株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu234.html
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
--------------------------------------------------------------------------------
中国では2009年の夏から、フェイスブックへの接続を遮断しているという。
エジプトで民主革命が成功し、中国で不発なのはフェイスブックが無いから?
2011年2月21日
フェイスブックでデモを呼びかけたタレク氏(ネットが革命を起こしたより)
フェイスブックではプロバイダー以前に暗号化することが出来る。
◆世界最大のSNS!『フェイスブック』が与えるソーシャル化 2月21日 財経新聞
http://www.zaikei.co.jp/article/20110221/67547.html
チュニジアやエジプトでは「反政府機運」を広げる
SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)というのは、インターネット上で人々が交流するソーシャル・メディアのことであり、日本語では「交流サイト」と訳されることが多い。利用者は自分の趣味などを登録しておき、共通の趣味を持った他の複数あるいは特定の利用者との関係を築きながら、情報の交換や共有のために利用するのが一般的である。
このSNSは、高速インターネットやスマートフォンなどの普及も背景として、利用者数が世界中で急速に拡大したため、強力な口コミ手段となった。米国では、アドレスを知らなければ情報を伝達できない電子メールに代わって、SNSへのシフトが進み、情報伝達手段として活発に利用されている。また、チュニジアで発生した反政府デモが、エジプト、イエメン、ヨルダンなど、中東・北アフリカの周辺諸国へ一気に波及した一因としても、フェイスブック(Facebook)などのインターネットサービスによる仲間への呼び掛けや口コミが、「反政府機運」を広げることにつながったと指摘されている。
中国では2009年の夏から、フェイスブックへの接続を遮断しているという。中国政府の検閲や遮断などの圧力で、米ネット検索最大手グーグル(Google)が撤退したのは、記憶に新しいが、フェイスブックも進出を模索しているという憶測が飛び交っており今後の動向が注目される。
フェイスブックのマーク・ザッカーバーグCEOは昨年、記者会見で「あらゆる産業がソーシャルになる」と発言している。ソーシャルというのは、インターネット上での人と人のつながりを意味しているとされ、ソーシャル化の波はインターネット関連業界にとどまらず、世界中で人々の暮らしやビジネスのあり方などにも、大きな影響を与える可能性が指摘されている。(画像=ソーシャル・ネットワーク−オフィシャルサイト)(情報提供:日本インタビュ新聞社=Media−IR)
◆2011年02月20日(日曜日) 問題は「その後」 2月20日 伊藤洋一
http://arfaetha.jp/ycaster/diary/post_1266.html
午後9時からの「NHKスペシャル ネットが革命を....」は面白かったな。今まで知らなかった事も多かったし、よくあれだけ撮影が出来たと思う。撮った方も、撮られた方も覚悟が必要だったのでは。
チュニジアのあの投稿(焼身自殺した人を撮影)をした人、それをキャリーした女性。それにゴニムさんではなく、エジプトで4月6日運動をしていた若い人の話。興味深いものでした。全部顔出しだったので、ある意味ビックリ。
それからアノニマス(「anonymous=無名、匿名」だと思うが)という謎の軍団。600人と言っていたが、NHKが接触を試みてそれに成功していたのには、なかなかの取材力だと感じた。カメラマンをアラブ系の人にしたり、接触にも細心の注視をはかったりだと思いますが。
映像の力は強いし、ネットワークの波及力の強さも良く分かる仕組みに番組は出来ていた。ネットでの出来事を番組にするのはなかなか難しい(絵が面白くない)のだと思いますが、人々が動いた事件だったので、映像的にも良い番組に出来上がっていたと思う。
ただしこのNHKの番組でも謎かけのように短く取り上げていたが、「その後」が大きな問題です。「その後」とは、体制を崩すところまで進んだ動きの「その後」です。つまり、新し体制をどうするのか、誰を指導者にし、何を理念とするのか。
強権的な体制が崩れた後、支配的な思想が消えた後、の社会がどうなるかについては、ユーゴスラビア崩壊後で世界はその一端を見てきた。抑えられていた欲求が吹き出し、民族感情が噴出し、そしてそれが収まるまで対立や戦争が続く。「これじゃダメだ」でやっと収まる。その間は悲惨です。
この問題に関しては、2月15日の文章でも書いたのですが、体制が崩れた国は今後この問題に直面する。しかしだからといって今の体制を続けて良いとはとても言えない。難しい試練がアラブ諸国を待ち構えているのです。今のままでもダメ、しかしそれが崩れても新しい体制は直ぐには出来ない。
NHKの番組もそうでしたが、アラブ諸国を巻き込んでいるネット革命は、主に「主役はフェースブック」という形で取り上げられる。ツイッターが主役の日本のSNS(世界規模の)の世界ではやや意外に思われた方が多いと思うが、私には結構はっきりその理由が分かる。今は一応両方ともまずまずやっていますから。
ツイッターはグーグルのリアルタイム検索の対象になっていることでも分かる通り、監視(例えば独裁体制)する方にも今何が起きているのか、誰が何を書いているのか分かりやすい
対して、フェースブックはグーグルのリアルタイム検索の対象にならないことでも分かる通り、基本的には検索対象外のネット内インサイドのSNSであって、その中でのやりとりは密で外に出ない
またネットワークの仕組みの特徴として、ツイッターはフォローしている人が多い場合においては、タイムラインが流れてしまって実際にはどんな情報がやりとりされているかが分からないケースもある
対してフェースブックでは、個々の発言についてコメントが関連づけされていて、発言とそれに対するコメントの構図がはっきりしている。(後略)
(私のコメント)
きのうのNHKスペシャルでは、「ネットが革命を起こした」と言う特集を放送していましたが、ネットの呼びかけ人となった若者を中心に、最初から良く取材していたものだと思う。秘密のアジトまでカメラを入れてメンバーの顔まで出している。革命が成功したからいいようなものの、失敗したら秘密警察に捕まるところだろう。
デモの呼びかけにはネットは欠かせませんが、独裁国家では監視の対象になるため活動が難しい。フェイスブックが連絡の有力な手段となったのは、暗号をかけて交信することが可能であるために監視が非常に難しいためだと言うことです。だから警備当局はスパイをもぐりこませてキーワードを盗んでメンバーに成りすまして交信を遮断していくしかない。
最終的には警備当局と革命組織のイタチゴッコになったようですが、プロバイダーを閉鎖されても電話回線を利用して交信された。インターネットはもともと軍事用に開発されたものだから、回線を遮断しても迂回路を作れば交信は可能になる。たとえば日本国内のプロバイダーを全部遮断しても、アメリカ経由で電話回線を使えば交信は可能になる。まさか国際電話回線まで遮断することは独裁政権でも難しいだろう。
昨日は中国でも抗議運動の集会が呼びかけがありましたが、当局によって取り締まられて失敗したようだ。中国は当初からねっとんを監視し続けて、監視人だけでも数万人もいる。エジプトや中東ではそれだけのネット監視体制がなかったせいもありますが、中国政府はフェイスブックを遮断しているしグーグルも国外退去させられた。中国政府が以下にネットを敵視しているかが分かりますが、完全に封鎖させることは無理だろう。
私自身はツイッターもフェイスブックもやっていませんが、もっぱらホームページとブログで手一杯だ。NHKの番組を見てフェイスブックの使われ方が分かりましたが、エジプトなどの独裁国家では新聞やテレビの報道は政府の宣伝機関に過ぎず、本当の情報は報道されない。だから人々はネットで真実を知ろうとしてツイッターやフェイスブックで情報を交換し合うのだろう。
これは日本でも同じであり、国内で行われる政府への抗議デモはテレビや新聞では報道されない。昨日も抗議デモがあったのですがアルジャジーラしか取材に来なかった。中東のデモは1000名程度のデモでも報道するのに、3000名の渋谷の日の丸デモは政府を慮って報道されることはなかった。日本でもネットでしか真実の情報は手に入らないようだ。
エジプトでは365名の死者が出たということですが、このような死者が出ると話し合いによる解決は出来なくなってしまう。ガダフィー大佐のリビアも200名以上の死者が出ているということですが、リビアのガダフィー政権が倒れるのも時間の問題だろう。ガダフィー大佐も息子に政権を譲ろうとしていますが、テレビで見る限りろくでもない息子のようだ。
このような中東の様子を見る限り、もはや独裁国家においても情報を統制できなくなり、フェイスブックなどによって政府に都合の悪いことも国民に知れ渡ってしまう。新聞やテレビなら統制が利きますがネットは規制しても迂回して伝わってくる。日本でも記者クラブで新聞やテレビを統制してきましたが、ネットがテレビや新聞の代わりになって伝えるから意味がなくなった。
このような状況で新聞社やテレビ局が潰れても誰も困らないだろう。NHKにしても、このような番組で中東のことが分かっても、国内の政治の事になると政府に慮った報道ばかりになってしまう。即時性においてもテレビや新聞はツイッターやフェイスブックに追いつかなくなり、新聞紙はトイレットペーパーにしかならなくなった。