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ウクライナの耕作地や資源を事実上の担保にして融資した西側の金融資本が苦境に
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202409040001/
2024.09.04 櫻井ジャーナル
200億ドルを超える債務再編計画を国際債券保有者が正式に承認したとウクライナ政府が発表したのは今年8月28日のこと。この債務再編により、キエフ政権は今後3年間で114億ドルを節約できる。31日にウクライナ政府は債務返済を一時的に停止することを可能にする法律を発動し、8月からの債務返済を停止する。
ロシア軍は2022年2月にウクライナ軍を攻撃、8月までにウクライナと債権者は2年間の債務凍結で合意したとされている。今年、その期限が来たわけだ。
支払い猶予期限が迫ってきたことからウクライナの財務顧問を2017年から務めるロスチャイルド・アンド・カンパニーは会議を設定。ブラックロック、ピムコ、アムンディを含む資産運用会社の代表者、その法律顧問、そして財務顧問が7月16日にパリへ到着し、ウクライナの債務管理局長を務めるユーリー・ブツァ、法律顧問のホワイト・アンド・ケース、そしてロスチャイルドのチームと合流した。
1990年代のウクライナは中立を掲げ、EUとロシアのどちらにも与しない姿勢を見せていた。ビクトル・ヤヌコビッチもそうした考え方の持ち主だが、ロシア征服を目指す西側の強大な私的権力は戦略上、ウクライナを属国化する必要があり、そうした人物を大統領にするわけにはいかなかった。そこで仕掛けたのが「オレンジ革命」にほかならない。
しかし、その「革命」で大統領に就任したビクトル・ユシチェンコは西側の傀儡で、新自由主義政策を推進した。必然的に貧富の差が拡大してウクライナ人の怒りを買うことになる。そこで2010年の大統領選挙では再びヤヌコビッチが勝利した。
ヤヌコビッチを受け入れられないアメリカのバラク・オバマ政権はより強硬な手段に出る。2013年から14年にかけてネオ・ナチを利用したクーデターを実行、西側資本の属国にしたのだ。
ところがウクライナにはネオ・ナチ体制を拒否する人が少なくなかった。特にロシア語圏でヤヌコビッチの支持基盤だった東部や南部にそうした傾向が強い。
南部のクリミアではロシアの保護下に入る選択をしたが、そうしたことが可能だったのは住民の圧倒的多数が自分たちをロシア人だと考えていたことだけでなく、駐留していたウクライナ兵の9割近くが新体制を拒否、軍を離脱したからだ。東部のドンバスでも似た状況で、反クーデター軍が編成された。ウクライナ全体でも軍人や治安機関メンバーの7割はネオ・ナチ体制を拒否して離脱、一部はドンバス軍へ合流したと言われている。
クーデターの前からアメリカがウクライナの石油を奪おうとしていたとビクトリア・ヌランドは語っている。2013年12月13日、米国ウクライナ財団主催の会合に彼女は登場、アメリカは1991年からウクライナに対して50億ドル以上を投資したと語っているのだ。アピールしている相手は演壇に示されていた。アメリカの巨大石油会社、エクソンモービルとシェブロンの文字があった。
クーデターの後、ロシアからの支援を失ったウクライナの経済は破綻し、ウクライナ国債の価格は下落する。それを買い占めていたフランクリン・テンプルトンというファンドは額面総額50億ドルの国債を買ったという。このファンドを操っているのはロスチャイルド家だ。フランクリン・テンプルトンを設立した人物の息子、ジョン・テンプルトン・ジュニアはバラク・オバマの選挙キャンペーンに多額の寄付をしていたことで知られている。
破綻した国の国債を安値で買いあさり、満額で買い取らせるというのが「ハゲタカ・ファンド」のやり口。ウクライナにはIMFがカネを貸しているが、そのカネでファンドの要求通りに支払うことができる。債権者になったIMFは債務者である破綻国の政府に対して緊縮財政を要求、庶民へ回るカネを減らさせる。規制緩和や私有化の促進で国の資産を巨大資本に叩き売らせ、大儲けさせてきた。
私的権力の手先はクーデター直後の3月7日深夜、ポリスポリ空港に4輌のトラックと2輌の貨物用のミニバスで乗り付け、40個以上の箱をマークのない航空機へ運び込んだと伝えられている。
車両はいずれもナンバー・プレートが外され、黒い制服を着て武装した15名が警戒する中での作業だった。作業が終わるとすぐに航空機は飛び立ち、車両も走り去ったという。その箱の中身は金塊だという情報がある。当時、ウクライナ政府42.3トンの金塊を保有していたとされている。
西側の私的権力は消滅間近のソ連でも暗躍していたが、そのひとりがミハイル・ホドルコフスキー。彼はソ連時代の1989年、リチャード・ヒューズなる人物と「ロシア人モデル」をニューヨークへ送るビジネスを始めた。この年にホドルコフスキーはメナテプ銀行を設立するためのライセンスを取得するが、違法送金やマネーロンダリングが目的だった可能性のだろう。このビジネスをソ連当局も怪しみ、モデルに対する出国ビザを出し渋るのだが、ホドルコフスキーはKGB人脈を持っていた。そのコネクションに助けられてビザを入手できたという。
ソ連が1991年12月に消滅し、ボリス・エリツィンが西側支配層の代理人としてロシアを支配するようになると、ホドルコフスキーはエリツィン政権を支える顧問のひとりに就任。彼は1995年にユーコスなる石油会社を買収、中小の石油会社を呑み込み、その一方でモスクワ・タイムズやサンクトペテルブルグ・タイムズを出している会社の大株主になっている。
ホドルコフスキーはユーコスの発行済み株式のうち25から40%をアメリカの巨大石油会社、エクソン・モービルとシェブロンへ売り渡そうとしたが、プーチンに阻止された。プーチンの動きが遅れれば、ロシアは米英支配層の植民地になっていたことだろう。(Natylie Baldwin & Kermit Heartsong, “Ukraine,“ Next Revelation Press, 2015)
プーチンが実権を握った後、少なからぬオリガルヒはロシアからロンドンやイスラエルへ逃亡するが、ホドルコフスキーはロシアに残った。そして2003年10月、彼はノボシビルスクの空港で横領と税金詐欺の容疑で逮捕されている。
ホドルコフスキーのユーコス株の支配権は先に結ばれた「取り引き」によってジェイコブ・ロスチャイルドへ渡ったとサンデー・タイムズ紙は報じていた。ホドルコフスキーがロスチャイルドとの関係を語った映像が5月22日にインターネットで公開された。その中で、モスクワに本社があるルクオイルの真のオーナーはジェイコブだったとホドルコフスキーは明らかにしている。
ロスチャイルドが支配しようとしていたロシアとウクライナは世界有数の穀倉地帯であり、鉱物資源、石油や天然ガスといったエネルギー資源が豊富。こうしたロシアの富を「担保」にしてロスチャイルドのような金融資本は融資したのだろうが、富を盗めなければ不良債権になってしまう。
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