03. 2011年2月27日 17:51:33: 9wjqyqBwdA
公共投資偏重による国力の低下もアメリカの指令だった。
以下、宇沢弘文教授の指摘
>ポスト・ベトナムの非常に混乱した時代を通じて、アメリカは経常赤字、財政赤字、インフレ―ションの三重苦に苦しんでいたが、とくに対日貿易赤字解消に焦点を当てて、円安ドル高是正を迫ったのが、1985年のプラザ合意でした。
しかし、その後も、日本企業は、徹底的な合理化、工場の海外移転などによって高い国 際競争力を維持しつづけて、アメリカの対日貿易赤字は膨らむ一方だった。そこでアメリカ議会は「新貿易法・スーパー301条」を制定した。
これは、もっぱら日本に焦点を当てて、強力な報復・制裁措置を含む保護政策の最たるものです。
それを受けて、1989年7月に開かれた日米首脳会談で、パパ・ブッシュ大統領が宇野首相に迫ったのが、「日米構造協議」の開催でした。
それは、 アメリカの対日貿易赤字の根本的な原因は、日本市場の閉鎖性、特異性であるとし、経済的、商業的側面をはるかに超えて、社会、文化など含めて日本の国のあり方全般にわたっ て「改革」を迫るものでした。
日米構造協議の核心は、日本のGNPの10%を公共投資にあてろという要求でした。しかもその公共投資は決して日本経済の生産性を上げるために 使ってはいけない、全く無駄なことに使えという信じられない要求でした。それを受けて、海部政権の下で、10年間で430兆円の公共投資が、日本経済の生産性を高めないような形で実行にうつされることにになったのです。その後、アメリカから、それでは不十分だという強い要求が出て、1994年にはさらに200兆円追加して、最終的には630兆円の公共投資を経済生産性を高めないように行うことを政府として公的に約束したのです。
まさに日本の植民地化を象徴するものです。