★阿修羅♪ > カルト49 > 730.html
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ ★阿修羅♪
太平洋戦争下、隠ぺいされた大地震と大被害
http://www.asyura2.com/24/cult49/msg/730.html
投稿者 イワツバメ 日時 2024 年 8 月 11 日 22:20:54: HgyWN4ntPT..o g0ODj4Njg2@DgQ
 

昭和東南海地震の震度分布(出典:Wikipedia)

かん口令の強制と被災地の孤立無援

高崎 哲郎

1948年、栃木県生まれ、NHK政治記者などを経て帝京大学教授(マスコミ論、時事英語)となる。この間、自然災害(水害・土石流・津波など)のノンフィクションや人物評伝等を刊行、著作数は30冊にのぼる。うち3冊が英訳された。東工大、東北大などの非常勤講師を務め、明治期以降の優れた土木技師の人生哲学を講義し、各地で講演を行う。現在は著述に専念。

立て続けに東海で地震
昭和19年(1944)12月7日の昭和東南海地震と翌20年(1945)1月の三河地震は、軍部によって報道管制が敷かれ完全に隠ぺいされた。当時、日本は太平洋戦争の最中であり、しかも敗色が濃厚となっていた。軍部は軍需工場の被害状況などの情報が連合国に漏れることを恐れ、情報を統制した。新聞・ラジオ報道を禁じたのである。昭和東南海地震は翌8日がマレー半島侵略3周年(大詔奉戴日)ということもあり、戦意高揚に繋がる報道以外の情報はより一層統制された(12月8日の各紙1面トップは、いずれも昭和天皇の大きな肖像写真および戦意高揚の文章で占められている)。言論・報道の自由などどこにもなかった。

地震に関する情報は、3面の最下部のほうにわずか数行触れただけで、具体的な被害状況は一切伝えられなかった。被害を受けた中部地方各地の住民や、学徒動員され愛知県半田市の中島飛行機の工場で働いていた学徒らには、被害について絶対に口外しないように、とする戦時統制に基づく通達によるかん口令が行政側からまわった。そのために、周辺や他の地域からの救援活動もなく、被災地は孤立無援に陥った。
                 ◇
ただ、世界各国の震度計により観測・記録されたため、日本列島中央部に地震が起きたことは把握されていた。翌日のアメリカの主要紙は日本で大地震が発生したことや軍事に及ぼす影響のことを大きく伝えている。「ニューヨーク・タイムズ」は「地球が6時間にわたって揺れ、世界中の観測所が『破壊的』と表現した」と、大々的に報じた。「日本の中央部で大地震」といった見出しで、地域まで特定して見出しをつけたものもあった。

この地震の状況を心理戦として「ドラゴーンキャンペーン作戦」と名づけ、宣伝ビラ投下作戦をアメリカ軍が実行したとされる。B29から投下された宣伝ビラには毛筆で「地震の次は何をお見舞いしましょうか」と書かれていた、という。また、津波被害の資料となるアメリカ軍機による3日後に撮影した航空偵察写真が残されており、連合国側は状況を全て把握し、特に軍需工場などの戦略拠点の被害状況を注視した。地震から昭和東南海地震6日後の12月13日夜には、津波の被害にもさらされ惨事となっている名古屋地域の航空機工場を中心とする一帯に、アメリカ軍は大規模な空襲を行っている。

死者1000人以上か
昭和東南海地震による家屋の倒壊、地震直後に発生した津波により、三重県、愛知県、静岡県を中心に、推定1223人の死者・行方不明者を出したとされている。死者数は重複があり、916人とする説もある。これは、太平洋戦争中でもあり、戸籍などの謄本が津波により消失しているため現在でも正確な実数は把握できない。行政機能がまひしたため、死亡届を出さずに、現在に至っている例も散在する。

この地震によって関東大震災のような大規模な火災は発生しなかった。これは建物倒壊が比較的少なかったこと、発震時刻が昼過ぎであり火を使っている場所が少なかったこと、天候が穏やかで風が弱かったこと、更に戦時中でいつ本土空襲が起きてもおかしくない状況であり、人々の緊張が高まっていたことなどが要因として挙げられている。
                 ◇
半田市の中島飛行機の山方工場、名古屋市南区の三菱重工の道徳飛行機工場はこの地震によって倒壊し、それぞれ死者1301人、60人の被害を出した。この二つの工場は紡績工場を買収して軍需に転用したものであった。飛行機工場としては狭く、間仕切りや柱をのこぎりで引いて取り除くなどして空間を確保していた。耐震性を無視した改装工事が倒壊の原因になったとされる。
                  ◇

「戦争と天災のあいだ」(保坂正康・姜尚中対談、講談社)での保坂正康氏の発言に注目したい。自然災害時においても、軍部が厳重な情報統制をとるという横暴ぶりを確認したい。

保坂氏:昭和19年12月の東南海地震と昭和20年1月の三河地震、これについてはほとんど語られることがありません。名古屋では今となってはこの地震を知らない人が多くなりました。
東南海地震は紀伊半島東部の沖合が震源地で、三重県、愛知県、静岡県に津波が襲ってきています。推定では1200人ぐらいの方が死亡・行方不明になり、3000人近くが負傷したと言いますが、正確な数字はいまなお把握されていません。
三河地震も記録がほとんど残ってないので、詳しいことは分かりません。もちろん報道もほとんどされません。わずかに数行の記事は出ましたけれども、被害は大したことはないと書いてある。愛知県は飛行機などの軍需生産の中心地でしたから、そこの被害状況が敵国(アメリカなど)や自国民に知られることを恐れて、軍部が厳重な情報統制を敷いたんですね。
2つの地震は太平洋戦争の末期の状態に発生しました。もはや日本が勝利を得られる状況にない。2つ地震が続いた昭和19年12月から翌年1月は、B29・70機による初の名古屋空襲や米軍のフィリピン・ルソン島上陸があり、ヨーロッパではソ連軍がワルシャワを解放した。小磯国昭首相は施政方針演説で「国体護持」を強調していたが、時は確実に敗戦に近づいていた。19年10月からは特攻隊が出撃し始めています。
戦局が悪化している中で、地震の報道などされると国民の士気が下がるというのが情報統制、隠蔽の理由でしょう。
しかし、名古屋地方気象台の職員や名古屋帝国大学(現名古屋大学)の研究者などが現地に入ります。当然ですよね。やはり調べなければいけませんから。するとどういうことが起こるか。
憲兵隊がすっ飛んできて、彼らを捕まえた。しかも「よけいなことをするな。お前たちはスパイか」と言って拷問をかけた。
それを知った県知事が憲兵隊に、「スパイじゃない。調査に行ったんだ」と言って抗議すると、「調査なんかする必要はない」と言って隠蔽されたらしい。
こうしたことは、昭和50年代に入って、ようやく少しずつ明らかになってきました。名古屋大学の先生や「中日新聞」などが資料を集め、調査を始めたからですね。報告書も出しています。
余談ですが、世界各国には地震計がありますから、日本に大地震が発生したことはみんな知っていた。アメリカの新聞のなかには正確な記事を載せたものもあります。ちゃんと「日本の中部で大地震」との見出し付きです。

残りにくい教訓
保坂氏:事実そのものが隠蔽された以上、東南海地震、三河地震からの教訓は得られなかったといっていいでしょう。
その反省でしょうか、古い世代の人たちが、自分の体験、自分の記憶として話をするけれども、きちんとした資料も残っていない、教訓も残されていない。それは伊勢湾台風のときも同じじゃないかという声があがったんですね。
昭和34年(1959)9月の伊勢湾台風の犠牲者は5000人に及びました。東南海地震、三河地震に比べれば、災害対策基本法(昭和36年制定)や都市計画などに多くの教訓は得られています。しかし、記憶が記憶として伝えられているかと言えばそうではない…。(中略)。天災に対応した人間の行為しだいによって歴史そのものがマイナスを背負い込んでしまう。教訓も残らない、教訓化されるべき記録も残らないとすれば、それはまさに人災ですね。そうしないための動きが草の根のレベルで出て来た。とてもすばらしいことではないでしょうか。
                  ◇
保坂氏:資料隠ぺいに関して、われわれの先輩はすでに重大な失敗を犯しています。戦争に負けた時に、すぐに書類を焼いてしまった。昭和20年8月14日の閣議で、さらに大本営などが行政や軍事機密の末端まで、資料を焼却せよとの命令を出した。
そのおかげで私たちは恥ずかしい思いをしています。たとえば従軍慰安婦問題。記録がないから事実が存在しないということはないでしょう。もし、記録があればそれに基づいた冷静な議論、堂々たる主張だってできるはずです。それがないから話がこじれる。
こちらが「軍の関与を示す資料はない」と、いくら言っても、「おまえの国は資料を平気で焼き捨てる。そんな国家を信用できるものか」と返されたら言葉に詰まってしまう。情けない話です(引用者:保坂氏の発言につけ加えることはなにもない。その通り、と深くうなずくだけである)。

謝辞:「戦争と天災のあいだ」(保坂正康・姜尚中対談、講談社)から引用させていただいた。お礼申し上げたい。

参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」、筑波大学附属図書館資料。
 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
1. 小沢一郎的こころ[31] j6yR8ojqmFmTSYKxgrGC6w 2024年8月12日 10:47:18 : f2SoJWzhmw : TXRNQ2NhSnpzWkU=[32] 報告
確かに隠蔽した、米帝に利用されるのを恐れたからだ。

当時の地震について地元の人に聞いた事がある。

海から10キロ離れた大井川流域では津波が川をさかのぼってきて家屋が全部水没したと聴いてる。

話をしてくれた人は亡くなっている、近くに陸軍中野学校の出張所のような施設があってゲリラ戦を習っていたと話してくれた。

2. イワツバメ[650] g0ODj4Njg2@DgQ 2024年8月12日 13:36:25 : xIwq9Tn63Q : bDJybG9rczk3SDY=[299] 報告
>>1
で、被災者を見殺しにしたんだよね。
3. 小沢一郎的こころ[40] j6yR8ojqmFmTSYKxgrGC6w 2024年8月12日 15:41:06 : f2SoJWzhmw : TXRNQ2NhSnpzWkU=[41] 報告
そんな話は聞いてないけど新聞には30字程の記事だったと言ってた。
4. 弱っ屁(腐)っプランド豚[-1316] juOCwZubKJWFKYLBg3aDiYOTg2iT2A 2024年8月13日 11:16:24 : 3dYBu3H3xs : aWxRNzJMLmlvODY=[-173] 報告
さすがは自称汚沢ww

この敗戦中の地震は天コロの有りもしない威光wwを示す為に
ゲリゾーの爺達が積極的に資料を焼却したり報道を規制したんだよ

当時は悪メリカも天災は天コロの責任という弱っ屁(腐)っプランド仕草を知っていたからな

だからビラが巻かれたし
公的な救助は存在しない
見殺しと言える状態だな

被害者ぶりの弱っ屁(腐)っプランド豚はなるべく苦しんで死ぬのは良いが

厨2弱っ屁(腐)っプランド帝国と天コロの責任放棄の見殺しである事は事実

▲上へ      ★阿修羅♪ > カルト49掲示板 次へ  前へ

  拍手はせず、拍手一覧を見る

フォローアップ:


★事前登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
最新投稿・コメント全文リスト  コメント投稿はメルマガで即時配信  スレ建て依頼スレ

▲上へ      ★阿修羅♪ > カルト49掲示板 次へ  前へ

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。
 
▲上へ       
★阿修羅♪  
カルト49掲示板  
次へ