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野党議員も気にせず機密費を受け取り「礼状」まで書いていた 私が見た政界の裏金と機密費
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/341775
2024/06/19 日刊ゲンダイ
元参院議員の平野貞夫氏(C)日刊ゲンダイ
昭和51年に発覚したロッキード事件の後、国会は与野党伯仲時代となる。私は昭和55年7月に、衆院議院運営委員会を担当する総務課長となる。それから平成4年2月に委員部長で退任するまでの10年間、激動する国会運営のドブネズミになったりナマズになったりした。内閣機密費と国会との不浄さを知り尽くした。
与野党はもちろん、内閣、マスコミなどにこき使われるようになる。昭和60年になって、中曽根内閣の時だった。「この野郎」と思い、依頼されたこと全部ではないが「日記」をつけて大要を残し、いつか「恨みと仇」を晴らそうと計画した。それが「平野貞夫・衆議院事務局日記」(全5巻・信山社)だ。
その中に、議院運営委員会の海外出張で、後藤田正晴内閣官房長官から機密費が出て、それを巡る議員団の秘話がある。内閣機密費と国会の当時の関係がわかりやすい。
昭和62年の第108回国会で、中曽根内閣が「売上税法案」を強行採決しようとして、それに失敗し、新しく「税制改革協議会」を設けて、本格的な税制改革に着手しようとしていた時だった。野党対策が重要課題であった。
当時の議運委員長は「越智伊平」という苦労人。土建業者で政治のことは苦手で、すべて私に相談してきた。
6月11日から24日にかけ、「議運委」のメンバーで西独、オランダ、デンマーク、オーストリア、フランスを訪問した。参加者は田名部匡省、高村正彦(以上自民)、清水勇、阿部未喜男(以上社会)、近江巳記夫(公明)、中野寛成(民社)の理事と、谷垣禎一、自見庄三郎(以上、委員で自民)の9人の団員だった。共産党は参加しなかった。
越智委員長が野党対策にこだわり、議員の夫人を同伴させることになる。そこで野党議員夫人の費用を後藤田官房長官にねだり、通常の機密費に上乗せすることになる。この扱いについて私の日記には次のように記してある。
(六月九日)近江氏より電話あり「夫人同伴でマスコミからの追及で費用のことが心配」と。越智委員長に伝える 「各議員から百五十万円を君に預けたと『預り書』を渡せ」との指示。
要するに、夫人の旅費は機密費ではなく、野党議員が負担したという建前にするために、野党議員から150万円を「預かった」という書類を捏造するということだ。
(六月十日)中野、阿部、清水と野党の三人に説明。それぞれに「預り書」をおく。みんな「委員長の配慮に感謝」とのこと。
(六月十一日)新東京国際空港を出発。同十二日、西ドイツのボン着。
(六月十二日)午後四時半、越智委員長にホテルの部屋に呼ばれ、「後藤田官房長官に、出発の時に気をつかってもらったので礼の手紙をだしたい。書いてくれ」とのこと。越智委員長の名で万年筆で書いたところ、「各議員に署名させて一緒の名の礼状にしてくれ」とのこと。
「それはまずい。官房長官から気をつかったことは、派遣議員は表向きは知らないことですよ。それにこの文章で署名をさせるのは気の毒ですよ」というと、越智委員長は「僕が誤解されないためだ。文章はこれでよいので、署名をしてもらってくれ」と命ぜられる。各議員とも何事もなく署名、「いろいろご配慮をいただき、無事各国の議会制度、政治、経済について調査しています」との内容。
自民党議員も、野党議員も機密費の授受について疑問をもっていなかった。これが自社55年体制の日本の国会の実態であった。(おわり)
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