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ブチャ解放2年で犠牲者を追悼 ロシア軍事侵攻で市民が多数犠牲/nhk
2024年4月1日 6時59分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240401/k10014408791000.html
ロシア軍による軍事侵攻で多くの市民が犠牲になった、ウクライナの首都キーウ近郊のブチャが解放されてから2年となったのに合わせて市内では31日、新たに整備された公園で犠牲者を追悼するための植樹などが行われました。
ブチャは侵攻当初にロシア軍に一時占拠され、地元の当局は、12人の子どもを含む509人の市民の命が奪われたとしています。
ブチャが解放されてから2年にあたる31日、現地ではさまざまな追悼の行事が開かれ、このうち多くの遺体が見つかった聖アンドリー教会では犠牲になった人々をしのぶコンサートが開かれました。
教会の敷地には犠牲者一人一人の名前を記したモニュメントが設置されていて、訪れた人たちが花をたむけていました。
34歳だった兄を亡くした女性は「兄はその日水を買いに行き、そのまま39日間、行方不明になりました。幼い子ども2人を残して亡くなったんです。まだ兄の死を乗り越えることが出来ていません」と話していました。
また、78人の遺体が見つかり「死の通り」とも呼ばれた、ヤブロンスカ通りにはあらたに公園が整備され、ブチャの復旧に協力してきた日本のJICA=国際協力機構など、各国や支援機関の代表らも招かれ犠牲者を追悼するための植樹が行われました。
公園には犠牲者の人数と同じ数の木が植えられることになっていて、この日は、家族などが犠牲者の名前を記した銀色のプレートを木に取り付けて祈りをささげていました。
息子がロシア軍による拷問の末に亡くなったという男性は、ロシア軍は疫病のようだと話し「もし世界がウクライナを助けなければ、この疫病は世界中に広がるだろう」と訴えていました。
男性の孫で、父親を亡くした6歳の女の子は「お父さんに会いたいです。まだ生きていたらと思います」と話していました。
ゼレンスキー大統領 国際社会に結束を改めて訴え
ウクライナの首都キーウ近郊のブチャが解放されてから2年となったのに合わせて31日、市内各地では犠牲者を追悼する式典などが開かれました。
このうち、市内にある記念碑の前で行われた式典ではゼレンスキー大統領をはじめイエルマク大統領府長官などの政府高官や地元の人たちも出席し犠牲者に1分間の黙とうがささげられました。
ゼレンスキー大統領は演説でロシアによる侵攻について「われわれの国家の存続とすべての人の生きる権利をかけた戦争だ」と強調し「全世界がこの戦いの代償と、われわれがこの国で食い止めようとしている悪を忘れないで欲しい」と述べました。
そして「占領軍に殺され、ブチャの通りに横たわったウクライナの人々の遺体は、世界中の誰もがこの戦争から目を背けることは出来ないという証しだ。ウクライナの人々の命や国家を守ることこそが人類の勝利を意味する」と述べ国際社会に対し結束を改めて訴えました。
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