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長井秀和、創価学会と裁判開始…元東村山市議転落死は創価学会関与の他殺説を主張
ビジネスジャーナル 2023.01.18
https://biz-journal.jp/journalism/post_331552.html
昨年12月25日投開票の西東京市議会議員選挙でトップ当選を果たしたお笑い芸人の長井秀和氏が、創価学会から名誉毀損で提訴された。
長井氏は創価学会のエリート家庭で生まれ育ったが、現在は「(自分の家庭では)仏壇3基を2000万円で購入させられた」などと創価学会を批判している。また長井氏は12月19日の選挙演説で、朝木明代東村山元市議の転落死事件について、創価学会関与説に言及。
創価学会・公明党を批判していた朝木明代氏は1995年9月1日夜、西武鉄道東村山駅前のロックケープビルから転落した。警察は「衣服や身体に争った跡がない」「ビルの真下に落下した(突き落とされたとすれば放物線を描くはず)」「第一発見者が救急車を呼ぼうとしたら断った」等の理由から自殺と断定し、事件性はないとされた。
しかし、市議が死亡したのが創価学会に関するシンポジウムに出演する2日前だったことや遺書がなかったことから、遺族は創価学会が関与した他殺を疑い、当時のマスコミも創価学会が関与する他殺の可能性を報じた。
朝木氏の遺族・マスコミは創価学会に名誉毀損で訴えられ裁判になり、地裁・高裁共に創価学会が勝訴した。
この事件に関して長井氏は他殺の可能性を言及。創価学会は「他殺説は事実無根」「名誉毀損」であるとして、長井氏に対し1100万円の損害賠償を請求している。
そこで今回、筆者は長井氏に取材した。
――他殺であるとする根拠はなんでしょうか。
長井秀和氏「自殺として断定するには不十分な点、不可解な点があると思います。現場検証も不十分ななか、鑑識(司法解剖)をする前に自殺と断定されたのです。ご遺族が『鑑識をやってください』とお願いしたところ、ようやく鑑識が実行され、結果が公表されたのは事件から4年後でした。つまり、鑑識公表以前に裁判が始まったのです。鑑識の結果、遺体には腕に皮下出血の跡(原因は複数の可能性があるが、争った跡の可能性も否めない)がありました。『皮下出血があった』という事実を盛り込まないまま裁判が行われました」
――訴えられる以外に、創価学会から何か嫌がらせを受けたことはありますか。
長井氏「SNSでは、創価学会員らしき人から悪口を書かれたりしますね。選挙のポスターに関して『こんなの貼って、どうするの』というように言われたり、落選運動をされたり。“仏敵”と見られているのかもしれませんね」
――ところで、池田大作(創価学会名誉会長)さん死亡説がありますが、実際はどうなのでしょうか。
長井氏「人から聞いた話ですが、八王子の医療施設にいるとか。ただし、あまり健康状態は良くないと聞きます」
――長井さんはなぜ、創価学会を追及しようと思われたのですか。
長井氏「カルト問題が世間で問題視されるようになりましたが、創価学会に関する問題ってスポンサー絡みで大手メディアで報じられにくいので、私が声をあげるしかしかないと思ったのです。しかし、これだけ訴えても、私は創価学会の家庭に生まれ育ち、創価大学を卒業したので、『公明党から後援を受けているのでは』と疑念を持たれがちです」
――政治家として「政教分離」「カルト」の問題に、どう取り組まれますか。
長井氏「日本国憲法は政教分離に関してアメリカの憲法を参考にしていて、現行憲法では宗教団体による政治参加が認められています。しかし、ここで問題なのは、公明党などの『政治権力』が創価学会という宗教団体を利用して(資金の出入りの隠れ蓑にして)、『宗教活動』をしていることです。現行のルールだと宗教法人なら収支報告をしなくてよいため、他の自民党・立憲民主党・共産党などの政治団体も宗教団体を作って、全員が会員になって、政治活動を『宗教活動』ということにすれば、収支報告をせずにすんでしまいます。ここは『政教分離』をしないと、資金の出入りが『ブラックボックス』状態になるのです」
――ほかに政治家として取り組みたいことはありますか。
長井氏「西東京の地域を発展させていきたいですね。情報、金、物が行き来する中継地帯にしたいです」
池田大作氏の自宅、実は質素?学会員「文鮮明・韓鶴子とは違う」
一方、創価学会の信者で、池田大作氏と何度が会ったことがあるという信者(30代女性)に取材したところ、創価学会に関してまったく異なる見解を示した。
朝木明代村山市議事件については、他殺説を完全に否定する。
「(他殺説は)デマだと思います。そんなことをしても創価学会になんのメリットもありません。(遺族・マスコミは)すべての裁判で敗訴しています。個人的な推測にすぎませんが、議員さんは心労がたえない大変なお仕事ですので、もしかしたら睡眠薬や精神薬を飲み、副作用として衝動的な行動を起こしたのではないでしょうか。(処方した時から時間がたてば遺体から検出されないため、可能性は否定できない)」
創価学会の寄付金については、あくまでも信者の意思であり、強制ではないと強調する。
「創価学会は寄付を強制することはありません。『収入の1割寄付』の考え方はありますが、無理に寄付を強いられたり、統一教会のように恐怖を煽り寄付に仕向けることはありません。寄付をしている方々は好きでやっていて、お金は“社会の血液”ですから、私もそうですが、いずれは巡りめぐって自分のところに何か良いことが起きて返ってくると思います。創価学会に限らず、さまざまな社会活動・慈善団体もそう考えているのではないでしょうか。私は創価学会への入会に際して、事務手数料と仏壇込みで5000円だけ払いました。聖教新聞も勧められますが、強制ではありません。現世の利益を追求して良い、まず自分が幸せにならないと他人を幸せにできないという考え方なのです」(同)
また、池田大作氏については、その人柄を称賛する。
「さまざまな誤解、根も葉もない噂がありますが、池田大作先生は質素な昭和の家に住んでいます。特定されないようにインターネット上に写真は出していませんが。私は池田先生の家に伺ったことありますが、自分自身のことより他人や困っている人たちのことを考える気さくな方です。創価学会の公用車には乗りますが、プライベートでブランド品もあまり好みません。豪邸で贅沢三昧な文鮮明・韓鶴子(統一教会総裁)とはまったく違います。
私は創価大学の通信教育課程に在学していましたが、池田先生から一人ひとりに『頑張ってくださいね』ってアイスクリームやお菓子、ジュースが届いていました。同じようなことを海外の会員にもされています。会員が多い(創価学会によると海外に約280万人の会員)ので、このような一人ひとりに対する細やかな気遣いは認めるべきことではないでしょうか。そもそも、創価学会の考え方って、誰かを妄信するのではなく、皆が平等で『仏』なんですよ。お葬式も全員でお経を唱えます。ちなみに、池田大作先生がお亡くなりになった、というデマも流れているようですが、ご健在です」
事件についてはまったく主張が異なる両者だが、「池田大作氏は健在」という点では一致した。
「真相が闇に葬られた」27年前の事件について、新たな事実は明らかになるのだろうか。元警視庁刑事で警察ジャーナリストの北芝健氏に話を聞いた。
「確かに、事件現場は転落死するような場所ではありません。『(捜査を担当した)東村山警察に創価学会員がいた』という噂が流れていて、それは事実のようですが、捜査に影響するとは限りません。また、司法解剖の結果公表が4年後ということは普通、あり得ないことです。そんなことをしたら警察内部で大問題になりますよ。それは陰謀論だったりしませんか」(北芝健氏)
また、東村山警察署に電話取材したところ、「古い事件なので、申し訳ございませんが、詳細をわかる者がおりません。(一般的には)司法解剖の結果として、死因は公表しても詳細までは公表しないでしょう」との回答だった。
“皮下出血”について公表された経緯については詳細不明だった。昨年の安倍晋三元首相の襲撃事件以後、宗教と政治に関する注目度が増すなかで提起された今回の裁判。今後の経過に要注目だ。
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【長井秀和氏インタビュー第三回】
東村山女性市議「転落死」で一気に吹き出た『創価学会疑惑』! 身の毛もよだつ事件の真相とは! ? 創価学会と暴力団の関係性を徹底検証!
https://www.youtube.com/watch?v=I9yam6xaKEg
東村山市議謀殺事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E6%9C%A8%E6%98%8E%E4%BB%A3%E5%B8%82%E8%AD%B0%E8%BB%A2%E8%90%BD%E6%AD%BB%E4%BA%8B%E4%BB%B6
朝木明代市議転落死事件とは1995年(平成7年)9月1日22時頃、東村山市議会議員の朝木明代が西武鉄道東村山駅の駅前のロックケープビル(以下、「本件ビル」という。)から転落死した事件。
警察(東村山警察署)は自殺と断定、事件性はないとされたが、朝木が創価学会の脱会者の救済活動をしていたこと、議会において創価学会・公明党を追及していたことから創価学会による関与を示唆する動きがあり、政界、宗教界、マスコミ、遺族等を巻き込んだ一大騒動に発展した。
また、後にマスコミなどが「転落死事件の担当検事、その上司にあたる支部長検事が創価学会員だったことが判明した」と述べている。
同事件では自殺とされる根拠や他殺とされる根拠が多数存在している。
自殺説
警視庁東村山署の発表
・朝木の身長(160cm)なら自力で手すりを越えられたこと。
・転落現場の手すりには外側からつかまったとみられる手の跡がついており、突き落とされた形跡はない。他人が突き落としたとすれば放物線を描いておちたはずで、ビルの真下に落ちることはないこと。
・「大丈夫ですか」と聞かれて「大丈夫です」と答え、第1発見者に「救急車を呼びましょうか」と聞かれて「いいです」と、救急車の要請を断っている。また朝木の口から被害を訴える言葉もなかった。
・衣服や身体に争った跡がない。ストッキングが破れていたのは、現場まで裸足で歩いて行ったものと考えられる。
・事件の現場で、事件の前後には不審な人物や車両の目撃証言がないこと。
東京地検の発表
・マンションの踊り場や着衣に争った形跡がない。
・死亡する数時間前から一人で沈んだ様子で行ったり来たりする姿が目撃されている。
・ストッキングが破れていたことについては、裸足で外出した可能性が強いと発表した。
他殺説、創価学会による謀殺説
自民党・共産党などの主張
新進党に加わっていた旧公明党勢力と背後の創価学会に対し警戒と攻撃を強めていた自民党や、かねてより公明党や創価学会と敵対関係にあった日本共産党も、この事件に着目した。
そして、1995年11月の衆議院・参議院の「宗教法人に関する特別委員会」においては、穂積良行ら自民党所属の議員が、乙骨正生が『文藝春秋』(11月号)に執筆した「東村山市議怪死のミステリー」や初動捜査を行った東村山署が十分な捜査を行わず自殺の結論を出したことを主な根拠として、転落死事件の捜査手法に疑問を投げかける質問をした。
質問は、
・朝木明代が創価学会をきびしく批判追及していて創価学会からの嫌がらせを受けていた
転落死を自殺とするには疑問な点がある
・上記にもかかわらず東村山署は副署長を先頭に自殺と決めつけて捜査している
など矢野・朝木直子らの主張をほぼそのまま紹介していた
週刊誌・月刊誌などの主張
・矢野穂積・朝木直子らは謀殺説をマスコミ取材やライターの乙骨正生を通じて広めた。
・謀殺説はマスコミの関心を集め、『FOCUS』(9月13日号)・『週刊現代』(9月23日号)・『週刊新潮』(9月14日号・10月12日号)をはじめ、週刊誌や月刊誌、テレビ・ラジオ番組で謀殺疑惑が取り上げられた。
・事件は米国の『タイム』アジア版(11月20日号)の創価学会・宗教法人法改正を扱った記事の導入部でも紹介された。
・創価学会は『週刊現代』・『週刊新潮』の記事に対する反論を機関紙『聖教新聞』などの学会機関紙上で反論を行なった。
矢野穂積・朝木直子らは、事件直後から
・朝木明代は1992年から創価学会および公明党の批判を展開していた。また、矢野らによると、創価学会からの脱会者の救済もしていた。
・9月3日には高知の創価学会関係のシンポジウムで講演する予定であった
・矢野らによると、明代の性格として自殺はあり得ない
・事務所・自宅に遺書はなく、事務所は照明・エアコンがついたままで、やりかけの仕事が中断した状態だった。財布等の入ったバッグも置いたままだった。
・矢野は9時19分までに事務所に戻って朝木明代が自宅からかけた電話を受けた。明代は「ちょっと気分が悪いので休んで行きます」と伝え、矢野は「ハイハイ」と答えた。朝木直子は10時30分頃に自宅と事務所に戻って状況を見ており、事務所は無人だったという。
・矢野らによると、事件の2年ほど前から朝木明代や周辺の人物に対する嫌がらせや脅迫(いたずら電話、放火、ポケベルに入った不吉なメッセージと読むことができる数字列、など)があり、一部については創価学会員によることが判明している。
・転落現場の手すりには明代のものと思われる指の跡がある(擦った跡であり、指紋は採取できなかった)。これは、落下に抵抗したことを示している。
などを根拠に
謀殺である、創価学会が関与している、と主張した。
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2009年に山口組系暴力団 後藤組の組長が自叙伝『憚りながら』(宝島社)を出版し、創価学会から学会批判する団体の破壊工作と殺害を依頼されたことを告白。
ブルドーザーで学会批判する団体の事務所に突っ込み、リーダーの腕を日本刀で切り落として殺害したことも告白した。
創価学会は本書に対して反論をせず、出版の差し止めや損害賠償請求を一切行っていない。
創価学会は暴力団と極めて密接な関係にあったことを、原田稔創価学会会長(当時事務総長)が認めており、
公明党幹事長 藤井富雄氏は週刊誌のインタビューで「後藤組の組長と会ったら、やあやあだよ」と述べている。
創価学会は極めて好戦的な団体で、組織内部に諜報機関「広宣部」や「S-CIA」を持ち、恒常的に非合法をしていることを公明党代表などは告発している。
以上の理由から、改めて東村山市議謀殺事件が見直されることになった。
今や創価学会批判した者が次々と不審死したり、嫌がらせをされても、疑問に思う者はいない。創価学会はそういう団体なのだから。
政教分離を考える会
https://seikyoubunri.web.fc2.com/myweb11_007.htm
山口組系元組長がはじめて告白した創価学会との関係
日本最大の暴力団、山口組の「武闘派」として知られ、一昨年引退した後藤組の後藤忠政・元組長が回想録『憚りながら』を出版する。注目すべきは、公明党の支持母体「創価学会」との知られざる関係が初めて明らかにされている点だ。
創価学会は七〇年代から、富士宮市の「大石寺」周辺の土地を買収。富士桜自然墓地公園など数々の施設を造成した。が、その過程で地元との軋轢が生じ、大規模な反対運動に見舞われた。それを押さえ込むために学会が利用したのが、後藤組だったという。
当時、後藤元組長との窓口になったのは、創価学会の顧問弁護士で、池田大作・創価学会名誉会長の片腕として知られた山崎正友氏(故人)。後藤元組長は本書の中でこう述懐する。
〈あの男(山崎)がすべて仕切っていて、池田ともサシで話し合えるぐらいの実力は持ってたんだ。実際、俺にも「親分のことは池田会長に伝えてあります。池田会長も『くれぐれもよろしく』と言ってました」と言ってたんだから〉
この山崎氏のあとを継いだのが学会幹部のXだった。
〈(Xは)私利私欲じゃなしに、俺とのトラブルを含め、学会の抱えているさまざまな問題を何とか収めようという姿勢だった。(中略)俺自身はXを悪い人間 とは思っていない。一番の悪はやっぱり裏で、山崎だの、Xだのに?汚れ仕事?させといて、表では善意に満ち盗れた教祖サマ面してる、池田大作だろうな〉
後藤元組長は、Xの素性を明かしていないが、本書によれば、池田名誉会長の側近といわれる元公明党最高顧問の藤井富雄・元東京都議であるという。後藤元組長と藤井元都議との密接な関係や、二人の?密会ビデオ?の存在も明らかにされている。
今回、創価学会との関係について明らかにした理由について、後藤元組長はこう語る。〈学会、いや、池田大作のために、それまで散々働いてきた連中や、俺 みたいに協力してきた人間を、用済みになったと思ったら、簡単に切り捨てるようなやり方が許せんのだよ〉 創価学会広報室は、「(後藤組元組長に依頼した 点や、元組長と藤井元都議との関係について)そのような事実はございません」と回答した。
池田名誉会長は何を思う?
「X」=藤井富雄・元公明党東京都議会議員
「週刊文春」平成22年5月20日号
山口組屈指の武闘派として恐れられた大幹部が初めての自叙伝を上梓!
元後藤組 組長(後藤忠政氏)が明かした「ヤクザと創価学会の真実」
一宗教法人が、実は暴力団組織の力を利用し、国政を左右するほどまでに勢力を伸ばしていたとなれば、その法人格は即刻、剥奪されて然るべきだろう。創価学会が犯した大罪を、あの元組長が激白した――。
全国827万世帯に信者を持つと言われる巨大宗教団体・創価学会に、大スキャンダルが持ち上がった。同団体のさまざまな活動において、名誉会長の池田大作氏(82)の了解のもと、ヤクザの協力を仰いでいたとする証言が飛び出したのだ。
その当事者として名乗り出たのは、一昨年まで日本最大の極道組織・山口組の2次団体、後藤組(本部=静岡県富士宮市)を率いていた後藤忠政氏(67、本 名・忠正)である。後藤氏はこのほど、自身初の自叙伝『憚りながら』(宝島社刊=5月15日発売)を上梓。同書は、山口組きっての武闘派と言われた後藤氏 が半生を振り返りつつ、関与を取り沙汰された事件や政財界の人脈、裏社会から見続けた世間のありようなどをモノローグ形式で語ったもので、日本の裏面史を 辿るうえでも興味深い内容となっている。
問題の箇所は「創価学会との攻防」と題した章だ。後藤氏によれば、創価学会との関係が生まれたのは'75〜'76年頃のこと。創価学会はもともと日蓮正宗の信徒の集まりで、かつては富士宮市の大石寺を本山としており、後藤組とは本拠が同じという共通項があった。
創価学会が後藤氏の力を必要としたのは、'69〜'70年頃から大石寺周辺の土地を買い占め、大本堂建立や「創価学会富士桜自然墓地公園」造成といった 総額1000億円に及ぶ大規模事業を進めていたためである。つまり、巨大利権にまつわるトラブル処理のため、後藤組を用心棒として使ったうえ、ダーティー ワークも任せていたというわけだ。当時の創価学会の顧問弁護士で、学会と後藤氏を繋ぐパイプ役でもあった山崎正友氏(故人)が、後年に創価学会を追放され てから著した『懺悔の告発』によれば、最後まで学会に抵抗した人物に対して、後藤組組員はその自宅にブルドーザーで突っ込み、日本刀で片腕を切り落とした とある。(のちに被害者死亡)
さらに、創価学会自体のやり方も強引そのもので、後藤氏いわく学会は、大本堂を造る時からデタラメなことをしていたんだ。大本堂を造る際に、市道を勝手 に(市の許可なく)潰したり、農地を不正に取得したりしてな〉といったもの。こうした行状から創価学会に対する反対運動が起き、後藤氏は前述の山崎氏から こう持ちかけられたという。
〈山崎から「何とかならんか」という相談があった。そういう裏の話は当時、あの男(山崎)がすべて仕切っていて、池田ともサシで話し合えるぐらいの実力は 持ってたんだ。実際、俺にも「親分のことは池田会長に伝えてあります。池田会長も『くれぐれもよろしく』と言ってました」と言ってたんだから〉
しかし、後藤組が介入してもなお、反対運動は鎮静化せず、富士宮市議会では'80年末から、関係者の証人喚問、強制調査、さらには証言拒否や偽証には禁 錮や罰金刑を科せる「百条委員会」の設置に向けた動きが始まった。議会には山崎氏の証人喚問、池田氏に与えていた名誉市民称号の取り消しを求める声も噴 出。窮地に陥った学会は、再び後藤組を頼った。〈この間('80年)、山崎は学会を破門(除名)になって失脚するんだけど、山崎が作った俺とのパイプは生 きていて、今度は地元の公明党の連中を通じて(百条委員会を)「何とかして欲しい」という相談があったんだ。それで(百条委員会設置)賛成派の連中に? 話?をしたわけだ〉
結果は創価学会の思惑通りに。百条委員会は'81年春に設置されたものの、公明党などの猛烈な切り崩しにより、何ら機能しないまま同年末に解体されたのだ。
だが、その直後、創価学会と後藤氏の縁はいったん切れる。後藤氏によれば、学会が後藤組を切り捨てようとしたためで、憤激した後藤氏は竹入義勝・公明党 委員長、矢野絢也・公明党書記長(肩書はいずれも当時)に、二度にわたって内容証明を送付した。しかし、学会が黙殺したうえ、'83年6月に突然、富士宮 署に「後藤組潰滅対策本部」が設置されたことから、後藤氏はこれを学会の差し金と見て激怒。'85年11月には後藤組系幹部らが創価学会文化会館(東京・ 信濃町)に発砲し、逮捕される事件が発生する。この件について、後藤氏は、
〈これには池田もビビッただろうな。そりゃそうだわ、行く先々で?パン?って音がするんだから(笑)。それで慌てて、俺んところに池田の使いが飛んできて、詫びを入れてきたんだ〉
という。これがキッカケで、創価学会と後藤氏は再び協力関係に。新たな窓口は、後藤氏のもとへ謝罪に訪れた前述の?池田の使い?で、後藤氏はこの人物を「X」と呼称し、前述の山崎氏が学会から追放された後は〈このXが?裏?の仕事を担当していたんだ〉と述べている。
同書は注釈として、後藤氏が「X」の正体を一切語ろうとしないとしたうえで、これまでの報道などから、この人物が池田氏の側近中の側近と言われた〈藤井富 雄・元公明党東京都議会議員であることは、もはや疑いようのない事実だ〉と付記している。さらに、次の二つの事実も記載。一つは'91 年に日蓮正宗が創価学会を破門し、対立が激化すると、日蓮正宗の総本山・大石寺で発砲事件などが発生したこと。もう一つは、'95年辺月頃、藤井氏と後藤 氏が映った?密会ビデオ?の存在が政界で噂され、これを材料に、与党の自民党が住専国会で新進党を切り崩したとされることだ。
後藤氏自身は前述の大石寺を巡る事件には何も触れておらず、密会ビデオについても、事実関係こそ認めているものの、
〈どんな会話をしたかなんて、そんなことは憶えちゃいない。当時はXとしょっちゅう?密会?してたもんでな(笑)〉
としか答えていない。
自分自身もしくは旧後藤組関係者を守ろうとしているのか、このような調子で事件の核心部分となると言を避けている印象が拭えないのは確かだ。だが、それを割り引いても、学会と後藤氏が緊密な関係にあったことは十分に窺い知れる。
後藤氏が今になって創価学会との関係を明かした理由は、義憤にあるという。
「創価学会は人を利用するだけ利用して、用済みとなれば簡単に切り捨ててきた」、
「?池田教?が国家権力の中枢に入り込み、日本を乗っ取ろうとしている」と糾弾したうえで、
〈一番の悪はやっぱり裏で、山崎だの、Xだのに?汚れ仕事?をさせといて、表では善意に満ち溢れた教祖サマ面してる、池田大作だろうな〉
と、痛烈に批判しているのだ。
創価学会が後藤氏の弁をどのように受け止めるかは、同書が発売される5月15日以降の反応を待つしかない。だが、後藤氏は、創価学会と袂を分かち、現在は反学会の立場で論陣を張る前述の矢野絢也氏を引き合いに出し、こうも述べる。
〈池田や学会、公明党がガタガタ言ってくるんなら、いつでも相手になってやるよ。なんなら民主党も、学会と反目になって『黒い手帖』とかいう本を出した矢野さんと俺を、国会で証人喚問したらどうだ〉
創価学会の出方が大いに注目される。
「フライデー」平成22年5月28日号
さらに詳しい情報はこちら。
学会首脳も認めた、創価学会と暴力団後藤組の深い繋がり Naverまとめ
https://21cult.web.fc2.com/bou.htm
【証言1】 公明党幹事長 藤井氏が暴力団との関係認める
「週刊現代」(平成9年11/22号)で公明党元都議会幹事長は同誌の取材に後藤組組長との密会を認めた。
(編集部)「後藤組組長に会ったことは?」
(藤井)『去年か一昨年頃に…』
(編集部)「後藤組長と会ってどんな話をしたんですか?」
(藤井)『いう必要ない。会ったら、「やあやあ」だよ。おかしな話をするわけがない』
※藤井富雄氏とは、公明党国会議員が新進党へ合流した時期に、残る地方議員3000名と非改選参院議員を束ねる「公明」の元代表である。なぜ、このような人物を池田大作氏は除名しなかったのか?
この件について、当有志による公明党への聞き取りによると、
「その人物は、もう公明党とは関係ない」
「(暴力団との関係)それについて検証していない」
との返事であった。
【証言2】 公明党都議幹事長 龍年光氏も認める
「創価学会自体、以前から暴力団と関係があります。池田大作の指示のもと学会の政界や暴力団山関係の交渉の窓口は、当初、私自身が担当していましたからね。 私が担当したのは昭和20〜30年代にかけてです。その後、竹入義勝元公明党委員長がその役割を引き継ぎましたが、竹入の片腕だったのが、藤井だった。昭 和30〜40年代のことで竹入が一線を退いてからは、藤井が一手に、裏工作を担当するようになった。いわば、学会、つまり池田大作の〃お庭番〃です」 (週刊現代・97/11/22)
【証言3】 原田氏(現創価学会会長) 暴力団との関係を証言
私、(小多仁伯)は、 一九九〇年の少し前(平成元年頃)、創価学会本部に原田稔創価学会事務総長・副会長(当時)を訪ね、懇談したことがありました。
対談の理由は、今話題になっている、指定暴力団山口組系後藤組長の後藤忠政氏に関する内容でした。 当時私は、すでに学会本部を数年以上前に離れ、ある会社の代表取締役に就任していました。 その会社の会長から難しい相談を受けました。 それは、その会長のお母さんから、創価学会に迷惑をかけている後藤忠政氏に注意を行ない、大人しくさせたいという希望でした。 後藤忠政氏に接触する行動をとっても良いか、という相談でした。 理由は、後藤忠政氏が若い頃、その会長のお母さんの家に出入りし、食事の面倒からお小遣いの面倒までかけており、その世界での恩義を感じているから話してみたいというのです。 私は、その目的を原田氏に伝えたところ、本部に来てくださいということになりました。 私は、すでに創価学会からは追放≠フ身分でしたから、良い機会と思い、原田氏と会うことにしました。 久しぶりの学会本部は、以前と変わらない雰囲気でした。原田氏に、創価学会と後藤忠政氏との仲介の労を取っても良いかを糾しました。
そうすると、原田氏は、腕組みをしたり、何かを考えるそぶりをしたりして、私の話に聞き入っていました。 暫くたって原田氏は、意を決したように、「せっかくのお話ですが、あなたもご承知のように創価学会は、これまで、そのような方々の助けを借りてきた歴史も正直言ってありました。しかし、この世界の人たちは、 一度頼みごとをすれば、次々に深みに入り込みます」「学会本部では、さんざん検討をしましたが、何を言われようとも、この世界の人たちとの関係を断ち切ろうということになったのです」と話しておりました。
(「カルト創価の終焉」福本潤一・小田仁伯著)
http://www.soka-news.jp/boryokudan.html
【証拠4】
「池田大作と暴力団」 西岡研介他共著 ……2012年─宝島社
「オウム真理教事件が起こリ,宗教法人法の改正で国会が揺れた1990年代半ば──
永田町であるテープの存在が囁かれた。
山口組の直参、後藤組の後藤忠政組長(2008年引退)と、
池田大作名誉会長の腹心≠ニして学会の裹仕事を担ってきた藤井直雄・都議会公明党
顧問(当時は都議)の密会テープである
このテープが永田町に流出。藤井顧問は後藤組長に対し、当時、自民党の組織広報本部
長として反学会キャンペーンの先頭に立っていた亀井静香議員の口封じなどを依頼したという。
果たしてその真相は?本書では盗聴実行犯≠ニ初めて接触し、生々しい証言の獲得に成功。
◆後藤―藤井会談はこうして盗聴≠ウれた
話を冒頭の後藤─藤井会談に戻そう。
先述の通り、後藤はいきなり、藤井をこう問い詰めたという。
「なんでウチを飛ばして、中野の会長を通じて、五代目の親分に話を持ってったんだ?」
果たして藤井は中野会長を通じ、渡辺組長に一体、どんな依頼をしたというのか……。
これについては後に明らかにするが、「あんたんちのために、ウチの若いも
んが一体、何人捕まったと思つてんだ?」と後藤からさらに責められた藤井は、その後も苦しい
言い訳に終始したという。当然のことながら後藤は簡単には納得せず、同じようなやりとりが
二度、三度と繰り返されたが、最後は後藤も矛を収め、会談は45?50分ほ
どで終わったという。
ところが、この会談の模様は何者かによって密かに撮影され、数ヵ月後にはその内容≠ェ永
田町に流出。さらにはこの後藤と藤井との「密会ビデオ」の存在はその後、何度かメディアでも
報じられたため、ご記憶の読者もおられるだろう。
この「密会ビデオ」についても後に詳しく述べるが、実は後藤─藤井会談は、ビデオで撮影さ
れただけでなく、録音、つまりは盗聴されていたのである。
後藤─藤井会談から17年……。私はようやく、それを実際に盗聴した人物を特定した。さらに
その人物の所在を割り出し、接触を試みたところ、「匿名ならば……」と取材に応じてくれること
になつたのだ。
この人物を仮にA氏としておこう。
49年、九州出身のA氏は現在、62歳。大学卒業後、不動産業や福祉関係の仕事に就き、今もさま
ざまな事業を展開する実業家だ。待ち合わせ場所となったJR博多駅に近いホテルに現れたA氏は、
極めて物腰の柔らかい紳士で、私も実際に話を聞くまでは、彼が後藤
─藤井会談盗聴の実行犯≠セとは正直、信じられなかったほどだ。
A氏は「よく (後藤─藤井井会談を盗聴したのが)私だと分かりましたね」と苦笑いしながらも
席に着き、彼が会談を盗聴するに至った経緯、さらにはその様子や内容を、記憶を辿りりながら
話してくれた。八氏が語る。
「そもそも、なぜ私にそんな(盗聴の)技術があるのかつて思われたでしよう?実は私は高校時代
から全共闘運動にのめり込み、大学に入ってからは『中核派』に入つたんです。それから?28歳
になるまで(中核派の)活動家として生きてきたんですが、その間ずつと、
『革マル派』や『革労協』など、(中核派と)対立するセクトの動向を調べる
『調査部隊』に所属し、そこで盗聴や尾行の技術を身につけたんです。」
https://blog.goo.ne.jp/youthuman/e/cf55a9c570c0c285cfee8ab21512fd26
【証拠5】
福岡市のゴルフ場で白昼に起こったショッキングな事件。このゴルフコンペに公明党の県議、福岡市議、久留米市議らがそろって参加し、権藤代議士も招待をうけていたことが判明し、大問題となりました。
福岡県の自民党有力者は、「権藤君はなかなかの外交家で、大島にとり入り、非常にかわいがられていた」といいます。
福岡県の創価学会・公明党の内情に精通した人物は指摘します。
「ピストル射殺事件で大島と権藤の関係が表面化したが、実は県政財界で二人の間柄を知らないものはいなかった。大島の弟も県の学会幹部をしていた。権藤は大島のカネとパイプで公明党の幹部になれたようなものだ」
これを裏付けるように、大橋代議士も「大島から権藤さんにカネが流れていた。彼が国体委員長になれたのは、大島のカネと影響力のおかげだ」と新聞上などで語っています。
さらに権藤氏と大島元会長のただならぬ深い関係を物語る新事実が追跡調査で浮かび上がってきました。
「大島さんが殺される二年前、落選中の権藤君のための激励パーティーが福岡市で盛大にやられた。この音頭をとったのが、おの大島さんだった」(公明党県本部関係者)
暴力団元会長が衆院予定候補者の激励会を公然とやる。---これはまさに大スキャンダルといえます。
実際、八二年四月十二日午後二時から、福岡国際ホールで「権藤恒夫を囲む激励の集い」が約1000人の参加者でひらかれ、党中央からは竹入義勝委員長(当時)が駆けつけました。
「創価学会・公明党 池田王国の落日」中川義雄著
https://blog.goo.ne.jp/gakkaia-z/e/7ebace19745832c7ba19eb2b53323e69
【暴力団 後藤組との関係】
昭和58年3月9日、3月16日付で後藤組組長から、池田大作氏と竹入公明委員長に送られた内容証明付き郵便は週刊誌に公表されている。
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