http://www.asyura2.com/24/senkyo293/msg/371.html
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https://www.tokyo-np.co.jp/article/309302?rct=national
原子力規制委員会は、いつ何時でも想定通りの避難が出来ることを前提にしているようだ。
今回の能登半島地震は、規制委員会の「そんな考え」をあざ笑うかのように、原発が被害を受けるような大地震が発生した場合は、近隣住民の避難は不可能であることを人々に証明して見せた。
被害は甚大ではあったが、「原発は廃止せよ」との神の啓示でもあったのではないか。
しかし、原子力規制委員会は「その現実」を、何故か直視しようとしない。
その有様は、およそ科学的な姿勢とは程遠いものがある。
東京新聞は、そのことを「現実逃避する、原子力規制委員会」と断罪し、原子力規制委員会の「思考停止」は放置できないと訴える。
改めて考えさせられる。
日本の原発政策において、「原子力規制委員会」とは何者なのか、何様なのか。
どう足掻いても現実味に欠ける避難計画は自治体任せ。
最悪なのは、その自治体が避難出来ないと訴えていても、耳を貸そうとしない。
何処までも傲慢な態度。そして、無責任な態度。
人命にかかわる問題に向き合うにしては、あまりに不遜な態度。
避難出来ないという現実に目を背けて、地震に対して脆弱な原発を稼働させているとすれば、これほどの人命軽視はない。
住民の命を犠牲にしてしまうかもしれない危険を犯して、原発を稼働させる「大義」は絶対にあり得ない。
能登半島地震の被害の実情を目の前に突き付けられても尚、その現実から目を逸らし、考えを改めようともしない。
原子力規制委員会は、この頑なな姿勢で、一体「何」を守ろうとしているのか。
かけがえのない筈の「人命」でない事だけは、薄々感じるのだが・・・。
それほどまでに、原発利権は旨味があるということなのか。
以下に記事の全文を転載する。
原子力規制委員会は14日の定例会合で、原発事故時の防災対応を定めた原子力災害対策指針の見直しについて、環境に拡散した放射性物質による被ばくを避ける住民の「屋内退避」の手法に限って議論する方針を決めた。5人の委員全員一致の判断。能登半島地震では家屋の倒壊や道路の寸断が多発し、屋内退避や避難が困難だったことが判明したものの、それらの課題を想定せずに検討を進める。(渡辺聖子)
◆対策指針の見直しは「屋内退避」の手法のみ
山中伸介委員長は会合後の記者会見で、家屋倒壊や避難ルートの寸断などは自治体側の検討課題と強調。「自然災害への対応はわれわれの範疇(はんちゅう)外」と繰り返した。屋内退避ができる前提で今後の議論をするのかを問われると、「そのような考え方で結構」と答えた。
東京電力福島第1原発事故後に発足した規制委は、原発の事故対策の審査や規制はするが、審査の対象外である避難計画には助言など限定的な役割を担う。
見直しの議論は、屋内退避を原発からどれぐらい離れた場所に住む人々が何日間ぐらい実施するかや、解除の判断基準など、現行指針に具体的な記載がない項目に限る。外部専門家や自治体、内閣府の担当者らを交えたチームで検討し、1年程度で結果をまとめる。
会合でも委員からは、自然災害への対応は「議論の対象外」とする発言が相次いだ。伴信彦委員も「原子力災害のあるなしにかかわらず、家屋倒壊や集落孤立はそのこと自体が問題。それは自然災害への対策として(自治体側で)手当てされるべきだ」と述べた。杉山智之委員は、屋内退避先となり得る集会所について耐震性があることが望ましいと指摘したものの、規制委として議論する必要はないという認識を示した。
◆原発立地県知事「現実踏まえた避難のあり方を議論すべき」
現行指針は、大量の放射性物質が外部に飛散する重大な事故が起きた場合、原発から5キロ圏内の住民は避難、5〜30キロ圏内は屋内退避と定めている。自治体は指針を基に詳しい避難計画を策定する。
能登半島地震後、自治体からは指針への疑問の声も上がる。東京電力が再稼働を目指す柏崎刈羽原発が立地する新潟県の花角(はなずみ)英世知事は9日、規制委事務局である原子力規制庁の片山啓(ひろむ)長官に「現実を踏まえた避難のあり方を議論すべきだ」と要望していた。
記事の転載はここまで。
能登半島地震の被害の状況が明らかになればなるほど、その現実を踏まえれば、誰が考えても、「避難は出来ない」という結論に達する。
後は、
避難は出来なくても、原発を稼働させるか、
避難出来きないならば、原発を廃止するか、
二者択一の選択ということになるのだろう。
そして、この問題で最も重要なことは、その選択権は、電力会社にではなく、原子力規制委員会にでもなく、そこに住む住民にのみ与えられるものだということだ。
その権利は、人が持って生まれた「生存権」という。
そして、原発稼働を阻止する権利は、人が持って生まれた「抵抗権」という。
そもそも、原子力規制委員会とは、原発を「規制」する側に立った組織ではなく、原発を推進する側に立った組織であることを忘れてはならない。
「・・・規制・・・」という2文字も。国民の眼を誤魔化すための詐術なのだろう。
東京新聞の「こちら特報部」が訴える。
(https://www.tokyo-np.co.jp/article/307567)
(以下引用)
能登半島地震では、原発防災の限界が鮮明になった。道路や建物の損壊が激しく、避難や屋内退避をしようにも無理があると突きつけられた。・・・
・・・避難や屋内退避をしようにも無理がある現実。中垣さんは「能登半島地震を自然の警告と受け止める契機にするべきだ」と訴える。・・・
・・・それでも国が指針を見直さない点について「本気で見直せば、各自治体は実現可能な防災計画をつくれず、原発を動かせなくなるからでは」とみる。・・・
引用はここまで。
東京新聞は、「・・・思考停止の代償は住民に及ぶ。」と結んでいる。
危険な「原発」など無くても、クリーンで安全な「電源」はいくらでもあるではないか。
「原発は廃止せよ」
これは、神の啓示でもあり、なによりも「国民の声」である。
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