http://www.rfi.fr/asie-pacifique/20100728-deux-executions-capitales-japon
記事の発表:2010年7月28日
直近の編集:2010年7月28日
日本で2件の死刑執行
発表・編集:RFI
7月28日、日本で、2009年9月に民主党(PDJ)が権力についてからはじめて、殺人罪を宣告された2名の受刑者に対して、絞首刑により死刑が執行された。千葉景子法務大臣は、個人としては死刑に反対だが、その執行に立ち会った。さらに、同氏は死刑についての省内での研究を近日中に始めることを発表した。
RFI東京駐在記者、フレデリック・シャルルの報告
法務大臣千葉景子の署名がなかったら、7月28日午前・東京での、この2件の死刑執行はなかっただろう。
弁護士となるための教育を受け、個人としては死刑に反対で、アムネスティ・インターナショナルの日本における会員で、死刑廃止派議員の小さなグループから日本の主要閣僚となった千葉景子が、なぜ、死刑執行命令書に署名したのか?
さらに、千葉景子は、その2件の死刑執行に自ら立ち会ったことを明言した。日本の法務大臣が死刑執行に立ち会ったのも、そこに立ち会ったことを公表したのも、今回が初めてだ。
千葉景子は参議院への再選に失敗した。同氏はおそらく、法務省の特権官僚たちの圧力に屈したのだろう。死の廊下には渋滞がある。官僚たちは死刑執行を加速させるよう、上司である法務大臣を追い立て、その死の廊下の渋滞解消を狙ったのだ。
今日の午前に絞首刑に処せられた者の1人は、宝飾店に放火して6名を殺害した。もう1人は4名を殺傷した。
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(投稿者より)
死刑を執行する者としてその場面に立ち会うことは、一つの見識ではあるでしょう。そのような法務大臣は、過去、ただの一人もいませんでした。しかし、落選のときに辞任しておけば、このような形で晩節を汚すことはなかったとも思えます。
「死刑制度がいまだに残る日本で、制度廃止のために奮闘していた千葉氏が、落選して国民の信任を失ったと見なされた途端に、官僚から圧力を受けて節を曲げた。」ということを、この記事は示唆しています。
「国権の代表機関である国会によって首相は指名され、その首相によって国務大臣は指名されたのだから、千葉大臣の権威は主権者である国民の信任によって裏付けられている」と考えるのが筋だと思うのですが、法務官僚はそう考えなかったのかもしれません。「千葉大臣は落選したのだから、主権者である国民の信任を失っている。国民の信任という権威の裏付けがない以上、官僚が自由に操っても、誰も何も言えまい」といったところではないでしょうか。
別の報道では、「法務省幹部によると、千葉氏が執行書に押印したのは、参院議員としての任期(今月25日まで)が切れる前の24日。」(時事ドットコム)とあります。大臣としての職務を続けるために、千葉氏は官僚にすり寄る必要があったのかもしれません。
(「突然の死刑執行が波紋=落選法相、説明責任免れず」−時事ドットコム)
http://www.jiji.com/jc/zc?key=%c0%e9%cd%d5%b7%ca%bb%d2%a1%a1%bd%f0%cc%be%a1%a124%c6%fc&k=201007/2010072801061
「日本は官僚専制からいかに脱却するか」という問題も、この事件の一側面として存在している、ということだと思います。
フランスの国際ラジオ放送・RFIのウェブサイトに掲載された記事です。誤訳があるかもしれません。ご容赦ください。
http://www.asyura2.com/10/senkyo91/msg/680.html