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プーチン:平和的な手段で解決することに賛成だが、根本的な原因は排除する
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202503290000/
2025.03.29 櫻井ジャーナル
ウラジミル・プーチン露大統領は3月27日、潜水艦アルハンゲリスクのデッキで演説、その中で彼は問題を平和的な手段で解決することに賛成だが、根本的な原因は排除されなければならないと語った。ウクライナにNATOが存在することを許さないだけでなく、同国を非軍事化、非ナチ化した上で中立の立場の維持、そして領土の「現実」を認めることを要求している。
西側では大統領扱いされているウォロディミル・ゼレンスキーの任期は昨年5月に切れ、新大統領を決める選挙が行われていない。そこでロシア大統領はウォロディミル・ゼレンスキーをウクライナ大統領だとすることはできないとしている。そして「大統領自身が正当でなければほかの全員も正当ではない。」というわけだ。
プーチン大統領は国連主導の暫定政権方式の採用を提案、さらに民主的な選挙を実施し、国民に信頼され、世界的に認められる機能的で正当な政府を設立することを求めた。自由な選挙が実施され、有能で国民に信頼される政府が成立すれば、平和条約について国民と交渉を開始し、世界中で認められ、信頼でき安定した合法的な文書に署名することができるとしている。
1991年12月にソ連は消滅し、解体されてしまう。西側では冷戦に勝ったと考える人が少なくなかった。アメリカの好戦派はソ連が消滅して以来、NATOを東へ拡大させ、ロシアへ迫ってきた。1999年3月にはユーゴスラビアを先制攻撃で破壊している。
ウクライナはユーゴスラビアよりも複雑な理由がある。故ヘンリー・キッシンジャー元国務長官も2014年3月5日付けワシントンポスト紙でネオコンのクーデターによるウクライナ制圧の問題を指摘している このクーデターによってネオ・ナチはクーデターでビクトル・ヤヌコビッチ政権を2014年2月22日に倒したが、ヤヌコビッチを支持する東部や南部の住民は反発、内戦に突入した。
内戦勃発の直後は反クーデター軍が優勢だった。軍や治安機関の約7割がクーデター後に離脱、クーデターを仕掛けた西側の勢力は配下のクーデター派の戦力を増強しなければならない。そのためには時間が必要だ。そこで2014年の「ミンスク合意1」と15年の「ミンスク合意2」につながる。
この合意について当時のドイツ首相、アンゲラ・メルケルはキエフのクーデター体制の軍事力を強化するための時間稼ぎに使われたと後に証言、フランソワ・オランド元仏大統領もその発言を肯定している。
戦いはクーデターの前、2004年11月から05年1月にかけての「オレンジ革命」から始まったとも言える。当時のアメリカ大統領ははジョージ・W・ブッシュ。その政権は「オレンジ革命」でビクトル・ヤヌコビッチを排除して新自由主義者のビクトル・ユシチェンコを大統領に据えたのだが、その政権は貧富の差を拡大させ、国民の怒りを買う。そこで2010年の選挙ではヤヌコビッチが勝利、オバマ政権はクーデターを実行してヤヌコビッチを排除しなければならなくなった。
8年かけて西側諸国はキエフのクーデター軍を増強、本格的な攻撃を始めつつあった2022年2月、ロシア軍がウクライナ軍への攻撃を開始した。そこですぐに停戦交渉が始まる。
この段階でロシア軍の勝利は確定的。そこでイスラエルの首相だったナフタリ・ベネットを仲介役として停戦交渉が始まり、双方とも妥協して停戦の見通しが立った。ベネットは3月5日にモスクワへ飛んでウラジミル・プーチンと数時間にわたって話し合い、ゼレンスキーを殺害しないという約束をとりつけることに成功。その足でベネットはドイツへ向かい、オラフ・ショルツ首相と会うのだが、その3月5日にウクライナの治安機関であるSBUのメンバーがキエフの路上でゼレンスキー政権の交渉チームに加わっていたデニス・キリーエフを射殺した。クーデター後、SBUはCIAの下部機関として機能している。
停戦交渉はトルコ政府の仲介でも行われた。アフリカ各国のリーダーで構成される代表団がロシアのサンクトペテルブルクを訪問、ウラジミル・プーチン大統領と6月17日に会談しているが、その際、プーチン大統領は「ウクライナの永世中立性と安全保障に関する条約」と題する草案を示している。その文書にはウクライナ代表団の署名があった。つまりウクライナ政府も停戦に合意していたのだ。
ロシアとウクライナだけなら、ここで戦闘は終わっているのだが、言うまでもなく、終わらなかった。こうした停戦交渉を潰すため、2022年4月9日にイギリスのボリス・ジョンソン首相がキエフへ乗り込んでロシアとの停戦交渉を止めるように命令している。ホワイトハウスの指示だと見られている。同年4月30日にはアメリカのナンシー・ペロシ下院議長が下院議員団を率いてウクライナを訪問、ゼレンスキー大統領に対し、ウクライナへの「支援継続」を誓った。それ以降、西側はウクライナに対し、ロシアを疲弊させるため、戦い続けるように要求している。
ソ連が消滅する前の1991年3月、全国でソ連維持に関する国民投票が実施され、ウクライナでは71%がソ連残留に賛成した。1991年12月にボリス・エリツィンはベラルーシにあるベロベーシの森で秘密会議を開き、国民に諮ることなくソ連の解体を決めた。
ソ連の消滅だが、その年の1月20日にクリミアでは住民投票が実施され、1945年に廃止された「クリミア自治ソビエト社会主義共和国」の地位回復とソ連への残留に93.26%の住民が賛成している。以前からクリミアの人びとはロシアとの一体化を望んでいたのだが、ウクライナ議会がソ連からの独立を宣言したのは1991年8月のことだ。
それに対し、クリミアは1992年2月にクリミア議会が同地域を「クリミア共和国」と改名、5月にはウクライナからの独立を宣言したが、西側によって潰された。自分たちにとって都合の悪い民意を認めないのが西側流の「民主主義」だ。
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