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2010/09/11(土) 06:55:51
[小沢一郎ネタ] 政治記者はなぜ小沢嫌いなのか<3>
清和会担当か旧経世会竹下系の記者が政治部“中枢”を握った
大新聞テレビのベテラン政治記者の「小沢嫌い」は、この20年間の権力の変遷とも密接にかかわっている。
80年代から90年代前半にかけて、日本の政界は田中角栄、竹下登、金丸信……と旧田中派、旧経世会が牛耳っていた。一時は200人もの議員が所属した。小沢一郎はそのど真ん中にいた。
「当時、永田町では『経世会にあらずんば人にあらず』という感じだった」(大手新聞政治部デスク)
経世会担当は、自分たちが権力の一番近いところにいて情報量も多いという傲慢な雰囲気を漂わせていた。当然、経世会担当以外の記者は面白くない。
あのまま経世会支配が続いていれば、政治部も経世会担当が中枢を占め、結果的に小沢一郎に近い記者が幅を利かせていたはずだった。
ところが、小沢一郎が自民党を割って出たこともあり、経世会の凋落が始まる。とくに、2000年に森喜朗が首相に就いてからは、小泉純一郎、安倍晋三、福田康夫と10年近く清和会の天下がつづくことになった。
「そうなれば、今度は清和会担当記者が幅を利かせるのは当たり前です。『旧経世会への積年の恨みを晴らしてやる』という気持ちになりましたからね(笑い)」(テレビ局報道幹部)
経世会担当は、人事で政治部から外されたり、閑職に回される者も多かった。小沢一郎に近かった記者は、ほとんど残っていない。
「いま政治部の中枢は、清和会担当や、旧経世会担当でも、経世会が『小沢VS竹下』で分裂した時、小沢よりも竹下に近かった記者が圧倒的に多い。彼らは、最初から小沢一郎に対して批判的。80年代に政治記者になって、いまデスクや部長になっている人たちは、ほとんどそうです」(大手新聞政治部中堅記者)
いちばん保守的で、“変われない”のが政治記者なのである。
(つづく)
(日刊ゲンダイ 2010/09/10 掲載)
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93年に、なぜ小沢氏が自民党から離党したのか。当時、自民党の実力者金丸信氏から、次期自民党総裁を打診されながら、それを辞退し自民党を離党した。理念なき政治屋として利権を漁る者なら、与党・自民党を離れただろうか。今でこそ、東西冷戦が終わり、自民党の歴史的使命が終わったなどと尤もらしく言うが、当時、そう考えた政治家は何人いただろうか。少ないから、政権交代に16年要したのではないか。
その当時、二大政党と言えば自民党と社会党。小沢氏は自民党に対する政党として、社会党を念頭に置いていなかった。それは「小沢主義」を読むと分かる。55年体制下の自民党一党独裁の延長による、体制内改革には限界がある、だから小沢氏は離党し、自民党に対抗する政治勢力の結集を図った。その政治理念は、健全な民主主義国家の確立である。これに尽きる。
(2010/05/07 オリーブ記事より)
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小沢氏がもし、自らの懐を肥やす政治屋ならば、この「富の再配分」権を持つ自民党を、竹下氏との政争に敗れただけで、離党することはなかったはずだ。「政治とカネ」で、小沢氏を貶めようとする輩は、これにどう答える。
小沢氏は、このような自民党の政治手法の限界が近いことを感じ、内部からの改革を考えたが、内部からの改革は無理なので、同志と共に離党したと述べている。
(2010/04/14 オリーブ記事より)
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ところで、「ペイオフとは何ですか?」と身内の解説者に問いかけるニュースアナ、(知らない人はいるのだろうけど)視聴者をバカにするのもいい加減にしろ―。