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ガザのパレスチナ住民虐殺に対する世界の怒りはアメリカ大統領選挙にも影響
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202403120000/
2024.03.12 櫻井ジャーナル
ガザにおけるパレスチナ住民の虐殺に対する怒りは全世界に広がり、アメリカの大統領選挙にも影響を及ぼし始めた。ミシガン州の予備選挙では虐殺への抗議で「未投票」が13万人に達し、ジョー・バイデン陣営としても無視できなくなってきたようだ。が、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ大統領はガザでの住民虐殺を止めようとしていない。
イスラエルは「建国」以来、パレスチナ人を弾圧してきたが、今回の虐殺は犠牲者が多い。すでに3万1000人以上の住民が殺されたと推測されている。しかも約4割が子ども、女性を含めると約7割に達すると言われている。「戦争の巻き添え」で子どもや女性が殺されているのではない。子どもや女性など非戦闘員が狙われている。こうした実態を世界の人びとが知りつつあるのだ。
ガザでの戦闘はハマスを中心とするパレスチナ系武装グループが10月7日に実行したイスラエルに対する軍事作戦から始まるのだが、イスラエル政府やアメリカ政府は事前にハマスの攻撃を知っていた可能性が高い。
アメリカ側の動きで目につくのは、武装グループが突入した数時間後に2隻の空母、ジェラルド・R・フォードとドワイト・D・アイゼンハワーを含む空母打撃群を地中海東部へ移動している。事前に情報を持っていなければ、こうした迅速な動きはできなかっただろう。
また、ガザはイスラエルが建設した事実上の強制収容所。巨大な壁に取り囲まれ、電子的な監視システムが張り巡らされている。人が近づけば警報がなり、地上部隊だけでなく戦闘ヘリも駆けつけることになっている。
しかも、ハマスはイスラエルによって作られ、資金もイスラエルから提供されていた。イスラエルにとって目障りな存在だったヤセル・アラファトの影響力を弱めるために組織されたのだ。
イスラエルの治安機関であるシン・ベトはムスリム同胞団のメンバーだったシーク・アーメド・ヤシンに目をつけ、1973年にムジャマ・アル・イスラミヤ(イスラム・センター)を、そして1976年にはイスラム協会を設立させる。ハマスは1987年にイスラム協会の軍事部門として作られた。2009年に首相へ返り咲いた時、ネタニヤフはハマスにパレスチナを支配させようと計画、そのためにカタールと協定を結び、カタールはハマスの指導部へ数億ドルを送り始めたという。
ハマスなどによる軍事作戦の名称は「アル・アクサの洪水」。これはイスラムにとって重要な世界で第3番目の聖地だというアル・アクサ・モスクに対するイスラエル人による冒涜行為に対する怒りという意味がある。
例えば、イスラエルの警察官が昨年4月1日にモスクの入口でパレスチナ人男性を射殺、4月5日には警官隊がそのモスクに突入、ユダヤ教の祭りであるヨム・キプール(贖罪の日/今年は9月24日から25日)の前夜にはイスラエル軍に守られた約400人のユダヤ人が同じモスクを襲撃し、ユダヤ教の「仮庵の祭り」(今年は9月29日から10月6日)に合わせて10月3日にはイスラエル軍に保護されながら832人のイスラエル人が同じモスクへ侵入している。言うまでもなく、イスラム教徒に対する挑発行為だ。
10月7日の攻撃の際、約1400名のイスラエル人が死亡したとされ、その後1200名に訂正されたが、イスラエルの新聞ハーレツによると、イスラエル軍は侵入した武装グループを壊滅させるため、占拠された建物を人質もろとも砲撃、あるいは戦闘ヘリからの攻撃で破壊したという。イスラエル軍は自国民を殺害したということだ。ハーレツの記事を補充した報道もある。
攻撃直後、イスラエル政府はパニックになっていたように見える。攻撃を予想はしていたが、展開が予想通りでなかったのかもしれない。ガザでイスラエル軍は苦戦、ネタニヤフ政権は停戦するわけにはいかない状況だともいう。
この状況が続くとネタニヤフ政権とバイデン政権の関係が難しくなる可能性がある。アメリカやイギリスが軍事支援を止めてしまえばイスラエルは戦闘を続けられないわけだが、支援を止められないとも言われている。イスラエルの背後に存在する19世紀から続く帝国主義の権力システムが許さないと考えられている。
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