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「一隅を照らす者は国の宝である」(最澄)
――世の中の片隅を明るくする人こそ国の宝であるという意。
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小泉構造改革支持者の中には、「日本を米国型の効率的競争社会にしなければ、日本で生きる意味がない。今のような能力ある者、強い者に自由がないような日本なら、そんな日本はつぶれた方がよい」と公言して憚らない者がいる。米国留学、米国勤務のキャリアをもつエリート官僚や学者たちから、私自身、何度かこのような発言を聞いたことがある。これは、自らのイデオロギーを実現するために政治権力を利用しようとするものであり、本質的には革命主義と同じである。
日本は「和の社会」である。可能な限り人々が調和し、協力しあって生きていこうと努力してきた社会である。強者や成功者が弱者や失敗者と共存しようと努力してきた社会である。この方がよいと思う。弱肉強食より助け合う社会の方がずっと良い社会だ。
小泉構造改革の支持者は、この日本の伝統的な生き方を「社会主義、共産主義と同じだ」と非難する。これまでの伝統的な日本的生き方を馬鹿にする。自由競争こそ絶対善だと主張する。
だが、これほど愚かなことはない。際限なき「弱肉強食」の結果に何が起きたか――歴史をひもとけば明らかだ。
貧富の差が拡大し、社会は階級分化を起こす。失業者が増えアウトサイダーが急増、犯罪社会になる。この結果、社会の安全は損なわれる。人々は見知らぬ人を信用しなくなり、親は子供たちに「見知らぬ人を信用するな」と教育する。こんなことで本当にいいのか。
相互不信社会だ。小泉構造改革を支援する米国流自由競争の崇拝者たちはこんな社会を日本につくろうとしている。これでよいはずはない。小泉構造改革が危険な改革であることを知るべきである。
私たちは来るべき総選挙において「一隅を照らす」議員を選ばなければならないと思う。
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C0612.HTML