現在地 HOME > 掲示板 > 議論14 > 125.html ★阿修羅♪ |
|
(回答先: Re: 日本近世と西洋近代の相違:被害者同盟について質問 投稿者 あっしら 日時 2003 年 10 月 09 日 18:58:31)
あっしらさん。 こんばんわ。
やはり読んでいて胸の痛みを感ずるご投稿です。
● 対米開戦について
(対米戦(真珠湾奇襲攻撃)開始3ヶ月前の昭和16年9月時点では「米国との戦争は決意しつつも、できうる限りそれを回避する」という国策が維持されていたということがわかりました。)
まさにぎりぎりまで回避方針だったわけであり、戦争回避のために必至で努力していたみたいですよ。
やはり米国と内通の疑いのある山本−米内が「背中を押した」ことが大きいと考えます。
本格的な書き込みをお待ちしております。
● 戦前の日本
(今日の解決策が即ち過去の解決策です。)
だから難しいわけですね。
「現実」というものは重いなあとつくづく思います。
(「被害者同盟」の立場にあるべしと考えたのは、まっとうな大アジア主義者であり、石原莞爾のような東亜連盟主義者といった限られた人たちで、支配層からは、国体主義であることで利用され、“平等的”アジア主義であることで疎まれるという存在でした。)
まっとうな面はあります。 しかし、「国体主義」はどうなんでしょう。
国体主義は、民族的な価値観の勃興といった趣旨であったことは良く判るのですが、多民族や他国民に押しつけても駄目でしょうね。
「被害者同盟」は、「平等的アジア主義」とは結合しますが、「国体主義」とは異質な考え方になるわけです。
ここが弱点として支配者に利用されてしまった。
(その価値観は、近代主義権益拡大志向を抱えながら、皇国史観を基礎にした統合をめざすものですから、贔屓目に言っても、覇道と王道がないまぜになった奇態です。)
価値観。
価値観を押しつけることこそ、「覇道」だと思われてなりません。
「王道」というのは、もちろん私のイメージに過ぎませんが、決してそういうものではないです。
仁政を施せば、民衆が自然に慕ってくるというのが王道ですよね。
(奇態とは言え、アジア及び世界に訴える価値観を保持し自力で経済権益を拡大した戦前に較べれば、戦後日本は、米国の力と価値観にひざまづくなかで経済権益を拡大するというよりひどい奇態を示しています。)
(これは、過去の解決策より、今日の解決策を見出し共有化するほうがより困難だということを意味します)
お読みしますと、ため息が出るばかりです。
価値観の喪失。 価値の喪失。
価値を創造しようとする意思の喪失。
解決しようとする意思を喪失しているということは、そもそも解決策以前の段階まで落ちているのかな?
(国策は、あくまでも近代日本ないし支配層の繁栄が目的化されたものです。だからこそ、権益をめぐる英米との対立が抜き差しならぬところに至るなかで、財界や自由主義者といった支配層も、米英との戦争もやむなしという判断で軍部の国家総動員体制を支持するようになったのです。(陸軍多数派は、国民福利という長期的な観点からも、国家社会主義的な経済体制をめざしていました)
国家社会主義的な経済体制はそれなりに合理的なものだったのではないでしょうか?
主要原因は、結局のところ、「権益をめぐる英米との対立が抜き差しならないところに至り」「支配層が軍部の国家総動員体制を支持するようになった」ことに違いありません。
権益−生産物を販売して利潤を上げるために広大な市場アクセスを必要とすること。
その原因は、けっきょく「英米の真似をうまくやった」ことの帰結に違いない。
しかし英米のような徹底的に冷徹な寄生価値観に徹するところまでいくことができず、恐ろしく冷血な寄生からお人好しの平等的アジア主義まで実に幅広いスペクトルを持っていました。
この不徹底と分裂につけ込まれたと総括できそうな気がしています。
なぜこうなったのか?
「西欧近代」との初遭遇で相手の正体がよく見えていなかったことかな?
いや、もう一つあるのでは?
実はそれが江戸時代の評価の疑問へとつながります。
● 歴史観
(江戸資本主義形成期という見方が流行っていることは承知していますが、商業は基本的に領主経済領域の範囲であり、貨幣経済は都市世界に偏重したもので“自立”した農村共同体が基底であったことから、近代と類似視することはできません。)
確かに江戸時代の商人の活動には厳格な規制がはめ込まれていたようです。
利子取得者も限られていました。
米相場などもたびたび規制されていたはずです。
あっしらさんが書かれて来られたような意味での制度的な近代は見当たらないといえるのかもしれません。
(安定した江戸期の産業発達が近代化の技術的基礎になったことは確かですが、「放っておけば西洋近代化しそうな世界」では断じてありません。)
(生存維持活動が楽になったり、都市向け産業で金銭を余分に保有するようになったら、勉学や娯楽に時間を費やしたり、お伊勢参りの物見遊山というもので、貨幣的富の増殖に血道を上げる価値観ではありませんでした。)
なるほど。 自発的、自生的に「近代」を内蔵した世界ではなく、異質なものであるということですね。
これは救いを感じます。
そういわれればそうかもしれません。
しかし私には疑問が残ります。
なぜこれほど「近代的価値観」を全面的に取り入れるに至ったかということです。
私は、江戸時代から、金銭崇拝思想を持つ集団や個人が広く存在しており、それが明治時代にいたって西欧思想と共鳴したのではないかと思うですが。
江戸時代には多数の豪商がおり、彼らの思想は、フランス革命当時のブルジォアジーと似ているのではないかと想像しています。
ただし、西欧と違って、彼らの行動は規制されており、決して指導的な立場となることはなかったと理解しております。
しかし社会的にはかなり潜伏していたと見ています。
表現の自由が規制されていたから、彼らの思想はあまり残存していないということでは?
エイズウイルスはあったが発病に至るほどではなかったというように思っているわけです(はっきり言って近代は免疫不全症候群−エイズだと思います)。
この点について、商品経済取引の活発化や技術的蓄積といった通常の話は除くと、次のことが気になっています。
相場: 米相場の巨大さと技術的高さ
相場、特に先物の理論書は非常に高レベルみたいです。
改鋳: 貨幣鋳造商人による改鋳の操作
信用と簿記の発達
一夫一婦制度の一般化
村落共同体の変質: 商品貨幣経済の発達に伴う村落共同体のしきたりの破壊と憑霊
最後のものは小松和彦氏の研究ですが、説得的なものだと思っています。
村落共同体において、一部の富裕者の金銭蓄財によって村落のバランスが崩れることへの抗議として憑霊現象をとらえています。
村落共同体の「資本主義的破壊」は江戸時代からゆっくりと進行を始めていたということだと思います。
大商人の出自?
長くなったのでとりあえずこのへんで。