1. 中川隆[2309] koaQ7Jey 2016年4月30日 09:24:09 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[2527]
ニッポンでは「国益」を語ることがタブーらしい
『日本では、国益を論じることは、ほとんどタブーに近い。というより、初めから国益という概念が、日本には存在しないのである。
このことは、欧米でも、よく知られている。私が出会ったアメリカ人も、日本人は短いタイムスパンで損得勘定をすることが多いものの、長期的な国益という観点から、ものを言うことが少ないと見ている。
世界平和に対する妄想的な思い込み
『日本は戦後、平和という幻に取りつかれている。ドイツでは憲法(基本法)を改正し、NATOの一員として、自国を守れる軍隊を持っている。日本はいまだに平和教とでもいうべき妄想に取りつかれている。
たしかに平和は望ましい。だが、平和、平和とお題目のように唱えれば、実際に平和がもたらされるわけではない。
とくに、日本の場合、異常きわまりないのは、日本さえ軍備に走らなければ、世界は平和になるという妄想的な思い込みに、取りつかれている点である。
日本では、北朝鮮の核開発に反対する市民運動は皆無だが、日本の原子力発電に反対する運動グループは、掃いて捨てるほど存在する。
日本の自衛隊には反対するが、拉致、テロなどに当たる北朝鮮の特殊部隊には反対しない。
つまり、日本人さえ、身を謹んでいさえすれば、他の国はよい国ばかりなのだから、世界は平和になると妄信しているのだ。
日本人の考え方は、いかにも非現実的で妄想に近いのだが、そのことを当の日本人が理解できていない。愚かしいかぎりだ。
日本では多くの国民も政府も、北朝鮮、中国がどんなに危険な存在であるかを理解していない。北朝鮮も中国も日本を仮想敵国としてミサイルを配備している。いつ彼らは核戦争のボタンを押すか分からない。
日本はこれに対し、まったくの無防備の状態にある。こうした現状について、国民も財産も守れないという厳しい現実を、政府も役人もマスコミも説明しないし、議論しようともしない。
かつて日本を占領したマッカーサー元帥は、日本人を12歳の子どもと呼んだが、それどころではない。日本人は、6歳の児童、つまり小学校入学前の幼稚な状態のまま、非現実、無防備、無作為の状態に置かれているようなものだ。
平和憲法を議論し、まず国益を守るという原点に立って、どうすれば、国民の生命と財産を守れるか、から議論を積み重ねていかねばならない。
・・・・・有事が起こってからでは間に合わない。不慮不測の事態に備えることができない組織は、会社であれ国家であれ、最終的には敗者の地位に甘んずるしかない。』
今、「国民は憲法改正問題に興味がない」から憲法審査会の開始を阻止したいという意見がありますが、国民が興味を持ったときには速やかに憲法審査会が始動できるように、今から諸規程を整えておかねばならないのです。国民が憲法改正問題に興味を持ってから審査会運営の諸手続きを決めていては遅すぎるます。
日本の基本姿勢は「敗北主義」と理解すればいい
『有事が絶対に起こらないと誰も言い切れない。つまり、個人も国家も保険をかける意味で、不測の事態に備えて準備をすることが必要だ。
たとえば、憲法改正はすぐにはできない。数年で見通しをつけられる政治力が必要になる。北朝鮮、中国からのミサイルに対し、軍事防衛体制、反撃ミサイル体制が不可欠だし、できれば、相手のミサイル発射基地を叩ける程度の反撃力体制の整備が望ましい。
いちおう核保有という選択肢は外しておくにしても、核保有の是非という議論まで封じてしまうのは、国益にかなわない。
もしこうした体制整備が再軍備につながるとして、アジア諸国からの強烈な反発を招くならば、日本は一個人、一首脳の独断で戦争を起こすような前近代的な国家ではなく、シビリアンコントロールが徹底され、民主と討論による政治体制が確立されている国だという事実を、世界にPRすればよい。
軍事力はあくまで抑止力としての役目をするために必要で、戦略目的や脅しのためではない。ここがポイントだ。
その上で、日本が音頭を取って、アジア諸国と軍事協力支援体制を作ることを提案すればよいのだ。
中国や北朝鮮は反対するだろうが、きちんとして論拠を示し、国連やアセアン会議を通じて反論反撃の演説をすればよい。
それでも足りなければ、中国に対しては、中国こそがアジアのもっとも不安定要因であることを、例証しながら説得する演説を行えばよい。
こんな簡単明快なことができない日本は先進国ではなく、無能力国家にすぎない。これでは、世界から信頼を勝ちうる国とはならない。
日本の核武装?日本を買いかぶってはいけない
アメリカの友人からは、北朝鮮の核開発宣言で、異口同音の質問をぶつけられた。これで、日本の核武装が早まるのではないかと聞いてくるのだ。
私は、日本を買いかぶりすぎていると、答えるのを常としている。日本に、そんな根性があるはずがないのだ。』
この本が上梓されたのが平成16年。その後も北朝鮮の核開発が進み、ミサイルの発射実験が行われましたが、未だに日本では核兵器が開発されていません。くやしいですが、「日本は根性なし」という指摘は事実であるということは認めねばなりません。
「根性なし」だからどうするのか。今後も「根性なし」のままで良いのか、自分を変えることができるのか、それが肝心です。
『当時の日本の新聞、テレビで、新任の安倍晋三官房副長官(現・自民党幹事長)はタカ派だというコメントがついていた。とんでもない話だ。日本にタカ派など存在しない。
もし、安倍幹事長が、北朝鮮に軍事攻撃を仕掛けてでも、日本人拉致被害者を奪還するという決意があるなら、タカ派と呼んでもかまわない。
また、安倍幹事長が、航空自衛隊には装備されていないF15戦闘爆撃機タイプのストライクイーグル型を採用し、北のミサイル基地に対して、先制攻撃(Preemptive strike)を行うと宣言したのなら、これはタカ派と呼べるだろう。
また、安倍幹事長が、核兵器の開発研究を指示したというなら、これまたタカ派の呼び名に相応しいだろう。
だが、日本では、中庸の立場の安倍幹事長ですら、タカ派に分類されてしまう。だから、世界中から馬鹿にされるのだ。』
安倍元総理はタカ派ではありませんし、これまで日本にタカ派と呼べる総理は誰一人出現していません。敗北主義から脱出しようとする意見が出れば、猛烈にマスコミにバッシングされるからです。実に惨めなことです。
http://jpconstitution.blog129.fc2.com/blog-entry-41.html
日本では「他国に服従すること」が平和の意味になっている
中国・韓国・北朝鮮のような反日を是とする特定のアジア国家の人間が日本に潜り込んで日本を内部から侵食している。
鳩山由紀夫は相変わらず売国をやめておらず、2016年4月3日には「日中両国の政治関係が悪化していることの責任の大部分が日本にある」と中国の代弁者となって言っている。
あるいは山尾志桜里のような民進党の政治家や、朝日新聞のようなマスコミが「日本死ね」と言いたいだけの匿名ブログを大々的に取り上げて工作している。
この匿名ブログは、山尾志桜里の自作自演も疑われているのだが、わざわざ「日本死ね」という悪罵を政治家が取り上げるのだから、山尾志桜里の売国ぶりがよく分かる。
そうかと思ったら、舛添要一は都内の保育所が足りない地域に保育所を作るのではなく、朝鮮人学校を作るような命令を出している。
ふと気が付けば、政治界も報道界も中国・韓国・北朝鮮の息のかかったような人間が日本を乗っ取っていた。こうした危険な状況はもうずっと警鐘を鳴らされているのだが、今もまだ是正されずに続いている。
そして、どんどん売国の度がひどくなっている。
「平和」という概念が現代の日本では歪んでいる
中国・韓国・北朝鮮という「特定アジア国家」の工作員は、日本に潜り込んで内部から崩壊させていこうとしている。その工作の柱になっているのが、何でもかんでも「日本人がすべて悪い」という思想を押しつけることだ。
国益を考える人間は極右という誤ったレッテルを貼り、攻撃し、日本人を報道や教育で萎縮させている。
「日本人は悪い、日本人はどうしようもない、日本人は謝れ」という日本否定の教育が一方的に押し付けられるのだが、これが「自虐史観」と言われるものだ。
自分の住んでいる国を大切に思うと極右になり、中国や韓国に貢げば平和主義になる。現在の日本の言論が、いかにおかしなものになっているのかが分かるはずだ。
そんな中で、マスコミも教育界も必死になって日本人に押しつけているのが「平和」という概念だ。しかし、この平和という概念もまた現代の日本では歪んでいる。
ただ歪んでいるだけではない。かなり歪んでいる。信じられないことに、日本では「他国に服従すること」が平和の意味になっているのだ。
多くの日本人は現在のマスコミの押しつける世論や、学校が教えている教育内容が歪んでいると感じているが、どのように歪んでいるのかはあまりよく検証されてこなかった。
しかし、特定アジア国家の内部工作員が世論や裏にいるという単純な姿が分かれば、世論や教育は、
「日本を大切に思う人間を異常者として決めつける」
「特定アジアに貢ぐ人間を平和主義者として持ち上げる」
という一貫した方向性があることが分かるはずだ。現在のマスコミはすべてこのパターンを踏襲しており、そこから外れた人間を排除している。
本来、国を大切に思うというのは、純真で人間らしく当たり前の感情である。それに、平和というのは普通はどこかの国に服従することではない。そんな当たり前が、日本の言論の中では当たり前になっていない。
「売国」という言葉は数年間まであまり使われることのない言葉だったが、マスコミがあまりにもあからさまに中国・韓国・北朝鮮を礼賛するので、今やすっかりこの言葉が市民権を得た。
あまりにもこの言葉は内部工作員の正体を的確に表しているので、彼らはこの言葉を蛇蝎のように嫌っている。「売国」という言葉は、彼らにとって恐ろしい単語なのである。自分の言動がすべてそれで説明されてしまうからだ。
そんな売国する人間たちが日本人に「平和」を押しつけるのだから、平和の意味が歪んでいてもおかしくない。
「平和=中国・韓国・北朝鮮に隷属すること」?
マスコミに登場するジャーナリストの多くは、「平和」の意味を「日本が中国・韓国・北朝鮮に隷属する」という意味で使っている。
日本が防衛を強化して侵略されない強い国家になれば、日本は真の意味で平和になる。しかし、日本が防衛を強化するという動きを彼らは絶対に、何が何でも阻止しようとする。
「売国」する人間たちにとって、日本が防衛を強化して特定アジアに侵略されないような国になったら困るからだ。日本が隷属してくれないと困るのだ。
彼らにとって、「平和=中国・韓国・北朝鮮に隷属すること」でなければならないのである。彼らの言論操作、教育は、すべてこの1点にかかっていると言ってもいい。
だとすれば、逆に日本人は「平和=軍事力を高めて侵略されないようにすること」という考え方を徹底すればいいということになる。
言うまでもないが、人間の歴史は暴力と戦争の歴史である。
弱小国家は敵対国家の軍事力で滅ぼされてきている。軍事力に対抗できない国の国民は、敵対国から蹂躙を受け、激しい弾圧で消滅させられてきた。
相手の軍事力に対抗できなければどのような目に遭うのか、ユダヤ人に聞いてみればいい。彼らは国を失い、世界中に散らばって「よそ者」として生きるしかなくなり、辛酸を舐めながら臥薪嘗胆の中で2000年を生きてきた。
ユダヤ人は1948年5月14日にイスラエルという国を建国したが、こうした歴史が骨身に染みて分かっているユダヤ人は絶対に何があっても軍事力を捨て去ることはない。
「平和を唱えれば平和になる」ような空想主義はイスラエルでは存在できない。軍事力には軍事力で対抗せざるを得ないというのが現実主義者の現実に即した考え方である。
侵略は人間社会から永遠に消えることはない
チベットは中国に蹂躙されてどのような目に遭っているのか。多くのチベット人が焼身自殺をしながら必死になって闘っているのを私たちは知っている。
(助けを求めるチベット人の炎の叫びを、私たちは拡散すべきだ)
http://www.bllackz.com/?m=c&c=20130125T1422000900