどうであるか?という解説はできないでしょうか?。
投稿日時:2011年04月21日 22:29 | godel
○質問
1)20ミリシーベルト/年という値に内部被曝は考慮されているのか?
2)「緊急時」であるならば、まず「避難」させる事が先決ではないか?
3)何故、事故後一ヶ月以上経過しないと発表できなかったのか?
4)学校生活以外の被曝線量は考慮されているのか?
5)プール授業は問題ないのか?
投稿日時:2011年04月21日 22:37 | 学校保健薬剤師
○外部被爆と内部被爆をうまい具合に摩り替えないで下さい。
これ以上、少子高齢化を進ませていいのでしょうか?
NHKスペシャルでチェルノブイリの特集を放送していたのですから、放射能の怖さをよく知っているはずでしょう。
今こそ放送するべきです。
公共放送を掲げるのであれば、民放には出来ないことをしてください。
投稿日時:2011年04月21日 22:54 | おひさま
○やっちゃいましたね、こういう曖昧な報道自体が風評被害を広げている事に何故気が付かない。
投稿日時:2011年04月21日 23:11 | 父
○緊急事態だからと言って、多く被曝させていいわけではない。
それに、被曝量が低いからと言って安全なわけではない事を説明すべきだと思います。
被曝量を引き上げるとそれだけ多くの人がガンになる確率が上がるという。
確率のリスクをしっかり説明すべきではないでしょうか。
投稿日時:2011年04月22日 12:35 | ミミ
○■年間被曝量の基準
●福島の児童生徒:20mSv
●放射線管理区域:20mSv(労働基準法で18歳未満が働くことを禁じている)
●原発労働者の白血病の労災認定:5mSv
●チェルノブイリ事故時の移住義務:5mSv
●事故前の国内基準:1mSv
せめて上記の数値だけでも報道してください。
インターネットで能動的に情報を集めている人しか知らない、では済まされない問題です。
みんなが知れば止められます。今からでも止められます。
日本国民の最大多数をカバーする報道機関=NHKしかできないことです。
投稿日時:2011年04月23日 01:34 | 元PTA役員
○安全という風評をこれ以上流さないで。
太平洋戦争時とは違って、国民はあらゆる方法で真実をかぎ分けています。
NHKって国民のための放送局でしょ?
東電というスポンサーにひも付きなってる民放とは違うはず。
投稿日時:2011年04月26日 13:59 | やまざき
○どうして偏ったご意見の先生方しか出てこないのでしょう?
反対側の意見、慎重な姿勢の先生方の発言の機会を与えていただきたいです。
投稿日時:2011年04月26日 15:46 | 一保護者
○5年後、10年後に子どもの甲状腺ガンが増加した場合、東電ー保安院ー安全委員会ー文科省らが責められるのは無論のことですが、NHKも確実に責められることになる、ということです。
多くの疑問の投書がありながら、政府の公式発表をそのまま報道しているだけですので。
そもそもジャーナリストの使命とは、このような疑惑に対し、それを暴き出し、民に真実を伝えることにあります。
投稿日時:2011年04月26日 18:22 | Murasakikaori
等々
ここまで心強いコメントをみると、今回は小生の出番はないようである。
これだけの方々が真っ当なコメントをしていることに安心感を覚える一方で、福島県にて普通に学校生活を送っている子どもたちの身が改めて案じられる次第である。
特に「黒い雨」をデマと断じ、”内部被曝”について一切語ろうとせず、福島県民をモルモットの如く”人体実験”することに加担する国営放送たるNHKについては、今後も本ブログにて糾弾し続けていきたい。
福島の子どもたちをチェルノブイリ周辺の子どもたちと同じ目に遭わせようとしている国家権力の”蛮行”を断じて許すわけにはいかない。
http://www.asyura2.com/10/test20/msg/998.html
http://blog.goo.ne.jp/tarutaru22/e/ab43eb4c1b478425e80873d75c7ecea8
暗黒夜考〜崩壊しつつある日本を考える〜
2011年04月28日
今日は朝から気分の悪い番組を目にした。
ジャニーズの井ノ原快彦と”横浜石井の元愛人”有働由美子がキャスターを務める「あさイチ」なる番組にて、所謂「黒い雨」(放射性物質を含む雨)をして、全くのデマと断罪したのである。
オドロオドロシイ脚色がなされた映像と共に、震災にて出回っているデマを流布するチェーンメールの代表格的扱いにて、「黒い雨」=「デマ」との偏向色に満ちた放送をおこなったのである。
詳細の内容は、以下に示す同番組HPにて確認できるので時間のある方はご覧いただきたい。
『あさイチ』
「あなたはどうする?災害時の情報」
放送日 :2011年 4月27日(水)
放送時間 :午前8:15〜午前9:55(100分)
番組HP: http://www.nhk.or.jp/asaichi/
○番組内容
▽黒い雨が降る?あのデマメールどう作られた
http://www.nhk.or.jp/asaichi/2011/04/27/01.html
文字情報だけではちょっとニュアンスが伝わりにくいやも知れないが、映像をみればその偏向度合いは酷いものであった。
ただ、ゲストで出演していた室井佑月がコメントを求められ、
「デマ情報がどうかは個人レベルで判断が可能であり、そのようなメール等を受け取っても問題ない。それよりもデマと称して言いたいことが言えない状況(言論統制)になることの方が怖い。」
との至極真っ当な、いい意味でのKYコメントをしていて笑わせてもらった。
室井佑月によるこのコメントこそ、今のメディアの報道姿勢を暗に断罪するものと言えよう。
「風評被害」に関してもそうであるが、情報というものはそれを受け取る側が判断して「受け入れ」または「拒絶」するものである。
それをデマと称して、情報統制を行なうことの方が何倍も罪が重いと言ってよいであろう。
何故なら「風評被害」なるものは、「誤った情報」により拡がるのではなく、「情報不足」により拡がるからである。
判断するための情報が不足しているから、個々人が二の足を踏むのである。
賛否両論があるであろうが、情報がすべてオープン化されていれば、常識ある人間であれば、的確な判断が可能であり、大きな「風評被害」など起きないというのが個人的な見解である。
したがって、いま起きている「風評被害」をつくり出しているのは、NHKの言うチェーンメールでもなければツイッターのつぶやきでもない。
情報開示をせず情報隠蔽姿勢が一向に改まらない国家権力、としてマスゴミ自身が「風評被害」生み出している元凶なのである。
今回取り上げた「あさイチ」の例などまだかわいいものである。
以下に取り上げるNHKの「科学文化部」なる、NHKの専門記者らが展開しているブログ内容の内容が目を覆うばかりの酷さなのである。
その内容はまるで「国会答弁」かと疑うような”はぐらかし感”極まりないものである。
(転載開始)
【解説・被ばく限度は1ミリ?20ミリ?100ミリ?】
2011年04月21日 (木)
http://www9.nhk.or.jp/kabun-blog/600/79535.html
文科省などはおととい、福島県内で子どもたちが学校で安全に過ごすための放射線量の限度について「年間20ミリシーベルト未満」という目安を発表しました。
〜中略〜
今回、学校の安全目安について政府は「復旧期」の上限値である年間20ミリシーベルトを採用したということです。
そう聞くと、「復旧期? 緊急時ではないの?」という疑問がわきます。
事故が続く中で「復旧期」の指標を採用したのは、計画的避難区域などに指定される地域以外では、放射性物質の影響は一定程度に抑えられると判断したためと政府は説明しています。
しかしこれはあくまで今後、想定外の事が起こらなければという但し書きつきです。
これまで何度も「想定外」が起きているのですから。
今回の学校での放射線量の目安は、ICRPの「復旧期」の指標のうち、上限にあたる年間20ミリシーベルトを採用し、多くてもこれを超えないようにと設定されました。
しかし「なぜ上限の20ミリ?」または「緊急時なのか?復旧期なのか?」といった疑問に対して、政府は丁寧な説明をしているのか、指摘しなければなりません。
不安を取り除くために十分な説明をするとともに、政府には、この目安を使っている間もできる限り年間1ミリシーベルトに収まることを目指して、引き続き被ばく量を減らす努力を続けることが求められます。
(追記)〜みなさんから寄せられたご質問をもとに、補足します。
▼「緊急時」「復旧期」とはいつのこと?
ICRPでは原子力発電所の事故などで「緊急時」とは放射線を制御できていない状態です。
つまり、平常時の1mSv以下という線量限度を守りたくても守れない状況です。
「復旧期」は放射線のコントロールは取り戻したものの、その場に放射性物質が残ってしまった状況を想定しています。
▼なぜ年間20mSvを基準にとったのか?
大きな疑問。
「ICRPが20mSvという数字を挙げているからそのまま採用した」
「緊急事態と復旧期の端境期だから」
というのが政府の説明です。
その後の取材でもこれ以上の根拠が示されることはありませんでした。
科学的には、学校生活を制限した場合の損失と仮定される健康への被害を比較して、より損失が少ない方を選ぶという方法がとられます。
今回の政府の決定の背景にもこうした判断があったとみられます。
しかし、こうした方法をとる場合、どのようなリスクを比較したのかという情報を明確にする必要があります。
情報が無いと検証もできなくなってしまいます。
今の情報では十分な検証ができません。
「子どもの被ばくを出来る限り減らす」ことをより重視する社会では、それ以外の場面でのより大きな不便や損失に耐えることが出来るでしょう。
そうなれば、さらに高いレベルの対策を取る事も想定されます。
健康被害、とりわけ子どもの健康被害を出来る限りゼロに近づけたいという親や保護者の思いは当然のものです。
政府は判断の根拠をきちんと示して、対策がどうして妥当であるのかを説明する必要があります。
引き続き、様々な対策の判断の根拠を明らかにするよう求めていきます。
▼子どもの内部被ばくはどう考えているのか?
今回示された年間20ミリシーベルトという数値には、空気中に地表から舞い上がった放射性物質を吸い込むことによる「内部被ばく」の可能性が考慮されていないのでは?という疑問があります。
これに対し政府は、現状のデータから内部被ばくの量を計算したところ、被ばく全体の3.5%から0.2%に留まったため空間線量に基づいて目安を示すことにしたとしています。
つまり微量なので内部被ばくを考慮しなくても構わないという考え方です。
計算の根拠となるモニタリングのデータをもとに、常に最新の状況を注視する必要があります。
▼ICRPの基準は成人向けではないか?成長期の子どもはより厳しい基準を適用するべきではないか?
ICRPは子どもと胎児については感受性が高く、生涯のリスクは大人と比べて3倍になるとしていますが、基準に使われる放射線量(1mSv、20mSv、100mSvなど)に年齢の区別を設けていません。
これは一般的に「公衆」を年齢ごとに分けて、対策に差をつけるのが難しいというのが理由の一つだと考えられます。
ただしICRPは、絶対的なデータを示しているのではなく、各国の事情にあわせて対策をとることを求めています。
子どもへの被ばくをより少なくする観点から、さらに低い値を採用することも可能です。
なぜ20mSvを採用したのか、さらに低い値を採用しなかったのはなぜか、考え方を示す必要があります。
▼放射性物質の観測機器の高さが20mなどあまり人の歩かない高さにあるそうだが、人の高さでなくてもいいのか?
通常、文部科学省の調査は主に各地の衛生研究所などで行っています。
この際、機器が設置されている場所は建物の屋上や庭なので統一されていません。
これは問題だと思います。
やや複雑ですが、放射性物質がどれだけ降り積もったかを計るのは「定時降下物調査」というもので、これは地上でも屋上でもそれほど変化はないと見られます。
その一方で「空間放射線量」の調査では、地上に近づくと地上の放射性物質からの放射線も検出するため地表に近い方が高くなります。
なお、先日の福島県内の学校での「暫定的な目安」を決めた際の調査の際には、子どもの身長を考慮して、幼稚園・保育所・小学校では地上から50センチ、中学校では地上から1メートル地点で測定しています。
「暫定的な目安」の値の決め方については多くの問題が指摘されていますが、測定方法だけをとってみると、屋外のグラウンド、コンクリート、教室の窓側、廊下側など、これまでより詳細に行われているという印象です。
ただ本当に子どもの被ばくを減らす観点から言えば、調査で校庭に線量の高い場所が見つかったならば、土壌表面の除去などの対応をあわせて行うべきだと思います。
(藤原記者)
(転載終了)
藤原何某という記者は、説明しているようでまったく説明になっておらず、質問に答えているようでまったく中身のない回答に終始していると感じるのは小生だけであろうか?
ここで、同ブログの「読者からのコメント欄」に是非注目いただきたい。
この藤原何某よりも余程、的を射たコメントをしていると言えよう。
同コメントは以下の通り。
○内部被曝と外部被曝と言うのをしっかり考える必要が有るのでは無いでしょうか。
ご参考にしてみて下さい。
http://takedanet.com/2011/04/49_5e8b.html
投稿日時:2011年04月21日 21:57 | オオイデ
○労基法では20mSv/yr以上の環境では18歳未満の子供を働かせてはならないというものがあり、整合性を問われていました。
子供といっても幼稚園児から中学生まで発達段階はいろいろありますが、大人の基準値そのままでいいのかという疑問は残ります。
それにしても、管理地域も基準値も知らずに会見に出てくる文科省は酷すぎます。
こんな状態で非常時基準を信じろという方が無理があります。
投稿日時:2011年04月21日 21:57 | あきこ
○20ミリシーベルトまで、とされている根拠は何なんでしょう?
過去に人体実験でもして、それなら安全ということなのでしょうか。
机上の計算であって、実質的には今回の現状が人体実験になっているのではないでしょうか?
〜中略〜
あいまいな物のいい方しかしない政府はもちろんですが、このような報道の具体性のなさが、風評被害を助長しているのだと思います。
投稿日時:2011年04月21日 22:03 | とんとん
○何度読んでも、理解できません。
子供の安全がまるで数字のトリックで扱われているように感じてしまいます。
投稿日時:2011年04月21日 22:25 | junko
○最初に、「子どもたちが学校で安全に過ごすための放射線量の限度」と言いながら、解説は大人の話ばかりです。
「子ども」の限度がどうであるか?という解説はできないでしょうか?。
投稿日時:2011年04月21日 22:29 | godel
○質問
1)20ミリシーベルト/年という値に内部被曝は考慮されているのか?
2)「緊急時」であるならば、まず「避難」させる事が先決ではないか?
3)何故、事故後一ヶ月以上経過しないと発表できなかったのか?
4)学校生活以外の被曝線量は考慮されているのか?
5)プール授業は問題ないのか?
投稿日時:2011年04月21日 22:37 | 学校保健薬剤師
○外部被爆と内部被爆をうまい具合に摩り替えないで下さい。
これ以上、少子高齢化を進ませていいのでしょうか?
NHKスペシャルでチェルノブイリの特集を放送していたのですから、放射能の怖さをよく知っているはずでしょう。
今こそ放送するべきです。
公共放送を掲げるのであれば、民放には出来ないことをしてください。
投稿日時:2011年04月21日 22:54 | おひさま
○やっちゃいましたね、こういう曖昧な報道自体が風評被害を広げている事に何故気が付かない。
投稿日時:2011年04月21日 23:11 | 父
○緊急事態だからと言って、多く被曝させていいわけではない。
それに、被曝量が低いからと言って安全なわけではない事を説明すべきだと思います。
被曝量を引き上げるとそれだけ多くの人がガンになる確率が上がるという。
確率のリスクをしっかり説明すべきではないでしょうか。
投稿日時:2011年04月22日 12:35 | ミミ
○■年間被曝量の基準
●福島の児童生徒:20mSv
●放射線管理区域:20mSv(労働基準法で18歳未満が働くことを禁じている)
●原発労働者の白血病の労災認定:5mSv
●チェルノブイリ事故時の移住義務:5mSv
●事故前の国内基準:1mSv
せめて上記の数値だけでも報道してください。
インターネットで能動的に情報を集めている人しか知らない、では済まされない問題です。
みんなが知れば止められます。今からでも止められます。
日本国民の最大多数をカバーする報道機関=NHKしかできないことです。
投稿日時:2011年04月23日 01:34 | 元PTA役員
○安全という風評をこれ以上流さないで。
太平洋戦争時とは違って、国民はあらゆる方法で真実をかぎ分けています。
NHKって国民のための放送局でしょ?
東電というスポンサーにひも付きなってる民放とは違うはず。
投稿日時:2011年04月26日 13:59 | やまざき
○どうして偏ったご意見の先生方しか出てこないのでしょう?
反対側の意見、慎重な姿勢の先生方の発言の機会を与えていただきたいです。
投稿日時:2011年04月26日 15:46 | 一保護者
○5年後、10年後に子どもの甲状腺ガンが増加した場合、東電ー保安院ー安全委員会ー文科省らが責められるのは無論のことですが、NHKも確実に責められることになる、ということです。
多くの疑問の投書がありながら、政府の公式発表をそのまま報道しているだけですので。
そもそもジャーナリストの使命とは、このような疑惑に対し、それを暴き出し、民に真実を伝えることにあります。
投稿日時:2011年04月26日 18:22 | Murasakikaori
等々
ここまで心強いコメントをみると、今回は小生の出番はないようである。
これだけの方々が真っ当なコメントをしていることに安心感を覚える一方で、福島県にて普通に学校生活を送っている子どもたちの身が改めて案じられる次第である。
特に「黒い雨」をデマと断じ、”内部被曝”について一切語ろうとせず、福島県民をモルモットの如く”人体実験”することに加担する国営放送たるNHKについては、今後も本ブログにて糾弾し続けていきたい。
福島の子どもたちをチェルノブイリ周辺の子どもたちと同じ目に遭わせようとしている国家権力の”蛮行”を断じて許すわけにはいかない。
06. nekonotama1 2011年4月28日 23:41:19: tiXg8kA1YOTGA : FsmwW6uY3E
情報統制をするとか放射線許容量20ミリシーベルト/年を子供の住む地域にも適用するとか、権力サイドに都合の悪いことを言う人々冤罪で死刑にしたり牢屋にぶち込むようなことをする恐ろしい国を作り上げているのもこんな連中なのですね。
こいつらを排除するには政治家を変えるくらいでは駄目ですね。
さてどうしましょう?
http://www.asyura2.com/11/genpatu10/msg/116.html#c6
人類滅亡までの「世界終末時計」、残り6分に延びる
http://karapaia.livedoor.biz/archives/51590293.html
これは世界全体の話で、しかも最新版ではありません。東日本<原発>大震災前の記事です。
それ以降の終末時計が発表されたなら、しかも日本限定で捉える発表があるならば、
その時計は今や残り数十秒、いや数秒という共通世界認識で見られているのかも知れません。
この小さく狭い国土の全体が地震の巣であり、そこに55基もの原子炉がある絶望の意味が分かりますか?
福島原発の四つの炉心暴走を制御するだけでも、今後幾つもの奇跡的成功が重ならないと困難な状況であり、
もし一つでも失敗すれば六基全ての爆発も確定し、近隣原発のメンテナンスも不可能となり、
それは導火線となって、残る49基全てのメンテナンス中断という最悪の事態へと展開されるでしょう。
それではもう地震が来なくても、富士山が噴火しなくても、
日本どころか世界堤防の決壊(全世界原子炉のシャットダウン)になるまで止まらない。
そう、地球が死の灰に覆われた星となるのです。
神話のパンドラの箱のフタは、驚く無かれ、今、まさに日本にて開いたのです。
放射能という災厄、死の灰の「絶望」が、今猛烈に吹き出ているのです。
これを閉じ込める前に、慌てていると最後に出て来る「希望」を逸話通りに閉じ込めることになります。
今、日本全国民が本気になって、この最後の「希望」を実行に移す時が来たのです。
もしも、この最後の「希望」を閉じ込めたなら
近未来シミュレーション http://www.asyura2.com/09/jisin16/msg/629.html
に書いた事も、そうなる事を未然に防ぐ為に起こり得る必然なのです。
それなのに、国内(被災地以外)は束の間の平和な日常を取り戻し、TVはまた以前と変わらぬ痴呆番組を垂れ流し始めた。
同様の話は下記サイトに譲り、本題に移りましょう。
この社会システムは終わり
頑張らないこと
http://goldentamatama.blog84.fc2.com/
原発強制緊急停止の奥の手は我々の手にある
<超節電という国民行動>
誰でもが参加できるデモ、ストの形 最後の実力行使に希望を託す
孫正義氏記者会見での大川興業総裁の核心を突いた質問
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/889.html
投稿者 日 日時 2011 年 4 月 26 日 21:17:19: IR1H95zbmUf8k
での自身の宣言は「七月中に自宅の電源を切断する」ことですが、
皆さんがそこまでしなくても標題の目的を果たせることが分かりました。
それはツリー投稿で書いた通りです。
その意味では日本の象徴「天皇陛下」も被災前に被災環境で暮すという見本を示してくれました
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/897.html
投稿者 日 日時 2011 年 4 月 27 日 00:39:24: IR1H95zbmUf8k
電力需要速報(平成22年4月)http://www.kanto.meti.go.jp/tokei/denryoku/20100614index.html
用途別の電力需要(東京電力)によれば
産業用大口需要を除く特定規模需要の構成比は51.3%、一般家庭電力需要は32.3%
更に、その内、家庭部門用途別エネルギー消費量 http://www.fepc.or.jp/present/jigyou/japan/index.html
を見ると、TV等の家電と照明が35.9%となっている。
つまり、全家庭で夜間の照明を消して代替照明
(新書判サイズのソーラーパネルとバッテリーと移動蛍光灯ランプ、又は灯油ランプ)に変えれば、
東京電力の発電量を5月半ばからでも即刻、家庭サイドから強制的に1割ダウンさせる事が可能になります。
これは微々たるものとも言えそうな、微妙な数字かもしれません。
けれどこうした形で、国民の総意を現政権に叩き付けることが出来たなら、
この現実を無視する事は、もはや誰にも出来ないでしょう。
6月中に日本全国の原子炉を緊急強制停止へと持ち込む事が、可能かも知れません。
もう、時間がありません。
どうか、阿修羅の皆さん、力を貸してください。お願いします。
169. 2011年4月28日 23:50:26: 679pKhozto
ていうか、孫氏を含め原発反対派は原発のかわりになるものを提示してほしい。そりゃ原発が無いほうがいいに決まってるけど、年中停電したり・経済活動が停滞したりすれば復旧が大幅に遅れる。
http://www.asyura2.com/11/genpatu8/msg/515.html#c169
12. 2011年4月28日 23:52:00: SSJmebyYSU
即刻全て終結させられたのではない現状では、免責できないと思う。 東電は自分から免責だなんて発想しないでほしい。 ダダ漏れの放射能を
収束させられない状態の、現在真っ只中にあるのだから。 今現在も汚染は拡散浸透を垂れ流している。 だんだんと報道が断片的になってきているだけで。
http://www.asyura2.com/11/genpatu10/msg/128.html#c12
58. 2011年4月28日 23:53:53: p9qDffthbA
復興税とか言う前に官僚、全国の議員の給与を
半分にしろ!
そこから復興税の話をしろ!
それから雲隠れ中の石田さんには
原子炉の漏れた冷却水を飲ませてあげてね。
http://www.asyura2.com/11/genpatu8/msg/642.html#c58
54. 2011年4月28日 23:56:10: HalrJpixX2
官僚が腐ると国家衰退
民衆がほう起する時官僚抵抗
新国家を民衆が作る
官僚を雇う
中年官僚はリストラ
官僚は腐らない
国家も安泰
つまり、官僚はリストラをかければ腐らない
40歳で官僚をリストラすることを法制化
これで解決 官僚の腐りを止める。
http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/760.html#c54
55. 2011年4月28日 23:56:21: rhwAFVJ5rI
朝日新聞は来年早々に倒産ですな。 悪徳メデアはどんどん倒産させましょう。
http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/760.html#c55
http://grnba.com/iiyama/index.html#ws1121
◆2011/04/28(木) もっとサバイバル (4)
15歳の息子が頻繁に鼻血を出しているという母親から心温まるメールが届いた.
私は昨日,彼女のことを,
「まだ若い,覚悟という言葉の意味も知らないであろう女性である」
などと書いたが,とんでもない,立派な考え方と覚悟がある人間だった.
彼女からのメールに対して,私は次のような返事を書いた.
○○さん メールありがとう. 私の心には,あの親子は本当に大丈夫だ!という自信のような思いがあった. 鼻血が出ない=被爆していない,なんてことはありません. 口呼吸している人も,鼻血を出しません.
あなたの考え方,生き方,日常生活等々が,よーく理解できました.
あなたは,覚悟ができています.
あなたも,そして,あなたの息子さんも,大丈夫! たくましく生きていけます.
あなたも,そして,あなたの息子さんも,大丈夫! 長生きします.
私が保証します!
私は,文章を読んで,その文章の背後にある全て!
を理解することができるプロですから,
あなたが,覚悟ができた,したたかに生きていける人間であることが
わかりました.
これからも,何かありましたら,また相談してください.
自信のほかに,安堵感もあった.
この母親に,私は「関東の厳しすぎる現実」を掲示板に書いて教えていたからだ.
「関東平野の厳しすぎる現実」を,私は,次のような文章で表現した.
(気が弱いヒトは,下の文章は読まないほうがいい.)
○○さん
関東・東北6千万人のうち,4千万人は,すでに体内被曝してます.
それほどの放射性物質が,この1ヶ月半の間に,降り,舞い散ったのです.
今も,放射性の微粒子は,連日連夜,関東・東北に降り舞い散っています.
今後も,何十年,いや百年後まで,放射性物質が舞い散り続けるのです.
関東・東北は,はっきり言います,放射能地獄なのです.
この悪夢のような現実を,日本人全員が甘く見ています.
こうなったのは,政府・マスコミ・御用学者が国民を騙し,洗脳したからです.
さて,体内被曝した4千万人の5割の2千万人が10年後までに放射能障害
(癌や白血病や骨肉腫)に罹ります.
つまり,関東・東北は,癌地獄になるのです.
鼻血が出るのは,鼻腔粘膜の弱い人です.
被爆しても,鼻腔粘膜が強い人は鼻血を出しません.
口呼吸している人は,放射性物質が肺臓にストレートに飛び込みます.
ともかく体内被曝していると覚悟を決めたうえで,冷静に対処していく…,
つまり,マクロファージ=と免疫力を高めていきながら,しぶとく,たくましく
生き延びていきましょう.
以上.
01. 2011年4月28日 23:57:18: tbme6X6J1Y
事故免責請求だの、給与50%のみカットだの、
とても国民の健康と生活をメチャクチャにした会社のやることじゃないよ…。
しかも浜岡原発3号機を7月に再開させたいだの、頭オカシイとかしか思えない。
この先、地震が増えるって言われてるのに…日本滅亡にトドメを指したいのか?
このまま国民不在のふざけた事を止めさせるために、
いまこそ行動しないとマジでシャレにならないと私も思います。
電気消すくらいで安全が買えるなら安いです。
喜んで参加しますよ!!!!
http://www.asyura2.com/11/genpatu10/msg/144.html#c1
30. 2011年4月28日 23:57:40: mSWNgwvFsQ
浜岡はどんな対策を打ってもダメだと思うが、百歩譲って、運転しながら2年3年かけて対策を打つということは、対策工事をしている間は地震が来ないと確信できるということか。
中部電力はそんなによく当たる占い師を雇っているのでしょうか?
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/883.html#c30
http://grnba.com/iiyama/index.html#ws1121
◆2011/04/28(木) もっとサバイバル (4)
15歳の息子が頻繁に鼻血を出しているという母親から心温まるメールが届いた.
私は昨日,彼女のことを,
「まだ若い,覚悟という言葉の意味も知らないであろう女性である」
などと書いたが,とんでもない,立派な考え方と覚悟がある人間だった.
彼女からのメールに対して,私は次のような返事を書いた.
○○さん メールありがとう. 私の心には,あの親子は本当に大丈夫だ!という自信のような思いがあった. 鼻血が出ない=被爆していない,なんてことはありません. 口呼吸している人も,鼻血を出しません.
あなたの考え方,生き方,日常生活等々が,よーく理解できました.
あなたは,覚悟ができています.
あなたも,そして,あなたの息子さんも,大丈夫! たくましく生きていけます.
あなたも,そして,あなたの息子さんも,大丈夫! 長生きします.
私が保証します!
私は,文章を読んで,その文章の背後にある全て!
を理解することができるプロですから,
あなたが,覚悟ができた,したたかに生きていける人間であることが
わかりました.
これからも,何かありましたら,また相談してください.
自信のほかに,安堵感もあった.
この母親に,私は「関東の厳しすぎる現実」を掲示板に書いて教えていたからだ.
「関東平野の厳しすぎる現実」を,私は,次のような文章で表現した.
(気が弱いヒトは,下の文章は読まないほうがいい.)
○○さん
関東・東北6千万人のうち,4千万人は,すでに体内被曝してます.
それほどの放射性物質が,この1ヶ月半の間に,降り,舞い散ったのです.
今も,放射性の微粒子は,連日連夜,関東・東北に降り舞い散っています.
今後も,何十年,いや百年後まで,放射性物質が舞い散り続けるのです.
関東・東北は,はっきり言います,放射能地獄なのです.
この悪夢のような現実を,日本人全員が甘く見ています.
こうなったのは,政府・マスコミ・御用学者が国民を騙し,洗脳したからです.
さて,体内被曝した4千万人の5割の2千万人が10年後までに放射能障害
(癌や白血病や骨肉腫)に罹ります.
つまり,関東・東北は,癌地獄になるのです.
鼻血が出るのは,鼻腔粘膜の弱い人です.
被爆しても,鼻腔粘膜が強い人は鼻血を出しません.
口呼吸している人は,放射性物質が肺臓にストレートに飛び込みます.
ともかく体内被曝していると覚悟を決めたうえで,冷静に対処していく…,
つまり,マクロファージ=と免疫力を高めていきながら,しぶとく,たくましく
生き延びていきましょう.
以上.
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