<■481行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可> 「大東亜戦争」を削除…朝日新聞の言葉狩りに屈していいか 評論家・潮匡人氏インタビュー 2024/4/16 15:53 https://www.sankei.com/article/20240416-7I5PMVKI5NK7REYBPPA7ZLEBA4/ 陸上自衛隊の第32普通科連隊の公式Xで「大東亜戦争」の言葉が使われた投稿 https://www.sankei.com/article/20240416-7I5PMVKI5NK7REYBPPA7ZLEBA4/photo/CMHGPASGVNIEXLGNWICRO45ZXE/ 陸上自衛隊の部隊が戦没者追悼行事への参加を紹介するSNSへの投稿で 「大東亜戦争」 という言葉を使ったことが、朝日新聞の記事で 「政府はこの呼称を公式文書では用いていない」 などと批判され、 「大東亜戦争」 などの表現の削除に追い込まれた。 「侵略戦争の正当化」 などの批判も出ているが、 「大東亜戦争」 は使ってはいけない言葉なのか。 元自衛官で、旧防衛庁広報誌編集長も務めた評論家の潮匡人(うしおまさと)氏に話を聞いた。ーー陸自第32普通科連隊が2024年4月5日、硫黄島(東京都)で行われた日米合同の戦没者追悼式典に参加したことを紹介する文章をX(旧ツイッター)に投稿した際、 「大東亜戦争最大の激戦地硫黄島」 といった表現を使用したために、朝日新聞に批判された ★潮匡人 『大東亜戦争』 という言葉に何の問題があるのか。 むしろ問題は防衛省・自衛隊側が批判を受けて、その言葉を削除したことだ。 朝日は 『大東亜戦争』 の言葉を問題にして炎上≠ウせようと記事にしたのだから、削除したら、朝日の狙い通りになる。 ーー削除の理由について、木原稔防衛相は朝日の批判の趣旨を認める形で、 「一般に政府として公文書で使用していないことを踏まえた」 と述べていた ★潮匡人 しかし、防衛相はこの言葉の使用自体に問題があったかについては言及しなかった。 林芳正官房長官も 『如何なる用語を使用するかは文脈にもより、一概に答えられない』 と説明するにとどめ、政府として 『大東亜戦争』 という言葉に 『問題がある』 という認識は示さなかった。 法的に何の問題もないからだ。 それなのになぜ削除したのか。 朝日の記事など放っておけば良かった。 残念ながら、今回の削除で、自衛官は 『大東亜戦争』 という言葉を使ってはいけないという暗黙のルールができるだろう。 もし防衛相ら政治家や防衛省幹部が削除させたなら、朝日に屈するのみならず、言葉狩りに手を貸したことになる。 当人たちには悪気はなく、 「政治問題化しないように」 ぐらいの意識だったのだろうが、実に罪深い。 なぜ問題もないのに批判に屈したか。 自衛隊は最近、幹部らの靖国神社参拝を公用車利用を理由にして処分していたが、これと同根。 政治家や(官僚)幹部の事なかれ主義が自衛官を傷付けている。 ーー「大東亜戦争」という「使用していない」言葉が、なぜ急に自衛隊で使われたか ★潮匡人 急ではない。 『大東亜戦争』 という言葉はこれまでも、自衛官の間でも、外部に対しても使われてきた。 私が旧防衛庁在籍時に編集長を務めた広報誌 『セキュリタリアン』 を捲ってみると、平成4年4月号も 『「大東亜戦争」時における陸海軍の統合計画』 と題した論文を堂々と掲載していた。 当時も何の問題にもなっていない。 ーーこの言葉が「侵略戦争や軍国主義を正当化する」という批判もあり、自衛隊幹部OBからもその種の指摘がある。 ★潮匡人 少なくとも、私はそんなニュアンスで使っている自衛官の仲間を見たことがないし、全く見当外れの指摘だ。 冷静に考えてほしい。 『太平洋戦争』 では昭和16(1941)年に開戦した対米戦争などは表現できるが、それ以前に始まっていた中国・満州での戦争を表現することはできない。 『大』 を付け 『大東亜』 というのがダメだと思うのかもしれないが、単に 『東亜』 では東アジアの意味だ。 東南アジアでも激戦が繰り広げられているのだから、 『大東亜戦争』 の方が理に適っている。 『大東亜戦争』 という戦中からの言葉を批判する人たちは、過去を否定したいのかもしれないが、それは私たちの父母、祖父母、先祖が通ってきた苦難の道だ。 自分の事として考えるべきなのに、余りに他人事で、当事者意識がない。 防衛相「大東亜戦争」削除「慰霊重要で問題化は本意でない」 維新・松沢氏「主体性ない」 2024/4/16 13:44 https://www.sankei.com/article/20240416-HGMTRKTDJJAOTD23RHXIWU5T7M/ 木原稔防衛相は2024年4月16日の参院外交防衛委員会で、陸上自衛隊第32普通科連隊が公式X(旧ツイッター)で硫黄島(東京都小笠原村)を 「大東亜戦争最大の激戦地」 と表記し、その後に撤回した理由について、 「慰霊そのものが重要であり、今回大東亜戦争という表記によって、大きな問題化することは本意ではないからだと報告を受けている」 と述べた。 日本維新の会の松沢成文参院議員の質問に答えた。 連隊は2024年4月5日、Xで 「大東亜戦争最大の激戦地硫黄島において開催された日米硫黄島戦没者合同慰霊追悼顕彰式」 への隊員の参加を報告。 その後、 「戦後、占領軍の命令で『大東亜戦争』の呼称は禁止された」(朝日新聞) と報じられるなど 「大東亜戦争」 の表記が一部メディアに問題視された結果、同連隊は誤解を招いたとして、投稿から 「大東亜戦争」 を削除した。 木原氏は 「激戦の地であった状況を表現するため、当時の呼称を用いた」 「その他の意図は何もないと報告を受けている」 と重ねて強調した。 「大東亜戦争」 は開戦直後の昭和16(1941)年12月に閣議決定された日本側の呼称。 連合国軍総司令部(GHQ)は昭和20(1945)年12月の覚書で 「大東亜戦争」 の使用を禁じたが、それはサンフランシスコ平和条約に伴う日本の主権回復で失効した。 松沢氏は 「GHQは『太平洋戦争を使え』と言っていたが、その立場の米軍から文句が来ていないのに、日本のメディアがおかしいといい始めて、自衛隊が修正してしまう」 「主体性の無さに、ちょっとがっかりしている」 と語った。 大東亜戦争の表記について 「真珠湾攻撃の前にアジア大陸で戦火が吹いて回った」 「アジア内陸で行われた戦争、インド洋で行われた戦争を太平洋戦争と言っても、太平洋と関係ない」 「大東亜と言った方が地理的概念として相応しいとの考えもある」 と指摘した。 朝日新聞と「大東亜戦争」 阿比留瑠比の極言御免 2024/4/11 1:00 https://www.sankei.com/article/20240411-REWIQP2L3RM6LGQ2HJAPELYIDA/ 陸上自衛隊第32普通科連隊が公式X(旧ツイッター)への投稿に 「大東亜戦争」 という表現を用いたところ、朝日新聞が 「戦後、占領軍の命令で『大東亜戦争』の呼称は禁止された」 などとまるで異常な出来事であるかのように報じたことで、平成26年1月の騒ぎを思い出した。 その前年末に当時の安倍晋三首相が靖国神社を参拝したところ、在日米大使館が 「失望」 を表明し、日本の多くのマスコミが米国を怒らせたのはまずいという論調を展開したのだった。 安倍氏は当時、こうした米国に媚びるようなマスコミの姿勢について、筆者に冷ややかに語っていた。 「彼らは、自分たちが卑屈で自虐的だと思わないのかね」 「笑ってしまう話だ」 ■今もGHQに盲従 そもそも大東亜戦争は閣議決定された正式の呼称であり、そう表現することに何の問題もないことは2024年4月10日の本紙「主張」が詳述しているので繰り返さない。 ただ、戦後80年近く経ってもマスコミがまだ連合国軍総司令部(GHQ)の占領政策に何の疑問も抱かないことに呆れる。 大東亜戦争という言葉を徹底的に検閲し、米国の視点、史観に基づく太平洋戦争に置き換えたのはGHQであり、その命令には最早何の効力もないにもかかわらずである。 麗澤大学特別講師の勝岡寛次氏の著書『抹殺された大東亜戦争 米軍占領下の検閲が歪めたもの』はこう記している。 <占領軍は一切の容赦をしなかった> <前後関係全くお構ひなしに「大東亜戦争」といふ用語は悉く抹殺され、「太平洋戦争」に片端から書き直しを余儀なくされた> <占領下の日本に「太平洋戦争」といふ耳慣れぬ用語が導入されたのは、恐らく昭和20年12月8日を以て嚆矢(《昔、中国で戦いを始める時、敵陣に向かって1を射たところから》物事の始まり。最初)とする> この日、新聞各社は一斉に連合軍司令部提供による 「太平洋戦争史」 の連載を開始した。 先の大戦は侵略戦争で日本軍は悪逆非道の限りを尽くしたと国民に贖罪意識を植え付けるための宣伝活動だった。 まさに占領政策そのものであり、むしろ日本が未だに太平洋戦争という用語を使い続けていることの方が異様だろう。 戦場となったモンゴルやミャンマー内陸部を太平洋に含めるのは無理があり過ぎる。 また、GHQの検閲対象は大東亜戦争だけでなく多岐に渡っており、極東国際軍事裁判(東京裁判)に対する一切の批判は封じられ、当時の国民が裁判に対して感じたごく当たり前の違和感や不公平感はなかったことにされた。 戦後、進歩的文化人の牙城とされてきた月刊誌「世界」も、昭和21年に 「我々の希望は、この『事後の法律』が、単なる勝者による専断に堕しないこと」 などと東京裁判に注文した評論を掲載しようとして、全文掲載禁止処分を受けた。 ■西洋冒瀆で掲載禁止 また、直接戦争と関係なくとも、16世紀以来の西洋による植民地支配への批判は 「西洋冒瀆」 として掲載禁止とされた。 オランダによるインドネシア搾取の記述は 「連合国批判」 として削除された。 更に日本の封建制度に一定の評価を与えた文章は 「国家主義的」 として、アヘン戦争に関する研究論文は 「英国批判」 として削除されるなど、GHQは日本独自の物の見方、歴史観を排除したのである。 朝日新聞は、こうした他の検閲も肯定するのだろうか。 GHQの占領政策の代行者を自任し、憲法21条2項が禁じる検閲をこれからも続けていこうという姿勢は理解し難い。 <主張>大東亜戦争 言葉狩りを朝日は恥じよ 社説 2024/4/10 5:00 https://www.sankei.com/article/20240410-IGKOWNN3SJM3LMXRPDE6SYXYEM/ 陸上自衛隊第32普通科連隊の2024年4月8日の投稿。 当初の投稿から 「大東亜戦争最大の激戦地」 などの表現が削除された https://www.sankei.com/article/20240410-IGKOWNN3SJM3LMXRPDE6SYXYEM/photo/GUZ3V2CSVVOHBIRXX6PLHAH4RY/ 先の大戦、大東亜戦争(太平洋戦争)の終戦から79年経つ今でも朝日新聞は 「大東亜戦争」 を言葉狩りの対象にした。 自由な表現の封じ込めで、恥ずべき振る舞いである。 陸上自衛隊第32普通科連隊(さいたま市)が2024年4月5日投稿した公式X(旧ツイッター)に 「大東亜戦争」 の表現があった。 朝日は2024年4月8日、投稿を巡り 「政府は太平洋戦争を指す言葉として、この呼称を公式文書では用いていない」 「戦後、占領軍の命令で『大東亜戦争』の呼称は禁止された」 と報じた。 同連隊は誤解を招いたとして、投稿から 「大東亜戦争」 を削除した。 自由の国日本で、言葉狩りによって表現の変更が強いられてしまったのは残念だ。 2024年4月5日の連隊の投稿は、隊員が 「大東亜戦争最大の激戦地硫黄島において開催された日米硫黄島戦没者合同慰霊追悼顕彰式」 に参加した報告だった。 激戦の実相を示そうと当時の呼称を用いたという。 何の問題もなく戦争自体の賛美でもない。 朝日が占領軍の禁止命令への言及で記事を終えたのは悪質である。 「大東亜戦争」 とは、朝日が記事でも指摘したように、開戦直後の昭和16(1941)年12月に閣議決定された日本側の呼称だ。 その使用は現在禁じられていないし、政府は太平洋戦争のみを使う決定もしていない。 連合国軍総司令部(GHQ)は昭和20(1945)年12月15日の覚書で 「大東亜戦争」 の使用を禁じたが、この不当な命令はサンフランシスコ平和条約に伴う日本の主権回復で失効した。 朝日の記事は、占領軍の命令が今も有効との誤った印象を与えかねない。 戦時中の日本人は大東亜戦争を戦っていた。 他の呼称の戦争を戦っていると思っていた者はいない。 今、太平洋戦争の使用例が多いからといって、大東亜戦争の使用を問題視するのは余りに狭量で自虐的だ。 政府は一般に公文書で使用していないとするが、公式Xから削除する理由にはならない。 防衛庁防衛研修所戦史部著の戦史叢書(そうしょ)(「大東亜戦争開戦経緯」など)で普通に用いている。 国権の最高機関の国会でも、閣僚や与野党議員が問題なく使ってきた。 例えば令和2(2020)年5月12日の参院財政金融委員会で麻生太郎副総理兼財務相(当時)は 「大東亜戦争」 に言及し、議事録にも載っているのである。 朝日新聞デジタル記事 陸上自衛隊の第32普通科連隊、公式Xで「大東亜戦争」と表現 2024年4月7日 20時08分 https://www.asahi.com/articles/ASS473FGPS47UTIL00FM.html?iref=pc_extlink 陸上自衛隊大宮駐屯地(さいたま市)の第32普通科連隊が、X(旧ツイッター)で同隊の活動を紹介する際に、 「大東亜戦争」 という言葉を使って投稿していた。 政府は太平洋戦争を指す言葉として、この呼称を公式文書では用いていない。 同隊は2024年4月7日、取材に公式アカウントであることを認めた上で、 「本日はコメントすることができない」 とした。 同隊は2024年4月5日、硫黄島(東京都)で日米合同で開催された戦没者の追悼式に参加したことをXの公式アカウントで紹介。 「大東亜戦争最大の激戦地硫黄島」 「祖国のために尊い命を捧げた日米双方の英霊のご冥福をお祈りします」 などと投稿した。 日本は1940年、欧米からアジアを解放し 「大東亜共栄圏の確立を図る」 との外交方針を掲げ、1941年12月の開戦直後に 「大東亜戦争」 と呼ぶことを閣議決定した。 戦後、占領軍の命令で 「大東亜戦争」 の呼称は禁止された。 「悪意のみの歴史解釈に限界」静岡大の楊海英氏 陸自の「大東亜戦争」表記問題視報道で 2024/4/9 20:04 https://www.sankei.com/article/20240409-MF4Q6OVKGRGJLHAE62QUBAVXR4/ 中国・内モンゴル自治区出身で日本に帰化した静岡大の楊海英教授(文化人類学)が2024年4月9日、東京都内で産経新聞の取材に応じ、陸上自衛隊の部隊がX(旧ツイッター)で硫黄島(東京都小笠原村)を 「大東亜戦争最大の激戦地」 と表記し、その後に撤回した問題について 「一種の言論弾圧だ」 「国民の生命と財産を守る自衛隊に対し、過去の戦争を持ち出して批判めいて報じるのはやめてほしい」 と語った。 部隊が2024年4月5日に 「大東亜戦争」 の表現を用いると一部の報道機関などが問題視し、2024年4月8日に該当する表記を改めた経緯がある。 1問1答は次の通り。 ◇ ■民族自決運動の側面も ーー陸自第32普通科連隊が2024年4月5日、硫黄島で執り行われた日米合同慰霊式を巡り「大東亜戦争最大の激戦地硫黄島」とXに投稿すると、「大東亜戦争」表記について「政府は公式文書では用いていない」などと報じられ削除に追い込まれた ★楊海英 陸自幹部の制服姿での靖国神社参拝が問題視されたこともあるが、自衛隊の行動について、過去の歴史と結び付けて報道するのは問題だと思う。 国民の命と財産を守る存在に対して、いちいち過去の戦争を持ち出して、批判めいた報道はやめてほしい。 一種の形を変えた言論弾圧ではないか。 ーー「大東亜戦争」は先の大戦を巡り、戦前に政府が閣議決定した名称だ ★楊海英 閣議決定した以上、戦争当事国の正式な認識だ。 『侵略戦争』『不義の戦争』などは戦後の戦勝国の裁判史観によるものだ。 その米国も1952年のサンフランシスコ講和条約発効で(連合国軍総司令部=GHQが公文書に『大東亜戦争』表記を禁じた『神道指令』が失効し)軌道修正している。 戦後日本の言論界の一翼が東京裁判史観で戦争当事国の閣議決定を批判するのは不公平だ。 ーー先の大戦を巡る評価は様々だ ★楊海英 同じ戦争でも当事者が違うと当然認識は異なる。 日米でも、大東亜戦争の舞台となったフィリピン、インドネシア、モンゴル、中国でも、それぞれで違う。 モンゴルにとっては一種の世界戦争で、それを通じて中国から独立を図ったというもの。 中国は抗日戦争と言っているが、戦時中には定義していない。 西洋諸国の植民地だったインドネシアやフィリピンなどは一種の解放戦争と見る場合もある。 世界戦争の中の民族自決運動の側面がある。 ■国民世論の分断に懸念 ーー大東亜戦争の響きはどう映るか ★楊海英 日本にとってジャストミートする響きではないか。 イデオロギー的に偏っているとも思わない。 『先の戦争』と言えば、どこまで先なのか分からないし、そもそも、歴史は全て悪意で作られていると見るべきではない。 台湾人も満州人もモンゴル人も概して日本時代を評価した。 侵略戦争のみでは全体像は見えない。 ーー今回の問題で懸念されることは ★楊海英 国民世論の分断だ。 本来、日本人社会は調和が取れて、お互いに配慮して、争い事を避けるものではなかったか。 にもかかわらず昨今のSNSでの表現は過激化している。 歴史を持ち出した報道はSNS上で暴走し、独り歩きし、日本国内の世論や国民の意識の分断を促している。 ーー大東亜戦争を使ったら戦争を美化していると思うか ★楊海英 思わないよ。 『モンゴル帝国は凄かった』と言って、当時の侵略を美化しているモンゴル人は1人もいない。 過去の歴史的出来事を全て悪意でもって解釈することには限界がある。 波紋を広げる「大東亜戦争」表記 禁止されていないが問題視され陸自部隊はX投稿削除 2024/4/9 14:10 https://www.sankei.com/article/20240409-UT4I6R6EN5C2ZP6G5UZ4XU57RA/ 木原稔防衛相は2024年4月9日の記者会見で、陸上自衛隊の部隊が公式X(旧ツイッター)で2024年3月末に日米合同慰霊式が執り行われた硫黄島(東京都小笠原村)を 「大東亜戦争最大の激戦地」 と表記したことについて、 「硫黄島が激戦の地であった状況を表現するため、当時の呼称を用いた」 と説明した。 ただ 「大東亜戦争」 の表記は問題視される形で報じられ、同隊は削除した。 木原氏は 「現在一般に政府として公式文書で使用していないことを踏まえ、修正した」 と述べるにとどめた。 ■問題視するメディア 陸自第32普通科連隊(さいたま市)は2024年4月5日、Xで2024年3月30日に執り行われた日米合同慰霊式に同隊隊員が 「旗衛隊」 として参加したことを報告。 「大東亜戦争最大の激戦地硫黄島において開催された日米硫黄島戦没者合同慰霊追悼顕彰式に参加しました」 と書き込んだ。 その後、 「大東亜戦争」 の表記は 「政府は公式文書では用いていない」 「戦後、占領軍の命令で『大東亜戦争』は禁止された」 「ネット上で『植民地統治や侵略を正当化する名称』『公機関が使ってはいけない』と波紋を呼んでいる」 と一部で報じられる。 同隊は2024年4月8日に該当するXの投稿から 「大東亜戦争」 などの表記を削除した。 林芳正官房長官は2024年4月8日の記者会見で、 「大東亜戦争」 を公文書で使用する適否を念頭に 「如何なる用語を使用するかは文脈などによる」 「一概に答えることは困難だ」 と述べるにとどめた。 ■禁じたGHQ指令は失効 先の大戦を巡っては、日米開戦直後の昭和16(1941)年12月12日、 「大東亜戦争と呼称する」 と閣議決定された一方、連合国軍総司令部(GHQ)は戦後、国家神道を廃する 「神道指令」 で 「大東亜戦争」 について 「国家神道、軍国主義、過激な国家主義」 とし、公文書での使用を禁じた経緯がある。 ただ、神道指令は昭和27(1952)年の主権回復後、失効した。 大東亜戦争の表記を禁じる根拠を失った形となる。 先の大戦に関して閣議決定された名称は 「大東亜戦争」 以外になく、実際に政府も公文書への使用を禁じてはいない。 韓国の中央日報(電子版)も2024年4月8日、日本の報道を引用する形で、 「大東亜戦争」 について 「事実上タブー語として認識されている」 と報じた。 ハンギョレ紙(電子版)は2024年4月9日、 「大東亜戦争」 について 「日本の起こした戦争はアジアの植民地を解放するためのものという歪曲された意味を含んでいるため、日本でも使用がタブー視されている」 と解説した。 同隊の問題視されたX投稿からは 「大東亜戦争」 の表記に加えて、 「慎んで祖国のために尊い命を捧げた日米双方の英霊のご冥福をお祈りします」 と当初あった文言も削除されている。 公式Xには 「『大東亜戦争』だけでなく『慎んで祖国のために尊い命を捧げた日米双方の英霊のご冥福をお祈りします』という文言までなぜ、削除されるのですか」 といった書き込みや 「(大東亜戦争の表記を)削除せざるを得なかった担当者の悔しさが見て取れる」 といった書き込みがある。 埼玉の陸自連隊、公式Xから「大東亜戦争」表現削除「誤解招いた」 陸幕「適切な表現で」 2024/4/8 21:16 https://www.sankei.com/article/20240408-T4MOGSO6V5KTFEWYVFPBH6IWZ4/ 陸上自衛隊第32普通科連隊(さいたま市)が、公式X(旧ツイッター)で 「大東亜戦争」 の表現を使っていたことが明らかになり、連隊は2024年4月8日午後、該当する投稿から 「大東亜戦争最大の激戦地」 などの表現を削除した。 当初の投稿は2024年4月5日で 「大東亜戦争最大の激戦地硫黄島において開催された日米硫黄島戦没者合同慰霊追悼顕彰式に参加しました」 などと記されていた。 防衛省陸上幕僚監部によると、連隊は激戦地だったことを表現するために当時の呼称を使用。 削除理由を 「本来伝えたい内容が伝わらず、誤解を招いた」 と説明している。 陸幕は取材に 「交流サイト(SNS)の発信は適切な表現で行うよう改めて指導していく」 とコメントした。 主権回復 第5部 日本復活への未来(5) 「大東亜戦争」今なお忌避 消される開戦の意義 自縛を解く時 2022/11/20 8:00 https://www.sankei.com/article/20221120-SSXEUD2KZZO6RM6WXSXZ2B4MUY/ 77回目の終戦の日である2022年8月15日。 東京都千代田区の日本武道館で開かれた全国戦没者追悼式で、2022年も 「あの言葉」 が繰り返された。 「先の大戦では、300万余の同胞の命が失われました」 首相の岸田文雄は式辞で、1945(昭和20)年夏に終わった戦争を 「先の大戦」 と表した。 菅義偉、安倍晋三、野田佳彦ら歴代首相も追悼式で同じ言葉を使った。 一方、教育現場では学習指導要領などに基づき、 「太平洋戦争」 として教えられている。 世間一般でも太平洋戦争という呼び方が支配的だ。 だが当時の日本人は、あの戦争を 「大東亜戦争」 として戦った。 「大東亜戦争」 は1941(昭和16)年12月の日米開戦直後、日本政府が閣議決定した呼称だ。 連合国軍総司令部(GHQ)は戦後、国家神道を廃する 「神道指令」 で公文書での使用を禁じた。 あの戦争が持つ 「欧米の植民地支配からのアジアの開放」 などといった側面を日本国民に忘れさせる狙いがあったのは確実だ。 日本の主権回復後、神道指令は失効した。 閣議決定を経た呼称は、今も公文書への使用を禁じていない。 にもかかわらず 「大東亜戦争」 がこれほどまで忌避されてきたのは何故なのか。 ■米の解釈から脱却 防衛研究所戦史研究センター主任研究官の庄司潤一郎によると、 「大東亜」 とは本来、日本、中国、満州を指す 「東亜」 を超えた地域を表す地理的概念だ。 それが 「大東亜戦争」 は全面的な戦争肯定論と結び付けられ 「やや日陰的なものになった」 と指摘する。 だが、敗戦から75年余を経て、一般的な言論の世界や学界では、大東亜戦争に正面から言及し、タブーを取り払う動きも広がる。 2021年夏に出版された『決定版 大東亜戦争』(新潮社)は、戦争の是非を巡る戦後の思想対立の束縛を超え、 「戦争の実相」 と向き合う必要性を説く。 共著者の防衛研究所戦史研究センター主任研究官の庄司潤一郎は 「日本人としてあの戦争を理解するのに、現時点で一番相応しいのは『大東亜戦争』ではないのか」 と問題提起した。 そもそも 「太平洋戦争」 では、中国大陸などでの戦いが対象を外れ、大戦の全容を捉えきれない。 「太平洋戦争」 が広がったのは、GHQが 「太平洋戦争史」 という連載記事を大手新聞各紙に提供し、掲載させたことが契機だ。 大阪市立大名誉教授の山下英次は 「記事は日本に罪があるとする米国の戦争解釈であり、これに基づく呼称は見直すべきだ」 と強調する。 占領期に内務官僚としてGHQと渡り合った元法相の奥野誠亮(2016年死去)は生前、産経新聞との会見でこう語っている。 「占領軍は(大東亜戦争の呼び名を)禁句にし、今も従っている人たちがいます」 「日本人は大東亜戦争を戦ったのです」 「そう呼ばなければあの戦争の意味合いは分かりません」 ■注目される旧宮家 70年後も続く自縛状態。 放置し続ければ、取り返しがつかなくなりかねない課題もある。 政府の有識者会議が2021年12月にまとめた皇位継承策に関する最終報告書は、旧宮家の男系男子の皇籍復帰に道を開く案に言及した。 旧宮家が皇室を離れたのはGHQ占領下の1947(昭和22)年。 背景にはGHQの圧力があった。 日大名誉教授の百地章によると、過酷な財産課税などによって皇室は多くの皇族を抱えることが困難となり、11宮家が 「離脱を強いられた」。 GHQが 「軍国主義の背景に天皇の神格化があると考え、皇室の影響力を弱めようとした」(麗澤大教授の八木秀次) とも指摘されている。 かつては若い男系男子の皇族が多く、政府の危機意識は薄かった。 日本の主権回復後も皇籍復帰論は高まらず、問題意識も広がらないままに時間が過ぎ、今では皇位継承資格者は3方のみとなっている。 11宮家筆頭の当主、伏見博明は近著『旧皇族の宗家・伏見宮家に生まれて』で、皇籍離脱後も行事参加などを通じて皇室を支えてきた使命感を語る。 「天皇陛下に復帰しろと言われ、国から復帰してくれと言われれば、これはもう従わなきゃいけない・・・」 最終報告書が示した皇族数確保策は安定的な皇統の男系継承に資する。 過去の政権が先送りしてきた課題の対処のため、最早停滞は許されない。 日本でジェンダー平等の意識が浸透する中、世論には 「女性天皇」 「女系天皇」 を容認する向きも見られるが、その違いが十分に理解されているとは言い難い。 時代の変化の中でも変わらずに保たれてきた男系継承という皇統の特性と重みへの理解を如何に深めていくか。 戦後の 「空白」 を埋めなくてはならない。 ★戦後平和主義の超克 道半ば ロシアや中国の人権侵害が次々と明るみに出ている。 犯罪の責任者の追及は国際社会の大きな課題となった。 米欧は国際刑事法を武器に立ち向かう。 ウクライナ北部のブチャ。 ロシア軍の撤退後、後ろ手に縛られた民間人の遺体が多数見つかった。 大学講師のリュボミル・ジャノフ(27)は知人を失った。 「ロシアの戦争犯罪は絶対許せない」 「国際司法の場に連れ出してほしい」 と怒りを露わにした。 ジャノフが期待するのは、国際刑事裁判所(ICC)と欧州諸国の合同捜査団だ。 戦災で黒焦げになった瓦礫を掻き分け、犯罪の証拠を集める。 ジュネーブでは2022年10月、国連人権理事会で攻防があった。 米大使のミシェル・テイラーは中国の少数民族ウイグル族迫害で討議を求め、 「どんな大国も論議の対象から外すべきではない」 と迫った。 「人権」 との向き合い方は民主主義体制と権威主義体制の最大の相違点だ。 そのせめぎ合いの中で日本は及び腰だ。 何故なのか。 ■断罪された記憶 「日本人の多くは戦争犯罪に関し、敗戦国として『裁かれた』という以上の認識を持っていないように思える」 「海外の人権問題にもっと関心を持つべきだ」 ICC元裁判官の尾崎久仁子には日本の姿がそう映る。 日本には 「勝者の法廷」 で断罪されたという苦い記憶が残る。 戦後の極東国際軍事裁判(東京裁判)の影だ。 被告人らは事後法により裁かれ、その権利も公正に扱われなかった。 同時に東京、ニュルンベルクの国際軍事法廷は、人道犯罪の責任者を裁く国際刑事法の出発点でもある。 民間人に対する殺人や殲滅、人種的理由による迫害といった 「人道に対する罪」 は両法廷の設立規程で定められた。 1948年にはナチスのユダヤ人虐殺を教訓に、ジェノサイド(集団殺害)条約が採択され、民族抹殺を意図した迫害の防止、処罰が定められた。 1990年代には旧ユーゴスラビア、ルワンダの民族紛争を巡る臨時法廷が発足。 2003年、戦時、平時を問わず組織的な人道犯罪を裁くため、常設のICCがオランダに設立された。 日本はICC加盟に慎重で、2007年まで実現しなかった。 米国が海外の米兵の訴追を警戒し加盟しなかったことも背景にある。 東京裁判から70年余を経て、国際刑事法は大きく発展した。 「人権侵害の責任者は必ず裁かれる」 という原則が打ち立てられ、そのための制度が確立した。 ■果たすべき役割 一方、日本は現在もジェノサイド条約を批准していない。 中露や北朝鮮を含めて150カ国以上が加盟するのに、政府は 「国内法と整合性が取れない」 という立場を維持する。 米国は留保付きで条約を批准している。 2021年1月には、中国のウイグル族迫害は 「民族破壊の意思があり、ジェノサイドに当たる」 という見解を示した。 4か月後の2021年5月、日本の衆議院外務委員会では、条約批准の是非が議論になった。 「批准すべきではないか」 「国内法を整備しては」 と問われた当時外相の茂木敏充は 「議論の準備をすることは悪いことではない」 と言葉を濁した。 ある日本人法学者は日本の慎重な姿勢について 「(日中戦争当時の)南京事件をジェノサイド扱いされるのを懸念しているのでは」 と話す。 ウクライナでは大統領のゼレンスキーが 「ロシアはジェノサイドを犯している」 と主張した。 インフラを爆撃して住民の生命線を断ち、強制連行するのは、民族抹殺の狙いがあると訴える。 今後、ジェノサイドの立件には何が必要かを巡って国際論争が起きるのは確実だ。 条約未加入の日本は議論をリードできない。 ICC元裁判官の尾崎久仁子は、平和構築を通じた人権促進などで日本は評価されていると指摘し、人的貢献を含め 「もっと出来る事はある」 と強調する。 日本はICC予算で最大の拠出国でもある。 ロシアや中国という大国に対する責任追及は国際刑事法の新たな挑戦となる。 日本に何が出来るのか、考える時が来ている。 ■「一身独立して」 主権とは何か。 自分の国の将来を自分で決められる能力のことだ。 そして、日本と世界は2022年、主権を侵害されるとは何を意味するのかについて、血塗られた現実をウクライナ戦争で見せ付けられた。 戦争を抑止し、戦争犯罪も厭わない侵略者を撃退するには、軍事力の裏付けが必要だ。 国際政治における冷徹な事実は、戦後の日本で蔓延した、 「非武装」 や 「非暴力」 を唱えさえすれば戦争は防げるといった無責任な平和主義が如何に無力であるかを暴いた。 主権の回復とは、戦後平和主義の超克でもある。 その意味で、私たちはまだその途上にある。 中露による軍事的威圧や北朝鮮の一方的な核保有国宣言など、日本を取り巻く状況は予断を許さない。 経済は円安の逆風に晒された。 連合国による占領政策の残滓は今もある。 ■中露の人権侵害 傍観は許されない ▼ニュルンベルク裁判(1945〜46年) ▼東京裁判(1946〜48年) 「侵略戦争」と大規模な人権侵害を巡り個人を初訴追 ▼ジェノサイド条約発効(1951年) ▼旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(1993年設置) ▼ルワンダ国際戦犯法廷(1994年設置) ▼オランダに、戦時・平時を問わず組織的な人道犯罪を裁くため、常設のICCが設立された(2003年設置) ▼日本がICCに加盟(2007年) ▼北朝鮮 国連調査委員会が2014年2月、外国人拉致を含む人権侵害を 「人道に対する罪」 と非難。 ICCなどへの付託を勧告。 ▼中国 国連人権高等弁務官事務所が報告書で、新疆ウイグル自治区での人権侵害を 「人道に対する罪に相当する可能性がある」 と指摘。 ▼ロシア ICCが人道に対する罪と戦争犯罪の 「信じるに足る合理的な証拠」 があるとウクライナで捜査開始。
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